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「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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2012年度書評本・売上ベスト30

本年度(12月29日まで)、皆様のおかげで、お金学で紹介させていただいた本が、約1500冊売れました。本当にありがとうございます。

2011年度売上ベスト30と同様に、2012年度売上ベスト30を出してみたところ、2年連続ベスト30に入った本が8冊ほどありました。これも、このブログならではの特徴ではないかと思います。

この場を借りて、読者の皆様、著者の皆様、出版関係の皆様に、厚く御礼申し上げます。そして、来年もご愛顧のほどよろしくお願いします。

<第1位>
日本の道徳力~二宮尊徳90の名言~(石川佐智子著)
<第2位>
チャーリー中山の投資哲学
<第3位>
フィンランドを世界一に導いた100の社会改革
<第4位>
一倉定の経営心得
<第5位>
あの人の声はなぜ魅力的なのか(鈴木松美著)

<第6位>
近江商人三方よし経営に学ぶ(末永國紀著)
<第7位>
客家の鉄則(高木桂蔵著)
<第8位>
星新一の名言160選スター・ワーズ
<第9位>
中古マンション投資の極意(芦沢晃著)
<第10位>
なぜデンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか

<第11位>
商家の家訓(吉田實男著)
<第12位>
お金に愛される生き方(邱永漢著)
<第13位>
厚黒学・腹黒くずぶとく生き抜く(黄文雄著)
<第14位>
よみがえる商人道(藤本義一著)
<第15位>
されど服で人生は変わる(斎藤薫著)

<第16位>
一週間で自己変革、内観法の驚異(石井光著)
<第17位>
二宮翁夜話(二宮尊徳述・福住正兄記・渡辺毅訳)
<第18位>
ユダヤの商法(藤田田著)
<第19位>
言志四録心の名言集(佐藤一斎著・細川景一編)
<第20位>
リヒテンベルク先生の控え帖(池内紀編訳)

<第21位>
教育立国フィンランド流教師の育て方(増田ユリヤ著)
<第22位>
ユダヤ5000年の教え(ラビ・マービン・トケイヤー著)
<第23位>
となりの億万長者
<第24位>
売れっ娘ホステスの会話術笑わせ上手編(難波義行著)
<第25位>
天才頭脳のつくり方(石角完爾著)

<第26位>
客家大富豪18の金言(甘粕正著)
<第27位>
あなた自身の社会~スウェーデンの中学教科書~
<第28位>
一日一生(天台宗大阿闍梨・酒井雄哉著)
<第29位>
江戸に学ぶ企業倫理(弦間明・小林俊治著)
<第30位>
相場師スクーリング(林輝太郎著)

[ 2012/12/30 07:00 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

『人蕩し術』無能唱元

人蕩し術 (ひとたらしじゅつ)人蕩し術 (ひとたらしじゅつ)
(2005/12/05)
無能 唱元

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無能唱元さんの著書を紹介するのは、「人の力、金の力」「得する人」に次ぎ、3冊目です。

本書の前書きに、「人生における成功は、自分の陣営に、良き味方を得ることにかかっている。他のすべては、瑣末に過ぎない」と書かれています。まさに、その「良き味方をつくる方法」が満載の本書を、一部ですが、要約して紹介させていただきます。



・「才能」に対して抱く人々の気持ちは「羨望」。「誠実」に対して抱く人々の気持ちは「人望」。前者はとかく「羨む→恨み」に転じやすく、そこにマイナス的感情がつきまとう

・魅力は、緊張の中にあるのではなく、弛緩の中に存するもの。「頭がいい」「金持ち」「男前」というのは、魅力の一要素ではあるが、それは「緊張のサイドにある魅力」

・「魅は与によって生じ、求によって滅す」。これが人蕩の極意

・けなしや自慢の言動をとる人たちは、自己重要感を充足し得ない人たち。自己劣等感に落ち込むことを恐れるあまりに、自己優越感の暗示を自分に与えようとしている

・幸福に生きていくために必要不可欠の「知足」が行き過ぎると、人間はとかく「消極的」になり、それが高ずると、「陰性」「否定的人生」へともなりかねない

・「善を為すも名に近づくことなかれ、悪を為すも刑に近づくことなかれ」(善いことをやってもよいが、名誉が与えられるまでしないほうがいい。不道徳なことをやってもよいが、法律に触れるまでやってはいけない)。荘子は人間的欲望(衝動)をある程度許容している

・その人の悩みの量は、その人の魅力の量に逆比例する。すなわち、悩みの多い人は魅力が少なく、悩みの少ない人は、他人の悩みを救うことができるので、それが魅力を生む

・成功する人は、常に解決しなければならない問題を山のように抱えているが、精力的にそれらに取り組んでいる。しかし、悩んでいるわけではない。これに反して、失敗者は、僅かな問題にも、くよくよと悩み、自分の不運を嘆き、その苦しみを他人に訴える

プライドが高い者ほどプライドに餓えている。つまり、この世の中では、威張っている人間ほど、自己重要感に餓えている

・正義は不言実行型が望ましく、間違っても有言不実行型になってはいけない。また、言うことも言うが、やることもちゃんとやるという有言実行型もあまり好ましくない

・人間は自分に与えられた暗示の奴隷であり、この暗示の集積によって、運命は造り出される。しかし、その暗示を支配できるのだから、結局、自分の人生を自分で支配できる

・大切なことは、ゴールにあるのではなく、むしろプロセスにある。プロセスとは、とりもなおさず「進行しつつある現在」のこと

・人生を楽しく生きている人は、いわば太陽のようなもの。人々は「陽のあたる場所」を求める。だから、人蕩しの術の秘訣は、まず「陽気」になることを心得ること

・約束を反故し続ける人、時間に遅れ続ける人、これらの人々は、「現在利己的であるために、未来の不利益を背負いこんでいる」

・現代人が山に登ったり、旅に出たりするのも、自己重要感が傷つき、群居衝動が損なわれたのを、一時的にでも、癒そうとする人間の無意識的な自己治療行為でもある

・人は暗示の奴隷。しかも、ここが大切なところだが、潜在意識は、その暗示がウソであるか真実であるかの選択をせずに受け入れてしまうということ

・誇りを内に秘めた人は、一種の清涼感をもった潔さ、美しさがあり、高慢を他人に示す人は、常に嫌みを発散させる

・相手に対し、自分の心を寛容であろうと努める時、自分の心の優位性は保たれ、それは自己重要感を自らの内で密かに大きく高めることができ、それが人間的魅力の土台となる

・「無料では、ものは買えない」。支払いなしに何かを求めようとする人間こそ、最も魅力のない人間、つまり、嫌われるタイプとなる

・欲望は求をもって外に露すことなく、願をもって内に温むべし

・「秘する」とは、完全黙秘ではない。何もかもわからないでは、好奇心は生じない。「秘するとは、惜しむこと」である



「頭がよかったから」「努力家だったから」「根性があったから」成功した人よりも、「人に好かれたから」成功した人のほうが、ずっと多いように思います。

ということは、「人に好かれる」ことは、「勉強する」ことよりも大切です。その一番大切なことが、この「人蕩し術」の一冊に、凝縮されて、載っています。とっても、大切な本です。


[ 2012/12/29 07:01 ] 無能唱元・本 | TB(0) | CM(0)

『幸福論』アラン

幸福論 (岩波文庫)幸福論 (岩波文庫)
(1998/01/16)
アラン

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アランは、前に「アランの言葉」(幸福論、人間論、教育論から選んだ言葉)を紹介させていただきました。アランの行動を重視する考え方、カラダあっての心という考え方に共感しました。

今回は、アランをより深く知ろうと、幸福論だけに絞って読みました。本書にも、アランの強い意志を感じる言葉が数多くありました。それらの中から一部を抜粋して、紹介させていただきます。



・怒りは正真正銘の病気である。咳とまったく同じもの。咳は体調によって出る

・不機嫌という奴は、自分に自分の不機嫌を伝える。だから、ずっと不機嫌が続いていく。われわれは、それを克服する知恵がないので、ほほえむ義務を自らに課す

・あくびをすると、拘束するものであれ、解放するものであれ、一切の思考が逃げ出してしまう。生きることの気安さは、一切の思考を消し去る

・処世術とは、自分とけんかをしないことである。自分が下した決心や今自分のやっている仕事において、けんかをするのではなく、立派にやってのけること

・野心家は誰でも、目的を達成している。予想よりも早く達成している。彼らは、有益なことはすぐに行動に移し、ためになると判断した人たちとは定期的に必ず会って、心地いいだけの無駄なことは疎んじていた

・使いたいと思っている者には、お金はたまらない。なぜなら、彼の望んでいるのは、お金を使うことであって、儲けることではないから

・誰でもみんな、商売のため、職業のためだったら、大いに努力する。ところが、自分の家に帰って、幸せであるためには何も努力しない

・男特有の機能は、猟をしたり、建てたり、工夫したり、試みたりすること。これらの道を離れると、男は退屈し、ちょっとしたことにも不機嫌になる

・野心家はいつも何かを求めている。そこには世にも稀な幸福があると思っている。何か失敗があって、不幸に陥っている時でさえ、その不幸のゆえに幸せである。なぜなら、彼はその解決策を考えるから。不幸の真の解決策とは、それを考えることに存する

・人は、棚からぼた餅のような幸福はあまり好まない。自分でつくった幸福が欲しいのだ

・仕事というのはすべて、自分が支配するかぎりは面白いが、支配されるようになると面白くない。自分ひとりで自由にやる狩猟が楽しいのは、自分で計画を決め、それに従うこともでき、変えることもできるし、誰に報告する必要も、言い訳する必要もないから

・本当の楽しみとは、まず第一に労苦である。苦しみの方がいつも上回る。それなのに、エゴイストは、快楽が得られると思わないかぎり、指一本動かそうとしない。心配がつねに期待を圧倒するので、エゴイストは、しまいには、病気や老いや死を考えてしまう

・自由に働くのは楽しいが、奴隷のように働くのはつらい。自由な労働というのは、労働者自身が、自分の持っている知識と経験に基づいて、調整する仕事のこと

・教育者の中には、子供を一生、怠け者にしてしまう者がいる。その理由は、いつもいつも勉強させたがるからだ。そうすると、子供の方はだらだらと勉強する習慣を身につけてしまう。すなわち、下手な勉強をおぼえてしまう

