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「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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『超革命・人気美術館が知っているお客の呼び方』蓑豊

超<集客力>革命  人気美術館が知っているお客の呼び方 (oneテーマ21)超<集客力>革命 人気美術館が知っているお客の呼び方 (oneテーマ21)
(2012/04/10)
蓑 豊

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著者は、アメリカのシカゴ美術館東洋部長を経て、大阪市立美術館長になり、その後、金沢21世紀美術館長になって、異例の年間130万人の集客を達成された方です。

さらに、その後、世界的なオークションで有名なサザビーズ北米本部長に就任し、現在は兵庫県立近代美術館長になられています。

美術館の集客仕掛け人として有名な著者が、集客の思いを綴った書です。参考になる点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・美術館は、専門家が太鼓判を押す名作の「本物」をその目で鑑賞できるすばらしい場所。最近の言葉で言えば、まさに「最強のコンテンツ」を比較的安価な料金で、大勢の人たちに提供できるのが美術館

・美術館の広報は、一般的には、美術館開催に合わせた前宣伝と、開催中のフォローだが、新聞に毎日、美術館の名が出ることを目標にせよと、広報や学芸員にはっぱをかけている

・年間入場者数の目標を立て、そのためにクリアしなければならない一日の入場者数を意識している。入場者数が少ない時には、テレビや新聞に声をかける。ただ、「取り上げてください」では取り上げてくれない。ニュースになるようなネタを用意しておくことが大切

・日本の美術館は、中流か、それ以上の金銭的余裕のある美術愛好家を固定客として相手にしてきた。その結果、堅苦しいイメージができあがり、敷居が高くなった。お行儀のいい客でなければ入る資格がないような雰囲気になってしまった

・展覧会を単館でやるにせよ、巡回展に加わるにせよ、最終的には美術館の企画会議で検討する。展覧会には準備も必要なので、数年後までのスケジュールが決まっている。展覧会企画は、この美術館が本来「やるべき」かどうかという観点で見ている

・タイトルがつまらなければ、見に行きたいと思ってもらうことは難しい。タイトルに華やかさユーモアがあって、興味を惹く。なんだか面白そうだ、そんな期待を掻き立てる

・理想とする美術館は、欧米の美術館のように、何も考えずに、ぶらっと訪れることができる美術館。そして、できれば、遠方からやってきた友人を案内したくなるような場所であってほしい。美術館は市民の応接間のような場所というのが美術館像

・美術作品は「わかる」必要などない。大切なのは「感じる」こと。わからないことをわかることが作品に一歩近づくということ。「わからない、だが、なんとなく気になる」。そこに作品の入口がある。疑問もまた「感性」の発動である

・日本の美術館の館長は、月に数日出勤するだけの「名誉職」が多いが、専従でなければできないはず。館長の仕事は対外的活動(県や市との調整、スポンサー企業の交流や新規開拓)が中心でも、週3日は、美術館に出勤すること。そして、地元に住み、生活すべき

・兵庫県立美術館の場合、一つの展覧会で、有料入場者数が5万人以上いれば黒字になる。その他、ギャラリー棟の使用料や、ショップ、レストランの賃貸料がある

・アメリカで美術館の館長を務めるには、スポンサーを集められ、展覧会の予算を確保できることや、それまでに評判を取った展覧会企画を手掛けたことが重要視される

・アメリカは日本と違い、公立美術館は少なく、ほとんど財団法人が運営している。今、館長は、館長+CEOという肩書きになっており、経営的手腕が必要とされている

・サザビーズは、ロンドン、パリ、ジュネーブ、ニューヨーク、香港などにオークション会場があり、オークションの手数料は25%売る人からも買う人からも同じパーセントを取る。近年の傾向としては、中国、インド、中東、ロシアからの参加者が目立つ

・美術館を訪れるとき、「コレクション(収蔵品)の量と質」「建築の個性と空間の心地よさ」「美術館と街の関係」の三つの観点から、その美術館を評価する

世界の美術館ベスト10+1は、ルーブル美術館・ポンピドゥーセンター(パリ)、大英博物館・テートモダン・ヴィクトリア&アルバート博物館・ナショナルギャラリー(ロンドン)、プラド美術館(マドリッド)、メトロポリタン美術館・NY近代美術館(NY)、ボストン美術館、シカゴ美術館

・「人がどう思おうと私はこれが欲しい」となかなか思い切って言えないのが、今の日本人。しかし、アイデンティティの確立していない人間は、国際社会では「大人」としては認められない。海外で成功する日本人の多くは、個性的で型破りなのは、そのため



アメリカで都会の大きな美術館の館長になるには、地方の小さな美術館で成功し、徐々に、昇格していくのが順序だそうです。まるで、大リーグの監督が、マイナーリーグの監督から這い上がっていく姿に似ています。

日本では、美術館の館長は名誉職であり、生ぬるい経営をしているところが多いのではないでしょうか。公共性の高い施設でも、最低、赤字経営だけは避けたいものです。そのために手腕を発揮する人が、ますます求められているように思います。


[ 2013/03/30 07:03 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『小国大輝論〔西郷隆盛と縄文の魂〕』上田篤

小国大輝論 〔西郷隆盛と縄文の魂〕小国大輝論 〔西郷隆盛と縄文の魂〕
(2012/05/23)
上田篤

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著者は、京都大学の教授を務めながら、建築家として活躍された方です。別の顔として、西郷隆盛の研究をする西郷義塾を主宰されています。

また、スイスに何度も出かけ、スイスの国家体制や国民意識を調査し、日本も「スイスを模範にしよう!」と提唱されている方です。

スイスは山岳の土地で、農業がしにくく、貧しかったにもかかわらず、今では、世界でトップクラスの豊かな国です。そのスイスに学ぼうというのが、本書の主旨です。参考になった点が数多くありました。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・スイスは今なお、「自由農民」の伝統を受け継ぐ国。スイスの山岳農民、日本の百姓は同じ部分が多い。西郷隆盛が模索した「百姓の国」のモデルはスイスだった

・スイス連邦国家は、人口600万人ながら、「三千の都市国家」(26の州連邦、3000の市町村連合)がある。スイスの民兵は、都市国家を守る(故郷を守る)サムライたち

・組織人間とは「失敗できない人間」。自立人間とは「失敗できる人間」。現代日本は組織人間ばかり増えて、自立人間が減っている。動乱や有事の時代には、それが問題となる

・「情報閉鎖、役人依存」という江戸役人の治世は、今日の公務員の体質に引き継がれている。そういう意味で、今は「後期江戸時代

・大久保利通が持ち帰った近代官僚制は、同時に中央集権制でもあった。近代官僚制とは、それまで貴族が持っていた地方権力を抑え、代わりに、国家への集権を導入する権力装置

・「軍国主義国家」と「原発国家」は、ともに「パイの拡大」を目指したという点で共通している。その原点は大久保利通が持ち帰った「プロイセンの大国主義

・日本がお手本にしたプロイセンあるいはドイツ帝国(=軍国主義国家)は、第一次世界大戦と第二次世界大戦に負けて、国土を灰燼に帰し、国家を破産させてしまった

・イギリスは武力ではドイツに負けたが、情報力で勝った。日本も「武力だけでは国家は守れない」ことを、第一次世界大戦後、ドイツの敗戦で知るべきだった

・明治以来、「文明開化・和魂洋才」の掛け声で、日本の都市は近代化してきた。肝心かなめのヨーロッパでは、ほとんどの町が「近代化」しなかった。つまり、古いもののまま

・大久保利通はドイツ、西郷隆盛と木戸孝允はスイス、岩倉具視はロシアと、維新の元勲の理想の国はまるで異なっていた

・1815年、国際的に「スイスの永世中立」と「スイスの領土不可侵」が承認された。その結果、スイスが植民地戦争に参加して、外国の領土を奪うことができなくなった

・スイスは、第二次世界大戦中に始まった、四党連立「全政党政府」が今日も続いている

・中世の「農奴的農民」の中で、貧しい土地から「職人的農民」が生まれてきた。イギリスの独立自営農民、オランダの干拓農民、スイスの山岳農民が「職人的農民」の典型

・誇り高き「自由農民」は、彼らの上に君臨する権力を認めず、常に団結して抵抗し、団結のための互いの意思を確認した。スイスには、意思を確かめ合う場として、ランツ・ゲマインデという「有権者全員会議」があった。その採択は三分の二多数決であった

・永世中立したスイスは同時に武装をした。永世中立とは、「武装中立」だった

・スイスの食糧需給率は6割だが、国民の食糧貯蔵量は3年分ある。また、有事には、グランド、公園、緑地、庭園、遊休地を農地に替えて食料を確保できるようになっている

・スイスの職業軍人は3500人しかいないが、一般の兵隊はすべて市民。1874年の憲法で、「市民は同時に兵士である」という原則が定められた

・スイス人はチップを要求しない。スイス人の多くはサムライ。サムライは、人に物乞いなどしない。人を助けても、自分が助けられようなどとは思わない

・スイスで女性参政権が連邦レベルで認められたのは1971年。先進国中最も遅い。この理由は、参政権を持つと、軍務や後方支援につくのが義務で、女性自身が反対したから

・スイス人は、独・仏・伊語のほかに英会話も堪能。日常の外国情報も入ってくる「情報大国」。それに対して、日本は外国情報がいたって少ない「情報小国」



今から10年ほど前に、スイス各地を、鉄道パスを使って、8日間ほど旅したことがあります。スイスも北欧諸国やドイツと同様に、プロテスタントが多いせいか、いろんなところで、国民の賢さをすごく感じました。

この本を読むと、その賢さの理由がよくわかります。今の日本は、スイスのような先進文明国家に学ぶことが大切です。本書は、その助けになるように思います。


[ 2013/03/29 07:03 ] 海外の本 | TB(0) | CM(0)

『人生ノート』美輪明宏

人生ノート人生ノート
(1998/04)
美輪 明宏

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ついに美輪明宏さんの登場です。古くは、丸山明宏時代に、突如、ヨイトマケの唄がラジオから流れてきたときや、天草四郎の生まれ変わりと言ってテレビに出られていたときから、興味津々だった方です。

しかし、このブログで紹介するのを、なんとなく躊躇していました。本書には、納得のいく言葉がいっぱい載っています。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・今フランスが滅びかけているのは、フランスの美意識がなくなったということ。フランスは美を売る国だから、それがなくなったらフランスの存在理由がない

・フランスはエセ・ヒューマニストたちの浅知恵で、受け皿も用意せず、どんどん移民を受け入れた。移民たちは、生きるためにひったくりとか強盗とか悪いことをするから、パリの人たちは、お洒落な格好をして、外へ出られなくなってしまった

シンプル殺風景とは別。殺風景なのがシンプルだと思っている単細胞の人がいるのは困りもの。灰色のコンクリートの打ちっぱなしの家や部屋なんか、あれは刑務所

・ファッション産業というのは、人の卑しい見栄虚栄心につけこんでいる商売。そこらへんをよく承知して、その上でやっているのならいい

・人間は、理数科系と体育会系と文科系に分かれている。文科系と理数科系がくっついたとき人類は栄える。体育会系と理数科系がくっついたとき人類は滅ぶ

・バレエ・ダンサーというのは、出てきて、そこに立っているだけで、絵にならなければならない。それはつまり、選ばれた人でなければ、バレエを踊る資格がないということ。好きで踊るのだったら、趣味で踊っていればいい。お金を取ってはいけない

