とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『他人と深く関わらずに生きるには』池田清彦

他人と深く関わらずに生きるには (新潮文庫)他人と深く関わらずに生きるには (新潮文庫)
(2006/04)
池田 清彦

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現在、早稲田大学の教授を務める著者の本を紹介するのは、「正しく生きるとはどういうことか」「楽しく生きるのに努力はいらない」に次いで3冊目です。

共感できるところが多いので、3冊目になったのかもしれません。日本社会のおかしい点をおかしいと堂々と意見されるのが、心地よく思われます。

この本の中で、気づかされたことが20ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・原理主義とは、他人に自分の考えを押しつけて恬として恥じないという思想。他人と深く関わらずに生きることと水と油ほどの違い。二つの異なる原理主義がぶつかれば、最後はどうしても戦争になる

・他人と深く関わらずに生きるとは、自分勝手に生きるということではない。自分も自由に生きるかわりに、他者の自由な生き方も最大限認めることに他ならない

・多くの人は、自分のことを理解してほしい、認めてほしい、ほめてほしいと思っている。しかし、自分で自分のこともよく理解できないのに、他人が理解できるわけがない。認める、ほめるは、所詮フリだから、深くつき合えば、ウソがバレる

メールのやり取りをしていないと仲間はずれになる不安がある。しかし、それで仲間はずれにする人とは、最初からつき合わない方がよい。ケータイでいつも誰かとつながっていないと不安なのは、自立できていない証拠

・相手の生き方や生活を干渉しない。聞かれもしないのに意見をしない。自分の流儀を押しつけない。要するに相手をコントロールしないことが、他人とつき合う上で一番大事なこと。他人をコントロールしたいのは、権力欲の顕れ

・友とつき合うのは自分が楽しくなるためである。友とつき合って苦しくなったら損。淡々としたつき合いを望まない人とは、最初からつき合わない方がよい

・あなたの思惑に反して相手に否と言われた。人はそうやって挫折して、自分がみんなの中のワンオブゼムであることを悟っていく

・自動車の影すら見えないのに赤信号の前でじっと待っている人がいる。交通ルール原理教の鑑である。こういう人を見ると、国家に魂を抜かれたのかと思い、気の毒になる

・今から1万年以上前、地球の人口が4~500万人であった頃、人々の労働時間は週15時間程度であった。少し前まで狩猟採集生活をしていたセマイ族の労働時間は、1日平均3~4時間程度。食物を得るために最小限の労働をした後は遊んでいた

・労働を、「食うために(金を稼ぐために)、時間とエネルギーを費やすこと」と定義すれば、全く労働をしなくても、社会的人格は承認される

働くのがイヤな人(楽しいことでお金を稼げない。お金を稼げる労働はイヤなことばかり。でも、働かなければ食えない)は、「心を込めないで働く」こと。上司も客もみなロボットだと思って、心を込めずに働くと、ずいぶんと気が楽になる

・自分が楽しくなるためであれば、真のボランティアではない。人のいやがるものであれば、ボランティアの行為は賃仕事になる。ということは、他人の商売の邪魔をしていることになる。雇用の確保という観点から、ボランティアはやらない方がいい

・ボランティアとは、本来は金を支払うべき仕事をただでさせるための巧妙なコントロール装置。ボランティアをするのはいいことだと信じ込んでいるとしたら、国家というコントロール装置とパターナリズム(おせっかい主義)に魂を抜かれている

・日本の学校は、他人を当てにして、他人にものを平気で頼み、断られるとムカつくような人を育てているように思える

・最初から無理をしなければならない頼みは、どんな親友の頼みでも聞かなければよい。自分がその頼みを引き受けて楽しい場合以外は断ればよい

・他人に頼まなければならないことは多くない。たいがいの知識は、自分で調べれば判る。それ以外のことは、知人に頼むより、公的サービスを受けるか、金で解決した方が早い。恩を売ったり買ったりしない方がよい

・世間一般の多くの楽しみは、他人とつき合うこと自体を楽しみの中に繰り込んでいるため、他人とつき合うのが苦手な人には、実はあまり楽しくない

・変わり者と思われていい。むしろ、「あいつは変わり者だから」と早く思われた方がいい。給料分の仕事だけをちゃんとしていれば、周囲の人は行事に出席しなくても、誰も不思議に思わなくなる

・退屈こそ人生最大の楽しみ。誰にも迷惑をかけない。金も浪費することはない。誰ともつき合う必要もない。遊びを労働の疑似体験ばかりに求めてきた頭を切り替えさえすればいい

・死んだ人が立派な墓に入って、死んだ後も墓参りに来いと言って、生きている他人の時間を奪うのは下品。死んだら土に還ってお仕舞いというのが上品な死後

・自由に自力だけで生きようとする人は、最後は野垂れ死にを覚悟する必要がある。自由に生きたいけれども、死にそうになったら助けてくれという人は、自由に生きる資格がない

・金持ちがお金を使うのは、社会のためのノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)。今貧乏で、金持ちクタバレと思っている人は、金持ちがクタバル前に、先にクタバルのが確実。それなら、金持ちをおだてて、お金を使わせる政策に賛成したほうがいい



著者は、当然のことを言っているにすぎませんが、著者の意見に違和感を覚える人が今の日本に多いとすれば、今の日本社会が相当歪んでしまっているのかもしれません。

働くのがつらいとき、人付き合いが苦痛になったとき、働くとは?生きるとは?どういうことか、もう一度、もとに戻って考えてみるのがいいように思います。

そういうときに、この本を読めば、吹っ切れて、気が楽になれるのではないでしょうか。
[ 2010/03/05 09:16 ] 池田清彦・本 | TB(0) | CM(0)
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