・決まり文句は事実よりも説得力がある。「○○がなくなりましたね。どうなっているのやら」のような悲しみの言葉は、いつも過度に崇められている。喜びの言葉は権威的ではない。悲しみも喜びも公平であるためには、悲しみに抵抗しなければならない

・マルクス・アウレリウスは、毎朝こう言っていた。「今日も、見栄っ張りや、嘘つきや、不正の輩や、うるさいおしゃべりに会うだろうな。彼らがそんな風なのも無智のせいだ」

自分で規則をつくり、それに従っているから幸福なのである。そういう義務は、遠くから見る限り、面白くないし、不愉快である

・幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である

・不幸になるのは、また、不満を抱くのはやさしい。人が楽しませてくれるのを待つ王子のように、ただじっと座っていればいい。幸福を商品のように待ち構え、値踏みするような見方では、すべてのものが倦怠の色で染まり、どんな捧げ物でも軽蔑するようになる



アランは、快楽よりも、労苦の先にある幸福を求めよと語っています。そして、待ちの姿勢よりも、攻めの姿勢にあるとき、幸福を感じることができると語っています。

つまり、積極的思考、積極的行動によって、幸福をつかもうとしている時こそが、「幸せ」ということなのかもしれません。


[ 2012/12/28 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『二百十日・野分』夏目漱石

二百十日・野分 (新潮文庫)二百十日・野分 (新潮文庫)
(2004/01)
夏目 漱石

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今回、紹介するのは「野分」です。野分は、夏目漱石が東大の講師を辞し、朝日新聞に寄稿し始めた年に書かれたものです。

三人の作家にまつわる物語ですが、学校での講義の場面などがあり、夏目漱石の作品の中で、最も教訓的と言われています。つまり、夏目漱石の思想や哲学が、最も顕著になっている作品です。感銘した場面が数多くありました。それらを紹介させていただきます。



・金の力で活きておりながら、金をそしるのは、生んでもらった親に悪態をつくと同じ事

・学問は、綱渡りや皿廻しとは違う。芸を覚えるのは末の事。人間が出来上がるのが目的。軽重の等差を知る、好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判をあやまらざる大丈夫が出来上がるのが目的である

・同情は、正しき所、高き所、物の理屈のよく分かる所にあつまると早合点して、今度こそと、待ち受けたのは生涯の誤り。世はわが思う程に高尚なものではない。鑑識のあるものではない。同情とは、強きもの、富めるものにのみ随う影に外ならぬ

・女は装飾を以て生まれ、装飾を以て死ぬ。多数の女は、わが運命を支配する恋さえも、装飾視してはばからぬもの

・光明は趣味の先駆である。趣味は社会の油である。油なき社会は成立せぬ。汚れたる油に廻転する社会は堕落する

・成敗に論なく、愛は一直線である。成功せる愛は、同情を乗せて走る馬車馬。失敗せる愛は、怨恨を乗せて走る馬車馬

・君は人より高い平面にいると自信しながら、人がその平面を認めてくれない為に、一人ぼっちなのでしょう。しかし、人が認めてくれるような平面ならば、人も上ってくる平面です

・人間は道に従うよりほかにやりようのないもの。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番貴い

・過去を未来に送り込むものを旧派と云い、未来を過去より救うものを新派と云う

・われは父母の為に存在するか、われは子の為に存在するか、あるいは、われそのものを樹立せんが為に存在するか、吾人生存の意義は、この三者の一を離れる事が出来ぬ

・先例のない社会に生まれたものは、自ら先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を享けるものは、既に自由のために束縛されている。この自由をいかに使いこなすかは、権利であると同時に大きな責任である。偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落である

・一時代にあって、初期の人は、子の為に生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は、自己の為に生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は、父の為に生きるあきらめをつけねばならぬ

・初期は最も不秩序の時代である。偶然の跋扈する時代である。初期の時代において、名を揚げたるもの、家を起こしたるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは、必ずしも、自己の力量によって成功したとは云われぬ

・他を軽蔑し得る為には、自己により、大なる理想がなくてはならぬ。自己に何等の理想なくして、他を軽蔑するのは堕落である

・理想は、内部から湧き出なければならぬ。学問見識が血となり肉となり、遂に、魂となった時に、理想は出来上がる。付け焼刃は何にもならない

・成功を目的にして、人生の街頭に立つものは、すべて山師である

・一般の世人は、労力と金の関係において大なる誤謬を有している。相応の学問をすれば相応の金がとれるもの、そんな条理は成立する訳がない。学問は金に遠ざかる器機である。金がほしければ、金を目的にする実業家とか商売人になるがいい

・カルチャーを受ける暇がなければこそ、金をもうける時間ができる。自然は公平なもので、金ももうけさせる、同時にカルチャーも授けるというほど贔屓にはせぬ

・報酬なるものは、眼前の利害にもっとも影響の多い事情だけできめられる。眼前以上の遠い所高い所に労力を費やすものは、いかに将来の為、国家の為、人類の為になろうとも、報酬はいよいよ減ずるのである



お金と仕事、自由と束縛、理想と現実、偶然と必然、これらの物の道理がすべて理解できた人物は、明治の世には少なかったのかもしれません。

そこが、夏目漱石の悲劇ですが、その悲劇が、高尚な文学となって、今に残ったと言えなくはありません。夏目漱石は、現代人が苦悩するテーマの先駆者です。今こそ、もっと読まれるべき作家ではないでしょうか。


[ 2012/12/27 07:01 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『ランボーの言葉・地獄を見た男からのメッセージ』野内良三

ランボーの言葉  地獄を見た男からのメッセージランボーの言葉  地獄を見た男からのメッセージ
(2012/03/23)
野内 良三

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アルチュール・ランボーは、19世紀半ば、フランスで生まれた早熟の天才詩人です。家出、放浪を繰り返し、30代半ばで亡くなります。

彼がつくる詩は、若さ、甘さ、弱さの匂いがプンプンする青二才の詩です。つまり、ピュアな心を持った詩人です。

世にすれるのを拒み続けた結果、世で云う不幸な末期を迎えました。ランボーは、世を生きるための反面教師です。是非はともかく、彼の詩を、いくつか紹介させていただきます。



・ぼくが望んだのは、日光浴、果てしない散策、休息、旅行、冒険、要するに放浪生活でした

・ぼくは死にそうです。陳腐さとか、悪意とか、単調のせいで腐りかけています。どうしろっていうんですか。ぼくがバカみたいに崇めているのは、自由なる自由です

・いま働くなんて絶対に嫌、嫌です。ぼくは目下ストライキ中です。今、ぼくはけんめいに放蕩に励んでいいます

・詩人は自分自身を探求し、すべての毒を飲み尽くして、その精髄だけを自分のものにします。それは、この上ない信念、超人的な力を必要とする言語に絶する責苦です。そこで偉大な病者、罪人、呪われ人となり、そして至高の「賢者」となるんです!

・私とは、見知らぬ誰かのことです

・ぼくは、正義に対して武装した

・不幸がぼくの神様だ

・職業はどいつもこいつも虫酸が走る。親方だろうと、職人だろうと、百姓だってむかつくね

・一番いいのは、へべれけになって砂浜で眠りこけること

・まだほんのガキの頃、牢獄に何度でも舞い戻ってくる手に負えない徒刑囚にあこがれた

救済と自由、ぼくはどっちも欲しい。それを追い求めるにはどうしたらいいのか

できあいの幸福なんて、家庭的なものであろうとなかろうと、嫌なこった。ぼくには無理だね

・女たちはもはや、安定した地位を手に入れることしか考えていない。そんな地位にありつけば、真心とか美しさとかはそっちのけ。あとに残るのは冷ややかな軽蔑だけってわけさ

・人は自分の天使を見るのです。断じて他人の天使なんかではありません

・人間は誰もが幸福という宿命を背負っていることがわかった。行動するとは、生きることではなくて、力を浪費する一つの方法。神経の高ぶりなんだ

・今やぼくは、芸術とは一つの愚行だと言うことができる

・見た、十分に。持った、十分に。知った、十分に。新しい愛情と新しい物音のなかへ出発するんだ!

・ああ!ぼくは、人生にまるで未練がありません。生きているとしても、疲れて生きることに慣れっこになってしまったからなんです

・もっとも今では、どんな苦しみにも慣れっこです。ですから、私が泣き言をこぼすのは、歌を口ずさむようなものなのです

・「定めなり!」これが人生です。人生は愉快なものではありません

・いつも同じ場所で暮らすとなると、ひどく不幸なことに思えるのです

・ぼくは骸骨になってしまいました。ぞっとするような姿です。それにしても、あれほど苦しんだにしては、なんとも悲しい報酬ではありませんか!



