とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『勝ち続ける意志力』梅原大吾

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)勝ち続ける意志力 (小学館101新書)
(2012/04/02)
梅原 大吾

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著者は、1998年に17歳で世界一のプロゲーマーになってから、「最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」として、ギネスに認定されている方です。

世界一になっても、世界一で居続けることは難しいものです。その課題に、どう立ち向かっていったのかが、本書に記されています。

将棋、囲碁、麻雀のプロが書いた本を何度も読みましたが、プロゲーマーの本は初めてです。日進月歩変り行く世界なので、それにどう対処されたのか興味が湧くところです。その一部をまとめてみました。



・プラスとマイナス、その両方を分析して努力を続けない限り、勝ち続けることはできない。自分の才能に頼るとか、一つの勝ち方にこだわるような人は、必ず落ちていく

・勝ち続けるためには、勝って天狗にならず、負けてなお卑屈にならないという絶妙な精神状態を保つことで、バランスを崩さず真摯にゲームと向き合い続ける必要がある

・自分が勝てたのは、知識、技術の正確さ、経験、練習量といった当たり前の積み重ねがあったからで、得体の知れない自分という存在が相手を圧倒して手にした勝利などでは決してない

・センスや運、一夜漬けで勝利を手にしてきた人間は勝負弱い

・勢い任せで分析を怠ってきた人間は、究極の勝負の場面でススススット引かざるを得なくなる。覚悟を持って戦いに挑んでいる相手を前にすると、自信を持って前に出て行くことができなくなる

・周りの人間は結果のみで評価する。だから、自分にしか分からない努力を続けている最中は、誰にも認められない。物事の表面しか見ることができず、深く考察しない人間は、努力の過程を見ることなく、結果だけを見て、バカだ無謀だと吐き捨てる

・自分だけのもので、永遠に自分を勝ち続けさせてくれるものは、新しい戦術(特許)を生み出す努力であり、発見に必要なノウハウ。そこに気づいてから、真似されても何とも思わなくなった

・気になったことは必ずメモする。後で絶対に解決しないといけないと心に決め、直感的に「問題になるかも」と感じたことは、すべてわかりやすく箇条書きにする

・ゲームの世界での日々の変化とは、専門的な戦術(攻め方、守り方、攻撃パターン、技の組み合わせ、技を出すタイミング、自分が選ぶキャラクターと相手が選ぶキャラクターの相性・・・)。対戦というものを細分化し、少しずつ変化させる

・勝負の世界において、人の目を気にすることはマイナスでしかない。なぜなら、人の目を気にしていると本来やるべき行動を継続できないから

自分を持っている人は、「俺はこれでいい」と確信できている人なので、圧倒的な集中力がある

集中力とは、他人の目を排斥し、自分自身とどれだけ向き合うかにおいて養えるもの

・結局、型にはまってしまうのは、失敗を避け、有名になりたいとか、目立ちたいとか、誰かに認めてもらいたいと願う欲望。その欲望が自分を萎縮させてしまう

・「自分が正しいと思った行動をしてみる」という子供のような純粋さを取り戻したことで、勝率が上がった

・人の心を動かすのは、やはり本能に従った純粋なファイト

・考えることを放棄して、ただ時間と数をこなすのは努力ではない。それはある意味楽をしている

・自分を痛めつけていると、努力しているような気になる。しかし、そんな努力からは、痛みと傷以外の何も生まれてこない

・甘すぎることもなく、厳しすぎることもない。10年続けられる努力であれば、ちょうどいい



最後に、著者は、「勝ち続ける人間は、運が悪くても勝てる道を追求し続ける」。そして、「運・不運なんて関係ないと断言できるようになった者のみが、運・不運すらも超える、神の領域へと踏み込んでいける」と述べています。

運を味方につけて勝つのではなく、不運でも勝つことが、勝ち続けるということではないでしょうか。


[ 2014/03/31 07:00 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『骨董の言葉・一〇七七の用語と五二の成句』伊藤順一

骨董の言葉―一〇七七の用語と五二の成句骨董の言葉―一〇七七の用語と五二の成句
(2013/12)
伊藤 順一

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骨董や古美術の業界用語には、「隠語」が多いとされています。価値も値段も判断しづらく、騙し騙されが日常化されている世界です。

こういう世界で、われわれ日本人は、伝統的に、どんな言葉を使ってきたのか、興味の湧くところです。それらを少しだけですが、まとめてみました。



・「初(うぶ)」 今まで市場や店頭に出たことがなく、他人の眼に触れていない骨董・古美術品。また、新しい出土品や将来品なども、初、初いという

・「下手物(げてもの)」 大量に生産される民衆用の日用雑器の類を下手物と称する。中には質の高い工芸美を有するものがあり、柳宗悦はこれを「用の美」と言った

・「残欠(ざんけつ)」 欠け残ったもの。仏教美術において、仏像本体はないのに、その手だけ、蓮弁の一ひらなど残ったものを残欠と言う。日本人はその残欠から仏全体の優美な姿を思い、残欠の美として観賞する

・「時代付け」 新物を時代のある真物に見せるために施す手法のこと。古い時代の箱を合わせたり、漆や金属の表面に手を入れ、自然の手擦れのように見せたり、薬品で錆を作ったり、書画を茶湯に浸し、古い紙に見せたりすること

・「3D(スリーデー)」 いったんコレクターの手に納まった美術品が再び市場に出てくるのは十数年以上経過するものだが、例外は、持ち主が死亡(Death)、離婚(Divorce)、借金の形(Debt)の三つのケースで、これをオークション用語で3Dという

・「せどり」 同業者の中間に立って、注文品や探求品を聞き出し、これを捜して売買の取次をして口銭を稼ぐこと、また、それを業とする人。また、地方や新規開店の古書店から探求書などを抜き取り、他店に持ち込んでサヤを稼ぐこと、また、それを業とする人

・「飛し(とばし)」 紙本の書画を二枚に剥がし、二枚の真筆を作ること。下側の一枚は色も薄く、落款も不鮮明であるが、これを元箱に入れて売る悪徳商法の一つ。近年は、経済的損失を他に転嫁して隠蔽する手法を「とばし」と称している

・「ボツ」 陶磁器の焼成後に表面に生じた染みのこと

・「飽きやすの惚れやす」 手に入れた物をすぐに飽きてしまう人に限って、物にすぐ惚れてしまう、いつまで経っても、この繰り返しをやっている人を揶揄していう言葉

・「金惜しみ」 真正な物でも、その値段は高額すぎて不合理だと考え、とにかく安く掘り出しだけを狙い、結果として贋物を手にしてしまうこと(人)をいう

・「奇貨居くべし(きかおくべし)」 珍しい品物は機会を逃さず買っておけば後に利益になる。好機を逸してはならないというたとえ

・「玉を懐いて罪あり」 身分不相応なものを持つと、とかく災いを招きやすいもの

・「素人十倍玄人百倍」 素人は相場の十分の一くらいの値段で、玄人なら百分の一くらいの値段でよい物を手に入れたとき、それぐらいを掘り出しという。骨董業界の掘り出しの目安

