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『川と国土の危機-水害と社会』高橋裕

川と国土の危機――水害と社会 (岩波新書)川と国土の危機――水害と社会 (岩波新書)
(2012/09/21)
高橋 裕

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著者は、河川工学が専門の東大名誉教授です。日本は、歴史的にも、水害(洪水、土石流、地滑り、津波、高潮など)に悩まされてきた国だから、水源地の森林から河口の海岸まで、川の流域全体の統一した保全思想と防災構想の必要性を提唱されています。

しかし、主に高度成長期、何の思想も構想もなく、付け焼刃的に防水治水工事を行ってきたツケが、現在の危機的状況に至っていると警鐘を鳴らされています。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・東京は、先進国の中で、最も災害危険性が高い首都。ミュンヘン再保険会社の自然災害リスク評価では、東京・横浜のリスク指標は710と抜群に高い。以下、サンフランシスコ167、ロサンゼルス100、大阪・神戸・京都92、ニューヨーク42。他の大都市は40以下

・東京は江戸時代以降、震度6の地震を6回経験している。安政大地震(直下が震源)と関東大地震(遠方が震源の巨大地震)の異なるタイプの地震で100年足らずの間隔で大被害を受けた大都市は、世界中で東京しかない

・東京の水害多発は諸外国の首都に例を見ない。江戸の三大洪水(1742、86年、1846年)。そして1910、47年の利根川、荒川の大氾濫。1917、49年の台風による高潮災害。1958年の狩野川台風による山手水害以後、東部下町だけでなく、西部でも水害が頻発している

・江戸時代は住所を高所に設置し、洪水を自由に氾濫させ、低平地は冠水に強い農産物を育てる対応だった。明治期、都市化・工業化の政策大転換によって、都市域や工業用地への氾濫を完全に防ぐことが要求された。この大治水事業が完成したのは、昭和5年のこと

・主要河川において、大洪水時の最大流量が過去最大記録を更新している。その構造的理由は、明治以来の連続大堤防方式の治水方策にある。すなわち、流域内に降った雨をしばらく留めようとせずに、多くの支流から本川の河道へと速やかに集中させようとしたから

水田が宅地化されると、洪水調整機能が失われるのみならず、降水は地下へ浸透せず、一目散に都市内河川か、整備された下水道へ殺到する。そのため、都市内河川は、従来の河道では間に合わなくなり、氾濫しやすくなった

・1990年以降普及した「多自然」河川工法の狙いは、ドイツ・スイスなどヨーロッパ各国で普及した「近自然」河川工法とほぼ同様。自然生態系を考慮し、強度で少々劣るが、堤防護岸にコンクリートを極力使わず、石材・植生などの自然材料を多用するようになった

・堤防に親しむ手段として、堤防の勾配を緩くするのは効果的。緩勾配は川に集う人々の心をなごませる。堤内側はもとより提外側でも緩勾配であればなおさらのこと。しかし、緩勾配は広い敷地を要するので、土地を得るのが困難な都市河川では難しい

ダムがもたらす利益は、洪水調節、水力発電、農業用水、工業用水、飲み水など生活用水の供給など多面的で、河川技術の花形でもあった。現在、日本のダムの総計は約3000。1950年代~1970年代にかけては、戦後の国土復興、高度成長へ大きく寄与した

・ダムブームの70年代まで、ダム建設は土木技術者の憧れの的であり、マスメディアもダム建設推進を唱えていた。オリンピック直前の東京の深刻な水不足に際しては、メディアはこぞって水道局を無策とし、なぜダムを早く造らなかったのかと攻撃していた

・1970年代以降、森林の水源涵養機能がダムに代替できるとして、「緑のダム」が謳われるようになったが、森林とダムの河川の流れに対する役割は異なる。森林はダム上流域において土砂流出を抑え、ダム湖の堆砂を減らし、洪水調整機能を増させる役割

・大水害は、ほとんど河川の中下流部の破堤によって発生する。中下流部に広い沖積平野のある大河川では、一旦破堤すると広い面積に氾濫して大水害になる。都市水害の被害は、沖積平野の無秩序な開発による土地利用の変化によるもの

・伊勢湾台風後に建設された海岸堤防は、すでに半世紀を経て、老朽化している。壮大な堤防が完成すると、企業も市民も、津波・高潮からの危険は最早ないと信じ、一層堤防の近くに立地した、しかし、その堤防を越える大波が襲来すれば、被害は深刻になる

・明治初期、東海道線の新橋・横浜間の建設に際して、汐留から品川までの9㎞の線路を、海の中の遠浅の干潟に敷設した。第二次大戦後も、高速道路やバイパス道路を水際や海上に建設した例は多く、海岸災害の危険度が増している

・大きな河川には大規模遊水地が完成してきているが、中小河川には大きな遊水地候補がなく、ほとんど完成していない。大洪水の際の氾濫水を一時貯溜するのに、耕作放棄地が河道近くにあれば、効果が期待できる



東日本大震災以後、地震と津波にばかり目が行きがちですが、水害にも、もっと関心を持つべきかもしれません。

洪水対策がないまま、農地から住宅地・工業用地になし崩し的に開発されてしまった土地が、日本には無数にあります。今住んでいる土地が、水害に対して、本当に安全なのか、もう一度点検してみる必要があるのではないでしょうか。


[ 2013/11/29 07:00 ] 環境の本 | TB(0) | CM(0)

『いい話グセで人生は一変する』小中陽太郎

いい話グセで人生は一変する―人間関係を幸せにする技術いい話グセで人生は一変する―人間関係を幸せにする技術
(2011/09)
小中 陽太郎

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著者は、作家ですが、討論番組の司会やテレビのコメンテーターとしても、ずっと昔から活躍されており、「座談の名手」とも呼ばれています。

その著者が、多人数の中での会話の方法をまとめたのが本書です。参考になる点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・「とりもつ」「フォローする」「会話をコーディネートする」ことは必要。それらは、決して自分をかくして相手に合わせることではない。それによって、自分にも相手にも社会にも可能性が開ける

・「人生とは、座をとりもつこと」。この「座持ち」の思想は、バカにできない

・漫才は、ボケとツッコミだけで成り立っているわけではない。それを見て、楽しむ人がいるから成り立つ。ボケ、ツッコミ、笑う人の三角関係でうまくいく

・座談でも、攻撃する人反撃する人、それを見て、その力をうまくさばいて座をとりもつ人の3人がいる。その場をまとめているのは、座をとりもつ人

・主観的な人間は、自分だけで考え、ひとりよがりになる。対話(弁証法)こそ、真理に到達する道であり、実のある会話。だから、他人に反対されても怒ってはいけない。また、他人に反対することを遠慮してもいけない。最後に必ず一致点を探すこと

・司会者、座談を動かす人は「アジェンダ(議題)」を握っている。このアジェンダを悪用すると、大勢の人の関心を一つに集め、操作する危険な武器になってしまう

・真のコーディネーターは、支配者すらもコーディネート(同格に)してしまう大きさと思いやりがなければいけない

・世界が狭くなり、文化も言葉も、異文化が混じり合った今の社会では、多様な文化や人種をうまく調整する人がとても大切になっている

反体制といっても所詮、うらみつらみの復讐にすぎず、それがはれると、現世的栄誉に走るのが人間

・コメンテーターには「1.解説」「2.予測」「3.意見」の三つの役目が課せられている

・「笑いは常に集団の笑いである」は、ベルグソンの名言。笑いには他人が必要。笑いとは、場に生きるということ

・コーディネーターは、「けじめ役」をかって出て、みんなの意見を簡潔にまとめること。そして、締めたら、サッと引き上げること。これが必須

・シャープ(半音高い)で、目立つ人もいれば、フラット(半音低い)で和ませてくれる人もいて、音楽となる

・他の人と違う何かを訴えるために、人は話をする。会話はいつだって「化学反応

・縁こそが社会のダイナミズム。偶然の出会いという、この不思議なものこそ、会話のコーディネートの信条。それなら、「折角ですから・・・」を効果的に使おう。「折角」は「縁」を増幅させる魔法の言葉

・座持ちがいい人というのは、言われたことをイヤな顔もせずにさばき、客も接待側にも満足してもらえる人。客をたてる、これが座持ちのコツ。それさえ芸にしたのが幇間(タイコモチ)

瞳は人間の心を洩らす。これを会話に生かすには、大事な話を聞くとき、相手の目を見て聞くこと

・会話は言葉だけでない。全身でするもの。それも相手だけではない、周りにふと見せる表情や姿のほうがものを言う

・話し上手は、つきつめれば心の優しさ、そして分け隔てをしないこと

・会話は、論理を伝える。音楽は、感情を伝えるだけでなく、相手の感情を興奮させたり、慰めたりする。会話と感情をうまく調和させることが、真の能力あるコーディネーター



1対1のコミュニケーションや1対多の一方向コミュニケーションのできる人は多いですが、1対多の双方向コミュニケーション(座をコーディネート)のできる人は、意外と少ないものです。

著者は、長年それをやられてきた方です。実践で培われた、そのノウハウが本書に詰まっています。本当のコミュニケーション上手になるために、読んでおいて損のない書ではないでしょうか。


[ 2013/11/27 07:00 ] 営業の本 | TB(0) | CM(0)

『ヤバいです!その金遣い』石原伸浩

ヤバイです!その金遣いヤバイです!その金遣い
(2011/10/21)
石原 伸浩

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著者は、1万件にのぼる「お金のトラブル」の相談を受けてきた弁護士です。

お金で失敗した人の、その平均的借金額やそれに陥った理由などが、具体的に示されている本です。お金の使い方について、反面教師になる点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



ギャンブルで相談に来る人の抱えている借金額はだいたい500万円前後。複数の消費者金融会社から借りている。ギャンブルにハマる人は執着心が強い性格の人。経済的にはまずまずの中堅会社に勤めている中流層。既婚者なら家庭がうまくいっていない人が多い

ホストクラブにハマって借金が膨らみ、債務整理の相談に来る人も多い。日常生活で味わえない優越感が楽しくてあっという間に借金を作る。若い20代の女性の借金額はだいたい200~300万円。それ以上貸すと回収できないリスクが高いと貸す方も警戒する

キャバクラにハマって相談に来る人は両極端。ガテン系で年収200~300万円の仕事をしていて、120~130万円の借金で来る人と、年収1000万円以上の30~40代の人で、最初は会社の接待だったのが、経費が落ちず、積もり積もって1000万円くらいの債務になる人

エステの多重債務で相談に来る女性(典型的なのは20代200~300万円の借金)が後を絶たない。ホストより多いという点で「浪費の女王」。施術費だけでなく、美顔器などを買わされて、借金が膨らむ。相談者は、エステに通う必要のない「太っていない」子が多い

・借金を抱えているのに、車を持っていて、そのローンも抱えている人が多い。普通の人なら真っ先にお金のかかる車を処分して返済に回すが、彼らは違う。経済的コンプレックスを持つ人は、いまだに高級車に乗ることが成功の証のように思い込んでいる

