とは学

「・・・とは」の哲学

『この世で大切なものってなんですか』酒井雄哉

この世で大切なものってなんですか (朝日新書)この世で大切なものってなんですか (朝日新書)
(2011/07/13)
酒井雄哉、池上 彰 他

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先月亡くなられた酒井雄哉大阿闍梨の著書を紹介するのは、「一日一生」に次ぎ2冊目です。本書は、池上彰氏の質問に酒井雄哉大阿闍梨が答える形の対談書です。

今回は、酒井雄哉大阿闍梨が真摯に「生きる」「幸せ」「豊かさ」「争い」「絆」「死」「仏」について答えられている部分を幾つか選び、要約して紹介させていただきます。



・仕事で成功して、調子がいいと思って、有頂天になり、天下を取った気持ちでいると、人間は完璧にできていないから、どこかで隙ができる。その油断で、一瞬のうちに足元をすくわれる

・いろんなことがいい時というのは、見えているようで実は見えていない。調子がよくて周りから注目されたら、自分の言葉に酔って心が緩んでくる。そういうときは誰も注意しないで、おだてるから、ますます酔って、欲の皮が突っ張ってきて、収拾がつかなくなる

・体験したことは、自分の体に染み込んでいるから忘れない

・行に入ったら、「始めも終わりもない」無始無終

・人間は底知れない力を持っていて、もうだめだという時、自分を超える自分が出てくる。姿かたちは見えないが、心の中に

・始めてしまえば、つらいとか苦しいとか考えていられない。ただ決められたことを、無我夢中でお勤めさせてもらっているから

・人間の欲というのは、身体のほうが欲心してくる。次のうがい水が、二十四時間たたないと来ないとなると、今まで完璧に仏様の行をやっていたところに、悪魔がささやく。水を欲す自分と仏様と対決していかないといけない

・人間には、葛藤があるわけで、背中には常に悪がくっついてささやく。よいことをやっているつもりでいても、油断していると、悪いほうの奴がちょっかいを出してくる

・人間の心の中には、常に「善」という慈悲の心と、人を妬んだり蔑んだりの「悪」の心が同居していて、善と悪とが葛藤しながら、向上心と平常心を保っていく

・今自分が置かれている環境が「幸せ」と思ったら幸せだし、幸せはここではない、他にあると思っている人は、単純に幸せだと思っている人からみたら不幸

・人よりも幸せになろうとすると、幸せが競争、争いごとになる。自分だけが幸せになればいいと考えているから、人との摩擦が起きてしまう

・日本人の根っこには、仏教的な慈しみの気持ちがある。だから、思想信条を離れても、わりあい穏やかにまとまれる

・泥棒してやろうと思って生まれてくる子はいない。誰だって、「おぎゃー」と自然のままに出てくる。それがだんだん、周りの人たちの育て方、絆によって、引っ張られる。いい絆であれば、いいほうへ行くが、悪い絆であれば、悪いほうに行ってしまう

・あれもこれもと、欲張っていると、いざとなったとき、未練を残すことになる

・この宇宙の中で、現世も来世も、自分は宇宙の一点にすぎない。仏様とのご縁があって地球に生まれ、そして、点と点同士が共存しながら、時間という限られた空間で過ごしている

・愚痴をこぼしたり、妬んだりするのは、自分自身に自信がないから。自信があったら、あの人のここはすごいなあと素直に褒め喜べる。見た目だけで簡単に判断を下してしまうから、うらやましく映ったりする

無常の風はずーっと吹いている。自分自身が強くなって、はねのけるだけの力を蓄えていくしかない

・むりせず、急がず、はみださず、りきまず、ひがまず、いばらない

・知的な障害を持った子たちは、世の中に福を与えている。「あなたは福の神なんだ」と教えてあげればいい。手助けされたりすると、自分が厄介者だと思ったりする。仏様から授かった使命だから、誇りを持って生きていけばいい。

・人生はろうそくと同じ。ろうそくに火を点して、最後まで燃え尽きるのがいい。蝋を残したら、もったいない



織田信長の比叡山焼き討ち以来、たった三人しかいない千日回峰行二度満行した大阿闍梨の哲学は、やさしい言葉で語りながらも、核心をついています。

達観や悟りといったことを通り越した、天の声とも言うべき言葉なのではないでしょうか。


[ 2013/11/01 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)
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