とは学

「・・・とは」の哲学

『ビッグデータの衝撃―巨大なデータが戦略を決める』城田真琴

ビッグデータの衝撃――巨大なデータが戦略を決めるビッグデータの衝撃――巨大なデータが戦略を決める
(2012/06/29)
城田 真琴

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本書のサブタイトルは、「巨大なデータが戦略を決める」というものです。今から3年前に、このブログで、「その数字が戦略を決める」という、アメリカのデータマイニング状況を記した本を紹介したことがありました。

これからのマーケティングは、データから未来を予測し、戦略を立てる方向へ明らかに変わっていきます。次々と上がってくるデータから、何を読み取れるかが勝負となっていくと考えられます。

本書には、日本や海外の「データ戦略」状況が数多く紹介されています。衝撃的に思えた箇所を、要約して紹介させていただきます。



・世界有数の金融機関までもが獲得にしのぎを削るほど、現在引っ張りだこなのが、ハドゥープ(公開されている大規模データの分散処理技術)のスキルを持った人材

・ビッグデータから有用な意味やパターンを効率よく発見するためには、機械学習やデータマイニング、セマンティック検索、統計解析などの技術が重要である

・日本におけるビッグデータ活用の原点は、建設機械のコマツ。「コムトラックス」は、GPSや各種センサーを建設機械に取り付けることによって、機械の現在位置、稼働時間、稼働状況、燃料の残量、消耗品の交換時期などのデータを収集し、遠隔監視できるシステム

・コムトラックスのデータ分析で得られる中でユニークなのは、中国の販売店への債権管理サポート。機械の稼働状況が把握できるために、仕事の有無がわかる。仕事があるのに、ローンを払わない悪質な客には、遠隔ロック機能でエンジンを止めることができる

・リクルートの企業と人を結びつける多彩なサイトでは、どの集客施設(バナー広告、自然検索、有料検索エンジン登録など)が最もコンバージョンに貢献したかを調べる分析で、ハドゥープを活用している

グリー急成長の原動力が、「一個人のセンスよりも数千万人のデータを信じる」という、同社に深く浸透する「データ駆動型アプローチ」。同社では、デザイン一つにも、一個人のセンスではなく、実際のユーザーデータに基づくロジカルな設計が常に優先される

ビッグデータの活用例として、「商品やサービスのおすすめ」だけでなく、「不正検出」「顧客離反分析」「故障予測」「流行予測」「株式予測」「燃料コストの最適化」などの例がある

・ビッグデータの活用はデータ収集から始まる。顧客が買った商品・金額、ツイッターのつぶやき、健康データ、医療カルテなどの無意識に蓄積されていくデータもある

・人間のデータだけではなく、スマートメーターのデータ(電力の使用状況)、車載センサーによる車両の位置・速度情報、携帯・スマートフォンの位置情報、飛行機の発着情報、気象情報、作物の生育データなど、モノや自然から発生するデータもある

・大量にデータを蓄積した後は、データマイニングや機械学習などの技術を使い、ビジネスに影響あるパターン(成功パターン、失敗パターンなど)の発見が必要になる

・和歌山県の果樹園では農業センサーによって、気温・湿度・土壌温度・土壌水分・水分保持量・降雨量・日照量・日射量・気圧・照度など20種類のデータを収集・分析し、「甘いみかんの生育パターン」をデータから発見しようとしている

・ダイナミックプライシングとは、需要と供給の関係を分析し、販売価格を変動する方法

・政府や自治体などの公的機関が保有する統計データ、地理情報データ、生命科学データをオープンにし、皆でつなげて、社会全体で大きな価値を生み出すために共有する取り組みは「LOD」と呼ばれる。LODは世界中のあらゆる分野で急速に広がっている

・政府が公開したデータを利用して、商用サービスを提供するベンチャー企業が世界中で次々と生まれてきている

・ビッグデータブームに沸く米国で、現在引く手あまたとなっている「データサイエンティスト」とは、膨大なデータの山から金鉱を探り当て、その価値をわかりやすく伝え、最終的にビジネスに実装できる人材