絵画や骨董で借金を作るのは中年女性と若い男性。中年女性は、自分には芸術を理解するセンスがあるという自意識で、150万円の絵を何枚も買ってしまう。若い男性は、30~50万円の絵を一回買った後、何度も勧誘されて、200万円ほどの借金を作ってしまう

借金を作る人の特徴は、「1.収入の範囲内で収められない」「2.周りによく思われたいという見栄が強い」「3.ストレス解消のために、本当はやりたくないけどやってしまう」

・債務整理の相談に来る人の中に、住宅ローンを抱えている人(身だしなみもきっちりしていて、ある程度の会社に勤め、収入もある人)が多い。そういう人たちの多くは頭金なしのフルローンを組んでしまっている。頭金は、最低3分の1は払うべき

・目の充血した人が相談に来ると、投資で借金を作ったとすぐわかる。投資で来る人は借金2000万円とかザラ。自信過剰でプライドが高く、ギャンブルする奴らは下賤で、頭のいい人は投資をやり、仕組みがわかっているから損することはないと思っている人が多い

宗教で多額の借金を抱えた人の通帳は、振込先の宛名に個人名がたくさん記載されている。宗教の会合や寄り合いでお金がどんどん出ていく。月収20~30万円ほどの人が、月に10万円以上平気で使っている。もう少し収入のある人は、教団に多額の寄付をしている

マルチ商法で相談に来るのは若い層、20~30代で負債額は300万円程度が多い。マルチにハマった動機は人を騙して楽して儲けたいというよりも、友達づくりから始まった人が多い。「絆」や「つながり」という言葉に弱い若者は、簡単にハマっていく

・債務整理の相談に来る人はほぼ皆、職を転々としている。自己破産申請をする際に、ここ10年の職歴を書く必要がある。その欄は6行しかないが、収まりきらずに別紙が必要になる人も少なくない。業界ではアパレルとITが多く、職種では圧倒的に営業職が多い

安易な起業の場合、負債額700~800万円という場合が多い。サラリーマンよりもっと稼げそうだから起業する人はいいが、組織の中で浮いてしまったから起業する人はうまくいかない。起業して5年以内に倒産する会社は80%、10年以内が95%。生き残りは厳しい

離婚は、前段階として別居を伴う。その間、家賃や生活費など二重の費用がかかる。愛人がいたら出費が一層かさむ。協議離婚の費用もバカにならない。離婚調停と裁判をやれば、弁護士費用が100万円ほど。さらに、男の場合、そこから慰謝料や養育費もかかる

子育てには金がかかる。よく相談に来るのが子だくさんの家庭の親。主人が相談に来る場合の借金額は400万円前後。離婚して女手一つで沢山の子を育てているお母さんの場合は200万円台が多い。子供手当があるとはいえ、子供が多いとやはり経済的にマイナス

・優柔不断、八方美人な人は名義貸し保証人になってしまいがち。断るところは断らなければだめ。人から頼まれたらうまく断れない人は、最初に「ごめん、無理」と言ってから理由を言うのがコツ。理由を先に言ったら議論になり、優柔不断の人は押されてしまう



お金を貯めるには、いっぱい稼ぐか、出費を抑えるかしかありません。いっぱい稼ぐには、才能や運もあり、万人に共通する成功ルールはないですが、出費を抑える、節約と浪費防止の方法はルール化できます。

本書には、浪費を防ぐ方法がいっぱい記載されています。借金を背負わないための教訓にもなる書です。


[ 2013/11/26 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(2)

『ユダヤ人の教養:グローバリズム教育の三千年』大澤武男

ユダヤ人の教養:グローバリズム教育の三千年 (ちくま新書)ユダヤ人の教養:グローバリズム教育の三千年 (ちくま新書)
(2013/08/07)
大澤 武男

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本ブログの「ユダヤ本」分類で、ユダヤ人に関する書をとり上げるのは、これで22冊目になります。

本書は、ユダヤ人の教育がテーマです。ユダヤ人がユダヤ人たる原点と言えるべきものが教育です。興味深い点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・ユダヤ民族の最も古く、重要で、聖なる史料「旧約聖書」には、子弟の教育の大切さと、人生の命の糧としての知恵と教養が繰り返し、教訓として語られている

・ユダヤ人の自信と伝統を大きく支える特徴は、自己批判精神にすぐれていること。事象や己自身を神の眼で客観的、批判的に考察、反省し、正そうとする態度。このユダヤ教精神こそ、ユダヤ人の学問、学術研究における大きな成果の根源になっている

・優秀な生徒とは、すぐれた質問や疑問を持ち出し、教師を利口にする子供

・ユダヤ人地区(ゲットー)への略奪は、単に借金の証文を奪い取って、焼き捨てたり、質入れ品を取り返すだけでなく、ユダヤ人所有の金品を強奪する機会となった

・放浪のユダヤ人が身につけた生活の知恵は「行商」。店を構えての商売が許されなかったユダヤ人は、質流れ品(衣類、貴金属、鍋釜、工具等)を田舎へ持って行って売りさばき、田舎の産物、穀物、野菜等を仕入れ、都市へ持ち帰り、路上や戸口訪問で売りさばいた

・ユダヤ人は「調達」や「仲介」という仕事に極めて優れ、その能力や条件を備えている

・ユダヤ人特有の、貨幣の改造再鋳造という仕事は、ユダヤ人が率先して携わったのではなく、資金に困った領主からの要望によるもの。その片棒を担がされたのがユダヤ人

・キリスト教会の政治的勝利の下、罪深い流浪の民のレッテルを貼られたユダヤ人は、差別、規制、侮り、隔離、迫害、虐殺、略奪、追放、搾取、罪の捏造に耐えて生きなければならなかった。そのため、処世術、知恵、知識、賢明さ、判断、行動力を常に必要とした

・ユダヤ人は、過去の体験から「物事を抽象化して考察すること」「なぜと問うこと」「じっくり考えること」を学び、聖典を共に読み、「対立見解を議論する」という学習方法を実践し、それらを自分たちの伝統とした

・ユダヤ人の生徒は、男女共に、「学習成績の優秀さ」とは対照的に、評価のところで、「勤勉さ」や「学習態度」は普通。しかも、「生意気」「早熟」と書き込まれた

・ユダヤ人のノーベル賞受賞者数185名(全体の20%)は、日本人の10倍。人口比で見ると、日本人の100倍以上

・「自己実現(個の独立)への努力という態度は、ユダヤ民族がその宿命的な伝統として受け継いだ根本思想である」(アインシュタイン)

・ユダヤ的学習指導方法の特徴の第一は、不動の律法トーラーをそのまま声に出して、復唱、暗唱して完璧に学ぶこと。第二は、伝承のタルムードを学ぶ時は、鵜呑みにすることなく、質問、疑問を提示して、議論を重ね、その時々にふさわしい律法の適用を学ぶこと

・教育とは教師と生徒との対話が前提であり、両者の対話が親密であるほど、理想的な教育がなされる

・日本の子供は、行動が早く、てきぱきと物事を処理する。ユダヤ人の子供は、おっとりしていて行動が遅く、戸惑いがち。なぜなら、日本の子供は、何をどんな手順ですべきかを教えられており、ユダヤ人の子供は自分で考え、行動するように仕向けられているから

・20世紀初め、ユダヤ人が多かったベルリンでは、ユダヤ人の収入は、キリスト教徒市民の5倍だった。また、フランクフルトのユダヤ人の平均納税額は、一般市民の5倍だった

・「学校のないところに住んではいけない」というタルムードの教えを待つまでもなく、ユダヤ市民の高等教育進学率は、キリスト教徒市民の数倍(ベルリンでは8倍)であった

・反ユダヤ主義の根源には、彼らの優れた教育、教養、知恵、学識に先を越されたという、ドイツ人インテリの嫉妬、不愉快があった。その気運がヒトラー・ナチスの狂気を許した

・不安定な移動の民として、農耕生活から締め出されたユダヤ人は、得意とする商取引の中心地である都市の住民となったが、そこでも職人仲間から締め出されたため、知恵と巧妙さを駆使して稼ぐ、金融、両替、商取引を生業とすることになった


ユダヤ人がなぜ勉強をしてきたのか、なぜ最適な教育方法を考えてきたのか、本書を読むと、よくわかります。それは、現代の世界を生き延びる知恵でもあります。

ユダヤ人のような教育を受けた子供は、自立心の強い、打たれ強い人として、多民族の世界を堂々と渡っていけるのではないでしょうか。


[ 2013/11/25 07:00 ] ユダヤ本 | TB(0) | CM(0)

『火の誓い』河井寛次郎

火の誓い (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)火の誓い (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
(1996/06/10)
河井 寛次郎、壽岳 文章 他

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先月、京都の河井寛次郎記念館へ行ってきました。作品の数々、住居、仕事場、登り窯など、当時のまま残されており、その生前の生きざまを肌で感じることができました。

この本は、そこで買いました。陶芸家としてだけでなく、造形作家詩人随筆家としても活躍された足跡を知ることができます。その一部を要約して、紹介させていただきます。


<棟方志功君とその仕事>

・君はこれ迄の仏画から出発したのではなくて、君から新しい仏画が出発したのだから仕方がない。これ迄の立派な仏画に宿るものが形を変えて君の絵に籠っているのだから仕方がない

・人は誰でも素晴らしいものをもつにも拘わらず出さないものだ。出せば出る。君は今それを出して来た。君の絵の前に立って、その出したものは何かと考える。さらけ出された君の本然のものの前に立って思う。本能とは、公明な私なき働き、ではないかと思われる

・君は人間の着物を剥ぐどころか、身ぐるみとっていく強盗だ。魂だけ残していく強盗だ。君のような強盗が出て来ないと、人間は一番大切なものに気が附かないのだ

<いのちの窓>

祈らない祈り、仕事は祈り

・誰が動いているのだこれこの手、動かせば何か出て来る、身体動かす

まっすぐなものしかまがれない。まがったものしかまっすぐになれない

・怒りとは、怒らないものの上に出来たおでき。悲しみとは、悲しまないものの上に出来たかび

・何もない、見ればある。ないものはない、見るだけしかない

見ないのに見ている。持たないのに持っている。行かないのに行っている

向こうの自分が呼んでいる自分。知らない自分が待っている自分。何処かにいるのだ未だ見ぬ自分

・この世は自分をさがしに来たところ。この世は自分を見に来たところ。どんな自分が見付かるか自分。どこかに自分がいるのだ、出て歩く。新しい自分が見たいのだ、仕事する

仕事が仕事をしています。仕事は毎日元気です。出来ない事のない仕事。どんな事でも仕事はします。いやな事でも進んでします。進む事しか知らない仕事。びっくりする程力出す。知らない事のない仕事。聞けば何でも教えます。頼めば何でもはたします

