とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『武道に学ぶ「必勝」の実戦心理術』向谷匡史

武道に学ぶ「必勝」の実戦心理術―本番力・交渉力・自己演出力を磨く武道に学ぶ「必勝」の実戦心理術―本番力・交渉力・自己演出力を磨く
(2004/06)
向谷 匡史

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どんなに不安でも、どんなに心配でも、「死ぬわけじゃないし」と思えば、気が楽になり、悩みも吹き飛びます。「死ぬ」は、「損する」「負ける」「クビになる」「ふられる」と次元が違うものだと思います。

その、死と隣り合わせにいた武士が、稽古して、学んできた武道の心得には、人生の教訓となる言葉がいっぱい詰まっています。

その言葉を、武道家でもある向谷匡史氏が、自らの体験をもとにまとめたのが、この本です。内容があまりにも濃かったので、多くを紹介することになり、長くなってしまいました。



・「攻撃は最大の防御なり」の意味は、「先を取れ」の他に、「受け」にまわることの戒め

・攻撃とは、追い込む側=質問する側に立つこと。これを主導権という

・武道では、居着き(とらわれの心・意識の固着)を最も戒める。居着きの最たるものが功名心。「勝つと思うな、思えば負けよ」ということ

・結果に対して後悔するのではなく、決断に対して後悔する。武道家は後悔しない、反省をする

・割り切れないものであることを承知の上で、人生を割り切る。決断に際して「後悔しない」と腹をくくる

・サラリーマン社会は「兵に将たる器」が多い。上司は部下が育ち過ぎるのを警戒。大抜擢されると強力なライバルになり、間尺に合わない。優秀すぎる部下は、無能な部下以上にやっかい

・会社における修行とは、上司の指導を仰ぎ(守)→上司から離れて研究し(破)→自分の流儀を確立する(離)ということ

・ケンカの勝敗は腕力に比例しない。先手必勝に尽きる。「先制攻撃=胆のくくり」を相手が感じるからこそ、戦意を喪失する。勝利の道は、常に気迫と度胸と覚悟が切り拓く

・柔道の創始者、嘉納治五郎の校長時代、講義の初めから終わりまで、「ナァニ、クソッ」の話ばかり。この言葉さえ忘れなければ必ずやっていけると言っていた

・反復稽古の継続が挫折するのは「迷い」。「こんなこと毎日やって上達するのだろうか?」という迷いの種が、肉体的な苦しさによって発芽し、断念という実をつける

武芸者は、死の視点から今を見ている。生が先の死ではなく、死が先の生である。だから、いつ死んでもいいように身辺の整理をし、今を完全燃焼しようとする

・「打つ前に響け」。打てば響くでは間に合わない。情報になる前の予兆の段階でとらえて初めて意味を持つ。情報は共有された段階で、もはや情報の価値はなくなる。真の情報は、情報の発信元である人間が、何を考えているかを探ること

・豊臣秀吉が事に臨む場合、「勝つ、勝つと思えば勝つ」とまず心に決め、それから勝つための方法を考えた。自分に言い聞かせ、信じ込むことによって、何倍もの力を発揮することができる

・相手に怨みを残すのは、長い目で見ればマイナスに作用。「降りかかる火の粉は避けて通れ。払えば袖に火がつく」これが武道精神

・道場とは、稽古する場所ではなく、「稽古の成果を試す場所」。日々自宅で研鑽を積み、それを道場で試し、さらなる研鑽の糧とするのが武道家の心得。兵法で言う常在戦場の心構えである

・「要するに、何がどうしたというんだ?」こう自分に問いかけるだけで、悩みの大半は解決。悩みの本質は「不安」、不安は「予測」からくる。「不安に苦しむこと」と「結果」は、まったく関係しない

・武芸者は「勝つ」という一点に人生を単純化して生きている。地位も、名誉も、人格も、すべて勝つ前提で獲得しようとする。だから勝つしかない。「死んだらどうしよう」と悩まない

・「二の矢を持たず」。二本目の矢があると思えば、一本の矢に集中力を欠く。これ一本しかないと思って射れ

・武士は、戦場に赴くとき、「三つの大事を忘れよ」と戒められた。1.「出陣にあたっては、家を忘れること」2.「戦場に臨んでは、妻子を忘れること」3.「闘うに及んでは、我が身を忘れること」

