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「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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『福翁百話―高く評価される人の行動ルール』福沢諭吉

福翁百話―高く評価される人の行動ルール福翁百話―高く評価される人の行動ルール
(2002/11)
福沢 諭吉

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福翁百話(福翁百余話も含む)は、福沢諭吉が1896年から1900年にかけて新聞に連載したコラムです。「学問のすゝめ」「文明論之概略」などの著書に比べて、実生活に基づいた、くだけた話が多いのが特徴です。

その中から、選りすぐりのコラムを現代語訳したのが本書です。福沢諭吉を身近に感じることができます。時代を超えて、共感できた点が数多くありました。それらを一部要約して、紹介させていただきます。



・「博識」とは、良いことだけを知っていることではない。悪いこともみな知って、そのやり方までわかっていても、自分からやろうとしないこと。悪いことを知って行う者は低級な人間、それを行わない人は立派な人間

・不道徳・不品行を矯正するには、こちらの身を不道徳・不品行の状態に置き、快楽や熱中の度合いを知った上で、本人のため、一家のため、また世の中のために、利益になるのか不利益になるのか、明確に利害のありどころを示すのがよい

・世の中で活動するには、まず衣食住の「有形の独立」を企て、次に「心の独立」に至るのが順序。しかし、その努力を続ける中で、自己を曲げる「卑屈」があってはならない。人生が容易でない理由はここにある。「独立」を頭で理解できても、実践するのは難しい

・独立の根本原理は、心の基盤となる最高の宝。宝物は、深く秘蔵しなくてはならない。浄土真宗の教えの一つに、「念仏修行者だと他人に気づかれるな」というものがある。独立を心中で信じ、黙って実践の中で現わしていくこと

・人間の欲望は、とどめられないもの。大事なことは、その方向を変えて制御するか、または、欲望のあれこれを比較して、害の少ない方に導くこと

・財産を殖やそうという者の欲望が、より旺盛であってこそ、経済大国化が進む。「欲望大国」であって初めて、世界で「経済大国」の評価が得られる。金持ちの事業努力は非難すべきではない。国のためには敬意を表すべきもの

・田舎の人が真面目で正直なのは、欲望を誘うものが少ないのと同時に、社会の範囲が狭く、言動がすぐに周囲に知れ渡るから。この正直者が都会に出れば、「旅の恥はかき捨て」式の悪事をはたらく。これは都会の悪習に誘惑されたのではなく、本性を現わしただけ

・人間生活にとって学問が大切というのは、例えて言うと、囲碁や将棋の「定跡」、槍や剣など武術の「形」のようなもの。あらゆる活動で、根本となる要点は忘れてならないもの

・へりくだって自分を卑しくするのも、威張って他人を軽蔑するのも、どちらも「名誉の権利」を理解していない。他人のことなど気にしないのと同時に、その他人の権利を常に細やかに注意して重んじること

・「自由は不自由の中にある」という意味を正しく理解すること

・名誉は、金箔のようなもの。人間の金箔づけは、「自ら求めぬ名誉」によって輝く

・すでに発生した災難を救済する慈善活動はむろん立派なことであるが、「予防の慈善」(発生前に注意して予防策を講じる)の効果はさらに大きく、いっそう素晴らしいこと

・馬鹿者たちの世界で、自分だけが知能を輝かせようとして嫌われ者になるのは、これもまた、馬鹿者の一種であることに気づかなければならない

戯れでしかないと知りつつ戯れるならば、心も安らかで極端な戯れに走ることもなく、また戯れだらけの俗世間に交わっても、自分ひとり戯れずにやっていくことが可能

・人間がやることの十のうち九までは、感情の判断任せであって、道理による決定はほとんどない。このさなかでは、不公平は当然の成り行きで、罪は社会組織の不完全さにある

・政治家、官僚、財界人と称する人々が、わが家の経済さえ運営できずに破綻をきたし、その後の人生で、自己の考えを曲げて、心にもないことを行う。彼らは、独立心がなく、世間の小さな悪評を恐れ、世の中を勇気を持って生き抜く気迫に欠けた連中

・「正直一筋」だけを人生最上の安心立命の目的とし、それに努力し、そのことだけに喜怒哀楽して、他のことを考えないのは、まだまだ知識や道徳の水準が低い。内心憐れむだけ

・世間の風潮が柔軟な文化に流されるようであったら、武を大事にせよと説き、あまりに武骨になれば文化を語り、人々があまりに利益を争うようなら仁と義を説き、仁義の議論ばかりで現実生活を忘れている者が多いときには、金銭の必要性を教えるのがよい



本書には、「自分のレベルに世間がついてこない」という、福沢諭吉のもどかしさや苛立ちのようなものが感じられます。福沢諭吉も気苦労が絶えなかったのではないでしょうか。

100年以上前の世間と現在の世間が大きく変わっていないのを知るのと同時に、福沢諭吉を多面的に知るのに、貴重な書ではないでしょうか。


[ 2012/11/30 07:02 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『安心ひきこもりライフ』勝山実

安心ひきこもりライフ安心ひきこもりライフ
(2011/07/30)
勝山 実

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著者は、高校を中退してから、ひきこもり歴25年の方です。世間は、「ひきこもり」を批判しがちですが、私は、「うらやましい」と考えています。

インドの四住期に例えると、「学生期」(学ぶ時期)、「家住期」(家庭をつくる時期)、「林住期」(ひきこもって修行する時期)、「遊行期」(放浪する時期)の中の、「林住期」に、いきなり入った人たちが「ひきこもり」です。

家庭を営む気がなく、最低限生活するお金を得ていれば、ひきこもるのは生き方であり、思想信条です。他人の思想信条に口出しするのは間違っています。もっと「ひきこもり」の言い分を聞くべきです。一部ですが、その言い分を紹介させていただきます。



・詰め込み教育だろうと、ゆとり教育だろうと、学校で身につくのは、学力ではなく奴隷力。奴隷力を押しつけられ、競争で勝ち残ったやつが偉いという常識の中で、ひきこもりができることは「参加しない」ことに尽きる

・ひきこもりの父親の関心は、結局のところ、老後の不安。金持ちの父親は、自分の心配が少ないので、息子がひきこもっていても取り乱すことはない。貧しい父親だけが、すねかじり息子のせいで、老後の惨めさが倍増すると、腹を立てる

・ひきこもり息子がする最大の親孝行が、母親が買ってきた服を着ること。ファッションを母親色に染める、これ以上の孝行など存在しない

・ひきこもっていると、世間の人が自分の無職ぶりを嘲笑しているように思え、人目を避けて行動するようになる。しかし、働かないなんて恥ずかしい、みっともない、と騒いでいるのは両親だけ。世間は、ひきこもりのようなアウトローな脱落者に関心がない

・富士山の初心者登頂成功率は50%。ひきこもりの就労成功率は1%。にもかかわらず、多くのひきこもりが就職山の頂上に、自立、社会性などと脅かされ、登らされている。その結果、全員高山病にかかる。脅した連中は、知らぬ存ぜぬで、まったく無責任な態度

・労働は神聖なり、天国にはサラリーマンが、地獄にはホームレスが住んでいると信じて疑わない人たちが、親が死んだら「地獄に落ちるぞ」と、ひきこもりたちに、ホームレス神話を押しつけてくる

・「お金を使いたい=働きたい」と考える浪費家には、「お金を使わなければ、その分働かなくてもすむ」の老子的な「足るを知る」がわからない。

・支配されたくない。そもそも「自由」とは、「働きたくない」こと。労働は奴隷階級のもの。その証拠に、つまらない、やりたくもない仕事をすると疲れるし、疲れがとれない

・「なるべく働かず、生きていたい」は、人類のテーマ。これだけが、考えに値する哲学

・世の中お金。ただ、いくら欲しいかは皆ばらばら。正しくひきこもっていれば、必要な生活費を除き、1日500円あれば幸せになれる。それ以上あっても、貯金する以外使い道がない。一方、1日5000円の小遣いでも不満を持ち、不幸に感じている人がいる

・国がやるべきは、半人前公務員(週3日、1日4時間勤務)の採用。半人前は、ひきこもりの理想の姿だが、半人前を受け入れてくれる会社が見当たらない。世の中に半人前の仕事があれば、年を取り、病気になっても、安心して暮らせ、多くの人に幸せを与える

・格差で得をしているのが親の世代の年寄りで、損をしているのがひきこもりやニートでおなじみの若者。不公平にもらいすぎている親の給料や年金が、自慢できない息子に還元され、格差がフラットになる。見事な富の還流。あざやかな共生、花とミツバチのよう

・「働きたくない」は怠けではない。働いている人ですら、怠けたい。楽な仕事で、たくさん給料をもらえる仕事を血眼になって探すのは、怠けられる環境を手に入れたいから

・「人が見ていないところでだらだらお喋りしている」「弱い者いじめして、こきつかう」。世の中は、こういう人で成り立っている。怠けることに対して、気の弱い人ほど、職場では過剰に勤勉になり、他人に便利に使われ、疲れ果ててしまう

・安心ひきこもりライフとは、罪の意識もなく、のびのびとひきこもる生活。自由は、暇でなければならない。暇な時間を物思いに費やしてこそ、創造力が身につく。そのため、収入を増やすのではなく、支出を減らすことを心がけること

・努力しなければできないことには手を出さない。普通の人があたりまえにやっていることを、死に物狂いの訓練で身につけたところで、生きるのが嫌になるだけ。劣っていると感じることには、なるべくかかわらず、そっと他人に道を譲ること



日本人は、高齢になっても、世間に忙殺されて、右往左往し、「林住期」に達しないまま、死んでいきます。早くひきこもり、見つめる時間を持たないと、次世代に生きる知恵を伝えていけません。

吉田兼好、宮本武蔵も、ひきこもったがゆえに、「徒然草」「五輪書」を世に出しました。本書が、世に問う「ひきこもり」には、人生の参考になる点が多々あるように思います。


[ 2012/11/29 07:02 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『話術』徳川夢声

話術話術
(2003/02)
徳川 夢声

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著者が亡くなられて、40年以上経っています。元祖マルチタレント(無声映画の弁士、俳優、漫談家、ラジオの朗読、小説家、エッセイスト、テレビタレント)として活躍し、その代表作は、吉川英治「宮本武蔵」のラジオでの朗読でした。

話術の天才であった著者が、ノウハウを公開したのが本書です。一般論だけでなく、座談会談講演、漫談などの分野別での話の仕方など、具体論も豊富です。これらの中から、一部を要約して、紹介させていただきます。



・ハナシは人格の表識。ゆえに、他人から好意を持たれる人格を養うべし。あえて、聖人たれとは申さず。ハナシには、個性が絶対に必要なり

・ハナシの目的を三つにわけると、「意志を伝える」(こう思う、こうする、こうしてほしい、それは困るなど)、「感情を伝える」(嬉しい、悲しい、怪しいなど)、「知識を伝える」(~である、~というもの、など)。難しいのは、この思うことを完全に伝達させること

・コトバ、ことに、美しい言葉、強い言葉、正しい言葉、これをよく頭に刻み込む。「豊富たるコトバの整然たる倉庫たれ」「コトバを自在に駆使する騎手たれ」

・話の練習は、日常ハナシをするときは、正しく喋る、美しく喋る、強く喋る、という心がけを忘れずにいること。相手のない場合、本を朗読することがおすすめ

・本の朗読は、内容を頭で消化しつつ、想像力を動員して、もっとも効果的と信ずる読み方をする。大きな声を発するところ、つぶやくところ、明るい調子で読むところ、早口に急調に流すところ、ゆっくり、のんびりと行くところ、というふうに神経を働かして読む