情けない、だらしない、いじけた姿もまた、人間の本性ではないでしょうか。その本性のまま、行動できる人はいません。だらしなさを貫いたランボーは、立派な人物だったのかもしれません。

成功する人生と失敗する人生、こうすれば失敗するよ、と身をもって示したランボーの人生に、学べるところがいっぱいあるように思います。でも、身近にいたら困る人ではありますが。


[ 2012/12/26 07:01 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『「宝くじ」高額当せん者』岡崎昂裕

「宝くじ」高額当せん者 (宝島社文庫)「宝くじ」高額当せん者 (宝島社文庫)
(2002/06)
岡崎 昂裕

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宝くじを買う人は、お金に期待している人です。どちらかと言うと、お金に慣れていない人たちなのかもしれません。そのお金慣れしていない人たちが、お金を手にしたらどうなるのか、おおよそ想像はつきます。

宝くじ高額当せん者の中で、健全な人たちほど、当たった事実をひた隠そうとします。著者は、取材に困難を極めたようですが、当せん者たちのホンネを少しだけ知るができます。

本書は、棚から牡丹餅、濡れ手に粟のお金を所有した人たちの物語です。その物語の一部を紹介させていただきます。



・海外の高額宝くじ当せん者は、よくテレビや新聞に出て、インタビューを受けたり、自らの幸せをアピールしているものだが、日本にはそれがない。宝くじの歴史は、昭和20年ごろから始まっているが、そのような記事を目にしたことがない

・日本で、宝くじ当せん者が、闇に潜むのは、いらぬ嫉妬心を負うことを懼れてのこと

・宝くじ当せん者には、当せん金の払い戻しに際し、「当せん者の手引き」なる小冊子が手渡される。要は、高額の賞金を手にしたことで、人生を破滅に向かわせないようにアドバイスするためのもの。一攫千金をなしえた者には、それなりの危険が迫る

・宝くじを売り出す側が、それほどまでに当せん者の保護に尽力しているのは、当せん者に群がる、得体の知れない何者かがいるということ

・「とりあえずお金を形のあるものとして残そうと考えた。それにはまず、住宅を購入することが一番だと考え、現在の家を購入した」という夫婦が賢かったところは、当せん金を湯水のように遣ったりせず、ささやかな暮らしを守ろうと努力した点

・「貧しいながらも明るく振る舞い、つらいときでも笑顔を絶やさない朗らかな性格」だった彼女は、すっかりやつれ、老け込んでいった。百八十度、別の人格に様変わりしてしまった

・「しばらく外食していた贅沢な時期もあったが、いつの間にか元どおりに戻った」彼は、仕事時の態度にも自信がみなぎるようになり、同僚たちの見方も、以前の「無口で地味」から、「無口だが、やるときはやる」人へと評価が変わっていった

・「妻が自治宝くじで三千万円を引き当てた」T氏は、子供の進学など抱えていた苦悩が、一瞬に取り払われた。「私を追い出して、黙って子供たちと幸せを掴んでもよかったのに、私を見捨てなかった妻に、宝くじを引き当ててくれたこと以上に感謝している」と答えた

・宝くじに当たったがために、コソコソと転居したり、挙句の果てに、引きこもるようになってしまった人間も多い。大金は、人を救いもするが、心を病む原因ともなる

・「当たった喜びよりも、夫に取り上げられることの恐怖が勝った」Fさんは、手元に現金が届くまでの日数で、アパートを探し、家を出ていった。夫が金の無心に来たら、たまったものではないので、当せんしたことを口に出すつもりはなく、別居後、働くことにした

・当せんしたら、諸々の誘惑をはねのける揺るぎない意思がない限り、喜びはひた隠しにしなければならない。それができないと、間違った方向へ突進する。まっとうな人生から、他人も巻き添えにして、外れてしまう

・賭け事の場合、テクニックとか予想とか、さまざまな努力を要するものだという巷間の認識があるが、宝くじの場合にはそれがない。当せん者には、まったく労せずして得た金であるという「後ろめたさ」がつきまとう

・一般の人には、「濡れ手に粟」としか映らない宝くじには、「どうしてあいつに当たって、俺には当たらないのか」という嫉妬につながる

・宝くじに当たった人は、最初のうちは喜びひとしおであるが、時が経つにつれ、どこか「後ろめたさ」が心の奥底に湧き出す。そこにつけ込まれ、「どうぞ、恵まれない人への寄付をお願いします」とやってきた暁には、金を出さないではいられなくなる

・幸福を得たにもかかわらず、それを誰にも語ることができないまま、大袈裟な贅沢をすることもできず、それまでの生活以上に、周囲を気にしながら生きていく。金を守るために生きることを余儀なくされる人生は、幸か不幸か判別不可能

・宝くじの高額当せん者が余りにも表に出てこないのは、他人の嫉妬や羨望を恐れ、周りに集まる腹黒い人間を恐れているから



夢を見て宝くじを買うのですが、夢の先にあるのは、本書のような夢のない話です。唯一、生活資金(借金を返す)を当せん金で充てた場合だけが、その後の人生も、全うなものとなっているように感じます。

それなりに暮らしていけているのに、さらなる欲望によって、宝くじを買うのは、「買っても損、当たっても損」という両損になる可能性が高いことを、本書が証明しているのではないでしょうか。


[ 2012/12/25 07:01 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『行為の意味―青春前期のきみたちに』宮澤章二

行為の意味―青春前期のきみたちに行為の意味―青春前期のきみたちに
(2010/07/06)
宮澤 章二

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本のタイトルは、心理学書や哲学書といった感じですが、意外にも、本書は詩集です。著書は、「ジングルベル、ジングルベル、すずがなる」の作詞者として知られる詩人です。5年ほど前に、亡くなられました。

その著者が、30年に渡り、中学生向け教育冊子に連載した詩を収めたのが本書です。世代を超えて、伝わってくるものがあります。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・「原点について」 鳥が鳥である原点、それは翼を持ったこと。魚が魚である原点、それは水中に生まれたこと。ぼくらは人間の原点について考えたことがあるか・・・

・「若葉の道」 どんなに古い木でも、若葉だけは新しい緑。新しい緑に包まれた木は、新樹。この道を忘れていなかったろうか。あくせくしすぎていなかったろうか。夢が縮んでいなかったろうか。あなたの命が伸びる若葉になる。私の命も歌う若葉になる

・「自分で見つけながら」 やりたいことがないよ、なんて言うな。やっても仕方がないよ、なんて言うな。どうしてもやらなければならないことが、人間のつくる社会には無限にある。それは何か、それはどこにあるか。みんなが自分で見つけながら生きている

・「見えないものを」 枯れたように見えて、本当は枯れない枯れ野いっぱいの草たち。どこかに種子もこぼれている、数えきれないほどこぼれている。見えるものばかりに目を注ぐとき、残るのは虚しさだけではないか。見えないものたちを信じよう

・「だれに見られなくても」 花はだれかのために咲くのではない。だれに見られなくてもいいではないか。花たちは、みな自分のためにひらく

・「ぞうきんのうた」 水洗いされたぞうきんは、あちらこちらの汚れをふき取り、自分はいつも真っ黒になる。相手の汚れを自分の汚れにすることで清め、冷たい水で洗われ続け、自分はぼろぼろになってゆく

・「母と子の季節」 母は春の大地。子どもらは、そこから立ち上がる。子どもらは、そこから一歩を踏み出す。母は夏の青空。そこへ向かって、子どもらは手を振る。そこへ向かって、子どもらは飛ぶ

・「あなたに語りたい」 お父さんもお母さんも何かを求め続けてきた。それをあなたに語りたい。お父さんもお母さんも何かを知ろうと努めてきた。それをあなたに語りたい。お父さんもお母さんも一生懸命に生きようとしてきた。子供らよ、それをあなたに語りたい

・「耐える」 風や雨に耐える。長い時間に耐える。すべて耐えることの意味の深さ。急ぐことなく耐えて、耐えながらおのれを鍛えて、そこに初めて開ける真新しい風景よ。私たち一人一人に成長の重さを語れ

・「身構えているもの」 自分の力は自分で溜めなければならない。それこそ自らが生きている証拠。聞こうと身構えている者たちの、泳ぎ出そうと身構えている者たちの、伸びようと身構えている者たちの、熱い気迫がむんむんとあふれる早春の大地に私も立っている

・「別れの季節」 「成長したね」という言葉にうそはない。「これからだね」というのも正直な言葉。「がんばれよ」と励ましてくれる言葉を素直に信じて、前進を心に誓う季節。人の好意を、その時疑ってはいけない

・「マラソンの季節」 マラソンランナーは走る。スタートから自分の足を信頼して。自分のからだの調子も、自分のペースの配分も、一番よくわかっているのは自分だ。この世に生きる誰もがマラソンランナーになる時を待つ。孤独感と疲労感を自分で克服しながら

・「試されている」 走り抜く、やり抜く生き抜く。ありふれた言葉のように見えるけれど、本当はこれらの言葉によって、僕らの日常も、生涯も、人知れず試されているのだ

・「行為の意味」 <心>は誰にも見えない。けれど、<心づかい>は見えるのだ。胸の中の<思い>は見えない。けれど<思いやり>は誰にでも見える。温かい心が温かい行為になり、優しい思いが優しい行為になるとき、<心>も<思い>も、初めて美しく生きる

・「一心不乱に」 道に迷うことがあっても、独りぼっちになる時があっても、アリは絶対に絶望なんかしない。絶望なんかしているひまがないくらい、僕らは一心不乱に歩きたい

・「出発の意味」 「進もう」と決意するからこそ道がある。自分の道は自らの努力でしか歩けない。それを身をもって確かめるための出発

・「ことばの風景」 家という場所は、「おかえり」のひと言で明るくなる。「ただいま」のひと言で暖かくなる



若者にいちゃもんをつける年寄りが多くいます。老人の若者への嫉妬ほど醜いものはありません。本書は、若者への温かい眼差しに満ち溢れた詩集です。

本書には、若者を育てていこうとする美しい心があります。この心こそ、人間社会にとって、一番大切なものではないでしょうか。


[ 2012/12/24 07:03 ] 育成の本 | TB(0) | CM(3)

『新編・啄木歌集』石川啄木

新編 啄木歌集 (岩波文庫)新編 啄木歌集 (岩波文庫)
(1993/05/17)
石川 啄木

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石川啄木と言えば、以下の作品が有名です。

「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽さに泣きて 三歩あゆまず」
「はたらけど はたらけどなほわがくらし楽にならざり ぢっと手を見る」
「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