・「話(ストーリー)で物を買うな」 コレクターの琴線に触れるような物語(出所や来歴、逸話など)が付いている物には往々にして贋物や安物がある。骨董買いはストーリーで買うのではなく、物そのものの価値で買うものだという骨董買いの基本をいった言葉

・「遠くのものには手を出すな」 よくわからないものは買わないほうがよい。株式投資などでも使われる言葉

・「二度目の見直し三度目の正直」 一度見ただけでは不確実、二度目見たときに見直すことがあり、三度目見てはじめて正確に観察(判断)できるもの

・「一目にて見るは二目にて見るに如かず」 個人の見解よりも多数の人の見解のほうが正しい

・「貧乏光り」 木地や金属製の骨董・古美術品を磨きすぎて、本来の見所であるせっかくの古色を落としてしまった光沢をいう

・「物は常に好む所に聚(あつ)まる」 物は必ずその物を好む人の所へ集まってくる



骨董・古美術品業界の「隠語」だったものが、われわれが日常使っている「日本語」に昇格した言葉も数多くあります。

こういう言葉を覗き見ると、人間はウソをつき、人を騙し、姑息に儲けようとする生き物だということがわかります。お金があろうと、なかろうと、それらは変わらないのかもしれません。


[ 2014/03/28 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『人は死んだらオシマイよ。』山田風太郎

人は死んだらオシマイよ。 (PHP文庫)人は死んだらオシマイよ。 (PHP文庫)
(2006/02)
山田 風太郎

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山田風太郎氏の本を紹介するのは、「人間魔界図巻」「人間風眼帖」に次、3冊目です。

本書は、山田風太郎氏の小説、エッセイの中から、生と死について語った言葉を集めたものです。冷たいようでいて暖かい、氏の性格がよく表れているものが数多く載っています。それらをまとめてみました。



・もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。したがって、社会の様相も一変するだろう。そして、歴史そのものが一変するだろう

・ダメ人間の典型のような啄木は、数限りもないダメ人間たちの共鳴に支持されて、「大詩人啄木」の讃歌は永遠に消えそうにない。これが人間世界の面白さ。生きている間は優勝劣敗の法則に支配されるが、死後までを通観すると、必ずしもそうでないのが人間の世界

・男の世界は、男が二人おれば、食うか食われるかの関係にすぎない。悪などという言葉にとらわれないのがいい。天下を取るためには悪人にならねばならない。いや、大悪人にならねば天下を取れない

・強いやつには弱く、弱いやつには強いというのは、日本人のいちばん情けない癖

・人間は青年で完成し、老いるに従って未完成になっていき、死に至って無となる

・予想というものは、一般に希望の別名であることが多い。希望とは自分の利益となる空想である

・この世に一万人の人間がいるとするなら、そのうち九千九百九十人までが、ばかで、弱虫で、そいつを十人ほどの利口で強い奴が、おだてたり、だましたり、おどしたりして、いいように絞りあげている

・「金は出すが、口は出さない」という奇特な人は意外にいる。銀行の預金者、それから、日本の納税者。「金は出せ、その代わり口を出してもいい」というのは女房。「金は出せ、口を出すな」というのは、セガレや娘が親に対して言いたいセリフ

・金がくだらぬものと承知しているゆえに、そのくだらぬ金のことで苦労するのはいやなもの

・人間、いちばん気にかかり、気にさわるのは、自分とよく似た型の人間。これこそ出世競争の敵だから

・夢の中の恐怖ほど、恐怖の純粋形はない

・「去る者を追わず、来る者は拒まない人」は人生の達人、「去る人を追わず、来る者は拒む人」、これは厭人病で、私などこれに近い

・人に同情を与えることは、必ずしも軽蔑することではないが、人の同情を受けることは、軽蔑を受けることと同様である

・みんな日本が破産状態になるとか何とか脅すけれど、太平洋戦争の敗北のときでさえ凌いだのだから、あれに比べれば、コップの中の嵐みたいなもので、破滅状態にはならないと思う

・人生は野球や将棋や麻雀ほど純粋ではない。だから、それだけ、こういうレクリエーションが愉しいといえる。人生と同じだったら、レクリエーションにはならない

・「あの世」への親近感などないが、「この世」への違和感ならある。いわゆる「厭世観」というやつ。ただしほんのちょっぴり

長命の人々は、みんな春風たいとう、無欲てんたんのお人柄かと思ったら、そうではなく、みんな人の頭でも踏みつけて人生を越えてきたような個性の持ち主に見える

・人の生まれ方は一つだが、死にゆく姿は万人万様である

・いろいろあったが、死んでみりゃあ、なんてこった、はじめから居なかったのと同じじゃないか、みなの衆

死者への記憶は、潮がひいて砂に残った小さな水たまりに似ている。やがて、それも干あがる



死と人生とお金、これらは一体何なのか、山田風太郎氏の見解と結論が、本書に記されているように感じました。

それらは、あるものをないように思い、ないかもしれないものをあるように思っているだけ、ということだと思います。


[ 2014/03/26 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『このムダな努力をやめなさい』成毛眞

このムダな努力をやめなさい: 「偽善者」になるな、「偽悪者」になれこのムダな努力をやめなさい: 「偽善者」になるな、「偽悪者」になれ
(2012/10/09)
成毛 眞

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著者は、元日本マイクロソフトの社長です。時々、マスコミにも登場されています。以前聴いたラジオの番組で、自分と似た部分を感じたので、本書を手に取りました。

日本の異端児とも言える著者ですが、世界では常識人です。本書は、この常識人の目で、日本社会と日本人の特殊性を述べたものです。その一部をまとめてみました。



・努力には「時間」がかかる。時間がかかるということは「お金」や「労力」もかかる。そういった「コスト意識」がないと、ムダな努力を重ねてしまう。だから、努力も「選別」する必要がある

・仕事でたいして使いもしないのに英語を勉強するのはムダ。今役に立っていないスキルが将来役に立つ可能性は低い。どうせやるなら、もっと仕事に直結する勉強をしたほうがいい

・人に好かれるための努力なんて無意味。好かれる人は何もしなくても好かれるし、嫌われる人は何をやっても嫌われる。そして、ビジネスにおいては「好かれる」必要はない。それよりも「信頼される」ことが重要

・外資系企業に勤めているなら、20代からがむしゃらに働く意味はあるが、日本の企業の場合、細く長く働けるようにセーブしたほうがいい。一生サラリーマンで終えるつもりなら、過労死するまで働くなど、もってのほか

・親鸞聖人の教えに「善人ばかりの家庭は争いが絶えない」というものがある。自分が善人だと思っていたら、相手が自分とは違う考えや行動をとったときに、それは「悪」だと決めつける。「自分が正しい」と思っていたら互いに譲らない。だから、争いが絶えない

善人に煙たがられるような人間のほうが、実は自由に生きている

・人を傷つけない人、不愉快にさせない人は、優しい人間のように思えるが、それは自分が嫌われ者になりたくないだけ。マイナスの要素がない代わりにプラスの要素もない

・善人に憧れる日本人は、謝罪を好むようになった。戦後60年以上たった今でも中国や韓国に謝罪している。中国や韓国は本気で謝罪を望んでいるわけではなく、外交カードとして要求している現実を、なぜ直視できないのか

