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「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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『和顔・仏様のような顔で生きよう―山田無文老師説話集』

和顔 仏様のような顔で生きよう―山田無文老師説話集和顔 仏様のような顔で生きよう―山田無文老師説話集
(2005/10)
山田 無文

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著者は、25年前に亡くなられた昭和期の代表的な禅僧です。著書を数多く遺されています。私の父が、著者のいた禅寺に通っていた関係で、その著書が家にたくさんあります。

本書は、著者の「仏様のような顔(和顔)で生きよう」「和顔を人生の目標にしよう」といった訓えを、簡潔に表わしたものです。ためになることがたくさん載っています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・人生とは、ただ生活を享楽するような甘いものではない。また、より多く幸福を求めるなどという、意味のないものでもあってはならない。自分がこの世の中に出てきた真実の意味を自覚し、何らかの足跡を残していかなければ、せっかく人間に生まれた甲斐がない

・臨済禅師は「随処に主と作れ」と言った。これは、威張れということでも、自由勝手にせよということでもない。どこへ行っても、その場所を愛せよ、愛情を持てということ

・臨機応変のはたらきは、何も思わぬところから自然に出てくる。その、何も思わぬ純粋な気持ちをいつも失わないことが、一番大事なことであり、それが「信心」

・古い記憶がいつまでも心の中に残っているというのは「穢れ」。すんだことをいつまでも覚えているのは「心の塵

・すべてのものに敬語をつけて、尊敬して呼ぶことが仏法の教えであり、日本民族の長いならわし。しかし、それは、どんなものにも魂があるから尊敬するというのではない。こちらの感謝の心が、そうせずにはおられぬからそうする

・霊があれば祀る、ないから祀らないという理屈ではなくて、霊があってもなくても、祀らずにおられないからそうする

・自性がわかることを見性と言う。真実の自分もわからずに、世の中へ飛び出して、損だ得だ、嬉しいの哀しいの苦しいの楽しいの、憎いの可愛いの、進歩だ闘争だと騒いでみてもしょうがない

好き嫌いにとらわれたら、これほど嫌なものはない。良し悪しにこだわったら、これほど厄介なものはない。好き嫌いを捨てずに、好き嫌いに落ちず、良し悪しにこだわらずして、良し悪しのけじめを正していく、そこに至道の妙味がある

・頭をゴツンと打って、「痛い!」のは親から教わったものではない。何もないこころから「痛い」と出たもの。この何もないこころから分別せずに出てくる智慧、かかる純粋な意識そのものがわかることを悟りと言う

・花には蜜があるが、それは世の中に奉仕しようとする心、何かを捧げる心。花さえ咲かせれば、実はひとりでに結ぶ。幸福というものは、こちらから求めるものではなく、向こうから与えられるもの

・草木がこの世に生じたのは、美しい花を咲かせるため。人間がこの世に生まれてきた目的は、仏のような立派な人相をつくるため。死ぬまでに、よい人相になりたいもの

・何もない透明な、写真機のレンズのような心が、ものに触れ、ことに触れて感動し、その端的に句が生まれる。そこに俳句の世界があり、それは、禅に近いもの

・人間の内側に動揺しないものがあるから、動揺する心がわかる

・現実の世界の真っただ中にあって、苦楽の中にいて苦楽を離れ、生き死にの中にいて、生き死にを忘れている、そういう心境が彼岸と名付けられるもの

・「求むる有るは皆苦なり」、つまり、心の中に欲しい物があるのは皆苦の種だと臨済禅師ははっきりと言っている

・純粋とは、計らいのないこと、権謀のない心、それを内面的に把握すること、これが「直心」で、「直心は是れ菩薩の浄土なり」とは、その心自体が浄土であるということ

・人柄や相といった、人間から出てくる匂いがないといけない。美男や美女でなくてもいい。顔に何とも言えない味わいが出てくるのが「妙相」。惚れ惚れとする顔ではないが、何かしらいいところ、明るいところ、温かみがある「妙相」になっていかなければならない

・親が生みつけてくれた顔を、輝かしい、喜ばしい、微笑みのある、温かい、人に喜ばれる、いい顔にして死ななくてはいけない。大概、親の生んでくれた無邪気な顔を、できそこないの顔にして、死んでいく



人相は、年齢とともに、顔に刻まれていきます。写真家が撮ってみたいと思うような顔になるには、真剣に、誠実に、生きていないと、そうなりません。

お金や名誉に恵まれていない市井の人の中に、この「和顔」の人が大勢います。人は見た目ではわからないといいますが、本書を読むと、「人は見た目でわかる」ように思えてきます。


[ 2013/08/30 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『生きているのはひまつぶし』深沢七郎

生きているのはひまつぶし (光文社文庫)生きているのはひまつぶし (光文社文庫)
(2010/10/13)
深沢 七郎

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作家の深沢七郎さんが、亡くなられて25年経ちます。姥捨山で有名になった「楢山節考」などの作品が知られています。作家活動の他に、40過ぎてから農場を開いて、百姓をされ、50前には、今川焼屋を開き、自ら焼かれていました。

その独特の人生観に、学ぶべきところが数多くあると思います。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・死ぬことは、清掃事業の一つ。ゴミがたまれば、ゴミ屋が持っていってくれるように、人間が片付いていくということ

・死の世界は、生まれる前の世界。死ぬということは、生まれる前の世界に帰ること

・地獄極楽は日本人が作ったもの。お寺は仏教を商売にしている。死ねば戒名をつけ、名を変える。そんなことで金をとるのはおかしい。大乗仏教は八百長。仏教にお寺が建つのもおかしい。金出すやつがいるから、金をもらうやつがいる

・思想というものは悪いもの。何かを思わせるのは悪いことで、何もないことがよいこと。お釈迦さまの思想は「何もないことが一番よいこと」。あることがいけない

・私の「人間滅亡教」は、「生活程度をあげない」「勤勉は悪事である」「怠惰はこの世を平和にする」ことを説く

・種をまくときは、収穫するまで生きているかなんて考えない。人は、明日死ぬかもしれないから。種をまいたら芽が出るまでが楽しい。二日見ないと変わってくるから

・土は、水がなければ水をほしがり、多ければ困る。ちょうどよいところを欲するというのは、まさに生きもの

・真実の人生は性生活が片付いてから。性が片付いたあとは、まったく別な世界に生きることになる。性という峠のような劇しい道を越えると、別な世界が展開する

・悩みは、人生のアクセサリーみたいなもの

・過去の社会は、立身出世型の人間たちをつくることで、オレたちの生活を不幸にしてきた。つまり、偉いと言われる人間をつくって、人間の差別をしてきた

・何も考えず、何もしないで生きることこそ、人間の生き方。虫や植物が生きていることと同じ。それで自分自身に満足であればいい

スポーツ選手というのは、おだてられて、自分の身体に無理して、自分の体力の限界以上のことをやっている、一つの犠牲者。一位だ二位だと、権威というものにあこがれて、本当にひどい労働以上のことをしている

・スポーツは運動。それを何秒で走ったなんていう競争になったら、楽しさを越えて苦しさになってしまう。苦しいなんてとんでもないこと。今は、苦しくなるまでやるのがスポーツになっている。とんでもない悪いほうに向いている

・涅槃というのは、生きながらにして、死んだと同じ心になることだから、喜びも悲しみも欲望もなくなってしまう

・金や功名とかで権威のある名をつけるのは、悪魔の仕事

・水商売をすれば、感覚が狂ってくるから、切符を買っても、靴下を買っても、ネギを買っても、違った物になってしまう。そこが落とし穴。感覚によって、同じものでも味が違ってしまうのは、おそろしいこと

・男だって、どんどん泣いたほうがいい。泣くのは、機械に油をくれるのと同じこと

裏切られたという人にかぎって、他人を利用しようと思っている。そんな人は、あっちにも、こっちにも裏切られている。自分の欲をさらけ出しているようなもの

・永遠というのは、私の生きていくうちということ。太陽が輝いているのも自分の死と同時になくなってしまう

過去はおぼろがいい。憶えていないのがいい。忘れるというのは、人間に大切なこと

・生きていることが青春。死ぬまではずっと青春の暇つぶし。暇つぶししながら生きているのが、人生の道、世渡り術というもの



「生まれたときに、死のゴールへのレースが始まる」。このように考えていたからこそ、著者は、すべてにおいて達観していたのではないでしょうか。

人生を、死ぬまでの暇つぶしと考えたら、自分の人生を、自分の思い通りに、自由に生きていくことができます。本書は、そのことを示唆してくれているのかもしれません。


[ 2013/08/29 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり”』山田昭男

日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり”日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり”
(2011/11)
山田 昭男

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未来工業(電気設備資材メーカー・二部上場)の創業者である著者の本を紹介するのは、「ドケチ道」に次ぎ2冊目です。日本の横並び的な経営管理法を否定しながら、高い利益率を出す会社のオーナーとして有名です。

その経営法は、常識を覆すものばかりです。すなわち天才的です。この天才経営者のマネジメント法は、勉強になるだけでなく、勇気をも与えてくれます。その一部を紹介させていただきます。



・第一に差別化すべきは製品。「絶対よそと同じ製品は作らない」「よそと同じものしか作れないのなら、それがどんなに儲かる製品とわかっていても発売しない」

・「残業や営業ノルマの禁止」「定年70歳」「全員正社員」「育児休暇3年」「有給休暇を除いて休日140日」「年間就業時間1640時間」などの差別化は、社員たちが「この会社のためにがんばろう」と思ってくれるためにはどうすればいいか?と考えた結果

・よそと差別化していくためには、常に考える習慣を付けないといけない。新製品のアイデアや仕事の効率化について考え続けないといけない

職人さんが喜ぶ4つの要素「簡単に作業できる」「速く作業できる」「上手に作業できる」「安く作業できる」に「見た目」を加えた部分で勝負をして、うちの製品はファンを作ってきた

・社長になる人間は、まず自分がバカということを認めるところから始めないといけない。自分ではそう思っていないから「社員は管理しないと・・・」という発想になる

・たくさん売りたい、高く売りたい、いいモノを作りたい、安く作りたい、いいモノを買いたい、安く買いたい、と現場で考えるのは社員の仕事。社長の仕事は、彼らにがんばってもらうための「餅」の与え方を考えること。だから、社長が陣頭指揮をしてはいけない

・中小企業では、出せる給料には限度がある。だから、その分、休みを多くしている。休みというのは、お金が要らない。だから、増やすのは簡単

・製造業で一番多いのは8時~17時。差別化しないといけないから、8時30分~16時45分までにして、1日7時間15分にした

・残業は禁止。休みも多いから年間にすると労働時間は1640時間。これについては、政府系機関から「日本一勤務時間が短い会社」と認定された

・言っておくが、残業手当を出さない会社は法律違反だ。そんなことまでして金儲けはしたくない

・うちの800人弱の社員全員は正社員。多くの会社は、コスト意識が足りないのに、パートや派遣社員を雇う。仕事内容は、正社員とほぼ一緒で、給料半分、ボーナス10%、退職金ゼロ。それで「コストが下がった」のなら、人間をコスト扱いしているということ

・金儲けをしたい経営者たちが謳うのが「いいモノを安く」という言葉。しかし、いいモノを安く売っては儲からない。「いいモノを安く」の行き着く先は、過当競争

・「お客さんから『まけろまけろ』と言われて値段をまけたら、それは負け。しかし、そう言われてもまけなければ、会社の勝ち」(花登筺)

