とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『シニア接客のルール』山岸和実

シニア接客のルール (アスカビジネス)シニア接客のルール (アスカビジネス)
(2013/10/19)
山岸 和実

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歳をとると、人の行為の意図が見えてくるようになるものです。したがって、販売促進マニュアルどおりに接客してくる人が嫌いになり、そういう店を避けるようになってきます。

本書には、シニアの心理が描かれており、納得できることが数多くあります。それらの一部をまとめてみました。



・高齢者は、若年層に比べて、“生涯顧客”になってくれる可能性がとても高い。だから、高齢者の接客には、情熱と愛情を傾けるだけの意味と価値がある

・相手が高齢者であればあるほど、真っ先に“歩み寄り”が求められる。相手の視力が弱ければ、あなたの笑顔もぼやけて見える。笑顔の前に“歩み寄り”

・高齢者は、人生経験を通じて「サービス」や「人を見る眼」が肥えている。態度や表情に出さないだけで、あなたの本心はすべてお見通し

・高齢者は視力も落ちているし、動作もテキパキできない。急がせれば急がせるほど「事故・ケガ・トラブルの元」と心得ること

・高齢者は、さまざまな場面で、あなたの代行精神に期待している。「自宅までのお届け」「お買い物の引受け」「送り状の代筆」など、「代行」のサービス領域はどんどん拡大中

補聴器をつけている客には、「補聴器に接近して話す」「ふつうの声量で会話する」「ゆっくり、ハッキリ発声する」「言葉を短く区切る」「相手が反応するまで、次の言葉は控える」「正面から話しかける」

・歳をとれば、いろんな面で“個人差”が顕著になる。だから、高齢者には、画一的なマニュアルに基づく、画一的な接客サービスでは限界がある。個人差にあわせるのが基本

・商品や店内を見回し、読みにくい文字は、どんどん、大きな文字に変更する

・高齢者に好かれる接客のポイントは、何でも素直に教えを被ること

・高齢者は、電話でアクセスできないサービスの利用は控える。だから、なんでもかんでもデジタル頼みではいけない

・接客中に「自慢話」や「自己紹介」を盛んにするようならば、それは「自分を認めてほしい」というサイン。高齢者は、むかし(当時)の自分を認めてくれる存在に心を許す

・一人暮らしで孤独を感じている高齢者ほど、些細な変化に関心を示してくれる人に好意を抱く

・「わいわいガヤガヤしている場所」「待たされるところ」「座り心地のよくない椅子」など、くつろげないところに高齢者はいない。「くつろいでいただく」ことが、高齢者には大切

・高齢者は、接客よりも「報告」を望む。丁寧に報告できれば、高齢者に愛される

・高齢者は、「話し相手」という付加価値を求めてやってくる。客との会話を楽しめてこそ、一人前

・口頭説明だけでは、高齢者に不安、心配、混乱を与えてしまうだけ。これからの接客は、筆記用具を携帯して、必要に応じて書き表し、口頭説明をしっかり行うこと

・高齢者はおしゃべり好き。だからこそ、悪口、陰口、噂には、無関心を装うことが大切

・高齢者は無料サービスが苦手。高齢者に喜んでもらうならば、「無料サービス」よりも「激安サービス

・いつまでも考え込んでしまう高齢者は珍しくない。これでは、どんなに時間があっても、仕事ははかどらない。商品をすすめる場合は、好みをたずねて、2~3点に絞り込み、すんなり決断してもらう

高齢者のタイプは、「お任せしますタイプ」「おしゃべり大好きタイプ」「寂しがりタイプ」「疑心暗鬼タイプ」「趣味に夢中タイプ」「頑固で怒りん坊タイプ」「ペット好きタイプ」「自慢大好きタイプ」「現役バリバリタイプ」「世話好きタイプ」など、いろいろ



高齢者への接客が下手で、損をしている店がたくさんあります。高齢者の客が多い店には、必ずベテランの従業員がいて、うまく客あしらいをしています。

本書には、その「ベテラン従業員の高齢者客の客あしらい法」が記されおり、高齢者客を大事にしたいと考えている人には、最適の書ではないでしょうか。


[ 2014/07/30 07:00 ] 営業の本 | TB(0) | CM(0)

『群れない力』関口智弘

群れない力 「人付き合いが上手い人ほど貧乏になる時代」における勝つ人の習慣 (経済界新書)群れない力 「人付き合いが上手い人ほど貧乏になる時代」における勝つ人の習慣 (経済界新書)
(2013/04/25)
関口 智弘

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著者の力強さが全面的に出ていて、スカッとする書です。みなぎる自信がこの発言を生んだのだと思います。

独立自営で生きている人は、こうあらねばなりません。本書の、決意表明のような内容の中から、共感できたところをまとめてみました。



・人付き合いが上手い人ほど貧乏になる時代

・厳選された付き合いであっても、いざという時に力を貸してくれるのはごくわずか。その一方で、一方的に友達と思い込んで、タカりに来る連中の多たるや、数知れず

・1日24時間のうち、自由裁量の8時間を、しょうもない知り合いとの交流に使うのか、自分を高めるために使うのか。その時間の質の違いが、人生の質の違いをつくっている

・「友達」とは、家族みたいな無償の愛に近い形で結びついているもの。相手に期待する時点で、もはや利害関係であり、本質的な人間関係のつながりではない

・真のコミュニケーション能力とは、本音で語り合って理解し合える価値観の共通点が多い人間を選びだして深くつき合う力

・コミュニケーション能力とは、自分の価値観や考えを正しく相手に伝える力のこと。言い換えれば、価値観が同じ相手に好かれる力であり、価値観が違う相手にキッパリと嫌われる力のこと

弱い奴らは、存在意義がないに等しいから、群れになって影響力を強めようとする

・ザコ同士が群れたところで、シナジーなんて生まれるわけがない

・群れというのは、絶えず敵をつくりだすもの。群れに属していない人間を群れの中から否定することで、自らの信ずるものや、正しいと思うことを正当化する材料とする

・群れに属することで平穏無事な生活が保障されるので、誰もが群れに依存する。社会の支配者からすれば、これほど楽なことはない。今も昔も、村八分の概念は、日本社会に深く根づいている