これらの作品も含め、自己の内面を告白した作品が多いのが石川啄木の特徴です。その自己の内面とは、いやらしさずるさお金への執着などの、負の面も含めてのものです。

今回は、その石川啄木の負の内面にスポットをあて、別の角度から、石川啄木を紹介させていただきます。


・「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」

・「鏡とり 能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ 泣き飽きし時」

・「わが髭の 下向く癖がいきどほろし このごろ憎き男に似たれば」

・「何処やらに沢山の人があらそひて くじ引くごとし われも引きだし」

・「鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも」

・「かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり」

・「こころよく 人をほめてみたくなりにけり 利己の心に倦めるさびしさ」

・「へつらひを聞けば 腹立つわがこころ あまりに我を知るがかなしき」

・「実務には役に立たざるうた人と 我を見る人に 金借りにけり

・「みちばたに犬ながながとあくびしぬ われも真似しぬ うらやましさに」

・「気の変る人に仕へて つくづくと わが世がいやになりにけるかな」

・「かなしきは 喉のかわきをこらへつつ 夜寒の夜具にちぢこまる時」

・「我に似し友の二人よ 一人は死に 一人は牢を出でて今病む」

・「かなしくも 頭のなかに崖ありて 日毎に土のくづるるごとし」

・「わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く」

・「何事も金金とわらひ すこし経て またも俄かに不平つのり来」

・「あたらしき洋書の紙の 香をかぎて 一途に金を欲しと思ひしが」

・「六年ほど日毎日毎にかぶりたる 古き帽子も 棄てられぬかな」

・「本を買ひたし、本を買ひたしと、あてつけのつもりではなけれど、妻に言ひてみる」

・「どうなりと勝手になれといふごとき わがこのごろを ひとり恐るる」

・「誰か我を 思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ。何の心ぞ」

・「考へれば、ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。煙管をみがく」

・「よごれたる手を洗ひし時の かすかなる満足が 今日の満足なりき」

・「人がみな 同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心」

・「何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る」

・「何故かうかとなさけなくなり、弱い心を何度も叱り、金かりに行く」

・「月に三十圓もあれば、田舎にては 楽に暮らせると ひょっと思へる」



石川啄木の作品は、貧乏と悲運を嘆き、非痛の叫びがあるからこそ、私たちの心に訴えかけるものがあります。

何事も、身を切る行動をしなければ、人を感動させることは難しいのではないかと考えさせられる一冊でした。


[ 2012/12/22 07:03 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『サキャ格言集』サキャ・パンディタ

サキャ格言集 (岩波文庫)サキャ格言集 (岩波文庫)
(2002/08/20)
サキャパンディタ

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サキャ・パンディタは13世紀チベットの学者です。政治家としても、チベット代表として、モンゴル帝国との折衝にもあたった人です。

そのサキャが格言を457句残しており、現在に至るまで読み継がれています。その中から、気に入った句を一部ですが紹介させていただきます。


・これから起こることを、起こる前に観察する時、賢者と愚者の違いが分かる。起こってから観察するのは愚者である

・ずっと先を見つめ、規律正しく辛抱強く、努力家にして意志堅固なもの、彼は召し使いであっても指導者になる

・与えたものは取り戻さず、劣った者の悪口を受け止め、小さな恩も忘れない。それは偉大な人のしるしである

・偉大な人が苦労して作ったものを、悪人は一瞬にして壊してしまう。農夫が年月をかけて作った作物を、雹(ひょう)は一瞬にしてだめにする

・心にねたみを持つ愚者は、害を及ぼす前に態度を表す。愚かな犬は敵を見て、噛み付く前に吠える

・智恵のない者が大勢集まっても、大きな仕事はできない。小枝をたくさん集めたところで、家の梁(はり)を支えるのは難しい

・智恵のない者は少しの勝利で満足し、負けたとなると味方を恨む。話し合いに集まれば喧嘩をし、密談は漏らしてしまう

・彼は味方、彼は敵と、智恵の劣った人は区別する。智恵の大きな人は誰をも慈しむ。誰が役立つかは分からないから

・賢者は貧しくても、格言で人を喜ばせる。愚者は金持ちになっても、喧嘩で自他を焼きつくす

・劣った人が金持ちになると傲慢になり、立派な人が金持ちになると穏やかになる。狐は満腹になると傲慢に吠え、ライオンは満腹になると安らかに眠る

・悪人はまず言葉で騙し、安心させてから欺く。漁夫が餌で騙し、魚を殺すのを見よ

・本当にせよ嘘にせよ、言うべきでないことを、人の前で言う人。賢者は彼に気をつける

・怠慢で努力をしない人は、力があってもだめになる。象は力があるけれど、小さな象使いの奴隷である

・慈しみが過ぎると、憎しみのもとになる。世間の争い事の多くは、親密さから生じる

・人生は長寿を願いつつ、老いを恐れる。老いを恐れつつ長寿を望むのは、愚者の邪見である

・敵に害を与えたいなら、自分が功徳を積むことだ。敵は嫉妬で心を焦がし、自分は福徳が増える

・賢者が財産をためようとすれば、少し施すことが財産を守ることになる。井戸の水を増やそうと思えば、助言は汲み上げることである

・正直な賢者は敬って師事せよ。ずるい賢者は注意せよ。正直な愚者は慈しめ。ずるい愚者はすぐに捨てよ

・貧しくても苦しまず、富んでも喜び驕るな。業の結果が出るのには長くかかるから、諸々の苦楽はまだ先に出て来る

・敵は害をなすから征服すると言うのなら、自分の怒りこそ征服せよ。怒りは無始の昔以来、自分に対して無限の害をなしている

・愚者は学ぶことを恥ずかしがり、賢者は学ばないことを恥ずかしがる。だから賢者は年老いても、来世のために学問する

・良馬は走れば分かる。金銀は溶かせば分かる。象は戦場に出れば分かる。賢者は格言を書けば分かる



日本人が、チベット文学に触れる機会は、ほとんどありません。しかし、この「サキャ格言集」には、仏教的な考え方の数々が内包されており、地域と時代が大きく違っても、日本人が共鳴できる部分が多いように思います。

また、音節が四つの韻文句形式なので、簡潔で読みやすいのではないでしょうか。


[ 2012/12/21 07:03 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『二畳で豊かに住む』西和男

二畳で豊かに住む (集英社新書)二畳で豊かに住む (集英社新書)
(2011/03/17)
西 和夫

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私の書斎は二畳です。その中に、机(パソコン、文具、備品)、書棚(本1000冊近く)、簡易ベッド、衣服一式、段ボール箱(捨てられない品)を詰め込んでいます。

衣服は、壁にフックを数本打ちつけ、強靭なロープを張り、そこに掛けています。簡易ベッドは、角を少し削って、無理やり入れ込みました。壁面や空間を有効に使っているので窮屈ですが、今では、そこが落ち着ける場所になっています。

まさに、「二畳で豊かに住む」だったので、この本を思わず読んでしまいました。

昔から日本人(庶民)は、長屋などの狭い部屋で工夫しながら暮らしてきました。そこで、どんな暮らしが可能なのか、著名人の実例などを含め、詳しく解説しているのが本書です。それらの一部を紹介させていただきます。



・内田百閒の家の玄関脇には、「世の中に人の来るこそうるさけれ、とは云うもののお前ではなし。世の中に人の来るこそうれしけれ、とは云うもののお前ではなし」と書いて貼っていた

・鉄道好き、猫好き、美食家であった内田百閒は、二畳の空間に夫婦二人で住んだ。住宅とはとても呼べない小屋だが、夫婦二人で三年近く住んだのだから、機能としては間違いなく住宅。住む機能としては、ぎりぎりの、一種の極限住宅

・「百閒邸は、三畳間一つの掘立小屋だが、奥の一畳分を押し入れ代わりにしている。棚を吊って、食糧、食器類を載せ、その下に衣類布団が入れてある。残り二畳には、机、コンロ、籠、書籍その他日用必需品が整然と並べてある」(中村武志・掘立小屋の百聞先生)

・百閒は、芸術院会員に推挙されるが、これを断る。芸術院に入るのが「イヤ」という。「ナゼイヤカ、気が進マナイカラ、ナゼ気が進マナイカ、イヤダカラ」。百閒生涯一番の名文句

・黒澤明が百閒をモデルに、映画「まあだだよ」を作った。「世界のクロサワ」が映画にしたいと思うほど、百閒は興味深い人物だった。ユーモアと辛辣さとで乗り切った「乞食暮らし」は、「イヤダカライヤダ」という強靭な反骨精神で支えられていた

・高村光太郎は、人里離れた小さな小屋の、その中の小さな空間、濃密な空間に住もうと考えた。自分だけの静かで充実した空間が必要だった。鴨長明の方丈の庵、西行の山中の庵に近い境地。長明は方丈記を書き、西行は歌を詠んだ。そして、光太郎は詩を作った

・正岡子規は「病床六尺、これが我世界」と語り始める。その病床で作った「病床口吟」の句が「繭玉や仰向けにねて一人見る」「病床やおもちゃ併べて冬籠」

・病床六尺、ふとん一枚が子規の世界であった。精神は強健、身体は風前の灯。そこから俳句や和歌の革新が発信され、子規の考えが広く伝播していった

・世界的な建築家として知られるル・コルビュジエの作品に「小さな家」と名付けた住宅がある。広さは60㎡(18坪)ほど。これを「最小の面積」としている

・茶室は、茶を点て、喫する(飲む)行為の空間で、点てる人(主人)と飲む人(客)の最低二人を入れる空間が必要。その結果、小さい茶室として、一畳半の茶室(建築としては実質二畳)に到達する。これがリミットと考えられている

・九尺二間と言われる江戸時代の裏長屋は、六畳の広さで、踏込みの半間は土間だから、畳は4畳半しかなく、ここに家族が生活した。土間に、かまど、水がめ、桶が置かれ、押入れがないので、寝具が積み重ねられ、その横で縮こまって暮らしていた

・敗戦直後の昭和20年、政府は6.25坪の応急緊急住宅を30万戸建てる計画を発表した。広さは6畳と3畳、1畳分の押し入れ、1畳分の台所、半畳分の便所など、粗末なねぐらだった

・建築家、安東勝男は昭和21年、「小住宅」と題する小冊子で、夫婦と子供一人の三人家族で、七坪が最低限と結論づけ、土間を活かし、間仕切りを少なくする七坪の小住宅を提案した

・建築家、池辺清は昭和25年に、「立体最小限住居」(14.5坪ほどの木造片流れ屋根の2階建て)を提案。「大きい家はバカでも住める、小さい家に住むのには知恵がいる」「どうやって小さい中でうまく住めるかというのは、我々自身の問題」と言った

・「狭いながらも豊かな空間」とは、自分の意志で積極的に住み、友人、支持者などと深いつながりをもち、狭いが充実した意義深い空間



「大きいことはいいことだ」に対して「スモール・イズ・ビューティフル」という概念があります。前者に主に必要なのはカネ、後者に主に必要なのは知恵とセンスです。

大きくて美しい空間を求めようとしたら、その空間のために、生活が犠牲となってしまいます。本書は、「狭いながらも豊かな空間」を模索することが、現代の日本に必要であると説く書だと思います。


