とは学

「・・・とは」の哲学

『時代の風音』堀田善衛、宮崎駿、司馬遼太郎

時代の風音 (朝日文芸文庫)時代の風音 (朝日文芸文庫)
(1997/02)
堀田 善衛、宮崎 駿 他

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この本は、1991年~1992年の対談がもとになっています。宮崎駿さんが「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」を製作した後、「紅の豚」を製作しようとしている時期です。

宮崎駿さんが、芥川賞作家の堀田善衛さんと司馬遼太郎さんの大ファンということで実現した対談です。司馬遼太郎さんも宮崎アニメのファンで、作品をよく見られており、映画の話もこの本の中によく出てきます。

本書での宮崎駿さんは控え目です。司馬遼太郎さんの世界の歴史に関するうんちくや堀田善衛さんのスペイン在住10年の経験に圧倒されるばかりで、ほとんど発言されていません。

でも、三人が醸し出す世界は魅力あふれる不思議なものです。新たな発見もたくさんありました。それらを一部ですが、要約して、紹介させていただきます。



貢をとる官僚や貴族は偉い、あとの大多数はロシア農奴。この図式はロマノフ王朝になっても変わらず、今その図式が消えたが、ロシア人には、商品経済の記憶がない(司馬)

・困ったことに、征服そのものが中国の歴史の実体。漢族、蒙古族、満州族などの交替征服が歴史を形成している。海外へ華僑として、難民として、大量に出ていった時期を調べると、交替征服の時期と一致している(堀田)

・中国は、どんなに政治が悪くても食える。それは、いろいろな食料品屋や商人がいて、古来、実務家の国だから。それが、ロシアにはない(司馬)

・二、三百年前、インドネシアの山の部落の人々が、商いのためにマラッカ海峡まできて、イスラム教に接して、これが普遍的だと思い、イスラム教徒になった。そして、イスラムから来た商人と商取引をする。互いに安心できるから、この宗教が広まった(司馬)

・電波の発展は、マルクスの予想外。電波によって、大衆がリアルタイムで自他を捉えることができるようになり、政治どころか人心を地滑りのように動かしたことを、後世の歴史家は20世紀の特徴として挙げると思われる(司馬)

・日本の室町時代に、朝鮮では李朝が興り、明治の終りに滅びるが、李朝はネーションであって、ステートとは言えない。科挙試験によって採用された官僚たちは、商業をなるべく興さないという単純な、古代的儒教国家であることを20世紀の初めまで続けた(司馬)

・イタリアは自由そのもの。何事にも裏があるということが公認されている(堀田)

・歴史的にみて、請負制の国は没落し、サラリー制の国は成功する。だから、カトリックとラテンが、世界史から後退している。サラリー制には義務という考えが必要(司馬)

・日本、東アジアは子供を主人公にして、子供が活躍する物語が好き。力も技も大人と対等。「大人と戦って、子供が勝てるわけがない」とヨーロッパ人には納得できない(宮崎)

・戦争中、越前の兵隊たちは、いざ突撃ということになったら、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えて、敵に突き進んでいった。これは、軍国体制のスタイルを超えて、古くからのスタイルで突撃したことになる(司馬)

・日本の陸軍が年功序列のまま戦争をやっていたことを知ったとき、本当に驚いた(宮崎)

・鎌倉武士の基本であった、日本人の「名こそ惜しけれ」という意識は、この一言で、西洋の倫理体系に対決できる(司馬)

・朱子学というのは空理空論。極端な自己賛美主義でもある。李朝の五百年間、朝鮮はその弊害を受けた(司馬)

・オランダ人が大きくなったのは、インドネシアを植民地にした19世紀になって、たくさん食べられるようになったから(司馬)

・ヨーロッパ人が、なんとかお腹いっぱいに食べられるようになったのは、ジャガイモのおかげ。かつてのヨーロッパの食生活のひどさは、日本で考えられないほど(堀田)