・世の中の多くの人は、人脈が大事だなんて言いながらも、他人様を利用して、手前がおいしい思いをすることしか頭にないのが現実

・会社でのうわべづき合いを効率的にやり過ごすには、近寄りがたい雰囲気を醸しだすのが一番。「仕事はできるんだけど、仕事以外に興味なさそう」と思わせたらしめたもの

・ランチタイムという時間は、薄っぺらい人間関係の連帯感を確認する場として使われることが多く、そのスパイラルに巻き込まれると、抜け出すことは容易ではない

・お客様が神様であっても、福の神なのか、疫病神なのかは見極めるべき。疫病神であるならば、何のためらいもなくぶった切るくらいの決断をしてしかるべき

自分の時間を確保するためには、絶対に自分のお客さんからは時間外に問い合わせが来ないようにしておくこと

・無視もまた一つのコミュニケーションの手法。コミュニケーション上手は、相手の反作用を生まないために、あえて無視というコミュニケーション手法を多用している

久々に電話をかけてくる奴の用件は99%が面倒事なので、連絡がつかないほうがいい。あなたに繋がらなければ、また別のターゲットに狙いをつけるだけだから

・普通の生活をしていて得られる人脈や仲間というのは、往々にして薄情な利己主義者で、いざという時、頼りにならない

・家族同様に、無償の愛を捧げられるような相手こそ、真の友。その価値があるかどうか見極めるためには、お互いに本音で語り合う必要がある

・自分の思うがままに生活すること、思ったことを口にすることが、すべて法律で禁止されているかのように、自分を殺している人が多い

・会社はあなたを幸せにするために存在していない。会社が儲けるために存在している



著者が首尾一貫して主張しているのは、「自分中心でいい」ということ。

自分中心=群れないことこそ、すべての生命力の源であり、勇気の源になるのではないでしょうか。


[ 2014/07/28 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『骨董鑑定眼』青山二郎

骨董鑑定眼 (ランティエ叢書 (24))骨董鑑定眼 (ランティエ叢書 (24))
(1998/11)
青山 二郎

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著者は、骨董界の重鎮だった人で、小林秀雄、北大路魯山人、白洲正子などと親交がありました。

骨董の鑑識眼に優れた著者の言葉には、芸術の本質を語る内容が数多く含まれています。それらの一部をまとめてみました。



・書道というものは茶道と同様に、非常に神経の細かい一つの芸であり、たしなみの技能。眼が肥えていて趣味が良く、書き写された昔の言葉にも意味がある。こういうものは、鑑賞家の芸術。だが、その技能を手に入れれば、後は人間の問題と見るのが書道に違いない

・画家の意識は、自然の中にある意識を誘発される。画家の技能は、自然の中に発見した意識を、自分のある意識に置き換えて表現しようとする

・金持ちの骨董弄りとは、何でも手当たり次第に買い集めて悦に入っているようなもの。人が来て誉めてくれれば、自分もそれを見直して喜んでいるし、人が貶せば自分でもそんなものかと思って、好きでなくなってしまう

・発見とは、発見の前に発見すること。偶然に見つかるのも発見だが、何もなければ発見できないものを発見するのが発見

・ある人は、「美術品というものは存在しない。あるものは美だけ」と言うが、この考え方が裏返しになって、「美というものは存在しない。在るものは美術品だけ」というふうに、頭の働きよりももっと実際的な眼の働きというものを、頭が信じるようになる

・正しい眼はすべて最適な条件で、健康な肉体にかかっているというよりほかに、証明の法がない

・骨董屋の眼は、物を見たというのではなくて、それは趣味という一観念を模倣する思考の働き。眼は常に正しいからとして、模倣を強要され、我々の眼玉は信じられないほどに、段々と思考に征服されている

・「感じが来る」ところから、改めて「見えて来る」までの間が、一番骨が折れる。見えるということは、陶器の生命とするものが、人の顔のように、銘々各々が異なる様に異なる事が分かるということ

見える眼が見ているものは、物でも美でもない。物そのものの姿。物の姿とは、眼に映じた物の、それなくしては見えない人だけに見える物の形、つまり、形ある物から、見える眼のみが取りとめた形

ぜいたくな心を清算する要はない。ぜいたくに磨きをかけなければいけないのだ

自分で自分が解らない、これだけが芸術家の源動力。そして、それを理解する鍵

・美とは魂の純度の探求。他の一切のものはこれに反する

・一度茶碗を愛したら、その茶碗は自分にとける。一度人を見たら、人が自分の中にとける。自分の血の中にそれらがとけるように、精神も受けただけのものは、自分の血肉の中にとける

・大衆は肉を食うが、大衆には胃袋がない。博物館に何十万人の人が行くが、彼らには思想がない。美を汚す理想がない、批評がない。だから罪はない

美は見、魂は聞き、不要は語る

・真贋というものは、賭け碁のようなもので、直観とは別のもう一つの感情と判断を必要とする

・多くの経験ある骨董屋が、失敗するのは、彼らが経験と直観に頼りすぎるから

・未熟な芸術家の純粋な駄作は、駄作でも何でもなく、自然に消える時が来れば消えるつぼみ

・見るとは、見ることに堪えること。堪えるとは、理解することではない

・今に黙って食えるだけの金が手に入ったら、文章や画を売らないで、遊んで暮らすこと、これが生活信条

・芸術は衣食の手段にするものではない



ちょっと抽象すぎる著者の言葉の数々は、まるで禅問答。美を語るのは、それだけ難しいものです。

感覚は論理ではなかなか説明できないが、その感覚を経験した人には、わかるのかもしれません。


[ 2014/07/25 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『最高の自分を鍛えるチームの力』平井伯昌

最高の自分を鍛えるチームの力 なぜ、競泳日本は11個のメダルを取ることができたのか?最高の自分を鍛えるチームの力 なぜ、競泳日本は11個のメダルを取ることができたのか?
(2012/10/25)
平井 伯昌

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著者は、ロンドンオリンピック競泳のヘッドコーチ。競泳メダル総数11個の陰の立役者です。

スポーツの監督やコーチの本が非常に面白いのは、目標に向かって、何が最適かをフィジカルとメンタルの分野を徹底研究しているからで、経営の本が、どんどん薄っぺらになっているのと対照的です。

本書には、具体的な選手の名前も出てくるので、マネジメント手法が目に浮かぶようで、すらすら読むことができます。その一部をまとめてみました。



目標を言えるくらいの自信と準備をしないとメダルは狙えない

勝負師は、自分の手を崩してまで相手を攻めるずる賢さを持っている。プレッシャーをかけて相手の泳ぎを崩すのが勝負師。勝負師としてひと皮むけたら、大きく飛躍する

・人に勝つのではなく、自分に勝つこと。自分に勝つとは、自問自答の繰り返し

・頭の中に悪魔と天使が棲んでいる。悪魔は「こんな辛い練習、やめてしまえ」とそそのかす。天使は「負けないでもっと頑張れ」と励ます。選手の日常は、そうした葛藤の連続

・教育の現場では、ティーチングコーチングの使い分けが求められる。ティーチングは一方通行の指導法。選手に頑張るクセ、学ぶクセをつける上で、非常に大切

・ティーチング(基礎)はレベルが低く、コーチング(応用)はレベルが高いのではなく、次のステップに行くとき、ティーチングに戻ることも必要。応用の次にまた応用を行うのではなく、応用の後にまた基礎に戻って、がむしゃらにやることも大切

・大学生までの間に、努力して伸びる経験を重ねさせると、自主的に努力する大人になる

・ティーチングは重要だが、コーチの指示がないと何もできない「指示待ち人間」を作る。教えて、ある程度できたと思ったら、自分で考えさせ、壁を乗り越えさせるコーチングに入る。そこで「まだ教え足りない」と感じたら、またティーチングに戻ればいい

