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「・・・とは」「・・・人とは」を思索
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『ひろさちやの笑って死ぬヒント』

ひろさちやの笑って死ぬヒント (青春新書INTELLIGENCE)ひろさちやの笑って死ぬヒント (青春新書INTELLIGENCE)
(2010/06/02)
ひろ さちや

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ひろさちやさんの本は、このブログで、何冊も紹介してきました。今回の本のテーマは、「笑って死ぬ」ことです。

死を肯定的に考えて、どういう死を迎えるのがいいか、著者が宗教的に解説してくれます。日本人の宗教観の矛盾を明らかにし、その解決法を示してくれているので、読むと気持ちが楽になります。

なるほどと思えたポイントが数多くありました。それらを「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



生きながらえているからこそ苦しみを感じるのであって、死ぬときは決して苦しくない

・釈迦は死後の世界の有無について一切発言していない。死後の世界について考えるなというのが釈迦の考え。これを仏教の言葉で、「無記答」「捨置記」という。釈迦が死後の世界を語らないのは、あるかないか、私たち人間がいくら考えても、分からないことだから

・自由を束縛されるのが刑罰ならば、会社はまさしく刑務所そのもの。身も心も会社に委ねているようでは、私たちは、刑務所の囚人のように生きて、囚人のように死んでいくほかない

・会社なんて牢獄の中の牢獄。でも、会社勤めをやめては食っていけなくなる。だから、牢獄に喜んで入る必要はない。渋々、いやいや入るべき

・日本人は負ける楽しみが分からないし、そんな生き方はできない。だから、健康を取り戻そうとして、必死になって、「老・病・死」に勝とうとしてしまい、悲惨で壮絶な最期を遂げてしまう

・日本人が宗教をなくしてしまった最大の責任は明治政府にある。なぜなら、明治政府は国家神道という疑似宗教をつくった結果、第二次大戦で、山のような戦死者を出し、矛盾を一気に吹き出したから。さすがに、鈍感な日本人も国家神道がインチキ宗教と気づいた

・宗教を持つ人は、安心して笑って死ぬことができる。ところが、宗教を持っていない日本人は、それができない。それで、「格好よく死にたい」などと言って、「武士道」という「美学」に逃げる

・武士というものは、本質的に暴力団と同じ。その暴力団の掟が「武士道」。家のため主君のためと、前途ある若者までも無理やり切腹させたりする。そんなものに価値はない。武士道こそが日本の教育を悪くした元凶

・遺書というのは、日記や自分史と同じく自己満足の産物に過ぎない。要するに美学。自分をよく見せたい、あるいはよく見せていると自己満足したいだけ

・刀を持っている武士という階級の人たちは、何か不祥事が起きたら、すぐ「切腹しろ」と言われた。切腹というと偉そうに聞こえるが、要するに単なる自殺

・今、自殺者の遺族は三百万人にものぼる。親が自殺したなど一言もしゃべれない。しかし、自殺でも仏さまは受け入れてくれる。自殺者の家族も「お父さんは、浄土に行った」と思えば、生前のことを語り合える。そうすることで、残された家族が幸せになる

・日本人は宗教がないから人間努力主義に陥ってしまい、しないでもいい苦労をする。あげくのはてに、美学に酔いしれて、くだらない遺書を書いて、「衰えるのは嫌だ」と意味もない自殺をしてしまう

・子供は仏さまからの預かり物。優等生を預かっている親もいれば、劣等生を預かっている親もいる。みんな優等生にしようというのはおかしい。子供が幸せになれるように願うのが親というもの

・会社や友人に対しては、仮面をかぶって生きてきたとしても、家族の中では決して虚勢を張ったり、嘘をついてはいけない。つらいことがあっても、すべてをさらけだして、のたうちまわって生きなくてはいけない。それができて、初めて、笑って死ぬことができる

・大切なのは、社会のため、企業のために生きようなどと、愚にもつかない美学を持たずに、人間として生きようとすること。たった、それだけのことで、笑って死ぬことができる



要するに、見栄を張って、良く生きようなどと思わないことが、良き死を迎えることができるということではないでしょうか。

生きているうちに、のたうちまわっていたほうが、死ぬ間際に、のたうちまわらずにすむということかもしれません。

死を考えることが、今の生を考えることにつながります。まず、ゴールを決めて生きていたいものです。
[ 2012/04/30 07:09 ] ひろさちや・本 | TB(0) | CM(1)

『聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人』リオ・ジャッリーニ

聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人
(2010/06/17)
リオ・ジャッリーニ

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著者のリオ・ジャッリーニ氏は、イタリア人で、1995年から日本に在住されています。

日本企業へのコンサルティング業をされているだけに、日本とイタリアの違いを本質的な眼で、よく観察されています。

イタリア人から見た、日本の不思議なところを、本書に数多く掲載されています。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・イタリアでは、時代がどう流れようと、「何世紀も守ってきたものを捨てるのは嫌だ」と考える。それが子孫のためでもある

・日本人は、人生や社会における「個人の幸せの大切さ」を軽視しすぎ。イタリアでは、個人の幸せの追求がときには過剰になる

・日本の仕事場では、バカバカしく不条理な上司の命令をただ受動的に実行する。「上司に服従することが何より大事」は、日本の将来にとって危険

・イタリア人は、子供に「何でも食べなさい」と教えるが、イタリアの子供は、好きなものだけを選んで食べ、嫌いなものをはじく。そこで、「食べることは楽しいこと。義務ではない」と、また教える

・子供のときから、小さな選択に慣れることは大切。そうしながら、子供は「幸福とは何、不幸とは何」を見極めることを学ぶ

・日本のシステムは、本来は人のためになるはずのものが、今日では「大事なのは人ではなくシステム」になってしまっている

・情熱は行動を促し、心意気は人生を前に進める。それを変質させ、制御し、破壊すると、副作用が生まれる。情熱や心意気を失くした人は、やる気のない状態に陥る。人々は受身になり、自己主張する力を失う。受身な人間が構成する社会は、前向きになれない

・変化はシステムにとっては害悪。そこで、システムは、変化から自らを守るために、安全策を練り上げた。それは「社会の中の、横への広がりを妨げる」こと。「人との関わりが、常に縦方向」という状態は、不満や不幸とフラストレーションの源泉となる

・横暴は一方通行ではない。横暴を働く者と、それに苦しむ者がいる。そのどちらも間違っている

・日本の定食は、セットの中身を一部変えてほしいと、店に頼むことができない。セットごと受け取るか、セットごとやめるかのどちらか。上司の権力行使が濫用であっても、選択肢は「全面的に受け入れるか、会社をやめるか」の二つに一つしかない

・日本では、「自分は客である。よって神のように偉い」と思っている人間が、幼稚、執拗、頑固、強情でいることが許される。「客は神」というポリシーは、本来の「顧客満足」から外れた、非生産的なものになりがち

・日本にいる外国人は、初めて会った日本人に「どちらから」「なぜ日本に」「日本に来てどのくらい」「日本では何を」と、いつも必ず同じ質問をされる。これは、日本人の精神構造が均質化されていることの表われ

・イタリアのモテる女性は、親しい男の友人や知人が多くいるので、焦りがなく、じっくり恋人を選ぶ。だから、イタリア男性は、女性に拒否され、気持ちがずたずたになっても、平然といられる

・日本では、熱意を持っても、重たいシステムによって罰せられるので、人々は適応することを学ぶ。気概を持つ者はシステムに潰され、気概のない者はむしろ誉められ、平穏に暮らす。情熱を持つ者は失望を味わい、情熱のない者は苦しむことなく生きていく

・多くの日本人は、生き残るために、「演技する」しかない。機会を失わないため、親しい人たちの輪から外れないため、絶望感に打ちのめされないため、自分を納得させるため

・システムはシステムに依存した人間をつくる。システムに依存した人間は、システムに面倒を見てもらわなければならない。そして、システムを危うくしそうな人やモノを、恐ろしいと遠ざける。要するに、典型的な「自分のしっぽをかむ犬

・時代錯誤の共産主義が日本に根付き、説かれ、実行されている。「外れる者を容赦なく叩き、突出する者は叩かれる」。そして、「叩くことを義務と見なしている」。共産主義を笑う人も、誰もが共産主義的な精神を持っている


日本在住が長く、物事を本質的に見る、頭のいい外国人の本は意外と少ないものです。

本書は、イタリアのエリートが、日本に住んで、仕事をして、おかしいと思ったことが、書き綴られています。

著者のリオ・ジャッリーニ氏が感じたおかしさは、感情的なものではなく、客観的におかしいと思ったものばかりです。本書を読めば、日本人として、反省する点が多々あるのではないでしょうか。


[ 2012/04/28 07:02 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『森の生活』D・ヘンリー・ソロー

森の生活 (講談社学術文庫)森の生活 (講談社学術文庫)
(1991/03/05)
D・ヘンリー・ソロー

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ソローの本を紹介するのは、「ソロー語録」に次ぎ2冊目です。19世紀半ばのアメリカの詩人であったソローは、都会を離れ、自然あふれる湖畔に居を構えます。

そこで、日々変化する自然を通して、人間と社会を見つめ、その思想を形づくっていきました。日本で言えば、鴨長明、吉田兼好のような存在なのかもしれません。

その鋭い観察眼に、いろいろと気づかされるところがありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・大部分の人間は、やがて肥料として土になるのに、虫に喰われ、錆で腐食してしまい、そのうち盗人が奪ってしまうような財産をせっせと貯えている。早く気づかないといけない。臨終を迎える時に気づくのでは遅い

