とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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『時代の風音』堀田善衛、宮崎駿、司馬遼太郎

時代の風音 (朝日文芸文庫)時代の風音 (朝日文芸文庫)
(1997/02)
堀田 善衛、宮崎 駿 他

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この本は、1991年~1992年の対談がもとになっています。宮崎駿さんが「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」を製作した後、「紅の豚」を製作しようとしている時期です。

宮崎駿さんが、芥川賞作家の堀田善衛さんと司馬遼太郎さんの大ファンということで実現した対談です。司馬遼太郎さんも宮崎アニメのファンで、作品をよく見られており、映画の話もこの本の中によく出てきます。

本書での宮崎駿さんは控え目です。司馬遼太郎さんの世界の歴史に関するうんちくや堀田善衛さんのスペイン在住10年の経験に圧倒されるばかりで、ほとんど発言されていません。

でも、三人が醸し出す世界は魅力あふれる不思議なものです。新たな発見もたくさんありました。それらを一部ですが、要約して、紹介させていただきます。



貢をとる官僚や貴族は偉い、あとの大多数はロシア農奴。この図式はロマノフ王朝になっても変わらず、今その図式が消えたが、ロシア人には、商品経済の記憶がない(司馬)

・困ったことに、征服そのものが中国の歴史の実体。漢族、蒙古族、満州族などの交替征服が歴史を形成している。海外へ華僑として、難民として、大量に出ていった時期を調べると、交替征服の時期と一致している(堀田)

・中国は、どんなに政治が悪くても食える。それは、いろいろな食料品屋や商人がいて、古来、実務家の国だから。それが、ロシアにはない(司馬)

・二、三百年前、インドネシアの山の部落の人々が、商いのためにマラッカ海峡まできて、イスラム教に接して、これが普遍的だと思い、イスラム教徒になった。そして、イスラムから来た商人と商取引をする。互いに安心できるから、この宗教が広まった(司馬)

・電波の発展は、マルクスの予想外。電波によって、大衆がリアルタイムで自他を捉えることができるようになり、政治どころか人心を地滑りのように動かしたことを、後世の歴史家は20世紀の特徴として挙げると思われる(司馬)

・日本の室町時代に、朝鮮では李朝が興り、明治の終りに滅びるが、李朝はネーションであって、ステートとは言えない。科挙試験によって採用された官僚たちは、商業をなるべく興さないという単純な、古代的儒教国家であることを20世紀の初めまで続けた(司馬)

・イタリアは自由そのもの。何事にも裏があるということが公認されている(堀田)

・歴史的にみて、請負制の国は没落し、サラリー制の国は成功する。だから、カトリックとラテンが、世界史から後退している。サラリー制には義務という考えが必要(司馬)

・日本、東アジアは子供を主人公にして、子供が活躍する物語が好き。力も技も大人と対等。「大人と戦って、子供が勝てるわけがない」とヨーロッパ人には納得できない(宮崎)

・戦争中、越前の兵隊たちは、いざ突撃ということになったら、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えて、敵に突き進んでいった。これは、軍国体制のスタイルを超えて、古くからのスタイルで突撃したことになる(司馬)

・日本の陸軍が年功序列のまま戦争をやっていたことを知ったとき、本当に驚いた(宮崎)

・鎌倉武士の基本であった、日本人の「名こそ惜しけれ」という意識は、この一言で、西洋の倫理体系に対決できる(司馬)

・朱子学というのは空理空論。極端な自己賛美主義でもある。李朝の五百年間、朝鮮はその弊害を受けた(司馬)

・オランダ人が大きくなったのは、インドネシアを植民地にした19世紀になって、たくさん食べられるようになったから(司馬)

・ヨーロッパ人が、なんとかお腹いっぱいに食べられるようになったのは、ジャガイモのおかげ。かつてのヨーロッパの食生活のひどさは、日本で考えられないほど(堀田)

・中国史では、大土木工事をおこした王朝はつぶれる。秦の始皇帝の万里の長城、隋の煬帝の大運河など、それをするためにはすごい労働力が必要。つまり、権力が要る(司馬)

・ひと山、木を切りつくしても、鉄は数トンしかできない。韓国は表土が浅く、そのまま岩山になった。それで、製鉄技術者たちが、出雲に来たと思われる。韓国では、秀吉が木を切ったという認識。韓国は事実よりも非事実を混ぜる。秀吉のせいにしてはだめ(司馬)



本書のあとがきに、宮崎駿さんが、「司馬さんが、『人間は度し難い』と言われたのが忘れられない」とおっしゃっています。

「人間は度し難い」という言葉には、自然の摂理とは違って、人間の心の中を推し量るのは難しいという意味が含まれています。日本の歴史に残るような人をしても、人間は度し難いものかもしれません。


[ 2012/08/31 07:03 ] 司馬遼太郎・本 | TB(0) | CM(0)

『愛、生きる喜び―愛と人生についての197の断章』辻邦生

愛、生きる喜び―愛と人生についての197の断章愛、生きる喜び―愛と人生についての197の断章
(1996/03)
辻 邦生

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辻邦生氏の著書を紹介するのは、「人間が幸福であること」に次ぎ、2冊目です。小説・戯曲・随筆・評論など活躍が多岐にわたる方でした。

本書は、辻邦生氏の知性を断片的に集めた書です。愛・人生・読書に対する記述が収められています。それらを要約して、一部を紹介させていただきます。



・自分を捨てるだけでも強いけれど、本当に強くなれるのは、誰かを愛するとき。愛して、その人のための犠牲になれるとき。そのとき、その犠牲も喜びでしかない

・動いている時間を停っていると感じるのは、人が深い悲しみに包まれるときだと思う

・人間の条件が不毛であればあるほど、人間は精神の豊かさへ自らを高める。それは、死と病気が精神を鋭くするのと同じ理由。安楽な土地は人間を物の中に埋めてしまう。人間を動物にする

ブルジョアというのは、いつもサーカスに喝采はするが、その中に飛び込むことのできない人たち。それが、あの人たちの卑しさ

・人を笑わすのが好きだ。動いているものは快活だから。生命は快活で、朗らかな笑いは、それを象徴している

・生のエネルギーがあふれて外に出るのが、本来の笑い。例えば、赤ん坊が笑うとき、気持ちのよさ、楽しさ、嬉しさを表現している。知性のこわばりが取れたとき、笑いが生まれる

・「なまの自分」と「社会的自分」とは異なる。そうした職分の上に生きている。日本では、すぐ「なまの状態」になりたがる。そして、そうした甘えた態度で、他者がしかるべく解釈してくれることを期待する

・「好き」であることこそが、眠っているエネルギーを、全開して、引き出してくれる。それは、人についても、仕事についても、同じ

・「好き」は世界を狭くする。一つのことに集中するから。しかし、その一つのことが、私たちを護ってくれる。「好き」なことがなく、やたらに世界を広くすれば、退屈によって罰せられることになる

・狭い見聞と経験ゆえに純情でいられるのと、多くの苦い経験の揚句、再び見出した純粋な心情とは、一見同じように思われながら、全く異なるもの

・人間は、放置すれば、野蛮に帰る。絶えざる陶冶だけが人間を辛うじて人間にふさわしい状態にとどめている。したがって、人間が自己陶冶の意志も基準も失い、ただ財貨を集め、日々の欲求を満たすだけの存在となれば、容易に、人間以下の状態に転落する

・こわばった、いつもの仕事に夢中になり、それ以外のことを無価値と見る見方こそが、詩の最大の敵。好きだから夢中でやっているので、嫌いなものはやらなくてもよく、その結果がどうなっても、それはそれでよく、それもやはり人生

・日常生活から離れることは、時間を離れること

・ゲーテは、「人生の一切の快適さの源は、外的事物の規則正しい繰り返しにある。すなわち、昼と夜、季節、花と果実、その他時期によってわれわれを迎えるものの交替にある」と言っている

・テレビを見るのと、本を読むのとは別々のこと。テレビは私たちを自分の外へ引き出すが、読書は自分の中に引き戻す

・一度読む楽しさを知った人は、あとは放っておいても、読書の本能ともいうべきものによって、自分にぴったりの本を求めていくもの

・辞書の中に眠る無数の言葉の中を歩くことは、現実の世界を旅してまわる以上に、豊かな経験を与えてくれる

・生活を健全に保つこと、悪しき浪漫性に冒されぬこと、そして万象のすばらしさに心をときめかすこと、それが詩的高揚を保つ唯一の秘訣

・私たちの努力は、物質次元での目的達成によって、生の意味を失う。生とは、幸福の価値を問う仕方(貧困、病苦、死、疎外、悪への関わり方)の中に、すでに同時的に取りあげられていなければならない問題



最後に、著者は、「人間とは何か」「人間は何のために生きるか」という問いかけに答えは見つからない。探求の旅はまだ終わらない。終わらないからこそ、問いかける意味があると、述べられています。

つまり、探求することこそ人生であると考えられています。ということは、探求するものを持てる人が幸せになれるということなのかもしれません。


[ 2012/08/30 07:01 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『子どものための世の中を生き抜く50のルール』チャールズ・J. サイクス

子どものための世の中を生き抜く50のルール子どものための世の中を生き抜く50のルール
(2011/02)
チャールズ・J. サイクス

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著者のチャールズ・J・サイクス氏は、アメリカのコラムニストです。新聞やテレビ・ラジオで活躍されている方です。

本書は、甘やかされて育ったアメリカの子どもたちが増えてきていることに警告を発し、子供のうちから、親として教えておくべき人生の現実を綴ったものです。

子育てに困る親の姿は、日本と瓜二つです。この「現代の子育て論」は、万国共通に参考になるように思います。要約して、その一部を紹介させていただきます。



・「ひとりの人間からどれだけのものを奪おうとも、最後まで奪えないものがある。それは、どんな状況に置かれても、自分がとるべき態度、とるべき道を自ら選ぶ自由」(フランクル)

・「非現実的な希望と、未熟な自己主張と、根拠のない過大な自己満足を身につけて育ってきたのが、いまの若い世代」(ロイ・F・バウマイスター)

・自分を過大評価している者は、他者を疎外しがち

・「幸せな人と呼べるのは、自分の幸福以外のことに気持ちを注いでいる人だけ」(ジョン・スチュアート・ミル)

・批評家たちは、「ねたみ」を高潔な感情として、また「恨み」を公正さを求める熱意として飾り立てる

・「自尊心は人生の成功にはつながらない。自己鍛練自制心こそが、成功のカギとなる」(ロイ・F・バウマイスター)

・自立する唯一の方法は職につくこと。それは、汚れたり、嫌な臭いがつく仕事かもしれない。しかし、仕事の種類は、人としての価値を低めたりはしない。怠け者他人に頼っていることのほうが、ずっと恥ずかしい

・マクドナルドの仕事を経験した者のほとんどが、よりよい職につくためのスキルを身につけている。マクドナルドは仕事の基礎を身につけさせる、事実上の職業訓練プログラムとして機能している

怒りを克服すること。他人は君たちを困らせ、うんざりさせ、怒らせ、憤慨させ、イライラさせる存在である

・愛とは単なる感情ではなく、行動を伴うもの。気持ちがあるかどうかは問題ではない。何をするかが問題である

・「良心とは、訪ねてきて居座る義理の母」「良心とは誰かが見ていると警告する内なる声」(H・L・メンケン)

・迷惑な相手にも礼儀正しく接し、間抜けな相手とも笑顔で握手し、気に入らないプレゼントにも感謝のふりをし、退屈な話やくだらない冗談にも興味あるように反応する。これらはいずれも、よいマナー。偽善ではなく、洗練された大人の行動

・大企業の経営者の調査では、ウエイター、秘書、保険外交員などに接するときの態度がその人物を知るための信頼できる評価基準になると全員が答えた。目上の者には礼儀正しく、目下の者には、横柄な態度をとる人物は、すぐれた人物ではないということ

・「人生の勝者は常に、自分ならできる、自分はこうする、自分はこうだというふうに考える。一方、人生の敗者は、自分にはできない、こうしていたら、こうすべきだったという考えにとりつかれている」(デニス・ウエイトリー)

・敗者は、都合よく自分を正当化できる考え(敗者の哲学)を受け入れ、勝利に導く価値観を否定する方法をずる賢く見つけ出す

・考えること(合理的思考)を忘れた人たちは、無防備な状態に陥り、そのときの風潮や流行に流され、次から次へと、無意味な旗印を追いかける

・「最後には、人は、自分が生きる意味を問うのではなく、生きることで自分が何を期待されているのかを問わなければならない。そして、生きることに責任を持つことによってのみ、その問いに答えることができる」(フランクル)

・「人生は不公平だ。それに慣れるしかない」「実社会は、自尊心など気にかけてくれない」「学校の先生より、将来の上司はもっと厳しい」「ハンバーガーショップで働くのは恥ずかしいことではない」



本書は、子供たちへの説教であり、親たちへの警告です。これを「うるさい!」「偉そうに・・・」ととるか、「叱咤激励」ととるかは、その人の心の土壌によって変わります。

アメリカも子育てや教育に相当悩んでいるように感じました。その中から出てきた言葉の数々に、耳を傾けるべきものがあるのではないでしょうか。


[ 2012/08/29 07:01 ] 育成の本 | TB(0) | CM(2)

『この世でいちばん大事な「カネ」の話』西原理恵子

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)
(2011/06/23)
西原 理恵子

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西原理恵子さんのカネの話には、お金を、汚いものとしてでもなく、愛すべきものとしてでもなく、そこに存在しているものとして、人生に生かしていこうという視点を感じます。まさに、この「お金学」の視点と一致するところです。

本書には、西原さんのカネ哲学が満載です。役に立つだけでなく、しっとり心に残る部分も多いのが特徴です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・お金に余裕がないと、日常のささいなことが全部衝突のタネになる

・カネが「ある」ケンカは、「ない」ケンカより、百倍も二百倍もマシ。カネがないケンカは、ののしるほうも、ののしられるほうも、いじましくって、やりきれない

・貧しさは、人から、人並みの暮らしとか、子供にちゃんと教育を受けさせる権利とか、いろいろなものを奪う。それで、お金がないと、大人の中に、やり場のない怒りがどんどん溜まり、その怒りの矛先は、弱い方に向かい、子供が理不尽な暴力の被害者となる