・風雅で上品な建物が並んでいる町では、犯罪を起こしようにも、似合わないから起きない。犯罪をしてもいいような風景だから犯罪は起きる

・知識階級のエセ評論家が、パリの芸術をだめにした。アール・デコの時代には、ユーモアとか、心楽しくなるムダなよさが残されていた。それが美しかった

・「でも」と「しかし」は女の切り札。必ず相手の弱点を見つけて、それでチャラにしようという神経が働く。男には「でも」と「しかし」の切り札がないから、それがねたみ、そねみになって、ヒガミになる

・知識階級の人が、二、三年水商売でアルバイトすればいい。そこには、あらゆる職種、あらゆる年代、あらゆるパターンの人間が出入りするから、人間を見る勉強になる。頭でっかちで、知識だけの人間に人は裁けない

・国籍、性別、年齢、職業、過去未来、その他、すべてにこだわらない。人間が不安になり、憂鬱な気分になるときには、必ずどれか何かにこだわり続けているとき

・地位とか名誉とか財産とかがいくらかできると、それらを失いたくない、失うまいとする。そのために、地獄の気分に落ち込んでしまう

・「○○のくせに」「どうせ自分は○○だから」は、こだわっているから出てくる悪い言葉

・世の人々は自分では気づかずに、毎日の私生活の中で、他の人に対してファシストになっている。個人の小さな争い、闘いは、戦争の規模を縮小しただけのもの

・世の中は悪意。その証拠に雑誌など、悪意に満ちた意地悪で、品性下劣な卑しい記事ノゾキ趣味の写真が載っているものほどよく売れる。だから、発行部数が多いからといって、本当は自慢できることではなく、実は恥ずべき筋合いのもの

・給料とは、がまん料。よく働いたから報酬をもらえるのではない。嫌なこと、辛いこと、苦しいことをがまんしたことに支払われるのが給料。不平・不満もがまん料に入っている

・これからは徳川家康の時代。理性で策謀をめぐらす、そういう政治家や経済人でなければ、世界の権謀術数にたけたプロフェッショナルの政治家や経済人と渡り合っていけない

神様と人間の間に立ちはだかって、問屋みたいな流通機構の役目をしているのが宗教

・人からパワーをもらうのではなくて、人にパワーをあげようと思うと、泉のようにふつふつとパワーが湧いて出てくるもの。そうすると、自信がついてくる



本書は、美輪明宏さんが50歳になる前の1983年に書いたものを加筆した本です。そのせいか、強さ、鋭さ、厳しさなどがよく表われているように思います。

この本は、世の中を達観している美輪明宏ではなく、世の中と闘っている美輪明宏を見ることができる貴重な書ではないでしょうか。


[ 2013/03/28 07:03 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『正しさの考え方(民法の原点)』良永和隆

正しさの考え方 (民法の原点)正しさの考え方 (民法の原点)
(1991/11)
良永 和隆

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20年以上も前に買った本です。今でも、時々読みたくなります。著者は、専修大学法学部の教授です。法学の本なのですが、宗教学、哲学、人間学の本とも言えます。「法哲学」の本と言うのが、一番適切なのかもしれません。

正しさとは何かが分かりやすく明示されているので、正しさの判断に困ったとき、役に立ちます。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・正しさは、「人・時・所」、つまり、人により、時により、場所によって、異なりうる。正しさを考える場合、この三つの要素を忘れてはいけない

・人間を支配している摂理は、「幸福を求める」こと。法律学の目的は、個人および社会の幸福の増進にある。個人を幸福にし、社会を理想的なものにすることが、法律学の使命

・正しさには、三つの原理、「進歩の原理」「調和の原理」「調整の原理」がある

・進歩を支える「」の原理の要素は、「自由」「公平」「発展」「実力主義(弱肉強食)」。調和を支える「」の原理の要素は、「責任」「平等」「秩序」「慈悲(弱者救済)」。「叡智」は、「知」と「愛」の両原理の調整。叡智とはバランス感覚の最高状態

真理を理解できる人は、いつの時代も少数者に限られる。真理であるか否かは、時代・歴史が証明し、時間が真理とそうでないものを分ける

・個性を尊重してほしい気持ちが支配を嫌う。この個性の尊重が自由の理念を導き出す。自由は、進歩の原動力。それが、やる気と向上への意欲を生み、活力をもたらす

・自由の精神として、「1.自助努力」「2.創意工夫」「3.自律性」の三点がある

・人間に自由が認められるのも、一定の判断力・認識力がある場合。未熟な者に自由を認めるのは愚かなこと

・自由は、より素晴らしい人格、より素晴らしい社会・国家を創ることに行使されるべき

・各人は、自由によって、進歩・向上することができる(進歩の原理)が、他方、他人を不幸にしてはならない・社会の秩序を乱してはならない(調和の原理

・責任の精神の第一は、独立心(依存しないといこと)。第二は、奉仕する心(社会貢献)

・「相手の立場から考えてみることが、道徳の理想の極致」(ジョン・スチュアート・ミル)、「常に人間を目的として扱い、決して手段として扱わないように行為せよ」(カント)

・人間は正しくない行為をしたとき、羞恥心が湧く。この良心の声に従うのが人間の義務

・人間には、一人一人が愛されたいという気持ちがある。これが平等の本質。平等の精神の第一が、「寛容さ」(広い心で包み込む)、第二が「謙虚さ」(みな凡夫)

・結果の平等主義が当然のことになると、人間は要求ばかりするようになる。利益の分配を求めて、文句ばかり言う国民、労働者がいる国家、企業は存立が危うくなる

・人間は安定を望む存在。安定が求めるのは確実性(将来の見通しが不確実でないこと)

・徳ある者、認識力高き者が独裁するのは、むしろ社会にとっては好ましいこと

発展とは、希望があるということ。幸運とは、努力している姿に、吸い寄せられるもの

・人間は戦い競い合いを楽しむ存在。意欲を湧き起こす仕事の要因は、給料や労働条件ではなく、仕事そのものの面白さ。そして、仕事を面白くさせるのは、競争ゲームの精神

・競争を認め、競争の中で、より強い者が勝利することの切磋琢磨が、進歩を促進させる。適切な自由競争のためには、公正な競争原理の基準づくりとなる法律が必要

・人間には、惻隠の心である、弱き者を助け、困っている人に手を差しのべる性質がある。弱者を救済することは、強者の義務。しかし、救済に偏ると、甘えを生み、依存心を生み、自立性を損なわせ、進歩を妨げる結果となる。厳しさと優しさのバランスが重要

・善なる者、正しい者を必ず勝たせるのが、正義の原理。これは、知の原理でも、愛の原理でもない、力の原理



本書は、人が生きる上での判断基準となります。困ったとき、悩んだときに、この本を手にすると、その悩みが少し和らぎます。

私自身、20年前に買った本書を、5年おきくらいの間隔で、時々見ています。ある意味、人生の憲法となる書ではないでしょうか。
[ 2013/03/27 07:03 ] 人生の本 | TB(0) | CM(2)

『小説講座・売れる作家の全技術』大沢在昌

小説講座 売れる作家の全技術  デビューだけで満足してはいけない小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない
(2012/08/01)
大沢 在昌

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著者は、「新宿鮫」などの著作で知られる作家です。プロの作家として活躍している本人が直接、作家としての技術、ノウハウを公開したのが本書です。

脚本家や作家のように、物語をどう上手に作っていくかが、マーケティングにおいても問われるな時代です。読者(消費者)を惹きつけ、飽きさせない技術をもっと学ばないといけません。本書には、その技術が満載です。その一部を要約して紹介させていただきます。



・作家がよりよいものを書き続けるためのモチベーションは、結局のところ、本が売れるか賞をもらうか、その二つしかない

・キャラクターが中途半端だと途中でストーリーを背負えなくなって、話がダメになることも多い。ストーリーも大事だけど、キャラクターも大事

・嫌な人間というのは、実は自分のことを嫌な人間だと思っていない。最初から嫌な人を書こうとしないで、だんだん嫌な人に見えてくる、じわじわ嫌な感じが広がっていく、そんな風に書いてみる

・変化の過程に読者は感情移入する。物語のあたまと終わりで、主人公に変化のない物語は人を動かさない。主人公にどんな変化を起こさせるかということを意識して、ストーリー作りに取りかかること

・何かを失った人間が、何かを得ることによって、一つの物語が出来上がる。「喪失と獲得」の物語を人は求めている

・謎が解き明かされたとき、「なんだ、そういうことか」と読者も腑に落ちやすくなる。「隠す言葉」を効果的に使えるようになること

面白い小説というのは、ミステリーであれ、恋愛小説であれ、どんなジャンルの小説でも、主人公に対して残酷である。主人公に優しい小説が面白くなるわけがない

・自分を追い詰めれば、アイデアは出てくるもの。もし出てこなかったら、そのときは小説を書く才能が自分にはないと諦めるしかない

・八割は「どうだ、すごいだろう」と感情に流されて書いてもいいが、二割は「この言葉じゃ、伝わりにくいかな」と冷静に見る。八割熱く二割冷めている気持ちで書くこと

・描写とは、「場所」であり、「人物」であり、「雰囲気」。小説はこの三つが絡まって動く

・「発想」は一回きりのものである(「その発想、面白いね。ぜひ小説にしましょう」と、一回きりで終わってしまう)のに対して、「着眼点」と「情熱」は、その作家の武器になる

・描写に困ったときの虎の巻が、「天・地・人・動・植」の五文字。「天」は天候、気候、「地」は地理、地形、「人」は人物、「動」は動物、「植」は植物。それらがあると、描写がふっくらするし、シーンがより印象的になる

・うまく描写するコツは、頭の中に自分だけの映画館を持って、そこで物語を上映してみること。そこには、音もあれば、光もあれば、匂いもある。人物がいて、空気が流れている。その空気を描写するという意識を持つこと

・アイデアの出ない人はプロになれないし、万一プロになれたとしても、とてももたない。ゼロから作りだすものが、どこかで見たようなものであってはダメ

・読むことが好きで好きで読み過ぎて、そこから今度は書きたいという気持ちに転換した、そういう自分を自覚している人でなければ、作家にはなれない

・編集者とのつき合い方は「頼りすぎずに頼ること」

・作家はどこかに神秘性を持っていることが大切。女性作家なら、すごい美人じゃないか。男性作家なら、カッコいい人じゃないかと読者に思わせておくこと

・もっと自分を抑制して、読者をじらせること。読者をいたぶって、引っ張って引っ張って、もうこれ以上我慢できないと読者が手を伸ばしてきたとき、ようやく答えを与えてあげる

・100%の力を出し切って書けば、次は120%のものが書けるし、限界ぎりぎりまで書いた人にしか次のドアを開けることはできない。それを超えた人間だけが、プロの世界で生き残っている



どんな世界でも、プロになるのは厳しいものです。ましてや、筆一本で食っていこうとすれば、その努力は並大抵のことではないと思います。

本書には、作家として食っている人の知恵が披露されています。この知恵は、同業者だけでなく、他の商売にも応用できる貴重なものではないでしょうか。


[ 2013/03/26 07:02 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『通貨の興亡―円、ドル、ユーロ、人民元の行方』黒田東彦

