とは学

「・・・とは」の哲学

『森づくりの明暗―スウェーデン・オーストリアと日本』内田健一

森づくりの明暗―スウェーデン・オーストリアと日本森づくりの明暗―スウェーデン・オーストリアと日本
(2006/05/11)
内田 健一

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「森林」の産物である木材は、戦後すぐに関税が自由化されました。農林水産の中では、珍しい存在です。その結果、円高や国際競争に翻弄されて、産業として力を無くしていきました。

「北欧」は、民主主義が最も進んだ国々です。本ブログでも、度々とり上げてきました(参照:「北欧の本」)

本書は、「北欧」の国、スウェーデンが、どのような「森林政策」をとっているのかを、現地取材した書です。興味深い内容だったので、その一部をまとめてみました。



・スウェーデンの国土面積は日本の1.1倍。森林面積割合は65.9%(日本は66.7%)。森林面積も、森林面積の割合も、日本と非常に近い

・スウェーデンは、林業と、製材・製紙など林業関連製造業に従事する人口が10万人を超え、従事者の人口で見れば、スウェーデン第二位の産業

・木材と木材加工製品は、輸出額から輸入額を引いた額が、スウェーデン国内の産業中最大で、木材加工業は、国に最大の収益をもたらす基幹産業

・スウェーデン林業は、驚異的な高能率機械化林業(大型のタイヤが6個ついた収穫用機械「ハーベスタ」がアームの先で林木を根元からつかみ、鋸刃が回転し根から切り離す)で、しかも、サーチライトを装備し、昼夜を問わず24時間3交代制

・収穫や集材を担当している作業者は、多くの場合、森林企業や森林組合に雇用された者ではなく、日本でいう一人親方的な、少人数の独立した作業チーム。そして、高能率収穫用機械「ハーベスタ」(約5000万円)を所有

・スウェーデンの木材の品質は、樹種と末口径で決まる。年輪の入り具合や筋の有無などは考慮されない。日本に比べると非常に単純

・林業現場で機械を運転して木材を伐り出す森林作業者のほとんどが、農林学校の林学科出身者(農林高校は全国16か所3年制で40名)。学生の25%が森林所有者の子供

・スウェーデンの林業は、樹木を一度に伐採する「皆伐林業」。更新から伐採までの「伐期」は南部では70年~100年。日照の短い北部では、さらに20~30年ほど伐期が伸びる

1回目の間伐材は、パルプ原料またはバイオマスエネルギー原料。2回目の間伐では、パルプ用材と1割程度は製材にまわされ、3回目の間伐材は8割が製材用になり、そして主伐を迎える

・スウェーデン林業の収支は、1ha当り、経費が31~35万円、収入が114~201万円で、期間が100年。主伐まで100年かかるが、2回目の間伐以降は確実に収入になる

・スウェーデン地域森林局森林官(公務員)の作業は、「森林施業計画の作成」「森林の評価」「立木の評価」などの調査を行うこと。彼らは「独立採算制」であり、1日に30haの森林を調査しないと飯が食えない

・スウェーデンには森林ボランティアという人は存在しない。プロとして関わるか、遊びに行くかのどちらか。森林率12%のイギリスでは、プロの数が少なく、市民ボランティアの取り組みがある

・スウェーデンの森林面積のうち、10%が国や自治体が持つパブリックフォレスト。40%が企業の所有する会社有林、50%が個人所有者の森林。スウェーデンの個人所有林一戸当たりの森林面積は、日本のほぼ10倍

・日本の森林組合は、木材の伐採や素材の販売など、フタを開けてみないと黒字か赤字か分からないような「山師の商売」には手を出さず、確実に収入が得られる補助金や公共事業を中心に生計を立てる道を選んできた

・日本の森林が現在のように荒廃し、林業が補助金の麻薬中毒患者のようになってしまった原因の一端は、行政機関と森林組合の相互依存関係にある

バイオマスエネルギー原料は、買い上げ価格の設定が難しい。値を良くすれば、パルプ用材に流れなくなって製紙業者が困る。スウェーデンでは、バイオマス利用技術が既に確立しているが、技術以外の要因が今後の普及を握る鍵となる



日本とほぼ同じ森林面積を持つスウェーデンの林業が、産業として立派に成立しているのに、日本がなぜ成立していないのかを問う書です。

そこには、複雑な要素がありますが、それを一つ一つ解決していけば、日本の資源である森林も立派な産業になることが示唆されています。地方の疲弊を防ぐには、森林産業の育成しかないのかもしれません。