・良き、好き歯切れ。能く調節されたコトバの流れ

・ハナシに限らず、芸術と名のつくものには、音楽、美術、文学、演劇、みんな「マ」が重要な位置を占める。目立たない、目に見えない重要な位置

・「マ」とは「沈黙」なり、「マ」とは虚実のバランスなり

・「話術」とは「マ術」なり、「マ」とは動きて破れざるバランスなり

・気の合った者同志が話していれば、胸が開けて明るい気分となる。ハナシというものは、場合によってハイセツでもある。今の世の最大娯楽、最大健康法は、実はこれ

聴衆に嫌われるのは、「その話聞きたくない」「そんな話はどうでもよい」「少し話が難しすぎる」「自分にはわからない話だ」「今聞かなくても後でよい」「そんな話は自分も心得ている」といった話。話以外の嫌われる理由で、特に注意すべきは「不潔」

・「間の取り方」「声の強弱」「言葉の緩急」、この「話の三原則」は、音楽的に言うと、リズムとテンポの理想的な結合。練り上げられた内容に、三原則が適用されたら、鬼に金棒

・声が本音でなければ、言うことも本音でないとの印象を与える。自分生来の声、すなわち地声をよく鍛練すること

・演説は、聞かせるのが半分、観させるのが半分。説得するために、コトバの他にも、自分の持っているあらゆるものを利用すべき

・野次は、原則として黙殺すべし。聞こえないふりをしてもいいし、聞こえているが平気だという様子ができればなおさらいい

・落語がそのまま役に立つというわけではないが、ハナシのコツを実地に学ぶには、もってこいの教室の一つ

・心理の説明、状況の説明、この説明というのは面白くないもの。それを退屈させずに、臭味を持たせながら、読んでいくのがコツ

・はじめにぬるくしてタップリ、次が少し熱くして量を減らし、最後にとても熱くしてチョッピリ。お茶の立て方は、このまま話術に応用できる

・他人の話の功拙がわかるようになったら、その人はもう話の達人

・ラジオでは、聴衆者が何千万もいるつもりで大演説をやらかすと失敗する。聴衆者と二人さし向かいで語るくらいの心もちでやるのが効果的



本書の冒頭に、話のプロになるには、「話すのが好きなこと」「お金をもらって話すこと」「場数を踏むこと」「天狗にならないこと」が条件と記されています。これは、話のプロだけでなく、すべてのプロに共通することです。

研究熱心な人、恥をかくのが嫌いな人、慢心しない人、こんな人がお金をもらって仕事をしながら、自己研鑚を積めば、どんな世界でもプロになっていくのではないでしょうか。


[ 2012/11/28 07:02 ] 営業の本 | TB(0) | CM(0)

『世界悪女大全―淫乱で残虐で強欲な美人たち』桐生操

世界悪女大全―淫乱で残虐で強欲な美人たち (文春文庫)世界悪女大全―淫乱で残虐で強欲な美人たち (文春文庫)
(2006/06)
桐生 操

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欲望とお金に絡む女性の本性が、本当によく描かれている怖い書です。女性が権力を握った場合、強欲さと残虐さは男性の比ではないことが記されています。

本書は、世界史の中での、悪女中の悪女を、その生まれた背景や要因などを探ろうとするものです。女性の怖さと強さを感じた箇所が数多くありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・悪女の魅力の一つに数えられるのが、男心をとろかすようにセクシーだということ。淫乱というのは、それだけでも間違いなく、悪女の条件

・美貌の悪女に付きものなのが「残虐性」。日ごろ、女のほうが男より我慢することが多く、自分の欲望を押し殺していなければならないことの反動

・恐ろしいほど整った美貌の悪女の顔に、一瞬、さっと冷ややかな表情が走るとき、どきりとするような色気を感じることがある。そんなとき、男は「こんな女に引きずりこまれてもいい」と考えてしまう

・残虐な悪女の筆頭は、16世紀ハンガリーの貴族の娘エリザベート・バートリ。700人の娘を惨殺した。「焼きゴテ」「火かき棒」「蟻やハエの餌食」「氷結」「鳥籠」などの拷問で、娘の血を溜め、「血のお風呂」に入る美容法を行った

マリー・アントワネットの衣装予算は、年間10億円。宝石、かつら、邸宅、庭園などの贅沢費をひねり出すために考えついたのが「賭博カルタ」。「賭博をする者は厳罰に」の王の厳命を無視し、いかさま師や泥棒まで交えて、隠れて夜明けまで賭博を続けた

ジョセフィーヌは、二人の子を抱え、貴族の愛人になりながら、32歳でナポレオンの妃となった。美人ではないが、しなやかな姿態とけだるい雰囲気が、成り上がりのナポレオンを魅了した。浪費癖も凄いが、ナポレオンのエジプト遠征中、若い男と同棲していた

・フィリピンの大統領夫人イメルダ・マルコスは、外国企業からのリベート賭博収入、マフィアとの癒着、スイスの隠し口座への公金移し替えなどで、私腹を肥やした。服、靴、宝石といった装飾品だけでなく、自分好みの豪華な建物やホテルを次々と建設させた

・コロンブスのアメリカ大陸発見に力を貸したイサベラ女王は、大いなる忍耐、着実な計算、人使いのうまさ、チャンスをとらえる機転、ここ一番の大胆な賭けなどすべて兼ね備えた、世界的スケールを持った君主

エリザベス1世は、自分が女であることを最大限に利用しながら、男顔負けの冷徹な手腕で統治し、英国を三流国家から一流国家に引き上げた。独身を貫き、「私はすでに国家と結婚しています」の言葉は有名

・貧乏貴族出身のエカテリーナ女帝は、美人でなかったので、勉強に励み、運よくロシア皇太子に嫁いだ。その後、夫を追放し、農奴制改正などで専制主義国家の基礎をつくり、ロシアを強国にした。一方、「愛人選びシステム」をつくり、彼女の愛人は20人ほどいた

・娼婦と言っても、通りに立って男に媚びを売る女と、高級娼婦として身分高い貴族やブルジョアに愛される女と、天と地の差がある。高級娼婦ラ・ベル・オテロの虜になったのは、ヨーロッパ王侯貴族のほぼ半数。豪華な館で20人の召使に囲まれて贅沢三昧した

・19世紀、フランスでは、「恋愛に成功するには」という、一種の恋愛手引書が出版された。女が男を誘惑するための卒倒の仕方や、ヒステリーの起こし方まで書いてあった。「恋の詠嘆」のセリフも、相手の男性の仕事に合わせて違った言い方になっていた

・ルネサンス時代のローマの娼婦は、教養ある女性が多く、バチカン宮に集まり、そこを訪れる貴族やブルジョアなどと対等に、文学や芸術の議論を交わしていた

・18世紀のヨーロッパでは、女性が化粧室や寝室に、男の客を通すのが大流行した。朝の接見「朝見(ルヴェ)」は、女たちが、肌もあらわに、化粧もせず、素肌の美しさを見せ、男たちの欲望をそそる演出をし、高価に売りつけるコンテストだった

・お金にしても、権力にしても、飛び抜けた男がいるから、それを翻弄し、奪い取ろうとする本物の悪女が生まれる。悪女の出ない時代は、文化不毛の時代

・老人に衰えた精力を回復させる目的で、若い処女に添い寝させることを「スナミティスム」と言う。スナミティスムが大流行したのは、18世紀のパリ。1週間の間、老人は両側から処女にはさまれて過ごす。おかげで、老人は心身ともにすっかりリフレッシュした



強欲な男がいるから、強欲な女も生まれる。そして、強欲な女の方が、強欲な男を手玉に取る。こういう図式が、本物の悪女を生み出すのかもしれません。

つまり、悪女が生まれない社会の方が、健全な世の中と言えるのではないでしょうか。


[ 2012/11/27 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『人生計画の立て方』本多静六

人生計画の立て方人生計画の立て方
(2005/07/10)
本多 静六

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本多静六氏の著書は、「人生を豊かにする言葉」「自分を生かす人生」「たのしみを財産に変える生活」の3冊を紹介しましたが、それぞれ、有益な発見がありました。

本書は、豊かに生きるための設計図をテーマに、著者が持論を展開したものです。成功者の事例なので、見習うべき点が多々あり、参考になります。これらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・人並み外れた大財産や名誉は幸福そのものではない。身のため子孫のため有害無益

・人間は活動するところ、そこに必ず希望が生まれてくる。希望こそは、人生の生命であり、それを失わぬ間は、ムダには老いない

・人生計画は決して人生の自由を束縛するものではなく、かえってその拡大充実をはかる自由の使徒、「計画なくして自由なし」である

・25歳に立てた「わが生涯の予定」は次の通り
「40歳までは、ケチと罵られようが、勤倹貯蓄で、一身一家の独立安定の基礎を築くこと」
「40歳より60歳までの20年間は、専門の職務を通じて、社会のために働き抜くこと」
「60歳以上の10年間は、世恩に報いるため、勤行布施のお礼奉公につとめること」
「70歳以上に生き延びたら、居を山紫水明の郷に卜し、晴耕雨読の晩年を楽しむこと」

・人生計画に必要な五要素とは、
「1.正しき科学的人生観に徹すること」
「2.どこまでも明るい希望を持つこと」
「3.なるべく遠大な計画を立てること」
「4.終局において必ず大成するよう、危険を含まぬこと」
「5.科学の進歩と社会発展の線に沿わしめること」

・「処世九則」(計画実現に望ましい生活態度)は以下の通り
「1.常に心を快活に持すること」
「2.専心その業に励むこと」
「3.功は人に譲り、責は自ら負うこと」
「4.善を称し、悪を問わないこと」
「5.本業に妨げなき好機は逸しないこと」
「6.常に普通収入の4分の1臨時収入の全部を貯えること」
「7.人から受けた恩は必ず返すこと」
「8.人事を尽くして時節を待つこと」
「9.個人間に金銭貸借を行わぬこと」

・寄付金に、年棒(月給)や未来の収入を充てるのは、愚かな見栄、つまらぬ痩せ我慢。義理でするならば、資産収入(不勤労所得)の4分の1以内。それ以上は一種の浪費癖

・本当のケチに陥らないため、最初の小さいケチは、むしろ自信をもって、断行すること

・一つの完成は、一つの自信を生じ、さらに高次的な完成を生むものであって、この完成の道程には、限りなき自己練磨の進境が開かれてくる

・山登りの秘訣と人生計画の実践には、共通相似した多くの教訓を感得することができる
「1.自分の体力と立場、実力と境遇に応じた最適コースを選定すること」
「2.一度決定したコースは途中で変更しないこと」
「3.なるべく軽装をし、不用品を持参せぬこと」
「4.急がず、止まず、怠らぬこと」
「5.途中を楽しみながら登ること」
「6.食物は腹八分目にとること」
「7.無駄道、寄り道をしないこと」
「8.時と場合によっては、急がば回れの必要もある」
「9.近道、裏道をしないこと」