・トップレベルでは、心技体の中で、心が勝敗を分ける。トップ選手になると、技術と体力に大きな差がなくなるから、心=メンタルの強化が叫ばれる所以

・メンタル強化で一番大事なのは、自分にウソをつかない強い心を育てること。もっと頑張れるのに「これ以上無理だからやめよう」とウソをつく選手は強くなれない

・オリンピックを狙うレベルになったら、ほめて伸ばすのは幼稚なやり方。ほめるよりも正しく評価することが選手の成長につながる

・勝負の世界では、目先の戦術に捉われないで、戦略的な視点を持つことが求められる

・ゴールから逆算することで、練習が戦略的になる。目標を達成するまでに、いくつかの段階があり、そこには毎日クリアすべき小さな課題がある。小さな課題解決の戦術があるが、戦術の積み重ねから戦略を立てるのではなく、戦略から逆算して戦術を作るのが正解

・やる気や意欲を引き出すきっかけの一つは、小さな成功を見つけてあげること。「愛情の反対は無関心」(マザー・テレサ)の言葉があるが、関心を持たれないことが一番ショック

・やる気はないと困るが、モチベーションが高くなりすぎたときは要注意。やる気がありすぎると、いつも以上の力を出し切ってしまい、それが故障や疲労の引き金になる

・「いいときは慎重に、悪いときは大胆に」これが指導の基本の一つ

・選手は、できること、好きなこと、得意なことだけやろうとするが、世界で勝つには、短所の克服が絶対条件。選手に不得意な練習をやらせている間は、普段以上に指導者が評価をしてあげることが重要

・指導者は「計画どおり」立てたプランのプロセスを守ることではない。目標から逆算してプロセスを変えて再施行することが大事

人間形成ができてくるとメンタルも強くなる。他人を尊重しながら、自らを謙虚に振り返るようになると、選手として一段と成長できる

自分と戦って勝利した満足感こそが大きな達成感につながる。自分に負けないで信じた道を進む大切さを教えてくれるのが、スポーツの素晴らしい点



世界のトップレベルの選手たちは、どんな練習をしているのか、どう自分を奮い立たせているのかがよくわかる書でした。

どんな世界でも、克己心が重要。その克己心が育った人が、名伯楽に出会ったとき、大きな花を咲かせるのではないでしょうか。


[ 2014/07/23 07:00 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『幸せの経済学』橘木俊詔

「幸せ」の経済学 (岩波現代全書)「幸せ」の経済学 (岩波現代全書)
(2013/06/19)
橘木 俊詔

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人生の目的とは、幸せになること。哲学も宗教も、幸せを体系化しようとしたもの。その「幸せ」は青い鳥なのかもしれないが、経済学の立場で見た「幸せ」とは何かを示しているのが本書です。

日本の人々、世界の人々が、幸せをどう考えているか、経済学的資料をもとに、類推している点に興味を抱き、それらの一部をまとめてみました。



・20世紀後半以降のような「成長」を望むことはできない。「定常経済時代」という現実は、「幸せになるには、まず成長」の固定観念から脱却する絶好の機会

・「清貧の思想」は、日本人特有の独創的な幸福感。日々の生活は食べていけるだけでいい、最低限の生活を送ればいいというもの。凡人は、華美な消費に走ることは避けるにしても、もう少し水準の高い経済生活を追求してもいい

・一人当たりGDPは高くても、所得格差の大きい国ほど国民の生活満足度が低くなる

・幸福度の高い県は、県民所得が高い割に、自然環境がいい

・一番幸福度が高いのは、60代の女性で、反対に不幸度が高いのは、30代の男性

・既婚者は幸福。さらに子供がいない夫婦の幸福度が高い

・学歴の低い人も中学卒を除いて、不幸度はそう高くなく、学歴の高い人もそれほどには幸福度は高くない

学歴の高い人は、出世、賃金などの期待度が高いが、現実の世界では、それを達成できる人は少ない。ゆえに、学歴における幸福度にほとんど差がない

管理職専門職の人のほうが、現場で肉体作業をしているブルーカラーの人たちよりも、やっぱり幸福度は高い

・企業規模では、公務員の幸福度が一番高い。そして、大企業で働いている人は、中小企業で働いているよりも幸福度は高いが、企業規模が10人~30人といった小さい企業で働いている人も幸福度は高い。小さな企業だと自分のやりたいことができるからと思われる

・「何に希望を持っているか」の調査で、意外に低かったのが友人関係。友人はいざというとき期待できないと考えている

既婚者、高い所得教育年数女性であること、健康といった変数が幸福度を高めている

・デンマーク人は、「生活に困ったときには政府が支援してくれる」というセーフティネットの充実があるからこそ、高負担の税率を容認している。だからこそ、デンマーク国民は幸福度が世界一高い

・デンマークでは、高い教育や高度で複雑な仕事への報いはそれほど高くない。むしろ、人間としてすべての人がそこそこ食べていける賃金を支払うことが公平な処遇であると、信じている

・「日本人は幸福な生活を送る上で、何が必要か」調査では、高い順に「インターネット」「基礎体力・運動能力」「親友」「持ち家」「コミュニケーション能力」「テレビ」「基本的な学力」「テレビ」「子ども」「冷房・暖房」「車」「携帯電話」「面白い仕事」「結婚」

「日本人は幸福な生活を送る上で、何が必要か」調査では、低い順に「別荘」「ギャンブル」「高い身長」「先生」「高い学歴」「数学力」「すぐれた容姿」「土地」「家事育児と両立可能な仕事」「すぐれた頭脳」「お酒」「社会に貢献できる仕事」「語学力」「恋愛」「高い収入」

・人間として野心の強い人、あるいは嫉妬心の強い人は、現状において幸福度を低く表明している

・国民に安心感を与えて、幸せな人生を送れるようにするのは政府の役目。国民の労働生産性を高めるには、教育と技能の蓄積しかない。そのためには、国民は税・社会保険料の負担をこれまで以上に覚悟する必要がある



日本の幸福観と世界の幸福観には、大差はありません。日本人も、結構、冷静に考えています。

幸せになる、というのは永遠のテーマ。何をもって、幸せとするかは、個々人によって違うもの。求める幸せが、みんなと同じにならないように、自分にとっての幸せかをよく考えてみようという書でした。


[ 2014/07/21 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『花ひらく心ひらく道ひらく』坂村真民

花ひらく 心ひらく 道ひらく (講談社プラスアルファ新書)花ひらく 心ひらく 道ひらく (講談社プラスアルファ新書)
(2001/05/21)
坂村 真民

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坂村真民さんの詩を、このブログで何度も紹介してきました。遺された詩は、出版されているものだけでも、まだ数多くあります。

