とは学

「・・・とは」の哲学

『道徳の系譜』ニーチェ

道徳の系譜 (岩波文庫)道徳の系譜 (岩波文庫)
(1964/10)
ニーチェ

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ニーチェの本を紹介するのは、本人以外の人が書いた解説本を含め、これで6冊目になります。ニーチェは難解です。難解だからこそ、読んでやろうという気持ちがふつふつと沸いてくるのですが、いざ読み始めると、本を放り出したくなります。

ニーチェの思想の根幹は、道徳批判です。本書は、その道徳について徹底的に分析、解読したものです。ニーチェの道徳観がよく表れています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・我々はいつまでも我々自身にとって必然に赤の他人なのだ。我々は我々自身を理解しない。我々は我々を取り違えざるを得ない。各人は各自に最も遠い者である

・「よい」という判断は、「よいこと」を示される人々の側から生じるものではない。高貴な人々、強力な人々、高位の人々が、自分たち自身および自分たちの行為を「よい」と感じ、第一級のものと決めて、これをすべての低級なもの卑俗なものに対置したもの

・すべての貴族道徳は、勝ち誇った自己肯定から生ずるが、奴隷道徳は「外のもの」「他のもの」「自己でないもの」を頭から否定する。そして、この否定こそ奴隷道徳の創造的行為。これは、まさしく「反感」の本性である

・「反感」を持った人間は、正直でもなければ無邪気でもなく、また自分自身に対する誠実さも率直さも持たない。彼の魂は、横目を使う、彼の精神は隠れ場を、抜け道を、裏口を好む

・「反感」を持った人間は、黙っていること、忘れないこと、待つこと、卑下し謙遜することを心得ている。彼らは貴族的種族よりも怜悧になり、怜悧を最高級の生存条件として尊重する(貴族的人間における怜悧は、贅沢、典雅といった繊細な添え味を伴いがち)

・貴族的人間は、自分のために、自分を際立たせるものとして、敵を要求する。彼が相手に取るのは、いささかの軽蔑すべき点もなく、多くの尊敬すべき点のみを有する敵に限る

・「反感」を持った人間の考察する敵には、彼の行為、創造がある。彼はまず「悪い敵」、すなわち「悪人」を考察する。やがてその対象物として、もう一つ「善人」を案出する。これが自分自身である

・返報をしない無力さは「善さ」に変えられ、臆病な卑劣さは「謙虚」に変えられ、憎む相手に対する服従は「恭順」に変えられる。弱者の事勿れ主義が、「忍耐」という立派な名前になる

・値を附ける、価値を量る、等価物を案出し、交換するということは、人間の最も原始的な思惟として支配しており、思惟そのものになっている。最も古い種類の明敏さはここで育てられた

・刑罰が歴史上に現れた際に取ったあらゆる形式が戦争そのものによって与えられたものである

・法律の制定の後に初めて「法」及び「不法」が生じる。法及び不法をそのものとして論じるのは全くナンセンス。そのものとして見れば、侵害も圧制も搾取も破壊も、何ら「不法行為」ではありえない

・刑罰によってこそ、負い目の感情の発達は、最も強く抑えられてきた。犯罪者は、自分の行為、自分の行状それ自体において非難されるべきものと感じることを妨げられる

・刑罰は人間を手なずけはしても、人間を「より善く」はしない

・禁欲主義的理想を奉じる場合、それが意味するのは、彼が拷問から脱がれることを意欲する

・哲学者であるかどうかは、三つのきらびやかで騒々しいものを避けるかどうかによって見分けられる。すなわち、名誉と、王侯と、婦女と。彼は明るすぎる光を恐れる

・恐れられるべきものは、人間に対する恐怖ではなく、むしろ人間に対する吐き気であり、同情である。この両者が交合すれば、必ずや無気味なものが生まれる

・あらゆる偉大な事物は、自己自身によって、自己止揚の作用によって没落する。生の理法、生の本質に存する必然的な「自己超克」の理法はこれを欲する

・人間は欲し「ない」よりは、まだしも「を欲するものである



ニーチェは道徳を「善と悪・よいわるい」と「負い目・良心のやましさ」から捉えて、禁欲主義的理想は何を意味するのかを徹底的に考えました。

その結論が「神は死んだ」というキリスト教批判の言葉になりました。本書は、キリスト教を筋道立てて隅々まで否定した「ニーチェの思想」が如実に表れています。


[ 2013/10/25 07:00 ] ニーチェ・本 | TB(0) | CM(0)
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