・「たくさん買うから安くしろ」と言われても、製造業では、時間単位で作れる数が決まっている。たくさんの注文をくれても、残業になれば、社員に25%増、深夜作業なら50%増の残業代を払わなくてはいけない。すごくコストが上がるのに、安くできるわけがない

・評価を人間がやる限り成果主義は導入しない。だから、ひたすら「年齢とキャリア」で給料を決める

・守衛を正社員で雇ったら、年間に750万円の支出になる。被害額がそれ以上になったら守衛を置く意味があるが、そうはなっていない。泥棒に盗まれる額とコストの算数が大事

・韓国企業が「注目する日本の経営者」の5位に入った。他の人は、松下幸之助、稲盛和夫、孫正義、本田宗一郎、永守重信、山内溥、柳井正など超大企業の経営者で、自分だけが中小企業だった

・うちの工場には、韓国から年間1500人が見学に来る(見学料は1人2000円)が、韓国の企業は勉強熱心


日本で、著者のことがもっと評価されるべきですが、自分を否定された気持ちになるのか、日本の企業経営者や社員は、見て見ぬふりをしているように思います。

隠れた異彩の経営者であることは確かなようです。さらに、著者の本を読んでみようと思っています。


[ 2013/08/28 07:00 ] 山田昭男・本 | TB(0) | CM(0)

『天皇家の財布』森暢平

天皇家の財布 (新潮新書)天皇家の財布 (新潮新書)
(2003/06)
森 暢平

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天皇家の家計簿、貯金、資産、収入など、どうなっているのか少し興味がありました。戦前に比べて、かなり予算が小さくなったみたいですが、それでも、お抱えの人件費等を考えれば、膨大な額になります。

本書は、それらを一つ一つ明かすことにより、天皇家の生活ぶりを知らせてくれます。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・天皇、皇族の活動のための「皇室費」は、オフィシャルマネーの「宮廷費」と、プライベトマネーの「内廷費」「皇族費」の三つに分類される

・皇室の公的な活動に使われる「宮廷費」は、一般の役所と同じで、毎年金額が変わる(2003年度は64億円)。宮中晩餐会、国体や全国植樹祭への地方訪問、宮殿の補修、皇居の庭園整備など土木・建設費も含まれる

・「内延費」は、天皇家へのサラリーで、国家公務員の給与と同じ。定額制で3億円程度。ピアノの修理代、登山用品代などが、「内延費」から支出される

・「皇族費」は、天皇家以外の宮家(秋篠宮、常陸宮などの七家)のサラリーと考えると捉えやすい。秋篠宮家は約5000万円で、総額は約3億円程度

・宮内庁が管理する予算には、他に宮内庁費がある。1000人を超える宮内庁の経費は、110億円を超える。そのうち、人件費と手当関係が約8割を占める。つまり、宮内庁は「皇室費」を合わせると、「4つの財布」を持っていることになる

・皇室費(宮廷費・内延費・皇族費)と宮内庁費に、皇室関連の国の付属機関である「皇宮警察本部予算」を加えた広義の皇室関連予算は約270億円。国民負担は1人210円ほど

・戦前の皇室は、全国に広大な山林を持ち、林業経営で収入を得ていたほか、教育機関である学習院まで持っていた。宮内庁職員は、1945年の敗戦時、約6200人もいた

・現在も、京都御所、桂離宮、修学院離宮、正倉院、千葉・埼玉の鴨場、長良川筋漁場、那須・須崎・葉山の御用邸を抱える

・現在も、雅楽や洋楽演奏の楽師24人、正史編纂や陵墓調査の研究職46人、天皇陵の陵墓守143人、正倉院や古文書の修繕師12人、調理人25人、配膳担当22人、運転手と車両整備40人、土木・水道・電気・機械などの専門技官78人、庭園管理者30人がいる

・皇居の1カ月の水道代は約930万円、電気代は約840万円、ガス代は約340万円。東宮御所は別払い。NHKのテレビ放送受信料は約180万円

・出席者132人の大統領晩餐会の食材仕入れ費は約97万円。一人当たり7300円ほど。御料牧場の生産物や大膳課職員の人件費を考慮すれば、一人の食事単価は1万円単位

御料牧場では、乳牛18頭が飼育され、牛乳瓶200ml換算で、1日約200本の生産。豚は78頭が飼育され、年間に豚肉約3000kgの生産。他にも羊が385頭、鶏が886羽、キジが35羽いる。御料牧場の年間生産額は約4200万円。支出は6億円強で、やはり赤字

・天皇家のお小遣いは不明だが、「その他雑費」の7割、2500万円と推定すると、天皇家の成人で、年間一人当たり500万円になる

・戦前、天皇家が持つ「御料林」は、北海道夕張、静岡大井川、岐阜木曽など全国に散らばり、「金のなる木」と呼ばれるほど、莫大な収益を上げた。この利益を元手に、皇室は株式、国債への投資にも乗り出した

・皇居や御用邸などの土地、宮殿や御所のような建物は、天皇家の私有ではなく、国有財産で、国が皇室に提供する「皇室用財産」という種類にあたる。現在の皇室用財産は、土地を合わせると、4000億円以上になる

・昭和天皇が亡くなった時の資産はおよそ20億円。これは、昭和天皇個人の遺産

・昭和天皇逝去で整理された所有の美術品は約4600件(国有財産3180件、御由緒物580件、天皇陛下と香淳皇后が相続800件)。国有財産になった品に、「蒙古襲来絵詞」「源氏物語屏風」、小野道風の直筆、横山大観などの近代絵画、幕末志士たちの書画などがあった

・天皇家と比べると、宮家の暮らしは、ぐっと一般人に近い。自分自身で買い物をすることも、銀座で飲むこともある。秋篠宮家の6人いる使用人の人件費を除いた年間生活費は約2500万円。皇族という身分を考えると、潤沢とは言えない



本書を読み、天皇家や宮家は、庶民が思っているより、そんなに贅沢な暮しをしていないように感じました。

プライベートな行動が制限され、ストレスのかかる公務に追われることを考えると、決して、豊かとは言えないように思います。「天皇家の財布」を知ることにより、天皇家を身近に感じられるようになるのではないでしょうか。


[ 2013/08/27 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『新編・悪魔の辞典』アンブローズ・ビアス

新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)
(1997/01/16)
アンブローズ ビアス

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本書は、およそ100年前にアメリカで出版されました。冷笑家、風刺家、毒舌家と言われた著者の作風は、芥川龍之介など日本の作家にも大きな影響を与え、100年経った今でも、世界中に影響を与え続けています。

本書は賛否の分かれる書ですが、「言い得て妙」の表現に感嘆することが多々あります。それらの内容の一部を要約して、紹介させていただきます。



・「アマチュア」 趣味を技量と思い誤り、おのれの野心をおのれの能力と混同している世間の厄介者

・「安心」 隣人が不安を覚えているさまを眺めることから生ずる心の状態

・「自惚れ」 こちらが嫌っている奴に見られる自尊心

・「会社」 個々の人々が、責任を伴わないで、それぞれ自己の利益をあげ得るように工夫された巧みな仕掛け

・「感謝の念」 すでに受けた恩恵と、これから期待する恩恵との中間に位置する感情

・「頑張り」 凡庸な連中が、それによって不名誉な成功をかち得る、取るに足らぬ美徳

・「希望」 欲望と期待とを丸めて一つにしたもの

・「欺瞞」 商業の生命、宗教の精髄、求愛のさいの餌、政治的権力の基礎

・「群集」 その中に最も賢い構成分子に従う場合には、その者と同じ程度に賢くなるが、従わない場合は、その中の最も愚かな構成分子と同程度の英知しか持てないもの

・「幸福」 他人の不幸を眺めることから生ずる気持ちのよい感覚

・「搾取する」 人を信じやすい連中に教訓と経験を授ける

・「讃辞」 富および権力という利点を持っているか、この世におさらばを告げてしまった人をほめたたえること

・「借金」 奴隷を監督する者が用いる鎖と罠の代わりをなす、功名に工夫された代用品

・「信仰」 類例のない物事について、知りもしないくせに語る者の言うことを、証拠がないにもかかわらず、正しいと信ずること

・「人道主義者」 救世主は人間であって、当の自分は神である、と信じている者

・「侵略」 愛国者が、おのれの抱く祖国愛を証拠立てるために用いる、最も広く世に認められている方法

・「大胆不敵」 安全無事な立場にある人に見られる最も著しい特質の一つ

・「忠実」 今まさに裏切られようとしている人々に特有の美徳

・「長命」 死に対する恐れが、異常なほど長期にわたって引き延ばされること

・「憎しみ」 他人のほうが、自分よりも勝っている場合にふさわしい感情

・「忍耐」 小形の種類の絶望。ただし、美徳に偽装している

・「武勇」 虚栄心と義務感と賭博者の希望とから成る、軍人に特有の混合物

・「平和」 国際関係において、二つの戦争の時期の間に介在するだまし合いの時期を指す

・「法律家」 法律の裏をかく技術に熟練している者

・「民主国家」 数限りない政治的寄生虫によって運営されている行政上の統一体

・「幽霊」 内なる恐怖が外に現れた、目に見えるしるし

・「冷笑家」 物事をあるべきようにではなく、あるがままに見る、たちの悪い奴

・「霊廟」 富裕な連中に見られる最終にして最高に滑稽な愚行



世を客観的に、公平に観察できた著者にしか、本書は表現できなかったのではないでしょうか。

この作品を歪んだ、偏った表現であると思われた方は、ひょっとしたら、自分が、歪み、偏っているのかもしれません。


[ 2013/08/26 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『大名たちの構造改革』谷口研語、和崎晶

大名たちの構造改革―彼らは藩財政の危機にどう立ち向かったのか (ベスト新書)大名たちの構造改革―彼らは藩財政の危機にどう立ち向かったのか (ベスト新書)
(2001/10)
谷口 研語、和崎 晶 他

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江戸時代の後期、財政危機になる藩が多発しました。その難局を乗り越えた藩、乗り越えられなかった藩、その成功と失敗の要因を調べたのが本書です。

現代にも通じる部分が数多くあり、参考になります。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。


・農民が豊かになれば、地主となって中間搾取する者が出る。没落すれば、耕作地が荒れ、年貢が取れない。だから、農民が富裕化しないよう、さりとて、没落もしないように生活させ、その全余剰を税として取り上げることが、幕藩領主にとって農民支配の最上の策

・農村の荒廃は、天災によるものだけではない。商品経済・貨幣経済が農村にも浸透してきた結果、農民たちが借金返済のため、田畑を質地として地主に渡すか、出奉公で貨幣を手にした。並行して、間引き・捨て子も横行し、村は人間の再生産さえ困難に陥った

・藩政改革には、有能な人材が必要だった。その新たに登用する人材を束ねる人材(名補佐役)を得ることで、名君たちは、藩政改革に着手することができた。逆に言えば、補佐役に人を得ることができなかった大名は、「名君」たりえなかった

・人材を登用して高い役職につけても、禄高が低いままでは、何かと不都合が生じる。そこで、就任させた役職に相応する禄高との差額を補てんする制度がとられた。やがて、この補てんも合わせた総計高が子孫に世襲されるようになってしまった

・江戸時代後期には、儒学から派生した経済学や政治学に近い思想を展開した「経世家」や「農政家」が現れた。彼らは派遣された藩の農業方法を指導し、農村の復興を行い、藩の殖産興業や交易に意見を述べた。二宮尊徳、海保青陵、大蔵永常、佐藤信淵などが有名