本書には、坂村真民さんの心籠った詩が200ほど収められています。その中から、過去にすでに紹介した詩を除き、新たに気に入った詩を選び、自分なりにまとめてみました。



・「かなしみはいつも」 かなしみは みんな書いてはいけない かなしみは みんな話してはならない かなしみは わたしたちを強くする根 かなしみは わたしたちを支える幹 かなしみは わたしたちを美しくする花 かなしみは いつも枯らしてはならない

・「手を合わせる」 手を合わすれば 憎む心もとけてゆき 離れた心も結ばれる まるいおむすび まるいもち 両手合わせて作ったものは 人の心をまるくする 両手合わせて拝んでゆこう 手を合わすれば 重い心も軽くなり 濁った心も澄んでくる

こちらから」 こちらからあたまをさげる こちらからあいさつをする こちらから手を合わせる こちらから詫びる こちらから声をかける すべてこちらからすれば 争いもなくなごやかにゆく

」 愛とは 呼吸がぴったりと 合うことである

」 大切なのは かつてでもなく これからでもない 一呼吸 一呼吸の 今である

一字一輪」 字は一字でいい 一字にこもる力を知れ 花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ

一番いい人」 何も知らない人が 一番いい 知っても忘れてしまった人が 一番いい 別れたあとがさわやかで 過ぎた時間が 少しも惜しくない人が 一番いい

」 露が 教えてくれるもの まるいものがいい すきとおったものがいい かすかなものがいい じぶんをもとうとしないものがいい

いも」 いもはいつでもいきごんでいる いいものになろうとしている ばかにされてもわらわれても いもはいつも平然としている 見えないところで 自己を作ってゆくものたちの すばらしさよ わたしは目をみひらいて いもを見る

・「」 先生は 変わられましたねと いわれるが わたしは少しも 変わっていない ただ要らないものを 捨てただけだ

・「爪のように」 伸びるのは 爪ばかりではない ほっておけば 欲の皮も 伸びてゆく だから時々 爪のように 切って捨てねばならぬ

・「精一杯」 すべてのものが 精一杯 生きているのだ 蟻も蜜蜂も 精一杯 働いているのだ それが生命を与えられたものの 真の姿だ

・「リンリン」 リンリンと おのれを燃やせ 道の草木も 輝くばかり リンリンと おのれを鳴らせ 空ゆく雲も 湧き立つばかり

・「」 爪を切ったあとの気持ちのよさ 心の爪も ついでに切れたらなあ

・「新生の自分」 しんの変身とは 生きる姿勢を 変えることだ 自分のためばかりに 生きてきた この身を 他の人のために生きる 姿に変えることだ

・「ねがい」 どうにもならない 血を持って生まれ どうにもならない 運命を背負い みんな悲しいんだ みんな苦しいんだ だからお互い もっといたわりあい なぐさめあって 暮らしてゆこう

・「素足になれ」 みんなといってよいほど どこか狂ってきた この人がと思う人が へんな言動をしたりする 地についた生活をしていないからだ 足を地につけずに生きている 人間がふえてきた 人間一日一度は 素足になって 素直になれ

・「つゆのごとくに」 いろいろのことありぬ いろいろのめにあいぬ これからもまた いろいろのことあらん いろいろのめにあわん ころころと ころがしゆかん さらさらと おとしてゆかん いものはの つゆのごとくに

・「うしろを向かないで」 うしろを向かないで 生きてゆこう うしろにはいつも いやな奴がいて 大きな手で 先へ進むのを 引っ張るのだ あの手にかかると 仕事はいやになるし すぐに妥協する 弱い人間になってしまう



本書のあとがきに「私は自分が生きるために詩を書いているので、詩人になるためではない。どうかそのことも知ってもらい、共鳴共感していただいたら、何よりうれしく、ありがたい」という本人が書いた文章が載っています。

自分を詩人と思っていなかったからこそ、このような詩が書けたのではないでしょうか。納得しました。


[ 2014/07/18 07:00 ] 坂村真民・本 | TB(0) | CM(0)

『死ぬ前に読め!』玄秀盛

死ぬ前に読め!―新宿歌舞伎町で10000人を救った生きるための知恵死ぬ前に読め!―新宿歌舞伎町で10000人を救った生きるための知恵
(2007/12)
玄 秀盛

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著者の本を紹介するのは、これで4冊目です。元ヤクザ、元企業経営者であり、比叡山大阿闍梨の弟子でもある、その人生相談は、相談者の心の深くにまで、ズバッと剛速球を投げ込みます。ヤワな相談員とは、モノが違います。器が違います。

この本にも、犯罪スレスレの相談を命を張って解決していく事例がたくさん出てきます。筋金入りの人だけに、解決策も大胆なものばかりです。特に、おもしろかった箇所をまとめてみました。



・弱い者に対しては、とことん強気になるが、本物の男に対しては、何もできない。こういう内弁慶な家庭内ヤクザが最近多い

・夫は、殴っても、妻が無抵抗だったことで、一人の人間を暴力で支配する喜びを知ってしまう。そこからエスカレートしてくる。殴る理由は何でもよくなる。殴りたいから殴る

殴る人間は弱いから、さらに弱い立場の人間に向かう。暴力で上下関係を確立し、支配することを楽しむ。DVに走る男には、母親に溺愛されたマザコンが多い。そんな男が意外と外では優しく親切な男であったりする。会社でもあまり自己主張しない

・気が弱いから、面と向かって自分の妻にも意見が言えない男が、妻や会社、世間に追いつめられて、窮鼠猫を噛むで、手を挙げてしまう結果がDV

・今の自分は過去の自分の集約であって、誰のせいでもない。他人のせいにしている間は何も変わらない。そして、自分で何かしようという意思を持たない人間には、何もしてやることはできない

・本当に強いヤツは、相手に徹底した恐怖を植えつける。殴られた痛みは治るし、鍛えれば痛みに耐えることもできるが、恐怖は事前に学習できないし、一度味わった恐怖は、なかなか忘れることができない。恐怖は心にしっかりと根付くもの

・ケンカに強いのは、力よりも、勢いで相手を圧倒することができるヤツ。腕っぷしじゃなく、言葉だけで、相手に恐怖を植えつけることのできるヤツ。逆に言えば、自分の中に、ちょっとでも恐怖心が起これば、負けということ

・ケンカは、眼と眼が合うことから始まる。眼と眼が合わなければ、滅多なことではケンカにはならない。だから、ケンカに巻き込まれたくなかったら、伏し目に歩けばいい。変なヤツがいたら、眼をそらすこと。話すふりをして、ケータイで電話しながら歩けばいい