通貨の興亡―円、ドル、ユーロ、人民元の行方通貨の興亡―円、ドル、ユーロ、人民元の行方
(2005/02)
黒田 東彦

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日銀副総裁になられた岩田規久男氏の「デフレと超円高」という本を以前紹介したことがありました。今回紹介するのは、日銀総裁になられた黒田東彦氏が2005年に書いた本です。少し古い本ですが、黒田氏の考え方や歴史観がよくわかります。

本書は、イギリスやアメリカの「通貨の歴史書」と言えるかもしれません。経済学は歴史学でもあります。日銀総裁になれらた黒田氏が通貨の歴史に詳しいことに、安堵をおぼえました。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・アメリカの通貨政策は揺れ動いてきたし、今後も揺れ動く。しかし、日本の通貨政策は極めて一貫している

・日本の場合、1970年代以降は貯蓄過剰体質によって、経常収支黒字が恒常的に発生したことから、それに匹敵する海外投資が行われないと、どうしても円高になる

・アメリカの通貨当局は、インフレ対策や景気対策のために、為替レートを動かそうとする。日本の通貨当局は、意図的な為替政策に慎重な態度をとる。要するに、アメリカの通貨政策が突発的で「プロアクティブ」、日本の為替政策は日常的で「リアクティブ」となる

・アメリカの企業や国民には外貨建て債権債務がほとんどないから、為替レートの変動がバランスシート問題を引き起こさない。しかし、日本はGDPの35%以上の対外純資産を保有(大半がドル建て)するので、ドル安がバランスシートに大きな影響を及ぼす

・ドルは多くの途上国で広く使用され、通貨ペックの対象なので、ドル高は中南米やアジアの途上国の経済にも影響を及ぼす。しかし、円高は途上国経済に影響を与えることがない。その結果、アメリカはいつでもドル安を主張できるのに対し、日本はそれができない

・アメリカは大統領制の下で、前政権の通貨政策を簡単にひっくり返すのに対し、議院内閣制下で自民党政権が続いた日本では、政治的な通貨政策の変更はなかった

・ポンドからドルへの通貨代替は、イギリスからアメリカへの世界経済の基軸の移行に40年遅れた。言いかえると、ドル中心の世界は、代替的なシステムが現れるまで続く

・対外投資が活発化すれば、円も安定する。その意味で、金融機関の国際力強化、賢明な投資家の育成は重要。円が国際化する前に、まず日本人が国際化する必要がある

ニュートンは、王立科学協会会長であると同時に、実務では1696年から造幣局長官を長く務めた。イギリスは早い時期に金本位制を導入したが、それはニュートンのときの純分で確定して、以後二百数十年にわたって続いた

・イギリスでは19世紀初め、経済活動が通貨量を決める「銀行主義」と、通貨量が経済活動を決定する「通貨主義」の論争が起こり、過剰なポンドの発行を防止する「金本位制」がインフレ防止政策となった。その結果、ポンドが信認され、国際通貨となった

・第一次大戦後、ヨーロッパ諸国は好景気に沸くアメリカへの輸出が、成長の重要な源泉だったので、アメリカの大恐慌は、イギリスを含むヨーロッパ諸国に深刻な影響を与えた

・今、イギリスの法人収益の半分以上が金融資源関連。製造部門は貢献していない

・アメリカは世界でも非常にユニークな国。純債務国なのに、いくらでもドルで債務がまかなえる。そのうえ、ドルが下落すると、輸出競争力が強まり、儲かる一方で、バランスシート上の損はない。バランスシート上で損をするのは外国人だけ

・1971年ニクソンショックの金兌換停止後、「たが」がなくなったことから、アメリカはドルが唯一の国際通貨という地位をフル活用して、通貨発行益を得るだけでなく、マクロ的な利益も追求するようになった

・ドルは下落すると、アメリカ経済に有利なので、アメリカ経済は強くなり、ドルは反転を始める。だから、ドル不安が起こり、ドルレートが大きく下がっても、また戻り、なかなか暴落はしない。ドルに代わる通貨が出てくるのは、いつのことかわからない

・アジアの資金をアジアに投資するために、各国が自国通貨建て債券を出しても、ベンチマークがないと、投資家はその債券をいくらで買っていいかわからない。国際的に流通する債券は、ある程度の量があり、高い格付けがあり、流動性がなくてはいけない

・世界に100の言語があれば、100の言語を理解しない限り、世界中の人と意思疎通できず不便。英語が国際言語になると、自国語と英語だけを理解すれば意思疎通でき便利。通貨も、国際通貨が一つあると便利。複数通貨制は不安定なだけ。ドル本位制は永続する


金融を引き締めて財政を健全化するのか、市中にお金をばらまいて景気をよくするのか。これらの論議は、松平定信田沼意次の時代からあります。また、通貨の質を落として、通貨量を増やす政策は、荻原重秀の時代からもあります。

要するに、歴史は繰り返されています。今、どんな時なのか、他国との関係も見ながら手を打てる人が、通貨の番人である日銀総裁にふさわしいのではないでしょうか。本書を読み、黒田東彦氏が歴史と世界事情に詳しいので、少々安心した次第です。


[ 2013/03/25 07:01 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク』ナンシー関

信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫)信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫)
(1997/06)
ナンシー関

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ナンシー関さんが亡くなられて10年以上経ちますが、彼女ほどの人物鑑識眼を持つ人は、その後現れていないように感じています。

彼女は、「テレビ消灯時間」などの芸能人批評の本を多数遺されていますが、社会批評の本は意外に少ないように思います。

本書は、ナンシー関さんが、不思議な場所に直接足を運んで、感じたことを記載している珍しい書です。面白い箇所が多数ありました。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・何かを盲目的に信じている人にはスキがある。自分の状態が見えてないから。しかし、その信じる人たちの多くは、日常生活において、そのスキをさらけ出すことを自己抑制し、バランスを保っている

・自己抑制のタガを外してしまう時と場所がある。それは、同じものを信じる「同志」が一堂に会する場所に来た時。全員が同じスキを持っているという安心感が、彼らを無防備にさせる

・絵本崇拝者が信じているものは、作品自体のクオリティよりも、絵本そのものに元来まとわりついている様々な概念にある。「大人になっても子供の心を持ち続ける」だの「夢がある」だの「心が安らぐ」だのといったもので、「その絵本」に対するものとは限らない

・絵本派の人々が、自信ありげに、何の疑いもなしに、絵本を礼賛するのは、絵本に一種の踏み絵的能力があると思っているから。絵本の良さが分からないのは、あなた自身に問題があるからだ、てなもんである

・「フェニミズムの実践」の形を目のあたりにすると、どうしても引いてしまう。徹底することは重要だが、どうしてもバランスの悪さが引っかかる。「運動」として「下手な見せ方」をしている。「上手く取り込む」ことが勝ち

・情報過多の今の世の中、盲信することは昔ほど簡単ではない。だったら何が「報い」となるのか。具体的報いはないと思う。「子供を劇団に入れている」状態が気に入っているのだと思う。そしてまた、子供を劇団に通わせるために犠牲を払っている自分が好きなのだ

・数字が並ぶところになぜか発生する、配列の特別性の信仰。その中でもダントツの支持を得る「ゾロ目」の威力。その力に吸い寄せられるように、数字配列マニアは、どこかへ集約する

・自分のことを「ちょっといい話」の主人公にしてくれる魅力が年寄りを引き寄せる。「自分が主人公」という考え方は、老若男女を問わず、陥りやすい蜜壷である

・「主流(流行とも言う)に乗る」ことへの抵抗感の消失は見事。抵抗感の有る無し、へそ曲がりと素直、どちらがいいわけではない。「主流に乗る」若者の何も考えてなさ加減と同様に、一昔前の若者の「(とりあえず)主流を拒否する」も、実は考えなんかない

・「第一」たるところには、それに立ち向かうためにつめかける人がたくさんいる。建物や施設のオープニング、道路や橋の開通、海開き山開き。「オープン記念」や「開通」に、いても立ってもいられない「物見高い人」は多い

・「福袋」の奥義とは、「もしかしたら大もうけかも」→「やっぱり損した」→「ちっきしょう」→「でも自業自得ね」→「ま、正月だからいっかあ」。この揺れ動く心模様が、人をまたひとつ大人にする

・同じ目標物を手に入れようとする人間が行列をつくる時に、そこには闘争心とある種の連帯意識が生まれる。誰よりもいい席を獲りたい、君たちには負けないぞという気持ちと、価値観を同じくする者としての仲間意識が交錯する

・「コチョウラン」が「最も高価」な花であるがゆえの宿命なのか、それともそんな「高価だけど下品」な人たちに、いたく気に入られてしまったから「コチョウラン」が「高価な花」になったのか

・日常生活の価値規準とはズレたところに、「幸せ」を見る、特殊な人たちが群れ集う「別天地」には、無防備に心を開いてしまう「無邪気」の異常さがある

閉じた小世界の異常な常識は、自白のもとにさらされると、やっぱり理解しがたい「謎」なのであり、その「異常な常識」を「異常」と自覚できない住人たちの危ういバランスはモロい。つけ入るスキだらけ



本書が書かれたのは、ほぼ20年前です。この20年で、ネット化が進み、信仰の現場は、リアルの場所から、ネットの中の場所へ、急速に移ってきています。

しかし、ネット社会になっても、「信仰の本質」は、何ら変わっていないように思います。ネットの世界とリアルの世界のバランスを守ることが、今の時代、一層求められてきているように感じます。


[ 2013/03/23 07:00 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『儒教とは何か』加地伸行

儒教とは何か (中公新書)儒教とは何か (中公新書)
(1990/10)
加地 伸行

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日本、中国、韓国は、いがみ合うことが多いですが、官僚制度、家族制度、教育制度など、そっくりなものが多いのも事実です。もし、日中韓を一括りに表現するとしたら、それは「儒教文化圏」という言葉が適切だと考えられます。

中国で生まれた儒教が、われわれの生き方や行動の規範になり、ある意味、儒教に縛られて生きています。この縛られている「儒教とは何か」を知らなければ、国際的な視点に立って、物事を考えられないように思います。

本書は、非常に深い内容の書です。合点がいくこと数多くありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。


・明治初期に姓を持った後、しばらく女性は生家の姓を用いていた。しかし、民法が公布された明治31年以後、夫の家の姓を用いるようになった。中国、韓国、明治31年以前の日本で、妻が生家の姓を名乗ったのは、儒教における「同性不婚」の原則によるもの

・仏教では、死後、霊魂は成仏するか、転生する(再度生まれ変わる)かどちらか。成仏していれば、下界の者が供養する必要はない。転生していれば、霊魂はもはや存在しない。お骨は肉体を焼いた残骸にすぎない。単なる物を崇めることは、仏教的には無意味

・中国の人々は、インド流の「この世は苦しみの世界である」、キリスト教の「人間は原罪を持つ」などとは絶対に考えなかった。それどころか、中国人は、この世を楽しいところと考えた。ここが、酷烈な環境のインド人や砂漠の中近東の人と決定的に異なるところ