・財政再建に向けての改革は、家臣たちに耐乏生活を強いる中で行われた。藩主上杉鷹山が率先垂範したように、改革の担当者は、禁欲の中で改革にあたらなければならなかった

・徳川吉宗には、大奥に残る美女の名を書き出せと命じ、書き出された50人全員に「美女ならば引く手あまたのはず、みな大奥を出て結婚するがいい」と暇を出したという、大奥経費削減の逸話が残っている

・水野忠邦に特に目をつけられたのは、職人や商人が頻繁に出入りする諸役所。出入りの者と馴れ合い、リベートを受け取り、贈物攻勢にもはまって、工期が延びても、値段の割に材料・品質が落ちても、まったく知らん顔だと、水野忠邦は批判している

・江戸時代の侍は、「あれをするな、これをするな」と、手取り足取り、私生活の指導を受けた。経営能力がまるでなかった

・半知とは、家臣に渡った分から半分借り上げるもの。財政帳簿では、家臣へ渡す半分を藩庫に入れると書くべきものを、最初から半分の額しか記載しなくなった

・荻原重秀が行った貨幣改鋳は、通貨量不足に対応したものだが、真の目的は、質を落とした金銀貨の発行で利益を得ることだった。この貨幣改鋳により、幕府は557万両の巨利を得た。この額は、当時の幕府歳入の約7倍にあたる

・幕府の三貨(金銀銭)に対して、各藩は、藩札という一種の紙幣を発行した。藩札には、米の額や金の額または銭の額を記したものがあったが、銀経済圏の藩を中心に発行されたため、多くは銀札だった。領内限りの通用を原則とし、通用期限が定められていた

・藩財政が悪化すると、諸藩は正貨を吸収する目的で、藩札を乱発するようになる。1774年に、幕府は藩札再発行を禁じたが、まるで効き目がなかった。財政窮乏に苦しむ諸藩は、兌換の保証がないまま、幕府の許可を得ず、命令に違反した藩札を続々と発行していった

・薩摩藩などは、天保の改革のさい、かなりの偽銭を鋳造したらしい。幕末には、戦争資金として、多くの藩で金銀貨幣の鋳造が行われている

・農村が荒廃し、農村人口が減少すれば、年貢徴収率が低下する。そのため、間引きの禁止、都市から農村へのUターン政策が必要だった。寛政の改革で行った「人返し令」には、Uターンの旅費食料費や農具代の支給があったのに、応募者が少なく、失敗に終わる

・二宮尊徳の報徳仕法とは、節約と勤労で分度を守ることにある。例えば、金十両の収入があれば、九両と二分(四分で一両)を限度とする生活をし、二分を貯蓄に回した。その貯蓄を貸し付けにも回し、その利子で農具や農業の基盤整備に運用した

・薩摩藩の財政改革を担当した下級武士出身の調所広郷は、偽金づくり密貿易を行い、なりふりかまわない方法で、藩財政を立て直した。当初500万両あった負債を返済し、10年後には、営業用途費200万両のほか、藩庫に50万両の貯蓄を行った



本書を読むと、幕府や諸藩は、財政再建のために、涙ぐましい努力をしています。給料半減、首切り、不正防止のための細かな規則だけに及ばず、外部者(経営コンサルタント)を使ったリストラも行っています。

さらに、貨幣改鋳、不換紙幣の発行など、財政政策の禁じ手を行っています。また、藩によっては、偽金づくり、密貿易などの不正行為を行い、借金を返済しています。このような財政再建の歴史を知ることは、現代においても、参考になりそうです。


[ 2013/08/25 07:00 ] 江戸の本 | TB(0) | CM(0)

『唯識わが心の構造「唯識三十頌」に学ぶ(新・興福寺仏教文化講座)』横山紘一

唯識 わが心の構造―『唯識三十頌』に学ぶ (新・興福寺仏教文化講座)唯識 わが心の構造―『唯識三十頌』に学ぶ (新・興福寺仏教文化講座)
(2001/09)
横山 紘一

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唯識観とは、自己と世界の真のありようを見究める観察方法です。その観法の根拠となるのが「唯識思想」です。その唯識思想について、著者が興福寺仏教文化講座で講義した内容をまとめたものです。

仏教というよりか、「仏道」(仏に成る道)について詳しく述べられている書です。勉強になった箇所が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・「心の中に一切を還元して観察する」ということは、具体的には「対象に成りきる」ということ。対象に成りきってしまう。これが唯識観の本質。その成りきった対象をもう一度心の外に投げ返し、そこに日常生活を送るなら、今までと違った世界が展開してくる

・「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」は前五識、視覚~触覚の五感覚。「意識」は第六意識。この心の意識の運用によって、人間は善にも悪にもなる。以上が表層の心理。唯識ではさらに深層心理の「末那識」(自我執着心)と「阿頼耶識」(根本心)がある

・阿頼耶識に蓄えられた種子から眼識~末那識が生じ、肉体が生じ、さらに自然界が生じる。すなわち、阿頼耶識に所蔵される種子とは、「あらゆるものを生ぜしめる可能力

・私たちは生まれたからには、社会に役立ちたいと思っているが、それは表層心理で理性的にそう考えるのであって、決して全体としてそうではない。私たちは何をするにしても自己中心的。末那識が表層心理にかかわらず、常にドロドロと自己中心的に働いている

・白隠禅師の「坐禅和讃」の中に、「坐の功を為す人は、積みし無量の罪滅ぶ」という一句がある。「わずか三十分坐っても、その行為が深層に積もり積もった煩悩を焼いてくれる」という意味。「自己の心の汚れは、自己の心によってしか除くことはできない」

・極楽往生を願うという往相は、再びこの世にもどって人々を救いたいという還相の願いがあって初めて許されるもの

・日本の仏教は現世利益志向が強いため低く評価されるが、現世利益は一概に悪くない。なぜなら、花が咲いて実がなるように、現世利益を経ないと、出世利益にならないから

・阿頼耶識は善でも悪でもない無記。そもそも、善悪は人間が自分のエゴによって考え出したもの。そういった意味で、あらゆる存在は無記という主張は、重い意味を持っている

・私たちの根底をなす阿頼耶識が善でも悪でもなく無記であるからこそ、私たちは悪から善へと変化していくことができる

・私たちは、日常生活において、物質的なものだけでなく、知識を増やしたいといった精神的なものも蓄積する。しかし、それらが蓄えると、ますます執着心が増していく

・阿頼耶識は、業すなわち行為の結果を貯蔵するはたらきがある。行為の結果を種子あるいは習気という。習気の「習」は繰り返すという意味。繰り返し繰り返し行う表層の行為の結果がどんどん薫習されていく場所、それが深層心理の阿頼耶識

継続的な向上努力を、仏教では「精進」という。そうした精進によって、すばらしい業を積み重ね、阿頼耶識(自己の根源的な心)から煩悩を払拭して、それを清らかなものに戻していくことが、私たちにとっての生きる目的

・「言葉が現象を生み出していく」という事実認識から名言種子という考えができてきた

・私たちは、地球上に発生した命の大きな流れの一滴にしかすぎないのに、それを忘れて自分自身と「自己存在」に捉われ執着し、苦しみ悩み対立しているところに問題がある

・自我執着心をなくせばなくすほど、自己は鏡のように光り輝き清らかなものになっていく。そこが空性を悟るということになる。そのように空性に達することが、菩提を獲得するということ

・「自己を習ふといふは、自己を忘るるなり。自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり」(道元禅師)の「万法に証さらるる」というのは、自分が悟るのではなく、一切のものが自分を悟るということ

・「この身を度する」のが「上求菩提・下化衆生」という誓願を持って生きる菩薩の生き方。このうち「上求菩提」が自利行で、宇宙の真理を悟ること。「下化衆生」が利他行で、人々を苦しみから救うこと。そういう願いを持って生き抜けば、すばらしい一生が送れる

・一体この世は何なのかというと、唯だ自然があるだけ、唯だ他人がいるだけ、唯だ心があるだけ。とにかく、対象に成りきったとき、そこに現成してくることしかない



本書は、350ページに及ぶ大作です。仏道を本格的に学ぶための専門書です。今回は、その中で、やさしいと思われる箇所だけを抜粋して、紹介させていただきました。

仏道と真剣に向き合いたい方、人間の心の構造をもっと知りたい方には、最高で最上の書になるのではないでしょうか。


[ 2013/08/23 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『スウェーデンのニッポン人―人がその地に求めたもの』

スウェーデンのニッポン人―人がその地に求めたものスウェーデンのニッポン人―人がその地に求めたもの
(2012/12)
ノルディック出版編集室

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北欧の本」を紹介するのは、23冊目です。スウェーデンの本を紹介するのは、9冊目です。今までに、さまざまな角度から、北欧の本をとりあげてきましたが、本書は、スウェーデン在住の一般の方22人にインタビューした書です。

したがって、良くも悪くも、スウェーデンのありのままの姿が描かれています。その人たちから発せられる意見は、浮ついたものではなく、地に足ついたものばかりです。その中から、参考になった考えを要約して、一部紹介させていただきます。



・スウェーデン人は少しシャイで、積極的に話しかけてはこない。しかし、こちらから話しかければ、親身になって最後まで話を聞いてくれる。家に積極的に招待されることもない。でも、遊びに行かせてと言えば、歓待してくれる。スウェーデン人は日本人に近い

・スウェーデンでは、日本のように新卒を雇って、社会人として鍛え上げるという親切な制度はない。そのため、若者たちは、不況の影響を強く受けてしまい、就職が難しい。しかし、いつも楽しそうにしている

・本当に人間らしくないのは、失業=不幸とか、失業する奴はダメという発想がある社会。そんな社会では、失業という恐怖におびえ、会社にしがみつかざるを得ない。定時に帰れるのに、付き合い残業をする。嫌な仕事も引き受けるしかなくなる

・スウェーデンでは「格差」を感じることはあまりない。低所得の人だろうが、外国人だろうが、住むエリアが偏っているわけではない。学校にも「格差」がない。高級デパートもなければ、高級レストランもない。この「格差」がないことが、幸福度を上げる要因

・スウェーデン社会では、「個人」がとても強く、人間関係はドライ。子供との関係も、老親との関係も、友人隣人と変わらないと思えるほどドライ。それは、「早く大人になること」が子供たちに期待されてきた結果だと考えられる

・多くの老人は、老人ホームや訪問サービスなどの形で福祉の恩恵を受けており、実子の手で介護されている数は少ない。この裏には、老人が「孤独や寂しさに耐える強さ」を求められているということがある

・多くのスウェーデン人は、他人にさほど関心を示さない。それは、障害者、老人、困っている人に対しても、である。よく言えば、それは「個人」としての自分を大事にするために、他人の「個人」も尊重するということ

・スウェーデン人は、「助けて!」と大声をあげて、「あなたに助けてほしい」と指名されて初めて、「私の助けが要るの?」と気づく。個々のスウェーデン人が不親切なわけではない。察してくれない、気を利かせてくれない、といった甘えが通じないだけ

・恋愛感情が消えれば、躊躇ない別れが訪れる。もともと「個人」と「個人」なのだから、離婚やシングルに戻ることは、恥でも負でもない

・「個人」が「全員働く」スウェーデン社会では、「働いている」ことが大切で。どのくらい熱心に働いているかは、さほど問題ではない。「全員が働く社会」は、働くには困難のある人、働く能力の劣る人、働く意欲の乏しい人にも、仕事を与えなくては成り立たない