・たいていの人間は、単なる無知と誤解のために、しないでもよい苦労や取るに足らない生活の仕事に追いまくられて、その素晴らしい人生の果実を手にすることができない

・われわれが質素で、賢い生き方さえすれば、この地上で、自分一人養っていくのは、さして辛いことではなく、楽しいこと

・書物は、読者を啓発し、励ましてくれる。書物を拒まぬことが、読者の良識というもの

・商業は、沈着、機敏、大胆さを必要とし、しかも退屈さを感じさせない。情に訴えるような商いをしなければ、成果を収められる

・われわれは、自分の部屋に籠っている時よりも、外出して人ごみの中にいる時のほうが、もっと孤独である。考えごとをしたり、仕事をしている人間はいつも孤独なのだ。どこにいようが、そっとしておいてあげようではないか

・生きていれば、常に死の危険にさらされているというもの。坐っていても、走っていても、そのリスクは同じ

・もし、すべての人間が、私がしているのと同じくらい簡素な生活を実践すれば、泥棒や強盗など発生しない。こうしたことは、必要以上に富める者がいる一方で、その逆に持たざる貧者が存在する社会に発生する

・がむしゃらに働かなければ、がむしゃらに食べる必要がない。そうすれば、食費などわずかな金で済む。要するに、働いても働かなくても同じということ。懸命に働けば、いつも不満な気分になり、自分の生命を擦り減らすことになるから結局は損したことになる

・私自身の中にも、より高尚な生活、いわゆる精神的生活を志向する本能が一方にあり、他方には、原始的で、野蛮な生活を志向する本能が今でも潜んでいる。私は、その両方を大切にしている

・私の実践的森の生活は<無何有之郷>(nowhere)というべく、まさしく、私の意見は、この森の生活にある

・われわれは心の中に獣的本能があることを知っている。それは、われわれのさらに高尚な人間性が眠るのに比例して目覚めてくるもの。全く駆逐することは不可能

・純潔と不潔さは交互に人を鼓舞したり、落胆させたりする。日を追うごとに、心の中で獣性が消滅し、聖なるものが確立されつつあることを確信できる人は幸い

・森に来て生活することの一つの魅力は、春を迎えることを目のあたりに見る機会があること

・自分の眼を正しく内に向けよ、そうすれば分かるだろう。自分の心の無数の領域が未発見のままであることが。その場所に旅せよ、そして自分の心の宇宙誌の専門家となれ

・自分の生活を質素なものにしていけば、これに比例して宇宙の法則も見えてくる。孤独は孤独でなくなり、貧困は貧困でなくなり、弱点は弱点でなくなる

・生活のレベルが少し下がっても、心の豊かさが、もう一段だけ向上すれば、失うものは何もない。余分な富を持つと、余分な物しか購入しない。魂が必要としているものを購入するのに、金銭などは必要ない



物質文明が萌芽し始めた時代に、ソローはその欺瞞性を見抜き、ボストン郊外の湖畔に居を移しました。そして、そこで、思索に耽りました。

それから、150年経っても、われわれは「必要でないものを必要と思い込まされて買う。買うために懸命に働く。そうすると、考える時間がなくなり、必要でないものを必要でないと考えられなくなる」ことを繰り返しています。

当時より、このサイクルの輪は大きくなり、スピードも高まっているように思います。

本書は、このサイクルから抜け出したところに幸せがあることを教えてくれる古典的書かもしれません。
[ 2012/04/27 07:06 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『人生を考えるヒント-ニーチェの言葉から』木原武一

人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から (新潮選書)人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から (新潮選書)
(2003/03)
木原 武一

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木原武一氏の著書は、「ゲーテに学ぶ幸福術」「快楽の哲学」「あの偉人たちを育てた子供時代の習慣」に次ぎ、4冊目です。

先月、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を、このブログで紹介しました。しかし、分かったようで分からないのがニーチェです。私の頭では、まだまだ理解不能です。

今回は、木原武一氏が選んだニーチェの言葉を、読み解き、ニーチェを理解することに努めました。「本の一部」ですが、理解できた箇所を紹介させていただきます。



・ある人間の高さを見ようとしない者は、それだけしげしげと鋭く、その人間の低さや上っ面に目を向ける。そして、そうすることで、自分をさらけ出す (善悪の彼岸)

・女性がどんなふうに、どんなときに笑うか、それは彼女の育ちと教養を示す目印。笑う声の本性の中に、彼女の本性が現れる (人間的な、あまりに人間的な)

・儀式、官職や位階による服装、厳粛な面持ち、荘重な目つき、ゆっくりとした歩き方、もってまわった話し方など、およそ威厳と呼ばれるすべてのものは、実は恐怖心を抱いている者たちの偽装 (曙光)

・人間が復讐心から解放されること、これこそ、最高の希望への架け橋、長い嵐の虹 (ツァラトゥストラかく語りき)

・人を怒らせ、悪い考えを思い浮かべさせる確実な方法は、長く待たせること。このことは人を不道徳にする (人間的な、あまりにも人間的な)

趣味の変化は、意見の変化よりも重大。意見の変化は、趣味の変化の兆候にすぎない (華やぐ知恵)

・思想というものは、われわれの感覚の影である (華やぐ知恵)

・数時間の登山は、一人の悪者と一人の聖者を似通った人間に仕立て上げる。疲労は、平等と友愛へのいちばんの近道 (人間的な、あまりにも人間的な)

・一人では正しいかどうかわからない。真理は二人から始まる。一人では自己を証明できない。しかし、二人になると、もう反駁できない (華やぐ知恵)

・病人への忠告を与える者は、それが受け容れられようが、聞き捨てられようが、相手に対して一種の優越感を覚えるもの。だから、敏感で誇り高い病人は、忠告者を自分の病気以上に憎む (人間的な、あまりにも人間的な)

・骨や肉、内蔵、血管などを包む一枚の皮膚が人間の姿を見るに耐えるものにしているように、魂の動きや情熱は虚栄心によって包まれている。虚栄心は魂の皮膚である (人間的な、あまりにも人間的な)

・もっとも人間的なこと、それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないこと (華やぐ知恵)

・二人の人間を最も深く引き離すもの、それは、潔癖さについての感覚と程度の差 (善悪の彼岸)

・君たち、激務を愛し、速いもの、新奇なもの、珍妙なものを好むすべての者たち。君たちは、自分自身をどうしていいかわからない。君たちの勤勉は逃避であり、自分を忘れようとする意志にすぎない (ツァラトゥストラかく語りき)

・常にいつも、汝自身であれ。汝自身の教師、彫刻家であれ! (遺された断想)

善とは何か。力の感情を、力への意志を、人間のうちにある力そのものを高めるすべてのもの。悪とは何か。弱さに由来するすべてのもの。幸福とは何か。力が大きくなり、抵抗を克服する感情 (アンチクリスト)

・われわれは少ないエネルギーで生活することも知らなければならない。苦痛がその安全信号である。それは、エネルギーを減らすべき時が来たことを知らせる (華やぐ知恵)

・独創性とは何か。万人の目の前にありながら、まだ名前を持たず、まだ呼ばれたことのないものを、見ること。人の常として、名前があってはじめてものが見えるようになる。独創的人間とは、命名者である (華やぐ知恵)

・偉大さとは、方向を与えること。どんな河も自分自身によって大きく豊かなのではなく、多くの支流を受け容れて進むことでそうなる。あらゆる偉大なる精神についても同じ。肝腎なのは、後に多くの支流が辿る方向を示すこと (人間的な、あまりにも人間的な)



今回は、ニーチェの言葉だけをピックアップしました。それぞれのとり上げた言葉に対して、著者の解釈、解説、考え方があります。

もっとニーチェを知りたい方は、是非、著者の文章も併せて読むと、一層理解を深められるのではないでしょうか。
[ 2012/04/26 07:06 ] ニーチェ・本 | TB(0) | CM(0)

『木のいのち木のこころ〈天〉』西岡常一

木のいのち木のこころ〈天〉木のいのち木のこころ〈天〉
(1993/12)
西岡 常一

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本書は、法隆寺や薬師寺などの宮大工で、棟梁を務められていた西岡常一さんの口述書です。

含蓄のある言葉が数多く出てきます。仕事をする心構えとして、これほど有益な書はありません。職人への遺言のように感じました。感銘し、勉強になった言葉を、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・儲けのことを考えていたのでは宮大工は務まらない。自分の家もよそさんに造ってもらった。そのために、田畑を持っていた。仕事がないときは田畑をやって、食いぶちをつくれということだった

・癖というのは何も悪くない、使い方。癖のあるものを使うのは厄介だが、うまく使ったら、そのほうがいいこともある。人間と同じ。癖の強いやつほど命も強い感じ。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短い

・室町あたりからだめになる。まず、木の性質を生かしていない。腐りやすく、すぐに修理しないといけない。ひどいのは江戸。慶長の修理は、大名に言いつけられて、予算内で上げようと、いやいややったのがよくわかる。神仏を崇めるとか、何も考えていない

