日本、中国、韓国は、いがみ合うことが多いですが、官僚制度、家族制度、教育制度など、そっくりなものが多いのも事実です。もし、日中韓を一括りに表現するとしたら、それは「
儒教文化圏」という言葉が適切だと考えられます。
中国で生まれた儒教が、われわれの生き方や行動の規範になり、ある意味、儒教に縛られて生きています。この縛られている「儒教とは何か」を知らなければ、国際的な視点に立って、物事を考えられないように思います。
本書は、非常に深い内容の書です。合点がいくこと数多くありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。
・明治初期に姓を持った後、しばらく女性は生家の姓を用いていた。しかし、民法が公布された明治31年以後、夫の家の姓を用いるようになった。中国、韓国、明治31年以前の日本で、妻が
生家の姓を名乗ったのは、儒教における「同性不婚」の原則によるもの
・仏教では、死後、霊魂は
成仏するか、
転生する(再度生まれ変わる)かどちらか。成仏していれば、下界の者が供養する必要はない。転生していれば、霊魂はもはや存在しない。お骨は肉体を焼いた残骸にすぎない。単なる物を崇めることは、仏教的には無意味
・中国の人々は、インド流の「この世は苦しみの世界である」、キリスト教の「人間は原罪を持つ」などとは絶対に考えなかった。それどころか、中国人は、
この世を楽しいところと考えた。ここが、酷烈な環境のインド人や砂漠の中近東の人と決定的に異なるところ
・中国人の思考は、漢字ならびに漢字を使った文章による。漢字は
表意文字。表意とは、物の写し。物の写しだから、先に物がある。「はじめに言葉(神)ありき」ではなくて、「
はじめに物ありき」。中国人にとって、現実とは、物に囲まれた具体的な感覚の世界
・中国人は現実的、即物的。この世に徹底的に執着する。特に
金銭への執着は物凄い。こうした感覚の中国人にも死が必ず訪れる。中国人は、死後、この世に帰ってくることができることを最大願望とした。その願望に、納得いく死の説明をしたのが儒家
・儒家が考えたのは、精神の主宰者(魂)と肉体の主宰者(魄)が一致しているときが生きている状態、
魂と魄が分離するときが死の状態。すなわち、呼吸停止(心臓死)が始まると、一致していた魂と魄が分離し、魂は天上に、魄は地下へと行くのが死
・祖先の祭祀(招魂再生の儀礼)を続けるには一族が必要になる。儒家は、「1.
祖先の祭祀」「2.
父母への敬愛」「3.
子孫を生むこと」。これら三行為をひっくるめて「孝」とした。父母への敬愛だけを孝とするのは誤り
・孝の行いを通じて、自己の生命が永遠になる。そう考えれば、死の恐怖も不安も解消できる。
永遠の生命こそ、現世の快楽を肯定する現実的感覚の中国人が最も望むもの
・儒には、王朝の祭祀儀礼・古伝承の記録を担当する
知識人系上層と祈祷や喪葬を担当する
シャマン系下層がいる。今日においても事情は同じ。日本における新興宗教のほとんどは、民衆の
淫祀邪教(祈祷師、拝み屋)への願望とエネルギーに基づいて起こる
・鎌倉時代から江戸時代にかけて政権を握ったのが武士階級(武官)。この武官が文官向きの儒教的教養を身につけた。この点が、日中の儒教理解の相違の一つである、「孝」より「忠」の重視となっていく
・中国人に道教(現世利益を得られる宗教)が広まった結果、昼(公的)は儒教、夜(私的)は道教というようになる。「
儒教」(子孫の祭祀による現世への再生)「
道教」(自己の努力による不老長生)「
仏教」(因果や運命に基づく輪廻転生)と理解(誤解)していく
・中国の仏教は、結局、自力の
禅と他力の
浄土思想(阿弥陀如来の本願にすがれば浄土へ行ける)が残る。自力の禅は、老荘思想の超世間、脱俗、自然重視の考えと結びつく
・宗教性を持つ儒教から礼儀性の強い儒教への方向は、寺院が、キリスト教を禁ずる目的の
檀家制度によって葬式を一手に握った江戸時代に色濃くなる
・
朱子学とは、儒家が唱えた、宗教性(死の不安、生命論としての孝)と礼教性(家族論、政治論)の上に、哲学性(形而上学、宇宙論)を重ねたもの
・仏壇は、仏教本来のものではなく、儒教における
廟・祠堂のミニチュア。香を焚き祖霊に祈るのも儒教の招魂儀礼。墓を建てることも墓参りも仏教はしない。本来は儒教。しかし、日本仏教は、墓参りに、お彼岸やお盆の日を選ぶ
・現代日本でも、政治倫理が強く求められる。すなわち、政治家的力量や行政官僚的能力よりも清潔な道徳家であることを求める。これは伝統的な
儒教的なお上像。こうしたお上に対して、べったり甘えてぶらさがるのが、われわれ儒教的民衆
われわれ日本人の考え方は、もともとの土着的なものに、中国の影響と歴史的な政治体制の変遷が加わり、徐々に形づくられてきたものです。
現代の急激な変化の中で、その考え方が崩壊しつつあります。そのとき、何を捨て、何を残すかは、本書のような本を読み、じっくり考えていく必要があるのではないでしょうか。