とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『婚活したらすごかった』石神賢介

婚活したらすごかった (新潮新書)婚活したらすごかった (新潮新書)
(2011/08)
石神 賢介

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著者は、40代でバツイチ独身のライターです。その著者が自ら、ネット婚活お見合いパーティー結婚相談所に入会、参加して、婚活経験したことが本書の核となっています。

反省や成功事例も踏まえているので、婚活マニュアルとして活用できます。現代の婚活事情を覗く楽しさもあります。そんな面白い書の一文を少しまとめて列挙してみました。



・女性は収入を重視している。男はとにかく年収が高ければ人気がある。画面をチェックしていると、年収1000万円を超えると、申込件数が一気に増える

・女性会員が、年収の次に重視するのが容姿。容姿は、整った顔立ちの「イケメン」に人気が集中するわけではない。それよりも「清潔」であることが重要

都心部に住んでいる男性には申し込みが多い。言い換えると、都会在住でないと不利。多少収入が多く、容姿に恵まれていても、住まいが東京や大阪や、その近郊でないと、女性は食いつかない

・男は若い女性が好き。若くてきれいな女性が入会し、プロフィールがアップされると、その日のうちに申し込みが何十件も集中する

・「癒し系」のほかに、「甘えん坊」「古風」といったキーワードに、どうやら男は弱い

・「恵まれた容姿」「仕事のスキルの高さ」「学歴の高さ」「海外経験の豊富さ」などをプロフィールに書く女性は多いが、こういったタイプに申し込む男は、よほど自信があるか、よほど自己評価の甘い鈍感男。ネット婚活は自慢大会ではない

・若くてきれいな女性や、高収入で見た目もいい男は、ネット外の社会で十分に需要があるので、ネット婚活などしない。だから、プロフィールを閲覧していて、スペックの充実している人を見つけたら、何か問題を抱えていると考えたほうが自然

・写真掲載には、「スナップ」と「スタジオでプロが撮影」の二つある。異性からの申し込み件数で判断すると、「スナップ」のほうが受けがいい。しかし、容姿に自信がない場合は、「スタジオ撮影」で、多少の加工修正を施すことも必要

・「コストをかけてでもパートナーを見つけたい」という真剣度の高い男女が参加するから、会費が高めだと安心感がある。一方、会費が安いパーティーは、安いなりの男女が集まる

・参加者の年齢が高いほど、カップルになる数も多い。真剣度が高いから。また、「公務員&教師限定」といった安定した職業を条件にしたパーティーもいい数字になる

・婚活パーティーは「女高男低」。こちらが不思議に感じるほど魅力的な女性が多い。人気のある男性会員は概して退会が早い。気に入った女性がいると迷わずに結婚を決めるが、女性会員は、相性のよさを感じる男性と出会っても、なかなか決めず、悩んでしまう

・婚活パーティーに参加している男性は「極端な欲望むき出し系」と「極端な奥手」に二極分化される

・婚活パーティーでうまくいくようになると、日常での男女関係のスキルも上がる。仕事上の集まりで出会った女性を以前よりも抵抗なく誘えるようになる

・日本人は、頻繁に女性を口説いたり、ふられたりはしない。ふられるのが怖いから、口説くという行為には勇気がいる。しかし、婚活パーティーで口説いたり、ふられたりの経験を重ねると、少しずつ恋愛体質になっていく

成婚料をとらない会社は、基本的に、入会してお金を払って以降は何もしてくれない。すでに会員になった客の相手をするのは時間の無駄と考えているスタッフがほとんど。成婚料がある会社の多くは、成婚料も歩合に計算されるので、登録後もフォローしてくれる

・大手は成婚料をとらない会社が主流で、大手のほうが登録している男女の数は多く、出会いのチャンスも多い。成婚料をとらない大手の会社に登録するならば、自分から積極的に動くこと、可能であれば、オフィスに足を運び、窓口にスタッフに相談すること

・アメリカでは、日本人女性は三十代でも未成年に思われるほど、容姿にいい評価をもらえる。日本では気が強い女で通っていても、自己主張の国アメリカでは、穏やかで優しいと評価される。このアドバンテージを知り、マッチメイカーに依頼する日本人女性は多い



現代の婚活事情に詳しい人が周りにいないので、本書を楽しく読めました。古臭い考え方で、婚活戦線を乗り切っていこうとするのは、間違いかもしれません。

精神的にも、金銭的にも一生を左右する「婚活」に、もっともっと、社会が関心を持ってもいいのではないでしょうか。


[ 2013/12/30 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『新説阿頼耶識縁起-かくされたパワーを引き出すアラヤ瞑想術のすすめ』無能唱元

新説阿頼耶識縁起―かくされたパワーを引き出すアラヤ瞑想術のすすめ新説阿頼耶識縁起―かくされたパワーを引き出すアラヤ瞑想術のすすめ
(1992/07)
無能 唱元

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著者の本を紹介するのは、「人の力金の力」「得する人」「人蕩し術」に次ぎ4冊目です。本書は、著者が出版した50冊以上の本の中で、一番古い本ではないかと思います。1981年発行の書です。

阿頼耶識は、法相宗(法隆寺、薬師寺、興福寺などの奈良仏教の宗派)に伝わる教義で、インド哲学の一部です。日本語に訳せば、潜在意識に記された記憶の集積という意味です。この阿頼耶識を易しく解釈しているのが本書です。その一部をまとめてみました。



・華厳経のお経の中の夜摩天宮品というところに、「心如工画師、画種々五陰、一切世界中、無法而不造」(心は巧みな画家のように、さまざまな世界を描き出す。この世の中で心の働きによって作り出されないものは何一つない)と、述べられている

・陽とは、動であり、輝きであり、生命であり、逆に陰とは、静であり、闇であり、死である。もし、人間がいきいき生きようとするならば、この陽気の中に自己の心情を置かなければならないのは自明の理

肯の類にある人の態度は、明るく柔和、朗らかで寛大、自信に満ち、常に円満。否の類にある人の態度は、鋭い人を刺す言葉を用い、暗く人を入れず、不安、怒り、疑い、怖れ、恨みの念を現わし、常に居丈高。自分の心情を、肯の類の中に安住させなければならない

将来の果となる因は、罪障感、恥辱感といった「感」によって作り出されるのであり、「業」はそのまま因とならない

・苦しみの輪廻を断ち切るには、意識を変えなくてはならない。それは、苦しみの現実の中において、楽しいという意識を作り出すこと。死に物狂いで、顔に笑みを浮かべ、人々や自分の人生に感謝する。自己欺瞞でもけっこう。因はただ意識のみによって生ずる

・本家のインドで、仏教が滅んだのは、道徳的側面を拡大し、それを教義の主とし、また、それのみに没頭しすぎたため、宗教本来の発生理由であった御利益を求める一般大衆の願いを無視することになったから。無視された民衆は、逆に仏教を無視し返した

・「神が人間を創ったのではなく、人間が神を創った」とも言えるが、「この人造神は、素晴らしい奇跡も生じさせる」とも考えられる。われわれが神に対し、何かを願い、祈りに託して念じ続けると、その念はアラヤに入り、やがて、その願いは叶えられるというもの

