とは学

「・・・とは」の哲学

『普通がいいという病』泉谷閑示

「普通がいい」という病 (講談社現代新書)「普通がいい」という病 (講談社現代新書)
(2013/06/28)
泉谷閑示

商品詳細を見る

本書の冒頭に、「人間は、生来の資質である『角』を持って生まれてくるが、集団の中にいると、いつの間にか、この『角』があるから生きづらいのだ、と思うようになる」といった著者の意見が記されています。

人間は、「角」をシンボルとして活用する人と、「角」を削って隠してしまう人に分かれるもので、「普通がいい」というのは後者の場合です。本書には、興味深い話が多く載っています。それらをまとめてみました。



・「頭」は、「~すべき」「~してはいけない」といった言い方をする。論理的であること、因果関係を考える働きがあるので、必ず理由がくっついているという特徴がある

・「頭」は、過去を分析し、未来をシミュレートするのが得意。過去の「後悔」未来への「不安」が生み出される。逆に、「今・ここ」については苦手で、正しく捉えることはできない

・「心」は、「~したい」「~したくない」「好き」「嫌い」といった言い方をする。理由や意味・意義などは一々くっついてこない。いきなり判断だけを言う

・「心」は、「頭」と違って、「今・ここ」に焦点を当て、シャープに反応する。だから、「前はこうだった」といった過去の情報に基づいた反応はしない。それをするのは記憶やシミュレートを司る「頭」のほう

・理性で、人間の中にある“けもの”的な邪悪さが暴れ出さないように、コントロールすることが大切だと教え込まれてきた。しかし、それは全くあべこべな話。“けもの”的な邪悪さは、実は理性によって作り出されたもの

・人間を一つの国家に例えると、現代人の多くは、「頭」が独裁者として振る舞う専制国家のようになっている。「心」「身体」は、常に「頭」に監視されて、奴隷のように統制されている。そして、「心」や「身体」は、我慢が限界に来ると、何がしかの反乱を起こす

「心」がストライキを起こせば、うつ状態になる。それが許されない場合は、「身体」が不調を訴えるか、「心」が化けて出て、幻覚や妄想が生じる

・「心」「身体」は、「頭」に及びもつかない深い知恵を備えている。それが桁外れに凄い能力であるために、「頭」には、その凄さがわからない

・味覚や嗅覚は、その時の自分に必要なものを「おいしい」という快感で教えてくれ、不要なものを「まずい」と知らせてくれる。しかし、「頭」が関わると、「カラダにいいから」「得だから」「この前おいしかったから」といった考えが混入してくる

・「我」という一人称や「自分の・・・」と所有格を主張するのは、「頭」だけ。「心」「身体」は、元々そんなことに囚われておらず、自然の原理で動いている

・子供の「心」は、あるとき堪忍袋の緒が切れて、「頭」への隷属をやめたいと反逆を開始する。「心」のエネルギーが大きく、感性が発達している子ほど、それは早期に訪れる。この反逆は、不登校、ひきこもり、家庭内暴力、体調不良、自傷行為などを引き起こす

・感情には、「頭」由来の“浅い感情”と「心」由来の“深い感情”がある。「心」由来の深い感情の井戸には、「怒」「哀」「喜」「楽」の感情ボールが順番に入っている。一番上の「怒」のボールが出ないと、二番目、三番目のボールは出てこれない

・「怒りはよくないもの」と教え込まれると、井戸の中に、OLDな怒り(過去に我慢した怒り)が溜め込まれていく。そして、限度を超えた時、蓋が破られ、爆発を起こす

・怒りは文字に書いて出すこと。「心の吐き出しノート」を用意して、モヤモヤ、イライラが生じたとき、必ずこのノートに書き込む

・「頭」由来の“浅い感情”は、その感情を保持できずに、「ヒステリック」の性質で、吐き出される

空海は、お説教じみた禁欲的な教えとは全く逆の考え方。「欲をためる」ことを「遮情」として戒めている。他の宗教は、「欲望」を滅却して初めて「愛」の存在になれるというが、空海は、「欲望」をどんどん「大欲」に膨らませることで、「」が生まれると教えている

・「信じる」というのは、「愛」の一つの表れ。「愛」も「信じる」も、根拠や見返りなしに行われる「心」の働き。根拠を求めるのは、もっぱら「頭」由来の「欲望」



なかなかいい本でした。心や感情の構造を一つ一つ解きほぐされていくようで、心地よくなれました。

心理学の本というよりも、禅の本、宗教の本といった感じの本なのかもしれません。


[ 2014/08/01 07:00 ] 健康の本 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL