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『坂口安吾・人生ギリギリの言葉』長尾剛

坂口安吾・人生ギリギリの言葉坂口安吾・人生ギリギリの言葉
(2009/09/12)
長尾 剛

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坂口安吾は、以前に、「日本文化私観」をとり上げました。本書は、坂口安吾に質問する形式で、坂口安吾の言葉をまとめた書です。

戦後間もないころに、坂口安吾が指摘した日本人は、その指摘(予言?)どおり、その性質は、現在にいたっても何も変わっていません。今でも、うなずいてしまう指摘の数々を、一部ですが、紹介させていただきます。



・日本人は、愚かしくも、そもそも自分がない。「戦争」と言われれば戦争。「民主主義」と言われれば民主主義。万事、お上に任せてクルリと変わるばかりで、犬のように従順であるというだけ。その軽薄な国民気質が、いつでもこの国の秩序のもと

・日本には「内省から始まる知識」というものがなく、あるのは命令と服従禁止と許可

・日本人は、一般庶民たることに適していて、特権を持たせると、鬼畜低能になる

・「死後に生きたアカシを残したい」なんて欲は、人の自然な欲ではない。人には、もっと「今生きている日々を喜ばせ輝かせる欲」というものがある

・私は、善人は嫌いだ。なぜなら、善人は人を許し、我を許し、なれ合いで世を渡り、「真実や自我を見つめる」という苦悩も孤独もないから

・娼婦は、美のためにあらゆる技術を用い、男に与える陶酔の代償として、当然の報酬を求める。そのため、己を犠牲にし、絶食はおろか、己の肉欲の快楽すらも犠牲にする

働くのは遊ぶため。より美しいもの、便利なもの、楽しいものを求めるのは人間の自然であり、それを拒み阻むべき理由はない

・人間はハッキリ目的が定まり、それに向かって進む時が一番強い。生命力が完全燃焼するのも、その時

・天国の幸福を考える前に、人間が地上の幸福を追求するのは当然のこと。しかし、大半の人は、クダラぬ説教を聞かされ続け、そのせいで、天国のために地上を犠牲にしている

・人間は本来、善悪の混血児であり、悪に対するブレーキと同時に、憧憬をも持っている

・戦時中、暗闇の中、泥棒、追剥がほとんどなかった。最低生活とはいえ、みんな食えた。この平静な秩序を生んでいたのは、金を盗んでも、遊びがなく、泥棒の要がなかったから。泥棒し、人殺しをしても、欲しいものが存するところに、人間の真実の生活がある

・人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中、に人間を救う便利な近道はない

・社交的に勤勉なのは必ずしも勤勉ではなく、社交的に怠慢なのは必ずしも怠慢ではない

・贅沢を求めて努力して成果を上げた者が、その努力に見合った贅沢を手に入れられることが、正しき人の世の条件。人々が己の欲望を追うべく能力を磨き、カネのために働くことで、世の文化も発展する

・庶民の多くは安きにつきたがり、昔を懐かしむものだから、選ばれる政治家、多数党というものは、国民の過半数の代表者に相違ないが、決して真理を代表するものではない

・龍安寺の石庭を見たとき、心が重く暗くなった。悲しいものを見たと思った。そこに重々しく表されたものは「そのもの以外を否定している心境」。これが、日本の風流というもの

・若者は勝ちたい。とにかく、どんな敵が相手でもいい。勝利の自己満足を得たいだけ。純粋な魂だからこそ、ただ勝ちたい

・ずるさは仕方がない。ずるさは悪徳ではない。同時に存している正しい勇気を失うことがいけない

・邪教が問題になるのは、その莫大な利益のせいだが、当人が好んで寄進しているのだから仕方がない。「新興宗教が悪くて、昔ながらの宗教が良い」というのも偏見で、邪教の要素はあらゆる宗教にある

・芸術は、作家の人生において、たかが商品に過ぎず、または遊びに過ぎないもので、そこに、作者の多くの時間と心労苦吟がかけられたとしても、それが「作者の人生のオモチャであり、他の何物よりも心を満たす遊びであった」という以外に、何物があるのか

・納得しなければ面白さが解らないものは、面白くないものである



坂口安吾の言葉は、暗さ、重さの中で、パッと明るい光を投げかけてくれます。

日本人という殻を打ち破り、日本という国の閉塞感から脱出するためには、今こそ、坂口安吾を読み直すことが必要ではないでしょうか。


[ 2013/01/31 07:00 ] 坂口安吾・本 | TB(0) | CM(0)

『ビジネス・ナンセンス事典』中島らも

ビジネス・ナンセンス事典ビジネス・ナンセンス事典
(1993/06)
中島 らも

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中島らもさんは今でも大好きな作家です。しかし、その著書は、このブログにまとめるのが難しく遠慮していました。本書は、違和感なく紹介できる珍しい一冊です。

日本人の仕事観や働き方、サラリーマンの生態を客観的に視て、おもしろおかしく伝えています。しかし、さすが、中島らもさんだけあって、その鋭い視点に唸ってしまうところだらけでした。それらの一部を、少し要約して、紹介させていただきます。



・ビジネスライクという言葉が明瞭に示しているように、ビジネスに求められる合理性、機能性に対して、一番足を引っ張るものが、「愛」といった水気の多い概念

・自分が共に会社を動かしているのだ、という幻想を与えることで、日本の企業は「ペイ」の何倍もの労働力をサラリーマンに搾り出させてきた。取り換え可能の部品であるという認識を与えないために、感性に働きかける精神主義で、それを糊塗してきた

・人間というものは厄介なもので、金のためとはいえ、自分が無価値な労働をしていることに耐えられなくなる。その際には、無価値な労働の中に二次的な意義なり、たのしみなりを自分で付加させていかねばならない

・困難な仕事をやり遂げた成就感によるカタルシス、出世コースを昇っていくことのゲーム性と征服欲、技術の習得によって他者との差別化がはかられたときのナルシスティックな快感、などが無価値な労働の中の二次的な意義なり、たのしみである

・カタルシスの爆発する典型的なシーンというと、トンネルが開通する瞬間などがそれである。最後の発破で貫通した穴を躍り越えて抱き合う作業員たちの顔は、完全にエクスタシーに達している

・資本の論理の中では、カルチャー・ショックなるものは、もっと乾いた受け止め方をされる。文化の位相の落差は、そのままお金の力学に置き換えることができる。相互の落差がゼロになって均衡するまでには、膨大な資本の集積が推進力として働かねばならない

・カルチャー・ショックというのは、言い換えれば「需要の塊

・サラリーマン社会の精神構造と軍隊のそれとは似通っている。サラリーを得るために、まず兵士なり会社員に要求されることは、アイデンティティの放擲であり、無機物的な機能性への帰属である

・仏教的な諸行無常の観念にのっとって自我を無化し、石や水や土や風やに同化してしまうことを日本人は意識の下で望んでいる

・コマーシャルの世界に「視線の法則」がある。限りなく90度に近い上方を見上げるか、0度つまり水平方向に広がる等身大の庶民の世界を描くか、下方90度の悲惨な世界を描くか、の三つしかない。この視線の角度が上方45度だとか、中途半端だと失敗する

・消費者は、コマーシャルに描かれる「平均的家庭」をものさしにして、自分たちの「幸福度」を測定する。この架空の家庭を基準に置かなければ、今の人間は、幸福がることも不幸がることもできない

・ビジネスの世界での共通の価値観を構成する根源は「金」。したがって、ビジネスに従事する者は、すべからく「拝金主義者」であることを、お互いの共通の前提としなければならない

・ビジネスの世界では、権力に従順で、「長いものに巻かれる」体質を備えていなければならない。酒食の欲望が強く、スケベでなければならない。つまり、「みんなと同じ」でないと、商売がうまくいかない

・サラリーマンの場合、その人間が、どの派閥に属しているかが一番手っとり早くわかるのは「昼メシ」

・企業が巨大化して、細分化、専業化するにつれ、働いている側は、意味の喪失感を覚えてきて、全体と一部との相関関係が、ある日現実感を失ってしまう。そこにおいて課せられたノルマは、苦役の強制に過ぎなくなってくる

・人間の社会的な誇りというのは、その人の持つ技術の高さによっている。技術革新の歴史というのは、その誇りを片っ端から砕いてまわる歴史である

・肥満者が「自己管理能力の欠如者」だとしたら、スマートな人間は「ストレスを感じないようなガサツなエゴイスト



中島らもさんの文章は、不真面目な表現を多用するのですが、その中に多くの真実を含んでいます。

本書は、比較的、不真面目な表現が少なく、真実が浮き彫りになっている書です。本書を読むと、誰でも、中島らもさんの鋭さ、凄さに触れることができるのではないでしょうか。


[ 2013/01/30 07:03 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『40歳の教科書・ドラゴン桜公式副読本「16歳の教科書」番外編』

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
(2010/07/23)
不明

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本書は、子を持つ親のための特別講義として、総勢14名のスペシャリストが、「英語学習」「中高一貫校」「お金と仕事の教育」について、意見を述べた書です。

巻頭に、教育は仮説に従って「子供は厳しく育てるべき」「漫画を読ませてはいけない」「テレビゲームをさせてはいけない」などと行われてきているが、それを検証、証明されていないというドラゴン桜の著者の意見が載っています。

どんな教育が正しいのか、親もしっかり理解していないのに、子供に仮説を強要しているのかもしれません。本書には、「子供への教育」に参考になることが数々掲載されています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・「英語に時間をかけるな」が原則。「たかが英語」に必要以上の時間をかけてはいけない。時間をかけずに、日常生活に支障がない程度、仕事のやりとりができる程度までの英語力を達成する方法を考えること(大西泰斗)

・日本が経済大国に成長できたのは、英語力があったからではない。英語力でお金を稼いできたわけではない。国語や数学、物理や化学、社会など、英語以外の科目で身につけた知識・知性をベースにビジネスをやっている(大西泰斗)

・英語はツールにすぎない。学習のコストパフォーマンスを見極めること。「なんとか使えれば上等」と割り切ること。ネイティブになる必要はない(大西泰斗)

・日本人で本当に英語が必要とされる人は、全体の1割程度。残り9割の日本人には、英語なんて要らない。英語が「できない」のではなく、そもそも「要らない」(成毛眞)

・本当の英語とは、それを使って、人生や哲学を語り合える言葉のこと。あるいは、互いの感情を思いっきりぶつけ合える言葉のこと。そう考えると、やはり9割の日本人には英語など要らない(成毛眞)

ビジネス英語で覚えるのは、商品名、ビジネス用語、経済用語、業界用語くらい。そのへんを頭に叩き込めば、あとは上司の顔つきやその場の雰囲気で察することができる。ビジネス英語は、半年から1年で一定レベルまでいける。それで十分(成毛眞)

・日本人は自分たちだけが英語ができないと考えがち。英語がペラペラなのは、アメリカ人とイギリス人だけ。ヨーロッパ人の大半は英語ができない(成毛眞)

・母語の読み書きができてから英語を学習し始めた子供と、母語の読み書きができないうちから英語の学習を始めた子供を比較した場合、母語がしっかりできている子供のほうが、確実かつ急速に英語力を伸ばしていくという結果が出ている(鳥飼玖美子)