・蓄財を通して、我々は、力の蓄積、知識体験の蓄積、徳の蓄積等の蓄積法を学ぶ。金銭を浪費せぬ習慣を作ることによって、人の生命の浪費、生活の浪費を避け、勤行布施の徳をも積み得られるのであるから、財の蓄積は、生命力、生活力、人徳の蓄積ともなる

・勤倹貯蓄は人生における万徳の基であるから、人生計画の達成もまずこの門から入らねばならない

・貧乏は発奮の動機、失敗は成功の母となる。貧乏や失敗の中にこそ、やがて人間を大成に導く萌芽が多分に潜んでいる。したがって、いたずらに若人の失敗を救済したり、恩恵を与えることは、その人を一本立ちにせず、かえって不親切な行為となる



本多静六氏は、人生計画を早い段階で、きっちり立てていたからこそ、迷いや誘惑をものともせず、初志貫徹できたのだと思います。

計画を立てることが、よりよき人生を生きていくための第一歩です。当たり前のことですが、とても重要なことではないでしょうか。


[ 2012/11/26 07:01 ] 本多静六・本 | TB(0) | CM(0)

『魯山人の書-宇宙に字を書け・砂上に字を習え』山田和

魯山人の書―宇宙に字を書け 砂上に字を習え魯山人の書―宇宙に字を書け 砂上に字を習え
(2010/02)
山田 和

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北大路魯山人は、美食家陶芸家として有名ですが、彼の芸術家としての根幹をなすものが、書道家としての活動です。

書道家として、芸術家の素養を磨き、世に出てきました。その書は、ピカソが絶賛するほどの実力でした。また、書に対しては、相当の慧眼の持ち主で、良寛の書を、借金(今で五千万円ほどの大金)して、手に入れています。

本書は、魯山人の書にスポットをあてて、そこから魯山人の生涯を見ていこうとするものです。魯山人の強く心を打つ言葉が数多くありました。それらを一部ですが、紹介させていただきます。



・「技術本位から次第に邪道に堕することは、天分がないことと見識が足らぬからのこと。もっと適切に言えば、それらの者は、書の生命が(価値が)、技術の外にあることをはっきりと悟らない稚鈍であるから」

・「芸術は、計画とか作為を持たないもの、刻々に生まれてくるもの。言葉を変えて言うならば、当意即妙の連続

・「書は自由でなくてはならない。先生のとおりに書いて上手になるのは書道ではない。許すかぎり、気随気儘にするのがよい。我意を通すのがよい。それが結局一歩一歩自信を高めていくことになる」

・「人物の値打ちだけしか字は書けない。字というのは、人物価値以上には光らない」

・「個性あるものには、型や見かけや立法だけでなく、自ずからなる、にじみ出た味があり、力があり、美があり、色も匂いもある。型を抜けねばならぬ。型を越えねばならぬ」

・「書には必ず『美』がなければならぬ、達者だとか、立派だといっても、人品賤しきものには、『自然美』という『美』は具わらぬ」

・「優れた美術や芸術は、皆人の真心が基調となっている。それには、風流とか雅趣が具わらねばならない。気取ったものは嘘になる、薄っぺらなものでは貫禄がない、色気のあるものは艶っぽい、さびたものは汚いものになる、上手の書でも賢さが見え透いていけない」

・魯山人は書を精神活動と切り離すことはなかった。「書はつねに本番で、練習というものはない」と主張して、一期一会の精神を貫き、手紙であろうと、メモであろうと、彼の遺したものはすべて同じ優美さと魅力に満ちている

・「人間が嫌う野心を持たないで、無心で物を造るとき、作品は嫌味がない。反対に、つまらない人間に限って、持つ所の浅はかな了見で計画的に造る作品はピントが外れている。のみならず、卑しくて嫌味で見られない。本物の良さは天真に近い

・魯山人は良寛の三嫌、「嫌うところは歌詠みの歌、書家の書、料理人の料理」を支持し、常日ごろ「書家の書はいちばん駄目だ」と言っていた。それは現今の書家に対する批判であると同時に、自戒を込めて語った言葉でもあった

・書家には浄土を目指しながら浄土に向かいきれない我欲、自己愛着がつきまとう。書家はそのような避けがたい業のようなもの、自己撞着と闘わねばならない宿命がある

・卑しい絵、卑しい陶器、卑しい彫刻という言い方や、嫌味があるないという言い方もしない。しかし、書の場合、そのような批評があり、実際、巧拙よりも先に心の貧福が見えてしまうところがある。そこが、他の芸術と書道が異なる点

・魯山人は「春来草自生」という言葉を好んだが、「春が来て、草が自然に生えてきた」という即物的写実的意味だけでなく、「人が自然に精進していれば、やがて納得のいく人生が開ける」という求道的な意味が秘められている

・魯山人は人間国宝指定の打診を受け、「賞をくださる人が目利きであっての授賞なら話はわかる。目が利かん者が決定するなどは、傲慢であり、無法であり、不遜というほかない。作家にとって、作品が永久にものを言うから、勲章などは要らない」と、それを断った

・自分のことをまったく知らない外国人たちが、自分の作品を評価してくれたことは、現世では野人で構わぬと未来に知己を求め、むしろ野人を勲章にしたいと考えていた魯山人にとって、百年後に真価を認められたに似た嬉しいことだった

・「少なくともまず二百年、三百年の昔の美術に注目せよ。否、もっと先の年代になる幾多の作品に眼を移して視よ。その年代の人間は、天地を貫く自然の美妙をいかに観たか、そしてその道理にそむくことなく、素直に美しいものを造り遺していったかに注目せよ」



魯山人の書は、弱冠二十一歳の時、日本美術協会への初出品作品が、褒状一等を受賞し、宮内大臣に買い上げられるほどの腕前でした。

彼の芸術活動は、書道家に始まり、美食家、陶芸家を経て、晩年は、美食倶楽部の星岡茶寮を閉じ、再び書道家に戻っています。書道家としての北大路魯山人こそ、本当の魯山人だったのかもしれません。


[ 2012/11/24 07:01 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『中国陰謀学入門―戦慄!それでも日本人は騙される』黄文雄

中国陰謀学入門―戦慄!それでも日本人は騙される中国陰謀学入門―戦慄!それでも日本人は騙される
(2004/11)
黄 文雄

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黄文雄さんの本を紹介するのは、「厚黒学・腹黒くずぶとく生き抜く」に次ぎ、2冊目です。本書は、1975年刊行の「陰謀学入門」(台湾・香港でベストセラー)を大幅加筆したものです。

冒頭に、「日本人は誠の民族、中国人は詐の民族。直情にして正直な日本人は、つねに彼らのカモになっている。権謀術数においては、中国は超先進国」という記述があります。中国人に騙されないために有益な書です。一部ですが、紹介させていただきます。



・人間は努力するだけでは成功しない。人気や才能があるだけでも出世しない。アイデアに富み、先見力があっても、身のためになるとは限らない。冷や飯を食い、人に裏切られたのは、陰謀学の修得を怠ったから。屈辱や挫折を招いたのは、権謀術数を忘れたから

・知略の闘いの場では、腹のうちを見透かされたほうが負け。つねに敵の一歩先を見通すことが勝利への近道。勝敗は、ほとんど秘密の探知漏洩の攻防によって決まる

・孫子の「兵は詭道なり」の記述が象徴的。つまり、兵法とは、敵を欺く手段ということ

・万事を「塞翁が馬」のように禍を転じて福となし、敗に因りて功をなすことができれば、負けは必ずしも敗北ではない

・孫子の名言「心を攻めることこそ最上の策」にもあるように、「力」は、兵力、軍事力、暴力のような物理的な力だけでなく、金力、権力、規制力、世論の力、説得力などさまざま。このような力が交錯して、圧力、抗力、引力、斥力になって人間の行動を支配する

・中国では、今でも「決めつける」だけで勝敗が決まる社会。中国人はそれを「載帽子」(帽子をかぶせる)と言っている。いかに敵が被せようとする帽子をはねのけ、敵に無理やり帽子を被らせるか。百戦錬磨の中国人にとっての必須の世渡り術

・昔の中国では、孔子や孟子の語録が人間の思想と行動を支配した。文革当時は、敵が「毛沢東語録」に反するかをあばくことで勝敗が決まった。改革解放後は鄧小平語録、江沢民の「三つの代表」、胡錦濤の「平和崛起」など、自らの影響力を強固なものにしようとする

・喜ばせて有頂天にさせる。怒らせて理性を失わせる。同情心をかき立てて泣き落としにかける。楽しませて油断を誘う。恐れさせて腰砕けにさせる。いかにして敵の感情を揺さぶり、利用するかが、陰謀家たちの課題

・出世した人物の成功は、大恥をかかされて「今に見ていろ」という雪辱の決意がきっかけとなった例が多い。屈辱感は、人間のエネルギーを限界まで圧縮し、一度に爆発させる力を持つ。とくに、才能がありながら屈辱を招いている人間を発奮させるにはうってつけ

金権の威力は多岐にわたる。資本家が、余剰金を教育に寄付すれば「教育家」になる。社会福祉に投入すれば「慈善家」になる。民衆にばらまけば「政治家」になる。そして、政治献金、賄賂によって、政府の機構を左右することもできる

・怨みには、大きなエネルギーが内蔵する。人間は群衆衝動に従いやすく、暗示を受けると、証拠がなくても感情に火がつき爆発する。為政者はこれを巧みに利用する。天安門事件後、体制崩壊危機に直面した中国は、反日教育で「共通の怨敵・日本」をつくりあげた

・隠れている反対派や批判勢力をおびき出すには、「民主的」な姿勢を見せかけ、「批判こそ進歩の力」といったお題目を強調して、目的と正反対の演出をする。そして、機が熟したと見るや、躊躇なく口実をもうけて、馬脚をあらわした敵を一気に失脚させ、粛清する

・日本の中国専門家は「言論統制の朝貢秩序」下にあり、中国の真相を口にできない。彼らは「中国人は原則を重んじる民族」と言うが、中国人は「原則」を強調すれば、優位性を保てるから、「原則」を強調するだけ。原則は単なる手札かけひきの手段に過ぎない

数字の魔術で、敵の目を欺くには、多いものを少なく、少ないものを多く見せる策謀が使われる。企業から政府機構にいたるまで、数字の魔術が広く愛用される。よほど注意深い読みをしなければ、学者まで動員し「計量化」された陰謀を見抜くことができない

・成功したクーデターや革命は、敵の不幸に乗じたものがほとんど。「仁義」とは、敵が味方に虚をつくり出させるためにしかけた「陰謀」であると論理づけることができる

・合理主義の原理が浸透している近代社会の人間の行動は、合理的、常識的であるがゆえに、行動が法則的に把握、研究、予測しやすい。したがって、陰謀の成功率も大きくなる

・「情」と「意」の擬兵を利用して、敵の判断を誤らせる。それが「笑裡蔵刀」(笑いの裏に刀をかくす)「口蜜腹剣」(口に蜜ありて腹に剣あり)の手。敵を攻めるにも、敵から守るにも、陰謀家にとって、この二つの手は絶対に欠かせない



本書を理解すれば、今の中国が、日本という仮想敵国に、しかけていることがすべて見えてきます。中国の陰謀の罠にはまらないように、こちらも知略を用いながら、一歩先を読んでいかなければなりません。

現代中国を根本から理解するのに、本書は欠かせないものではないでしょうか。


[ 2012/11/23 07:02 ] 華僑の本 | TB(0) | CM(0)