・「貧しさ」は連鎖する。それと一緒に埋められない「さびしさ」も連鎖していく。ループを断ち切れないまま、親と同じものを、次の世代の子供たちも背負っていく

・女の子たちは、いい目が見られる若いうちに、町から出ていく。いつの時代も「カワイイ」は女の子が世の中と渡り合うときの有効な武器

・人は将来に希望が見えなくなると、自分のことを大事にしてあげることさえできなくなる。やぶれかぶれで刹那的な楽しさを追い求めるうち、モラルをなくしていく

・絵の技術は上達したとは言えなかったけれど、自分の絵を客観的に見る力を養ったことは、そこから道を切り開くために、すごく大きなことだった

・「どうしたら夢がかなうか」ではなくて、「どうしたら稼げるか」と考えてみると、必ず、次の一手が見えてくるもの

・大人って、自分が働いて得た「カネ」で、一つ一つの自由を買っている

・私の生い立ちは、私に、決して振り返らない力をくれた

・笑ってもらうためには、「こんな悲惨な目にあいました」というほうがオイシイ。「痛いはダイヤモンド」。それは、私に限らず、お笑いの仕事をしている人間の「お約束」

・印税が入るようになっても、相変わらず千円、二千円というお金に一喜一憂する。そういう自分を「ちっちゃい」と思うが、自分の生活水準に結びついたカネの実感があるからこそ、ギャンブルや投資をしても、食い詰めるまでの失敗をしないですんでいる

・手で触ることのできない「カネ」、紙の上の数字みたいに見える「カネ」には、「お金を借りる」という感覚まで麻痺させられる。そういう「カネを貸したい側」の戦略に、まんまと乗せられないよう、用心しないといけない

・損したくないことばかり考えていると、人はずるくなる。少しでも人より得しようと思うから、「だったらズルしちゃえ」という気持ちが出てしまう。それが、どんどん卑しい気持ちに結びついてしまう

お金との接し方は、人との接し方に反映する。つまり、お金は「人間関係」のこと

・小学生の息子に、「アルバイト世界放浪は、必修科目」と、今のうちから言ってある

・親以外の、外の世界で出会った大人から怒られたり、叱られたりするのは、すごく大事

・給料が高い仕事は、「ガマン料」が高い。「ラクして儲かる」仕事なんて、まずない

・「男子におごられて当たり前」という延長に、「左うちわな将来」を思い描いているとしたら、「いざ(旦那が)失業」「いざ離婚」となったとき、どうやって生きていくのか

・人の気持ちとカネをあてにするというのは、「自分なりの次の一手」を打ち続けることを自ら手放してしまうこと

・「カネとストレス」「カネとやりがい」の真ん中に、自分にとっての「バランス」がいいところを探す

・自分が稼いだこの「カネ」は、誰かに喜んでもらえたことの報酬



西原さんの文章には、貧困や心労から脱出してきた体験にもとづく本質的な部分があります。

特に、カネに関する記述は、お金と真剣に向き合って生きてきた著者の誇りのようなものを感じました。


[ 2012/08/28 07:01 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『家郷の訓』宮本常一

家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)
(1984/07/16)
宮本 常一

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宮本常一氏は、柳田國男氏と並び称せられる民族学者です。柳田國男氏が表の世界なら、宮本常一氏は、裏の世界を歩んだ方です。昭和の時代、全国の民家に1000軒以上宿泊し、膨大な資料を集めてこられました。

本書は、宮本常一氏の初期の作品(昭和18年)です。自分の生い立ち(瀬戸内海の大島出身)を振り返りながら、どのような家の訓え村の訓えを受けてきたかを克明に記したものです。幕末から戦前の教育の変遷を知ることもできます。

興味深く思えた箇所が数多くありました。これらの中から「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・村には「金はコヤライ(子育て)の間でなければたまるものではない」という諺があった。これはコヤライの時代が、人間は一番生気もあり、覇気もある時で、子供が大きくなった頃には、親は既に老いて、産を興そうなどという意気も体力もなくなるという意味

・宿に困っている人に宿を貸すことを、「神仏を拝むのも、人に功徳を施すのも一つだと思いまして」と村の人は言う。自分の息子も旅でお世話になっているやら分からぬので、困っている他人をおろそかには出来ないとのこと

・郵便局が村内にできるまでは、貯蓄形式はすべてタノモシによった。田畑とタノモシの掛金がその家の財産の大半だったから、家の資産の程がほぼ分かった。タノモシは貧窮を救うものだが、酒食も出ることで、大切な交際となり、お互い団結することが多かった

・娯楽は、都会人にとっては、個々が楽しむことのように考えているが、村にあっては、自らが個々でないことを意識し、村人として大勢と共にあることを意識するもの。共通の感情を持っていることを確かめ得て意を強くした

・子供を躾けるのは女親。子供を嫌がらせずによく働かせる親が甲斐性ものと言われた。仕事は、どんなに拙くてもよかった。母親は、最初はただ一生懸命に倦かずにやることを要求した

・笑われるというのは、村に住むものにとって、最も大きな恥であった。「貧乏しても笑われるようなことはしなかった」が母親の口癖。笑いものの種になるのは、仕事に不熱心であることが第一であった

・子を立派に躾け得ないものはよく笑われたが、この掟が破られるのは、遠方婚が盛んになってきてから。元来、結婚は村内か、遠くて一里内外の範囲で行われたが、大正初期から、都会の女を迎えて、妻にする者が多くなってきた

・幸福とは何かということを本能的によくわかっていた。それは、何よりも人並みに暮らすということであった。人並みのことをするということは、村で生活することの第一の条件であった。人並みのことさえできないことは、何よりの恥辱に思われた

・「ショウネ(性根)のすわっていない者くらいショシャ(所作)の悪いものはない」と父はよく言っていた。そして「男は仕事に惚れなくてはいかん」とも言われた

・「どんなにつまらんと思うものでも、それの値打ちが本当に見えんと百姓はできん」「田畑へ出ていきなり仕事をし始めるような百姓ではだめだ。一通り田畑のほとりをまわって見て仕事にかかるもの」。わずかの田畑を耕す小百姓の父でも、よく心得ていた

・父が私の出郷に際して言いきかせ、書きとめさせた言葉は、
1.「三十まではお前の意志通りにさせる。しかし、三十になったら親のあることを思え。また困った時や病気の時はいつでも親の所に戻ってこい。いつでも待っている
2.「酒や煙草は三十までのむな。三十すぎたら好きなようにせよ」
3.「金は儲けるのは易い、使うのが難しいものだ」
4.「身をいたわれ、同時に人もいたわれ
5.「自分の正しいと思うことを行え
これによって、私のかどでがなされた。この言葉の中に含まれているものは、新しい意志である

・柔弱な若者に対しては、娘たちはいつも辛辣であった。皮肉をあびせかけたり、あだ名をつけたり、遊びに行くと散々に冷やかすので近寄れない。そうして女たちは男を評価した。このため、若い男たちは、男らしさ勤勉さ優しさを持たねばならなかった

・共に喜び共に泣き得る人たちを持つことを生活の理想とし、幸福と考えていた中へ、明治大正の立身出世主義が大きく入ってくる。心の豊かなることを幸福とする考え方から、他人よりも高い地位、栄誉、財などを得る生活をもって、幸福と考えるようになってきた


この本には、みんなが幸福になるための教育、みんながうまく暮らしていくための教育が、記されているように思いました。

また、島内という閉鎖空間で長年培ってきたものが、国家の道徳という掟に、壊されていく過程も、本書には記述されています。

何が幸福か、何が教育かを知る上で、戦前の村人たちが培っていたものを、もう一度見直していくことも大切なことではないでしょうか。


[ 2012/08/27 07:03 ] 商いの本 | TB(0) | CM(0)

『新装版画文集・炭鉱に生きる・地の底の人生記録』山本作兵衛

新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録
(2011/07/29)
山本 作兵衛

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昨年秋、NHK日曜美術館で特集していた山本作兵衛さんの作品に衝撃を受けました。ユネスコ世界記憶遺産に日本で初めてなった「炭鉱の記録画」は、決して上手な絵ではありませんが、執念のようなものを感じました。

福岡県田川市の石炭・歴史博物館のページで、世界記憶遺産となった「山本作兵衛さんの585点の作品」を見ることができます。

この作品は、絵だけでなく、文章も、資本主義の勃興期の記録として貴重なものです。本書には、絵とともに、文章が詳しく掲載されています。それらの一部を紹介させていただきます。



・一度足を踏み込んだが最後、容易に足を抜きとれず、あがけばあがくほど、ますます深みにはまりこんでいく、泥沼のような世界が炭鉱

・明日の命も知れない坑内下りだから、自ずと気が荒み、刹那的になるのもやむを得ない。太く短く生きるのが本望と口にし、独身者の多くは、酒とバクチに身をもち崩していた

・炭鉱の風呂は、職工用は一坪、坑夫用も一坪、特殊風呂は半坪ぐらいだったが、いずれも男女混浴で、水も坑内水で、煮つめた味噌汁みたいな汚さだった。一番狭い特殊風呂は、今でいう部落出身の坑夫風呂だった

・明治から大正にかけて、ヤマ人の生活苦を大きくしたのが、切符制度(現金支給されずに、炭鉱でしか使えない私製紙幣が支給され、両替しようとすると、三割以上の目銭を差し引くのが当たり前)であった。事業主にとっては、現金調達の苦労がなくて便利なもの

・切符の信用がなければないだけ、高率の目銭をとって私腹を肥やす吸血鬼がはびこる。持てる者は坐して蓄え、持たざる者は汗してむなしの素寒貧(すかんぴん)、坑夫は年中借金と高利に追いまくられていた

・現金を握れない坑夫たちは、否が応でも切符の通用する炭鉱直営の売勘場や指定商店から買い物するほかなかった。この売勘場の商品は市価より高いが、文句も言えず、いい値のまま買わされた。日々の生活と仕事に必要な物品の販売は禁制され、事実上の強制販売

・坑口の繰込場、取締員詰所の開坑場などが、みせしめ場で、残酷な処刑をする地獄の裁判所だった。中をのぞくと、後ろ手に縛りあげられた坑夫が天井の梁から吊り下げられて、太い桜の杖で殴られていた。そんな拷問ぶりを、私たち少年は面白半分に眺めていた

まっ白い米の飯のあばれ食いさえできれば、少々の圧制ぐらい屁でもなかった。ところが、米の飯はなかなか食わせてくれない。そこで平素の積もりに積もった不平不満が爆発して、刃釜合戦(夏のヤマの米騒動)が起きる。これが大正7年(1918年)

・米騒動の嵐も静まった大正7年秋は、未曾有の石炭景気となり、炭塊か金塊かと称されるほどの有様だった。こうなると、人間は現金なもので、たちまち贅沢に流れ、鰯や鯖はなま臭くて食えない。うちは鯛に決めているなどと、見栄を張る者が多くなった

・当時の採炭夫は、朝2時から3時に起きて入坑し、10時間~12時間も働くのが当たり前だった。疲れたり、病気になったりで、せめて一日骨休みしたいと思っても、役人や人繰りが、大きな木刀を片手に一軒一軒回り、出稼の督励をする。まるで奴隷にほかならない

・坑内では、男も女も、仕事をしながらいつも歌を歌っていた。今はもう坑内歌を歌える人がわずかになった。炭鉱で働いた人間は、むりがたたり、みんな早死にしてしまうから

・一番ひどかったのは女坑夫。坑内に下がれば後山として、短い腰巻き一つで、スラを曳き、セナを担い、命がけの重労働だった。真っ黒になって家に帰れば、炊事、洗濯、乳飲み子の世話など、主婦としての仕事が山ほど待ち構えていた

・明治末期、採炭夫の一日(12時間以上)の労働で、稼ぎ高は70銭から80銭。それから勘引(検炭係の勘量)で、2割~3割引かれる。さらに、ツルハシの焼きなおし代、カンテラの油代、ワラジ代が差引される。残りは、せいぜい40銭あまり

・昭和6年の法令で女子の入坑は禁止された。これによって、女は暗闇の中の労働から解放されたが、男一人の稼ぎだけに頼らねばならなくなり、家計の苦しみは深刻となった

・昔の坑内では、馬がよく働いていた。少量の麦と藁と糠を与え水さえ飲ましておけば、文句も言わずに働く。条件の悪いところで働かされた馬の中には、死ぬ馬も多かった

・第二次大戦中、坑夫は次々に戦争に出ていき、深刻な人手不足になった。中小炭鉱では、女の坑夫が入坑し、命を落とす者もあった。産業戦士の掛け声に徴用された独身坑夫の中には、逃走する者が続出したが、見せしめとして、太鼓のように激しく叩かれていた



これらの文章と絵が一体となって、当時の坑内の様子を585場面、一目瞭然にした、山本作兵衛さんの執念には、頭が下がる思いです。

つい百年近く前の日本で、このような強制労働があったことに驚きました。これらの労働に携わらざるを得なかった人たちのおかげで、今日があることを想起させてくれる貴重な書です。でも、実に重たい書です。


[ 2012/08/25 07:01 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『遺伝マインド--遺伝子が織り成す行動と文化』安藤寿康

遺伝マインド --遺伝子が織り成す行動と文化 (有斐閣Insight)遺伝マインド --遺伝子が織り成す行動と文化 (有斐閣Insight)
(2011/04/11)
安藤 寿康

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本書は、慶応大学ふたご行動発達研究センターの研究をもとに、遺伝子が、人間の心や行動や態度にまで影響を与えている事実を記したものです。

その事実をもとに、著者は、社会や教育の制度を構築していくべきとの見解を示されています。その驚かされるいくつもの事実を、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「遺伝マインド」とは、私たちの「心」が遺伝子たちの影響を受けていることを認識し、その「心構え」で、人間と社会を見ていこうとすること

・「認知能力」遺伝影響率は、一般知能77%、空間性知能70%、論理的推理能力68%、学業成績55%、言語性知能14%

・「パーソナリティ」遺伝影響率は、開放性52%、誠実性52%、自己志向49%、協調47%、神経性傾向46%、外向性46%、報酬依存44%、損害回避41%、自己超越41%、固執37%、調和性36%、新奇性追求34%

