とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『人間というもの』司馬遼太郎

人間というもの人間というもの
(1998/11)
司馬 遼太郎

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この本は、司馬遼太郎さんが1996年に亡くなられた後、すぐに出版された箴言集です。
氏が遺した膨大な小説やエッセイから、人間に関する貴重な言葉を厳選しています。

若いころ、氏の小説を何冊も読み、触発されて、今でも、幕末に興味を持って生きています。先だっても、盆休みを利用して、萩、防府を回り、大村益次郎、吉田松陰、高杉晋作といった天才たちの足跡に触れてきました。

帰ってきてから、久しぶりに、書棚に置いていた、この本を手に取りました。自分が読んだ小説に記載された言葉も登場するので、非常に興味深く読み直すことができました。再度、司馬遼太郎さんの偉大さに気づいた次第です。

この本の中で、新たに感銘した箇所が25ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・人間、思いあがらずになにができようか。美人はわが身が美しいと思いあがっておればこそ、より美しく見え、また美しさを増す。膂力ある者はわが力優れりと思えばこそ、肚の底から力がわきあがってくる。南無妙法蓮華経の妙味はそこにある

・茶の作法も、男女の遊びの作法も、遊戯にすぎぬが、遊戯のとりきめに己を縛りつけるときのみ、人は生死の欲望から離れることができる。作法どおりにするがよい

・志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋は、その志の高さをいかに守り抜くかというところにある。それを守り抜く工夫は特別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある

・錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考え続けて、ついに一点の結論を見出すには、水のように澄明な心事を常に持っていなければならない。囚われることは物の判断にとって最悪のこと。囚われることの私念を捨ててかかること

・人間の才能は、大別すれば、つくる才能と処理する才能の二つに分けられる。西郷は処理的才能の巨大なものであり、その処理の原理に哲学と人格を用いた

・人は、その才質や技能というほんのわずかな突起物にひきずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう

・人間の厄介なことは、人生とは本来無意味なものだということを、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、今も気づいている

・自分というのは経験によって出来るだけで、人間という生物としては、自己も他者もない

・人間は、それぞれの条件のもとで快適に生きたいということが基底になっている。仕事、学問、お役目は、その基底の上に乗っかっているもので、基底ではない

・つまるところ百の才智があっても、ただ一つの胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない

・何者かに害を与える勇気のない者に、善事ができるはずがない

・時勢は利によって動くもの。議論によっては動かぬ

・よき大将は価値のよき判断者。将士の働きを計量し、どれほどの恩賞に値するものかを判断し、それを与える。名将の場合、そこに智恵と公平さが作用するから、配下の者は安心して励む。配下が将に期待するのはそれしかない

兵法の真髄はつねに精神を優位優位へととっていくところにある。言い換えれば、恐怖の量を、敵よりも少ない位置へ位置へともっていくところにある

・名将とは、人一倍、臆病でなければならない。臆病こそ敵を知る知恵の源泉というべきもので、相手の量と質、主将の性格、心理、あるいは常套戦法などについて執拗に収集する。ついで、自分の側の利点と欠点を考え抜く

・才能とは光のようなもの。ぽっと光っているのが目あきの目には見える。見えた以上、何とかしてやらなくてはという気持ちが周りに起こって、手のある者は貸し、金のある者は金を出して、その才能を世の中へ押し出していく

・思想を受容する者は、狂信しなければ、思想を受け止めることはできない

・戦場において人々が勇敢であるのは、名誉をかけているから。名誉は利で量られる。つまり、戦場における能力と功名は、その知行地の多い少ないではかられる。他人より寸土でも多ければそれだけで名誉であった。男はこの名誉のために命をすら捨てる

・物事の自然を見るこそ、将の目。時の運と理にかなうからこそ毎度の勝利を得る。過去の勝利の結果のみを思い、必ず勝つと錯覚するならば、勝つための準備、配慮に費やされた時間と心労を見ない

・思想は、人間を飼い馴らしするシステム。人間は飼い馴らさなければ猛獣であって、飼い馴らされて初めて社会を構成する人間たりうる

・武士の道徳は、煮つめてしまえば、「潔さ」というたった一つの徳目に落ち着く

・思想とは本来、人間が考え出した最大の虚構(大うそ)。松陰は虚構をつくり、その虚構を論理化し、結晶体のようにきらきら完成させ、彼自身も「虚構」のために死ぬことで、自分自身の虚構を後世に実在化させた。これほどの思想家は日本歴史の中で二人といない

・いい若い者が、母親の私物として出現するようになったのは、日本では、戦後のこと。弥生式農耕が入って以来、二千年の歴史から言えば、近々三十年に過ぎず、我々はこの異習に鈍感になっている



慧眼なる司馬史観で、人間とは何か、思想とは何か、能力とは何かが、この本であぶり出されているように思います。

イデオロギーや思想の嘘っぱちを見抜き、人間の本質を基底とする現実に目を向けるには、非常に参考になる人間読本ではないでしょうか。
[ 2010/08/27 08:37 ] 司馬遼太郎・本 | TB(0) | CM(0)
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