とは学

「・・・とは」の哲学

『永遠のことば』三浦綾子

永遠のことば永遠のことば
(2001/10)
三浦 綾子

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著者の本を紹介するのは、「言葉の花束」に次ぎ、2冊目です。本書は、生前の講演や対談の中から選び出されたものです。

本書には、キリスト教徒であった著者の慈悲深い言葉と希望の言葉が多いと思いきや、結構、人間を冷徹に見た言葉が多いように感じました。これらの中から、一部を要約して、紹介させていただきます。



・「あなたのためを思って」と言うが、ためになっていないことが多い。善意の行動は、相手のためによかれと思ってなされるから、断定的で押しつけになる。こちらがいいと思うことが、相手もいいと思うかわからない。だから、善意というものを怪しむようになった

・「ありがとうございました。このご恩は忘れません」と言うが、恩を返したと思ったときに、受けた恩をすっかり忘れてしまい、忘恩の徒になってしまう

・人間の関係というのは、どのような関係でも、とにかく危機をはらんでいる同士の関係。人間というのは、心は変わりやすいし、不真実にできているし、裏切りとかいうのは普通の状態

・「しかたがない」という言葉をよく使うが、自分の子供が危篤になり、医者に「しかたがない。なすすべがない」と言われたら、「ああ、そうですか」と言わない。「しかたがない」には愛がない。しかたがないと知りながら、しかたがあると必死になるのが、本当の愛

・生まれた赤ちゃんは「おぎゃあおぎゃあ」としか泣かない。おっぱい飲みたいのか、眠たいのか、その子の顔を見ながら、声を聞きながら思いやる。つまり、思いやることがちっともなかった若い娘が、いきなり思いやらなきゃならない母親になるということ

・赤ちゃんというのは、自分からは要求一本で、今日はお母さんのためにおとなしくしようなんてことはない。そんな相手と暮らさなければいけないのが子育て

・十のうち九まで満ち足りて、一つしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口に出し、文句を言い続けるもの

・子供が喧嘩をしても仲直りが早いのは、主義主張を持たないから。絶対許せない、一生許せない、みたいな気持ちを子供は持たない。大人は「あの言葉は絶対に一生忘れない」と心に刻みつけてしまうから、許せなくなる。忘れることも、許しの一つ

・恩を感じるときはいろいろあるが、「恩を受けた」としみじみ思うときの自分の心の状態が好き

・どんなに立派なことをやっていても、それが心のこもらない雑な心でやったことなら雑事。雑にやれば雑事になる。一日雑事で終わり、次の一日も雑事で終わり、雑事で終わったという一生になりかねない。恐ろしいものを、一人のときというものは持っている

・泥棒に入られたために自殺した人というのは聞いたことがないが、悪口を言われたために自殺した人というのはいる。人の心を傷つけるという意味では、悪口を言うことは泥棒と比較にならないほどの罪

・自分の立つ場所、立つ地盤を自分で選ぶことが、自立の始めであり、終わりである

・自分で立っているだけで精一杯、というのは自立ではない。他の人も生かすことができて初めて、その人は立っている

・私たちは、心のどこかに、もうちょっとお金があればなあ、お金があれば幸福になるんだけどなあ、というような気分的なものを持っている。しかし、その気分的な面で考える幸福は、幸福そうかもしれないが幸福ではない

・人間は絶望的な状態であっても、一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていく。治すのは、医療の諸技術や薬も大事だが、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かを忘れさせるということが、すごく大事

・役に立つか立たないかで人間を見てはいけない。役に立っていると思っている人間でも、この世の中にどれほどの害毒を流していることか

・いろんな祈りもあっていいけれど、一番大事な祈りというのは、「私のすることを教えてください」という祈りだと思う

・一人一人が本気で生きたとき、本気で神様も答えてくださる



本書を読むと、著者の優しい言葉は、人間の限界を知った上で、発せられた言葉のように思います。

人間の悲しい性を乗り越えるために何が必要かを、絶えず模索して、それを書き留めた人が著者だったのではないでしょうか。


[ 2013/06/20 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)
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