・中国や韓国はしたたかで、世界で自国を売り込んでいるし、自国の利益になるためなら平気で裏取引もする。お人好しの日本人は指をくわえて見ているだけで、技術や人材を盗まれてもオロオロしている

・人には無限の可能性があるといった、きれいごとに騙されてはいけない。人の可能性は有限。育った環境でその人の将来の9割は決まる

・「ビジネスはしょせんビジネス」。必要以上に会社に「期待」も「依存」もしないこと

ムダな努力をしない人は、付き合う人を決め、それ以外の人とは交流を断つ。自分にとって意味を持たない人と一緒にいるのは時間のムダ。話が合わないのに、話題をあれこれ考えるのは労力のムダ

・権力を握ったときに孤独に耐えられる人間こそ、成功者になれる。孤独のほうが気楽だと思えるタイプ

・友人にも「質」がある。表面的な付き合いをする程度の「友人」なら、いくらでも増やせるが、増やしたところで意味がない

・昔から上から目線でものを見てきたのは、自分が一番優秀だと思っていなければ、仕事がうまくいかないと考えているから

・「自分が一番すごい」と思っていたら、他人から否定されても、それほど腹が立たない。「この人にはわからないか。しょうがない」と、こちらから切り捨てられる

・北大路魯山人は、「わかるヤツには一言いってもわかる。わからぬヤツにはどういったってわからぬ」と言っている。わからぬヤツにわかってもらおうと努力するのはムダ

・成功者というのは「後悔しない人間」。どんな結果になっても、すぐに忘れてしまう。「失敗に興味がない」とも言える。「反省」してもいいが、「後悔」してはいけない

・情報は知るのも大事、知らせるのも大事。情報の量によって自分の将来は決まる。情報をうまく操れる人がチャンスをつかむ


著者は、合理的に判断する人ですが、そこが、日本人に最も欠けているところです。日本人は、合理的、数学的、金銭的にものごとを考えれば、単純に解決できるところを、感情論を持ち込もうとします。

グローバル間における話し合いの基本は、合理的に解決し、感情論を排除していくことなのですが、その辺りのことが、日本の知識人にもよくわかっていません。本書に納得できる人は、世界のどこに行っても、活躍できるのではないでしょうか。


[ 2014/03/24 07:00 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明』黄文雄

森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明 (アマゾン文庫)森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明 (アマゾン文庫)
(2010/03/02)
黄 文雄

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著者の本を紹介するのは、「厚黒学」「中国陰謀学入門」に次ぎ、3冊目です。本書も、中国及び中国人に関する書です。

そのキーワードを日本は「共生」、中国は「寄生」として、台湾出身者の視点で日中文明論を展開されています。興味深い切り口の数々をまとめてみました。



・文明の衰退は、地力の過剰な収奪による表土流出、土砂堆積、水資源枯渇、砂漠化、森林喪失、そして水旱、疫病などによって、地力が衰退することで起こる。流民や難民は別天地を探し、そこでまた地力を収奪する。こうして生まれたのが中国の寄生文明

森林を破壊する文明が地球に広がると、一神教が支配的な思想となる。一方、アニミズムの世界に生きて、自然と人間あるいは森と人間が共生するような文明は、未開であり野蛮なものと見なされるようになる

・中国人と日本人の国民性を一言で言えば、木を伐る民族木を植える民族の違いに尽きる。それは、寄生の文明と共生の文明という風土から育てられた民族性である

・中国の森林喪失は、避けられない文明の法則や自然観によるもの。孔孟(孔子と孟子)の人間優先思想と老荘(老子と荘子)の自然優先思想の対決の中で、漢代の儒家独尊国家政策により、人間的価値が自然的価値より優先となったから

・日本人ボランティアの植林パフォーマンスとして、中国へ植林に行く者があるが、これほど偽善的な行為はない。中国は禿げ山だらけで、砂漠化は昂進しているが、数億の農村余剰人口がいる。1人当たり生産性はアメリカの150分の1。ヒマ人だらけ

・「砂漠」と「砂漠化」は違う。もともと降水量が少なく植物が生育できない土地が「砂漠」であり、本来は植物があったのに、何らかの原因で不毛の地になる現象が「砂漠化」。中国の砂漠化はとくに深刻。砂漠化した国土面積はすでに全国土の3分の1にまで達している

・中国は常に「発展途上国」として語られ論じられているが、実はすでに数千年来、開発しつくされた過剰開発国家

・過剰な人口を養うための生活用水や急発展の工業を支える工業用水は地下水に頼っているため、全国的な地下水の低下、地盤沈下が深刻。灌漑目的の河川の流れ変更、都市化による河川・湖沼の水や地下水の大量使用が、砂漠化に拍車をかけている

・エネルギー消費量に占める石炭の割合は、日本18%、アメリカ24%に比べ、中国は71%(全世界平均では27%)。石炭消費が大きいことは、浮遊粒子や硫黄酸化物の排出量も大きいことを意味する

・中国人は有史以来、北方から南方へと、地上資源を食いつぶしながら南下し続けてきた。さらに地下資源に期待し、今日に至っては、地球資源に寄生せざるを得なくなった

中国の流民は、水旱、飢饉、戦乱によって常に繰り返される。ことに王朝末期に大量に噴出する。20世紀に入っても続き、西北大飢饉で陝西省を離れた婦女百余万人、売られた者七十余万人。男子も加えると二百万人が流民となった。これは全省人口の六分の一

・儒家思想とは、寄生文明から生まれたイデオロギー。「礼の主張は、形式的支配秩序の論理」「忠孝の思想は、家族論理から天下を正当化する奴隷の思想」「科挙制度は、一極集中の官僚制度による掠奪制度を確立するシステム」

・儒教思想の中でも最も極端に排他的なのは、朱子学。その独善性は、朱子学以外のすべての学を排斥するだけでなく、仏教を初めとする宗教をすべて排斥し、敵対視する。また、教義の中で、異民族を蔑視し、帝王を徹底的に尊重する

・日本が幸運だったのは、聖徳太子の時代から平安鎌倉時代にかけ、主流は仏教思想であったから。儒教思想は、江戸時代になって、やっと徳川幕府に取り入れられた。それゆえ、日本は仏教国家の道を歩み、儒教国家にはならなかった

・中国人の自己中の対極にあるのが、日本人の思いやり。他人への思いやりは義理人情の社会をつくる。それは、他人あるいは余所者を見れば、すべて敵かカモと見なす中国人とは全く違う社会から生まれた人間観であり社会観

・中国を知るには、「」「」「」「」「」の五文字で十分。最も簡潔な中国観

・中国の美は巨大にして完璧な美。日本の美は「七分の美」、完全や完璧を求めない。常に「余白」や「間」を残している



本書は、中国と日本を客観的にとらえています。それは、肉食系と草食系の違いなのかもしれません。

漢民族をわれわれと同じ草食系と見ると、痛い目に遭います。絶えず、警戒しながら、食われないように、生きていくことが重要であることを教えてくれる書でした。


[ 2014/03/21 07:00 ] 華僑の本 | TB(0) | CM(0)

