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「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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『自立社会への道―収奪の五〇〇年を超えて』筧次郎

自立社会への道―収奪の五〇〇年を超えて自立社会への道―収奪の五〇〇年を超えて
(2012/01/31)
筧 次郎

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著者は、百姓です。30年近く、筑波山麓で農業をしながら、生計を立てられています。そして、もう一つの顔があります。それは哲学者です。京大で西洋哲学を学び、パリに留学した後、大学講師をされていました。

哲学書や農業書など、10冊近く本を出されています。本書は、農業の実践を通して、自給自足生活を模索する書です。現代文明について考えさせられる箇所が多々ありました。それらを「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・私たちが物を所有することの意味の一つは、「健康に生きる」ためである。「健康に生きる」ためには、むしろないほうがよいものがたくさんある

・いくら食べものに気をつけても、心にストレスがあっては健康は得られない

・百姓の心身を健康にするのは、「自然に任せる心」と「自然のリズムにあった暮らし」である。農繁期(5~7月、9~10月)、夏休み(日中昼寝)、冬籠り(12~2月)の一年の周期は、体を鍛え、心のストレスを洗い流すのに実に都合よくできている

・ガンジーは真理の実現のために、健康を求めたが、必ずしも長寿は求めなかった

・工業社会の労働が忌避されるのは、第一に「過度の分業化」、第二に「技術のマニュアル化」、第三に「効率分業のための労働と生活の分離」といった労働の性格が原因

・百姓暮らしで、労働が楽しくなる(人生が楽しくなる)には、工業社会の労働の特徴の逆を行くこと。第一に「分業を追求しない」第二に「機械をなるべく使わず、できるだけ手仕事でやる」第三に「労働と生活の場を分離させない」ことが重要

・コロンブスの大西洋航路の発見と、それに続く大航海の時代が、ヨーロッパの世界侵略の始まりであり、それから一度も途絶えることなく、今日の南北の格差に続いている

・西郷隆盛は、「西洋は野蛮じゃ。未開の国に対して、慈愛を本とし、諭して開明に導くべきに、さはなくして、残忍のことをいたし、己を利する」とヨーロッパ文明を評した

掠奪した金銀奴隷労働による富がなければ、ヨーロッパは資本を蓄積し、産業を生めなかった。したがって、科学も芸術もスポーツも、今日の発展もなかった

・1ヘクタール当たり草の量は、日本では年間60トンから30トン。フランスでは6トン、イギリスでは3トン。この差は緯度の差(降り注ぐ太陽エネルギーの量)に対応している。一般に無農薬の農業は、雑草や害虫の少ない涼しい北の地方がやりやすい

手仕事と機械の違いは「仕事の速さ」だけで、機械が「収穫を増やす」わけではない

・ヨーロッパ人たちは、異人種の人々を家畜のように扱った。それは、彼らが厳しい自然環境で生きてきたことと、牧畜を主として生きてきたことに関係している

・産業革命によって、植民地は工業製品の市場とされ、自由貿易を強制された

・機械が収奪の道具とならないためには、機械を「大きな生産力を持つもの」としてではなく、単に「私たちの労働を肩代わりするもの」として導入しなければならない

・戦前の「軍国主義」と「侵略」を「悪」、戦後の「平和」と「民主主義」を守るべき「善」ととらえる進歩的知識人は、現在の収奪(工業国の繁栄は、非工業国の労働や資源の収奪によって実現されたもの)を見ていない

・ガンジーは、侵略者にも隷属者にもならず、自立を守る道は、非暴力の抵抗だけと説いた

・明治維新とは、「西洋列強の侵略に直面し、国家滅亡の危機に、最も有効な国防体制を取ろうとして憂国の志士たちが起こした革命」であった

・前近代の社会では、人間が分かち合う富の全体量が見えていたが、遠い外国から収奪した莫大な富が入り、地下資源として蓄えられた富が利用されると、私たちは「富を産み出している」と錯覚するようになった

・工と農の不公平を押しつけ、「南」の人々の富と労働を構造的に収奪している工業国が、「平和」を説いても説得力がない。それは、初めに殴りつけておいて、反攻してくる相手に「暴力はいけない。平和にやろう」と言っているようなもの

・科学はさらに発展のスピードを増している。それは収奪競争に勝つために、次々に欲望を商品化する必要があり、そのために、科学技術こそが戦力だからである


著者は、掠奪と征服の西洋的手法に疑問を投げかけ、慈愛に満ちた社会をつくるためには、どうすればいいかを思案しています。

また、日本の手を汚さない人たちが、世界の実態を直視することを避け、発想が貧困になっていることへ警笛を鳴らされています。

本書を読めば、「知足」の大切さ考えさせられるのではないでしょうか。


[ 2012/06/30 07:03 ] 幸せの本 | TB(-) | CM(0)

『よくわかる孟子―やさしい現代語訳』永井輝

よくわかる孟子―やさしい現代語訳よくわかる孟子―やさしい現代語訳
(2005/03)
永井 輝

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孟子に関する書は「孟子は人を強くする」に次ぎ、2冊目です。

われわれ日本人は、孟子が遺した言葉(「五十歩百歩」「性善説」「自暴自棄」「集大成」「良心」「学校」「学問」「英才」「教育」「往く者は追わず、来たる者は拒まず」など)を今でも愛用しています。意外に身近なところに孟子がいます。

孟子は、民本主義(民衆の願望や福利を重視)で、「性善説」の人です。儒家の中でも、現代人にフィットする部分が多いと思います。本書には、現代語訳で孟子が網羅されています。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・一人を敵にしているだけの勇気は、つまらない勇気。勇気は大きく持つこと

・知恵があっても、勢いに乗れない。農具はあっても、時を待てない

・志が気持ちを統率して、その気持ちが体に充満する。つまり、志が進めば、気持ちも付いていく

・偏った言葉からは、心が何かに覆われていると分かるし、いかがわしい言葉からは、心が何かに陥っていると分かるし、ひねくれた言葉からは、心が道理から離れていると分かるし、言い逃れの言葉からは、心が行き詰っていると分かる

・力づくで政治を行うのが、覇者。覇者は必ず大国を保有している。優れた人格によって人間愛のある政治を行うのが、王者。王者は大国を保有する必要がない

・他人の不幸を見過ごせない心によって、他人の不幸を見過ごせない政治を行えば、天下を治めるのはたやすい

かわいそうだと思う心(人間愛)を持たない者は人間ではない。不正を恥じて憎む心(道義)を持たない者も人間ではない。譲ろうとする心(礼法)を持たない者も人間ではない。是非善悪を考える心(知恵)を持たない者も人間ではない

・自分を曲げておきながら、人を真っすぐにさせることができた者は、今までにいない

・人間愛を持っていない者とは、共に語り合うことができない。彼らは、危険なことを安全だと思い、災いを利益だと思って、滅んでしまうようなことを楽しんでやる

・人が言葉を軽々しく口に出すのは、責任を感じていないから

・人は、こんなことはしないという信念を持ってこそ、立派な仕事をすることができる

・立派な人間が、人の道を深く究めるのは、それを会得したいから。会得すれば、深い拠り所になる。深い拠り所になれば、根源に触れることができる

・受け取ってもいいし、受け取らなくてもいいという時に受け取ると、無欲さに傷がつく

豊作の年には、若者たちに善い人間が増えるし、凶作の年には、若者たちに乱暴者が増える。しかし、天が人間に与えた素質が、このように違うわけではない

・天が与える爵位と人が与える爵位がある。人間愛や道義や真心や信頼が身に付いて、善い行いをするのは天が与えた爵位。貴族や大臣や上級家臣の地位は、人が与えた爵位

・立派な人間は、小さな信義にはこだわらない。一つのことに固執するのを嫌うから

その場限りでごまかす者は、恥じることがない。恥じることは人間にとって大切

してはいけないことはしないし、欲しがっていけないものは欲しがらないこと。大切なのはそれだけ

・優れた人格・賢明さ・技術・知識を持っている人は、みんな、苦難を経験してきた

・賢者は、自分が道理を明らかにした上で、人にも明らかにさせる。今は、道理が暗いのに、人に明らかにさせようとする

・人間が、他人を傷つけたくないと思う心を徹底させることができたら、人間愛は豊かになる

・人間には、自分の田を放置して、他人の田の除草を気にする傾向がある。他人への要求ばかり重んじて、自分の責任は軽んじている



孟子は、「武士道」にも大きな影響を残しています。勇気、人格、志など「強さ」の部分と、人間愛、恥など「」の部分と双方のバランスがいいと思います。

そのあたりが、日本人にも受け入れられたのかもしれません。本書は、日本人の心に刻まれている孟子が、よくわかる一冊です。


[ 2012/06/29 07:00 ] 神仏の本 | TB(-) | CM(1)

『アナム・カラ-ケルトの知恵』ジョン・オドノヒュウ

アナム・カラ―ケルトの知恵 (角川21世紀叢書)アナム・カラ―ケルトの知恵 (角川21世紀叢書)
(2000/09)
ジョン オドノヒュウ

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アナムカラとは、「魂の友」という意味です。魂の友とは、相手を認め、互いに親和し、永遠の絆で結ばれた者のことです。

著者は、アイルランド生まれの詩人で、哲学者です。自然と精神性を重んじるケルト人の言い伝えを題材に、著者自身の思索を綴った書です。共感できる箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・心の形成は絶えざる進化過程。すべての経験が心を培う。その身に起こる何もかもが、人の深みを増す力として働き、心に新たな領域を開拓する

・愛とは、心を開いて他者を受け入れること。愛する者は惜しみもなく障壁を取り除き、自衛の距離を消去する。人はその心の奥の神殿に出入りの自由が許されている

怯えた目には、何もかもが恐ろしい。おずおずと引っ込み思案に外を窺えば、目に映るすべてが危害、脅威の元凶。怯えた目は常に恐怖に取り巻かれている

・顔は人それぞれの魂がほの見える部位。人が年を取り、記憶を貯えるにつれて、顔は少しずつ魂の旅路を映し出す。老いた顔ほどその鏡像は豊富である

・心構えができていないばかりに、人は豊かな魂の世界を遠く離れて異郷に迷うことがある。それを避けるためには、精神の洗練が欠かせない

・ケルト人の優れた知恵の一つに、何事も自然の成り行きに任せる考えがある。自然に任せるとは、自己を越えるものを信じて、自我の檻から逃れ出ることに他ならない

・寂しさとは、孤独を強く意識することだが、孤独は内奥における自己回帰である。人はみな、どこかで他者とは違い、外界と断絶している。つまり、自己を離れて、外界のどこを捜しても、必要なものは見つからないということ

・「美は衆人の目を避ける。打ち捨てられ、忘れられた場所を求める。そこでしか、その姿と、気品と、本質を再現する光に出会えないことを知っているためだ」(アメリカの詩人エズラ・パウンド)

・実人生とは、つまるところ、限られた時間である。それだけに、期待は創造的、かつ建設的な力を持つ。何を期待することもなければ、人生はただ空虚と絶望の時間でしかない

・多くの場合、否定的と見えるのは、矛盾の外形である。悲嘆や痛苦をこの表層に固着させていると、内界の矛盾を止揚して、高次の統一を図ることができない。この矛盾の統一こそが、心に恵みをもたらし、癒しを与える変容になる

・「成長は変化である。成熟とは、変化を重ねることを言う」(イギリスの神学者ジョン・ヘンリー・ニューマン)

・権力を握っている人間は、見かけほどに強くない。権力をほしがる人間は、総じて非力である。自分の脆さ、弱みの埋め合わせに、彼らは権力の座を狙う

・高圧的な権力によって人間が管理され、単純な機能を果たすだけしかない消極的な仕事の世界では、競争の原理がすべてを規定する。人の才能が生かされる創造的な仕事の世界には、競争はない

・人は自身の尊厳にふさわしい場所に帰属しなくてはならない。何よりもまず、それは自身の内面である

・スピードとストレスと形式主義の現代文明に大きく欠如しているのは、記憶への関心である。人間の記憶は高度に洗練された、個人の聖域であり、感受性の神殿である

・自分の過去や記憶に対して、何よりも質の悪い否認は後悔である。後悔は見当外れで、過去に対する不当な誤解や偏見に発している

・「人が直面する難題の多くは、一つの部屋にじっと坐っていられない忍耐の不足に起因する」(フランスの学者パスカル)

・古老の知恵は、将来への洞察を語る上で、かけがえのない助力になり得る。知恵と洞察は血を分けた姉妹である。創造し、批評し、予言する洞察は、知恵の泉から湧いて出る

・「人生を生きるより、生きる準備に追われている」(アイルランドの農民作家パトリック・キャヴァナー)



著者は、詩人で哲学者です。感性と理性を統合した人です。詩人は、短くて感覚的な文章を書き、哲学者は長くて論理的な文章を書きます。

しかし、著者の書く文章は、詩と教訓がうまく混ざり、誰にも伝わる形式になっています。読みやすい哲学書のような感じがしました。


[ 2012/06/28 07:02 ] 海外の本 | TB(-) | CM(1)

『「しゃべらない」技術』麻生けんたろう

「しゃべらない」技術~困った・苦手がスーッと消える「超」しゃべる技術~「しゃべらない」技術~困った・苦手がスーッと消える「超」しゃべる技術~
(2010/12/21)
麻生けんたろう

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世に、しゃべる技術の本はよくありますが、しゃべらない技術というのは珍しく思い、手に取りました。

考えてみたら、数人と会話している間、しゃべる時間より、しゃべらない時間のほうが、圧倒的に多いはずです。その時間を、どう効果的に使うかが重要ではないでしょうか。

著者は、北海道でラジオDJなどをされているフリーアナウンサーです。著者の考えに同意できるところが多々ありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・相手の話を聞いているときが、「しゃべらない時間」であり、「しゃべらない場」。その時間と場をないがしろにしないことが、自分の印象や相手との関係を飛躍的に高める

・「しゃべり」とは、決して口を動かして発言することだけを指すのではない。しゃべらないでいるときの表情や身振り、手振り、外見から感じる印象のすべてが、「しゃべり」となる

・人前で話すのが苦手な人や、口ベタな人、いまひとつ魅力に乏しいしゃべりになってしまう人ほど「しゃべらない」技術は役立つ

・よくしゃべる人が陥りやすい危険は「間」。「間を制するものは場を制する」と言われるくらい、しゃべりの世界では重要なポイントだが、その大切な「間」を、よくしゃべる人ほど埋めてしまう

・しゃべらないで、いかにしゃべるかは、「見た目」「受け取る力」「感情エネルギー」「観察力」が重要となる

笑い声は、しゃべらない技術の真髄。「しゃべっていないときも会話のうち」という心得がギュッと込められている。笑い声は、相手を気持ちよくさせる会話の話術

ハ行の相槌とは、「ハァ~」「ひぃ~」「ふぅ~ん」「へえぇ~」「ほぉ~」のいずれかで話に合いの手を入れていく方法

・「そうなんですか」や「話し尻を拾って繰り返す」オウム返しも、合いの手を入れていくのに有効

ミッキーマウス先生が使う身振り手振りとは、「口や頬に手をあてる」「相手の手のひらにタッチ」「握手する、両手で包み込む」「抱きしめる」「両手を胸にあてたり離したりする」「頭の後ろに手をあて斜め後ろにのけぞる」「拍手する、手を振る、両手を前に広げる」

・大きさや形、方向、数値的な変化などを身振り手振りで表現する方法は、「両手を前後左右上下に動かす」「左手を右下から左斜め上へ動かす(上昇時)」「右手を左上から右斜め下に動かす(下降時)」「両手で円を描く」「指で方向や数値を示す」

・しゃべりの中に擬音を入れる(ザクザク、バンバン、ぎゅうぎゅう、ドドドなど)だけで、ジェスチャーが格段に上達する

・会話の「句点」で、ジェスチャーを入れるのが、身振り手振りのタイミング

目元を使った「しゃべらない」技術とは、「1.目を大きく見開く」「2.上目づかいをする」「3.こめかみに力を入れる」「4.視線の交錯と位置を変化させる」

・人は何かを伝えるときに、必ず五感のいずれかを使う。相手がどの感覚で話すかを見極め、同じ感覚の言葉を使っていけばいい

・「笑い」を入れる。考えさせる「問い」を入れる。「情熱」を持って話す。この三つのうちのどれか一つでも実践できれば、相手をグッと引き寄せることができる

・ラジオの世界では、しゃべりだけで、リスナーの想像力をかき立てられるかが勝負。ラジオのプロが使う簡単なコツとは、「嗅覚ワード」(匂いを感じさせる言葉)を使うこと。何か匂いを感じると、すぐに記憶と結びつき、より臨場感を持った話に生まれ変わる

・過去のイメージを思い浮かべようとすると、目線は上に行く。一方、下を向いたときは、何かを感じている、あるいは考えているとき。目線で心の動きがわかる

・相手から共感を得たいときには、ちょっとした失敗談を入れるようにする。失敗したら、話せるネタが増えたと思うこと、どんどんストックしておくと、人間関係を深めるのに役立つ


しゃべりたくてもしゃべれないとき(海外に行ったとき、着ぐるみを着たときなど)、人はジェスチャーを巧みに使おうとします。

目は口ほどに物を言うだけでなく、体も手も口ほどに物を言うのではないでしょうか。しゃべれない人ほど、コミュニケーション上手になれるのかもしれません。

[ 2012/06/27 07:03 ] 営業の本 | TB(-) | CM(0)

『負け方の王道』谷岡一郎

負け方の王道 (マイコミ新書)負け方の王道 (マイコミ新書)
(2011/03/26)
谷岡 一郎

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著者(大阪商業大学学長)の本を紹介するのは、「ビジネスに生かすギャンブルの鉄則」に次ぎ、2冊目です。

著者は、ギャンブル学の権威?で、上手な負け方について、豊富な知識を有されています。ギャンブルの上手な「負け方」が、人生の上手な「負け方」に応用できるというのが、本書の主旨です。

面白くて、ためになる記述が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・負けることは恥でもなんでもなく、どちらかと言えば、奨励されること

・「恥ずかしいのは負けないこと」。勝負をしない、決断しない人は恥ずかしい。負けたのにそれを認めなかったり、ルール変更でひっくり返す行為は見苦しい

・上手くプレイしても、負けることがあるのは事実。問題は「負けた時の態度」。それが人間の質を決める

・日本をリードする立場のエリートには、「負け方を知らない」という重大な欠点がある

・ギャンブルにはまるプロセスの中には、「勝ち経験」が存在し、その勝ちを自分の実力だと信じる不思議な思い込みが存在している

・「負けを取り戻そう」という思考に入ったギャンブラーは、カモ。逆に言えば、ギャンブラーにとって、最も危険な思考。やってはならないのは、「負けを取り戻そう」として、いつもの賭けのパターンを変えること

・超エリートたちには、「負けたくない気持ち」と「負けを認めない(認めたくない)」という性癖がある。このため、自己のプライドを守るために、かなり強引な理屈がとび出る

・自分のプライドを傷つけられたくない(本質的に闘争心にあふれ、かつ負けたくない)タイプは、ギャンブル依存症とか、病的ギャンブル行動に陥ることがよくあるタイプ

・勝負する限り、負けることはよくあることで、ない方が不自然。問題は、負けた後に、それをどう受け止めて、どう学ぶかにある

・実際は負けたのに、プラマイゼロと言う人。実際はプラマイゼロなのに、少し勝ったと言う人。つまり、ウソをつく人(プライドの高い人)は、ギャンブル依存症になりやすい

勝負を避けるタイプが好んで就く職業は、「官僚」「弁護士」「医者」「教員」「半官半民タイプ企業社員」の五つ。共通項は「試験に合格すれば、面接や本人調査がなくてもなれる業種」「団体で政治的圧力をかける職種」。これらが、日本を悪い方向に向かわせた

・資本家を攻撃することが発展すれば、「チャレンジするシステムへの攻撃」になる。こうして、試験だけで手に入る地位の人々は、勝負を避けるシステムや慣習を構築していく

麻雀の弱い人の特徴は、「場を見ず、自分の手ばかり見る」「どんな手でもアガろうとする。安い手でもオリない」「計算に弱い」「負け始めると、取り返すために高い手ばかり狙う」「ぐちる、言い訳をする」

・ギャンブルに対する反対の声が大きくなるのは、経済が発展している時期。女性の発言力が増大すると、ギャンブルの合法化が進まなくなる。「ザ・スピリット・オブ・キャピタリズム」は、高度成長と足並みを揃えるように骨抜きにされていった

・多くの成功者はたまたまそうなっただけのこと。その人を神のように崇め、真似ようとすることは正しくない。我々が真似るべきは「その気高い精神であって、方法そのものではない」。成功者を信じすぎてはいけない

・ギャンブラーにとって、大勝ちの経験以上に、大負けの経験は財産

・「リスク・テイキング力」とは、「リスクを客観的に計算することができる」「リスクを計算した上で勝負ありと考えた時、あえて勝負に踏み込むことができる」こと

・チャレンジする限り、「負けは必然、負けは恥ずかしくない」。逆に勝利は、「偶然の要素が強く働いた可能性が高い」ということ

・受験や結婚も広義のギャンブル。自分のチョイスに後悔しないなら、すでに勝者



負けないことが美徳なのは、経済的に豊かな社会においての場合です。こういう社会は、そろそろ終わろうとしています。次の時代は、チャレンジする人を歓迎する社会になっていくと思います。

チャレンジには、負けがつきものです。その負けをどう受け止め、どう生かすかが大事になってきます。著者は、負けの処方箋がいっぱい示されています。意欲のある人には、参考になる書です。
[ 2012/06/26 07:01 ] 人生の本 | TB(-) | CM(0)