[ 2014/04/30 07:00 ] 北欧の本 | TB(0) | CM(0)

『人間における勝負の研究』米長邦雄

人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ (ノン・ポシェット)人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ (ノン・ポシェット)
(1993/02)
米長 邦雄

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著者は、将棋の米長邦雄さんです。一昨年亡くなられましたが、永世棋聖で、元日本将棋連盟会長をされていました。本ブログで著書を紹介するのは、「六十歳以後・植福の生き方」以来です。

本書では、将棋の世界で培った勝負勘の磨き方について詳しく述べられています。「勝負師」の意見には、参考にすべき点が多々あります。それらをまとめてみました。



・最善手を見つけることも大切だが、それよりもっと大切なのは、悪手を指さないこと。だから、悪手でない道なら、端でも真ん中でも、どこを歩いてもよい

・勝負とは、「実力の差」を別にすれば、それは、「確率」と「勢い」と「」の三つ

・本当に自分のしたい仕事があるのなら、会社に行って席についた瞬間から、必死になってそれを始めてしまえばいい。すると、その気迫は必ず周囲の人に伝わって、その人に雑事は頼めなくなる。少なくとも、雑事を頼むときには、都合を聞いてくるようになる

・最終的に頼れるのは自分自身の力だけ。このことがわかっていないと、成長できない

・何ごとにせよ、まず「集中力の持続」が勉強の要。試験であれ、芸の道であれ、青春時代に合計5~6000時間集中的に努力を維持した者が認められるというのが、世の中

・カンというのは、ものすごいスピードで考え、読み切った結果として生じるもの。あるいは、読まずに済むところは読まないで済ますこと。つまり、「読み」の省略があること

・第一感というのは、「長考に妙手なし」。大事なことだからこそ、簡単に決めるべき

・強くなるためには、物事の好き嫌いをなくすこと。人間を鍛える場合に「好き嫌い」などという甘えた考えは認められない

長所を伸ばすという教育法は、アマチュアの芸で、成長のきっかけとしては認められるが、プロには当てはまらない

・まずいのは、勝ちそうになった時、ああじゃこうじゃ、と喋ること。これは勝ちを逃す

・100点に向かって全部の力を出し切る時がなくてはダメ。危険を承知で、あえて踏み切っていくうちに、成長していく

・トップクラスの将棋の間には、読みの能力、思考の能力において、差はない。ギリギリのところまで力を高めた同士が戦った場合、勝敗を決するのは、ほんのわずかなカンの差

・難局になると、相手の側に立って考え、一番難しい手を指し、相手がわからなくなるような局面に導いていく。いわば泥沼に引きずり込む

・強い棋士ほど、パターンから外れて戦おうとする。つまり、パターンで戦うというのは、強い人と弱い人との間にある力の差が出にくいということ

・泥試合になったら、本当の力の勝負になる。力の勝負になれば、順当に強い者が勝つ。だから、強い人ほど泥沼で戦いたがる

・「弱い者ほど結論を先に出したがる」というのは勝負の鉄則

・世間の噂や誤解に基づく非難に対しては、しばらく、じっと静かに耐えているのがいい。こちらが正しければ、そのうち真相がわかってくる。不利な時に騒ぐのが一番まずい

・少し勝ち続けると、人は遊びほうけたり、気が大きくなる。勝っている時にはじっとしているのが大切。遊ぶのは負けている時のほうがいい

・好調を維持する時や、不調から脱出しようとする時は、「勝ってほしい」と本当に思ってくれる人と会うのがいい。墓参りに行くのもいい。先祖は、よかれと思ってくれている

・サラリーマンで、会社に貸しをつくった人は、会社の中で住みやすくなる。その人に対して、つまらない文句を言う人がいなくなるから

・遊びとは、仕事の影。だから、大きな仕事の影は、やはり大きくて当たり前

・集中力がなければ、何事をやっても成功しない。少年時代に集中力を身につけるのが一番の財産



将棋の「勝負の研究」だけでなく、人生の「勝負の研究」にも幅広く言及されています。20年前に書かれたものですが、ずっと版を重ねている書です。

人生とは、選択と勝負の積み重ね。白黒をはっきりさせないと、進めないものかもしれません。


[ 2014/04/28 07:00 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『日本人を動かす原理・日本的革命の哲学』山本七平