・中国人の思考は、漢字ならびに漢字を使った文章による。漢字は表意文字。表意とは、物の写し。物の写しだから、先に物がある。「はじめに言葉(神)ありき」ではなくて、「はじめに物ありき」。中国人にとって、現実とは、物に囲まれた具体的な感覚の世界

・中国人は現実的、即物的。この世に徹底的に執着する。特に金銭への執着は物凄い。こうした感覚の中国人にも死が必ず訪れる。中国人は、死後、この世に帰ってくることができることを最大願望とした。その願望に、納得いく死の説明をしたのが儒家

・儒家が考えたのは、精神の主宰者(魂)と肉体の主宰者(魄)が一致しているときが生きている状態、魂と魄が分離するときが死の状態。すなわち、呼吸停止(心臓死)が始まると、一致していた魂と魄が分離し、魂は天上に、魄は地下へと行くのが死

・祖先の祭祀(招魂再生の儀礼)を続けるには一族が必要になる。儒家は、「1.祖先の祭祀」「2.父母への敬愛」「3.子孫を生むこと」。これら三行為をひっくるめて「孝」とした。父母への敬愛だけを孝とするのは誤り

・孝の行いを通じて、自己の生命が永遠になる。そう考えれば、死の恐怖も不安も解消できる。永遠の生命こそ、現世の快楽を肯定する現実的感覚の中国人が最も望むもの

・儒には、王朝の祭祀儀礼・古伝承の記録を担当する知識人系上層と祈祷や喪葬を担当するシャマン系下層がいる。今日においても事情は同じ。日本における新興宗教のほとんどは、民衆の淫祀邪教(祈祷師、拝み屋)への願望とエネルギーに基づいて起こる

・鎌倉時代から江戸時代にかけて政権を握ったのが武士階級(武官)。この武官が文官向きの儒教的教養を身につけた。この点が、日中の儒教理解の相違の一つである、「孝」より「忠」の重視となっていく

・中国人に道教(現世利益を得られる宗教)が広まった結果、昼(公的)は儒教、夜(私的)は道教というようになる。「儒教」(子孫の祭祀による現世への再生)「道教」(自己の努力による不老長生)「仏教」(因果や運命に基づく輪廻転生)と理解(誤解)していく

・中国の仏教は、結局、自力のと他力の浄土思想(阿弥陀如来の本願にすがれば浄土へ行ける)が残る。自力の禅は、老荘思想の超世間、脱俗、自然重視の考えと結びつく

・宗教性を持つ儒教から礼儀性の強い儒教への方向は、寺院が、キリスト教を禁ずる目的の檀家制度によって葬式を一手に握った江戸時代に色濃くなる

朱子学とは、儒家が唱えた、宗教性(死の不安、生命論としての孝)と礼教性(家族論、政治論)の上に、哲学性(形而上学、宇宙論)を重ねたもの

・仏壇は、仏教本来のものではなく、儒教における廟・祠堂のミニチュア。香を焚き祖霊に祈るのも儒教の招魂儀礼。墓を建てることも墓参りも仏教はしない。本来は儒教。しかし、日本仏教は、墓参りに、お彼岸やお盆の日を選ぶ

・現代日本でも、政治倫理が強く求められる。すなわち、政治家的力量や行政官僚的能力よりも清潔な道徳家であることを求める。これは伝統的な儒教的なお上像。こうしたお上に対して、べったり甘えてぶらさがるのが、われわれ儒教的民衆


われわれ日本人の考え方は、もともとの土着的なものに、中国の影響と歴史的な政治体制の変遷が加わり、徐々に形づくられてきたものです。

現代の急激な変化の中で、その考え方が崩壊しつつあります。そのとき、何を捨て、何を残すかは、本書のような本を読み、じっくり考えていく必要があるのではないでしょうか。


[ 2013/03/22 07:02 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『目に見えないけれど大切なもの』渡辺和子

目に見えないけれど大切なもの―あなたの心に安らぎと強さを (PHP文庫)目に見えないけれど大切なもの―あなたの心に安らぎと強さを (PHP文庫)
(2003/11)
渡辺 和子

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著者の渡辺和子シスターは、ノートルダム清心学園理事長で、「置かれた場所で咲きなさい」が、大ベストセラーになっている方です。本書は10年前の著書です。

著者が、キリスト教の洗礼を受けたのは、「二・二六事件で、青年将校に、陸軍中将の父が射殺される瞬間を幼児期に目撃した」忌わしい過去からです。それらの体験を乗り越えてきた言葉には、重みがあります。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・恩師は、教職を始める私に、「忘れられて喜べる教師になれ」と言われた。それは、(困った時に思い出され、用が済めばすぐ忘れられる)雑巾のようになれということだった

・「ありのままの自分」と「ありもしない自分」との間のギャップが大きければ大きいほど、隠すものが多くて疲れは激しい。それはちょうど、よそゆきの着物を一日中着ていて、家に戻って脱いだ時に感じる疲れである

・強い者が弱い者に、持てる者が持たざる者に、上から下へ施すのが、思いやりではない。それは、不完全な者同士が、支え合う人間本来の姿。私たちは、この大切なことを忘れてしまっている

・愛の反対は憎しみではない。愛の真反対は、愛の欠如、つまり無関心。今や「自動化」の文明所産は、自分だけで生きていける世界を作り、他人への無関心を育てつつある

・人は誰も、自分が持っていないものを、他人に与えることはできない。教師は子供たちの先を常に歩むこと。教科においても、人格においても、自分の教育に責任を感じ、情熱を持ち、自らも生活習慣を身につける闘いを辞さない教師でなければ、教育は成立しない

・他人に迷惑をかけ、我意を通す「わがまま」も困ったものだが、他人の存在を無視して、自分のしたいことをする「わがまま」にも無気味さを覚える

・子供たちの主体性を重んじる教育ということがよく言われるが、現実には「したい性」放題になっている。子供たちが真の自由になるためには、したいことを我慢し、自分に「待った」をかけて、しなければならないことを先にする「自分」を育てていくことが大切

・愛にも成長がないといけない。それは、一体化を願い、相手の世界を知り尽くしたいという愛から、徐々に脱皮していくこと。相手に独自の世界を許し、別人格同士の間に生じる心理的、物理的距離を認め、それに耐え、その距離を信頼で埋めていく愛と言っていい

・自分の心にゆとりができて、初めて、他人を自分の欲望や欲求を満たす道具、手段と見る心から解放される。他人を、一人格として見る心のゆとりを持つ時、初めて、他人の尊厳に対して、目が開かれる

・人間関係を和やかにするのに、「の」の字の哲学というのがある。ただ「悲しいの?」「苦しいの?」と受けとめること。慰めなくてもいい、ただ、傍にいてあげればいい

・許すということは容易ではない。しかし、許すことによって、相手の支配から自由になり、自立をかち得る。自分の時間を、他人の支配にまかせていては、もったいない

・病気の時には病気になりきること。つまり、そのものと一体となって、そのものの存在から解放され、自由になる

・相手の問題をすべて理解したと思った瞬間から、それは、相手を「自分の枠の中」にはめ込むことになり、そこに、相手への尊敬が失われることになる。相手の感じていること、思っていることを理解し尽くすことは不可能という認識が必要

・利己主義、自分主義に走りがちな自分を戒め、自他の権利と義務を弁えた成熟した個人主義者に成長したいと願うこと

・相手の意見を検討するには、まず自分なりの意見、判断を持っていなくてはならない。さらに、自分の考えのみが正しいとは限らないという謙虚さと、他人には他人の考えがある、という相手の人格への尊敬も必要

・すべての人に共通な「生きる勇気を与えるもの」とは、その人の存在には意味があるという確信。自分が自分の人生に意味が見出せる時、そこには生きる勇気が生まれる

・「自由であること、立ち上がって一切をあとにして去れること。しかも、ただ一目も振り返らずに。“よし”と言えること」「人生に“よし”と言うことは、同時に自分自身にも“よし”と言うことでもある」(ダグ・ハマーショルド)

・「苦しいから、もうちょっとがんばってみよう。苦しいから、もうちょっと生きてみよう」と自分に呟いて、生き続けてみること


本書には、安らかに生きること、自由に生きることだけでなく、強く生きること、前向きに生きること、立派に生きることの大切さが書かれているように思います。

著者は、芯の強さを求めているように感じられました。みんなが、芯の強い人間になれないと、この世が、安らかになり、自由になることはないということかもしれません。


[ 2013/03/21 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『悩みのコントロール術』東山紘久

悩みのコントロール術 (岩波アクティブ新書)悩みのコントロール術 (岩波アクティブ新書)
(2002/12/05)
東山 紘久

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東山紘久氏の著書を紹介するのは、「プロカウンセラーの聞く技術」に次ぎ、2冊目です。
著者は、心理学者で、京都大学副学長まで務められた方です。しかし、文章はいたって平易で、誰でも簡単に読めます。

本書は、カウンセラーの立場から、「カウンセリングを受けなくても、悩みをコントロールできる」術を伝授するものです。ためになった箇所が数多くありました。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・食料がなければ悩み、行き渡ると、太り過ぎに悩み、ダイエットの失敗に悩む。人間は、悩む必要のある動物

・われわれの周りは二律背反の原理、「あちらを立てればこちらが立たず」によって、成り立っている。人間は「どちらも立てたい」と考える動物。どちらか一方を受け入れるか、捨てるかすれば、悩む必要がないが、なかなか心がそうならない

・「分離は成長への過程」。成長するためには、分離が必要。胎児は母親の子宮から出て、乳児は幼児になるとき乳離れし、学童になれば、ある時間家を離れ、大人になると、親から独立し、老年になって社会から引退し、最後はこの世と別れる

・別れがスムースにいくための要件は、「別れる前の時期が充実していること」と「過渡期(さなぎの時期)にじっくり時間とエネルギーをかけること」

・悩むときに悩んでいないと、心は成長しない。悩むことは成長につながる過程。この成長への移行期をじっと見守ってくれる人が傍らにいてくれると最高

・手術のように痛みを伴うものは、苦痛に耐えられないから眠らせる。心の苦痛も、それに耐えられないときは、眠るのがいい

・人間は「自分に不利な本当のこと」を言われると、不快になる。怒りがこみ上げる。「相手を怒らせては駄目」とも言えるが、「相手が怒ればこちらの勝ち」とも言える。それは、相手の不利な真実(弱点)が、こちらに分かるから

・助言の一つは「知恵」を伝えること。知恵の助言は、タイミングと人間関係に左右される。もう一つの助言は「展望」を与えること。悩んだときに、占いに頼る人が多いのは、展望が欲しいから。腑に落ちる展望は、心を安らかにする

・自己イメージと他者からのイメージに乖離が大きいと、人間関係に障害が生じる。「自分は誤解されやすい人間」と感じる人は、自己イメージと他者からのイメージに乖離がある

・思い込みを防ぐ一番有効な手段は、自分の意見や見方に相手が反論してきたとき、さらなる反論をしないこと。むきになって反論したくなるときは、どちらかに思い込みが大きいとき。相手の思い込みが大きいときは反論しても、相手は聞く耳を持たない