『人生がもっと豊かになる「お金」の格言1000』別冊宝島編集部

人生がもっと豊かになる「お金」の格言1000 (宝島SUGOI文庫)人生がもっと豊かになる「お金」の格言1000 (宝島SUGOI文庫)
(2011/04/07)
別冊宝島編集部

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お金の格言を真面目に集めた本です。古今東西の思想家・実業家が、お金について述べた名言、苦言の数々は、どれも参考になるものばかりです。

編集者の教養に頭の下がる思いです。1000の中から、本の一部ですが、紹介させていただきます。



・金銭は人間の抽象的な幸福。だから、もはや具体的に幸福を享楽する能力のなくなった人は、その心を全部、金銭にかける(ショーペンハウエル)

・金こそは、取るに足らぬ人物を第一級の地位に導いてくれる唯一の道である(ドストエフスキー)

・金銭は、奴隷制度と同じ。その目的も、その結果も、まったく同じ(トルストイ)

・金銭はあらゆる不平等を平等にする(ドストエフスキー)

・富を軽蔑するように見える人々を余り信用しないがよい。富を得る望みのない人々が、それを軽蔑するからである(フランシス・ベーコン)

・欲はあらゆる種類の言葉を話し、あらゆる種類の人物の役を演じ、無欲な人物まで演じてみせる(ラ・ロシュフコー)

・富という名のもとに、実際に人が欲するものは、本質的には他人を支配する力である(ラスキン)

・勤勉は福の右手。節約はその左手(イギリスのことわざ)

・贅沢とは、お金を持っていることや、けばけばしく飾り立てることではなく、「下品でない」ことを言う。下品こそ、もっとも醜い言葉。私は、これと闘う仕事をしている(ココ・シャネル)

・馬は死ぬ前に売ってしまうこと。人生のコツは、損失を次の人にまわすこと(ロバート・フロスト)

・人間の知恵が発達したとはいっても、いまだに公平な課税方法を考え出していない(アンドリュー・ジャクソン)

・経済学を学ぶ目的は、経済学者にだまされないためである(ジョーン・ロビンソン)

・日本という国が豊かなのは、日本人が貧しいからだという逆説が成り立つように思える(ジャン・ボードリヤール)

・貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である(ペリクレス)

・豊かさは節度の中にだけある(ゲーテ)

にわかづくりの貧乏顔ぐらいきざなものはない(内田百聞)

・人間性というものは、億万長者の財布のために作られたもの(デュレンマット)

・富人が金を得れば、悪行が増長する。貧人が金を得れば、堕落の道をくだっていく(森鷗外)

・富貴は悪をかくし、貧は恥をあらはすなり(井原西鶴)

・若いこと、貧乏であること、無名であることは、創造的な仕事をする三つの条件(毛沢東)

・自分の金には誰もが満足していない。自分の知恵には誰もが満足している(ユダヤのことわざ)

・貧しい人たちは、お金を恵まれるよりも何よりも、まず自分の気持ちを聞いてほしいと望んでいる(マザー・テレサ)

・最も安価な快楽をもつ人が、最も富める人である(ソロー)

やり手の男性は、妻が使い切れないほどの額を稼ぐ。やり手の女性は、そんな男性を見つけられる(ラナ・ターナー)



お金とは何か?」。それは、お金のない人にとっては、「欲をかなえる」ものです。しかし、お金がある人にとっての答えは、人によって、さまざまです。

だからこそ、お金を考えることは難しい。この本に登場する偉人たちも、お金という化け物と格闘してきたことがよくわかります。

それぞれの偉人たちが出した結論に、同意、共感するものを選ぶことが、「お金とは何か?」のいちばん正しい答えなのかもしれません。
[ 2012/06/25 07:01 ] お金の本 | TB(-) | CM(0)

『格差と貧困のないデンマーク―世界一幸福な国の人づくり』千葉忠夫

格差と貧困のないデンマーク―世界一幸福な国の人づくり (PHP新書)格差と貧困のないデンマーク―世界一幸福な国の人づくり (PHP新書)
(2011/02)
千葉 忠夫

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本ブログでは、「北欧の本」を過去に15冊紹介してきました。北欧諸国に行って、何かが違うと感じ、その違いを知るために、北欧の国ごとの書籍を読んでいます。

そして、北欧を知れば知るほど、人間が幸せに暮らす社会の形だと確信するようになりました。本書は、デンマークで学校教育に携わっておられる日本人の著書です。教育という視点で、幸福とは何かを論じられています。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・デンマークでは、資格が日本よりもっと細分化されており、銀行員、店員、新聞記者、塗装工、煙突掃除屋など、すべての仕事に資格が求められる

・デンマークでは、失業保険をもらいながら、誰でも新たな勉強を始められるのは、教育費が無料だから。正規の職に就くには、資格が不可欠だが、教育費が無料なので、再チャレンジしやすい環境が用意されている

生活保護を受給するには、必ず条件があり、たとえば、学校の清掃活動に参加する、町の施設や病院で手伝う、といった義務を果たさなくてはならない。義務を果たさなければ、給付は打ち切られる

・「税金を余計に払っても、社会的に弱い人を助けられるのであれば満足」との考えが企業に浸透している。このような考えに至ったのは、働く人への教育がしっかりしているから

・デンマークで教師になるには、教育大学を卒業しなければならない。しかし、高等学校を卒業後、ストレートで教育大学に進学する人は20%。あとの80%は、他の職業に就いたり、外国に旅行したり、違う大学に通うといった経験を積んでから、教育大学に入る

・デンマークでは、0~3歳児までを保育園(0歳からも、お母さんが働いていなくても入園可)、3~6歳までを幼稚園で過ごす。保育園や幼稚園は朝6時から始まるので、早朝から子供を預けることも可能。負担する費用は三分の一。三分の二は市町村が負担

・幼稚園を終えると、国民学校に入学する。国民学校は0~10年生まで。0~9年生までの10年間が義務教育期間。10年生は、高等学校や職業別専門学校に進学するには、まだ学力が足りない、精神的に大人になれていない生徒に用意されている

0年生は、2009年までは、幼稚園学級と呼ばれていたが、義務教育になって、読み書きを教えるようになった。子供の差に応じて、0年生をもう一年やる場合も多い。デンマークの1クラスの生徒数は約19人。28人以上を1クラスにしてはいけない法律がある

・体育の授業では、何をやりたいかを子供たちで話し合い、好きなスポーツをする。各グループごとに、屋内でバスケットボール、屋外でサッカーなどを楽しんだりする。個人競技で競うことはないので、運動が苦手な子供も、体育の時間が大好き

・自己決定ができるようになるには、小さい頃から自分で考え、自分の意思を表現するとともに、相手を思いやる姿勢を身につけなくてはならない。そのため、デンマークでは、家庭や教育現場で、意志表示自己決定の場を多く与えられる

・デンマーク人は「私の哲学は・・・」とよく口にする。自分の行動様式、生活様式を表現するのにも、あっさり「哲学」という言葉を使う

・日本の教師の口癖は「先生の話を聞きなさい」、デンマークの教師の口癖は「どんどん自分の意見を言いなさい

・デンマークでは、市議会議員は、議会開催中の時間給や交通費以外、給料はない。みんな仕事をもっているから、議会は夜開かれる。二世議員という慣習もない。専門職の政治家は国会議員だけ

・日本企業のサービスは、世界の中でもトップクラスだが、世界がそれにならわないのは、日本のサービスが過剰だからであり、サービスは無償でないことを知っているから

・デンマークが世界に冠たる社会福祉国家でいられるのは、過保護や過剰サービスがないから。周りが何でもやってくれたら、怠け者しか生まれない。怠け者ばかりになったら国は滅びる

・デンマークには学校給食はない。しかし、お母さんの負担はほとんどない。子供たちは、0年生(6歳くらい)でも、自分の弁当を自分でつくるように教えられる

・日本は、職業によって、所得に違いがありすぎる。所得の少なさが職業の貴賎につながっている。若い人たちの職業への差別観が一掃できれば、やりたいことが見つかるはず



著者は、教育者の目で、デンマークと日本の違いを客観的に見ており、非常に参考になります。

本書を読むと、日本人の「卑しさ、頼りなさ、不甲斐なさ」が浮き彫りになってきます。日本人の素晴らしさを説く人も多いようですが、もっと謙虚にならないといけないのではないでしょうか。
[ 2012/06/23 07:01 ] 北欧の本 | TB(-) | CM(0)

『男の品格-二宮金次郎名言集』清水將大

男の品格―二宮金次郎名言集 (コスミック新書)男の品格―二宮金次郎名言集 (コスミック新書)
(2007/06)
清水 將大

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二宮金次郎(二宮尊徳)の本を、このブログにとり上げるのは、「二宮尊徳90の名言」「二宮翁夜話」「二宮金次郎正伝」に続き、4冊目です。

二宮金次郎には、膨大な資料が残されており、まだまだ、勉強になることがたくさんあります。本書において、新たに、勉強になった箇所がありました。その一部を紹介させていただきます。



・二宮金次郎は、「勤労」「分度」「推譲」「至誠」「積小為大」「心田開発」「一円融合」「仕法」「報徳」の哲学を確立した。二宮金次郎は単なる勤勉の人ではない。真の民主主義的な思想を伝えた人である。これらの富と幸福につながる哲学は、現在でも十分に通用する

・「自分が早起きして他人を起こすか、あるいは他人に起こされるか、その差は、例外なく及んでくる。富を得るのもこのとおり、貧に陥るのもこのとおり」

・「いま、富める者は、その前から徳を積んだ者。子孫が繁盛するためにも、今日よりの精進が何よりも大切」

・「蓮の花を愛して泥をいやがり、大根を好んで下肥をいやがる。こういう人を半人前という」

・「人たるものは、知恵はなくとも、力は弱くとも、今年のものを来年に譲り子に譲り他人に譲るという道をよくよく心得て、実行すれば、必ず成功する」

・「道も譲らねばならぬ、言葉も譲らねばならぬ、功績も譲らねばならぬ」

・「報徳」の善の理念とは、「貸して喜び、借りて喜ぶ、売って喜び、買って喜ぶ」こと

・金次郎は、世を渡る道が「勤倹譲」の三つにあるとした。「勤」とは、衣食住になるべき物品をまず勤労より生み出すこと。「倹」とは、産出した物品をむやみに費やさないこと。「譲」とは、衣食住の三つを他に及ぼすこと

・金次郎は農民たちの話し合いを「芋こじ」と名づけ、「村長を村民の投票で決めた」「手本となる農民を投票で決め、利息なしでお金を貸した」「地域のことをみんなで話し合った」

・二宮尊徳は、貧困層を救う行動を起こし、貧富和合をしていく初めに、人の生きる道を示し、自ら実践して農民の自立を促し、貧困と飢餓から救った。二宮尊徳の生涯は、釈迦やキリストを思わせるものがあり、世界に誇ってよい品格ある思想家である