『スウェーデンはなぜ強いのか』北岡孝義

スウェーデンはなぜ強いのか (PHP新書)スウェーデンはなぜ強いのか (PHP新書)
(2010/07/16)
北岡 孝義

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スウェーデンの本を紹介するのは、これで10冊目(「北欧の本」を参照)になります。

本書は、経済学的観点からスウェーデンを見た書です。著者は、スウェーデンの経済力を生み出すもとを、国家戦略にあると考察されています。その一部をまとめてみました。



・スウェーデンは不思議な国。税金が高い国なのに、国民からの反発の声が少ない。それどころか、国民の幸福感は日本よりもはるかに高い。福祉が行き届けば、国民はやる気を起こさないはずなのに、国民は勤勉であり、労働生産性は日本よりはるかに高い

・大きな政府、反市場主義の国と見られながら、スウェーデンの企業政策は、米国以上に市場原理主義的。スウェーデン政府も企業のリストラを容認。その結果、失業率は高い

・北欧諸国の森林利用率は高い。森林の成長量に対する伐採量の割合は7割に達する(日本は4割)。北欧の木材利用は進んでいるが、森林破壊が進んでいるわけではない

・スウェーデンの人口増加時期(1960年代前半、80年代前半~90年代半ば、90年代後半~現在)は移民の増加時期に対応している。人口成長率の76%が移民の増加によるもの

・所得税は、地方税が収入の額に関係なく30%。国税が年収390万円まではゼロ、590万円までは20%、それ以上は25%。消費税は25%

・社会保険(年金、医療保険、失業保険、介護保険など)の保険料は、個人負担が給与の7%、企業負担が給与支払総額の29%。企業負担の割合が高いのは、スウェーデンでは、企業活動で得た利益は従業員や株主に還元するべきとの考え方があるから

自殺率が高かったのは、高福祉・高負担のスウェーデンモデルが完成する前の時代。現在の自殺率は、日本に比べてはるかに低い

・スウェーデンの国会議員の多くは、議員活動を行うとともに、もともとの本業を続けている。これは、政治家が実社会から遊離せず、政治屋になることを防ぐ効果がある。国会議員は職業ではなく、一種の社会奉仕であるとの認識が定着している

・社会・経済環境が変化しても、それに最低20~30年は耐えうる制度の構築が必要。それが制度への信頼を生み、国民に安心を与える。スウェーデンの年金改革は「生活の安心は、十分な年金額ではなく、制度の持続可能性によって得られる」との考えに基づいている

・「情報の非対称性」(供給者は知るが、需要者は自分の受けるサービスの質の良否を知らない)の市場で、自由取引を認めると、悪い者がはびこり、良心的な者は市場から排除される(レモンの原理)。医療サービスや社会インフラ整備は、政府が行うほうが効率的

・スウェーデンの政府は、中央政府と、ランスティング(日本の都道府県)とコミューン(市町村)の地方政府に分けられる。コミューンは、学校教育、児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉、ラスティングは医療、中央政府は年金、失業保険などの社会保障を担当する

・近年のスウェーデンは、福祉と環境を成長戦略として位置づけている。環境では、CO2排出の減少とともに経済成長率は高まっている。しかし、旧来型のスウェーデン福祉政策は、低成長、少子高齢化という経済・社会環境に対応できていない

・福祉は、「新たなビジネス、産業を創出する」「セイフティネットの構築を通じて、雇用を流動化させ、労働の低生産性部門から高生産性部門への移動を促す」「国民の不安を軽減させ、総需要の拡大に寄与する」点で、経済成長の原動力になり得る

・スウェーデンは昔から学者が尊重される国柄。学者出身の政治家が多いので、政治が理念を優先させる。現在の首相も経済学者

・政治家が悪いことをしても、ばれなければ、政治家は悪しきに流れ、悪い政治家のみが生き残り、政治は機能不全に陥る。スウェーデンでは、国民(依頼人)の利益にかなう政治を、政治家(代理人)にさせるために、情報公開、説明責任の徹底を法的に義務づけた

・市場の機能がうまく働かない分野の代表が、教育と医療。スウェーデンでは、ほとんどの学校や病院・診療所は国営・公営。金融の分野も、市場機能に全面的に委ねていない。すべての分野を市場の機能に委ねる考え方は、真の市場主義ではないと考えている

・市場経済にふさわしい経済人の育成は、市場経済を支える無形の社会的インフラ。市場の参加者は、独立心が強く、自由と平等、個性の尊重を持つ必要がある。スウェーデンは、この無形の社会的インフラの維持に努力している。これがスウェーデンの底にある強さ



スウェーデンという国の強さの要因は、「学者を尊敬する社会」「市場と政府の役割を決める考え方」「政治家の不正排除の徹底」にあるようです。

スウェーデンといえば、福祉や環境の面ばかり強調されますが、根底に、上記のような強さがあることを忘れてはいけないのかもしれません。


[ 2014/03/19 07:00 ] 北欧の本 | TB(0) | CM(0)

『悪の引用句辞典』鹿島茂

悪の引用句辞典 - マキアヴェリ、シェイクスピア、吉本隆明かく語りき (中公新書)悪の引用句辞典 - マキアヴェリ、シェイクスピア、吉本隆明かく語りき (中公新書)
(2013/07/24)
鹿島 茂

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著者の本を紹介するのは、「悪女の人生相談」「セックスレス亡国論」などに次ぎ、4冊目になります。

本書は、古今東西69人の名言名句を引用しながら、その言葉について考察するものです。著者の深い人間観や社会意識を知ることができました。その一部をまとめてみました。



・愛国心には、非難することが誰にもできない不可侵性がある。ゆえに、これを言い立てて、その後ろに身を潜めるなら、悪心や利己心を隠し、人の非難をかわす有効な盾として機能する。厄介なのは、真の愛国心と偽の愛国心とを区別する基準がどこにもないこと

・叱るときには、心から発する怒りが不可欠だが、その怒りが感情に任せたものであってはならず、怒りを理性的にコントロールする能力が要求される。だから、叱るよりも、優しくしているほうが、はるかに楽

・政治家を「勇ましい」とか「臆病」だけで判断することほど危険なことはない。臆病な保守主義者であることのほうが、はるかに勇気を必要とすることだってある

・人が(とくに身分の上の者が)他の人をなんだかんだと理由をつけて叱責するのは、そんな理由は見せかけで、本当は「おまえが嫌いだから嫌い」式の「好き嫌い」が思いのほか多い

運と気質が世を支配する。突然、運が向いてきて、これをうまく掴めば、万事好転すること間違いなしと思えるときでも、その人の気質に欠点があると、せっかくのチャンスが台無しになってしまうこともある

・プロパガンダは資本家階級や労働者階級よりも、知識人階級に向けてしなくてはならない。なぜなら、前者は利害以外には動かないのに対し、後者は利害だけではなく「道徳的」価値観で動くから