[ 2012/12/20 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元を探る』川喜田二郎

創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元を探る創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元を探る
(1993/10)
川喜田 二郎

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書棚の奥を整理していたら、本書が出てきました。「KJ法」や「発想法」で問題解決の方法論を提唱した川喜田二郎さんの晩年の大作です。

改めて、読んでみましたが、難解でした。完全に読み切ったわけではないですが、大事に思えたキーワードを抜き出し、まとめました。それらの一文を紹介させていただきます。



・チームワークの基礎は、結局、パブリック・マインドにある。自分の立場だけを考えるご都合主義だったら、人は決して付いていかない。逆に言えば、ちっぽけな自分から離れて、これが真実だと思っている人の言動は、確実に相手に伝わるということ

・集団でいると、どうしても人間は互いに頼り合うので、危険に対処する鍛錬に欠けてしまう

・人間は、最低限の食い扶持は自分で作ってみせるという気持ちがあると、気が大きくなるし、失敗を恐れなくなる

・リーダーは無意識のうちにもエネルギーの消費が多いので、徒に率先陣頭に立ったりはせず、余力を蓄えておくべきである

・創造性とは、「ひと仕事やってのける能力を持つこと」である

・創造性とは、現状を打破し、つねに新しい状態に変えていくことで、その最も代表的な例は、新陳代謝である

・渾沌の中に身を置いて、自分がもがくことを、思考と行動の原理とすること。最初にあるものは「我」ではなくて「渾沌」である

・現代の知識人は、一般論に流されてしまっている。創造的行為を生み出す、「そのとき」の持つ絶対感、いわゆる「一期一会」の独立性というものが、実はわかっていない

・創造的行為を達成した人は、自分が力を尽くした土地や場所がたいへん懐かしくなる。これは「ふるさと化」するということ

・早くから都市国家の形態を採ったところは、外から敵が攻めてくるところ。防衛上、城壁を築いて立て籠らなければならなかったのが理由

・都市国家が文明段階に近づくと、一つにまとめるには無理な大きさになる。そこで「」というシンボルを作って、それを強調することにより団結力を強める。次に、財力の結集が必要となって「権力者」が出てくる

・大きな都市国家のコミュニケーションは、言葉だけでは不充分で、「文字」が作られ、記録法も開発される。また、大人数をまとめるために「規制・法律」が作られる。そして、、経済交流をうまくやるために「貨幣」が作られる

・創造性の三原則とは、「モデルがない」「自発性」「切実性」ということ

・階級社会の成立は、物質的搾取だけでなく、創造性の抑圧を通して、人間に不自然なことを強要し、そのことによって、人間性の崩壊をも、もたらした

・「教祖」「経典」「教団組織」の三つ揃っているのが、伝統宗教にない大宗教=高等宗教の基本的性格

・大宗教の普及は、個人主義の大衆化の指標、インディケーターみたいなもの

・現場は上の意見に従えというのがエリート階層の理想とする管理社会であるが、それをごまかして、下のほうを怒らせないために、現場の意見を聞くようなふりをする

・本当の個性が発揮されるのは、その人らしい「ひと仕事」をやり遂げたときであって、決して自我意識の押し売りではない。つまり、「俺が、俺が」という我があるうちは個性が出ない。「俺が」がなくなっているからこそ、個性が出て、非常に人の心を打つ

・問題提起では「宗教家・芸術家」のように、状況把握では「科学者」のように、本質追求では「哲学者」のように、構想計画では「政治家」のように、具体策では「ビジネスマン」のように、手順化では「技術者」のように、楽しんで工夫していけばいい

・「加乗減除方式」とは、多様な情報を、いい悪いを絶対に言わずに、徹底的に出し合うことから出発し、全体状況が把握できれば、その中から重要なものを採って、価値の少ないものを捨て、最後に賛否を採って決定するもの



川喜多二郎さんは、本書の最後に、「経済的な豊かさだけでなく、創造性を大事にしなければならない」「創造的行為は、没我によってなされる」と締めくくられています。

このような創造的「場」を作り上げることを目標にすることが、新しい文明を作り上げていくことになるのかもしれません。


[ 2012/12/19 07:03 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『お金とユダヤ人・富を引き寄せる5000年の秘密』石角完爾

お金とユダヤ人 富を引き寄せる5000年の秘密お金とユダヤ人 富を引き寄せる5000年の秘密
(2010/03/27)
石角 完爾

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石角完爾さんの本を紹介するのは、「天才頭脳のつくり方」「だから損する日本人」に次ぎ、3冊目になります。石角完爾さんはユダヤ人(ユダヤ教に改宗)となって、世界を股に活躍されている国際弁護士、教育コンサルタントです。

ユダヤ人はお金についてどう考えているのか、お金の教育をどうしているのかが本書のテーマです。参考になった箇所が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・美食と飲酒、無駄な娯楽、虚飾的商品の購入、快楽だけの性交渉、怠惰な時間、ギャンブル、麻薬など、これら現代人の悪徳に誘惑されると、お金と時間のエネルギーが浪費される。ユダヤ教は、それらに惑溺することを禁じる。結果としてお金が貯まりやすくなる

・「食卓での議論は飯をうまくする」「質問をする舌の先に幸せがある」という格言の意味は、議論、会話が幸せをもたらすことを示している。その中でも特に「質問」をユダヤ人は大切にする

・ユダヤ人は、かなりの収入がある人でも質素(靴はスニーカー、服は家ではジーンズ、車は日本車、ヴィトンのバッグなど見かけない)だが、家は本であふれている。こうした姿は、ユダヤ人だけでなく、どのアメリカのエリート層にも共通している

・日本の祭りは楽しいものだが、ユダヤの祭りは苦難を体験させるもの。「過ぎ越しの祭り」では、まずいパンを1週間食べ続ける。「ヨム・キプール」の祭日は、24時間飲み食いが許されない。「スコットの祭り」では、ワラで作った仮の家を建て、そこで生活する

・ユダヤ人が子供の教育で必ず教えることは、「トーラーと呼ばれる書物」と「失敗の体験」の二つ。「最もよい教師とは、最も多くの失敗談を語れる教師」の格言のとおり、ユダヤ教の学習会では、失敗を話し合うことが奨励される

・「アインシュタインもマルクスもフロイトも、携帯やゲーム機があったら研究上の発見をしなかった」(三人はいずれもユダヤ人)と言う人がいる。ユダヤ社会の伝統教育では、13歳前~20歳前後までは、タルムードの教育を行い、外の情報に触れさせない

・ユダヤ教は、「適正」「自己学習」「自己抑制」「自己管理」「正直」の五つの言葉に要約できる。この逆の「貪欲」「怠惰」「不摂生」「放埓」「虚偽」が、人生でやってはいけないこと。お金儲けでも、この五つの悪徳は当然禁止される

・1947年に施行された日本国憲法の制定には、連合国連総司令本部の民政局にいたユダヤ人弁護士チャールズ・ケーディスが大きな役割を果たした。日本国憲法の「私権の享有は公共の福祉に従う」という思想は、ユダヤ法の影響を受けている

・ユダヤ教には「隣人をうらやむな」の戒律がある。ユダヤ人は、「あの人は計画を立て、それを実行して成功した。私も同じようにすればいい」「ユダヤの教えに従っていれば、誰もが成功にたどり着ける」と確信しているため、人をうらやましいと思わなくなる

・世界の歴史を見直すと、ある国が覇権国になる前から、その国に、先読み能力に優れたユダヤ人が住み始め、活躍する。言い換えれば、ユダヤ人が活躍できる国は、人種・宗教の偏見の少ない自由な国で、異質な力を活用するのに長けている国

・今、ユダヤ人が向かっているのは、インド(イスラエル企業とアメリカ企業がIT分野を中心に積極的に進出)と中国(香港、上海にユダヤ人が集中して住んでいる)とロシア

・ユダヤのビジネスは、人が利用せざるを得ない仕組みをつくり、お金が落ち続けるようにする。かつては金利であり、今はネットや通信技術。ユダヤには、「こじきのお金の稼ぎ方」(チャリンチャリンと人々がお金を落としていくプラットホームづくり)の説話がある

・ユダヤ民族には、子供をほめる文化があり、子供に、「あなたならできる」とほめ、「私ならできる」と言い聞かせ、自分を卑下させない。そのため、ユダヤ人は実力以上に自分を評価する自信家が多い。こうした過信が実力以上の仕事をさせ、成功をもたらす

・企業のM&Aで、その企業価値の算定法には「清算価値」「時価総額法」「DCF法」という考え方がある。「DCF法」とは、一言で言えば、稼げる金額の7年分を会社の価値と見る考え方。ヘブライ聖書では、資産の評価方法として、DCF法がよいとしている

・アメリカ人は英語しか話せないと思っている人が多いが、エリート層ほど外国語を学び、話す。ニューヨークなどの大都会では、この傾向は顕著

・ユダヤ人の「お金の知恵」の工夫は、「1.人をほめる」「2.家族との時間」「3.生きる意味の自問」「4.善行の習慣」「5.心と体のダイエット」「6.新しいことに挑戦」「7.喋るより聞く」「8.自らの解放時間」「9.不運を幸福に変える」「10.人生を喜ぶ」



お金は、習慣や考え方の影響を受けるもので、小さい頃からの教育によってもたらされます。ユダヤ人が家庭教育を重視するのは、そのためです。

本書を読むと、教育こそ、お金を産み出す源泉、幸福を産み出す源であると確信できるのではないでしょうか。


[ 2012/12/18 07:03 ] 石角完爾・本 | TB(0) | CM(0)

『商家の家訓―経営者の熱きこころざし』吉田實男

商家の家訓―経営者の熱きこころざし商家の家訓―経営者の熱きこころざし
(2010/10/20)
吉田 實男

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本書は、近江商人の家訓、豪商の家訓、財閥の家訓、老舗百貨店の家訓、製造業の家訓など、江戸時代の二十四商家の家訓を深く掘り下げた600ページを越える分厚い本です。