・「今年の衣食は昨年の産業にあり、来年の衣食は今年の艱難にあり、年々歳々報徳を忘れるべからず」

・「種とみるまに草と変じ、草とみるまに花は開き、花とみるまに実となり、実はみるまに種となる。これを仏教では不止不転の理といい、儒教では循環の利という。万物は、すべてこの道理からはずれることはない」

・大生命、大父母である天地自然とその恩恵を、金次郎は「元の父母」と呼び、それに恩を感じ報いる心があれば、日々善行を考えて徳を積むようになる。その結果が、お金と幸福を得ることになると述べている

・実践派の思想家だった二宮金次郎は、世を離れ、欲を捨てた、口だけの仏教の僧や儒学者に対して、好意をもっておらず、「水を離れた水車で、ちっとも回らない」と喩えている

・「文字だけを研究して学問だと思ったらまちがいだ。文字は道を教える機械であって、道そのものではない。道は書物にあるのではなく、行いにある

・「本来、外の色あいから自分の色が知れる。一切万々、自分の善し悪しは他人が見ているもので、自分は案外、知らないもの」

・金次郎は、指導者への忠告として、上の者こそ自己の分限を守り、慎んだ生活態度をとり、余財を譲する「推譲」をして、「至誠」をもって、事にあたるべきとしている

・「いま貴賎があり貧富があるときに、身分の高い者富んだ者が人を救うことを好まなければ、身分の低い者、貧しい者はどうして人を救う気持ちになれようか。世間が互いに救い合わなければ、どうしてお互いの生活が遂げられようか」

・「人が寒さに苦しむのは、全身の温かさを散らしてしまうからで、着物を重ねて体を覆えば、すぐに温かくなる。これは着物が温かいのではなく、温かさを散らさないからだ。分度が立ちさえすれば、分内の財が散らないから、つぶれた家も立て直すことができる」



二宮金次郎と言えば、薪を背負って本を読む姿を想像しがちです。しかし、彼が遺した言葉は、教育者、宗教家、思想家といったものです。

そのレベルは、今の日本だけでなく、世界にも通用する普遍的なものです。今こそ、二宮金次郎を見直す時のように感じます。
[ 2012/06/22 07:01 ] 二宮尊徳・本 | TB(-) | CM(0)

『山本周五郎のことば』清原康正

山本周五郎のことば (新潮新書)山本周五郎のことば (新潮新書)
(2003/06)
清原 康正

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山本周五郎の作品は、以前、「泣き言はいわない」を紹介しました。世の中と人間を深く見つめた山本周五郎の箴言は、心に突き刺さるものばかりでした。

本書は、山本周五郎が、小説や雑誌に寄稿した文章を選りすぐり、まとめたものです。この本にも、心に突き刺ささる名言が並んでいます。それらを一部ですが、紹介させていただきます。



・人間なんて哀れな、つまらないもんだ。あくせく稼いでも、運の悪いものは一生貧乏に追われどうしだし、金を儲けて贅沢したところで、寝る広さは定まっているし、十人前は食べられやしない。同じ仕事を繰り返し、右往左往して、老いぼれて、死んでしまうんだ

・いくらかましな暮らしをしようと思えば、人に真似できない仕事、誰も気づかない工夫、新しい手といったものを作り出さなければならない。それはたやすいことではない。惚れた女を口説き落とすよりも、仕事を仕上げたときの喜びのほうが深く大きいものだ

・これは禁止だといわれる品は、表向きには姿を消すが、裏では盛んに売り買いされるし、値段も高くなる。どんなに危ない橋でも、家族を食べさせるためには、それを渡るよりしようがない

・人間が欲に負けるというのは、つくづく悲しいもの

・まっとうに生きようと思えば、けじめけじめをはっきりさせるのが第一、ものごとを少し曖昧にしておくと、いつそれが命取りになるかわからない

・世の中には、賢い人間と賢くない人間がいる。けれども、賢い人間ばかりでも、世の中はうまくいかない。損得勘定にしても、損をする者がいればこそ、得をする者がいるというもの

・植えた木は、あるところまでは思うように育つ。ほの立ち方も枝の張り方も。こっちの思惑通りに育つけれども、あるところまで来ると、手に負えなくなってしまう

・心がその道に達していれば、意識せずとも、肉体は必要な方向へ動く。剣をとろうと、鍬をとろうと、求める道の極意は、その一点よりほかにはない

・人間がいったん権力を握れば、必ずその権力を護るための法が布かれ、政治がおこなわれる、いついかなる時代でも

・「客を楽しませる」にも、その場限りのものと、客の心に残り、客の生活に役立つものがある。客の大多数は、その場限りでも、華やかで、誇張されて、観る眼にわかりやすいものを好む。そして、その好みは、さらに強い誇張と華やかさと、あくどい刺戟を求める

・大切なのは、身分の高下や貧富の差ではない。人間と生まれてきて、生きたことが、自分にとって、無駄でなかった、世の中のためにも少しは役立ち、意義があった、そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題

・貧しい者は、お互いが頼りだから、自分の欲を張っては生きにくい

・人間は良き指導によって、良くなるのでも、悪くなるのでもない。それは一人ひとりの欲望による

・善と悪、是と非、愛と憎しみ、寛容と偏狭など、人間相互の性格や気質の違いが、ぶつかり合って突き飛ばしたり、押し戻してまた突き当たったり、休みなしに動いている。こういう現実の休みない動きが、人間を成長させる

・清潔で汚れのない世界は空想だけのもの。汚濁の中でこそ、人間は生きることができ、何かを為そうという勇気をもつもの

・「お素人衆」という言葉には、素人にはわからず、自分だけが理解できるのだという優越感情が隠されている。だが、小説にしても、絵にしても、映画にしても、「お素人衆」を相手に儲けている。専門家に向かって、小説を書き、絵を描き、映画を撮るわけではない

・人間は五十歳を越すころから、ようやく世間の表裏や社会構成のからくりや、人間感情の虚実を理解できるようになる。小説作者は、人間を対象に仕事をするのだから、その年齢になって以後、初めて自分なりの社会観や人生観を持ち、現実に当面することができる

・最大多数の人間の生活では、金は従属的なものであって、主体性はない。金さえあれば何かができる、と思ったら大間違いで、金があっても何もできない



山本周五郎は、人間は「哀しい」存在であるからこそ、人間というものを深く見つめて、文章を書いています。

その「哀しさ」を否定もせず、肯定もせず、現実として受け止め、その中で、もがき苦しむところに、人間の素晴らしさがあると、本書は、教えてくれているように思います。
[ 2012/06/21 07:00 ] 人生の本 | TB(-) | CM(0)

『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』石原加受子

「つい悩んでしまう」がなくなるコツ「つい悩んでしまう」がなくなるコツ
(2009/09/11)
石原 加受子

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石原加受子さんの著書を紹介するのは、「他人に流されない人ほど上手くいく」に次ぎ2冊目です。著者は、自分中心の心理学を提唱する心理カウンセラーです。クヨクヨ、ウジウジしている人の気持ちが本当によくわかっている人だと思います。

本書には、「悩んでしまうがなくなる」方法がいっぱい披露されています。その一部を紹介させていただきます。



・相手ばかりに囚われていたら、決して、悩みは解決しない。とりわけ、相手の言動ばかり気にしている人は要注意

・相手に変わるように求めるよりも、自分のために、「自分を育てる」ほうが、悩みを解消する早道。これが「自分中心」の発想。自分を育てるのだから、育てがいがある

・「私」が満足するには、自分中心になって、「私の気持ち感情、そして意志」を基準にする。これだけでいい

・悩みは、本当は、自分を守るため(愛するため)に起こっている。つまり、愛してこなかったこと(あなたの本当の気持ちを、あなたが無視してきたこと)が残っているということ

・マイナス感情を抱いて、その感情に苦しむのは、心のどこかが傷ついているから。肉体の病気で言えば、痛みを無視して酷使したために、悪化したような状態。心の痛みは「必要だからこそ」起こっている

・マイナス感情を蓄積させていればいるほど、無意識に「人を傷つける言動」をとっていく。相手にされた仕打ちと同じことを、別の相手にしてしまう

・「でも」という言葉は、相手との関係が悪くなるだけでなく、自分に対しても否定的(「どうして私ばっかり」「私は悪くないのに」「私のことバカにして」)になっていく。「でも」を連発する人は、自分の気持ちや意志を大切に扱ってもらえない環境にあったから

・「美男美女は美貌の衰えを」「脛かじりは脛をかじれなくなることを」。その特権が自主性を奪い、それゆえに、失うことを極端に恐れる。自分の力で手に入れた経験がない人は、自己信頼が乏しい。どんな特権であれ、まず「自分が得ている特権」を認めること

・「自分中心」というのは、中心の核を「私」に置いている。「私を核にした」視点で見る人は、「それは、その人たちの自由なんだ」という発想をする

・「うしろめたさ」が戦いモードをつくり出す

・責任は「私が決めた範囲」で取ればいい。それ以上の責任は、取る必要もなければ、感じる必要もない

・多くの人が自己主張を恐れるのは「主張すると相手と争いになる」と信じているから。自己主張は、相手に勝つのが目的ではなく、「私を愛するため、解放するために、表現するのが目的」。自己主張というよりも「自己表現

・第一の感情(自分を中心にした自分のための感情)と第二の感情(相手を支配したりコントロールすることが目的)は全く正反対。第一の感情で表現すると、心も体もラクになる。それはエネルギーを解放するから

・あなたの悩みは、自分のほうから相手に聞くことで、一瞬にして消えてしまう

・自分中心になるにつれて、悩みが解消されるだけでなく、幸せも、成功も、経済力も、すべて自分の至近距離にあると気づいていく

・「できたはずなのに、後回しにして、しなかった」という「うしろめたさ」が、自分の欲求を妨害する。「あいまいにしなかった」という「気持ちよさ」が、自分の欲求を満たしてくれる

・どんなに善人であっても、罪悪感が強い人は、幸せになれない。なぜなら、自分が、自分で幸せになるのを拒否しているから。不平不満でいっぱいの人も、幸せになれない。なぜなら、幸せの絶頂にあっても、わざわざ、悩みの種を拾って歩くから

・嫌いな人、苦手な人に対しては、「部分的なありがとう」(協力してくれて、ありがとう。連絡してくれて、ありがとう)を使えばいい。謝罪する場合も、「自分のためのごめんなさい」(後で自分がうしろめたくないように、ごめんなさい)を使えばいい



本書を読み、「自分中心」と「自己中心」の違いがよくわかりました。自分中心とは、自己防衛と言い換えることができます。

「自己中心」と「他者中心」の間に「自分中心」という考えを置くことによって、相手と自分、社会と自分の適切な距離感がつかめるようになり、気持ちがラクになるのではないでしょうか。
[ 2012/06/20 07:03 ] 仕事の本 | TB(-) | CM(0)

