とは学

「・・・とは」の哲学

『どうしてこの国は「無言社会」となったのか』森真一

どうしてこの国は「無言社会」となったのか (vita)どうしてこの国は「無言社会」となったのか (vita)
(2012/12/25)
森 真一

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著者の本を紹介するのは、「かまわれたい人々」「お客様がやかましい」に次ぎ、3冊目です。

現代の日本人の特性が、どういう社会要因でそうなったのかを、今回も鋭い観察力で考察されています。なるほどと思える点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・苦情なんか言ったら相手はキレる、すまなさそうに謝るかもしれないが腹の中では怒り狂っている、恥をかかされたと思うはず、逆恨みして嫌がらせされるかもしれない。日本社会は、苦情を直接相手に、自分の声を使って伝えることをますます避けてきている

・直接顔と顔を合わせる対面関係では声を出さない日本人が、ネット上には莫大な量の言葉を書き込む。とても対照的。ネット世界は「無言社会」を象徴している

・町中にあるファストフード店でひとり食事するのは、恥ずかしくはないが、学校のような、自分のことをちょっと知っている人たちがいる場所では、ひとり食事しているところを見られるとつらい。現代の恥意識の根底には、ひとりでいることへの葛藤心理が潜む

・「はっきり言わないとわからないのはバカ」という前提は、「はっきり言わなくてもわかってもらえる」という甘えの上に成り立っている

・日本社会では「一度で通じるのが当たり前」と考えるのに対し、海外ではどんな国でも「通じないのが当たり前」。だから日本では、通じないとイライラして怒りが込み上げる

・見知らぬ他人を人間扱いしなかったのに、知り合いになったとたん、丁寧な態度をとる現象は、日本人が自分の生きる世界を「ウチ」と「ソト」に分けているから

・集団に属さないと生きにくい。けれど集団に属すると、個人としての主張はできない。だから、日本で暮らすには「無言」でいるのが一番ということになる

・今、こいつを叩いても、誰からも文句は出ない、と見てとると、安心して非難の声をあげる。こちらが「お客様」で、相手はこちらに歯向かえないと判断した場合も同じで、言ったもん勝ちと考えているふしがある

・「かまわれない自由」を優先する人々は、過剰にかまってくると、さっさと逃げ出す。濃い関係になりそうなものは避ける

・「秘」を共有すること、共謀に参加することが、集団に属しているという感情・感覚を生む。一体感を生む

・声をかけるときは演技でいい。むしろ、積極的に演技を心がけた方がいい。なぜなら、社会は「芝居」だから

・好かれているかどうかが気になるのは、仲間に対して不信だから。日本人は集団嫌いに加えて、人間不信にも陥っている

・日本的コミュニケーションは、はっきり表現しないで、お互いの腹を探るので、相手の真意を読みとる努力が不可欠。今や日本人も、日本的コミュニケーションは、相手が何を考えているか、わかったものではないと感じている。それが相互不信につながっている

・仲間はずれにされるのは避けたい。だから、相手を信頼しているかのように過剰に演技しなければならない。「あなたといると楽しい」というメッセージを、笑い声で、笑顔で、表明し続けなければならない。このような関係は、軽いように見えて、実は重い

・自分が「かけがえのない自分」でありたいから、社会に認められるために、社会の価値規準にどっぷり浸かる。経済力、腕力、見た目のかわいらしさなどに一喜一憂する。こうして、社会の価値の虜になったら、人生の偶発性や無意味さを意識の片隅に追いやる

・「自分のために生きる」には、自分が「何者でもない」ことを自覚し、「社会がすべて」という態度から抜け出す必要がある。その必要に、決してメディアは応えてくれない

・「自己中」は全然自分中心ではない。自意識過剰なだけで、他者の目から見た自分を想像している

・つながりや社会への同調を促すことで、甘い汁を吸ってきた人々は、自分たちの権力・権威・権限を守ろうとする。そうして人々は、嫌われて、集団から仲間はずれにされたら大変だと思って、また無言になる



私自身、若いころは饒舌なほうでしたが、それによって、しなくてもいい失敗を重ねてきたように思います。そのため、今では、「沈黙は金」と思えるようになっています。

日本社会は、無言でいるのが無難です。本書は、それを証明するかのような書です。饒舌な人にも、無口な人にも、おすすめできる書ではないでしょうか。


[ 2013/10/30 07:00 ] 森真一・本 | TB(0) | CM(0)
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