とは学

「・・・とは」の哲学

『坂口安吾・人生ギリギリの言葉』長尾剛

坂口安吾・人生ギリギリの言葉坂口安吾・人生ギリギリの言葉
(2009/09/12)
長尾 剛

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坂口安吾は、以前に、「日本文化私観」をとり上げました。本書は、坂口安吾に質問する形式で、坂口安吾の言葉をまとめた書です。

戦後間もないころに、坂口安吾が指摘した日本人は、その指摘(予言?)どおり、その性質は、現在にいたっても何も変わっていません。今でも、うなずいてしまう指摘の数々を、一部ですが、紹介させていただきます。



・日本人は、愚かしくも、そもそも自分がない。「戦争」と言われれば戦争。「民主主義」と言われれば民主主義。万事、お上に任せてクルリと変わるばかりで、犬のように従順であるというだけ。その軽薄な国民気質が、いつでもこの国の秩序のもと

・日本には「内省から始まる知識」というものがなく、あるのは命令と服従禁止と許可

・日本人は、一般庶民たることに適していて、特権を持たせると、鬼畜低能になる

・「死後に生きたアカシを残したい」なんて欲は、人の自然な欲ではない。人には、もっと「今生きている日々を喜ばせ輝かせる欲」というものがある

・私は、善人は嫌いだ。なぜなら、善人は人を許し、我を許し、なれ合いで世を渡り、「真実や自我を見つめる」という苦悩も孤独もないから

・娼婦は、美のためにあらゆる技術を用い、男に与える陶酔の代償として、当然の報酬を求める。そのため、己を犠牲にし、絶食はおろか、己の肉欲の快楽すらも犠牲にする

働くのは遊ぶため。より美しいもの、便利なもの、楽しいものを求めるのは人間の自然であり、それを拒み阻むべき理由はない

・人間はハッキリ目的が定まり、それに向かって進む時が一番強い。生命力が完全燃焼するのも、その時

・天国の幸福を考える前に、人間が地上の幸福を追求するのは当然のこと。しかし、大半の人は、クダラぬ説教を聞かされ続け、そのせいで、天国のために地上を犠牲にしている

・人間は本来、善悪の混血児であり、悪に対するブレーキと同時に、憧憬をも持っている

・戦時中、暗闇の中、泥棒、追剥がほとんどなかった。最低生活とはいえ、みんな食えた。この平静な秩序を生んでいたのは、金を盗んでも、遊びがなく、泥棒の要がなかったから。泥棒し、人殺しをしても、欲しいものが存するところに、人間の真実の生活がある

・人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中、に人間を救う便利な近道はない

・社交的に勤勉なのは必ずしも勤勉ではなく、社交的に怠慢なのは必ずしも怠慢ではない

・贅沢を求めて努力して成果を上げた者が、その努力に見合った贅沢を手に入れられることが、正しき人の世の条件。人々が己の欲望を追うべく能力を磨き、カネのために働くことで、世の文化も発展する

・庶民の多くは安きにつきたがり、昔を懐かしむものだから、選ばれる政治家、多数党というものは、国民の過半数の代表者に相違ないが、決して真理を代表するものではない

・龍安寺の石庭を見たとき、心が重く暗くなった。悲しいものを見たと思った。そこに重々しく表されたものは「そのもの以外を否定している心境」。これが、日本の風流というもの

・若者は勝ちたい。とにかく、どんな敵が相手でもいい。勝利の自己満足を得たいだけ。純粋な魂だからこそ、ただ勝ちたい

・ずるさは仕方がない。ずるさは悪徳ではない。同時に存している正しい勇気を失うことがいけない

・邪教が問題になるのは、その莫大な利益のせいだが、当人が好んで寄進しているのだから仕方がない。「新興宗教が悪くて、昔ながらの宗教が良い」というのも偏見で、邪教の要素はあらゆる宗教にある

・芸術は、作家の人生において、たかが商品に過ぎず、または遊びに過ぎないもので、そこに、作者の多くの時間と心労苦吟がかけられたとしても、それが「作者の人生のオモチャであり、他の何物よりも心を満たす遊びであった」という以外に、何物があるのか

・納得しなければ面白さが解らないものは、面白くないものである



坂口安吾の言葉は、暗さ、重さの中で、パッと明るい光を投げかけてくれます。

日本人という殻を打ち破り、日本という国の閉塞感から脱出するためには、今こそ、坂口安吾を読み直すことが必要ではないでしょうか。


[ 2013/01/31 07:00 ] 坂口安吾・本 | TB(0) | CM(0)