・とにかく古い材は宝。古い材には限りがある。木の使いやすい乾燥時間は五十年ほどかかる。それを今は伐り出して製材してすぐ使っている。古材を捨てるのはもったいない話

・人間が種を播いて育て、山へ移植した木はよくない。せいぜい五百年ぐらい。自然の中で競争せず、温室のように育ったのがよくない。とにかく、競争を生き抜かないことには、千年、二千年という木には育たない

・大工がどんなにうまいこと言おうと、よい人だろうと、仕事ができないとしょうがない。その仕事を成り立たせるのが道具。道具なしに仕事の良し悪しはない。だから、職人は道具を大事にする

・近ごろの道具は質が落ちている。鉄は硬ければいいものではない。「あま切れ」といって、柔らかくてよく切れるものがいい。硬い刃物は、硬い物に会うと、ぱりんと折れる

・飛鳥や白鳳は美しい。大陸からの文化を吸収して、日本の風土に合わせるという偉大な知恵が盛り込まれている。鎌倉の様式には日本的な感性がある。鎌倉で日本の独自の様式が完成し、室町に至ると、装飾に走り、嫌味が出てくる。華美に走りすぎて堕落してくる

・室町になると、さまざまな大工道具が出てくる。台鉋も出てくるし、板も鋸で挽くようになる。便利なものが出てくると、人間はそれを頼りにし、本来のものを忘れる。そうなると、頭で造るようになる。計算ができるようになって、仕事の能率が主になっていく

・江戸になったらもっとひどい。日光東照宮は、華美で、派手で、これでもかと飾り立てる。建物の本来持つ力強さを全く無視している。あれは建物というより彫刻

・職人がいて建物を建て、それを学者が研究している。学者が先にいたのではない。職人が先にいた。学者は、体験や経験を信じない。本に書かれていることや論文のほうを信じる。学者と長く付き合ったが、感心しない世界だと思った

・老子は、教育は人間をだめにすると言っている。生まれたままがいいということ

・教育は「教え」「育てる」と書くが、徒弟制度は「育てる」だけ。考えるのは自分。考えてやってみる

・おじいさんは私に一回も褒めなかったけれど、母親に「よくやっている」と言った。それを母親の手伝いをしている時に、何気なく母親が伝えてくれた。これは利いた

・人間は、褒められると、今度は褒められたくて仕事をするようになる。人の目を気にして造るようになる。ところが、こうして造られた建物にろくなものがない。職人は、思い上がったら終わり。だから、弟子を育てる時に褒めない

・棟梁の心構えに「百論をひとつに止めるの器量なき者は謹み惧れて匠長の座を去れ」という口伝がある。たくさんの職人をひとつにまとめられなかったら、自分に棟梁の資格がないから自分から辞めろということ

・西洋式の「最小の労働をもって、最大の効果を生む」は大きな間違い。我々日本の農民は、自分一人の働きで、何人の人に米を食わせられるかが基本

・「見習う」とはよく言ったもの。たしかに、仕事は見て覚えていく。うまい人には動きに無駄がない。動きがきれい。余計なことなしにすっと仕事をこなしていく。段取りがいい



職人の頂点に立つ宮大工の棟梁の言葉が、日本古来から脈々と続く職人の魂に響く言葉が、本書に随所に登場します。

特に、人の育て方に関して、日本的育成法が明言されており、我々に自信を与えてくれます。今なお、何百年と残っているものを造っている職人の声にもう一度耳を傾けてみるべきと思わせてくれる書でした。
[ 2012/04/25 07:03 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『チャーリー中山の投資哲学と堀内昭利の相場戦陣訓』

チャーリー中山の投資哲学と堀内昭利の相場戦陣訓チャーリー中山の投資哲学と堀内昭利の相場戦陣訓
(2010/06/18)
チャーリー 中山、堀内 昭利 他

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チャーリー中山こと中山茂氏は、超敏腕の為替ディーラーで、業界では知る人ぞ知る存在だそうです。今はシンガポール在住で、マスコミに登場することはありません。本人も、マスコミに出る投資家は偽物と言い切っておられます。

今回は、前半部分の、チャーリー中山氏の歯に衣着せぬ発言にだけスポットをあて、感銘したところを紹介させていただきます。


・リーマンショック後、他がボロボロのとき、ジョージ・ソロスのファンドはプラス8%のリターンだった。ソロスは、ユダヤ人中枢部と結託していると考えてほぼ間違いない

・勝負師たちの記事や本を読んだりはしない。それらを読んで、自分が影響されるのが嫌だから。不安の中で、その不安にやっと打ち勝って、初めて勝負に勝てる

・みんなが乗った船は、結局前に進み続けることができない

・金利の高い通貨を買って、勝ち続けた人間はいない。あめ玉をもらって、相場自体もその方向に行って、そこで利食えたトレーダーはいないということ

・ジョージ・ソロスが、いい仕事をしていたとき、誰もその名を知らなかった。今はチャラチャラ出てきて、慈善家みたいなことを言う。もう引退すべきとき。彼は終わった

・野球選手は、野球をやっていればいい。勝負師は勝負したらいい、講釈しなくていい

・情報過多は百害あって一利なし。情報を集める人は、それに頼ろうとする。何かに頼る気持ちがあったら、結局、勝負は負ける

・物事を客観的に見ることができない者は絶対に勝てない。それだけははっきりしている

・「父親を尊敬しています」という人間で、トレーダーとしてやっていけた者はいない

人間の煩悩、気持ちの弱いところが、相場で勝つことのあらゆる邪魔をしている

・個人投資家が、貯蓄から投資を考えなければいけない状況は、インフレのときに限られる。今のように、インフレを恐れる必要のない時代だったら、投資する必要がない

・勝負というのは、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬あれ」。保身欲があったら絶対勝てない

相場表を自分でつけるというのは大事。失敗が頭にインプットされると、後でノートを開けば、記憶が鮮明に蘇る。他人が書いて作成されたようなものはダメ

10%のリターンが上がらないトレーダーを認めない。そのくらいのリターンが上がらないと、5年、10年の単位で、マイナスになるから

・2年、3年は三級品のトレーダーでも勝てる。本物として認めるトレーダーの条件は、最低10年、15年のタイムスパンで勝てること

・ヘッジファンドの85%は偽物。株式市場は、全体のパイが大きくなれば、バカでも儲かるから。買って握っておく、それだけなら猿でもできる

・金融市場は、極めて単純なもの。金融工学とかいって、どんどん複雑にすることで、客をだまくらかすのが日常化していった

・いつも自分の国の経済を過小評価して、「超悲観的」になる国民、それが日本人

・ユダヤ人に対抗できる民族は世界でも日本人しかいない。ユダヤ人の頭は別格であるが、日本人はユダヤ人が絶対に持っていない組織力という、とんでもないものを持っている

・日本では、上のレベルの人間が優秀だったためしが、開国以来一度もない。ただ、世界の国で、これほど強い「兵隊」を持った国は歴史上ない。日本の強さは、兵隊の強さ

・暴落は、瞬時には起こらない。大きく減価する。それは1ドル360円が80円になっていったように、時間をかけていく

・一番の情報は、目撃者から入ってくる。その人が実際、目の前で見ているもの

・資源を持っていてもダメ。あぶく銭が国を強くした例は、人類の歴史上一つもない。これからは、製造業のない国はダメ

・相場に100点はないが、ある程度満足する形で、カネが儲かったときは、儲かった話などをする気になれないもの。そんなときは、一人で「ざまあみろ」とニヤニヤしながら、静かに酒を飲む。人間とはそういうもの


勝負師の言葉です。それも、負けたら死ぬ「真剣勝負」に勝ってきた勝負師のように思いました。

この本を読むと、投資は甘くないと思い知らされるはずです。投資する人が「免疫」をつけるのに、格好の書ではないでしょうか。
[ 2012/04/24 07:05 ] 投資の本 | TB(0) | CM(0)

『戦略の本質』野中郁次郎、戸部良一

戦略の本質 (日経ビジネス人文庫)戦略の本質 (日経ビジネス人文庫)
(2008/07/29)
野中 郁次郎、戸部 良一 他

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失敗の本質」( 日本軍の組織論的研究)は、旧日本軍の戦史を研究した名著です。

この「戦略の本質」も、「失敗の本質」執筆者と同じ6名の研究者(防衛大学教授を中心としたメンバー)による共著です。

大事な戦略とは何かを、過去の戦史に学ぼうというのが、本書の主旨です。単なる戦争の本ではなく、企業や組織などの経営にも応用できる面が多々あります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・日本海軍は、敵の準備不足に乗じ、その不意を衝いた緒戦段階では、綿密に描いたシナリオどおりだった。しかし、敵が目覚め、予想したシナリオとは異なる戦い方で対応してきたとき、対応できなかった(敵がシナリオどおりに動くものと考えていた)

・日本企業の多くは、「日本的経営」が日本独自のもので、日本人でなければ具現しえないという幻想に安住した

・毛沢東は「最初の戦闘の勝利は全局に大きな影響を与え、最後の戦闘にまで影響を及ぼす」「必ず勝たねばならないことが、第一戦を行うに当たって、忘れてはならない原則」と、第一戦を勝ち取ることを極めて重視していた