・「才能」遺伝影響率は、音楽92%、数学87%、スポーツ85%、執筆83%、音程80%、知識62%、美術56%、記憶56%、外国語50%、チェス48%

・「社会的行動」遺伝影響率は、反社会性(青年期)62%、性的初体験(男)51%、ギャンブル49%、性的初体験(女)39%、友情満足32%、ボランティア活動(女)30%、反社会性(男性成人)29%、投票行動28%、職業満足16%、反社会性(女性成人)10%

・学業成績の個人差の55%が遺伝の影響ということは、学校が職業や社会階層の選抜機能を有している中で、教育制度や教育文化の社会的意味を考えなければならないということ

ビッグファイブ(外向性、神経症傾向、誠実性、調和性、開放性)に対応する遺伝因子が、異なった文化間で驚くほど一貫して表われることは、5つの遺伝因子が文化を超えて普遍的ということ

・遺伝子と環境の交互作用において、1.「環境の自由度が高いほど遺伝の影響が大きく表われる」2.「環境が厳しいほど遺伝の影響が大きく表われる」といった、まったく正反対に見えることが起こっている

・アメリカの哲学者ジョン・デューイは、「子供の遺伝的素質を見抜くには子供の自由にさせるのがよい」と述べている

・親のしつけや養育態度が厳しすぎたり、成育経験がストレスフルでありすぎるときに、遺伝の影響(主に、精神病理問題行動反社会性)が表れやすい

・一人ひとりが、「このために自分は生まれてきた」と確信できる対象と環境に出会うことができるように、教育制度は設計されなければならない

・人間が財力と社会的地位の獲得に、あくなき欲望やモチベーションを持ち続けるのは、遺伝子に適合するように、環境をコントロールし、自らの計画を実現させたいからにほかならない

・ヒトは進化において、遺伝の影響を受けたことは、広く知られ、受け入れられているが、一人ひとりの心のあり方行動の仕方の個人差にも、遺伝子が関与していることは、まだタブー視されている

遺伝的もち味があぶりだされてくる形で、一人ひとりのニッチ構築が成し遂げられる教育環境が望まれる

・教育の目的とは、ホンモノの世界へ導き、ホンモノの世界で独力で生きる術を身につけさせること。別の言い方をすれば、教育の目的とは、教育を必要としなくなるようにすること

・高度に専門化された社会では、「才能」がなければ、他人に満足感を与え、しかもそれによって自身の幸福感や自己実現を達成できない。つまり、利己性を満たしながら利他的にふるまうことはできない

・「できない」ことを積極的に評価すべき。「才能がない」ことに気づくことは、誰もが、限られた時間で、一人前に生きていけるようになる必要がある以上、徒労を避けるための手がかりとなる。「しない」「やめる」「あきらめる」ことに教育的価値を見出すことも必要

・あなたが人よりも有利な才能、社会的地位、経済力に恵まれたのは、あなたの努力や運だけでなく、あなたがたまたまもってしまった遺伝子の組み合わせのせいである



平等主義が蔓延した社会において、遺伝はタブー視されています。しかし、本書を読めば、個々人の遺伝の特徴を生かした社会を構築することこそ、個々人が幸せを感じる社会になるように思います。

まずは、学校教育において、遺伝影響率が低い科目は全体で教育し、遺伝影響率が高い科目は、選択性で、個々人に英才教育を施すことを、始めていくべきなのかもしれません。


[ 2012/08/24 07:00 ] 環境の本 | TB(0) | CM(0)

『おもしろくて、ありがたい』池波正太郎

おもしろくて、ありがたい (PHP文庫)おもしろくて、ありがたい (PHP文庫)
(2005/07/01)
池波 正太郎

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「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人藤枝梅安(必殺シリーズ)」など、おなじみの時代劇の原作者であった池波正太郎さんが亡くなられて、二十年以上たちます。

人間の生理自然の摂理から目を背けずに、世の真相を描き続けた池波氏には、今でも多くの熱烈なファンがいます。

その池波氏が遺した小説やエッセイから選りすぐった言葉をまとめたのが、この書です。心に響いてくるところが数多くありました。本の一部ですが、紹介させていただきます。



・人間は生まれた瞬間から、死へ向かって歩み始める。死ぬために生き始める。そして、生きるために食べなくてはならない。何という矛盾だろう

・どんな世の中になっても、人間の生業(食べて、繁殖して、眠る)は変わらない。女性と男性の交わりがなければ、人間なんてない。それがすべての根本。その上に文化があり、文明があり、政治機構がある。それなのに、今はその根本を忘れている。だから苦しむ

・「人間というやつ、遊びながら働く生きものさ。善事を行いつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」(鬼平犯科帳)

・「真の悪漢は、その悪の本体を決して見せぬものだ。それでなくては、人を偽ることもできぬ」(真田太平記)

・「人は、おのれの変わり様に気づかぬものよ。なれど、余人の変化は見逃さぬ」(真田太平記)

・「人の世は、何処まで行っても、合理を見つけ出すことが不可能なのだ。合理は存在していても、人間という生物が不合理に出来ているのだから、どうしようもないのだ」(真田太平記)

・「おのれの所業の矛盾は、理屈では解決できぬものだ。世の中の矛盾も同様である。これを無理にも理屈で解決しようとすれば、必ず矛盾が勝ってしまう」(梅安蟻地獄)

・「はいはい、さようで。勝てば官軍、負ければ賊。世の中のことは、みんなこれでございます」(その男)

・「金と申すものは、おもしろいものよ。次から次へ、さまざまな人々の手に渡りながら、善悪二様のはたらきをする」(鬼平犯科帳)

・自分の人生が有限なものであり、残りどれだけあるかと思えば、どんなことに対してもおのずから目の色が変わってくる。そうなってくると、自分の周りのすべてのものが、自分を磨くための「磨き砂」だということがわかる

・自信と慢心の差は紙一重。反省のない自信は、たちまち慢心と変わってしまう

身だしなみを整えるということは、鏡を見て、他人の目でもって、自分の顔だの、からだなのを観察して、ああ自分はこういう顔なんだ、こういうからだなんだということを客観的に判断できるようになること

・剣道で残心という言葉がある。電話で語り終わってなお、相手の様子をうかがう、これも残心といってよい。互いにこれでよしとなったとき、静かに電話を切る。その無言の間が、双方の心を通わせることになる

・我欲でも何でも、悪い事というのは、結果が出るのに時間がかかる。ウミが出るのに、十年、二十年とかかる。出たときには、手の尽くしようがない

・人間というものは、すべてのことを正直に胸の中を言う人はほとんどいない。だから、上に立てば立つほど、相手の目の動きで察しないといけない

・正論は、いつも世に容れられない。百年を経ても、正論は「子供っぽい」と言われる

・女は男のお世辞と甘い言葉を好む生き物。だから、一回持ち上げておいたらいい。それで高慢にならない女を重要視して、どんどん仕事をまかせればいい

・「人の心の奥底には、おのれでさえもわからぬ魔物が棲んでいるものだ」(鬼平犯科帳)

・「世の行く末が、わかったつもりになるのは、いかにも浅ましいことだ」(真田太平記)



本書には、理屈でない言葉、生きてきた実感としての言葉が記されているように感じました。

人間は理屈をつけて、自分の人生を納得させようと努めますが、所詮、判らないもの。それは、歳を重ねていっても、わかりにくいもの。知ったかぶりせず、愚直に生きていくことが大切であると著者は考えていたように思います。


[ 2012/08/23 07:10 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『書くだけで人生が変わる・嫌なことノー―仕事、自分、家庭、人間関係…』

書くだけで人生が変わる嫌なことノート―仕事、自分、家庭、人間関係…書くだけで人生が変わる嫌なことノート―仕事、自分、家庭、人間関係…
(2011/03/01)
嫌なことノート普及委員会

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以前、読んだカーネギーの本の中に、「恐怖を抱いている事柄を一覧表にして、調べてみれば、その大部分が取るに足らぬ恐怖である」という一節がありました。

これと同じように、嫌なことも、取るに足らぬことであり、見方を変えれば、宝の山となることを教えてくれるのが本書です。

納得できた箇所が数多くありました。その中から、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・嫌なことがあったとき、「あ~嫌だな」「面倒だな~」と思っていないだろうか。それはもったいないこと。なぜなら、「嫌なこと」には、仕事力を上げるヒントがたくさん詰まっているから

・「嫌なこと」に遭うことは、実は大チャンス。成功している会社は、「嫌なこと」を経営に取り入れ、成功してきた

・景気が悪く、不況のときほど、「嫌なこと」は転がっている

・世の中に「嫌なこと」が存在しているのは、自分自身と他人は違う存在だから。性格も違うし、育った環境も違う、今置かれている立場も違う。とにかく、何もかもが違う。そのことをきちんと認識することが大切

・「差」がなくならない限り、一生「嫌なこと」はつきまとう。それなのに、人間は「嫌なこと」にすごく弱くできている

・「嫌なこと」は存在する。でも、嫌なことは嫌。だから、「嫌なこと」とうまく付き合っていくために、「嫌なことノート」(遭遇したり、感じたりした嫌なことを毎日書き続けていくだけのノート)があればいい

・「嫌なことノート」の効能は、「感情のコントロールができ、ストレスが少なくなる」「顧客心理がわかり、ビジネスのアイデアが生まれてくる」こと

・ずっと心に引っかかっている「嫌なこと」もあれば、すぐに忘れてしまう「嫌なこと」もある。どちらの「嫌なこと」も認識することで、自分の不満のベースを知ることができる

・ノートに書き出すという行為は、いったん自分から、その事柄を離す効果がある。ノートに書き出せば、自分の頭の中の負の感情を整理できる

・怒りの感情をコントロールするのにも、「嫌なことノート」は役立つ。短気な人怒りやすい人が、「嫌なことノート」を書くようになると、イラッと、ムッとすることが「貴重なヒントをありがとう」に思えてくる

・「嫌なこと」を分類すると、1.「自分に起きた嫌なこと」2.「身の回りの人に起きた嫌なこと」3.「自分でやってしまった嫌なこと」4.「テレビ、新聞、ウェブや街中で見た嫌なこと」の4つのパターンがある

・仕事のできない人は、「嫌なこと」をストレスに感じるだけ

・最近ヒットしている商品やサービスは、嫌なことを解消してくれるもの(携帯用電動歯ブラシ、電子レンジで魚焼き、針のないホッチキス、羽のない扇風機、消せるボールペン、ノンアルコールビールなど)が多い

ムダの発見とは、「嫌だなあ」「不便だなあ」「時間がかかるなあ」という「嫌なこと」に注目すること

・過去に同じ嫌なことがあっても、何度でも書く。何度も起きることは、大きく成長できたり、ヒット企画になったりする大きなチャンス

・人が集まる場所では、「嫌なこと」が多く発見できる。それを楽しむことができれば、自分の仕事や人生の幅が広がる

・毎日、書き込んでいく「嫌なことノート」は自分の成長の記録。「嫌なことノート」を継続していくポイントは、その効果を確認すること。つまり、振り返ること



日記やブログを書いて、振り返ることで、それを成長の糧にしている人もいます。

また、こづかい帳やダイエット(食事)帳を毎日つけて、その余白スペースに日々の意見や感想を書き記すだけでも、日記と同じような効果が見込まれます。

本書では、「嫌なこと」にテーマを絞り、それを日々、日記のように書くことで、より大きな効果を狙おうとするものです。特に、短気な人、怒りっぽい人には、大きな効果が望めるのではないでしょうか。



[ 2012/08/22 07:01 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(2)

『それをお金で買いますか-市場主義の限界』マイケル・サンデル

それをお金で買いますか――市場主義の限界それをお金で買いますか――市場主義の限界
(2012/05/16)
マイケル・サンデル、Michael J. Sandel 他

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著者は、「ハーバード白熱教室」で有名になった、マイケル・サンデル教授です。

お金で買えるものが増えている今日、お金で買っても許される限界はどこにあるのかを語っているのが本書です。

教授がお金の「正義」をどう考えているのか、よくわかり、参考になります。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・公立学校への商業広告、公共の場の命名権、卵子や精子の市場取引、環境汚染権の売買、選挙資金集めなど、健康、教育、公安、安全保障、刑事司法、環境保護、保養、生殖などの社会的善を分配するために市場を利用することは、30年前にはほとんど前例がなかった

・すべてが売り物となる社会に向かっていることを心配する理由には二つある。一つは不平等に関わるもの、もう一つは腐敗に関わるもの

・奴隷制がおぞましいのは、人間を商品扱いし、競りの対象とするから。こうした扱いによって、人間の価値を適切に評価することはできない。人間は尊厳と尊敬に値する人買うとして評価すべきであり、利益を得るための道具利用する対象とみなしてはならない

投票権を買いたいと熱望する人がいたとしても、市民がそれを売ることは許されないのは、市民の義務を私有財産とみなすべきではなく、公的な責任と考えるべきだと信じているから

・商品になると腐敗したり、堕落したりするものがある。したがって、市場がふさわしい場所、一定の距離を保つ場所がどこかを決めるには、問題となる善(健康、教育、家庭生活、自然、芸術、市民の義務など)の価値をどう測るべきかを決めなければならない

・公共生活や人間関係において市場が果たすべき役割、売買されるべきものと非市場価値によって律せられるべきものの区別、お金の力が及ぶべきでない場所。こうした問題に関する公の議論を促し、それを考え抜くための哲学的な枠組みが必要

・空港や遊園地で、医者の待合室で、「先着順」という行列の倫理は、市場の論理に取って代わられつつある。かつては非市場的規範にしたがっていた生活の領域へ、お金と市場がどんどん入り込んできている

・腐敗とは、賄賂や不正な支払い以上のものを指す。ある財(善)や社会的慣行を腐敗させるとは、それを侮辱すること、それを評価よりも低級な方法で扱うこと

・市場と行列(お金を払うことと待つこと)は、物事を分配する二つの異なる方法であり、異なる活動。「早いもの勝ち」という行列の倫理には、平等主義的魅力があり、それは、特権、権力、富といったものを、一定の目的のためには、無視するよう命じる

・経済学者は、その役割において、道徳的問題に取り組むのを好まない。自分たちの仕事は、人々の行動を説明することであって、判断することではないと言う。だが、こうした言い分とは裏腹に、経済学者はますます道徳的問題に巻き込まれるようになっている