アラヤの御利益の提供者はあなた自身。「アラヤに命じ、アラヤに従うべし」

・「清であるのはよい」が、「廉であってはならぬ」。「欲のあるのはよい」が、「貪であってはならぬ」。「清廉」も「貪欲」も、そして他の何事にも、二極のどちらかへ走りすぎ、傾きすぎるとバランスを失い、不都合を生ずる。仏教では、これを「中道を歩む」という

・言葉は自分の考えを他人に伝達するための道具であると同時に、自分の耳へ、その言葉が入り、自分自身の深層意識に影響を与えるものである

・常に積極的、肯定的な言葉を意識的に選択して使い、「言葉の主人」となって、これを支配するか、消極的、否定的な言葉の繰り返し、「言葉の奴隷」となって、あなた自身が支配されてしまうかの二つのケースしかない

・「正義心より発する怒り」の念も、否の類にある症候群。非難、怖れ、恨み、怒りなども否の類にあるもの。これらは、その人の人生に、不幸な現象を生じさせる

・運命に重大な影響を及ぼすアラヤ共同思念体を手なづける方法は、周囲の人々に向けて、愛の思念を放射するように心がけること。表情を穏やかに、柔和に、微笑みを忘れずに努める。いやなことを頼まれても。優しい態度で接し、礼をつくして断らねばならない

・「すべては偶然ではなく、それは後ろから押しだされてくる」「かつて、あなたが自分について考えていたこと、それが現在のあなたである」(エマーソン)

・身・口・意の三業を用い、「まず、であるがごとく想像し」(意)、「ついで、であるがごとく語り」(口)、「そして、であるがごとく振る舞う」(身)。身を一割、口を二割、意を七割ぐらいの比率で行う。古人は、この自己暗示法を指して「しきりと妄想せよ」と言った

・臨済禅中興の祖、白隠禅師は、人の身体の中には、「己身の弥陀」があり、それは「気海丹田」の内に収まっていると説いている。これは、人間の中に神様があって、それは下腹に収まっているので、自分の内なるアミダ様に頼みこめば、願いは叶えられるということ

・仏教のすべての頂点に、「因果論」「諸行無常」「諸法無我」の三つの原法がある。釈尊が悟られ、そして説かれた根本の哲理も詮じつめれば、「三つの原法」に、すべてが帰す



阿頼耶識を易しく解釈ようとし、技術指導も具体的にしている書ですが、一般的には、難しいのかもしれません。

日本古来の仏教(奈良仏教)の秘伝である「阿頼耶識」は、現代にも通用する部分がかなりあり、参考にすべき点がかなりあるように思います。


[ 2013/12/27 07:00 ] 無能唱元・本 | TB(0) | CM(0)

『儒教と負け犬』酒井順子

儒教と負け犬 (講談社文庫)儒教と負け犬 (講談社文庫)
(2012/06/15)
酒井 順子

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著者は「負け犬の遠吠え」の作者です。その著者が、韓国と中国に、独身女性を取材した書です。

日中韓の結婚観、家族観が、儒教の影響を受けながらも、微妙に違うところが面白いところです。その中で、印象に残った一文を幾つかまとめてみました。



・韓国では、結婚していない女性を、性体験があろうとなかろうと、「処女」と言う。だから、三十代にもなると、「老処女(ノチョニョ)」となる

・韓国の女性が、たとえ友達同士であっても性的な話をすることはない。儒教の影響と思われるが、この手の話をすることは、ものすごく下品というか、タブーということになる

・韓国の姦通罪は現行犯逮捕でなければならない。妻なり夫なりが警察官を連れて、浮気現場に踏み込まなくてはならない。そして、いざ姦通罪になった時には離婚をしなくてはならないので、「逮捕して慰謝料もらって別れる」覚悟がないといけない

・先祖との結びつきを重視するということは、子孫を残すという任務も重要ということ。当然、結婚可能な年齢なのに結婚していなければ、ものすごく肩身が狭くなる

・韓国では美容整形手術が盛んに行われている。しかし、その秘密を墓場まで持っていくといった悲壮感は見られない。結婚したら夫に言うのが一般的

・ソウルの勝ち組・勝ち犬たちは、盤石の自信を持ちながらも、とても大変そう。夫の親戚筋との付き合いや、頻繁にある法事などの行事、子供の教育。負け犬とはまた別の責任が、彼女たちの肩に重くのしかかる

・科挙という形で、学力試験の合格者を登用してきた伝統を持つ朝鮮半島では、「卑しい労働に手を染めることなく書を読む」ことが理想とされた。韓国女性たちは、「卑しい労働」を子供たちにさせたくないと思うからこそ、教育への負担感が大きい

・儒教国の人々は、結婚プレッシャー、親孝行プレッシャー、子孫繁栄プレッシャーなどが強く存在しているからこそ、つい結婚に及び腰になってしまう

・韓国で子供がないない夫婦が子供を作ろうとしない理由の6割が「養育費や教育費の増加」。韓国人が考える教育費の負担感は、日本人のそれよりもずっと深刻

・「老処女」問題が深刻化している韓国で、「老処女」になった理由に、「外見が悪いから」をあげる人がかなり多い。「良い出会いがない」「結婚の意思がない」に次いで第三位

・韓国の結婚相談所は、「一般」「専門職」「医者・弁護士系」コースに分かれる。「一般」は年会費が約12万円だが、「医者・弁護士系」は67万円。一般の「お見合いおばさん」に頼んでも、医者や弁護士の男性と結婚が決まったら、約100万円支払わなければならない

・韓国の独身男性が結婚相手に求める条件の三位が「家庭環境」(第一位「性格」、二位「外見」)。親が離婚しているとか、両親の経済力や学歴、そして家柄といった問題が大きい

・中国の「三高」とは、「学歴が高い」「収入が高い」「年齢が高い」ということ。上海では、三高女三低男は、絶対にくっつかない。上海の三低男は、地方や農村から「外来の嫁」を取る。そして、上海の三低男に嫁を取られた農村の三低男は、余っている

・中国の負け犬的女性は「余女」と呼ばれる。「老大難余女」という言い方もある

・上海の妻というのは、いかに一円でも多く夫からむしり取るか、みたいなことを常に考えている

・「女大学」(儒教が最も発達する徳川期の封建社会下において、家を存続させるため、女子に対して心構えを説いた書)の内容は、中国の儒教書をベースにしている。中国では、日本の女大学が流行るはるか前から、この手の「女の管理法」が明文化されていた

・中央集権体制を守るため、そして家を守るための教えであった儒教。しかしそれは、「眠れるパワー」であった女性の力を世に出さないための仕組みであった

・日本においては、親子愛を疎かにすると世間から非難されるが、夫婦愛を疎かにしても全く非難されない。夫婦愛の希薄さは、かつて子孫を残すことのみを目的として家庭を作った時代の名残。夫婦愛が希薄であったからこそ、妻は愛情を子供に向けるしかなかった



中国や韓国とは言い争いや紛争が絶えませんが、儒教というベースにおいて、似ているが故の悲劇なのかもしれません。

この少し違った「違い」を分析することが、中国と韓国を理解する基本となるように思います。しかし、儒教が日中韓の仲を邪魔しているのも事実でしょうね。


[ 2013/12/25 07:00 ] 海外の本 | TB(0) | CM(0)