・中国史では、大土木工事をおこした王朝はつぶれる。秦の始皇帝の万里の長城、隋の煬帝の大運河など、それをするためにはすごい労働力が必要。つまり、権力が要る(司馬)

・ひと山、木を切りつくしても、鉄は数トンしかできない。韓国は表土が浅く、そのまま岩山になった。それで、製鉄技術者たちが、出雲に来たと思われる。韓国では、秀吉が木を切ったという認識。韓国は事実よりも非事実を混ぜる。秀吉のせいにしてはだめ(司馬)



本書のあとがきに、宮崎駿さんが、「司馬さんが、『人間は度し難い』と言われたのが忘れられない」とおっしゃっています。

「人間は度し難い」という言葉には、自然の摂理とは違って、人間の心の中を推し量るのは難しいという意味が含まれています。日本の歴史に残るような人をしても、人間は度し難いものかもしれません。


[ 2012/08/31 07:03 ] 司馬遼太郎・本 | TB(0) | CM(0)

『愛、生きる喜び―愛と人生についての197の断章』辻邦生

愛、生きる喜び―愛と人生についての197の断章愛、生きる喜び―愛と人生についての197の断章
(1996/03)
辻 邦生

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辻邦生氏の著書を紹介するのは、「人間が幸福であること」に次ぎ、2冊目です。小説・戯曲・随筆・評論など活躍が多岐にわたる方でした。

本書は、辻邦生氏の知性を断片的に集めた書です。愛・人生・読書に対する記述が収められています。それらを要約して、一部を紹介させていただきます。



・自分を捨てるだけでも強いけれど、本当に強くなれるのは、誰かを愛するとき。愛して、その人のための犠牲になれるとき。そのとき、その犠牲も喜びでしかない

・動いている時間を停っていると感じるのは、人が深い悲しみに包まれるときだと思う

・人間の条件が不毛であればあるほど、人間は精神の豊かさへ自らを高める。それは、死と病気が精神を鋭くするのと同じ理由。安楽な土地は人間を物の中に埋めてしまう。人間を動物にする

ブルジョアというのは、いつもサーカスに喝采はするが、その中に飛び込むことのできない人たち。それが、あの人たちの卑しさ

・人を笑わすのが好きだ。動いているものは快活だから。生命は快活で、朗らかな笑いは、それを象徴している

・生のエネルギーがあふれて外に出るのが、本来の笑い。例えば、赤ん坊が笑うとき、気持ちのよさ、楽しさ、嬉しさを表現している。知性のこわばりが取れたとき、笑いが生まれる

・「なまの自分」と「社会的自分」とは異なる。そうした職分の上に生きている。日本では、すぐ「なまの状態」になりたがる。そして、そうした甘えた態度で、他者がしかるべく解釈してくれることを期待する

・「好き」であることこそが、眠っているエネルギーを、全開して、引き出してくれる。それは、人についても、仕事についても、同じ

・「好き」は世界を狭くする。一つのことに集中するから。しかし、その一つのことが、私たちを護ってくれる。「好き」なことがなく、やたらに世界を広くすれば、退屈によって罰せられることになる

・狭い見聞と経験ゆえに純情でいられるのと、多くの苦い経験の揚句、再び見出した純粋な心情とは、一見同じように思われながら、全く異なるもの

・人間は、放置すれば、野蛮に帰る。絶えざる陶冶だけが人間を辛うじて人間にふさわしい状態にとどめている。したがって、人間が自己陶冶の意志も基準も失い、ただ財貨を集め、日々の欲求を満たすだけの存在となれば、容易に、人間以下の状態に転落する

・こわばった、いつもの仕事に夢中になり、それ以外のことを無価値と見る見方こそが、詩の最大の敵。好きだから夢中でやっているので、嫌いなものはやらなくてもよく、その結果がどうなっても、それはそれでよく、それもやはり人生

・日常生活から離れることは、時間を離れること

・ゲーテは、「人生の一切の快適さの源は、外的事物の規則正しい繰り返しにある。すなわち、昼と夜、季節、花と果実、その他時期によってわれわれを迎えるものの交替にある」と言っている