賄賂は人を操る。賄賂は説明をないがしろにし、本質的な理由を外部の理由にすり替えてしまう

・お金で買えないもの(たとえば、友人やノーベル賞)と、お金で買えるが、まず間違いなくそうすべきでないもの(たとえば、腎臓や子供)。前者が、金銭的取引を通じて買われる善が台無しになるのに対し、後者は、善が結果的に確実に堕落したり、腐敗したりする

・私立大学は卒業生や裕福な寄付者の財政支援に大きく依存しており、こうした支援のおかげで、経済的に余裕のない学生に奨学金を出したり、学費を援助したりできる。したがって、大学への入学は売買できる善である。ただし、控え目にやればの話

・生命保険も死を商品化しているが、バイアティカル(生命保険の買い取り産業)の場合、金銭的利害関係が逆転する。会社からすれば、死は早ければ早いほどよい。その害は、人々が早く死ぬことに賭ける投資家の人格に及ぶ腐敗作用にあると考えられる

・生命保険業者が、汚名を着せられるのは、彼らが「死のセールスマン」であり、人々の最悪の悲劇を糧にけっこうな暮らしを営んでいるから

・過去20年間、広告はおなじみの媒体(新聞、雑誌、テレビ)の枠を越えて、生活の隅々を占拠してきている。自分の額に商業広告を出す(入れ墨)権利をオークションに出品する人まで現れた。だが、広告の蔓延の何がまずいのかを、説明するのは容易ではない



なんとなく胡散臭く感じていたものが、慣れてくると、それが当たり前のように感じるようになります。胡散臭く感じた時点で、それをお金にしてよいかどうかの判断を識者がしないといけない世の中なのかもしれません。

リーマンショックが起こったのも、そういった観点に欠けていたからで、その悪影響は世界中に撒き散らされてしまいました。マイケル・サンデル教授が提起していることは、これからの社会において、経済よりも大事なことではないでしょうか。


[ 2012/08/21 08:11 ] お金の本 | TB(0) | CM(0)

『君に成功を贈る』中村天風

君に成功を贈る君に成功を贈る
(2001/12)
中村 天風

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中村天風さんの本を紹介するのは、「成功の実現」に次ぎ、2冊目です。亡くなられて40年以上経っても、中村天風さんの本は、次々に出版されています。しかし、本人の口述本は、あまりありません。

本書は、中村天風さんの講演録を主に編集されています。政財界の大物を相手に「人生の成功」を説かれた生の声が収められている貴重な本です。

役に立つこと言葉が数多くありました。一部を要約して、紹介させていただきます。



・真心の親切でもって、他人に接するには、「イフ・アイ・ワー・ヒム」(もしも、自分がこういう立場になったらどうだろう)と考えることと、「絶対に他人に迷惑をかけない」ようにしなくてはダメ

・現在患っていることを非常に恨みがましく思っているけれど、死なずに生きていることをなぜ感謝しないのか。死なずに生きているではないか

・結局、人生といっても、それを決定するものは、心。昔から言われているように、「心ひとつの置きどころ

・心がピュアというのは、尊さと強さと正しさと清らかさを失わないこと

・夜の寝際、考えれば考えるほど嬉しくなることや、思えば思うほど楽しくなることだけを、心にありありと描いて寝るようにすれば、心の垢がとりのぞかれ、命が強くなる

・月を見ても、花を見ても、仕事をしても、遊ぶのでも、すべてそれを心が認識すればこその生き甲斐。人生は何より先に、まず考えなければならないのは、心

・「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」の諺は、人間に与えられた大きな戒め。出世する人、成功する人は、その心の内容が極めて積極的

・「いかなる場合でも、心の力を落としてはいけない。終始一貫、積極的な心の態度をもって、人生に生きる」というのが、プリンシプル(原理原則)

・自分の心が積極的にならない限りは、幸福や好運は呼び寄せられない。もっとやさしく言うと、幸福や好運は、積極的な心持ちの人が好きということ

・精神文化の遅れている人は、メンタルアビリティ(心理的能力)を使おうとしないで、すぐ「神さま仏さま」と言う。これは自分自身を冒涜した卑怯な考え方

・どんな名医や名薬といえども、楽しい、面白い、嬉しい、というものに勝る効果は絶対にない

・笑いは無上の強壮剤であり、開運剤。笑顔の人のそばにいると、何となくチャームされ、多少の悩みや悲しみがあっても忘れてしまう

・自分自身の人生は、もうこれ以上ないというくらいに価値高く活かさなければ、何のために生まれてきたやら、本当にもったいない

・金だ、家だ、仕事だ、名誉だ、愛だって、みんな大切だが、命あってのもの。命以外は、しょせんは、人生の一部分

・人間の心は、人生の一切をよりよく建設する力があると同時に、人生をより悪く破壊する力もある

・人生は、生かされる人生であってはいけない。生きる人生でなければいけない

・ジンクス、易、縁起、そのほか迷信的な行為をする人は、自分に消極的な暗示をかけている

・現在の人生は、たった今から、でき得る限り、完全な状態で生かさなければならない

・心というのは、熟練した技師が、精巧な機械を手足のごとく動かすように、使わなければならない

・言葉には、人生を左右する力がある。この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器である

・できる人と、できない人との相違は、要らないことに心を脅かされているかどうか



中村天風さんの言う「成功」とは、お金、名誉、出世といった俗な「成功」を意味していません。それは、限りある人生を精一杯生き抜き、人間の完成を目指すことを意味しているように思います。

人間の完成を目指すためには、積極的な心が不可欠です。本書を読めば、心が積極的になり、成功の芽が出てくるのではないでしょうか。


[ 2012/08/20 07:00 ] 中村天風・本 | TB(0) | CM(0)

『日本仏教の創造者たち』ひろさちや

日本仏教の創造者たち (新潮選書)日本仏教の創造者たち (新潮選書)
(1994/08)
ひろ さちや

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このブログでも、過去に「仏教・東洋思想の本」を50冊近く、書評にしてきました。聖徳太子、空海、法然、親鸞、明恵、一休、白隠、良寛などをとり上げてきました。

本書に登場する「仏教の創造者」も、よく似た人物構成になっています。仏教に関わる歴史上の代表的人物の知識を得るのに役立ちます。これらの登場人物について、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「努力」をしても、その「努力」が結実せず、それが裏目に出ることさえある。そのとき、人間は自己の「無力」をまざまざと思い知らされる。そして、そのとき、人間は自分の外に絶対者・超越者をたてて、それに「祈り」を捧げる。「祈り」とは、そういうもの

・本来、仏教には努力主義的なところがある。凡夫が仏に向かって努力(修行)するのが仏教の基本構造。その意味で、仏教は、救済の宗教(キリスト教やイスラム教)ではなく、修行の宗教

・道元は、日本人流の努力主義者ではない。「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり」。自己は努力で得られる成果に執着するので、「自己を忘れる」ことを主張した

・道元の努力は、結果に執着しない努力、祈りに裏付けられた努力。つまり、宗教的な努力。今の日本人に一番必要なのは「宗教心」。努力を絶対とする生き方をやめて、人間を超えた存在を持たなければならない。そのとき、たましいの安らぎを得る

・完全にノンセンス(無意味)な「論理式」が、晩年の親鸞の思想を解く鍵となる。親鸞は、阿弥陀仏に一切合財、下駄を預けてしまった。まさに、何もかもを、阿弥陀仏にまかせてしまった

・阿弥陀仏の誓願は、言うなれば「宇宙意志」。その大きな宇宙意志に従って、人間の歴史が形成されていく。親鸞はそのように見ていた

・最澄は、本質的に真面目人間であって、自己のうちにあるマイナス要因を克服しようとする。彼は、それが仏教の修行だと考えていた。反対に、空海は、人間のうちにあるプラスの要素を引き伸ばし、発展させようとする。その意味で、空海は楽天家であった

・親鸞は他力の仏教を選び、道元は自力の仏教を選んだ。そして、二人は、それぞれが選んだ仏教の哲学を完成させた

・親鸞は、阿弥陀仏に救われている衆生の実存的状況を哲学的に教え、蓮如は、阿弥陀仏に救われている衆生がいかにすればそれを自覚できるか、その方法を教えた。親鸞は哲学者であり、蓮如は宗教家であった

・「」は、良寛において、世間と闘う武器であった。ちょうど、一休において、「」が世間と闘う武器であったように

・良寛にできることは、やがて商家やお女郎屋に売られていく子供たちと一緒に遊ぶことだけであった。その遊びを通じて、良寛は「この世は遊び人生は芝居、この世の舞台には殿様も貧乏人もいるが、芝居が終わると、みな仏の国に帰る」と村人に言って聞かせた

・法然は「阿弥陀仏に電話をかける気持ちで、『南無阿弥陀仏』のお念仏をしなさい」と教えたのだと思う

・親鸞は、生涯にわたって大きな三つの闘いをやった。「聖道門との闘い」「日本人(人間性)との闘い」「自己自身との闘い」。闘いをなし遂げたからこそ、親鸞は「自然法爾」の境地にたどりついた

・一休さんは茶目っ気の禅者。庶民の間をひょいひょいと出歩き、禅の精神を教えていた

・「およそ思想家というものは、すべて先人の思想の特異な点を採用し、その劣った点を批判した上で、各自の自説を形成するもの」。これが富永仲基の基本的な発想であり、彼の加上理論

・富永仲基は、形骸化した儒教・仏教・神道の三教を批判し、儒仏神三教の精髄は、孝悌忠恕であり、五戒十善であり、七仏通誡偈であり、清浄・質素・正直である。それらはいわば「人のあたりまえ」であり、仲基はこの基盤の上に普遍的な人間倫理を構成した

・小林一茶は、感情移入の天才だったが、ナルシズムではない。一茶の場合は、自己が「弱き存在」「憫れみの存在」と意識され、そのような自己に向かって涙した。それは「被害者意識」であった。仏にすべてまかせてしまえばいい、一茶はそのような諦観に達していた



本書には、上記以外にも、数多くの名僧高僧が登場し、貴重な言葉と、著者の見解が数多く収められています。

名僧高僧は、求道者か救済者、哲学者か宗教家に分かれます。そのどちらが気に入るかは、それぞれの人の性質、今の状況によって違います。自分に合った人物、言葉を選び出すのに、いい一冊ではないかと思います。


[ 2012/08/18 07:03 ] ひろさちや・本 | TB(0) | CM(0)

『スウェーデンの少子化対策』谷沢英夫

スウェーデンの少子化対策スウェーデンの少子化対策
(2012/05/18)
谷沢英夫

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10年ほど前に、北欧に視察旅行に出かけ、その時以来、北欧が大好きになっています。好きになったのは、家具や景色や歌とかではなく、北欧の社会制度全般についてです。それらが、先進国民の叡智の結集のように感じるからです。

本ブログで、スウェーデンの本を採り上げるのは、これで6冊目になります。今回のテーマは少子化対策です。スウェーデンは、先進国でありながら、少子化をどう克服してきたのか。興味が持たれるところです。

日本が学ぶべきところがたくさんある書です。それらを「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・スウェーデン人の本格的なアメリカ移民は1865年から。スウェーデンの20世紀初期の人口約500万人に対し、約110万人が国を去った。このため、結婚できない女性が増えたが、それ以上の多産少死による人口急増で、自然増加が続いた

・1905年~1911年の社民党の政策マニフェストは、「言論自由」「週休1日制」「8時間労働」「児童労働禁止」「失業傷害保険」「政治投票参政権」

・1911年~1920年の社民党の政策マニフェストは、「累進課税相続税財産税の導入」「週36時間制(週休1日半)」「国民保険」「国民学校(教育が無料で受けられる)」

・1920~1944年の社民党の政策マニフェストは、「法の下の男女平等」「学校の無料化」「傷害・生命・失業保険」「母親保健」「年金」「最低賃金規定」「安全作業基準」「死刑廃止」「外国人労働者の保険適用」

・1944年~1960年の社民党の政策マニフェストは、「授業料の完全無料化」「学生・研究者への生活支援」「失業・傷害・病気・傷害・母親保険の充実」「住居密度改善・衛生向上・設備充実」「母子保健の充実」「最低賃金法」「同一労働同一賃金

・18~19世紀のスウェーデンでは、婚外子を持った母親は、子供の多くは、役所や教会によって、里子にされるか救貧院に引き取られた。ときには、救貧児童オークションと呼ばれる婚外児の里子競売のようなことが行われていた

・1929年の大恐慌により、スウェーデンでも大量の失業者が出て、その結果、1934年、1935年には合計特殊出生率が1.7まで落ち込んだ。この状況を、将来の人々の生活を脅かす国家の危機として捉えた。1935年に政府は「人口委員会」を設け、原因を探った

・出生率低下は、工業化によってできた二つの格差が原因と考えた。一つは、農村と都市にできた格差。もう一つは、都市における低賃金労働者と中間・富裕層との間にできた格差

・さらに、出生率低下は、住居不足が原因と考えた。寒さが厳しい北欧の都市で、住宅不足は深刻だった。農村から流れ込む大量の人々の住宅需要に対応できず、家賃も高騰していた

・1980年代前期の不況で、出生率が1.6まで落ち込み、政府は「スピード・プレミアム」(30か月以内に続けて次子を出産すると、先に産んだ子と同じ条件の保険を適用)という出産促進策を打ち出し、それが効果を生み、1989年~1993年には、出生率が2.0を超えた

・男女間の格差をなくし、女性の職業と家庭・育児の両立の負担を軽減する「男女均等政策」と「家族政策」が強力に推し進められている中、今世紀に入って、スウェーデンの出生率は上昇を続けている。2010年度は、失業率が8~9%でも、出生率は1.98

・スウェーデン人は2子の出生までは、収入水準に影響されないが、3子目の出生には影響するという結果が出た。さらに、夫婦ペア収入で、女性の収入割合が20~40%だと出生率が落ち、逆に60~80%と男性より多くなると、第3子の出生性向が高くなる傾向が出た

・中立国スウェーデンは、戦後の経済成長で大きな富を得た。そして、その富を福祉制度の確立のために社会投資した。スウェーデン人の生活を安心させているのは、このときの福祉政策と福祉理念があるため。過去の政治は、対立政党からも高く評価されている

・「少子化対策を正当化する論拠」とは、「将来の経済悪化や生活水準を低下させない」「子供は将来、社会に貢献してもらう公共財」。スウェーデンは少子化対策を一貫して、はっきり正当化してきた国

