とは学

「・・・とは」の哲学

『庶民に愛された地獄信仰の謎・小野小町は奪衣婆になったのか』中野純

庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか (講談社プラスアルファ新書)庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか (講談社プラスアルファ新書)
(2010/10/21)
中野 純

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地獄といった架空の場所、閻魔さんといった架空の人物をつくり出すことで、世の中が丸く収まるということを、昔の人は発見しました。本当にあると力説するのが、少し照れるのか、閻魔さんは、どことなくナマハゲのようにユーモラスに描かれています。

著者は、地獄信仰のユニークさに魅せられて、日本各地の地獄史跡を回ってこられた方です。その研究成果が本書になります。日本人の心の中に潜むものとは何かが、よくわかる本です。その興味深い点を要約して、紹介させていただきます。



・ものすごく恐いけれど、どこかのんきで、不思議に極楽な日本の地獄。名もなき過去の人たちが生み出してきた、この闇のワンダーランドにもう一度親しみ直せば、この世を生きることがもっと面白くなる

・「奪衣婆」には誰も興味を示さないが、閻魔大王の傍らにいる紅一点。奪衣婆は、盗みを働いた亡者の両手の指を折るとも言われる恐いおばあさん。亡者の死に装束を剥ぎ、亡者が何も着ていない場合、衣の代わりに身の皮を剥ぎ取る

・仏教(とくに浄土教)はあの世を積極的に扱う宗教として、日本に受け入れられた。仏教伝来以前の日本人も、あの世に対する思いは強く、黄泉の国などあったが、システムやディテールのしっかりしたあの世がなかった。仏教が、日本の死後の世界を確立させた

・日本仏教は、お寺の中に極楽浄土や地獄を積極的につくっていった。墓地もお寺の境内にどんどん吸い込まれ、お寺そのものがあの世になった

・閻魔さまは道服(道教の修行者が着る服)を着て座っていて、服の色は赤が多い。王冠をかぶり、髭を蓄えた真っ赤な顔ですごく怒っている。右手には必ずしゃくを持っている。左手にはルールがないので、閻魔さまの個性は左手に出やすい

六道とは、輪廻する六つの世界で、最悪の「地獄道」から「飢餓道」「畜生道」「阿修羅道」「人間道」「天道」の順にランクアップする。だが、庶民の感覚では、地獄道と飢餓道がいっしょくたにされ、それに対して極楽浄土があるという感じであった

・六道の分類は、日本人にはちょっとウザかった。庶民的には、六道はあの世、六道銭(六文銭)はあの世に行くときに使うお金、六道の辻はあの世の入口的なところ。だから、六地蔵は墓地の近くの入口にたくさんある

・美しいものでもいつかは醜くなり、栄華を極めてもいつかは零落する。そういう無常観は、平安時代以降、仏教によって、日本人の心の奥底に染み込んでいった。「卒塔婆小町」の謡曲や「小町老衰像」は老後の美女落魄、容姿の無常観を日本人に強く植え付けた

・火葬場で遺体が焼かれたあと、遺族が二人ずつ組んで、遺骨を二膳の箸で拾って骨壺に入れるのを、箸渡しと呼ぶ。箸と橋を掛けて、三途の川を橋で渡してあげるという意味

・時代が下がり、渡し賃(六文銭)を払って、舟で三途の川を渡り、払わないと、奪衣婆に衣を奪われるというシステムが普及した。奪衣婆は三途の川の渡し賃の徴収係になった

・三途の川だけでなく、地獄の思想も世界のほとんどの人に普及している。ゾロアスター教を初め、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も、死者は審判によって、地獄と極楽(天国)に振り分けられると考えた。舟形の棺に遺体を納める風習も世界のあちこちにあった

・日本のあちこちにある火山の地獄は、「地獄に似ているところ」ではなく、「地獄そのもの」「地獄と通じているところ」。平安時代、罪を犯して死んだ日本人は、本当に立山地獄に堕ちて苦しむと考えられた。立山、恐山の地獄、湯沢の川原毛地獄が日本三大地獄

・「日本列島の多くの登拝者を集める霊山には、その山中に、浄土ヶ原とか浄土ヶ浜などの名にならんで、地獄谷や賽の河原の名を持つ地点が必ず設けられている」(山折哲雄)

・日本のあの世は、世界でも珍しく、身近にパラレルに存在していた。閻魔さんも恐いだけでなく、愛嬌のある身近な存在で、地獄も恐いけど親しみのある身近な存在だった

・日本の地獄といえば、なんといっても釜茹で。地獄は熱いの一言に尽きる。仏教の地獄には熱地獄と寒地獄があるが、熱地獄のほうが格段にリアルで詳細に描かれてきた

・平安時代に源信が書いた「往生要集」は極楽往生マニュアルだったが、この本には多くの地獄絵が描かれていたため、地獄のガイドブックの先駆けバイブルとなっていった

・平安時代中期以降に普及した仏教の地獄は、「こんなに恐ろしい地獄に堕ちたくなかったら、仏教を信じなさい」という布教の手口となったが、それが時代が下がるにつれて、恐いことは恐いが、どこかのん気になっていく



昔、子供が小さかったとき、お寺で地獄絵本を買って、寝る前に、読み聞かせたことがありました。どんな絵本よりも「効果?」があったように思いました。

著者は、「あの世とは、地獄極楽とは、人間の妄想の集大成。この妄想遺産を大切に受け継いでいくためには、さらなる妄想を加えることが重要」と述べられています。現代人の地獄観をもっと刺激するような「新地獄」を創作すべき世の中なのかもしれません。


[ 2013/11/17 07:01 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)
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