・真のエリート教育とは、エリート教育を馬鹿にすることができる総合的エリートを育てることにほかならない

・明治の急激な文明開化と戦後の驚異的復興は、すべて日本人の「いいな、いいな」のなせる術であった。しかし、羨望の強さは容易に物欲の強さに転じる。その結果、今日広く観察されるところの物欲全肯定主義となって現れ、「分相応」の言葉は死語となった

アメリカン・マインドにおいて、金儲けの道は、そのまま栄光の道に通じる道と信じられているがゆえに、世の尊敬と称賛を集めるために強欲になるという逆転現象が起きる

・アメリカには王侯貴族がいないため、金銭獲得の努力への軽蔑が生まれなかった。逆に、自助努力によって蓄財を成し得た者こそが、アメリカ的エリートであるという共通認識が生まれた。拠るべき規範としての「」がないところでは、「金銭」が規範となるしかない

・「人が求めるのは、戦争の危険でも、職務上の苦労でもない。われわれの不幸な状態から、われわれの思いをそらし、気を紛らせてくれる騒ぎを求めているのである」(パスカル)

・自我と自我は対立して軋轢を生むという西欧的「前提」を直視せずに、対立が起こりそうだと問題を先送りし、軋轢を避けてきた。あげくに、「面倒くさいことには一切かかわりたくない」というのが社会一般の「思想」になり、これが今日の日本の危機を招いている

・知識人にとって、自分と家族の損得しか考えない大衆の原像を、自らの思想の強度の試金石として織り込んでいくことが絶対に不可欠

・「判断力とは、集中力と冷静さをもって、現実をそのまま受け入れることのできる能力、事物と人間から距離をおくことのできる能力のこと」(マックス・ウェーバー)

・消費者が自己実現としての消費を行うには、金を稼ぐこともさることながら、そのための時間もまた作り出さなければならない。要するに、「面倒くさい」ことを極力省力化しない限り、消費にエネルギーを傾けることはできない

・ヨーロッパの王侯貴族の間では、親から子を切り離さない限り、教育は不可能と考えられていた。学校教育とは、親からの隔離であるという観点から、教育を再考してみるのも悪くない

・人間というのは、どんなときも彼我の「差」を激しく意識して、その「差」に生きがいを感じたり、嫉妬したり、あるいは絶望したりするもの。つまりは、本質的に、人間は「差」で生きる動物なのである



本書は、人間と社会(日本人と日本社会)の本質と構造を見抜いている著者の力作です。

古今東西の知識人の引用句を借りていますが、著者の思想の集大成のように感じられました。著者のオリジナリティあふれる書です。


[ 2014/03/17 07:00 ] 鹿島茂・本 | TB(0) | CM(0)

『われ以外みなわが師』吉川英治

われ以外みなわが師 (私の人生観) 新装版われ以外みなわが師 (私の人生観) 新装版
(1992/07)
吉川 英治

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「我以外皆我師」という言葉は、吉川英治氏が言って、世に広まっていったということも、今や忘れ去られようとしています。

本書は、「宮本武蔵」など、多数の著書がある吉川英治氏の人生観がよく現れており、珠玉の言葉が満載です。その一部をまとめてみました。



・転機は人生をつくる最大の一瞬。岐路の人生は、運命と人間の協同創作。自己の力が勝ってつくる場合もある。運命のつけた題名と運命の書いた筋書にもって行かれてしまう場合もある

・転機は、運命と自己との飽和された合作でなければならない。自己の力のみによって、急角度な転機を曲がろうとすると、いつも「茨の花、曲がった道も茨の花」である

・小説というものは作家も読者もお互いに自己の掘り下げみたいなもの。共同の人間開発でなくてはならない

・今日、民衆の中に何が一番欠けているか。考えてみることは先ずこれである

・人間が理智的になってきている。遠い過去の中には、今日にあってほしいような強さ、強靭な神経、もっと希望と力を持って歩いていくというような生活力、といったものがあったはず。それが今日はかなり稀薄になっている

・社会史なんか見ても、根底の野性というものの力が重要な役割を果たしている。野性の生命力が、後に咲く花の球根の役をしている。近代で言えば、野性と人間の叡智、科学と結び着いたものが、人間の中の生命体として瑞々しいものを持つ

・どうも人間は誰でも、自分が少し励んでいると、おれはかくの如くやっていると、すぐ自負してしまうところがある。それが何事においても修業の止まりとなってしまう

・伊達政宗の詩にもあるように、「青年馬上に棲む」といった気持ち、常に戦場に馳駆し、奔走する気持ち、そこにはハチ切れるばかりの精気と、活気と、それから余裕とが充ちあふれる

・武蔵は処世下手でも、世にすねたり、逆剣をつかう人ではなかった。独行道の冒頭に「世々の道に反かず」と書いているのを見ても窺われる。彼の孤独と不遇を、生涯、彼に持ち続けさせたものは、やはり「道」のためだった。求道一筋への犠牲だった

・歌人や俳人の遍歴は、人間を避けて自然の懐を慕うが、武蔵のそれは、行雲流水のうちに身をおいても、その視界は人間の中にあった。人間が解決できない生死の問題に、その焦点があった。その究極の目的として、形にとっているものが、つまり彼の「剣」である

・武蔵が「我れ事に於て後悔せず」書いてあるのは、彼がいかにかつては悔い、また悔いては日々悔を重ねてきたかを、言葉の裏に語っている

・五輪書中、武蔵が最も力を注いでいるのは、最後の「空の巻」。ここに至って、この書は、世の通念的な兵法書ではなく、精密なる哲学書になった。仏典、儒学、天文、諸芸諸道に参究して、そして、身一つを犠牲にして体得した、武蔵独自の哲学

・現代の女性は驚くべき表現を自覚してきた。それだけ、女性の生存もせちがらくなってきたに違いない。生存の激しさから女性美が発達する。女性美も産業である

・女性の採点率には多くの場合、男性としては弱点というものが加算されている。ずいぶん男性を観ている女性は却って男性がわからないし、婆さんになってからやっと間に合わない事を少しずつ解ってくる

・女性は、初めから完全に自分のものになりそうな男性を求めるから間違う。全部をもって恋愛に投じてくる男などに生涯を寄せようとするのは大きな危険。女のものになりきれる男を仮につかんでみたところで、それが女性の幸福感に何であるのか

デザイン過剰は、行き詰まりの混乱、末期神経のあえぎ。整理のない繁茂はあり得ない。
いいものほど、ほとんどは単調。民衆の素朴さは、それゆえに尊いし、健全だと言える

・「食えないから」は、一般庶民の生態には一理由になるが、宗教家の言いわけにはならない。飢餓にぶつかるときこそ、庶民は「いのち」の支えを探す。その彷徨混乱に伍して、依然たる布施経済の習性を持ち続けようとするのは無理。いや、あまりにも無慈悲