・テレビを見るのと、本を読むのとは別々のこと。テレビは私たちを自分の外へ引き出すが、読書は自分の中に引き戻す

・一度読む楽しさを知った人は、あとは放っておいても、読書の本能ともいうべきものによって、自分にぴったりの本を求めていくもの

・辞書の中に眠る無数の言葉の中を歩くことは、現実の世界を旅してまわる以上に、豊かな経験を与えてくれる

・生活を健全に保つこと、悪しき浪漫性に冒されぬこと、そして万象のすばらしさに心をときめかすこと、それが詩的高揚を保つ唯一の秘訣

・私たちの努力は、物質次元での目的達成によって、生の意味を失う。生とは、幸福の価値を問う仕方(貧困、病苦、死、疎外、悪への関わり方)の中に、すでに同時的に取りあげられていなければならない問題



最後に、著者は、「人間とは何か」「人間は何のために生きるか」という問いかけに答えは見つからない。探求の旅はまだ終わらない。終わらないからこそ、問いかける意味があると、述べられています。

つまり、探求することこそ人生であると考えられています。ということは、探求するものを持てる人が幸せになれるということなのかもしれません。


[ 2012/08/30 07:01 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『子どものための世の中を生き抜く50のルール』チャールズ・J. サイクス

子どものための世の中を生き抜く50のルール子どものための世の中を生き抜く50のルール
(2011/02)
チャールズ・J. サイクス

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著者のチャールズ・J・サイクス氏は、アメリカのコラムニストです。新聞やテレビ・ラジオで活躍されている方です。

本書は、甘やかされて育ったアメリカの子どもたちが増えてきていることに警告を発し、子供のうちから、親として教えておくべき人生の現実を綴ったものです。

子育てに困る親の姿は、日本と瓜二つです。この「現代の子育て論」は、万国共通に参考になるように思います。要約して、その一部を紹介させていただきます。



・「ひとりの人間からどれだけのものを奪おうとも、最後まで奪えないものがある。それは、どんな状況に置かれても、自分がとるべき態度、とるべき道を自ら選ぶ自由」(フランクル)

・「非現実的な希望と、未熟な自己主張と、根拠のない過大な自己満足を身につけて育ってきたのが、いまの若い世代」(ロイ・F・バウマイスター)

・自分を過大評価している者は、他者を疎外しがち

・「幸せな人と呼べるのは、自分の幸福以外のことに気持ちを注いでいる人だけ」(ジョン・スチュアート・ミル)

・批評家たちは、「ねたみ」を高潔な感情として、また「恨み」を公正さを求める熱意として飾り立てる

・「自尊心は人生の成功にはつながらない。自己鍛練自制心こそが、成功のカギとなる」(ロイ・F・バウマイスター)

・自立する唯一の方法は職につくこと。それは、汚れたり、嫌な臭いがつく仕事かもしれない。しかし、仕事の種類は、人としての価値を低めたりはしない。怠け者他人に頼っていることのほうが、ずっと恥ずかしい

・マクドナルドの仕事を経験した者のほとんどが、よりよい職につくためのスキルを身につけている。マクドナルドは仕事の基礎を身につけさせる、事実上の職業訓練プログラムとして機能している

怒りを克服すること。他人は君たちを困らせ、うんざりさせ、怒らせ、憤慨させ、イライラさせる存在である

・愛とは単なる感情ではなく、行動を伴うもの。気持ちがあるかどうかは問題ではない。何をするかが問題である

・「良心とは、訪ねてきて居座る義理の母」「良心とは誰かが見ていると警告する内なる声」(H・L・メンケン)

・迷惑な相手にも礼儀正しく接し、間抜けな相手とも笑顔で握手し、気に入らないプレゼントにも感謝のふりをし、退屈な話やくだらない冗談にも興味あるように反応する。これらはいずれも、よいマナー。偽善ではなく、洗練された大人の行動