しかし、難解な専門書ではありません。現代訳と解説が丁寧に記され、見やすい構成になっています。参考になる箇所がたくさん見つかりました。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・自分の一生は、その身代を我が子に渡すまでのたかだか30年。親から譲られた財産を大切にし、子供たちに無事に渡すべきもの(五個荘商人二代目中村治衛宗岸の家訓)

・人のことを謗ったり、告げ口をしたり、人間関係を混乱させるようなことは絶対にしてはならず、いつも陰日なたなく控え目であること(五個荘商人五代目外村與左衛門の家訓)

・売った後で、さらに値上がりして、悔しい思いをするのが、末永い繁栄の秘訣である。「売りて悔やむ」は商売の極意であることを心得ておくこと(同上)

・当面の利益の大小を争って、世間の動向に左右されるのは愚かな小人のすること(同上)

・40歳までは、人を招待したり、人からの招待に理由もなく出かけるものではない(博多商人島井宗室の家訓)

・他人が持っている道具を欲しがってはならない。たとえ人から頂戴することがあっても、決して受け取ってはならない(同上)

・貪欲な商人は五(分)を求め、清廉な商人は三(分)を求める。利益と道義は一体のものである(貿易商角倉素庵の家訓)

・近しい親類縁者の家に対して、金銀を融通することを堅く禁ずる。金銀の貸借を通じて一門が不和となることが多い(関西の豪商三代目鴻池善右衛門宗利の家訓)

・世の中のありさまや人の情けを理解し、心身を練磨することは、一家を治める上において必要なこと。本家を相続する者は、必ず全国を巡るべき(酒田の豪商本間光丘の家訓)

・美人でなくとも気立てがよく心優しい女がよい。結婚相手は器量好みをしないこと(関西の豪農伊藤長次郎の家訓)

・幸せとは、努力と辛抱によって手に入れるもの。それ以外に幸せも幸運もない(同上)

・贅沢しようと思わなくても、「これくらい差し支えあるまい」が、いつの間にか、ずるずると贅沢になる(同上)

・交際相手は、質素倹約をして地道に生活をしている人がよい(大地主諸戸清六の家訓)

・賢い人は、馬鹿になれる人。このような人になれば、頭を下げて人に質問もでき、商売もできる。気位が高いだけの人間になってはいけない(同上)

・2年先の予測、見極めができるようにすべき(同上)

・田舎に比べて、江戸・京都・大坂は華美に流れて贅沢になり、気位が高くなって、家業も疎かになる。「前車が覆るは後車の戒め」を忘れぬこと(三井家家祖三井高利の家訓)

・他人のことは悪口も誉め言葉も噂話もしてはいけない(住友家家祖住友政友の家訓)

・意志の弱い人は、気が移りやすく、衣服や調度の流行を追って、外見を飾ることを良しとする。このような欲望の奴隷となる人は財産を減らす(安田善次郎勤倹貯蓄談)

・意志の弱い人は、取引に際して、引っ込み思案で、相手に「引け」をとる。このような人は、情実にこだわって、損害を招く(同上)

・交わってためになる友を近づけ、損になる友を遠ざけ、己にへつらう者を友としてはならない(渋沢栄一の家訓)

・古参新参にかかわらず、信実の心を持ち、才能と力量を兼ね備えた人物を抜擢して大役を務めさせること。役に立たない順番を重んじないこと(大丸創業者下村彦右衛門の言葉)

値札どおりの商売をすること。高く値を付けて、後で値引いたりしないこと(高島屋の祖初代飯田新七の四つの網領)

・商品の善し悪しを明確にすること。商品の良いところ悪いところを正確にお客様に告げて、ただの一点たりとも嘘偽りがあってはならない(同上)



わかりやすい現代訳の「商家の家訓」は、ありそうでなかったように思います。しかも、「まとめ」が、よくまとまっています。

出典や参考文献も丁寧に記されており、江戸時代の企業倫理を知る上で、貴重な書ではないでしょうか。著者の真面目さと誠実さを感じる本です。


[ 2012/12/17 07:02 ] 商いの本 | TB(0) | CM(0)

『立川談志が遺した名言・格言・罵詈雑言』辺見伝吉、久田ひさ

立川談志が遺した名言・格言・罵詈雑言立川談志が遺した名言・格言・罵詈雑言
(2012/08/28)
辺見伝吉、久田ひさ 他

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私が、話芸の天才だと思っている芸人は、ここ30年では、立川談志、上岡龍太郎、上沼恵美子、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、松本人志だけです。この人たちは、大相撲の番付に例えると「横綱」です。そう滅多に現れない人たちです。

そのうちの筆頭格である立川談志さんが亡くなられてから、早一年が経ちました。本書は、生前に発した言葉(善悪を問わず)をまとめものです。このような本を待ち望んでいただけに、一気に読みました。

落語家の名言集というよりも、現代思想家の箴言集なのかもしれません。感銘した言葉の数々の中から、一部ですが、紹介させていただきます。



・人間は誰でも、いつ犯罪を犯すかわからない、始末の悪い生き物

・女子高生が売春をした?売春婦が高校に通ってたんだろ

・一生懸命にやればやるほど、他人から見ると滑稽なものだ。夫婦喧嘩なんか、その最たるものだ

・強者は、弱者を助けることで、己が強者であることを確認する。だけど、気まぐれだから、助けないこともある。弱者は人を助けないね

矛盾に耐えろ。そこからエネルギーが生まれてくる

・嫌になるのに理屈はない。理屈は後からつけるもの

・人間を一つの尺度で測ろうとすることには無理がある。「常識」とか「学問」は、その無理を正当化しようとする

・努力とは、莫迦(ばか)に与えられた希望である

・親切は人を説得する

・己の幸福の基準はなにか、各自で決めること

・ケチはなにかと不自由だ。だが、その不自由さの中に、生きているという実感がある

・「文化」とは、不快感の解消を己ですること。他人がつくったもので、解消することを、「文明」という

・人間の好奇心は果てしがない。それを止めるのは恐怖心だけ

・最大の嘘を経験していますからね、「日本は負けない」という嘘を

・「いい子」というのは、「大人にとって都合のいい子」である

・人が本当にしたいのは「自慢話」だけ

・今の時代で、ほんとに不味いものはないんです。ほんとに不味いものがあったら売れません

・酒が教えてくれること。それは、人間は本来ダメな存在なのだ、ということ。酒が人間をダメにするのではない

・好きなことだけで仕事は選べない。「好きの虫」を育てることが、仕事の醍醐味になるのだ

・人間の奥底には、わけのわからないものがある。それをそのまま出すと、社会が成り立たなくなる。だから、人間は「常識」というものをつくって、なんとかやりくりしている

・芸のいい芸人には、嫌なヤツが多い。嫌なヤツほど芸がいい、と言っていいほどだ

・とにかく、たくさん書け。質だけでなく量もともなうのが天才であり、プロである

・はやされたら、踊れ

・修行とは、理不尽に耐えることである


本書の最後は、「落語とは、人間の業の肯定である」というあまりにも有名になった言葉で、締められています。

そう考えるなら、「世の中は人間の業の集合」かもしれません。立川談志さんは、世の中の本質が業であると知りながら、業だらけの俗世間にあえて交わり、自分だけは業につからなかった人だったのではないでしょうか。


[ 2012/12/15 07:01 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『吉川英治対話集』

吉川英治対話集 (1967年)吉川英治対話集 (1967年)
(1967)
吉川 英治

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剣豪「宮本武蔵」を著わした、文豪「吉川英治」の対談本です。吉川英治氏に関する書は、「吉川英治人生の言葉・いのち楽しみ給え」に次いで、2冊目です。

対談本なので、少しくだけて、吉川英治氏の本音がよく出ているように思います。でも、その内容は、本質をとらえた言葉ばかりで驚かされます。その中から、ためになり、感銘した言葉のエッセンスを紹介させていただきます。



・少しでも。こっちが教えるような気持ちになるといけない。大衆と離れてしまう。一段登るといけないんだ。だから、大衆というものは、大知識で、他愛がなくて、気難しくて、正直に感じてくれる、何か非常に大きなもの

・よじ登ろうという人生登攀期、あるいは青春危険期、これが、今もって何となくぼくという人間の生涯を成している。始終何か登攀を要する。あるいは、逆境をいかによりよく生きていこうかという生活が、始終ぼくのコースになる

・子供に何を伝えてやろうかというと、学問とか金とか、そういうものは何にもならぬと思う。ぼくは、一番に健康と生活力、それと社会人として歪みのない良識を持たしてやらねばならぬと思っている

・征服欲とか人間の猜疑とか、一つになっても長続きしない。また、再分裂する。それから、また、複数から単数への移行を始める

・芸術の世界でも、時代ということは痛感する。一つの芸術、一つの流派が、一つの時代に極限に達すると、その後の時代に生まれたものは、どうしてもそこまでいけない(川端康成)

・よく青年は短気だと言うが、老人にも特有の短期がある。その短気さが青年期と違う。青年の時は、ブレーキが強いが、老年はカーッとなる時のブレーキがきかない

・年寄りというのは、衰えていくのではなくて、経験が完成していくもの

・だんだん年をとってくると、人を許せるようになる。ところが、許せないのは、自分の骨肉のイヤなところ。自分の血がつながっている者、あるいは身近な者ほど許せない

・老夫婦の仲いいのは微笑ましく見える。そういう老夫婦には、人生の遠景が見えている

・田能村竹田が五十幾つのとき、「愉しみのあるところに愉しみ、愉しみなきところにも愉しむ」と手紙に書いてある。これは人生観の成長

・大きな権力を持てば持つほど、補強が要る。それでも、不安があるから、もう一つ上の権力を望むようになる

・成功しても有頂天にならない。輪廻の外にいる。循環の外にいる。もちろん、人間は輪廻の中のものだけれども、見かけだけを輪廻の外へはずしてみる

流行を追うことを決して馬鹿にしない。無智にも似たる新しいものに対する敏感さ。それはやはり貴重である

・仏像にある調和美は、国の風習と、生活の仕方、いろいろなものに調和されたものが、あの姿、あの線とあの顔になっている

・大衆の中から、自分ひとりだけ除いて、ものを考えるなんて、大間違い。その意味で、自分は群衆の圧縮だという言葉は大変におもしろい

・大衆の中に、自分の机を持っていくという気持ち。一段降りて、自分も群衆のひとりみたいになって書く。これが、一番のアピール

・人間は年をとると育たなくなるらしい。育たない人と話していると、五分間話していると倦きてしまう。ぼくは人というものは、何歳になっても育つものだと思っている

・社会史をみると、根底に野性というものの力が重要な役割をしている。野性の生命力が、のちに咲く花の球根の役をしている

・「魚に川は見えない」。ものを見る場合に、実際に見えなくなる。渦の中へ入ると見えなくなるのも無理はない。歴史の流れを見ていつも感じることは、これほどの人物が、どうして、みすみすこんな間違ったほうへ傾いておぼれ去るのかということ