・敵の力が強く、味方の力が弱い条件下では、単に力を競い合うのではなく、知恵を競い合うことが要請される

遊撃戦は静止してはならない。スピードが基本であり、そのための組織の機動性と戦術展開能力を育成しなければならない

・制約のある資源をいかに有効に集中的に活用して、優位性を確保するか。これが戦略の基本原則

・科学の方法論は、価値観を排除するところから始まるが、戦略は、人間的現象であって、リーダーの世界観や直観といった、人間の価値観を源泉としている

・「対立物の均衡は一時的状態。現実は不均衡が常態。対立物の均衡状態が崩れて矛盾を生み、新たな均衡状態へ向かうことが、事物の発展段階である」 (毛沢東・矛盾論)

・毛沢東は、「敵進我退(進めば退き)敵駐我攪(とまればかきみだし)敵疲我打(疲れたら打ち)敵退我追(退けば追う)」の十六文字の憲法を全員に暗記させ、実践のなかで遊撃戦の型を共有させた

・「リーダーシップの本質は、誰を選ぶか、誰を持ち上げるか、誰を抑えつけるか、誰の首をすげ代えるかの判断を伴う人事にある」(エリエット・コーエン)

・言語能力は政治の基本。チャーチルは、歴史、文学に造詣が深く、演説、書きものの天才。人を鼓舞する言葉だけでなく、説明する言葉の重要性を理解していた。空襲下のロンドン市民は、ラジオから流れるチャーチルの演説を聞かないと眠れないほどであった

・錯覚には功罪がある。積極的側面(楽観による持続的努力、強さの誇示)もあるが、バランスをなくした自信過剰は、戦略の失敗に導く

・「正しい」「本当である」「善い」という感覚は、個人の心だけでなく、共同体の関係のプロセスから生まれる

・ヒトラーは、人間の強み・弱みに対する理解と敵側の弱点を見抜く直観では群を抜いていた。しかし、自己の信念を弱めるすべてのものを拒否、回避しようとして、対話を圧殺し、データを信じなかった

・スターリンは、状況の俊敏な把握と細部に目を配る能力に優れていた。しかし、、猜疑心が強く、他者が正しくても、認めようとしなかった

・マッカーサーは、自己の判断や決定に疑問や反論を呈する者に妥協しなかった。自己の立場を明確にした後は、自己の過ちの可能性を頑なに容認しなかった

・戦略とは、環境の知を直観によって獲得し、主体的なビジョンの中で位置づけ、正当化して、組織のパワーを総動員して、未来を創造する、最も高度な政治的判断力である



戦いに勝つには、リーダーの直観的判断力と適材適所の人事能力が不可欠であるということがよくわかりました。

また、それらの能力だけでなく、精神面においても、リーダーは、自信過剰と謙虚さをコントロールできなければいけないこともわかりました。

しかし、歴史上の人物を見渡しても、そのような完璧な人はいません。みんな欠点だらけです。

ということは、誰でも、訓練によって、良きリーダーになれるのではないでしょうか。そう気づかせてくれる書でした。
[ 2012/04/23 07:06 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『シャネル20世紀のスタイル』秦早穂子

シャネル 20世紀のスタイルシャネル 20世紀のスタイル
(1990/11)
秦 早穂子

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シャネルが全世界の女性に与えた影響ははかりしれないものがあります。それは、ファッションという枠を越えて、生き方そのものにまで及んでいるように思えます。

シャネルという人物を知れば、20世紀の女性を知ることができるのではないでしょうか。本書は、その一助になると思います。「本の一部」ですが、シャネルの気になる言動を紹介したいと思います。


・「この服は売りに出さないわ。あたしのものになりきっていないから」

・確かにシャネルは、しばしば男たちの服からヒントを得た。ただしそれは、彼女の理論にかなったものでなければならず、思いつきでは決してなかった。思いつきこそが、彼女が最も憎悪したものの一つであった

・「度外れた金持ちというのは、どれだけの財産を持っているのか、その当人が一番わからず、金の匂いがしないというのがいいことだ」

・「一つのモードは終わりを告げ、もう一つのモードが生まれ出ようとしていて、その時代に、私はいた。チャンスが到来し、私がつかんだ。新しい世紀の児である私に、服装上の表現がまかされた」

・田舎の持つ堅実な精神と装いを根底におきながら、新しい時代の服装の在り方を提唱したシャネルは、香水の分野でも同じ思考法で攻撃をかける。自然の匂いを壊すことなく、けれども、複雑で、すっきりした、変質しない。それが、彼女の描く20世紀の香水だった

・「宝石は、色、神秘性、装飾性などいろんな価値があるが、カラットが問題なのではない。本物だろうと、偽物だろうと、単なる装身具なのだ。それを首のまわりに小切手をつけて歩くようなことをするなんて!」

・「たくさんの色を使えば使うほど、女はかえって醜くなるというのを女たちは気づかない」

・「シンプル貧しさをゴタ混ぜにするなんて。いい布地で、きちんとカットされ、縫製され、裏地も非のない服が、貧しいはずはありはしない」

・「女はすべての色に思いを寄せるが、色がない色については考えが及ばない。黒はすべてを含む色、白も同じ。黒と白は絶対的な美であり、完全な調和である」

・「私が創ったのはモードではない。長続きする、古くならない服と色の型の調和であった。いつまでも長続きするそんな服を私は望んでいた」

・「素晴らしくよくできた一枚の服は、やがて既製服の基本になる。けれども、既製服からは素晴らしい服は生まれない」

・「すべては高度なものでなければならない。量は倍増された質ではない。質と量は本質的に違う」

・「モードではなく、私はスタイルを創り出した」

・「常に除去すること。つけ足しは絶対にいけない。ボタン穴のないボタンなんて意味はない。表が大切な以上に、裏が大切。本当の贅沢は裏にあるのだから」

・シャネルは自分に厳格な女だった。一瞬たりとも金の援助を受けている間は、自分は自分でないという発想

・「お金は私にとって、自由を意味していた。その点では、私は確かにお金が好きだ

・芸術家たちが彼女の友達とすれば、社交界の人々は使い走りであったとシャネルは言うが、パリという社会で一頭地を抜くには、人間関係がもっとも有効な力を発揮した

・女にありがちな手段や計算もあり、傲慢で欠点の多い人間であったのも確かだが、行き着く先は、仕事しかなかったという厳しさをシャネルは示した。真面目な精神を示した。激しい怒りをもって生きた一生は、一つの革命であった。それがシャネルの真実

・シャネルのすべてのエネルギーの原点は、断ち切るべき過去にある。過去を抹殺するためにこそ、彼女は働く。怒りはすべてここから発生していく

・シャネルに憧れ共感するのは、成功し、金を儲け、自由な女だからで、怒りの部分は一番理解できない。しかし、当時、女たちは、何らかの怒りは持っていたが、爆発させる術を知らなかった。シャネルは怒りの炎を燃やしながら20世紀を駆け抜けた反逆児だった


着ている服を見れば、その人の性格や、今の気分が、ある程度わかります。しかし、本書を読んで、着ている服は、同時に、その人の過去と、その人の未来への決意を表わしているということがわかりました

服とは、キャラクターやフィーリングだけではなく、メッセージでもあるということでしょうか。ファッションの持つ深い意味を教えてくれる書でした。
[ 2012/04/21 07:03 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『女のおっさん箴言集』田辺聖子

女のおっさん箴言集(しんげんしゅう) (PHP文庫)女のおっさん箴言集(しんげんしゅう) (PHP文庫)
(2007/03/02)
田辺 聖子

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田辺聖子さんの本を紹介するのは、「上機嫌な言葉366日」に続き、2冊目です。

乙女の感性を持ち続ける著者だけに、中高年男性の私には、参考になるところがたくさんあります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・男社会の評判と、女社会の肌ざわりと二つ重ねないと、人間の裏表は分からない

・幸福だから愛想よくなるとは限らない。幸福な人は自慢屋であり、教訓家になることが多い。偶然の結果、健康や成功に恵まれたにすぎないのに、自分の能力と過信する

・くつろいでいる人間を見て喜ぶのは、こっちがくつろいでなくて緊張している証拠

・正しいことは、本人もまわりもみじめにする。非の打ちどころがないという生き様は下の下である。人に非難の余地を残しておかねば

男のかわいげを見つけ出し、それを楽しむためには、まず女が自分自身を確立していなければならない

・独りで楽しんでいるだけの幸福なんて、ホンモノじゃないと思う女が多い。周囲を誇示し挑発し、羨望や嫉妬の波紋をたしかめ、優越感を味わってやっと「幸福」は完結する

・人によっては、女に生まれて損だという。果てしない煩雑な家事、乏しい家計のやりくりの辛さ、育児の心労を訴える。しかし、そういう人は、男に生まれても、また、男の辛苦を訴える。そして、女は楽なものだ、と女を非難し、貶めるようにできている

・美しいもの、善きもの、甘やかなものを信じ、その夢を抱き続けるのが女性のロマンであり、女性の文化というもの

・女が大笑いする、ということは社会の開明度を示す。女が泣く(世間や男に虐げられて)というのは、社会の未開蒙昧度を示す。女はもっと笑い、人を笑わせなければいけない

・傲慢な自信家。思い上がり。エゴイスト。頑固一途。鼻持ちならぬエリート意識。人を見下すクセのある男。こういう男を夫に持っている妻たちを見るたび、われわれ女は、「よくまあ、あんなかわいげのない男と暮らしているものだ」の感を深くする

・人間には、仕事の成功した幸福感も必要だろうが、より以上に、自分をいとしんでくれる人間がこの世にいること、その愛情の照り映えで、こちらの肌も熱をもって暖かくなるという、そんな人間関係がなければ、本当の幸福と言えない