・傷つきは誤解から生まれる。理解されると誤解がなくなる。誤解がなくなると傷が癒される。しかし、心の容器に傷がついていると、いつまでたっても悩みは解決されない

・大人が子供の気持ちを先に理解してこそ、子供は育つ。子供っぽい親に育てられた子供は、成長とともに苦労する

・プライドを自ら下げることができた人の多くは、「開き直った」から。「開き直る」のは、自分の現実の姿を見ることができ、それを受け入れたとき

・人間は、似た者同士は理解しやすく、違う者同士は魅力がある。これを反対から言うと、似た者同士は魅力が少なく、違う者同士は理解しにくいということ

・悩みを深めることは、人間を成長させること。人間が成長するということは、度量を大きくすること。度量を大きくするとは、自分と異なる人や考え方を受け入れること。自分と異なる人や考え方を受け入れるためには、自分自身を知ることが必要

・多くの発明者や先駆者や作家や哲学者は、ほとんどすべての人が内向的な人。他人の基準や常識的な考え方では、創作や発明はできない

・子供の欠点や短所を話す親に会うと、その欠点・短所は、そっくりそのまま親のそれ。自分の欠点に気づいていないとき、人間は相手のものと思ってしまう

・「信じる」という行為は、暗示と学習から成り立っている。「信じる」は「裏切られる」と対になっている。初めから敵だと思っている人からは、裏切られたという感じはない



著者は、本書の初めに、「悩みとは、向上したい思い。人間は欲張り」と述べられています。このように、悩みを肯定的にとらえると、悩みは人間が成長するための手段かもしれません。

悩むのはつらいけれど、その悩みを深めることでしか、ステップアップしていかないように思います。悩みといかに上手につきあうかが、その人の技能になるのではないでしょうか。


[ 2013/03/20 07:02 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『時間をお金で買う技術―成功者だけがひそかに実践している』鬼塚俊宏

時間をお金で買う技術―成功者だけがひそかに実践している時間をお金で買う技術―成功者だけがひそかに実践している
(2011/02/22)
鬼塚 俊宏

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料理する手間と時間を省くために、外食します。買い物の手間と時間をなくすために、ネット通販を利用します。その手間と時間に対して、客がお金を支払うことによって、サービス業は成り立っています。

私たちは、知らず知らずのうちに、時間をお金で買っています。本書は、仕事でも、「時間をお金で買えば、成功するよ」というものです。

その成功の秘訣はどういうものか、成功者が実践している例が記載されています。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「必要なことに、お金を惜しまずに使えるか」が、今、その人の成功を決める最大の要因。そして、中でも、何に最もお金を使うべきかと言えば、それは「時間」

目標を数値化することから時短は始まる。行き先が決まるから、進むべき道も決まる

・「頑張れば何とかなるかも」と考えてしまう目標を持つより、不可能なほど高い目標を持ってしまえば、人は根本的に仕事のやり方を見直す

・「自分でやらなくてもいい仕事」について、「お金を払ってもいいから、短縮できないか」を考える

・自分の働きが、そのまま売上に直結するような仕事に集中して、それ以外の業務を時短の対象とする

・「苦労してこそ身につく」ものは削ってはいけない

・最も効果の高いショートカットは、「人の経験を買うこと」。セミナーや書籍は、他人の10年なり20年なりの経験を、数時間で追体験できる

・自分よりも知的水準の高い人が集まっているセミナーに参加したほうがいい。朱に交われば赤くなる

・セミナーは「人軸」で探したほうが即効性があり、ハズレの可能性も低くなる。自分の都合のいい時間でセミナーを探す「空き時間軸」のセミナー選びは、時短どころか、かえって貴重な時間をムダにする

・本は、戦略的に買ったほうがいい。目的を明確にして、その領域に関連した本だけを決め打ちして買う

・他の人が持っていない情報だからこそ、成功への道のりをショートカットできる

・時短に成功する人の条件は「グータラ」であること。「グータラ」のほうが、その分野のエキスパートにお願いすることに抵抗がない

・世の中のたいていの仕事は、専門家にアウトソーシングしたほうが圧倒的に速く、質も高い

・「頑張ろう」と思う前に、「どうしたらラクができるか」を考える。すると、意外なほどに、その方法が身近に転がっている

・時間を有効に使うには、自分がいる場所が常にオフィスになるのが理想。座って作業ができる場所さえあれば、いつでもどこでも仕事ができる状態がいい

・仕事がうまくいくかどうかは、どれだけ真剣に、そのための方法を考え抜いたかにかかっている。つまり、考える時間に、どれだけ投資できるかが重要となる

・スケジュール管理において、まず、最初に決めるべきは、自分の目指すべきゴール

・時短のために、スケジュールを回していく単位として、最も効果的なのが「四半期」と「1週間」と「1日」の組み合わせ

・緊急度と重要度で優先順位をつける。緊急度も重要度も高い仕事は、できるだけ午前中にする。そうすると、昼から気分的にラクになる

・「短時間で終える」「決めた時間どおりに終える」という意識が何より大事

・休日にはなるべく、情報のインプットしかやらない。自分を磨くための知的情報の入力で、仕事はいっさいやらないこと



仕事の時間短縮で、最高の方法は、その仕事をやらないということです。やらないようにするには、本当にやめるか、他者にふるか、他者に頼むかです。

そうすることで、もっと頭を使う仕事に、自分をもっていく人が成功する人です。本書には、その方法論が書かれています。忙しいが口癖の人に読んでほしい書です。


[ 2013/03/19 07:01 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『情報を読む技術』中西輝政

情報を読む技術情報を読む技術
(2011/01/06)
中西輝政

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中西輝政京大教授の本を紹介するのは、「本質を見抜く考え方」に次ぎ2冊目です。国際政治学者としての歴史に基づく鋭い指摘は、今のアジア情勢を考える上で、勉強になります。

最近、マスコミにあまり出られないだけに、本書の論評は貴重です。情報に対する態度など、参考になる点が多々あります。それらを一部要約して、紹介させていただきます。



・中国4000年は異民族による侵略の歴史。同一民族が築いてきた歴史が中国にはない。そのせいか、国際問題を力の相対関係としか見ずに、相手が与しやすいと見れば、力づくで強硬な主張をする。自分の利益を拡大すること以外の原則は存在しない

・相手の「本気度」を、それが「はったり」なのか「本気」なのか見極める必要がある。例えば、中国など東アジアの国々は、何の準備もなく、根拠もなく「カラ脅し」をかけてくる。「カラ脅し」の文化は、ラテン諸国にも多く見られる

・「ふっかけ文化」の御三家は、ギリシャ、イタリア、スペイン。ところが、北ヨーロッパへ行くと、ドイツは「正札文化」。ドイツ人は、言葉通り受け止めなければならない相手

・ウエブ空間は、外国の秘密工作によって、大衆の心理操作を容易にする怖い媒体。ニセ情報でも、やすやすと一般庶民に直接届き、活字と違い、すぐ消えるから、追跡しづらい。

・ある人間について知るときは、まずその人の「育ち」に関する情報を集めること。イギリス情報部は、人間のつながりと、個々の人間のプロファイリングを、この200年間徹底して積み重ねている。人物情報は「真実」と「嘘」を仕分けるときの大切な資料となる

・歴史をひも解くと、優れたリーダーは、例外なく悲観論者。前向きのことを言えば、人気は高まるが、国の舵取りを誤る。だから、あえて黙して悲観主義に徹する

・利害が絡む間柄では、「便りがないのはいい便り」ではない。相手の沈黙は、むしろこちらの知らないところで何かを企んでいる「暗黙の情報」と読んで、動向を注視すること

・左翼やリベラル派の「原理主義者」たちは、「どうあるべきか」については大変視野は狭いが、「どうするべきか」については、立ち回りがうまく、巧みに選択の幅を広げる

・情報を正しく読むには、相手が何を「隠そうとしている」かの視点も大事。前後関係のないことが突如進行し始めたら、別の件を隠すための「目くらまし」のことがよくある

・中国にも、受けた恩義は忘れないという一面があるが、あくまで実利がある間だけのこと。「水が飲める間だけは、井戸を掘ってくれた人のことを忘れない」だけ

・日本のマスコミは、物議をかもす情報にはフタをする。しかし、報道機関として「事実を報じている」アリバイが必要。そのとき、彼らはベタ記事扱いにして、ことをすませる

・一度、強いブームや単純なフレーズに与してしまうと、それ以上考えなくなるのが人間

・ユダヤ人の世界には、「全会一致は無効」というルールがある。圧倒的支持を受けているものへの「警戒心」が、情報の本質を見抜く視点を養う

・人間には、ものごとを誇張するクセがある。一度、一つの方向に可能性を見出すと、一気にすべてをそこに賭けてしまうのは、古今東西、人の常

・「わかりやすさ」を演出するためには、「わかりやすい悪人」が必要

・海外の学者は、必ずと言っていいほど、「日本は知的社会に通信簿がない国」と指摘する

・「100年に一度、決定的な嘘をつくために、99年間は本当のことを言い続けよ」が、イギリスの国家戦略の伝統

・戦略として最も優れているのは、最低限のコストで相手をこちらの思い通りに動かすこと。軍事力や経済力のない弱者にとって、情報は最大の武器となる

・「相手を動かすため」という、根本目標を常に忘れずに情報を活かした者が、最も効果的に相手を制する

・歴史上の人物が遺している処世訓に、いまなお、欧米人は大変貪欲

・新しく立場が変わった人の言葉遣いを注意して見ていれば、その人が新しい環境にどのように影響されているかが見えてくる。これも、大事な情報の一つ

・「それ行けドンドン」や「石橋を叩いても渡らない」は、いずれも堕落、精神の劣化



情報を鵜呑みにせず、出どころを確かめ、裏を読み、嘘、誇張を見抜く姿勢が、人と交渉する人に求められています。

日本人同士の小さな内集団の中では、そういう必要はありませんが、海外の人たちと接していくためには、「情報を読む技術」が、必要不可欠なのかもしれません。


[ 2013/03/18 07:02 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『大便通・知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌』辨野義己

大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌 (幻冬舎新書)大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌 (幻冬舎新書)
(2012/11/30)
辨野 義己

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著者は、今までに、世界各地から6000人分の大便を集め、観察して、腸内細菌を数々発見されてきた研究者です。

まさに、大便のプロ、つまり「大便通」です。世界的に見ても珍しいウンチの大家である著者が、大便についてのウンチクを披露されているのが本書です。興味深い点が多々ありました。それらの一部を紹介させていただきます。



・大便の大部分は水分が占めている。下痢の場合は90%以上が水分だが、普通の健康な大便でも重量の80%は水分。どんなに硬くても、その半分以上は水

・大便の固形成分の3分の1は食べカス、3分の1は腸粘膜のはがれカス、残る3分の1が腸内細菌

・水分を除いた大便1gの中には、6000億個~1兆個もの細菌が含まれている。しかも、すべてが同じ細菌ではない。腸内に棲息する細菌は1000種類以上と考えられている

・口から肛門までつながる消化管は、全長8~9m。胃に入った食べ物は、1食分およそ4時間かけて、小腸(全長6~7m)に送り込まれる

・小腸の役割は消化と吸収だけではない。外部から侵入した異物に真っ先に反応し、免疫活性化の臓器として機能する。そのため小腸の働きが弱まると、風邪をひきやすくなったり、疲労が溜まりやすくなる。どんな動物も、小腸に病気を抱えると、長生きできない