・数学が苦手だとしても、保護者はとくに文句は言わない。しかし、英語に限っては、学校教育に過剰な期待を寄せて、教育が間違っていると考えるのはおかしな話(鳥飼玖美子)

・現場を知らない大人に限って「小学生のうちから塾に通わせるのはかわいそうだ」「成績順でクラス分けするのは教育上よくない」などと批判するが、多くの子供たちは塾を楽しんでいる。成績順のクラス分けも、ゲーム感覚で受け入れている(藤原和博)

・難関中学受験はひとえに「親の受験」であり、「母親の力が9割」ということを知っておくべき。有名私立校を受験させるのは、母親のリベンジ(復讐)(藤原和博)

・私立一貫校最大の問題は、生徒や保護者の同質化(学力、価値観、家庭環境)。この「同質集団」の居心地のよさが問題になる。自分の人生を振り返ってみればわかるが、人はむしろ、居心地の悪い困難な環境で成長するもの(藤原和博)

・お金がなかったら、人は獣になる。そして、お金さえあれば、たいていの不幸は乗り越えられる(西原理恵子)

・夫に年収1000万円を求めても、夫の命を縮めるだけ。夫婦でリスクを分散して、300万円ずつ稼いでいけば、地方だったら十分幸せに暮らしていける(西原理恵子)

・公立校には最低限の料金しか払っていないのに、親はものすごいサービスを要求する(勉強、しつけ、友達関係など)。でも、それは市役所の窓口に行って「この子をしつけてください!」と要求しているようなもの。見当違いも甚だしい(西原理恵子)

・お金は「社会的な立地条件」のいいところに集まりやすい。先進国と途上国、東京と地方の差も「立地条件」。血縁関係や出身大学も「立地条件」。お金は「社会的な立地条件」で大きく変化するので、仕事の価値はお金で判断してはいけないと教えるべき(山崎元)

合理的判断力を身につけるため、また数学の延長になる知識として、もっと率直にお金の話をしていくべき(山崎元)



以前より、子供への教育が、母親の妄想と感情の手に委ねられてしまっていると感じていましたので。本書に同感するところが多々ありました。

社会の現実に晒されている父親が、子供への教育に参加してこなかったツケが現れてしまったのではないでしょうか。子供こそ、最大の犠牲者かもしれません。


[ 2013/01/29 07:00 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『坂村真民一日一言』

坂村真民一日一言坂村真民一日一言
(2006/12/22)
坂村 真民

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坂村真民さんの著書を紹介するのは、「念ずれば花ひらく」「宇宙のまなざし」に次ぎ、3冊目です。以前紹介した2冊は、詩集でしたが、本書は、坂村さんの文章も含まれています。

坂村さんの世界は、慰められ、癒されるだけでなく、人を励まし、勇気づけ、しかも、生き方まで指南してくれるものです。その世界が凝縮されているのが、本書です。その一部を要約して紹介させていただきます。



・国家にもしばられない、金力にもしばられない、権力にもしばられない、愛にもしばられない、憎にもしばられない、地位名誉にもしばられない、そういう人間でありたい

・競走馬だけが決して馬ではない。働く馬のように、しっかりとした足どりで、この一年を過ごしていきたい

・自分をよりよい者にする努力が大事だ

・一道を行く者は孤独だ。だが、前から呼んで下さる方があり、後ろから押して下さる方がある

・本を百万巻読んでも、本物になれない。本は頭を肥やすが、足は少しも肥やしはしない。足からきた悟りが、本物である

・おごるな、たかぶるな、みくだすな

・およそ迫力のないものぐらいつまらないものはない。迫力、迫力、そして新しい迫力

・若い時は大いにエゴを獲得しなければならない。若くしてエゴを持たない人は、立身も出世もせず、また良い作品を生み出すこともできない。エゴはまったく肥料のようなもの。うんと摂取して、自分を豊富なものにしなくてはならない

・こちらから頭を下げる、こちらから挨拶をする、こちらから手を合わせる、こちらから詫びる、こちらから声をかける。すべてこちらからすれば、争いもなく、和やかにいく

・大事なことは、心に花を咲かせること。小さい花でもいい。自分の花を咲かせて、仏さまの前に持っていくこと

・宗教とは脱皮解脱のこと。かつての彼と今の彼とは、別人のようになっている。そして、それによって面(顔)も一変してくる。私は、そういう人を何人か知っている

・すべて、とどまるとくさる。このおそろしさを知ろう。つねに前進、つねに一歩

・移ろいやすきを花と言い、常にいますを仏と言い、悲しきを人と言う

少食であれ。これは健康のもと。少欲であれ。これは幸福のもと

・私が願うのはユニテ(一致)。どんなに違ったものでも、どこかで一致するものがある。それを見出し、お互い手を握り合おう

・天才でない者は、成熟を待たねばならぬ

・自分の道をまっしぐらに行こうとする以上、どこかで絆を断たねばならない。それができない以上、本物になれない

・天才でない者は、捨ての一手で生きるほかはない。雑事を捨てろ、雑念を捨てろ

最高の人というのは、この世の生を、精いっぱい、力いっぱい、命いっぱい、生きた人

・不死身というのは、人が寝る時に寝ず、人が休む時に休まず、人が遊ぶ時に遊ばないこと。これは天才でない者がやる、ただ一つの生き方だ

・悲しみは、みんな書いてはならない。悲しみは、みんな話してはならない。悲しみは、私達を強くする根。悲しみは、私達を支えている幹。悲しみは、私達を美しくする花。悲しみは、いつも枯らしてはならない。悲しみは、いつも噛みしめていなくてはならない

・こつこつ、こつこつ、書いていこう。こつこつ、こつこつ、歩いていこう。こつこつ、こつこつ、掘っていこう

・よい本を読め。よい本によって己を作れ。心に美しい火を燃やし、人生は尊かったと叫ばしめよ



坂村真民さんの詩や文章は、心の拠り所となる応援歌、いや応援団のようなものかもしれません。

自分の応援団員を持つことは、人生にとって、きっとプラスになるのではないでしょうか。


[ 2013/01/28 07:00 ] 坂村真民・本 | TB(0) | CM(0)

『老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ』高瀬広居

老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ
(2003/11)
高瀬 広居

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高瀬広居さんの本を紹介するのは、「仏音」に次ぎ、2冊目です。6年ほど前に亡くなられましたが、僧侶でありながら、テレビでキャスターなどを務められていました。

本書は、仏教の視点から、老人を見つめていこうとするものです。よき老人になるための発見が多々ありました。それらを、一部要約して、紹介させていただきます。



・老いのうちに、迷妄と沈痛さをみとるか、賢明さと人間の条理・不条理のすべてが集約された純粋さをみてとるか、それは、その人自身の老いへの態度によって決まる

・「知識」も「経験」も「財力」も、老人の切り札であるが、その一つが欠けていても、「徳力」があれば、悠々と権威を保つことができる

・サイフや腕力で子供に恐れられていた親は、やがて同じ力で復讐される。そうでない親は、老いても支配力を持つ

年寄りの「くどさ」には二つある。一つは、自己主張の「くどさ」。もう一つは、釈明と弁明の「くどさ」。「くどさ」は、老いを孤独に追い込む

・人間が何かを苦とするのは、苦でない状態を知っているから。それを遠い過去に求めることは愚かである。未来と現在に発見してこそ、現実からの上昇がやってくる

・人間を外側からのみとらえる人は、「かかわり」に左右される。若い人がそうで、流行やブームなど現象に動かされ、相手の言動に一喜一憂する。目の奥でものを見ない人たちは「何故」という疑問をもたず、本質をえぐろうとしないから、極端に偏る

・「深い目」は老人の特権。うつろいゆく世の底辺に在る人生の根本、無常の哲理、因果論で割り切れない人間の不思議さ、迷いの原因、もやに霞んだ生きがいのありか、それを掘り出し示すのが、この目の力

・仏教に「定散」という言葉がある。老人はじっとしているので「定」、若者は駆け回るので「散」。定の人は、たえず心を澄ませて事の本質と道理を睨む。画一的、形式的思考をぶち破る「智目」で、子供を観、世間を眺め。その力を後継世代に与えようとする

・老人は「間」を楽しみ、遊びを人生に持つ。ヒマだからではない。限られた条件のなかで、そのゆとりを見出す

・「随喜」とは、喜びにしたがう心。他人の喜びをわがことのように喜ぶ心。嫉妬し、羨望せずに、素直に祝福する心の尊さ、それが、どれくらい人々にとって嬉しいことか、老人は知っているはず

・信念のない人ほど頼りにされず、バカにされる。一本の信条に突き進んでこそ、道は開かれる。老人は、その現実を歴史と社会から学んできている。ガンコさの根はそこにある

・老人は「得失一如」「信謗不二」の理を人生のうちから読み取った人。自由が不自由により、得が失により、信は誹謗を裏にもつことで成り立つ、という物事の両面を吸収し、その両者が一体となって絡み合っているところに、人間生活の原点があることを自覚した人

・おじいさんの優美さとは「知性」、おばあさんの美しさとは「情愛」のこまやかさ。敬愛される老人の役割はこれにつきる。どちらも「感じのよさ」を与えてくれる

・美しい老人は、第一にわがままではない。一徹であっても、我欲心で行動しない。第二に負ける心をもっている。柔よく剛を制すというように、柔和な芯の強さを備えている

清濁併せ呑めない人は、人間を利口とバカに区別する。古さと新しさに杭を打ち込む。苦手を嫌い、同好の人だけ集めたがる。偏向派閥にいつの間にかひきずりこまれていく

・博覧強記型と創造型は両立しない。年を取れば、記憶力は下降してくるのだから、論理的・創造的・哲学的・総合的な判断力の円熟さこそ大いに磨くべき

・老いには、偉ぶらない威厳が必要だが、そこにユーモアが加われば、トゲトゲしさがなくなる。自分を客観視して、時に笑ってみるのも大切

・人を人と思わぬ粗雑な神経の持ち主には「はにかみ」がない。「はにかみ」はケジメのあるしつけを受けた人に備わる。四十の坂にかかったら、「ユーモア」と「はにかみ」の二つを、身につけようとすること

・「美しく死ぬことよりも、美しく老いるほうが難しい」。美しい老いとは、精神の美学と高貴性をもつということ



老害にならないために、どう準備するか。それが、長い定年後生活の行方を決めていくように思います。

美しく老いるということを、中年以降の人生の最大の目標とするべきなのかもしれません。


[ 2013/01/26 07:02 ] 老後の本 | TB(0) | CM(2)

『跡無き工夫・ 削ぎ落とした生き方』細川護熙

跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21)跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21)
(2009/11/10)
細川 護煕

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細川元首相の本を紹介するのは、「ことばを旅する」(歴史散策随筆の本)、「閑居の庭から」(庭園・美術鑑賞随筆の本)に次ぎ、3冊目です。

本書は、細川元首相の人生、生き方、哲学、思想が記された書です。「跡無き工夫」というタイトルは、誠に渋いものです。惹かれますし、共感できます。

跡を残さない人生の考え方が、本書に数多く載せられています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・良寛の歌「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(世間と縁を切ったわけではない、訪れる人があれば気持ちよく迎え、求められれば出かけていく。でも、ひとりで読書をしたり、歌を詠んでいるほうが楽しい)のような自然体の姿勢が好き

・「跡無き工夫」というのは、自分の功を誇らないこと。あれも自分がやった、これも自分の功績だと、得意気に自分の足跡をひけらかさないということ。昔から、人生の達人と言われているような人たちは、できるだけ自分の足跡を消すことに意を用いた

・ヨーロッパなどでは、自分なりに納得のいく仕事をしたら、さっさと引退して、あとは田舎で静かに暮らす生き方(カントリー・ジェントルマンの生き方)が理想の生き方。いつまでも地位や名誉に執着するのは、スマートではないと考えられている

・「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、魂を解放し、休養させてくれる」(ヘルマン・ヘッセ)

・ヨーロッパの人々が田園生活の中で目指した「ノーブルスピリッツ、シンプルライフ」というのは、金儲けや物質的充足、個人的な野心や欲望の充足を追い求める虚飾に満ちた生活へのアンチテーゼ。日本でも、草庵思想という形で脈々と息づいている

・現世における生存形態として、最も簡素な、極限まで単純化した生き方が草庵の暮らし

・本来の教育の持つ機能とは、知識や技能の伝授に意味があるのではなく、濃密な師弟関係の中で、真の意味での上質な感化が行われること

・江戸時代の教育は、西洋の学校教育と違って、学校が単なる知的習練の場ではなかった。教育を受けるのは、就職や金儲けのためではなく、真の人間性を獲得するためであった

・それをやっているときは他の雑念を払いのけて、そのことだけに専心することと、そのことを寝ても覚めてもひたすら考え続けること。この両方を合わせて集中という

・「真の読書とは、いちばん向うにある最終目的を目指した読書。最終目的とは、言うまでもなく、自分の完成」(森本哲郎)

・「良書を読むための条件は、悪書を読まぬこと。人生は短く、時間と力に限りがあるから。その秘訣は、多数の読者がその都度むさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないこと」(ショウペンハウエル)

・私の読書スタイルは、「多読をしない」「評価の定まったいいものだけを読む」「繰り返し読む」の三点が基本原則

・跡を残そうとすると、そこについ思い上がりも生じるし、本来の自分の姿をありのままにさらけだすのではなく、自己弁護というか、多少いいように取り繕って、恰好いいところを表に出したいというような気持ちも出てくる。そのような跡など残さないほうがいい

・偉いお坊さんの中には、自ら筆を執り、書き物を残している人もいるが、それは自分の生きた跡を残したいためではなく、書きおくことが世のためになると判断したから

・老子は「知る者は言わず言う者は知らず」(本当の知者は軽々とものを言わない。言いたがる者は本当のことがわかっていない)、「善行は轍迹無し」(すぐれた行動をする人は、ことさら痕跡を残さない)と言っている

・私の遺言は、「延命治療はしないこと」「葬式無用」「告知不要」「埋葬は南禅寺の細川家の墓に」「叙位叙勲の類は固くお断り」。これも跡無き工夫の一つだと思い、家族に向けて書き残した

・陶淵明が自分の死を想像して詠った「挽歌に擬す」の詩、「得失不復知、千秋萬歳後、誰知榮與辱」(死んでしまったら利害損失もわからなければ、是非の判断もつかない。千年万年ののちに、この世で受けた栄誉や恥辱など誰が知ることか)の心情と全く同じ思い



私自身、このブログを書き始めた当初は、人生の跡を残したい気持ちがありましたが、最近では、跡など、消しゴムできれいに消してしまい、消しカスまでも、ゴミ箱に棄ててもいいと考えられるようになってきました。

本書を読むと、「人生なんてそんなもの」と感じられるようになるのかもしれません。



[ 2013/01/25 07:01 ] 細川護熙・本 | TB(0) | CM(0)

『生き物として忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ』コエン・エルカ

生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ
(2004/12)
コエンエルカ

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著者のコエン・エルカ氏は、中央アジアの血を引く両親の間に、ニューヨークで生まれ、ネイティブ・アメリカンと交流し、ニューヨーク州立大学で生物学と考古学を学び、現在は日本に在住という、異質の経歴の持ち主です。

考え方や発想が、一般的な日本人と大きく違い、何かと気づかされる点が多々ありました。それらを要約して、一部を紹介させていただきます。



・女は男を永遠の子供だと思っている。「もうちょっと大人になれば」と、女は男に言いたい。動物でも、オスはずっと遊びたがっている。なんとなくじゃれたりして、子供っぽい

・群れをつくらない生き物のメスは、獲物を獲得する体力と、自分のテリトリーを守る体力と、子供を守る力がなければならない。メスは真剣

・男は永遠に大人になれないし、女は子供のころから大人である

・深い知恵と豊富な体験をもって部族や社会に貢献するという、役割を果たせるようになったとき、その生き物は大人になる

・死線を越えれば、もう死は怖くない。死ぬときがくれば死ぬ。それまで、がむしゃらに生きていこうと思うようになるのが生命力

・動物園の動物は、捕らわれているから、精神的に死んでいる。だけど、野生の動物は、生命力にあふれている。人間がしょんぼり見えるのは、動物園の動物と同じ。いつでも、食べ物にありつけるし、命をとられる緊迫感を失ってしまっている

・「弱肉強食」という考えは、自然界には合わない。ライオンより鹿が弱かったら、鹿はもうこの世にいない。野生の鹿は、本当は凶暴な獣。足は速いし、敏感だし、鋭いひづめで、人も狼も簡単に殺す

・自分にある強さ、自分にある弱さを自覚すること。強さ弱さは、人によってみんな違う。お互いにそれを比較する必要はない。その違いを尊重すること

・子供たちは、みんなちょっと曲がったところがある。それは、悪くない。でも、社会は、使いやすい真っすぐな木を欲しがる。「学校に行きたくない」子は、曲がった木と同じで自然のまま。しかし、名人でなければ、曲がった木の使い方はわからない

・「やりたい、食べたい、行きたい、見たい」。その気持ちを育てるのが大切。学校がちゃんとやれば、子供は飛びつく

・ニワトリはケージの中(逃げ出せない環境)にいると、気に食わない弱いものを見つけて、みんなでくちばしでつつき、羽を全部裸にする。つつかれる方は自信をなくして、死んでいく。人間も同じ。反自然の状況にいると、ストレスがたまり、そういうことになる

・仕事は本来、社会での自分の役割を果たすためにするもの。動物が、自分本来の役割を果たすことで、群れに属しているように、人間も、自分本来の役割を果たすために、社会につながっていくべき。働くとは、本当はそういうこと

・どんな生き物でも、命をとるとき、掟がある。その生き物の霊の許しを得て、その生き物に恐怖や痛みを与えてはならない。素早く命をとるのが原則

・先住民たちは、「自分の今の行いが、七代先に、いい影響を与えるかどうかを考えてから行動せよ」と言っている

・男は、動物が警戒するようなからだにつくりになっている。山に行って、動物に襲われるのは、ほとんど男。女はあまり襲われない。動物は男が怖いから襲う。女はあまり怖くない。動物たちから見れば、男と女は違う生き物

・民族は、その民族の言葉で考えている。その言葉がなくなれば、民族のアイデンティティがなくなり、白紙になる。だから、支配しようとする側は、相手の言葉を計画的に奪う

・言葉は食べ物と同じ、伝統と同じ、大地の一部。だから、風土とは切り離せない

・アメリカの歴史を見れば、二十年おきに戦争を起こしている。戦争を起こさないと存在できない国

・自然界では、死は目の前にある。すぐ隣にある。わざわざ死を選ぶ必要がない。山道を歩いていて、ほんの少し足をくじけば、餓えて死ぬ。自然界は、死と紙一重の世界



人間は、もはや野性の動物ではないですが、動物の掟を無視していいというわけではありません。本書には、動物の掟とは、どういうものかが記されています。その掟を忘れることによる弊害は、他の動物たちだけでなく、人間にも大きく及んできます。

野性から離れれば離れるほど、動物の掟を、しっかり学ばないといけないのかもしれません。


[ 2013/01/24 07:01 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『出版・新聞絶望未来』山田順

出版・新聞絶望未来出版・新聞絶望未来
(2012/11/02)
山田 順

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昨年、アメリカの大投資家ウォーレン・バフェットが、地方紙88紙を一挙に買収したというニュースが入ってきました。「いったい、この時代になぜ?」と思い、その理由を調べていたときに本書に出遭いました。

著者は、出版の現実と未来を執拗に調べ、答えを探し求めています。著者が調べあげた多くの現実の中から、その一部を要約して紹介させていただきます。



・日本の電子出版市場は、いまだにガラケーでのBL(ボーイズラブ)、TL(ティーンズラブ)などの漫画コンテンツが売れているだけ。文芸書、ノンフィクション書、ビジネス書などはほとんど売れていない。いつまでたっても電子書籍元年が始まらない

・2011年の電子書籍売上は、アメリカは約1800億円、日本は約630億円。日本の人口は、アメリカの約40%なので、大健闘。しかし、日本の電子出版市場の76%にあたる480億円が、BL、TLなどのエロ系ケータイコミック。一般書籍が売れるアメリカとは全く異質

・人口5万人のアメリカの地方都市で、本を買おうとしたら、通販か、車でウォルマート(ベストセラー書中心の販売)に行くしかない。アメリカはクルマ社会の国だから、電子書籍が普及した。鉄道社会で、駅前書店が多い日本では、紙の本が手軽に買える

電子書籍の購入比率が最も低いのがフランスで5%、次に日本で8%。高いのは、インド24%、イギリス21%、アメリカ20%の順。こうして見ると、電子出版市場が成立し、既存の紙市場と共存しているのは、現在のところ英語文化圏だけ

・IT企業は、社員の年俸400~500万円で、年間1億ページビューのサイト(年間売上1億円)を4~5人で回している。出版社では、社員1人の雇用に1000万円、社会保険、管理費用等を含め3000万円かかる。社員1人1億円の売上がないと会社はやっていけない

・海外で売れる日本の出版コンテンツは、第一に漫画、第二に女性ファッション誌。日本語の出版物の世界での通用は難しい。輸出国の割合はフランスが3割、次いで、北米、韓国、台湾と続く。しかし、漫画の世界市場は2008年ごろから下降線で、最盛期の7割

・日本アニメもデジタル化の影響で衰退に入った。絵の撮影、仕上げ(彩色)の仕事がなくなり、下請け会社は潰れるのを回避して、中国や東南アジアに単純作業を丸投げ。20代アニメーターの平均年収は110万円。いい人が業界に入らず、高齢化が進んでいる

・2009年に単行本を発行した漫画家は5300人。そのうちトップ100人の印税収入は7000万円。その一方残りの5200人は、平均が280万円。つまり、上位2%の人気漫画家が印税の3分の1を独占し、残った3分の2を98%の漫画家がシェアしている格差社会

・日本の新聞記者の横並び体質は、「社員純血主義」と「匿名主義」のせい。署名を入れずに記事を書くのは、ある意味責任逃れで、読者と真正面に向き合っていないことの現れ

・メディア企業は、不動産収入で本業の不振をカバーしている。出版では、講談社、小学館。新聞では朝日新聞、テレビではTBS。TBSは、本業の放送事業の利益は1割程度

・アメリカでは、休刊した新聞は212紙に上り、20年前に比べて、新聞記者が2万人減った。権力を監視する役目の新聞記者が減った街では、裁判がいい加減になり、医療サービスも低下し、選挙で現職有利、新顔不利といった影響が出始めている

・アメリカの衰退産業のトップが新聞業界、それに続くのが、倉庫業界、投資業、スーパーマーケット、小売、自動車。成長した産業は、インターネット、次いで、オンライン出版、フィランソロピー(慈善事業)、イー・ラーニング、公共政策、国際貿易と続く

・投資家バフェットは「自らのコミュニティについて精力的に報道する新聞には未来がある」「ローカルペーパーの資産評価額は10年前の10分の1に落ち、実質価値を下回っている」として、地方紙(発行部が数数千部から10万部までの小規模新聞)88紙を買収した

・バフェットのバークシャー社が買収した新聞の共通項は、「中間所得層が厚く商業が発達した地方都市」「住民の居住年数が長くコミュニティ意識が強い」「地域にライバル紙なし」「独自のウェブサイト」「ハイパーローカルの記事掲載」「地元商店街からの広告」

・グーグルの売上の9割が広告。本当の姿は、ほとんど営業をしない世界最大の広告企業。何の苦労もせずに、ニュースや情報を集めただけのポータルサイトが最大の利益をあげるのはフェアではないが、ユーザーの味方という顔をして、「情報はタダ」を守ろうとする

ペイウォール(課金モデル)で成功した新聞は、経済専門紙と高級紙だけ。しかも、その成功ラインは30万人。一般紙での有料購読者数は、ユーザー数の1%で、信じ難く低い



出版、新聞業界だけに及ばず、デジタル化、ネット化、コンピューター化は、多くのデスクワークの職を奪っています。機械化、ロボット化が、肉体労働や現場技術者の職を奪っていったのと同様のことが、今起こっています。

しかし、これを止めることは不可能です。この流れに抵抗せずに、隙間を見出し、どう生き延びていくかを考えなければいけないと思います。本書には、それを探し出すヒントが書かれているように感じました。


[ 2013/01/23 07:01 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『今昔おかね物語』神坂次郎

今昔おかね物語 (新潮文庫)今昔おかね物語 (新潮文庫)
(1994/06)
神坂 次郎

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この本には、昔のお金にまつわる話が93も収められています。今も昔も、人がお金に目がくらむ姿は、変わりありません。それらを読むと、ほほえましくも思います。

滑稽でもあり、哀しくもある「お金の物語」の中から、気になった話を、いくつか選び、紹介させていただきます。



・「み仏や寝てござっても花と銭」(小林一茶)

・元禄の世の「死一倍」というシステムは、大店の若旦那(ドラ息子)に限り、お金を貸すもの。「死一倍」(借りた金の二倍にして返す契約)の金を借りても、親が死んで、遺産を相続するまでは、元金も利息も一切返済しなくてよかった

・江戸の成り金史上ナンバーワンの人物と言われる紀伊国屋文左衛門が、吉原で湯水のごとく黄金を撒き散らしたのは、無尽蔵の財力を世間に誇示するためで、「わしと手を組んだ役人には、たっぷりワイロを出してやるぞ」という無言の宣伝でもあった

・「金持ちと朝晩捨つる灰吹は溜るほどなほ汚きと知れ」(一休。狂歌問答)

・人たらし、カネくばりの名人である秀吉の大盤振る舞いは、1589年、聚楽第で、徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝ら大名へのカネくばり。このとき、秀吉が、家康らに与えたのは、金五千枚、銀三万枚。これだけ貰えば、誰でも、粉骨砕身になる

・大坂には、町方下屎仲間の仲買人組織があった。貴重な商品である糞尿を一文でも高く売りつけようとする仲買人と、安く買い叩こうとする百姓の間で、紛争が絶えず起こった。そのとき、大坂中の便所という便所は、糞尿が満ちあふれ、臭気プンプンとなった

・戦国時代、明日をも知れぬ命という戦場心理が作用し、博打の賭け金は大きくなり、武具や馬まですってしまったフンドシ一つの裸武者たちは、博打に負けてヤケクソになっていたので、功名手柄をたてることが多かった

・京商人の豪商柏屋は、江戸諸店の番頭に、商品相場や市場の情報には、金銀を惜しまず、超特急の飛脚便(仕立便)を用いるように厳命し、その通信文は、金額や日時は秘密の符号で記していた。柏屋が、情報をいかに「商人のいのち」として重視していたかがわかる

・商人の都大坂に近い、和泉、河内といった土地は、農民たちの間に、商品貨幣経済の観念が濃く、一種の合理主義精神が芽生えていた。そのせいか、この周辺には、昔から百姓一揆といったものが起こっていない

・京商人は、井原西鶴が説く、商人心得の「算用」「始末(倹約)」「才覚」の三カ条の他に、「客とは無理を言ふものと知るべし」として、「堪忍」を重視していた

・徳川幕府が悪貨の鋳造を始めた元禄のころ、尾張徳川家の名古屋城下で発覚した贋金事件は、凝り性で職人かたぎで、真面目な権兵衛、八兵衛の親子が、つい、「本物より品質の良い贋金を造ってしまった」ことで発覚した

・「金毘羅舟ふね、追手に帆かけて、しゅらしゅしゅしゅ」は、丸亀藩の唯一の観光資源である金毘羅を天下に広げるためのコマーシャルソング。PR用のマル金印の団扇も使い、財政再建にみごと成功した

家康の側室(妾)たちのもとには、諸大名からの賄賂や進物が持ち込まれ、金銀がうなるごとくあった。妾たちは、この金銀を窮迫している大名や旗本たちに貸し付け、利を稼いでいた

戦場での掠奪、分捕りはひどかった。大坂夏の陣で討ち死にして運ばれてきた徳川方の安藤右京之進の死骸などは、甲冑はもちろん、ふんどしまで剥ぎとられて、素っ裸になっていた

・「見ろ!あの城には金銀財宝、酒も美女もあるぞ。行け」と号令し、軍兵たちを奮い立たせたのはジンギスカン。飢えた兵こそ最強の兵。日本の戦史でも、「京の都を守る方が常に敗北している」

・釈迦の弟子が編纂したマネービルの秘伝によれば、贅や驕りを慎み、「食するに足るを知り、修業して懈怠なく、まず儲積(貯蓄)し、田を耕し家業に励み、塔廟を建て、僧房を建つべし」の六カ条をよく守り励めば、大金持ちになること必定とされる

・釈迦は、「六損財業」に近づいてはならぬ。それは、「酒におぼれ、博打にふけり、放蕩し、伎楽に心をうばわれ、悪友と群れ集まり、怠け心を持つこと」と説いた



本書には、古今東西の人間とお金が織りなす模様が、見事に描かれています。

お金を疎まず、お金に執着もせず、お金との距離を上手にコントロールすることが、今も昔も求められているのだと思います。


[ 2013/01/22 07:00 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『[新訳]一日一言』新渡戸稲造

[新訳]一日一言[新訳]一日一言
(2008/10/29)
新渡戸 稲造

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著者は、前の五千円札の新渡戸稲造です。一日一言は、新渡戸稲造が、武士道精神を日毎の366章にまとめたものです。大正4年に発行され、自著の「武士道」「自警」に次ぐ、ベストセラーになりました。

それを新訳にしたものが本書です。366日分の中から、感銘したものを、一部要約して、紹介させていただきます。



・単に金を与えるのは、慈悲でないばかりか、貰う者をして、食にする。金銭で払えない慈悲が真の慈悲である。金銭を与えるならば、財宝以上の心をもってすべきである

・人を蹴落として求めた栄誉は、得たときから卑しいものとなる

・中根東里の壁書(1)
人の過ちを責めてはいけない。また自分の手柄を得意になって自慢してはならない」
「病は口から入ってくるものが多いが、禍は口から出る言葉が招くものが多い」
「他人に施した見返りを期待してはならない。自分が受けた恩を忘れてはいけない」
「水だけ飲んでいてもこれを楽しむ者もいる。美しい衣を着ていても嘆き悲しむ者もいる」
「朗報は待たなければならない。過ぎ去ったことをいつまでも悔やんでいてはならない」

・脇坂義堂の自戒
「大なる福来らば、これ災いの起こりと心得、慎みを加えるべきこと」
「誉れは誹りのもと、楽しみは悲しみの始めと知るべきこと」
「あまり親しくするは、疎まることの始めと知るべきこと」
人の悪事をいささかも語るまじきこと。人の善事を仮にもそしるまじきこと」

・人の過ちはしゃべるものではない。人の醜い行いをあばくのは愚かなことで、臭いものには蓋をして、自然の力に任せておけば、臭気はいつの間にか消える

・己とは私欲のかたまりであり、自分勝手なことをするのはすべてそのせいである。この己を除くのが克己である

・自分より下の者に荒々しくものを言うことが偉いと考えるのは、山犬や狼の世界だと思え。昔の人は威厳を保っても、激しいものではあってはならないと教えている。怒鳴ることは動物の声で、威厳は優しい声の中に出てくる

・何事も、七、八分通り完成するといやになり、飽きる。学問にしても、仕事に従事していても、飽きがきて怠るのは、その人の精神力を見極めるための試金石と言える

・外見を飾ろうとする気持ちは、適度であれば、礼儀作法のうちであるが、度を過ぎると、見栄や驕りになって自分をだめにし、社会を乱すものとなる

・馬鹿や狂人は、負けても勝ったと喜ぶが、賢い知恵者は、そのときは負けたようにして、永久に勝つものである

・病気ほど高くつくものはない。痛い目にあって、金を出し、親戚や友人に心配をかけ、これほど悪いものはない。病気とは高くつくものだと思い知れば、必ず払った金以上の償いを得るものである

自分が金を惜しむときは、惜しむわけを説き、これを「倹約」だと言うのに、他人が金を惜しむと、自分以上のわけがあるかどうかも聞かずに、すぐに「けちんぼう」と言う

・気を長く心をおだやかに持って、すべて倹約につとめ、金を蓄えることである。倹約は不自由なことに耐えることである

・収入が少ない、月給が上がらない、不景気だ、と貧乏を嘆くより、不要の出費を省き、見栄を張ることをやめ、良くないつき合いを断ることだ。出費を倹約すれば、入ってくる収入も多いものとなる

・中根東里の壁書(2)
「善を見ては法とし、不善を見ては戒めとす」
「倹より奢に移ることは易く、奢より倹に入ることは難し」
「樵夫(きこり)は山にとり、漁夫は海に浮ぶ。人各々その業を楽しむべし」

・正しい判断ができないのは、自分の損得を考えるからである

・人のために尽くさんと思う人は、頭を低くして人に仕える。上手に人に使われる者は、また上手に人を使う。自分から進んで人の下に居る者は、必ず人に押し上げられる



新渡戸稲造がとりあげている江戸中期の陽明学者中根東里は、「出ずる月を待つべし、散る花を追うことなかれ」という言葉も残しています。これら古典とも言える、日本の先人たちの大事な言葉を、新渡戸稲造は本書で、随所にとりあげています。

本書は、「武士道」の著者の思想の礎、バックボーンとなった人物を知ることができる貴重な書ではないでしょうか。


[ 2013/01/21 07:03 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『なぜ人は砂漠で溺死するのか?』高木徹也

なぜ人は砂漠で溺死するのか? (メディアファクトリー新書)なぜ人は砂漠で溺死するのか? (メディアファクトリー新書)
(2010/08/25)
高木 徹也

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著者は、5000に及ぶ不審死体を解剖してきた法医学者です。本書は、豊富な実績をもとに、不慮の死の原因を詳しく論じるものです。

私たちの身の回りにある死の危険を回避するためにも、本書に目を通すことは重要だと思います。その貴重な内容の一部を、要約して紹介させていただきます。



・「風呂溺」とは、風呂場における溺死の意味。監察医・検案医として日頃接している突然死のカテゴリーでは、風呂溺が圧倒的に多い。特に、冬場における中高年男性の突然死第1位は間違いなく風呂溺

・満腹かつアルコールの入った状態で、お風呂に浸かると、ふーっと眠くなる至福の瞬間がある。それは、眠気に襲われているのではなく、気絶しかけている。医学用語で、「一過性脳虚血」という症状。意識が遠のくのは、一瞬、死に近づいていると考えたほうがいい

・日本では、風呂溺で年間1万人以上死んでいると推定される。交通事故で死ぬより、風呂場で死ぬ確率のほうが2倍高い。日本は、風呂溺大国

・鼻や口から水が流入して、完全に窒息したら、タイムリミットは5分。無酸素状態が5分以上続くと、脳が回復不能のダメージを負ってしまう

・睡眠薬中毒による風呂溺は、比較的若い人に多い。1錠飲んでも効かなかったので、もう1錠飲んで、寝る前に温まろうと入浴するうちに、いつの間にか薬が効いてくる。仕事が忙しい不眠症傾向の女性などに多いパターン

大動脈解離で突然死した人の遺体には湿布薬が貼られていることが多い。貼られている場所は、左の肩甲骨のあたりで、背中の中心線より少し左側。そこに上下2枚貼ってある。家にある湿布薬を「背中が痛いから貼ってくれ」と、奥さんに貼ってもらうケースが多い

・心臓には知覚神経が通っていないから、心臓がボロボロになっても、心臓自体に痛みを感じない。しかし、「放散痛」といって、別の部位に痛みとして現れる。心筋梗塞の際の放散痛は、主に左肩や左上腕部に現れる。体のほうで、「心臓が危ない」と、シグナルを送る

・遺体の腰の部分に湿布薬が横向きに貼られていたら、膵炎の可能性がある。膵炎を発症している状態は、膵臓と密接な関連がある肝臓にも、重大な異変があることが疑われる

・心筋梗塞の放散痛がもっとも出やすいのは、みぞおちの部分。自覚症状は「おなかが痛い」「気持ちが悪い」「吐き気がする」など。心臓は横隔膜の上に乗った状態で、横隔膜は腹膜に接している。そのため、敏感な腹膜が、心臓付近の障害をおなかの痛みと感じる

ポックリ病で死亡するのは、決まって、日頃から多忙な人。証券会社や広告会社の営業マン、新聞記者、刑事、病院勤務の医師や看護師など、仕事の時間が不規則で、しかも非常なストレスにさらされながら働いている人が多い

・青年突然死症候群には、脂肪肝を持っている死亡者が比較的多い。しかも、この脂肪肝は、なぜか「非アルコール性脂肪肝」が多く、「メタボ」が関係している

・山では、人の体温を奪う。気温が10℃でも、毎秒10mの風速の「対流」があれば、体感温度は0℃まで下がる。また、冷たい石や岩に体が接する「伝導」で、体温も奪われていく

・細菌やウイルスに感染したときには、体を発熱させてしまったほうが、体内に侵入した異物を殺せる。ただし、脳は守らなければならない。頭だけはギンギンに冷やすこと

・死後損壊の一種として、動物や虫に死体が食われることを「蚕食」という。山林に遺棄された死体は、動物によく食われる。屋内でも、ネズミや虫に食われることがある

・どんなに喉が渇いても、海水を飲むと死を招く。海水を飲むと、赤血球が壊れ、赤血球のカスが腎臓に溜まり、目詰まりを起こし、腎不全の状態になる。どうしても、水分補給したいなら、おしっこを飲むほうがずっと安全。

・自宅以外のもの珍しい場所でコトに及ぶと、男性はどうしても、必要以上に興奮する。そして、歳も顧みずにハッスルし、自らの肉体を酷使してしまうのが腹上死のパターン

・「性交渉の相手は、どんなに若くても、年齢差二回り(24歳)以内に留めておくべき」という、法医学者が書いた論文もある

・性行為中や自慰行為中に男性が急死する場合、どの事例にも共通するのは、死ぬのは決まって射精した後。興奮が高まっていく途中で死亡した例はない。射精するまで死ねないのか、射精後に気が抜けて死んでしまうのか、いずれにしても、男性は悲しい生き物



不審死体という事例から、さまざまなことの原因が見えてくることがわかります。死体が、われわれの日常生活に、警告を発してくれているのかもしれません。

日頃の健康維持対策として、体の予防策として、本書の知識は役に立つのではないでしょうか。


[ 2013/01/19 07:02 ] 健康の本 | TB(0) | CM(0)

『唯識十章』多川俊映

唯識十章唯識十章
(1989/05)
多川 俊映

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唯識仏教とは、仏教の原理であり、基礎となるものです。今日の日本の仏教の教説になっているものです。

真面目なものだけに、難解で、理解しにくいのですが、本書は、それらをしつこく解説してくれています。興味深い箇所が数多くありました。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・「大隠は市井に遁る、小隠は山中に遁る」。大隠者は、人境にあっても喧噪が気にならない。凡人は、喧噪の暮らしにうつつをぬかす。小隠者は、町中の喧噪ゆえに、誰もいない山中に遁れたいと希望する。同じ世界に住みながら、三者三様、違った世界に住んでいる

・私たちの見聞きする世界は、世界そのものではない。取り巻くあらゆるものは、識所変(識によって変じだされた所のもの)。唯識仏教では、自己と環境との関係を、このように理解する

・唯識仏教では、認識する心の作用を、その働きにおいて四つの領域に分かれると考えた。「みられるもの」(相分)と「みるもの」(見分)、そして、その「みることを確認するもの」(自証分)とその「確認をさらに認知するもの」(認自証分

・「ものをみる眼・人をみる眼」は、自己に都合のいいようにしかみない。物事の真実の姿など、見えてくるはずもない。唯識所変の考え方は、それらを強く示唆している

・唯識仏教は、私たちの心は「八識」によって構成されていると考えた。八識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識と末那識および阿頼耶識。つまり、六識だけでは、現実の私たちの行動は解明し切れないということ

・私たちは、日々の学習や仕事の積み重ねによって、徐々に成長して、日に日に変わっているが、昨日の私と今日の私は同じであり、一年前の私と今の私もそんなに違いはない。この、変わりつつも変わらない自分というものが根底にある。その根底が阿頼耶識

・心には、表層の心「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識<前五識(感覚)>と意識<第六識(知覚・感情・思考・意志)>」と、深層の心「末那識<第七識(自己執着心)>と阿頼耶識<第八識(根本心)>」がある

・「現行」(現実の行為・行動)が「種子」という形をとって、阿頼耶識に「薫習」(心底に植えつけ、長くとどまる)されていく

・「過去の影は、未来の約束。いかなる木も、種子の中にある力以上に偉大になることはできない」(岡倉天心「東洋の理想」)

・阿頼耶識という深層の心は、この世に生を受けてからの体験や経験だけを保有するものではないというのが「薫習」の意味。それは、はるか遠い過去、人類の生い立ち、生命の起源にさえに至るものを秘めている

・私たちの日常のすべての行為は、心の中で密かに思いめぐらすことも含めて、その印象が「種子」という形で、阿頼耶識の中に薫習され保持される。それが「」の意味

・仏教の最も基本的な考え方は、1.「諸行無常」(物事は絶えず変化している)2.「諸法無我」(我が不変不滅であることを認めない)3.「涅槃寂静」(真理に調和していく中に、身心に顕現していく寂静状況)の三つ。これを三法印と言う

・仏教では、期間を定めて、伝統的な修行を行うが、それは「行」と言わずに、「加行」と呼ぶ。なぜなら、普段の生活がすでに行だから。行とは、日常生活を粗末にしないこと

・弓道では、矢が放たれるまでの所作が、実に慎重。一旦、矢を放ってしまったならば、言い訳など通用しない。細心な調整ののちに大胆に放たれた矢は、たとえ的に当たらなくても、それはそれでいい。それは、的によって調整された身心があとに残るから

・布施とは、自己所有のものを無条件に他者に与えること。自己執着に徹した生活をし続ける限り、自分のものを他者に無条件に与えることなど、決してできない

・私たちの日常生活は、善と煩悩との綱引きの中に営まれている。その微妙なところを踏み台としている以上、必要になるのが、人生の目標

・人間は、自己を如実に反省すること・心の安らぎを希求して放逸ならざること・むさぼらぬことなどの持続が求められている



唯識を理解するには、相当骨が折れます。本書にも登場する難解な用語の数々を、咀嚼して読み続けるのは、短時間では無理なように感じました。

しかし、ほんのさわりだけでも、唯識仏教というものを知ることは、自分を磨くことにおいて、大事なことかもしれません。


[ 2013/01/18 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(1)

『いまここにいるわたしへ―新しい自分に気づく心のノート』ヒュー・プレーサー

いまここにいるわたしへ―新しい自分に気づく心のノートいまここにいるわたしへ―新しい自分に気づく心のノート
(2006/03)
ヒュー プレイサー

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著者は、アメリカで教会の教師をされています。そして、カウンセラーもされています。著作が、通算600万部以上読まれているという人気作家でもあります。

本書は、詩の形式で言葉を綴ったエッセイです。「自分に気づく」ことがテーマになっています。共感できたところが、数多くありました。それらを紹介させていただきます。



・成長するとは、唯一の「本当の自分」を見つけだすことではない。それは、自分の知らないさまざまな面に気づいていくプロセスだ

ユーモアを使うのは、私が苦手な人とかかわるときの常套手段だ。私には、真面目にしなくてはならない状況のほうがしっくりくる

・同じことを繰り返しているかぎり、同じ世界が、自分のまわりで回っているだけで、私たちは生の壮大さを見逃してしまう

・私たちは変われないが、広がることはできる

・待っている、目的もなく。いつも用意ができている、求めることもなく。ただ存在している、なにも必要とすることなく

・達成したいと思うのは、決してまずいことではない。まずいのは、達成しなければならないと思うことだ

・私にとっての成長とは、新しいことを学ぶことではなく、繰り返し過去の教訓を学び直すことだ。智恵は変化しない。変わるのは状況だけだ

・自分に正直であるなら、私は自分を愚かに感じることはない。自分に正直であるなら、私は自動的に謙虚になれる

・私は、必要でないものを買ってしまう。そして、買ったことを正当化するために、その使い道を探す。こうしてみると、私は、やりたくないことを二度もやっていることになる

・「まちがい」というようなものはない。あるのは、ただ起こったことだけだ

・いま経験していることに注意を払うんだ。そうすれば、この経験を生かせるぞ

・誰かが、怒りや嫉妬や不機嫌な感情を表わすとき、それに対する健康的な応じ方というのは、そういうことが起こる前の自分の状態を思い出し、その心の状態を保つことだ

・怒りを表にあらわすこと、それは、怒りに対する責任を自分で引き受けていない、ということだ

・小さい子供は、ただ楽しむために言葉を使う。「コミュニケーションをとる」ためでも、「やりとりをする」ためでも、「印象づける」ためでもない

・ようやく、自分がまったく普通の人間だと感じられるようになってきた。すると、人との関係も、とても楽に感じられるようになった。ほかの人もまた、私と同じように、普通で、不完全なのだから