『一流の人に学ぶ自分の磨き方』スティーブ・シーボルト

一流の人に学ぶ自分の磨き方一流の人に学ぶ自分の磨き方
(2012/03/23)
スティーブ・シーボルド

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本書は、「一流の人は・・・」で文が始まります。その数、140弱。一流の人の考え方、行動のし方、学び方などが列挙されています。

それらを読むと、まるで「一流の人」に洗脳されてしまいそうです。この一貫した、シンプルな構成は、とても分かりやすいものです。その一部をまとめてみました。



・「一流の人は刷り込みを修正する」。二流の人は、子供のころに教え込まれた(刷り込まれた)ことにしがみつく

・「一流の人はお金の限界を理解している」。二流の人は手っ取り早い金儲けをしようとする。金持ちになれば、心の中の空虚感を埋められていると思い込んでいる

・「一流の人は大きく考える」。二流の人は小さく考えて生き残ることで精一杯。一流の人は大きく考えて輝かしい未来を創造する

・「一流の人はリスクをとる」。二流の人はリスクを忌み嫌う。「無難に生きていればいい」と教え込まれている。「挑戦しなければ痛い目に遭わずにすむ」というのが、彼らの人生観

・「一流の人はどんな状況でも落ち着いている」。二流の人は負けることを恐れるあまり、緊張して自滅する。一流の人は「これはゲームにすぎない」と考え、プレッシャーをうまく取り除く

・「一流の人は断り方を知っている」。一流の人は時間について毅然とした態度をとる。生きている時間が有限だという意識があるから

・「一流の人は常識を疑う」。二流の人は現状維持に甘んじる。一流の人は、常識を疑い、よりよく、より速く、より効果的な方法を絶えず探し求める

・「一流の人は生産性にこだわる」。二流の人は仕事を労働時間の観点から考える。一流の人は仕事を生産性の観点から考える

・「一流の人は孤独を求める」。二流の人は猛烈に働いていないから、休養と回復をあまり気にかけない。一流の人は、一人で過ごすことで、大きな負担をかけている脳に休養を与える

・「一流の人は他人に依存しない」。二流の人は自分の決定に責任を持たず、何かにつけて他人のせいにする。一流の人は被害者意識を持たず、自分の決定に責任を持つ

・「一流の人は自分を自営業者とみなす」。一流の人は自分を「プロの仕事人」とみなし、良質な労働力を会社に提供していると考える。二流の人は自分を組織の小さな歯車にすぎないと考える

・「一流の人は惜しみなく頻繁に人をほめる」。ほとんどの人は称賛に飢えている。しかし、二流の人は、あまり人をほめない。ただし、称賛の効果が低下しないように、一流の人は同じ人を過度にほめないように配慮している

・「一流の人は正直の大切さを知っている」。一部の人は不正直な方法で財産を築くが、一流の人はそれが邪道であり、本物の成功が財産や所有物ではなく、人格にもとづいていることを知っている

・「一流の人は双方が利益を得る交渉をする」。二流の人は自分がより大きな利益を得るために交渉をする

・「一流の人は人々を助けるために力を使う」。二流の人は「力を持っている人は邪悪で傲慢で強欲だ」と考える

・「一流の人は変化を歓迎する」。二流の人は変化を脅威とみなし避けようとする

・「一流の人は許すことを知っている」。二流の人は憎しみで凝り固まり、復讐を企てる

・「一流の人は意見の対立を歓迎する」。二流の人は意見の対立を避けようと躍起になる

・「一流の人は自由を高く評価している」。二流の人は自由をそれほど評価していない

・「一流の人は多様性を歓迎する」。二流の人は、自分と異なるタイプの人を「安全を脅かす存在」として疑ってかかる



本書を読んでわかったことは、二流の人にならないことが「一流の人」ということです。

一流を目指すというよりも、二流にならないように自分を戒めることこそ、一流になる道であるのかもしれません。


[ 2013/12/23 07:00 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『歴史の愉しみ方-忍者・合戦・幕末史に学ぶ』磯田道史

歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)
(2012/10/24)
磯田 道史

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テレビの歴史番組出演や新聞への執筆などで大忙しの著者の本を紹介するのは、「日本人の叡智」に次ぎ2冊目です。

本書は、読売新聞に掲載されたエッセイなどを加筆修正したものです。本書には、古文書解読に長けた著者ならではの面白い見解が数々あります。それらをまとめてみました。



・明治維新にいたる日本人の歴史意識は頼山陽の「日本外史」が作った。ちなみに、この200年、国民歴史意識への最大影響者は、頼山陽徳富蘇峰司馬遼太郎と推移してきた

・薩摩は日本の例外。薩人は、これから起きる事態を事前に想定し、対処することに長けていた。薩人には、「もし、こうなったら」と予め考えておく「反実仮想」の習慣があった

・「反実仮想」の教育は、戦国時代は広く行われていた。文字に乏しかった戦国の日本は、粗野ながら、話し言葉で、人を教え、実践的な知恵をつける術を、しっかりと持っていた。しかし、江戸時代になると、武士の教育は四書五経の暗記のような形式主義に陥った

・幼少期に、仮想してみる頭が鍛えられることは、とても大きい。想定外が想定内になってくる。このことが、今の日本に大切である

・岩村藩はマニュアル藩といってよいほど規則の好きな藩。教科書に載る「慶安のお触れ書」は、岩村藩が農民の生活マニュアルとして領内に配ったことで全国に広がった。岩村藩にいた佐藤一斉の書いた「重職心得箇条」は、現代の日本人にも深く影響を与えている

・マニュアル(成文化された手順書)どおりに、規格的に動くあり方は、江戸中期から一層はなはだしくなる。古くからのマニュアル好きの国民性は、他に決めてもらうばかりで、自分で考えなくなるから、そこのところはよく心しなければならない

・外国人は、日本の弱点をよく見ている。日本人は江戸時代の軍事官僚の政権に支配されてきた「厳しく躾けられた政府への服従に慣れた国民」で、「治める者と治められる者が同じ原理」の議会の使い方が不得意であると見られている

・英国人女性イザベラ・バードは、明治初年に日本各地を旅行し、公共事業の無駄が多いことに驚いている。「日本行政の縮図がここにある。公共のお金が大勢の役人によって喰い尽されている」「日本の官僚主義はお金に関する限りあてにならない」と言っている

・胎盤のことを古くは「胞衣(えな)」といった。日本人ほど臍の緒と胎盤に執着する民族はない。天皇の胎盤は呪術的に扱われる一国の安危に関わる重大事であった。秘かに吉田神社境内の、宇宙の中心とされる八角堂大元宮の東南東八間の地点に集中的に埋められた

・日本中の縄文遺跡から「貯蔵穴」が出てくる。食料の残量を知っておくことは、死ぬか生きるかの分かれ道になる。ドングリやら干し肉の残量を計る原始的経理が存在し、うまく計れたものが生き残ったと思われる。貯蔵穴は、我々の祖先の経理の証拠

・奈良時代になると律令国家ができて、民部省に主計寮がおかれた。職員定員は40人弱。これで朝廷の中央財政の収支決算を行った。税を扱うのは主税寮で、同じく40人弱がおかれた。主計と主税という現代の財務省の区分はこのとき明文化された