・データを取り出す能力、データを理解する能力、データを処理する能力、データから価値を引き出す能力、データを視覚化する能力、データを人に伝える能力、これらは次の10年で極めて重要なスキルになる

・データ分析の結果、得られた洞察をタイムリーにビジネスに組み込み、競争優位を導くことができる企業を、欧米では「データ駆動型企業」と呼ぶ



最近、次男に、工学部系の情報学科がいいぞと、けしかけています。まあ、本人の好き嫌いですから、こればかりは、親の言うとおりになりませんが、「データサイエンティスト」は、これから重要な職業になると思います。

本書は、データによる戦略決定が重大な影響に及ぼす近未来の姿を浮き彫りにした、読み応えのある書です。


[ 2012/10/31 07:01 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『銀座の投資家が「日本は大丈夫」と断言する理由』大原浩

銀座の投資家が「日本は大丈夫」と断言する理由銀座の投資家が「日本は大丈夫」と断言する理由
(2012/03/16)
大原 浩

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著者は、投資や税務のアドバイザーをされている方です。証券新報の顧問も長く努められています。本書は、今年の3月に出版されたものですが、ここ最近の中国情勢をほぼ当てられています。

著者の予測は、「新しい現実」を探る姿勢なので、精度が高くなるのだと思います。著者の多くの予測の中で、注目すべきものが幾つかありました。それらを紹介させていただきます。



・日本や世界経済を読み解くキーワードが「資源国」「華僑」「イスラム」「高齢化」の四つ

・共産党政権下で教育を受けた大陸中国の人々と、やむなく母国を脱出して厳しい異国の中で這い上がってきた華僑の人々とでは、同じ「中国人」でも全く違った「人種・民族」。大陸中国にはネガティブな見方をしているが、華僑の今後の発展は疑いのないところ

・中進国を目指している段階では、中国共産党の一党独裁はプラスに働いた。しかし、中進国入りし、次のステップを目指す場合に、独裁的。強権的政治は大きなマイナスになる

・1人当たりのGDP成長率が一定水準になると、成長率が大幅に落ちる。この現象は、ドイツで1960年代半ば、日本で1970年代初期、韓国で1990年代後半に訪れている

・中国政府の人口調査によれば、出生人口男女比率は118:100。通常は106:100だから、かなり深刻な状況。その結果、33歳の独身者の男女比が3:1という極端な男性過剰になっている。ストレスをためた男性が巷にあふれているのは、政治的に好ましくない

・ブラジル経済は悪くないが、家計の可処分所得に対する借金比率が高いのに注意が必要

・インドの1人当たりGDPはまだ1400ドル程度の水準。3倍の4000ドルあたりまでは、比較的簡単に成長できる。しかし、インド人が「白いお金・黒いお金」と表現する賄賂の問題は深刻。黒いお金(賄賂の相場)は、白いお金(表のお金)の約3割

・アメリカは「発展途上国」。1950年に1.5億人の人口が、2050年には4億人に達する。中国やインドのような人口過密地帯でないことも優位に働く。アメリカは、シェールガス開発も進む「資源大国」でもあり、潜在能力は侮れない

・米国企業の多国籍化・グローバル化は着実に進んでおり、海外での売上・収益が、米国経済に大きく貢献している。対外直接投資残高のGDP比は、英国75%米国33%日本15%

・日本の「失われた20年」は、戦地で死線をくぐり抜けた戦後第一世代の遺産を、豊かでお気楽な団塊世代が引き継いだことにある。現在は、バブル以後の厳しい経済しか知らない世代が台頭してきているので、日本の将来については安心

・中国は、世界第2位の経済大国になった途端、「中華思想」が首をもたげ、尊大な態度が目につくようになった。それは、外国に対してだけでなく、一般の中国国民に対しても

・華僑集団の中では、裏切り行為があった場合、厳しい制裁を行う。華僑は、「幇(パン)」という出身地(郷幇)同業者(業幇)の連帯組織を作り、相互扶助をはかり、便宜を与え合っているので、「信頼・信用」することができる