・会ってすぐに親しみを感じる人がいる。この場合、相手が愛想がいい人かどうかは関係ないように思う。実際のところ、こういう人たちは、何とか人間関係をつくりだそうとはしない。努めて親しくしようとするわけでもなく、自分のことを印象づけようともしない

・自分より上だと思える人に会うと、その人と親しくなりたいと思っている自分に気づく。だが、このような気持ちは、親愛さや尊敬の念ではない。下心があると、相手との関係の発展は妨げられる

・人を嫌うのは、苦痛と同様に、何かのサインであることが多い。苦痛の意味は、遠ざけておくということであって、破壊するということではない

・「あの人のこんなところが、悪い」と思っていると、同じような特徴が、私の中からも引き出される。相手の「悪い」と思っている部分に支配される

・自分を縛らず、自分を売り込まず、相手に媚びず、おどけてへつらったりせず、いい人ぶって相手を操らず、怒りで脅したりせず、毅然とし、穏やかに言う。「私は、私でいるよ」

・「所有する」というのは「ほしい」というのと同じく、精神的な貧しさのあらわれだ



淡々と心境を語りながら、哲学的な意味合いを多く含む、詩でありエッセイである心地よい文章です。

やさしく簡潔に書かれてあるので、読みやすく、スッと心の奥に入ってくる感じの書です。同時に、ためになる教訓を記憶してしまう書です。何とも不思議な感じのする本でした。


[ 2013/01/17 07:00 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『社員が「よく辞める」会社は成長する』太田肇

社員が「よく辞める」会社は成長する! (PHPビジネス新書)社員が「よく辞める」会社は成長する! (PHPビジネス新書)
(2012/07/19)
太田 肇

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太田肇さんの著書を紹介するのは、「認め上手」「見せかけの勤勉の正体」などに次ぎ5冊目です。

著者は、日本社会に合ったマネジメント術を真面目に研究されている方です。今回も、眼からウロコの実例を書き記されています。それらを一部、紹介させていただきます。



・上司に忠実で組織の論理を重んじるばかりに、会社の幹部から一般社員に至るまで、視野が内向きになり、世論や顧客の視点といった「外の目」に驚くほど鈍感になってしまった。しかも、彼らは人材が均質なので、目の付け所も、考えることもみな一緒

・一つの会社で働き続ける呪縛から解放された若手社員は、会社や上司とも、つかず離れずの距離を保とうとする。金魚すくいの金魚と同じで、囲い込もうとすると、自律性の危機を感じて遠ざかる。逆に、距離をおいて接すると、安心して心を開き寄ってくる

・近年問題にされている若者の依存的な態度は、「行き過ぎた管理」や「囲い込み」と裏腹の関係にある。それでは、いつまでたっても、自立した大人同士の関係は築けない。思いきって、管理→依存→管理の悪循環を断ち切ることが必要

・企業にとって、一番危険なのは、能力を持て余した人材が会社の中にとどまり、会社に「ぶら下がる」こと。「この会社で適当に働いて残りの生活を送ろう」といった「隠れぶら下がり」が、会社の足を引っ張る

・「仕事を見つけるには、親密な友人よりも、関係が薄い知り合いのほうが助けになる」と、アメリカの社会学者グラノヴェターは「弱い紐帯」仮説を提示した。親密な友人は、情報が自分と似通っているのに対し、薄い関係の人は自分が持っていない情報があるのが理由

・日本では、同期意識、序列意識が強いので、社員の中から人材を抜擢すると、人間関係がギクシャクする。ねたまれたり、足を引っ張られたりして、抜擢された社員がつぶれてしまうケースもある。だから、「優秀な人材は外部からスカウトしたほうがよい」という

・IT革命は、起業のパターンや環境を大きく変えた。情報ソフト系の仕事なら、建物はいらないし、たいした機械や設備も必要ない。自宅やオフィスの一室とノートパソコン一台あればいい。しかも、資本金1円から、1人で株式会社を設立できるようになった

・上り調子の人が多ければ、組織に活気が出るが、下り調子の人が多いと、組織内の空気が悪くなり、活力もなくなる。課長から部長に昇進した人がたくさんいる職場と、課長から平社員に降格した人がたくさんいる職場を比べたら、一目瞭然

・自衛隊の任官制度には、期限のない任官と期限付き任官の二種類がある。期限付きの場合、二年ごとに雇用が更新される。任官中は給料をもらって資格を取得できるし、就職先の世話をする制度がある。退官後は、民間企業に就職したり、自分で事業を興したりする

・5年~10年の実績を積んだ人材は、ある意味で「品質保証」された安心できる労働力。とくに即戦力が不可欠な業種や新卒採用で優秀な人材を採りにくい企業にとって、彼らは「狙い目」

・急成長する、あるラーメン店では、本社から独立して大丈夫と認められたら、店の純利益の15カ月分で店を買い取ることができる。独立の際に、営業権、店舗、厨房機器などが会社から譲渡される。独立を目指す社員にとって、最短3年という期間の短さも魅力

・大企業で働く派遣社員の中にも、将来正社員として採用されるのを目標にしている若者が混じっているが、彼らの働きぶりは際立っている。鳥のヒナが巣立つときの姿を連想する。「巣立ち」にはパワーが秘められている

・人間は、欲しいものが、がんばれば手に入るとわかったときにやる気を出す。「報酬や目標の魅力」にしても「期待」にしても、客観的な値ではなく、あくまで本人の主観、つまり本人がどう考えるか

・あるメーカーでは、社員の身分を「社内独立」へ切り替えた。「社内独立」した人の報酬は、製品ごとに原価計算される。仕事は「独立」前と同じだが、会社にいながら稼げるようになり、モチベーションが著しく上昇し、個人所得も1.4倍に増大した

・部下に「自立能力」をつけさせるには、「外の世界をわからせる」「強みを生かさせる」「実戦を積み重ねさせる」、三つのステージが必要。この過程には、「がまん」や「しんぼう」も必要になり、それを精神的に支えるのは、やはり将来の「夢」である

・将来辞めていく社員に対して、将来性にかけて、「投資」する人事戦略があってもよい



成長しようとする企業は、一般的なマネジメント戦略や人事戦略ではなく、自分の会社や従業員に合った戦略を考えださないといけません。

本書には、そういった日本の風土に合った急成長企業の例が載せられています。参考にできるところが多々あるのではないでしょうか。


[ 2013/01/16 07:02 ] 太田肇・本 | TB(0) | CM(0)

『反時代的毒虫』車谷長吉

反時代的毒虫 (平凡社新書)反時代的毒虫 (平凡社新書)
(2004/10)
車谷 長吉

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直木賞作家の車谷長吉さんの対談集です。江藤淳、白洲正子、水上勉、河野多惠子、奥本大三郎、中村うさぎ氏との丁々発止、特にお金と文学に関する話は、読み応えがあります。

著者は、お金でずっと苦労されてきただけに、お金の本質をよく理解されているように思えました。なるほどと思えた箇所を、一部ですが、要約して紹介させていただきます。



・「金儲けを人生の目的に生きろ。金儲けをするには、人間の心を捨てろ。捨てないと、金に頭を下げることはできない。金に頭を下げることができなければ、金儲けはできない。だから、人間の心を捨てろ。うまく人を騙せ。欺け」。これが現代資本主義の精神

・寿司屋の職人さん、あるいは旅館の下足番をやっているような人は生きた言葉を発する。だいたい、インテリというのは、少数例外を除いて、生きた言葉を発しない

・「受け太刀というのは負け。負けるから受けるんで、薩摩示現流はそれをしない。一発で倒すか倒さないか」(白洲正子)

・「みんな玄人で食えるものだから、玄人にへばりついている。偉そうなことを言ってるけれど、あれはウソ。私が付き合っているのは、『素人でございます』と言って出てくるような人」(白洲正子)

・人が人であることの悲しみを書きたい。それを書くのが文学。結局、煩悩との戦いにおける敗北の過程が文学。そこに人が人であることの悲しみが生じてくる

・文学の厳しさというのは、ゼニの厳しさ

・破滅への階段を下りていくというのは、人間にとっては最大の快感。近松門左衛門の「心中天綱島」でも「曽根崎心中」でも、金で売り買いされた遊女と心中することは破滅で、それは、最高のエクスタシー

・この豊かな社会の中で、金を貸してくれというのは、言うほうがおかしいに決まっている。飢え死にしないわけだから

・中村うさぎさんの「だって、欲しいんだもん」の中の「濁貧の思想」に、「物欲だらけで邪悪に派手に意地汚く生きる(しかも貧乏)」という文章は、「清貧の思想」とは逆の思想

・「中国は本当に火と油と欲望の国。カネ、カネという話では、日本人はまだまだ甘い。特に今の若者の場合、むしろ欲望の欠如と言える。これが文化の停滞をもたらしたのではないか」(奥本大三郎)

・金というか、欲望というのは、生きることの原動力。それが両義的に、プラスに出る場合とマイナスに出る場合があって、それがメビウスの輪のようにつながっている

・生きる原動力というのは、仏教の言葉では煩悩。脂ぎった、クソーッという感じが生きることの原動力だし、それはまた同時に欲望であるがゆえに、やっぱり絶えず罪悪感をもたらす

・金が欲しいという気持ちと、いやだという気持ちの二つがあざなえる縄のごとく感じてきた。だから、今でも、お金を所有することに、歓びと、不快感とを持つ

・商人階級というのを特に分離して、それを貶める、卑しめる。しかも、武士は、時代と共に、だんだん苦しくなってきて、頭を下げなければいけない悔しさ。そこから、お金の不浄感が余計出来てきた

・金というのは、根本的に人を脅かすものというか、脅えを誘発するもの

・お金がないということが生きる原動力になっている人と、それが無気力を呼び込んでしまっている人と、二通りある。前者は、金さえあればという考えで生きている。そういう人の顔は溌溂としている

・文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩悩や迷いが流れ出るようなもの。なりふりかまわない世界が流出するのが文学

・「東京の山の手文化の不思議な気取りみたいなもの、腰の弱さ、底の浅いところが、今の純文学の世界にもあるが、そこに嘘がある。その嘘が、西洋文化の理解のほうへ行ったり、上品さを装ったりするが、やっぱり嘘は嘘。贋である」(奥本大三郎)