『ビジネス・ナンセンス事典』中島らも

ビジネス・ナンセンス事典ビジネス・ナンセンス事典
(1993/06)
中島 らも

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中島らもさんは今でも大好きな作家です。しかし、その著書は、このブログにまとめるのが難しく遠慮していました。本書は、違和感なく紹介できる珍しい一冊です。

日本人の仕事観や働き方、サラリーマンの生態を客観的に視て、おもしろおかしく伝えています。しかし、さすが、中島らもさんだけあって、その鋭い視点に唸ってしまうところだらけでした。それらの一部を、少し要約して、紹介させていただきます。



・ビジネスライクという言葉が明瞭に示しているように、ビジネスに求められる合理性、機能性に対して、一番足を引っ張るものが、「愛」といった水気の多い概念

・自分が共に会社を動かしているのだ、という幻想を与えることで、日本の企業は「ペイ」の何倍もの労働力をサラリーマンに搾り出させてきた。取り換え可能の部品であるという認識を与えないために、感性に働きかける精神主義で、それを糊塗してきた

・人間というものは厄介なもので、金のためとはいえ、自分が無価値な労働をしていることに耐えられなくなる。その際には、無価値な労働の中に二次的な意義なり、たのしみなりを自分で付加させていかねばならない

・困難な仕事をやり遂げた成就感によるカタルシス、出世コースを昇っていくことのゲーム性と征服欲、技術の習得によって他者との差別化がはかられたときのナルシスティックな快感、などが無価値な労働の中の二次的な意義なり、たのしみである

・カタルシスの爆発する典型的なシーンというと、トンネルが開通する瞬間などがそれである。最後の発破で貫通した穴を躍り越えて抱き合う作業員たちの顔は、完全にエクスタシーに達している

・資本の論理の中では、カルチャー・ショックなるものは、もっと乾いた受け止め方をされる。文化の位相の落差は、そのままお金の力学に置き換えることができる。相互の落差がゼロになって均衡するまでには、膨大な資本の集積が推進力として働かねばならない

・カルチャー・ショックというのは、言い換えれば「需要の塊

・サラリーマン社会の精神構造と軍隊のそれとは似通っている。サラリーを得るために、まず兵士なり会社員に要求されることは、アイデンティティの放擲であり、無機物的な機能性への帰属である

・仏教的な諸行無常の観念にのっとって自我を無化し、石や水や土や風やに同化してしまうことを日本人は意識の下で望んでいる

・コマーシャルの世界に「視線の法則」がある。限りなく90度に近い上方を見上げるか、0度つまり水平方向に広がる等身大の庶民の世界を描くか、下方90度の悲惨な世界を描くか、の三つしかない。この視線の角度が上方45度だとか、中途半端だと失敗する

・消費者は、コマーシャルに描かれる「平均的家庭」をものさしにして、自分たちの「幸福度」を測定する。この架空の家庭を基準に置かなければ、今の人間は、幸福がることも不幸がることもできない

・ビジネスの世界での共通の価値観を構成する根源は「金」。したがって、ビジネスに従事する者は、すべからく「拝金主義者」であることを、お互いの共通の前提としなければならない

・ビジネスの世界では、権力に従順で、「長いものに巻かれる」体質を備えていなければならない。酒食の欲望が強く、スケベでなければならない。つまり、「みんなと同じ」でないと、商売がうまくいかない

・サラリーマンの場合、その人間が、どの派閥に属しているかが一番手っとり早くわかるのは「昼メシ」

・企業が巨大化して、細分化、専業化するにつれ、働いている側は、意味の喪失感を覚えてきて、全体と一部との相関関係が、ある日現実感を失ってしまう。そこにおいて課せられたノルマは、苦役の強制に過ぎなくなってくる

・人間の社会的な誇りというのは、その人の持つ技術の高さによっている。技術革新の歴史というのは、その誇りを片っ端から砕いてまわる歴史である

・肥満者が「自己管理能力の欠如者」だとしたら、スマートな人間は「ストレスを感じないようなガサツなエゴイスト



中島らもさんの文章は、不真面目な表現を多用するのですが、その中に多くの真実を含んでいます。

本書は、比較的、不真面目な表現が少なく、真実が浮き彫りになっている書です。本書を読むと、誰でも、中島らもさんの鋭さ、凄さに触れることができるのではないでしょうか。