・小腸から大腸に送り込まれる内容物は、1日に約600ml。大腸では、そこから水分とミネラルを吸収し、マグネシウム、カルシウム、鉄などを排泄する。それが大便として排泄されるまでの所要時間は、約12時間~48時間

・大腸を通る内容物には「発酵」か「腐敗」かのどちらかが起きる。どちらも微生物による分解作用だが、人体に有益なものが「発酵」で、有害なものが「腐敗」

・「臭い」がきつくなるのは悪玉菌の特徴の一つ。肉をたくさん食べる人の大便によく見られる。オナラに含まれるガスの成分は、腸内に悪玉菌が少ない場合は、窒素、二酸化炭素、水素、メタンガスが大半を占めている。これらは、臭いはほとんどない

・典型的な大便の色は、黄土色や茶色。これは脂肪の分解・吸収に使われる胆汁による色づけ。肉を食べすぎると、悪玉菌が増殖して腐敗が進み、大便は黒っぽくなる。そんなに肉を食べていないのに、黒色の大便が出たとしたら、腸内での出血を疑ったほうがいい

・大便は、便意をもよおしたときに出すのが一番。ただし、排便を促す直腸の蠕動運動は、1日に1~2回程度しか起きない

・下剤を使っても2週間に1回しか大便が出なかった女性たちに、ヨーグルトを毎日300gずつ食べさせたら、効果てきめんだった。およそ1週間程度で、大便が出るようになった

・大便がたくさん出れば、有害物質もそれだけ体外に排出される。とくに食物繊維は、ほかの食べカスよりも有害物質を効率よく吸着するので、おなかの中を掃除してくれる

・死亡数1位はがんで30%。そのがんの中でも、男性は肺がん、胃がんに次ぎ、大腸がんが第3位。女性は大腸がんが第1位。大腸がんは顕著な増加傾向を見せている

・精神的ストレスによる下痢や便秘に悩んでいる人は、「過敏性腸症候群」の疑いがある。腸内に悪玉菌が多いところに、ストレスが加わり、善玉菌が減って腸内環境が悪化する

・肥満の人は、痩せている人よりも腸内細菌のバクテロイデス類が少なく、ファーミキューテス類が多い。腸内細菌の種類によって、人間が太ったり痩せたりする

・あまり息むことなく、ストーン、ストーンと楽に出ることも「良い大便」の条件。また、便器の底に沈むような便は水分が少なく、あまり健康的でない

・大便をチェックするときの重要なポイントは「色」と「臭い」。色は黄色がかった褐色がベスト。これは腸内にビフィズス菌が多い証拠。悪玉菌が多い大便は、思わず息を止めてしまうような腐敗臭を発し、黒みが強くなる

・「ヨーグルトをトッピングしたサツマイモ」は、理想的な大便を出すのに、もってこいのメニュー。サツマイモは、ヨーグルトに欠けているビタミン類、カリウムや食物繊維を多く含んでいる上に、ナトリウムの抑制作用もあるので、高血圧の予防にも役立つ


本書を読むと、大便は健康のバロメーターになるとともに、簡単にチェックできる、大変便利なツールであることがわかります。

ストレス、風邪、疲労、肥満といったものだけでなく、がんのチェックにも大便の観察が有効なようです。大便通になることが、健康通になる近道なのかもしれません。


[ 2013/03/16 07:03 ] 健康の本 | TB(0) | CM(0)

『ドイツ流街づくり読本・ドイツの都市計画から日本の街づくりへ』水島信

ドイツ流街づくり読本 ドイツの都市計画から日本の街づくりへドイツ流街づくり読本 ドイツの都市計画から日本の街づくりへ
(2006/07/06)
水島 信

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なぜ、ヨーロッパの街並みがきれいなのか?日本は、なぜ汚くなっていくのだろうか?その原因を、表面的な問題ではなく、本質的な問題にまで遡って、言及しているのが本書です。

ドイツ在住40年、ドイツで建築家となった著者の発言には、感心させられることが多々あります。これらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・傾斜地にひな壇の造成をすれば土砂崩れが起きる。森林を伐採すれば鉄砲水が起きる。堤が堤防になれば川の水は再生能力を失う。自然の理に適わないことをすれば、必ずしっぺ返しに遭うという当たり前のことに気づかなくてはいけない

・住宅建設であれ、都市という環境をデザインすることであれ、環境の変化を生じさせる行為をする場合、その連鎖反応をできるだけ自然の摂理にあった形で収めることが重要である

・魅力のある町(伝統のある町)は、一朝一夕で出来上がらない。そこに住む人たちが日頃から街を愛する努力の積み重ねと、時代という貴重な時間をかけて出来上がったもの。街並みの魅力とは、目を凝らせば、時代の知恵や工夫が随所に発見できるところにある

・何が自分たちの今に必要なのかを常に見つめながら、いくつもの世代を生き抜いてきた「質」に、現在の自分たちの「質」を加え、次の世代へ引き継いでいこうとする行為。無意識のうちに行われ続けてきたその痕跡が、街の風格をつくりあげる

・都市環境の貧しい町が日本に多い原因は、都市や街並みを形成する単位である建物の、それも新しい建物の質の悪さにある。それと同時に、環境も含めた建設工法の経済効率のみを優先させた文化程度の低さに、その原因を見出すことができる

・住民の自分の街に対してのアイデンティティーにも問題が含まれている。街づくりの第一歩は自分の街を好きになること。そのためにはまず、正負を含めての自分の街の特質を知ることから始まる

・ドイツでは、自分の権利を主張するところは主張するが、共同体に住む義務の「公共の利益」では、個人の権利に限界があると認識されている。共同体の消滅は、その共同体に属する自分の存在の消滅を意味し、自由も権利も全く意味をなさないということになる

・日本においては、古いものを、建物でも自然のものでも、破壊することに抵抗がなく、「今まで流れてきた時間の積み重ねをその時点で切り捨ててしまう」という行為が、歴史的に鑑みて犯罪的であるとは誰も考えていない

・駅には終着駅型と通過駅型の二通りの形がある。終着駅型は、市街地の中心にまで入り込み、中心街には便利だが、発着用の線路が複数必要なため、市街地に楔を打ち込む形になり、中心地区周辺の発展にはマイナスの影響を与える

・道路を通せば街が活性化するといった前時代的教条は、逆の効果しかもたらさない。街の活性化は、机上で考える利便さにはなく、便利さを我慢しても生活環境が快適になり、街の表情にゆとりが生じること。その政策を行うべきことにヨーロッパは気づいている

・路は都市のストラクチャーを決定する大きな要素であるが、鉄路・水路・道路・空路は移動・輸送手段の機能の違いこそあれ、目的地までの前進運動の手段要素にすぎない

・そこに住んで楽しく生活できる環境をつくりあげてきた結果、美しい街並みが出来上がり、その結果、街に活気が戻り、街そのものが住民以外にも魅力的に生まれ変わることで観光客が集まる。自分が好きになれない街は、他人も好きになるはずがないことの証明

・水路は時によっては都市交通の障害になることもあるし、水害という生活そのものに被害を与えるリスクももちあわせている。しかし、活用の仕方によっては、都市核の個性化を引き出し、中心市街地の景観に特性を与える

・ドイツでは、まず、他人に批判されたくない「わが町の汚点」を調査、分析して、その改善策を考えるという過程を必ず踏む。そして、都市の中の弊害が取り除かれた時点で、新たなる計画を提案するという展開が通常である

・日本では、町の欠点を指摘して、改善策を提案しても、批判をした時点で、話を最後まで聞いてもらえない。ドイツの事例をもって提案すると、「理想はそうかもしれないが、現実は違う」という反応をたびたび受ける。しかし、その「違う」に明確な説明がない



10年ほど前、ドイツや北欧の市役所を訪問し、街づくりについて質問したことがあります。そのとき、役所の担当者が言われた印象的な言葉は、「住みやすい町は、景観・緑地・水・出会い」でした。(本書を読み、「歴史」も重要だと感じました)

そのとき気づいたのは、住民が快適に感じることを行ったら、環境によい都市になっていったということでした。生活者が住みよい環境を整えること、この視点がないまま、日本の都市計画がなされているように感じます。

本書は、日本に欠けているもの、日本が学ぶべきことを提言する貴重な本ではないでしょうか。


[ 2013/03/15 07:01 ] 海外の本 | TB(0) | CM(0)

『人生というもの』夏目漱石

人生というもの (PHP文庫)人生というもの (PHP文庫)
(2007/07)
夏目 漱石

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夏目漱石の本をとりあげるのは、「二百十日・野分」に次いで、二冊目です。本書は、夏目漱石の名言・箴言集です。

夏目漱石は、小説の中で、自己の思想や哲学を忍ばせています。それらを掘り出したのが本書です。その発掘した名文の一部を要約して紹介させていただきます。



・鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがない。平生はみんな善人である。少なくとも普通の人間である。それが、いざという間際に急に悪人に変るから、恐ろしい。だから油断できない (こゝろ)

冷淡は、人間の本来の性質であって、その性質を隠そうと努めないのは正直な人である (吾輩は猫である)

愛嬌というのは、自分より強いものをたおす柔らかい武器。無愛想は、自分より弱いものをこき使う鋭利なる武器 (虞美人草)

・人間は、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいもの (三四郎)

・昔から何かしようと思えば、大概は一人ぼっちになるもの (野分)

世間の道徳に加勢するものは、一時の勝利者に違いないが、永久の敗北者である。心の自然に従うものは、一時の敗北者だけれども、永久の勝利者である (行人)

高等遊民は、家庭的なものです (彼岸過迄)

・自己の力量によらずして成功するは、士のもっとも恥辱とするところ (野分)

・今の世に合うように、上等な両親が手際よく生んでくれれば、それが幸福。しかし、出来損なったら、世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はない (吾輩は猫である)

・世間には、大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していない者が大分ある。そういう呑気な料簡で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにしてみせるのと騒いでいるから驚く (坑夫)

田舎の精神に、文明の教育を施すと、立派な人間ができるのだが (二百十日)

・住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有難い世界を目の当たりに写すのが詩である、画である。あるいは、音楽と彫刻である (草枕)

・いやなのは東京の言葉。むやみに、角度の多い金平糖のような調子を得意になって出す。そうして聴手の心を粗暴にして威張る (虞美人草)

・世の中には、頭のいい立派な豆腐屋が何人いるか分からない。それでも生涯豆腐屋さ。気の毒なものだ (二百十日)

・世間は偉大かもしれない。僕が負けるのだから。けれども、大概は、僕よりも不善不美不真だ。僕は彼らに負かされる正当な理由がないのに、負かされる。だから、腹が立つ (行人)

・相当の地位をもっている人の不実と、零落の極に達した人の親切とは、結果において、大した差異はない (それから)

・貧民にあくせくした活動はつきもの。働いておらぬ貧民は、貧民たる本性を遺失して、生きている貧民とは認められぬ (琴のそら音)

・女には、大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても、自分だけに集中される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われる (こゝろ)

・女が偉くなり過ぎると、こういう独身者(男)がたくさん出来てくる。だから、社会の原則は、独身者が出来ない程度内において、女が偉くならなくては駄目 (三四郎)