・家族政策の法的整備がされても、実際に行われないザル法にならない体制が必要。オムブツマン制度等によって、職場で法が実際に施行されているか監視し、問題があれば、雇用主と協議し、場合によっては法廷に告訴するといった、断固とした法の執行姿勢が必要



古くから、民主主義が根付き、それをしつこく実施してきたからこそ、今のスウェーデンがあります。

少子化対策は、どんな国家であろうと、国が発展していくためには必要な政策です。それを疎かにしているとすれば、政策の是非ではなく、国家の怠慢という問題になるのではないでしょうか。
[ 2012/08/17 07:02 ] 北欧の本 | TB(0) | CM(0)

『歴史のしずく-宮城谷昌光名言集』

歴史のしずく - 宮城谷昌光名言集 (中公文庫)歴史のしずく - 宮城谷昌光名言集 (中公文庫)
(2005/05/26)
宮城谷 昌光

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宮城谷昌光さんは、歴史小説を得意とする直木賞作家です。中国の歴史人物の作品を得意としています。白川静さんや司馬遼太郎さんから高い評価を受けて、世に出てきた人です。

言葉の一字一句に重きを置かれる作風のため、感銘、納得するところの多い作家です。

本書は、宮城谷昌光さんの小説の中で、語られた印象的な言葉を抜粋したものです。それらの要約を、一部ですが、紹介させていただきます。



・独りであるという意識をもつ者は、人ではないものと語り合わなければ、とても生きていけない。人は、哀しいことに、言葉を喪えば、死ぬしかない

大業を目指す者が、最も恐れねばならぬものは、人ではなく、時である

・人を欺くことは、同時に自己を欺くことで、そこにも真実がある。つまり、虚に思われるところにも実はあり、実であるところにも虚はある

・孫子は速成を嫌った。人より速く歩いてみせようとする者は、間道を選ぶうちに、結局、大道を見失って迷ってしまう

・与えられてばかりで、与えることをしない貪った者は、なべて終わりがよくない

・人を傷つけると、自分も傷つく。その負傷を恐れるがゆえに、人は言いたくもないことを言い、言わねばならないときに黙る。日常生活においても、人の勇気は試される

・人を救おうとしたのであれば、救いきること。中途半端なものから感動は生じない

・私は侈(おご)っている者を烈しく憎まない。なぜなら、侈っている者は自ずと滅ぶ。が、怠けている者はどうか。私は怠けている者を最も憎む

・どれほど知力が豊かでも、懐疑や猜疑をするものは、結局、己を弱めていく。一概に言えば、この世は信じた者が勝つ、ということ

・傲慢さは知恵を曇らせ、他人の知恵を近寄らせない。自信満々な者に献じられる言葉は、諛言(ゆげん)しかなく、それは人格を低下させる言葉の毒

・自分の力を自分で発見し、活用する努力が、この世で最大の努力。おそらく、千人のうち九百九十九人が、そういう努力をしないか、または、努力の途中で挫折する

力のある者が力のない者を、いじめぬき、抹殺しようとするほど陋劣(ろうれつ)なことはない。力のある者は他の力のある者と戦えばよい。が、権力の世界において、彼らは戦わず、折れ合い、狎(な)れあっている

人に仕えることは、死ねと言われたとき、何のためらいもなく死ぬことができることをいう。常に自ら生きようとする者は、主を持たぬがよい

・人は、失うまい、守ろう、とすると、うす汚いことを考えるようになる。何もないことが、聖人への道

・権力のある者は、悲しいかな、無実でも、その者の存在が、すでに罪である

・時代の狂気を否定しようとする者に、時代の常識に慣れた人々が、狂気をみるのは、古往今来、必ずあることであり、それは革命者の奕々(えきえき)たる宿命である

策とは、他人のために用いるのであって、自分のために用いると、狂いが生ずる

・外交の秘訣は、相手国の利を示すこと。自国の利害を口にしてはならず、憐れみを乞うのは、最後の最後

・戦争というものは、仕掛けたほうが必ず相手の怨みを受ける。つまり、振りかざし、斬りつけた剣がかわされると、その剣は、己を刺す剣に代わる恐ろしさをはらんでいる

不運な者は、幸運を分けてもらいたくて、幸運な者に近づこうとするが、かえって不運になる。不運な者が幸運をつかむためには、同じ不運な者を探せばよい

・本当の美しさは、現れるものではなく、隠れるもの。真の美しさがわかる者が、この世に多くいるはずはなく、その者が完き璧を所有し、愛蔵し、他の者に見せないのは当然



人生、努力、組織、勝負、運命、お金、幸福など、歴史を通してそれらを知ることができます。

しかし、その場合、歴史の翻訳者が必要です。翻訳者は、現世にも通じていなくては、それらを翻訳することができません。

素晴らしい歴史作家(歴史の翻訳者)に出会うことで、人生が豊かになれるのではないでしょうか。


[ 2012/08/16 07:02 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『詩集・宇宙のまなざし』坂村真民

詩集 宇宙のまなざし詩集 宇宙のまなざし
(2000/03)
坂村 真民

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坂村真民さんの詩集を紹介するのは、「念ずれば花ひらく」に次ぎ、二冊目です。

仏教の教えのように、じっくり、ゆっくり効いてくるのが、坂村さんの詩ではないでしょうか。本書は、無限に拡がっていく坂村さんの世界が感じられます。

数多くい詩の中で、心にじっくり響いてくる詩を、紹介させていただきます。



・「凛」 砂漠や高山を踏破してきた人の顔は、窯を出た焼き物のように、凛としている。人間こんな顔にならない限り、本ものとは言えない

・「きのこのように」 あたたかい御飯があり、あたたかい風呂があり、あたたかい布団があり、貧しいけれど、親子五人が、きのこのようにかたまって生きる。この家族を神よお守り下さい

・「時間をかけて」 あせるな、いそぐな、ぐらぐらするな。馬鹿にされようと、笑われようと、自分の道をまっすぐゆこう。時間をかけて、みがいていこう

・「一つ」 一つの光をみつめて行くのだ。一つの道をたずねて歩くのだ。一つの事をつづけて進むのだ。他を求めようとせず、ただ一つを目指し、それを深め極めるのだ

・「存在」 ザコはザコなり、大海を泳ぎ、われはわれなり、大地を歩く

・「大木の幹」 大木の幹にさわってみると、大木の悲しみが伝わってくる。孤独というものは、猛獣にすらあるのだ。万年の石よ、沈黙の鬱屈よ、風に泣け、月に吼えろ

・「天を仰いで」 心が小さくなった時は、天を仰いで、大きく息をしよう。大宇宙の無限の力を吸飲摂取しよう

・「嘆くなら」 嘆くなら、ただ一つ、愛の足りなさに嘆け。金がないとか、思うようにならぬとか、どこそこが痛むとか、そんなことよりももっと大事な愛の足りなさに嘆け・・・・・

・「誠実」 誠実であれ、誠実であれ。誠実をなくした時、火は消え、その人も消え、一切の芸も消える・・・・・

・「一念」 念は一念でいい。二度とない人生を懸命に生きてゆく、そういう詩を作り、みなさんに読んでいただく、その一念でいい

・「目」 今一番、目の澄んでいるのは、明治大正昭和を生き抜いてきたおばあさんたちだ。こういう澄んだ深い目は、もう日本から消え去るだろう。悲しみに耐え、磨かれた目は、深海の真珠のように美しい

・「どうしたら救われるか」 どうしたら救われるか。木に聞いてみた。木は答えてくれた。気を充実させることだと。こんどは石に聞いてみた。意志を強くすることだと言う。つぎには、鳥たちに聞いてみた。鳥たちは異口同音にすべてを任せることだと・・・・・

・「手を洗え」 手を洗え、手を洗え。核を作る人間どもよ。手を洗え、神の造り給うた地球を破壊しようとする傲慢の手を洗え

・「川」 川はいい。川のどこがいいか、それはいろんな処に降った雨が、ひとつに集まり、海へ向かって、流れてゆくのがいい。人間もそのように、みんなが幸せを求めて、生きてゆくんだと教えてくれるところがいい

・「野の花」 明るくて、朗らかで、いつもにこにこしている野の花。神から授かった、そのままの装いで、今も咲いている野の花。素直で、遠慮深くて、つつましい野の花。・・・・・ああ慕わしいのは、野の花、野の人、野の心

・「苦」 苦がその人を鍛えあげる、磨きあげる、本ものにする

・「茶と詩」 心悲しむ人のために、心荒んだ人のために、心からおいしく飲んでもらう一服のお茶を進ぜられるようになりたい。・・・・・心苦しむ人のために、心傷ついた人のために、心からうれしく読んでもらう一篇の詩を作り得るようになりたい。・・・・・

・「一途」 尊いもの、一途なる歩み。光るもの、一途なる姿

・「ねがい」 風の行方を問うなかれ。散りゆく花を追うなかれ。すべては、さらさら流れゆく。川のごとくあらんかな

・「晩年」 人間晩年が大事だ。晩年の美如何が、その人を決定する



坂村真民さんのことが、天からの代弁者のように思いました。報われなくても、善いことを真面目に行っている人たちへの応援歌かもしれません。

どんな時も、応援してくれる存在は、ありがたいものです。本書を読めば、進んでいる道は間違っていないと強く語ってくれそうな気がします。


[ 2012/08/14 07:01 ] 坂村真民・本 | TB(0) | CM(0)

『転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵』嵐山光三郎

転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵
(2012/04/05)
嵐山 光三郎

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以前、NHK・Eテレ「100分DE名著」が徒然草のとき、嵐山光三郎さんが、熱い思いを語っているのを見ました。

本書でも、「徒然草は私の教科書であり、人生の節目節目に読むと、その度に新しい発見がある。若いときにわからなかった部分が、突如、見えてくる。それが徒然草の深い教え」と述べられています。

このブログでも、徒然草に関する本を数冊とり上げてきましたが、その度ごとに新しい発見があります。本書にも、新しい発見がいくつもありました。その一部を紹介させていただきます。



・兼好は、三十代後半に、世捨て人となったが、兼好が捨てたのは、現実の世ではなく、俗世間のわずらわしさ

・徒然草には、「一瞬の怠けは一生の怠け」「ほとんどの話はむだな話」「大事を思いついた人は他のことはすべて捨てよ」「一切の俗縁を捨てよ」「まず時期を知らなくてはいけない」「シンプルなものが優れている」など、ドキリとする一節がそこかしこに出てくる

・「この人はもう思い残すことは何もないだろう」と思われるような人、好き放題のことを人一倍やってきた人ほど、実は逆に、思い残すことが多い。それほど人間の業は深い

・兼好は「一銭の金を積み重ねると貧乏な人を富んでいる人とする」と、お金の大切さを説く一方、別の段で「お金を貯めるのは空しい、財産を残す意味はない」と言う。兼好は隠者でありながら、金への執着もあったから、金への幻想を見定めることができた

・「けがは、もう安全な場所になってから、必ず起こすもの」(第109段)

・「勝とうと思って打ってはいけない。負けまいと思って打つべきだ」(第110段)

・現代において、世捨て人に一番憧れる人は、都会の中で、日々を他人の何倍も現実と対応しながら過ごしている人。その意味で、兼好は、都会人であった

・兼好は自分のお金を増やすことにも執着があったし、名誉や地位にも執着があった。そういう執着があったからこそ、その自分が見え、お金の空しさというものも見えていた

・「自分が死んだ後に、財宝が残るということは、知恵のある人はしないこと」(第140段)

・「俗世間を捨てた人が、世間一般の人が、へつらったり、欲が深いのを見て、むやみに軽蔑するのは間違っている」(第142段)

・「衣食が世間並みなのに、悪いことをする人こそ、本当の盗人というべき」(第142段)

・旅は、瞬間に世捨人の気分を味わえる便利な時間。旅をしている間のみが、現代人のドロップアウトと言える

・「珍しいことを求め、異説を知りたがるのは、浅学の人が必ずやること」(第116段)

・「身のほどを知らないで、無理に努力するのは、その人自身の考えが間違い」(第131段)

・「世間で語り伝えていることは、実話では面白くないので、ウソばかり」(第73段)

・「教養のある立派な人は、不思議なことを話さないもの」(第73段)

・「大欲は無欲に似ている」(第217段)

・「愚かな人は、物事を頼みすぎるから、他人を恨んだり、怒ったりする」(第211段)

・「華美、贅沢をして、それを偉いと思い、威張る人は実にいやで、思慮がない」(第2段)

・「立派な人が物を語るときは、大勢の人がいても、その中の一人に向かって話しかける」(第56段)

・「自分の知識をふりかざして、他人と争うのは、角や牙のある動物が、角や牙をむき出しにして、相手に立ち向かうのと同じ」(第167段)

・「人の生活を見て思うことは、春の日に雪だるまの仏像を作って、その雪仏のために金銀珠玉の飾りを取りつけたり、お堂を建てようとするのに似ている」(第166段)



人間の業や欲、その人間が構成する社会の矛盾について、客観的にながめていた吉田兼好の思想が、本書には詰まっています。

徒然草は、単なる随筆集ではなく、哲学書として、読むのに値する書ではないでしょうか。吉田兼好の都会人的センスに脱帽です。


[ 2012/08/13 08:52 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)
(1995/12/18)
日本戦没学生記念会

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本書には、太平洋戦争で戦死した学生の「生の、本音の声」が収められています。頭のいい学生たちは、何を考え、何を思って死んでいったのか。戦争をどう考えていたのかを知る貴重な資料です。

この本に載っている学生をはじめとして、戦争で無念の死を遂げた人たちの声を忘れて、現在の生活を享受してはいけないように感じました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「日本が真に永久に続くためには自由主義が必要です。全体主義的な気分に包まれているが、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的になる主義です」(上原良司・慶応大学生・沖縄にて戦死・22歳)

・「人間の本性として、FREEDOMに憧れるという真実さを、兵営に来て初めて身にしみて知った。失うまい。何時までもこの美しい心根を」(上村元太・中央大卒・沖縄にて戦死・24歳)

・「虐げられた人々の群。鎖の音の聞こえそうな真昼。重たい足、大きな靴、笑いのない哲学」(浅見有一・九州大卒・千葉にて戦死・27歳)