・日本の男は、伝統的に、一個の女に向き合う術を知らない。子供の頃から、そういう訓練を施されていないし、女の意志や情感といった女の本質に触れて、それをよろこぶという、オトナ感覚が育っていない

・塗りかえたいけど、ここだけは塗りかえたくないと言っていると、そこから雨が漏れる。信条も塗りかえ、人も変わっていくほうがいい。人は変わる、それが世の中の常

・人が生きるとき、品がありつづけるには、かげで品のないこともしなくてはいけない

・自負とは、自分に自信があり、自力がある場合の言葉。たいがいの人間はそんなに高尚なものではない。すべてこの世の人は自慢が生き甲斐なのではないか

・人間が一番力を出せるのは、三十代後半から四十代いっぱいと思うが、しかしその反面、力を出しきって、ぷつんと切れるのも、その年代

・オジサンは説教魔、オバサンは使命魔。この日本は、バケモノだらけになって、説教される人、使命感を押しつけられる犠牲者を探し求め、とって食おうとしている

世間を知るということは、人間の言葉の裏を引っ繰り返して見るということ

・本を読んで知っているということは恥ずかしいことであって、人にそれを教えるのはもっと恥ずかしい。血肉になっていない知識は、知らないのと一緒

・汚職や収賄というのは、あれは器量のない人間がもらうから汚職・収賄になる。しかし、ワイロは得てして、器量のない人間に集中して届けられる

・目立つなよ、縛られる。先頭切るなよ、縛られる。人に説教するなよ、縛られる。人を責める、強要する、やめなさい。かえって自分が縛られる。正義もいかん、縛られる


著者の言葉には、男性への戒め、肩書きのある人間への戒め、中高年への戒めが多く含まれています。

同性の親や先輩からの戒めより、たまには、異性の他人からの戒めを受けるほうが、素直に耳を傾けられるのではないかと思います。異性の「人生の経験者」の視点が、大事なのではないでしょうか。
[ 2012/04/20 07:06 ] 田辺聖子・本 | TB(0) | CM(0)

『アインシュタインは語る』アリス・カラプリス

アインシュタインは語るアインシュタインは語る
(1997/02)
アリス カラプリス、 他

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天才アインシュタインは数々の言葉を遺しています。その言葉は、科学だけに及ばず、教育、人間、宗教、死、社会など、多岐に及びます。

20世紀最高の天才が、到達した英知とはいかなるものか、本書を読むと、知ることができます。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・名声を得るにつれて、ますます愚かになった。まあ、ごくありふれた現象ですが

・理想に照らして、人間を測るという習慣からは抜け出さなくてはいけない

・私には特別な才能などない。ただ好奇心が激しく強いだけ

・「われわれ」という言葉に不安を感じる。誰も他の奴とは一体じゃないからだ

・人々の顔に浮かぶ微笑みは、米国人の最も大きな資産。米国人は、愛想がよく、自信を持ち、楽天的。それに、ねたむことをしない

・特定の職業に対する生徒の性向を無視してはいけない。なぜなら、そのような性向は、早い時期にあらわれるから

・最悪なのは、学校が恐怖、力、人工的な権威という方法を用いること。そのような扱いは、生徒の健全な情緒、誠実さ、自信を破壊する。それが作り出すのは、従順な臣民

・学校が常に目標とすべきは、若い人たちが、調和のとれた人格の持ち主として、そこを出ること。専門家としてではなく

・授業とは、そこで提供されるものが、つらい義務ではなく、貴重な贈り物として、受けとめられるようなものであるべき

・偉大な人物は、常に凡庸な頭の持主たちから激しい反対にあってきた。凡庸な頭の持主には、勇敢かつ正直に意見を表明する人が理解できない

・人間の真価は、どのように自己からの解放を達成しているかで決まる

・知識のための知識の追求、狂信的なまでに正義を愛する心、個人の独立への願望。こうしたものが、ユダヤ人の伝統としてあるからこそ、自分の運勢の星に感謝する

・文化的生活を支えることは、ユダヤ民族にとって重要なこと。この「絶えず学ぶ」という営みがなかったら、民族として存在していなかった

・払うべき値段がないものは、価値もない

・地味で、でしゃばらない人生が、誰にとってもいい。肉体的にも、精神的にも

・個人的な願望の実現に向けられた人生は、常に遅かれ早かれ、苦々しい失望に終わる

組織された力に対抗するには、組織された力をもってするしかない、残念だが、他に道はない

・私は宗教心の強い不信心者である

繊細な気質の持主は、個人的な生活から、「客観的な理解」と「思考の世界」に逃れることに憧れる。それが、人が芸術と科学に向かう強い動機

・私は満ち足りた気持ちで晩年を過ごしている。いつも上機嫌で深刻に考えていない

・私は孤独の中で暮らしている。孤独は若いときにつらいが、老熟すると甘美になる

・力は常に徳の低い人々をひきつける。圧制者の後をならず者が継ぐというのが不変の法則

・想像力は知識より大切。知識は限られている。想像力は世界を包み込む

・本当に素晴らしく、心を高揚させてくれるものはすべて、自由に仕事に励む個人によって創造される



アインシュタインとは何者だったのか。本書を読めば読むほど、不思議に思えてきます。天才的な科学者という域を脱した偉人、つまり、20世紀の天才だったのではないでしょうか。

この20世紀の天才の頭脳は、その業績と遺された言葉によって、21世紀以降も伝えられていくように思います。
[ 2012/04/19 07:01 ] 偉人の本 | TB(0) | CM(0)

『性格のパワー・世界最先端の心理学研究でここまで解明された』村上宣寛

性格のパワー 世界最先端の心理学研究でここまで解明された性格のパワー 世界最先端の心理学研究でここまで解明された
(2011/06/16)
村上宣寛

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心理学は、どんどん進化しているようです。その最先端の心理学をどう活かしていくか、その中で「性格」をどう活かしていくかについて、人間発達学部の教授である著者が記したのが、この本です。

個々人固有の性格を把握しながら、それを、どう世間に合わせて生きていくかのヒントが満載です。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・基本的な性格は、「外向性」「協調性」「良識性」「情緒安定性」「知的好奇心」の五つ。これを「ビッグ・ファイブ」と呼ぶ。ビッグ・ファイブの成立によって、科学の領域で研究が進められるようになった

・「外交性」の3つの側面因子は、「社交性」(閉鎖的、引っ込み思案、内向的、よそよそしい)、「活動性」(活発、活動的、活気、快活、にぎやか、明るい)、「主張性」(控え目、大人しい、おしゃべり、物静か)

・「協調性」の3つの側面因子は、「ねたみ」(ねたむ、ひがむ、未練がましい、ひねくれ者、嫉妬深い、しつこい)、「怒り」(怒りっぽい、頭に血がのぼる、気が短い、腹が立つ、口が悪い)、「身勝手」(自分勝手、自己中心、わがまま、生意気)

・「良識性」の3つの側面因子は、「親切さ」(親切、優しい、誠実、温かい、善意、人情、良心的)、「粘り強さ」(粘り強い、熱心、ひたむき、念入り)、「従順さ」(従順、謙虚、忠実、堅実)

・「情緒安定性」の2つの側面因子は、「活動力」(行動的、開放的、エネルギッシュ、オープン、楽しい、軽快、愉快)、「楽観性」(気楽、楽観的、能天気、快楽主義、気まま)

・「知的好奇心」の3つの側面因子は、「小心さ」(小心者、おじけづく、意気地なし、うろたえる)、「愚かさ」(軽率、不注意、まぬけ、軽はずみ、浅はか)、「意志薄弱」(諦める、投げ出す、中途半端、意志が強い、怠け者)

・知能が最も遺伝の影響力が大きい。幼児で20%、児童で40%、成人で60%と、年齢に比例して増加する

・結婚の年に、幸福感は絶頂を迎えるが、その後、低下し続け、6年後には、結婚前の水準に落ちてしまう

・お金を重視するほど主観的幸福感は低く、愛を重視するほど主観的幸福感は高くなる

・幸福感の強い人が仕事でも満足する。逆ではなかった

・教育歴と幸福感の間には、小さいが有意な相関がある。しかし、職業上の地位や所得を制御すると、教育歴と幸福感の相関はなくなる。つまり、教育と幸福感は無関係

・知能と幸福感の相関はゼロ。その理由として、知能テストは「数学能力」「言語能力」「空間能力」に関係するだけで、「社会的知能」が含まれていないから

・主観的幸福感は、ビッグ・ファイブの「情緒安定性」と「外交性」に強く関係する

・主観的幸福感が高いのは、男性では、情緒が安定し、協調的な人。女性では、情緒が安定し、知性が高く、配偶者がいる人

・意外なことに、健康状態や所得などは、主観的幸福感とほとんど関係がない

・幸福感は、人生のパートナーを見つけ、仕事や余暇活動などに積極的に関われば、かなり改善される

・ビッグ・ファイブの「良識性」「外交性」「情緒安定性」が高い人は、寿命が長い

・外向的、「非」協調的、良識的で、情緒が安定した人は、職業で成功する確率が非常に高い

・経営者の場合、外交性が有利に働くが、専門職では、内向性が有利

・知能テストと勤務成績の相関は非常に高い。仕事内容が高度になるにつれて、知能のウェイトが増す

・ビッグ・ファイブは、寿命、離婚、勤務成績、職業での成功、政治的態度にも深い関係がある



知能の遺伝が歳をとるにつれて増すこと、教育と幸福感は無関係、健康状態や所得と主観的幸福感も無関係、非協調的な方が職業で成功する確率が高いことなど、ちょっと意外な指摘もありました。

