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『老後の生活破綻- 身近に潜むリスクと解決策』西垣千春

老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策 (中公新書)老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策 (中公新書)
(2011/07/22)
西垣 千春

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著者は、社会福祉法人の職員を経て、大学教授になられた方です。高齢者の生活破綻の実例を数多く見てこられています。

老後の生活破綻に潜むリスクとはどういうものなのか。自分や家族が生活破綻に陥らないために何が必要か。本書には、実例が豊富に記載されています。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・国民生活選好度調査の「幸福度」によって、幸福感を判断する際に、「健康状態」「家族関係」「家計の状況」の三つの要素が大きく影響していることが明らかとなった

90歳まで到達する人が、女性では約半数に近づいている。男性も5人に1人が90歳を超える。「センテナリアン」(100歳以上の高齢者)も約45000人(女性が87%)。このことは、ひとりで人生の終わりを迎える女性が現実的に多いということ

・余暇の過ごし方としては、80歳を超えると多くなるのが、テレビのみ。身体能力の低下から生活範囲が狭まり、自ら積極的に社会とのつながりを築く機会が減っている

・介護を要するようになったきっかけは、脳血管疾患がもっとも多く、他に認知症、老衰、関節疾患、骨折、転倒など。認知症や老衰、関節疾患の多くは緩やかに進行するが、脳血管疾患や骨折、転倒は突然起きることが多く、生活の急変を伴う

不慮の事故による死亡率は70歳を超えるころから急に高くなる。死亡に至らなくとも、ケガ、障害を持つきっかけになっている。事故をきっかけに生活破綻に陥る高齢者の数が増えている

・地域の「老人クラブ」への高齢者参加率が年々減り続け20%になった。年齢が上がるほど生活範囲を広げることが難しい高齢者にとって、身近な地域の持つ意味は大きい。この地縁の弱体化は血縁の弱体化と並んで、老後の暮らしが破綻する大きな原因

・高齢者世帯には、所得100万円以下という、非常に所得の少ない世帯が15%も存在する。また、収入が100万円から200万円の世帯が最も多く、全体の4分の1。所得の増加の見込めない高齢者は、最後までその状況は続く

・高齢者の40%が、毎月または時々赤字になる状況で生活している。現在の暮らし向きが苦しいと答える人が4人に1人いる

・勤労者がいない高齢者世帯は、平均で毎月4万円余りの赤字。1年に50万円の赤字とすれば、「退職してから生きると予想される年数」(約30年)を乗じた額(約1500万円)が貯蓄額の目安

高齢者の貯蓄分布を見ると、3000万円以上の貯蓄がある世帯が28%いる一方で、貯蓄が300万円以下の世帯も11%ある。さらに、負債を抱えている世帯も約4%ある

生活困窮生活破綻につながる高齢者本人や家族の原因は、「判断力低下」「健康状態の変化」「近親者による経済的搾取」「子供が親に経済依存」「予期せぬ事故・災害」「詐欺による被害」が主だったもの

・「判断力の低下」「健康状態の変化」の事例として、「妻の死をきっかけに認知症が現れた独身男性」「認知症の母の介護で仕事を辞めた娘」「夫の発病と倒産により、妻の治療が中断した夫婦」「夫婦ともに糖尿病が悪化」などがある

・「近親者による経済的搾取」「子供が親に経済的依存」の事例として、「息子の家庭内暴力と金銭搾取」「義妹を信じて転居して金銭的搾取」「離婚した娘家族の同居」「退職した息子が経済的に依存」などがある

・「予期せぬ事故・災害」「詐欺による被害」の事例として、「交通事故により失業」「友人の借金を肩代わり」「訪問販売に引っかかった」などがる

・人の名前が覚えられない、名前が出てこないなど記憶力に頼りなさを感じる。目も見えづらく、耳が遠くなり、何をするにも時間がかかり、細かな文字も読みづらく、必要な情報を探すのに疲れを感じる。次第に、自分から周りに働きかけずに受け身になってしまう

・高齢期には、うつ状態にいる人が多い。憂鬱が高じると、自己否定につながり、生きている意味を感じられず、自殺へつながる場合もある。年間3万人を超す自殺者のおよそ3分の1が60歳以上の高齢者であり、その6割が健康問題が動機となっている

・老後は、健康状態、家族関係、生活資金など、その都度起こる変化を受け止め、生活をどう適合させていくかが問われる。「老いた後の一定の姿」はなく、「老いるプロセス」があるのみ



望ましい老後の姿を夢に描いても、健康状態、家族関係、生活資金の変化などによって、その夢は理想通り実現しません。

本書では、現実的に、健康状態、家族関係、生活資金の変化が起きてしまったときに、どう対処していくか、その適応力が老後の生活破綻を未然に防ぐことが記されています。適応力こそ、高齢を生き抜くための最大の力になるのかもしれません。


[ 2012/09/29 07:01 ] 老後の本 | TB(0) | CM(0)

『自由論』ジョン・スチュアート・ミル

自由論 (光文社古典新訳文庫)自由論 (光文社古典新訳文庫)
(2012/06/12)
ジョン・スチュアート ミル

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ジョン・スチュアート・ミルは、19世紀のイギリスを代表する哲学者、経済学者です。教科書にも出てくるくらい有名な人です。

「自由論」は、ミルが、個人の成長のためには自由に考えること、話せることが必要だと説いた歴史的名作です。ミルは、本書の中で、自由とは何かを、数多く考察しています。それらを、要約して、紹介させていただきます。



・支配者が社会に対して行使できる権力に制限を設けることを、国を愛する人々は求めた。この制限こそが、彼らの言う自由の中身

・多数派が、考え方や生き方が異なる人々に、自分たちの考え方や生き方を行動の規範として、押しつけるような社会の傾向に防御が必要

・支配的な階級が存在する国では、その国の道徳の大部分は、支配階級の自己利益と支配階級特有の優越感から生まれる

・人間が、個人としてであれ、集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られる

・いったん世間というものを絶対的に信頼してしまうと、ほかの時代、ほかの国、ほかの宗派、ほかの階級、ほかの党派に、自分たちと正反対の考え方があっても、自分たちのほうが正しいと言い張り、その責任を、自分が属する世間に委ねる

・時代というものも、個人と同じくらい間違いを犯す

・人間が判断力を備えていることの真価は、判断を間違えたとき、改めることができるという一点にある

・不寛容なローマ・カトリック教会でさえ、優れた人物を聖人の列に加えるかどうかを決める際に、その人をあえて非難する「悪魔の代理人」を招き入れ、悪魔に浴びせられる非難が検討されつくすまで、聖者としての栄誉を認めない

・ある意見が真理であるならば、何度も消滅させられても、いくつかの時代を経るうちに、それを再発見してくれる人間が現れる

・他人の好意に頼らなくてもやっていけるほど金銭的に余裕のある人を除けば、世間の評価は、自分の意見を控えさせる点で、法律と同じくらい効果がある

・自分の頭で考えず、世間に合わせているだけの人の正しい意見よりも、自分の頭で考え抜いた人の間違った意見のほうが、真理への貢献度は大きい

・真理は、対立し衝突し合う二つの意見をあれこれ考え合わせることによってもたらされる

・快楽を恐れて、禁欲を祭り上げても、禁欲主義は次第に現実と妥協し、ついには単なる建前と化す

・論争するとき犯すかもしれない罪のうちで、最悪のものは、反対意見の人々を不道徳な悪者と決めつけること。世の中で不人気な意見を持つと、こうした中傷にさらされやすい

・人間が間違った行いをするのは、欲望が強いからではない。良心が弱いからである

・現代人は、自分の好みよりも世間の慣習を大事にしているのではない。現代人は、世間の慣習になっている以外に、好みの対象を思い浮かばなくなっている

・個性とは、人間として成長すること。個性を育ててこそ、十分に発達した人間が生まれる

・世論の専制は、変わった人を非難する。だから、この専制を打ち破るには、変わった人がたくさんいることが望ましい。変わった人には、ずば抜けた才能、優れた頭脳、立派な勇気が見出される。したがって、現在、変わった人が少なければ、この時代は危うい

・奴隷化は官僚自身にも及ぶ。なぜなら、統治される人々が統治する官僚たちの奴隷になるのと同様に、官僚は自分らの組織とその規律の奴隷になるから

・国内の優秀な人材が、すべて政府組織に吸収されてしまうと、組織の知的活発さと進歩性が、消えてなくなる。官僚集団の能力を高水準のまま保たせる唯一の刺激策は、官僚組織の外部にいて、官僚に負けないくらい高い能力を持った人々による監視と批判



今の日本は、経済が成熟しても、社会は成熟せずに、喘いでいるように見えます。しあわせを実感できないのも、そのためと思われます。

市民社会における個人の自由の重要性を説いた本書は、今の日本にとって、もっと読まれるべき、価値の高い本ではないでしょうか。


[ 2012/09/28 07:00 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(1)

『生きていくための短歌』南悟

生きていくための短歌 (岩波ジュニア新書)生きていくための短歌 (岩波ジュニア新書)
(2009/11/21)
南 悟

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著者は、神戸の定時制高校で教える国語の先生です。25年以上前から、授業で、生徒に短歌を詠ませています。その集大成が本書です。

恵まれていない境遇で、もがき苦しみ生きていこうとする生徒たちの言葉に感動します。拙い言葉であっても、生活実感から湧き出た言葉は、虚飾に彩られた言葉を凌駕するものです。思わず感情移入してしまった短歌を幾つか紹介させていただきます。



・「鉄工所作業服に身を包みボール盤と毎日格闘」(田中政充)

・「中華屋さん注文聞いて客席へおいしいの言葉めっちゃ嬉しい」(松本咲夢)

・「腹立つわぜんぜん仕事決まらないボクシング練習ストレス発散」(吉野鉄生)

・「レジ打ちでお金もらい忘れ怒られてパートさんに慰められる」(北川一樹)

・「ラーメン屋朝早くから準備をしトンコツチャーシュー注文こなす」(東内佑弥)

・「ひきこもり中学行かずに定時制夜の生活僕を励ます」(藤田翼)

・「人なんて結局自分が大切で私の友は安定剤」(麻里)

・「夜学にはきびしさもなく自由がある楽しい学校夜間学校」(永井新平)

・「工場の昼なお暗い片隅で一人で向き合うフライス盤」(久保木和幸)

・「世間から冷たく見られる定時制それでも頑張る仕事と学校」(上野義弘)

・「一日の乗務を終えて洗車する満天の星の下われは小さし」(小峰文子)

・「遊ぶ時探して僕ら今生きる働き学ぶ暮らしの中で」(東和男)