・美はすべての人を愛している。美はすべての人に愛されたがっている。美はすべての人のものになりたがっている

追えば逃げる美。追わねば追う美。美を追わない仕事。仕事の後から追って来る美

・ひとりの仕事でありながら、ひとりの仕事でない仕事

・自分でない自分、第二の自分。人は二つの自分を持つ。にも拘わらず、第一の自分しか認めようとはしない。二つなんか持っていないと思っている。にも拘わらず、二つを持つ。自分だと思っている自分と、自分でない自分とを

・時にいない人、処にいない人、時と処にいない人。ない時にない処にいない人がいる。そういう人がいる。確かにいる。誰の中にもいる。ない自分を掴まえているない自分

・道を歩かない人、歩いたあとが道になる人。時は場所へ、人という場所へつねに新しい土地を与える。昨日で今日を拓く事は出来ない。嘗て耕された事のない地面に人はいつも立っている。はてしない土地、新しい世界、身体

・葉っぱは虫に食われ、虫が葉っぱを食っているにも拘わらず、虫は葉っぱに養われ、葉っぱは虫を養っている

・模様は人にだけしか作れない精神なのだ。模様は人にだけしか持てない悲願なのだ。模様の国という国は、あらゆるものが愛と美とをしか出せない処。汚れたものや、醜いものは一切出せない処。すべてのものが幸福にしかなれない処。そういう此処は第二の世界



自分を見ている自分、自分の中にいる自分、自分が自由自在に、時空を駆け巡っているように感じる詩を書かれたのは、河井寛次郎さんが本物の芸術家だったからだと思います。

最初に棟方志功を発見したのも、河井寛次郎さんの心眼のなせる技だったのではないでしょうか。


[ 2013/11/24 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『チャーチル150の言葉』

チャーチル150の言葉チャーチル150の言葉
(2013/05/16)
不明

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チャーチルは、第二次世界大戦開戦当時、イギリスの海軍大臣を務め、後に首相となって、イギリスを戦勝国に導きました。また、別の顔として、1953年にノーベル文学賞を受賞しています。

政治家であり作家であったチャーチルには、さまざまな名言が残されています。それらを150にまとめたのが本書です。意味深な言葉が数多く載せられています。それらの一部を要約して紹介させていただきます。



・決してあきらめてはならない。決して、決して、決して。事の大小にかかわらず、人生の大事であれ些事であれ、決してあきらめるな

・確実な勝機を見逃してはならない。目の前の戦いが血を流すことなく、簡単に勝つことができるにもかかわらず、もし戦わないというならば、生き残るのが難しい状況で、いつか戦わなくてはならない日が来るだろう

・今立っている場所の両側に断崖絶壁があるとしよう。一方は「慎重過ぎる」という断崖。反対には「大胆過ぎる」という断崖だ

・多数派の意見が癌を治すわけではない。必要なのは治療だ

・われわれの将来は自らの手の中にある。われわれの選択したものによって、人生は作られるのだから

・長い人生では状況は移り変わる。その中で首尾一貫した態度を貫く唯一の方法は、常に不動の人生の目的を持ち、それ以外は状況に合わせる柔軟性が重要だ

・一生起こらない物事を先回りして心配し、心配することで人生を費やしてしまうほど、無駄なことはない

・人生は謎解きゲームだ。死ぬ時にその答えがわかる

・唯一、味方同士で争うより悪いことがある。それは味方無しに孤立無援で戦うことだ

・国家の強靭さとその文明は、建築現場で足場を組むように出来上がるものではない。その成長はむしろ植物や樹木の生長に近い。育てることに比べたら、木を切り倒すことはひどく容易なものだ。だからこそ次の木を植える前に、誰もその木を切り倒してはならない

勇気とは立ち上がり、発言すること。また同時に、着席し、耳を傾けることも勇気である

・苦い薬を飲み干す方法はただ一つ。一気に飲み干すしかない

・金は機嫌をとるための賄賂として使うこともできるし、結果を出すための「テコの原理」のテコとして使うこともできる。テコとして使った場合は、大きなものを小さな力で動かすことができる。支点、力点、作用点がどこにあるかをよく考えて金を使おう

外交とは、相手の感情を損ねることなく、明白な真実を伝える特殊な技術のこと

・どんな逆境にあっても、良心を持とう。唯一、良心こそが自分を守る盾となる。人々の心ない中傷から守る盾となるのは、自らの良心に基づいた、清廉潔白で公正な行動なのだから

・すべての叡智は新しいものではない。先人から学んだもの

・理想の姿なくして人間は進歩できない。だが、他人の犠牲の上に成り立つ理想主義は、最高の思想となることなどあり得ない

・人々の憤りを喚起できるのは、自分の心が真の怒りに満ちている時だけだ。人々に涙を流させるには、自分も心から涙を流さなくてはならない。人を説得するには、自分がその事実を徹頭徹尾、信じていなければならない。真実の感情だけが人の気持ちを動かすのだ

・深淵で豊かな知識なくしては、想像力は危険な罠に過ぎない

・貧困という代償を払って平等をとるのか、不平等の代償として繁栄をとるのか、どちらが良い選択だというのか

・若い時には自由と改革、中年には思慮分別のある妥協、老年期には安定と休息がもたらされる


チャーチルは前向きで、我慢強い人です。その性格がもたらされたのは、希望や目標があったからではないでしょうか。

しかも、希望や目標に向かって、知性や知恵を積み重ねていくことで、その性格を強固にしていったのかもしれません。本書は、チャーチルを簡潔に知ることができる書です。


[ 2013/11/22 07:53 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『幸福の言葉』宇野千代

幸福の言葉幸福の言葉
(2002/03)
宇野 千代

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著者の本を紹介するのは、「幸福の法則一日一言」「幸福は幸福を呼ぶ」に次ぎ3冊目です。17年前に亡くなられましたが、生前は、中村天風氏に心酔されていました。

著者の積極的精神は、そこで培われたものが大きいのかもしれません。100歳近くで死ぬまで、幸福に向かって生き続けた彼女に見習うべきところが多々あります。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・逃げてはいけない、追いかけること。それが、「思いのまま」を可能にする魔法

・人間のすることは、すべて現実と想像である。私たちは、朝から晩まで、この二つの現象の間を往復して、巧みに生活している

・何をするのにも、それをするのが好きという「振りをする」ことである

忘れるということは、新しく始めるということ。心を空っぽにするから、新しい経験を入れることができる

・人間は過去に生きるのではない。新しい明日に向かって生きるのだ。私は、こうするのだと思った瞬間に、さっと体はその通りに動く。いや、もう踏み出している

・誰にでも、その人の持っている芽というものがある。その芽を太陽のよく当たるところへ出して、ときどき水をやり、肥やしもやる

・自分の持っている能力がどれくらいあるか、試してみることくらい、愉しいことはない

・言葉だけで、一人の人間がやさしくなったり、意地悪になったりする。言葉の持つ魔力は計り知れないものがある

・女のする親切は意地悪に似ている。一方の口を塞いでおき、人がどうしてもその口から出られないようにしておいてから、ゆっくり親切を売る

・欠点は隠すものではない、利用するもの

・愛し合う二人の間にも礼儀が必要。お互いに相手の傷にさわらない、傷のあるところは知らん顔して除けて通る

・生活をしていて、希望を発見するくらい、愉しいことはない

・希望というものは、どんなに小さなものであっても、やはり希望である

出来ると確信さえすれば、どんなに不可能と見えることでも可能になる。人間の心というものが、そういう不思議な働きを持っている

・愛とは人の心を喜ばせたいと乞い願う、純粋な善意の現れ

・女の嫉妬は自尊心である

・見栄をはることも生命力のもと

・私には、毎日待っていることがある。待っていることがあるというのは、生きているのに希望がある、ということで、どんな人間にとっても嬉しいこと

・希望を発見することの上手な人は、生活の上手な人。希望は、その人が発見しようと思いさえすれば、発見できる。それは、その人の生活態度の中に含まれているものだから

未練とは、習慣を変えることへの恐れである

お洒落と元気とは相関関係にある。お洒落をすると元気が出る。元気が出るとお洒落に精が出る

・人間は、心の存在がすべて。心が体を動かす。心が幸福を生む。幸福は幸福を呼ぶ

幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。幸福は、人が生きていく力のもとになる

・人間同士のつき合いは、心の伝染心の反射がすべて。何を好んで、不幸な気持ちの伝染、不幸な気持ちの反射を願うものがあるか



著者は、98歳まで小説家として第一線で活躍し、その間、何度も結婚離婚を繰り返し、何回も引っ越しをされ、着道楽が高じて、ファッション専門誌まで刊行された方です。

本書は、希望に向かって、人生を走り抜けた著者の体験談です。耳を傾けて、損にはならないように思います。


[ 2013/11/21 07:00 ] 宇野千代・本 | TB(0) | CM(0)

『人に喜ばれて収入を・仲人士という仕事』中西清美

人に喜ばれて収入を 仲人士という仕事人に喜ばれて収入を 仲人士という仕事
(2013/05)
中西 清美

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恥ずかしがり屋、面倒くさがり屋の男性が多い日本には、自由恋愛の結婚が難しいのではないか、見合い結婚が減ったせいで、婚姻率も減り、その結果の出生率も減っているのではないか、と思っています。

著者は、結婚を促す「仲人士」です。出生率を上げるには、この「仲人士」という仕事が、今の日本に欠かせないように思います。本書には、仲人士の心構えやノウハウが描かれており、その実態を知ることができます。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・仲人士には、「地域密着系仲人士」(定年退職者に多い)、「お友達系仲人士」(主婦の習い事、趣味等からの人が多い)、「オフィス系仲人士」(会社に勤めながら、土日の副業)、「お客さんサービス系仲人士」(お店をしながらの兼業)がいる

・名刺の裏に、料金表(入会金3万円、月会費5千円、お見合い料は結婚まで無料)を作っていると、お金のことを口でいちいち説明しなくても済む。名刺は、仲人士の必需品。この名刺を知り合った人に手渡すと、「実はうちの娘も独身なんですよ」と会話が弾む

・現実を知ってもらうことが信用につながる。言いにくいことこそ入会面談の時に必要。そして、決してがっかりさせないことも重要

・年の差のハンデを埋められる「何か」を「愛」以外に持っているか、と聞いている。若い女性と結婚したいといっても、資産がなくては、子供を育てていくことはできない

・一にも二にも大事なのが入会面談。ここで難しい条件の人を曖昧な態度で安請け合いをしたりすると、後でもめごとになったり、信頼関係を失ったりする。ここが、高額な入会金をもらう結婚相談所とは決定的に違うところ

・お見合いを組むために必要なのは、いかに魅力的で、誰もが申し込みたくなるようなプロフィール(釣書)をつくることができるかにかかっている。釣書に使う写真は、今はプロにヘアメイクをしてもらって写真館で撮るのが当たり前の時代

・本当に納得するまで「奇跡の一枚」を目指し、写真館を探すべき。たかが写真、されど写真。でも、いくら言っても「僕はこの写真が好きだから」と、聞かない人がいる。しかし、そういう人に限って、相手を写真で選んでいる。本当におかしなこと