・大企業の経営者の調査では、ウエイター、秘書、保険外交員などに接するときの態度がその人物を知るための信頼できる評価基準になると全員が答えた。目上の者には礼儀正しく、目下の者には、横柄な態度をとる人物は、すぐれた人物ではないということ

・「人生の勝者は常に、自分ならできる、自分はこうする、自分はこうだというふうに考える。一方、人生の敗者は、自分にはできない、こうしていたら、こうすべきだったという考えにとりつかれている」(デニス・ウエイトリー)

・敗者は、都合よく自分を正当化できる考え(敗者の哲学)を受け入れ、勝利に導く価値観を否定する方法をずる賢く見つけ出す

・考えること(合理的思考)を忘れた人たちは、無防備な状態に陥り、そのときの風潮や流行に流され、次から次へと、無意味な旗印を追いかける

・「最後には、人は、自分が生きる意味を問うのではなく、生きることで自分が何を期待されているのかを問わなければならない。そして、生きることに責任を持つことによってのみ、その問いに答えることができる」(フランクル)

・「人生は不公平だ。それに慣れるしかない」「実社会は、自尊心など気にかけてくれない」「学校の先生より、将来の上司はもっと厳しい」「ハンバーガーショップで働くのは恥ずかしいことではない」



本書は、子供たちへの説教であり、親たちへの警告です。これを「うるさい!」「偉そうに・・・」ととるか、「叱咤激励」ととるかは、その人の心の土壌によって変わります。

アメリカも子育てや教育に相当悩んでいるように感じました。その中から出てきた言葉の数々に、耳を傾けるべきものがあるのではないでしょうか。


[ 2012/08/29 07:01 ] 育成の本 | TB(0) | CM(2)

『この世でいちばん大事な「カネ」の話』西原理恵子

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)
(2011/06/23)
西原 理恵子

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西原理恵子さんのカネの話には、お金を、汚いものとしてでもなく、愛すべきものとしてでもなく、そこに存在しているものとして、人生に生かしていこうという視点を感じます。まさに、この「お金学」の視点と一致するところです。

本書には、西原さんのカネ哲学が満載です。役に立つだけでなく、しっとり心に残る部分も多いのが特徴です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・お金に余裕がないと、日常のささいなことが全部衝突のタネになる

・カネが「ある」ケンカは、「ない」ケンカより、百倍も二百倍もマシ。カネがないケンカは、ののしるほうも、ののしられるほうも、いじましくって、やりきれない

・貧しさは、人から、人並みの暮らしとか、子供にちゃんと教育を受けさせる権利とか、いろいろなものを奪う。それで、お金がないと、大人の中に、やり場のない怒りがどんどん溜まり、その怒りの矛先は、弱い方に向かい、子供が理不尽な暴力の被害者となる

・「貧しさ」は連鎖する。それと一緒に埋められない「さびしさ」も連鎖していく。ループを断ち切れないまま、親と同じものを、次の世代の子供たちも背負っていく

・女の子たちは、いい目が見られる若いうちに、町から出ていく。いつの時代も「カワイイ」は女の子が世の中と渡り合うときの有効な武器

・人は将来に希望が見えなくなると、自分のことを大事にしてあげることさえできなくなる。やぶれかぶれで刹那的な楽しさを追い求めるうち、モラルをなくしていく

・絵の技術は上達したとは言えなかったけれど、自分の絵を客観的に見る力を養ったことは、そこから道を切り開くために、すごく大きなことだった

・「どうしたら夢がかなうか」ではなくて、「どうしたら稼げるか」と考えてみると、必ず、次の一手が見えてくるもの

・大人って、自分が働いて得た「カネ」で、一つ一つの自由を買っている

・私の生い立ちは、私に、決して振り返らない力をくれた

・笑ってもらうためには、「こんな悲惨な目にあいました」というほうがオイシイ。「痛いはダイヤモンド」。それは、私に限らず、お笑いの仕事をしている人間の「お約束」

・印税が入るようになっても、相変わらず千円、二千円というお金に一喜一憂する。そういう自分を「ちっちゃい」と思うが、自分の生活水準に結びついたカネの実感があるからこそ、ギャンブルや投資をしても、食い詰めるまでの失敗をしないですんでいる