『近江商人・三方よし経営に学ぶ』末永國紀

近江商人 三方よし経営に学ぶ近江商人 三方よし経営に学ぶ
(2011/06)
末永 國紀

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近江商人の考え方は、伊藤忠、丸紅、大丸、西武グループ、西川産業などの会社で、今も脈々と、その伝統が受け継がれています。

そればかりか、近江商人の考え方は、日本の企業経営の基本的考え方となって、われわれも、その影響を受けているように思います。

本書は、近江商人を研究した専門書です。「三方よし」(売り手よし買い手よし世間よし)という言葉が、あまりにも有名ですが、その言葉以外にも、近江商人に学ぶべきことが多々あります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



乗合商い方式(共同出資)による多数の出店は、資本の有効活用、危険分散、人材抜擢という面から見ても、合理的であった。経営は支配人に委託し、主人は店員の人事権を握ることで、所有と経営の分離を図った

在所登り(奉公人の帰郷)は、大きな慰安であり、楽しみであるとともに、店側には、奉公人の能力を評定する時期でもあった。勤務不良となれば、戒告、解雇されることもあった。無事に登りを済ませると、出世の階段が一段上がった

・旅商を本務とした近江商人は、確実な情報をつかむために、行商団体を考え出した。その相互扶助によって、競争を避け、権益を守り、商圏の拡張を行った

西川甚五郎の家訓では、「品質をよく吟味した商品をできるだけ薄い口銭で売ること」と指示している。口銭とは、単なる手数料というよりも、利益全体を薄利で我慢することを要求している

外村与左衛門の家訓は、「品により不時なる直合いの損益はこれあるべく、これは商人の常あり(不意の相場変動によって損益が生じても、一喜一憂してはならない。長期的に平均の動きとして見ること)」と諭している

・初代中井源左衛門が書き残した「金持商人一枚起請文」には、「金持ちになるには、酒宴遊興奢りを禁じ、長寿を心掛け、始末第一に、商売に励むよりほかにない。長者になるには、何代も善人が続くこと。陰徳善事を重ねながら祈るほかない」とある

・二代目中井源左衛門の家訓「中氏制要」には、「人生の目的は働くことにある。働けば窮乏することはない。勤勉に働くことこそ利益を生み出す根本」とある

塚本定右衛門の初代は、徹底して得意先の利便を図る対応こそ、利益の源泉であるとして、「おとくいのまうけをはかる心こそ我身の富をいたす道なれ」の道歌を詠んでいる

・近江商人の精神の根底には、「自分の勝手や都合だけを考えず、取引先や世間、世の中全体を考えながら活動する」という「三方よし」の考え方があり、なかでも「世間よし」は、高利の誘惑を抑え、薄利でもよしとする利益感で、近江商人の社会認識の高さを示す

奥井金六豊章の「豊章教訓記」は、一種の幼児教育論。そこには、「子供に大人のような振る舞いを求めるのは、子供を萎縮させることになる。大人が家の内外で表裏のある行動を子供に見せるのは、子供に人を騙す心を植えつけることになる」とある

・中井源左衛門家の「家方要用録」には、「心ばせが正しければ、周りの人の信頼を得て、いずれ重用されるであろう」と諭し、気立ての良さの伴わない才知のみある人物を忌避している

・近江商人は、博打勝負事に耽ることを極度に嫌い、とくに厳しく言い遺している

・伊藤忠兵衛は、若くて能力のある店員には、大きな金額を取引する裁量権を与え、人材育成を図った。明治8年には、店法を改正して、三ツ割制度(店の純利益を、本家納め、店積み立て、店員配当に均等に三分割して処分)という利益三分主義を成文化した

・熱心な仏教信者であった伊藤忠兵衛は、自利利他を実現する商売は菩薩の業と考え、商道の基本を仏教に置いた。全店員に「正真偈」を配り、朝夕店内の仏壇に念仏をあげた。篤い信仰心を持った忠兵衛は、店員を共同経営者として見なしていた

矢尾治兵衛の遺言は、「勤勉を守り、貧人を憐れみ、家人を愛し、有功を賞し、天命を恐れ、諫を聞き、祖先の恩を忘れず、養生を勤めて、子孫血脈の長久を祈るべし。古語の福禄寿を守りて、万善足るべし」

・家業永続を願う多くの近江商人が陰徳善事に努めた。彼らが商いに優れていたからではなく、陰徳善事を厭わないように、自利を遠くに見据える理念の下で、活動したからこそ、商いに成功したのである



江戸時代、他藩で商売を成功させた近江商人の「三方よし」の理念は、世界各国で商売を展開する企業において、極めて有効です。

将来のリスクを回避し、他とムリな競争をせず、利益を生み出す「三方よし」の経営を、世界展開する企業は、もっと見習うべきではないでしょうか。
[ 2012/06/19 07:02 ] 商いの本 | TB(-) | CM(0)

『大山倍達・強く生きる言葉』大山喜子クリスティーナ

大山倍達 強く生きる言葉大山倍達 強く生きる言葉
(2010/08/11)
大山 喜子クリスティーナ

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大山倍達氏と言えば、空手の極真会館の創始者であり、梶原一騎原作の「空手バカ一代」のモデルになった人です。猛牛や熊と対決したことや、十円玉を指で曲げたことでも有名です。

「強くなりたい」と思う青年なら、誰でも憧れた人物でした。私も、十代のときに、空手バカ一代の映画を見に行ったことがあります。

その大山倍達氏が遺した言葉を、三女がまとめたのが本書です。昔読んだ漫画や見た映像では、大山倍達氏の強さばかりが目立っていましたが、本書には、強さを維持するための精神性が色濃く描かれています。

そうだったのかと思えた箇所が数多くありました。「本の一部」」ですが、紹介させていただきます。



恐いと思ったらやること。できる、できないの結果は行動の後についてくるもの。とにかく、恐いと思うことに挑めば、その分の効果がある。やってしまえば、恐くない

・自分が一歩も道を外していなければ、観衆や自分を評価する人々を、いっさい無視していい。道を歩むということは、それほど厳しいことであり、見物人には、往々にして、その厳しさがわからない

・「生を視る死の如く、富を視る貧の如く、人を視る豚の如く、我を視る人の如く」(列子)。この言葉は、生死、貧富を超克することとと同じ意味を持つ

・正義なき力は暴力なり。力なき正義は無能なり

・自己の正しさを信ずれば、生死を超えた勇気をもって闘うことができる。だから「正義は勝つ

・親からもらった才能、遺産だけで生きるなら、人間の屑である。その才能や遺産に、プラスして余りあるものを足していくのが男の人生

逃げたらいつまでも戦うことになるというのは、喧嘩における「公理」のようなもの

・カネを失うことは小さいこと。信を失うことは大きいこと。覇気を失うことは己を失うこと

・金を追うな。金がついてくる人間になれ。それにはまず、強くなれ

・バカだと思われるのはいいが、バカにされてはいかん

・変だと思ったら変だ。どんなに聞こえが良くても、直感で変だと感じたら、信用するな

・焦るとは、勝利を急ごうとすること。諦めるとは、それは敗北を急ぐこと

・鞘(さや)におさまり、抜かれていない時の刀こそ、その姿は美しい。抜けば輝かしく威光を放つ、しかし、抜かざる。そこにこそ「押忍(おす)」の精神がある

・精神論は、あくまでも、技能、技量をしっかりと体得することを前提として論じられない限り、無意味な空論にすぎない

・「一に力(パワー)、二に速さ(スピード)、三に技(テクニック)」。力がなければ、技は威力を発揮しないもの

飢え孤独が人を強くする

・努力とは、決めたこと、意志の実行である

・修練の時間を睡眠の時間より長くせよ。いかなる道に進もうとも、これを鉄則として生きていけば、その人は自分の一生を後悔することがない

・受けた恩は倍で返せ。受けた恨みは忘れてしまえ

・奉仕の精神は掃除から。私がしますという奉仕の心

・憧れがあって、人生に失敗する人は少ない。さわやかな一生となる。失敗者は、憧れがないから失敗する

聖人君子ぶる人の九割九分は、自堕落で努力することが嫌いな人間だ



大山倍達氏は、宮本武蔵を尊敬していたそうです。その言葉の端々から、宮本武蔵と同様、高い精神性を感じます。

そして、社会の底辺からのし上がって、崇高な精神を宿すまでに至った大山倍達氏の口から発せられる「自分を鍛え、努力する大切さ」を説く言葉には、誰もが、大いに勇気づけられるのではないでしょうか。
[ 2012/06/18 07:01 ] 戦いの本 | TB(-) | CM(0)

『大江戸えころじー事情』石川英輔

大江戸えころじー事情 (講談社文庫)大江戸えころじー事情 (講談社文庫)
(2003/12/12)
石川 英輔

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著者の大江戸シリーズを紹介するのは、「大江戸えねるぎー事情」に次いで2冊目です。

本書には、江戸時代、燃料やエネルギーをいかに無駄なく、賢く使っていたかが掲載されています。また、当時の挿絵も豊富に載せられていますので、当時の状況が目に浮かびます。

生活面で、気づかされる点が多々ありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・時代が進むにつれて下肥はますます貴重になり、18世紀後半には、3~5倍に高騰した。下肥が慢性不足状態だったため、農民は町で汲み取れる限りの全量を集めた。町へ農作物を運んだ帰りの船や馬を使い、肥料を持ち帰ったので、運搬にも無駄がなかった

厩肥は、家畜小屋に敷きわらとして使い、充分に家畜の排泄物を吸収させたところで、堆肥と同じように積み上げて発酵させて作る。完熟した厩肥は、くさいどころか香ばしい匂いがして、最高級の肥料になった

・わらの3分の1は燃料にした。わらは燃えやすく火力は弱いが、量が充分にあれば、風呂を沸かし、炊飯もできた。また、薪に火が着くまでの焚きつけとして利用することも多かった。わらを燃やしてできるわら灰は、上質のカリ肥料になった

・日本の田圃は、肥料が全くなくても70%くらいの収穫がある。その秘密は、山林から流れる自然の肥料。稲作は、麦やじゃがいもより少ない肥料でできる効率の良い農業。山の多い国土で、3000万人の大人口を維持できたのは、主食が米だったから

・絶えず新しい水が流れているために、稲作では連作障害が起こらない。連作障害の原因は、微量要素不足、有害成分過剰、害虫繁殖だが、水田には、いつも自然の有機肥料分や微量要素が流れ込み、有害成分を流し去るため、同じ場所で千年続けることができた

・屎尿をすべて肥料にしていた都市では、川にごくわずかな生活排水しか流れ込まないため、江戸や大坂の大都市にも清潔な水が流れていた。現に、川の水を飲んでいた大坂で、特別な病気が流行することもなかった

・燃料の需要が大きい都市の近くには、必ず燃料用の林業が盛んな地域があり、大量の薪や木炭を市中に供給した。江戸時代の日本では、町での薪炭の需要によって、林業が盛んになり、すすきの原が人工林になるという良い循環が起きていた