・釣書に書く、おすすめしない趣味(男性)は、「散歩、家庭菜園、読書」(あまりに慎ましやかで、ついていけない)、「釣り、パソコン」(一人ぼっちにされそう)。(女性)は、「バイオリン、三味線、オペラ」(お金がかかりそう)

・お断りの返事も仲人士の仕事。辛い仕事の一つだが、避けては通れない大切な仕事。お断りの際に使う決まり文句「ご縁がありませんでした」は、誰も傷つけない魔法の言葉

・女性はデート中、なかなかトイレに行きたいとは言いにくい。男性から女性にトイレに行きたいかどうかを尋ねるのも難しい。そんなとき、「僕トイレに行きますけど」と声をかけるようにアドバイスしている。こういう細やかな気遣いが効く

・パーティーでは、自己紹介カード(名前、誕生日、好きな食べ物、苦手なこと、最近うれしかったこと、最近ハマっているもの、自分のここを変えたい、その他自己PR)を、前に来た相手と交換してもらう。話が苦手でも、このカードがあれば、会話に困らない

・男性はおだてに弱い生き物。「すごいですね」「ホントですか」「さすがですね」の三つの言葉を言ってあげたら、会話が弾む

・顔というのは、意識しないと笑顔にはならない、ことを知ってもらうために、鏡で自分を見てもらう。すると、自分がなんと険しい表情をしているのかに驚く。笑顔でなければ、いくら綺麗に化粧して、男性が喜ぶ会話をしても、効果はなくなる

・親御さんのための相談会を開くたびに、本当にたくさんの親が子供のために心配して来られる。今、各地域でたくさんの仲人士が必要。まだまだ足りない。安心して頼める仲人士のインフラ整備を急がなくてはならない。どこの地域にも世話好きな人はいるはず

・仲人士同士で集まって、自分の会員の良いところをアピールする「釣書交換会」という集まりがある。ある人を紹介すると、別の仲人士から「この人どうですか?」と必ず声がかかる。釣書を生かすも殺すも仲人士次第というところがある

・仲人士のモットーは、「1.親切丁寧なお世話」(時には厳しいことを言うことも)「2.安心の料金は成功報酬制」(入会時受取合計金額が5万円以下など)、「3.法令遵守」(個人情報保護法、特定商取引法など)、これを守れる仲人士がまだまだ足りない



本書を読むと、仲人士(世話好きのおばちゃん)を復活させることが、日本社会において重要であることがわかります。

地域疎遠になった今は、世話好きのおばちゃんを「地域」だけに求めるのではなく、「サークル」「会社」「店」などにも必要ということなのかもしれません。


[ 2013/11/20 07:00 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『空き家急増の真実-放置・倒壊・限界マンション化を防げ』米山秀隆

空き家急増の真実―放置・倒壊・限界マンション化を防げ空き家急増の真実―放置・倒壊・限界マンション化を防げ
(2012/06/02)
米山 秀隆

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シャッターを閉めた空き店舗だらけの商店街が、すでに当たり前の光景となっているように、空き家の住宅やマンションも増え続けており、限界集落が都会の中でも出現するのかもしれません。

しかし、政府は景気刺激策として、新築住宅・マンション購入を促しています。人口減少社会になった今でも、その政策を止めようとしません。一方、住宅の長寿命化もすすめています。これでは、将来的にも、空き家が増え続けていくのは間違いなさそうです。

こういう状況下の中で、住むことに関して、どう行動し、どうお金を使ったら得なのか、本書には、そのヒントになることが数多く載っています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・空き家数全体に占める割合は、売却用住宅5%、賃貸用住宅55%、二次的住宅5%、その他住宅35%。賃貸住宅が最も多い

・もともと賃貸用住宅は、10%程度の空き家率を折り込んで経営しているが、全国の(賃貸住宅の空き家数)÷(賃貸住宅の総数)が18%となっており、10%を上回る空き家率となっている

・分譲マンションの空き家率が高まっていくと、管理組合が機能しなくなり、建物の手入れが行われず、やがてスラム化していく。こうした分譲マンションは、人口減で、共同体機能を果たせなくなった「限界集落」になぞらえ、「限界マンション」と呼ばれる

・空き家率の高さが問題になるのは、賃貸市場や売却市場にも出されず、手入れもされずに朽ち果てていく住宅が増えていく場合

・大都市圏空き家率は、東京圏では、半径10km圏域50㎞以上圏域の空き家率が高い。同様に、名古屋圏では、10km圏域と30~40㎞圏域、大阪圏では、10km圏域と40㎞以上圏域の空き家率が高い

・古い分譲マンションの空き家率が高いのは、居住者がいなくなったことのほかに、賃貸物件が多いことから、その空き家が増えている。古い分譲マンションでは、住む人がいなくなった後に賃貸化しているケースが多い

空き家の継続期間を見ると、持ち家では5年以上が45%と最も多い。これに対し、借家では、1~3カ月未満のものが20%と最も多い。持ち家の方が、空き家期間が長期化している

・2050年までに、現在、人が居住している地域の約2割が無居住化する。無居住化する地点の割合が高い広域ブロックは、北海道52%、四国26%、中国24%

・高齢化社会のコンパクトシティでは、居住地域を集積させるだけでなく、必要な用事は歩いて足せる街づくりに取り組まなければならない。中心市街地が衰退する主な理由は、商店街の衰退。空き家の利用促進策が講じられても、それはメインの政策ではない

・建築基準法では、既存不適格で、著しく保安上危険または衛生上有害であるものについては、所有者に建築物の除去などの措置を命ずることができるが、これを適用するには、著しく危険であることを証明する必要があり、かなりハードルが高い

・空き家貸出の条件調査で多かったのは、「空き家の修繕費用を入居者が負担」「賃貸期間を5年や10年に限定」「仏壇や位牌の安置場所を他に確保」「家具や荷物の保管場所が他に確保」など。これらの点がクリアされないと、所有者は、家を貸し出す決心がつきにくい

・不動産業者の間では、中古物件を仕入れてリノベーションを施し、再販するビジネスが活発化しており、すでにマンションではかなりの成功を収めている

・シェアハウスは若者向けがほとんどであるが、将来的には高齢者が共同生活するシェアハウスができれば、高齢者の孤立や孤独死を防ぐと期待されている。すでにUR賃貸住宅では、一部をシェアハウスに改装する取り組みが行われている

・REIT保有物件の築年数を見ると、新しい物件が圧倒的に多いが、中には、古い物件を取得するケースもある。収益性が期待できる状態の良い物件であれば、REITは築年数にこだわらずに物件を取得している。取得費用の安さにより、中古部件の方が利回りが高くなる

・アメリカではREIT組み入れ物件で、賃貸住宅がオフィスを上回っている。中途解約権の排除によるキャッシュフローの確定が、証券化の前提として機能している。今後、日本においても、中途解約権の排除、中途解約の違約金支払いを契約に盛り込むことが必要



空き家が増えているのに、新築大型マンションが増える現象は、閉店する商店が増えているのに、大きなショッピングセンターができている現象によく似ています。

ということは、シャッター通りならぬ空き家通りが、住宅地にも生まれてくることもあり得るということです。そういうことを見越して、賢く、住宅を購入、賃貸していくことが、今後必要になると思います。本書は、その助けになるのではないでしょうか。


[ 2013/11/19 07:00 ] 投資の本 | TB(0) | CM(0)

『世界初をつくり続ける東大教授の「自分の壁」を越える授業』生田幸士

世界初をつくり続ける東大教授の 「自分の壁」を越える授業世界初をつくり続ける東大教授の 「自分の壁」を越える授業
(2013/07/26)
生田 幸士

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著者は、医療用ロボットの世界的先駆者で、東大の名物教授です。しかし、元々は普通の人だったそうです。それが、天才的開発を連発するにに至った独自の思考法が本書に記されています。

つまり、誰でも天才になれるかもしれない方法が書き綴られています。ためになり、そして興味深い点が多々ありました。それらの一部を要約して紹介させていただきます。



・バカを貫くことは、世間の常識を疑い、常識と戦うこと。そして、世間の常識を徹底的に疑い、そこから「新しい常識のあり方」まで考えられる人のことを、人は天才と呼ぶ

・秀才は与えられた課題を効率よくこなし、既存の枠組みの中で結果を残す。天才は枠組み(ジャンル)を自分の手で生み出す。その大前提が「バカ」であることを人は知らない

・新しい「モノ」をつくるのではなく、新しい「ジャンル」をつくる

・「みんな」がやっているものには手を出さない。「みんな」がやっていないからこそ、そこに可能性を見出し、チャレンジする

・アメリカ人は、ほめることに躊躇しない。日本ではほとんど評価されなかった研究も、「グレイト!」「お前、天才だな」とほめてくれる

・「グランド・チャレンジ」という言葉を、直訳すれば「壮大なる挑戦」だが、単なる挑戦ではなく、「抜本的な改革(イノベーションとしての挑戦)」に近い意味が込められている

・改善や改良ではなく、「自分はどんな世の中を実現したいか」「今世の中には何が不足しているのか」というように、将来のあるべき姿を考えていくのが、グランド・チャレンジ

・新しいコンセプトさえ見えてしまえば、それを実現するためのアイデアも出てくるし、自分の取り組むべき課題もわかる。本物のアイデアとは、コンセプトの後からついてくる

・すべての研究者を支えている根源的な欲求は「びっくりさせたい!」

・クライアントやユーザーの声に耳を傾けるときには、相手から「そこまで聞くか?」「その話、まだ聞くの?」とあきられるくらいのしつこさで聞くこと。現場の情報とは、100%「取り切る」ことが重要

・机の前に座っている間だけ考えるなんて、「考える」うちにカウントされない

24時間考えること。そのことだけを思い続ける。それから、頭で考えるだけでなく、手を動かして考える。書いて考え、描いて考え、モノをつくって考える。そして、最後が人を使うこと。自分一人で解決しようとせず、積極的にディスカッションしていくこと

・発想を独創に変える3つのポイントは、「違う『テーマ』を考える」「違う『方法』を考える」「違う『結果』を考える」こと

・プレゼンとは、そして論文とは、自らの成果を過不足なく発表するだけでは意味がなく、聞き手や読み手の感動を引き出すべきもの。もっと、面白いプレゼンにして、みんなを笑わせること。会場に爆笑を巻き起こして、ちゃんとオチをつけること