性格は、そう簡単に変えることはできません。したがって、自分の性格に合った社会の居場所を見つけることこそ、幸福感が味わえるポイントではないかと、感じさせてくれる書でした。
[ 2012/04/18 07:03 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『暮らしてわかった年収100万円生活術』横田濱夫

暮らしてわかった!年収100万円生活術 (講談社プラスアルファ文庫)暮らしてわかった!年収100万円生活術 (講談社プラスアルファ文庫)
(2004/11/19)
横田 濱夫

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このブログの読者であるCさんから、「いい本があるよ」と推薦していただいた書です。文庫本は2004年発行ですが、単行本は2002年に書かれています。

今から10年前(森永卓郎氏の「年収300万円時代・・・」がベストセラーになった1年前)に、すでに、このようなハイレベルな「賢く暮らす」心得書があったのは驚きです。著者は、お金をかけない生活術の先駆者だったのではないでしょうか。

今読んでも、著者の新鮮でユニークな視点が参考になります。「本の一部」ですが、それらを紹介させていただきます。


・1人暮らしは、年収100万円生活、夫婦2人で200万円、子供1人につき50万円加算し、親子4人で年収300万円生活を考えるのが現実的。300万円だったら、夫が200万円、妻がパートで100万円稼げばいい

・健康であること自体、すでに立派な収入であり、お金のうち。今や「健康は金なり」の時代。ヘタに収入増を図るより、気をつけなければならないのは、病気にかからないこと

・人間として、一番恥ずかしいのは、自信過剰や思い上がり、そして思想や哲学の欠如。お金のあるなしなど、大して問題ではない。人生とは?死とは?本当の幸福とは?それらを考えるのに必要なのは、お金ではなく、精神的な時間

・完璧に満足できる年金制度など、この世に存在しない。老後に必要な資金を、全額貯めるのも、これまた無理な話。国民年金は、生きている限り一生涯もらえる終身年金。ケガや病気になったら、障害年金ももらえる。国民年金を甘く見ると、最後は泣くハメになる

・日本人は心配性すぎる。将来の病気や入院について、必要以上に臆病。結果、死んであの世に持っていけないのに、要らぬ医療保険に入り、必要以上の貯蓄をする

・自己破産によって、泣くのは銀行。その銀行自体がすでに手厚い配慮を受けたので、この際、少々泣いてもらってもバチは当たらない。自己破産した人たちは、みんな安アパート住まいだが、それでも元気に楽しくやっている

・健全な年収100万円生活をする上で、友達選びは重要。人間は、他人に流されやすい。「ギャンブル好き」「外出好き」「おごる、おごられが好き」「金のかかる趣味を持つ」「夜遊び好き」「ブランド好き」「見栄っ張り」「やたら外食したがる」人と友達になってはいけない

・健全な年収100万円生活をする上で、友達としてふさわしいのは、「年収が自分に比べ極端に高くない」「買い物は現金主義」「借金していない」「お金のかからない趣味を持つ」「余計な長電話しない」「食べ物を残さない」「自慢しない」「嘘をつかない」人

・興味がなかったり、やりたくないことは、世間で流行っていようと、一切無視。他人と比べ、あくせくし、神経をキリキリさせ、くやしい思いをするなどナンセンス

自分らしく生きるのなんて、そんなに難しいことではない。のんびり好きなことをやるだけ。それは同時に、楽しく安上がりに暮らすコツでもある

・日本の狭い住宅事情で、食器棚に和洋中の食器類は多すぎる。住宅が広くても、アメリカは洋食器だけ。つまり、日本人は欲張りすぎる。あれもこれも揃えようとするのがおかしい。衣服も同じ。「部屋が狭い」「家賃が高い」と嘆く前に、物を減らすべき

浪費家相性の悪い配偶者とは、無理して一緒に暮らしていても、ケンカや揉めごとが絶えないだけ。だったら、いっそ離婚してしまったほうが、その後の人生を楽しめる

・洋服、バッグ、時計などに高いお金をかけても、他人が気づいてくれなければ意味がない。だったら、むしろ自分のカラーを持つべき。同じ色で通し、脇目もふらず我が道を行くのが、個性であり、本当のおしゃれ

・衣服に小さな穴があっても、それは1%。残り99%の機能・効用はちゃんと果たせている。小さな穴を笑う者のほうが、人間的に小さくて、既成観念にとらわれた可哀相な人

家庭内散髪をすれば、金銭的な節約はもちろん、家族間のコミュニケーションが図れる

・高価な犬も、一匹50円の金魚も、命は同じ。金魚を3匹飼ってもエサ代は3カ月に100円くらい。飼う人の心を豊かにしてくれるのがペット。高い動物を飼う必要はない

・リストラで定職を失っても、誰にでもできる仕事を週5日こなせば、時給1100円で、月に17万6000円を稼ぐことができる。ピンチの時は、世間体など気にしないこと

・最低限、食っていければそれで十分。ものを買わなければ、たいしてお金もかからない。つまり、「もういいや・・・」の心境。「自分はこの程度でいい。別にどこぞの生まれの『何様』でもあるまいし・・・」。すると、急に気持ちがラクになる


お金の余裕と時間の余裕と精神の余裕のバランスを見極めて、暮らしている人ほど、人格者であり、良き人柄の持主です。収入の高い低いは、問題ではありません。

収入内で、暮らしていく術を楽しむ人こそ、現代の教養人であり、尊敬できる人なのかもしれません。そう思わせてくれる書でした。
[ 2012/04/17 07:08 ] 横田濱夫・本 | TB(0) | CM(0)

『4000年のDNA・ユダヤのビジネス黄金律』手島佑郎

4000年のDNA ユダヤのビジネス黄金律4000年のDNA ユダヤのビジネス黄金律
(2004/11)
手島 佑郎

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ユダヤ人はビジネスの達人です。ビジネスをどう捉えているのか、興味のわくところです。
本書には、成功したユダヤ人の事例がたくさん登場します。

驚き、感心した例が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



ドラッカーが目指す「知識社会」の理想は、実は彼を育てたユダヤ人社会が、常に若者たちに教えてきた目標である。ユダヤ人が4000年間の亡国、民族の変転、家族の離散の中で今日まで生き延びてこられたのは、常に彼らが知識を武器としてきたからである

・「学べば学ぶほど、生命が増し加わる。聡明な人からの助言が多ければ、知性が増す」(西暦1世紀のユダヤの賢哲ヒレル)。学ぶということが、彼らのDNAの一部にしみ込んでいる

・ユダヤ人でビジネスに成功している人物の大半が、現代ではアメリカに集中している。それも、流通・小売業、不動産、金融、情報、娯楽などの分野が圧倒的である

・「例外のない法則はない。だから、考えられ得る限りの例外も想定し、それにどう対処するかも考えよ」と最初に教えたのがタルムード。タルムードの優れたところは、多数意見だけでなく、少数意見も表記されているところ

・多数決はあくまでも、そのときの社会情勢や社会事情が決定することである。多数を説得できる論理さえ見つければ、少数意見が多数の採用する意見となる

・ロー・コスト&ロー・リスクでできる商売は何か。ロスチャイルドは古物商から出発した。マイケル・ミルキンは屑債券(ジャンク・ポンド)からデリバティブを考案した。誰もかえりみない屑に近い物を商品化するのがユダヤ人ビジネスの原点

・怠け者にかぎって、「もし」と「おそらく」とかに期待する。それが間違いの始まり

ユダヤ人思想家には、自由の意味を論じ、革命思想を唱える者が多い。マルクス、シュムペーター、ドラッカー、フリードマン、エーリッヒ・フロムなどの考え方は、命令される隷属ではなく、自ら行動し生計を営むことを前提にしている

・他人と同じことを発言したのでは、自分の存在意義がない。ユダヤ人は、他人と少しでも異なる発言をする。他人の提案よりも、少しでも改善された提案をする

・ユダヤ人家庭には、どこの家にも「ツダカー(慈善)箱」がある。毎週金曜日に、少額でもお金を入れ、箱が一杯になれば、社会に用立ててもらうために差し出す。大富豪ジョージ・ソロスは、東欧の民主化と生活向上のため、ハンガリーに大学を丸ごと寄付した

・有に固執する者は、無になれない。無になれない者は、創造的知恵を得ることができない。だから、ユダヤ人は、事業で失敗して、無になることを恐れない

・ユダヤ人は、将来の安全のために、あえて現在のリスクを犯す。日本人は、現在の安全のために、将来のリスクを先送りする

・「人間の特筆すべき性質は、質問すること」「質問を恥じない者は、やがて偉大になる。恥ずかしがる者は、学ぶことさえしない」

・ユダヤ人は、常によりベターなアイデアや解決を模索している。目の前の意見に対して、適切でないと思えば「ノー」と言う。「ノー」と言った後で、考え直して「イエス」と豹変することもしばしば。他方、日本人は「ノー」と思っても言わない

・日本人は、金持ちになったら、蔵を建て、ここに宝をしまっていますよと言わんばかりに蔵を誇示する。ヨーロッパの金持ちは、盗難を避けるために、地下室に隠す。むやみに富の存在を外部に向かってひけらかさない