この本の巻頭に、「君と一夕の話、十年書を読むに勝る」という吉川英治氏の言葉があります。

人間、レベルの近い者同士が、語り合うことほど刺激を受けるものはありません。本書は、著名人との対話によって、吉川英治氏が潜在的に持っているものが、いっぱい引き出されたのかもしれません。


[ 2012/12/14 07:03 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『世界のことわざ―和洋対比2千句』梶山健

世界のことわざ―和洋対比2千句 (1963年)世界のことわざ―和洋対比2千句 (1963年)
(1963)
梶山 健

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かなり前に、古書店で買った昭和38年発行の本です。本棚の奥を整理していたら、出てきました。サブタイトルが和洋対比2千句というものです。短い歯切れのいい言葉が多く、すらすら読めました。

主に、西洋のことわざが収められています。日本ではあまり知られていない二千もの中から、面白いと思ったものを拾い集め、一部紹介させていただきます。



権威のない怒りは嘲笑されるだけである(ドイツ)

・あとから出る分別は愚者の分別(西洋)

・富者の門に立たず、哀願者の声でものをいわず(インド)

・なにごともいちばん味のよいときにやめよ(ドイツ)

・真理は短く答え、虚偽は長々と弁ずる(ドイツ)

・君が人を許すときは、つねにその人を弱め、君自身を強くする(アメリカ)

・欲は富の程度にとどめよ(イギリス)

・いつも不平を言う者は同情されない(イギリス)

・満足は女性の顔にとって、最上の白粉である(デンマーク)

・すぐに与える者は二度与えるのと同じである(フランス)

・自分の子供に肉体労働を教え込まないのは、掠奪強盗の準備をさせるのに等しい(ユダヤ)

・金が出れば正義は引っ込む(ドイツ)

・極端なる正義は、時として、極端なる不正義なり(ローマ)

・勤勉家は一人の悪魔に、怠け者は九人の悪魔に誘惑される(イギリス)

・蔭で悪口を言う人は、われを怖れる人間であり、面と向かってわれを称賛する人は、われを軽蔑する人間なり(中国)

・他人を黒くしたところで、自分は白くならない(ドイツ)

・運のいい男を海に放り込め、口に魚をくわえて這い上がってこよう(アラビア)

・賢者は知らんがために学ぶ、愚者は人に知られんがために学ぶ(東洋)

・不精は貧乏への鍵(イギリス)

・汝の友に嘘を言え、友がそれを秘密にするならば、今度は真実を語れ(ラテン)

・金銭は紳士をつくるが、金銭を欲することは悪漢をつくる(オランダ)

・富を集めることは、楽しい苦痛である(スコットランド)

・金が蓄積されると、しみったれはじめる(ドイツ)

・会話のきれいな者は支払が汚い(西洋)

・沈黙は言葉より、表現に富む(ラテン)

・返済の早い者は豪商となる(スコットランド)

・お世辞がよいと品物が悪い(ドイツ)

・知っていることのすべてを語るな、聞いたことのすべてを信ずるな、できることのすべてを為すな(ドイツ)

・生まれ故郷の奴隷よりも、遠い他国の自由の方がよい(ドイツ)


世界のことわざも、日本のことわざと、さほど違いはないように思います。人間の欲すること、失敗することは、人間である限り、万国共通ということではないでしょうか。

しかし、教訓や戒めは、日本人の口から出たものよりも、外国人の口から出たもののほうが、素直に聞けそうに思います。そういうことで、たまに、世界のことわざを読んでみてもいいのかもしれません。


[ 2012/12/13 07:02 ] 海外の本 | TB(0) | CM(0)

『堤未果と考える・人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか』佐治晴夫

堤未果と考える  人はなぜ、過ちを繰り返すのか?堤未果と考える 人はなぜ、過ちを繰り返すのか?
(2012/07/06)
堤 未果、佐治 晴夫 他

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本書は対談本ですが、宇宙科学者である佐治晴夫さんの発言が、本質をとらえていて、秀逸だったので、佐治晴夫さんの部分だけを採り上げさせていただきました。

宇宙ばかりでなく、時代、生命、未来、教育についても言及されています。これらの一部を要約して、紹介させていただきます。



平常時に書かれたマニュアルで、有事や緊急時に対処しようとしても、まったく役に立たない。小惑星探査機「はやぶさ」も、マニュアルどおりやっていたら成功はしなかった

・想定外という言葉は、マニュアルにないという意味。マニュアルについての考え方が甘かったということ

・地球は薄皮饅頭のようなもので、その薄皮の上に山があり、街があり、人が住んでいる。言うなれば、ダイナミックな活動をしている地球の上に住まわせてもらっているのが人間。人間が地球に対して「地球にやさしく」など、言ってはいけない

・人間はヤドカリさせてもらっている。自然界に順応して共存していくしか道はない

・「こんな原発を誰が、どうして造ったんだ」と騒ぐ人は、一つ間違えば核ボタンを押す人にもなる。ワーッと騒いでパニックになる人には、核ボタンを押してしまう人との共通項があることに気づかなければならない

・速く走る車ほど、早く止まることができなければならない。これが車を造る上での倫理

・動物は自然に順応できるように自分を変えていった。ところが、人間は自然の方を変えようとした。そこに大きな違いがある

・有名店のおいしいパンを食べたら、スーパーのパンを食べられなくなる。それを是正するには、相当なエネルギーがいる。そこに必要なのは、代替の価値を見つけること

・目というものは、自分で好きなように対象を見る。その点、耳の方が優れている。目は見たいようにものを見る特性が顕著

・ゆらぎがないというのは、精神疾患。心の病気になると、一つのことに取り憑かれてしまって、ゆらぐことができなくなる

・ローマ帝国が制覇した後も、各国に受け入れられ、長持ちしたのは、クレメンティア(寄り添って受け入れる)の精神があり、占領しても、相手の国のやり方を尊重したから

集団を作るメリットは、みんなで安全を確保しながら生活できること。家族や環境など大事なものが危険にさらされると、外敵から守るために、人は立ち上がる。それによって、戦うという行為が必然として発生した

・人間の原始的な段階(戦争に発展する前の段階)に戻ることに、戦争を終わらせる基本がある。共にご飯を食べ(共食)、共に育て(共育)、共に感じ合う(共感)が大切にされていれば、戦争から遠ざかれる

人権を主張する団体の大半は、自分の主張ばかりで、相手の人権を考えていない

・自分の顔を自分で見れない。相手の顔は見えるが、自分の顔は鏡に映しても左右反対。写真が自分の顔とも言えない。だから、私の表情は、あなたの表情の中に見るしかない

原爆を落とした人は、防御反応として「正義」と思わないと、精神状態がおかしくなる

・教育とは待つこと。教育は、どこまで待てるかが勝負

・人間であるということは、大きい脳をもって、考えることができるということ。そして、考えるとは、想像できるということ。想像できるということは、夢を描ける能力があるということ。人間は、夢を描くことで、生きていけるところがある

・古い陶器などでも、いびつな形の中に美しさを秘めたものがある。人間でも、きちんと型にはまった人より、どこか破れた部分(いびつさの魅力)があって、素敵な人がいる

・学問とか智恵というものは、直感なしに成り立たない。孔子が「四十にして惑わず」と言ったのは、四十歳くらいになると、そろそろ直感が出てくるよということを言っている

・科学は「驚き」と「なぜ」。しかし、「なぜ」と問う前に「驚き」がないと、科学にならない。教育とは、まず、驚かせて、次に、「なぜ」に火をつけること



さすが、科学者であり、教育者である著者の見識には、目を見張るものがあります。

本書は、日常においても、同じ過ちを繰り返さない(理性で物事を考える)ための一助となるのではないでしょうか。


[ 2012/12/12 07:03 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『がまんできない人のための真の忍耐力養成ドリル』ココロ社

がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリルがまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル
(2011/08/12)
ココロ社

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冒頭に、すべての成功の前提となる「忍耐力」、ビジネス本では度外視されていた「忍耐力」、とあります。

そのとおりです。忍耐力こそ、すべての源のはずなのに、それを言うと、みんなが嫌がるので、避けてきたのだと思います。

忍耐力を無視して、スキルアップを唱えても、それは、うわべだけ、きれいごとだけで終わります。必要だけれど嫌われている「忍耐力」を、真正面から考察したのが本書です。その有益なところを一部ですが、要約して紹介させていただきます。



・ダイエットの虫のいい方法を試したり、ダイエット食品にコストをかけるよりも、「食べない」と決めた方が楽。人生のすべてはこれと同じで、「忍耐することから逃げるために、忍耐していたよりも大変な思いをする」

・世間ですすめられたり、強いられたりする忍耐の多くは「意味のない忍耐」。トイレ掃除は、忍耐力を養成しているように見えて、思考は完全に怠惰な状態になっている。人生をうまくわたっていくための手法としての忍耐こそ「意味のある忍耐」

・忍耐力の養成には、まず、「基礎的な忍耐力」(歳を取るにつれ弱くなっていく)、次に、基礎が身についたら、「仕事がうまくいく忍耐力」(仕事で必要とされる忍耐力)、最後に、「人間として愛される忍耐力」(人間として完成)の段階ごとの鍛練に取り組むことが必要

・この世には、あらゆるところに怠けを正当化する言い回しが転がっている。それを避けて生きることで成果が決まる

・時間の無駄づかいの代表例が、約束の時間に遅れること。大事な人との約束の時間に遅れることは、遅れた時間の2倍のロス(あなたと大事な人の分)が生まれている。遅刻することは、人を軽く見た行為にほかならない