日本人を動かす原理 日本的革命の哲学 (PHP文庫)日本人を動かす原理 日本的革命の哲学 (PHP文庫)
(2013/08/09)
山本 七平

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本書は、明恵上人が、北条泰時の制定した「貞永式目」に与えた影響を探る書です。「貞永式目」はその後、江戸時代末期まで、日本人の行動原理の規範となっていきました。

明恵上人に関する書は、「法然対明恵」「明恵夢を生きる」に次ぎ3冊目ですが、本書は、新たな明恵上人を知る契機になりました。その一部をまとめてみました。



・尊皇思想から戦前の皇国史観の長い時代を考えれば、承久の乱で、朝廷に勝利し、立法権を奪った北条泰時を極悪人と評価しても不思議ではない。だが、泰時だけは別で、彼がベタホメされるのは、日本人の心底にある「理想像」を彼が具現化していたからである

・「関ヶ原」は「天下分け目の戦い」と言われるが、歴史的な分かれ道という意味では、「承久の乱」こそ天下の分け目。関ヶ原はいずれが勝っても武家政権の体制に変化はないが、承久の乱は律令以来の天皇制に終止符を打ち、武家が政権担当することを決定づけたから

・恩賞は栄誉と実益の両方あるから難しい。この問題は後々まで泰時を悩まし、承久の乱後十年後まで続く。関東御成敗式目(貞永式目)も、この問題が色濃く影を落としている

・泰時が心の底から尊敬したのは明恵上人、同時に、泰時に決定的な感動を与えたのも明恵上人。これは二人が交わした歌にも表れている。天皇も上皇も泰時には絶対でなかった

・泰時に必要なのは、天皇でもない幕府でもない、現実の体制の外にある「利害に関係ない何か」。それを絶対化し、秩序を立てること。この「何か」は、日本の伝統を基本としながら現実の体制に無関係なもの。彼が明恵上人から得たのは、その「何か」であった

・明恵上人は、「心をつくし、精神をつくし、力をつくし」釈尊と仏母を愛した人。「硬質の仏教者」として「学究」の人。「専修念仏」への批判者。森羅万象を兄弟のように見る人

・明恵上人にとっては釈尊が絶対であって、天皇家が絶対なのではない。となれば、幕府も絶対でないのも当然。したがって、泰時の前に引きすえられたときの態度も全く同じ

・戦争の勝者は、政権の持続的保持を約束されていない。保持には別の原理原則が必要。それを知らなければ、泰時にも敗滅と断罪が待っている。彼がそれを明恵上人に質問をしても不思議ではない

・「自然的秩序」を無視した継受法は、神権的権威でこれを施行しても「名存実亡」となり、同時にその間隙を縫って利権が発生し、如何ともしがたい様相を呈する。明恵・泰時的政治思想の背後には、まず「自然的秩序」の根源に立ち、それを知ることという発想がある

・「今ある秩序」を「あるがままに認める」なら、やがて自らが作り出す「式目」の基になる体制も、あるがままであって一向に差し支えない。徳川期になって朱子の正統論が浸透するまでは、明恵・泰時政治思想の基本「日本の自然的秩序」なら、それでよかった

・明恵上人が座右の銘のように口にした言葉「あるべきようは」は、僧に対して、それぞれの素質に応じて行をして解脱を求めるように、その行を「あるべきように」行えといった意味であったが、後に、一般人すべてに共通する規範として受け取られるようになった

・内的規範がそのまま外的規範のようになるのが「あるべきようは」。「心の実法に実ある」振舞いが、自然的な秩序となって、戎法に一致すること。それも固定的ではなく「時に臨みて、あるべきように」あればよい。泰時にとっては「法」もこういったもの

・「自然的秩序絶対」は明恵上人が残した最大の遺産。そして、その教えを、実に生真面目に実行した最初の俗人が泰時。もしこのとき、泰時が、明恵上人でなく、別の誰かに心服していれば、中国を模範とした李朝下の韓国のような体制になっていたかもしれない

・泰時は常に質素で飾らず、館の造作も気にかけなかった。家の塀が破れて中が見えるほどだから修理をすすめられても、人夫にそのような作業をさせるのは煩わしいと断った

・時代とともに「式目」は浸透し、日本人の「秩序意識」の基となった。足利時代の武家法であった「建武式目」は「貞永式目」の追加法にすぎなかった。徳川時代は、「式目」が「法律書」でなく教科書、教養書になり、日本人の意識の中にさらに深く浸透していった