・手で触ることのできない「カネ」、紙の上の数字みたいに見える「カネ」には、「お金を借りる」という感覚まで麻痺させられる。そういう「カネを貸したい側」の戦略に、まんまと乗せられないよう、用心しないといけない

・損したくないことばかり考えていると、人はずるくなる。少しでも人より得しようと思うから、「だったらズルしちゃえ」という気持ちが出てしまう。それが、どんどん卑しい気持ちに結びついてしまう

お金との接し方は、人との接し方に反映する。つまり、お金は「人間関係」のこと

・小学生の息子に、「アルバイト世界放浪は、必修科目」と、今のうちから言ってある

・親以外の、外の世界で出会った大人から怒られたり、叱られたりするのは、すごく大事

・給料が高い仕事は、「ガマン料」が高い。「ラクして儲かる」仕事なんて、まずない

・「男子におごられて当たり前」という延長に、「左うちわな将来」を思い描いているとしたら、「いざ(旦那が)失業」「いざ離婚」となったとき、どうやって生きていくのか

・人の気持ちとカネをあてにするというのは、「自分なりの次の一手」を打ち続けることを自ら手放してしまうこと

・「カネとストレス」「カネとやりがい」の真ん中に、自分にとっての「バランス」がいいところを探す

・自分が稼いだこの「カネ」は、誰かに喜んでもらえたことの報酬



西原さんの文章には、貧困や心労から脱出してきた体験にもとづく本質的な部分があります。

特に、カネに関する記述は、お金と真剣に向き合って生きてきた著者の誇りのようなものを感じました。


[ 2012/08/28 07:01 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『家郷の訓』宮本常一

家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)
(1984/07/16)
宮本 常一

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宮本常一氏は、柳田國男氏と並び称せられる民族学者です。柳田國男氏が表の世界なら、宮本常一氏は、裏の世界を歩んだ方です。昭和の時代、全国の民家に1000軒以上宿泊し、膨大な資料を集めてこられました。

本書は、宮本常一氏の初期の作品(昭和18年)です。自分の生い立ち(瀬戸内海の大島出身)を振り返りながら、どのような家の訓え村の訓えを受けてきたかを克明に記したものです。幕末から戦前の教育の変遷を知ることもできます。

興味深く思えた箇所が数多くありました。これらの中から「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・村には「金はコヤライ(子育て)の間でなければたまるものではない」という諺があった。これはコヤライの時代が、人間は一番生気もあり、覇気もある時で、子供が大きくなった頃には、親は既に老いて、産を興そうなどという意気も体力もなくなるという意味

・宿に困っている人に宿を貸すことを、「神仏を拝むのも、人に功徳を施すのも一つだと思いまして」と村の人は言う。自分の息子も旅でお世話になっているやら分からぬので、困っている他人をおろそかには出来ないとのこと

・郵便局が村内にできるまでは、貯蓄形式はすべてタノモシによった。田畑とタノモシの掛金がその家の財産の大半だったから、家の資産の程がほぼ分かった。タノモシは貧窮を救うものだが、酒食も出ることで、大切な交際となり、お互い団結することが多かった

・娯楽は、都会人にとっては、個々が楽しむことのように考えているが、村にあっては、自らが個々でないことを意識し、村人として大勢と共にあることを意識するもの。共通の感情を持っていることを確かめ得て意を強くした

・子供を躾けるのは女親。子供を嫌がらせずによく働かせる親が甲斐性ものと言われた。仕事は、どんなに拙くてもよかった。母親は、最初はただ一生懸命に倦かずにやることを要求した

・笑われるというのは、村に住むものにとって、最も大きな恥であった。「貧乏しても笑われるようなことはしなかった」が母親の口癖。笑いものの種になるのは、仕事に不熱心であることが第一であった

・子を立派に躾け得ないものはよく笑われたが、この掟が破られるのは、遠方婚が盛んになってきてから。元来、結婚は村内か、遠くて一里内外の範囲で行われたが、大正初期から、都会の女を迎えて、妻にする者が多くなってきた