・「仕事場の人間関係難しく夜学に通い生き方学ぶ」(菊池栄二)

・「早朝の車まばらな国道のガソリンスタンド一人掃除する」(谷川保)

・「解体屋まじでこの道極めたる楽ではないがあとは根性」(福永伸幸)

・「嬉しいなあやっとバイトが決まったぞうどん屋さんで頑張るぞ」(佐伯健治)

・「解体の木材運びけが続き治す暇なく夜学へ走る」(辻雄一郎)

・「炎天下長袖作業着暑苦し日照りに目くらみ足がもたつく」(立山真一)

・「溶接の火花するどくマスクを通す目の充血で眠れぬ痛み」(桑原一生)

・「震災で壊れた街に灯をともす俺の死に場所神戸と決めた」(豊永文一)

・「魚屋をなめてかかった一五才仕事しんどい誰か助けて」(多田幸輔)

・「靴加工削りくず飛び顔につくスポーツシューズ二四〇足完成」(松榮恭平)

・「パチンコ屋玉が出ないと客怒るいらつきながらも頭を下げる」(長沼斉房)

・「デリバリーお届けしますカツ丼を店を任され大忙しだ」(古木晴久)

・「父と母恨んだ日々は何処へやら今では父の分まで生きる」(西山由樹)

・「今日もまた仕事で秋刀魚開いては匂いまみれで学校へ行く」(北田巨人)

・「一日中道路工事でしんどいな三日頑張れ給料日まで」(平野裕樹)

・「祭日も現場に出ては汗流し夕日を背に浴びツルハシ振るう」(山下寿徳)

・「スーパーで働き始めてはや三年野菜のブツ切りあっこにお任せ」(中野明子)

・「夜明け六時オトンと二人現場行き腰道具付け大工の仕事」(結木涼)

・「金メッキプリント基盤メッキする基盤は高いが給料安い」(安本大輝)



石川啄木などの俳人詩人は、自らの意思で貧しい境遇に身を寄せ、その生活を描きました。本書の定時制高校生は、貧しく歪んだ家庭環境から、抜け出そうとする姿をリアルに描いています。同じ貧しさでも、つくられた貧しさではないから、リアルです。

名もなき定時制高校生の作品ですが、ズシリと重いものを、われわれに投げかけてきます。彼ら彼女たちの人生に幸あれと願わずにいられない書でした。


[ 2012/09/27 07:01 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『お金持ちのお金はなぜなくならないの?』宮本弘之

お金持ちのお金はなぜなくならないの? (メディアファクトリー新書)お金持ちのお金はなぜなくならないの? (メディアファクトリー新書)
(2010/10/21)
宮本 弘之

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著者は、お金持ちを「最初からのお金持ち」「コツコツ型のお金持ち」「突然のお金持ち」の三つに分けて、それぞれの特徴について調査研究されています。

本書では、なぜお金持ちになれたのか、お金持ちはお金をどう守っているのか、お金持ちならではの苦労について記されています。

参考になる点が多々ありました。要約して、その一部を紹介させていただきます。



・お金持ちの大半は、リスクを取って事業を行うオーナー経営者。金融資産1億円以上5億円未満の層の58%、5億円以上の層の78%が法人や事業のオーナー。貯蓄だけでつくる財産には限界がある。ここに、オーナー経営者がお金持ちの大半を占める理由がある

・金融資産5億円以上世帯(超富裕層)は、0.12%。1億円以上5億円未満世帯(富裕層)は、1.69%。5000万円以上1億円未満世帯は、5.46%。3000万円以上5000万円未満世帯は、13.3%

・「最初からのお金持ち」が没落したケースはいくらでもあるし、「突然のお金持ち」があっと言う間に破産することもある。お金持ちになり、お金持ちであり続けるのは、決して簡単ではない

・お金や土地といった「目に見える有形の財産」だけでなく、「無形の財産」(資産家たちとのネットワーク、情報源など)をたくさん持っていることが、「最初からのお金持ち」の特徴でもあり、強みでもある

・「コツコツ型のお金持ち」は、資産運用といっても、賃貸不動産の経営に留まるなど、リスクをとってまでお金を増やそうとしない。本業で稼ぐ方が効率いいと考えている

・「突然のお金持ち」は、上手に「時代の波」に乗れた人。急に大金を手にした人は生活が派手になると言われているが、この説は半ば正しく、半ば間違っている。高級住宅街に家を買っても、それは将来換金する備えであって、生活は質素

・「最初からのお金持ち」は、学歴が高い人が多く、自営業が多いのが目につく。不動産収入が年収の2割以上を占める人が41%。子供が3人以上いる割合も高く、財産を次世代に受け継いでいこうという強い意識が見られる

・「突然のお金持ち」は、上場企業経営者に多い。自ら築いた財産が次世代へ引き継ぐことを想定して家訓をつくる人が多い一方、「子供が跡を継ぐ必要はない」と答える人が32%いる。半数以上が、子供に海外生活を経験させている

・取り返しのつかない失敗をしないように、常に気を配ることが、お金持ちがお金を減らさないための大原則。だから、お金持ちは、ヘッジファンドや仕組み債など複雑で理解しにくい金融商品には興味を示さない

・代々続くお金持ちは、大規模な農業経営をしたり、アパート・テナントビル・駐車場の賃貸収入を得たりもしているが、群を抜いて多いのが、老舗企業の経営

・日本には創業100年以上の老舗企業が2万社ある。老舗企業には、変わりやすい世の中を生き抜くため、家憲や家訓など脈々と受け継がれる一貫した理念がある。家憲や家訓を守ることは、創業者の求心力を活用し、結束力を強めることにつながる

・代々続くお金持ちに、「誰がライバルか?」と尋ねると、必ず父親や祖父の名が挙がる。また、「誰が相談相手か?」と尋ねても、やはり父親や祖父と回答する。こうした一族では、濃密な関係を築き、事業や財産を維持するためのノウハウを継承している

金融資産が3000万円を超えると、幸福を実感している人の割合が50%超に急上昇する。さらに、子供との関係が「密接」で、健康不安「なし」ならば、幸福を実感している人の割合が67%になる

・若い人たちが、富を手に入れられるのは、「新しいこと」や「時代に合ったこと」に、お金が流れていることの証拠

・スウェーデン(富裕税と相続税を廃止)を初めとする北欧諸国から学ぶべき点は、お金持ちを社会から排除するのではなく、彼らを社会や経済発展の中に取り込み、うまく活用しながら社会をつくっていくこと



お金持ちの人にも、お金持ちになりたい人にも、読んでもらいたい書です。

本書を読めば、お金持ちにとって大事なのは、有形の資産(お金、土地など)ではなく、無形の資産(情報、ノウハウ、ネットワークなど)であることがよくわかります。

少し回り道になりますが、無形の資産を手に入れる努力が、実はお金持ちへの近道ということなのかもしれません。


[ 2012/09/26 07:02 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『現代に生きる糧・刀耕清話-小川忠太郎の遺した魂(こころ)』杉山融

現代に生きる糧 刀耕清話―小川忠太郎の遺した魂(こころ)現代に生きる糧 刀耕清話―小川忠太郎の遺した魂(こころ)
(2010/07)
杉山 融

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本書は、剣道家小川忠太郎氏が、剣道の専門誌へ執筆したものに加筆したものです。

剣道の書といっても、スポーツ技術向上の書というよりも、禅の言葉を使って説く、生き方読本といった感じです。仕事や人生に置き換えて読んでも、十分に役立ちます。

修行や鍛錬をしてきた人が語る含蓄ある言葉が、随所に並んでいます。その中の一部を、要約して、紹介させていただきます。



・ただ稽古をやっているだけでは、いくらやっても何が何だかわからなくなってしまう。修行目的に無知のままでは、知らないうちに無明界へ自らを陥れてしまうおそれがある

・出来ることに命を懸ける。苦しかったら、ここが命の捨てどころ

・お互いに稽古していると、相手に打たれる。打たれた所に自分の欠点があるのだから、それを教えてもらって、有り難かったなと、相手に感謝する

・受け身になったらいけない。乗っていくこと。乗ることを「転ずる」、受け身になることを「転ぜられる」と言う。転ずれば、どんなことだって自主的だから苦しくない

・欠点が全部なくなれば「完全」。欠点というのは「事実」「現実問題」。現実を捕まえて、稽古で欠点を直していけばいい

・剣道では、自分の欠点を直さないで、相手の欠点を打つことばかりでは向上しない

・剣と禅で修練した山岡鉄舟は「晴れてよし曇りてよし富士の山、元の姿はかわらざりけり」と詠っている。ここまで修練すれば人間個人として、完成されたと言える

・脇にそれると難局が追いかけてくる。しまいには難局に負けてしまう。道の修行に志したら最後までやり通すという相続心がもっとも肝要

・「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗する人が多いのは、成功がみえるとともに、自己愛が生じ、慎みが消え、楽を望み、仕事を厭うから」(内村鑑三「代表的日本人」)

・「先入、主となる」。先に入ったものが、その人の本となる。先に良いものを入れること

・形のあるものばかりではなく、直心(正直な心、素直な心、自然の心)が本当の道場

・「邪なし」は、稽古の質。「鍛練」は、稽古の量。この質と量が、両方ピタッと行って、上達する

・きれいな花を見て、きれいだなと自然に思うのは「一念」。その美しさに執着して、枝を折って家に飾ろうかなと考えたら、これは「二念」。それが邪念であり、心に隙間を生む原因となる

・悟ったと思えば、そこに執われ、もう上達なく、否、堕落する。人間でなく天狗となる

動いている中で、自分を見失わないようになれば、これは本物

・自分だけ安全な所に置いて、相手を倒すことなんか出来やしない。自分を捨てて、そこへ入っていかないといけない

・剣術の稽古は、人に勝たずして、昨日の我に今日勝つとこそ知れ

・相手を馬鹿にするか、相手を恐れるのかのどっちも駄目。対人関係であっても、相手を超越してしまえばいい。互角でやっているから駄目である

・これでよいと思った時は堕落也。よいと思った場をすぐに捨て、また新しく修行をやり直す心が秘訣也

・「三つの好機」とは、「出頭(相手が攻めに出る起り鼻)」「引く処(後退する処)」「居付いた処(心身のはたらきが停滞した処)」

・「右転左転」とは、相手がどんなに攻めてきても、それと争わず、かかってくる心にも力にも技にも、かかわることはなく、はずしては乗り、はずしては乗りして、遂には争わずして勝つこと