・人は制約があり、ハングリーな状況に置かれたほうが知恵を絞れる。潤沢な研究費があって、億単位の実験装置がゴロゴロ揃うような環境では、出てくる知恵も出てこない

・天才とは、「生き方」の天才。天才にふさわしい、凡人と違った生き方を選べること

・天才の「生き方」とは、「1.高い志を持っている」「2.行動力がある」「3.人生のすべてを投入できる」こと。そして、もう一つ「努力の方向性を見失わない」こと

・「何を捨てるのか?」という問いは、「何を残すのか?」を考えること

・出る杭(変わり者)は打たれる。しかし、出すぎた杭(宇宙人)は打たれない

・本当に優れた研究者は、外交的で、人間的な魅力にあふれ、ユーモアを持っている

・一つの専門に凝り固まっていても、新しい発想は生まれない。二つの専門を持って、それを繋ごうとしたときにこそ、新しい分野を切り拓いていける

・日本では、ルールの代用品として「みんな」を持ち出す。ルールを守ることよりも「みんなと同じ」であることが優先される。これでは個性的な人材を育てることはできない



新しいものを創りだす人は、概ね、この教授のような考え方、生き方をしています。現在の日本の学校教育では、育ちにくい人です。

学校教育が、従順な人を育てようとしている限り、天才は育たないと思いました。天才になるためには、自分の心の壁を取っ払うことからスタートしていかないといけないのかもしれません。


[ 2013/11/18 07:00 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『庶民に愛された地獄信仰の謎・小野小町は奪衣婆になったのか』中野純

庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか (講談社プラスアルファ新書)庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか (講談社プラスアルファ新書)
(2010/10/21)
中野 純

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地獄といった架空の場所、閻魔さんといった架空の人物をつくり出すことで、世の中が丸く収まるということを、昔の人は発見しました。本当にあると力説するのが、少し照れるのか、閻魔さんは、どことなくナマハゲのようにユーモラスに描かれています。

著者は、地獄信仰のユニークさに魅せられて、日本各地の地獄史跡を回ってこられた方です。その研究成果が本書になります。日本人の心の中に潜むものとは何かが、よくわかる本です。その興味深い点を要約して、紹介させていただきます。



・ものすごく恐いけれど、どこかのんきで、不思議に極楽な日本の地獄。名もなき過去の人たちが生み出してきた、この闇のワンダーランドにもう一度親しみ直せば、この世を生きることがもっと面白くなる

・「奪衣婆」には誰も興味を示さないが、閻魔大王の傍らにいる紅一点。奪衣婆は、盗みを働いた亡者の両手の指を折るとも言われる恐いおばあさん。亡者の死に装束を剥ぎ、亡者が何も着ていない場合、衣の代わりに身の皮を剥ぎ取る

・仏教(とくに浄土教)はあの世を積極的に扱う宗教として、日本に受け入れられた。仏教伝来以前の日本人も、あの世に対する思いは強く、黄泉の国などあったが、システムやディテールのしっかりしたあの世がなかった。仏教が、日本の死後の世界を確立させた

・日本仏教は、お寺の中に極楽浄土や地獄を積極的につくっていった。墓地もお寺の境内にどんどん吸い込まれ、お寺そのものがあの世になった

・閻魔さまは道服(道教の修行者が着る服)を着て座っていて、服の色は赤が多い。王冠をかぶり、髭を蓄えた真っ赤な顔ですごく怒っている。右手には必ずしゃくを持っている。左手にはルールがないので、閻魔さまの個性は左手に出やすい

六道とは、輪廻する六つの世界で、最悪の「地獄道」から「飢餓道」「畜生道」「阿修羅道」「人間道」「天道」の順にランクアップする。だが、庶民の感覚では、地獄道と飢餓道がいっしょくたにされ、それに対して極楽浄土があるという感じであった

・六道の分類は、日本人にはちょっとウザかった。庶民的には、六道はあの世、六道銭(六文銭)はあの世に行くときに使うお金、六道の辻はあの世の入口的なところ。だから、六地蔵は墓地の近くの入口にたくさんある

・美しいものでもいつかは醜くなり、栄華を極めてもいつかは零落する。そういう無常観は、平安時代以降、仏教によって、日本人の心の奥底に染み込んでいった。「卒塔婆小町」の謡曲や「小町老衰像」は老後の美女落魄、容姿の無常観を日本人に強く植え付けた

・火葬場で遺体が焼かれたあと、遺族が二人ずつ組んで、遺骨を二膳の箸で拾って骨壺に入れるのを、箸渡しと呼ぶ。箸と橋を掛けて、三途の川を橋で渡してあげるという意味

・時代が下がり、渡し賃(六文銭)を払って、舟で三途の川を渡り、払わないと、奪衣婆に衣を奪われるというシステムが普及した。奪衣婆は三途の川の渡し賃の徴収係になった

・三途の川だけでなく、地獄の思想も世界のほとんどの人に普及している。ゾロアスター教を初め、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も、死者は審判によって、地獄と極楽(天国)に振り分けられると考えた。舟形の棺に遺体を納める風習も世界のあちこちにあった

・日本のあちこちにある火山の地獄は、「地獄に似ているところ」ではなく、「地獄そのもの」「地獄と通じているところ」。平安時代、罪を犯して死んだ日本人は、本当に立山地獄に堕ちて苦しむと考えられた。立山、恐山の地獄、湯沢の川原毛地獄が日本三大地獄

・「日本列島の多くの登拝者を集める霊山には、その山中に、浄土ヶ原とか浄土ヶ浜などの名にならんで、地獄谷や賽の河原の名を持つ地点が必ず設けられている」(山折哲雄)

・日本のあの世は、世界でも珍しく、身近にパラレルに存在していた。閻魔さんも恐いだけでなく、愛嬌のある身近な存在で、地獄も恐いけど親しみのある身近な存在だった

・日本の地獄といえば、なんといっても釜茹で。地獄は熱いの一言に尽きる。仏教の地獄には熱地獄と寒地獄があるが、熱地獄のほうが格段にリアルで詳細に描かれてきた

・平安時代に源信が書いた「往生要集」は極楽往生マニュアルだったが、この本には多くの地獄絵が描かれていたため、地獄のガイドブックの先駆けバイブルとなっていった

・平安時代中期以降に普及した仏教の地獄は、「こんなに恐ろしい地獄に堕ちたくなかったら、仏教を信じなさい」という布教の手口となったが、それが時代が下がるにつれて、恐いことは恐いが、どこかのん気になっていく



昔、子供が小さかったとき、お寺で地獄絵本を買って、寝る前に、読み聞かせたことがありました。どんな絵本よりも「効果?」があったように思いました。

著者は、「あの世とは、地獄極楽とは、人間の妄想の集大成。この妄想遺産を大切に受け継いでいくためには、さらなる妄想を加えることが重要」と述べられています。現代人の地獄観をもっと刺激するような「新地獄」を創作すべき世の中なのかもしれません。


[ 2013/11/17 07:01 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『生きるなんて』丸山健二

生きるなんて生きるなんて
(2005/10/13)
丸山 健二

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著者の本を紹介するのは、「田舎暮らしに殺されない法」「人生なんてくそくらえ」などに次いで4冊目です。本書は、エッセイとしては比較的古い2005年の作品です。著者の思想のもとが詰まっているように思います。

「生きる」「時間」「才能」「学校」「仕事」「親」「友人」「戦争」「不安」「健康」「死」の章ごとに、著者の容赦ない意見がさく裂しています。厳しい現実に対峙させてくれる文章の中から、一部を要約して、紹介させていただきます。



・九割以上の人間は、誕生と同時に、他者に食われ、他人に支配される側に放り出される

・他者を支配し、他人を食い物にして生きる連中にとって、彼らが築き上げた権威や価値観を認めない人間は、邪魔者でしかない。なりふり構わない手段に訴えて、排除にかかる

・楽天的な、どこまでも他律的な生き方を選んで、のうのうと暮らしている隙に、他人を支配し、他人を食い物にしたがる、人一倍強い本能の持ち主である策略家たちは、みるみる幅を利かせ、権力の大半を乗っ取り、国家そのものを乗っ取ってしまう

・本能や欲望と呼ばれる強烈な力の前では、理想も、知性も、精神も、人間愛も、まったく無力で、ひとたまりもない

・他人の時間の中で生きることは、己を自ら蔑にすること。時間をわが物にすることは、しっかりとした目的を持つこと。その目的に向かって突き進むことは、自立へ迫ること

・自分自身との闘いに勝利するには、時間を味方につけるしかない。工夫して時間をこつこつと盗み、最終的に時間のすべてを堂々と自分の物にできる立場をつかむこと。人生の醍醐味と窮極の目的は、その辺に秘められている

・自分は凡人に過ぎないと、肩肘張らずに気楽に構え、のんべんだらりと生き、親と似たありふれた人生を歩み、無理をせず、その日その日のささやかな楽しみを見つけ、不満を述べ、愚痴をこぼしながら、怠け者の道を歩んでいくうちに、本当の凡人へと成り下がる

・夢とは、そんなに軽くて美しいものではない。本物の夢は、重くて、しかも暗い。重さと暗さが伴っているかどうかによって、夢の真贋と価値とが決定する

・良き労働者とは、国家を牛耳る特定少数者に協力的で従順な人。そうした羊のような人間を好ましい国民とみなし、その枠からはみ出た人間をあるまじき国民として忌み嫌う

・あなたのことをあなたより思ってくれる人がいたら、それは要注意人物。ろくでもない下心を持った、危険人物。そいつは、あなたの何かを狙っている悪党。親から受け継ぐ財産、性の対象としての肉体でなければ、あなたのに狙いをつけている

・自分が今、誰に騙され、何者に操られ、どんな飴に釣られ、いかなるムチに怯えて進むべき道を外したのか、理解しているのとしていないのでは雲泥の差がある

安定は人の潜在能力をどんどん腐らせていく。魂をどんどん萎ませていく

・多くの親は、ほとんど何の考えもなしに、漠然と親になったというだけの親でしかない。だから、親子の絆を過大評価する必要や血の繋がりを大げさに受け止めることはない

・真の友人とは、生きる目標をしっかりと定め、孤独と闘いながら自立の道を着実に歩んでいる人間の中にしか存在しない。その前に自分がそうした人間にならない限り、彼らと出会うことも絶対にあり得ない

・出会いとか、触れ合いとかの、軽くて美しい言葉を頻繁に口にする連中には魂胆がある。他人を束ねることで、そこから生まれる利益を当てにする。笑みを絶やさない連中が、笑顔を保つのは、腹黒さを隠し、相手を油断させるため。さもなければ、極端な小心者

・真に自立した者は、けっして騙さず、また、けっして騙されない

・残念なことに、小さな妥協と、目先の欲と、服従の心地よさに負けてしまう国民が多すぎる。そんな彼らには、民主主義を唱える資格もなければ、平和を切望する資格もない

・富める特定少数者が求めてやまないのは、自分たちの特権的立場を守ってくれる番犬。国家の戦争というのは、大抵の場合、特定少数の支配者たちの利害のための戦争

・でぶでぶと太った医者が病気を語り、体脂肪50%の高僧が真の生き方を説き、ぶよぶよの体つきの評論家が精神の在り方を声高に唱えても、説得力のなさに呆れ返るふだけ。傾注に値する真の言葉は、甘やかされていない肉体からしか出てこない



著者は、誰の支配も受けないこと、時間を自分の思い通りに使うこと、安定を求めないこと、魂を売り渡さないこと、孤独と闘うこと、を一貫して述べています。

つまり、自立せよ、ということです。生きるということは、自立することに他ならないのではないでしょうか。


[ 2013/11/15 07:00 ] 丸山健二・本 | TB(0) | CM(1)