・日本人最初の固有法・成文法「貞永式目」は、所有権・相続権から贈与・担保・売買・徴税・賭博から治安等に至るまで、生活を規定する「世俗法」。しかし、基本は「武家法」で、「軍法」的要素がある。この軍法的秩序が社会秩序の基本となった点が日本の特徴

・泰時の考えは、皆が「自然的秩序」通りに生活すれば「法」など要らぬというもの。明恵上人の言う「実法に実なること」がそのまま戎法になり、人為のない「自然的秩序」の世界になるはずだから、「裁判より話し合いによる互譲の解決」を求めたのは当然だった



山本七平さんの著書を紹介するのはこれで4冊目ですが、毎回、その幅広く奥深い教養に感嘆します。

本書は、私たちが何気なくとっている行動が、実は鎌倉時代につくられたもの、明恵上人の影響を受けたもの、ということを知る興味深い書です。


[ 2014/04/25 07:00 ] 山本七平・本 | TB(0) | CM(0)

『考えるヒント生きるヒント』ジェームズ・アレン

考えるヒント 生きるヒント―人生成功への50の黄金律 (Goma books)考えるヒント 生きるヒント―人生成功への50の黄金律 (Goma books)
(1997/10)
ジェームズ アレン

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本書は、1902年出版の自己啓発本の古典とも言うべき書で、今も、世界中で根強い人気を保ち続けています。著者は、トルストイと仏陀を愛したプロテスタントです。今でも世界中で愛される理由は、そんなところにあるのかもしれません。

この本は、著者が出版した全19冊の中の、無名時代にあたる2冊目の書です。その一部をまとめてみました。



・「人は密かに考え、その通りの者となる」という金言は、人格はもとより、人生を構成するいかなる要素にも当てはまるもの

・行いは思考の花であり、喜びや悲しみはその果実である。そうやって人は、自分が育む、甘い、あるいは苦い果実を収穫し続ける

・心は、それ自身が密かに抱いているものを引き寄せる。環境は、心がそれ自身と同種のものを受け取るための媒体である

・人が手にするものは、その入手を願い祈るものではなく、公正な報酬として受け取るものである

・富が正しく入手され、賢く用いられたときにのみ、喜びと富は一つになる。そして、貧しい者は、自分の人生を不公正な重荷ととらえたときに、深い苦悩の中へ落ち込んでいく

憂鬱な顔は偶然の産物ではない。それは、憂鬱な心によって造られる。醜い皺は、愚かな思考、理性を欠いた思考、高慢な思考によって刻まれる

・思考と目標が結びつかない限り、価値ある物事は達成されえない。人生の目標を持たない人々は、極めて容易に、不安や恐怖、自己憐憫などの犠牲者となりがちである

・年長者たちの顔には、さまざまな皺が刻まれる。皺は思いやりによっても、純粋な強い思考によっても、また理性を欠いた思考によっても造られる

・思考は、目標と勇敢に結びついたとき、創造のパワーとなる

・人は、自分の弱さを克服し、あらゆる利己的な思考を排除しているとき、抑圧者、被抑圧者のどちらにも属することがない。そのとき彼は自由である

・人は、いかなる価値ある物事を達成するためにも、奴隷的思考と動物的思考への耽溺から脱却しなくてはならない

・自分の思考の正しい管理を怠っている限り、人は、重要な責任を遂行しうる地位に決してつくことはできない

・大きな目標を達成できないでいる人々は、とりあえず、当面の義務の完璧な遂行に思考を集中すべきである。それが、真の集中力と自己管理能力の開発を可能にする

・宇宙は、表面的にはどのように見えようとも、貪欲な者不正直な者、不道徳な者を決して援助はしない

・あらゆる知的達成が、粘り強い努力と、非利己的で純粋な思考の、自然な結果に他ならない

成功を維持するためには、警戒が不可欠である。しかし人は、成功の達成とともに手を抜いてしまい、あっという間に落伍者の群の中に転落しがちである

・ビジョンを持つことだ。理想を抱くことだ。あなたの心をこよなく鼓舞するもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが純粋な心で愛することのできるものを、しっかりと胸に抱くことだ

・あらゆる成功が、仕上げられた思考であり、達成された目標であり、現実化されたビジョンである

穏やかな人物は、自分を正しく管理する術を学んでおり、自分自身を他の人々に容易に順応させられる。人は穏やかになればなるほど、より大きな成功、より大きな影響力、より大きな権威を手にできる