剣道家の言葉には、交渉や営業など、人と一対一で会うときに、必要なことが多いように感じます。

交渉や営業で、精神的に優位に立つには、このような常日頃の鍛錬が必要ではないでしょうか。常に「心の道場」を持っておかないといけないのかもしれません。


[ 2012/09/25 07:02 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『自己実現の心理』上田吉一

自己実現の心理自己実現の心理
(1981/01)
上田 吉一

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上田吉一氏の著書をとり上げるのは、「人間の完成・マスロー心理学研究」に次いで、2冊目です。

上田吉一氏は、欲求5段階説で有名なアブラハム・H・マスローと親交があった日本の学者です。マスローの本を数々翻訳されており、マスローを日本にわかりやすく紹介した功績の大きかった方です。

本書は、1976年の発行です。自己実現を遂げた人の事例が数多く紹介され、自己実現とは何かが明示されています。興味深い箇所がいっぱいありました。一部ですが、要約して、紹介させていただきます。


完全なる人間とは、人間性の法則が完全に生かされ、心身の機能を最大限に発揮した人間。それは人間存在の本質的にあるべき姿にまで成長を遂げ、充実し、まさに成熟の極致にまで到達した自己実現人間を意味する

・欠乏欲求に満ち足りた人格とは、優雅なゆとりある生活を送りながら、その余暇の中において、創造的表現や、価値追求の行動など、いわゆる「表現的行動」の支配的な人格をいう

・社会もまた、人間の作品であり、人間の欲求の反映である。したがって、社会の機構は、利己と利他を超越させ、そこに住む人が利己的であっても、それが他人の利益になり、逆に、他人の福祉を願う行動が、自己の利益となって帰ってくる仕組みであるべき

・人格の階層構造において、下部構造は物質的であるのに対し、上部構造は精神的である。上部構造は、主として、心、霊、魂といった精神に関することであり、また、目標、目的、意図、働きかけなどといった精神の作用を意味する

・自己充実をとげている人は、次の段階では、他人を愛し、積極的に他人の自己実現を助長しようとする意欲を示すようになる

・真に生きるということは、環境から独立することであり、環境の影響に対し、これに流されないで、自らの意志で応えることを意味する。そこには、自らの内に強いスタミナとエネルギーを必要とする

・自己実現は、ある事柄に完全に熱中し、全面的に没頭し、われを忘れて、そのことに生き生きと経験する過程の中で見出される

・自己実現は、自己のアイデンティティを保持し、真の自己になること。換言すれば、義理、義務、恐れ、不安など対人意識利害関係の意識を捨てて、自由に自己を表現すること

・自己実現は、自己を正しく見つめ、自らの衝動の声に耳を傾けるところに生ずるもの。自己を客観化し、自己に忠実になり、正直になることによって、主体的判断が得られ、真に自己の認知や行動に責任をもつことが可能になる

・マスローは高次欲求をB価値として、真・善・美・全体性、二分法超越・躍動・独自性・完全性・必然性・完成・正義・秩序・単純・富裕・無為・遊び・自己充実をあげている。人間は基本的欲求が満たされても、さらにこれらの価値に憧れ、その充足を願うもの

・未来を「幸福」と「価値をもった人生」にすることにより、そこに到る道程としての現在をも意義あるものたらしめ、生きがいをもたらせる

・食欲をはじめとする基本的欲求の満足が保証せられるとき、もはや生活のために働く理由は失われる。すでに目的を達したのであり、もうそれ以上働いても無意味である

・自己客観化するのは、「自己の欠点を認めることのできる人間」。人間は自我を守ろうとするために、自己の欠点を認めたがらない。これを過少評価したり、無視したり、他人のせいにして責任転嫁をはかろうとする

・自己充足的人格の特徴は、「進取の気性が認められ、時間的、空間的に広い視野を持つ」こと。歴史的社会的に現在を超えて広いビジョンを持つ。比較的狭い状況にのみ生きている人は、自己のおかれた時代風潮を絶対視し、それにのみ流されやすい

・マスローが「無邪気」として強調しているように、無我の状態、あるいは、天真爛漫とした、まるで子供のような屈託のない自由な行動や態度の中に、人間性の法則のまともな発露を見ることができる

・自己統制力のある人は、「一時的満足を与える状況にノーと言う」ことができるとともに、「究極的には良い結果が約束せられるが、一時的には不満足を忍ばなければならない事柄にイエスと言う」ことができる。つまり、展望が広く、すぐれたビジョンをもっている


人間性の最高存在とは何か?これを示してくれることによって、われわれの進むべき道が明確になります。

現在の世の中は、その進むべき道に迷っているように思います。これを権力者、知識者層たちが認識することで、社会がよくなっていくのではないでしょうか。本書は、人間性の最高存在へと進む道を照らしてくれる貴重な書です。


[ 2012/09/24 07:01 ] 上田吉一・本 | TB(0) | CM(0)

『「狂い」の説法―わたしたちの常識』無着成恭、ひろさちや

「狂い」の説法―わたしたちの常識「狂い」の説法―わたしたちの常識
(2007/08)
無着 成恭、ひろ さちや 他

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この本は、無着成恭さんとひろさちやさんの対談集です。ひろさちやさんに関しては、本ブログで何回も採り上げてきましたので、今回は、無着成恭さんに絞って、文章をまとめてみました。

無着成恭さんは、教職に就きながら、TBSラジオ「全国こども電話相談室」の回答者を、28年間務められてきた方です。その語り口は、今でも多くの人の耳に残っているのではないでしょうか。現在は、本業に戻られて、住職をされています。

本書は、仏教者として、教育者として、今の日本人にあえて苦言を申す内容です。要約して、その一部を紹介させていただきます。



・仏は人間が悟ったもの。神は人間が考え出したもの。だから、仏は、自分と違うもの、対立するもの、矛盾するものも一緒に包み込むが、神は、自分と同じもののみ味方にする

・もっと権力者、強い者をいじめよう。「弱い者いじめはするな。強い者をいじめろ!」という思想を持たないといけない

・お金と人権は決して共存しない。人間の世界では、お金がないと生活できないが、犬や猫は生活できる。お金では解決できないところに、生きることへの意義がある

・ブータンの国王は、川の水をそのまま飲める国と、ペットボトルの水しか飲めない国では、どちらが美しいかを国民に問いかけた

・自然の掟によって生きている動物は、宗教を持っていないが、人間には宗教がある。人間は、宗教を持っていないと、自然の摂理を破壊しかねない

・社会的地位の強い人がウソをつけば、弱い人はその何倍もウソをつかなければ生きていけない

・最澄は比叡山で、直接民主主義の原理を導入した。賛成の箱と反対の箱を用意し、みんなに石ころを一個ずつ持たせて堂塔を巡りながら投票させ、それぞれの箱に入った石を数えた。仏教には、脈々として直接民主主義の原理が働いている

・農業は食糧の生産だけではなく、教育にとっても大きな意義がある。親が教えなくても、宇宙の摂理や自然の営みを自分の身体で覚えることができる

・国家は「デキル」ことを要求する。しかし、人間は「ワカル」ことがうれしい

・教育されるというのは、偏った観念を叩き込まれること。学問をするというのは、真理を追求するということ。学問をすると、うわべだけの知識がいかに軽薄かがわかってくる

・「一つのリンゴを分け合って食べるとおいしいよ」という教育が姿を消し、「一つのリンゴを何人かで奪い合い、勝った者がそれを見せびらかして食べればいい」という社会になってしまった。社会としては、崩壊している

・「型なしの人間になるな。型破りの人間になれ」と、父によく言われた。つまり、型を学んで、守って、破って、離れる「学・守・破・離」の筋道をたどらなければ、人間の厚みがつかないということ

・江戸時代、どのお師匠さんが、子供のよさを認めて、一人前に育ててくれるかを親が判断していた。お師匠さんを選ぶ権利は町民にあった。しかも、師匠は、育てることが主眼だから、単なる技術や知恵ではなく、「悟りの世界に至るための大きな智恵」も授けていた

・お寺は、もともと賊軍の思想を説くところ。教会も同じことだが、宗教は国家と鋭く対立するものでなければ、存在の意味がない

・これまでの日本は、「頑張れ」「欲張れ」という資本主義の教義を信奉してきたが、仏教は「欲張るな」と教えている

・賊軍になるためには、相当の執念とバックボーンとなる哲学が必要だから、簡単にはなれない。しかし、賊軍にならなければ、世の中の本当の姿や仏さまの世界はわからない

・インドなどでは、働くところがない人は物乞いをする。日本では、人に物をもらうことは軽蔑されているが、お坊さんは本来物乞いする人。お坊さんは、偉そうな顔をしているが、ホームレスの元祖

・仏教では、「正義」や「大義」は人間の側にはなく、大自然の摂理にある。だから、戦争には正しい戦争などはなく、原因は、人間の愚かさにあると教えている



無着成恭さんは、「僕も、結局は負け犬だなあ。仏教の立場からいろいろ発言してきたのに、世間はいっこうに聞いてくれない。言ってきたことは完全に無視されて、こんなおかしな日本になってしまった」と、ひろさちやさんに語られたそうです。

禅僧として高い位置におられる無着成恭さんが嘆く、「生きにくい国」となってしまった日本を「生きやすい国」にするには、みんなが気づく、悟るしかありません。本書は、その助けになるのではないでしょうか。


[ 2012/09/22 07:02 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『キノコの教え』小川眞

キノコの教え (岩波新書)キノコの教え (岩波新書)
(2012/04/21)
小川 眞

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数ヶ月前、深夜に何気なくラジオをつけたら、この本の著者である小川眞先生が、菌の話をされていました。途中から聴いたのと、半分眠っていたので、あまり記憶に残らなかったのですが、大変面白そうに感じました。

その後、先生の名をネットで検索し、最新刊の本書を見つけました。この本は、キノコのことを学術的かつユニークな視点で分かりやすく書かれています。その中から、特に面白く感じた箇所を、紹介させていただきます。



・菌と言うと細菌、すなわちバクテリアを連想する人もいるが、これはまったく別物。生物を五つの大グループに分けて考える五界説では、菌類が、動物界、植物界などと並んでいる。菌類が自然界に果たす役割は極めて大きい

・菌類の栄養のとり方は、根本的に植物と違っている。地球上に生まれたときから、葉緑素を持たなかったので、他の生物に依存して生きるしかなかった

・「腐生菌」(死んだ植物体から栄養をとる)、「寄生菌・殺生菌」(他の生物に侵入して栄養をとる)、「共生菌」(上手に馴れ合って暮らす)。菌類には、「腐生」「寄生」「共生」の三つの生活法がある