お金と文学、一見すると対極にあるようなものですが、実は親和性が高くなくてはいけないというのが著者の意見です。

上品であっては、文学ではない。どろどろとした欲望を描き出す能力がなければ、小説家になれないとも述べられています。小説家に求められていることは、私たちが仕事をする上で求められていることと同じなのかもしれません。


[ 2013/01/15 07:01 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『戦略の格言―戦略家のための40の議論』コリン・グレイ

戦略の格言―戦略家のための40の議論戦略の格言―戦略家のための40の議論
(2009/08)
コリン グレイ

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著者は、現在、イギリスで、安全保障や戦略研究などを教えている大学教授です。アメリカのレーガン政権では、核戦略のアドバイザーを5年間務められた経験があります。

核時代の地政学やパワーバランスに精通し、今も積極的に発言されている方です。この戦略の第一人者の考え方が、本書に詰まっています。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・戦争における目標は「より良い平和を得ること」であり、ただ単に「勝つこと」ではない。戦争と戦闘行為は政策の道具に過ぎない

・平和づくりを成功させるには、敗れた側にしっかり負けを認めさせることが肝心。もし、この目標が達成できなければ、「昨日の敵は、明日も敵」となる

・秩序の維持には二つの方法しかない。この二つとは「パワーの不均衡」と「パワーの均衡」である。「パワーの不均衡」には、トップに立つ覇権国の存在が必要になる。「パワーの均衡」は効果を発揮しても、一度崩れると、大規模な戦争によってしか回復されない

・計画というのは、冷静さと計算から生まれるが、それらは、激情や予測のつかない形で実行される

・適切な計画があれば、戦争のギャンブル的な要素は克服できると信じているが、「確実に発生すること」を想定して計画することは、すべての軍事の失敗の中でも最悪のものである

・クラウゼヴィッツは、戦略の要素として、「士気」「物質」「数学的」「地理的」「統計的要素」のたった五つだけを挙げている

・時間は強力な武器である。チャンスを掴むためには素早く行動しなければならない場合と、逆にわざと物事を遅らせなければならない場合がある。また、「一瞬の時間」の潜在力は注目されることが少ないが、時間は、弱い側にとって最大の武器となることが多い

・地理を巡る争いが主な争点になっていない戦争でも、そこには常に地理的な対象がある

・歴史的に見ても、装備の悪い船に乗った優秀な水兵たちのほうが、装備の整った船に乗っている統制のとれていない水兵たちよりも強い。この教訓は、物質面での発展が目覚ましい現代では、ほとんど忘れられている

・経済的に豊かでも、軍事的に弱く、しかも巨大な強国と国境を接している小規模の国々が、かなり長い期間にわたって、独立を保ってきた例は数多くある

・敵は相手の強さよりも弱さにつけ込んで勝負してくるもの。ところが、軍隊は、最も重大な脅威と想定されるものに対して準備するのを嫌う

・現代のようなテクノロジーによる奇跡が生み出されている時代には、むしろ人間を研究すること

・理想主義者の幻想が問題なのは、それが実質的有効性を持たないから。そのような政治家は、自分の「誠実で高潔な意図」を「実現可能なもの」と混同している

・戦略というのは、常に世論から怒号や非難を浴びせられるもの。そのような議論では、道徳的な話が中心になってしまうが、リーダーや戦略家は、結果論的に動かなければならない。予測コスト見込み利益を最大化する行動を計算して比較検討すること

・「正しい行い」というのは、戦略的な計算を脇に追いやってしまう。ところが、いざ実践段階になると、世間知らずの善行者でも、戦略の論理に逆らうわけにはいかなくなる

・歴史が教えてくれるのは、「正しいほうが勝利するわけではない」ということ。いくらその目的が深淵で望ましくても、「信念を持った政治家」は、安定的な秩序や平和に対する脅威となることが多い

戦略とは経済学である。実行しているものが、経済的に支え続けることができなければ、その戦略は修正されるか破棄されなければならない

・歴史は我々に洞察力と良い質問を与えてくれる。歴史は、「答え」ではなく、必要な物事を考えさせてくれるもの

・サプライズは避けられないが、それが及ぼす影響は防ぐことができる



理想と現実、平和と戦い。これらを調整するものは、合理的思考です。

そのためには、リーダーは、絶えず行動する前に、コストを予測して、その行動から見込まれる利益を最大にする方法を考えなければなりません。利益が見込めないのなら、撤退するしかありません。

本書を読めば、戦略は、経済の影響を免れないものと理解できるのではないでしょうか。


[ 2013/01/14 07:01 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『超思考』北野武

超思考超思考
(2011/02)
北野 武

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大学生のとき、オールナイトニッポンを聴いて、その機関銃のような喋りと毒舌に魅了されました。最近のテレビでは、どことなく物足りなさを感じていました。テレビで、全盛期の勢いを求めても仕方ないのかもしれません。

ということで、本書を読んでみました。この本の中には、過去のビートたけしが、いっぱい詰まっています。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・お経は釈迦の教えだから、意味がわからなければいけないが、日本では、意味のわからないお経をありがたがる。わからない方がありがたい文化。理屈を言ってはいけない

・昔の芸人は芸を売ったが、今の芸人はキャラクターを切り売りさせられる。キャラクターはすぐに飽きられるから、使い捨てするのに都合がいい

・最低の職業だからこそ、芸人は芸を磨いて、腹の底で世の中を嗤い飛ばしていた。それが芸人の誇り。だから、名人は自分の芸に厳しかった。そして、そういう芸を人は愛した

・アンチエイジングなんてものは、ハゲてる人がカツラをかぶっているのと同じこと

・どこかに必ず醒めた自分がいる。頭の斜め上に、もう一人の自分がいて、やっていることをいつも俯瞰している。無我夢中になっても、次の瞬間にもう白けている

・出演料の安い若手で、視聴率が稼げれば、それでいい。笑いというより、失笑を買うような番組がやたらと増えるのも不思議ではない

・今の世の中では、誰にも才能が眠っていることになっている。「その才能を埋もれたままにしてはいけない。探すお手伝いをしましょう」というのは、古典的な詐欺師の口上。眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちか

・「本当にやりたい仕事」なんて、ゴールド・ラッシュと似たようなもので、幻と思った方がいい。やりたい仕事を考えるということは、やりたい仕事がないというだけ。探しているのは、やりたい仕事ではなくて、「楽して稼げる仕事」。そんなものあるわけがない

芸術をありがたがるのは、世の中が裕福になって、みんなが暇になったから。その暇な時間に何をやろうが人の勝手。けれど、その風潮を子供に押しつけるのはどうかしている

・権力者というものは、口で何と言おうと、心の底では、国民を持ち物だと思っている。自分たちのために働いて、税金を納める持ち物だから、逃げられるのが一番恐い

・他人から食い物を奪って生きるという生活は、世の中に食い物があふれているからこそ成り立つ。自分の食い物を集めるのがやっとという社会では、働かない人間は生きていけないというだけのこと

・いくら金を積んで、いい医者に診てもらっても、最後は死ななければならない。大事なのは覚悟

・芸人はツクリモノで勝負している。スポーツのような本物の真剣勝負にかなわない。いつも新しいモノを作り続けなければ、芸人は飽きられる運命にある

・百姓に贅沢三昧されたら年貢が徴収できない。だから、民衆には、清く貧しく美しく。だが、これは支配者の道徳ではない。権力者は贅沢三昧で、好き勝手なことをしていた

・本音なんてものは、身も蓋もない欲望でしかない。本音を言いつつ、別のレベルの建て前を言っているだけのこと

・視聴率を稼ごうとすると、番組が下品になっていく。安売り競争とまったく同じ話

・世の中がさもしくなると、人間は自分の目で見たり、自分の頭で考えたりすることに臆病になる。それで、周りばかり見て、流行っているところに群がろうとする

本物のアーティストなら、金持ちのパトロンの鼻面を好き勝手に引き回して、いい生活をしながら、自分の作りたい作品を作っていく

大衆に迎合した途端に、アーティストであれ、芸人であれ、政治家であれ、大衆からそっぽを向かれる。大衆に呑みこまれてしまった奴に、人は魅力を感じない

・モノを考えない集団は、ちょっとした刺激で暴走する。右へ進むか左へ進むかを、自分の頭で考えて決めるのではなくて、周りのみんながどっちへ動くかで決めるから



世の道理がすべてわかって、それを堂々と発言すれば、世の嫌われ者になり、孤立していくのが一般的です。

北野武氏の凄いところは、それをしながらも、人気者でずっといるところです。どうすれば、そうなれるのか。北野武氏の生き方にこそ、勉強すべきものが数多く潜んでいるように思います。


[ 2013/01/12 07:02 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『白隠禅師の不思議な世界』芳澤勝弘

白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書)白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書)
(2008/07)
芳澤 勝弘

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白隠禅師に関する書を紹介するのは、「白隠禅師の読み方」に次ぎ、2冊目です。本書は、白隠が遺した禅画から、その思想を読み解いていこうとする書です。

白隠は一般的にそれほど知られていませんが、五百年に一人の禅僧として、崇められている存在です。海外で、白隠の禅画が人気となっており、日本でも再評価されてきています(現在、白隠展が東京で開催されています)

著者は、滑稽なタッチの中に秘められた白隠の禅画に存する奥深い意味を、的確に、そして見事に解説されています。それらの一部を要約して紹介させていただきます。


・白隠は「辺鄙以知吾(へびいちご)」(発禁処分になった書)で、奢侈にふける大名の生活が、結局は民百姓を収奪することになると厳しく戒め、大名行列がいかに馬鹿馬鹿しい無駄使いであるか力説している。「富士大名行列図」の絵には政治批判が根底にある

・「富士大名行列図」の大名行列の一隊の中には、富士山を見ている人は一人としていない。脇目もふらず左へと進んでいく。霊峰富士山は「聖性」の象徴であり、「自性」(自分の内なる真理)の象徴。白隠は、この絵で「自性を見届けよ」のメッセージを発している

・白隠は「蟻に臼図」(人間が六道を輪回するさまは、蟻が丸い輪をぐるぐる回るのと同じ)を描いている。大名行列を蟻のように描いたのは、農民を苦しめ、奢侈にふけり、このような行列をしているならば、来世には、必ず悪処に堕ちるぞという暗示を表わしている

・上に聖なる世界の真理を、下に俗なる世界の道理を同時に描く構図は、上半分は「上求菩提」、下半分は「下化衆生」を示す。「上求菩提、下化衆生」とは、上に向かっては悟りの道を求め、下に向かっては生きとし生ける一切の人たちを救っていく」ことを意味する

・禅宗の坊さんが最後に誦むお経が「四弘誓願文」。「生きとし生けるものすべてを救う、煩悩をすべて断つ、教えをすべて学ぶ、そして、仏法を実現する」がその意味。白隠は後半生、「上求菩提、下化衆生」「四弘誓願文の実践」を精力的に行った