・オーストラリアは、資源国として今後も安定的な成長を遂げる。カナダは、原油や天然ガスだけでなく、水や森林も潤沢。香港返還後の華僑たちの選択(カナダ、オーストラリア、ニュージーランドに移住)は結果的に正しかった

・資源・エネルギーが不足する時代には、米国の2倍、中国の8倍以上のエネルギー効率を誇る日本の産業が圧倒的に有利になる

・アフリカ諸国やブラジル、インドは「人口ボーナス」(人口増の維持)、欧州や日本では、逆の「人口オーナス」。アジアの新興国も人口オーナス化していく

・タイは、日本の投資先として、直接投資残高が2.3兆円と、アジアで中国に次ぐ位置

・どんな大企業であっても、雇われ経営者にとっては、投資収益を上げることよりも、規模の拡大がメリットだから、投資家は十分注意しなければならない

・米国が先頭、その20年遅れが日本。韓国がさらに20年遅れで、中国は韓国のさらに20年遅れ。過去、米国の低迷期に日本が発展した。20年説の答えは「世代交代」にある

・ネット社会では、日本の過去のような中間管理職の優秀さが必要ない。優秀なマネージャー(リーダー)とその他大勢のスタイルが、日本のビジネス社会の大いなる刺激となる



日本及び海外先進国や新興国への投資(株式、債券、土地、為替など)をされている方は、海外諸国の中長期を予測しなければなりません。

そこを間違わないようにするためには、大局をつかむことです。そういう意味で、本書はその一助になるのではないでしょうか。


[ 2012/10/30 07:02 ] 投資の本 | TB(0) | CM(0)

『強く生きたい君へ-我が空手哲学』大山倍達

強く生きたい君へ―我が空手哲学 (知恵の森文庫)強く生きたい君へ―我が空手哲学 (知恵の森文庫)
(2004/10)
大山 倍達

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大山倍達氏の著書を紹介するのは、「大山倍達強く生きる言葉」に次ぎ、2冊目です。前書は、大山倍達氏の三女が書かれたものでしたが、本書は、正真正銘、大山倍達氏自身の手によるメッセージです。

今や、極真カラテと大山倍達氏の名は、遠くは、アフリカの地にも轟いています。それは、空手を技術だけでなく、人間をつくる域にまで高めたからだと思います。

つまり、武道家ではなく、教育者としての評価かもしれません。教育者大山倍達氏の思想、哲学が本書にみっちり収められています。それらを一部ですが、紹介させていただきます。



よい本を読むことは、よい理想を与え、よい志を育て、よい友をつくる。本のみが人生ではないが、実践に偏りがちな人間にとって、よい本はよいものを与えてくれる

志と野心の違いは、その目指すところの違い。富や名声のみを求めるのが野心であり、志とは、より人格的な、精神的なものを求めること

・志士とは、魂の最深部からこみ上げてくる激しい憧れによって、清廉潔白の人格を志す者。その志は、より皮相な欲求と戦い、淫らな欲求を制御するに至る

・いったん志を立てれば、人は一刻も無駄にできない。志気ばかり旺盛で、何もしない人がいたら、その志気は見せかけであり、形式的な栄進、名誉や富に濁ったもの。大志とは、なにものにも愧(は)ずることのない境地を目指すもの

・修練を続けるには、安楽や享楽は拒否せねばならない。それには強い克己心と、どんな誘惑をもはねのける強い目的意識、つまり志がなければならない。求道とはそういうもの

・限界を破る苦しみから、新しい力が身につく

・「日に新たに、日に日に新たに、また日に新たなれ」。この句は殷の湯王が、洗面器に彫りつけ、毎朝顔を洗うたびに見た句。崖をよじ登るつもりで修練せよ。もしそこで手を止めたら、ずり落ちてしまう。落ちていくことは、自らの高い志に対して恥ずかしいこと