『人を幸せにする美人のつくり方』斎藤薫

人を幸せにする美人のつくり方 (KAORU SAITO BOOKS)人を幸せにする美人のつくり方 (KAORU SAITO BOOKS)
(2010/02/26)
齋藤 薫

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斎藤薫さんの本を紹介するのは、「されど服で人生は変わる」「こころを凛とする196の言葉」に次ぎ、3冊目です。

女性の美を論理的に説明してくれる人は、今の日本に数少ないと思います。そういう意味で、斎藤薫さんの本を、男性がもっと読まないといけないのかもしれません。

本書においても、女性が追求する美の本質を教えてくれる箇所が多々ありました。一部ですが、要約して、紹介させていただきます。



・遠くにいても“派手”が伝わってくるゴージャスな女性は、矢印を外へ外へと向けている。すれ違っても気づかない存在感のない女性は、矢印を内へ内へ向けている。悩みを抱え、自信を失い、またそれを丸見えにしている女性には、誰もが下向きの矢印を見ている

・“華のある人”は、ドアを開けて入ってきた瞬間、そこへ「さあ、みんなで楽しくなりましょうよ」という熱い気持ちを持ち込む人。その場所に“大輪の花”を咲かせてしまう

・身ひとつで勝ちえた成功、しかも金儲けでなく、才能によって得た富で、自分の身を飾る。すると、嫌味なほどの宝石が嫌みでなくなる。成功した芸術家の豪華な装飾に負けないオーラは、神から贈られた褒賞

・反体制的天才児は、頭もいいが、勇気もあり、昔風に言えば少し不良っぽい。まさに“粋”とは、そんな素敵さ

・後向きになりがちな人が、前向きオンリーで後ろ向きを知らない人といることは、勇気や励みになったりするどころか、かえって辛い

・“がむしゃらにキレイになろうとすること”“キレイだけを追っかける女”はむしろ醜い。これは女がみんなうすうす気づいている事実。けれど、他のことにがむしゃらで、キレイになるのを忘れていることに後ろめたさを感じている女は美しい

・キレイになろうとする心には、女のカルマが含まれている。キレイになることばかり考えていると、長い間にカルマがアカのようにたまり、女を醜く見せる。そのアカを削ぎ落すために、女は一度、キレイになることを忘れて、何か他のことにがむしゃらになるべき

・そばにいるとホッとする、そう思わせるのは、美しいのに美しいだけじゃない、しっとりとした落ち着き。それに包まれたいと思う欲求が人にはあるから、彼女は生涯、どこへ行っても求められる

・“神秘性”は、人を飽きさせないという意味で、“ただの美貌”の何倍もの引力を持ち、人を安心させないという意味で、“あけっぴろげ”の何倍も注意をひく

・女は美しくなることが、いい結婚に結びつくと錯覚する。それは、女性をもれなく美しくする良い錯覚。しかし、人間の美貌は、結婚において単なる“きっかけ”にすぎない

・悪妻とは、夫にとって悪い妻のことではなく、いくら悪さをしても夫に許さている妻、のことを指す

・大人の女は、濃厚な重たいだけの存在になってしまってはいけない。時々どこかの栓を抜いて、弱くなったり無垢になったり、心静かになったりして、女を薄めないといけない

・“女のプロポーズ”は“男のプロポーズ”の何倍も重くて盤石。自らの人生を自分で決め、自分の方から提言したという自負がある。自らそれを打ち破ることができないから、その人生を大切にする。そして自らを律していく

・年齢は、暑苦しい力を容赦なく運んでくる。ふと気を抜くと、すぐ図々しくなっている。その力を鎮めるために“お洒落”をする。しかし、50代以降に完成度の高いお洒落をすると、今度は“貫禄”という名の美しいふてぶてしさが生まれてしまう

・偽善と見られることを恐れるようなヤワな正義感では、とても人を助けられない。人を救うには、本物の正義感と、それを支える勇気が必要

・女は、生まれつき“幸せになりたい性”である。女は“幸せになること”を生きるテーマにしている。結婚願望も成功願望も、そして美しくなりたいという願望も、すべては幸せになるための布石

人を幸せにする人が、いちばん幸せ。そして、いちばん美しい。女は、そこに到達するために、“幸せ”を模索している



美しいものに、人は引きつけられます。和ませてくれるものに、人は寄せられていきます。

本書で、著者は、真の美しさとは、どういうものであるか、年齢ごとに、性格別に、内面を加味しながら論じられていますが、結局、美しさは目的ではなく、幸せになることを目的にせよということかもしれません。


[ 2012/11/22 07:01 ] 斎藤薫・本 | TB(0) | CM(0)

『選択日記』シーナ・アイエンガー

選択日記 The Choice Diary選択日記 The Choice Diary
(2012/07/20)
シーナ アイエンガー

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本書は、前の会社の上司であったFさん(「文化と達成」ブログを執筆)にいただき、読みました。

著者は、インド系の女性で、全盲ながらコロンビア大学ビジネススクールの教授を務められています。本書の内容は、「選択を記録し、評価するだけで、人生が豊かになる」というものです。

実際に、コロンビアビジネススクールで、その道のトップレベルになる力を養成するプログラムで実践されてきたものです。参考になる点が幾つかありました。それらの一部を紹介させていただきます。



・人間の「選択」には、二つの方法がある。一つは、条件を一つ一つ検討して決める「理性による選択」、いま一つは、「直感による選択」。その道の第一人者と呼ばれる人は、この両面をあわせた方法で「選択」している。それが「経験にもとづく直感

・「選択」において、人が失敗するのは、人間の認知システムが様々なバイアスによって歪められているから。適切な「選択」ができるためには、自分が行った「選択」をそのままにしておかずに、書き留め、その結果を折りにふれて評価することが必要になる

・「選択日記」は、「自分の行った選択」「そうするにいたった思考プロセス」「判断に用いた情報」を書き留め、その後、その判断について、「結果を自分で評価」「なぜ、うまくいったか、いかなかったか」を考える、というもの

・選択をするとき、私たちの脳は近道をしようとする(直感を使おうとする)。直感が判断のよりどころにするのが記憶。ところが、記憶は一定の方向に偏っている。人は、記憶の中の取り出しやすい情報を重視することが多い

・たくさんの選択肢を与えられたとき、一番思い出しやすいのは、最初と最後に出てきたもの。選択肢の内容よりも、それが現れた順番に判断を左右される

・記憶は情報の鮮明さや、入ってくる順番、頻度に大きく影響されるため、当てにならないことが多い

・大多数の人よりは目立ちたいが、奇抜で孤独な少数派にはなりたくない。その結果、他人の目を気にして、自分の意に沿わない選択をする。逆に言えば、人は自分がどう見られたいかを基準にして選択をするものである

・私たちは、日常生活において、自分の意見を裏付けたり、以前行った選択を正当化する情報のみを受け入れる。しかし都合の悪いことも直視することが必要

・理性で行う選択には、定量化データに頼るという致命的欠陥がある。定量分析では扱いにくい、感情に関わる事項がないがしろにされる。感情的側面も含めての「選択」には、「理性」と「直感」の「最適解」のゾーンが無意識のうちに見えてくる「選択日記」が有効

・人間の知覚判断には限界がある。どんな感覚でも、ほとんどの人が5つから9つまで(7±2)のものにしか対処できず、それを超えると、知覚の過ちを犯しがちになる

・選択肢が多すぎると、三つの弊害が起きる。1.「選ばなくなる」2.「ひどい選択をするようになる」3.「選んだ結果に満足しなくなる」。顧客の立場に立つなら、選択肢を絞ってあげることが必要

・個人主義社会では、「選択」の際、まず「自分」を中心におく。集団主義社会では「選択」の際、「私たち」を優先する。自分を、家族、職場、村、国など自分の属する集団との関係性でとらえる。見合い結婚と恋愛結婚はまさに二つの世界を象徴する「選択」

・自分のなじみのない「選択」の言語を学ぶことで、逆に自分のいる世界のことがよくわかってくる。常に異なる価値体系について考えることで、自他をよりよく理解できるようになる

・「一つのことを1万時間やり続ければ、その道で一流になれる。1万時間費やした人は、やり遂げるという意思を持って、何度も選び続けた人」(ビル・ゲイツ)

・成功した個人に共通する資質の一つが、「継続する意志」。目的を達成するために、継続しているうちに、次第に周りが脱落していき、自分が残っていく

・「人生とは、すべての選択が積み重なったもの」(アルベール・カミュ)

・そのブランドを選ぶとき、あなたは過去の思い出を買っている



本書には、
上欄に「下した選択」「日付」「選択にいたるまでの思考プロセス」「用いた情報」、
中欄に「結果」「日付」「点数・1~10点」、
下欄に「なぜ、うまくいった、うまくいかなかったと思うか」「日付」「点数・1~10点」
の選択シートが付いています。

選択の機会があるごとに、これに書き留め、結果を振り返っていけば、豊かな人生が切り開かれていくのではないでしょうか。


[ 2012/11/21 07:00 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『イェール大学CFOに学ぶ投資哲学』デイビッド・スウェンセン、瑞穂 のりこ

イェール大学CFOに学ぶ投資哲学イェール大学CFOに学ぶ投資哲学
(2006/08/18)
デイビッド・スウェンセン、瑞穂 のりこ 他

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著者のデイビッド・スウェンセン氏は、イェール大学の基金運用局で、20年間平均、年率16.1%という驚異的な運用成績を達成したファンドマネジャーです。また、イェール大学で、経済学とファイナンスのクラスを持って、教えられています。

基金の運用を、ずっと、アセット・アロケーション(資産配分)という手法で行われてきた方であり、前に紹介した「資産運用の強化書」の手本となる方でもあります。

その手法に学ぶために、本書を読みました。参考になる点が多々ありました。それらを一部要約して、紹介させていただきます。



・投資家が資本市場で投資収益を稼ぎたいとき、役に立つアプローチは、「資産配分」「マーケットタイミング」「銘柄選択」の三つ。この三つの中で、投資結果を左右する中心的な役割を果たすのは「資産配分」。リターン変動のうち、約90%が「資産配分」に起因する

・投資家は、投資原則の基本を守っていない。長期的な資産配分目標を合理的に設定するのが先決なのに、役に立たない銘柄選択やマーケットタイミングに夢中になっている

・以下の6種類の資産クラスには、はっきりした特性に基づく働きが期待できる。ポートフォリオ例としては、「米国株」30%「米国以外の先進国株」15%「新興国株」5%「長期国債」15%「インデックス国債」15%「不動産」20%

・国債には、金融危機や不況からポートフォリオを保護する働きがあり、分散効果が期待できる

・外国株投資は為替リスクを伴う。現実的な投資家は、為替変動から差益も差損も期待しない。為替相場がどちらに向かうかは、実際に誰にもわからない。為替の方向性に賭けないこと

・リスク対リターン特性から言えば、不動産は債券と株式の中間に位置する。賃料が定期的に流れ込む点は債券に近く、残余価値が変動する点は株式に近いので、期待リターンは、債券と株式の中間になる

・個人のバランスシート上で重要な非金融資産といえば、「持ち家」と「自営業」。持ち家のある投資家は、家賃の上昇リスクから保護されている。自営業の性格は株式に似ているので、自営業を営む人は、金融資産のポートフォリオで、株式比率を低めにしていい