・古いものすべてがかびるのではない。永遠な「いのち」あるもののみが、常に新鮮なのである



本書には、吉川英治氏の人生論、文学論、宮本武蔵論、女性論、宗教論が記されています。なかでも、宮本武蔵論からは、著者の哲学を多くうかがい知ることができます。

宮本武蔵は「剣」によって、人生を悟っていきましたが、吉川英治は「宮本武蔵」という小説によって、人生を悟られたのかもしれません。


[ 2014/03/14 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『サイゼリヤ革命』山口芳生

サイゼリヤ革命―世界中どこにもない“本物”のレストランチェーン誕生秘話サイゼリヤ革命―世界中どこにもない“本物”のレストランチェーン誕生秘話
(2011/08/27)
山口芳生

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サイゼリヤは、年に数回利用しますが、無駄が少ない外食チェーンの印象です。その理由が、本書を読み、分かりました。創業者の会長は、理学部物理学科卒ですし、大学理系を積極的に採用している会社だからと察しました。

何かとブラック企業が話題になる外食業界にあって、サイゼリヤは、根性論を排し、合理的、科学的な経営を行っています。理系頭の人たちが、考え抜いたレストランです。本書に、その興味深い内容が記されています。その一部をまとめてみました。



・頭の中には、あるべき価格があって、それに近づけたいが、力がないと、それができない。値段をもっと下げようとすると、客単価が下がるとか、客数が伸びるのかと、みんな言うけど、そんなの考えていない。頭にあるのは、財布に負担のかからないイタリア料理

・ミラノ風ドリアを値下げしたのは、それが一番売れているから。一番売れているということは、一番喜んでもらっているということ。それを、もっと安くすれば、もっと喜んでもらえる。サイゼリヤにおける価格引き下げは、あるべき姿に至る道程

・「安くておいしいものを出すことが一番の社会貢献」というのが、サイゼリヤの考え

・心を込めて作っているから高くていいなんて、お客さんは思っていない。お客さんに一番よくわかるのは価格であり、安いというのは本当に大切なこと

・不思議なことに、外食産業には「おいしさ」の定義がない。おいしさを科学としてとらえているレストランはない

・おいしさとは、客数が増えること。その商品に価値を感じるのなら、たくさん売れるし、そういう商品が揃っていれば、客数が増える

・労働分配率50%、社員に年間500万円の給料なら、1人年間1000万円の粗利益高。年間総労働時間2000時間なら、人時生産性は5000円。あるべき人時生産性の設定がスタートライン。これを実現するために、観察・分析・仮説・検証を科学的手法で繰り返した

・作業が人の手によるローテクである限りは、「数量化とは、関節をどれだけ曲げるのか、何回曲げるのか、動く距離はどれだけあるのか」ということを観察し、数値に置き換えていくことになる

・店舗にビデオカメラを設置し、従業員の動きを撮影し、すべての作業を洗い直した。熟練者と経験の浅い従業員の作業の手際を分析し、これまで平均1時間かかっていた開店前の清掃作業を30分に短縮するなど、効率化を実現した

・人間はなかなか正しく生きられない。だから、ビジネスを通じて正しく生きているのかを常に考えていくことが大事になってくる。ビジネスを道具にして自分を鍛えていきたい

・「理念はとにかく言い続けろ、犬猫にでも言え」、人間は弱いところがあるから、人に言い続けていないと、自分自身がブレてしまう

科学的思考能力のある人間を採用するのは、一つに、能力の高さゆえ、ボカを起こす確率が低くなるから。もう一つは、彼らが改善点を発見した場合、それを数字に置き換えることができるという点。明確な数字が指標としてあれば、改善の効果も明らかになる

・サイゼリヤのスカウトの特徴は、メーカーの生産管理技術者を集めている点にあり、外食業が行っているような同業他社からのスカウトは一切しない

・世の中は原因があって結果があるという因果関係で成り立っている。さらに、その結果が原因となって結果を生み、その結果がまた原因になる。世の中は変化しながら先に広がっているわけで、これは宇宙が膨張しているのと同じこと

力とは何かと考えると、それは努力ではないか、と気づいた。努力をすると物事は動くが、努力を止めてしまうと止まったまま

・人が避けたいと思うことや嫌がることに真理があり、最高の体験を与えてくれる

・うまくいかないのは欲を出しているから。欲をなくしてあるがままに観察しないと、自然の法則は見えてこない。原理原則から言えば、価格と品質、そして便利さが揃っていなければ、売れない



会長を初め、理系頭の経営幹部が多いサイゼリヤの経営は、他の外食産業と違い、異質の存在です。

数学的、科学的な考え方は、世界共通です。そういう意味で、今後、サイゼリヤは、アジアを初め、世界を席巻していくのではないでしょうか。


[ 2014/03/12 07:00 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(1)

『不幸論』中島義道

不幸論 (PHP新書)不幸論 (PHP新書)
(2002/10)
中島 義道

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著者の本を紹介するのは、「人生しょせん気晴らし」「善人ほど悪い奴はいない」などに次ぎ、6冊目となります。世の中に「幸福論」のタイトルがつく本は数多くありますが、不幸論というのは見かけたことがありません。

私自身、「不幸でないのが幸福」と考えているので、不幸と向き合うことの大切さを説く本書には、共感するところが多々ありました。その一部をまとめてみました。



・幸福という複雑な建造物は、基本的に次の四本の柱の上に建っている。「1.自分の欲望が叶えられている」「2.その欲望が自分の一般的信念に適っている」「3.その欲望が世間から承認されている」「4.その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れない」

・幸福感(=満足感)は「知らない」ことに支えられている場合が多い

・「幸福」とは「美」と並んで、場合によっては「善」と並んで、対象のうちに探られるものではない。それは、判断を下す各人の心の構えである

・自分の体内の深いところから「これでよかったのか」の叫び声が聞こえてくる。その叫び声を必死で打ち消して「よかったんだ、しかたがなかったんだ」と思い込む。思い込みながらも、いつまでも釈然としない気持ちがくすぶっている。こういう人は幸福ではない

・自分の信念に反した欲望の充足は、「さしあたりの安堵」という言葉で表すことができても、厳密には「幸福」とは呼べない。それは幸福の「ふり」であり、幸福の「つもり」

・ある人は家族に承認されるだけで幸福感に浸るかもしれない。ある人は数万人の読者を得て、初めて幸福を覚えるかもしれない。「幸福」の概念は、常に輪郭がぼやけている

・人は正しいことによっても苦しむのであり、すぐれたことによっても苦しむ。イエスですら、多くの人を苦しめた。まして、人がある崇高な信念のもとに、偉大なことをなそうとすると、必ず膨大な数の他人を苦しめる

・自分の幸福の実現が、膨大な数の他人を傷つけながらも、その因果関係の網の目がよく見えないために、われわれはさしあたり幸福感に浸っていられるのである

・幸福は、盲目であること、怠惰であること、狭量であること、傲慢であることによって成立している

・世の中に幸福論は数々あるが、幸福論を読んでも、幸福に「なる」こととは無関係

・幸福とは、自らの哲学=信念にそって、ほかのことに煩わされずに生きるということ

・才能豊かで、その才能を発揮する場が与えられた人間は、膨大な数の人に喜びを与えているが、同時に、そうしたくてもできない多くの人を不幸にし、苦しめ、傷つけている

・幸福論は、第一に、自分が幸福であると確信している人が書く。そして、第二に、誰でも自分と同じようにすれば幸福になると説く

・他人を幸福にすることを義務と信じている人は、すべての人の欲望・感受性・趣味嗜好・信念は一致するという何の根拠もない想定の上にあぐらをかいて、他人を幸福にすることの難しさを直視しようとしない