著者が一貫して述べていることは、「自分こそが自分自身の造り手という真実に気づくべき」ということです。

そう思い、行動すれば、自分を再生することが可能だということ。今からでも、遅くないのではないでしょうか。


『大停滞の時代を超えて』山崎正和

大停滞の時代を超えて (中公叢書)大停滞の時代を超えて (中公叢書)
(2013/07/09)
山崎 正和

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著者の本を紹介するのは、「社交する人間」に次ぎ、2冊目です。本書は、読売新聞や中央公論などに寄稿されたものを再編集した書です。

劇作家、評論家、思想家としての顔を持つ著者ですが、本書は、珍しく時事問題を論ずる内容です。斬新な切り口の論評に、気づかされることが多々ありました。それらの一部をまとめてみました。



・国際会議は二国間交渉とは違って、必ず第三国を巻き込み、それを納得させる言葉を必要とする。しかも、その言葉は当事者の利益を表現するだけではなく、各国の見栄や面子を操る美辞麗句を含まねばならない。国際会議は舞台上に繰り広げられる演劇である

・言葉は対話ではなく鼎話構造を持つ。実際、二者間の伝達は、言葉ではなく、肉体の実力行使によっても可能であり、怒りや憎しみは殴打や無視によって、愛情は微笑や抱擁によって、言葉によるよりも切実に伝えられる

・個人主義には、他者に自己を主張する「堅い個人主義」と、自己を表現する「柔らかい個人主義」の二種類が並立する。日本人は「柔らかい個人主義」の先駆的位置にいるが、反面この柔らかい個人主義の社会は、急激な危機に弱く、一転して集団主義の相貌を示す

・大きな人口の規模は、個人に自立と政治的自由を保証する。都市では地縁や血縁による締めつけも弱くなり、選挙の際の利益誘導も難しくなる。都市の無名性は、犯罪の土壌となる危険性もあるが、生活スタイルの自由をもたらす点では、それを上回る価値がある

・金銭は将来いつか他人から身を守り、他人を支配するための準備であって、客観的な数値で量られる武力に似ている。拝金主義者にとって、他人は潜在的な敵にほかならず、社会はゼロサムゲームの戦場に見える

・人生に金銭は不可欠、金銭に欲望を持つのも自然、投機も資本主義経済に不可欠というが、忘れてならないのは、文明社会では必要であることと礼賛することは別。必要なことも恥じらいながらするのが文明であって、この恥のありなしが社会の品格を決める

・公共的使命のもとに、経営者の知恵と感性によって、精緻に編まれた組織は、一種の文化財。内に幸福な従業員を抱え、外に満足した消費者をつなぎとめる企業は、少なくとも一つの生命体

資本と労働との関係は長い歴史を持つ。人類は労働権の適切な保護に知恵を絞ってきた。これに比べ、資本と経営の分離の歴史は浅い

・社会の倫理性を自然に高めるためには、人が職業人の誇りを抱き、結果として「恥を知ること」が第一。そのさい「高貴なる者の責任」を本人が自覚するのは当然だが、この自覚はその高貴さを社会が敬うことで支えられる

・今日の地域を貧しくしているのは、たんに金銭的な富の欠乏だけではなく、文化力が衰退したという思いと、それに伴う誇りの喪失が原因

・民主主義とは言葉による政治。そして政治の言葉は、抽象的な理念と具体的な政策の的確な組み合わせでなければならない

・互いに表現し、認め合う場は、固い組織ではなく、「社交」と呼ぶべき緩やかな関係。社交は、強い指導者と指揮系統を備え、力を評価基準にする組織とは逆。中心人物はいるが、権力も指揮系統もなく、自由な個人が自発的に集まる。人間的な魅力が評価基準となる

個人の欲望と社会の規制は、どちらも主張と要求が命であって、個人が飽食と淫奔と自己顕示を求めれば、社会は節約と禁欲と自己規制を命令する

・「」は、社会秩序の逸脱の世界に生まれ、虚栄心の逆説で逆転させて生じた美徳

・科学の基礎は観察と実験だとされるが、このどちらも想像力に左右される。統計と帰納とコンピュータの能力だけでは、科学は萎縮してしまう

・道徳と諺をつなぐものは、繰り返し。より抽象的に言えば、身体の習慣。諺や箴言が口になじむ言葉だということは、言葉が朗唱や暗唱に適していて、身体の癖になりやすいことを意味する。「口癖」になり、折に触れて「口をついて出る」のが諺の特色

