とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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『こだまでしょうか、いいえ誰でも。-金子みすヾ詩集百選』

こだまでしょうか、いいえ、誰でも。―金子みすヾ詩集選こだまでしょうか、いいえ、誰でも。―金子みすヾ詩集選
(2011/04/26)
金子みすヾ

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金子みすゞに興味を持ったのは、5年前に山口県の長門・青海島方面に旅し、仙崎の街に、記念館があったのを見つけてからのことです。そのときは、金子みすゞの詩が教科書に載っていることや詩の内容も深く知りませんでした。

その後、あの震災で有名になり、誰にも広く知られるようになりました。本書は、有名になった「こだまでしょうか」など、100の詩がコンパクトに収められた書です。金子みすゞには、素敵な詩が数多くあります。その一部を紹介させていただきます。



・「こだまでしょうか」 「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとで、さみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

・「さびしいとき」 私がさびしいときに、よその人は知らないの。私がさびしいときに、お友だちは笑うの。私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。私がさびしいときに、仏さまはさびしいの。

・「」 お花が散って実が熟れて、その実が落ちて葉が落ちて、それから芽が出て花が咲く。そうして何べんまわったら、この木は御用がすむか知ら。

・「私と小鳥と鈴と」 私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速く走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさん唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私。みんなちがって、みんないい

・「お魚」 海の魚はかわいそう。お米は人につくられる。牛は牧場で飼われてる、鯉もお池で麩を貰う。けれども海の魚はなんにもお世話にならないし、いたずら一つしないのに、こうして私に食べられる。ほんとに魚はかわいそう。

・「雀のかあさん」 子供が子雀つかまえた。その子のかあさん笑ってた。雀のかあさんそれみてた。お屋根で鳴かずにそれ見てた。

・「大漁」 朝焼小焼だ大漁だ、大羽鰯の大漁だ。浜は祭りのようだけど、海のなかでは何万の鰯のとむらいするだろう。

・「燕の母さん」 ついと出ちゃ、くるっとまわってすぐもどる。つういとすこうし行っちゃまた戻る。つういつうい、横町へ行ってまたもどる。出てみても、出てみても、気にかかる、おるすの赤ちゃん気にかかる。

・「繭と墓」 蚕は繭にはいります、きゅうくつそうなあの繭に。けれど蚕はうれしかろ、蝶々になって飛べるのよ。人はお墓へはいります、暗いさみしいあの墓へ。そしていい子は翅が生え、天使になって飛べるのよ

・「お菓子」 いたずらに一つかくした弟のお菓子。たべるもんかと思ってて、たべてしまった一つのお菓子。母さんが二つッていったら、どうしよう。おいてみて、とってみてまたおいてみて、それでも弟が来ないから、たべてしまった、二つめのお菓子。にがいお菓子、かなしいお菓子。

・「土と草」 母さん知らぬ草の子を、なん千万の草の子を、土はひとりで育てます。草があおあお茂ったら、土はかくれてしまうのに。

・「お花だったら」 もしも私がお花なら、とてもいい子になれるだろ。ものが言えなきゃ、あるけなきゃ、なんでおいたをするものか。だけど、誰かがやって来て、いやな花だといったなら、すぐに怒ってしぼむだろ。もしもお花になったって、やっぱしいい子にゃなれまいな、お花のようになれまいな。

・「」 うちのだりあの咲いた日に、酒屋のクロは死にました。おもてであそぶわたしらを、いつでも、おこるおばさんが、おろおろ泣いて居りました。その日学校でそのことを、おもしろそうに、話してて、ふっとさみしくなりました。

・「積った雪」 上の雪、さむかろうな。つめたい月がさしていて。下の雪、重かろうな。何百人ものせていて。中の雪、さみしかろうな。空も地面(じべた)もみえないで。

・「かたばみ」 駈けてあがったお寺の石段。おまいりすませて降りかけて、なぜだか、ふっと、おもい出す。石のすきまのかたばみの赤いちいさい葉のことを。とおい昔にみたように。



金子みすゞの詩には、仏教的な精神、柔らかく言えば、「ほとけの心」が宿っているように思います。

時空を超え、自我を超え、いろいろな人や物の立場に立って考え、共感できることの素晴らしさを再認識させられる詩ではないでしょうか。


[ 2013/06/30 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『超訳・ゲーテの言葉』ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

超訳 ゲーテの言葉超訳 ゲーテの言葉
(2011/03/15)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

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ドイツの文豪ゲーテの本を紹介するのは、「ゲーテ格言集」「いきいきと生きよ・ゲーテに学ぶ」などに次いで、これで5冊目になります。

詩、小説、戯曲、紀行文、エッセイ、論文など、莫大な種類と数の文章を残しているだけあって、名言をまとめた本だけでも、相当な数が出版されています。本書もその一つですが、その中で、心に響いた箇所を、幾つか紹介させていただきます。



・何の努力もせずに何の能力も得ていない者は、人になりきれていない

・装飾品は、本当の自分を隠すことはできても、変えることはできない

・人は、役立つ人間しか評価しない。だから、他人の評価を喜ぶのは、自分で自分を道具扱いすること

・相手を楽しませて、「一緒にいること」を喜ばれるのが、紳士の第一条件

・知っていることを確認するのは楽だが、知らないことを覚えるのは辛い

・たいていの人は、進む道を誰かに指示されないと前進できない

・他人に命令を下す者には、資格が要る。それは、これから築く未来の姿をはっきり見据えていること

・愚かな人間には、次の三つの型がある。一つは「高慢な男」、もう一つは「恋に狂った娘」、そして、最後の一つは「嫉妬に駆られた女」

・人間は、いつも忙しくて騒がしい人間たちの中でこそ、何かを創り出せる。その騒がしさが創造のヒントになり、きっかけになり、エネルギーになり、参考になる

力を持つ者は、行動するのが義務。その者が語るだけで済まそうとするのなら、それは卑怯な逃避だ

・純粋な正しさなど、世間では滅多に役立たない。それどころか、世間の動きを止めてしまうことさえある。だから、正論を唱える者は、たいてい反論にさらされて、苦い思いをする。結局、人の世は清濁併せて成り立っているのだから

・美しい虹でも、15分も消えずに空に架かっていたら、誰も見上げ続けようとはしない。感動とは、短命なもの

・興味、関心、好奇心。これらの心なくしては、人生には何も残らない

・その時々の流行や風潮に合わせるだけの生き方だと、人生はあっという間に過ぎてしまう。人生をじっくり味わいたいなら、もっと根本的な人の世の仕組み約束事を学ぶこと

・人は結局「最高の自分になること」が唯一の目的だ。「他人とそっくりになること」や「世間の求める姿になること」などは、人生の本当の意味ではない

・人の道は、選ぶものではない。自分で切り開いていくものだ

・若いうちに老人の偉大さに気づき、老いてからも若い頃のひたむきさを忘れなければ、もっと実りある人生が送れる

・人のするべきことは、ただ一つ。それは、他人の幸福を祈ること。それだけで、すべての不幸はなくなる、他人の不幸も、自分の不幸も

・人は、忙しければ悪事を為さない。悪事というのは、暇な人間がやらかすこと

・本当に完成したものなら、時が経っても変わらない。全くそのままの姿で、後の世に伝わっていく

・誰からも反論されない意見は、中身が空っぽの言葉の羅列に過ぎない

・人が不機嫌になるのは、誰かが悪事を企んでいることに、感づいたときである。だから、いつでも機嫌の良い者は、勘の鈍い者である

勇敢な戦士は、敵を恐れない。賢明な戦士は、敵をあなどらない

気高い人物は、気高い人物を引き寄せる。気高い人物は、気高い人物を尊敬するから



本書を読んで、再度、ゲーテの慧眼、叡智に触れることができました。やはり、ゲーテは立派な存在です。

世の中とは何か、人間とは何か、そして、人生とは何かを考え続け、求め続けて、そこで得た貴重な言葉は、後の世のわれわれにも、数多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。


[ 2013/06/28 07:00 ] ゲーテ・本 | TB(0) | CM(0)

『日本人の人生観』山本七平

日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
(1978/07/07)
山本 七平

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著者は、日本の病、日本人の精神、日本人とは何かについて、考え抜いた評論家です。「空気の研究」「あたりまえの研究」などの著書が有名です。

本書は、1978年の出版後、ずっと版を重ねてきた書です。著者の日本人観がよく示されている本です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・人間の思考の範囲は、非常に限定されたもの。「自由に考える」といっても、これは一人間の記憶の量の範囲内でのこと。こう考えると、記憶の量がその人の発想を決めてしまうわけだから、「憶える」という作業は、実に大切な作業になる

・質の良い記憶の量を増やせば増やすほど、その人間の発想の総量は増えていく

・天才とは、普通の人が絶対に結びつかないと考えている二つ以上の概念を結びつけて、新しい世界を開く人

・意味もわからず暗記させられた文章が、徐々にわかってくるという状態は、解説付きで何かを読んで「ワカッタ」と思って、それで忘れてしまうのと全く別の状態。まず暗記して、その内容が後に一つ一つわかっていく状態こそ、「その人のものとなった」状態

・自分の知っている言葉で記憶の限定を受け、それが思考の限定となり、同時に判断の限定となる。この限定を飛び越えて何かができる人間は実際にはいない

・この変転しやすい社会に生きていく上で最も必要なことは、変転の背後にある伝統の基礎をつかむこと

・多くの人が、生涯計画という形の発想をしているが、これは社会が動かないことが絶対的な前提になっている

・みんな体制の絶対を信じたがっている。これは紙幣や貯金への信仰にも表れる。これらこそ、われわれが持っている非常に強固なる信仰であり、宗教的信仰のようなもの

・「社会とか、この世界というのは動かない。その中をわれわれは通過していく」となると、未来も絶対的に動かないのだという宗教的信仰が出てくる

・われわれは「作為(する)」より「化為(なる)」をよいと考えている。意識的・作為的に何かを「する」のは否定される。自然なことがよろしいわけで、計らいはよろしくない

・「ごく自然に生きる」とは、自分ではどうにもならない自然の変化、いわば自然的な環境の変化に適応して生きることだが、自然現象でない変化(外圧など)に対しても、われわれは同じように対応する

・福沢諭吉は、何かに取りつかれたような、過激な声高な攘夷論者の主張を聞き、その殺気だった顔を見ながら、「この人は本心では、自分の言葉を信じていない。信じていないから、こういう態度になるのだ」と、冷静に観察している

・戦争直後「騙された」は流行語だった。「騙された」ならば、全日本人を「騙す」という大陰謀に成功した人間がいたはず。だから、別に騙されたわけではなく、「騙された」本人が自分を騙していたわけで、騙されたかっただけのこと

・幸福な状態の期間は、不思議なほど短いわけで、「今の時代は必ず終わる、終わった時に、自分はどうすべきか」の意識を、心のどこかに絶えず持っていたほうがよい。そして、終わりを意識しつつ現在の自分を規制していく発想で、自己の方針を定めていくのがよい

・人間の生み出した思想は、すべて人間の所産であり、よって、いずれの思想も絶対的権威として人に臨むことは許されない。啓蒙主義や民主主義の権威化など、それ自体がこっけいな言葉