・キノコが傘形になったのは、ひだが雨に濡れないようにというだけでなく、地上から一定の高さで傘を広げると、流体力学の原理で、胞子が風に乗りやすいから

・キノコを食べるのは人間だけでない。サルは、シイタケのつぼみとマツタケを食べ、シカは、マツタケの傘やアンズタケを食べる。リスやネズミは、キノコ好き。カタツムリ、ナメクジ、ハエ、ダンゴムシなど小動物もキノコにたかる

・キノコは生態系の中で、微量のものを生体濃縮して循環させる役割を果たしているが、ときには、重金属や放射性物質など、厄介なものを吸い上げる

・有機物の少ない酸性土壌では、キノコによるセシウム吸収量が多くなる。セシウムはアルカリ金属で、カリウムと元素の周期表の上で並んでいるので、菌がカリウムと混同して吸収している可能性が高い

・日本人がマツタケに魅せられたのは万葉の時代から。江戸時代には、食生活も豊かになり、西鶴の「世間胸算用」にもあるように、畿内では、紅葉狩りやお花見などと並んで、マツタケ狩りが流行った

・15世紀末ごろから、干しシイタケが料理によく出るようになる。1465年には、足利義政にシイタケを贈った日記があり、安土桃山時代には、栽培が始まり、豊臣秀吉も好物だった

・アメリカで流行っているキノコ栽培は、その大半が日本で栽培されたもの。ここ数十年間で、日本のキノコ栽培が世界中に広がった

・元寇のとき、嵐にあって沈んだ元の船は質が悪かった。元の支配下に入り、高麗では森林破壊が進み、大木がなくなり、急いで造船したので、木材が乾かず、キノコがついて腐り、大波に合い、ひとたまりもなかったという説もある

・世界の森林は、今、「燃える枯れる伐られる」の三重苦に悩んでいる。20世紀に入って枯れているのは、自然に育っている木である。菌根菌の種類や量が明らかに減っているのも、その一因と考えられている

・枯れたマツを炭にして埋めれば、マツが元気になる(菌根菌がつき、根の寿命が延びる)。すると、ショウロ(窒素を利用してアミノ酸を作るキノコ。すまし汁でもおいしい)が増えて、動く砂の粒をつないで固め、砂丘の表面が安定する。まさに一石三鳥

・キノコと樹木の共生には、偏利共生、相利共生、任意共生の三通りのタイプがある。俗な言い方をすれば、「偏利共生」はヒモ、「相利共生」は相思相愛、「任意共生」は今晩おひま、ということになる。この共生現象は、人間を含むあらゆる生物に通じる原則

・共生は、まず相手を対等と認めるところから始まる。もし、自分のほうがより優れていると思えば、相手を軽んじて抑圧することになる。劣っていると思えば、卑屈になって妬ましく思う。「優越感と劣等感」「嫉妬と羨望」は、強烈な破壊エネルギーを生みだす

・一方的な押し付けは「偏利共生」であり、単なる偽善に終わる。共生して、長く生きるためには、自分の物差しに固執せず、対等の立場にあることを理解し、相手との接し方を工夫しなければならない



菌と植物の共生関係が、本書の大きなテーマですが、「共生のあり方」について、示唆することが数多く掲載されています。

例えば、人類と農林水産業は、まさに「共生状態に達した」ということです。このように、キノコを通して、見えてくることがかなります。

本書を読めば、人類が発展してきたのは、植物との共生のおかげだということが、わかるのではないでしょうか。


[ 2012/09/21 07:00 ] 環境の本 | TB(0) | CM(0)

『新・家系の科学』与那嶺正勝

新・家系の科学新・家系の科学
(2010/04/21)
与那嶺 正勝

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一瞬、家計の科学だと思って、この本を手に取りました。家系と科学は結びつかないのでは?と思いつつ、最後まで読んでしまいました。

科学的アプローチが足りないので、科学を名乗るのは間違っていますが、内容的には、「これはあるかも?」と思えた部分が幾つかありました。それらを要約して、紹介させていただきます。



・人には、誰にも対応する先祖がいて、その人の人生の影響を何らかの形で受けている。「先人の轍を踏む」ことを、現代のわれわれは知らず知らずのうちにやっている

・代々、病弱な家とか、ガンコ者が続くといった遺伝や家風とは違った「同じような運命の繰り返し」が家系によって見られる

・ある家系の歴史的な時間の流れ「縦」が、ある世代において「横」に展開する。縦とは、先祖、横とは、兄弟

・私たちがたどった人生は、孫の代以降に、それをなぞって生きる子孫に現れる

・学問の系統は、母親の家系の影響が大きい。母親が優秀だと、子供も優秀な子が生まれることはよく知られているが、その場合、何も母親だけが優秀というのではなく、母親の先祖が優秀な場合が多い

・歴史の中、家系の中で、先祖たちが味わってきた悲しみの心情や喜びの心、その強い感情が遺伝子として子孫に伝達されて、本人も知らないうちに、その伝達された内容によって行動し、同じパターンを歩むものと推測できる

夫婦関係が壊れると、三代目に、思わざる悲劇が家系の中に出てきて、家運が衰退する

・「隠居分家」(次男や三男が、長男の代わりに、自分の老親を引き取る)の家は栄える

・家系に、離婚、再婚といったものがなく、夫婦関係が順調な代が続くと、家運はどんどん上昇運に乗ってくる

女性を大事にするということは、上昇する家系運に不思議なほど共通して見られる現象

学者の家系の特徴は、本家筋の家系よりも、分家筋に多い

・夫婦の在り様、生き方によって、その家運は決まる。仲良き夫婦は、家系のろ過装置

・末っ子だけは、とてつもなく出世したり、成功したりしている例がしばしば見られる。先祖の力量に関係なく、大バケしている。その場合は例外なく、両親の夫婦仲がいい

・絶家の特徴は、大勢の人々の恨みをかった結果として、三代か四代で男系が絶えて、養子に入った系列も六代か七代かで終わりになる

・母親が生みたい、是非欲しいと思って、産み出した子には、子孫がたくさん増える何らかの機能が宿り、その逆だと子孫は衰微運をもつようになる

・家系(ファミリーツリー)のエネルギーは、あくまで男女の愛情であり、夫婦としての愛情が不足すると、成長エネルギーがなくなり、子孫という木が育たずに立ち枯れになってしまう

・子供は接触時間の多い人の影響を受ける。母親と父親の子供に対する影響度は「85対15」。子供は、何から何まで母親の影響下にある。「世のため、人のために生きる」男性がいれば、その人は必ず、そのように生きた母親を見て育っている

・ある大手企業では、採用試験の面接で、父親との関係がどうだったかを聞く。そして、父親を嫌っていたり、仲が良くなかった場合は、他の成績が優秀でも採用しない。父親との関係がまずい子は、社内で何らかのトラブルを起こしやすいことを経験的に知っている

・最近多くなった「登校拒否」「ひきこもり」「出社拒否」などは、家庭における父性不在が原因。陰湿化した「いじめ」「家庭内暴力」の背景にも、父親の存在が薄くなった日本的家族の型が見てとれる

・親をないがしろにすれば、自分の子供からもないがしろにされるという摩訶不思議な法則が歴然としてある



この本に書かれていることの例外もいっぱいあると思います。だから、信じすぎるのは、危険なように感じます。

真に受け過ぎず、「これはあるかも?」というくらいのスタンスで本書を読めば、有意義に思えることが多いのではないでしょうか。


[ 2012/09/20 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『会社人生は「評判」で決まる』相原孝夫

会社人生は「評判」で決まる (日経プレミアシリーズ)会社人生は「評判」で決まる (日経プレミアシリーズ)
(2012/02/16)
相原 孝夫

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本書に、西郷南洲遺訓の「功ある者には禄を与え徳ある者に地位を与え」という書経を引用した言葉が出てきます。このように、昔の日本は、功と徳、禄と地位を明確に分けていたように思います。

最近、欧米流の人事評価制度が入ってきて、評価と評判収入と地位の関係がごちゃごちゃになってしまった感があります。

著者は、客観的な評価ではなく、主観的な評判こそが、日本で出世、成功する決め手になると、本書で説いています。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・その人の「評判」が一番表れるのは、その人と会話している相手の態度や表情。評判の良い人に接する時には、好意的な表情や丁寧に、活き活きとした態度で接している

・「業績は良いが評判は良くない人」は、なにか辛そうであったり、どこか雑な態度であったりする

・商店をやっていれば、「評判」は売上に直結する。しかし、企業の中では、「高い業績を挙げなさい」というプレッシャーは常にかかるものの、「自分の評判に配慮しなさい」と言われることはまずない

・ネットでショッピングをする場合に、多くの人が頼りにするのは、口コミ情報。口コミとは、評判のこと。商品説明よりも、口コミ情報を熱心に読む人が多い。見知らぬ第三者の意見であり、それぞれの主観に基づくものであると知りながら、それを頼りにする

・「評価」は基準を満たせば高まるが、「評判」は主観の集合体であるため、基準は存在しない。また、「評判」は、長期間かけて築かれるが、落ちると再び高めるのに時間を要する

・ヤマト運輸では、10数万人いるセールスドライバー(SD)の評価を仲間同士の相互評価という形式で行っている。お客様以外で誰が一番正しく判断できるかと言えば、やはり一緒に働いている仲間である

・「評価が低い」には反論できても、「評判が悪い」には反論できない

・常日頃一緒にいる人たちが、評判形成にあたっては最も重要な存在。逆に、互いにまったく接点のない人たちに好感を持たれたとしても、それが評判に発展する可能性は低い

・評判の「萌芽」はいとも簡単に形づくられ、それらが他者の賛同により「強化」されると、他人に話したいというインセンティブにより「拡散」される

・評判の悪い人は、「ナルシスト」「評論家」「分不相応な人」。評判の良い人は、評判の悪い人の裏返しで、「他者への十分な配慮のできる人」「実行力のある人」「本質的な役割の果たせる人」

・評判の良い好業績者には、必ずといっていいほど、師匠的存在の人がいる

・評判の良い人は根回しを軽視しない。根回しという言葉には、裏でこそこそやるイメージが伴うが、「コンセンサス・ビルディング」と言えば、労力を割く気になる

・持続的に高い成果を挙げている人は、プロセスに目が向いている。良い結果を出すカギは、すべてプロセスにある。プロフェッショナルは結果よりプロセスに集中する

・一線級の人たちは、「自分ごと」として、いかに貢献するかを考えている。一方、評論家的な人は、一歩引いたところから好き勝手なことを言うだけ

・組織的に微妙な立場(副部長、担当部長、部下なし課長など)にいる人ほど、妙に高圧的な人が多い。こうした態度は、外部の者に対してというよりも、同席している社内の人たちに対してのアピールである場合が多い。自らの権力を誇示する場として使っている