・ウォール街が新商品を繰り出すとき、それが複雑であるほど、投資家はなるべく速足で、なるべく遠くまで逃げるが勝ち。複雑な仕組みを開発した本人や発行体でさえ、環境の変化にどう反応するか把握できていない

・うっかりヘッジファンドに手を出すと、結果はまず間違いなく期待外れに終わる。ヘッジファンドに投資していいのは、高度な知識を持ち、マネジャーを選択できる投資家だけ

・ミューチュアルファンド会社は、さまざまな口実をもうけて、お粗末な成績を隠そうとする。成績不良のファンドを他のファンドに吸収させて抹消するという手法やごまかしの手口もある

・過去の情報は何ほどの役に立たないことに気づかないかぎり、格付けシステムに効果があると思えない

・リバランス(再調整)を実行するには、常識に逆らった行動が求められる。まず、上昇中の資産を切り売りし、下落中の資産を買い足さなければならない。普通に考えれば逆。度胸が試される

・商業の世界で、利益を得るのは、大勢に従う者。勝者の戦略を取り入れ、敗者の流儀を切り捨てることで、商売は繁盛する。だが、投資の世界では、落ち目の資産が期待リターンを押し上げ、人気資産はプレミアムがつくので、期待リターンは押し下げられる

・賢明な投資家は、四半期に一度か、半期に一度か、あるいは年に一度ポートフォリオを見直す際に、リバランスの必要はないか、機会はないかと考えること

販売手数料は、投資家に対する侮蔑である。販売手数料を払えば払った分だけ確実にリターンが押し下げられる

・市場平均の上を狙うマネジャーには、粘り強さがどうしても必要。途中でやってくる苦境に対して、考え抜いたポジションを守り通すための確信が必要

・投資家が勝率を高くしたのなら、利益追求型でない会社が運用するファンドを選ぶことが近道。利益追求型でない会社なら、投資家利益の貢献だけに専念できる



本書を簡単にまとめると、「資産配分をリスクと期間に応じて考える」「資産配分の再調整を時期を決めて行う」「複雑なファンドやヘッジファンドには手を出さない」「為替変動に賭けない」「販売手数料や税金をできるだけ少なくする」ということになります。

要するに、マイナス要因をなくしていくことで、安定的な利益が見込めるようになるということなのかもしれません。


[ 2012/11/20 07:02 ] 投資の本 | TB(0) | CM(0)

『中村天風と「六然訓」』合田周平

中村天風と「六然訓」 (PHP新書)中村天風と「六然訓」 (PHP新書)
(2012/02/15)
合田 周平

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著者は、大学時代(戦後間もないころ)に、中村天風の「天風会」東京青年部に所属し、中村天風さんに、公私ともに可愛がられた方です。

その後、アメリカに留学し、工学博士として活躍した後、現在は電気通信大学の名誉教授をされています。

中村天風さんから直に教わったことが、記されている貴重な本です。中村天風の哲学を、中国古典の「六然訓」に見出し、それを題材に書かれています。勉強になった箇所が数多くありました。その一部を、要約して、紹介させていただきます。



・「ヴィジョン」は、日本語の「言霊」とも言える。「言霊」には、潜在意識の「潜勢力」への扉を開くシグナル(暗示力)が秘められている

・「一人でいても淋しくない人間」を目指せ。これこそが自然の道理なのだから

・われわれは、「未来からの留学生」であるとの認識から、自らの「心身を鍛える」ことが大切である

・中村天風が好んだ「六然訓」の一節とは、「超然任天」(超然として天に任す)、「悠然楽道」(悠然として道に楽す)、厳然自粛(厳然として自を粛す)、藹然接人(藹然として人に接す)、「毅然持節」(毅然として節を持す)、「泰然處難」(泰然として難を處す)

・人生の日々で、心に得意感を感じたときは、大抵の人は、たちまち有頂天になる。その結果、心の備えが緩むことがしばしばである

・マイナスの消極的な観念が、心にどっかりと居座っている状態を解放することが先決

・「時間を耕す」とは、天風哲学でいう積極的な「心の領土」を獲得する大切な言葉

・人間の独立は、第一に神からの独立であり、霊魂からの独立である。人間はひとり立つ精神を持つ者でなければならない。神に媚び、お供え物をあげて機嫌をとり、幸せが来るように、禍が来ないようにと何百回願ったところで、人間の真の独立はない

・「幸せとは何か」を考えると、それは求めるものではなく、生活した結果として見出される産物

・修行の心得とは、「修行に励む」という力んだ意識ではなく、安らかな精神のもと、天空のリズムに心身を委ねることである

・人間の心は、悲観と楽観という両方の感情を、同時に宿すことができない仕組みになっている

・「名聞」とは、人からよく思われようとする心。人に偉く思われよう、名を高めようと思う心であり、そのことを喜ぶ心。「利養」とは、欲しがり貪り、算盤勘定の生き方。「勝他」とは、人に勝とうとする心、人より優れたいと思う心

・人間の心には、「名聞」「利養」「勝他」の煩悩や欲心があり、それらを心に留めぬため、「修羅の行」に励み、一時的にも欲心を捨てることに心を砕いた。これが「厳然自粛」の実践

・「理想」を持つことは、立派に自己を活かす「宗教」である

・現実に直面したとき、自己の心に語りかける言葉を「生活のヴィジョン」に刷り込むこと

・自分を向上させようという意欲が薄くなった人は、どうしても老衰を早める

・暗示作用とは、「力を入れることを考えずに、力を働かせること」に重点を移すこと

・人生は、心ひとつの置きどころ

・自分の言葉や行動や仕事などの結果で、何か不本意なことがあったとき、それを仔細に検討すると、必ず「」か「勇気」か、もしくは「信念」の欠如が原因であることがわかる

・若い時期には、「人物づくり」の教育に勤しんでこそ、経験や知識が身につき、その人の思想や哲学が生まれる。人生の「」を自覚し、日常的な「生活態度」を心に刷り込むことである



著者は、中村天風さんの側にいて、師弟関係という間柄にありながらも、淡々と天風さんを観察していたように見受けられます。

「崇拝する」のが常識的に思えますが、そこは科学者の血が、そうさせなかったのかもしれません。本書は、中村天風という人物を客観的に記録した、興味深い本だと思います。


[ 2012/11/19 07:01 ] 中村天風・本 | TB(0) | CM(0)

『みっともない老い方:60歳からの「生き直し」のすすめ』川北義則

みっともない老い方: 60歳からの「生き直し」のすすめ (PHP新書)みっともない老い方: 60歳からの「生き直し」のすすめ (PHP新書)
(2011/06/16)
川北義則

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平均寿命が伸びるにつれ、「定年後の人生」の意味が大きくなっています。ただ、退職年齢を延ばす(定年を延長する)だけでは、根本的に解決できない問題のように感じます。

社会の嫌われ者にならないため、すなわち、「みともない老い方」をしないために、どうすればいいか。その方法を、簡潔に記しているのが本書です。結構ためになる本です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・退職人生では、現役人生が一回クリアされている。つまり、延長戦ではない。まだ、延長戦だと思っている輩がけっこういる。そのまま気づかなければ、第二の人生はつらくなる

・人間、絶好調のときは、現在に生き、過去なんて思い出す暇もない。過去は、都合よく粉飾されて現れる。思い出が美しいのはそのせい。できるだけ、過去は振り返らないに限る

・格差が気になるのは、比べるから。今の社会は「比べっこ社会」。何でもランキングにする。「比較地獄」(勝ったと思っても、必ず優位な人間が現れ、また新たな不幸の気持ちを抱く)は、ずっと続く。この無間地獄を一生行ったり来たりしていなければならない

・してもらったら感謝、してもらえなくても当たり前

・とりあえず、少数派になってみること。世間の多くが「そうだ」と言い出したら、「違うのではないか」と疑ってみる。大勢に流されない癖をつけること、それが大人の見識

・「年下に向かって、どれだけ有益なメッセージを与えられるか」が年長者の役目であり、老いの自覚というもの

・「もし生涯の第二版があるならば、私は校正したい」(イギリスの詩人ジョン・クレア)。長寿社会ではそれができる。やらないのはもったいない

・現代人の反応は、よくも悪くも条件反射的。マニュアルのように、パターンをいっぱい頭に入れていて、それに合致する出来事が起きると、決まった反応をする。それでは、「いつも上機嫌」ではいられない

・「いつも上機嫌」でいる最大のコツは、「上機嫌であろう」と決心すること

・人間は働けるうちは働いて、老後のために貯蓄していくのが常識。そんな蓄えさえなく、「年金生活だけでは苦しい」などの悲鳴をあげるのは、いささか身勝手な生き方

・過去は「食ってしまった飯」のようなもの。もうどうしようもない

・「人間はいいものの前では、まず感動したような面持ちをするがいい」(斎藤茂吉)

・「目標がないくらいなら、邪悪な目標でもあったほうがいい」(イギリスの思想家カーライル)

・セックスエネルギーは、人間の持つエネルギーで最も強いもの。エネルギーは転換可能。より大きな仕事をするには、セックスエネルギーがあることが前提になる

・人生を左右しているのは、想像力。想像力が人生を豊かにする反面、つまらなくもする。人生を充実させたいなら、それにふさわしい自分の姿を想像すること

・常識が役に立つのは、変化の少ない世の中の場合。世の中が目まぐるしく変化している今のようなときは、常識は疑ってかからなければならない

・自分で料理することのメリットの第一は、ボケ防止になること(料理はいくつかのことを同時進行で行いながら、常に先を読むことが必要)。第二は、食生活の改善ができること(自然に味と栄養学の勉強になる)。第三は、夫婦関係が良好になること

・「死期を覚る」とは、「すべてに興味がなくなる」こと

・現役時代ほど稼げるわけではないが、「自分は稼ぐ能力がある」と思えることが大切。「もう稼げない」と思うと、大きな不安材料になる。わずかな金額でも稼ぐ能力があると思えば、気持ちが違ってくる



インドの四住期(学生期・家住期・林住期・遊行期)に例えると、定年を迎える時期は、まさに「林住期」です。つまり、これまでの人生から離陸する時期です。

この自覚がないと、著者の言う「延長戦」に入ってしまうのかもしれません。本書は、老いの自覚について、コンパクトによくまとまっているように感じました。


[ 2012/11/17 07:01 ] 老後の本 | TB(0) | CM(0)

『新訳ローマ帝国衰亡史』エドワード・ギボン

新訳ローマ帝国衰亡史新訳ローマ帝国衰亡史
(2000/09)
エドワード ギボン

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ローマ帝国衰亡史は、1776年刊行の後、2世紀を過ぎても、人々に影響を与える歴史書です。

英首相チャーチル、インド首相ネール、アダム・スミス、バートランド・ラッセルも愛読者でした。チャーチルは、後に「第二次大戦回顧録」でノーベル文学賞を得たのですが、これは、ローマ帝国衰退史をよく学んだからと言われています。

アウグストゥス帝の絶頂期の時代(紀元前27年)から東ローマ帝国滅亡(1453年)に至るローマ帝国の歴史は、なぜ国家の隆盛と衰亡が起こるのかを我々に教えてくれます。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・ローマの共和制が、まだ本来の姿であった時代、武器の使用は、財産を持ち、立法への参加が義務であった階級市民に限られていた。やがて、征服の進展によって、戦争は一つの技術となり、一つの職業へと堕ちていった

