宝くじを買う人は、
お金に期待している人です。どちらかと言うと、お金に慣れていない人たちなのかもしれません。そのお金慣れしていない人たちが、お金を手にしたらどうなるのか、おおよそ想像はつきます。
宝くじ高額当せん者の中で、健全な人たちほど、当たった事実をひた隠そうとします。著者は、取材に困難を極めたようですが、当せん者たちのホンネを少しだけ知るができます。
本書は、棚から牡丹餅、濡れ手に粟のお金を所有した人たちの物語です。その物語の一部を紹介させていただきます。
・海外の高額宝くじ当せん者は、よくテレビや新聞に出て、インタビューを受けたり、自らの幸せをアピールしているものだが、日本にはそれがない。宝くじの歴史は、昭和20年ごろから始まっているが、そのような記事を目にしたことがない
・日本で、宝くじ当せん者が、
闇に潜むのは、いらぬ嫉妬心を負うことを懼れてのこと
・宝くじ当せん者には、当せん金の払い戻しに際し、「
当せん者の手引き」なる小冊子が手渡される。要は、高額の賞金を手にしたことで、人生を破滅に向かわせないようにアドバイスするためのもの。一攫千金をなしえた者には、それなりの
危険が迫る・宝くじを売り出す側が、それほどまでに
当せん者の保護に尽力しているのは、当せん者に群がる、得体の知れない何者かがいるということ
・「とりあえずお金を形のあるものとして残そうと考えた。それにはまず、住宅を購入することが一番だと考え、現在の家を購入した」という夫婦が賢かったところは、当せん金を湯水のように遣ったりせず、
ささやかな暮らしを守ろうと努力した点
・「貧しいながらも明るく振る舞い、つらいときでも笑顔を絶やさない朗らかな性格」だった彼女は、すっかりやつれ、老け込んでいった。百八十度、
別の人格に様変わりしてしまった
・「しばらく外食していた贅沢な時期もあったが、いつの間にか元どおりに戻った」彼は、仕事時の態度にも
自信がみなぎるようになり、同僚たちの見方も、以前の「無口で地味」から、「無口だが、やるときはやる」人へと評価が変わっていった
・「妻が自治宝くじで三千万円を引き当てた」T氏は、子供の進学など抱えていた苦悩が、一瞬に取り払われた。「私を追い出して、黙って子供たちと幸せを掴んでもよかったのに、私を
見捨てなかった妻に、宝くじを引き当ててくれたこと以上に感謝している」と答えた
・宝くじに当たったがために、コソコソと転居したり、挙句の果てに、引きこもるようになってしまった人間も多い。大金は、人を救いもするが、
心を病む原因ともなる
・「当たった喜びよりも、夫に取り上げられることの恐怖が勝った」Fさんは、手元に現金が届くまでの日数で、アパートを探し、家を出ていった。夫が
金の無心に来たら、たまったものではないので、当せんしたことを口に出すつもりはなく、別居後、働くことにした
・当せんしたら、諸々の誘惑をはねのける揺るぎない意思がない限り、
喜びはひた隠しにしなければならない。それができないと、間違った方向へ突進する。まっとうな人生から、他人も巻き添えにして、外れてしまう
・賭け事の場合、テクニックとか予想とか、さまざまな努力を要するものだという巷間の認識があるが、宝くじの場合にはそれがない。当せん者には、まったく労せずして得た金であるという「
後ろめたさ」がつきまとう
・一般の人には、「濡れ手に粟」としか映らない宝くじには、「どうしてあいつに当たって、俺には当たらないのか」という
嫉妬につながる・宝くじに当たった人は、最初のうちは喜びひとしおであるが、時が経つにつれ、どこか「後ろめたさ」が心の奥底に湧き出す。そこにつけ込まれ、「どうぞ、
恵まれない人への寄付をお願いします」とやってきた暁には、金を出さないではいられなくなる
・幸福を得たにもかかわらず、それを誰にも語ることができないまま、大袈裟な贅沢をすることもできず、それまでの生活以上に、周囲を気にしながら生きていく。
金を守るために生きることを余儀なくされる人生は、幸か不幸か判別不可能
・宝くじの高額当せん者が余りにも表に出てこないのは、他人の嫉妬や羨望を恐れ、周りに集まる
腹黒い人間を恐れているから
夢を見て宝くじを買うのですが、夢の先にあるのは、本書のような
夢のない話です。唯一、生活資金(借金を返す)を当せん金で充てた場合だけが、その後の人生も、全うなものとなっているように感じます。
それなりに暮らしていけているのに、さらなる欲望によって、宝くじを買うのは、「買っても損、
当たっても損」という両損になる可能性が高いことを、本書が証明しているのではないでしょうか。