・試練を乗り越え、苦労をしてきた人というのは、いわば、「嫉妬の対象から除外された人」。出世コースに乗る一つのパターン

・「印象管理」とは、自分に対する他者の印象を、自分にとって望ましいものに保つこと。その三つの次元とは、1.「公共的なルールやマナー」(まともな人間)2.「社会的役割」(優秀な人間)3.「個人的な人柄」(いい人、やさしい人、頼れる人)

・組織人としてのあるべき生き方の可否は、社内における「評判」という指標が表わしてくれる。自らの「評判」を軸に仕事をしていくことで、豊かな職業生活を送ることができる



評判が「花」だとすれば、評価は「実」です。「花」と「実」のバランスを考えて、行動をどうとるかが、組織人に求められているように思います。

会社側も、「実」だけで、収入と地位を保証するというやり方は、改めるべきなのかもしれません。いずれにせよ、日本では、「実」より「花」が尊ばれているのは事実のようです。


[ 2012/09/19 07:03 ] 出世の本 | TB(0) | CM(0)

『チューリップ・バブル―人間を狂わせた花の物語』マイク・ダッシュ

チューリップ・バブル―人間を狂わせた花の物語 (文春文庫)チューリップ・バブル―人間を狂わせた花の物語 (文春文庫)
(2000/06)
マイク ダッシュ

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バブルの記事があれば、その中で、バブルの先駆けとして必ず紹介されるのが、1633年から1637年にかけてオランダを席巻したチューリップ・バブルです。歴史上極めて不可解な事件として後世の経済史に伝えられています。

なぜ、チューリップの球根取引でバブルが発生したのか。なぜ、12個で最高約1億円の値段がついたのか。どういう背景があって、そうなったのか。全く解せないことだらけです。

それらを詳しく解明したのが本書です。人間の欲望を考える上で、興味深いポイントが多々ありました。それらを紹介させていただきます。



・最高値がついた取引(1637年初春)から1週間もたたないうちに、球根の価格が前触れもなく、急落し、数日のうちに10分の1になった。一時は長者番付に名を連ねていた人々が、1637年の2月末には全財産を失った

・陰気でくそ真面目で厳格で道徳心が強くて、とりわけ金銭についてはすこぶる渋いことで知られているオランダ人が、なぜチューリップに熱中して身を滅ぼしたのか、ヨーロッパ中の人々も不可解に思った

・チューリップ狂乱の時代が、オランダ黄金期の最高潮時に一致する。当時のオランダは、短期間ながら世界の商業の覇権を握って、文化的にも栄華を極めていた。レンブラントやフェアメールもその時代の画家であり、優秀な画家はこぞってチューリップを描いていた

・アメリカ大陸で発見される銀やインド航路による貿易の収益で、ヨーロッパには未曾有の財が流れ込み、富豪は目新しい金の使い道を探していた

・チューリップは、他の園芸用植物とは大きく異なっていた。チューリップの強烈な濃厚な色合いは、17世紀のどの花にも見ることができなかった。それは単なる赤ではなく、燃えるような緋色であり、ありきたりの紫ではなく、黒に近い魅惑的な深紫だった

・1610年ごろのパリでは、花を贈ることが流行し、洗練された貴族たちは競って、宮廷の貴婦人に珍しく見事な花を贈るようになった

・フランス宮廷の貴族は、花の女王である薔薇に代わるものとして、チューリップを見つけ、すぐに宮廷の人気をさらうことになる。チューリップの流行は、若きルイ十三世が結婚する1615年に白熱していた

・チューリップは、富と趣味のよさの象徴と化した。裕福な商人階級が増加していたオランダでは、豪商たちが、美しいチューリップを手に入れようとふんだんに金をつぎ込む

・儲かる貿易で得た利益は、当初、食べ物やワイン、田舎で採れる作物に使われ、さらに、豪邸や美術品のようなあらゆる贅沢品に使われ、そして、チューリップに使われた

・貴族や商人が富を誇示する目的で、カントリーハウス(別荘)造りを始めたことが、さらに、チューリップブームを招く要因となった

・チューリップ書や画集は、新しい顧客を開発するとともに、既存の顧客に対しては、新品種の普及に貢献した

・大金を稼いだ者たちは、親戚や友人に「花で金儲け」できるとふれまわった。1634年の暮れから1635年初頭には、オランダ中で話題になった。1636年12月から1637年1月の数週間には、全財産をチューリップにつぎこむ人々が続出し、さらに価格を押し上げた

・ブームがピークを迎えたころには、総人口200万人のオランダで、控え目に見積もっても5000人の球根栽培家およびフロリストが活動していた

・「くず品」(量り売り品や単色品)すらもが、市場の取引対象になってくると、手頃な価格の新品種は市場から姿を消した。チューリップ・バブルの表裏一体であった「資金」と「球根」の両方が底をつき、市場が崩壊直前となった

・オランダでは、18世紀初頭に、30年に渡り、ヒヤシンスブームがまた起きている。球根栽培業者もこの頃には、商売のコツを心得ていたが、1737年に値段が最高に達し、急落する。この暴落も、値段の高騰人気品種の入手困難というチューリップ大暴落と同じ理由

・その後も、1838年頃のフランスの「ダリア熱」、1912年オランダの「グラジオラスブーム」、最近では1985年中国のリコリス(ヒガンバナ)ブームなど、美に対する憧れと金に対する欲望で培養される人間独特の病気は、しばしば発生している



チューリップ・バブルに似た現象は、日本でも度々起こっています。切手ブームやクワガタムシブームなども、高値が評判を呼び、庶民が一斉に参入し、市場が崩壊した例です。

これは、何も商品だけではありません。土地、株、会員権、著作権なども同じです。そういう意味でも、チューリップ・バブルはバブルの原点として、学ぶ題材と言えるのではないでしょうか。


[ 2012/09/18 07:01 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『京のあたりまえ』岩上力

京のあたりまえ京のあたりまえ
(2000/09)
岩上 力

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京都には、歴史的遺産が多く残されています。ということは、それを守ってきた住民がいたということです。それは、京都に住む人たちの考え方や行動が、無形遺産として、ちゃんと受け継がれてきたからではないでしょうか。

有形遺産と無形遺産は一対の関係であるならば、無形遺産である京都人を真面目に取り上げた書はあまりなかったように思います。

本書には、京都人たちの気づかい、言葉づかい、立ち振る舞いなど、人間関係を円滑にする作法が数多く掲載されています。それらを要約して、紹介させていただきます。



・「住まいはもちろん、近代的なビルの中にもお札がいっぱい貼ってある」
お札を貼ると、その場所や物を神聖に清めると同時に、特別な思い入れを感じてもらえる

・「おこられるから、やめとき」
子供を叱る時に、よく使う言葉。人様に迷惑をかけることが最もいけないことと子供の時から教える。決して、責任転嫁しているわけではない

・「しきたりは大事に守るが、おしつけたりはしない。よその文化も尊重する」
京都人は柔軟で、相手に対して自分のやり方を求めたりしない。よそのいいところを上手に取り入れていくのも京都流

・「しきたりや作法を大事にすることは、人と人とのつながりを大事にすること」
人に対する思いやりや相手を立てる気配りが、しきたりや作法を重んじることにつながる。つかず離れずの粋な関係はここから生まれる

・「しきたりにしばられるから楽できる」
しきたりは、難しいものと思われが、お付き合いを楽にしてくれる合理的マニュアル

・「お客様(訪問客)は曲がり角まで見送るもの」
昔から、よそのお家を訪問する時は、訪問者が気をつかい、辞去する時は、その家の者が気をつかうもの。辻まで見送るのが、余韻を大事にするのに、ちょうどいい距離だった

・「出されたものは少し残す
全部たいらげてしまったら、もてなしてくれた人に、足らなかったかなと心配させてしまう。だから、少しだけ残すというのが礼儀というもの

・「お約束の時間より、髪の毛一本遅れて行くのがお作法」
京都では、人を迎えることに、大変神経を使う。すべての準備が整い、ほんの一息ついた時に玄関のチャイムが鳴るのが絶妙のタイミング。早く到着すれば、先様を慌てさせる

・「祇園祭は京都人の心であり誇り」
祇園祭は京都人の無駄の心の表れ。観光客のためではなく、町衆のための祭りである限り、いつまでも続いていく

・「京都では女子(おなご)は宝」
京都では、外で仕事をする女性店や家を守る女性、そのいずれも認めてきた。女性がちゃんと仕切ってきたからこそ、京都のしきたりや行事が今に伝えられている

・「強要された寄付は嫌いだけれど、お布施の心は生活の中にちゃんとある」
金額を決められた寄付には抵抗がある。お布施の心で、自主的に寄付するのが京都人

・「京の着だおれ」
着物を着るのは、自分の心の豊かさの表現であり、相手様に対する気配りでもある

・「一見さんおことわり」
客を差別しているのではない。一人一人の客を大切にし、最高のおもてなしをするために生まれたもの

・「京都人はけちではない。上等に生きている」
上等に生きることは本物を知ること。安価なものを買うのであれば、本物を買えるまで我慢しろと教えられる

・「気くばり眼くばり耳くばり、それが大切」
人のふり見て我がふり直せ、京都人は小さい頃からこう言われて育つ。お互いに神経を使い合うことから、洗練されたマナーが生まれてきた

・「人はやっぱり折れ反れが一番」
人間としての本物とは、折れたり反れたりが自然に出来る人。目上の人にも、目下の人にも、いつも誰にでも頭を下げることができるのが、大切なことと京都人は考えている



日本には、農村における人間関係のルールや良きしきたりはありますが、都市におけるものは少ないように思います。

農村のそれは、深い絆を求めるものです。都会のそれは、付かず離れずの関係を維持していくことが大切で、京都1200年の知恵がその代表的なものです。

そういう意味で、本書は、洗練された都会の大人になるためのガイドブックになるのではないでしょうか。


[ 2012/09/17 07:02 ] 商いの本 | TB(0) | CM(0)

『信じない人のための「法華経」講座』中村圭志

信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)信じない人のための「法華経」講座 (文春新書)
(2008/09)
中村 圭志

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以前、このブログで、「法華経はなにを説くのか」という本を紹介したことがありました。しかし、簡単にわかるほど、法華経は甘くありません。

