とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『一日一生』天台宗大阿闍梨-酒井雄哉

一日一生 (朝日新書)一日一生 (朝日新書)
(2008/10/10)
天台宗大阿闍梨 酒井 雄哉

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先月、京都洛北の赤山禅院に行きました。そこが、比叡山延暦寺の千日回峰行のうち、100日間の荒行「赤山苦行」の場所であることを知りました。

それで、何となく千日回峰行のことを調べていましたら、織田信長の比叡山焼き打ち以降、約400年の歴史で千日回峰行達成者は49人。2度の千日回峰行を満行したのは、3人しかいないことを知りました。

その400年に3人のうちの1人が、この本の著者である酒井雄哉大阿闍梨です。もちろん、現在生きておられる唯一人の方です。

比叡山の千日回峰行は、3年間で山中を計4万㎞歩き、修行のクライマックス「堂入り」をするものです。堂入りでは、9日間、断食・断水・不眠・不臥で、お経を唱え続けます。

この行は途中でやめると自害するという決まりがあります。やめるなら死を選択するしかありません。そのため自害用の短刀と首つり用の死出紐と三途の川を渡る六文銭を携帯して、回峰が行われています。

この千日回峰行を2回満行した稀有の人物、酒井雄哉大阿闍梨の言葉は、シンプルですが重みがあります。

この本の中で、深いなと感じた箇所が20ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない。仏さんには、なんもかも、お見通しかもしれないよ

・そしてまた、新しく蘇って出て行く。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる

・みんな、背伸びしたくなるの。自分の力以上のことを見せようと思って、ええかっこしようとするから、ちょっと足元すくわれただけでスコーンといっちゃう。自分の身の丈にあったことを、毎日毎日、一生懸命やることが大事じゃないの

・人生って、こっちが疲れたら全部「しんどい」ってことになってしまいがち。考えを辛いことの一点に集中しすぎちゃう。しんどいところは休ませておいて、違うところに精神を集中させてみる。そうすれば、案外楽に、楽しく生きていけるんじゃないの

・周りの自分への対応が変わると、自分が偉くなったような気がしちゃう。そうなると、おごりが出てくるし、自分の心を磨かなくなる。現実の世界だけで勝負しようとしてしまうが、人生は見えている世界だけではないからね

・人間は金持ちでも貧乏でも、頭が良くてもできが悪くても、誰でもいつかは死ぬ。死んだら終わり。誰も変わらないんだ。大事なのは、今の自分の姿を自然にありのままにとらえて、命の続く限り、本当の自分の人生を生きることなんだな

・たった一日でもいい。深いところを味わいながら、丁寧に歩いてみる方がいいかもしれない。人が忘れていたことや、大切なことをちゃんと教えてくれるから。人からすごいと思われなくたって、いいんだよ

・「一日が一生」と考える。「一日」を中心にやっていくと、今日一日全力を尽くして明日を迎えようと思える。一日一善、だっていい。一日、一日と思って生きることが大事なのと違うかな

・ひたすら歩くのは、歩きながら座禅しているのと同じ「歩行禅」といわれるもの。歩く中で何かを思いついたり、智恵が生まれたりする。書物や人に教わったりして知識を学ぶことも大事だが、ある程度学んだところで実際に動くことで智恵が生まれてくるんだよ

・自分自身が感じて味わって初めて本当の意味で「知る」ことができる。人生は自分の力で知っていくしか仕方ないんじゃないかと思うんだよ

・息をふーっと吸って、吐く。吐くときは、「ナー」、吸うときは「ムー」。人は息を吐くときは前向きの格好に、息を吸うときはそり気味になる。呼吸に意識を集中していたら気持ちが静まってくる。それが、呼吸の大きな力

・天台では「教行一致」といって、教えと行うことは一体にならなきゃだめだと説いている。知ることと実践すること、どちらも大事なんだ。「おれは行をやった。もし勉強していたら、相当すぐれたやつができたんじゃないだろうか」って、自分ながら時々悔しい時がある

・ともかく実践すること、とよく言うけど、実践してその意味がすぐ分かるというものではない。やはり理解するのには時間がかかる。仏教でいう「感得」とは、“感じて会得すること”だけど、自分なりに消化して、心の糧にすることなんじゃないかな

・すぐに分からなくていい。時間がかかってもいいから、自分が実践してみたことや体験したことの意味を、大切に考え続けてみる。「ああ、あれはそういうことなのかもしれない・・・」と思ったとき、自分のものになっているのに気づく

・人間だって自然の一部。自然はいろいろな命が繋がり合っている。誰もがいろいろな命の中で生かされているんだ。自然と離れて生活しているとそれを忘れてしまうけど、自然の中に身を置いてみると、ああ一人ではないんだなあ、としみじみ思うよ

・90日間、ひたすらお経を唱えぐるぐる回る「常行三昧」が終わっても、その感覚が体に残り、寝ていて見える天井も壁に見える。習慣というのは人の感覚を狂わせる。人間のものの見方や心のありようは、いろんなものでどうにでも左右されるということを学んだんだ

・「いや、違う」「正しいのは自分だ」「それは違う」。見方が違うだけで、本当は同じものを見ているってことはないだろうか。角度や視点、経験、いろいろなもので案外簡単に左右されてしまう

・いま良いことをしても、その結果は今日すぐに来るかもしれないし、三代くらい後かもしれない。でも、それは早いか遅いかの違いで、いました行いの結果が必ずあらわれると思うと、前向きになれる。いま良いことをしていけば、未来は変わっていくかもしれない

・八十何年生きたからどうの、これまで何をしてきましただのではなく、大事なのは「いま」。そして「これから」なんだ。いつだって、「いま」何をしているか、「これから」何をしているかが大切なんだよ


この本は、不思議な本でした。
「難しい言葉がほとんどないのに、読んで理解するのに時間がかかる」
「当たり前のことが書かれているのに深く感じられる」
「淡々と書かれている文章すべてが重要なことのように思える」
平凡の非凡を抽出した、純度の高い本なのかもしれません。

疲れている人、重圧を感じている人が読めば、スーッとするのではないでしょうか。「いままで」がリセットされて、「いまから」の生きる糧が得られるように思います。

この本のタイトルのとおり「一日一生」を感得したい方におすすめです。
[ 2010/01/10 08:56 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)
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