・「日本人は原則(プリンシプル)のない民族だ」の無責任な批評がしばしば載る。この世界に原則のない民族など存在しないが、こう言われても反論できないのは、われわれが自らの原則を把握していないからに外ならない

・各人がその属するすぐ上の組織を「天=絶対化」すれば、日本全体の総合的な合理的運営は不可能となる。政府は諸集団にはさまれて、何一つ決断を下し得ず、マスコミは諸集団への気兼ねから「正論」を吐けず、何人も「さまよえる」心理状態となってしまう

・人間は、自然の秩序内にいるのであるから、それに従っていけばいいと考えた場合、人間の自由意思は否定される。そこから出てくるのは、「順応する如く志向する自由」であり、「一尊への徹底的順応」という形になっていかざるを得なくなる



われわれは、大きな宇宙秩序の中に生きている、長い歴史的時間の中の一部に生きている、と考えると、「自由意志」といったものが萎えてきます。

萎えてくるだけではなく、誰かに、自分の人生を委ねてもいいと考えるようになります。著者は、日本人に、その危険性があると述べています。人間としての「自由意志」と自然の「秩序」とのバランスを見極めることが重要なのかもしれません。


[ 2013/06/27 07:00 ] 山本七平・本 | TB(0) | CM(0)

『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか・救心録』曽野綾子

善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか 救心録 (祥伝社黄金文庫)善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか 救心録 (祥伝社黄金文庫)
(2009/08/29)
曽野 綾子

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著者の本を紹介するのは、「なぜ日本人は成熟できないのか」「完本戎老録」などに次ぎ、5冊目です。いつも、平和ボケの日本人、甘っちょろい大人を叱ってくれます。

本書でも、日本人のノーテンキさに喝を入れ、真の国際人、真の大人とは、どういうものかを数多く教えてくれています。その一部を要約して、紹介させていただきます。


・物事には裏があり、人には陰があると信じ、疑い深く生きれば、裏切られることはない

・善人は自信があるから困る。人の心がわからなくて、自分が善人であることにあぐらをかいているから

・すぐ他人に同情し、手を貸す、情の厚い人間がいる。しかし、このような手の貸し方が、自ら解決しなければいけない当事者に甘える気分を起こさせる

・資金の全額を出すのはよくない。相手51%こっちが49%というのが理想。そうすると、こちらも威張らないし、向こうは誇りを持てる。そして、その後どう自助努力していくかを見守ったほうがいい

・善意ほど恐ろしいものはない。悪意は拒否できるが、善意は拒否する理由がないから

・仮想敵国を想定し、お互いの間に何が起こるか繰り返し繰り返し、予測し、修正し、また予測して、妥協案を考え出すことでやっと、戦争に至らない状態が可能になる

・どこの国でも、近隣の国とは利害が一致せず、肩肘張っていないとやられてしまうと教える。しかし一方で、隣人故に感情も超えて助けなければならない場合があるとも教える

・人間は、時には好意を持って、時には憎悪によって相手を理解する。好意だけで相手を完全に理解できればいいが、人間の眼が鋭くなるのは、多くの場合、憎悪によってである

・話し合いによる平和を実現しようなどと簡単に言う人々こそ、実は平和の敵。平和などというものは、そんなに簡単に実現することはない

・善意でしたことでも、必ず正しいことばかりではない。人間はいつも正しいことだけをするものとは限らないから。善意というのは、「あなたらしい」ということ

かっとなる人は弱い。弱い人間は正視し、調べ、分析するのを恐れる。強い人間は、怒る前に、その対象に関する冷静なデータを集める。好き嫌いは後のこと。まず知ること

・幼児性はオール・オア・ナッシング。あいまいな部分の存在意義を認めようとしない

・人間関係の普遍的な基本形は、ぎくしゃくしたもの。齟齬、誤解、無理解である

・現代人の多くは、人道的なことを言いながら現実の行動は何もせず、知りもしない他人の行動を批判し、体制におもねり、公金を平気で使いながら、自分の意志を通す勇気はなく、どこにも欠点がないようで、実は何一ついいことはしない人物ばかり

・極端な悪人と善人は、共に人を困らせるが、ほどほどの人、いい加減な性格は、嘘つきでない限り、世の中でそれほどの悪をなさない

・泥棒が「泥棒をしちゃいかん」と言うと迫力がある。言葉と人物を一緒にせず、人間がいかに分裂していて、自分にないものを説教するかということを楽しみに感じればいい

・人生の面白さは、そのために払った犠牲と危険と、かなり正確に比例している

・文明の恩恵に浴しながら自然が保たれることなどない。ホタルが飛ぶ土地には、工業も産業もない。ホタルか雇用か、どちらかをとるのが人生

・凧の糸は自由を縛るように見えるが、重い糸に縛られて初めて、凧は強風の青空に舞う

・味方だから受け入れ、自分を非難するようになったら拒否するという思考形態に変わってきたら、老化がかなり進んでいる

・他人は自分の美点と同時に、欠点に好意を持つ。自分の弱点をさらすことによって、相手は慰められる。それは優越感だと怒る必要はない。それもまた、愛の一つの示し方

・愛というのは、見つめ合うことではない。同じ未来を見ること

・人から嫌われた場合、その人の視野から消えてあげるのが、一番穏やかな方法

・親が子にしてやれる最大のことは、子供に期待しないこと



人間とは矛盾した存在、人生は厳しくて当たり前、ということが分かっているのが大人であり、それが分からないのが子供。日本には、成熟した大人が少ないと、著者は言っておられます。

渡る世間が鬼ばかりという現実を見据えれば、成熟した大人になることを目標としなければいけないのかもしれません。


[ 2013/06/26 07:00 ] 曽野綾子・本 | TB(0) | CM(0)

『転落・ホームレス100人の証言』神戸幸夫

転落―ホームレス100人の証言転落―ホームレス100人の証言
(2010/02)
神戸 幸夫

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成功体験記は多いですが、失敗体験記は、非常に少ないように思います。本書は、ホームレス100人に取材して、転落の要因(家族、性格、学歴、お金、ギャンブル、酒、仕事、犯罪など)を一人一人から聞き出した貴重な書です。

ホームレスに15年間密着し続けてきた著者でしか、この本を書き上げることはできなったかもしれません。ホームレスの貴重な証言や資料の一部を、要約して紹介させていただきます。



・家族が原因でホームレスになった人が多い。「酒乱の父におびえた」「嫁の治療代が払えなかった」「継母に可愛がられず拗ねて家出」「里親に奴隷のように扱われた」などが理由

・ホームレス100人の出自は、富裕層11人、中流層40人、貧困層34人、富裕層から貧困への零落3人、不明12人。貧困層(生活保護費受給世帯など)出身がやはり多い

・生まれ故郷に実家のあるホームレスは多い。しかし、居候する肩身の狭さとホームレスの気楽さを訴える人が多い。こうした考えの底流には、日本人の家族観の変容がある

・その昔であれば、人を押しのけるのが苦手な人や、人づき合いが苦手な人も、農業、漁業、林業、職人の世界に居場所を求められた。しかし今は、他人とコミュニケーションが取れないと、共同体から排除されるという、「無口で少し変わり者」を許容しない社会

・ホームレス100人の最終学歴は、未就学及び小学校まで4人、中学中退2人、中学卒36人、高校中退7人、高校卒31人、大学中退4人、大学卒6人、その他及び不明10人。高校卒以下の学歴では、安定した収入を得るのが困難になっている

・ホームレス100人の結婚形態は、結婚経験なし37人、同棲経験あり8人、妻と死別2人、離婚26人、別居中5人。ホームレスに堕ちる要因に、未婚と離婚体験が多い

・男が本気で結婚したいと考えたときのエネルギーはパワフル。結婚するときには、相手の女性の人生を引き受ける覚悟と、子供ができれば、その子を育てあげる覚悟も必要。しかし、ホームレスの人々には、そうしたエネルギーや覚悟が希薄な人が多い

・ホームレスには離婚経験者が多い。ほとんどのケースが、男のふがいなさに女性の側が愛想を尽かして離婚に至っている。女性から三行半を突きつけられた離婚の痛手は、相当な重さでのしかかってくる

お金が原因でホームレスになった人が多い。「連帯保証人になって」「会社が倒産して」「販売ノルマを自腹で払った結果、借金が膨らんで」などが理由

・借金を重ねて返済不能になるまで膨らませてしまった当人たちにも問題はあるが、簡単に金を貸す消費者金融の存在や、そのグレーゾーン金利を認めてきた国のシステムの不備が、人を借金苦に追いやったと言える

・取材した100人のホームレスのうち、ギャンブルに凝っていた(いる)と答えた人は19人。「全財産1億2000万円競馬に使った人」「競馬と競輪に明け暮れ、家に一銭も入れなかった人」「麻雀にはまって、結婚できなかった人」など

・ホームレスのうち、酒で身を持ち崩した人、今も酒が手放せない人は20人。そのうち、酒による暴力事件を起こした人が3人、アルコール依存症であった人が3人。酒は入手が手軽なだけに、現在も継続中の人が多い

・100人のホームレスに転じた理由は、バブル経済崩壊による仕事の減少22人、ケガ・病気21人、高齢20人。この3つの理由が拮抗して高い

・ホームレスの人々が抱える病気は、高血圧、脳梗塞の後遺症、アルコール依存症、結核、ヘルニア、腰痛、クモ膜下出血、脚痛等の病名が挙がる。同情を禁じ得ないのは後遺症の残る病気。また、うつ病、統合失調症などの精神疾患を抱えている人も多いと言われる

・ホームレスたちは、いくつかの職業を転々とし、転職するたびに労働条件が悪化し、果ては日雇いを中心とした土木作業員に行き着く。100人のうち、路上生活を始める直前の仕事は、44人が土木関係

・インチキ背広の営業、暴力団構成員、地上げグループ員、町金融経営などのインチキ商売違法ギリギリの世界の人たちも、ホームレスに堕ちていく。一見派手に見えるが、これらの商売は、どれも賞味期限が短い

・ホームレス100人のうち、元自衛隊員が9人いる。自衛隊員であったことが、キャリアになっていない



ホームレスになった理由は、「家族が冷たくて」「気が弱くて」「学歴がなくて」「妻が去って」「カネが返せなくて」「ギャンブルにはまって」「酒に呑まれて」「体を壊して」「仕事が続かなくて」「ヤバイことをして」のように大別できます。

精神的な弱さから堕ちていく人が多いように感じました。誰でも、その可能性があるということを知っておくべきなのかもしれません。


[ 2013/06/25 07:00 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『ためこまない生き方』越山雅代

ためこまない生き方ためこまない生き方
(2011/02/11)
越山雅代

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著者は、アメリカで手広く商売を営んでおられる方です。シカゴ在住だそうです。

アメリカで成功した理由が精神面によるものとして、本書で、その考え方を公開されています。その中で、注目すべき点がいくつかありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・人間は「出す」生き物。息を吸い込んだままでは死んでしまう。「出すもの」を我慢するのは、つらいだけでなく、生死に影響する。出すことは、とても大切なこと。心や体が病気になるのも、「出す」ものを出さず、ためこみ、抱え込んでいるから