・うつ病は、現代病、文明病の病。人間としての生命力が弱っている状態。生きるのに必死な発展途上国の人たちは、うつ病になってたら飢え死にしてしまう

・日本は、どうしても組織が優先されて、個人が抹殺されてしまう。そういう背景から、モノがいくらあふれていても、個人の心が貧しくなってしまう

・家族とは、単なる血のつながり。この血のつながりが、時には災いをもたらす。血のつながりがあるゆえに、妬みや憎しみが生まれることが多い

・今の自分は、未来の自分への通過点に過ぎない。未来の自分が最高の自分になるように、今の自分がどん底であったら上に這い上がっていけばいい

・どんなに周りが意見しても、大騒ぎしても、本人に立ち直る意思がない場合は、立ち直ることなんかできない

・現代は、若者を誘惑する遊び場が揃っている。そこに集まる若者たちを見て、大人たちは眉をひそめる。しかし、それは若者のモラルの問題だけではない。それを作り、助長し、陰で、お金という甘い汁を吸っている大人たちと、それを受け入れている社会の問題

・大人は若者に「夢を持て」と言う。しかし、何もかもが揃っている社会で、何を夢にすればいいのか、どんな夢を持てばいいのか、わからなくなっている

・。子供に夢を持てと説教する前に、親自身が夢を持たなければならない。貧しくても幸せと自信を持って言える親は、現代にいない。今の社会をつくった団塊世代の罪は大きい。趣味でも、旅行でも、何でもいいから、親は、夫婦で、子供の前で夢を語ること

・ああしたい、こうしたい、あれがほしい。これは単なる我欲。夢はもっと崇高なもの



新宿歌舞伎町の駆け込み寺である「救護センター」に相談に来た人たちの実例が、本書に載っています。

そこには、複雑な家庭の問題、お金の問題などが、存在していますが、著者の力量で、それらを見事に解決していくさまが見てとれます。平和に育った人、お金の苦労をしないで育った人に、是非見てほしい書です。


[ 2014/07/16 07:00 ] 玄秀盛・本 | TB(0) | CM(0)

『年収1000万円の貧乏人、年収300万円のお金持ち』伊藤邦生

年収1000万円の貧乏人 年収300万円のお金持ち年収1000万円の貧乏人 年収300万円のお金持ち
(2013/02/09)
伊藤 邦生

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著者の「お金」の考え方が自分と似ています。著者が、本書で紹介する書もほとんど読んだものばかりです。

タイトルは、軽薄に感じますが、内容は、結構深いものがあります。その一部をまとめてみました。



・現代社会は、多くの企業が練りに練った販売戦略を行い、消費活動を喚起させようとしている社会。その中で生活するということは、強い意志がないとお金を使ってしまうということ

・私たちは、必要最低限の生活費を除くと、「公務員」と「建設会社」と「銀行員・保険マン」を食べさせるために、一生懸命働いていると言える。借金をして、マイホームを買うと、一生、建設会社や銀行・保険会社のために働く人生になってしまう

・「勉強した」からには、資格や学歴などの明確な結果が欲しい。「努力した」からには、明確な形で「報われたい」。だから、勉強、資格、学歴などのスキルアップに必死になる

・投資家は多くの案件を精査し、その中に一つ二ついい案件があればいい、と考える。投資は、損する可能性があることを覚悟した上で実行するもの

・サラリーマンは、リスクをとることを恐れる人種。「リスクをとる」というのは、何かを失うことを覚悟して、それ以上のリターンを追求する行為

・人口が増えれば株価が上がるというのは、単純な真実。株価の上下は、40代半ばの人口の数に比例するのも事実

・デフレ経済では、どの業界も「二極化」の現象が起きる。日本株は、勝ち組の企業を選べばいい

・68%のファンドマネジャーが「市場平均」に負けている。つまり、プロのファンドマネジャーに運用を任せる投資ファンドは買わないほうがいいということ。さらに言えば、金融機関は、投資で損して、手数料で儲けているということ

・不動産はとても参加しにくいマーケットだが、不動産投資は、完全に素人のマーケット

富とは、持っているお金の額のことではない。お金をすべて失ったときに残っているもののこと。富とは、あなたの中にあるもの

・投資ステージの特徴は、「1.アリ」貯金がなく、その日暮らし「2.カモ」貯金はするが、増えない「3.カメ」全額を銀行に貯金「4.ヒヨコ」投資を少し学び始める「5.スワン」優良案件を投資判断できる「6.ゴールドスワン」よい投資案件が流れ込む

・資本主義社会はアリの社会と似ている。少数の女王アリのために働き続ける多くのアリと、一握りの資産家のために働き続けるサラリーマンは同じ

住宅ローンを組んだサラリーマンは、30年後に価値がなくなるもののために、30年間働き続けるということ

アリは資産家のために一生働き続ける。カメは国のために一生働き続ける。投資のスキルがないと、アリとカメとして生きていくしかない

投資力がないのに、資産だけ持っていると、簡単にカモにされてしまう

・資産を守るためには、分散投資は有効だが、資産を増やす場合は、むしろ集中投資をしなければいけない

・投資で勝ち続けるためには、感情を克服しないといけない。そして、「優位性」を核とした上で、「規律」「忍耐」「リスク管理能力」「覚悟」の4つの資質が備わっていないと、長期的に資産を築き上げるのは難しい

・ノウハウや「優位性」をもって、アプローチや戦略を築き上げることで、投資もギャンブルではなく、仕事になる

・時間のない金持ちの主要な収入は「給料」。時間のある金持ちの主要な収入は「不労所得」。不労所得のある金持ちは、優雅な暮らしをしている。あくせく働くことはない。いくらお金があっても、人生の時間を買うことはできない。マネーよりタイムのほうが、断然重要



本当に豊かに暮らすには、どうしたらいいのかを真剣に考えた人であれば、著者の意見に同意すると思います。

著者に同意する人が圧倒的多数になったとき、日本は豊かな社会になっているのではないでしょうか。


[ 2014/07/14 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『大人の教科書・道徳の時間』

大人の教科書 道徳の時間大人の教科書 道徳の時間
(2010/12/11)
大人の教科書編纂委員会

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本書は、「正しく生きる道」を、古き良き日本人から学ぼうというものです。

テーマが、「正直に生きる」「身を慎む」「自らを磨く」「人を敬う」「仕事に精を出す」に大きく分かれており、昔の人は何を考えていたかを深く知ることができます。その一部をまとめてみました。



・「姿勢が正しい時には、影が歪むことはない。水盤が丸ければ、水も丸く収まっている」(勝田祐義「金言童子教」)

・「人の道に外れた行いで金持ちになった者を羨んではならない。正しいことをして貧しくなった者を蔑んではならない」(今川了俊「今川状」)

・「正直な人のそばにいよ」(宮負定雄「民家要術」)

・「未熟な者は、相手に気に入られようとして、悪いことを良いように言い、良いことについては悪いように言うものだ。そのような者とは、決して親しくなってはならない」(伊勢貞親「伊勢貞親教訓」)

・「どんなものにもよさがある。どんなひとにもよさがある。よさがそれぞれみなちがう。よさがいっぱいかくれてる。どこかとりえがあるものだ。もののとりえをひきだそう。ひとのとりえをそだてよう。じぶんのとりえをささげよう。とりえとりえがむすがれて。このよはたのしいふえせかい」(佐々井典比古「万象具徳」)