・幸福とは何かということを本能的によくわかっていた。それは、何よりも人並みに暮らすということであった。人並みのことをするということは、村で生活することの第一の条件であった。人並みのことさえできないことは、何よりの恥辱に思われた

・「ショウネ(性根)のすわっていない者くらいショシャ(所作)の悪いものはない」と父はよく言っていた。そして「男は仕事に惚れなくてはいかん」とも言われた

・「どんなにつまらんと思うものでも、それの値打ちが本当に見えんと百姓はできん」「田畑へ出ていきなり仕事をし始めるような百姓ではだめだ。一通り田畑のほとりをまわって見て仕事にかかるもの」。わずかの田畑を耕す小百姓の父でも、よく心得ていた

・父が私の出郷に際して言いきかせ、書きとめさせた言葉は、
1.「三十まではお前の意志通りにさせる。しかし、三十になったら親のあることを思え。また困った時や病気の時はいつでも親の所に戻ってこい。いつでも待っている
2.「酒や煙草は三十までのむな。三十すぎたら好きなようにせよ」
3.「金は儲けるのは易い、使うのが難しいものだ」
4.「身をいたわれ、同時に人もいたわれ
5.「自分の正しいと思うことを行え
これによって、私のかどでがなされた。この言葉の中に含まれているものは、新しい意志である

・柔弱な若者に対しては、娘たちはいつも辛辣であった。皮肉をあびせかけたり、あだ名をつけたり、遊びに行くと散々に冷やかすので近寄れない。そうして女たちは男を評価した。このため、若い男たちは、男らしさ勤勉さ優しさを持たねばならなかった

・共に喜び共に泣き得る人たちを持つことを生活の理想とし、幸福と考えていた中へ、明治大正の立身出世主義が大きく入ってくる。心の豊かなることを幸福とする考え方から、他人よりも高い地位、栄誉、財などを得る生活をもって、幸福と考えるようになってきた


この本には、みんなが幸福になるための教育、みんながうまく暮らしていくための教育が、記されているように思いました。

また、島内という閉鎖空間で長年培ってきたものが、国家の道徳という掟に、壊されていく過程も、本書には記述されています。

何が幸福か、何が教育かを知る上で、戦前の村人たちが培っていたものを、もう一度見直していくことも大切なことではないでしょうか。


[ 2012/08/27 07:03 ] 商いの本 | TB(0) | CM(0)

『新装版画文集・炭鉱に生きる・地の底の人生記録』山本作兵衛

新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録
(2011/07/29)
山本 作兵衛

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昨年秋、NHK日曜美術館で特集していた山本作兵衛さんの作品に衝撃を受けました。ユネスコ世界記憶遺産に日本で初めてなった「炭鉱の記録画」は、決して上手な絵ではありませんが、執念のようなものを感じました。

福岡県田川市の石炭・歴史博物館のページで、世界記憶遺産となった「山本作兵衛さんの585点の作品」を見ることができます。

この作品は、絵だけでなく、文章も、資本主義の勃興期の記録として貴重なものです。本書には、絵とともに、文章が詳しく掲載されています。それらの一部を紹介させていただきます。



・一度足を踏み込んだが最後、容易に足を抜きとれず、あがけばあがくほど、ますます深みにはまりこんでいく、泥沼のような世界が炭鉱

・明日の命も知れない坑内下りだから、自ずと気が荒み、刹那的になるのもやむを得ない。太く短く生きるのが本望と口にし、独身者の多くは、酒とバクチに身をもち崩していた

・炭鉱の風呂は、職工用は一坪、坑夫用も一坪、特殊風呂は半坪ぐらいだったが、いずれも男女混浴で、水も坑内水で、煮つめた味噌汁みたいな汚さだった。一番狭い特殊風呂は、今でいう部落出身の坑夫風呂だった