・「軽井沢に見たような富豪の生活、近時見聞きする軍人の時を得顔の振舞、官吏、資本家の実情を見るにつけ、我々は胸の煮えくりかえるのを覚える。しかし、なるようにしかなるまい」(佐々木八郎・東大学生・沖縄にて戦死・23歳)

・「『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』という句に集約される宮沢賢治の思想。深みのある東洋的な香りの高い、暖かみのこもったその思想が、僕自身の中に育まれていた人間や社会の理想にぴったりあう」(同上)

・「国籍が異なるというだけで、人間として崇高であり美しいものを尊敬することを怠り、醜い、卑劣なことを見逃したくない」(同上)

・「政府よ、現在の戦いは、勝算あるのか。空漠たる勝利を夢みて戦っているのではないか。国民に向かって必ず勝つと断言できるのか。国家は激情にかられることなかれ。落ち着いて理性の名刀を振って混乱をとくべし」(松岡欣平・東大学生・ビルマにて戦死・21歳)

・「私たちは広く眼を注がねばならぬ。よく省みなくてはならぬ。安っぽい感傷やブリキ細工のような独善を排しなければならぬ。くどすぎる自己礼賛をきくと反吐をはきたくなる」(中村徳郎・東大学生・フィリピン島にて行方不明・25歳)

・「人々の邪悪さと運命の酷薄さとの間にありながら、善良であり、いつまでも善良であらねばならぬ。苦しいいさかいのうちにも温和と親切とを失わず、戦いの最中にも平静でありたい」(同上)

・「日本人の死は日本人だけが悲しむ。どうしてこうなければならないのか。なぜ人間は人間で共に悲しみ喜ぶようにならないのか」(岩ヶ谷治禄・静岡第一師範卒・ルソン島沖にて戦死・21歳)

・「自分の飯をもらう時、腹が減って飯を前にした時、人間の姿や表情は一変する。明日から食堂の食卓に坐る時、お念仏をしよう。いやな眼つきを自分もしていると思ったらゾーッとする。眼を閉って、お念仏しよう」(長谷川信・明治学院学生・沖縄にて戦死・23歳)

・「人間は、この世を創った時以来、少しも進歩していない。この戦争には、正義云々の問題はなく、民族間の憎悪の爆発あるのみだ。恐ろしきかなあさましきかな、人類よ、猿の親類よ」(同上)

・「もう何も要らない。慰めとか、励ましとか、それが軍国調やハッタリ多きものであるならば、腹立たしさ以外の何物でもない。何という安っぽさの群れであることか」(和田稔・東大学生・人間魚雷訓練中戦死・23歳)

・「努力したい。本当に自分の為すべきことに全力を尽くしたい。明るく元気よく」(井上長・東大学生・江田島付近にて戦死・23歳)

・「軍人の中に偉い人はいなかった。軍服を脱いだ彼らの言動は、実に見聞するに耐えなかった。この程度の将を戴いての戦勝は望み薄。これらの軍人の存在を許容し養ってきたことを国民は知らねばならない」(木村久夫・京大学生・シンガポールにて戦犯刑死・28歳)

・「すべての望みを失った人間の気持ちは実に不思議なもの。いかなる現世の言葉をもってしても表わし得ない。すでに現世より一歩超越した。死の恐ろしさも感じなくなった」(同上)



戦死した学生たちは、現実が見えていたにもかかわらず、一緒に戦わざるを得ず、逃げるわけにはいかなかったのではないでしょうか。誠に無念だったと思います。

これらの言葉の中に、「努力したい。自分の為すべきことに全力を尽くしたい」というものがありました。努力したいのに努力もできなかった時代があったことを、伝えていく必要があるように感じました。


[ 2012/08/11 07:36 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『大胆推理ヒトの進化から探る知性の本質』井上豊

大胆推理ヒトの進化から探る知性の本質―こどもに伝えたい本当の頭の良さ大胆推理ヒトの進化から探る知性の本質―こどもに伝えたい本当の頭の良さ
(2012/02/03)
井上 豊

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著者は、県立高校の教頭を経て、医療福祉大学の准教授になられた方です。この本では、「本当の頭の良さ」をテーマに執筆されています。

教師時代の経験をもとに、頭の良さとは何かを大脳生理学的に、明らかにされています。学校での実例も多く、面白く読むことができました。その要約を、紹介させていただきます。



・困難こそ、学習により獲得した知識の、実践の場であると同時に、進歩の原動力

・高齢になるにしたがって、大脳前頭葉だけが急速に委縮するとと、理性と感情のバランスが崩れ、怒りを爆発させて、癇癪を起こして、感情を抑えられなくなる

・沸き上がる「怒りの感情」をコントロールできなくなってキレる若者は、癇癪を起こす認知症患者に似ている。原因は、大脳前頭葉の成長の遅れ、すなわち「発育不全」にある

・脳は小学校入学までに、基本的なところは完成するが、大脳前頭葉だけは、20歳くらいにならないと完成しない。そのうえ、成長のスピードにも個人差がかなりある。若者の中に大脳前頭葉の成長が遅れている者がいても、少しもおかしくない

・大脳前頭葉は、感情をコントロールするだけでなく、目的意識向上心創造性などに関係する重要な器官だが、その成長は遅く、そのうえ老化の影響を受けやすいなど、極めてデリケートで故障しやすい側面を持っている

・体温維持・食欲・性欲などに係わる「古い脳」は、下等動物から使い続けられ、進化を通じて、完成度を増してきたので、滅多に不具合は起こらない

・酒乱の人たちは、アルコールの影響を受けやすく、大脳前頭葉が働かなくなる。気に食わないことに怒り、暴言・暴力で人を傷つける。「キレる」「癇癪」の状況と全く同じ

・昔の子供は、早くも赤ちゃんのときにキレていた。このキレることを「かんの虫が起こった」と言った。泣いて、ときにキレて、泣き疲れて寝る。不快・怒りの感情をうまく手なずける方法を身につけて、何事にも耐え、ガマンして毎日の生活を送っていた

・学級崩壊もADHD(注意欠陥/多動性障害)の子供たちが深く係っている。このADHDの直接の原因は、大脳前頭葉がうまく働いていないため

・ADHDの子供たちは、ふざけてやっているわけではなく、意地悪でも、面白がっているわけでもない。本人自身が、自分をコントロールできない。つまり、ガマンを強いられず、快適な環境でずっと育った結果、大脳前頭葉の成長が遅れたため

孫を溺愛する祖父母が、いつでも孫の味方につくほど、子供はキレやすくなる

大脳前頭葉の発達を促すには、1.「なすべき目標・目的を持つ」2.「イヤなことから逃げない」3.「自分を甘やかさない」4.「やるべきことはきちんとやる」5.「感情をストレートに出さない」6.「面倒なことから逃げない」7.「どんなことでも最善を尽くす」

・動物の頑張りは、「生きるため」「子孫をのこすため」という強烈な動機が引き金になる。要は、動機こそが頑張りの源。ダラけた生活の原因は、強烈な動機がないことにつきる

・人間は、自分の目標をどのくらいはっきり自覚するかどうかで、頑張れる度合いが決まる。そして、目標を持った人ほど、強く、たくましく、充実した人生を送ることができる

・感受性は、心ときめく「プラスの感動」と、不安を生み出す「マイナスの感動」の振幅差。振幅差の大きい人は、受ける感動も大きい割に、落ち込むと、とことん落ちてしまう

・扁桃体のおかげで、恐れや恐怖心が生まれ、危険な状態から回避できる。実は、怒りの感情も、扁桃体が生み出している。怖くて、怖くて、体がすくんでしまったとき、最後の反撃に「怒り」が必要になる

・不安を解消するには、やるべきことをきちんとやり、それでも不安が消えないのなら、もっとやればいいだけ

・「頭の良さ」とは、少しずつ確定していく「努力の跡

・目標・目的がしっかり認識できるようになれば、大脳前頭葉が不安・恐怖などの情動を抑え込み、目的に向かって努力するパワーを生みだしてくれる

・「頭の良さ」に差があるにしても、いくらでも「目標・目的を持って努力すること」で、差を縮めることはできる



大脳前頭葉を発達させること、つまり「頭を良くする」には、「目標・目的を持つ」「我慢する」「やるべきとをやる」「努力する」といった、当たり前のことをきちんとやるかどうかのようです。

飛び道具などありません。地道に、計画したことをやり抜けば、自然と頭が良くなっていくということなのかもしれません。


[ 2012/08/10 07:01 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『たくましい人』加藤諦三

たくましい人 (PHP文庫)たくましい人 (PHP文庫)
(2011/05/10)
加藤 諦三

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著者の本を紹介するのは、「ずるい人に騙された時どう生きるか」に次ぎ、2冊目です。草食系=弱い人=優しい人、肉食系=たくましい人=ずるい人と思われている方が多いのではないでしょうか。草食系の人が増えたのは、平和で豊かな時代の証しです。

中国・韓国・ロシアなど、経済力をつけてきた国々に囲まれ、一方、デフレが20年も続き、経済力が衰えてくると、さすがに、草食系は生きづらくなってきます。

たくましい人と弱い人の行動を研究したのが、この本です。その要約を紹介させていただきます。



欲求不満な人は攻撃的。人を攻撃すること、人をいじめることで、心の傷を癒す

・人を世話して、その人から裏切られるのは、人間の世界によくあること。世話する方に、人を見抜く力がなかったというだけ

・自分が人を騙しているから、騙す人のことがよくわかる。騙されないのは、自分が騙す人だからである

・ガラクタを捨てて、身軽になること。今悩んでいる人は、「ガラクタに執着していないか」と心の中を見つめること

トラブルだらけの時は、「今揉まれている。磨かれている」と思うこと。トラブルで磨かれなければ輝かない

・ずるい人は、自分の手を汚さないで人を搾取する。弱い立場の人を助ける顔をしながら、弱い立場の人を食い物にして生きている

・強い立場の者から痛めつけられて、もだえ苦しんだ体験が本当にたくましい人をつくる

苦しみを乗り越えた人の顔は引き締まっている。顔の奥が輝いている。それが、たくましい人である

・信じる方が、自分にとって有利だから信じる。心理的に楽だから信じる。相手の人柄を見て、その言葉を信じるのではなく、信じる方が救われるから信じてしまう

溺れかかった人は、海賊船にでも、助けを求めてしまう。だから、困った人の周りには、ずるい人が集まる

・たくましくなる以外に現実の世の中で生きる方法はない。警察は民事不介入で、善良な市民がとんでもない人に、どんなに苦しめられていても助けてはくれない

・ずるい人にずるいことをされないで生きていくのが賢い人

卑怯な人と一緒に仕事をしていた時の自分を恥ずかしく思う人、卑怯な人と時間を過ごすことの愚かさに気づいた人は、不幸な人生を送らない

・必ず「勝つ」と決意して戦う。この攻撃性がなければ、人は鍛えられない。また、戦いを持続させるエネルギーは出ない

・従順な「良い子」は、ずるい人の格好の餌食となる。従順な「良い子」はいつも怯えている。その弱さに、ずるい人は敏感

・たくましい人は、長期的にものを見ている。だから、今が苦境でも「いつか必ず」という視点がある。今が勝負ではないと、今の困難を受け止める

・従順だけで生きてきた人は、他人が自分の領域に侵入してきても、自ら戦わない。誰かに「守ってもらおう」とする。これが、従順な「良い子」の弱点

・怒りは、自分に不利な状況をもたらす。怒りは長い眼で見た利益を奪う

・財産なり、名声なり、真面目な性格なり、何らかの力を持っている優しくて弱い人は、質の悪い人に囲まれやすい

地に足ついた生活をしてこなかったから、愛の仮面を被った人を見分けられない。学歴だけで人を判断する。職歴に目がくらんで、エリートを尊敬したりする

・どんなに権力を握っても、迎合する弱さがある限り、ずるい人たちが周囲に群がってきて、甘い汁を吸い尽くす



ずるい人を見分けて、ずるい人から逃げることができれば、たくましくなくても、弱くても、優しくても生きていけます。

弱肉強食の世の中で、「強」になるにこしたことはありませんが、「強」の餌食にならない術、「弱」が生き延びる術が大事です。その術を教えてくれる書でした。


[ 2012/08/09 07:01 ] 加藤諦三・本 | TB(0) | CM(0)

『「デジタル脳」が日本を救う-21世紀の開国論』安西祐一郎

『デジタル脳』が日本を救う - 21世紀の開国論『デジタル脳』が日本を救う - 21世紀の開国論
(2010/11/25)
安西 祐一郎

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デジタル化、ネット化によって、われわれや社会はどう変わってきているのか?今後、さらに、どう変わっていくのか?非常に気になるところです。

新しいことを疎ましく思う中高年よりも、若者のほうが客観的にその変化を捉えているのではないでしょうか。

どういう変化が起こって来ているのかを知りたくて、この本を読みました。参考になる点が多数ありました。本の要約を、紹介させていただきます。



・「1990年代の半ば、私は急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであることに気づいた。この四十年あるいは五十年というもの、経済が主役だった。これからの二十年あるいは三十年は社会が主役になる」(ドラッカー)

・デジタル革命は、先端技術開発の面もあるが、むしろ社会の仕組みやモノの見方、考え方の劇的な変革

・「失われた二十年」を支配していたのは、大人たちの内向き指向と、それに迎合した政治の内向き指向。さらに世論を動かすマスメディアの内向き指向

・ネットでもリアルでも外国人とのコミュニケーションには英語が絶対に必要。もはや「英語を学ぶべきか否か」を議論している段階ではない

・ネット世代は「選択の自由や表現の自由を好む」「パーソナライズを好む」「情報の調査に長けている」「決定する際に誠実性オープン性を求める」「娯楽を求める」「スピードを求めている」

・企業の新入社員に、将来役職につくことに関心があるか聞くと、興味がないと答える人の割合が急激に増えている。「出世離れ」の傾向がある

・本を読むこととゲームをすることで身につけられる力は違う。「本は善、ゲームは悪」という単純な善悪論をそのまま学びの方法に適用するのは間違っている

・ネット世代の思考や行動パターンは、人を押しのけてまで出世するより、自分の身の丈に合った、自分の力を発揮できる仕事を好み、家族や友達など安心できる人たちや、生き方や価値観を共有できる仲間との関係を大事にするというもの