勇気を持つための一番の早道は、道の上にあり、大義のために生死を投げ捨てていること。自分の道の上にあり、名利栄達を望まずにいれば、何を恐れることがあるか

・見物人の結果主義やファン気質や権威主義を、無視超克できるだけの義心をもて

・禅の悟りの境地は「死にきる」。「大死底の人」は、生死を乗りこえた意識に達した人

・子が、人々に敬愛され、必要とされる立派な人物となることが、親には一番うれしい

・武人は必要な教養理性を欠き、文人は必要な覚悟を欠いた。これが、文人の軟弱政治と、武人の剛直愚昧の暴走をもたらす原因

・自分に必要最小限のものだけ許し、世のために一生を捧げる気持ちで生きていくことが、戦いに勝つこと。人より見劣りする境遇を嘆くようでは、道は歩めない

・どんな仕事をしても、どんな道に進んでも、人は生命がけの対決を、何度も何度も強いられるはず。それがないとしたら、戦いから尻込みし、本当の仕事をしていない証拠

・生死をかけたものを、金で買われてたまるか

・精神統一とは、自分が相対する対象そのものになりきること。弓の人は、自分と狙う的をぴたりと合わせて、一つの境地になる。正反合一した境地になったとき、弓が引ける

・東洋の哲学は肚哲学。身体訓練によってしか到達できないと考えたのが東洋の修行道

・お金は労働の結晶として大事なもの、尊いもの。言葉や礼儀と同様に尊重せねばならないもの。「武の道においても金銭は貴いものなり。しかれども執着すべからず

・人間の目的は「金銭的な繁栄ではなく、道の達成」。金銭は用にすぎず、が体である

・「子供のために財産を残したら、私の死後、墓に唾を吐け」と弟子たちに言っている

・私が先の世から受け継いだ遺産は、宮本武蔵の生涯をかけた修練、生死を超えて正義を求めた西郷隆盛の巨大なる魂、ビスマルクの熱血、孔子の仁愛、釈迦の慈悲、馬祖道一の喝。先人の精神に触れ、憧れ、希望の焔を燃やしたからこそ、道を歩くことができた



本書には、大山倍達氏の「叫び」と「志」と「鍛練」と「戦い」と「悟り」と「哲学」が書かれています。

それは、「無」から「偉大なる遺産」を築き上げた人のストーリーかもしれません。希望の焔を燃やし続けることが、それを可能にしてきたのではないでしょうか。


[ 2012/10/29 07:01 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『なぜ書には、人の内面が表われるのか』松宮貴之

なぜ書には、人の内面が表われるのか(祥伝社新書285)なぜ書には、人の内面が表われるのか(祥伝社新書285)
(2012/08/01)
松宮 貴之

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著者は、外形だけを風変わりにした「アート書道」を否定しています。著者の見解が、「書とは教養である」からです。修養を重ね、人の個性が表われ、その個性は、書に表われる。その書を見れば、人の生き様が見えてきます。

歴史上の人物であっても、その生き様が推測できるということです。本書では、歴史上の人物を例に出しながら、書で、その内面を見ていく方法も詳しく明示されています。特に面白かったところを、要約して、紹介させていただきます。



・董其昌の書論には、「奇に以て、反って正」という言葉が随所に出てくる。「いっぷう変っているようであって、実は正しい」という意味で、「整然としていなくても、バランスがよく取れている」ということ

・董其昌は「天真爛漫、わが師なり」と言っている。老境に差しかかった人が、まるで赤ちゃんのような純真性を見せることがあるが、これがまさに天真爛漫。とらわれることのない、無垢の精神

・仙人の生き方を実践することで、宗教的な降霊現象が起こる。「自然の書」とは、そのような精神状態に陥ることで、自動的に書かれたもの。つまり、霊告(天のお告げ)の示すがままに書かれた、人功(人間わざ)を超越した書こそが「自然である」というわけ

・私たちは、「自然から始まり、工夫を極めたのち、また自然に至る」という流れの中で生きている。自然と工夫の二つの概念は、決して対立するものではなく、一環のもの。これが人生の摂理

・董其昌は「字は須く熟の後の生なるべし」(書とは、習熟したのち、身についた「習気」を一掃し、再び初々しさを回復した「生」、すなわち、純粋性の発露でなければならない)と言っている

・書を学ぶ過程の第一段階は、「平正」(平直端正。まともできちんとしていること)を心がける。第二段階は、「険絶」(常識を破って奇異奔放に書くこと)を追求する。そして、第三段階として、再び「平正」に戻る