[ 2013/01/30 07:03 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『40歳の教科書・ドラゴン桜公式副読本「16歳の教科書」番外編』

40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
(2010/07/23)
不明

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本書は、子を持つ親のための特別講義として、総勢14名のスペシャリストが、「英語学習」「中高一貫校」「お金と仕事の教育」について、意見を述べた書です。

巻頭に、教育は仮説に従って「子供は厳しく育てるべき」「漫画を読ませてはいけない」「テレビゲームをさせてはいけない」などと行われてきているが、それを検証、証明されていないというドラゴン桜の著者の意見が載っています。

どんな教育が正しいのか、親もしっかり理解していないのに、子供に仮説を強要しているのかもしれません。本書には、「子供への教育」に参考になることが数々掲載されています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・「英語に時間をかけるな」が原則。「たかが英語」に必要以上の時間をかけてはいけない。時間をかけずに、日常生活に支障がない程度、仕事のやりとりができる程度までの英語力を達成する方法を考えること(大西泰斗)

・日本が経済大国に成長できたのは、英語力があったからではない。英語力でお金を稼いできたわけではない。国語や数学、物理や化学、社会など、英語以外の科目で身につけた知識・知性をベースにビジネスをやっている(大西泰斗)

・英語はツールにすぎない。学習のコストパフォーマンスを見極めること。「なんとか使えれば上等」と割り切ること。ネイティブになる必要はない(大西泰斗)

・日本人で本当に英語が必要とされる人は、全体の1割程度。残り9割の日本人には、英語なんて要らない。英語が「できない」のではなく、そもそも「要らない」(成毛眞)

・本当の英語とは、それを使って、人生や哲学を語り合える言葉のこと。あるいは、互いの感情を思いっきりぶつけ合える言葉のこと。そう考えると、やはり9割の日本人には英語など要らない(成毛眞)

ビジネス英語で覚えるのは、商品名、ビジネス用語、経済用語、業界用語くらい。そのへんを頭に叩き込めば、あとは上司の顔つきやその場の雰囲気で察することができる。ビジネス英語は、半年から1年で一定レベルまでいける。それで十分(成毛眞)

・日本人は自分たちだけが英語ができないと考えがち。英語がペラペラなのは、アメリカ人とイギリス人だけ。ヨーロッパ人の大半は英語ができない(成毛眞)

・母語の読み書きができてから英語を学習し始めた子供と、母語の読み書きができないうちから英語の学習を始めた子供を比較した場合、母語がしっかりできている子供のほうが、確実かつ急速に英語力を伸ばしていくという結果が出ている(鳥飼玖美子)

・数学が苦手だとしても、保護者はとくに文句は言わない。しかし、英語に限っては、学校教育に過剰な期待を寄せて、教育が間違っていると考えるのはおかしな話(鳥飼玖美子)

・現場を知らない大人に限って「小学生のうちから塾に通わせるのはかわいそうだ」「成績順でクラス分けするのは教育上よくない」などと批判するが、多くの子供たちは塾を楽しんでいる。成績順のクラス分けも、ゲーム感覚で受け入れている(藤原和博)

・難関中学受験はひとえに「親の受験」であり、「母親の力が9割」ということを知っておくべき。有名私立校を受験させるのは、母親のリベンジ(復讐)(藤原和博)

・私立一貫校最大の問題は、生徒や保護者の同質化(学力、価値観、家庭環境)。この「同質集団」の居心地のよさが問題になる。自分の人生を振り返ってみればわかるが、人はむしろ、居心地の悪い困難な環境で成長するもの(藤原和博)

・お金がなかったら、人は獣になる。そして、お金さえあれば、たいていの不幸は乗り越えられる(西原理恵子)

・夫に年収1000万円を求めても、夫の命を縮めるだけ。夫婦でリスクを分散して、300万円ずつ稼いでいけば、地方だったら十分幸せに暮らしていける(西原理恵子)

・公立校には最低限の料金しか払っていないのに、親はものすごいサービスを要求する(勉強、しつけ、友達関係など)。でも、それは市役所の窓口に行って「この子をしつけてください!」と要求しているようなもの。見当違いも甚だしい(西原理恵子)

・お金は「社会的な立地条件」のいいところに集まりやすい。先進国と途上国、東京と地方の差も「立地条件」。血縁関係や出身大学も「立地条件」。お金は「社会的な立地条件」で大きく変化するので、仕事の価値はお金で判断してはいけないと教えるべき(山崎元)