・ローマこそ、臣民のすべてが、宗教を自由に信じることが許され、また社会的名誉や特典においても、征服者と対等に扱われていた世界だった

・アテネやスパルタが没落を速めた原因は、異邦人と交わらず、祖先の純血を保とうとした狭量な政策にあった。この点、ローマは違っていた。奴隷であれ異邦人であれ、敵であれ蛮族であれ、長所や美点があれば、これを活用することこそ名誉と考えていた

・ハドリアヌス帝や両アントニヌス帝の勅令により、最卑賤層まで保護が広がった。主人が持つ奴隷に対する生殺与奪権を取り上げ、行政官に委ねた。地下牢も廃止し、奴隷の虐待の訴えが正しい場合、解放されるか、温情ある主人に仕えることができるようになった

・希望ほど人を慰めるものはない。職能に優れた奴隷や主人に気に入られた奴隷は、数年懸命に仕えれば、自由という無上の報酬が待っていた。若くて素質がある奴隷には、技芸や学問が教え込まれた

・各属州にも、円形闘技場、寺院、劇場、柱廊、凱旋門、浴場、水道など、最下層市民の健康、娯楽、信仰も考慮に入れた施設が造られ、街のいたるところが飾り立てられた

・いちはやく情報を入手し、ただちに命令を伝達するために、広大な帝国全土に駅伝制度が敷かれた。5、6マイル毎に40頭の馬を常備する駅舎が置かれ、乗継によって、公道を1日に100マイル(=161㎞)走破することができた

・平和と洗練があるところに文学熱がある。ハドリアヌス帝や両アントニヌス帝自身が好奇心旺盛な向学の士であったため、臣下の間でも、この雅風が盛んに見られ、やがて帝国全土に広がった。文学の才を持つ者がいれば、多額の報酬で求められた

・紀元250年から265年にかけて、帝国のすべての属州、都市は、長期の大飢饉に見舞われた。その影響で疫病も続いた。この災厄の原因は、掠奪と圧政であった。ある時期、ローマ市だけで1日5000人が亡くなり、アレクサンドリアでは人口の半分以上が死亡した

・ディオクレティアヌス帝の時代、内戦頻発や軍の横暴、蛮族侵入や専制拡大で、学芸までもが深刻な影響を被った。総じて人間精神の衰退期には、常に新プラトン派(倫理学、自然科学、数学等々の諸学問を軽視し、意味のない思索に理性を費やす学派)が隆盛する

・「飽食ほど盛運を損なうものはない」。かつては質実剛健だったローマ人が、奢侈と洗練を事とする民へと変貌していった

・大きな資産を有する貴族にとって、武勲など何の意味もなく、文官職にもさして魅力がなかった。元老議員たちは高利貸しによって資産を増やした。法律などないに等しかった

・市民は、配給券を手に、無償か極めて安価で、一家族300ポンドのパンを受け取った。この配給体制のために、パン焼きかまどが公費で造られた。肉も油も葡萄酒も同様に配給された。怠惰な市民は、入浴、賭博、居酒屋、売春宿、競技や見世物に耽るようになった

・キリスト教の導入や乱用は、宗教対立に火をつけ、ローマ帝国の衰亡の要因となった

・かつて、ローマ帝国に征服された民族は、独立の願望を棄て、ローマ市民になることを喜んだ。そのため、被征服民の民族的独立心軍事的野心も失われて、民の幸福が、皇帝(未成年の子供もいた)の資質に左右されることになる

・飢え、寒さ、疲労、身の危険、こうしたことが蛮族の心身を強化する。いつの時代も、軍事技術で、彼らに対抗することを怠った文化国家を悩ます



この500ページを超える本を、簡潔にまとめる力量が、私にはまだなく、少しわかりにくかったと思います。ある程度、世界史やローマ帝国の知識が必要かもしれません。

しかし、国が衰亡していくときに、どんな現象が起こるのか、そこに絞って、本書を読むと、勉強になることが多いと思います。日本の現状と似通っているところが、やはり気になるところです。


[ 2012/11/16 07:23 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『幸福の計算式』ニック・ポータヴィー

幸福の計算式 結婚初年度の「幸福」の値段は2500万円!?幸福の計算式 結婚初年度の「幸福」の値段は2500万円!?
(2012/02/01)
ニック・ポータヴィー

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幸福をお金で換算したら、いくらになるのか。一見、無謀とも思えることに挑んだのが本書です。

結婚、子供、健康、仕事、収入、資産など、それぞれ、どのくらいの価値(お金)があるるのかを調べています。

当然、経過年数や地域、宗教によって違いが出ていますが、おおよそをつかむ上で、役に立つところが多い書です。それらを要約して、紹介させていただきます。



・過去の経験がどのくらい幸せだったか、あるいはつらかったかを思い出して評価するとき、私たちは費やした時間のことはほとんど考えない。最も重要なのは、その経験の「ピーク時」と「終了時」にどう感じたか

・経験が豊富にあれば、直感に頼って決断したほうがいい。経験がほとんどないような状況に関しては、感情だけに頼らないことが重要

・私たちの決断のほとんどすべてには、機会費用(別の選択をしていたら得られていたであろう利益)がつきまとう。経済効率を考えれば、一つの決断をするということは、別の選択肢をあきらめることを意味する

・貧しい人の貯蓄率が低いのは、派手にお金を使っている人に追いつきたいという気持ちがあるから。言い換えれば、収入が上がれば、それにつれてもっとお金を使いたいという気持ちが強まるということ

・裕福な地域に住んでいる人のほうが、貧しい地域の人たちよりも、お金のことで配偶者と口論することが多い

・南アフリカ、ラテン・アメリカ諸国、ロシアといった過渡期にある国々に住む人たちは、近くに住む、自分よりも裕福な人たちから受ける心理的影響がプラスにはたらいている

・結婚している人は独身の人と比べて、約2500万円分の幸福を得ていることになる。しかし、それは、結婚生活の最初の年、すなわち独身から既婚者への一回限りの変化によってもたらされる幸福の価値を示すものでしかない

・1年間、友人や親戚に会わない人の幸福度を埋め合わせるためには、1年当たり約49万円の増収が必要になる

・配偶者の死には、喪失を経験しなかったのと同程度の幸福を感じるためには、約3800万円の臨時収入が必要になる。同様に、子供の死は約1500万円、母親父親の死は約250万円、友人の死は約100万円

配偶者の死というひどい傷が癒えるまでに、男性で4年、女性では2年しかかかっていない

・結婚に至るまでの数年間、人はとても幸せになれる。もちろん、結婚のプラスの影響がもっとも高まるのは結婚した年だが、この蜜月が続くのは2年間

犯罪率が高い地域では、低い地域に比べて、犯罪の犠牲者はそれほど傷つかない

・失業者は、そうでない人に比べて精神的に動揺するが、失業率が高い地域では、両者の幸福度の差は小さくなる

・男性の19%と女性の24%は自分の容姿を「とてもいい」と言っている。男性の49%と女性の48%は自分の容姿を「平均以上」だと言っている。そして、「みんなと同じ」と言っているのは少数派で、男性の29%と女性の26%

・幸福な人は、仕事を休んだり、すぐに疲れたり、他の従業員に不満をぶちまけたりしないで、熱心に働くので、収入に反映される。大学のとき、快活だった学生は、他の条件が同じ場合、16年後に同級生よりも多くの収入を得ている

・コミュニティ、チームワーク、分かち合いといった単語がたくさん隠れているゲームをした人は、そうでない人よりも、地域の事業に進んでお金を出すようになった

・フランス大統領サルコジ(当時)作成のレポートは、統計の焦点を経済指標から、幸福度や生活満足度といった指標へ移行させることを提案。イギリス首相キャメロンも、「リバタリアン・パターナリズム(自由だが誘う)を最優先課題に、人々を幸福へ導く」と公約



本書には、さらに、「子供を持って幸福を感じるのは1年だけ」という文があります。これが、「子供を持つと不幸になる」とイギリスの番組で紹介され、論争を呼んだそうです。

「子供を持つと幸福になる」と信じなければ、人類は絶滅しかねません。逆に考えれば、そう錯覚させることで、人類は滅亡から逃れてきたのかもしれません。

是非はともかく、幸福をお金に換算すると、どうなるかを客観的にはじき出した書であり、参考になる点が多くありました。
[ 2012/11/15 07:02 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉』アルボムッレ・スマナサーラ

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
(2006/07/18)
アルボムッレ スマナサーラ

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スマナサーラさんの著書を紹介するのは、これで7冊目になります。前回、「怒らないこと2」を紹介しましたので、今回は、遡っての紹介となります。

スマナサーラさんは、本書にて、怒りが災いを及ぼす理由と怒りのメカニズムについて詳しく論じられており、怒りを全面否定されています。勉強になった点が多々ありました。その中の一部ですが、紹介させていただきます。



・「退屈だ」「嫌だ」などの感情があるとき、心に怒りがある。「ああ楽しい」「幸せだなあ」「わくわくしている」というときには、怒りはない。このように、「怒り」を、自分の心に生まれる感情として把握すること

・ドーサ(暗い)が強くなると、ヴェーラ(怒り)に。バーリ語の怒りの言葉は他にもある。ウバナーヒー(怨み)マッキー(軽視)パラーシー(張り合う)イッスキー(嫉妬)マッチェリー(ケチ)ドゥッバチャ(反抗)クックッチャ(後悔)ビャーバータ(激怒)

・愛情を「神」、憎しみや嫉妬や怒りを「悪魔」のように、感情を人格化すると、自分の心を見ることを避けてしまう。仏教では、「人間の感情を人格化しないように気をつけて、科学的に分析しなさい」と教える

・人間というのは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っている。それで、怒る。「相手が正しい」と思ったら、怒ることはない

・「私は正しいとは言えない。私は不完全だ。間違いだらけだ」ということが、心に入ると、その人は二度と怒らない

・精一杯努力するのは、別に悪いことではなく、むしろ良いこと。でも、それに完全な結果を求めるのは間違っている

・だいたい暗い人は、「私をののしった。私に迷惑をかけた。私をいじめた。私に勝った。私のものを奪った」など、頭の中で考えて怨み続ける

・「私は男だ」「若いのだ」「中年だ」「私は社長だ」「部長だ」。よく考えてみれば、全部大したことはない。社長だから、何なのか?そもそも「私は何々だから」と思うところから、世の中のすべての問題が生まれる

・人間は誰しも、心のどこかに「あの人は悪人だから、死んで当然」という考えを持っている。そういう理屈に従うなら、人類はいなくなってしまう。逆に、完璧な善人は、どうかと考えると、これもいない

・怒りは、人の幸福と生きがいを奪う。他人から奪っても、自分が幸福になれるわけではない。自分の苦しみを他人に巻き込んでいるだけ。だから、怒ることは、性質の悪い泥棒

・世の中で、怒る人ほど頭の悪い人はない。怒っているときの自分を観察すればわかる。そのときは、智慧も湧いてこないし、明るさもないし、適切な判断もできない。その状態は、動物以下。知識や能力、才能ある人間になりたいのなら、怒ってはいけない