・「壮年の時、戒めるべきは闘争だ。年老いたら、金を貯めることを戒めなければならない」(勝田祐義「金言童子教」)

・「やたらに喜ぶ者は、やたらに悲しむ」(新井白蛾「冠言」)

・「ふだんから、鏡を見て身なりを良くする修業をするのが良い」(山本常朝「葉隠」)

・「吝嗇ではなく、質素に暮らせ」(西村彦兵衛「象彦家訓」)

・「良い家というのは、慎みある暮らしぶりの家のことを言う。調子に乗った奢った暮らしをすると、良い家とは言われない。衣食住を倹約しなさい」(伊藤長次郎「伊藤家家訓」)

・「学問とは良い人になるための稽古」(中村弘毅「父子訓」)

・「幸不幸は家につくものではなく、人が招くもの。したがって、運次第というのは阿呆である」(伊藤長次郎「伊藤家家訓」)

・「何ごとも人に遅れをとってはならない。しかし、無益なことには負けておけ」(石川丈山「覚」)

・「志を立てることがすべてのことの源である」(吉田松陰「士規七則」)

・「人の短所を言ってはならない。自分の長所を誇ってはならない」(松尾芭蕉「芭蕉庵小文庫」)

・「薄い氷を踏んで落ちることを恐れるように、大勢の人と交わる時には十分用心すること」(貝原益軒「和俗童子訓」)

・「身持ちが悪く、放蕩で、身を立てることのできない輩がよくいる。この多くは、親の育て方が悪いからである。子を愛するなら、質素に育てよ」(脇坂義堂「撫育草」)

・「賢い母に育てられたら、その子は極めて賢くなる」(中村弘毅「父子訓」)

・「家族が仲良くすれば、すべてが成就する」(勝田祐義「金言童子教」)

・「儲けられる金の三分は人に儲けさせよ」(土倉庄三郎「不文家憲」)

・「御主人の内の事をば外へいて、よしあしともに言うな語るな」(脇坂義堂「撫育草」)

・「倹約とは、不自由を我慢すること」(伊達政宗「伊達政宗壁書」)

・「遊びごとにうつつを抜かすのは、金を捨てるのと同じだ」(堀流水軒「商売往来」)



本書のもとになっているのは、武家、商家の家訓、藩校や寺子屋の教科書、儒学者の書です。

江戸時代、警察も裁判所も、きちんと機能していなかったのに、犯罪が少なかったのは、本書のような「道徳」が普及していたからなのかもしれません。


[ 2014/07/11 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『プレゼンの極意はマンガに学べ』三田紀房

プレゼンの極意はマンガに学べプレゼンの極意はマンガに学べ
(2013/02/22)
三田 紀房

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ドラゴン桜で有名な著者の書を紹介するのは、「ドラゴン桜東大合格をつかむ言葉161」「ここ一番に強くなれ」に次ぎ、3冊目です。

前の二冊は、一般論でしたが、本書は、マンガの技法をもとに、プレゼンについて説くという、具体的なものです。ためになる点が多々あり、それらをまとめてみました。



・プレゼンの本質とは、「赤の他人を味方につける」行為。自らの主張をぶつけ、顧客を説得し、同意を取りつける行為

・マンガの持つ「中毒性」と「わかりやすさ」の秘密を解き明かせば、プレゼンを考える上で、大きなヒントになる

・週刊マンガ誌は「足の速い」商品。クチコミで評判が広がるのを待っている余裕はない。「おもしろいから買う」のではなく、「最新号が出たら買わずにいられない」という熱狂的な固定ファンをつくる必要がある

・物語に大きな謎を残したまま、あと一歩というところで「次週へ続く」と終わらせる。あえて結果を見せないまま、次週へつなぐ。「このあとどうなるんだ!」「早く続きが読みたい!」と思わせ、翌週まで興味を引っ張る

・ラストに持ってくる「引き」が大きければ大きいほど、ドキドキワクワクは高まる

企画立案とは「新規出店」。ショッピングモールに出店する個人商店のようなもの。第一に考えるべきは、競合の回避

・世の中全体の空席を見つけるには、世間のでっかい流れを見て、その逆を張ればいい

・国や時代を超えて、必ず生き残る産業は不安産業。「お金」の不安を穴埋めするのが、銀行や保険の金融業。「健康」の不安を穴埋めするのが医療や健康産業。これらはたびたびマンガの題材になってきた。そして、子育てや将来設計の不安をカバーするのが教育産業

・世間の常識に反旗を翻す暴論には「よくぞ言ってくれた!」というカタルシスがある

・なにかしらの流行に乗っかろうとしたとき、すでにそのムーブメントは終わっている。流行とは残像であり、その残像はすぐさま「恥ずかしいもの」へと風化してしまう

アイデアとは、天から降ってくるものではなく、「そのジャンルの王道に何を掛け合わせるか」という掛け算の賜物

・プレゼンは、「最後のひとコマ=人を惹きつける結論」を設定できるかにかかっている

・人は「謎」を前にすると、答えを確認せずにはいられない習性を持っている。なぜなら、人の心は「答えがない」という宙ぶらりんの状態に耐えられるほど、強くないから

・プレゼンには、埋めるべきピースと、空けたままにしておくべきピースとがある。情報を詰め込みすぎず、あえて説明しない「余白」を意識すること

意外な展開、衝撃的なセリフ、予想もしなかった結末があってこそ、読者は感情の振り子を揺さぶられ、おもしろいと感じる

・何でもない日常に驚きを演出するには、登場人物にむちゃくちゃなことをさせればいい

・「毎回決めゼリフがある」「顔がデカい」「多彩な比喩表現を駆使する」のは、プレゼンに応用可能な原則

・マンガとは省略のメディア。場面を省略し、動きを省略し、セリフを省略し、背景を省力していかねばならない。省略こそがリズムを生み、読みやすさを生む

・全18ページの作品ならば、最初に4つの大ゴマを考え、「起」のコマを2ページ目に、「承」のコマを8ページ目に、「転」のコマを12ページ目に、「結」のページを18ページ目に置いてみて、パズル感覚で考える。構成とは、「大ゴマの配置を考える作業」のこと

・自分のプレゼン資料を受け取ったクライアントが、「捨てたくない」「ずっと手元に置いておきたい」と思わせる工夫が必要。所有欲をかき立てるものでなくてはならない

・プレゼンの禁止事項は「負けを認めること」。最後まで強気な姿勢を貫かないといけない。プレゼンの根底には、挑戦者としての「熱」が必要。プレゼンで試されるのは「本気度



毎回、毎回が勝負の週刊連載だからこそ、上記のような発想が出てくるのだと思いました。

プレゼンも、一回一回が勝負です。そのために、どういう作戦を立てるかが重要です。本書は、その援けに大いになるのではないでしょうか。


[ 2014/07/09 07:00 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『資本主義から市民主義へ』岩井克人

