とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『差別感情の哲学』中島義道

差別感情の哲学差別感情の哲学
(2009/05/15)
中島 義道

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中島義道氏の本を紹介するのは、「人生しょせん気晴らし」「善人ほど悪い奴はいない」に次ぎ、3冊目です。毎回、鋭い視点で、人間の本質をえぐり出してくれます。今回は差別感情についてです。

人は、他人を悪く差別するのはよくないとわかっていても、反対に、自分だけは特別に良く差別してほしいと願っています。

自分を良く差別してほしい気持ちが、努力する原動力にもなりますし、自分をよく見てほしいという気持ちの中には、他人を見下す気持ちが潜んでいます。差別は本当に難しい問題です。

この本は、差別感情とはいったいどういうものか解明しながら、差別とどうつき合うか、どう向き合うかを示唆してくれる書です。

参考になった箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・自他の心に住まう悪意と闘い続けること、その暴走を許さず、しっかり制御すること。こうした努力のうちに生きる価値を見つけるべき。人間の悪意を一律に抹殺することを目標にしてはならない

・非権力者が権力に立ち向かい、自らの理念を実現するためには、それ自身が権力を持たねばならない

・学力、学歴、肉体的魅力、政治的権力、芸術的才能、育ちのよさ、社会的地位、金銭的豊かさなど、プラスの価値は決まっていて、多くの人は、「一定の決まった価値あるもの」を欲しがる

・歴史的、文化的に背景をもつ差別の場合、その集団に嫌悪を覚えるにしても、個人的感情から離れていることが多く、差別感情を学んでいるに過ぎない

・子供たちの「いじめ」は、「不快」と「軽蔑」をも巻き込む感情であるが、やはりその中心は「嫌悪」である。嫌悪は社会的感情である

・差別感情としての嫌悪が強い人は、「正常だと思われたい欲望」を強く持ち、「儀礼的無関心」を装いながらも、自分の周囲に異常な人を嗅ぎつけ、括り出し、告発する人である

・差別感情の強い人は、自他に対する道徳的要求の高い人であり、それゆえ他人の不道徳を異様に攻撃的に追及する

自己批判精神を欠いている人は、時代の風潮に乗った「正義」の名のもとに、思う存分、その侵略者を弾圧する。強力な後ろ盾のもとに反対者を摘発し血祭りに上げる。こういう態度は、魔女狩りやユダヤ人全滅こそ正義だと確信した人と「心情構造」を共有している

・「軽蔑」は「嫌悪」より価値意識が高い。嫌悪の場合、まだ対等の感情であるが、軽蔑においては、視線は上から下へ向かう。まさに見下す。軽蔑とは他人を切り捨てる態度でもある

・差別意識の強い人は、一般的に人をランキングすることに情熱を燃やす。より社会的に優位の人を尊敬し、より下位の人を軽蔑する姿勢の強い人。上には媚びへつらい、下の者を足蹴にする

・差別を形成するものに、不快、嫌悪、軽蔑、恐怖という他人に対する否定的感情だけでなく、自分自身を誇りに思いたい、優越感を持ちたい、よい集団に属したい、つまり、「よりよい者になりたい」という願望がある

・わが国においては、誇りが優越感とみなされる危険をみんな察知しているがゆえに、「自分を」誇りに思うという発言は聞かれない。その代わり、自分の属する集団や同一の集団に属する他人を誇ることによって、差別感情は希薄化され、隠蔽される

・自分と同一の集団に属する他人を誇る人々は、差別感情を持っている。それを自覚していない鈍感さに苛立ち、その鈍感さにくるまれた狡さに辟易する

・負けた者、成果を出せない者は、努力に疲れたのではない。努力しても駄目だと言ってはならないことに疲れている。いわば、近代社会の残酷さの真実を見てしまったのであり、努力社会の正真正銘の犠牲者である

・誠実性と幸福との合致は、現実的にはできなくとも、理念としてそれを「求めること」、そこにこそ人間としての最高の輝きがある

・罪のない冗談の中に、何気ない誇りの中に、純粋な向上心の中に、差別の芽は潜み、それは放っておくと体内でぐんぐん生育していく。あなたが「高み」にいて、その「高み」に達していない他人を一瞬にせよ忘れたとき、差別感情はむっくり頭を持ち上げる



差別感情を否定すると、人間は人間として生きられなくなります。しかし、差別感情をコントロールできなければ、人間社会の中で生きにくくなります。

この本を読み、差別感情の制御こそが、「謙虚」だと感じました。人間として、成長するには、差別感情と向き合わなければいけないように思います。
[ 2011/03/02 07:49 ] 中島義道・本 | TB(0) | CM(0)
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