・ユダヤ教は、人間を神格化し、人間を崇拝することを忌避する。だからこそ、偉人と呼ばれるアダム、アブラハム、モーセ、サムエル、ダビデなどに関しても、その私生活の失敗を包み隠さず記録している

・タルムードは少数意見も記録する理由は、意見の多様性を認めるため。少なくとも対立する二つ以上の考えを知っておくことが、思考の枠を広げる。多様性が健全性を生む

・閑人を10世帯で養うとすれば、10人の閑人を養うには、100世帯以上のユダヤ人がいる。学者の卵10人を養えるのは、その町に文化や芸術を支える経済的余裕があること。才能がある若人を養えない町、あるいは養わない町は、滅んでしまうとタルムードは警告する


流浪の民定住の民。安心して暮らせるのは定住の民ですが、がんじがらめの社会の中で自由を奪われます。流浪の民は、自由ですが、いつも気を張っていかないと生きていけません。

どちらがいいとは言えませんが、少なくとも、ビジネス上では、流浪の民の精神が役に立つと思います。

ビジネスを極めようとすると、流浪の民の代表であるユダヤ人の箴言に目が行ってしまうのは当然のことかもしれません。
[ 2012/04/16 07:06 ] ユダヤ本 | TB(0) | CM(0)

『4千万本の木を植えた男が残す言葉』宮脇昭

4千万本の木を植えた男が残す言葉4千万本の木を植えた男が残す言葉
(2010/06/19)
宮脇 昭

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著者は、現場主義の生態学者として、これまで国内外の1700カ所で、4000万本の木を植えた(植樹指導した)方です。

最近では、大震災で発生したガレキを活用し、海岸部に、ガレキの山でつくる「緑の防潮堤」プロジェクトを提唱されて、話題になっています。

著者の「植物の世界から見た人間観」がユニークで、その言葉に共感できるところが数々ありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・人間を初めとする動物は、生態系唯一の「生産者」である緑の植物と、「分解・還元者」である微生物群に頼って生きている「消費者」である。正しくは、緑の植物の「寄生者

・日本には、4000年来、集落の要としての「鎮守の森」をつくってきた伝統と実績がある。鎮守の森は、その集落の人々の心の拠り所であり、憩い、癒される場。また、災害時には、避難場所、逃げ道になった

生物社会の掟は、「競争」「我慢」「共生」。生物社会の「共生」は、決して仲良しクラブではなく、少々嫌な苦手な相手であっても、自分が生き延びるためには、互いに少しだけ我慢しながら共に生きていくこと。これが、40億年続いてきた生物社会の真実の姿

・すべての敵に打ち勝ち、すべての欲望を満足できる「最高条件」は、死の破滅に直結した危険な状態

・エコロジカルに「最適な条件」とは、生理的欲求がすべて満足できない(少し厳しい、少し我慢を強要される)状態

・自然の森の掟に従って、主木群を中心に、種類も大きさも異なる多くの樹種を混植することが重要。できるだけ、その土地本来の自然の森、多層構造の森ができるように、同じ木ばかり植えないで、「混ぜる、混ぜる、混ぜる」こと

・現代の人間には、「見えるものだけしか見ようとしないタイプ」と「見えないものを見ようと努力するタイプ」が半々いる。実は、現代の科学・技術で計量化でき、見通せるものは、まだまだ少ない。見えないものを見る努力こそすべきこと

・「自然状態では、たとえ99%生育条件が整ったとしても、たった一つの要因が、極端に多すぎたり少なすぎたりすると植物は育たない」(リービッヒの法則)。生き物は、「環境条件」が100%整っていなければ、生きていけない

・雑草は、人為的干渉のもとで生き延びてきた。耕地雑草の戦略的特性は「早産性」(耕作物より遅く芽を出し、早く成長し、種子を結実させる)。雑草からすると、自分たちが生き延び続けるためには、適度な人間の介入が不可欠で、それが「最適条件」となる

・生物学的に見ると、ヒトの過労死は、その人の命が活かされていない環境における極度のストレス下で起きてしまう「心身の退化現象」と言える

・どんな人も、必ずその人しかできない潜在能力を持っている。人を育てるのも、森をつくるのも、その人、その土地の潜在能力を見出し、その力を顕在化して初めて、本物の大人、本物の森になり、人のため、社会のために役立つ

・土地本来の樹種でない「客員樹種」を植えた場合、下草刈り、枝打ち、ツル切り、間伐などの管理を続けないと、森が荒れた状態になる

・落葉広葉樹のケヤキなど、胸高直径(幹の太さ)80cm以上の大木は、1本が数百万円から1000万円以上の値がつく。現在、エコロジカルな面からも、エコノミーな面からも、管理費がかからない広葉樹が世界的に再評価されている

・自然は、どんなに細かく分析しても、それだけでは自ずと限界があり、総和につながらない。重要なのは、部分的な分析と同時に、見えないものを見るトータルな観察力

・植物と同じように、人間も、単体、単層で存在しているのではなく、多構造で成り立っている。したがって、外から見えるのは、その人のごく一部にすぎない。その人の見えない背景をよく観察することで、初めてその人の全体像が見えてくる

目に見えるもの、換金できるもの、数字や図表だけで表現できるもの以外は、すべて切り捨ててきた考え方が、長い間自然と共生してきた「鎮守の森」を破壊し、心の荒廃の元凶になっている

・他者(他種)との共存をはからず、自己の利益だけを追求し、「勝てば官軍」とばかりに、金銭至上主義に邁進する姿は、明らかに自然界のシステムに反する態度。一人勝ちのビジネスは、自然の法則に反する


自分とは何か。それは、他の人間との関係における自分です。人間とは何か。それは、地球上に存在する動植物との関係における人間です。こう考えていくと、地球上の動植物と自分を切り離すことはできません。

自然界の法則と自分・人間・社会を照らし合わせることが、絶えず必要なように思います。本書は、自然界の法則、つまり、お天道さまが何を考えているかを教えてくれる貴重な書だと思います。
[ 2012/04/14 07:08 ] 環境の本 | TB(0) | CM(0)

『ブッダの夢』河合隼雄、中沢新一

ブッダの夢―河合隼雄と中沢新一の対話 (朝日文庫)ブッダの夢―河合隼雄と中沢新一の対話 (朝日文庫)
(2001/02)
河合 隼雄、中沢 新一 他

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河合隼雄氏と中沢新一氏の対談本を紹介するのは「仏教が好き」に続き、2冊目です。

本書は、「仏教が好き」の10年前に出版されましたが、宗教学者と心理学者の見事なコラボレーションで、読み手を摩訶不思議な世界に誘ってくれます。

お二人の教養の深さに舌を巻くばかりです。それらの一端を「本の一部」ですが紹介させていただきます。


・自然科学というのは、単純な分類をすると父性。宮沢賢治は、日本人には珍しく、父性も非常に強かった。だから、論理性とか合理性とかが強く出てくる (河合)

・複雑なものをバサッと切り落としていくことの快楽が知的活動になるから、論理の哲学に惹かれていく。だが、宮沢賢治の科学は、そうではない。それは、生命と関係しているが、生命から離れる。超越する (中沢)

・科学は通常の意識を分割して、切断する。水を「H2O」にする。ところが、宗教、特に仏教は、その逆で、みんな融合する。仏教の追求した意識は、近代科学と逆の方向に行った。近代科学は分割の先端まで行き、仏教は存在全部一緒というところまで行く (河合)

・禅は人生の空虚を分離していく「技」を教える。「空」が自分の目や鼻から出入りする。そういうふうにして、自分があるということを知る。悟りを得るといっても、完全解脱とか、絶対幸福の中に移るのは、宗教としては未熟な、途中のもの (中沢)

アメリカインディアンの教訓は、人間同士が正しく暮らすためには適切な距離をどこに求めるか、そういう抽象的な知恵みたいなことしか語らない (中沢)

・パンクが出てきた時、これはいけると思った。パンクが悪を肯定し始めたから。善に対して悪をぶつけていくという「アンチの悪」ではなく、自然 (中沢)

・江戸になると、悪の要素を抑圧し始めて、権力構造も両義性を失い、単純な幕府のご威光みたいなものになってくる。そうすると、社会全体が悪を抑圧する構造になり、仏教もその方向に自分を転換した (中沢)

・仏教は中世の天皇制に結びついている間は、まだましな部分もあったが、それが江戸幕府の政治機構の中に組み込まれた時に、仏教から、思想としての創造性は失われた (中沢)

・東洋に生まれた仏教は、日本の仏教として、進化の、変などん詰まりのところに入ってしまった。どん詰まりではだめといって、日本の仏教学は、西洋の学問を入れて再生を図る。でも、それはどこまで行っても西欧の学問、全部オリエンタリズム (中沢)

・三という数字が、東洋が問題にしていた倫理の核心。自然の原理は、二でなくて三。ファシズムは二の思考をする。共産党と一体になって、三の原理をもとにする市民の原理をつぶしていく (中沢)

・ユダヤ教は、生命の快不快原則を出発点にせず、最初から倫理道徳を立てた (中沢)

・おいしい食べ物、よい香、きれいな衣、美しい音楽を得た時、その人は快感を実現しているが、この快感は幸福でないと仏陀は知った (中沢)