・グーグル、アマゾン、マイクロソフト、アマゾン、その他の巨大情報産業が、こぞって出版業界に参入しているのは、電子書籍を通じて、人間の思考と言語の深奥をつかみ、人間のあらゆる活動に関与すること。つまり、教育に大きな関心を持ち始めているから

・デジタル革命によって、教育は大転換する。なぜなら、デジタル技術を教育に応用することによって、一人ひとりの生徒を伸ばすことができるから。また、生涯学習の機会が開かれるから

・韓国は、デジタル機器を使った教育や英語教育も、日本より早く、熱心に進めている。彼らの目は、欧米、そしてグローバル社会に向かう世界の潮流全体に向けられている

・文系理系を区別するのは古い考え。分野にかかわらず、世界と対等に渡り合うことのできる人材を一人でも多く輩出しなければならない

・アメリカ西海岸からデジタル情報の技術が生まれたことは、「イノベーションは自由から生まれる」ことの証左。アメリカ人が、常にオープンにモノを考え、新しいことを開拓していく力は、なお圧倒的に突出している

・コミュニケーション力の四つの力とは、「想像力」(他人の心や社会の動向を感じ取る力)、「構想力」(どんな言葉で言うかを構想する力)、「集中力」(想像し、構想しながら、自分の考えを述べる力)「並行処理力」(相手と話しながら、別のことを考える力)

・デジタル革命のもとでの教育において、知力情の力意志の力、さらにそれらの総合力をどうやって鍛練するかは、これからの最大の課題の一つになる

・学習継続力を身につける方法には、「自分の関心を目標にしたプロジェクト学習に慣れること」「古典や歴史に親しみ、深い知識を得ておくこと」「学習方法を学習すること」の三つある



デジタル革命は、あまり働かなくても給料の高い業界で働く人たちの仕事を奪ってきています。金融、貿易、出版、マスコミ、広告業界などは、その影響をもろに受けている業界です。

今後、公務、教育、医療、宗教などに、その影響が及んでくるのは必至です。要するに、カラダを動かさずにラクして儲かっていた業界が廃れていくのは時間の問題ということです。

おいしい目をしてきた人たち(特権階級)が、最後の抵抗をしているのが、今の日本の状況かもしれません。本書を読むと、そういうことが、見えてくるのではないでしょうか。


[ 2012/08/08 07:03 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『相場金言集―世界の名手が発見した定石』林輝太郎

相場金言集―世界の名手が発見した定石 (同友館投資クラブ)相場金言集―世界の名手が発見した定石 (同友館投資クラブ)
(2001/07)
林 輝太郎

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著者の本を紹介するのは、「相場師スクーリング」「相場人生訓」に次ぎ、三冊目です。

相場は、嘘偽りのない人間の姿、心の奥の闇の部分を浮き彫りにします。投資など関係ないと思われる方でも、人間心理の勉強になります。

著者は、相場研究の第一人者で、戦後間もないころからの様々な人間模様を見てこられた方でした。生き馬の目を抜く世界から見て、人間とは一体何なのか?この金言集で著者の本音が語られているように思います。それらを紹介させていただきます。



・「片玉二分の一、雑音無視」(立花義正)
絶好の買い場と思っても、片玉(両建て玉に対する語)は資金の二分の一までにとどめよ。他人は助けてくれない。「見ざる、聞かざる」。自分を確立しなければならない

・「僥倖(ぎょうこう)を夢見るな」(ロスチャイルド家訓)
まぐれ当たりが一生続くという保証はない。相場技法を駆使して得た利益でもないのに、相場のコツを会得したなどと結果だけで考えたら大間違い

・「相場に度胸はいらない」(清水正紀)
相場に必要なのは、自分の出来る相場技術を駆使する冷静さのみ

・「相場の研究とは商内の方法を工夫すること」(松村辰次郎)
相場の研究とは、当て方を研究するのではなく、やり方を研究すること

・「最良の予言者は過去なり」(バイロン)
相場における悪魔は、別に相場自身ではない。相場をする人間の貪欲さこそ悪魔。その限りにおいて、過去は真理

・「上昇に転じた相場は上昇を続け、下落に転じた相場は下落を続ける」(相場古言)

・「0(ゼロ)をつくれ」(立花義正)
休みをつくる。不利な玉を切る

・「ためし玉を活用せよ」(相場古言)
ためしに小数仕掛ける。ためし玉による損が何回続いても、損金は大したことがない。儲けるための経費と考える。相場に乗れたときには、本玉を入れ、大きく値幅をとる

・「ポーカーはカードの勝負ではなく、人間の勝負。勝つときに乗れ。回数多く勝つより大きく一回勝て」(ポーカー必勝法)

・「相場道の極致は手仕舞いにあり」(相場古言)

・「知っているものだけ買え」(カッツン)
自分自身で確実に知れる範囲だけを信用して売買せよ

・「早耳の早倒れ」(相場古言)
早耳(自分だけが知っているものという錯覚)への警告

・「話に投資せず、物に投資せよ」(カッツン)

・「相場は常に現在の価値と均しくないものにきまっている」(コストラニイ)

・「思惑とは、現在と全く反対なことを将来に予測して金儲けをたくらむことである」(木佐森吉太郎)

・「良い銘柄だけを残すこと。そうすれば利益は自然に生まれてくる」(ウォール街金言)

・「売買の時機は、銘柄よりも大切」(ウォール街金言)

・「麦わら帽子は冬買うもの」(カッツン)

・「意見を聞くなら一人だけ」(相場古言)

・「将来に関する構想で、失敗するに違いないのは、明らかに“確実な”“危険のない”“失敗することのない”構想。明日の企業が築かれる土台となる構想は不確実なもの」(ドラッカー)

・「自信あふれる自己流は、確信なき正統派に勝る」(アーノルド・パーマー)

・「将来を築くには勇気がいる。努力がいる。そして、信念も必要である」(ドラッカー)



短い言葉に、戦いに勝つ(=欲に克つ)意味が込められているように思います。

どうやって、競争に勝ち、生き抜くかの真理と知恵が、本書には、数多く隠されているのではないでしょうか。


[ 2012/08/07 07:03 ] 投資の本 | TB(0) | CM(0)

『新ユダヤ成功の哲学―なぜ彼らは世界の富を動かせるのか』越智道雄

新ユダヤ成功の哲学―なぜ彼らは世界の富を動かせるのか新ユダヤ成功の哲学―なぜ彼らは世界の富を動かせるのか
(2007/01)
越智 道雄

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明治大学教授である著者が、なぜユダヤ人は、世界の富を動かすようになったのかを30の成功遺伝子と12の統計を使い、科学的、論理的に解明しようとする書です。

ユダヤ人の文化や思想をヒントにした「成功遺伝子」には、学ぶべき点が数多くあります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・成功の前提は、「絶望にめげてしまわないこと」。めげてしまわないためには、「負けるが勝ち」という倒錯の達人になればいい。それこそが、シュレミール(道化気質)の真骨頂

・現世の実存的時間を生きるにあたって、「Here & Now」(今、ここで)どう行動するかが常に問われ、それがユダヤ教徒に現世利益の傾向を高めた

・カトリックは、動植物や土地の産出力をよしとみなし、金銭は不毛と断じ、金利という金銭の産出力を否定した。ユダヤ教徒は、金銭という非自然物・非人間の産出力を信じた。土地所有を禁じられた彼らは、金銭の産出力を信じなければ、生業が成り立たなかった

・競争が大前提のユダヤ文化では、自分は競争の圏外に「脱出」し、競争するあまり、提携しにくい同胞たちに気軽に声をかけ、彼らを一堂に会わせる「マスタリング(駆り集め)」の能力がある

・「隙間産業」の最大の利点は、先代の蓄積ぬきで、いきなり巨富をつかめる点。これこそが、ユダヤ文化の成功遺伝子が、たゆみなく活性化し続ける秘訣であり、いつまでも「隙間」にとどまる原因でもある

・ユダヤ系は昔から国内で差別されるから「隙間」を見出すしかなかったわけだが、海外もまた一つの隙間だった。海外へ出ていった同胞につながればよかった

在米ユダヤ系は、ヨーロッパ~イスラエル~アメリカの「三角還流」のアメリカ人だからこそ、ユダヤ系が薬味として活き、イスラエルの存在が、薬味をさらに強化した。華僑や印僑に比べ、エスニック度を高めつつ、トランスナショナル度を高めてきた

WASP(アメリカ建国の主役だったプロテスタントとポーランド系・アイルランド系のカトリックの子孫)は競争を強く奨励した。しかし、それを剥き出しにするな、チームワーク重視の仮面をかぶれ、という偽善を建前にした

・日本人はいったん「島国」の外へ出てしまった同胞は、もはやただの無縁な「ガイジン」にすぎないとする不思議な「不感症」を国民病としてきた。これほどもったいないことはない

・激しい差別に直面し続けてきたユダヤ系の親にとっては、子供だけが希望の星だった。その希望の星を彼らはナーチャス(子供から得られる喜び)と呼んだ

・ユダヤ系の子育て七原則では、父親や他の大人に対しては、敬意を表すように躾けられるものの、母親には甘え放題に育てる。これは、被差別の衝撃を母親にぶつけることで、代理吸収してもらい、心身を立て直す心的操作

・仲間集団は往々にして「強い自我と自尊心」を目減りさせ、個人のユニークさを消耗させ、自分たちと同じレベルの「凡人」に還元しないと気がすまない

・チームワーク重視の文化だと、ユダヤ系の得意とする専門職分野進出の決め手となる読書、孤独の中でしか鍛えられない能力の開発が疎かになってしまう

・ユダヤ系の父親は、子供に家計簿を見せて、アメリカで実人生を生きていく、どうにもならない制限枠を明示する。玩具の取得(成人後の玩具は、車、住宅、衣類、外食、行楽などを指す)を先に延ばすテクニック、つまり「欲望充足の無限延期」こそ、成功の秘訣

・米国におけるユダヤ系が好む車種は「手頃な価格の車」で、高級車を避ける。彼らが好むのは日本車。彼らは、ローン金利を忌避し、キャッシュで購入する者が大半

・状況を見通す立場にいなければ不安なユダヤ系は、他人がコントロールしている組織に身を預けることに、ひときわ警戒心をかき立てられる。終身雇用制に安住してきた日本人とは、まるで違うメンタリティ

・ヨーロッパでは、土地所有を禁じられてきたユダヤ系は、逆に土地への愛着を切り捨て、土地を投機対象に還元できた。世界の金持ち400人の23%がユダヤ系で、そのうち20%が不動産業。すべてを借金でカバーし、徒手空拳でやれる「隙間産業」の最たるもの

・ユダヤ系は「人生の一回性」を固く信じているので、各自が一世代で財をなすのが基本



ユダヤ人は、その厳しい環境(被差別と居住場所と仕事の制約)を逆手にとり、それにも負けずに、生き抜いていくための知恵で、成功しました。

本書には、ユダヤ人が得意とする、専門職で自立していくためのノウハウや隙間産業を起業して生きていくノウハウがいっぱい掲載されています。専門職や起業家を目指す方に、読んでもらいたい一冊です。


[ 2012/08/06 07:01 ] ユダヤ本 | TB(0) | CM(0)

『江戸時代の老いと看取り』柳谷慶子

江戸時代の老いと看取り (日本史リブレット)江戸時代の老いと看取り (日本史リブレット)
(2011/11)
柳谷 慶子

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現代の日本は、90歳に到達する人が、女性では50%、男性でも20%という時代です。高齢化が急速化しています。

これに似た時代が江戸時代です。室町時代は、60歳まで生きる人が10%にすぎなかったのが、江戸時代に入り、急激に高齢化が進みます。

そのとき、江戸時代の人々は、老いをどう考え、老いの方策をどう行ったのか、興味のあるところです。本書は、それらを当時の文献を踏まえ、明らかにしようとするものです。それらの一部を紹介させていただきます。



・幕臣の場合、病気隠居は40歳以上でなければ請願できず、老衰隠居は70歳以上になって初めて認められた

・隠居年齢を超えて、職にとどまった武士は、80歳をすぎるまで勤務を続けた例も珍しくない。江戸後期には、90歳を超える極老で現職に踏みとどまっている者も確認できる

・健康こそが武士の生き方であり、忠死をとげることよりも、死なないことのほうが、忠として質が高いと考えられていた。武芸に励むことも、健康を保つための手段の一つ

・江戸城では、70歳以上の者たちが、互いに助け合いながら、仕事の負担を軽くする習わしがあった

・江戸後期には、老衰で役勤めが実質的に困難な役人に対して、「乍勤(つとめながら)隠居」、すなわち、在役のままの隠居を許した

・幕末には、20年以上勤務した50歳以上の役人(布衣以上)には、年々金100両ずつを隠居料として給付することが示達された。この時代、一気に隠居年齢が50歳まで引き下げられ、これ以上の年齢の者は、現役をおろされた

・養生に対する関心の高さは、武士社会の一般的な風潮であり、隠居後に自らの経験をもとに、養生書を書き残した武士も少なくない

・隠居慣行のあった地域で家産に余裕のある家では、隠居夫婦が家産の中から隠居料を確保し、家督夫婦の家から独立した隠居屋で暮らした。隠居料は、土地として確保された他に、米や金銭、塩、味噌、薪などの現物給付の方法もとられた

女性の旅は、19世紀に入って、飛躍的に増加し、60代での旅も少なくない。老いの身で、ようやく念願の旅をかなえた女性たちが記した旅日記(伊勢参詣・善光寺詣・西国巡礼・江戸見物など)が多く残されている

・高齢者の年寿に際して、杖(鳩杖、銀杖)を贈ることは、奈良時代の朝廷に始まった慣例。江戸後期になると、鳩杖の下賜は、大名と家臣だけでなく、領民にまで広げられた

・18世紀半ば以降、長命であることは、領主の称揚の対象となり、高齢まで働く庶民や武士が褒賞されるようになる。「養老式」「年長祝い」の名のもとに、領内の高齢者を一斉に城や役所に召喚し、藩主自ら酒食で饗応する催しが行われている

・孝行としての看取りは、常に親のそばにいることとともに、親の身体に触れることが大事な行為とされていた。なかでも、排泄の介助は重視される行為とされていた。子が親の排泄介助に携わった姿は、孝行褒賞の記録に多くとどめられている