・一番初めの型を追う「平正」の段階では、「私はまだ至らない」という気持ち。次に型を破る「険絶」の段階で、「行きすぎた」の感覚となり、こうした時期を経たのち、「通会」(過不足を経験的にわかったうえでの中庸)という、一種の悟りの境地に至る

・過去の成功談や自慢するだけの人、後悔ばかりを語る人は、体験談で終わっている人。このような年長者では、敬われる資格がない。人は、多くの経験を得て初めて、美しく正しく老い、成熟する。「人書倶に老ゆ」は、そのような人生の目的を教えてくれる言葉

光明皇后の溢れんばかりの筆勢が心を打つのは、彼女自身が置かれていた人生を映し出しているから。山背大兄王への鎮魂の強い思いが、書の密度を高めている

空海は、やはり自己顕示欲が強かった人。彼の書には、下品なところがある。ただ、それを補って余りあるほどの大胆さ、圧倒的な力強さがある。大胆と下品の分かれ目は、その人の行いが信念や自己犠牲の精神を含んでいるかどうかが影響する

・今の日本では、禅僧(白隠、慈雲、仙涯、良寛など)の書に人気が集まっている。例えば、白隠の書には、脂ぎって、つやつやしているところがない。脂が抜け切って、さっぱりしている

・宋代に著された「続書断」では、「神品」(抜きんでてすぐれたもの)「妙品」(技巧にすぐれ美しいもの)「能品」(通俗に陥らず正しい書法を守っているもの)と定義している。「神・妙・能」とは、うまく名づけたもの

・書は「線質」「用筆」「造形」という三つの要素によって構成される。書の「見てくれ」である、この三点を見極めて、書かれた内容、言葉の意味を理解すれば、おおよその書を評価することができる

・線の肥痩である「線質」は、その人が生まれながらに持っている個性。それを活かしていくことで進歩する。筆の使い方の技術「用筆」は、練習すれば、誰でも習得できる。全体的な形につくる「造形」は、終筆への意識であり、まとめ、締めくくり

・書は時間芸術なので、「心象速度(心の中の速度)」が問題になる。速度という身体性は無視できない要素

・書のやりとりは、教養のやりとりであると同時に、相手に自分の人格や品格を晒す行為に他ならない。生の人間が出るから、ぎりぎりの緊張感の中で行われる。だから、書は「人品の記念物



筆跡診断などというものは、怪しいものと半ば決めつけていましたが、本書を読み、人の性格、生き様、教養を知るのに、有効な手段であることが理解できました。

現代人は、字を書くことが減っています。、しかし、減ってきたからこそ、自筆の一字一句が貴重なのかもしれません。そういう意味で、本書は、書を学びたい人にとっての貴重な書になるのではないでしょうか。


[ 2012/10/27 07:03 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『日本人の世界観』大嶋仁

日本人の世界観 (中公叢書)日本人の世界観 (中公叢書)
(2010/04)
大嶋 仁

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本書は、日本人のものの考え方が、古事記の時代より、どういう変遷を辿ってきたのかを明かそうとするものです。

その時代、時代の思想家の言葉を引用しながら、読み解いていくと、現代の日本人の思想がどう形成されてきたかが見えてきます。この大作の一部を、要約しながら、紹介させていただきます。



神道とは、仏教が入ってきたことでできたもので、仏教と区別する必要から生まれた

・老子がいみじくも言ったように、「大道廃れて仁義あり」。孔子のように「仁義」を説く者が登場する世の中は、よほどに廃れているということ

・今でこそ道教は日本人の意識外に置かれているが、古代の日本人にとって大きな存在であった。平安時代は「儒仏道」と呼ばれ、三つの重要な教えの中に、道教が入っていたが、鎌倉時代以降、「儒仏神」に変わった。道教が在来宗教に溶け込み、神道に成りかわった

・神道は「神道」として自分を意識しないうちが「花」。己を「神道」として、自己主張しようとすると、自身の肝心な部分を裏切る。これが「神道」。「神道出でて神道滅ぶ」という逆説を忘れずにいたい