・コミュニケーション力に問題がある人や空気が読めない人の多くは、「しゃべりたい」という気持ちを抑える忍耐力が不足している。「黙る力」の養成が必要

面白くない人は、頭に浮かんだことをそのまま話してしまう。10思いついたうちの1つに絞って話すようにすれば、面白くない部分は減り、面白い部分のみが残る

・失言の多くは、職務中ではなく、飲み会とか、会議前後の雑談で発生している。つまり、なくても大丈夫なシーンで発生している

・人間以外の動物ならば、空腹というのは常態化している感覚であり、異常なのは満腹の方。「食べるのって面倒くさい」と思えるようになれば、ダイエットに成功する

・怒りっぽい性格を克服するためのポイントは、「正義か悪かの判断は人に任せる」「怒りっぽい人がどれだけ嫌われているかを体感する」こと

・「ごろ」「あたり」などの表現は百害あって一理なし。例えば、「13時ごろ、○○の前あたりで」など、表現を曖昧にしてしまうと、時間や場所を合わせる際にコストが発生する

・ごく一部の人の好意的な意見を聞くより、ネガティブな意見に耳を傾けた方が、仕事の質は上がる

・愚痴を言いたくなったときは、面白い話に変換する。許される愚痴は、楽しい愚痴しかなくて、ただ起きたことを垂れ流すような愚痴は許されないと考えておくべき

・自慢話は嫌われる。苦労話も自慢話。なるべくしないほうがいい

・「楽しもう」と思って、人の話を聞くと、面白くなくてガッカリする。「楽しませてあげよう」と思えば、どうでもいい話に慣れることができ、それだけで印象がアップする

・目の前にある腹立たしい出来事を平静な気持ちで無視する「スルー力」を身につけておくと、無駄な時間がなくなる

・「意味のある忍耐」とは、耐えることで、具体的な報酬がある忍耐。忍耐好きがエスカレートすると、人生をまるごと無意味な忍耐に費やしてしまう

・忍耐力の中で、最も重要であり、かつ即効性があるのが、言いたいことを我慢すること。暴言、失言は、これまでの努力を水の泡にしてしまう



意味のない忍耐と意味のある忍耐を見分けること。感情的にならないこと。理性的、合理的になること。本書を読めば、忍耐力とは、自制心に他ならないことがわかります。

「欲しがりません、勝つまでは」「耐えがたきを耐え」の精神こそ、成功する最先端のスキルなのかもしれません。


[ 2012/12/11 07:01 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『道歌教訓和歌辞典』木村山治郎

道歌教訓和歌辞典道歌教訓和歌辞典
(1998/09)
木村 山治郎

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日本人は、古来より、57577の短歌、和歌、道歌などを詠んできました。百人一首に出てくるような歌だけでなく、ひとかどの人物なら誰でも、死ぬ前に、辞世の句くらいは詠んでいます。

歌を詠むことは、日本人のたしなみとして、また、その人物の力を推し量る目安として、利用されてきたわけです。

本書には、江戸時代以前の人物の道歌、教訓和歌が千首以上収められています。その中から、気に入ったものを紹介させていただきます。


・「くいのみが悪き友よぶ根となりて いろやばくちの花を咲かせる」(脇坂義堂・やしなひ草)

・「掃けば散り払えばまたも塵積る 人の心も庭の落葉も」(作者・出典未詳)

・「諂(へつら)いて富める人よりへつらわで 貧しき身こそ心安けれ」(虚白斎・売ト先生糠俵)

・「よい仲も近ごろ疎くなりにけり 隣に蔵をたてしよりのち」(鳩翁道話)

・「狐よりこわさは金と色と名と おおかたこれに化かさぬはなし」(手島堵庵・児女ねむりさまし)

・「酒くんで三味線ひいて気をうばい 人をとり喰う鬼の多さよ」(布施松翁・松翁道話)

・「身を立る人の心にわするなよ 守りつつしむもとは堪忍」(三井高房・始末相続講式目)

・「負けて退(の)く人を弱しと思うなよ 知恵の力の強い故なり」(松翁道話)

・「いにしえの賢き道を学べども こころをかうる人ぞ少なき」(足利尊氏)

・「あおぐべき道はさまざま見聞きても 学ぶ心の立たざるぞうき」(松平定信)

・「為になることをいう者忌み嫌い 毒をあてがう人が好きなり」(松翁道話)

・「禍(わざわい)は欲にちなみてくるとしれ みだれ心はいろにすむゆえ」(曽我休自・為愚痴物語)

・「世の中に人をおかしと思うなよ 人はこなたやおかしかるらん」(荒木田守武・世中百首)

・「きょうほめて明日わるくいう人の口 なくも笑うもうその世の中」(一休宗純)

・「世の中の人は何とも云えばいえ 我がなすことは我のみぞ知る」(坂本竜馬)

・「ちうちうと嘆き苦しむ声きけば 鼠の地獄猫の極楽」(二宮尊徳・二宮翁夜話)

・「いにしえはこころのままにしたがいぬ 今はこころよ我にしたがえ」(一遍上人語録)

・「なに事もめに見る事をほんとせよ ききぬることはかわるものなり」(長者教)

・「金銀は慈悲となさけと義理と恥 身の一代につかうためなり」(一休宗純)

・「こと足れば足るにも慣れてなにくれと 足るがなかにもなお嘆くかな」(松平定信)

・「楽しみをいかなるものと尋ぬれば 憂きを離るる心なりけり」(清水広景)

・「たのしみは物識人にまれにあいて 古(いにし)え今を語りあうとき」(橘曙覧・志濃夫廼舎歌集)

・「死に来て死ぬ時ならば死ぬがよし 死にそこなうて死なぬなおよし」(仙涯禅師)

・「行うも止むも思うも忘るるも たくみのなすは絶間(たえま)なりけり」(道元禅師)

・「この世にて慈悲も悪事もせぬ人は さぞや閻魔(えんま)も困り給わん」(一休宗純)

・「雑巾を当字で書けば あちら拭くふくこちら福ふく」(作者・出典未詳)

・「銭あればあるにまかせてほしくなる なければないで猶(なほ)ほしくなる」(山岡鉄舟)



人の欲望は、昔も今も変わっていません。したがって、昔の人の教訓は、今でも十分に通用します。昔の人は、自分の失敗を伝えたかったのかもしれません。

日本人の叡智が詰まった和歌・道歌は、日本人の知恵の貴重なデータベースではないでしょうか。


[ 2012/12/10 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『何用あって月世界へ-山本夏彦名言集』山本夏彦、植田康夫

何用あって月世界へ―山本夏彦名言集 (文春文庫)何用あって月世界へ―山本夏彦名言集 (文春文庫)
(2003/07)
山本 夏彦、植田 康夫 他

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山本夏彦さんの著書を紹介するのは、「山本夏彦箴言集・ひとことで言う」に次ぎ、2冊目です。

亡くなられて10年経ちますが、鋭いタッチの世評は、今読んでも、納得できるものばかりです。本書の中から、思わずうなずいてしまった文章を、幾つか紹介させていただきます。



・人は言論の是非より、それを言う人数の多寡に左右される

・言葉というものは、電光のように通じるもの。それを聞くほうが、その言葉を待っているから

・変装するのが礼儀だと信じている。私はわが胸の底は白状しない。それが礼儀に反することが多いから

・人は分かって自分に不都合なことなら、断じて分かろうとしない

・死ぬべき人は、死ぬのが本来だと、恐れながら申し上げる。新薬の出現によって、百年このかた人は死ななくなった。ほんとは死ぬべき人が、生きてこの世を歩いている。これが副作用の随一だと、私は見ている

・応接間というものには、あれにはあれの意味があった。客をあそこで食いとめた

・私はすべて巨大なもの、偉そうなものなら疑う。疑わしいところがなければ巨大になれる道理がないから

・失業者が全くいないのは、いいことのようでそうではない。わが国の伝統の工芸や職人は、貧乏で人手が余っていることをあてにして出来ている

・正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいだ。ほとんど憎んでいる。まるで、自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自分の外部にあって、内部にないという自信がある

・流行は従うためにある。逆らうためにない。ひとり大勢と違った衣装をすれば目立つから、流行に従うのである。ただし、逸早く従わないで、遅れて従う

・馬鹿は百人集まると、百倍馬鹿になる

・世間や社会に、爪はじきされて、はじめて個性は頭角をあらわす。ちやほやされて育つ個性なんて、今も昔もない

・才能というものは、のぼり坂が三年、のぼりつめて三年、くだり坂が三年、〆て十年続けばいいほう

・欲張って損した者を、欲張らない者は笑う資格がある。笑って、自分の内部にある欲張り根性を封じるのである。それは、すんでのことで、躍りでて同じことをしようとした根性である

・「告白」というものは、多くはまゆつばである。自慢話の一種ではないかとみている

よくおぼえさせるには、分からないことを一つ二つころがしておくほうがいい

・言論の自由は、大勢と同じことを言う自由であり、罵る自由であり、罵らない者を村八分にする自由である。これが言論の自由なら、これまであったし、これからもあるだろう

・金持ちがいて、中くらいがいて、貧乏人がいて、かっぱらいドロボーのたぐいがいて、そして橋の下には乞食がいて、はじめて世の中である

・元美人であったことは、他人が言ってくれて自分が打ち消して、初めて体裁が整う

・汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす

・衣食足ると偽善を欲する

・この世はいかさまから成っている。商才とか企画とか言えば、聞こえはいいが、いかさまのこと。いかさまの才がなければ社員は出世できないし、また、その社はつぶれる

・日本人とは、ひと口で言うと、「にせ毛唐」。西洋人になりたくてなりそこなったもの



辛辣な言葉を発する人ほど、根が純情で優しい人です。山本夏彦さんは、その典型ではないかと思います。

言わなくてもいいことをあえて言うのは、覚悟も必要です。つまり、できた人間しかできない芸当です。たまに、著者の言葉に耳を傾けてみることで、謙虚になれるのではないでしょうか。


[ 2012/12/08 07:03 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)