・武道は後の先を最上とする。交渉事も、相手が出してきた条件にうまくカウンターパンチを繰り出せば、結果は最上のものとなる

・リズムの取り合いは武道の基本。相手のリズムに合わさないで、相手のリズムを崩す。交渉事は天の邪鬼でいい。とりあえず相手と反対のことを言ってみる

・武道の達人は、相手の得意技を誘い、仕掛けてくるところを討ち取る。得意技であるがゆえに、誘いに思わず乗ってくる。人間の心も自分の欲するところに従って行動する。相手に従うのではなく、相手の心(水の流れ)を確かめ、こちらの意図する方位に水筋をつけ、流していく

・宮本武蔵は「五輪書」で、「いずれの構えなりとも、構えるとは思わず、斬ることなりと思うべし」と戒めている。構えは勝ちを得るためであって、構えにとらわれるのは本末転倒

・人生に目標が決まれば、あとは「生き方に構えなし」、自分が信じたところにしたがい縦横無尽に生きていけばいい。世間体だの上司の顔色だの枝葉末節にこだわっていてはだめ

・「いい人」と言われながらリストラされる人、「ゴマすり野郎」と悪口を言われても出世していく人。どっちが正しいかではなく、人生をどうとらえているかということ。手段はどうであれ出世した人は、後で「いい人」になれるが、落伍した「いい人」は、後から出世できない

・自分が営々と築いてきた人脈を紹介するのは奥義を公表するようなもの。紹介してトラブルでも起きれば信用問題になる。「この人なら」と思える人にだけ紹介。安請け合いをしてはならない

・「技は盗むもの」の真意は、身につけた技は教えたくないという武道家の非情さと同時に、弟子に真剣に学ぶ気がなければ身につかないという二つの意味がある。メシを食べさせたければ、腹をすかせること。稽古させたければ、強くなりたいという欲求を喚起すること。一生懸命仕事をさせたければ、目的意識を植えつけること

・人間の心は不思議なもので、引け目があれば力が入らない、実力が発揮できない。ところが、自分の行動に「大義」があって「正当化」されるときは、実力以上の力が発揮できる

・運気に恵まれていると感じるときは迷わず攻めればいいが、不調のときは、「運気の風が吹くまでじっと我慢する」か「ツイてる人の後につき、勝ち馬に乗りながら運気の風を待つ」かのどちらか

・ここ一番の必殺技は、修羅場をくぐることによってのみ、身につけることができる。何かを得るためには、危険もおかせば、手を汚さねばならない

・自己演出により、実力差を超えて、相手より優位に立つことができる。自己演出には二通りある。外見が与えるイメージと風評が与えるイメージ。「エース」「プリンス」「秘蔵っ子」と言われる社員はヒラであっても、取引先から一目置かれる。ならば、「秘蔵っ子だなんて言われて、困ってるんですよ」と風評の流布をすればいい

・虎の咆哮は、剥製でも絵でも、大きく口を開けたものはよくない。勇ましいが、それ以上、口は開かないということ。余裕を残した咆哮は、どこまで口が開くのかわからないという凄みがある

・いかにして勝ちグセを呼び込むか。仕事に行き詰ったり、自信が持てないときは、目標をうんと低くして、まず勝つことを心掛ける

・田中角栄の処世術の一つは、敵をつくらないこと。味方にならなくても、敵に回さなければ結果としてプラスに働く。武道でも、勝った後で、相手を誉め、顔を立てる。負けたことは相手が何より承知しているから、感謝こそすれ遺恨は抱かない。「礼に始まり、礼に終わる」こと

・口だけで指導する「先生稽古」は楽な上に、自己満足が得られる。そのため、つらい稽古が嫌になり、上達が止まる。武道に限らず、現場を離れて「先生」になると口だけ達者になる

・ケンカの要諦は「勝てば得、負けてもチャラ」。最悪なケンカは、「勝って元々、負ければ大損」

・人間関係=間合い。近づきすぎれば傷つき、遠すぎればよそよそしくなる。これが人間関係の基本。つきあい上手とは、相手に応じて、近づいたり離れたりという微妙な間合いがとれる人のことを言う

・「残心なきところに、真の勝ちはあり得ず」。弓道では、矢が離れた後、的をじっと睨んでその状態を保つ。残心にこそ、「勝ち切るまで、決して手を緩めてはならない」という武道の精神が込められている



組織のリーダー(監督や主将)になるためには、チームプレイの野球、サッカー、ラグビーなどのスポーツに学ぶことがあると思います。

大小は問わず、経営者、専門職、起業家として、雇われない(オーナー)で生きていくには、胆を鍛えるという意味で、1対1の武道に学ぶことが非常に多くなると思います。

独立して生きていきたい、トップになりたいと願っている方にとって、一度は目にしておくべき本ではないでしょうか。役に立つ1冊です。

[ 2009/10/20 08:02 ] 向谷匡史・本 | TB(0) | CM(0)
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