・和の精神を強調する聖徳太子の憲法第一条では、党派性に陥らず、虚心に話し合うことの大切さが説かれている。「人みな党あり、また達れるひと少なし」は、小集団に凝り固まり、全体の利益を考えられない人の多いことを戒めた極限の表現

・「凡夫」の対立概念は「仏」。どんな人の意見にも価値があり、かといって、誰の意見も絶対的な価値をもつものではない、という聖徳太子の憲法十条の表現は、仏教の立場から、民主主義の理念を説いたことを示している。欧米文化のみが民主主義の生みの親ではない

・戦国時代の宣教師たちが「神とは根源的な生命エネルギーであり、それこそがキリスト教の愛」と説いていれば、古事記以来の世界観を生きる日本人に、この宗教は受け入れられたはず。布教が成功しなかったのは、当時のローマ教会の公式見解に縛られていたから

・キリスト教には、いろいろな問題もあるが、仏教より、社会の不平等を是正することに積極的で、その「愛」の実践は、今日的見地からすれば、高い評価に値する

・徹底的に理詰めにできた朱子学が導入されたことで、江戸時代の日本人の知性は高められた。朱子学がなければ、西洋思想を迎えた19世紀後半の日本の近代文化は考えにくい

・新井白石は、「西洋人は、理の通った考えをもっているが、宗教に関しては、極めて幼稚な考え方。キリスト教は神が造ったのに、その神は誰が造ったのかと聞くと、神の前に誰も存在しないという、奇怪千万なことを言う」と、宣教師を合理的、論理的に問い詰めた

・富永仲基の「儒教や仏教にせよ、どの宗教も時代とともにその理論を追加・修正してきた」(加上論)という考えは、宗教を全否定しているわけではない。彼は、生きるにあたり、必要最低限の生き方があり、どの宗教にも共通して現れるものを「誠の道」と呼んだ

・日本古来の「一即多・多即一」の世界観は二者択一を好まず、すべてを受け入れようとするものなのに、平田篤胤は神道のみを許容し、その他を排除した。このような絶対主義=唯一主義は日本人の伝統に反する

・三浦梅園は真理を認識する方法として、「反観合一」すなわち「反して観、合して一となす」ことを提案している。彼をデカルトの懐疑精神やヘーゲルの弁証法と比較することは可能だが、西洋の哲学を経由しないでも、それに匹敵する地点に到達していたことが重要

・江戸時代後期の思想家安藤昌益は、その著書「自然真営道」において、産霊(ムスヒ)と自然を直結させた上で、農耕と生殖行為を一対の行為と考え、古事記以来の日本人の世界観を発展させた。彼は、農本主義を主張し、士農工商の身分制度を不自然と考えた

・石田梅岩は「よく働くことが心の修養。商人なら商いに専念し、理屈を述べるより職分を尽くせ。心の平安を得るには、贅沢を避け、簡素に生きよ」と説いた。この心学の考え方が、多くの庶民に共有され、長く生き続いていたことが、戦後の経済成長をもたらした

・近代国家日本にとって脅威なのは、個人主義よりも社会主義のほうだった。個人主義を抑え、生気論的世界観を社会化する思想運動は、国家主義の前に立ちはだかる強敵だった

・他者の認識に欠けた論理(自我の膨張現象)である「ロマン主義」が拡張すると、個人の自我と国家の自我が混同され、ナショナリズムに歯止めがなくなる。近代日本は、ロマン主義であったがゆえに、最後は自棄的な暴力沙汰に突入してしまった



本書を読むと、日本という国は、古事記や聖徳太子の憲法の上に、さまざまな宗教、思想が加えられて、練られてきたものだということがよくわかります。

ここから、逸脱する考え方を強引にすすめようとしても、軌道修正が自然と加わっていくのではないでしょうか。この本は、日本の思想史が実によくまとめられている良書です。


[ 2012/10/26 07:03 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『増補決定版・言葉の花束・愛といのちの792章』三浦綾子