合理的判断力を身につけるため、また数学の延長になる知識として、もっと率直にお金の話をしていくべき(山崎元)



以前より、子供への教育が、母親の妄想と感情の手に委ねられてしまっていると感じていましたので。本書に同感するところが多々ありました。

社会の現実に晒されている父親が、子供への教育に参加してこなかったツケが現れてしまったのではないでしょうか。子供こそ、最大の犠牲者かもしれません。


[ 2013/01/29 07:00 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『坂村真民一日一言』

坂村真民一日一言坂村真民一日一言
(2006/12/22)
坂村 真民

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坂村真民さんの著書を紹介するのは、「念ずれば花ひらく」「宇宙のまなざし」に次ぎ、3冊目です。以前紹介した2冊は、詩集でしたが、本書は、坂村さんの文章も含まれています。

坂村さんの世界は、慰められ、癒されるだけでなく、人を励まし、勇気づけ、しかも、生き方まで指南してくれるものです。その世界が凝縮されているのが、本書です。その一部を要約して紹介させていただきます。



・国家にもしばられない、金力にもしばられない、権力にもしばられない、愛にもしばられない、憎にもしばられない、地位名誉にもしばられない、そういう人間でありたい

・競走馬だけが決して馬ではない。働く馬のように、しっかりとした足どりで、この一年を過ごしていきたい

・自分をよりよい者にする努力が大事だ

・一道を行く者は孤独だ。だが、前から呼んで下さる方があり、後ろから押して下さる方がある

・本を百万巻読んでも、本物になれない。本は頭を肥やすが、足は少しも肥やしはしない。足からきた悟りが、本物である

・おごるな、たかぶるな、みくだすな

・およそ迫力のないものぐらいつまらないものはない。迫力、迫力、そして新しい迫力

・若い時は大いにエゴを獲得しなければならない。若くしてエゴを持たない人は、立身も出世もせず、また良い作品を生み出すこともできない。エゴはまったく肥料のようなもの。うんと摂取して、自分を豊富なものにしなくてはならない

・こちらから頭を下げる、こちらから挨拶をする、こちらから手を合わせる、こちらから詫びる、こちらから声をかける。すべてこちらからすれば、争いもなく、和やかにいく

・大事なことは、心に花を咲かせること。小さい花でもいい。自分の花を咲かせて、仏さまの前に持っていくこと

・宗教とは脱皮解脱のこと。かつての彼と今の彼とは、別人のようになっている。そして、それによって面(顔)も一変してくる。私は、そういう人を何人か知っている

・すべて、とどまるとくさる。このおそろしさを知ろう。つねに前進、つねに一歩

・移ろいやすきを花と言い、常にいますを仏と言い、悲しきを人と言う

少食であれ。これは健康のもと。少欲であれ。これは幸福のもと

・私が願うのはユニテ(一致)。どんなに違ったものでも、どこかで一致するものがある。それを見出し、お互い手を握り合おう

・天才でない者は、成熟を待たねばならぬ

・自分の道をまっしぐらに行こうとする以上、どこかで絆を断たねばならない。それができない以上、本物になれない

・天才でない者は、捨ての一手で生きるほかはない。雑事を捨てろ、雑念を捨てろ

最高の人というのは、この世の生を、精いっぱい、力いっぱい、命いっぱい、生きた人

・不死身というのは、人が寝る時に寝ず、人が休む時に休まず、人が遊ぶ時に遊ばないこと。これは天才でない者がやる、ただ一つの生き方だ

・悲しみは、みんな書いてはならない。悲しみは、みんな話してはならない。悲しみは、私達を強くする根。悲しみは、私達を支えている幹。悲しみは、私達を美しくする花。悲しみは、いつも枯らしてはならない。悲しみは、いつも噛みしめていなくてはならない

・こつこつ、こつこつ、書いていこう。こつこつ、こつこつ、歩いていこう。こつこつ、こつこつ、掘っていこう

・よい本を読め。よい本によって己を作れ。心に美しい火を燃やし、人生は尊かったと叫ばしめよ



坂村真民さんの詩や文章は、心の拠り所となる応援歌、いや応援団のようなものかもしれません。

自分の応援団員を持つことは、人生にとって、きっとプラスになるのではないでしょうか。


[ 2013/01/28 07:00 ] 坂村真民・本 | TB(0) | CM(0)

『老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ』高瀬広居

老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ
(2003/11)
高瀬 広居

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高瀬広居さんの本を紹介するのは、「仏音」に次ぎ、2冊目です。6年ほど前に亡くなられましたが、僧侶でありながら、テレビでキャスターなどを務められていました。