・子供さえあれば、大抵貧乏な家でも、陽気になるものだ (門)

・ただの人が作った人の世が、住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば、人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は、人の世よりも、なお住みにくかろう (草枕)



夏目漱石が探求した人生というものが、本書に満載されています。夏目漱石の苦悩は、現代人の苦悩に共通したものが多いように思われます。

言い換えれば、夏目漱石に、ようやく現代の日本人が追いついてきたのではないでしょうか。夏目漱石は、百年も前に、現代人の苦悩を背負っていたのかもしれません。


[ 2013/03/14 07:02 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『情報の文明学』梅棹忠夫

情報の文明学 (中公叢書)情報の文明学 (中公叢書)
(1988/06)
梅棹 忠夫

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本書のもとになったのは、1963年に梅棹忠夫さんが発表した「情報産業論」です。テレビが登場してすぐに、今日の放送文化、情報文化を予言されていました。

本書は、1988年発刊の書ですが、ネット時代の現在でも、古さを感じません。そういう意味で、梅棹忠夫さんが天才だったことを改めて認識する次第です。

情報とは何か、情報産業とはどういうものか、著者が考える中で、今でも新鮮に感じる記述を、一部要約して紹介させていただきます。



・教師の社会的存立を支える論理とは、教育内容の文化性に対する確信以外にない。こうみるならば、放送人も一種の教育者である。仕事に創造的エネルギーを注ぎ込んでも、その社会的効果を検証するのは困難である

・新聞人は、本質的に報道者であるが、放送人は、本質的に報道者ではない。むしろ興行者に近い。テレビは速報性をもちながらも、報道が中心になることはない

・放送人は、新しい開拓地に独特の文化を樹立しつつあるパイオニアたちである。偉大なるアマチュアこそ、フロンティア・インテリゲンチャの特性である

・フロンティアの自由を満喫した初期の放送人たちも、やがてだんだん窮屈になってくるであろう。官僚的セクショナリズム人間関係の系列化は、どこからでも忍びこんでくる

・一定の紙面を情報で充たし、一定の時間内に提供すれば、その紙が「売れる」ことを発見したとき、情報産業としての新聞業が成立した。スポンサーから料金をとる民間放送も、売っているのは「時間」ではなく、その時間を充たす「情報」であるから、原理的に同じ

・情報の内容を言ってしまってから、「この情報を買わないか」ともちかけても商売にならない。だから、情報産業においては、先に金を取るのが原則である

・映画や芝居は、入口で入場料を取る。あれは観覧料であるが、観てからでは金が取りにくいので、入場することで料金をとる。映画や芝居も情報産業であることは明らか

・人類の産業史は、農業の時代、工業の時代、精神産業の時代という三段階を経て進んだ

・農業の時代は、生産されるのが食料であり、消化器系の機能充実の「内胚葉産業」の時代。次に、工業の時代は、人間の手足の労働代行であり、筋肉を中心とする「中胚葉産業」の時代。最後の精神産業の時代は、脳神経や感覚器官の機能拡充の「外胚葉産業」の時代

・需給関係で決まるといっても、情報は、聞くまでが花。一回聞いてしまえばおしまい。原則として、同じものがないし、見込み買いばっかり。そこへ、原価計算の原理を持ち込むと、変なことになる。芸術家の作品料や出演料も同じで、原価計算は成立しない

・情報の価格決定法について、暗示を与える現象は「坊さんのお布施」。価格は、お経の長さや木魚をたたく労働量で決まらない。お布施の額を決定するのは、「坊さんの格」と「檀家の格」。偉い坊さんにたくさん出し、金持ちは、けちな額のお布施では格好がつかない

・ホワイトカラーと呼ばれる人たちの大部分は、実は情報取扱業者

・今日において、農業生産物はすでに食料ではない。それは、食品として、味、香り、形など、多様な情報を満載した情報産業商品である

・生産と労働が、消費と享楽を伴うのではなく、消費と享楽が、生産と消費を導き出す。工業が情報産業への奉仕者となりつつある

・情報の時代には、情報の批評家ないしは解説者が不可欠である。情報氾濫の時代になればなるほど、情報の情報が要求される

・お免状の発行は、一種の巧妙な情報産業。それは、社会的に認知された権威にもとづいている。そして、権威そのものが、もともと極めて情報的なもの。江戸時代の京都の公家は、朝廷の権威を背景に、官位の発行権を独占し、一枚の紙切れの代価で生活していた

・都市は情報の場である。情報の集積と交換の場である。都市の発達は、市場すなわち物質交換の場として発達したという推論は必ずしも正しくない。むしろ、神殿を中心とする情報交換の場として発達した可能性がある

・情報産業の時代は、工業の時代における過剰教育の成果としてできたもの。高学歴者は、いわば、過剰品質人間。今日においては、この過剰品質人間が、社会の情報化を進めている。情報の時代にあっては、国民にいくら高度な教育を施しても、しすぎることはない



情報の時代を、情報産業の時代としてとらえるよりも、精神文化産業の時代としてとらえるべきという梅棹忠夫さんの着眼点に感服します。

「胃腸の時代」から、「筋肉の時代」へ、そして、「脳と感覚器官の時代」への変化を、しっかり認識して、未来を見つめていくことが大切なのかもしれません。


[ 2013/03/13 07:03 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『世界基準の美を目指すビューティ・メソッド55』野村絵里奈、Yukie鮒井

世界基準の美を目指すビューティ・メソッド55世界基準の美を目指すビューティ・メソッド55
(2011/12/14)
野村絵理奈、Yukie鮒井 他

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著者のお二人は、ミスユニバース候補者たちへのスピーチとセルフプロデュースのレッスンをされている方です。

美とは何か、美人とはどういう人なのか、それらを体系化して、まとめたのが本書です。外面的な美しさではなく、内面からにじみ出る美しさの身につけ方について記されています。ためになる点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・日本人は「買わないから申し訳ない」と試着を遠慮する人が多いが、自分の魅力を知るには、まずはいろんな服、それもいろんな形や色や素材を試してみること

・外見美をおろそかにしないことは、相手に対する尊敬の気持ち、つまり「あなたのことを私はこんなに思っています」という気持ちを伝えるもの

・人には、内面に秘めた輝くものがある。それを見つけ、理解し、相手に伝えること。そのためのツールが話し方であり、またファッションであり、メイクアップでもある

・流行のファッションに身を包む、アナウンサーのようにきっちり話す、というのは「表面的な美しさ」。ビューティコンペティションでは、「物足りない美しさ」と見なされる

・個性を主張することを小さいときから教えられている欧米人と違い、制服があったり、一歩引くことを美徳とする日本人は、つねに周りを気づかい、個性を自由に発揮しづらい

・欧米人が、自信満々に自分の能力をアピールできるのは、セルフイメージがしっかりしているから。どのポイントを強調すれば、その会社にとって、自分が魅力的に映るのかがわかっている。見習うべきは「自分への自信

・自信があるとき、人の姿や言葉には説得力が生まれる。人はそれを「オーラ」と言う

・女性の魅力を考えたとき、「」「」「」「」の4つの種類に大きく分けられる。この4つの魅力は本来、すべての女性の中にある。性格や環境によって、ある魅力は大活躍し、ある魅力はあまり出番がないまま、意識されることがなかったというだけ

・日本女性は、周りにどう思われているかを最優先にし過ぎ。自分のイメージを他人に委ねていないで、美の舵取りは自分でするもの

・世界美+日本美+自分美=世界基準の美となる

今日の自分のテーマを作ってみる。自分自身を主役に、今日一日を自由に演出すること

・相手の受け取るイメージはコントロールすることができない。まずは、第三者に直接、自分のイメージを聞き、そこから出てきたキーワードとセルフイメージをすり合わせることで、自分を客観視でき、「見られる意識」が生まれる

・ビューティコンペティションの世界大会で、聴衆にインパクトを与えるには、ステージ上を支配するような「空間支配率」が必要。体が小さい日本人は、コスチュームやジェスチャーで存在感を大きく見せる必要がある

・あらゆる聞き手を想像し、中立を保ちながらも自分の意見を主張できる。そんな感性のバランスのとれた人が「世界一の美女」の栄冠を勝ち取る

・重要なのは、自分に似合うものを知っていること。「あなた×魅力×意外性」で初めてギャップは成立する。「あなた×意外性」ではない

・日本人は、四季を感じる繊細な感性が備わっているのに、「時間帯」を意識する感覚があまりない

・「こうなりたい」という目的意識がなければ、いくつになっても「自分スタイル」のない、ちぐはぐなままになる。将来を見据えた買い物は、時間とお金のセーブにも繋がる

・最近は、日本女性の「かわいい」を「無知」「幼稚」と履き違えている女性が増えている。知性や品性のない「KAWAII文化」が日本女性の象徴として世界に広まるのは残念

・男女の本質の違いから、女性は「自分を笑わせてくれる男性」に魅力を感じ、男性は「自分の話を楽しみ笑ってくれる女性」を好ましく思う

・自己重要感は、自分一人で満たすことが難しい。「君のおかげでうまくいったよ」「あなたがいるから毎日幸せでいられる」など、誰かからの「言葉がけ」が必要とされる



世界大会で選ばれる美は、最終的には個性であるようです。個性を自分の武器(魅力)として、さりげなく上手にアピールすることが、世界を制するのだと思います。さらに、自分の個性が他人に評価されると、自信が増して、さらに美しくなります。

本書を読むと、美とは、内面的なものであることが、よく理解できるのではないでしょうか。


[ 2013/03/12 07:02 ] 営業の本 | TB(0) | CM(0)

『森信三一日一語』寺田一清

森信三一日一語森信三一日一語
(2008/02/28)
寺田 一清

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森信三さんの本を紹介するのは、これで5冊以上となりました。森信三さんは、教育学者としてだけでなく、哲学者として、莫大な語録を遺されています。

何冊読んでも、また新たな言葉の発見があります。今回も新たな発見がありました。それらを紹介させていただきます。



・書物は人間の心の養分。読書は心の奥の院であると共に、また実践へのスタートライン

・手持ちのものを最善に生かすことが、人間的叡智の出発。教育ももとより例外ではない

・上役の苦心が分りかけたら、たとえ年は若くとも、他日いつかどの人間となる

・悟りとは、他を羨まぬ心的境涯

金の苦労によって、人間は鍛えられる

・物にもたれる人間は、やがて、人にもたれる人間になる。そして、人にもたれる人間は、結局、世の中を甘く見る人間になる

・節約は、物を大切にする以上に、わが心を引き締めると分かって初めてホンモノとなる

・人間が謙虚になるための手近な、そして着実な道は、まず紙屑を拾うことから

・芸術品は、あきがこないことが良否の基準。あきがこないのは、人為の計らいがないせいで、天に通じる趣きがあるから。これは、芸術品だけでなく、人間一般にも通じる

・「弱さ」と「」と「愚かさ」とは、互いに関連している。けだし弱さとは、一種の悪であって、弱き善人では駄目である。また智慧の透徹していない人間は結局は弱い

・人間の偉さは、才能の多少よりも、己に授かった天分を、生涯かけて出し尽くすか否かにある

・「1.時を守り」「2.場を浄め」「3.礼を正す」。これを現実界における再建の三大原理にして、いかなる時・ところにも当てはまるべし

・(仕事への熱心さ)×(心のキレイさ)=人間の価値

・俸給を得るために、主人がどれほど下げたくない頭を下げ、言いたくないお世辞を言っているかのわかる奥さんにして、初めて真に聡明なる母親となる

・裏切られた恨みは、これを他人に語るな。その悔しさを噛みしめていく処から、初めて人生の智慧は生まれる

・大事なことは、見通しがよく利いて、しかも肚がすわっているということ

善人意識にせよ、潔白さ意識にせよ、もしそれを気取ったとしたら、ただイヤ味という程度を越えて、必ずや深刻な報復を免れないであろう

・晩年になっても仕事が与えられるのは、真にかたじけない極み。待遇の多少など問題とすべきでない

・嫉妬とは、自己の存立がおびやかされることへの危惧感である

・この世は、キレイごとで金を儲けることが難しい。これ現実界における真理の一つ

・人間は、分を自覚してから以後の歩みこそほんものになる

・人間は、「1.職業に対する報謝として、後進のために実践記録を残すこと」「2.この世への報謝として、自伝(報恩録)を書くこと」「3.余生を奉仕に生きること」。これ人間として最低の基本線