増補決定版 言葉の花束 愛といのちの792章 (講談社文庫)増補決定版 言葉の花束 愛といのちの792章 (講談社文庫)
(2001/12/28)
三浦 綾子

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三浦綾子さんの「塩狩峠」を読み、大変感動したのが、中学生のときです。その後、北海道旅行をしたとき、塩狩駅で降り、線路沿いに峠まで3㎞ほど歩きました。その場所が持つ空気が味わえただけでも喜びでした。

そういうこともあり、三浦綾子さんは、私にとって特別な存在です。本書は、三浦綾子さんが亡くなられる一年前に刊行されたものです。

今でも、三浦綾子さんの清らかな言葉にふれると、純粋無垢だった少年時代の心に戻っていける気がします。本書の800章近い言葉の中から、私のおすすめの言葉を選び、一部要約して、紹介させていただきます。



・金や財産は人間を育てない。いや、育てる邪魔をするかもしれない

・転んだことは恥ずかしいことではない。起き上がれなかったことが恥ずかしいこと

・規則というものは、その規則を守ることを第一の眼目とする。規則を大切にするあまり、しばしば、人間よりも規則が重んじられ、それを守らぬ人間を罪人視する

・正しくさえあったら、堂々と自分の信ずるところを生きればいい。それは、自分勝手とは違う。本を読み、人にも学ぶ努力の中で、自分の考えが形づくられていく。確固たる自己を持った人間は、体裁が悪いだの、恥ずかしいだのと、外面的なものにこだわらない

・すべての人間が視力を失っていたら、私たちの愛は、もっと深く、人間の核心に迫っていたのではないか。可視的なものに、私たちはあまりにもふりまわされて生きている

やれるかもしれないと思った時、自分でも気づかなかった力が出てくる。初めから、できないと言えば、できずに終わる

・自分だけが中心の生活をしていると、自分だけに太陽の光が注ぐことを望むような、けちな根性になる。それは、それだけの貧しい人生でしかない

敵愾心を抱くというのは愚かなこと。向こうが、どんな人か知りもしないうちに憎むというのは、おかしな話。自分の人生において、どのような存在となるかわからずに、敵と決めてしまうことは、まことに愚かしい

・自分の非を素直に認めたり、まぬけさを客観的に笑えたら、これは立派。ここには、劣等感も傲慢もない。あるがままの自分を見つめる澄んだ心だけある

・素直とは、人の言葉を鵜呑みにして、何でもハイハイときくことではない。素直とは、真理に従順であるということ。真理に従順とは、自分のわがままな感情を叩きふせること

・「理解してほしい、慰めてほしい」の受ける態勢から、「理解してあげたい、慰めてあげたい」の与える態勢に変わる時、悩みのほとんどが解決している

・花たちの使命は、生まれた場所がいかなる所であろうと、命の限りに咲くことにある

・秀れた人間というのは、他の人間が愚かには見えぬ人間のこと

・学ぶというのは、「何を学ぶか」の選定と、「独学の精神」を高く持つことにある

・仕事が小さかろうが、大きかろうが、人間の命を第一に考えるのでなければ、ついには呪われた企業になる

批評の極意は、相手の立場に立ってみること

・自分の愛する子孫に祟る先祖などいない。祟る力があれば、もっとよいほうに導く

・人生の一大事である結婚に不真面目な人間は、その人生に不真面目な人間である

・お互いの老醜を、醜と感ぜずに受け入れ得るのが夫婦愛

・景色でも、友達でも、懐かしさで一杯のものがあると、人間はそう簡単には堕落しない

・愛とは、なすべきことをなす意志。情に流されるのが愛ではない

・幸福な結婚というのは、結婚してからでは遅い。結婚生活の土台は、お互いの結婚前の生き方にかかっている



三浦綾子さんの慈悲に溢れた言葉は、私たちの荒んだ心、疲れ切った心を、慰め、癒し、そして温めてくれます。

冒頭で紹介した「塩狩峠」は今でも、文庫本で60刷以上、250万冊のロングセラーを続けています。これも、三浦綾子さんの慈悲にふれたくなる気持ちの表れではないかと思います。


[ 2012/10/25 07:02 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)