本書は、仏教の視点から、老人を見つめていこうとするものです。よき老人になるための発見が多々ありました。それらを、一部要約して、紹介させていただきます。



・老いのうちに、迷妄と沈痛さをみとるか、賢明さと人間の条理・不条理のすべてが集約された純粋さをみてとるか、それは、その人自身の老いへの態度によって決まる

・「知識」も「経験」も「財力」も、老人の切り札であるが、その一つが欠けていても、「徳力」があれば、悠々と権威を保つことができる

・サイフや腕力で子供に恐れられていた親は、やがて同じ力で復讐される。そうでない親は、老いても支配力を持つ

年寄りの「くどさ」には二つある。一つは、自己主張の「くどさ」。もう一つは、釈明と弁明の「くどさ」。「くどさ」は、老いを孤独に追い込む

・人間が何かを苦とするのは、苦でない状態を知っているから。それを遠い過去に求めることは愚かである。未来と現在に発見してこそ、現実からの上昇がやってくる

・人間を外側からのみとらえる人は、「かかわり」に左右される。若い人がそうで、流行やブームなど現象に動かされ、相手の言動に一喜一憂する。目の奥でものを見ない人たちは「何故」という疑問をもたず、本質をえぐろうとしないから、極端に偏る

・「深い目」は老人の特権。うつろいゆく世の底辺に在る人生の根本、無常の哲理、因果論で割り切れない人間の不思議さ、迷いの原因、もやに霞んだ生きがいのありか、それを掘り出し示すのが、この目の力

・仏教に「定散」という言葉がある。老人はじっとしているので「定」、若者は駆け回るので「散」。定の人は、たえず心を澄ませて事の本質と道理を睨む。画一的、形式的思考をぶち破る「智目」で、子供を観、世間を眺め。その力を後継世代に与えようとする

・老人は「間」を楽しみ、遊びを人生に持つ。ヒマだからではない。限られた条件のなかで、そのゆとりを見出す

・「随喜」とは、喜びにしたがう心。他人の喜びをわがことのように喜ぶ心。嫉妬し、羨望せずに、素直に祝福する心の尊さ、それが、どれくらい人々にとって嬉しいことか、老人は知っているはず

・信念のない人ほど頼りにされず、バカにされる。一本の信条に突き進んでこそ、道は開かれる。老人は、その現実を歴史と社会から学んできている。ガンコさの根はそこにある

・老人は「得失一如」「信謗不二」の理を人生のうちから読み取った人。自由が不自由により、得が失により、信は誹謗を裏にもつことで成り立つ、という物事の両面を吸収し、その両者が一体となって絡み合っているところに、人間生活の原点があることを自覚した人

・おじいさんの優美さとは「知性」、おばあさんの美しさとは「情愛」のこまやかさ。敬愛される老人の役割はこれにつきる。どちらも「感じのよさ」を与えてくれる

・美しい老人は、第一にわがままではない。一徹であっても、我欲心で行動しない。第二に負ける心をもっている。柔よく剛を制すというように、柔和な芯の強さを備えている

清濁併せ呑めない人は、人間を利口とバカに区別する。古さと新しさに杭を打ち込む。苦手を嫌い、同好の人だけ集めたがる。偏向派閥にいつの間にかひきずりこまれていく

・博覧強記型と創造型は両立しない。年を取れば、記憶力は下降してくるのだから、論理的・創造的・哲学的・総合的な判断力の円熟さこそ大いに磨くべき

・老いには、偉ぶらない威厳が必要だが、そこにユーモアが加われば、トゲトゲしさがなくなる。自分を客観視して、時に笑ってみるのも大切

・人を人と思わぬ粗雑な神経の持ち主には「はにかみ」がない。「はにかみ」はケジメのあるしつけを受けた人に備わる。四十の坂にかかったら、「ユーモア」と「はにかみ」の二つを、身につけようとすること

・「美しく死ぬことよりも、美しく老いるほうが難しい」。美しい老いとは、精神の美学と高貴性をもつということ



老害にならないために、どう準備するか。それが、長い定年後生活の行方を決めていくように思います。

美しく老いるということを、中年以降の人生の最大の目標とするべきなのかもしれません。


[ 2013/01/26 07:02 ] 老後の本 | TB(0) | CM(2)