・加賀百万石には領民100万人の広域行政を行うため、150人の「御算用者」というソロバン専門家の部隊が編成されていた

・近代国家の学校制度は一種の国民総参加の「すごろく」で、「あがり」は高級官僚。エリート官僚になって階級移動をとげた人々は、自己の成功体験から学校を崇拝した

・江戸前期の急速な人口・経済成長を停止させたのは、宝永地震と富士山噴火。西日本沿岸部の干潟干拓による新田耕地増で、米が猛烈に増産され、干拓バブルが起こったが、1707年、南海トラフが動き、宝永地震が発生。西日本の低地を津波が襲い、大被害となった

・南海トラフは、100年に1度の大地震・大津波、500年に1度の大連動する超巨大地震・超巨大津波を起こす。500年に1度が最後に襲ったのは、室町時代の1498年。このとき、鎌倉大仏の大仏殿は押し流され、淡水湖の浜名湖は砂丘が破壊され、海水湖となった

・徳川家の男の子には、「乗馬と水練だけはしっかりするように」という家康が申しつけた掟がある。家康の教えは、「敵を斬り払うのは家臣の役目、大将は逃げることだけを心掛ければよい。逃げるのは他人に代わってもらえない」というもの

・関ヶ原の戦いで、島津軍は、身分ある武士もみな「腰さし鉄砲」を用意し、大量の銃で徳川の要人を死傷させた。そのことが、家康を恐怖させ、薩摩征服をあきらめさせた



歴史の裏側から、歴史の真実を見る著者の分析には、はっと驚かされ、気づかされる点が多々あります。

本書にも、歴史の真実を通して、現代を生き抜くヒントが、たくさんあったように思います。


[ 2013/12/20 07:00 ] 江戸の本 | TB(0) | CM(0)

『ポケットに名言を』寺山修司

ポケットに名言を (角川文庫)ポケットに名言を (角川文庫)
(2005/01)
寺山 修司

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寺山修司を紹介するのは、「両手いっぱいの言葉」に次ぎ、2冊目です。

本書には、詩人や演劇作家として活躍した著者の好きな言葉、人生に影響を与えた言葉が載っています。天才奇才と呼ばれた著者が懐に入れていた名言とは、何だったのか?それらの一部をまとめてみました。



・言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言いようのない、旧友の懐かしさがある

・少年時代、ボクサーになりたいと思っていた。しかし、減量の苦しみ「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだと思った。腹の減った若者は怒れる若者にはなれないと知った

・井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」という言葉は、私の処世訓。それは、さまざまの因襲との葛藤や、人を画一化してしまう悪と正面切って闘うときに、現状維持を唱えるいくつかの理念(習慣と信仰)にさよならを言うことで成り立っている

・ブレヒトの「英雄論」をなぞれば、「名言のない時代は不幸だが、名言を必要とする時代は、もっと不幸だ」。そして、今こそそんな時代である

・「君は小さいときはサンタクロースを信じ、大人になっては神を信じるんだ。そして、君はいつも想像力の不足に悩むんだ」(映画・野いちご)

・「私は人間の不幸は只一つのことから起こるということを知った。それは部屋の中で休息できないということである」(映画。柔らかい肌)

・「死んだ女より、もっとかわいそうなのは、忘れられた女です」(マリーローランサン「鎮静剤」)

・「人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間はいまでは人生を愛している。それは、苦痛と恐怖を愛するからだ」(ドストエフスキー「悪霊」)

・「幸福とは幸福をさがすことである」(ジュール・ルナアル)

・「どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。それは僕にまかして下さい」(アンドレ・レニエ「半ばの真実」)

・「でも堕落は快楽の薬味なのよ。堕落がなければ快楽も水々しさを失ってしまうわ。限度をこさぬ快楽なんて、快楽のうちに入るかしら?」(マルキ・ド・サド「新ジュスティーヌ抄」)

・「苦痛に二種あるように、快楽にも二種ある。一つは、肉体的快楽であり、二つめは、予想の快楽である」(エルヴェシウス「人間論」)

・「われわれは苦しむ以上に恐れるのである」(アラン「幸福論」)

・「崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある」(三島由紀夫「禁色」)

・「希望はすこぶる嘘つきであるが、とにかくわれわれを楽しい小道を経て、人生の終わりまで連れていってくれる」(ラ・ロシュフコオ伯爵「道徳的反省」)

・「ユートピアとは、贋物の一つもない社会をいう。あるいは真実の一つとない社会でもいい」(トマス・モア「ユートピア」)

・「苦しみは変わらないで、変わるのは希望だけだ」(アンドレ・マルロオ「侮蔑の時代」)

・「精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ」(三島由紀夫「美徳のよろめき」)

・「仁義なんてものは悪党仲間の安全保障条約さ」(黒澤明「酔いどれ天使」)

・すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。まわっているけど、前進しない

・煙草くさき国語教師が言うときに明日という話は最もかなし

・レースはただ、馬の群走にすぎないが、その勝敗を決めるナンバーは、思想に匹敵する

・どこでもいいから遠くへ行きたい。遠くへ行けるのは、天才だけだ



最初と最後の章は、寺山修司本人の言葉です。ちょっと斜に構えた視線から発する言葉は、真実や本質をさりげなく表現しています。

寺山修司が亡くなって30年が経ちますが、現代は、秀才が世にはびこり、彼のような奇才が生きにくい時代になっているのかもしれません。


[ 2013/12/18 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『あなたが落ちぶれたとき手を差しのべてくれる人は、友人ではない。』千田琢哉

あなたが落ちぶれたとき手を差しのべてくれる人は、友人ではない。あなたが落ちぶれたとき手を差しのべてくれる人は、友人ではない。
(2012/08/18)
千田 琢哉

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何とも長ったらしくて、冷徹な感じのする本のタイトルです。人間関係というものを客観的に、現実的に見ているようにも感じます。

人間関係を「先輩・上司」「同期」「後輩」「顧客」「友人」「恋人」「親族」に分けて、それらの付き合いを本当はどうすればいいのかのヒントが得られる書です。その一部をまとめてみました。



・誰も耳にとめない窓際の先輩社員のつぶやきをアタマの片隅に焼きつけて仕事をする。挫折知らず、出世コースまっしぐらのエリートより学ぶことは多い。窓際の先輩は予言者

・怒鳴り散らす上司を怖がるのではなく、上司が何を怖がっているのかを考える。怒鳴っている人は、怒っているのではない。怖がっている

・「嫌なヤツだ」と思う人ほど、その逆の姿を想像して接する。いつもペコペコして頼りない上司に限って、家では亭主関白。人は精神的にバランスをとらなければ生きていくことはできない

・自発的に挨拶する先輩社員をチェックしておく。そういう人ほど世の中に影響を与えていく。自ら挨拶する先輩は将来の重役

・机の上にモノが少ない先輩は決断力の鬼。机の上は言い訳できない生き様。役職者の机にモノがあふれている組織は、決まって業績が低迷している

・自分が媚びている人ほど他人が媚びている姿を毛嫌いする。周囲と一緒に腰巾着をバカにするのではなく、その裏の並々ならぬ努力を認めること。筋金入りの腰巾着は未来の専務