・幸福とは、思考の停止であり、視野の切り捨てであり、感受性の麻痺である。つまり、大いなる錯覚である

・友人のいない者、恋人のいない者、身寄りのない者、家族のいない者は「かわいそう」、結婚していない者も、結婚して子供がいない者も「かわいそう」だから、どうにか助けてやりたいと願う、その単純で貧寒極まる幸福感で、暴力的に人を支配しようとする

・「有名になることは醜いことだ。これは人間を高めはしない」(ボリス・パステルナーク)

・「幸福であると思われたい症候群」の人は、「幸福でありたい症候群」の人より、いっそうおびえていて、いっそう哀れである。しかも、豊かで教養ある階層の人々や女性に多い

・「幸福になることは、さほど苦労ではない。それより、幸福だと人に思わせることが難しいのである」(ラ・ロシュフコー)

・自己欺瞞はわれわれを「幸福」という錯覚に陥れてくれる



幸福という錯覚を味わえる人が幸福になれるのかもしれません。幸福が錯覚だと知ってしまった人は、永久に幸福になれないのだと思います。

だとすれば、「不幸でないことが幸福」という言葉を拠り所に、不幸でないことを時々確認しながら生きていくしかありません。幸福とは、そう簡単に論じられるものではない、ということではないでしょうか。


[ 2014/03/10 07:00 ] 中島義道・本 | TB(0) | CM(0)

『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』河井寛次郎・柳宗悦

蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ (講談社文芸文庫 (かK2))蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ (講談社文芸文庫 (かK2))
(2006/01/11)
河井 寛次郎、柳 宗悦 他

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河井寛次郎さんの本を紹介するのは、「火の誓い」に次いで2冊目です。本書は、「仕事と思想」(随筆)、「暮しと言葉」(戦後間もないころの詩)「陶芸始末」(昭和初期の陶芸製作解説)の三篇の構成になっています。

そのうち、「仕事と思想」「暮しと言葉」の中で、陶芸家、職人としての姿勢に感動させられた言葉をまとめてみました。



・土は今始めて形を得、火に会って固まる。美への志願は無用である。正しい素材従順な工程好い組織を撰ぼう

・知性だけでうんだ作品は、わりきれたもので、それではいけない。われわれの中にある、われわれのまだ知らない自分が出なくては駄目

・一生、美を追った生活に、思想上の一転機があった。世界は二つある、と考えたこと。美を追っかける世界と、美が追っかける世界と。美術の世界と、工業の世界と

・物の形は、すべて、出発点が到達点になっている。△の形、○の形をごらん

・「たいてる人が燃えてる火」。火はたいている人の魂が燃えているので、単なる物理現象ではない。精神の現象だ

・新しい材料が出てくると、それに応じて新しい技術が生まれ、前の材料と技術は美術に棚上げされて、民族はそれぞれの美を守って行くことになる

・豪華というのは、費やされた労働力が非常に殺されている

・白隠や仙厓は「私字」をやった。しかし、「私字」の中にも戯れが入った「戯字」があって、これもなかなか面白い字。同じ書の中にも「」の字と「」の字と「」の字があって、どれがいいと一つに決めるのは無用なこと。それぞれ、みなあってしかるべき

・江戸中期の学者、富永仲基の三原則とは、一、「加上」(歴史は後から膨れ上がる)。二、「異部茗字必ずしも和会しかたし」(ものは一元で決めたら間違い、多元でいい)。三、「言葉に人あり、言葉に時あり」(人によって、時代によって、言葉の内容が違ってくる)

・虫と葉っぱは、喰う喰われるという現実が、養い養われるという現実とくっついている。虫と葉っぱは「不安のままで平安」、これでいいのだ、これで結構調和しているのだ

・もし不幸が多すぎたなら人はとうに絶えたはず。不幸はちょっぴり幸福を作るための発酵素であることだけの必需品

・この世は自分を見に来るところ。何と言う素晴らしいところ。この世は喜びをさがしに来たところ。そのほかのどこでもないところ

・河原へ石さがしに行く人、自分を拾いに行く人。何という自分の発見。こんな誰が作ったかわからないものの中に自分がいたのだとは何という発見

・人は皆自分を燃やして焚いてその火でもの見る

・人、世の中に播かれた一つの生命。どう発芽するか

・こんなところに自分がいたのかと、もの見つめる

・ないものを得ようとするのではない。あるものをとり出す

・美は捨てた時が得た時。求めなければ与えられる

・喜びの足りない時が失敗

・時勢とともに歩いてはいけない。時勢とともに歩かねばならない

・美を追うのではない。美から追われているのだ。美をつかむのではない。美からつかまったのだ

・窓あけて、いのちの窓あけて、もの見る

・恵まれていない者はない。拒んでだけいる人。同じものを与えられながら別々に受け取る人間。美はいつも人をさがしている。幸福は人をさがしている



河井寛次郎さんは、陶芸家(美を追っかける世界)としての名声を捨て、職人仕事(美が追っかける世界)に身を投じ、民芸運動を立ち上げた人です。

生活の中に美を求めた純粋で素朴な活動が、文章によく表れています。本書を読むと、重ね着した服を一枚一枚はぎ取られていくような気分になります。


[ 2014/03/07 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『世界が土曜の夜の夢なら・ヤンキーと精神分析』斎藤環

世界が土曜の夜の夢なら  ヤンキーと精神分析世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析
(2012/06/30)
斎藤 環

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斎藤環さんの本を紹介するのは、「子育てが終わらない・30歳成人時代の家族論」以来です。ひきこもりの精神分析に関する本ですが、今回紹介する書は、真逆とも言える「ヤンキー」の本です。

ヤンキーはオタクに比べて、分析した書物は少ないのですが、ヤンキー人口は非常に多いことで知られています。そのヤンキーを徹底解剖しています。その一部をまとめてみました。



・「個人の美意識にひそむヤンキー性」は、「不良文化」という言葉を使ってしまったが最後、雲散霧消してしまう

・男は会話に「情報」と「結論」を求めすぎる。家庭円満の最大の秘訣は、「毛づくろい的会話」を日常的に交わすこと。夫婦間であれ、親子間であれ、「無駄話」や「お喋り」を交わし合える関係こそが、最も深く安定する

・ヤンキー系の音楽活動において「音楽性の追求」は最重要課題ではない。優先されるべきは、商業性であり、あるいは彼ら自身のスタイル(=生き様)の主張と確立

・「現実志向」が、ヤンキー系アーティストに共通する「生活苦」に根差している。これは貧乏だったり虐待を受けたりということばかりではない。族に入って喧嘩三昧の日々を送ったり、長い下積み生活でリアルに苦労したといった経験も含めてのこと