本書も、法華経とはいったい何なのか?法華経を信じたらいいことがあるのか?など、具体的に著者が説明してくれます。

本書を読み、法華経について納得できた点が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「弘誓深如海 歴劫不思議 待多千億仏 発大清浄願」
観音の誓いは海のように深い。永劫という考えられないほどの長きにわたって、観音は無数のホトケに仕えて、誓いを清浄ならしめた

・「我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦」
この点について簡単に説明しよう。観音の名前を聞いたり、姿を見たり、心に念じたりして頑張れば、さまざまな厄難が滅びる

・「仮使興害意 推落大火坑 念波観音力 火坑変成池」
活火山の火口に落とされたって平気だ。かの観音パワーを念ずるや、水をまいたように火は消えてしまう

・こんな有難い観音経だが、この短いお経をまるまる自らの一章として取り込んでいるのが、法華経。法華経全二十八章の第二十五章が観音経(観世音菩薩普門品)

・法華経は、釈迦の時代の700年後、北西インドで誕生し、西域の人、鳩摩羅什によって中国語に翻訳された。中国の人、智頭が法華経中心の仏教哲学を編み出し、それを日本の最澄が受け入れ、日蓮が法華経に基づく実践を展開した

・大乗仏典は、菩薩の道の究明を目指した。「六波羅蜜」は、1.布施(プレゼント・サービス)2.持戒(浄い生活)3.忍辱(忍耐)4.精進(努力)5.禅定(精神統一)6.智慧(空を悟ること)を完成させようとした菩薩の努力目標

・法華経の主張の要点は、「すべての衆生は成仏できる」「これを主張することに、菩薩の行の意味がある」ということ

・法華経は、差異の相よりも、平等の相を、段階的なステージよりも、究極の結論を重視している。法華経は、あらゆる人を成仏当確者にまとめ込む。アバウトで、えらく間口が広い

・法華経のメッセージは、「統一的真理としての一切衆生の成仏のテーゼ」「それを奉じる菩薩としての自覚」「それを保証してくれる久遠のお釈迦様の信仰」の三つにまとめられる

・お釈迦様は絶対の救済者として常に存立している。それを実際に信じて救済の薬を飲むか飲まないかは、私たち人間の自由意思。法華経を信じる者は救済の福音を得る、信じない者は苦界に喘ぐと強調するのは、信者に優しく、離反者に厳しいロジックを感じる

・観音様は最後の最後まで「救ってあげるから安心しなさい」と言い続ける。この観音の約束を「できもしないカラ約束」と捉えるのは自由だが、この観音の姿が、最大限の人間的努力の模型となっている

・宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩句の中に、大乗の救済論の典型が示されている。賢治は、この詩句に続けて「南無妙法蓮華経」のフレーズよりなる日蓮の文字曼荼羅を書き込んでいる

・極楽浄土の阿弥陀仏に自らを任せる法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)、坐禅を組んで直に心を制する禅宗を奉じる栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、法華経のみを救いとする日蓮(日蓮宗)。強烈な人格をリーダーとする宗派が12~13世紀に見られた

・奈良仏教時代以来の古来の仏教修行者は、種々の教派の教えを万遍なく学習するのを理想としていたが、鎌倉期の坊様はポイントを切り詰めて、一点集中型の信仰姿勢を制定した。特に、日蓮は他宗派(浄土、禅、真言、律)では駄目と強硬な排他性を発揮した

・法華経は、「中身がない」「自分のことばかり誉める」「万人救済の思想」「永遠の菩薩道の誘い」「信者がうっとうしい」「信者が狂信的」「宥和の思想」「生命の礼賛」。みな一面の真実を伝えている



今の日本において、法華経を信じる宗派が、かなりの信者を獲得しています。そして、その影響力も大きいように思います。この本を読むと、法華経には、有益性と害悪性、排他性と親和性など、二律背反する一面があるように感じました。

法華経が薬になりそうだと思う人は飲めばいいし、その薬が効かなくなれば、飲むのをやめればいいし、関心がなければ無視すればいいし、本人の自由に付き合っていけばいいのではないでしょうか。


[ 2012/09/15 07:02 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(1)

『ラ・ロシュフコー箴言集』

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)
(1989/12/18)
ラ・ロシュフコー

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ラ・ロシュフコーを紹介するのは、角川文庫の「ラ・ロシュフコー箴言集(吉川浩訳)」に続き、2冊目です。

ラ・ロシュフコーは、ルイ14世後、失脚したフランスの貴族です。小冊子を書いたにすぎないのに、その箴言集は、後に、ニーチェ、トルストイなどに大きな影響を与えることになった人物です。

翻訳者によって、表現の違いが明確にありましたので、今回、岩波文庫で読み直しました。さらに、共感した箇所がありましたので、一部ですが、紹介させていただきます。



・哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし、現在の不幸は哲学を克服する

・もし自分に傲慢さが少しもなければ、他人の傲慢を責めはしないだろう

・我々は希望に従って約束し、怖気に従って約束を果たす

・人々が友情と名付けたものは、単なる付き合い、利益の折り合い親切のやりとりに過ぎない。所詮、それは自己愛が常に何か得をしようと目論んでいる取引でしかない

・知は情にいつもしてやられる

・人から与えられる賛辞にふさわしくありたいと願う気持ちは、我々の徳性を強める。また、頭のよさ、勇気、美しさに与えられる賛辞は、それらを一層豊かにするのに役立つ

・大きな欠点を持つことは、大きな人物にしか許されない

・完全無欠な武勇とは、人間ならやって見せられるであろうことを、誰も見てないところですることである

・感謝には商人の取引と同じようなところがある。それは付き合いを長続きさせる。そして、我々は借りを返すのが正しいからではなく、そうしておけば貸してくれる人がみつけやすくなるから返すのである

・あまりにも急いで恩返ししたがるのは、一種の恩知らずである

・皆が従っている意見に頑固に反対する人は、傲慢のせいからであることが多い。正論の側の上座がふさがっているのを見て、下座につくのは嫌だというわけである

・充分に検討せずに悪と決めつける性急さは、傲慢と怠惰の表われである

・大きな称賛をすでにかち得ている人が、その上なおも自分の偉さを、つまらぬことによって、認めさせようと懸命になるとは、まさにこれ以上の恥さらしはあるまい

・社交界に初登場する人々に寄せられる称賛は、そこで幅をきかせている古顔たちに対する密かな嫉みからくることが多い

・偉大な人物になるためには、自分の運を余す所なく利用する術を知らねばならない

・凡人は、概して、自分の能力を超えることをすべて断罪する

・他人の虚栄心が鼻持ちならないのは、それが我々の虚栄心を傷つけるからである

・我々は、自分の実力以下の職に就けば大物に見える可能性があるが、分に過ぎた職に就くと、しばしば小物に見える

・ふさわしさは、あらゆる掟の中で最もささやかな、そして最もよく守られている掟である

・ちゃんとわかる人にとっては、わけのわからない人たちにわからせようとするよりも、彼らに負けておくほうが骨が折れない

・我々は、自分によくしてくれる人に会うよりも、自分がよくしてやっている人に会うほうが好きである

・人それぞれ、境遇と才能にふさわしい顔がある。その顔をやめてほかの顔をすれば、必ず失敗する。自分にとって自然な顔を心得て、それを置き忘れず、できるだけよい顔にしようと努めなければならない



ちょっと皮肉っぽく、嫌味な言い回しが、気に障ることもありますが、ラ・ロシュフコーは、世間と人間をよく見ています。この見方は、陰謀、権謀術数の数々を体験した現場で培われたものだと思います。

人間とは、いざとなったら、こうなるものだ、こうするものだということが言い表わされている書です。世間を渡っていくのに、何かと役に立つのではないでしょうか。


『人生の教科書』なかにし礼

人生の教科書人生の教科書
(2012/06/27)
なかにし 礼

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本書は、作詞家で直木賞作家のなかにし礼さんの執筆です。なかにし礼さんの作品や著書には、色気が漂うものが多いのに、このタイトルは、武骨で無粋な感じがして、何かあるなと思い、手にとりました。

この本は、ガンを告白された後に書かれた、人生最後の書であり、世への遺言です。本書には、旧満州出身で、生死の淵を歩いてこられた方ならではの人生観が盛り込まれています。その一部を、紹介させていただきます。



・「大人」になんて、なってはならない。なぜなら「大人」とは、インプットをやめた怠慢な人間だからだ。人間の最もみずみずしい時期は、幼児期から少年期にかけて

・成長をやめた大人と成長を続けている者とでは、魂の充実度が違う。周りに溢れる大人たちは、組織の一人であって、「個人」ではない。自立した人格の希薄な、魅力のない人間

魅力的な人間になりたいのであれば、全方位からインプットしようとする少年的なあくなき意欲・意識を持ち続けていくこと

・心の中の悪意をなくすことによって、その人の人格が形成されていく。だから、悪意を排除していく訓練を始めること。芸術作品は、悪意を持って、作り上げることは不可能

・16世紀までは、教会の教えや聖書の内容を大衆はよく理解できなかった。つまり、大衆が教会の言うことを疑わずにいたことが、人間の停滞と非成長の最大の原因だった

・人生のイニシエーションとは、「」と「恋愛」と「読書」。この三つを正しく追求して、真剣に自己の精神を鍛え上げていくことなしに、人の成長はあり得ない

・優れた導き手によって、人は自らも高みへ上っていくことができる

・日本の文化は、すべて、まるで盆栽のようだ。日本人という人間盆栽、日本という国家盆栽。まさに進化するのをやめている状態

・相手を見上げ、小さな存在である自分を見つめ直すことによって、自己の至らない部分を再発見し、恥ずかしいと感じて卑下する。そうすることで、欲望がどんどん消え去る

・自分なんか「生きていること自体が過ち」と思わないと、薄ら厚かましい人間になる

・自殺を考えたくなったときは、遺書を書くこと。遺書は、自分自身を納得させるために書く、自分宛てのものでなければならない

・つまらないかどうかは、本人の価値観でしかないが、「高給」という事実は、他人が与えてくれた評価。それは、客観的な視点での結果だから正しい

目の前に来た事柄に全力を注がなくてはいけない。好きな仕事、嫌いな仕事は関係ない。全力を尽くすことで、人間は計り知れない能力を発揮できる

・若者とは、若いがゆえに何も経験していない。たかが、学校で勉強が少しばかりできたとしても知れたもの。そんな若者が、根拠のないプライドを持ったりすると、保身だらけのどうしようもない人間になってしまう