同期会で馴れ合うと不幸になる。成果を上げる人は、同期というちっぽけな枠をはみ出して、社内はもちろん社外に目を向けて切磋琢磨する人生を望む

・社内で友情を求めてくる同期は遠慮なく切っていい。友情とは、成果を上げながら育んでいくもの

・熟慮する優秀な人がチャンスを逃す。本気とは、圧倒的なスピードと具体的な行動のこと

・メジャー部門に配属された同期は落ちこぼれ。マイナー部門だからこそ、その実績が一層際立つ

・自分が会社から受けている恩恵をすべて棚卸ししてから独立を考える。あなたを尊敬する後輩は、あなたが独立したら離れていく

大嫌いな顧客の財布から給料の一部が出ている。今日の晩御飯を昨日会った顧客の顔を浮かべながら食べる

・無反応な顧客の本音は「早く目の前から消えてくれ」。「ダメだこりゃ」と思った商談は、早々に切り上げる

・会社で独りぼっちの人には生涯の親友がいる。独りで黙々と努力する人はまもなく親友と出逢う

・あなたが落ちぶれたとき、手を差しのべてくれる人は、友人ではない。落ちぶれても歯を食いしばって一人でがんばっていると、まもなく真の友人が現れる

・「アイツ、成功して変ったよな」。友人が成功した途端、こんなことを言い始める。欠点が目立ち始めるのは、成長しているから

・本当の人脈は切っても切れない。真の友人とは「にもかかわらず追いかけて来てくれる人」

・一度「うちの子自慢」に関わると、20年以上苦労する。我が子はみなかわいく、他人の過小評価と自分の過大評価の象徴

・レスポンスの遅い人がドタキャンする。レスポンスが遅くてドタキャンする人は、本当は誘わないでもらいたいのに、いい人だから自分から言い出せない。ドタキャンの犯人は、その人を誘ったあなた。誘ってほしくなさそうな人は勇気を持って誘わない



常識と思われていることが、実はそうでないことがよくあります。本書は、そういう常識について、疑問を投げかけている書ですね。

時代や所が変われば、常識も変わります。人間関係の常識を問い直すのに、最適の書ではないでしょうか。


[ 2013/12/16 07:00 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『さみしさサヨナラ会議』小池龍之介、宮崎哲弥

さみしさサヨナラ会議さみしさサヨナラ会議
(2011/06/30)
小池 龍之介、宮崎 哲弥 他

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本書は、評論家の宮崎哲弥氏と住職の小池龍之介氏の対談本です。その中の宮崎哲弥氏の考え方が秀逸だったので、その部分だけをとり上げてみました。

本書には、「孤独」についての興味深い考え方が数多くあります。それらをまとめると、以下のようになります。



・人の心は他者の言葉に大きく左右される。詐欺や洗脳のように心に偽りの現実感を植え付ける場合ですら、ほとんどが言葉を手段としている。「たかが言葉に踊らされるなんて」と軽視しがちだが、実は感覚よりも言葉の方が強く心に影響を与える

・憎悪に心を燃やし、嫉妬に身を焦がしている間、孤独感は消える。本当は、その最中に「次の孤独」の原因がどんどん溜まっているのだが、それに気づかないのが罠。こうして憎しみや妬みの心が性癖になる

・セックスは部分的に自我を壊し合うゲーム。ところが、人間は実に手に負えない生き物で、自我の壊れた部分から、もっと自我を肥大させよう、最終的には相手も自分の自我で圧倒、支配しようと指向するようになる

恋心の成分を分析すると、自己愛はもちろん、支配欲とか独占欲とかも含まれている。それに、もっとネガティブな嫌われたくない気持ちも大きい

・通常、欲望は「満たされた状態」を求めるものだと思われるが、実はそれはウソ。満たされた瞬間に欲望は消滅してしまう。人は「すでに持っているものを欲しがることはできない」

・仏教は、欲望を断たないと本当の意味で幸福にはなれないと説くわけだが、多くの人々にとって「本当の意味の幸福」というのは、刺激のないつまらない状況に思える

・風俗産業には、昔から孤独慰撫ビジネスの側面がある。見方によっては、宗教もその種のサービスを提供するビジネスの側面がある

・大人になると、恋愛の「先が見えるようになる」。ある程度、経験値が高くなると、自分の気持ちの転がり方が予測できる。そうなると、味覚と同じで、快楽が次第に減っていく

・男性の根源的欲望は、生の始原の状態、具体的に言えば、母親の胎内に回帰する。これこそが、男の究極のさみしさの解消策。しかし、それは望み得ないので、疑似母胎を探す

・社会の変化は、男女の平等化が進んだというよりも、男女の同質化が急進したととらえるべき。男性がしんどい役割を堅持しなければならない理由がなくなったということ

快楽の量の増大と幸せの増大を同じものとみなす社会は、全体がソフトな覚醒剤中毒にはまっていると言える

・仮に巨万の富や権力によって、大方の欠如が埋められたとしても、新たな欠如を求める欲望の性質は強く残っているため、「欠如の欠如」が意識され、「『欲しいものと思えるもの』が欲しい」という倒錯した渇望が空転することになる

・中村うさぎ氏が「さすらいの女王」で、「『新世紀エヴァンゲリオン』は、全人類が一体化して一つの自我を共有するか、一人一人が孤独な個であり続けるか、という究極の物語であった」とまとめているのは、とても当を得た整理

・「人は死ぬ限り幸福にはなれない」とは、哲学者の中島義道氏の名言だが、「人は不死になっても幸福にはなれない」。死んで無に帰すのも怖いが、永遠に存在するのは、それと等しく恐ろしい

・まともに恋愛してきた大人なら、人が平等だなんて嘘っぱちだと知り尽くしている。愛する一人を選別することの残酷さ、また愛する人から選ばれないことの残酷さ。恋愛は、そういう公平とか正しさとかの学校教育的な建前がまったく通用しないサバイバルだから

・仏教の主要テーマの一つが「世界はままならぬものである」ということ。全知全能の神なんて、もちろん存在しないし、科学やテクノロジーが進んでいっても、人が強い自我を持ち続けたとしても、世界を意のままに変えることなんてできない

・「ままならない世界」を淡々と見つめ、その性質を知り尽くし、自分を自分に縛りつけている強固な錯覚を打ち破ることで、苦しみから解き放たれる。これが、釈迦のオリジナルな教え



煩悩、苦しみ、不条理感、孤独感を完全に解き放つことは不可能ですが、本書を読むと、それらと上手くつきあっていけるように思えてきます。

この世とは、自分の思うようにいかない「ままならない世界」と理解した上で、限りある命を楽しむことなのかもしれませんね。


[ 2013/12/13 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『堕落論』坂口安吾

堕落論 (新潮文庫)堕落論 (新潮文庫)
(2000/05/30)
坂口 安吾

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坂口安吾の本を紹介するのは、これで3冊目になります。戦後すぐに、安吾は本書で、「生きて堕ちよ」と堕落をすすめ、世に賛否両論の渦を巻き起こしました。

その本質を見極める言葉の数々は、65年経った今でも、非常に参考になります。その一部をまとめてみました。



・堕ちる道を堕ちることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である

・農村には耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるが、文化の本質である進歩はない。農村にあるものは排他精神と、他へ対する不信、疑り深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけ。純朴などという性格もない

・農民は常に受け身である。自分の方からこうしたいとは言わず、また、言い得ない。その代わり、押しつけられた事柄を彼ら独特のずるさによって処理する。そして、その受け身のずるさが、日本の歴史を動かしてきた