・欲望の形式は、「私はそうでもないけれど、みんな欲しがるから、私もそれに合わせて仕方なく、“欲しがっているふり”をしているだけ」。ヤンキーファッションに、その傾向が強い。だぼだぼのジャージ、金髪、ぶっとい金ネックレス、彼らがすすんで選択した結果

・日本のお笑いの特殊性は、そのかなりの部分がキャラに依存して成立している点。ギャグとしての面白さ以上に、まず「笑えるキャラ」を成立させることがはるかに重要となる。いったんキャラが立ってしまえば、ゆるいネタでも十分に笑いが取れる

・徹底して「ベタ」であること、徹底して「現状肯定的」であること。彼らは個人が社会を変えられるとは夢想だにしていない。わずかでも変えられるのは、自分だけ

・ヤンキー文化の特徴は、地元志向つながり志向、内面志向、実話志向、これらは広義の保守的感性。ヤンキー文化は「反社会的」ではない

・ヤンキー的感性は、フィクションをあまり好まず、本当にあった話を好む

・日本人のキャラ性を極めていくと、必然的にヤンキー化する。最もキャラが立っている日本人は、言うまでもなく「坂本龍馬」

・複雑な物語は必要ないが、ほどほどの不幸や、やんちゃだった過去は、キャラ性を際立たせる

・ヤンキーは仲間とのつながりを大切にする。また家族を大切にする。彼らは、両親を尊敬し、パートナーとの絆を大切にしつつ、わが子をこのうえなく愛おしむ。ヤンキーは「女性的」な存在

・ヤンキー的成功者の多くは、その過剰なまでの情熱と行動力をもって、業績を上げている。しかし、その分野は必ずしも革新的なものとは限らない。新たな価値観を創造するのではなく、従来からある価値観を新たなる手法で強化するのが、ヤンキー成功者の秘訣

・ヤンキー主義に欠けている要素は、「個人主義」の欠如と「宗教的使命感」の欠如。ヤンキー主義は、集団主義(家族主義)

・ヤンキー主義は、地元志向や伝統指向が強い。地方における「祭り」の主要な担い手は彼ら。地元志向は政治的に保守の立場につながり、さらに徹底されれば右翼的な活動につながる

母親の存在は、すべてのヤンキーにとって「重い」。彼らの自伝を読めば、そうした感覚が如実に伝わってくる。奇妙なことに、総じて「父」の影が薄い。圧倒的な存在感と影響力を発揮するのは、決まって「母」のほう

・ヤンキーの人々は、「発光体」をたいへん好む。車に装着するライトやネオン。家の外壁のイルミネーション。彼らにとって、「光」は理屈抜きで、ありがたいもの



日本には、ずっと昔から、貴族文化とヤンキー文化があり、歴史的に残っているのは、貴族文化ですが、われわれの心に継承されているのは、ヤンキー文化です。

日本人の大半は、「ヤンキー」か「オタク」です。ヤンキーの研究は、重要なテーマなのかもしれません。


[ 2014/03/05 07:00 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『地上最強の商人』オグ・マンディーノ

地上最強の商人地上最強の商人
(1996/09)
オグ・マンディーノ

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本書の訳者は、無能唱元さん。このブログで何度も紹介しました(参照:「無能唱元・本」)本書は、1968年にアメリカで出版され、200万部のベストセラーとなり、その後、20ヵ国で翻訳出版されました。

内容は、本書に掲載されている「選ばれし人が継承してきた不思議な十巻の巻物」を手に入れた若者が、ラクダのキャラバン隊を指揮するようになり、やがては中近東の大富豪となる物語です。この成功物語の一部をまとめてみました。



孤独の思いこそ、逃避と挫折へ誘い込む誘惑の罠。この誘惑と直面し、これを克服できるかどうかが、勝負の分かれ目になる

・商売を成功させ、輝かしい未来を勝ちとるのは、己自身を克服しえた者でしかない。商売の道で、他人からの愛や慰めを期待してはならない

・成功しようとする決意がかたければ、失敗で挫けてしまうことは決してない

・「今すぐ出発する」これが答え。老人が、経験による知恵を得たとき、もう、人生は終焉を迎えている

・成功とは、各人の気持ちのあり方の問題。成功の報酬も、それが小さすぎると感じる人にとっては、成功と思えないし、同じ程度の報酬でも、成功したと喜ぶ人には成功

・失敗者と成功者の間に横たわるひとつの違いとは「習慣の違い」。すべてに優先して、守るべき最初の法は「良い習慣をつくり、自ら、その奴隷となる」

・根本的原理は「ある習慣を変えるのは、新しい他の習慣だけ」という自然の法則

野心家を愛する。なぜなら、勇気づけてくれるから。失敗者を愛する。なぜなら、彼らは教訓を与えてくれるから。王様を愛する。なぜなら、彼も等しく人間だから。おとなしい人を愛する。なぜなら、彼らは神のように謙虚だから

富める者も愛する。なぜなら、彼らは、孤独であるから。貧しい人も愛する。なぜなら、彼らは、この世にいちばん多くいるから。若者を愛する。なぜなら、若々しい信念を抱いているから。老人を愛する。彼らは歳月のもたらしてくれた知恵を持っているから

・成功するまで頑張りつづける。人生の栄光は、それぞれの旅の終わりにあるのであって、始めたばかりの地点にはない

・つねに次の一歩を踏み出す。その一歩が、無駄な一歩であろうと、有効な一歩であろうと、それは関知するところではない

・他人との相違点を強調する。そして、類似点は隠す。この原理は、売る商品にもあてはまる。他の商人と異なる商品を売る商人は、その異なることに誇りをもっている

・商品を売るときの言葉を練習し、改良し、磨きをかける。売るための口上は、商いの基礎。幾多の先輩が、売り口上を駆使しただけで、客の心をつかみ、巨富を得た

・つねに行儀作法の改良に努める。人々は、感じのよい態度にひきつけられる

・「過去は過去として、永遠に葬らしめよ」。今日が人生最後の日であると心得て生きる

・一時の無駄は、一生という人生の無駄。今日という日を無駄にするならば、人生最後のページをむしり取ることになる

時間を無駄にする者とつきあうことは、怒りをもって拒絶する。時間の引き延ばしは、ただちに行動をもって排除する。ぶらぶらしている者とは、つきあわない。怠け者には、近づかない

・弱者は、自分の思いに支配され、強者は、自分の思いを支配する

・自分の価値を百倍にする。低すぎる目標設定をするという、恐るべき過ちを犯さない

・市場において、評価されるのは、行動による結果のみ。自分の価値を倍増させるためには、自分の行動を倍増させねばならない

・明日は、怠け者が予約した日。明日は、悪人が善人になる日。明日は、弱者が強者になる日。明日は失敗者が成功する日



本書が強調するところは、「自助」「自立」です。成功は、誰にも頼らず、自分を律して、行動するのみ、ということ。

でも、人間ですから、挫けそうになるときがある。それを防ぐためには、成功者の本を読むことと、「成功記録」をつけること、と著者は述べています。自分を変えたい人に、おすすめの書です。

[ 2014/03/03 07:00 ] 無能唱元・本 | TB(0) | CM(2)