・「腕利きの船乗りは荒海を好む」(中村天風)。今挑戦している大きな試練や困難な体験を通して、人はこの先さらに成長していく。この世は学びの場

・人生には、それまでの寝ぼけた自分をたたき起こしてくれる目覚し時計が用意されている。このベルは、「お金」や「健康」、「人間関係」の不調、という形で現れる

・「喜びはどんなに大袈裟に表現してもよい」(中村天風)。自分の気持ちを「拡声器」を使って、大きく膨らまして伝えること。コツは、「感謝はやや大袈裟に、ただし誠実に」

・「キャンセル、キャンセル」。これはアメリカでよく使われている言葉。嫌なこと、悪いことを考えてしまったら、この言葉を唱えて、「心配しなかった」ことにしてしまえばいい

・「いいことの告げ口」は、よい人間関係をつくるチャンスになる

・「強運」な人のほとんどは、一見、「不運」のような人であり、チャレンジや課題の多い人生を歩んでいる

・人は、本来、「人の喜ぶことをする」ことに、大きな喜びを感じるようにできている。だから、人が助ける機会を奪ってはいけない。変な遠慮やプライドを捨て、素直に助けを求めること。人に尽すのが「与える」ことならば、人の助けを受けるのも「与える」こと

・天真爛漫を「超訳」すると、「周りのことなど気にしない、天の真実にそった生き方

・困難なことに出合っても、それを「耐えなければならない修行」から、「○○大作戦」というゲームにしてしまうこと。「大作戦」という名前をつけると、不思議とやる気が出て、本気で計画を練るので、成功する

・相手の「気持ち」になっても、一緒の感情を味わうことができるだけ。相手の「」となって初めて、その人の納得できる的確なアドバイスができるようになる

・必死で、一生懸命で、少し危なっかしいところがあると、多くの人は「そのまま放っておいたら大変なことになってまずい」と本能的に感じ、進んで助けてくれるようになる

・「やります宣言」のメリットは、周りの人があなたの目標を知って、その目標に向かって頑張っている姿を見ると、ついつい手助けをしたくなること

・「できない人」に「できない人」だと文句を言っている間は、あなたも「できない人

・成功者に共通しているのは、心が豊かで、夢や目標に無心に一生懸命に向かっていくこと。そして、子供のように無邪気で、自然体で、シンプルで、気取らないこと

・「神様」とは、何か人間の知恵や理性を遥かに超えた「大いなる力」「高次元の意思」といったイメージのもの

・明治維新の志士たちは、あかぬけない恰好で、愛想のない顔をして、鋭い目でにらみつける「茶髪でやんちゃな田舎の暴走族」のような人たち

・情報や叡智は、お金や物より、人の人生に大きな影響を与える貴重なもの。せっかく持っている情報はどんどん出すこと。情報源になると愛される

・何かをやろうというときに一番大切なのは「ASK」。「ASK」には、「尋ねる」ことと「助けを乞う」ことの二つの意味がある。成功したければ、とにかくなんでも「ASK」

夢を奪う人は、「やろうかな、やめようかな」と迷っているときに相談しても、「そんなこと、うまくいくはずがない」しか言ってくれない。夢を奪う人には気をつけること

・アメリカには「Street Smart」(路上の叡智)という言葉がある。多くの成功者は、路上で賢くなった人が山ほどいる



本書を読むと、日米の成功哲学は、表現方法は違えども、同じものを感じます。

天真爛漫な人が、自分の可能性を信じ、目標に向かって努力していれば、その姿に、人は心を打つのかもしれません。まずは、天真爛漫になることから始めていきたいものです。


[ 2013/06/24 07:00 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『小さな暮らしのすすめ』月刊「望星」編集部

小さな暮らしのすすめ小さな暮らしのすすめ
(2012/03)
月刊『望星』編集部

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あまり広くは知られていませんが、月刊望星は、東海大学の創立者である松前重義が、敗戦直後の混乱した世の中に、「星に望みをつないで明日を生きよう」と訴えかけて、創った雑誌です。

その月刊誌に載せられた記事を編集したのが本書です。堅実な、小さな暮らしを営むことで得られる「幸せ」とは何かが、本書のテーマです。共感できたところが、数多くありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・面倒くさいことはしない、自分が嫌いなことはしないと、嫌なことを身の回りから消していった結果、人間同士のつながりが希薄になってしまった(小泉和子)

・日本文化は貧乏を洗練させてきた文化。茶の湯はその代表。茶室は粗末な農家のようだが、よく見れば非常に洗練されていて美しい。俳句もそう。日常のささやかなものの中から面白さを発見するという文化を育んできた(小泉和子)

・「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して、成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」(サリンジャー)

・林住期の「林に住む」というのは、「林で一人で瞑想にふける」ことを意味する。インド人が林住期を設定したのは、「聖」と「俗」の間を行ったり来たりしているところに、人間本来の自由を見出そうとしたから。これは、人間の普遍的な願望かもしれない(山折哲雄)

モノを持たないためには知恵がいる。工夫がいる。我慢がいる。今の世の中は、人を引きまわして、できるだけモノを持たせるようにできている。これだけモノがあふれ返った時代には、モノを持たないことこそ、最高の贅沢というもの(池内紀)

・とにかく効率的で便利で儲かるものをよしとする男的価値観と、心地よく美しいものをよしとする女的価値観がある。男的価値観は、経済社会の中では、持たざるをえない価値観(下重暁子)

・良寛は、何も持たず、世俗の栄達を望まず、そのかわり、この上ない自由を手にした人。自由を手に入れるためには、世間と戦い、自分との欲望とも戦わなくてはいけない。物に惑わされているうちは、自由な心になれないし、欲望の奴隷から抜け出せない(下重暁子)

・小さい変化は最終的に全体に対する影響力を持っていて、それによって全体が変わることがある。全体が変わり、一つの形が出来上がると、今度は個に強要するようになる。自然の仕組みはそういう相関関係がある(遠藤ケイ)

・自分に忠実に、個としてどう生きるのかということが大切。人に影響されたくないし、人に影響を与えたくもない。ただ自分が興味を持ってやりたいことをそれなりにやってきただけ(遠藤ケイ)

・田舎の豊かさとは、「食べ物」と「時間」、つまるところ最大の豊かさは「自然」(樺島弘文)

・過剰な消費に走らないためには、欲求を満たす別のものがあればいい。それが土に立つ文化、そこにある精神性、そんなものに馴染むことで内面が満たされることが、一番いい(金子兜太)

・消費に便乗する生活でなくて、自分が生産する生活表現する生活、それは小さな世界でいいから、積極的に自分を満たせる世界を持つといい(金子兜太)

・世の中との距離感、物との付き合い方で、腹を固めることが大事。腹を固めれば、新しい物や情報が氾濫しようが、しょせん自分は自分でしかないという立場に身を置けるから、そうブレたりはしない(金子兜太)

・「小さな生活」の土台は「勤倹貯蓄」だった。昔の人の価値観では、消費ははしたないことだった。少なくとも、人生の目標とするものではなかった。ところが、「消費の楽しみ」は戦後になって、庶民の誰もが獲得すべき「人権」の一部になった(犬田充)

・相互監視の強い日本では、自由に振る舞えない。絶えず他人に気を配り、気兼ねしながら不自由に耐えて生きていかねばならない。この社会では、放っておかれる自由がない。他人にオセッカイやチョッカイを出すのを躊躇しない人が人情家とされる(犬田充)

・日本社会で、自由な生き方をするためには、「世間」からいったん離脱しなければならない。例えば、「ヤクザもの」「世捨て人」「出家」「浪人」と呼ばれることに甘んじて生きるのも選択の一つ。「反骨の人」として、世間から距離を置くこともできる(犬田充)



欲にまみれて、世間を気にして、「大きな暮らし」をするほうが、よっぽど楽なように思います。

「小さな暮らし」をするには、自分をしっかりと築くことから始めなければいけません。ということは、忍耐とと時間がかかります。しかし、それに挑戦することが有意義であると、そっと教えてくれるのが本書ではないでしょうか。


[ 2013/06/23 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『学問のすすめ・現代語訳』福沢諭吉

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
(2009/02/09)
福澤 諭吉

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福沢諭吉の本を紹介するのは、「福翁百話」に次ぎ、2冊目です。本書は、明治初期に出版された「学問のすすめ」の現代語訳です。

読みやすく、編集されていますので、福沢諭吉の学問に対する熱い思いが、今にも伝わってきます。その思いの一部を要約して、紹介させていただきます。



・人は生まれたときには、貴賎や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして、物事をよく知っている者は、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は、貧乏で地位の低い人になるということ

・士農工商それぞれの責務を尽していくことが大事。それぞれの家業を営むことで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができる

・自由とわがままの境目は、他人の害となるかならないか。自分のお金を使って自由に、やりたい放題やっていいわけではない。やりたい放題は、他の人の悪い手本になって、やがては世の中の空気を乱してしまい、人の教育の害にもなる。その罪は許されない

・中国人は、自国より国がないように思い、外国人を見れば、「夷狄」と呼び、これを嫌い、自分の力も客観的に把握せずに追い払おうとし、かえって「夷狄」に苦しめられている。その現実は、国として身のほどを知らないところからきている

・国民がみな学問を志して、物事の筋道を知って、文明を身につけるようになれば、法律もまた寛容になっていく。法律が厳しかったり寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるかないかによって変わってくるもの

・法律をつくり、悪人を罰し、善人を守る。これが政府の「商売」というもの。この商売には費用がかかる。百姓や町人から税金を出してもらって、その財政を賄おうとする。この「政府と人民の取り決め」が、すなわち「社会契約」である

・ある国の暴力的な政治というのは、暴君や官僚のせいばかりではない。その大元は、国民の無知が原因であって、自ら招いた禍とも言える

・独立の気概のない者は、必ず人に頼る。人に頼る者は、必ずその人を恐れる。人を恐れる者は、必ずその人にへつらう。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんそれに慣れ、面の皮が厚くなり、恥じず、論じず、ただ卑屈になるばかり

・人民は長い間、専制政治に苦しめられたので、政府をごまかし、偽って罪を逃れようと、不誠実なことが日常習慣となった。政府は、その悪習を改めようと、権威をかさに威張り、叱りつけ、人民を誠実にしようとしたが、かえって人民を不誠実に導くことになった

・民間の事業のうち、十に七、八までは官に関係している。このせいで、世間の人の心は、ますます、官を慕い、官を頼み、官を恐れ、官にへつらい、ちっとも独立の気概を示そうとする者がいない。その醜態は見るに耐えない

・自分が楽しいと思うことは、他人もまたそれを楽しいと思うのだから、他人の楽しみを奪って、自分の楽しみを増すようなことはしてはいけない

・政府が法律を作るのは、悪人を防いで善人を保護し、社会をきちんと機能させるため。学者が本を書き、人を教育するのは、後輩の知識を指導して、社会を保つため

金が好きなのは人間の本性。その本性に従い、これを十分に満足させようとするのをとがめられない。だから、金を好む心の働きを見て、ただちに欠点としてはいけない。ただ、限度がなく、道理を外れて、金を得る方向を誤り、道を踏み外すのは、欲張り・ケチ

・驕りと勇敢さ、粗野と率直、頑固と真面目さ、お調子者と機敏さはペア。どれも場面と程度と方向性によっては、欠点にもなるし、美点にもなる。ただ一つ、どの働きにも欠点一色なのが怨望。怨望の働き方は陰険で、自分も得にならないし、他人に害を与えるだけ