・必要は発明の母というが、その必要を求める精神を、日本ではナマクラなどと言い、耐乏を美徳と称す。勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。だが、肉体の勤労に頼り、耐乏の精神によって、今日亡国の悲運を招いた

・藤原氏や将軍家にとって、最高の主権を握るよりも、天皇制は都合がよかった。彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分がまず真っ先にその号令に服従してみせることによって号令がさらによく行き渡ることを心得ていた

・藤原氏の昔から、最も天皇を冒瀆する者が最も天皇を崇拝していた。彼らは盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、わが身の便利の道具とし、冒瀆の限りをつくしていた

・人間の、また人性の正しい姿とは、欲するところを素直に欲し、厭なものを厭だと言う、ただそれだけのこと。大義名分だの、不義はご法度だの、義理人情というニセの着物を脱ぎ去り、赤裸々な心になることが、人間の復活の第一条件

・美しいもの、楽しいことを愛すのは人間の自然であり、贅沢や豪奢を愛し、成金は俗悪な成金趣味を発揮するが、これが万人の本性であって、軽蔑すべきではない。そして、人間は、美しいもの、楽しいこと、贅沢を愛するように、正しいことをも愛する

・人間が正しいもの、正義を愛す、ということは、同時にそれが美しいもの、楽しいもの、贅沢を愛し、男が美女を愛し、女が美男を愛することと並び存する。悪いことをも欲する心と並び存するゆえに意味があるので、人間の倫理の根元はここにある

教訓には二つある。先人がそのために失敗したから、後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し、後人も失敗するに決まっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のもの

・家庭は親の愛情と犠牲によって構成された団結のようだが、実際は因習的な形式的なもので、親の子への献身などは親が妄想的に確信しているだけ、かえって子供に服従と犠牲を要求することが多い

働くのは遊ぶためであり、より美しいもの便利なもの楽しいものを求めるのは人間の自然であり、それを拒み阻むべき理由はない

・江戸の精神、江戸の趣味と称する通人の魂はおおむね荷風の流儀で、俗を笑い、古きを尊び懐かしんで、新しきものを軽薄とし、自分のみを高しとする。新しきものを憎むのは、ただその古きに似ざるがためであって、より高き真実を求める生き方、憧れに欠けている

・日本文学にとっては、大阪の商人気質、実質主義のオッチョコチョイが必要。文学本来の本質たる思想性の自覚と同時に、徹底的にオッチョコチョイな戯作者根性が必要。鼻唄を歌いながらではいけなく、しかめっ面をしてしか文学を書けなかったということ

・人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなってしまうのだから。人間同志の関係に幸福などない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、よく生きなければならぬ

・死ぬ時は、ただ無に帰するのみであるという、この慎ましい人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。これを、人間の義務とみる。生きているだけが人間で、あとはただ、無である。そして、ただ生きることのみを知ることによって、正義、真実が生まれる



安吾は憤然と、人間の本性について、日本的組織について、日本人について、日本文学について、死について、語っています。

自分の頭で考えず、本質を見ようとしない日本人に対して、安吾は苛立ち、耐えられなかったのでしょう。それから、65年経っても、大きくは変わっていません。安吾の指摘、「恐るべし」です。


[ 2013/12/11 07:00 ] 坂口安吾・本 | TB(0) | CM(0)

『プア充―高収入は、要らない―』島田裕巳

プア充 ―高収入は、要らない―プア充 ―高収入は、要らない―
(2013/08/23)
島田 裕巳

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最近、話題になっている本です。GDPが高い国の進むべき道は、「これだ!」と思ってしまうタイトルです。

著者の本はもう何冊も紹介しています。「島田裕巳・本」というカテゴリーもつくっているぐらいです。本書の内容は簡潔で一貫したものです。その中から、「お気に入り」の一文を幾つかまとめてみると、以下のようになります。



・考えれば考えるほど、年収300万円くらいのプア充こそ、これからの日本人生き方にとても合うライフスタイル。幸福な生活に、「高収入」も「刺激」も「贅沢」も「無理」も「成長」も、必要ない。必要なのは、プア充になって、ムダなく合理的に生きること

・稼いでも、稼いでも、永遠に満足することはない。いや、むしろ稼げば稼ぐほど、お金に対する執着欲望不安は増すもの

・もっとお金が欲しい、もっともっと稼がなくてはならない、そんなふうに思うときの気持ちって、決して幸せな気持ちではない

・娯楽は、費やした金額に比例して、楽しさが増すわけではない。無料でも楽しいことはいくらでもある

・プア充を目指すなら、ベンチャーではなく、ある程度安定した会社がいい。有名でなくていい。有名な大手企業は安定はしているが、仕事は忙しい。プア充生活におすすめなのは、「古くてださい会社

・「仕事は、1日の3分の1の時間を費やすから、そこにやりがいを見出さないと人生はつまらなくなる」なんていうのは思い込み。仕事は、あくまで生活のための手段と割り切る

・生きていく上で「使い捨てられない」ことが大切。そのためには、自分の時間をいかに確保し、健全な生活をしていくかを自分の頭で考えなければならない。それがプア充の基本

・禁欲は、人間の喜びにとって大きな役割を果たす。禁欲をして、それが解けることが楽しい。禁欲によって、「待つ」ことの意味を、多くの宗教は諭している

・お金があると、「待つ」楽しみが奪われる。ある程度の制限があるほうが、人生は楽しい

・プア充を目指す人こそ、都会に住んだほうがいい。地方に住んだら必ず車が必要になる。車は金食い虫。賃料は地方のほうが安いが、一人暮らし用の物件があまりない

・プア充の暮らしをするためには、「外食をしない」「規則正しい生活をする」「ストレスをためない」こと

・迷惑なんて、かけてなんぼ。迷惑をかけ合うことで、人間関係ができていく

・ネガティブな未来を想像することが、負担になっている。高額な保険に加入してしまう心理も、目的のない貯金に勤しむ心理もそう

・物質的な欲望にとらわれず、自然に従って生きる。「死ぬまで生きる」と考えること

・「人に迷惑をかけるな」というのは、豊かになって人が孤立し始めた現代における妄想。困ったときには、周りに迷惑をかけて当然。迷惑をかけられるほうも嫌だなんて思っていない。いい人間関係を築きたいなら、まずは相手に迷惑をかけること

年収300万円くらいの仕事はたくさんあるので、転職しやすく、それが心に余裕を生む

・国や企業の「成長使命」に、個人がふりまわされる必要はない。「成長しなければいけない」「稼がないといけない」という思想は、現代社会が作りだしている幻想

・お金とは、あくまで、楽しいと感じられる人生を送るために最低限必要なツールであって、それ以上でもそれ以下でもない

・経験やスキルがないのに、高収入を得ようとすると、結局、時間や健康が犠牲になる

・世の中の幻想や誘惑に振り回されずに、賢く生きることがプア充の基本。無駄なことはせず、嘘や誘惑に騙されない。安定した生活を送るという強い意志を持つことが必要



この本は、ミャンマーやバングラディシュでは売れないと思います。この本が売れる素地が今の日本にあることはうれしいのですが、「プア充」が多数派となるには、もう少し時間がかかりそうに思います。

親、先輩の考え方、マスメディアの洗脳、街の誘惑を、個人が断ち切ることは、なかなか難しいことかもしれません。


[ 2013/12/09 07:00 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(0)