・洋服に比べ、着物は単純な構造で、一反(幅36㎝×長さ11.4m)の細長い布から、左右の袖、前身頃、後身頃、左右の衽、共襟、襟の八つの部分を直線に仕立てる。曲線裁断のある洋服(布の10%以上むだになる)のような、半端な裁ち落とし部分が全くない

・江戸時代中期になると「米安の諸色高」になった。米価が安値で安定する一方で、諸色(米以外の商品)が高値で安定するようになった。気候風土に合って儲かる商品作物(穀物、茶、桑、漆、楮、麻、紅花、藍、綿、菜種、煙草など)に力を注いだのは当然だった

・江戸時代の農民は四公六民(年貢率40%)といっても、それは、米、麦、大豆などの作物を米に換算した量だけにかかるので、商品作物、養蚕、機織り、出稼ぎなどの収入は対象外だったから、実際には税率は10%~20%くらいだった

・216品種の物産を列記した「大日本産物相撲」や132種類の「諸国名物類衆」を見れば、全国各地に多種多様な産物が育っている。これだけの産物があれば、国内の特産品の交易だけでも、かなりの利益を生み、よその国に植民地を作らなくても十分にやっていけた

・冷凍保存できなかった時代、「川活け」という夏場の鮮魚供給方法を利用した。獲った魚を、船の生簀に入れて生かしおき、それを海岸にある活船という大型の生簀に入れて飼い、早朝に出荷して、生きのいい状態で運んだ

・「野菜は四里四方」、土地によっては二里四方という場合もある。人がかついで運ぶか、馬で運んでいた時代、消費者のいる場所から馬を引いて2、3時間でいける片道二里か三里(8~12㎞)以内の農村でなくては新鮮な野菜を供給できなかった

・初物の値段が高くなりすぎたため、生椎茸は正月以後、タケノコは四月以後、なすは五月以後などというように、町奉行所が初物の売出し時期を制限した

・江戸時代には石鹸を工業生産していなかった。洗剤として昔から使っていたのは、木灰を水に溶かした上澄み液の灰汁や、ムクロジ、トチなどの実、フノリや野菜の煮汁だった


燃料がないならないで、工夫して代用品を上手に開発していたのが、江戸時代の人々です。しかも、それらの品は、すべて自然のモノでした。

鎖国していたからこそ、知恵がわいたのかもしれません。頭の良さは逆境に反比例して発揮されるものだと、この本を読んで感じました。

そういう意味で、貧乏を楽しむ余裕があったのが、江戸時代であったということではないでしょうか。
[ 2012/06/16 07:02 ] 江戸の本 | TB(-) | CM(0)

『田中角栄に訊け!― 決断と実行の名言録』後藤謙次

田中角栄に訊け! ― 決断と実行の名言録田中角栄に訊け! ― 決断と実行の名言録
(2011/12/21)
後藤 謙次

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田中角栄に関する本をこのブログで紹介するのは、「田中角栄処世の奥義」「日本列島改造論」に次ぎ、3冊目です。

田中角栄は、今も功罪を論じられていますが、そのスピードと実行力という点においては、抜群のものがありました。今でも、「田中角栄待望論」が囁かれるのも、十分に納得できます。

本書には、田中角栄の名言録が数多く掲載されています。それらの中から、印象的な言葉を抜粋しました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・政治は瞬時として停滞を許さない。たえず動いている。静かに瞑想にふけったりしているうちに、死んでいく政治家が何百人、何千人といる

・政治家にオール・オア・ナッシングというものはない。一に最善手を目指す、二に次善、三に三善の策まで考えろ

・学者は専門バカが多い。了見が狭くて片寄りがち。それに、許認可の権限がない。俺は、役人を手足に使う。学者の話は君が聞け

・役人は権威はあるが、情熱はない

・住宅は一家の団欒所魂の安息所、思想の温床。家があるならば、それからいろいろなことを考えてやっていける。働く人たちに家を与えずして、何が民主主義か

・政治の仕事は、国民の邪魔になる小石を丹念に拾って捨てることと、国の力でなければ壊せない岩を砕いて道をあけること。それだけでいい

・ノーと言うのは、たしかに勇気がいる。しかし、長い目で見れば、信用されることが多い。ノーで信頼度が高まる場合もある

・他人にわからないようにしてこそ、好意は生きる。最後に車から降りる。運転手がドアを閉める。その瞬間、運転手の手の下からチップを滑り込ませる。そうすれば、誰にも見えない

・カネは受け取る側が辛い。相手のメンツを重んじられなくてどうする

・できるだけ、敵を減らしていくこと。世の中は、嫉妬とソロバンだ。インテリほどヤキモチが多い。人は自らの損得で動くということ

・人と会うのが醍醐味になってこそ本物

・借り物でない自分の言葉で、全力で話せ

・どうしても悪口を言いたければ、一人でトイレの中でやれ

・無理してつくった味方は、いったん世の中の風向きが変われば、アッという間に逃げ出していく。だから、無理をして味方をつくるな。敵を減らすこと。自分に好意を寄せてくれる人たちを気長に増やしていくしかない

・壁にツメを立ててはい上がってこい。塀の上に顔を覗かせたら、ひょいとつまみ上げてやる

・一本調子、イノシシみたいに直進しようとするだけでは、何も前に進まない。間の取れない奴は、相手にされない

・まず、身内を知ることに神経を使え。身内のことも知らないで、一人前の口なんてきいてはいけない。自分の物差しばかりで物を言うなということ。こういうのは、使いものにならない

・黙って、汗を流せ。いいところは、人に譲ってやれ。損して得取れだ。そうすれば、人に好かれる

・明朗闊達、和して流れず

寝言を言ったり、不満ばかり言っている奴は、人生終わるまで不満を抱き続ける人間になる。社会が悪い、政治が悪いなんて言って、一体何がある。人に貢献できるようになってから言うべき



田中角栄が亡くなってから、二十年近くになりますが、このような本が出版されているのは、過去の首相経験者の中でも、稀有のことです。

田中角栄のすごい逸話だけが一人歩きしているように感じますが、政策面でもきちんと評価することが、大事なのではないでしょうか。

功と罪を正確に判断して、この稀有の政治家の実績を、後世にきちんと残してもらいたいものです。
[ 2012/06/15 07:03 ] 田中角栄・本 | TB(-) | CM(0)

『法然・愚に還る喜び―死を超えて生きる』町田宗鳳

法然・愚に還る喜び―死を超えて生きる (NHKブックス No.1168)法然・愚に還る喜び―死を超えて生きる (NHKブックス No.1168)
(2010/11/25)
町田 宗鳳

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町田宗鳳氏の著書を紹介するのは、「法然対明恵」「野性哲学」に次ぎ、3冊目です。「法然対明恵」は、明恵上人のことを知るために読みました。そこで、法然上人にも興味を覚え、本書を読みたくなりました。

法然上人は、鎌倉仏教の創始者とも言うべき存在です。もし、法然上人がいなければ、今の日本の仏教は、全く違った道を辿っていたかもしれません。興味深い箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・現実社会は不公平そのものだが、「いのち」の存在を見つめるなら、過去も現在も未来も、人間は見事に公平な世界を生きている。法然のキーワードである「往生」を「幸福」に置き換えてみると、現代人の心にもグッと近づいてくる

・念仏や真言の直接的な目的は、それを称える者の意識の浄化であり、カルマ(業)の消滅。法然は、念仏に贖罪の働きがあることを実感し、不断の念仏を強く薦めたのは、人々の心の奥に潜む「否定的記憶」を消すのに、不可欠であることを知っていたから

・私たち自身の無意識が目の前の現象を呼び寄せている。無意識から出てくる心的エネルギーがプラスかマイナスかで、生きる世界が変わってくる

・13世紀に入って、「思想の革命家」法然が、戦いの狼煙をあげると、その後、親鸞、道元、日蓮、一遍など、個性的な思想家たちが輩出し、新たな仏教の流れを生みだした

・高いエネルギーをもつ宗教は、優れた芸術を生みだす。現代宗教が、元気を失っている証拠の一つとして、現代の芸術家が宗教と無縁のところで活躍している事実がある

・怨霊や地獄などの思想が広がるにつれ、民衆の神仏への帰依心が深まると同時に、僧侶への依存心も強まっていった。個体の生物学的な死に、思想的な意味づけをして、民衆の宗教への依存心を高めるのに熱心だったのは、洋の東西を問わず、僧侶たち

・法然がどれだけ深い宗教体験を味わったとしても、もし比叡山を下りなかったら、彼は「思想の革命家」とはなりえなかった。都大路に降り立った瞬間、法然はもはや求道者ではなく、救済者として生まれ変わった

・法然の口称念仏にも自己催眠術的な要素があり、それによってさまざまなビジョンを眼にする。定善観にせよ、前世療法にせよ、そこで浮かび上がってくるイメージの世界が、それを体験する者の人生の意味を根本から覆すほどの力をもっているということ

ナムアミダブツを称える者の自覚ひとつで、世界の中心に屹立する宇宙樹となって、穢土と浄土を一気に結びつけたわけだから、真の念仏は他力のようであって、他力ではない。自力と他力の区別がつかないところに、法然のナミアミダブツがある

・法然の真価は、人間の救いは「物知りの知識」にあるのではなく、「計らいのない愚者の知恵」にこそあることを突き止めた。「愚に還る喜び」という考え方は、小賢しいエゴを捨て、バカにならないと往生できない。つまり、幸福になりえないというもの

・法然の思想的斬新性は、怨霊・地獄・末法という三つの暗黒色で塗り込められていた死のイメージが、金色に輝く阿弥陀仏の姿に一気に塗り替えたこと

・仏道を行ずる上で、最大の障害は自我意識。本質を見抜いていた法然は、深い懺悔の中で真剣に称えられる念仏こそ、いかなる修行よりも尊いと判断した

・「極重悪人」という自覚がある人は、懺悔ができている人。宗教というのは、痛々しいほど反省が深まらないと始まらない

・法然の専修念仏は、日本宗教上初めて、伝統的仏教教団と朝廷の双方から組織的弾圧があった。それが、いかに革新的思想であり、社会的影響力が大きかったかを物語っている

・庶民という言葉には、「権力者に抑圧された弱者」というニュアンスがある。実際は、小心な欲望集団のことでもあり、法のスキを狙って、非倫理的行為に走る者が少なくない

・法然は、恐るべき権力をもつ尼将軍(北条政子)にも、権力の乱用という過ちを犯さないように遠慮なく忠告している。相手が遊女だろうが、最高権力者だろうが、どのような社会的階層の人とも誠実に接したことが、法然の魅力

・唐の臨済禅師が「仏に逢っては仏を殺し、祖に逢っては祖を殺せ」と言ったように、法然をもっとも誠実に、かつ真摯に学ぶということは、「法然を殺す」こと。そのときこそ、「法然を超えた」ことになる。特定宗教の絶対化ほど、人類の進化を妨げるものはない