・物事を軽々しく信じていけない。また軽々しく疑うのもいけない。信じる、疑うには、取捨選択のための判断力が必要。学問は、その判断力を確立するためにある

・心が高いところにあって働きが乏しい者は、常に不平を持つ。自分にできるような仕事は自分の心の基準に満たないので、仕事に就くのを好まない。かといって、理想の仕事にあたるには実力が足りない。そして、その原因を自分に求めようとせず、他を批判する

・傲慢無礼で嫌われている人、人に勝つことばかり考えて嫌われている人、相手に多く求めすぎて嫌われる人、人の悪口を言って嫌われる人。どれもみな、他人と自分を比較する基準を誤っている。自分の高尚な考えを基準に、これを他人の働きと照らし合わせるから



明治の初めに、本書を書いた福沢諭吉は、凄い人です。でも、本書がベストセラーとなった当時の日本人も、凄かったのではないでしょうか。

本書は、庶民が、変わらなきゃと思っていた証です。明治維新の諸改革は、為政者がやったのではなく、庶民がやったことなのかもしれません。


[ 2013/06/21 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『永遠のことば』三浦綾子

永遠のことば永遠のことば
(2001/10)
三浦 綾子

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著者の本を紹介するのは、「言葉の花束」に次ぎ、2冊目です。本書は、生前の講演や対談の中から選び出されたものです。

本書には、キリスト教徒であった著者の慈悲深い言葉と希望の言葉が多いと思いきや、結構、人間を冷徹に見た言葉が多いように感じました。これらの中から、一部を要約して、紹介させていただきます。



・「あなたのためを思って」と言うが、ためになっていないことが多い。善意の行動は、相手のためによかれと思ってなされるから、断定的で押しつけになる。こちらがいいと思うことが、相手もいいと思うかわからない。だから、善意というものを怪しむようになった

・「ありがとうございました。このご恩は忘れません」と言うが、恩を返したと思ったときに、受けた恩をすっかり忘れてしまい、忘恩の徒になってしまう

・人間の関係というのは、どのような関係でも、とにかく危機をはらんでいる同士の関係。人間というのは、心は変わりやすいし、不真実にできているし、裏切りとかいうのは普通の状態

・「しかたがない」という言葉をよく使うが、自分の子供が危篤になり、医者に「しかたがない。なすすべがない」と言われたら、「ああ、そうですか」と言わない。「しかたがない」には愛がない。しかたがないと知りながら、しかたがあると必死になるのが、本当の愛

・生まれた赤ちゃんは「おぎゃあおぎゃあ」としか泣かない。おっぱい飲みたいのか、眠たいのか、その子の顔を見ながら、声を聞きながら思いやる。つまり、思いやることがちっともなかった若い娘が、いきなり思いやらなきゃならない母親になるということ

・赤ちゃんというのは、自分からは要求一本で、今日はお母さんのためにおとなしくしようなんてことはない。そんな相手と暮らさなければいけないのが子育て

・十のうち九まで満ち足りて、一つしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口に出し、文句を言い続けるもの

・子供が喧嘩をしても仲直りが早いのは、主義主張を持たないから。絶対許せない、一生許せない、みたいな気持ちを子供は持たない。大人は「あの言葉は絶対に一生忘れない」と心に刻みつけてしまうから、許せなくなる。忘れることも、許しの一つ

・恩を感じるときはいろいろあるが、「恩を受けた」としみじみ思うときの自分の心の状態が好き

・どんなに立派なことをやっていても、それが心のこもらない雑な心でやったことなら雑事。雑にやれば雑事になる。一日雑事で終わり、次の一日も雑事で終わり、雑事で終わったという一生になりかねない。恐ろしいものを、一人のときというものは持っている

・泥棒に入られたために自殺した人というのは聞いたことがないが、悪口を言われたために自殺した人というのはいる。人の心を傷つけるという意味では、悪口を言うことは泥棒と比較にならないほどの罪

・自分の立つ場所、立つ地盤を自分で選ぶことが、自立の始めであり、終わりである

・自分で立っているだけで精一杯、というのは自立ではない。他の人も生かすことができて初めて、その人は立っている

・私たちは、心のどこかに、もうちょっとお金があればなあ、お金があれば幸福になるんだけどなあ、というような気分的なものを持っている。しかし、その気分的な面で考える幸福は、幸福そうかもしれないが幸福ではない

・人間は絶望的な状態であっても、一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていく。治すのは、医療の諸技術や薬も大事だが、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かを忘れさせるということが、すごく大事

・役に立つか立たないかで人間を見てはいけない。役に立っていると思っている人間でも、この世の中にどれほどの害毒を流していることか

・いろんな祈りもあっていいけれど、一番大事な祈りというのは、「私のすることを教えてください」という祈りだと思う

・一人一人が本気で生きたとき、本気で神様も答えてくださる



本書を読むと、著者の優しい言葉は、人間の限界を知った上で、発せられた言葉のように思います。

人間の悲しい性を乗り越えるために何が必要かを、絶えず模索して、それを書き留めた人が著者だったのではないでしょうか。


[ 2013/06/20 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『自己組織化で生まれる秩序: シロアリ・量子ドット・人間社会』荒川泰彦

自己組織化で生まれる秩序: シロアリ・量子ドット・人間社会自己組織化で生まれる秩序: シロアリ・量子ドット・人間社会
(2012/09/14)
荒川 泰彦、松本 忠夫 他

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本書は、生物学系、工学系、社会学系の4名の教授が、「自己組織化」をテーマに、知を競い合う内容になっています。

生物の社会と人間社会の類似点を探ることによって、ハッと気づかされることがあります。この本のテーマ「自己組織化」についても、考えさせられることが多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・自己組織化とは、システムの下位レベルを構成している多くの要素間の相互関係に基づいて、システム全体レベルにおけるパターンが創発する過程のこと

・成熟社会あるいは持続可能な社会は、一見して停滞的で活力がないように見えるが、こういう社会にこそ活力が必要

・「内破(インプロージョン)、つまり内から爆発していく力によって、自己組織化が行われる」(哲学者ベルグソン)。成熟社会は、変化を通じた持続であり、変化をしない持続ではない。変化を通じた持続が活性化しているときに創造的進化が起こる

・企業でも社会でも、環境変化に右往左往せずに、内から爆発する力を発揮する組織へ転換するのが、管理を超えたエンパワーメント。近代社会は、効率化して確実さを求めようという反応に陥りがち。しかし、新しい価値は不確実性に耐え抜いたとき創造される

・今では、人の行為原則がかなり変わってきている。それをうまく活かすには、「管理」ではなく「編集」という考え方が必要になる

・自己組織化の第一の要因は「ゆらぎ」。これは、物理学で言えば、平均値からの揺れ。社会学で言えば、変則的な行動

・自己組織化の第二の要因は「自己言及」。制御によるゆらぎつぶしにあえば、ゆらぎからの秩序形成は起こらない。ゆらぎの中から、次の可能性(新たな秩序の種)を増幅させていく役割を果たすのが自己言及

・自己言及性は、しばしばシナジー現象を誘発し、これによりゆらぎが自己強化されて、新たな秩序形成へ向かう現象が引き起こされる

・高度経済成長時代のように、経済が繁栄してイケイケどんどんのときには、抑えて抑えてという「秩序維持の力」が作用しないと、社会が解体してしまう危険がある。しかし、低成長期、安定成長の状況になったときに必要なことは「活力

・社会の安定が求められているときこそ、個々の要素が活力に満ちている必要がある。これがベルグソンの言う「持続とは変化なり」ということ

自己組織化を促す条件とは、「1.創造的な個の営みを優先させる」「2.ゆらぎを秩序の源泉とみなす」「3.不均衡ないし混沌を排除しない」「4.コントロール・センターを認めない」の四つ

・物質であれ、生物であれ、人間社会であれ、内在するエネルギーやメカニズムがある種の法則に従って作用した結果、私たちが目にする「雪の結晶」のような形のものが現れる。そういう意味で、雪の結晶は自己組織化を最もよく象徴するものの一つ

・管理なしで頑張っている企業は200人が限界。部課長制を廃止して、問題が起こる度に、皆で会議ばかりやっている200人規模の会社があるが、それでは時間を浪費するばかりだと思われるが、実際には、二十数年もの間、好業績を維持している

・「ゆらぎ」を歓迎することが大事。変則的なことを考える人を抱え込んでおくこと。その割合は5%くらいが適当。大きな組織であれば、それくらいの人が変わったことをやっても、大勢に影響はない

・結局はフェイズ(局面)の問題。日常的に活発に働くのではなく、厳しい局面に備えて待機すること。軍隊にしても、演習こそはしているが、あまり働いてはいない

・シロアリも人間も従属栄養物といって、植物がつくった有機物に依存して生きている。ところが、シロアリは、同じ植物でも、死んだものを餌にしている。それは、シロアリが共生生物と共に生きているからこそできる。人間は悲しいかな未だそれができていない

・ソビエト連邦が崩壊したのは、社会主義が負けたからではなくて、社会の運営をすべて管理できるという思い込みが間違っていたから。たくさんの人間をいちいち管理できるわけがない。その管理コストは、経済的な生産性を駆逐するほど高くつく



本書を読むと、波風立てずに、人の言われるとおりにするというのは「高度成長時代の考え方」。みんなが張り切ろうとするのが「安定成長時代の考え方」。一見逆に思えることが、組織の真実であるとわかります。

力には、自分で変わろうとする力と、外圧に対応して変わる力の二つがあり、自己組織化とは、自分で変わろうとする力です。現代を生きる我々日本人は、もう少し、波風立てて、自分の思い通りに生きてもいいのではないでしょうか。


[ 2013/06/19 07:00 ] 環境の本 | TB(0) | CM(0)

『図解スイス銀行―究極のプライベートバンク』永井 隆昭、楠本博

図解スイス銀行―究極のプライベートバンク図解スイス銀行―究極のプライベートバンク
(2010/06)
永井 隆昭、楠本 博 他

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以前、スイスの地方に行った時、駅前の銀行店頭に、自動通貨交換機がありました。1万円札を入れたら、スイスフランが自動的にサッと出てきたのに驚きました。ドルならわかりますが、円にも対応しているところが凄いところです。

また、スイスのテレビで、日本株式の個別銘柄の終値が放映されているのにも驚きました。スイスのお金に対する考え方、投資に対する考え方は日本と相当違うようです。その代表的なものが、スイスのプライベートバンクです。

本書は、スイスのプライベートバンクについて、図入りで詳しく解説した内容になっています。日本と違う見所満載の書です。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・スイスの銀行を大別すると「州立銀行」「大銀行」「地方銀行」「貯蓄銀行」「組合銀行」「個人銀行」に分けられ、その総数は327行。そのうち、「個人銀行」(パートナーシップ制による資産運用業務が中心)はたったの14行。スイスの銀行から見ると数%しかない

・プライベートバンキングは、スイスの銀行が担う重要な役割。個人銀行ならずとも、巨大銀行でも、全収益の3分の1をプライベートバンキングが占める。一説によると「世界の個人資産の3分の1がスイスで運用されている」とも言われている