・スウェーデンは労働者視点。日本は、この十年、消費者視点が強すぎる。サービスを受ける側の要望が優先されるべき、お金をもらっているなら職務に忠実であるべき、といった日本人の価値観を持ち込み、スウェーデン社会に期待すると、失望する

・昔から北欧の人は、スペインの島へ避寒旅行をしていた。最近では、冬の三カ月、南の暑い国へ行くのがステータス。スウェーデン社会は、冬の逃避行を習慣として大目に見る

・スウェーデンでは、今や国民の5人に1人が外国人。ストックホルムのような大都市では、スウェーデン人よりも外国人の方が多い。街のたたずまいも空気も昔と変わってきた

・日本人は、表に現れない内面世界を大事にする。スウェーデンでは、表に現れる外面世界がすべて。言いなさい、主張しなさい、それがあなたの現実の姿であるということ

・この世の諸悪の根源は、つまらないインテリジェンスと男の闘争本能。権力欲、独占欲所有欲と、その暴走。スウェーデンでは、男女平等が近づき、将来的に、女性天下が来る

・「哲学の部屋」というラジオ番組では、招待された哲学者が3~4人、普段の考えを出し合い、考え方のデモクラシーが狙いである。聴取者は、自分の不十分な点が明白に分かる

・スウェーデンでは、家族のルーツを研究している人が多い。趣味としてだが、かなり高い専門知識が要求されるだけに楽しみもある。テレビやラジオでも、その種のものがある



本書で、素顔のスウェーデンを知ると、ドライで合理的で、人情味がないと受け取る日本人も多いように思います。

でも、それは、お客様第一主義ではなく、労働者第一主義だからであり、全員が働き、自立を求められる社会だからです。どちらが、幸せかよく考えてみる必要があるように思います。


[ 2013/08/22 07:00 ] 北欧の本 | TB(0) | CM(0)

『[新装版]青年の思索のために』下村湖人

[新装版]青年の思索のために[新装版]青年の思索のために
(2009/09/12)
下村 湖人

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著者は「次郎物語」の小説が有名ですが、若干35歳で旧制中学の校長を務められた教育者でもあります。本書は、昭和30年に発表された作品で、当時の青年たちに大きな影響を与えました。

本書の最後の章の「心窓去来」は、教育者を超えた、哲学者・思想家としての作品です。現代の中高年が読んでも、ためになります。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・青年期は、出生当時の無自覚から覚めきって、己を知り、他を知り、社会を知り、そして、死ぬまでの自分の方向を自分で決めなければならない時期。青年期の大出発こそ、人間一生の中軸をなすもので、出発の中の出発

・「知育偏重」という言葉は、記憶偏重ということの誤り。日常生活を合理化し民主化するためにも、知育、とりわけ思考力の養成には、もっと力を注がなければならない

・「退くことの好きな人は心がきれいで恥を知っているから誠心誠意で働き、決して任務を汚さない。人に遅れまいとして競馬馬のように狂奔する人は、正道を曲げて上に仕え、へつらいこび、周囲に目立つことを求め、才を誇り、利を好む」(宋の賢臣・張詠)

・どんな仕事に従事していても、自分の仕事を拝む心を持つことが大切。仕事を拝む心はやがて神を拝み、神の大事業に参加する。利害を超越し、世評に煩わされず、一日一日をただひたすらに仕事の祭壇に奉仕して悔いざる心こそ、人間を偉大ならしむ唯一至高の道

・雑多な欲望を充たすことを自由と考えている間は、人格の自由は得られない。どんな圧迫にあっても、良心に背くことを弾ね返す力を持っていなければ、真の自由は得られない

・他人の邪悪から自分を守ることは、時として不可能な場合があるが、自分の邪悪から自分を守ることは全く自分の自由。然るに、たいていの人は、他人の邪悪によってよりも、自分の邪悪によって、はるかに多くの害を受けている

・運に恵まれて富んでいる人が、もし、富を永続きさせたいと思うなら、富を死守しようとする代わりに、富を無知克服のために一刻も早く利用すべきである

・素直に喜ぶということは難しい。というのは、もし、ほめられたあとの仕事が、もう一度ほめてもらいための仕事になったら、その喜びは決して素直であったとは言えないから。人間の素直さにとって、賞賛は大きな誘惑である

頭のいい人にとって、最も大切な修行は、おっとりした、親しみやすい謙遜な人間になるように努力することであるが、そこに気がつくほど頭のいい人は実際まれである

・凡人の社会を動かしている潤滑油の七八割は礼儀作法といった形式である。大多数の人間は凡人だから、そうした形式の軽視は、しばしば悲劇の原因になる

・人は、劣等感と利己心に出発した平等感を主張することで、内心の不平等感を告白する

高慢と怠惰から身を護りうる人は、たいていの悪徳から身を護りうる

・政治はその運営のために、法と公職と租税を必要とする。しかし、その必要は究極において、それを無用ならしめるための必要。法と公職と租税は少なければ少ないほど、人民にとって幸福である

・たいていの人は、「機会を求めなかった」のに「機会に恵まれなかった」と言っている

・自分で自分を支配する力のない者にとっては、束縛が善であり、解放は悪である

・無心になるとは一心になること。一心になるとは自己の一切をあげて至高の願いに集中すること。至高に集中するところに迷いはない。迷いなきがゆえに無心

・すきだらけの人間が、ゆとりのある人間のように思い違いされている。しかし、すきとゆとりとは本来似ても似つかない心の状態で、すきがないからゆとりがある

・自分が恩恵を施してやった人を「恩知らず」とののしる時、その恩恵はもはや恩恵ではなく、取引に変じている

・未来は、燈台と同じように、常に二つの意味の信号をかかげている。一つは「希望をもて」という意味。もう一つは「危険を警戒せよ」という意味。もし、この二つの意味の一方だけしかわからないとすれば、未来は、我々を心からの笑顔をもっては迎えてくれない



著者の思想は、青年期の生徒に触れ、その成長をつぶさに観察することによって、得られた思想です。成長の過程を知っているがゆえの重みがそこにあります。

良き教育者の本は、意外に少ないように思います。本書は、貴重な書ではないでしょうか。


[ 2013/08/21 07:00 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『持たない贅沢』山崎武也

持たない贅沢持たない贅沢
(2009/07)
山崎 武也

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人間の欲望には限りがありません。食べ物なら、胃袋いっぱいが限度です。大きな物なら、部屋いっぱいが限度です。しかし、小さい物、物でないものには限りがありません。

それらを追い求めていく「欲張りレース」に参加しないことが、この「持たない贅沢」です。本書には、欲張りレースに参加しない方法が数多く記されています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・酒と同じように、欲は百薬の長にもなれば、百毒の長にもなる。やはり、「欲は活用するとも活用されるな」で、自分の欲を上手にコントロールしていかなくてはならない

・物でも金でも、また名誉でも、持っていることは、それらに気を使っている分だけ、自分が束縛されていることであり、日々の生活が複雑になっていることにほかならない

・世の流れに媚びたり影響されることなく、淡々とした姿勢に徹して、自分の感性を信じ、美しいものを見出そうと努力を続けていけば、自然に自分自身の心身にも美が備わってくる。そうすれば、美しいものに囲まれた幸せの世界が実現される

・物事が複雑になるのは、一つのことに心を込めていない証拠

・持たざる者は、守るべきもの、縛られるものが少ないので、強引に自分の主張をすることができる。自分の狭い世界の中であるとはいえ、それだけ自由が享受できる

・モノに執着し、モノを所有して喜ぶのは、幼児性から脱却していない証拠。モノから自分のココロを解放することができて初めて、真の大人になったということができる

・欲にも余裕を残しておいて「欲八分目」を心掛けること。現在の大欲を捨てて、将来の大欲を満たす可能性を残しておくのが、賢明な人のすること

・そもそも投資とは、将来において利を得るために、現在を犠牲にすることである。ただ問題は、その実現性が明確でない点

手抜きというのは、必要な手続きを省くことだが、実際に省かれているのは、人の心。便利というのは手抜き。そこに残っているのは、表向きの都合のよさであって、真心のかけらもないことが多い

・表だけをきれいにして裏をそのままにしておいたのでは、胸を張ることはできない。心の奥底に引け目を感じて、裏の汚いところを見られたらどうしようかと考えてしまう

・流行しているものには、人の心を浮き立たせるものがあり、モチベーションを高める。だから、内部から仲間として加わり、「感化」を及ぼしていくのが上手な方法

へつらうときには、相手から何かを期待する気持ちがある。相手の喜ぶ顔が見たいというだけであればいいが、それ以上に、もっと具体的な「反対給付」を期待する気持ちが潜んでいたら、それは堕落した行為というほかない

・茶道が狙っているのは「整然美」。ぴたりと美事に決まる美しさで、その中にいる人たちの心は、きちんと整った秩序の中にある宇宙を感じている。それは居心地のよい世界

空白にも価値があると考えて大切にすること。空白こそが、アクセントになる

・「づくし」には、ゴタゴタ入り混じっている感じがつきまとう。一方、「違い」には、独自性という大きな価値が感じられるので、質に重点を置いた「高級感」がある

・強引は力と力の戦いになるが、謙虚には知らず知らずのうちに引き寄せられていく。謙虚は力を出していないので、内に力を秘めている。それが美しく輝いてくる

・世の人々の公正や公平という秩序を守る重要性を忘れてはならない。自分一人がよくなっても、自分の周囲に乱れが生じたら、その結果は自分にもマイナスとなって及んでくる

・偽物には、人をごまかそうとするマイナスの意図が感じられる。何かおかしいという違和感があるので、居心地がよくない

・自分の分を守って生きていく以上のことを望むのは、現在の幸せを壊すことにもなりかねない。平凡が幸せの核である

・有名には不自由が伴う。無名は自由をフルに楽しむことができるが、まったくの無名では寂しい。「知る人ぞ知る」で、社会の一分野の中で、ある程度の成果を上げている「隠れ有名人」くらいがちょうどいい



若いうちは、「持つ贅沢」を味わった人でないと、「持たない贅沢」の心境に到達しないのかもしれません。年老いてくると、誰でも、「持たない贅沢」の心境に到達してくるように思います。

その心境に到達したとき、それにふさわしい振る舞いが必要になります。本書には、その模範となる振る舞いが書かれており、参考になりました。


[ 2013/08/20 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『知られざる技術大国・イスラエルの頭脳』川西剛

知られざる技術大国イスラエルの頭脳知られざる技術大国イスラエルの頭脳
(2000/06)
川西 剛

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本書のサブタイトルは「知られざる技術大国」です。イスラエルやユダヤ人に関する本は、金儲け、商売、教育、教訓などが主流ですが、技術の本は少ないように思います。

そこの国民や民族が、どういう技術や産業を得意とするのかで、国民性や民族性が見えてきます。本書によって、ユダヤ人の性質を知ることができたように思います。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・かつてのイスラエルの主な輸出産業は、ダイヤモンド加工製品とオレンジに代表される農産物だったが、今では、ハイテク関連部門の輸出額が大半を占める