『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (ワイド版)』芥川竜之介

侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (ワイド版岩波文庫)侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (ワイド版岩波文庫)
(2013/03/16)
芥川 竜之介

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芥川竜之介の箴言集「侏儒の言葉」は、以前、本ブログで紹介しました。本著は、その拡大版になります。

以前、紹介できなかった箴言で、新たに共感できた言葉を一部要約して、紹介させていただきます。



・道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである

・道徳は常に古着である

・良心は病的なる愛好者を持っている。そういう愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである

・我々の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただ我々の好悪である。あるいは我々の快不快である

・我々は人生の泉から、最大の味を汲み取らなければならぬ

・人生は狂人の主催になったオリンピック大会に似たもの。我々は人生と闘うことを学ばねばならぬ。こういうゲームのばかばかしさに憤慨を禁じ得ないものは、さっさと埒(らち)外に歩み去るのがよい

・人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にするものは、暴力より外にあるはずはない

・完全に幸福になり得るものは、白痴にのみ与えられた特権である

・天才の一部は、明らかに醜聞を起こし得る才能である

・女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである

忍従はロマンティックな卑屈である

・単に世間に処するだけならば、情熱の不足などは患えずともよい。それよりもむしろ危険なのは明らかに冷淡さの不足である

・古人を罵るのは、今人を罵るよりも確かに当り障りがない

・あらゆる作家は店を開いている。私が作品を売らないのは、買い手のない時、あるいは売らずともよい時

自由思想家の弱点は自由思想家であること。彼は到底、狂信者のように獰猛に戦うことはできない

・彼の幸福は彼自身の教養のないことに存している。同時にまた、彼の不幸も

・何と言っても「憎悪する」ことは、処世的才能の一つである

・古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。阿呆や悪党を除けば、何人も何かに懺悔せずには娑婆苦に耐えることはできないのかもしれない

・恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたもの

他を嘲るものは同時にまた他に嘲られることを恐れるものである

・我々の誇りたいものは我々の持っていないものだけである。ドイツ語堪能の人物の机上にあるのが、いつも英語の本ばかりのように

・天国の民は、何よりも先に胃袋生殖器を持っていなはずである

・私は良心を持っていない。私の持っているのは神経ばかりである

・私を造り出したものは、必ずまた誰かを造り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している大きい地面が存在する限りは



本書は、戦前、軍人を侮辱しているという理由で改訂処分を受けた作品です。本当のことをグサッと言い切る芥川の言葉は、それだけ本質を突いたものだったのかもしれません。

この本に書かれているような「人間の悪」を直視できるようになれば、一人前の人間になれたということではないでしょうか。


[ 2013/11/14 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(2)

『自己実現の教育』上田吉一

自己実現の教育自己実現の教育
(1988/04)
上田 吉一

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著者の本を紹介するのは、「人間の完成」「自己実現の心理」に次いで、3冊目になります。本書は、著者の作品の中で、最もお気に入りの書です。

欲求5段階説のマスロー研究の日本における第一人者であった著者が、教育という観点で、最高人格へ到達するための教えを説いたものです。勉強になることが、非常にたくさんあります。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・動物が本能によって、行動に制約を受けているように、人間は認知によって、行動の制約を受けている。認知が歪んでいれば、行動も歪んだものになる

明確な目標前途洋々の可能性を認めるとき、認知は、実現へ向かう行動に測り知れないエネルギーを投入する。人間は、希望、楽観性、善意、自信、肯定を持つことが重要

・行動や動機付けの指針となり得るような視野と深い洞察力を与えることこそ、教育に課せられた義務

・人間の最終的な決断は、その人が善への強い衝動をもつか否かにかかっている

・教育において、理想の人間像をもつことは、決定的重要性をもつ。人間の行動や態度は、人生目標であり、理想としての人間像だから

・経験に開かれている人間は、自己受容ができて、自己を客観的にみることのできる人間

・自己実現を遂げつつある人間は、ものごとに没頭し、我を忘れるという特徴をもっている。彼は何かの課題に熱中し、その中に身も心も傾倒しきることができる

自己実現のみられる人間は、価値実現に対して強力な欲求をもつ。それは、利害の世界ではなく、真・善・美・正義・完全性・健康といった普遍的価値にもとづく世界の獲得

欲求を適度に抑えることこそ、大切な人間の生き方。古今東西の道徳が欲望を抑えることを説くのも、このような人間の社会的知性から出たもの

与える欲求こそ創造の欲求であり、生産の欲求であり、価値を求める欲求である

・向上発展を続ける意欲に応えて、外に経験や刺激や課題を準備しておくことが教育の重要な役割。基本的欲求の満たされた人格は、外の世界に関心をもち、魅せられ、疑問をもち、探索し、挑戦し、発見し、解決をしようとする

・耐えられる限界内で挫折体験をもつ機会を与えること。挫折体験は、将来実生活において同様の挫折を味わった場合、先行経験として、これに対処する自信と能力を培う

・常に人間性の原点に帰り、そこから組織や制度を見直していくこと。教育の主体は制度や組織にあるのではなく、まさしく人間一人一人にある

・いかに知識や技術を使用するか。何を価値あるものと考え、何に生きがいを求めるか。何を目標にすべきか。人に何を求め、何を与え、いかに接するか等々。人生観や価値観が確立し、アイデンティティが形成されるところに人間尊重の教育の真髄がある

最高の願いは、真理を探究することであり、最強の欲求は、善行を行うことであり、最大の悦びは、美を創造すること。人間にとって最高の価値が、強い衝動の対象となる

欠乏欲求に支配されている人間は、その関係を対等に結ぶことはできない。自己の欠乏欲求を満たすために、他人を利用しようとする

純粋な人間関係とは、相互に人格の成長を促す関係であり、価値の実現に協力する関係

・人格を揺るがすような挫折体験を繰り返すことで、自我は強固な構造に鍛えられていく

・欲求の満たされた子供は、安全よりも冒険を選び、愛情よりも独立を選ぶ。食事や休息の楽しさのみならず、創造や生産に生きがいを感じる

・生理的欲求、安全欲求、愛情欲求のいずれも満たされた子供たちは、真実を知ることに興味を示し、善行を行うことに生きがいを見出し、芸術的生活に喜びを感ずる。換言すれば、彼は価値の世界に生きることができる

・欲求の満足された人格は、特定の課題に精神を集中することができ、しかも行動の効率も高い。つまり、注意の集中力が大きい



真善美を求めて自己実現を目指す「個人」をつくっていくのが本来の教育なのですが、国家や産業界の要請に従い、「全員」を一斉に教育させる制度に重点が置かれてしまっています。

学校教育が「全体」の教育を目指す方向にあるならば、家庭教育はより一層「個人」の教育を目指していくべきです。本書には、「個人」の教育の目指すべきところが記されているのではないでしょうか。


[ 2013/11/13 07:00 ] 上田吉一・本 | TB(0) | CM(0)

『稼ぐ経済学「黄金の波」に乗る知の技法』竹中正治

稼ぐ経済学 「黄金の波」に乗る知の技法稼ぐ経済学 「黄金の波」に乗る知の技法
(2013/05/18)
竹中 正治

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著者は、日経新聞にも時々寄稿される国際金融論が専門の大学教授ですが、外貨投資や不動産投資にも詳しく、投資の本を多数執筆されています。

本書には、「外貨投資」「不動産投資」「債券投資」の長期運用の方法が記されており、投資中級者以上の方に、有益なことが多いように思います。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・短期(数カ月)や中期(数年)の時間軸では、市場価格はファンダメンタルな価値からの乖離が起こる。だが長期の時間軸(数年以上)では市場価格はファンダメンタルな価値への回帰、収束を見せる。ここに希望とチャンスがある

・現実に可能であり大切なのは、「予測」ではなくリスクに対する「準備」である

・賃料の変化以上に資産価格が大きく変動(高騰や暴落)してしまう背景には、市場参加者の心理が悲観に振れている時には、資産価値の過小評価が起こり、楽観に振れている時には、資産価値の過大が起こるということがある

・株式と長期債券の双方を保有すると、運用資産全体(ポートフォリオ)の投資リターンを安定化する効果があるという、基礎的かつ極めて実用的な知恵を実践している個人投資家は極めて稀

・好況で債券利回りが高くなっている時こそ、長期固定金利の債券を買う時

好況の時には、運用資産(ポートフォリオ)の中で、株式保有の比率を下げ、債券保有の比率を上げる。反対に、不況の時は、株式の比率を上げ、債券の比率を下げる。これができれば、毎年のリターンの変動を平準化できると同時に、投資リターンも向上できる

・「ハイリターン」は、長期の時間を前提にして成り立つ原理であり、バクチのように時間の概念と関係のない「当たり外れ」とは関係ない

デフレ圧力が半ば恒常化した低成長の経済では、長期分散の株式投資を愚直に持続しても、リスクに見合ったリターンは得られない

・市場の躁状態も鬱状態も無限に持続しない。必ず転換し、長期で普通の状態に回帰する。市場の合理的対処法は、予測という不確実な判断に頼らず、絶好調の躁状態にいる時に売り、絶不調の鬱状態にいる時に買い、短期的な変動は無視すること

・「金利平価原理」と呼ぶ2国間の為替相場と金利格差に関する原理が、日米の国債と為替相場に現実的に働いている。すなわち、金利の高い米国債に投資しても、円ベースの米国債のリターンは、長期では為替相場変動で、日本国債の低リターンと同じ水準に収斂する

・現実の為替相場は、購買力平価からの乖離と回帰を繰り返す。この事実は、短期トレーディングで儲ける役には立たないが、長期で資産形成を考える投資家には重要で、購買力平価は、為替相場の割高・割安を見抜く指標となる

・円高・円安は一般化できるような規則性はないので、それぞれの状況で判断するしかない。したがって、円高で外貨投資をする場合、一発決め打ちはせずに、投資のタイミングを数回に分けて対応すべき

・個人投資家が住宅・マンション投資で成功する鉄則は、「買う時は不況時、売るのは好況時」「中古マンションを物色して安く買う。価格は収益還元法で点検」「空室リスクの低い物件を選ぶ」「2~3割は自己資金を用意」「ワンルームよりファミリータイプを優先」

・アジアでの新興のREIT投資家層が登場しているのは、注目すべきこと。中国を含むアジアの新興投資家のマネーが、日本のREITの新たな買い手に加われば、日本のREIT市場にミニバブル的な高騰を起こす可能性がある

・投資スタイルを大別すれば、「トレンド追随型」と「逆張り型」がある。投資家として成功したいなら、どちらのタイプを選ぶか、どちらに適しているか、よく考えるべき。どっちつかずは最悪。首尾一貫しない投資スタイルで成功することはあり得ない

・人間の性格は「1.ハンター(狩猟民)型」(動くものに強いトレンド追随型)、「2.ブリーダー(牧畜民)型」(長期的な作業が得意で、逆張り・長期投資型)、「3.ファーマー(農耕民)型」(安全な倉庫に貯蔵したがる、投資不適型)の3つに分けられる