「南無阿弥陀仏」の念仏が、カルマ(業)を消滅し、心の奥に潜む「否定的記憶」を消し、心的エネルギーをプラスにする力を宿すということ。たった七文字のナムアミダブツが、本当に奥深いものであることを本書によって、初めて知りました。

ナムアミダブツは元祖「元気になれる魔法の呪文」です。この法然の思想(南無阿弥陀仏)が、インド仏教、中国仏教からの訣別を意味し、日本仏教の誕生をもたらしたということも、大変意義があると感じました。
[ 2012/06/14 07:02 ] 町田宗鳳・本 | TB(-) | CM(0)

『凡事徹底』鍵山秀三郎

凡事徹底 (活学叢書)凡事徹底 (活学叢書)
(1994/11/10)
鍵山 秀三郎

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著者は、カー用品チェーン店「イエローハット」の創業者であり、NPO法人「日本を美しくする会」の相談役です。現在は、掃除をテーマにした活動で、全国を飛び回っておられます。

本書は、今から18年前に刊行され、版を重ねている書です。著者が、大会社を経営して、悟られてきたことが凝縮して詰まっています。それらの中から、共感した箇所を一部ですが、ご紹介させていただきます。



・「不動の商魂、それは凡に徹することである。これさえ身につければ、お金は向こうからやってくる。これは商の常道であり、不変の哲理である」(坂村真民)

・「天下に名をなす人は、皆この凡から出、凡に徹しきっている。凡事徹底、この四字こそ、商人道の根幹であり、運をつかむこつである」(坂村真民)

・「人生は瑣事(さじ)に苦しみ、瑣事を楽しまなければならない」(芥川龍之介)

簡単なこと、単純なこと、単調なことをおろそかにしない。それを極めていく

・成果をあげられない人は、成果をあげる人よも一生懸命、長い時間休まないで働いていることの方が多いが、やることなすことに無駄が多く、やってもやってもエネルギーが無駄に流れてしまって成果につながらない

・わずかな差だとついバカにしてしまうが、微差僅差の積み重ねが大差となる

・絶えず人を喜ばす気持ちで物事をやる、人生を送る、毎日を送る。これを続けて一年たてば、本当に人が変わるぐらい、気づく人間に変わってしまう

・人間は打算があったら、どんなことでも続かない。十年も二十年も続かない。それから、打算があってやっていることは卑しく見える。全部見えてしまう

・「良樹細根」。根が広く深く張っていれば、必ずいい木になるという意味だが、当然、根のほうが先で、上のほうは後。根が張れば、自然に上はどんどんよくなっていく

・合理化というのは、自分にとって不都合なことを人に押しつけること。しかし、これは大変怖い。自分にとって不都合なことは、他人にとっても不都合。他人の不都合に対する思いやりに欠けた行為は、合理化になったと思った以上の不合理になって返ってくる

・会社がお客の事情も考えずに、ただ売れ売れ、売上さえ上げればいい社員だという評価をすると、無理な売り方をして、心をすさませていく。すさんだ心の集団、会社ほど悲惨なものはない

・人間の喜びで最たるものは、人に頼りにされ、人にあてにされること。これが喜びの中で何よりも大きい。どれだけの財産を持つよりもこの喜びが一番大きい

・縁をよくしていくためには、よく気づく人間になることが一番大事。気づかない人は、自分でも思いもよらないところで人を傷つけ、あるいは人から嫌がられたり、敬遠されたりすることになる

悪くなった会社で、掃除が行き届いて、整理整頓ができているという会社は一つもない

・掃除をしていて、人をだましてやろうとか、人を陥れてやろうという考えは微塵も出てこない

やるときは徹底してやると、次からはどんどん効率、能率が高まっていく。能率、効率が高まらないやり方は駄目。さらに、この幅を広げていくことが人間の人格を深め、高めていくことと比例する

・人間は、義務でやらなくてもいいことを、どれだけやれるかが、人格に比例する

・「小さく生きて大きく遺す」とは、自分の生活はこじんまり小さく、やる事業はなるべく大きくするということ

・お客にも卑屈にならない代わりに、仕入れ先にも尊大な態度はとらない。どっちも同じ態度。そして、お客といっても、傲慢で横暴な人とは、取引はやめてしまう

・「人間が遺すべき遺産はなにか。金やものなど財産を残すことも意義がある。しかし、それは何人にもできることではない。何人にもできて、お金やものより価値のあることは、勇気ある高尚な生涯だ」(内村鑑三)



人間は、当たり前のことや、ありきたりのことは、面白くないので、それを避けようとします。そして、新しいことや楽しいことを優先してしまいがちです。

凡事徹底」とは、面白くないこと、楽しくないことを、喜んですることです。これは、ある意味において、人生修行です。

この修行が、成功につながることを、「凡事徹底」という言葉を使い、教えてくれる親切な書ではないでしょうか。
[ 2012/06/13 07:02 ] 鍵山秀三郎・本 | TB(-) | CM(0)

『過剰論・経済学批判』高橋洋児

過剰論 経済学批判過剰論 経済学批判
(2012/01/30)
高橋 洋児

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著者は、静岡大学の名誉教授です。経済学を生活、人間心理、社会、政治とミックスした形で捉えており、非常に親しみやすく感じます。

また、明快で断定的な文章は、読み手のモヤモヤを晴らしてくれて、小気味よく感じられます。ハッと驚き、共感し、合点がいく文章の連続でした。その中から、気に入った箇所を「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



生産力過剰は、生産部門にマネーの有利な運用先を見出しにくくなったことを意味する。このことが金融肥大化をもたらした。つまり、モノ余りがカネ余りをもたらした

・モラルの意味は、「他人への配慮」。投機マネーがモラルに欠けることは明らか

格付け会社の予測結果、当たり外れの実績をデータ化しておく必要がある。確かな判断基準がなければ、格付けには「おみくじ」程度の役割しか期待できない

・民主政治のもとでは、有権者が神様。財政赤字は、民主政治の必要経費

・言葉も論理も、理知も、ウソっぱち、虚偽だらけ。理知の真偽を見極めるには、少し長い時間幅で通して見るとよい

・心理的ファクターを度外視しては、好況も不況も、バブルも恐慌も説明できない。景気変動論は一面では心理変動論である

・景気対策の成否のカギを握っているのは、景気対策費や資金供給量等の金額の大小よりも、政策当局に対する信頼の大小

・銀行を初めとする金融機関の役割は依然大きいが、経済発展を牽引する原動力の意味合いは薄れてきた。大きな役割を果たしてきたがゆえに役割が減退する

消費の諸条件とは、1.「賃金水準の上昇」2.「消費時間の増大」3.「消費財の価格低下」4.「消費財の豊富化・多様化」5.「消費能力の向上」

・先進国が新興国を利することは、新興国の競争力強化に手を貸すことになり、国際競争の激化要因となる。育てられた側が育てた側の存在を脅かす

・人口規模(潜在的な国内市場)が大きい国は、長期継続的な経済発展の可能性を有するが、そうでない国・地域の経済発展は短命に終わる

・大事なのは、GDPに寄与しない分野であっても、人間生活を向上させる分野に力を入れる考え方。真っ先に必要なのは、未成年層の知力と体力の増進と、それらに関連する分野

需給不均衡は絶えず是正されてきた。生産力過剰は、その都度解消されてきた。是正は、市場メカニズムではなく、19世紀は恐慌、20世紀は、2度の世界戦争によってである

・経済発展は、消費財に関して、MORE(より多くの)→BETTER(より良質な)→DIFFERENT(差異のある)という順序を辿る

マニア収集家は、特定品目の財に資金を注ぐ。範疇区分として「過剰消費」に入る

・生産力過剰の処理メカニズムとして当てにできるのは、消費者が浮かれ気分でいる時に限られる

・あまり先のことまで云々する人は、かえって警戒したほうがよい。なぜなら、この世から姿を消しているから、責任の取りようがない

教育の充実こそ、そこいらの需要拡大策とは別格の経済発展の底力を発揮し得る

・「小さな政府」と「強い政府」は、相反するものではなく両立する

相続遺産の取り扱いに、その時々の政権の基本姿勢や社会体制の基本性格が表われる

・経済における政府の重要な役割は、国民の気分をハイにすること。ハイな気分をつくる呼び水役を果たすこと

・同じ民衆が、ある時は英雄視した人物を、別の時には独裁者呼ばわりする。独裁者の問題は、民衆自身の問題



過剰のものは、消尽しないといけません。消尽を一言で言えば、大規模な無駄遣いです。日本の今で言えば、高速道路であり、リニアモーターカーであり、スカイツリーかもしれません。昔で言えば、出雲大社であり、前方後円墳であり、奈良の大仏でした。

本書を読むと、効果のある無駄遣いをして、国民をハイにすることが求められているように思います。夢を与え、希望を与える教育こそ、国民を長期的継続的にハイにする手段のように感じます。

まずは、しかめっ面の政治家、臆病そうに見える官僚などを一掃することが、日本の景気を一気によくしていくことになるのではないでしょうか。
[ 2012/06/12 07:09 ] お金の本 | TB(-) | CM(0)

『得する人』無能唱元

得する人得する人
(1990/05)
無能 唱元

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無能唱元さんの本を紹介するのは、「人の力、金の力」に次ぎ2冊目です。この「得する人」は、今から20年以上前に出版された、1万円以上する豪華本です。

無能唱元さんの言わんとすることがすべて詰まっている一冊です。それだけに、内容が濃すぎて、このブログでは、とても紹介しきれないほどでした。500ページ近い力作の「本のわずか」ですが、共感した点を幾つか、紹介させていただきます。



・気にしていることは起こる。つまり、それが望むことであれ、恐れることであれ、強くそのことを考えていると、考えたとおりのことが実現する

・思考というものに、感情が加わって熱をもつと、「」になる

・成功者の共通点は、過去のグチ話を決して話さないことと、未来の希望のみ話すこと。そして、自分は常に運がよかったし、これからもよいに違いないと思っていること

刻因薫習の行の条件とは、「繰り返し考えること」と「できるだけ細部まで、絵のように心に思い描くこと」。絶えず、図を書いて、絶えず人に夢を語る。そして、夢が叶った風景を、うっとりと頭に描く。この「うっとり」が大事

・マイナスの言葉を口にするのに努力はいらないが、プラスの言葉を見つけるには努力がいる。それは、世の中が圧倒的に否定型、マイナスのことに満ちているから

・「意」とは、「であるがごとく思え」ということ。「身」とは、「であるがごとく行動する」ということ。「であるがごとく」とは、自分の深層意識に向かうこと

・「ああ、うれしいな、ありがたいな」と言っているうちに、何となくうれしくなってくる。これを「陽転思考」という。陽転思考のできる人こそ、人生幸福の黄金の鍵を握っている