『跡無き工夫・ 削ぎ落とした生き方』細川護熙

跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21)跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21)
(2009/11/10)
細川 護煕

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細川元首相の本を紹介するのは、「ことばを旅する」(歴史散策随筆の本)、「閑居の庭から」(庭園・美術鑑賞随筆の本)に次ぎ、3冊目です。

本書は、細川元首相の人生、生き方、哲学、思想が記された書です。「跡無き工夫」というタイトルは、誠に渋いものです。惹かれますし、共感できます。

跡を残さない人生の考え方が、本書に数多く載せられています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・良寛の歌「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(世間と縁を切ったわけではない、訪れる人があれば気持ちよく迎え、求められれば出かけていく。でも、ひとりで読書をしたり、歌を詠んでいるほうが楽しい)のような自然体の姿勢が好き

・「跡無き工夫」というのは、自分の功を誇らないこと。あれも自分がやった、これも自分の功績だと、得意気に自分の足跡をひけらかさないということ。昔から、人生の達人と言われているような人たちは、できるだけ自分の足跡を消すことに意を用いた

・ヨーロッパなどでは、自分なりに納得のいく仕事をしたら、さっさと引退して、あとは田舎で静かに暮らす生き方(カントリー・ジェントルマンの生き方)が理想の生き方。いつまでも地位や名誉に執着するのは、スマートではないと考えられている

・「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、魂を解放し、休養させてくれる」(ヘルマン・ヘッセ)

・ヨーロッパの人々が田園生活の中で目指した「ノーブルスピリッツ、シンプルライフ」というのは、金儲けや物質的充足、個人的な野心や欲望の充足を追い求める虚飾に満ちた生活へのアンチテーゼ。日本でも、草庵思想という形で脈々と息づいている

・現世における生存形態として、最も簡素な、極限まで単純化した生き方が草庵の暮らし

・本来の教育の持つ機能とは、知識や技能の伝授に意味があるのではなく、濃密な師弟関係の中で、真の意味での上質な感化が行われること

・江戸時代の教育は、西洋の学校教育と違って、学校が単なる知的習練の場ではなかった。教育を受けるのは、就職や金儲けのためではなく、真の人間性を獲得するためであった

・それをやっているときは他の雑念を払いのけて、そのことだけに専心することと、そのことを寝ても覚めてもひたすら考え続けること。この両方を合わせて集中という

・「真の読書とは、いちばん向うにある最終目的を目指した読書。最終目的とは、言うまでもなく、自分の完成」(森本哲郎)

・「良書を読むための条件は、悪書を読まぬこと。人生は短く、時間と力に限りがあるから。その秘訣は、多数の読者がその都度むさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないこと」(ショウペンハウエル)

・私の読書スタイルは、「多読をしない」「評価の定まったいいものだけを読む」「繰り返し読む」の三点が基本原則

・跡を残そうとすると、そこについ思い上がりも生じるし、本来の自分の姿をありのままにさらけだすのではなく、自己弁護というか、多少いいように取り繕って、恰好いいところを表に出したいというような気持ちも出てくる。そのような跡など残さないほうがいい

・偉いお坊さんの中には、自ら筆を執り、書き物を残している人もいるが、それは自分の生きた跡を残したいためではなく、書きおくことが世のためになると判断したから

・老子は「知る者は言わず言う者は知らず」(本当の知者は軽々とものを言わない。言いたがる者は本当のことがわかっていない)、「善行は轍迹無し」(すぐれた行動をする人は、ことさら痕跡を残さない)と言っている

・私の遺言は、「延命治療はしないこと」「葬式無用」「告知不要」「埋葬は南禅寺の細川家の墓に」「叙位叙勲の類は固くお断り」。これも跡無き工夫の一つだと思い、家族に向けて書き残した

・陶淵明が自分の死を想像して詠った「挽歌に擬す」の詩、「得失不復知、千秋萬歳後、誰知榮與辱」(死んでしまったら利害損失もわからなければ、是非の判断もつかない。千年万年ののちに、この世で受けた栄誉や恥辱など誰が知ることか)の心情と全く同じ思い



私自身、このブログを書き始めた当初は、人生の跡を残したい気持ちがありましたが、最近では、跡など、消しゴムできれいに消してしまい、消しカスまでも、ゴミ箱に棄ててもいいと考えられるようになってきました。

本書を読むと、「人生なんてそんなもの」と感じられるようになるのかもしれません。



[ 2013/01/25 07:01 ] 細川護熙・本 | TB(0) | CM(0)