本書は、日本人のものの考え方が、古事記の時代より、どういう変遷を辿ってきたのかを明かそうとするものです。
その時代、時代の思想家の言葉を引用しながら、読み解いていくと、現代の日本人の思想がどう形成されてきたかが見えてきます。この大作の一部を、要約しながら、紹介させていただきます。
・
神道とは、仏教が入ってきたことでできたもので、仏教と区別する必要から生まれた
・老子がいみじくも言ったように、「
大道廃れて仁義あり」。孔子のように「仁義」を説く者が登場する世の中は、よほどに廃れているということ
・今でこそ道教は日本人の意識外に置かれているが、古代の日本人にとって大きな存在であった。平安時代は「
儒仏道」と呼ばれ、三つの重要な教えの中に、道教が入っていたが、鎌倉時代以降、「
儒仏神」に変わった。道教が在来宗教に溶け込み、神道に成りかわった
・神道は「神道」として自分を意識しないうちが「花」。己を「神道」として、自己主張しようとすると、自身の肝心な部分を裏切る。これが「神道」。「
神道出でて神道滅ぶ」という逆説を忘れずにいたい
・和の精神を強調する聖徳太子の憲法第一条では、党派性に陥らず、虚心に話し合うことの大切さが説かれている。「
人みな党あり、また達れるひと少なし」は、小集団に凝り固まり、全体の利益を考えられない人の多いことを戒めた極限の表現
・「凡夫」の対立概念は「仏」。どんな人の意見にも価値があり、かといって、誰の意見も絶対的な価値をもつものではない、という聖徳太子の憲法十条の表現は、仏教の立場から、民主主義の理念を説いたことを示している。欧米文化のみが民主主義の生みの親ではない
・戦国時代の宣教師たちが「神とは根源的な生命エネルギーであり、それこそがキリスト教の愛」と説いていれば、
古事記以来の世界観を生きる日本人に、この宗教は受け入れられたはず。布教が成功しなかったのは、当時のローマ教会の公式見解に縛られていたから
・キリスト教には、いろいろな問題もあるが、仏教より、社会の
不平等を是正することに積極的で、その「愛」の実践は、今日的見地からすれば、高い評価に値する
・徹底的に理詰めにできた
朱子学が導入されたことで、江戸時代の日本人の知性は高められた。朱子学がなければ、西洋思想を迎えた19世紀後半の日本の近代文化は考えにくい
・新井白石は、「西洋人は、理の通った考えをもっているが、宗教に関しては、極めて
幼稚な考え方。キリスト教は神が造ったのに、その神は誰が造ったのかと聞くと、神の前に誰も存在しないという、奇怪千万なことを言う」と、宣教師を合理的、論理的に問い詰めた
・富永仲基の「儒教や仏教にせよ、どの宗教も時代とともにその理論を追加・修正してきた」(
加上論)という考えは、宗教を全否定しているわけではない。彼は、生きるにあたり、必要最低限の生き方があり、どの宗教にも共通して現れるものを「
誠の道」と呼んだ
・日本古来の「
一即多・多即一」の世界観は二者択一を好まず、すべてを受け入れようとするものなのに、平田篤胤は神道のみを許容し、その他を排除した。このような絶対主義=唯一主義は日本人の伝統に反する
・三浦梅園は真理を認識する方法として、「
反観合一」すなわち「反して観、合して一となす」ことを提案している。彼をデカルトの
懐疑精神やヘーゲルの
弁証法と比較することは可能だが、西洋の哲学を経由しないでも、それに匹敵する地点に到達していたことが重要
・江戸時代後期の思想家安藤昌益は、その著書「
自然真営道」において、産霊(ムスヒ)と自然を直結させた上で、農耕と生殖行為を一対の行為と考え、古事記以来の日本人の世界観を発展させた。彼は、農本主義を主張し、士農工商の身分制度を不自然と考えた
・石田梅岩は「よく働くことが心の修養。商人なら商いに専念し、理屈を述べるより
職分を尽くせ。心の平安を得るには、贅沢を避け、
簡素に生きよ」と説いた。この心学の考え方が、多くの庶民に共有され、長く生き続いていたことが、戦後の経済成長をもたらした
・近代国家日本にとって脅威なのは、個人主義よりも社会主義のほうだった。個人主義を抑え、生気論的世界観を社会化する思想運動は、国家主義の前に立ちはだかる強敵だった
・他者の認識に欠けた論理(自我の膨張現象)である「
ロマン主義」が拡張すると、個人の自我と国家の自我が混同され、ナショナリズムに歯止めがなくなる。近代日本は、ロマン主義であったがゆえに、最後は自棄的な暴力沙汰に突入してしまった
本書を読むと、日本という国は、古事記や聖徳太子の憲法の上に、さまざまな宗教、思想が加えられて、練られてきたものだということがよくわかります。
ここから、逸脱する考え方を強引にすすめようとしても、軌道修正が自然と加わっていくのではないでしょうか。この本は、日本の思想史が実によくまとめられている良書です。