・人に会ったら、なんとなく褒め、逆に褒められたら褒め返す。これはゴマすりではなく、会話の糸口

・人間は月のような存在。他人に見せている「自分」は、相手に応じて見せる「光輝いている部分」、他のところに行けば、また別の顔をする

・人間は善なる行為をするために生きている。そして、善なる存在であると自分を認めた瞬間、人は何かを成すことができる

・互いの共通の目的を持ち、同じ夢を語れるということが親友と呼べる一つの基準

・「そういうところがよくない」など、言ってもしょうがない。だって、直らないのだから。むしろ、この「直らない」ということが、人間の面白いところ

・「怠慢」「臆病」「無知」というのは、人間の三大欠点

・意思があろうと、意識が高まっていようと、集中する能力がなかったら、何もできない

・「越えれば歓喜になる」ことは、その苦難を与えてくれる人、仕事を与えてくれる人への感謝になる



「人生」「若者へ」「恋愛・結婚」「死」「仕事」「人間関係」の章ごとに、なかにし礼さんの人生観や思いがいっぱい詰まっています。

一つのことを成し遂げた、一人の人間が思うに至った言葉に、もっと耳を傾けるべきではないでしょうか。本書も、人生の一助になる書だと思います。


[ 2012/09/13 07:02 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『「サラ川」傑作選ベストテン』山藤章二、尾藤三柳

「サラ川」傑作選 ベストテン「サラ川」傑作選 ベストテン
(2010/12/07)
山藤 章二、尾藤 三柳 他

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サラリーマン川柳のほぼ20年に渡る傑作選を集めたのが、この本です。時代は少しずつ変わっていますが、働く人の心境はまったく変わっていません。

本書には、1000以上の傑作川柳が収められています。その中から、仕事とお金に関するものを中心に、自分のお気に入りを紹介させていただきます。



・こってない私の肩をなぜ叩く (役立たず)
・貧乏は遺伝するかと子に聞かれ (ネギボーズ)

・「先を読め!」言った先輩リストラに (山悦)
・気をつけろブレる上司とキレる部下 (中間管理職)

・仕事減りごみ出し買い物家事おやじ (働き者)
・嫁さんをもらって炊事をする息子 (育児)

リストラの風は役所を避けて吹く (続老婆の休日)
・株主で無いのに気になる今日の株 (あほうどり)

・定年後まさかの妻の反抗期 (尺取虫)
・金ないと言えば孫まで寄りつかず (ポンタ)

・なぜ出来ぬ出来たらここにいるものか (役立たず)
・正論を吐かぬ聴かぬが出世道 (やぶにらみ)

・自分より駄目なものもいて良い職場 (日高太郎)
転勤地良い所だと皆が言う (Kape Bush)

・一人だけ笑わぬ部下がいる不安 (よみ人知らず)
・ボーナス日ウラをかえせば返済日 (若手役員)

・石の上三年経てば次の石 (さとりきらず)
・会議中うなずく者ほど理解せず (よみ人知らず)

・何故だろう私がいないとうまくいく (かきまぜ棒)
・ほめられて馳走になってとばされる (転勤族)

・さからわずいつも笑顔で従わず (不良OL)
・ようやった‼事情が変わったなぜやった‼ (無責任上司)

・陰ひなたない男ほど影薄い (黒田節)
・リストラや先代達のつけのあと (馬笑)

・「知恵を貸せ」貸したらおしまい「君がやれ」 (口達者)
・「任せた」は「俺は知らん」の丁寧語 (愛亭角衛)

・年金はいらない人が制度決め (元平社員)
遺産分け母を受け取る人がない (遠賀のいなかっぺ)

・少数になって精鋭だけが欠け (凡夫)
・家を買いそれから何も買ってない (三十代後半主婦)

・やめたいと思った頃が懐かしい (父さん)
・うわさの木根も葉もないのに良く育つ (読み人知らず)

・昼食に迷うこと無し我が財布 (500円亭主)
ずる休みしたのに誰も気づかない (存在希薄男)

・簡単に取れる資格で職がなし (茶坊)
・「不惑」とはワクワク感のないことか (青春のしっぽ)

・退職金妻も政府も狙ってる (団塊世代の妻)
・「買っていい?」聞く時すでに買ってある (エレキ猫)

・「空気読め‼」それより部下の気持ち読め‼ (のりちゃん)
・危険予知より難しい機嫌予知 (しんちゃんの父)

・仕事せぬ順に大きくなる机 (五十鈴三号)
・「ストレスか?」聞かれる上司がその原因 (読み人知らず)



思わずクスッと笑ってしまうものばかりです。これらの川柳を面白いという気持ちを持っていれば、人生をめげずに、へこたれずに乗りきっていけそうに思います。

自分を客観視し、自分を笑える人間ほど強い者はないのではないでしょうか。


[ 2012/09/12 07:03 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『お金が「殖えて貯まる」30の大法則』横田濱夫

お金が「殖えて貯まる」30の大法則 (講談社プラスアルファ文庫)お金が「殖えて貯まる」30の大法則 (講談社プラスアルファ文庫)
(2002/11)
横田 濱夫

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横田濱夫さんの著書を紹介するのは、「暮らしてわかった年収100万円生活術」「お金の基礎教育」に次いで、3冊目です。

著者の銀行勤務時代に客と接して培った眼が、この本で如何なく発揮されています。

本書の中で、ためになり、しかも面白かった点を、要約して、紹介させていただきます。



・お金には、二つの楽しみ方がある。一つは、それを遣うこと。もう一つの楽しみ方は、貯まっていく通帳を見ながらニヤニヤする(貯めること自体に楽しみを感じる)こと。一見、嫌な奴に思えるこの楽しみ方は、実際に始めてみると、なかなか快感だったりする

・貯金の額が大きくなればなるほど、「街中の連中たちは、楽しそうに見ても結局は貧乏人、かわいそうに」と、心のゆとりが生まれる。しかし、外見はダサくなり、人からは嫌われ、友達も減り、近所の人達から「守銭奴」と罵られるようになり、人間として問題になる

・友達選びは、ある意味、自分自身の「将来選択」でもある

・なぜ、お金を貯めるかと言えば、将来の自分に「いい思いをさせてあげたい」と思うから。だったら、計画性を持たなくてはダメ。「自分を愛する」というのは、そういうこと

カネのある奴に限って「ない」と言い、ない奴に限って「ある」と言う。それが人間の常というもの

・マネー雑誌は信用しないが、保有金融資産「200万円~1500万円」の層には、ところどころ有効なことも書いてある。また、そこら辺の層を狙って編集された雑誌も多い

・金融資産「1500万円~5000万円」の層は、まさに詐欺師たちのターゲットそのもの。一番騙しやすい層と言える

・品性や品格が備わった金融資産「5000万円~2億円」の層には、「ヘタなサービスや商品を薦めて提供したら、軽蔑されて、出入り禁止になるかも」と、相手は気を締めてかかる。結果として疫病神を追い払う。カネに縁のあるなしの違いは、「品格のあるなし」の違い

・世の中には、ごく稀に「福をもたらしてくれる人」がいる。伸びるチャンスやヒントを授けてくれる「幸福の青い鳥」のような人。ただし、そういう人は得てして、品格のない人間を嫌う。上昇気流に乗るには運も必要。その運を、品格のない人間は、みすみす逃す

・2億円もカネが貯まったら、それだけで十分と思わなければウソ。あとは、カネのことなんか、すっかり忘れていればいい。金融資産「2億円以上」の層で、いい死に方をしたいと思ったら、アコギな金儲けをほどほどにすること

・某泥棒経験者が、通帳や印鑑の探し場所について、「しっかり覆ってあって、外から見えないところ。神棚を除けば、むしろ目線より低い場所。寝室のタンスとか、ベッドの枕元、ベッド周りの非常袋の中も多い」と語っていた

・借金はタイムマシーン。「楽しみの先取り」であると同時に、「苦しみの先送り

・数は少ないけれど、優良な投資信託の見分け方と購入方法は、「広告を打っている時は避ける」「新規設定は避ける」「安定的な残高推移を重視する」「初心者は月々一定額の購入をする」「販売手数料ゼロがいい」「テーマ型は選ばない」ということ

・本当の金持ちは、異常なほど用心深い。ブームだからといって、簡単に飛びつくような奴は、本当の金持ちではない

・本業が九、資産運用が一。注ぎ込む時間も労力も、この比率を守っておかにと、ロクな結果にならない

・金融機関にとって、預金者はカモ、借金する客はもっとカモ。領主(金貸し)は、水呑み百姓(債務者)からギリギリまで年貢(金利)を取り立てる。年貢が金利に置き換わっただけ

・節約とは、「今も将来も、長期にわたって楽しく生きたい」という計画性の表れ

・節約は、高度な知的ゲーム。しかも、その結果が、通帳の残高増加という形で、確実に表れる



著者は、所有金融資産ごと(「200万円未満」「200万円~1500万円未満」「1500万円~5000万円未満」「5000万円~2億円未満」「2億円以上」に5つの層)に、対策を明確に示されています。本来、お金の話は、そうあるべきです。

世の中は、消費するよう(お金を貯めさせないよう)に、コマーシャリズムが氾濫しています。それに耐え忍んだ結果が、貯金高ということになります。

世の評価とは別に、たくさんお金を貯めた人とは、誘惑にも負けない、力強い意思を持つ、立派な人です。でも、その人たちをケチな人と呼ばないと、資本主義が回らなくなってしまいます。この矛盾を認識している人が、お金持ちということなのかもしれません。


[ 2012/09/11 07:03 ] 横田濱夫・本 | TB(0) | CM(0)

『人生の指針が見つかる「座右の銘」1300』別冊宝島編集部

人生の指針が見つかる「座右の銘」1300 (宝島SUGOI文庫)人生の指針が見つかる「座右の銘」1300 (宝島SUGOI文庫)
(2010/11/05)
別冊宝島編集部

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格言集や名言集の類は、結構出版されています。その良否は、選者のレベルによって左右すると思います。

専門的で難解なものや、長文も困りものですが、やはり、選者の経験の深さや教養の高さが必要になるのではないでしょうか。

本書は、古今東西1000人の偉人から、万遍なく言葉を集め、非常によくまとまっています。いい出来栄えの名言集です。1300の中から20ほど、自分の気に入ったものを選んでみました。それらを紹介させていただきます。



・他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいい(岡本太郎)

努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る(井上靖)

・他の富めるをうらやまず、身の貧しさを嘆かず、ただ慎むは貪欲、恐るべきは奢り(小林一茶)

・常識とは、18歳までに蓄えられた偏見の集大成である(アインシュタイン)

・この世に客に来たと思えば何の苦もなし(伊達政宗)