『10年後に食える仕事、食えない仕事』渡邉正裕

10年後に食える仕事、食えない仕事10年後に食える仕事、食えない仕事
(2012/02/03)
渡邉 正裕

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本書は、若者を不安に陥れるものでも、必要以上に鼓舞するものでもありません。ただ冷静に、食える仕事(安定的に給料をそこそこもらえる仕事)とは何かを探す内容の書です。

現実路線の生き方をする上で、非常に役に立つ書です。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・これからの経済はグローバル化だ、皆が英語を操って世界を相手に丁々発止のビジネスをしなければならない、といった言説がはびこり、そんな文句に脅されて、講演に出かけ、ビジネス書を読み漁り、学校に通い、資格取得マニアになって、疲弊している人が多い

・グローバル化がいくら進もうが、日本人の仕事として日本に残る仕事は、必ず残る。逆にグローバル化で、減る仕事、賃金相場が限界まで下がり続ける仕事、丸ごとなくなる仕事もたくさん出てくる。だから、どの領域で稼ぐのかを考え、仕事を選ばねばならない

・世界を相手に厳しい競争社会で勝ち続け、№1を目指したいという人には、より頑張ればいい。だが、日本人の皆が世界70億人を相手に激烈な競争を繰り広げる必要など全くないし、向いていない人が競争率70倍の激戦区に参戦するのは不幸でしかない

・実は、日本人として、この国で生まれ育ったこと自体がスキルであり、武器になる分野もたくさんある。それを自身の強みと理解し、強みを活かせる分野で、能力アップに励むことが最も賢い道。この認識で仕事選びを行っていれば、雇用のセーフティネットになる

・究極的に「一物一価」へと収斂していくグローバル化によって、ブラックホールのように「重力の世界」へと引き込まれる仕事は着々と増えており、その流れやメカニズムを理解した上で、自身の仕事を選んでほしい

・グローバル化時代の職業には、「1.重力の世界」(グローバルの最低給与水準に収斂)、「2.無国籍ジャングル」(70億人との戦い・超成果主義)、「3.ジャパンプレミアム」(日本人ならではの質の高いサービス)、「4.グローカル」(日本市場向け高度専門職)がある

・国境を越えたアウトソーシングは、米国で早くから行われ、英語が公用語のインドが受け手になっていた。中国の大連市は、日本のアウトソーシング受託の一大拠点に育ち、日本語を操る中国人が激増している

・グローバルの波にのまれて去っていく者もいれば、グローバル化と無縁の者もたくさんいる。公務員(教師、消防、警察、各役所の職員)や、民間でも鉄道系の正社員も「グローバル耐性」が強く、フラット化した世界でも食べていける仕事

日本人メリットを活かせる職に就くことで、ハングリー精神旺盛な新興国の人たちとの不毛な消耗戦、血みどろの戦いを避けられる

・日本人メリットを活かせる仕事とは、一言で言えば「外国人には容易に代替がきかないモノやサービスを提供する仕事」

・世界から並外れている日本人の特性は、「清潔さ」(exツバを吐かない)、「きめ細やかさ」(ex裏側までキッチリ施工)、「勤勉さ」「顧客へのサービス精神」「道徳心」(ex会社のものを盗まない)、「組織への高い忠誠心」(exすぐに会社を辞めない)など

・IT化で瞬時に海外移転する職業、海外移転しないが、国内で徐々に外国人に置き替わっていく職業は、日本人メリットがなく、特段の高いスキルも必要とされない。一刻も早く抜け出すことを考えたほうがいい

・「情報」や「金融」が、一瞬で国境を越えるのとは対照的に、「土地」「建物」は国境を越えにくい。建築や不動産業界の職種は、グローカル職の集合体

・商品単価が安く、失敗時のリスクが低く、単発で長期的関係が不要な商品を売る営業、マニュアル化ができて、足で稼ぎ、数を撃って当てるスタイルの営業も、誰が売っても品質に差が出ない営業なので、今後沈んでいく可能性が高い

・「人事」が行う採用、育成、昇給昇格管理、人事制度設計、労務対応といった業務は、国ごとに固有の制度がモノを言う土着の世界で、「グローカル」職業の典型。一方、「経理・財務」は一部が中国へ移され始め、遅れている会社でも、非正規社員化は進んでいる

・日本国内の雇用者数を分類すると、「重力の世界」(72%)、「無国籍ジャングル」(3%)、「ジャパンプレミアム」(16%)、「グローカル」(6%)、「分類不能の職業」(3%)になる。7割の人は危機感を持たないといけない



年輩の人たちは、若者に覇気がないと言います。しかし、そういう人たちは、真のグローバル競争を経験しなかった人たちです。時代と共に、考え方も変わっていかなければなりません。

今の日本は、成長の時代ではなく、成熟の時代です。それにふさわしい生き方や仕事を模索するうえで、本書は役に立つのではないでしょうか。


[ 2013/12/06 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『アカシックファイル』明石散人

アカシック ファイル 日本の「謎」を解く! (講談社文庫)アカシック ファイル 日本の「謎」を解く! (講談社文庫)
(2000/01/11)
明石 散人

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博覧強記の著者の本を紹介するのは、「日本史快刀乱麻」以来、約4年ぶりです。日本の歴史ミステリーを解かしたら、著者の右に出る者はいません。

本書は、歴史を通して、知的興奮する世界へ誘ってくれ、しかも納得させられることばかりです。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・大企業の大企業たる所以は「お上の枠組みにがっちり組み込まれている」こと。この枠組みは大概有利に働くが、枠組みを守れなくなると否応なく倒産させられる。その国の経済が衰える時、最初に倒産するのは大企業

・個人的な人間関係に屈したり配慮したりするのは、権力者として最も排除すべき振る舞い。権力を持つ人に最も大事なポイントは孤立していること

・江戸後期の「世事見聞録」では、「軽蔑すべきは二足のわらじを履くもの」としている。弱きを助け強きをくじく侠客の顔を持ちながら、その裏で役人の手先をする者のこと。今で言えば、政府や官僚を批判しながら、裏でちゃっかり政府の委員などを務める評論家

・鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府の滅亡は、行財政改革がその根底にあった。明治政府は、当時流通していた各藩の藩札を全部ただの紙にして、借金を全部チャラにした。行財政改革というのは、新しい権力者による全取っ替えということ

・政治家に求めるのはヴィジョンではない。現実を踏まえた即効性。目の前で子供が溺れている。なぜ落ちたのか。なぜ溺れたのか。どこの子供なのか。誰の責任か。こんなことは、後で考えればいい。ここに理屈はいらない。すぐに飛び込んで助けてくれればいい

・人が形成する社会は、煎じ詰めれば、ねずみ講と少しも変わらない。いつか破綻するが、誰も今だと思わないだけ

・資本主義がねずみ講と違うのは、破綻するまでに時間がかかる、この一点だけ。資本主義の根本は、人口増加が最大の定義、これなくしては成立しない。但し条件が一つある。人口増加は必須の条件だが、増えていいのは貧乏人