・釈迦は「怒りと高慢の両方を捨てろ」と言っている。エゴを持っているから怒る。だから、「怒りと一緒にエゴを捨てろ」と言う

・怒りを治める上で、一番大事なことは「自分を観る」、ただそれだけ

・「負けず嫌い」は二種類ある。一つは、エゴとプライドで、「他人に負けたくない。負けるのは嫌だ」の気持ち。もう一つは、正しい「負けず嫌い」で、「自分に負けてたまるか」の気持ち。自分の怠け心のせいで負けたのを恥じて、戒めているのは、エゴではない

・議論をしたがる人がやってきたら、「気持ちではなく、何が問題なのか、なぜ問題なのか、そのポイントだけ話して」と言い、しばらくたって「そういう場合、こうではないかな」と言えば、納得してもらえる。つまり、相手の怒りを乗り越えること。怒ったら負け

・「笑って幸福になる」と「幸福だから笑う」の笑いは、全く違う。「私は幸福だ。お金もある。だから満足して笑っている」という人は、ひどい目にあうことが多い。なぜなら、さらなる幸福を目指すことを止めた時点で、怠けてしまうから

・笑いは強者の証明で、怒りは敗北者の烙印。怒るのは失敗を選ぶ愚か者。智慧ある人は迷わず笑う道を選ぶ

・相手の怒りを引き受けて、気落ちする必要は全くない。その人は、自分のからだに溜まったゴミを外に出しているわけだから、わざわざ、自分がゴミ箱になる必要はない



怒らないようにする、怒りを心から一掃する、相手の怒りも上手に避ける。本書を読めば、怒りは、自他ともに近寄らないのが得策のようです。

怒りが汚染物質であることを認識し、汚染されないように、汚染しないように、自らを見張っておく必要がありそうです。


[ 2012/11/14 07:01 ] スマナサーラ・本 | TB(0) | CM(0)

『「生き方」の値段』エドアルド・ポーター

「生き方」の値段―なぜあなたは合理的に選択できないのか?「生き方」の値段―なぜあなたは合理的に選択できないのか?
(2011/09/22)
エドアルド・ポーター

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一時の有名私学お受験ブームが過ぎ去って、最近は、理系への進学人気が高まっています。文系は営業とマネジメント職以外、ほとんど必要とされていないのが理由です。仕事のキツさと給料のよさのバランスを何となく計算して、判断した結果ではないでしょうか。

このように、合理性(お金による価値判断)を無視して、生きていくことは困難です。本書は、すべてのもの(命も含めて)に値段を記した書です。生きていく上で、興味深い点が多々ありました。それらを一部紹介させていただきます。



・最も高い金を払う顧客を見つけて引き寄せるための、最も魅力的な方法がオークション。ノーベル経済賞を受賞した心理学者カーネマンは、オークションを「愚か者を見つけるためのツール」と呼んだ。だから、売り手はオークションが好きで、買い手は嫌い

・アメリカの投資家バフェットは、自分の経営する会社の年次報告書に必ずこう記載している「私たちはオークションに参加しません」

・1992年には、チケット価格が一律のコンサートは50%以上だったが、2005年には、10%だけになった。裕福な都市では、価格の差別化はより効果的

・政府は統治する国民の命の価値を把握しなければ機能しない。人間ひとりの命の価値は2010年の貨幣価値で、アメリカでは約6億円、イギリスでは、人の1年間の命の値段は、約350万円、インドでは、1年間の命の値段は約25万円、一生では約750万円

・ワールドトレードセンタービルの犠牲者に支払われた金額(死者の価値)は、女性は平均で男性より37%少なかった。死亡者2880人には、遺族補償金として平均で約1億6000万円支払われた(上は約5億円、下は約2000万円)

・アメリカの運輸省では、道路を再設計するのを決定するとき、交通事故負傷者の人生を数値化し、軽傷なら統計的生命価値の0.0002%、重傷なら75%超の損失として見積もる

・100年以上前に、哲学者ショーペンハウアーは、「金は人間にとって抽象的な幸福である。人間としての具体的な幸福を楽しめなくなった者が金に身を捧げる」と言った

・オーストラリアの幸福感調査研究によれば、約130万円~200万円の臨時収入は、結婚とほぼ等しい満足感を与える。約1500万円の損失は、子供を失った時と同じような悲しみを引き起こす

・旧東ドイツの生活に対する満足度は、ベルリンの壁崩壊後、1991年~2001年の間に、20%増加した。急増の理由は、警察国家解体によって自由が得られたことと、家計所得が60%増えたこと

・ライフサイクルによる幸福曲線はU字を描き、中年まで下がり続け、再び上昇する。50歳前半が一番不幸なのはアメリカ人男性、ヨーロッパでは男女とも40代後半。メキシコ人は41歳のときが一番不幸だと考えている

・より豊かになった国では、子供たちの多くが大人になるまで生存できるので、できるだけ多くの女性と交わるために、たくさんの妻を持つ必要がなくなる。代わりに、子供たちを教育できる賢い女性を持つことが有益になった

・夫婦は、年齢、学歴、所得の将来性などが似てきて、結婚は、これまで以上に男女の釣り合いがとれてきた。夫婦は、子供をつくるためのものでなくなり、働いた中から共同出資し、余暇や他のもの(育児サービスなど)を市場から買うものになってきた

・家計所得で上位1%を占める世帯収入は、1980年、全体の10分の1だったが、今日では4分の1になった。わずかなゾウアザラシが、すべての魚を食べてしまっているようなもの

・アメリカでは中位の労働者たちが、賃金の停滞あるいは減少に苦しんでいる。これは、作業の機械化や、よそでやることなど、簡単に交換可能かどうかという問題

・最近の世論調査では、信仰は、69%が家族の価値と道徳的行為を向上させるツール、85%が子供の教育に役立つ、79%が犯罪を減らすと考えている。アメリカでは、教会へ行く人は、喫煙も飲酒も少なく、太りすぎておらず、結婚している人も多く、社交的である

・アメリカでは、投票権を持つ年配者は、政治システムを通して、より大きな利益を得ている。年配者に対する社会的支出は、1人当たり約160万円だが、子供は約50万円。そして、もうそれほど長く生きることがない人は、温暖化にはあまり関心がない



日本人(東洋人)は、精神性に走りやすい民族です。合理性という尺度で判断しないと、変な方向に走ってしまいます。

リーダーたちの暴走を防ぐためにも、「お金による価値判断」が必要になります。判断が、リーダーの感情であるより、お金のほうが、よっぽど安全です。本書は、そういうことを明示してくれる貴重な書ではないでしょうか。


[ 2012/11/13 07:01 ] お金の本 | TB(1) | CM(0)

『生き残る技術-無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意-』小西浩文

生き残る技術 -無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意- (講談社プラスアルファ新書)生き残る技術 -無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意- (講談社プラスアルファ新書)
(2009/12/22)
小西 浩文

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著者は、8000メートル峰無酸素登頂日本人最多記録を持つ登山家です。著者の発言には、現実を直視した言葉ばかりで、甘ったれた言葉がありません。

著者の言葉に、厳しい現実に立ち向かう人は、勇気づけられるのではないでしょうか。本書の中から有益に思われる箇所を、一部要約して、紹介させていただきます。



・標高8000メートル峰という「死の地帯」に挑み続けた中でつかんだ「真理」とは、「人間は困難がないと成長できない」ということ

・人生において、何かの目標を抱いている人は、困難つまり「限界」を超えなければならない。そこでは、「好き」や「嫌い」は関係ない。絶対に必要なのは「」である

・「欲」だと何か悪いような気がするが、「夢」だと美しい。呼び方なんてどうでもいい。困難を乗り越えるためには、「自分は~したい」という気持ちを強く持つこと

・山での遭難者の多くは疲労凍死ではない。実は、ザックやテントの中に食料があったり、まだ着られる衣服を残したまま亡くなっている。遭難者は、肉体的な限界で亡くなったわけではなく、遭難した絶望感、つまり、「生きる」という心が折れたので亡くなっている

・限界を超えた人間だけが得られる境地によって、目に映る世界が変わり、行動も変わり、話す内容も変わり、興味の対象も変わる。当然、関わっていく人々も変わっていく

・「無理」はしても「無謀」はいけない。「できない無理」を避けて、「できる無理」に力を注ぐという判断力が必要

・悪天候になって、継続か撤退か、悩む場面が多々ある。そんな時、「ここで撤退したらスポンサーに会わす顔がない」とか「支えてくれた人に申し訳がない」という「執着」が入ってしまえば、大事故につながる可能性が高い

・「頂上に立つ」ことは、「生還する」目標を達成するための通過点。この目標を達成するには、利害、損得、欲得などの雑念をすべて排除して「無心」にならなくてはならない

・会社のため、仲間のため、家族のため。「誰かのため」という動機は、自分を奮い立たせる「当たり前」の心構えであって、苦しみや恐怖に打ち克って、限界を超えようという時に考えることではない。重要な判断・決断の時こそ、自分の内なる声に耳を傾けること

・肉体の苦しみはどうにでもなる。難しいのは心のコントロール。裏を返せば、心をコントロールすることができれば、どんな苦しみだって乗り越えられる

・ベテラン登山家が失敗する理由は、技術や体力ではない。原因はただ一つ、「心のすき

・宮本武蔵が生涯、誰にも負けなかったのは、相手を倒すというより、自らが生き残るという目標を設定したから。宮本武蔵は、「達人」にならなかったから、強かった

・「心のすき」は「執着」だけが生むものではない。怒ったり、嘆いたり、心配したり、誰かを恨んだり、これらはすべて「心のすき」である

・勝負事は気性の荒さが絶対に必要。「やってやる」という勇気。「なにくそ」と思う根性、「絶対に負けない」という強気、「絶対に屈しない」という反骨心、こうした熱く燃えたぎるようなハートがなくては、人生において限界を超えることができない

・攻め時があれば、それを見逃さず攻める。守りの姿勢に入る時があっても、「攻める」気持ちは、持続しなくてはいけない。守っているのは、次に攻撃に移るため

・一流の勝負師は、負けた記憶とともに、勝った記憶も早く忘れる。これが、無の境地

・まぐれで成功した「幸運な人」は、「今度もうまくいくんじゃないか」と淡い期待を抱き、「できない無理」に突っ込んでしまう。人間は、劇的な成功ほど忘れられない

・必要なのは「友人」ではない。同じ目標を持ち、同じ困難を乗り越えられる「戦友

叱らなくてはいけないケースは、相手の情緒が不安定になったとき。そこへ感情をぶつけても、いい結果は出ない。まずは、落ち着き、話を聞いて、冷静な口調で諭すこと

・一人の弱者が百人を殺す場合がある。私なら、一人の弱者を見捨てて、百人の命をとる

・「瞑想」が目指すのは、「あくび」の出る状態。自然の「あくび」は、心と体から無駄な力が抜けた時に思わず出る。自分の意志で、このような状態にもっていくのが「瞑想」



著者のように、生死の境を漂った経験のある人は、大きく自己成長を遂げます。

本書を読むと、自己成長するには、せめて、恐ろしい経験、大恥じをかかされる経験など、危ない橋を渡る経験が不可欠だとわかるのではないでしょうか。


[ 2012/11/12 07:03 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(1)

『老年について』キケロー

老年について (岩波文庫)老年について (岩波文庫)
(2004/01/16)
キケロー

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キケローは、古代ローマの政治家であり、哲学者であった人です。本書は、紀元前44年、キケローが61歳のときの著作です。