・スイスの大銀行は、預金や貸出といった業務だけでなく、社債、株式発行、証券売買の仲介引受、投信、投資顧問など、金融、証券、保険等の分野で活動を展開している

・スイスの銀行には「秘密保持」の原則がある。銀行員には、医師、弁護士、裁判官などと同様に、秘密を外部に漏らしてはならないという「守秘義務」が課せられる

・スイスへの外資流入の大きな要因は、「金準備が豊富」なこと。スイス国立銀行法には「金準備は銀行券発行高の少なくとも40%相当額で、国内にあるもの」と明記されている

・1572年フランスのサン・バルテミルミーの虐殺(新教徒狩り、犠牲者5万人)で、大量の難民が、多くの金と財産を持ってスイスに逃れてきた。事業家や銀行家も多く含まれていて、その難民がスイス繁栄のきっかけとなった

・スイス人の関心は「商売」にあった。商売のためにならないということで、「封建制」に反対し、「専制主義」や「中央集権国家主義」「社会主義」に反対した。だから、革命もほとんど起こらず、戦争に至ることもなかった

・「スイスの輸出品は人間」と言われた時代があった。貧しい農村の人減らしに、ヨーロッパの軍隊に傭兵として輸出され、その期間は500年、人数は延べ200万人に及んだ

・スイスの個人銀行の主な特徴は、「広告宣伝は避ける」「一度取引が始まると一生涯続き、さらに何代も続く」「顧客が多過ぎるとサービスがおろそかになる」という考え

・スイスの銀行、ことにプライベートバンクでは、郵便物に自分の銀行名やアドレスは書かない。郵便物が万一開封された場合、顧客の「秘密」がなくなってしまうから

・スイスの銀行員は、まず海外の銀行に行って、言葉と腕を磨き、スイスに帰ってくるというパターンが多く、広い世界観を持った銀行マンとしての知識と技術をもって初めて一人前とされる。その転職の多さ行動範囲の広さは、日本の銀行員の比ではない

・スイスでは金融が重要な産業になっている。その収益は、スイスの実質総生産高の11%以上。金融産業に働く20万人という数は、総就労者数の6%を占めている

・スイスのプライベートバンクでは、金融資産で、「豊か(1000~3000万円)」「裕福」「富裕(1~5億円)」「特段な資産家」という言葉でランク分けしている。対象としている層は、1億円以上の貯蓄を所有している富裕な個人顧客

・プライベートバンクの顧客のほとんどは資産家であり、その多くは相続で悩んでいる。したがって、その相談に乗るのが、プライベートバンクの最も大きな業務

・日本とフランスの資産家はよく似ている。官僚や学閥が強く、相続税が高いという類似点を踏まえ、「自分からは資産家と言わず、また、そういうふうに見せないし、見えない」

・スイスのプライベートバンクの伝統的運用手法は「国際分散投資」。リスクを分散させることが最も大切という考え方であり、100年以上にわたって培ったノウハウがある

・スイスのある銀行の「資産を失わないルール」は「1.浪費しない」「2.革命等、社会制度の急変に備える」「3.詐欺にあわない」「4.資産を特定の株式に集中しない」「5.インフレ時に現金、預金など保守的資産に集中しない」「6.重い相続税に備える」



日本とスイスでは、歴史も違うし、文化も人口も違います。しかし、マイノリティ国家が豊かに生きる道として、スイスは参考になる点が多いように思います。

本書は、スイスの金融面だけを掘り下げた本ですが、日本の生きる道が隠されているように感じました。


[ 2013/06/18 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(2)

『7大企業を動かす宗教哲学・名経営者、戦略の源』島田裕巳

7大企業を動かす宗教哲学    名経営者、戦略の源 (角川oneテーマ21)7大企業を動かす宗教哲学 名経営者、戦略の源 (角川oneテーマ21)
(2013/01/10)
島田 裕巳

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宗教学者である著者の本を紹介するのは、「3種類の日本教」「10の悩みと向き合う」「新宗教ビジネス」に次ぎ、4冊目となります。今回は、宗教と企業がテーマです。

日本企業のマネジメントにおいて、宗教哲学は必要な存在となっています。本書の代表的企業7社の事例から、日本社会に大きな影響を与えたと思われる「パナソニック」「ダイエー」「トヨタ自動車」について記されたものを紹介させていただきます。


・天理教で感銘を受けた松下幸之助は、全店員を集め、演説を行った。幸之助は、宗教と同様に、企業には人を救う力があることを力説した。そして、企業の目的を、人間を貧窮から救い出すことに定め、企業としての松下を位置づけた

・幸之助の演説の聴衆たちは興奮して、皆が壇上に登ろうとして、収拾がつかなくなった。幸之助は熱弁を振るうことによって、その場に宗教的熱狂を生み出した。それを「かつて味わったこともなし、また目撃したこともない熱狂ぶり」であったと述べている

・幸之助の経営哲学の核となったものは、天理教の姿に接することで生まれ、演説を通して共有されたが、天理教の教義が影響したわけではない。経営のあり方を、宗教と変わらない聖なる事業としてとらえることで、独自の職業倫理を確立していった

・プロテスタントは、勤労の中に救済が約束されている証を見出した。幸之助もまた、企業経営を聖化することによって、労働の意義を明らかにし、社員の間に勤労意識を生む論理を築き上げていった

・松下電器では、事業部制や分社化と本部制が繰り返され、組織は複雑な形をとっているが、現在の祭神は、「白龍」本社、電化、旧九州松下電器、「黄龍」旧松下電子、旧松下産業機器、「青龍」旧松下電池、「赤龍」自転車、「黒龍」旧松下電工

・事業部制の採用された1933年には、「遵奉すべき五精神」が定められた。それは「産業報国の精神」「公明正大の精神」「和親一致の精神」「力闘向上の精神」「礼節を尽すの精神」。37年には、これに「順応同化の精神」「感謝報恩の精神」が加わり、七精神となった

・幸之助は、「根源の社」という独自の神を祀るまでに至った。グループ企業それぞれに龍神を配し、密教の考え方を取り入れている。まさに、自らの企業経営を聖なる事業として営んでいたことになる

・ダイエー中内の経営哲学の形成には、宗教や信仰はまったくかかわりがない。彼に影響を与えたのは、毛沢東思想であり、唯物論であった

・中内は自己弁護のために毛沢東思想を利用した。だが、毛沢東自身にもそうした部分があって、矛盾した論理の価値を認めていた。その点でも、中内は毛沢東の「矛盾論」から影響を受けていたと言える

・豊田佐吉を精神的に支え、独自の経営哲学を作り上げることに貢献したのが「日蓮主義」と「報徳思想」。「日蓮主義」からはナショナリズムを、「報徳思想」からは禁欲的な姿勢や労働観を教えられた

・二宮尊徳の報徳社が実践したのは、「勤勉貯蓄」(貸付資金に利用)、「営農資金の無利子貸付」(村民投票による貸付先選定)、「農業技術向上のための農談会」(農家が集まって農作物改良や販売等の意見交換会)

・豊田利三郎が示した「豊田綱領」は、「上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし」「研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし」「華美を戒め質実剛健たるべし」「温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし」「神仏を尊崇し報恩感謝の生活を為すべし」

・豊田喜一郎がトヨタ自動車の組織を作る中で、仕事の仕方を「購買心得14カ条」「外注品倉庫掛心得帳」「材料掛心得帳」「外注工場金融・投資規定」「督促掛心得帳」「売店掛心得帳」「下請掛注文法内規」等の文書で規定し、無駄を省き、業務の標準化を図っていった

・トヨタの取締役会のあり方は、村の寄り合いを彷彿とさせる。共同体としての性格が強く、一つの土地に根差したトヨタは、全員一致を原則とする村の伝統を引き継いでいる

・「金ほど、敵として恐ろしいものはなく、味方として頼もしいものはない。人の金借りた金はえてして敵にまわりやすく、頼むべき味方は、自分の金、自分の稼ぎ出した金でなければならぬ」(トヨタ第三代社長石田退三)

・トヨタの社員になることは、「トヨタ教」の信者になること。トヨタ生産方式を支える価値観やイデオロギーに疑問を持つのではなく、実践を重ねる中で、トヨタ特有の宗教哲学を体得していく必要がある。トヨタ教は、土地に根差した、極めて村的な宗教



本書には、上記3社以外にも、「サントリー」「阪急」「セゾングループ」「ユニクロ」の経営における宗教哲学が記されています。

日本では、大きくなっていく会社には、宗教哲学が必要なのかもしれません。賛否はあると思いますが、それが現実なのではないでしょうか。


[ 2013/06/17 07:00 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(0)

『江戸の性愛術』渡辺信一郎

江戸の性愛術 (新潮選書)江戸の性愛術 (新潮選書)
(2006/05/24)
渡辺 信一郎

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本書は、発禁処分になってもおかしくない内容です。禁止用語と思しき言葉も度々出てきますし、春画や枕絵、局所絵などもふんだんに使われています。つまり、江戸の性の奔放さが非常によくわかる書です。

著者は、元都立高校の校長先生です。江戸の性を学術的に研究しようとした結果、生まれた書です。少々ためらう部分もありましたが、江戸の性風俗産業に興味深い点が多々あり、その一部を要約して紹介させていただきます。



・「おさめかまいじょう」は、遊女の性技指南書(1752年作)。遊女屋として成功を収めた人が、門外不出の秘伝を記録したもの。江戸中期の性愛文化の極致

・「おさめかまいじょう」は、普段の養生から始まって、交合で男を籠絡する秘技を伝授する。体が損なわれないように注意事項もある。娼婦と男客が密室で行う交合の凄まじさも描かれ、男の放埓な要求に応じる具体的な法が説かれている

・「おさめかまいじょう」の序文終末に、「商いはんじょうは、男衆をして喜ばす事に尽きるなり。然れども、その基は、おなごをして、いろいろ習わしめ、丈夫に長持ちさせるに尽きるなり」とある

・主人の男は、「下品」「中品」「上品」のランクをつけた。女が娼婦として稼げるか否かの見極めをするのが本務で、理性的な商品鑑定を行った

・若い男は女あしらいに慣れていないので、水揚げには、経験豊富な年輩者が最適であった。適当な時期が来たら、旦那衆の好き者の年寄りに売り込んだ

・水揚げによって、女郎の器量が定まり、「天神」と「端」の階級ランク付けをした。「天神」には芸事性技を学習させ、「端」は性技だけに専念させて技巧を磨かせた。年若い「天神」には、京都の女郎屋で修業させ、京下りの女郎として売り出した

・昼間に時間客を五回取ると、それが限度であるから、その後は泊まり客を付けさせた。泊まり客は、時間的にもゆとりがあり、交合をしても激務とはならない。その気配りが重要であった

・最初は手技で快感を誘発させ、硬直したら、大きく抜き差しして揺らせ、一気に射精を誘発させた。こうすれば、男根はもう勃起することなく、もし勃起しても交合欲は起こらない。男を堪能させる技法や対応法が「端おやま、かまいの事」に詳しく書かれている