・イスラエルに研究開発拠点を置く米国系企業の幹部たちに話を聞くと、誰もが口を揃えて「技術人材の質の高さに目を見張るものがある」と評する

・「労働者1万人当たりの研究開発従事者数」は、イスラエル、アメリカ、日本、フランス、英国の順。イスラエルは日本の約2倍。「人口1万人当たりの科学技術系大学の卒業者数」は、イスラエル、ドイツ、アメリカ、英国、日本の順。イスラエルは日本の約4倍

・苦難に満ちた歴史的教訓からユダヤ人は「最終的にわが身を守るのは知識であり、教育に対する投資である」「知識こそが何物にも代え難い財産」と深く認識するようになった

・ユダヤ教では、常に「クエスチョン、クエスチョン、クエスチョン」で、「絶対的価値を疑え」と奨励している。それが、ユダヤ人の普通の勉強の仕方

・イスラエルの技術人材の質の高さは、突き詰めて言えば、数学的才能の凄さで、それはそのままイスラエルが得意とするハイテク分野と重なる

・イスラエルの技術人材の質の高さには、三つの大きな要因がある。1.「優れた教育システムの存在」2.「軍と濃密な関係」3.「旧ソ連からの優秀な科学者や技術者の大量移民」

・イスラエルは国民皆兵(男子は18~29歳までの間に36カ月、女子は18~21歳までの間に19~21カ月の兵役に就く)。ただし、全員が戦闘部隊に配属になるわけではない。数学的才能に秀でた者は、情報部門に集められ、高度なシステム開発に携わる

・高校までの成績が特段に優れた人材は「タルピオット」という少数精鋭エリートコースに進むことができる。イスラエルは小国ゆえに、才能は探し出し、国家のために活用する

・「タルピオット」に選ばれた若者は、入隊と同時にヘブライ大学に入学し、3年間で数学と物理学の学位を取得する。同時に軍人としてのハードな肉体的訓練も課され、将校を目指す。知力、体力ともにケタ違いのものが要求され、3分の1程度は脱落する

・イスラエルでは、「軍は最高の教育機関」とか「軍は最高のビジネススクール」と言われる。事実、タルピオットの卒業生から多くの優れたハイテクベンチャー経営者が出ている

・軍との濃密な関係は、除隊後も継続される。イスラエルでは、毎年2~4週間、仕事を休んで予備役として軍のために働かなければならない(男子は54歳、女子は24歳まで)。そのことで、定期的に軍の持つ最先端の装備や情報に直接触れることができる

・イスラエルは「情報通信」「ソフトウエア」「医療機器」「マルチメディア・エレクトロニクス」「農業技術・バイオテクノロジー」「代替エネルギー」において、世界最先端レベル

・イスラエルの建国運動は、ギブツ(集団農場)に始まる。ドイツ・東欧・ロシア系移民がギブツの運営を担ったため、イスラエルは長く社会主義色の濃い政策を続けた。建国後しばらくは、農業こそが国の基礎であり、人も技術もお金も農業分野に投下された

・イスラエルが、最終的に量産志向の産業ではなく、頭脳集約型産業へ針路を定めた背景には、「天然資源がない」「国内市場が小さい」に加え、「水不足」ということも大きかった

・ユダヤの思想では「100%賛成という議論は間違っている」とされる。神ならぬ人間が、みんな同じことを言うのはおかしい、という発想。10の意見を戦わせたら、一つ、また一つ欠点が見えてくる。そうやって、議論を重ねて最善の意見に集約していく

・イスラエルの最大の強みはR&D(研究開発)。独創的技術を開発し、それを何に使い、適用するかを緻密に考えるのが上手。一言で言えば、アイデアとコンセプトに優れている

・ユダヤ人の根底には「誰もやらない、だからやる」という独創的で挑戦的な思想がある。「60・20・20の法則」(利益の60%は人と違うオリジナル製品を作る、20%は安く作る、20 %は人よりうまく売る、ことで得られる)で言えば、イスラエルは60の部分に強い



イスラエルの技術力が高いのは、ユダヤ教的思想、エリート教育、軍との関係に拠るところが大きいように感じました。小国ゆえに、知徳体に突出した人材を、国のために徹底活用させていくシステムも参考になりました。

本書を読むと、国力を高めるには、人材発掘の教育システムとその活用が欠かせないということが、よくわかるのではないでしょうか。


[ 2013/08/19 07:00 ] ユダヤ本 | TB(0) | CM(0)

『万能人とメディチ家の世紀―ルネサンス再考』池上俊一

万能人とメディチ家の世紀―ルネサンス再考 (講談社選書メチエ)万能人とメディチ家の世紀―ルネサンス再考 (講談社選書メチエ)
(2000/09)
池上 俊一

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15世紀イタリアに花開いたルネサンスとは何だったのか?そのルネサンスを支援したメディチ家とは、何者だったのか?以前から興味がありました。

本書は、建築家、自然科学者、音楽家、画家、詩人、哲学者など万能人であったフィレンツェのアルベルティの著者をもとに、ルネサンスをひも解こうというものです。

閉塞感漂う状況から活気に満ちた状況へと劇的な変化をもたらしたルネサンスに学ぶことは、今の日本において大切だと思います。そのヒントが本書に多く載っていました。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・メディチ家が、巧みな制度の操作で権力の頂点に昇りつめたのは、この時代のフィレンツェに都市のイデオロギーが市民の心にあったから。14~15世紀のイタリア各都市の市民の胸には、ユートピアの都市イメージが、大きく成長していた

・由緒正しき都市の来歴、公共建築物の美しさ、市民の豊かさと慈悲深さと高貴さ、などを称える都市賛美の精神は、市民たちに共有され、戦時や危機の際には、ひときわ高揚した。公共の福利より私利を重んじる者を断罪する、市民的愛郷心もあった

・政体が目まぐるしく替わっても、それとは無関係に、都市は法と正義と秩序が支配すべきだとの観念は健在で、市民は、公共建築(道路、広場、教会、市庁舎、ギルトホール、市壁、橋、泉など)の美化・強化には熱誠を示し、しばしば無償の奉仕をした

・メディチ家やメディチ派は、こうした市民に広く流布した祖国愛を逆なでせず、温存・促進しようと政治的に努めた。公共領域への関心は、指導階層のみならず、団体、階級、党派を超えて市民を一体化する「都市のイデオロギー」になっていた

・メディチ家の下には、中小パトロン(上層市民、教会・修道院、ギルドなど)が無数にいた。パトロンが絵や彫刻を依頼するに当たり、画家や彫刻家との契約には、金銭支払い、期限などのほか、テーマや構図、色や絵具の材質など細密な指示がなされていた

・15世紀には、多くの芸術家や作家が、イタリア諸国の支配者層や高位聖職者に絵画や彫刻、書物を捧げ、かわりに、贈り物お金、ときには閑職年金まで手に入れた

・北方のヴェネチアやジェノヴァは地中海貿易に奮励し、イスラム商人とも取引して、奢侈品貿易と奴隷貿易で利益を上げた。内陸にあるフィレンツェは毛織物業で世界に雄飛した。こうした商業による大きな収入が、都市の富を増大させ、ルネサンス文化を支えた

・商人たちは、お金を大切にするよう息子たちに説き、また、お金があれば、妻も友人も名誉も、真実さえも手に入るのだと説き、貨幣経済を賛美した

・13世紀に誕生していた為替手形に加え、14世紀後半に貸借の決済が、銀行預金者の間で、振替、銀行小切手など、現金を動かすことなく行われるにおよび、近代的銀行が誕生した。15世紀には、フィレンツェで一種の為替市場(取引市場)センターが産声をあげる

・複式簿記の導入により、正確迅速な収支決算がつくれるようになった。この抽象的でテクニカルな制度が、数学、法律、言語、地理、経済を学び、ローマ古典を愛読する知的商人の登場をもたらした

・商人にとっては、神への信仰は金儲けに無関係ではなく、善行(喜捨、祈り、ミサ)とあの世での報いは正確に対応する勘定高い一種の契約だった

・イタリアで急速に印刷術が普及したのは、ものを欠く学者、作家が多く、字の読める層が広範にいて、学校、個人的勉学、仕事、趣味などで大量の需要があったから

・「建築論」でアルベルティは、「量の調和」「線の調和」「位置の関係」を通じて、美を「均整」と「自然」に関連させた。建築は、均整を可能な限り追求し、威厳と優美と権威を獲得し、評価されるとした

・贅沢品の嗜好が、一握りの富裕者の独占ではなかった。市民の多くが、家の内部を飾るために、美術品や工芸品の購買熱に浮かされた

・女性の役割は、「家を継続させる(子を産み育てる)」「有利な姻戚関係を築く駒になる」「結婚持参金を持ってくる」こと。女性が自己実現できる場は、おしゃれを誇示して、宗教の場などに出向くだけであった

・15世紀のフィレンツェでは、貴族や上層市民たちが、競って、郊外にヴィラ(自給自足的な農園付き別荘)を所有し、サロンとして活用された。夏の避暑地としても利用された



都市の名誉をかけて、各都市が、街の美観、芸術の振興などに競い合ったことがルネサンスのもとになっています。

競い合う過程で、権力者たちが、私利私欲に走らず、市民が夢見る都市の名誉にお金をふんだんに使ったことで、ルネサンスがより大きく花開いたように思います。

各都市が、一丸となって、真善美を競い合った結果、イタリア全体も活況を呈することになりました。今の日本に必要な政策が、ここにあるような気がします。


[ 2013/08/18 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者』釈徹宗

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者 (新潮選書)不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者 (新潮選書)
(2009/01)
釈 徹宗

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不干斎ハビアンは、1565年生まれ。禅僧でしたが、クリスチャンに改宗。仏教・儒教・道教・神道・キリスト教の世界初の比較宗教論「妙貞問答」を著しました。後にキリスト教も棄てました。現在、その名がほとんど知られていない、歴史に埋もれた人物です。

この難解な人物に挑むのが、過去に「いきなりはじめる仏教生活」「仏教シネマ」「ゼロからの宗教の授業」を紹介した釈徹宗さんです。今回も知的な興奮を覚えさせてくれる内容が数多くありました。その一部を要約して紹介させていただきます。



・ハビアンは「浄土宗」を「往生とは、諸宗の悟道・得法の異名である。悟道・得法とは、真如のことであり、一切は空であることへ収斂する」と強引に論じた(浄土宗は阿弥陀仏ただ一つへの志向性が強く、救済型宗教の特性を備えた仏教という点が抜け落ちている)

・ハビアンは「浄土真宗」を「親鸞という上人は、自ら結婚して世間に隠すこともなかった。この教えは今、えらく世の中に広まっている。しかし、これほど上出来な宗旨もない。なにしろ、持戒も破戒もない。こんなお気楽でありがたい教えはない」と揶揄している

・浄土仏教はキリスト教のプロテスタントと共通した部分を持つ。その証拠に、来日した修道会の宣教師たちは、浄土真宗を見て、なぜこのように似た宗教があるのかと驚愕し、これこそ我の真の敵であると語っている

・ハビアンの仏教批判は、「釈迦や諸仏は人間である」「仏教の本質は空・無である」「仏教ではすべての存在は自分の心が生み出したものとする」といった三点に集約できる。そして、その批判はやがて「真の救いはキリシタンしかない」へと導かれる

・「妙貞問答」の「身を砕き、骨を粉にしても、報いねばならない御恩」という感性には、神の「原罪」意識がなく、「原恩」の意識がある。日本人の宗教意識の原泉である超越的存在の実感が「原恩」の意識を生み出す