・自らの営みを強く誇りとしながら、他人に追従や模倣を要求しないのが嗜みの本質。同じ意味で、伝統承継者が尊敬されるのも、彼らが自律の心に徹し、流行の追随をむしろ秘かに軽蔑しているところにある



著者は、大停滞の時代を超えていくためには、人類の文明史を一貫した流れとして捉える理解が必要との見解です。

この閉塞感に覆われた社会を生きていくためには、今一度、事の本質を解き明かすことが大事なのではないでしょうか。


[ 2014/04/21 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『ショーペンハウアー・自分を救う幸福論』

ショーペンハウアー 自分を救う幸福論ショーペンハウアー 自分を救う幸福論
(2012/12/08)
ショーペンハウアー

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ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの本をとりあげるのは、これで5冊目です。ゲーテと交わり、ニーチェやトルストイにも影響を与えた人ですが、金言集、小品集なども出版している気さくな哲学者です。

本書には、200の哲学が載っています。その中から、いくつかをまとめてみました。



・苦痛のない状態にあって、退屈がなければ、この世の幸福を達成したものと見てよい。それ以外のものはすべて幻想だから

どんなことに悲しんでいるかがわかれば、その人の幸福度がわかる。小さなことを悲しんでいれば、それだけ幸せということ

・われわれは、暖かさを求めて、無意識にストーブや日向に近づくように、心地よい優越感を与えてくれそうな相手に接近する

俗物には、富、社会的地位、権勢、威力などで他人から尊敬されたいという虚栄心や、これらのものを持った人と付き合うという虚栄心もある。彼らは、理想によって慰められず、いつも現実的なものを必要としている

・医者は人間の弱い面だけを見て、法律家は人間の悪い面だけを見る。さらには宗教家は人間の馬鹿な面だけを見る

・誰も人様をほめるのは、自分にもそれができる見込みがあると思う範囲に限られる

・自分の欠点に気づくには、その同じ欠点を他人が持っているのに気がつき、それを心の中で非難・批判するのが適切なやり方。自分を矯正するには鏡が必要

・他人は、なるべく賞賛したくないから、自分で自分を賞賛する心境に達した人が幸せ

・人間の金銭上の満足は、要求の強さと所有する財産との比率によって決まる。要求が小さければ、財産がなくとも満足は得られる

・精神的能力の高い人は、自然に非社交的になる

・平凡な人たちは、すぐに仲間になるが、優れた人はそうはいかない。しかし、優れた人たちも、似たところがある相手を見つけると、嬉しくなるもの

・人の意見には反論しないほうがよい。変なことを信じている人の考えを変えようとしたら、何年経ってもケリがつかない。人の感情を害するのは簡単だが、人を矯正するのは、相当難しい

・人に対しては、寛大すぎても優しすぎてもいけない。交際上の優位を持つには、他人を何ら必要としないこと、そしてそういう素振りを見せること

・知的でない楽しみはすべて低級である。その目的が何であっても、行きつくところはすべて、願望、期待、懸念、達成などへの欲望である

・青年期には観察力が、老年期には思考力が強く出る。したがって、青年期は詩の時期であり、老年期は哲学の時期である

・一生の終わりごろは、人が仮面舞踏会の終わりに仮面を取るのと似たようなもの。自分が一生の間、接触してきた人たちが、本当はどのような人間であったか、今となっては明らかとなる

・人々がふつう運命と言っているものは、たいていは自らまいた種のことである

・たいていの人は、人生を振り返ってみたとき、自分が一時しのぎの連続で生涯を暮らしてきたことを発見する

・われわれが生きていて喜びを感じるのは、何かに向けて努力・追求している時か、純粋に知的活動をしている時だけ

・他人は、苦痛や窮乏や危険や困難に陥っているときだけ、われわれの関心を呼び起こす



ショーペンハウアーは、裕福な商人の息子として生まれ、父親の死後、遺産を継ぎ、一生涯独身を貫いた人です。社交的だった親に反して、孤独を愛する人でした。

その鋭い人間観察力は、そういったところから生まれたのかもしれません。ちょっと人生を振り返ってみたくなったときに、ショーペンハウアーの書を読んでみたくなります。