・人生には二つの悲劇がある。一つは心の願いが達せられないこと。もう一つはそれが達せられること(バーナード・ショー)

・誰についてでも良く言う人間を信頼するな(ジョン・チャートン・コリンズ)

・大切なのは、普通の語で非凡なことを言うことである(ショーペンハウアー)

・誰かが嘘をついていると疑うなら、信じたふりをするがよい。そうすると彼は大胆になり、もっとひどい嘘をついて正体を暴露する(ショーペンハウアー)

・怒りにはどこか貴族的なところがある。善い意味においても、悪い意味においても(三木清)

・医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものと見る(ショーペンハウアー)

・青年は教えられるより、刺激されることを欲する(ゲーテ)

・人類が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である(寺山修司)

・他をあざけるものは、同時にまた、他にあざけられることを恐れるものである(芥川龍之介)

・不自然の無邪気さは、洗練された詐欺である(ラ・ロシュフコー)

・人の裕福度は、その人が放ったままにしておける余裕のある物事の数に応じて決まる(ソロー)

・ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない(寺山修司)

・途方もない大きいプライドを、とんでもなくケチな人間が持っている(ヴォルテール)

報酬以上の仕事をしないものは、仕事並みの報酬しか得られない(エルバード・ハバード)

・最大のあやまちは、どんなあやまちを見ても、少しも気づかぬことである(トーマス・カーライル)

・凡ての主義は醜い(中勘助)

・人は二つの方法によって生きる。つまり、社会に従うか、自然に従うかである(ヴィクトル・ユーゴー)

・理性、判断力はゆっくり歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる(ルソー)

・忘れるにまかせるということが、結局最も美しく思い出すということ(川端康成)

・事実というものは存在しない。存在するのは解釈のみである(ニーチェ)



本書1冊は、他の本の100冊分に匹敵する内容が詰まっています。濃縮エキスのような本です。

忙しい方、時間のない方でも、あい間にパラパラめくるだけで、他の本の10冊分の読書量に匹敵するのではないでしょうか。


[ 2012/09/10 07:01 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『無為自然の思想―老荘と道教・仏教』森三樹三郎

無為自然の思想―老荘と道教・仏教無為自然の思想―老荘と道教・仏教
(1992/06)
森 三樹三郎

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著者の森三樹三郎氏は、中国の思想史を研究されていた方です。老荘思想の第一人者でした。すでに、亡くなられて二十五年以上経っています。

老荘思想は、「禅」や「浄土」という日本仏教に大きな影響を与えた思想です。老荘思想は、日本の現代思想の礎となっており、私たちの心の中に深く入り込んでいます。

老荘思想とは何か?無為自然の思想とは何か?それをひも解くのに、本書は最適の本です。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「欲しいものがあるのに、それが得られない」という欲求不満が、人間を不幸に陥れる

・結局、人間が幸福になるためには、物を殖やすという、プラスの方向では、逆効果になるだけ。それよりも、人間の欲望を減らす、あるいは無くすという、マイナスの方向によるのが最も有効になる

・中国の禅宗は、インド伝来の思想と、荘子の思想とが混じり合って、でき上がったもの

・老子の思想というのは、弱者の哲学であり、女性の哲学であると言ってもいい。しかし、同時に、弱者は負けっぱなしになるのではなく、究極において、勝利を占めるものだというのが、老子の強い信念

・荘子は、「人為」の最も根本的なものとして、「人間が物を知ろうとする場合に、物に差別をつける」ことを挙げる。人間は、その価値観においても、善悪美醜といったように、さまざまな価値の差別をする

・荘子の考えるところは、「万物をことごとく然りとし、是を以て相つつむ」(すべてをそのままにしてよしとし、是認の心で包む)。「物と春をなす」(すべての物を春のような暖かい心で包む)

・万物の間には、さまざまな対立や差別があるが、荘子によると、それは、人間の差別観という人為が作り上げたものに過ぎないのであり、自然の世界、ありのままの世界には、一切の対立や差別がなく、すべて均しく、すべてが同一である、とする

・親鸞の最晩年の思想の中心は、「自然法爾」ということにある。それは、「自然必然の法則に従う」という意味

中国のインテリは合理主義で、宗教的には無神論者の傾向が強かったが、民衆のほうは、多神教的で、いろいろな神の存在を信じ、まじないや祈祷を好む傾向が強かった

・「インテリは儒教、民衆の宗教は道教」という分極化が行われ、全体としての二重構造は安定していた

・儒教は人間の「道徳的な要求」に答えるものであるが、人間の「幸福に対する要求」には、はなはだ不十分にしか答えることができない。それが「儒教的人生観の欠陥」

・儒教が幸福の問題を解決できなかったのは、もっぱら「現世」だけしか考えなかったためであり、仏教のように「三世」を考えれば、この問題は容易に解決できた

・元来、中国人というのは、理論とか理屈とかいった論理的に、綿密に述べるというのが苦手であり、嫌。それよりも、真理を直観的につかんで、ズバリというのが大変好きであり、得意でもある

・禅宗は、仏教の複雑な教義を坐禅という「」に圧縮したものであり、浄土教は、阿弥陀仏に対する「」に圧縮した仏教。この簡易直さいが、中国人の体質に合っていたために、禅と浄土とが、宋代以後まで生き残った最大の理由

・日常の生活に追われている農民や、商業に従事している庶民に向かって「坐禅せよ」と難しいことを言っても、それは無理。従って、中国でも、日本でも、禅宗は、どうしても支配階級知識階級に限られ、大衆化しなかった

・宇治黄檗山の万福寺を江戸時代初期に開いた隠元禅師は、相手が禅のわかる人ならば、もちろん禅を説くけれども、禅のわからない機根の劣った人に対しては、念仏を勧めた。これはいわゆる応病与薬というもの

・中国人は放っておくと、両辺倒になる。過去に支配者がクルクル変わり、その言うこともその度に変わる。したがって、「一つの原理を絶対化しない」ということが、本能的態度になっている。だから、毛沢東は「一辺倒たれ」という教訓をした



老荘思想と仏教、道教は、やがて進化して、「禅」と「念仏」「阿弥陀信仰」になりました。このように、専門化・簡略化されてしまった、今の日本の仏教のもとを探ると、本来の仏教の姿が見えてきます。

本書を読むと、日本人全体に根づいている思想や考え方を知ることができ、変わらないこと、変えられないことが、よくわかるのではないでしょうか。


[ 2012/09/08 07:03 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『人口論』マルサス

人口論 (光文社古典新訳文庫)人口論 (光文社古典新訳文庫)
(2011/07/12)
マルサス

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人口論は、マルサスが1700年代後半に書いたものです。イギリス人のマルサスは、フランス革命の原因となった貧困や退廃が、人口によるものと考えました。マルサスの人口論は、後に、マルクスの資本論における批評対象となり、大きな影響を与えました。

遅ればせながら、古典的名著であるマルサスの人口論を初めて読んでみました。時代や国の違いはあれども、現代の日本にも通じるところがあります。その一部を紹介させていただきます。



・金持ちはすぐに連帯するのに、貧乏人は連帯が苦手という原因のせいで、賃金が上がって当然のときにも上がらない。あるいは、さらに長期間抑え続けられる

・貧困は、不平等な社会においては、人口の大部分に、そして平等な社会においては、人口の全体に及ぶ

・近代では、将来の不安ゆえに当然なされる人口抑制も、先々のことを考えない無謀で野蛮な人の間では、ほとんどなされない

・人に依存せざるをえないような貧困は恥と考えるべき。こうした厳しさこそが、人類の大多数の幸福を促進するためには絶対に必要

・独立して家族を養える見込みがほとんどないのに、救貧法のおかげで、教区での食糧配給をあてにして、結婚する男たちがいる。彼らは、子供たちに不幸と依存心をもたらすばかりでなく、彼らの労働者仲間全体に害を及ぼす

人口増加の抑制原因は、女性への不道徳な習慣、大きな都市、不健康な製造業、奢侈、伝染病、戦争など、貧困と悪徳に分けられる。これらの原因が取り除かれると、人口の急増が必ず起こる。人口増加の速さは、民衆の幸福と純真を判断する上での最適の基準

・人口が昔より今のほうが少ないとすれば、それは、民衆を苦しめる暴政と抑圧、および、その結果としての農業の不振のせいである。大地震のような天変地異でも、住民の勤労精神が消えないかぎり、その国の平均人口に与える影響はごくわずか

・その国の幸福度は、食物分配の気前よさ、あるいは、一日の労働で購入できる食物の量によって決まる

・人間を堕落させる二大原因は、貧困過度の富

・国家も個人と同様、倹約によって富み、浪費によって貧しくなるから、倹約家は国の味方、浪費家は国の敵である

・人口が停滞ないし減少しているときには、たとえその国の工業製品の面での豊かさが増進していても、その労働の賃金に充てられる有効な資金が増大しているはずがない

・国が豊かになるには、まず土地の耕作の高度化があり、そして製造業の発展、その後に外国貿易が続く。それが自然の順序

・快楽の追求よりも、苦痛を避ける努力のほうが、人生における活動にとって、大きな刺激となる。害を避け、利を求めるのが、人間の大切な義務であり、仕事である

・人間の正しい方向での努力が報われることが、期待できなくなれば、人間の欲求すら、人間のがんばりを刺激しなくなる

・極端な貧乏も、極端な金持ちもよくない。社会の中間層こそが、知性の改善のための最良のポジション

・社会から貧乏人と金持ちがなくなることは期待できないが、社会の両端の階層の人口を減らし、中間層の人数を増やすような社会統治の方法を採用するのが、われわれの義務である

・人間が社会において上に昇る希望も持てず、下に落ちる恐怖も覚えなかったならば、また、努力しても報われず、怠けても罰せられなかったらば、中間層は存在しない

・われわれは自活するため、あるいは家族を養うためにがんばらねばならないが、まさに、その努力が自分の能力を開花させる。努力することがなければ、能力はずっと眠ったまま

・この世に悪が存在するのは、絶望を生むためではない。われわれは、それを耐え忍ぶのではなく、それをなくすために努力しなければならない


救済ではなく、努力や希望によって貧乏な人を減らしていく政策。堕落や退廃を生む要因となる大金持ちを減らしていく政策。中間層の人口を膨らませる政策。これらの重要性を、マルサスは、すでに、1700年代の後半に説いています。

日本も、そうなりかけていたのが、今では、また逆戻りしてしまった感じがします。みんなが幸福を感じる最大公約数の形の追求を怠ってはいけないのかもしれません。


[ 2012/09/07 07:02 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)