・ふにゃ気味の半立ち男でも、交合欲や射精欲は旺盛なので、それを堪能させるには特技を要した。硬直させるために、男根以外の性感帯を刺激する秘法が幾つも書かれている

・客の男が秘具を持ち込んでいることがわかれば、女郎は女世話役を呼んで調べさせた。女郎は肉体の酷使に耐える商売であったから、体を損なう悪技は許さなかった

・女郎は、男の性的な欲望を満足させるのが職務である。そのため、交合以外の、男が喜びそうな、目で楽しませる性曲芸にも励んだ

魚の腸管袋(浮袋)の中に、麦粒を入れて、息で膨らませ、それを縛った後に、勃起した男根を入れさせた。干した魚のざらざらした皮も使った

・「まらうけとり、かまいの事」では、男根を受け入れる、交合体位四型三十六種ごとに対処法を列挙して、男の好色心を堪能させた

・江戸時代、女の自慰に供された疑似男根は「張形(はりがた)」と称した。交合に際して、男が女に使わせて、性技の補助としていた

・御殿女中たちは、性の発散をしないと、女体の健康によくないと信じていたので、処女の女は先輩から張形の使い方を指導された

・350年前、女性によって書かれた秘録「秘事作法」によれば、男との性交渉のない女の健康維持には、適度に張形を使用して、必ず「花心」から「精水」を洩らすべきと書いてある

・張形を使って快感を得るためには、様々な手法があった。「艶道日夜女宝記」(1770年頃)には、張形仕様の絵が七つ示されている

・「蠟丸」は女の性感増進薬。絶頂への到達度が遅い女の性感を誘発させるもので、男の征服欲を満たした。色道指南書の「宝文庫」(1850年頃)には、その製法が記されている



生々しい記述が多く、その部分を相当削除しましたが、それでも上記のような表現になってしまいました。しかし、本書は、我々日本人の性に関する貴重な歴史文化資料です。事実は事実として、きっちり認識することが大事ではないかと思い、紹介しました。

ある意味、日本人の研究熱心さ、探求心、好奇心といった気質が、非常によくわかる書でもあります。


[ 2013/06/16 07:00 ] 江戸の本 | TB(1) | CM(0)

『日本仏教名言集』石上善應

日本仏教名言集日本仏教名言集
(2009/01/20)
石上善應

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日本の名僧が「書」で文字に記した言葉を、「天台系」「真言・密教系」「浄土教系」「系」の4部門から選んだ本です。その名言にわかりやすい解説が付いています。

これらの名言は、掛軸などで、床の間に掛けられ、作品としても、愛でられてきたものです。じっくり吟味できる内容になっています。その一部を紹介させていただきます。



・「他不是吾」(道元)
他の人がやったことは、自分のやったことにはならない。仏道修行は代理がきかない

・「資生業等皆順正法」(法華経)
日々の生活が、様々な人に支えられていることに気づき、各々の境遇で真剣に努め励み、周囲を幸せにしていく生きざまが、仏の道にかなっている

・「己を忘て己を忘れざれ」(鈴木正三)
自己を忘れ無我になって、しかも自己を大切に守らなければならない

・「何の事業も皆佛行なり」(鈴木正三)
いかなる職業に従事していても、それがみな仏道にかなった行いである

・「一筋に正直の道を學ぶべし」(鈴木正三)
ひたすらに正直の道を学んでいくべきである

・「佛道をならふといふは自己をならふなり」(道元)
仏道を学ぶということは、自己を学ぶということである

・「まことの道を好まば道者の名をかくすべきなり」(道元)
真実の道を生きるのであれば、道を行ずる自分自身の名前を他人に知られようとせずに隠すべきである

・「只心をはつしと用 一切を吐出して常に隙にて居給べし」(鈴木正三)
ただ心をはっしと用い、一切を吐き出して、常にすかっと空になっておられよ

・「常に死習って死の隙を明 誠に死する時 驚ぬやうにすべし」(鈴木正三)
常に死ぬことを習って、死ぬということがよくわかって、本当に死ぬ時、驚かぬようにしなさい

・「我有りと思ふ心を捨てよただ 身のうき雲の風にまかせて」(一休)
自分が存在すると思う、その心を捨てなさい。浮雲が風にまかせて流れ行くように

・「極楽に行かんと思うこころこそ地獄に堕つる初めなりけり」(夢窓疎石)
極楽に行きたい行きたいと願う心が地獄に堕ちる原因の第一歩である

・「すみすまぬ こころは水の泡なれば 消たる色や むらさきの雲」(一遍)
澄んでいようが濁っていようが、この身の心は、はかなくもろいもの。この心の様々な色が消えた後にこそ、紫の雲がたなびくのだ

・「佛法を修行するとは佛法を習ふにあらず 我僻事を破るなり」(一休)
仏法を修行することとは、仏法を習うことではない。自らの誤った考えを破ることである

・「身の咎を己が心に知られては 罪のむくいをいかがのがれん」(至道無難)
自分の間違いを自分の心に知られた以上、その罪の報いから逃れることはできない

・「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我は勝れる」(良寛)
世の中の人々と付き合わないというのではないが、一人で詩歌や書にふけるほうが、自分にとっては好ましい

・「若し人心にかなふことを愛せずば心にそむくこともあるべからず」(夢窓疎石)
もしも自分の気に入ったものに執着することがなければ、気に入らないことが起こることはない

・「見ず聞かず言わざるの三つのさるより思わざるこそまさりけれ」(良源)
悪事を見たり、聞いたり、悪口を言ったりしないことはもちろんのこと、悪いことを考えたり、思ったりもしてはならない

・「さけばさきちるはをのれと散るはなの ことはりにこそ身は成りにけり」(一遍)
花が咲き誇れば、その後は必ず散りいく花となる。これが自然の道理。我が身もこの道理そのものだ



本書には、1000ほどの仏教名言が収められています。どうしても、自分の好みから、道元、一休、夢窓疎石、鈴木正三などの禅僧の言葉が多くなってしまいました。

本書には、浄土系、天台系、真言系などの僧侶の言葉も豊富に載っています。それぞれの気に入ったものを拾い集めてみるのもいいのではないでしょうか。


[ 2013/06/14 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『森林異変-日本の林業に未来はあるか』田中淳夫

森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
(2011/04/16)
田中 淳夫

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著者の本を紹介するのは、「日本人が知っておきたい森林の新常識」に次ぎ、2冊目です。日本の林業は、円高の影響をもろに受け、国際競争に晒されてきました。しかも、治山治水の役割を果たしているのに、花粉症の時期になると、世間から叩かれます。

その林業や森林に、最近起きてきている現実が本書に記載されています。マスコミで伝えられている事実とは大きく違っているように感じました。そう思った事実の一部を要約して、紹介させていただきます。



・現在の日本の国土は、有史以来、最大の森林面積森林率を誇っている。室町時代から江戸時代にかけて、森林の過度の利用が行われていた。明治時代には、各地に禿げ山が広がっていた

・江戸時代、森林は木材の調達だけでなく、エネルギー源として、日々の煮炊き、暖房、製鉄、製陶に至るまで利用され、酷使された。さらに、肥料として落葉が持ち出され、洪水や山崩れなど災害が頻発した。明治になり、伐採規制が撤廃され、さらに荒廃が進んだ

・1950年代に入り、輸入され始めた木材は、需要が膨れ上がる木材の国内需要を穴埋めするためのもので、国産材の市場を直接奪ったわけではない。むしろ乱伐が進んでいた日本の山では、無茶な伐採を止める効果があった

・最近は、産地で木材を買う人が少なくなったが、吉野杉と秋田杉では、曲がり強度、圧縮強度、弾性率など材質が違う。心材と辺材の割合も二倍くらいの差がつく

・中国は、経済発展による建設ブームと長江の大洪水をきっかけに、天然林伐採を原則禁止し、木材輸入を解禁した。これにより、日本の独壇場だった木材貿易の主導権は奪われ、価格がつり上がった。そのため、日本が自由に量や価格を動かすことができなくなった

・ロシアは、原木の関税を2007年の6.5%からいきなり2008年に25%とし、2009年からはいきなり80%に上げると通告してきた

・南洋材、米材、ロシア材の調達が安穏としていられなくなり、注目されているのがヨーロッパ材。スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ドイツ、オーストリアは林業国。さらに、ルーマニアなど旧東ヨーロッパ諸国も森林資源が豊富な国

・国内の合板メーカーは、原料を外材に頼っていただけに、外材輸入に危機感を持った。そこで、目をつけたのが、豊富な資源量を誇る国内の山

・日本の森林面積は2500万haを超え、そのうちの4割に当たる1000万haが人工林。それらの木々は毎年太り続けている。国産木材生産量の2.5倍以上の増産余力がある

・国産材の使用量は急激に伸びている。2008年の合板の国産材比は21%。ほとんどゼロから、数年で2割まで上がった。おかげで、木材自給率も急速に回復し始めた

・丸太の価格が1立方メートル当たり15000円を割り込むと、再造林ができなくなり、伐採後の放棄につながる。実際の価格は、それを割り込んでいるところが大半

消えた木材製品は、枕木、電信柱、建築の足場丸太、オフィス家具、樽、桶、木箱など。これらの木材商品は、植えてから10~20年の間伐材の用途として、利益につながっていた

・木質バイオマスを燃やす発電設備は、1999年12基だったが、2008年144基に伸び、木質ボイラーも3.5倍になった。木質バイオマス資源(製材時に出るチップが大半)が不足して、今や利用促進どころか、いかにして木質資源を集めるかが課題となっている

燃料用のチップ価格は、1立方メートル当たり500円程度。これほど安いと、林地残材の搬出をいくら工夫しても追いつかない。バイオマスエネルギーは、林業を活性化するのではなく、活性化した林業を下支えするもの

・欧米に遅れること30年、日本林業にも改革が始まっている。高性能林業機械の導入で、仕事の多くは重機に乗ることになりつつある。そのためには、重機を林内に入れるための作業道を敷設しなければならない。綿密なコスト計算や無駄のない動きが求められている

伐採跡地の4分の3しか再造林は行われていない。理由の一つは金。伐採した木材を販売して金を得ても、造林費用に費やせば、赤字になる。何十年と育てた結果、手元に何も残らないとなると、森林所有者は躊躇してしまう

・木材は、調湿性に優れ、熱拡散率が小さい。内装を木質にした場合、室内の湿度や温度を一定に保つ効果が高い。それが人の感性に影響を与えている。さらに触感や衝撃を和らげる効果、視覚効果も大きい。心理面の研究から、木材の効果や影響が見つかっている



森林には、水源涵養機能、水の浄化機能、土砂流出防止機能、防風防砂機能、景観機能、リラクゼーション機能など数多くの機能があります。その森林を維持しようとすると、お金がかかります。そのお金を工面しようとすると、木材が売れないと成り立ちません。

花粉症を含め、日本の森林の問題の多くは、木材が高く売れるとほとんど解決します。日本の林業は、目に見えない貢献を多くしているにもかかわらず、苦しみ、もがき続けています。本書を読み、我々はもっと森林に関心を持つべきだと思いました。


[ 2013/06/13 07:00 ] 田中淳夫・本 | TB(0) | CM(0)

『人生を変える「伝える」技術・3つのカギ』後藤武士

『立場』『比喩』『具体』これだけでOK!人生を変える「伝える」技術 3つのカギ『立場』『比喩』『具体』これだけでOK!人生を変える「伝える」技術 3つのカギ
(2010/09/16)
後藤 武士

