とは学

「・・・とは」の哲学

『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (ワイド版)』芥川竜之介

侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (ワイド版岩波文庫)侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (ワイド版岩波文庫)
(2013/03/16)
芥川 竜之介

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芥川竜之介の箴言集「侏儒の言葉」は、以前、本ブログで紹介しました。本著は、その拡大版になります。

以前、紹介できなかった箴言で、新たに共感できた言葉を一部要約して、紹介させていただきます。



・道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである

・道徳は常に古着である

・良心は病的なる愛好者を持っている。そういう愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである

・我々の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただ我々の好悪である。あるいは我々の快不快である

・我々は人生の泉から、最大の味を汲み取らなければならぬ

・人生は狂人の主催になったオリンピック大会に似たもの。我々は人生と闘うことを学ばねばならぬ。こういうゲームのばかばかしさに憤慨を禁じ得ないものは、さっさと埒(らち)外に歩み去るのがよい

・人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にするものは、暴力より外にあるはずはない

・完全に幸福になり得るものは、白痴にのみ与えられた特権である

・天才の一部は、明らかに醜聞を起こし得る才能である

・女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである

忍従はロマンティックな卑屈である

・単に世間に処するだけならば、情熱の不足などは患えずともよい。それよりもむしろ危険なのは明らかに冷淡さの不足である

・古人を罵るのは、今人を罵るよりも確かに当り障りがない

・あらゆる作家は店を開いている。私が作品を売らないのは、買い手のない時、あるいは売らずともよい時

自由思想家の弱点は自由思想家であること。彼は到底、狂信者のように獰猛に戦うことはできない

・彼の幸福は彼自身の教養のないことに存している。同時にまた、彼の不幸も

・何と言っても「憎悪する」ことは、処世的才能の一つである

・古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。阿呆や悪党を除けば、何人も何かに懺悔せずには娑婆苦に耐えることはできないのかもしれない

・恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたもの

他を嘲るものは同時にまた他に嘲られることを恐れるものである

・我々の誇りたいものは我々の持っていないものだけである。ドイツ語堪能の人物の机上にあるのが、いつも英語の本ばかりのように

・天国の民は、何よりも先に胃袋生殖器を持っていなはずである

・私は良心を持っていない。私の持っているのは神経ばかりである

・私を造り出したものは、必ずまた誰かを造り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している大きい地面が存在する限りは



本書は、戦前、軍人を侮辱しているという理由で改訂処分を受けた作品です。本当のことをグサッと言い切る芥川の言葉は、それだけ本質を突いたものだったのかもしれません。

この本に書かれているような「人間の悪」を直視できるようになれば、一人前の人間になれたということではないでしょうか。


[ 2013/11/14 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(2)
芥川の文章
芥川龍之介は、その思想的傾向はともかく、文章の確固さ美しさには圧倒されます。
[ 2013/11/14 09:45 ] [ 編集 ]
天才ですね
この簡潔なる表現力、しかもその文体の美しさに、私も魅了されます
[ 2013/11/14 15:05 ] [ 編集 ]
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