目的意識というのは、現状に希望のない貧乏人に夢を与える幻想に過ぎない。つまり、まやかし。こんなことを信じるから、貧乏人はいつまでも貧乏人

・庶民の目的意識というのは、資本主義というねずみ講を継続するためのエネルギー。そして、この目的意識は、権力者に対する庶民の忠誠心ともイコールしている

・思い上がりというのは、自己価格がいくらか判らない人のことを言う

・ヨーロッパの文化では、収集趣味は貴族階級に限られていた。日本の場合は、庶民階級がそれを望んだ。浮世絵や日本古銭をコレクションしたのは町人階級。庶民が文化を要求したのは世界中で日本人だけ

・財産をたくさん所有したり、権力者になったり、社会的名声を得たからといって、必ずしも、その人の生き方が正しいとは限らない。最も大切なことは、結果ではなく、そこへ行くまでの正当性を所有しているか否か

知性は人を驚かすが、人の心を揺さぶらない。感性は人を驚かさないが、人の心を揺さぶる。人の機能で最も優先するのは感性。感性によって、人は自己が人であることを知る

・危機管理というのは、隠蔽工作に接続している。利益誘導、自己保身、ばれないようにする、まずいことは発表しない、これが本来の危機管理の姿

・我々は、とかく捕まる人間を悪と見がちだが、捕まえ裁く側の方が往々にして悪。彼らが人を捕まえるのは、自己保身を前提にした意図的な排除であり、それが彼らの危機管理に直結しているから

・理由の如何に関わらず、とりあえず何でも反対し、拒否することが、庶民の危機管理。なぜなら、庶民は決して利益配分にさずかることがないから

・権力者に対して、何でもごねる、何も言うことを聞かない、公表された情報はすべて意図的なものと認識する、勝手に枠組みから逸脱する。庶民の分際にもかかわらず、いかにも判ったような顔をする、これほど愚かなことはない

・善は悪に決して勝てない。勧善懲悪というのは庶民の理想であって、現実にはあり得ないからこその言葉。悪に勝つのはさらに大きな悪。当然、悪を裁くのも、また、より大きな悪



ものの道理を、歴史を通して拾い上げる著者の力量に感嘆してしまいます。著者の力量の根底には、「疑いの眼」が必ずあるように思います。

この「疑いの眼」こそが、「公正」「客観的」につながっているのかもしれません。振り子の球を真ん中に戻すには、「疑いの眼」「反対の視点」を持つことが重要であると、再認識させてくれる書でした。


[ 2013/12/04 07:00 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『お寺の経済学』中島隆信

お寺の経済学 (ちくま文庫)お寺の経済学 (ちくま文庫)
(2010/02/09)
中島 隆信

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本書は、日本の仏教の歴史、制度、しくみなどを踏まえた上で、経済を論じている書です。お寺の社会学というタイトルをつけてもいいくらいです。

仏教の経済を通じて、仏教の全体が学べます。勉強になった箇所が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



集団の結束力を高めるには、三つの方法がある。「1.知識の共有」「2.時間の共有」「3.行動の共有」。仏教教団がこうした手段を用いてきた結果が、「釈迦の教え」(経)、信者としての修行の基本方針(戎)、僧侶の守るべき規律(律)の確認

・一部の人間しか救済されない宗教では、いかに教えが尊いものでも、一般に広がっていかない。大乗仏教は「救済」という発想を従来の仏教に持ち込むことによって、一般人に受け入れられる素地を作り、その後の発展の道を切り開いた

・平安時代までの日本の仏教は、皇族や貴族といった国の支配層に支えられ、僧侶は公務員として安定した地位を確保した

・国家権力という強力なスポンサーを得た宗教は栄える。しかし、国家の庇護に安住すれば緊張感が薄れ、宗教は堕落する。政府の保護政策を長年にわたって受けてきた産業が国際競争力を失って衰えることと同じ

・信仰という市場の場合、新規参入者が顧客拡大を図るためには、他宗に対して批判的にならざるを得ない。日蓮が鎌倉政府によって流罪に処せられたのは、信仰市場の新規参入者として、世の中を騒がせたから

・自転車に喩えて言うなら、「経済学」は後輪。ペダルをこぐと後輪が回転し、自転車は前に進む。経済学は社会を前進させる原動力だが、後輪だけでは不安定。前輪の「仏教」が必要。行き先をコントロールし、社会が間違った方向に進まないように正してくれる

・日本の寺にあって、タイの寺にないものは、お墓。日本の寺院にお墓があるのは、日本のお寺に「檀家」という他の仏教国に例を見ない特殊な存在があるから

・江戸幕府が信者を与えてくれた「檀家制度」は財産やスポンサーを持たない小規模寺院にとって願ってもなかった。「宗門人別改帳」に各戸の宗旨と菩提寺名を記載し、寺院が保証したことは、寺院が政府機関の末端として、行政権限を与えられたことを意味する

・江戸時代は職業選択の自由がなく、人の移動も制限されていた。幕府は檀家による菩提寺への定期的な参拝や布施を義務化したため、寺院は顧客と安定した財政基盤を得ることができた。お寺は行政機関の仕事を肩代わりする見返りとして、収入の安定を得た

・幕府が恐れたのは、現状に不満を持った人々が、信仰を求心力として結束し、政治に対抗すること。大衆を結束させないために有効で効率的な方法は、日本人から信仰心を取り去ってしまうこと。檀家制度はまさにその役割を果たした

・檀家制度によって、住民は檀家として、近隣のお寺に縛りつけられた。こうした状況が約260年続いた。日本人に宗教心がないと言われる原因がここにある。お寺を弾圧するのではなく、飴を与えて骨抜きにした。保護政策がいかに産業を駄目にするかの典型例

・檀家制度によって信者が確保されたので、仏教の教義を伝えることよりも、檀家からの布施収入を増やすことが重要となった。日本に古くからある先祖崇拝の儒教思想を利用し、ご先祖様の追善供養と称して、数度にわたる法事を執り行い、布施収入を増やしていった

・決められた仕事をこなす公務員組織では、命令系統明確化のための序列が必要。それが僧侶の官位。僧が官位を得たのは624年。今も残る僧正や僧都の名称はこれに由来。官位の決め方の基準も必要になり、政府は僧侶の年功制を導入した。これが年功制の始まり

・かつて僧侶は、宗教家であると同時に、公務員であり、学者であり、慈善事業家であり、芸術家であり、軍師であり、そして教師であった。近代化とともに、職業が専門化され、僧侶の仕事は、次々と専門職にとって代わられた

・宗教家という専門職は強度に差別化されている。そのため、本来は政府の支配下にあるはずの官僚組織(奈良仏教教団)が力をつけて、政府を脅かした。そこで、桓武天皇は首都を京都に移転し、新しい仏教勢力をつくろうと考えた。このプランに協力したのが最澄

・本来、僧侶の仕事は対価を要求しないもの。困っている人がいれば救いの手を差し伸べて、お礼は後から受け取る。その金額はいくらでも構わない。さらに言えば、布施をさせてあげるのが僧侶の仕事なのであり、お礼を言ってはならないもの



江戸時代が終わり、約150年経っていますが、我々日本人は、今も江戸初期につくられた仏教の制度に精神的に支配され続けています。そこに疑問を感じず、思考停止の状態になっているのかもしれません。

本書は、仏教とのつき合い方に目を覚まさせてくれます。仏教を再考するのによいテキストになるのではないでしょうか。


[ 2013/12/02 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)