この本は、司馬遼太郎さんが1996年に亡くなられた後、すぐに出版された
箴言集です。
氏が遺した膨大な小説やエッセイから、人間に関する貴重な言葉を厳選しています。
若いころ、氏の小説を何冊も読み、触発されて、今でも、幕末に興味を持って生きています。先だっても、盆休みを利用して、萩、防府を回り、大村益次郎、吉田松陰、高杉晋作といった天才たちの足跡に触れてきました。
帰ってきてから、久しぶりに、書棚に置いていた、この本を手に取りました。自分が読んだ小説に記載された言葉も登場するので、非常に興味深く読み直すことができました。再度、司馬遼太郎さんの偉大さに気づいた次第です。
この本の中で、新たに感銘した箇所が25ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
・人間、思いあがらずになにができようか。美人はわが身が美しいと思いあがっておればこそ、より美しく見え、また美しさを増す。膂力ある者はわが力優れりと思えばこそ、肚の底から力がわきあがってくる。
南無妙法蓮華経の妙味はそこにある
・茶の作法も、男女の遊びの作法も、遊戯にすぎぬが、遊戯のとりきめに己を縛りつけるときのみ、人は生死の欲望から離れることができる。作法どおりにするがよい
・志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋は、その志の高さをいかに守り抜くかというところにある。それを守り抜く工夫は特別なものではなく、日常茶飯の
自己規律にある
・錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考え続けて、ついに一点の
結論を見出すには、水のように澄明な心事を常に持っていなければならない。囚われることは物の判断にとって最悪のこと。囚われることの私念を捨ててかかること
・人間の才能は、大別すれば、つくる才能と処理する才能の二つに分けられる。西郷は処理的才能の巨大なものであり、その処理の原理に
哲学と人格を用いた
・人は、その才質や技能というほんのわずかな
突起物にひきずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう
・人間の厄介なことは、人生とは本来
無意味なものだということを、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、今も気づいている
・自分というのは経験によって出来るだけで、人間という生物としては、自己も他者もない
・人間は、それぞれの条件のもとで
快適に生きたいということが基底になっている。仕事、学問、お役目は、その基底の上に乗っかっているもので、基底ではない
・つまるところ百の才智があっても、ただ一つの胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは
猿芝居になるにすぎない
・何者かに
害を与える勇気のない者に、善事ができるはずがない
・時勢は利によって動くもの。議論によっては動かぬ
・よき大将は価値の
よき判断者。将士の働きを計量し、どれほどの恩賞に値するものかを判断し、それを与える。名将の場合、そこに智恵と公平さが作用するから、配下の者は安心して励む。配下が将に期待するのはそれしかない
・
兵法の真髄はつねに精神を優位優位へととっていくところにある。言い換えれば、恐怖の量を、敵よりも少ない位置へ位置へともっていくところにある
・名将とは、人一倍、臆病でなければならない。臆病こそ
敵を知る知恵の源泉というべきもので、相手の量と質、主将の性格、心理、あるいは常套戦法などについて執拗に収集する。ついで、自分の側の利点と欠点を考え抜く
・才能とは光のようなもの。ぽっと光っているのが
目あきの目には見える。見えた以上、何とかしてやらなくてはという気持ちが周りに起こって、手のある者は貸し、金のある者は金を出して、その才能を世の中へ押し出していく
・思想を受容する者は、狂信しなければ、思想を受け止めることはできない
・戦場において人々が勇敢であるのは、名誉をかけているから。名誉は利で量られる。つまり、戦場における能力と功名は、その
知行地の多い少ないではかられる。他人より寸土でも多ければそれだけで名誉であった。男はこの名誉のために命をすら捨てる
・物事の自然を見るこそ、
将の目。時の運と理にかなうからこそ毎度の勝利を得る。過去の勝利の結果のみを思い、必ず勝つと錯覚するならば、勝つための準備、配慮に費やされた時間と心労を見ない
・思想は、人間を
飼い馴らしするシステム。人間は飼い馴らさなければ猛獣であって、飼い馴らされて初めて社会を構成する人間たりうる
・武士の道徳は、煮つめてしまえば、「
潔さ」というたった一つの徳目に落ち着く
・思想とは本来、人間が考え出した最大の
虚構(大うそ)。松陰は虚構をつくり、その虚構を論理化し、結晶体のようにきらきら完成させ、彼自身も「虚構」のために死ぬことで、自分自身の虚構を後世に実在化させた。これほどの思想家は日本歴史の中で二人といない
・いい若い者が、
母親の私物として出現するようになったのは、日本では、戦後のこと。弥生式農耕が入って以来、二千年の歴史から言えば、近々三十年に過ぎず、我々はこの異習に鈍感になっている
慧眼なる
司馬史観で、人間とは何か、思想とは何か、能力とは何かが、この本であぶり出されているように思います。
イデオロギーや思想の嘘っぱちを見抜き、人間の本質を基底とする現実に目を向けるには、非常に参考になる
人間読本ではないでしょうか。