・ファーマー(農耕民)型とブリーダー(牧畜民)型が多い日本社会では、表面的な利息配当の高さに誘惑されて、意図せざる高リスク投資をして、失敗する傾向が強いので、要注意


本書には、長期型投資・逆張り型投資を行う上で、参考になる点が数多くあるように感じました。

日本人の性格に合った地道な投資法と呼ぶべきものです。大欲・中欲・少欲と考えれば、中欲の人の投資法かもしれません。


[ 2013/11/12 07:00 ] 投資の本 | TB(0) | CM(0)

『鬼と仏の社長学』小野金夫

鬼と仏の社長学鬼と仏の社長学
(2013/08/01)
小野 金夫

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著者は叩き上げの苦労人社長です。実体験をもとに到達した心境が、本書に記されています。

「鬼と仏」という言葉に、トップとしての責任感と孤独が表れているように感じました。リーダーとして、ためになることが書かれています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・経営に夢は不可欠だが、計画や数字の裏付けがなくてはならない。経営を博打だと思ったら大間違い

・経営はもの真似でよい。まず成功している企業の経営を見て、その良いところを貪欲に取り入れること

・差別や偏見はどこにでもある。文句を言って世をすねる前に、誇り高くまず自ら動き、周りを変えること

・理屈や理想をこねくり回す前に、しなやかに環境に合わせて変化すること

・人間はアリでなくてはいけない。地道に稼ぎ、コツコツ貯めること。ギャンブルなど、もってのほか

・夢をかなえるにも、禍に備えるにも、先立つものはお金。人生の痛みを感じながら貯金すること

・事業を拡大するなら、事業部制ではなく、分社経営にすべき。組織はできるだけ小さくすること

・物事を自分の言葉で定義づけ、それを社員に伝えることが、経営の第一歩と知ること

・目的がないものは「仕事」と呼ばない。どんなに忙しそうにふるまっていても、それは単なる「作業」にしかすぎない

・原理原則を守り例外は認めない「例外否認の法則」が、顧客満足と安定経営につながる

・経営者は現場主義に徹すること。社員の報告を鵜呑みにしていては、いつか経営を誤る

・基本はフィフティー・フィフティー。会社と社員の関係も例外ではない。お互い自立した関係をつくること

・都合よく人を型にはめようとしてはいけない。人には持って生まれた役割と個性がある。見極めずして経営者の資格はない

・この世はエゴの世地獄の世。それを認識し、人間として生きる意味を見出す。その勇気と力を持つこと

・若い人に生きた言葉を残すのが上の者の務め。心のこもった言葉を伝えること

・知識や情報だけで人が動くと思ってはいけない。現場に行き、現場の人と話をしなければならない。生きた言葉でしか人は動かないと知ること

・不要な喧嘩は避けること。その相手に助けられる時が来る。感情的になり争うことは愚かなこと

・人は求められ請われることで、生きる価値を見出す。尽して求めず、そういう生き方を目指すこと

・辛い、苦しい、不安だ。宗教に頼らず、人に尽すことで、本当の安らぎ、安定を求めること

・人が人を支配する時代は終わった。お互い自立し尊重し合う、新しい世界を目指すこと

・人生に幸せな日は数えるほど。苦労、困難、七転八倒こそが、人が生きるということ

・自分のものと思っているほとんどは、天からの借りもの。時が来たら、お礼を言って返すこと

・自分を知らないうちに弱者にして、与えられることを常としてはいけない。人任せの人生をまず脱却すること



人生を一生懸命生きてきた人の言葉が集約されている書でした。人間は、真剣に生きれば、こうなっていくという見本のような内容です。

現場で懸命に生きてきた人の声に、もっと耳を傾け、その書を読むことは大事ではないでしょうか。


[ 2013/11/11 07:00 ] 商いの本 | TB(0) | CM(0)

『鈴木大拙随聞記』志村武

鈴木大拙随聞記 (1967年)鈴木大拙随聞記 (1967年)
(1967)
志村 武

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この本は、87歳になる父親の書棚にあったもので、昭和42年に出版された書です。

鈴木大拙(宗教家・東洋思想家、昭和41年95歳で没)の書は難解で、このブログにとり上げるのをためらっていました。本書は、著者が鈴木大拙の側に寄り添い、その言葉を聞き出したものなので、比較的容易です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・世間的に評判が立つのは、その時その時の時代的条件の組み合わせ次第であって、その人の人間としての価値にはよらない。田舎のお寺の墓場に名も知れず眠る人々も決して「凡人」ではない。周囲の事情の組み合わせ次第で、社会の表面に祭り上げられなかっただけ

・望みが大きくても、その中から純粋なものが出てこなければ、それはアンビシャスではない。人を傷めない人のためになる、といった社会性のあるアンビシャスであること

・向こうの力がどのくらいあるのかを見ないで、むちゃくちゃをやるというのは、人間として極めて低い考え。もう少し自分を尊敬すべき。自分を動物のように見てはいけない

・心なきところに見える働きが、大拙先生が日ごろ最も重んじた「おのずから」ということ。その無功用行(報いを考えの中にまったく入れない行為)が、大拙を大拙たらしめた

・中国も、百年経てば、きっと元の姿に戻っていく。われわれは、過去から現在までに得たものを捨ててはならない。得たものを利用して、昔の系統を続けていくのがよい

・仏教には「あなたはあなたのよろしいように」(良寛和尚)といったようなところがある

・「道はおのずから道なるなり」の「おのずから」が大切。「さとり」とは、「おのずから」に徹すること

・「さとり」とは、「かぎりなく素直な心になること」であるとともに、「その素直な心を決して意識しないで行動できること」である

・誠というものには限りがない。真剣になって誠を尽くそうとすればするだけ、尽しきれない面がマイナスになって跳ね返ってくる。そのマイナスに立ち向かう気力が必要

・自分を知ることぐらい大切なことはない。自分を知る人々は、自分の益となるものがわかり、自分にできることを見分けられる。そして、自分の知ることを実行し、必要なものを手に入れて豊かに暮らし、知らないことは避けて、功なり名をとげて、尊敬を受ける

・聖徳太子の中には、日本的なるもののすべてがある。太子のころの日本を研究し、太子の思想を学ぶことによって、日本的なるものの精髄をつかむことができる

・日本が、日本がと、言っても、日本というものは、世界あっての日本で、日本は世界に包まれているが、日本もまた世界を包んでいる。日本は世界のうちの一つである

・日常的な意識が、宗教的な意識に切り替わると、指一本の中にすべてのものがあるということに、はっきり気がつく

・生まれながらの素質がどれほど優れていても、人間は生育の環境とは無縁ではない。「宮殿の中では、人は小屋の中と違った考え方をする」(フォイエルバッハ)、「人間はすべて平等な素質を持っているが、ただ境遇が差別を設けている」(リヒテンベルク)

・他力を頼んで、他人に依存して、自分からは何もしない、ではいけない。絶対の他力は絶対の自力と同じこと。つまり、自分は苦しんでいても人を助けたいという能動性が、おのずから出てこなければならない

・幸福は苦しみを超越したところにあり、幸福は因果応報を出たところにある。それを出るということは、因果を離れて因果を見るのではなく、因果の中に入っていながら、それが楽しみのものになるということ

・他のために自分の労を惜しまずに、手足を動かしていると、自分のことが自然に気にかからなくなり、自分のことのみを考える癖が少なくなり、「誠」が養われてくる

・詩があると、ゆとりが出てくる。限りあるものが限りないものに変わる。無限の世界が出てくる。詩は創造力。これを持たないといけない

・「願わくば一切の人に極楽へ行ってもらいたいが、私だけはいつまでも苦海にいたいもの」(趙州禅師)。この大悲心こそ、今日の人間を救い、今後の世界を救うものだと、大拙先生は確信していた


鈴木大拙は、明治時代に、欧米で仏教に関する講演や講義をされてきた方です。仏教、東洋思想を世界中の人に伝えることに奔走してきた人でもあります。禅を世界に広めたことでも有名です。

本書は、西田幾多郎と並ぶ、知の巨人である鈴木大拙の素顔が、間近に見えてくる貴重な書ではないでしょうか。


[ 2013/11/10 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『胸中の山水』細川護煕

胸中の山水胸中の山水
(2011/10)
細川 護煕

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元首相の芸術家としての活動は、既にある一線を超えてきているように感じます。とくに、陶仏・陶塔などの作品は、芸術の歴史に名を残していくのではないでしょうか。

著書を紹介するのは、「ことばを旅する」「閑居の庭から」「跡無き工夫」に次ぎ、4冊目になります。本書には、著者の芸術論が数多く載せられています。そのシブい言葉の中から、一部要約して紹介させていただきます。



・「碧巌録」にある「衆流截断」の言葉は、世の風潮、時流を気にせず、常識の殻を破って勝手におやりなさいということ。そうありたいという自分の生き方、信念にも通じる

・子供の頃に木登りもしないで、月にも草花にも鳥や虫にも無関心で、美術館で美術品だけを見ていても、感性は絶対に育つものではない。評論家的な審美眼は育つかもしれないが、それはクリエイティブな感性を育むということとは全く違う

・小さいときの体験はすごく大事。「梁楷」(13世紀南宋の宮廷一の絵師)と出会ったのは十年余り前のことだが、出会えたのは、自分の中に、出会いの種子があったから

・日本人の美意識の一つの特徴は、「暗示的」ということ。物事の最盛期の華やかさを観賞するのではなく、その余韻を楽しむことで、こうした「暗示」による美を表現するやり方は、水墨画の「余白」によって、その背後にあるものを暗示する手法に通じる

・日本人の美意識の二つ目の特徴は、「いびつさ」や「不規則性」「不均斉」を好むということ。いびつなもの、ちょっとあばれたもの、どこかに傷があるものがよいという感性は、外国人にはまずない

・日本的美意識の三つ目の特色は「簡素」ということ。建築でも工芸でも水墨でも、中世以来の日本の芸術は、すべてけばけばしい色を嫌う「つやけし」の美を基本としてきた

・日本の代表的歌人であった藤原定家は「見渡せば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ」と歌ったが、日本人が昔から賞美してきたものは、黄金色に輝く屋敷よりも、むしろみすぼらしい漁師の小屋であって、それは単色の景色の簡素な美しさ

・日本人の美的感性の四つ目の特性は「はかなさ」ということ。「ほろび」は美に欠くべからざる要素だという日本人の感性は、古くから詩歌の基調であった

・陶淵明の「帰去来の辞」(さあ帰ろう、世人との交遊は謝絶しよう。世間と相容れないのに、再び仕官して何を求めようというのか)は、まさにそのまま、政界引退のときの心情

・孔子の「論語」が日々の生き方を目に見える形で教えてくれるのに対して、「老子」には、目に見える背後、目に見えないところを照らし出してくれるような趣がある

・「老子」の中の好きな章句の一つは、「善行は轍迹無し」(道にかなった優れた行動をする人は、ことさら痕跡を残したりしない)