資本主義から市民主義へ (ちくま学芸文庫)資本主義から市民主義へ (ちくま学芸文庫)
(2014/04/09)
岩井 克人、三浦 雅士 他

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東大名誉教授である著者の「貨幣論」(貨幣は貨幣だから貨幣である)は、貨幣の本質を真に言い当てたものです。この実体のない「貨幣」の獲得に奔走する社会に、私たちは今生きています。

本書には、この資本主義社会を「よりよく生きる」ためのヒントがいっぱい詰まっています。それらをまとめてみました。



・人は手に持っている貨幣を今使うべきか、もう少し後に使うべきか、常に決断に迫られている。何も債券や株式、さらには先物やスワップやオプションの登場を待つことなく、人類は貨幣を使い始めたときから、投機という現象に直面せざるを得なかった

・人間は投機するサル。投機は未来を実体化する。おそらく、それこそが時間の起源であり、欲望が時間の起源ということ

・紙幣のほうが貨幣の本質を具現している本来的な貨幣。貨幣とは、最初から本物の代理でしかなく、すべての貨幣の価値はそこから出発する

・不換紙幣は近代の錬金術と言われるが、実は錬金術こそ、貨幣を模倣しようとした。鉛や錫といった粗悪な金属を金や銀に換えるのは、貨幣経済がすでに成立してからの試みであった

・産業資本主義以前の富は、自然発生的なもの。したがって、富は掠奪や戦争で獲得していた。その掠奪品は、必ずしも自分の欲しいものとは限らない。そこで、掠奪品を自分が好きなものと替えてくれる人間が必要になり、掠奪品を売買する商人が登場する

・農村における共同体的賃金が都会の工場労働者の賃金を抑えてくれたおかげで、資本家は自動的に利潤を得ることができた。一つの国民国家の中に、市場的な部分と非市場的な部分が共存していたことが、産業資本主義を可能にした

・「世界経済は<中心><半周縁><周縁>というメカニズムによって形成されている」(ウォーラーステイン)

・日本では1970年代に入ると、農村の産業予備軍が枯渇し、国民経済の中の二重構造が解消し始めた

・貨幣を持つことは、もともと未来に向けた投機にほかならない

・貨幣を持つのは遊戯。食べ物は食べないと腐ってしまうが、貨幣は今の使用価値に通じなくてもいいので、遊びそのもの

・貨幣発行者の大儲けを経済学ではシニュレッジ(王様利得)と呼ぶ。かつては貨幣の発行権は君主の特権だったから。アメリカは今、王の特権を享受している

基軸通貨国であるアメリカは、基軸通貨国としての世界経済全体の立場に立った規律が求められている。例えば、アメリカが不況であっても、世界がインフレになれば、アメリカはドルの供給を減らして、デフレ政策をとらなければならに

・日本の会社は「会社共同体」でユニークと言われるが、アメリカは「株主主権」、ドイツは「労使参加」、イタリアは「家族支配」でユニーク。そもそも会社は融通無碍

・資本主義は差異を食って生きている。逆に言えば、差異を見つけて均していく、世界を均一化していくことで生きているということ

・人間とは社会的動物だが、それは、「言語」「」「貨幣」を媒介として、お互いを抽象的な意味での人間として認め合うことによって社会を形成する動物ということ

・貨幣はすべてのモノを手に入れる可能性を与えてくれるということから、人間はモノそのものを欲望するよりも、モノを手に入れる可能性を欲望するようになった

貨幣が貨幣として価値を持つのは、すべての人に貨幣が受け入れられているから。法が法として人々の義務と権利を確定するのは、すべての人に法が受け入れられているから。言語が言語として意味を伝えるのは、すべての人に言語として受け入れられているから

・一万円札を欲するのは、他の人も一万円札を欲しているから欲しているだけということ

・資本主義の本当のクライシスとは、貨幣が貨幣でなくなってしまう貨幣経済解体の事態。これに対して、モノを買う人がいなくなり、モノが売れなくなる恐慌は、本当のクライシスではない。なぜなら、それは貨幣の存在を支える社会の永続を人々が疑っていないから



貨幣という欲望(色欲)の権化が、実体は何もない(空洞)というのが印象的な点でした。それは。まるで「色即是空」の世界です。

「ない」ものをみんなが「ある」と信じるから、「ある」ようになっている。そういうものは、貨幣以外でも他にたくさんあります。社会とは、幻想の上に成り立っているということを認識できる書でした。


[ 2014/07/07 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『食べること生きること・世界の宗教が語る食のはなし』奥田和子

食べること生きること―世界の宗教が語る食のはなし食べること生きること―世界の宗教が語る食のはなし
(2003/03)
奥田 和子

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イスラム教は、なぜ豚肉を食べてはいけないのか?ヒンドゥー教では、なぜ牛肉を食べないのか?禁酒や断食の習慣なども含めて、人は宗教観によって、食べるという欲望に制限がかけられています。

この問題を調査分析したのが本書です。ためになることが、数多く記されています。その一部をまとめてみました。



・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の生まれた場所は、水の少ない植物が育ちにくい土地柄なので、食べ物に関して、厳しい契約が生まれた。仏教、儒教、道教の生まれた国は、食べ物が豊富だったので、厳しい契約は生まれなかった

・ユダヤ教の旧約聖書には、すべての収穫物は神のものだから、土地から取れる収穫量の中から、穀物であれ、果物であれ、必ず10分の1を取り分けねばならないとの記述

・ヒンドゥー教の供え物は、穀物、家畜、果実、花々、蜂蜜とギー(良質のバター)。供え物の種類によって、功徳の期間が違う

・儒教の供え物は、「真水」(水こそすべての味のもと。酒は混ざりけのないもの)、「焼き塩」(自然の味を尊ぶ)

・ユダヤ教で食べてはいけない動物、「反すうするだけか、ひづめが分かれているだけの動物。野うさぎ、らくだ、狸、いのししなど」「ひれ、うろこのない魚類」「死肉や生きた動物を獲物にする鳥類。猛禽類、こうもりなど」「昆虫」「死肉」「血」「肉食後のチーズ」

・イスラム教で豚を食べてはいけない理由は、「豚は反すうする家畜と野性の哺乳類の雑種であるから、食卓から追放されたという説。旧約聖書に二種の家畜を交配するなという記述」「豚肉は汚染されやすい、腐りやすい、ライ病になりやすい」

・ヒンドゥー教で牛を食べてはいけない理由は、「牛は人間に乳を与え、土地の耕作、刈り入れ、運搬、脱穀を助けてくれる。食べるなどもってのほか」

ユダヤ教・キリスト教> (肉に心を用いない)(貧者、敵にも惜しみなく食べ物を与えよ)(断食は過去の出来事を忘れないための苦行)(教会に、イエスの血と肉を意味する、パンとぶどう酒を拝領する)(食事の席で上席に座ってはいけない)

