とは学

「・・・とは」の哲学

『不道徳教育講座』三島由紀夫

不道徳教育講座 (角川文庫)不道徳教育講座 (角川文庫)
(1967/11/17)
三島 由紀夫

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本書は、三島由紀夫が自殺する3年前の昭和42年に刊行された書です。純粋思想を説いて自決した三島由紀夫が、その少し前に、このような文章を書いていたとは驚きです。

本書には、三島由紀夫の少しすねた「不道徳のすすめ」が記されています。それらの一部を、要約して、紹介させていただきます。



・大人の世界のみじめさ、哀れさ、生活の苦しさ、辛さ、そういうものを教師たちは、どこかに漂わせている。「貧乏くせえ」と内心バカにすればいい。人生と生活を軽蔑しきることができるのは、少年の特権

・十代ほど、誠実の顔をしたがるくせに、自分に対してウソをついている時代はない。自信がないくせに強がるのも一種のウソ、好きなクセにキライなふりをするのも一種のウソ

・善のルールを建て直す前に、悪のルールを建て直したほうがいい。今の社会の危険は、悪のルールが乱れているところから来ている。昔のヤクザは素人にからまなかった。昔のドロボーは、はした金で人殺しなんかしなかった

・女はあやふやなものに敏感。あやふやなものを嗅ぎつけると、すぐバカにしてかかる。経済的主権のあやふやな若い男性から、性的満足を得ても、彼の性的主権を認めない

・お節介は人生の衛生術の一つ。お節介焼きは、「人をいやがらせて、自ら楽しむ」ことができ、しかも万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使することができる

・現代の英雄は、ほとんどスキャンダルの英雄。スキャンダルは犯罪でなく、それを立てられる人は、犯人ではなく、ただの容疑者。容疑者は「らしく見え」なくてはならない

・「実るほど頭を垂るる稲穂かな」は偽善的格言。これは「実るゆえ頭の垂るる稲穂かな」に直したほうがいい。高い地位に満足した人は、安心して謙遜を装うことができる

・流行は薄っぺらだからこそ普及し、薄っぺらだからこそすぐ消える。しかし、後に、思い出の中に美しく残るのは、むしろ浅薄な事物

・女性は、自分の肉体だけを愛されることを侮辱と感ずる。なぜなら、男の性欲は、否が応でも、女性の肉体を、対象化し、「物」化し、はく奪するようにできているから

・猫を好きなのは、猫が実に淡々たるエゴイストで、忘恩の徒であるから。しかも、猫は忘恩の徒にとどまり、悪質な人間のように、恩を仇で返すことなどない。人に恩を施すときは、小川に花を流すように施すべきで、施されたほうも、淡々と忘れるべき

幸福や恩は、現状からの向上に関係していて、生命の方向と同じだから忘れやすく、不幸や怨みは、現状の改悪の思い出であって、生命の流れに逆行するから、忘れられない

・人を悪徳に誘惑しようと思う者は、たいてい、その人の善いほうの性質を100%利用とする。善い性質をなるたけ少なくすることが、誘惑に陥らぬ秘訣

・一つのことに、ほめられ飽きた人間は、別のことで、人にほめられたくて、うずうずしている。その多くはくだらないことでも、それを認められたことが心に触れる

・ウソも遠くからは美しく見え、ウソが本当らしく見えるほど、美しく見えるというのが、ウソの法則。だから、本当らしく見えて、美しいものがあったら、ウソ

・幸福でありすぎるか、不幸でありすぎるときに、ともすると告白病にとらわれる。そのときこそ、辛抱が肝腎。身上相談というやつは、誰しも笑って読むのだから

・都会人の弱気、当りの柔らかさというものは、子供のときからの社会的訓練のあらわれで、エゴイズムによる自己防衛の本能のあらわれ、あるいは、そこはかとない恐怖心のあらわれ。人間恐怖が、あらゆる人間嫌いの底には潜んでいる

・人を尊敬せず、信用せず、善意を信じないとなれば、友好的に行くにかぎる

・文明人の最大の楽しみは、自分の内の原始本能を享楽すること。日本人は、江戸末期まで、血糊をふんだんに使った芝居や、不具の見世物など、原始本能を楽しんでいた

・人生では、困ったことに、勝利者が必ず幻滅を味わうようにできている。なぜなら、人間は所有するものには価値を置かず、持たないものばかり欲しがるから



不道徳のすすめによって、人間の本質なるものをあぶり出す、三島由紀夫の論の展開は、流石です。

不純物も含まれている人間の「純正」を追い求めて死んでいった三島由紀夫が認識する、不純物なるものが、本書には数多く載っているような気がしました。


[ 2013/07/05 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)
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