とは学

「・・・とは」の哲学

『萩原朔太郎詩集』

萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)
(1950/12/12)
萩原 朔太郎

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萩原朔太郎は日本近代詩の創始者と言うべき人です。高村光太郎と共に、大正から昭和前期を代表する詩人です。宮沢賢治にも大きな影響を与えました。

その代表的な詩や箴言を集めたのが本書です。その中から、心に突き刺ささる言葉が印象的な詩の一節を抜粋して、紹介させていただきます。



・「」 林あり、沼あり、蒼天あり。ひとの手にはおもみを感じ、しづかに純金の亀ねむる。この光る、寂しき自然のいたみにたへ、ひとの心霊にまさぐりしづむ。亀は蒼天のふかみにしづむ

・「殺人事件」 ・・・・・みよ、遠いさびしい大理石の道を、曲者はいつさんにすべつてゆく

・「さびしい人格」 さびしい人格が私の友を呼ぶ。わが見知らぬ友よ、早くきたれ、ここの古い椅子に腰かけて、二人でしづかに話してゐよう、なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう・・・・・

・「さびしい人格」 ・・・・・自然はどこでも私を苦しくする。そして人情は私を陰鬱にする。むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、とある寂しい木蔭に椅子を見つけるのが好きだ。ぼんやりとした心で空を見てゐるのが好きだ・・・・・

・「見しらぬ犬」 ・・・・・ああ、どこまでも、どこまでも、この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる。きたならしい地べたを這ひまはつて、わたしの背後で後足をひきずつてゐる病気の犬だ。とほく、ながく、かなしげにおびえながら・・・・・

・「青樹の梢をあふぎて」 ・・・・・愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、それはなつかしい、おほきな海のやうな感情である・・・・・

・「群集の中を求めて歩く」 私はいつも都会をもとめる。都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる。群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ、どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ・・・・・

・「遺伝」 ・・・・・お聴き!しづかにして、道路の向うで吠えてゐる。あれは犬の遠吠だよ、のをあある、とをあるる、やわあ、「犬は病んでゐるの?お母あさん。」「いいえ子供、犬は飢ゑてゐるのです。」・・・・・

・「」 ・・・・・ああ、なににあこがれもとめて、あなたはいづこへ行かうとするか。いづこへ、いづこへ、行かうとするか。あなたの感傷は夢魔に饐えて、白菊の花のくさつたやうに、ほのかに神秘なにほひをたたふ。

・「絶望の逃走」 ・・・・・おれらは逃走する。どうせやけくその監獄やぶりだ。規則はおれらを捕縛するだらう。おれらは正直な無頼漢で、神様だつて信じはしない。何だつて信ずるものか。良心だつてその通り、おれらは絶望の逃走人だ。・・・・・

・「こころ」 ・・・・・こころは二人の旅びと、されど道づれのたえて物言ふことなければ、わがこころいつもかくさびしきなり。

・「静物」 静物のこころは怒り、そのうはべは哀しむ。この器物の白き瞳にうつる、窓ぎはのみどりはつめたし。

・「公園の椅子」 人気なき公園の椅子にもたれて、われの思ふことはけふも烈しきなり。・・・・・われを嘲りわらふ声は野山にみち、苦しみの叫びは心臓を破裂せり・・・・・

・「公園の椅子」 ・・・・・われは指にするどく研げるナイフをもち、葉桜のころ、さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり

・「虚無の歌」 ・・・・・かつて私は、精神のことを考えてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる葦のをののき。無限への思慕。エロスへの切なき祈祷。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶だつた。・・・・・

・「虚無の歌」 ・・・・・かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。・・・・・

・「物みなは歳日と共に亡び行く」 ・・・・・兵士の行軍の後に捨てられ、破れたる軍靴のごとくに、汝は路傍に渇けるかな。天日の下に口をあけ、汝の過去を哄笑せよ。汝の歴史を捨て去れかし。


甘酸っぱくて苦い詩ですが、情景も目に浮かび、声に出して読んでみたくなる不思議な詩です。

せつなさ、心苦しさ、哀しさなど、自己と他の差を埋めることができないという諦め、孤独と孤立を彷徨い続ける著者の気持ちに共感できました。


[ 2014/05/02 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)
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