イスラム教> (食べ物は神からの贈り物、その恩恵を神に感謝する)(酒は人間を欲望の虜にするので、宗教の力で禁止)(貧者に食べ物を惜しみなく与える)(いっせい集団1カ月の断食で、人の痛みを実感として共有)

仏教> (肉食の戒め)(食べることに執着するな)(食べる量を知り、余分を求めるな)(美食の戒め)

ヒンドゥー教> (生き物を傷つけない)(牛を大切にする)(食べ物の分かち合い。王は困った人に食べ物を与える義務)(食事は東を向いてする)(両親や師より先に食べない)(神々を礼拝し、供え物をする)(寺院に供えたお下がりの食べ物を食べると福がある)

儒教> (酒は祭礼の時のみ飲み、時の定めなく飲まない。酔いしれない)(動物の特定の部位、内臓を忌み嫌う)(粗食で質素に。切りつめて祖先に食べ物を供える)(貪りの戒め)(食事中のマナーを守ることで、長幼・死者生者・上下関係のルールを示す)

道教> (生き物を害してはならない)(飲酒者にならない、ほどほどに飲む)(内欲を我慢する。節度を守る)(夜間の食事は非常食)(長寿のために食べ物の選択に注意する)

諸宗教の共通点
1.「飽食の戒め」2.「貪りの戒め」3.「節制・節度」4.「美食の戒め、粗食」5.「飲酒の抑制または禁止」6.「恵みに対する感謝」7.「食べてはいけない食べ物」8.「肉食の戒め」9.「祭儀または祖霊崇拝」10.「博愛・分け与え」

諸宗教の共通でない固有の点
1.「死後の世界の有無とそこでの食べ物」 イスラム教(現世の強い締め付けの反動として、天国での飲食は豪勢) ヒンドゥー教(天国でおいしい食べ物を食べることができる)
2.「断食」 イスラム教(徹底して行う。食事を修業の一部に組み込んで精神の強化、罪のあがないを図る手段にする)
3.「喜捨、献げ物、献金など」 ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 仏教
4.「食事作法」 儒教(人間関係の円滑化のために厳重)
5.「不老長寿」 道教(医学と結びついて神仙説に及ぶほど重んじる)
6.「我慢に応じてのポイント制」 道教(食べないで我慢した場合功としてポイント)
7.「生類殺生の戒め」 仏教 ヒンドゥー教(生き物を殺したり傷つけたりしない)



私は、何でも食べるべきという考え方です。外来駆除動物のブラックバスやミドリガメまで、食べる方法を考え、昆虫のおいしいレシピを考えれば、将来の食糧不足にも対応できると思っています。

しかし、世界では、まだまだ食べてはいけないものの制約があります。それは宗教による戒めが理由です。鯨なんかも宗教観による違いの代表的な例です。食べ物をもっと科学的に考えることが、人類の平和につながるのではないでしょうか。


[ 2014/07/04 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『人生論』武者小路実篤

人生論 (岩波新書 赤版)人生論 (岩波新書 赤版)
(1986/11)
武者小路 実篤

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本書の初版は、1938年(昭和13年)です。戦前~戦後の若者に大きな影響を与えてきた書です。

小説や水彩画での武者小路実篤の作品は、読んだり観たりした経験はありますが、エッセイは初めてです。本書には、武者小路実篤の思想や人間性が表れているように感じました。その一部をまとめてみました。



・下らない人間の、利己的欲望のために、貴き生命を無駄にするのは、惜しみてもあまりあること。今の世には、そういう仕事をしないと食えない人が多いのは残念なこと

・金を儲けるために仕事をする人がある。金が目的で一生をつぶす人がある。金をとることが仕事だと心得る傾きがある。生きるためではなく、金をとるために生きる人がある

正しい仕事は、他人に迷惑を与えない。できたら、他人に喜びを与える。また他人の生活に役立つ

・金を儲けることは悪いとは決まらない。しかし、他人を不幸にすることは悪いこと。人間が金銭を考え出したのは、はじめ便利のためだったが、それがあまりにも便利すぎるので、いろいろに発展しすぎて、ついに今日の状態になってしまった

権力争いとは、虫のいい争いで、決して両方の人格を高める争いではない。勝てば、物質上では得するが、正しく自己を生かしたとは言えない

・貧でいじける人よりは、富んで、積極的に何か人間の喜びになり、国民の生活のために働く人を賛美する。一番いけないのは、プラスのない人。欠点はあっても、長所のある人のほうがまだまし

・理想の職業というのは、その職業のために働けば働くほど、自分のためにもなり、他人のためにもなる仕事

・金を考えずに、ただ仕事のことだけを考えて、他人を損させない仕事はいくらでもある

・理性的な人間は、幾分冷静で、分別がある。過ち犯すことが少ない。礼儀を知っている。馬鹿なことはしない。それは、本能が弱いのではなく、本能をよく御しているから

・世間が怖いとか、悪口を言われるのがいやだとか、他人の思惑を恐れて、したいことも出来ない人間は、理性的な人物とは言えない。そういう人は、他人の制御を受けてやっとどうにか悪いことをしない人間で、他人さえ気づかなければいくらでも悪いことをする

・社会の大勢に支配されて、どうにかこうにか、あまり悪いこともせずに生きていく人は、人間を進歩させたり、文明に導いたりする力のほとんどない人

・道徳は、相手がもっともだと思ったとき、効が上がる。悪かったと思った時、ききめがある

・真の道徳心は、われらの生命を正しく生かすために与えられているものだから、それに従って生きる者は、自ずと人々の心を正しき処に導く力を持っている

・友情の価値は、両方が独立性を傷つけずにつき合えるという点にある。お互いに自己をいつわって仲よくなっているのだったら、その友情はお互いに害がある

・善良な愛すべき人は、国家にとって一番大事な人。その時の社会の命じるままに、善を善とし、悪を悪とし、別に大して疑いをはさまない人。金も名誉も嫌いではないが、ごく平凡な一生を送って、別に苦しみもしないで、楽しく暮らせればそれでいい人

・人間は何より生き抜くことが必要。死ぬまで生きること。生きている以上は何かする。自分の仕事を忠実に果たすのが大事

金とり仕事は、そのとった金で家族を養ったり、何か有益なことに使うならいいが、金とるそのことだけでは、人格を高めないし、叡智は深めない。また、良心を喜ばさない

・生き生きすること、学ぶことが必要であり、本当と思うことを行うことが必要

・真に自分の本心に従って生きようとした宗教家たちは乞食の生活を恐れなかった。現実にやっつけられても、乞食以上にやっつけられないことを知っていた彼らは、その生活に甘んじて、自分の行いたいことを行い、言いたいことを言った



昔も今も、賢人は人生を真剣に考えています。世間に流されずに、自分や社会を見つめています。

技術が発達していなくても、人生に関する考え方は変わりません。人生論の古典である本書を読むことは、現代人にとって、有意義なことではないでしょうか。


[ 2014/07/02 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)