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人と会って話す仕事をされている方に、付いて回るのが、この「伝える技術」です。会う人が、客であったり、部下であったり、生徒であったり、患者であったり、それぞれ違いますが、キチンと伝えられない人は、仕事のできない人とらく印を押されてしまいます。

著者は、「立場」「比喩」「具体」の3つで、「伝える技術」を我々にうまく伝えられています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・「どうしてわからない」。この嘆きほど意味のない嘆きはない。仕事の場合、伝える側より伝えられる側の方が、知識が乏しいのは当然。相手の方が知識があれば、伝える必要はどこにもない

・無知だから教える必要がある。ものわかりが悪い相手だからこそ、マニュアルの手渡しでなく、自ら伝える必要がある

・教えるということは、翻訳に近いもの

・自分が普段使っている言葉や言い回しを、相手が普段使っている言葉や言い回しに置き換えること

・自分自身に知識があるということと、それを伝える術を持ち合せているということは、全くの別のこと

・世の説教の大半は、ただただ、自分の感情の赴くままに、憂さ晴らしをしているだけ。素直に聞けるお説教、納得できるお説教には、客観性がある

・自分本位で語っても相手には伝わらない。相手にとってもメリットになることをちゃんと説くこと

・ダメダメお説教の共通点は、何もかもが自分基準で話をしている。たった一つのケースに過ぎない自分の経験が誰にでも当てはまると思っている。境遇も資質も違う相手に、その違いも考慮せずに、一方的に自分の価値観を押し付ける、これでは伝わるわけがない

・マイナスを避けるメリットもあるが、より積極的、能動的に耳を傾けてもらうには、「この話を聞くとこういう得がある」という、プラスを得られるメリットを感じてもらうこと

・もし何らかの人に誇れる実績がある人なら、それを使えば、「導入」はぐっと楽になる。そのとき、「こう見えても私、実は○○なんです」の表現をすれば、実績を権威にできる

・親近感を呼び起こすには、相手の共感(シンパシー)を引き起こすこと。そのためには、相手との共通点を強調する必要がある

・人が目を向けてくれるものの条件は、面白くて、役に立つことだけで十分だが、あえて、付け加えるとすれば、強制力と権威、自慢できる過去、好意、親近感、カッコいいと思ってくれることがある

・「人の気持ちを考えろ」なんてお説教するのは、自分が本気でそうしたことがない人。相手の気持ちなど100%読めるはずがない。しかし、相手の「気持ち」がわからなくても、相手の「立場」は察することができる

・WIN-WINの関係が存在すれば、説得もできれば、説教もしやすい

・教えるのがうまい人は、比喩のバリエーションが豊富で、使い方が的確な人

・比喩を用いて説明するということは、思考回路をイチから構築しないで済む。既に相手の頭の中に存在している方程式や公式をそのまま利用できる

・「立場」と「比喩」でも、相手が理解できないときは「具体」。数式で理解できなければ、図で表現する。図でもさっぱりだったら、絵を書く。絵でもダメなら実物。人は具体的なものほど、イメージしやすいから、理解が容易になる

・具体化とは、ビジュアル化のこと。理解力に劣っている人というのは、イメージを構成するのが苦手。文字や音声だけでは理解できない

・絵が下手でも大丈夫。絵でなくても、図や記号であってもいい。目的は美ではない

・相手にモノを伝えたり、教えたりして、わかってもらうための基本は、自分本位ではなく、相手の立場・視点・優先順位・許容範囲・レベルなどを考慮して話すこと



1対1なら、相手の目を見て話せば、相手が理解しているかどうかは一目瞭然です。相手が納得するまで、あの手この手で熱意で伝えていくことは可能です。

しかし、1対多の場合、熱意だけでは伝わりません。テクニックを使わなければ、全員にわかってもらえません。そういう場合、本書の「伝える技術」は、役に立つのではないでしょうか。


[ 2013/06/12 07:00 ] 営業の本 | TB(0) | CM(0)

『悩み相談で解き明かす「人生って何?」・生きる』中村うさぎ

悩み相談で解き明かす「人生って何?」 生きる悩み相談で解き明かす「人生って何?」 生きる
(2004/01/22)
中村 うさぎ

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著者は、ブランド物の買い漁り、ホストクラブへの通い詰め、美容整形のしまくりなど、破天荒な人生を突っ走ってこられました。欲望に忠実に行動されただけに、人生の修行を完了されています。ゆえに、人生相談の資格が十分にあるように思います。

著者の本を紹介するのは、「愚者の道」に次ぎ2冊目です。本著は、人生相談に対する解説本です。著者の「人生の力量」の大きさを思い知らされました。非常に奥深い書です。その奥深さの一部を要約して、紹介させていただきます。


・「無為な時間」は必ずしも「無駄な時間」ではない。「何もする気になれない」と悩むのは、「何かしなきゃいけない」と思っているから。「何もしないこと」が必要な時期だって、人生にはある

・プロだから、真剣に作品に取り組んでいる。でも「好きなのか」と言われたら微妙。「好き」なのではなく「仕事」だからこそ、プロのプライドを賭けて書く。人は情熱によって物事を継続させるのではない。義務感や責任感によって継続させる

・恋愛とは、欠点のある女と欠点のある男の武者修行

・男はみんなバカ。それを言うなら、女もみんなバカ。ただ「バカ」の種類が違う。自分とは違うバカをどこまで愛しく思えるか、というのが、恋愛のメインテーマ

・男の人を「子供っぽい」と思うのは、彼らが内面世界にいまだに「遊戯室」を持ち、そこにいっぱいオモチャを溜め込んで喜んでいるところ。そのオモチャは、「車」や「釣り道具」や「楽器」だったりする。それらは、しょせん「ひとり遊び」のオモチャ

・人間関係に必要なのは、「自己への批判力」と「他者への想像力」。この二つを欠いたまま年をとった人間は、人間関係なしに生きていけばいいが、それには何か「技術」が必要

・自分は「やって後悔することを選ぶ派」か「やらずに後悔することを選ぶ派」か、どっちに属すか考えておく、それさえ決まれば、人生の決断を強いられた時、比較的短時間で答えを出すことができる

・自分にとって、より快適な「幻想」を手に入れること。幸せの本質は、そこにある

個性的であろうとするならば、人から嫌われることを覚悟しなくてはならないということ。要するに「覚悟」

・「運」で成功した人は、その「運」にすがりつきたくなるから、変なオカルトに走ったりする。占い師の言葉を信じる有名人は、その典型。そんな人生、歩みたくない。だって、その金も成功も、自分で勝ち取ったという誇りの持てないものだから

整形とは、美人になることではない。自分の顔を好きになること

・みんな、相手に「何か」を求め、その「何か」を手に入れる代わりに、相手の求める「何か」を支払っている。愛が物々交換であり、消費行為であることを悪いとは思わない。一番悪いのは、「相手に要求するばかりで、自分は何も与えない」行為

・自己愛の生き物である人間は、本当に無償で何かを差し出すことなどできない

・多くの人は「自分の幸福」の尺度が見つけられなくて、漫然と「世間の幸福」の尺度を採用してしまう。そして、その世間から外れた「幸福」観の持ち主を異常だと感じる

・恋愛は「ギヴ&テイク」のゲームではない。ゲームには必ず「勝ち負け」が存在する

・自信満々な人に脅えの影を、自信なさそうな人に傲慢なる自負を、きっと見つけられる

・人間にとって大切なのは「自信」ではなく「打たれ強さ」。打たれ強い人は、失敗を恐れない。彼らが自信ありげに見えるのは、自分が成功するという自信ではなく、自分が失敗に対処できるという自信

・「孤独」を癒すには、不倫(恋愛の共有)、宗教団体(神の共有)、カルチャースクール(趣味の共有)、ボランティア(大義名分の共有)と、この世にはたくさんある。世間の風当たりと家庭破壊の危険性を考えつつハマればいい。そこで「他者の共感と連帯」は得られる

・他者と手軽に「共感・共有感」を持つには、「共通の敵を持つ」のが一番。ところが、このような「仮想敵の存在による共感」は、ものすごく低俗なものになりがち

・「共感」を求めながらも「孤立」を選ぶのは、「共感」と同じくらい「プライド」が大切だから



著者は、本書で、「人間は他者との共感によって、魂の充実感を味わうもの」と述べています。魂の充実感なしには、人間は生きていけないのかもしれません。

そして、自己の魂の充実感を得ようとすれば、他者に対するルールと責任も不可欠です。そのルールと責任の認識があれば、人間関係もうまくいくように思います。生きるとは、それを知るということではないでしょうか。


[ 2013/06/11 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(1)

『「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは』李登輝

「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫)「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫)
(2006/04)
李 登輝

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李登輝台湾元総統は、京都大学に進み、日本の精神を学びました。台湾の総統になってから、新渡戸稲造の「武士道」の心を国の発展に生かした方です。

その李登輝氏が、武士道の心である「ノブレス・オブリージュ」(位高ければ徳高き)の精神を研究したのが本書です。明治期の日本の思想家を日本人以上によく研究されています。その熱意に驚くばかりです。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・武士道には「公義」(社会的正義)が説かれているからこそ、今なお燦然と光輝いている

・大陸の中国人を評価しないのは、同じ「孔孟の書」に接しながら、武士道に培われた日本人のような「実践躬行」の精神が希薄だから。まさに「論語読みの論語知らず」で、口先ばかり。そして平気で嘘をつく

・人間すべからく正直でなくてはならない。新渡戸先生の「武士道」の中にも、オネスト(正直)とオナー(名誉)とは同根であると書かれている

・中華人民共和国そのものが根本的な嘘。孫文の「三民主義」を実現するための国家体制であると公言しながら、民主主義であったことがない。人民(ピープル)に対して、自由や平等を許容したことがない。独裁国家的で、冷酷かつ残忍なことばかりしてきている

・台湾大地震のときも、中国はほとんど援助の手を差しのべてこなかったくせに、「李登輝はこの非常時に何もしないで遊んでばかりいる。いや、この天災を利用して私腹を肥やそうとしている」などと、とんでもないデマを流して、足を引っ張ろうとした

・人間、死んだ気になりさえすれば、どんなことでも成し遂げられる。すなわち、徹底的に「死」の意味を追求していくことによって、結局、輝かしい「生」の彼岸に到達できる

・内村鑑三や新渡戸先生は、凝り固まった「一宗教の信仰者」とは違う。キリスト教のみならず、儒教や仏教など、あらゆる宗教や思想を引用しながら、「道徳体系としての武士道」の本質を解き明かした。このような「寛い心」が世界の人々に深い共感と感動を与えた

・儒教は善悪を定めた道徳なので、死生観がはっきりしない。そのため儒教においては、人間個々の生きる意義と、そこに立てられた道徳の間に、かなりのずれが生じる。内村鑑三や新渡戸先生がキリスト者になったのは、儒教における死生観の不在のため

・死を親しむ心ではいけない。死は知ることが大切。死を知ることによって生をどう生きるかという問題意識を持つことが何より大切

・個人的な欲や物質主義から超越した、もう一つ高い形而上学的なものが信仰。信仰というのは理性ではない

・共産党一党独裁政権による宗教弾圧を受けなかった台湾人社会の中には、漢民族の神仏混淆的な古き良き時代の伝統や風習が力強く生き残っている

・新渡戸先生は、「義と勇は双生児の兄弟である」と言った。「義」が頭の中にあっても、それを実行するための「勇気」がなければ何もできない。何もしなければ「義」ではない