・白隠は「軸中軸」の戯画を描いている。「金を残しても子孫は使う。書物を残しても子孫は読まない。それより、陰徳を積むこと。それが、子孫の永遠の繁盛につながる」という司馬温公の家訓を恵比寿、大黒天、寿老人がのぞき、読んでいるさまが描かれている

・軸中軸に書かれた内容を理解した上で、全体における自分の視座立ち位置を再認識させる仕掛け。それこそが禅宗の本質と非常に関係が深い。臨済禅は、禅問答自体が目的なのではなく、自分自身が何者であるのかを自覚させることが目的だから

・白隠は、軸中軸という仕掛けによって、軸外から見ているわれわれを画面の中に引き込もうとした

・白隠には、布袋さんが長い紙を広げている不思議な絵がある。そこに書いている字は「碧厳録の趙州万法一のくだり」だが、「布杉重七斤」の部分の字が上下逆さまで、紙の裏側から書いている。意図的に紙を一ひねりした「メビウスの環」の形状になっている

・世俗を逃れて山中に入らず、市井に紛れている聖人を「市隠」と言うが、白隠はまさにその市隠だった。自身の「下化衆生」を実践するために、さまざまな布袋像を描いたり、俗謡を用いたり、生き物を漫画的に描いたり、難解な禅の教えを一般的にしようと努めた

・仏法は「泥中の蓮華」にたとえられるが、美しい花を研究するだけでは不十分で、泥の研究もしなければならない。そういう点で、白隠ほど同時代の下世話に通じ、風俗に通じ、それを教化に生かした禅僧はいない

・白隠の「十界図」という絵ほど、白隠の地獄。極楽観を表わしたものは他にない。閻魔大王の裁判の場面の真ん中に観音菩薩がいる。その後ろには大円鏡がある。これは、地獄・極楽を生みだすのは、私たち一人一人の心の鏡であることを示している

・白隠は「とにかく人に法を説くこと。そのためには、禅だけでなく、仏教のすべてを学び、すべての学問を学び、それを力にして法を説き、人々を救っていくこと。それを持続したら煩悩の湧く暇がない。そして、やふがて、仏道が成就される」と言っている

・仏教の「」、禅の「」。無には、「無一物中無尽蔵」という言葉があって、無からは、働きだすものがあって強い

・悟りを開かなくても、自分が救われていなくても、人を救うことができる。「上求菩提」と「下化衆生」という、一見反対に見える課題は、表裏一体になっている。「四弘誓願」の実践についての白隠の解釈にも、そういう考えがはっきりあらわれている



白隠禅師が描いた絵は、意味深なものが多く、その解釈も禅問答のように難解を極めるものばかりです。

本書を一回読むだけでは、白隠の凄さは理解できないのかもしれません。魑魅魍魎とした心の世界は、何回も時間を重ねて、味わっていくしかないように思います。


[ 2013/01/11 07:01 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『上機嫌の才能』田辺聖子

上機嫌の才能上機嫌の才能
(2011/09)
田辺 聖子

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田辺聖子さんの本を紹介するのは、「上機嫌な言葉366日」「女のおっさん箴言集」に次いで、3冊目です。

田辺聖子さんは、永遠の乙女ですから、幅広い女性に支持されています。老若問わず、女性の気持ちを知るのに最適です。本書にも、男性が教えられる箇所が数多くありました。その一部を紹介させていただきます。



・生きて、愛して、人生を楽しむこと、それが根本にあって、それを守るため、政治も法律もある。お金も若さも美しさも、音楽も本もそのため。今はもうみんな、ひっくり返ってしまった。本末転倒になっている

・「まあ、こんなトコやな」は、大阪人の愛好する「しめくくり」あるいは終結宣言で、キリのないことを切り上げるときに便利な言葉である。そこに、あきらめとか後悔とか腹立ちはなく、あっけらかんと風通しのいい客観的認識だけがある

・叱られる、怒られる、咎められる、責められることによって、人は、自分と違う価値観、人生観に出会い、ビックリする。そのことで荒波に揉まれて、想像力が養われ、よりやさしくなる

・大阪では、職業上ではなく、性格上で、ツトメ人とショウバイ人を区別する。ツトメ人とは、融通がきかず四角四面で、理屈の多い几帳面な人。ショウバイ人とは、円転滑脱で、話がわかり、茶目っ気があり、そのくせ、老巧な駆け引きを得意とするような人

・客観視できるかどうかが、オトナ度の差といっていい。客観視能力の未成熟な人は、悲観的戦況にヒステリー状態になり、キリキリ舞いして自滅する

・お化粧は自分自身との対話。顔色から今日の健康状態がわかる。もし、昨日、不快なことがあっても、一夜眠れば、人間は復原力が強いから、イキイキと再生する

・誰しも、気持ちの通じ合いそうな予感のする人に会うことがある。そのとき、条件を優先させるか、予感を優先させるかは、その人の結婚観による

魅力というのは、神の与えてくれた天与のものと、自分の精神力、半々の混合

・起こってしまったことは元に戻せない。人の気持ちを変えることはできない。だから、「そんなこともあるわな」と切ってしまったほうがいい。人生はそういうことの連続だし、それで済むようにするのが大人

・世の中は、「私、こうしたいの!こうさせて!絶対、こうでなきゃいや!」と叫んだほうが得。「どっちでも構わない、本当はそうじゃなかったけど、まあ、いいです」なんて言っていたら永久にダメ、世間はこっちの気を察してくれるなんてことは全くない

・自らを助けんとして必死に戦い抜いても、浮かび上がることは容易ではない。「自ら助くる」にも限界がある。人生の終わりに及んで、「天は自ら助くるものを叩く」と会得した

・別離のショックも悲しみも、忘れはしないけど、薄れていく。時間は神様からの最高のお恵み

・「いささかは 苦労してますと 言いたいが 苦労が聞いたら 怒りよるやろ」。人生の苦労の底は深く、果てしない。私みたいな苦労ぐらい、誰でもしている

過ぎしことみな佳し。そう思わなきゃ、つらい世の中、生きていけない

話が弾むというのは、やはり、いちばんの夫婦の要諦

・人生の幸福というのは、人に憎まれず、敵を作らず、人に嫉まれるほどの幸運をむさぼらないこと。幸福はこっそり味わうもの

・人生の達人というのは、自分からゴメンと謝れる人だと思う

・この世の人生にも案外、空くじはないかもしれない。全くいいことがなかった、なんて人はないだろう

達観というのは、心中、「まあ、こんなトコやな」とつぶやくこと

・上機嫌は、自分のものとしても大事だけど、人のものでも嬉しいし、大事にしてあげたい



本書を読んでいると、「上機嫌と達観によって、人生を楽しむ」ことが幸福の本質であることがわかります。

人生を楽しまなければ損です。そのもとは、上機嫌の才能ではなく、上機嫌の努力なのかもしれません。


[ 2013/01/10 07:01 ] 田辺聖子・本 | TB(0) | CM(0)

『サラリーマンが“やってはいけない”90のリスト』福田秀人

サラリーマンが“やってはいけない”90のリストサラリーマンが“やってはいけない”90のリスト
(2012/02/01)
福田秀人

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福田秀人さんの本を紹介するのは、「見切る!強いリーダーの決断力」「成果主義時代の出世術」「ランチェスター思考」「ランチェスター思考Ⅱ」に次ぎ、5冊目になります。

著者は、サラリーマン(=会社の命令に従うビジネスパーソン)という立場で、どう出世していくかの見解を強く有しておられます。

日本の会社員は、ほとんどがサラリーマンです。ビジネスパーソンなど、ほとんどいないという現実を踏まえた上での、やってはいけないことが、本書に満載されています。それらの一部を紹介させていただきます。



・若いときにトップを走った人間は、いつの間にか会社からいなくなり、消息も途絶える。

・オネスト・ミステイク(誠実な失敗)を、間抜けな失敗同様に非難し、罰する会社では、社員は萎縮して、前向きの仕事や難しいトラブル対応などしなくなる

・サラリーマンは自分で仕事を決めることができないのに、経営者並みの権限を持たないとできないことをビジネスパーソンとして「やれ」と説くマネジメント論が目立つ。同様に、モチベーション論やリーダーシップ論にも要注意

・マネジメントは、権限を使って、指示命令で、部下を動かす活動。リーダーシップは、権限と関係なく、納得や尊敬などで人を動かす力。命令なしで、部下を効果的に動かすことは、ふつうの人間には無理である

・模範的な命令とは、「この仕事を君に任せる」「責任は私がとるから、君がいいと思う方法で存分にやってくれ」

・目標や課題の「選択と集中」ではなく、「見切って集中」できる決断力が大事

・「社員の暗黙知を摺り合わせれば、比類なきイノベーションが生まれる」が本当なら、はるか昔から暗黙知の摺り合わせに励んできた日本の会社は、比類なきイノベーションだらけとなっている

情報隠しを続ければ、仕事がブラックボックス化し、「彼がいなければ仕事が回らない」となって、解雇されず、評価を高め、権力を強化できる

・官僚制は、支配者のための従順な支配装置であるに止まらず、職務上の機密を武器として公開性を排斥することにより、専門知識を確保し、議会や権力者ですら無力なものとせしめる

・大事なことは、印象やプレゼンに騙されやすい人間にならないこと

・上級指揮官は、直属の指揮官だけでなく、その下の指揮官のところへ出向き、状況を自分の目と耳で確かめよ(ツーライン・アヘッドの原則

・部下がトラブルを起こせば、ただちに被害者にも会って、言い分を誠実に聞き、厳正な対応をし、共犯者にならないようにしなければならない

・現場リーダーは、寄生部下につぶされる前に、寄生部下を駆除すること。寄生社員とは「自分にとって良いか悪いか」を基準にして判断し行動する社員。貢献社員とは、「会社にとって良いか悪いか」を基準にして判断し行動する社員

・「頑張っているのに、うまくいかない」とか、「頑張っていることが理解してもらえない」などと、努力をアピールして愚痴をこぼせば信頼は一瞬でなくなる

・「パーフェクトを追求すべき仕事」と「ベターを追求すべき仕事」を峻別し、後者には完全主義にとらわれないように取り組む。日常の定型化作業以外は、すべてベターの追求あるのみとの姿勢で取り組み、部下にもそれを指導教育する

・主流派は、見識に優れた人が多く、意に反することを言って喧嘩になっても、正論である限り納得してくれ、わだかまりも残らない。一方、反主流派は優れた人が少なく、反論すれば、根に持ち、足元をすくわれる。主流派と喧嘩しても、反主流派と喧嘩しないこと

・官僚制が、皆から嫌われているのに、どの組織でも用いられているのは、大量の業務を正確かつ効率的にこなせる理由だけでない。それは、圧倒的多数の人が要求する理念を実現する唯一の制度だから。つまり、それは「公平」だから

・論理的な思考をする人ほど、予想もしていなかった異変が起きると、あわてふためく



本書には、サラリーマンの処世術が、いっぱい記されています。これらは、一般論ではなく、日本の現状に即した形の実践的処世術が明示されているように思います。

本書で、サラリーマンがやってはいけないことだけでなく、やったらいいことも学べるのではないでしょうか。


[ 2013/01/09 07:01 ] 福田秀人・本 | TB(0) | CM(0)