・明治から大正にかけて、ヤマ人の生活苦を大きくしたのが、切符制度(現金支給されずに、炭鉱でしか使えない私製紙幣が支給され、両替しようとすると、三割以上の目銭を差し引くのが当たり前)であった。事業主にとっては、現金調達の苦労がなくて便利なもの

・切符の信用がなければないだけ、高率の目銭をとって私腹を肥やす吸血鬼がはびこる。持てる者は坐して蓄え、持たざる者は汗してむなしの素寒貧(すかんぴん)、坑夫は年中借金と高利に追いまくられていた

・現金を握れない坑夫たちは、否が応でも切符の通用する炭鉱直営の売勘場や指定商店から買い物するほかなかった。この売勘場の商品は市価より高いが、文句も言えず、いい値のまま買わされた。日々の生活と仕事に必要な物品の販売は禁制され、事実上の強制販売

・坑口の繰込場、取締員詰所の開坑場などが、みせしめ場で、残酷な処刑をする地獄の裁判所だった。中をのぞくと、後ろ手に縛りあげられた坑夫が天井の梁から吊り下げられて、太い桜の杖で殴られていた。そんな拷問ぶりを、私たち少年は面白半分に眺めていた

まっ白い米の飯のあばれ食いさえできれば、少々の圧制ぐらい屁でもなかった。ところが、米の飯はなかなか食わせてくれない。そこで平素の積もりに積もった不平不満が爆発して、刃釜合戦(夏のヤマの米騒動)が起きる。これが大正7年(1918年)

・米騒動の嵐も静まった大正7年秋は、未曾有の石炭景気となり、炭塊か金塊かと称されるほどの有様だった。こうなると、人間は現金なもので、たちまち贅沢に流れ、鰯や鯖はなま臭くて食えない。うちは鯛に決めているなどと、見栄を張る者が多くなった

・当時の採炭夫は、朝2時から3時に起きて入坑し、10時間~12時間も働くのが当たり前だった。疲れたり、病気になったりで、せめて一日骨休みしたいと思っても、役人や人繰りが、大きな木刀を片手に一軒一軒回り、出稼の督励をする。まるで奴隷にほかならない

・坑内では、男も女も、仕事をしながらいつも歌を歌っていた。今はもう坑内歌を歌える人がわずかになった。炭鉱で働いた人間は、むりがたたり、みんな早死にしてしまうから

・一番ひどかったのは女坑夫。坑内に下がれば後山として、短い腰巻き一つで、スラを曳き、セナを担い、命がけの重労働だった。真っ黒になって家に帰れば、炊事、洗濯、乳飲み子の世話など、主婦としての仕事が山ほど待ち構えていた

・明治末期、採炭夫の一日(12時間以上)の労働で、稼ぎ高は70銭から80銭。それから勘引(検炭係の勘量)で、2割~3割引かれる。さらに、ツルハシの焼きなおし代、カンテラの油代、ワラジ代が差引される。残りは、せいぜい40銭あまり

・昭和6年の法令で女子の入坑は禁止された。これによって、女は暗闇の中の労働から解放されたが、男一人の稼ぎだけに頼らねばならなくなり、家計の苦しみは深刻となった

・昔の坑内では、馬がよく働いていた。少量の麦と藁と糠を与え水さえ飲ましておけば、文句も言わずに働く。条件の悪いところで働かされた馬の中には、死ぬ馬も多かった

・第二次大戦中、坑夫は次々に戦争に出ていき、深刻な人手不足になった。中小炭鉱では、女の坑夫が入坑し、命を落とす者もあった。産業戦士の掛け声に徴用された独身坑夫の中には、逃走する者が続出したが、見せしめとして、太鼓のように激しく叩かれていた



これらの文章と絵が一体となって、当時の坑内の様子を585場面、一目瞭然にした、山本作兵衛さんの執念には、頭が下がる思いです。

つい百年近く前の日本で、このような強制労働があったことに驚きました。これらの労働に携わらざるを得なかった人たちのおかげで、今日があることを想起させてくれる貴重な書です。でも、実に重たい書です。


[ 2012/08/25 07:01 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)