・新渡戸先生は「勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない」と断言している。これは間違いのない真理

・カーライルは「恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である」と言っている。敗戦直後、アメリカ人から「国民性」を高く賞賛されていた日本は、「武士道」を踏みにじり、「恥の文化」を捨て去った。それが、私が愛した日本の戦後史の偽らざる実態

・新渡戸先生は「武士道は非経済的である」と明言されている。なぜならば、「武士」という身分は、報酬や金を期待してはいけない仕事に身を捧げた人だから。その尊い仕事をする「武士」を育てる上で絶対不可欠な存在として「教師」をあげている

・「武士は食わねど高楊枝」は、「克己」(セルフコントロール)と一致する。だからこそ、高貴な身分(ノーブレス)として、一般大衆から高い尊敬と信頼をかちえることができた

・中国大陸で一番大きな問題は、役人たちの汚職腐敗。台湾がいち早く「正しい国」に生まれ変わることができたのは、「政治改革」「行政改革」と、それを通して役人や国民全体の「意識改革」があったから。それを支えたのが「教育改革

・日本は「武士道」という世界一素晴らしい精神的支柱があるのに、戦後半世紀以上の長きにわたって、世界に誇るべき「大和魂」を意識的に踏みつけてきた。日本の「抜本的改革」を断行するには、リーダーの指導理念や政治哲学(武士道や日本精神)が絶対に必要



役人(公務員)、政治家、教師、マスコミ関係者、法曹関係者、医師、宗教者など社会の上に立つ人たちが、公義に尽すかどうかが、その国の将来を左右します。社会の上に立つ人たちが、公正ではなく、不当な利益を得る国家は発展しません。

新渡戸稲造の「武士道」の本質は「公義」です。台湾が戦後目覚ましい発展を遂げたのは、この「公義」の精神が国民に浸透できたからで、本家本元の日本が、その精神を忘れていると、李登輝さんは言っています。大いに耳を傾けるべきことではないでしょうか。


[ 2013/06/10 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『ナンシー関の名言・予言』

ナンシー関の名言・予言ナンシー関の名言・予言
(2013/01/19)
ナンシー 関

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ナンシー関さんの本を紹介するのは「信仰の現場」に次いで2冊目です。本書は、生前の著者が書いたことの証明作業になっています。

その鋭い観察眼は、時が経つにつれて、重みが増しているようにも感じます。本書には、著者の洞察力がいっぱい掲載されています。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・見えるものしか見ない。しかし、目を皿のようにして見る。そして見破る。それが「顔面至上主義」。なお、この「顔面」は「上っ面」という意味である

・「ワォ」「オーマイガーッ」「アンビリーバボゥ」といった英語を喋れるか喋れないかは技術や知識の問題ではなく、魂の問題である。日本の学校教育における英語は、この「魂」についての問題を全く顧みていない

・ブームとは「社会現象」と呼ばれるものの常であるが、「核」(本当に好き、支持している層)の大きさなど関係ない。その核の正味の大きさがわからなくなるほど巨大になっていく人垣を「ブーム・社会現象」と呼ぶ

・うさん臭さの根拠となるのは「スタイリング」。それは、服装に代表される身なりと、もう一つ、その能力の見せ方の構成という意味での「スタイリング」。どちらもあまり達者だと「うさん臭い」=「ホンモノだと思ってもらえない」

・そもそも世の中は「二世」が好きである。そして嫌いでもある。世の中は「二世」に対して二極構造で対している。その二極とは、「カエルの子はカエル」といった血の持つ物語性と、「バカ息子」の概念である

・「明るい×おもしろい×元気×かわいい」というプラス要素の掛け算で終われば、当然その答えもプラスと思うが、「貧乏臭い」という、一気にマイナスに逆転する恐ろしさもある

重鎮らしい所作というのは、ボケ老人の動きと共通する点が多い。「他人の言うことをきかない」「質問されても、いちいち答えない」「急に、思ったことを口に出して言う」「ゆっくりとしか動かない」など、イメージとしての「重鎮」と「ボケ」は見事に重なる

お涙頂戴は、創造力の貧困と逃げ場である。プライドを捨て、ハナからそれを堕落だと認識していないほど鈍感な、お涙頂戴へ身を堕した人や作品は、観客はその一点で否定する権利を持っている

・「不安」な感じこそ、「美少女」に欠くことのできないスパイス。その「不安」とは、嫌だけど、どうしようもなく見てみたいという複雑な気持ち

・好きなタレントを男女10人ずつ挙げることはできないが、気にくわないタレントならば50人ずつ挙げることができる。タレントというのは、嫌われて当たり前。テレビを通じてしか知り得ないタレントをほとんど嫌いになるのは、むしろ健全である

・私たち見ている側は、口ではスターを待ち望んでいると言いながら、一方でそれを阻んでいる。うっとり眺めているよりも、引きずり降ろして咀嚼する楽しみを習慣づけてしまった

・人は何かをする時に、不本意ながら外的要素によって、その行動(あるいは思想、発言)を整形してしまう。外的要素による行動の整形とは「節操」ということ。この節操をとっぱらってしまうところに「ミーハー」が発生する

・「歌いたい」というのは、食欲、性欲、睡眠欲と並列に扱ってもいいくらいの人間の本能ではないかと考えている

・名を上げ、名を有することが、金や権力といった「実」とともになされたのは昔の話で、テレビというメディアは「ただ単に有名な人」をいとも簡単に作り上げた。テレビの中には、いろんな種類の有名が混沌と入りまじっている

・年功序列、無事これ名馬、代表作もなく、功績もなく、芸もない、でも芸能人として存在するというのは、ある意味「芸能人だから芸能界にいるのではなく、芸能界にいるから芸能人」だということ

・ほとんどのミスコンは、町内で誰が一番美人かを決めることが目的ではなく、コンテストというイベントを行うことこそが大事。イベントの成功によって、どこかに利潤が派生する。それでOKである



胡散臭さ怪しさ馬鹿さ加減、違和感。何か引っかかることがあっても、それを言葉で的確に正しく表現するのはなかなか難しいものです。

著者は、その表現の天才であり、言葉の魔術師でした。今日においても、何か引っかかることが日常に無数にあります。それらを表現してくれる作者が、新たに登場してくれるのを願うばかりです。


[ 2013/06/09 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『マルティン・ルター―ことばに生きた改革者』徳善義和

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)
(2012/06/21)
徳善 義和

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ヨーロッパに行けば、カトリックの国(フランス、イタリア、スペインなど)と、プロテスタントの国(ドイツ、スイス、オランダ、北欧諸国など)では、国民性が大きく違うことに気づきます。

マルティン・ルターは宗教改革者で、キリスト教を新しい世界(プロテスタント)へ導いた人です。でも、どう導いたのか、その目的は何だったのか、さっぱり知らないまま、その名を何となく知っていただけでした。

本書を読み、ルターという、世界の歴史を大きく変えた、その人物像と行動を深く知ることができました。その一部を要約して紹介させていただきます。



・ルターは「言葉に生きた人」。聖書の言葉を、民衆のために、民衆のわかる言葉で説き続けた。宗教改革とは、ルターが、聖書によって、キリスト教の世界を再形成した出来事

・民衆たちは、教会が提供する幸いや救いを求め、これにすがりながらも、教会で語られ、書かれるラテン語を理解できない。教会と民衆の隔絶。それが宗教改革への隠れた要因

・宗教改革とは、「聖書を読む運動」。それは、聖書を一人で読むところから始まって、みんなと一緒に読み、読んだことをみんなと分かち合っていく運動

・ルターは「民衆の口の中をのぞき込むように」聖書を翻訳した。それは、民衆は普段どんなふうに話をしているか、何を考え、何を必要と感じているか、そうした民衆の魂に向けて話をしなくてはならないと、ルターが考えていたことを示している

・ルターが指摘し、厳しく批判したのは、教会組織や聖職者たちの堕落や腐敗そのものではない。ルターを宗教改革の転回点に立たせたのは、人間の魂に対する危機意識

・ルターは教会の教えが民衆を誤った信仰に導いていることに強い憤りを感じていた。教皇を初めとする教会に対する厳しい批判は、この憤りからくるもの

・ルターが、あらゆる苦難と困難を乗り越えて成し遂げようとしていたのは、人々の魂を支える「信仰の再形成

・ルターの著作は、初版544点、総点数3183点。各著作の発行部数は、推計300万冊を超え、宗教改革期のヨーロッパ出版物総数の半分以上を一人で占めることになる。文字の読めない人への読み聞かせも含めると、その影響力は数字以上のものがあった

・ドイツ語による説教に続いて、ルターが導入したいと考えたのが、民衆が歌うドイツ語の賛美歌。中世のラテン語の聖歌では、民衆は何を歌っているのか理解できなかった

・民衆運動としての宗教改革には、聖書のメッセージを説教によって聴く、受動的な「言葉の運動」の側面と、そのメッセージを受け止めて声を出して歌う、能動的な「歌声の運動」の側面がある。賛美歌説教は両輪をなし、ルターの礼拝改革を支えた

・ルターは生涯の間に50編ほどのコラール(民衆の歌う賛美歌)を作詞し、そのいくつかは作曲もした。ルターの言語感覚の鋭さと音楽的才能をうかがえる作品が残っている

・16世紀の後半から17世紀にかけて、ドイツは優れたコラールの作詞家、作曲家を数多く輩出した。もし、彼らのコラールがなければ、バッハのオルガン曲、カンタータ、受難曲、オラトリオなどの教会音楽は生まれなかった

・ルターは、町の人々の顔を思い描きながら、言葉を吟味し、翻訳した。ルターの翻訳の特徴は、力強さとわかりやすさ。ルターが用いたドイツ語はその後、標準化されていった

・ルターは、神が、「すべし」「すべからず」の戒めと、「すでに満たされている」の良い知らせの二通りの言葉を語る、とまず理解した。神学的には、聖書の「律法」と「福音」。そして、ルターは、律法から福音への転回運動が人間に救いをもたらすとの理解に到達した

・ルターは、第一に、聖書は「祈り」をもって読むべき、と言う。自分に「示してください」「教えてください」の祈りの心で読まなければ、聖書の真理は心に入ってこないと説く

・ルターは、第二に、聖書は黙想して繰り返して読むべき、と言う。五感のすべてを挙げて繰り返し取り組むことで初めて、聖書の言葉は心に深く入ってくると説く

・ルターは、第三に、試練をもって試練のただ中で読め、と言う。修道生活のように世俗の生活から離れて、聖書を静かに瞑想するのではなく、試練の多い実生活のただ中で読むとき、聖書の言葉は、生きて心に働きかけると説く



布教活動、PR活動には、「言葉」が欠かせません。その言葉は、シンプルに、誠実に、が鉄則です。また、それを「声」に出して、みんなを楽しませるというのも鉄則です。

ルターは、意図的でなく、純粋な気持ちで、「言葉」と「声(歌)」の改革を行った結果が「宗教改革」につながったのだと思います。本書を読むと、言葉の力の大きさに改めて気づくのではないでしょうか。


[ 2013/06/07 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)