・「儀式こそ日本において最も効果のある布教方法である」と織田信長とも親交のあった宣教師ヴァリニャーノは喝破した。日本人は「儀礼好きの戒律嫌い」であり、日本宗教文化は「場を感じる力」を重視してきた

・仏教は、「絶対」を否定する宗教。仏教は自体系内に、仏教自体を相対化する装置が内蔵されており、自己と世界の真の姿がわかれば仏教である必要はないと語る稀有な宗教

・ハビアンは「ただ南無阿弥陀仏と称えれば、息をひきとると同時に浄土へと往生できる。このような教えは末法の愚鈍なる人のために説かれた方便である。念仏者も死すれば無に帰す。つまり浄土宗にも来世はない」と、浄土仏教には後世の救いはないと批判している

・ハビアンは儒教(特に朱子学)の実践倫理的態度を一応高く評価している。仏教より随分ましだし、キリシタンと比較してもなかなかのものだ、と述べている。しかし、儒教には「造物主」がいないと指摘し、やはりそこには「救済」は成り立たないとする

・ハビアンによる宗教の類型化は「来世の救済の成立」に論点がある。禅仏教では、死は無に帰すると説き、浄土仏教も絶対なる救済神を否定。儒教は、現世のみの教えであり、神道は通常の生活を語るのみ。来世の救いをもっているのは唯一キリシタンだけ

・ザビエルはロヨラ宛に「日本に来る宣教師は、深い経験と内的な自己認識の出来た人であること。日本人がする無数の質問に答える学識を持つこと。哲学者であること。討論の矛盾を指摘するために、弁証学者であることが望ましい」と書簡を送っている

・ハビアンの棄教は、一知識人一自由人への転向。キリシタンから元の禅仏教の立場へと戻ったということ

・フォイエルバッハが「神は人間の投影である」という衝撃的な言説を発表する220年以上前に、ハビアンが同じ結論「無智無徳こそ真実」を語っていたのはちょっと驚き

・ハビアンは一時期、キリシタンがもつ普遍主義に魅了された。しかし、棄教後のハビアンは「普遍」という概念に懐疑的になり、むしろ、日本の宗教文化にしばしば見られる「不自然ではないもの」への希求に力点を置くこととなる

・ハビアンは世俗の価値を凌駕する絶対神をもつキリシタンの教えがこのまま広まれば、神国ニッポンは危うくなると考えた。「唯一にして絶対なる神」への違和感と、その「強さ」を知り抜いているハビアンだからこそ警告できた

・「仏教も儒教もキリスト教も、どんな宗教が入ってきても、『日本型仏教』『日本型儒教』『日本型キリスト教』に変換されてしまう」(山本七平)。ハビアンの宗教態度も、「自分をキープしたまま、各宗派を活用する」「自らの好奇心を満たしてくれる宗教情報を活用する」



本書の最後のほうに、「宗教には『自分というもの』がポキッと折れるプロセスを経過して見える領域がある。これまで編み上げてきた『自分というもの』が崩れるからこそ、人格や価値観の再構築が成立する」という一文があります。

つまり、今までの自分が死して、新たな自分が生まれるということかもしれません。創造は信じるものを否定する瞬間に生まれるというのは、すべてにおける鉄則ではないでしょうか。


[ 2013/08/16 07:00 ] 釈徹宗・本 | TB(0) | CM(0)

『水危機・ほんとうの話』沖大幹

水危機 ほんとうの話 (新潮選書)水危機 ほんとうの話 (新潮選書)
(2012/06/22)
沖 大幹

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著者の本を紹介するのは、「水ビジネスに挑む」に次ぎ、2冊目です。国の防衛で、食料とエネルギーの自給率がよく話題になりますが、日本は、水に恵まれているために、水の自給については話題になりません。

しかし、世界では「水危機」が叫ばれています。ということは、水を有利なカードにすることができるということです。水は立派な資源です。その認識に立って、水を考えるのに最適の書です。その一部を紹介させていただきます。



・水道料金は1t=1000ℓ当り全国平均で200円。さらに上水道使用量に応じて、下水道料金が徴収される。東京―大阪間をトラックで運べば、1t=1000ℓ当り輸送費が1万円かかる。1000ℓ200円の水道水の価格は50倍になってしまう

・水は基本原則として、流域を越えて運べない、貯めておけない。水はローカルな資源。ローカルな資源であるということは、一物一価の原則が成立しないということ。水の値段は地域によってばらばら

・飲み水は1日1人当たり2~3ℓ(飲料水1.2ℓ、食料水1ℓ、代謝水0.3ℓ)必要。この必要量は、毎日体から失われる水分の補給する分

・日本の家庭用水の使用量の内訳は、トイレ28%、風呂24%、炊事23%、洗濯16%、その他9%

・日本の1人当たり水道水使用量は、1965年に169ℓだったが、高度成長に伴って伸び続け、1995年に322ℓになったが、2000年以降減り始め、2008年には300ℓを割ってきている

・水も電気もピーク時の需要に応じて設備投資する必要があるので、ピーク時の使用量は減ったほうがありがたい。しかし、通常時の節水を呼びかけるのは、商品を買わないでくれ、と言われているに等しい

・地球上を循環している水資源の1割を人類は取水している(農業用水、工業用水含む)

・貧しい国々では、自然条件として、水が足りないのではない。必要な水を適切に利用可能にする水インフラが不足しているため、水が使えない

・地下水は、土地に付属する財だとみなされ、汲み上げポンプの電気代だけで入手可能。大量に汲み上げる企業側と周辺住民との間での争議が世界中で生じている

・比較的水が使える地域では米だが、乾燥地域は小麦。何を主食としているかは、どの程度水を得られるかによって決まってしまっている

・森を緑のダムと呼ぶならば、積雪は白いダム

・都市での水の自給自足は難しい。都市とは、食料、水、エネルギー、人材の供給を郊外に頼っている存在で、都市の問題は、周辺地域と一体となって解決していく必要がある

・木が生えていると豊富に水が使えるのではなく、水が豊富な場所に木が生える

・無降雨時の河川流量の多い少ないは、森林に覆われているかよりも、流域の地質によるところが大きい

・人のみならず、木が育つのにも水が必要。人と森林は水資源を奪い合う関係にある

・日本の河川では、洪水時には平常時のざっと100倍の水量が流れる

・川幅の拡幅や河床の浚渫など、河道を流れ得る水の量を増やす治水事業は、下流から順次整備していくのが常識

・産業がなくて困っている地域に資本が投下されるのは喜ぶべきこと。よほど資源略奪的な事業でない限り、外国資本による日本の山林買い占めに過剰反応するのは得策ではない

地下水の過剰汲み上げを規制してやめさせることにより、低下した地下水位が比較的速やかに回復しても、一旦沈下した地盤は元に戻らない

・欧米の大規模民間水道事業会社は、近年になって、採算の苦しい途上国から撤退傾向にある。やみくもに水事業に進出すればいいというものではない。水ビジネスは、収益率が地味な割に、投資規模が大きくならざるを得ず、資金回収も長期に渡る



水は単なる飲料水だけでなく、農業用水、工業用水として、重要な資源です。水が豊富にあるということは、農業や工業の輸出に不可欠です。しかも、水は重くてかさばるので、簡単に移動できません。

こういう視点で、日本の豊富な水をどう生かすかが、今後の国家戦略にとって重要になるのではないでしょうか。


[ 2013/08/15 07:00 ] 環境の本 | TB(0) | CM(0)

『「マネー大動乱」時代を生きぬく情報活用術』増田悦佐

「マネー大動乱」時代を生きぬく情報活用術「マネー大動乱」時代を生きぬく情報活用術
(2012/09/13)
増田 悦佐

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本書の初めの方に、「歴史なき経済学は、海図なき航海と同じ」という言葉が出てきます。本書は、長い期間のデータを読みとることによって、経済や社会の真実を見ていこうとするものです。

日米の比較データをもとに、マスコミが伝えた「真実」の間違いを解き明かし、正しい判断基準を提供しようともされています。本書の中で、新しい発見が数多くありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・日本の勤労世帯は、不動産と株のバブルがはじけて、経済情勢が大混乱した時期でさえも、堅実な家計運営で、借金を差し引いた金融資産を着々と伸ばし続けてきた

・1997年から2008年までの12年間の日本の家計金融資産残高は、11.6%拡大した。これは年率換算にして0.9%の伸び。2000年のITバブル崩壊と2008年のサブプライムローンバブル崩壊の二つを含む運用の難しい時代の伸び率としては立派なもの

・日本の経済学者たちは、日本と欧米で違っていることがあったら、日本の方がダメに決まっていると考える。日本人の安全第一の資産運用にも、否定的な論評をする者が多い

・日本の大卒以上の学歴を持つ女性は、受けた教育を生かすことが男性より上手で、高卒女性の1.61倍と、32カ国中真ん中よりやや上。日本女性は男性より、教育投資からの収穫を確実に得ている

・アメリカで、きちんとした教育を受けられることで名の通った大学は、私立、州立を問わず、年間で200万円以上の負担が必要。アメリカの大学授業料は、過去30年間、全国平均で年率7%くらいのペースで上がり続けている

・アメリカでは、社会人になってからの出世払いということで、大学生は学費ローンを組むことになる。アメリカの金融機関では、この学費ローンが、「住宅ローン以上の長期延滞や貸し倒れが続出する時期が迫った」と唱える人が増えている

・白人世帯と非白人(ヒスパニック系の白人含む)世帯との純資産中央値の格差は、2010年には6.4倍へと拡大している

・最近のアメリカでは、リセッション(景気後退)とマン(男性)を合成した、マンセッション(男性不況)という新造語が流行っている。女性は採用されるのに、男性が採用されない理由は単純で、同じ学歴の人なら、男性より女性を採ったほうが安上がりだから

・日本経済における、小売業や外食産業などが占める比重が上昇してきたことが、非正規雇用拡大の最大の理由

・世界中の先進国はどこも同じだが、製造業の雇用は、技術や知識の進歩によって、生産性が上がるにつれて縮小する。少ない雇用数で同じ生産量を生産できれば、あまった労働力を放出する。日本で製造業の雇用が減っているのは、円高が理由ではない

・製造業が順調に発展してきた国ほど、雇用者全体に占める製造業就業者の比率は低くなる。対人折衝の必要な接客業務の要素の濃い産業は、労働力の量が減らない。非正規雇用者が多い三大分野は、宿泊飲食サービス業、卸売小売業、医療福祉で、接客性の高い産業

先進国の条件は、エネルギー効率を持続的に高められること。先進国の経済は、値段が上がって貴重さが高まったものは、消費量を減らすという経済合理性が備わっている

・先進国で、日本だけが日常生活で通勤通学に頻繁に使える鉄道網を維持してきた。日本のエネルギー効率の高さは、利用頻度の高い鉄道網のたまもの

・日本の社会保障給付は、先進諸国の中で、一番歩留まりがいい。「歩留まりがいい」とは、国民の負担に対する給付の割合が高いということ

・日本ほど、お金をかけずに長寿をまっとうする人の数を増やしてきた国はない。高齢化比率が5%台半ばから22%へと16ポイント以上上がっているのに、医療費の対GDP比率は、約3%から約9.5%へと6.5ポイント上がっただけ

・日本国民は、アメリカ国民と比較すると、4割未満の医療費しか使っていない。でも、アメリカより4歳以上長い平均寿命を達成している

・円高が進んでも、日本は安定的な数量を輸出し続けているのは、価格次第で需要が変動することが多い「最終消費財」から、技術優位を生かせる「中間財・資本財」へと構造転換が進んでいるから