・「老子」の中で、繰り返し強調されているのは、「私心を取り払って争いから身を遠ざけなさい」「名利にとらわれずに足るを知りなさい」「自己顕示欲を振り回して自分を誇ったりしないことが大事」だということ

・王維は、8世紀の最高の文化人でありながら、自然こそ人生の究極の場所であることを知っていた。自ら美しい自然に溶け込み、その一点景となった。だからこそ、「詩中に画あり、画中に詩あり」と評された王維の詩画には、人間と自然、王維自身の生命が流動している

・「長年のノウハウ」などというが、ノウハウというのは、ほんのちょっとしたことで、それを発見した人の話を聞けば、つまらない話と思うほどのもの

・池大雅の大軸「一成れば一切成る」の書にあるように、不器用でも、しつこいまで精進を重ねれば、何事もそこそこできる、というのが、見よう見まねでやきものを始めた実感

・集中して取り組むということには二つのことが含まれる。一つは「それをやっているときには他の雑念を払って、そのことだけに専心すること」、二つ目は「そのことを寝ても覚めてもひたすら考え続けること」。この二つを合わせて、集中という

・工夫ができるのも、「どうしたらもっといいものにできるだろうか」と、常に頭の中で集中しているから。「集中とは工夫の継続」である

・光悦のつくった茶盌に「物欲しげでない佇まい」を感じる。それは息子に、損得勘定で物事を考えない心根を植え付けた妙秀尼の生き方と心の表れ



本書には、元首相の作品と製作風景写真、そして、茶盌に関する美術館館長の解説も載っています。作品を通して、その人となりと求めているものが見えてきます。

ある境地に達した人の思いを知る、一つのいい機会になる書ではないでしょうか。


[ 2013/11/08 07:00 ] 細川護熙・本 | TB(0) | CM(0)

『デンマークの教育に学ぶ・生きていることが楽しい』江口千春

デンマークの教育に学ぶ生きていることが楽しい (子どもとともに生きる幸せ)デンマークの教育に学ぶ生きていることが楽しい (子どもとともに生きる幸せ)
(2010/11/01)
江口 千春

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著者は、「幸福度世界一の国」デンマークの鍵は教育にあると考え、デンマークの教育をさまざまな角度から検証されています。

本書には、幸福を実感できる人を社会が育てていくヒントが数多く記されています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・スクールアドバイザーは1対1で、子供と話し、進路を決める手助けをする。6年生と7年生は「自分を知る」、8年生は「どんな進路があるかを知る」、9年生は「自分の進路を決める

・図書室は校舎の中央にあり、専任の先生が配置されている。教員が授業を準備するにあたって、資料を提供する役割も果たす

・デンマークの学校は、学童保育を校内か隣接地に持つ。3年生までのほとんどの子は、放課後、学童保育所で過ごす。朝は6時半から8時まで、下校は5時まで。動物の世話、スポーツ、編み物、おやつづくり、楽器の演奏、大工仕事、卓球、ゲームなどをする

・学童保育所には、エネルギーの余っている子の暴れる部屋もあり、一人になりたくなった子が過ごすコーナーもある。広い敷地で、子供を受け止める大勢のスタッフがいる(子供12人あたり指導員1人)

・デンマークの子に、デモクラシーの意味を聞くと、「みんなが意見を言えること」「誰かが命令して動くのではないこと」と答える

・デンマークには、さまざまな職業学校がある。農業から自動車修理までたくさんのコースを持つ高校、食肉コースが主な学校など、学校での学びと現場での実習を繰り返す。そして、現場実習すると給料がもらえる

・デンマークの会社は、雇用者と従業員がよく協議して、合意に基づいて運営される。会社(35人以上)の役員会には、従業員の代表が複数参加するという決まりがある

・デンマークでは、大声を出したり、ガミガミ怒ったり、一方的に指示したりすることが少ない。対話が成立し、発する言葉が内面に届き、新たな変化のステップが始まる。このような関係は親子、教師と生徒、大人同士の関係にも見られる

・デンマークでは、家庭であれ、学校であれ、街の環境であれ、税金の使い方であれ、自分の思いを表現し、決定に関わる。だから、意見を言うこと、人の意見を聞くこと、時間をかけて話し合うこと、合意を見出すことが重要になる

・デンマークでは、「連帯(ソリダリティ)」という言葉をよく聞く。ソリダリティとは、人同士は助け合わなければならないという精神であり、福祉社会を維持する理念

・「自己決定」は、デンマークらしさを示すキーワード。「自己決定の尊重」は、幼児期から始まり、一生を貫く。自分自身が、どう生きるかを決めることができてこそ「よい人生

・大学入学の前に、多くの若者はサバトー(次の進路へ進むまで、在学中できなかった、仕事をする・外国を旅するなどの体験)の期間をとる

・対話を重んじ、競争を好まず、試験による教育を控えるのが、デンマーク教育

・教員は、授業・保護者会・専門分野の仕事を含めて週37時間労働。週25時間以外は学校に拘束されず、家で授業準備をしてもよい。教員の夏休みは5週間(生徒は6週間)

・子供に「させる」「やらせる」ことが大半になると、交遊を広げ、創造性を発揮して、生を楽しむ機会が少なくなる

・創造性豊かな職業能力は、個々の土台となり、国の経済を支える基となる。意識的に育てるべきは、子供の生活力と職業能力

・北欧の青年の語学能力の高さは、彼らの世界での活躍の土台となっている。「雇用の機会」には、外国をよく理解し、外国語能力を持つ必要がある

・格差なき繁栄のカギは教育にある。デンマークは、高度な知識社会でなければならない。この過程で、誰もが取り残されることがないようにしなければならない

・賃金の安さで競争してはならない。そのやり方で前進はない。代わりに、知識を競うべきであって、新しいアイデアや新たな変化と発見の能力において競うべき



デンマークの教育と日本の教育の違いを一言で言うと、それは、「個人の成長」のためのものか、「国家の繁栄」のためのものかということです。

デンマークは、「個人の成長」によって、「国家の繁栄」があると考えているのに対し、日本は、最初に「国家」を優先し、「個人」をないがしろにしています。個人の成長をじっくり見守る姿勢が、そろそろ日本の教育界にも必要なのかもしれません。


[ 2013/11/07 07:00 ] 北欧の本 | TB(0) | CM(0)

『「使える人材」を見抜く・採用面接』細井智彦

「使える人材」を見抜く 採用面接「使える人材」を見抜く 採用面接
(2013/02/26)
細井 智彦

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面接の受け方の本が、書店にいっぱい山積みされていますが、本書は、面接を受ける側の本ではなく、面接をする側の本です。

全く立場が違うと思われるかもしれませんが、相手(敵?)の心理を見抜くことは、面接という戦いにおいて役に立ちます。本書の中から、気になった点を幾つか紹介させていただきます。



・内定辞退者の70%もの人が、「面接官の印象によって志望先を変えた」と答えている。面接官が応募者を観察するように、応募者も面接官をよく見ている。面接官の印象で、企業の良し悪しを判断し、入社するか否かを選択することもある

・優秀な人材を採用したいなら、自分も見られているという意識が必要。面接も「ビジネスの現場」と肝に銘じ、クライアントとの打ち合わせのように、気を締めて臨むこと

・面接の評価をすべて数値化すると、「ずば抜けた能力を持ちつつも、マイナス面のある人物を見逃す」「優等生タイプばかりになる」「面接官の好みに左右される」「直感による評価が反映されなくなる」のような問題点が起こる

・相手に一度よい印象を持ってしまうと、その人のよい面ばかりが目につきやすくなる。だからこそ、最初に好印象を抱いた人にほど、「言っていることは本当かな」という視点で、具体的なエピソードを聞く必要がある

・「コミュニケーション能力」「主体性」「チャレンジ精神」など、聞き心地のよい言葉だけが一人歩きして、採るべき人材を具体的に想定できている会社が、意外に少ない。採用活動を成功させるには、会社にとっての「使える」人材をはっきりさせること

・企業は「しんどい状況でも我慢して頑張ってくれる人(ストレスに耐える人)」を求めるが、本当に必要なのは、ストレスに耐える力ではない。ストレス耐性とは、ストレスへの対応力や適応力。だから、ストレスをためこまず、うまく「逃がせる力」のほうが重要

・応募者にだまされまいと「見抜こう・見破ろう」とする意識が働くのはわかるが、取り調べ型の面接は、応募者に過度なプレッシャーや不快感を与えるので、注意が必要

・理想にぴったり当てはまる応募者を探す「マッチング」にこだわりすぎると、結局、採用したい人が見つからない状態に陥る

・どういう人を採用したいかを具体的にイメージできるよう、社内で見本となる人物を数名ピックアップしておく。「明るく元気で・・・」のタイプだけでなく、「口ベタだが・・・」「押しは弱いが・・・」「聞き上手で・・・」など、デキる営業マンはいろいろ

・経歴や外見などの表面的な情報で採否を決めるのは、直感ではなく、ただの「思い込み」。勝手に思い込まないよう、ロジカルに判断した上で、直感を働かすこと。そして、「何かあったら自分が責任を持つ」と思えたら、直感を信じるべき

・相手に気持ちよく話してもらうことが重要なので、面接官は「是非話を聞かせてください」というスタンスで、相手の話を聞くこと

・「不満や文句を言う人はNG」と考える人が多いが、仕事に不満はつきもの。求めるべきは、不平不満を言わない人ではなく、それを人のせいにせず、少しでも状況をよくしようと行動できる人。チェックするのは、不満の有無ではなく、不満とのつき合い方

・自社の魅力を伝えるのに、用意したいのが「ウラ話」。「実は、今ヒットしている商品が生まれたキッカケは・・・」などの秘話を話せるようにしておくこと。内情を話してもらった応募者は、信頼された気持ちになる

・応募者に選ばれるには、会社のこと、仕事のことをわかりやすく伝える必要がある。例えば、転職希望者が本当に聞きたいのは、給料やボーナス、残業時間、有給消化率など、とても生々しい内容

・「とても優秀だが、何か見落としている気がする」「完璧すぎて、なんとなくうさんくさい」など、落とす理由がないが、心に引っ掛かるものがある場合、試したいのが「雑談」。過去の仕事内容や実績ではなく、普段の生活についてのリアルな話を聞き出すこと

判断ミスをなくすためには、「1.第一印象で決めつけない」「2.経歴や肩書で判断しない」「3.応募者同士を比較しない(印象のよい人を過大評価しない)」「4.判断がブレないように(面接が続くときは注意)」「5.感覚的な評価も無視しない(直感も大切に)」



いい会社に就職したいと願う人も必死ですが、いい人を採用したいと願うほうも必死です。

その両者の立場を理解できる人は、冷静に、落ち着いて、面接に臨めるのではないでしょうか。面接を受ける側なら、面接をする側の本を一回くらい読む必要があるように感じました。


[ 2013/11/06 07:00 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)