・根本的原罪はただ一つ、「我性」すなわち「自己中心性」である。そして、原罪の派生根は「1.性欲」「2.嫉妬」「3.搾取」の三つ

・他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、そこに一小天地が開けてくる

・人間形成の三大要因は、「1.遺伝的な先天的素質」「2.師教ないしは先達による啓発」「3.逆境による人間的試練」


森信三さんの一言一言は、人間の教育者としての域を越えて、社会の教育者としての域に達しているものと思われます。

これらの一言一言が、社会に共有されたら、社会は、きっといい方向に進んでいけるのではないでしょうか。


[ 2013/03/11 07:03 ] 森信三・本 | TB(0) | CM(0)

『老いを生きる仏教の言葉100』ひろさちや

老いを生きる仏教の言葉100 (成美文庫)老いを生きる仏教の言葉100 (成美文庫)
(2012/07/05)
ひろ さちや

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ひろさちやさんの本は、このブログで、すでに10冊以上紹介しています。最近では、「笑って死ぬヒント」「世間の捨て方」などを採り上げました。

本書は、仏教の大切な教えを、ほぼ15文字以内で簡潔に訳され、それを解説してくれるありがたい本です。内容的には、老いを生きるというより、老いに備えるといったものです。それらの中から、お気に入りの一部を紹介させていただきます。



・「騎牛求牛/碧厳録」(答えは遠くに探さない
私たちは、「幸せ」という名の牛に乗りながら、毎日を暮らしている。その事実を忘れてはいけない。いつだって、答えはすぐそこにある

・「百花至って誰が為にか開く/碧厳録」(花の姿にわが生を学ぶ
花は誰かのために咲いているわけではない。ただ無心で咲いている

・「世間虚仮 唯仏是真/聖徳太子」(世間の声に振り回されない
世間なんてしょせん虚仮(かりそめ)のもの。世間の理屈に流されて、お金や健康に執着すると、それが不安に変わる。老後を楽しむためには、世間なんて捨てたほうがいい

・「無位の真人/臨済録」(自分を脱いで、自分になろう
自分だと思っている「自分」は、本当の自分ではない。実は、それは、世間によってつくられた「自分」。本来の自分は世間的な位など持たない自由な存在

・「放下著/従容録」(自分を空っぽにしよう)
心にある荷物は、見えないから、ついつい無理をして持ってしまう。明日の不安を解決するために抱え込んだ荷物は捨ててしまおう

・「自己をならふといふは、自己をわするるなり/道元」(世間から自分を取り戻す
私たちが知っている「自分」とは、世間によって創られた「自分」である。そんな自分なんて忘れてしまおう。その先に姿を現わすものが、あるがままの自分

・「流刑さらにうらみとすべからず/法然」(すべてチャンスと考える
75歳で流刑となった法然は、「これも地方に念仏を広めるいい機会だ」と、誰かを怨むことなく、今を生きることに徹した

・「好事も無きに如かず/碧厳録」(捨てることさえ捨ててしまう)
世間の物差しを捨て、常識を捨て、執着を捨て、「捨てよう」という意識すら捨ててしまう。そこに、どんな状況でも心安らかにいることができる境地がある

・「一切を捨離すべし/一遍」(捨てると自由がやってくる)
一切を捨離して、世の中を眺める。そこに、あるがままの世が映る

・「喫茶去/趙州録」(人生からまじめを追い出せ
趙州和尚は、僧たちが「こんなに私は頑張っているのに」と真面目に考えているのを「お茶でも飲んで、心をのびのびさせなさい。それじゃ禅は学べないよ」と教えた

・「渇愛/サンユッタ・ニカーヤ」(手を伸ばすほど心は渇く
渇愛とは、私たちの心を「もっともっと」と駆り立てる衝動。もっとお金が、もっと健康でなければ、と考えるたび、人は自由な心を失っていく

・「隻手の音声/白隠」(思い込みを心から外そう)
左右の手を打ち合せると音がするが、片手では音がしない。「片手の声を聞け」というのは、私たちがとらわれている分別や常識といったものを飛び越えてみよということ

・「牛頭を按じて草を喫せしむ/碧厳録」(押しつけの善意は迷惑だ)
満腹になっている牛の頭を押しつけて、無理やり食べさせようとしても、牛は嫌がる。同じように、いくらよかれと思っても、相手のことを考えない押しつけは迷惑にうつる

・「布施といふは不貪なり/道元」(求めないことが布施になる
自分が手に入れないことも布施であると、説いたのが道元。必要以上に求めないことが、相手に施すことになる

・「世の中は食うて稼いで寝て起きて、さてそのあとは死ぬるばかりぞ/一休」(人生の本質は単純だ)
金持ちでも、貧乏人でも、いずれはみんな死んでしまう。他人の人生なんてどうでもいい

・「門松はめいどの旅の一里塚/一休」(生まれた瞬間、死も始まる
私たちは、生まれた瞬間から、死に向かって歩いていることを、忘れてはいけない



老いを謳歌するために、どんな心がけが必要かを示したのが、先人たちの仏教の言葉です。

お金があろうとなかろうと、健康であろうとなかろうと、人と比較しないで、ただ自由な時間を楽しもうというのが、その共通した教えではないでしょうか。定年後は、くよくよ、うじうじせずに、人生の再スタートととらえることが何より大事なのかもしれません。


[ 2013/03/09 07:02 ] ひろさちや・本 | TB(0) | CM(0)

『徳川家康』山本七平

徳川家康徳川家康
(1992/11)
山本 七平

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徳川家康は、武将としてではなく、政治家として気になっていた存在です。良くも悪くも、現在の日本の礎を創った人です。われわれは、今でも徳川家康の影響を受けています。

この天才がどうつくられたのかを、独自の歴史観を持つ山本七平さんが長年にわたり研究したのが本書です。500ページを超える大作です。山本史観による徳川家康は、非常に勉強になりました。これらの一部を、要約して紹介させていただきます。



・秀吉も家康も師としたのは毛利元就。元就は地味な超人であった。戦闘においては桶狭間以上、調略においては小田原城攻囲以上、生涯的な持続力においては家康以上だった

・「策士」「腹黒い」「大狸」のあだ名がふさわしいのは元就であって家康ではない。その驚くべき根気と持久力、野戦の巧みさでも、元就が上。その中でも、謀略の巧みさと緻密さ、必要とあらば降伏させて殺してしまう冷酷さも、家康は到底彼の比ではなく、むしろ凡庸

・家康には、秀吉を謀殺できるチャンスが何度かあったが、決してそれを行わず、そういう「小手先の技で天下はとれるものではない」と言っている。この点において、家康は「律儀」な態度を取り続けた。それは元就の「遺戒」から学んだと言える

・武力だけで服従させることの難しい人々に、権威を持つ正統性を持ち出しても、これとて武力の裏付けなき限り無効であることは戦国の常識であった

・家康は武力の信奉者。総合的な武力おいて、自分が劣ると思えば、潔く相手に服従した

・家康にとっての学問とは、政治学兵学政治史大政治家列伝といった実学であって、当時の学問とされた公卿風の和歌や禅僧的な詩文などには全く興味を示さなかった。

・家康は京文化的な美を会得しうる境遇にあっても無関心、秀吉はそのような境遇に育たなかったのに、京文化的な美や茶の湯に関心を持ち、共感し、自らも楽しむ一面があった

・関ヶ原後の家康は「土木マニア」にも見えるが、築城より都市建設に重点を置いている

・家康は、足利末期から織豊時代にかけて、諸侯や庶民は「戦国はもうたくさん、平和な法治的体制の下で、自分たちの生存の権利を保障してほしい」といった「安堵」を望んでいることを知っており、それを政策の上で実現する手段を知っていた

・伝統的権威が天皇家にあることを家康はよく知っていた。それと同時に、武力とは関係なき別の力であった宗教勢力と天皇家の関係が深いことも知っていた

・人間誰でも完全ではないが、家康に欠けていたものは、ユーモアのセンスと母性的な温かみと茶目っ気サービス精神。秀吉は接客業もできたが、家康には絶対にできない

・家康の特技は、野戦の指揮能力外交的手腕、そして財務の巧みさの三点。日本人は外交音痴と言われるが、家康に関する限り、それは言えない

・徳川時代と言えば、鎖国を連想するが、家康はどう見ても鎖国主義者でなく、むしろ積極的な開国主義者。その外交能力と自信は、戦国以来の対内的外交によって培われたもの

・家康の残した教訓は、外交とは常に名より実を取る正攻法しかないということ。これがわからない者は、常に家康との対応を誤った

・家康は貨幣を握れば天下を握れると知っていたので、幕府の下で統一的な通貨を造った

・家康がけちと言われたのは、他者が思うほど金銀を持っていなかったから。自分以上に金銀を貯えている豊臣家は、財力を戦力と見る家康にとって、極めて危険な存在に見えた

・中立には、武力・情報力・財力のほかに偉大な資質が必要。家康の後継者には、この能力がなかった

・家康は神経質なぐらい健康に気をつかった。それだけに不摂生は嫌いで、そのために病気になることなど、許しがたいことであった

・家康は、常に、感情を強い意志の力で制御した。したがって、「情に溺れる」ところがない。彼が信頼を得たのはこの点だが、同時に彼に人気がなかったのもこの点

・家康が一番「用心」すべき対象と考えていたのは、民衆であった

・「権力欲なき者を統治者にする」のは夢にすぎない。家康は権力欲の権化であったが、それを保持し、かつ維持するには、善政が不可欠であることを知っていた



家康の性格や特徴を客観的に冷静に判断し、歴史的に評価したのが本書です。現在、日本の外交下手がいろいろな現象として表れてきていますが、家康の外交上手には学ぶべき点がいっぱいあると思います。

秀吉の朝鮮征伐以後、最悪だった朝鮮との関係を早期に回復させたその手腕はもっと評価されていいのではないでしょうか。


[ 2013/03/08 07:02 ] 山本七平・本 | TB(0) | CM(0)