・1786年に林子平が著わした「父兄訓」では、老親の食事について細かく言及している。歯が抜けたり弱って噛む力を欠いていることへの配慮や、壮健者と同じ調理をすることの戒めなどの老いを養う方法を指摘している

・武士が身内の病気や臨終に付き添うことができたのは、「看病断(ことわり)」の制度が設けられていたから

・財力のある上層の庶民や武家では、看取りを家族以外の者に委ねることもあった。雇用する下男・下女らに、常時の付添いや、食事、施薬、排泄の世話などが、仕事として任された

・養子は家を相続するための常套策であったが、それだけにとどまらず、独り身の高齢者が、新たな家族の中で、生存を保障される手段として推進された側面もある

・17世紀末から18世紀初頭の京都では、貧困や病気を苦にした下層民の老人の自殺があとを絶たなかった。大都市ばかりでなく、地方の城下町や宿場町でも、相互扶助の関係性は弱かった



本書には、江戸時代の定年制度、隠居制度、年金制度、介護制度、長寿者褒賞制度などが、詳しく記されています。現代に通じることも多く、江戸時代にそれらの基ができていたことがわかります。

また、老後の楽しみであった旅行や、長生きするための健康法など、老人の嗜好は、今とまったく変わりません。

本書を読めば、高齢化で起こる現実を、再確認できるのではないでしょうか。


[ 2012/08/04 07:03 ] 江戸の本 | TB(0) | CM(0)

『ガンディーの言葉』マハートマ・ガンディー

ガンディーの言葉 (岩波ジュニア新書)ガンディーの言葉 (岩波ジュニア新書)
(2011/03/19)
マハートマ・ガンディー

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ガンディーに関する本をとり上げるのは、「ガンディーからの問い」に次ぎ、2冊目です。

最近、ガンディーは、世界中で大人気です。ガンディーの彫像が、世界の多くの場所に設置され、ガンディーの思想が、アメリカの多くの大学で研究されています。もちろん、インドでも、ガンディーの似顔絵が若者の間に流行し、多くの支持を集めています。

なぜ、今、ガンディーの人気が高いのかを知るために本書を読みました。その中から、ガンディーが直接語った言葉で気に入ったものを、紹介させていただきます。



臆病を直す方法は、体を鍛えることではなく、危険に立ち向かうことである

・きちんとした家庭にまさる学校はなく、誠実で徳の高い両親よりすぐれた先生はいない

・私は、家の四方を壁で囲み、窓をふさごうとは思わない。あらゆる国の文化の風が、できるだけ自由に家の中に吹き込んでほしいと願っている。しかし、風に足元をさらわれたくはない

人格の伴わない知識は、ただ悪事の力になるにすぎない。この世にいる多くの「才能豊かな泥棒」や「紳士的な悪党」の例を見てのとおり

・生意気さは、頭脳が物事を受け入れる力を損なわせる。謙虚さ学びたいという意志なしに、知識を得ることはできない

・誠実に、社会の法に従っているときに初めて、どの法が善く公正なものであるか、どの法が不正で非道なものであるか、判断することができる

・勇敢というのは、体の性質ではなく、魂の性質

・社会運動を成功させるための必要条件は、1.「敵に対して、心にどんな憎しみも持たないこと」2.「扱う問題が、真実であり、重要なものであること」3.「目標を達成するために、最後まで苦しむ覚悟を持つこと」

正直でいることには、「悪いことをしなくなる」「どんな目標のためにも闘うことができる」「どのような敵にも打ち勝つことができる」効用がある

・経済的平等こそが、非暴力で独立を勝ち取るためのもっとも重要な鍵。経済的平等は、資本家と労働者の間の永遠の争いをやめさせる

・富と、それによって手に入れた権力を自発的に放棄して、公益のために分配しない限り、必ずいつか暴力的で血なまぐさい革命が起こる

・金持ちは、子供を教育し、育てなければならない。そうでなければ、子供は、親の財産を我が物顔に使うことに良心の呵責を感じなくなる

・大地は人間の必要のために十分だが、人間の欲望のためには十分ではない

・さまざまな宗教は、同じ場所に到達する別々の道。同じ目標に到達できるのであれば、どんな道を通ろうとも、何の問題があるだろうか

・心がけがとてもすぐれている人が、何かに失敗してしまったとしても、その失敗が、世の中に対して、あるいは、誰に対しても、害を及ぼすようなことはない

・私にとって、宗教とは、人間性を変え、人をその内面の真理と分ちがたく結びつけ、常に浄化するもの

みんなの幸せを強く望むときにこそ、自身の幸福がある。自分だけ、自分が属する社会の幸せだけを願うのは、利己的なこと

・私の愛国心は、排他的なものではない。すべてを受け入れるもの。他の国の人々を搾取し、苦しめ、のし上がろうとする愛国心なら、私は断固拒否する。



ガンディーの思想が凝縮されたものが、「ガンディー7つの社会的罪」だと思います。
それは、次のシンプルな言葉で著わされています。

1.原理なき政治(Politics without Principles)
2.労働なき財産(Wealth without Work)
3.良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
4.人格なき知識(Knowledge without Character)
5.道徳なき商業(Commerce without Morality)
6.人道なき科学(Science without Humanity)
7.神聖なき参拝(Worship without Sacrifice)

これを見ると、今、世界中でガンディーがなぜ人気なのか、よくわかります。社会の原点回帰に、ガンディーが必要不可欠なのかもしれません。
[ 2012/08/03 07:03 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『愚者の道』中村うさぎ

愚者の道 (角川文庫)愚者の道 (角川文庫)
(2008/02)
中村 うさぎ

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中村うさぎさんと言えば、ブランドものを買い漁り、ホストクラブにいれあげ、美容整形にまで手を出す、破滅型の作家という印象があります。しかし、そういうものに走った理由が、「己を知る」ことへの探究心だとすれば、純な心の持ち主に他なりません。

本書は、著者が自己の内面を客観的にとらえようと試みた書です。つまり、思想書であり、哲学書です。タイトルは、愚者の道ですが、彼女の余りある知性によって執筆された「賢者の道」「悟者の道」ではないでしょうか。

思わずうなずいた箇所、気づかされた箇所が、数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「自由」と引き換えるなら、「苦痛」も甘受する。誰にも縛られず、飄々と生きていきたい。誰かと繋がったら、たちまち相手に縛られる。だから、「孤独」を選ぶ

・タロットカードの「愚者」は、「すべてのものを手に入れ、すべてのものを無に帰す者」の意味。愚者は、手に入れたそばから、それを無価値のものにしてしまう名人

・消費も貯蓄も、同じくらい無価値なもの。貯蓄は「将来の安定」という幻想を買っているに過ぎない。金で幸福を買おうと思うのは消費行為。金で買えるのは「快感」だけ

・「何者かになれ」と要求するナルシズムに背けば、人はたちまち裸になり、孤独になり、寄る辺なき無力な生き物と化す。無力と孤独に耐えられる人間は少ない

・ブランド物や男や美や若さや金や仕事や居心地のいい家庭や、それらをすべて欲し、それらをすべて手に入れてしまったら、この世は無価値のもので覆われ、広大なるゴミ置き場と化す。このことを学んだら、もはや手に入れたいと強く欲する気持ちさえなくなる

・穴の空いたナルシズムを埋めるためには、他者の愛が必要。他者のぬくもり、他者の肯定、他者の赦しを必要とする。それを与えてくれる他者は「神」である。だから、愛する男を神殿に祀り、さまざまな捧げ物をその前に積み上げる

・人は裁かれることは嫌がるけれども、赦されるのは大好き。虫のいい人間ほど、「赦す神」を欲しがる。さらに虫のいい人間は、「赦す神」を支配したがる

・憎悪をひた隠すために、激しい愛が必要。より激しく憎む者は、より激しく愛を欲する

・真の「他者」を獲得し、真の「自己」を確立するためには、「共感」の先にある「差異」とも積極的に向き合わなくてはならない。それがなくては、コミュニケーションは不完全。「共感」なくして「差異」だけを追求していく作業は「差別」と呼ばれるもの

・女たちの「同族嫌悪」は根が深い。ブスはブスに、デブはデブに、ババアはババアに厳しい

・権威主義者は、自分なりの評価基準がないものだから、既存の権威や「賞」などというわかりやすいものに依拠したがる

・ナルシズムにとって、「思考」は恐ろしいもの。なぜなら「思考」とは「明晰である」ことを求め、「明晰である」には、「客観性」が必要となるから

客観性の神は、「おまえの生まれたことには何の意味もない。おまえが消えたところで、世界が消滅することはない。おまえなしでも、世界は存続する。ただ、おまえの幻想、おまえの脳内世界だけが消え去るのみ」といった世界観を述べる

・矮小なる己の内面世界を広げ、より豊かにしていくには、「」という感受性、「共感」という情緒、「理解」という知性が必要となる

・男性原理は、自分の才能に限界を感じたとき、「世間を憎む」ことで、傷ついたナルシズムを慰撫する。自分の才能を認めようとしない世間を憎み、軽蔑し、攻撃する

・美容整形による肉体改造は、「自己破壊と再生」の儀式

・我々が長い人生を放浪しつつ求めているのは、「赦してくれる他者」。そのためにも、我々は「他者を赦す」技術を身につけなければならない

・恋愛における快感とは、互いに激しくぶつかり合い、混じり合って一体感を得る、その恍惚の瞬間である。「忘我」こそが恋愛の至福であるならば、「自他の確立」が結婚の条件。それは、やはり対極にあるもの



本書を読めば、中村うさぎさんの破滅的行動は、自分を実験し、自分を観察し、自分を確証していく作業だったことがわかります。自分に正直であればあるほど、自分を確かめずにはおられなかったのかもしれません。

中村うさぎさんが、お金を使って得てきた真理を、タダ同然で、読み、知ることができ、何だか申し訳ない気分になる書でした。


[ 2012/08/02 07:07 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『魯山人もてなしの真髄』平野雅章

魯山人 もてなしの真髄魯山人 もてなしの真髄
(2003/02)
平野 雅章

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北大路魯山人は、「美味しんぼ」に登場する海原雄山のモデルと言われた人です。書道家や陶芸家としての実力は、その作品を鑑賞し、知っていましたが、料理研究家としての力を知り得ていませんでした。

本書の著者は、学生時代より魯山人に師事し、料理・美術の手ほどきを受けた方です。本書には、魯山人の実話や魯山人の美食哲学が満載です。

また、本書を読むと、星岡茶寮「会員制(美食倶楽部)の日本一の高級料亭」が繁盛していた秘密も知ることができます。その濃い内容の数々を、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・魯山人のもてなしには、茶道から学んだ「心入れ」とともに、少年時代に味わった美味なるものが人にもたらす「なごみ」や「やすらぎ」あるいは「驚き」という、人間性の解放を目指した食の芸術性を見ることができる

・「料理というと、とかく食べものだけにとらわれるが、食べもの以外のこれらの美術も人間にとって欠くことのできない栄養物なんだから、大いに気をくばることが肝心だ」

・「馬子にも衣装と言うが、料理も衣装次第で美味しくもまずくもなる。食器は料理の生命である」

・魯山人の「客人を饗するの要」とは、1.「器席の清潔(清潔な器と席)」2.「菜肉の新鮮(新鮮な素材)」3.「割切の方正(正しい包丁づかい)」4.「塩梅の和協(素材に合った味つけ)」

・魯山人の「慎むこと」とは、1.「茶酒の濃淡(濃かったり薄かったりするお茶と、熱すぎたりぬるすぎたりする酒)」2.「待児の不才(幼い子供が食卓の回りにはべったり、騒いだりすること)3.「主人の怒罵(女房の不始末を大声で怒鳴って怒ること)」

・「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」(松平不味「茶礎」)を、魯山人はもてなしの信条としていた

・「時と場合人柄と嗜好を考えて臨機応変の料理をこしらえる。この機転と、そして美味を解する人」。料理する者は、自分の好みの料理を他人に無理強いしてはいけない。相手を考えて、医者が患者を診断して投薬するように、相手に適する料理でなくてはいけない

・「米一粒でさえ、用をまっとうしないで、捨て去ってしまうのはもったいない。雀にやるとか、魚にやるとか、糊をこしらえるとか、工夫するのも料理人の心がくべきこと」

・「料理とは、食に理を料るという文字を書くが、そこに深い意味がある。だから、合理的でなくてはならない。ものの道理に合わないといけない。ものを合理的に処理すること」

・「客に出したものが気に入られ、もう少しないかと言われて、台所に腐るほど、山と積んであっても、残念ながらもうありませんと答えていた。そうすると客は、この食物をいつまでも忘れずにいて、ああ美味しかった、もっと欲しかったと思う」

・魯山人の茶会は「礼は其ノ奢ランヨリハ寧ロ倹セヨ(虚礼のないところにこそ、真の礼がある)」であった

・魯山人のメモには、「手を掛けなくも栄養も摂れ、美味でもあり、見た目に美しいものを、いたずらに子供を騙すような料理をつくることは、料理人の無知を物語る」と書かれていた

・「玄人はいろいろの条件において料理する。邪道であるが、採算を考えて料理する。ここに堕落がある。しかし、仕方のないこと。だから、玄人の料理だからといって、金を出して食う料理が美味いものとするのは誤り」

・「家庭料理は、何らの思惑がはさまれていない、ありのままの料理。素人の料理だが、一家の和楽、団欒がそこに関わっていれば、真心の料理になり、美味くなる。それを今日のかんたん主義とものぐさ主義が商業料理へ追いやり、家庭料理は破滅に陥ってしまった」

・「上流生活者の家庭では、食いきれないほど、季節の到来ものが殺到して、処置に困っている。一流の料理屋なるもの、季節もの(旬)の純理のみにとらわれて、商いをしていたら、料理屋として、経営上の第一歩を誤る」

・「俺は気づかいにかけては、秀吉の二倍上をいっている。信長の草履を懐に入れて温めるのは当たり前のこと。俺なら、さらに信長の歩幅に合わせて草履を置いただろう」



魯山人の言葉から、一流の人、上流階級の人たちが、何を求めているのかが、推し量ることができます。

それらの人へのもてなしこそ、「もてなしの真髄」と言えるのではないでしょうか。標準的なもてなしとは一線を画した「もう一つ上のもてなし」を知るのに、役に立つ書だと思いました。


[ 2012/08/01 07:03 ] 営業の本 | TB(0) | CM(0)