日本がいいと言われていることが、実は悪かったり、日本が悪いと言われていることが実はよかったりと、新たな発見となる情報を提供してくれる書です。

自虐的な日本人と自信家の欧米人といった性格的な面を排除するには、やはりデータを客観的に見つめ続けることです。それをしなければ、声のデカい民族に、知らず知らずのうちに、呑まれていくのではないでしょうか。


[ 2013/08/14 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『誰も知らない地盤の真実』前俊守

誰も知らない地盤の真実(経営者新書)誰も知らない地盤の真実(経営者新書)
(2011/08/26)
前 俊守

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著者は、地盤調査専業で唯一上場している会社の創業者です。東日本大震災以来、地盤についての関心は高まっているように思いますが、知識のほうは、あまり高まっていないように思います。

私が今住んでいる家は、川沿いの公園の前で、日当たりもよく、気に入っていますが、川沿いなので、地盤がゆるいのではないかと危惧しています。

そういうこともあって、本書を読みました。参考になる点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・地盤の性能は、主に「支持力」「沈下量」「耐震性」「汚染度」の4点で測られる。土地の価値は、駅からの距離といった立地条件や形状、価格だけで決まるものではない。十分な「性能」のある地盤があってこそ、土地の価値は維持される

・盛土をした斜面の土地には、擁壁がつくられる。擁壁の内部は盛土で満たされており、盛土に問題があれば、擁壁にも危険な兆候が表れる

・谷は、底に水が流れているから、たとえ盛土をしたとしても、その下には、地下水となった水が流れ続けている。さらに、盛土をしたために、水が不自然な場所に滞留してしまい、地震が起きると、液状化とよく似た現象を引き起こす事例が少なくない

・土の粒子は、75~2ミリのものを「礫」と呼び、それ以下のものを順に「砂」「シルト」「粘土」と言う。そのうち、圧蜜沈下(土の重みで少しずつ地盤が下がる)を起こしやすいのは、最も粒子が細かく、内部の水がなかなか抜けにくい「粘土」でできた層

・各都道府県で定める「がけ条例」では、高さ5m以上・傾斜30度を超えるがけの下に住宅を建てる場合は、がけの高さの2倍以上、がけから離さなくてはならない。押し寄せた水によって家が流されないよう、低地を避け、高台に建てることが、洪水リスク回避策

1万年前の沖積層でも自然界ではまだまだ若者だから、造成して10年の土地は、赤ちゃんのようなもの

・地盤調査に関わる者が参考にするのが、国土地理院の「土地条件図」(その土地が自然地盤か人工地盤か、急斜面か緩斜面か、過去の地滑りした箇所)。ネットで検索すれば、自宅で見ることができる。過去の地形を知るには、「国土変遷アーカイブ」のページも役立つ

・水田は粘性土で、ある程度掘ると、必ず水はけのよい砂質土が出てくる。沼の場合は、ズブズブと足が沈み込むような軟弱地盤が深くまで続くので、地盤補強をするのが難しく、宅地としては避けたほうがよい。「底なし沼」という言葉は、沼の怖さをよく表している

・土地の候補地周辺を、歩いて見て回ること。道路にヒビ割れ陥没があれば、要注意。地盤が軟弱な土地では、道路が波打ち、中央部が丸く盛り上がって「かまぼこ型」になっていたり、電柱が傾いていたりする

・擁壁は低い方が安心と思いがちだが、実は低い方が要注意。法律上、5mを超えない擁壁では、地震の力を想定して設計する必要がない。2m未満の擁壁は、役所に建築申請する必要すらないので、脆いものが多く、住まいの不同沈下の要因の一つになっている

・土地を見に行くときは、天気のいい日を選んで行きがちだが、あえて雨の日にも足を運ぶこと。擁壁の水抜き穴のつまり、ヒビ割れ、擁壁自体の歪み崩れ、前へのせり出しなどをチェックする

・擁壁は公共の道路に面しているから、何かあったら行政が補修してくれると思いがちだが、擁壁のある造成地は、擁壁も含めて土地の持ち主のもの。水抜き穴の目詰まりなどのトラブルが発生したら、自分で補修しなくてはならない

・安定した地盤では「布基礎」(枠で建物を支える)、やや軟弱な地盤では「ベタ基礎」(床下全面のコンクリート底版全体で建物を支える)、軟弱層が深い場合は「杭基礎」(地中深くの硬い地盤に杭を突き刺して建物を支える)を採用する

・家の傾きを沈下修正するには、軟弱層が比較的浅く、その下の地層がしっかりしている地盤なら、基礎の下にグラウトと呼ばれる薬液を注入して、建物を持ち上げる方法で対処できる

住宅の保証事故件数部位別割合は、地盤・基礎20%、柱・梁12%、床5%、壁(構造)6%、壁(防水)48%、屋根(防水)10%だが、部位別保険金割合では、地盤・基礎が66%を占め、1件当たり約750万円。つまり、基礎・地盤に問題があれば高くつくということ



地盤・基礎が沈み、傾けば、その症状が、家にも大きく及んできます。そうなると、絶えず家を修理しなければいけなくなります。

本書を読めば、家を買う前に、家だけでなく、地盤・基礎も綿密にチェックしておくことがいかに大事なことか、理解できるのではないでしょうか。


[ 2013/08/13 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『有閑階級の理論』T・ヴェブレン

有閑階級の理論 (岩波文庫)有閑階級の理論 (岩波文庫)
(1961/05/25)
T. ヴェブレン

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著者は、1857年生まれの経済学者です。しかし、経済学者なのか社会学者なのか、人類学者なのか民俗学者なのか、とらえどころのないところがあり、生きている間はあまり評価されませんでした。

近年ようやく評価され始め、人間の見栄や欲望が、いかなる消費を生み、どのような階級を形成していくのか、つまり、人間の愚かさと経済学を結びつけた理論が、人々の関心を惹くようになっています。本書の興味深い箇所を要約して、紹介させていただきます。



・上流階級は、慣習によって、産業的な職業から免除されて、名誉を伴う職業が約束されている。これらの免除されている一事が、彼らの卓越した地位の経済的表現である

・目に見える武勇の証拠(戦利品)は、生活の装飾品として不可欠。狩りや襲撃の戦利品である略奪品は、秀れた力の証拠として賞賛される。こうした略奪品が、成功した攻撃の自明の証拠として、役に立つ

・女に対する所有権は、低次の段階の野蛮文化の中で、女性捕虜の略奪とともに発生する。女を略奪したり、専有したりする本来の理由は、戦利品としての有用性である

・所有権は、成功した襲撃の戦利品として保有される略奪品であることをもって始まった。所有されている物や人の効用は、大部分、その所有者と、略奪対象であった敵との競争心にもとづく比較に由来する

・名声の根拠としての財産の強調は、富の蓄積の初期段階では不可欠である。労働を回避することは、富の証拠であり、社会的地位の刻印である。富の賞賛は、閑暇を導く

・洗練された趣味、行儀作法は、上品さの証拠。というのは、立派な教養を身につけるためには、時間と努力とお金が必要であり、時間とエネルギーを労働に吸い取られてしまっている人々には、達成し得ないものだから

・顕示的閑暇は、立ち居振る舞いの入念な修練や、どのような消費財が上品であり、それを消費する上品な方法はどんなものか、に関する鑑賞力識別力の教育へと発展していく

・食べ物や飲み物を巡る品質上の優秀さに関する儀式張った区別が発展すると、それは有閑紳士の訓練や知的活動にも影響を及ぼす。もはや、力と富と蛮勇を持つ男では不十分で、頭が足りないと思われないためには、眼識を養わなければならない

・有閑階級固有の職業になった仕事は、すべて高貴なものになる。すなわち、統治、戦闘、狩猟、武具や装具の世話等々。他方、産業階級固有の仕事、たとえば、手作業や他の生産的労働、使用人のサービス等々という仕事は、すべて下賤なものとなる

・立派な評判を得るための基礎は、金銭的な力に依存している。金銭的な力を示し、高名を獲得したり、維持したりする手段が、閑暇であり、財の顕示的消費である

・田舎の住民の間では、体面は、貯蓄や家族の快適な暮らし向きによって担われている。こうしたことは、隣近所の噂話を通じて広まる。消費が大きな要素を占めてくるのは、田舎より都市のこと

・美しさを規準に評価される財の効用は、財がどれだけ高価であるかに密接に依存している

・家庭の長のために、代行的な消費を行うことが、女の任務になり、女の衣服が、この目標を視野に入れて工夫された

・職業は、大別して、「金銭的な職業」と「産業的な職業」に分けられる。有閑階級の経済的利益は金銭的な職業(所有権や取得と関連する)にあり、労働者階級のそれは、産業的な職業(生産と関連する)にある。有閑階級への入口は、金銭的な職業を通じて開かれる

・ギャンブル好きな性向は、略奪的なタイプの人間性に属する特徴。ギャンブルを行う要素は、幸運を信じる心

暮らし向きのよい女性聖職者の日常生活は、平均的な男(産業的職業に従事している男)の日常生活に比べて、身分の要素をより含んでいる

・教育の要素とは、教育を受けていない人々を感銘させたり、彼らにつけこんだりしようという目的によって、きわめて魅力的で効果的なものである



著者が、100年前に指摘した、この構造は、根本的には変わっていません。

お金やモノを得た後に欲するのは、名誉や名声であり、資格の必要な職業、有名大学出身、文化や芸術に対する造詣の深さなど、一代では築けないもの、有閑階級にならないと、手に入らないものです。

著者は、その行為が、略奪行為の延長の愚かで卑しいものであると喝破しています。この構造は、人間の本能に根ざしたものである以上、今後とも大きく変わらず、続いていくのではないでしょうか。


[ 2013/08/12 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『二度生きる―凡夫の俳句人生』金子兜太

二度生きる―凡夫の俳句人生二度生きる―凡夫の俳句人生
(1994/12)
金子 兜太

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著者は、日本銀行に勤務する傍ら、俳人として活躍してこられました。俳句一本で生きる決断をされたのは、50代半ばのことです。90歳を超えた現在も、俳句界の重鎮として、活躍されています。

仕事をしながら、趣味で地位を築くというのは、並大抵のことではありません。本書には、その物語が描かれています。参考になる箇所が多数ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・徹底すること。それも本業ではなく、脇のことに徹底すること。本業はあくまで食べるための手段

・理想は、自分が本当に生きられる世界を持つこと。本当の自由とは何かをずっと求めてきて、その視点をいつもはずさなかったことが、周囲の風圧をはねのけられた最大のこと

・本当の自由とは、常に人間の持つエゴイズムと重ね合わされる。エゴイズムは人間の生き方の基本。それが悪い方向へ働けば、その極まった形が権力意識。いい方向に働けば、自由という形になって現れる。いい意味のエゴイズムとは、自由を指す

・人に迷惑をかけないで、自分が自然におられる形、それを「自然(じねん)」と言うが、自分の思う通りに生きていける形、その自由が理想となった

・理想はなかなか実現しない。一生かかってもできないかもしれない。しかし、理想というのは、実現するかしないかが問題ではない。理想とは、心への言い聞かせ心への止め金。大事なのは、理想を持つこと、身に課すこと