・「魅は与によって生じ求によって滅す」。人に何かを与えれば魅力が生じ、人に何かを求めると嫌悪感を相手に生じさせる

・「幸福とは、物自身ではなくて、物の味」。幸福は存在しているのではなく、感ずること

・人間には五つの本能的衝動「1.生存本能(死にたくない)」「2.群居衝動(一人では生きられない)」「3.自己重要感(人に認められたい)」「4.性欲(異性にもてたい)」「5.好奇心(もっと知りたい)」があり、お金の他にも、与えるもの(欲望の充足)がある

・大人が子供に対してとるべき態度は、児童心理学的に見て、「注視(よく見ていること)」「賞賛(ほめること)」「微笑み」の三つ。これは、子供に限らず言えること。これを使う人は「人たらし」。世の成功者は、みな「人蕩術」に長けている

・「この世の最大の善なる行為とは、他人に喜びの表情を浮かばせること」(マホメット)

・自分の口を用いて、自己重要感を高めること、これだけは、自分のあらゆる行為の中から抜き去るように、自分を見張ること

・人間は、同時に二つのことを考えられない。他人の喜びを考え、同時に、自分の悩みについて考えることはできない。心配症の人は、他人を喜ばすことだけを考えればいい

・何が正しく、何が間違っているか、と同時に、何が強くて、何が弱いかを見ることは、人生にとって、非常に重要。彼と我の力を計測しなければならない

・相手の身になって考える「代理想像」のきかない人は、一生、苦難の道を歩く

・協調とは、有害なものを取り除き、無害と有益なるものに、自分を合わせていくこと

・将来の果に因をインプットする「刻因」には、「1.ピンナップ法」「2.メモ法」「3.対鏡法」「4.半覚醒法」「5.歩行呪文法」「6.快時一言法」「7.座中思念法」がある

・自分の今考えている思考のあり方を見張っているもう一人の自分が把握できれば、あらゆる苦しみは消滅する

・幸福に生きるために、欠くことができないものが「楽観」と「ねばり根性

・緊張はエネルギーを消費し続ける。弛緩はエネルギーをチャージする。人生において最も必要なことは、休みながら働くこと

・「懐疑」→「観察」→「理解」と進むときに創造が描き出される。自己に問いかけ、その謎が解けることが、その人の人生となる



「欲の集大成が文明となり、その文明の恩恵に浴している以上、欲を否定してはいけない」という無能唱元さんの主張が、本書に一貫として、流れています。

富貴を求め、無事を望み、不老長寿を願うのは、素朴な思いであり、その是非を問う前に、その思いが人間に存在することを認め、その中で、どう自己をコントロールしていくかが大事であると言われています。

欲の肯定と欲のコントロール、それを自在に成し遂げた人こそ、「得する人」になるのかもしれません。
[ 2012/06/11 07:09 ] 無能唱元・本 | TB(-) | CM(0)

『詩集・念ずれば花ひらく』坂村真民

詩集 念ずれば花ひらく詩集 念ずれば花ひらく
(1998/10)
坂村 真民

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本書は詩集です。著者の坂村真民さんは、6年前に97歳で亡くなられました。一遍上人を愛した仏教詩人でした。

人間の心に内省をもたらす詩ばかりです。近年、その愛好者が増え続けています。その代表作である「念ずれば花ひらく」の一部を、ご紹介させていただきます。



・「タンポポ魂」 踏みにじられても、食いちぎられても、死にもしない、枯れもしない。その根強さ。そして常に、太陽に向かって咲く、その明るさ。わたしはそれをわたしの魂とする

・「念ずれば花ひらく」 念ずれば花ひらく。苦しいとき、母がいつも口にしていた、このことばを、わたしもいつのころからか、となえるようになった。そうしてそのたび、わたしの花がふしぎと、ひとつひとつひらいていった

・「鳥は飛ばねばならぬ」 鳥は飛ばねばならぬ。人は生きねばならぬ。怒濤の海を飛びゆく鳥のように、混沌の世を生きねばならぬ。・・・・・

・「すべては光る」 光る、光る、すべては光る。光らないものは、ひとつとしてない。みずから、光らないものは、他から、光を受けて、光る

・「尊いのは足の裏である」 尊いのは、頭でなく、手でなく、足の裏である。・・・・・頭から光が出る、まだまだだめ。額から光が出る、まだまだいかん。足の裏から光が出る。そのような方こそ、本当に偉い人である

・「」 花には散ったあとの悲しみはない。ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ

・「こちらから」 こちらからあたまをさげる。こちらからあいさつをする。こちらから手を合わせる。こちらから詫びる。こちらから声をかける。すべてこちらからすれば、争いもなく、なごやかにゆく。・・・・・

・「からっぽ」 頭をからっぽにする。胃をからっぽにする。心をからっぽにする。そうすると、はいってくるすべてのものが、新鮮で、生き生きしている

・「吹き抜けて行け」 吹き抜けて行け、吹き抜けて行け。善も、悪も、憎悪も、怨恨も。空っ風のように、わたしの体を。吹き抜けて行け、吹き抜けて行け

・「」 悲しい時は、風と共に走れ。嬉しい時は、花と共に舞え

・「大事なこと」 真の人間になろうとするためには、着ることより、脱ぐことの方が大事だ。知ることより、忘れることの方が大事だ。取得することより、捨離することの方が大事だ

・「闇と苦」 闇があるから、光がある。苦があるから、楽がある。闇を生かせ、苦を生かせ

・「悟り」 悟りとは、自分の花を咲かせることだ。どんな小さい花でもいい。誰のものでもない、独自の花を咲かせることだ

・「本当の愛」 本当の愛は、タンポポの根のように強く、タンポポの花のように美しい。そして、タンポポの種のように四方に、幸せの輪を広げていく

・「念根」 念は根である。祈りの根がしっかりと、大地に深く広がり、力を持っておれば、花はおのずと、大きく開き、念は必ず成就する。これは天地宇宙の原理であり、摂理である。お互い、念の根を、しっかりしたものにしてゆこう

・「一字一輪」 字は一字でいい。一字にこもる力を知れ。花は一輪でいい。一輪にこもる命を知れ

・「つねに」 つねに、流れているから、川は生きているのだ。止まるな、滞るな。つねに、動いておれ。頭も、足も

・「信仰」 泥が光る。罪が輝く。それがしんの信仰だ

・「なやめるS子に」 だまされてよくなり、悪くなってしまっては駄目。いじめられてよくなり、いじけてしまっては駄目。ふまれておきあがり、倒れてしまっては駄目。いつも心は燃えていよう、消えてしまっては駄目。いつも瞳は澄んでいよう、濁ってしまっては駄目



本書は、不安、悩み、苦しみを抱えている人たちを癒し、生きる力を与える詩集です。

そして、努力、辛抱、真面目さ、正直さの大切さを、誰にもわかるやさしい言葉で表現した詩集です。

老若男女を問わず、辛くなったとき、哀しくなったときに、手にしたくなるのではないでしょうか。
[ 2012/06/09 07:00 ] 坂村真民・本 | TB(-) | CM(0)

『加藤シヅエ百歳―愛と勇気の言葉の記録』

加藤シヅエ 百歳―愛と勇気の言葉の記録加藤シヅエ 百歳―愛と勇気の言葉の記録
(1996/12)
加藤 シヅエ

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加藤シヅエさんは、2001年に104歳で亡くなられた婦人解放運動家です。

良家に育ち、結婚後、アメリカに留学し、帰国後、社会運動家となり、戦後は、48歳で高齢出産し、その後、衆議院議員、参議院議員を約25年務め、優生保護法の成立に尽力された方です。自立した女性の草分け的存在です。

その彼女の言葉を生前に綴ったのが、この書です。強く、前向きに、立派に生きるための言葉がたくさんあります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・誰にも遠慮しないで、本当のことを言ったり書いたりできる今が、一番自由で幸せ

・人間的に世話になるだけでなく、宇宙界、自然界、全体の恵みを受けて生きているのだと、百くらいまで生きるとわかるようになる

・生きる限り学ぶ。そうして死んだら終わる。終わったから死ぬのではない

・留置場に2週間いたけれど、それはそれで楽しかった。つらいなんて思わなかった。「私は今、正しいことのために闘っている。あえて権力に逆らってここにいる。私は英雄!」そういう気持ちでいた

・動物愛護なんて票にならないし、議員の理解もない。動物愛護の法律をつくるのに8年もかかった。動物が住みやすい環境というのは、人間にとって良い環境。だから、無定見な開発はいけない

・真の愛情は、異質の文化をも融和させ、理解し合い、いいところを伸ばし合い、お互いを幸せにすることのできる一番強い力を持っている。これさえあれば、人は勇気を持つこともできるし、力も発揮できる、そういうものが愛情

・人は人を憎んではならない。憎んでもよいのは、人類や社会を自己の利益のために利用する少数者にだけ

・お金に頭を下げるようになってはおしまい。使い方も知らずに、お金を持つほど始末に悪いものはない

・私はもともと気が弱かった。私を強くしたのは、「自己の良心の声に忠実に従う」という訓練

人気にたかるという日本人の精神状態をどうにかしなくてはいけない。民主主義の基であるヒューマニズムを育てようという指導精神が、今の日本に欠けている

・世の中を良くするには、ほめること。ほめる力を強くすることが、世の中を良くし、人間を良くする。でも、それだけに、ウソを言ったり、売名だったりする人をよく見て、うっかりほめてしまわないように気をつけなくてはいけない

人を激励するということは、感動する気持ちで、青春の証し

・感覚が始終はつらつしていなくては、ものごとは進歩しない。知識だけではだめ。自分で食べてみておいしいとか辛いとか、痛いとかうれしいとか、その感性が大事

・鏡は正直。お世辞を言ってくれない。鏡が一番私を美しいと言ってくれるときは、精神を喜びと希望で充たしている時。それ以外の時は、形だけで隙だらけ

・不純なものは嫌いだから、いつも純粋でありたい。だけども、純粋であるには、正直でないといけない。これには勇気を要する。必要な勇気があって、正直を保って、純粋性を保ち得ているところに、自分の喜びがある

神様、仏様に要求を突きつけるのはいけない。向こう様から何かおっしゃることを、自分がやっているか、ちゃんと返事ができるか、もしできないことがあればそれをすぐ改める。そうすると心が落ち着き、さっぱりする。表情もそういうふうになる

・感動するというのは、その人の生命(血なり肉なり)を活性化している。これを止めてはいけない。年中、感動していれば絶対にボケることなんかない。感動しようと思えば、何にでも感動できる

・人がどう思うかを恐れて行動しないのは卑怯。感動して実行すればハッピー。それに健康なら錆つかない

・深く感動すると、その人はその度に成長する。そして、心が楽しくなって、明るくなる



加藤シヅエさんのような、根性のすわった優しい女性が100人いたら、日本の世の中は大きく変わると思います。

見栄を張って消費に邁進するエネルギーを、社会をよくするエネルギーに変えてくれる女性が増えてくれるのを願っています。女性と男性が、本当の意味で対等になって、希望に満ちた新しい社会が生まれるのではないでしょうか。
[ 2012/06/08 07:08 ] 人生の本 | TB(-) | CM(0)