人生における老いと死について論じたものですが、それから2000年以上経っても、ずっと読み継がれてきています。

この古代ローマ人の名作の中に、現代の日本人にも参考になるような点を多々見つけることができます。それらを一部ですが、紹介させていただきます。



不平のない老年を送る人は、欲望の鎖から解き放たれたことを喜びとし、軽蔑されることもない。不平の類は、性格のせいであって、年齢のせいではない

・愚者にとっては、山ほど財産があっても、老年は重い

老年を守るに最もふさわしい武器は、諸々の徳を身につけ実勢すること。生涯にわたって、徳が涵養されたなら、長く深く生きた暁に、驚くべき果実をもたらしてくれる

・徳は、その人の末期においてさえ、その人を捨て去ることはない。人生を善く生きたいという意識と、多くのことを徳をもって行ったという思い出ほど喜ばしいことはない

・愚か者は、己れの欠点や咎(とがめ)を老年のせいにする

・大事業は、肉体の力とか速さ、機敏さではなく、思慮・権威・見識でなしとげられる。老年はそれらを奪い取らないばかりか、いっそう増進する

・もし老人に、思慮と理性と見識が備わっていないのなら、われらが先祖は、国の最高機関を元老院と名づけはしなかったであろう

・熱意と勤勉が持続しさえすれば、老人にも知力はとどまる。世に聞こえる高官のみならず、野にあってひっそりと暮らしている人の場合でもそうだ

・一年で結果の出る仕事の場合には、驚くにあたらないが、農夫は、自分にはまったく関係のないことがわかっていても、せっせと励んで「次の世代に役立つように木を植える」

・老年期にあって、「老齢のわが身が若い世代に嫌われると感じる」ことほど情けないことはない

・快楽は熟慮を妨げ、理性に背き、精神の眼に目隠しをして、徳と相渉することはない

・老年は破目を外した宴会には縁がなくとも、節度ある酒席を楽しむことはできる

・老人の場合、快楽の疼きはそれほど大きくなく、欲しがられもしない。欲しがらないものは、人を苦しめることもない

・老年にとって、肉欲や野望や争いや敵意などあらゆる欲望の服役期間が満了して、心が自足している、心が自分自身と共に生きるというのは何と価値があることか。研究や学問のようなものがあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはない

・「日々多くを学び加えつつ老いていく」。このような心の快楽にもまして、大きな快楽は決してありえない

・畠を耕して楽しみとする人たちほど、幸福な老年はありえない

・言葉で自己弁護しなければならない老年は惨めだ。まっとうに生きた前半生は、最期に至って、権威という果実を掴むのだ

老年の実りとは、以前に味わった善きことの豊穣なる思い出にほかならない

・老人は残り少ないその余生を貪欲に求めてはならないし、故なく放棄してもいけない

・賢い人ほど平静な心で、愚かな者ほど落ち着かぬ心で死んでいく。より広く、より遠くまで見分けのつく魂には、自分がより良い世界へと旅立つことが見えるのに、視力の鈍い魂にはそれが見えない

・人生における老年は、芝居における終幕のようなもの。そこでへとへとになることは避けなければならない



老年の悩みや死の不安は、2000年前も今も何も変わっていません。そういう意味で、本書に書かれてあることは、人間の本性を言い表わしています。

人間が年老いていく中で、晩節を汚さないための大切なことを、本書は教えてくれるのではないでしょうか。


[ 2012/11/10 07:01 ] 老後の本 | TB(0) | CM(0)

『生きいきて、逝くヒント』高田好胤

生きいきて、逝くヒント生きいきて、逝くヒント
(2006/07/28)
高田 好胤

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薬師寺管主、法相宗管長などを務められ、薬師寺金堂復興に尽力された高田好胤さんが生前に記されたものを、まとめた書です。

亡くなられて、15年近く経ち、高田好胤さんを知らない人も増えてきましたが、生前は、テレビなどにもよく出演されていました。どんな話をされていたのか、当時、未熟だった私には、ほとんど記憶がありません。

本書を読み、高田好胤さんの凄さが、今になってようやくわかった次第です。生きていく上で、大切な言葉が数多く記されています。それらを一部要約して、紹介させていただきます。



・縁は努力で作るもの

・懺悔には、人を新しく生まれ変わらせる働きがある

・神様仏様が見えないところから「見てござる」。誰が見ていなくとも誰かが見ている

・物を作ることも大事。けれども、人の心を作ることは、もっと大事なこと

・教えられたいという心があれば、どこにも教えはある

・人間は称賛をかち得ているときが、一番危険なとき

鉄の錆は、鉄より出でて、鉄を滅ぼす。欲は人の身から出て、その人を滅ぼす。それをほどほどに調節するのが、人生の修練

・悟りとは、決心すること

・教えるにはムチがいる。物としてのムチでなく、心のムチは少なくと持ってほしい。それができないというのは、教育に熱意のない証拠

・訓練のない所に個性はない。個性は訓練によって磨き出されてくるもの

・「もったいない」の言葉には、感謝する気持ちがある。だから、「もったいない」と「無駄だ」の二つの言葉の間には、天と地ほどの懸隔がある

・人間の目は外を向いてついているから、外はよく見える。それだけに、よほど気をつけないと、自分自身の内を見ることがなかなかできない

・親が苦労して、子供を楽にさせてやりたいとすると、子供はのちのち無慈悲に堕ちていく。親は苦労し、子は楽をし、孫は乞食する

・自利はトレーニング(修練)、利他はサービス(奉仕)。すなわち、トレーニングによって身につけたものを世のため人のためサービスすることを菩薩道ということ

・自分の邪悪な欲望にうち勝つということが「克己」。それこそが、千人の他人に勝つよりも真の勇気を必要とする

・食事をとるときは、良薬を飲むように、分量と時間を間違えないように心がけなければならない。人間というものは、ものを食べ過ぎると、怠け心が出てくる

・人はみな罪のかたまりみたいなもの。それに気付かないで、自分は善人だと思い込んでいるだけ。つまり、自覚が足りない間は、善人でいられる

・暇そのものが堕落をもたらすのではない。暇を有効に生かすことができず、暇をもてあました結果、堕落が始まる

・「負けるが勝ち」とは、敗北主義を賛美するのではなく、人間の心の余裕、心の温かさを賛美しているのであり、それこそ人生の真の意味での勝利への道

・人々の心の中に「見上げる心」をはぐくみ、精神を昂揚するために必要な高さが「塔の高さ」であり、精神的に必要な大きさが「お堂の大きさ

・科学は人間の偉大なる智慧が生んだものだから、人間はそれを享受すべき。だが、物質的な豊かさが、精神的貧困の上に成り立っているのだとしたら無意味

・苦労と仲良くすれば、いつかきっと苦労が味方になって助けてくれる



高田好胤さんは、若いとき、古老から「聞いときなはれや、いつかそれが、ほんまになりますねんで」と言われた言葉を、忘れることができなかったそうです。

本書に限らず、自分が感じた言葉が、いつか本当に、自身に起こるのではないかと信じることは、人生において大事なことではないでしょうか。


[ 2012/11/09 07:03 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『自分探しと楽しさについて』森博嗣

自分探しと楽しさについて (集英社新書)自分探しと楽しさについて (集英社新書)
(2011/02/17)
森 博嗣

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人気作家である、森博嗣さんの著書を紹介するのは、「自由をつくる自在に生きる」に次ぎ、2冊目です。

自らの趣味を楽しんでいる著者が、本当の楽しさとは何かを、理系的頭脳で解明してくれるのが、本書です。頷ける点が多々ありました。それらを、一部紹介させていただきます。



・時間をかけなければわからない「楽しさ」がある。もっと言えば、時間をかけることでしか、本当の楽しさは味わえない

・本当の楽しさとは、他者から与えられるものではない。それは、自分の中から創り出されるもの

場所は今いる場所しかない、お金は今の稼ぎが上限、時間は一日二十四時間と決まっている。誰もがすでに限界である。余裕のある人間なんて一人もいない。他人が「余裕のある人」に見えるのは、その人の価値観による勝手な判断

一人で遊べるというのは、いつでも、自分さえいれば楽しめるわけで、人につき合ってもらう必要がないし、気兼ねすることもない

・サイトを訪れる人は、自分から望んで読みにくる。こちらから押しつけたもの、つき合わせたものではない。ネット上であれば、相手に無理につき合わせる後ろめたさがない

・「あいつ、上から目線だよな」と偉そうに言う人は、間違いなく上から目線。「下から目線」の方が、いかにもいやらしい、おべっかを使う太鼓持ちのような下品さがつきまとう

・「他者」を認めることが、「自分」を確立する。認めるということは、存在を認め、立場を認め、意見を聞き、人格を尊重し、必要であれば、守り、敬うということ

・「違うな」と感じたときに、躊躇なくころっと意見を変えるのは、恥ずかしいことではない。ぶれるとか、ぶれないとかではない。科学では、正しいものは正しい。自分だけの観察では不充分で、みんなで確かめ合って初めて、それが本当に正しいことになる

・一度断っただけで、人を嫌う人間(あるいは集団)なんて、大したものではないから、好かれたって価値はないと考えること

・電話は、相手の時間の中へ突然飛び込み、強制的に相手の生活を中断させる横柄さがある。電話のこの性質に抵抗があったので、メールが普及するにしたがい、メールへ移行した。メールが来たらすぐに返す馬鹿なマナーの広まりは、メールのメリットを除外する

・重要なのは、「自分」や「自分の楽しみ」の中に「他者」をあまり入れないこと

・楽しさは、「他者」との比較から生まれるものではない。「自分」の中から湧き出るもの

・他者を攻撃することよりも、自分の生命を防御することが優先されるのが「生物」

・自分が一番得意なことで金を稼ぎ、たくさんの税金を払ったほうが、社会に貢献できる。金を儲ければ儲けるほど、社会のためになる。税金では足りないというならば、寄付すればいい。募金活動をするより、ずっと効率がいい

・金を稼ぐ行為は汚くない。まっとうな仕事をして稼いでいるならば、金を出したほうも納得しているわけだから、人のためになっている。自分ではできないことを他者に依頼する。そのために金を払う。金を稼げるのは、社会に尽くした結果である

・今の社会がどうなのかと考えるよりも、常に、未来の社会がどうなっていくのかを考えた方が有益

・今が楽しくないのは、楽しさの種を蒔いてこなかったから。楽しさを育てなかった結果

・楽しいことは、人にうまく話せない。あれこれ説明して、わかってもらえないことが本当の楽しさ

・貧しい時代には、個人が好きなことを楽しむ余力が社会になかったので、歩調を合わせ、効率よく「楽しさ」をつくる必要があった。だから、協調性を重視し、大勢で楽しんだ

・楽しみを求めれば、金は入ってくる。真剣に楽しみを実現したいと思う人は、自然に金持ちになっている。自由を求めると、自然と金持ちになるのと同じ。金が楽しみを生むのではなく、楽しみが金を生む。人間の願望、思考力がいかに強力かということ



著者の考え方は、集団主義に馴染んだ人には、「個人主義」と映るかもしれません。しかし、著者の考える「楽しむ権利」は、相手を尊重することによって得られるものです。

このことがわかっていない人たち(成熟していない人たち)が、まだまだ多いように思います。お互いに、相手を慮るようになれば、本当の意味の楽しさを実感できるようになるのではないでしょうか。


[ 2012/11/08 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)