・理想を持つことは、誇りを持つことに繋がり、しのぎの大きな力になる。困難な状況を乗り越えるにも、自分の理想があれば、苦でなくなる。また、理想を持つことは、孤独に陥った時、そこから自分を救う手だてにもなる

・傑出した人間というのは、周囲からちやほやされ、それだけにいい気分にもなる。だが、ふと孤独に襲われる。ポストを昇りつめた人ほど、それが強く、孤独感が付きまとう。その途中の段階にあれば、さほど孤独は感じない

・職場では、けっして受け身にならず、いつも能動的であること。そして、ユーモラスであること

・第二の人生を豊かなものにするには、これまで培ってきたことが欠かせない。そこで、ものをいうのが偶然の体験。すべての体験が重要ではないが、軽く扱ってはならない偶然の体験については、きちんと見つめ直し、そこから何かを掘り起こさなければならない

・自分の楽しみには徹底性がないとだめ。それがないと趣味で終わってしまう。心底満足できる人生を送るには、趣味をプロレベルまで引き上げることが必要

・小林一茶が晩年に使った「荒凡夫」とは、「自由に生きている平均的な人間」のこと

・芸術性に傾いて、大衆の支持を失っては、俳句が存在する意味がない。俳句は、人の数、量が無視できない世界。芸術的で、質的に高いだけでは成立しない世界。俳句が芸術性庶民性の両方の兼ね合いの上で成立している文芸であることを、一茶を通じて教えられた

・人間の基本は本能にあり、その本能を制御する意志とのせめぎ合いの中に現出する赤裸々な姿こそ、人間の生々しい、ありのままの姿であることを、山頭火が示してくれた

・一茶は、自分は煩悩だらけの人間で、どうせ煩悩は捨てられやしない。それなら、愚の上に愚を重ねて生きていこう。娑婆で遊んでいる気持ちで自由に生きよう。そう言い聞かせ、書き留めている

・人間の本質とは、よくも悪くもエゴ。そのエゴの基本は本能だから、善玉の本能と悪玉の本能に振り回される人間を本当に分かって初めて、芭蕉を心底理解できる。きれいごとだけで見ていては、人間評価も作品評価もすべて中途半端に終わってしまう

・40代の頃から、勤めに対して冷めた目を向け、定年退職を機に、俳句をやり出すと、それまでの生き方の姿勢が句に現れ、短期間でいいものができる。一方、もともと変わった人間もすぐにいい句をつくる

・男性と女性とを比べた場合、初めは圧倒的に女性がいい句を作り、その後から男性が力をつけ、そこにまた女性が粘り強く追いつくという形をとるのが普通



俳句という詩形の奥深さ、俳句に現れる人間の本質について、深く知ることができ、また、俳句に魅了された著者の人間の大きさを感じた書でもありました。

俳句は、単なる言葉遊びではなく、17文字という制限の中に人生を押し込めるものであることがよくわかりました。人生の達人でないと、俳句は詠めないのではないでしょうか。ますます、俳句に興味が沸いてきました。


[ 2013/08/11 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『いま知っておきたい霊魂のこと』正木晃

いま知っておきたい霊魂のこといま知っておきたい霊魂のこと
(2013/03/14)
正木 晃

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本書は、世界の人たちが、死、霊魂、輪廻転生、天国と地獄、幽霊、鎮魂、葬式、お墓についてどう思っているのか、どう考えているのかをまとめたものです。世界の霊魂観がよく分かる文化人類学のような書です。

日本人だけのもの、世界共通のものを知ることによって、霊魂という不思議な存在が見えてきます。この興味深い内容の一部を、要約して紹介させていただきます。



・今を去ること何万年前、人類は霊魂の存在を意識し始めたことで、新たな発展段階に入った。家長が死んでも、霊魂が見守ってくれていると、苦悩の末に思いたどりついた。死後の世界死者の霊魂が確かにあるという貴重な智恵が、宗教の起源だった

・幽霊が真夜中に出やすい理由は、光を非常に嫌うからだと言われる。洋の東西を問わず、聖なるものは光と強く結びつき、反対に聖ならざるものは、闇と強く結びつく

・古代エジプトでは、死者は審判を受けなければならなかった。生前の行いと心臓の重さが、「真理の秤」にのせられ、照らし合わされた。その結果がよければ、死者は至福の生活を保証され、結果が悪ければ、天秤の傍らの怪物に食われ、一巻の終わりとなった

・メキシコの山岳民族のウィチョル族は、霊魂を、色の白いてるてる坊主のような姿をしていると考えた。てるてる坊主には下半身がない。その理由は、不死の世界に行くためには、性の執着を捨てる必要があると考えられたから

・霊魂は肉体というくびきを離れて、どこへでも行けることから、鳥の姿形に見立てる事例が、世界のいたるところで見られる。鳥は霊魂だけでなく、死後の世界の案内役と見なされることもよくある

・東京大学の「死生学研究」における「お迎え時に見えた、聞こえた、感じたらしいもの」の内訳は、「すでに亡くなった家族や知り合い」53%、「その他の人物」34%、「お花畑」8%、「仏」5%、「川」4%、「神」1%、「トンネル」1%、「その他」31%

・幽体離脱の体験に共通することは、過酷なストレスにさらされているときに、別の自分を見たという点。かなり高い確率で、自分自身を上から見るという体験をしている

・怨霊が猛威を振るったのは、平安時代から南北朝時代まで。室町時代の中頃になると、怨霊は一段落するが、特定人物に対する霊魂の復讐という構図は、その後も消えなかった

・私たちのご先祖は、最初は恐怖の対象だった霊的な存在を、浄霊という乱暴な方法ではなく、うまく手なずけて、味方として「祀り上げた

・仏教が不振を極めている現時点でも、信者や檀家が増えているお寺に共通するのは、住職に特別な力があると見なされているところ

・死者儀礼の第一歩は、その人に、あなたは死んでいると、ちゃんと教えてあげるというのが、古今東西、宗教界の金科玉条

・だいたい20~30人に一人の割合で、金縛りの体験者がいる。そして、金縛りにあいやすい人ほど「変なもの」を見る確率が高い

・仏教の基本的な教えでは、人は死ねば、最長で49日間に、何かに生まれ変わっているはず。したがって、お墓や仏壇に霊魂はいないことになる。しかし、日本人の多くは、お墓や仏壇に霊魂はいると信じてきた

・輪廻転生の理論では、幽霊は存在しないはずだが、チベットでも、輪廻転生できず幽霊になってしまう者がいて、回忌法要が営まれている

・真言宗や日蓮宗では、おおむね霊魂はあるという立場。曹洞宗は、約半分のお坊さんが、霊魂はあると見なしている。それに比べ、浄土真宗は霊魂の存在について否定的

・天国の説明に関する限り、イスラム教は具体的。コーランには、「清らかなこんこんと湧き出る泉のほとりの緑したたる木陰で、みめ麗しい少女や少年にかしずかれつつ、この上なく美味な食物や飲料や酒を心ゆくまで堪能できる」」と説かれている

再生を期待する心と、祟りを恐れる心。縄文時代の人々は、死者の霊魂に対して、互いに矛盾する二つの思いを抱いていた。この思いは、その後も日本人の心にあり続けてきた

・仏教が日本に広まったのは、悟りが開きたいとか、ブッダの教えに従って人生を全うしたいといった立派なものではない。怨霊を鎮め、成仏させる力が期待されたからこそ、広まった



霊魂の存在をどう考えるかで、それが宗教になり、民族になり、文化になっていきました。

霊魂について、再度どう考えるかで、人の一生も変わってくるのではないでしょうか。難しいことを考えたくなければ、地域や民族の伝統的な型式に従うのがベターなのかもしれません。


[ 2013/08/09 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『幸福論 (第1部) 』ヒルティ

幸福論 (第1部) (岩波文庫)幸福論 (第1部) (岩波文庫)
(1961/01)
ヒルティ

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スイスの法学者であるヒルティが「幸福論」を著したのは、1891年です。「幸福論」の元祖です。「アランの幸福論」「ラッセルの幸福論」は、すでに本ブログで紹介済ですので、これで世界三大幸福論が揃ったことになります。

本書は、幸福であることの尺度を示した人生論の古典です。読み応えのある本です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・文化は富の土台の上にのみ栄え、富は資本の蓄積によってのみ増大し、資本は正当な報酬を受けない者の労働の蓄積からのみ生ずる。ゆえに、文化は不正から生ずる

・できるだけ多くの人格者を養成すること、これが本来、教職にある者の本分

・われわれに害を加える者だけが、真にわれわれの敵である。普通の意味の敵は、たいてい、きわめて有益なものであり、時には、なくてはならないものでさえある

・君自身のものでない美点を誇ってはならない。外面的な、偶然の所有について誇るのは、教養の乏しい人たちの特徴である

・君の心が、万一にも君を離れて外部に向かい、世間の気を迎えようとする気持ちが生じたとき、君は正しい心の状態を失ったのである

・誰かが君に「誰それはお前の悪口を言っていた」と告げたなら、その言われたことに弁解をせず、むしろこう答えるのがよい。「彼は私の持っているその他の欠点を知らなかったのだ。そうでなかったら、ただその一つだけを挙げはしなかっただろう」

・理想主義はなるほど尊敬すべき考え方であって、特に青年の教育には有益であるが、世に出た後の実生活にはあまり役立たない。実際には、ものごとはすべて「互いに激しくぶつかり合う」もので、理屈とはまた別

・人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である

・称賛は人の内部に潜む傲慢を引き出し、富は我欲を生む。この二つは、成功することがないなら、最後まで隠れたまま現れてこない

・最も幸福な人とは、個人的な利己心でなく、ある偉大な思想に自分をぶち込む人。次に幸福な人は、穏健な人。後者は、自分の力の及ぶ限りの成功をおさめるが、前者は、幸福であるためには成功を必要としない

・幸福は、ある大きな思想に生きて、それのためにたゆまず着実な仕事をし続ける生活のうつに見出されるもの。これは自然、すべての無益な社交を排斥することになる

・教育の目的とするところは、善への性向を持つ人間を育てあげることである

・悪は、厳しく叱ったり、非難したりする必要はない。それが明るみに持ち出されるだけで充分。その人は、たとえ表面上は反抗しようとも、必ず自分で良心のさばきを受ける

・自己教育はすべて、ある重大な人生目的をひたすら追求し、これに反する一切のものから遠ざかろうとする意志、断乎たる決心とともに、始まるものである

・君の学んだもの、君に託されたものをどこまでも守ること

・幸福こそは、人間の生活目標。人はどんなことをしても幸福になりたいと思う

・人は富の偶像から自由にならない限り、精神的自由など、まるで問題にならない

徳は幸福ではない。徳というものは、人間の自然のままの心に住むものではない

・最も不幸な者は、単にある宗教的宗派に所属することによって幸福を得ようとして、結局だまされたと感じて、ひどく失望する人たちである

・喜びは、自分から追求してはならない。それは、生活さえ正しければ、自然に生まれてくるもの。最も単純な、金のかからない、必要に基づいて得られる喜びが、最上の喜び

・真の幸福感にとっては、外部の事情などは全くどうでもよいものである

・幸福とは、もはや外的運命に支配されることなく、完全にこれを克服した、不断の平和のことである



真の幸福とは何かを考えずに、見せかけの幸福を追いかけても仕方がありません。本書には、その真の幸福が描かれています。

尚、ヒルティの幸福論は第三部まで続きます。第二部、第三部は、また追って紹介させていただきます。


[ 2013/08/08 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)