イスラム教は、なぜ
豚肉を食べてはいけないのか?ヒンドゥー教では、なぜ
牛肉を食べないのか?禁酒や断食の習慣なども含めて、人は宗教観によって、食べるという欲望に制限がかけられています。
この問題を調査分析したのが本書です。ためになることが、数多く記されています。その一部をまとめてみました。
・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の生まれた場所は、水の少ない
植物が育ちにくい土地柄なので、食べ物に関して、厳しい契約が生まれた。仏教、儒教、道教の生まれた国は、食べ物が豊富だったので、厳しい契約は生まれなかった
・ユダヤ教の旧約聖書には、すべての収穫物は神のものだから、土地から取れる収穫量の中から、穀物であれ、果物であれ、必ず
10分の1を取り分けねばならないとの記述
・ヒンドゥー教の
供え物は、穀物、家畜、果実、花々、蜂蜜とギー(良質のバター)。供え物の種類によって、功徳の期間が違う
・儒教の供え物は、「
真水」(水こそすべての味のもと。酒は混ざりけのないもの)、「
焼き塩」(自然の味を尊ぶ)
・ユダヤ教で
食べてはいけない動物、「反すうするだけか、ひづめが分かれているだけの動物。野うさぎ、らくだ、狸、いのししなど」「ひれ、うろこのない魚類」「死肉や生きた動物を獲物にする鳥類。猛禽類、こうもりなど」「昆虫」「死肉」「血」「肉食後のチーズ」
・イスラム教で
豚を食べてはいけない理由は、「豚は反すうする家畜と野性の哺乳類の雑種であるから、食卓から追放されたという説。旧約聖書に二種の家畜を交配するなという記述」「豚肉は汚染されやすい、腐りやすい、ライ病になりやすい」
・ヒンドゥー教で
牛を食べてはいけない理由は、「牛は人間に乳を与え、土地の耕作、刈り入れ、運搬、脱穀を助けてくれる。食べるなどもってのほか」
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ユダヤ教・キリスト教> (肉に心を用いない)(貧者、敵にも惜しみなく食べ物を与えよ)(断食は過去の出来事を忘れないための苦行)(教会に、イエスの血と肉を意味する、パンとぶどう酒を拝領する)(食事の席で上席に座ってはいけない)
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イスラム教> (食べ物は神からの贈り物、その恩恵を神に感謝する)(酒は人間を欲望の虜にするので、宗教の力で禁止)(貧者に食べ物を惜しみなく与える)(いっせい集団1カ月の断食で、人の痛みを実感として共有)
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仏教> (肉食の戒め)(食べることに執着するな)(食べる量を知り、余分を求めるな)(美食の戒め)
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ヒンドゥー教> (生き物を傷つけない)(牛を大切にする)(食べ物の分かち合い。王は困った人に食べ物を与える義務)(食事は東を向いてする)(両親や師より先に食べない)(神々を礼拝し、供え物をする)(寺院に供えたお下がりの食べ物を食べると福がある)
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儒教> (酒は祭礼の時のみ飲み、時の定めなく飲まない。酔いしれない)(動物の特定の部位、内臓を忌み嫌う)(粗食で質素に。切りつめて祖先に食べ物を供える)(貪りの戒め)(食事中のマナーを守ることで、長幼・死者生者・上下関係のルールを示す)
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道教> (生き物を害してはならない)(飲酒者にならない、ほどほどに飲む)(内欲を我慢する。節度を守る)(夜間の食事は非常食)(長寿のために食べ物の選択に注意する)
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諸宗教の共通点>
1.「飽食の戒め」2.「貪りの戒め」3.「節制・節度」4.「美食の戒め、粗食」5.「飲酒の抑制または禁止」6.「恵みに対する感謝」7.「食べてはいけない食べ物」8.「肉食の戒め」9.「祭儀または祖霊崇拝」10.「博愛・分け与え」
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諸宗教の共通でない固有の点>
1.「死後の世界の有無とそこでの食べ物」 イスラム教(現世の強い締め付けの反動として、天国での飲食は豪勢) ヒンドゥー教(天国でおいしい食べ物を食べることができる)
2.「断食」 イスラム教(徹底して行う。食事を修業の一部に組み込んで精神の強化、罪のあがないを図る手段にする)
3.「喜捨、献げ物、献金など」 ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 仏教
4.「食事作法」 儒教(人間関係の円滑化のために厳重)
5.「不老長寿」 道教(医学と結びついて神仙説に及ぶほど重んじる)
6.「我慢に応じてのポイント制」 道教(食べないで我慢した場合功としてポイント)
7.「生類殺生の戒め」 仏教 ヒンドゥー教(生き物を殺したり傷つけたりしない)
私は、何でも食べるべきという考え方です。外来駆除動物のブラックバスやミドリガメまで、食べる方法を考え、昆虫のおいしいレシピを考えれば、将来の食糧不足にも対応できると思っています。
しかし、世界では、まだまだ食べてはいけないものの制約があります。それは宗教による戒めが理由です。鯨なんかも宗教観による違いの代表的な例です。食べ物をもっと科学的に考えることが、人類の平和につながるのではないでしょうか。