・日本人は、神様抜きで、キリスト教的倫理観を入れ込み、それを正しいと思った。日本人は、孔子様キリスト様に睨まれて、こんな可哀相な人はいない。全く自由を失っている (河合)

・日本では、汎神教的なものが時々忽然と一神教的になる。しかし、それは、ユダヤ・キリスト教などの一神教とは明らかに違う。ヒトラーはパーソナリティを持っているけれど、日本の東条英機は持っていない。現象的には似ていても、それは似て非なるもの (河合)

・今日の文明は、ユダヤ的な知性が大きくリードしてつくられている。そういう世界の中で、ユングのように霊的なものを大事にする人というのは、頭が悪いと言われる (中沢)

・人間の魂が土地に帰属することを否定するのがユダヤ原理。ユダヤ人は土地を持たない民族。重要なのは、お金知識。そういうユダヤ原理がこの地球を席巻している (中沢)

・自己実現の「道」を本当に味わっている人は、道草をくっている人。道草をくわずに、まっしぐらに自己実現しようと思うと、現実生活には帰ってこられない (河合)

経済理論には、役に立たない解釈がいっぱい出てくる。夢理論と似たようなもの。夢の理論なんて、ほとんどないに等しい。本質はおまかせ (河合)


本書は、役に立たないと言えば役に立たない。もちろん、お金の儲かる話ではない。ある人から見れば、くだらないと言えばくだらない。

しかし、ここには、哲学、宗教などの人間の叡智がいっぱい詰まっています。教養とは、そういうものではないかと思わせてくれる書でした。
[ 2012/04/13 07:03 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『フィンランドを世界一に導いた100の社会改革』イルッカ・タイパレ

フィンランドを世界一に導いた100の社会改革―フィンランドのソーシャル・イノベーションフィンランドを世界一に導いた100の社会改革―フィンランドのソーシャル・イノベーション
(2008/08)
イルッカ タイパレ

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日本の社会は、重要なことを何も決められないで、停滞し、沈滞しているように思えます。

この本には、北欧の小国フィンランドが民主主義のルールで決定し、素早く実行してきたことが100も掲載されています。ある意味、フィンランドの近代史と言えるもので、タルヤ・ハロネン元大統領の推薦書です。

日本が参考にすべきところがかなりあります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・フィンランドの憲法委員会(150年前に制度化された議員による機関)では、議会で審議される事項に関して、合憲性の監視を行う。フィンランドの特殊性は、合憲性の監視が事前行為であること

・フィンランド議会では、15年前に未来委員会(世界の議会で唯一、未来の審議を行う)が設置された。長期的未来についての政府報告書を検討するもので、人口政策、テクノロジー、保健ケア、民主主義などがテーマにあげられてきた

・フィンランドでは、1995年に国と自治体の決定機関における男女数の定数制度が取り入れられた。その趣旨は、40%を両性が確保することで平等を保つもの。行政機関でも、男女数の均衡がとれていなければならない

・フィンランドは、汚職の少ない国の最上位。その要因は、行政の議事録と決定事項公開(土地利用決定や建設事業契約など)、きちんとした警察と司法制度、権力の監視を行う報道陣など。また、教育の中での賄賂防止重視

・フィンランドの大学所在地には、手頃な値段の学生専用住宅の建設、保守、運営を目的とする財団や協会が存在する。現在、4万戸の学生住宅と6万人の学生が住んでいる

・親族ケアは、自宅でのホームケアを補助するもの。親族介護給付は、月の最低報酬額が3万円以上。もし、24時間介護しなければならない場合は、毎月2日間の休暇を取る権利がある

・フィンランドの傷害致死事件の3分の2が、5%の男性(ホームレス、服役者、少年院出身者、孤児施設出身者、長期失業者、アルコール・薬物依存者)によって引き起こされる。これらの人たちをケアすることで、1930年代の3分の1まで殺人事件を減らした

・フィンランドでは、1986~96年にかけて、世界最初の自殺予防計画戦略が作られた。1990年に10万人当たり自殺件数30人が、2004年には20人まで減少した。医師教育と自殺用具(武器・薬)制限と投薬ケアから良い結果が出ている

・フィンランド人の図書館利用率は世界最高。月に20冊以上の本やCDを借りる。国民の創造力活性化と情報や知識との接触促進のため、図書館の充実は国をあげて力を入れている。図書館とネットを結びつけたサービスも充実

・フィンランドの大学教育や職業大学校教育は無料。これが、教育制度の基本で、教育の平等の一部として、フィンランド人が誇るもの

・フィンランド人の生徒(9歳、14歳)の読解力は世界一。その要因は、学校制度、教育を支える事業、教会での教育の他に、読書熱の高さがある。月に1回も図書館で本を借りたことがない9歳児の児童は4%に過ぎない

・フィンランドでは、創造力の育成には、文化や芸術と接することなくして不可能と考えている。学校外カリキュラムで、義務教育生徒の10%以上が、特別の芸術教育を受ける。国は、6万人の児童に50億円以上(1人10万円弱)の助成を行っている

・フィンランドには現在7万以上のNPOが存在し、市民の5分の4が参加している

・スロットマシーン(公営ギャンブル)収益のすべてが、国民の保健や福祉を向上させる目的の公益事業に使われている

・感情を表わすことが下手なフィンランド人はカラオケが人気。4家族のうち1家族はカラオケセットを持っていて、身近な仲間と楽しんでいる

・ベリーを摘むこと、キノコ狩り、花を摘むことは市民の権利。毎年5万t採集されるベリーの約半分は全家庭で摘まれている。また、約200万人(フィンランド人の40%)が、1年に1回以上、釣りに参加。自然の恵みの採集は自由に行える

・労働能率協会は台所合理化で、家事労働時間と身体的負担を和らげた。内装の合理化だけで1日3時間の削減(食器皿の乾燥棚設置で、1日30分間~2時間の節約)


フィンランドは、未来審議委員会、男女定数40%以上制度、汚職防止教育、刑事犯削減、自殺者削減、図書館の充実、芸術教育など、政治や行政の最先端を走っているように思います。

日本は、経済が下り坂で、政治や行政も、経済に連動して、上ってもなかったのに下り坂を歩み始めたように思います。

今度は、政治や行政が、フィンランドや北欧諸国に学び、坂を上り、経済を引っ張っていかなければいけないように思います。本書は、本当の北欧を知る大切な一冊です。
[ 2012/04/12 07:08 ] 北欧の本 | TB(0) | CM(0)

『評価経済社会』岡田斗司夫

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている
(2011/02/25)
岡田 斗司夫

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著者は、オタク評論家として有名になった後、大学で教えるなど、幅広い分野で活躍されています。

著者の考える未来社会が、この本に書かれています。一般的な経済学者、社会学者と違う視点が新鮮です。気になった箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・ネットの利点は、「自分の仲間がすぐに見つかる」機能。ツッコミ情報もブロックしてくれ、うまい言い訳も考えてくれて、「信じたい情報」だけを毎日見ることができ、安息の場所を与えてくれる。ネットは「信じたい情報」を求める人たちの「気持ち」を加速する

・若者は、価値の中心に「自分の気持ち」を置いている

・ネットによる情報余り現象は、「ビジネス」ではなく、人間関係が中心となる「コミュニケーション」によるもの

・コミュニケーションは、意図の強制、影響を目的としている。すべてのコミュニケーションは影響行為

・情報を受け取った側は、「情報」だけでなく「価値観」も同様に受け取って、影響を受ける。その結果、「受けた側」は「与えた側」を評価する。「評価」と「影響」をお互いに交換し合う社会。これが「評価経済社会」

・近代が、貨幣経済行為が自由になった社会なのに対し、現在は、影響行為・洗脳行為が自由になり、個人に解放された社会

・「技術は、権力者の特権を市民に開放する」が原則。ネットの力が、権力者の特権である「影響」を市民に開放している

・人々のニーズをつかみ、効率よく生産、販売することによって、多くの富を得るのが貨幣経済社会。それに対して、人々の不安や不満をつかみ、効率よく解消する方法を提案して、多くの人に影響を与え、尊敬と賞賛を得るのが、評価経済社会

・アフィリエイトのスゴいところは、個人がほとんどノーリスクで広告収入を得られること。つまり、自分の「影響力」を換金する装置。素人の「影響力」に金銭的価値が生じることは、今まで、ありそうでなかったこと

・お金で、評価を買うことは可能だが、その交換レートは、常に「評価>貨幣」。この点で、貨幣という価値は、評価という価値に従属する

・評価で儲けたお金で、お金を増やそうとして、お金も得られずに、評価も失ったSONY。評価で儲けたお金を、さらに評価獲得につぎ込んで、評価とお金の両方を得たAPPLE。
これは、「評価は貨幣に優先する」の最たる実例

・売上の数パーセントを寄付して、企業イメージをエコロジー方向にしようという試みはいっこうに功を奏しない。売上の数パーセントを寄付する「だけ」という態度に敗因がある

・「政治家になったら、こんなことをしそうだ」といった強いイメージの人が選ばれやすい。政治家の判断材料が、外面的事項から内面的事項に移行しつつある

・評価経済社会での「個人のふるまい」の特徴は、「他人を価値観で判断」「価値観を共有するグループを形成」「個人で複数の価値観をコーディネイト」すること

・キャラ(キャラクター)は、自分で設定可能である。外部からの影響は、そんなに大きなものではない

・ネットの世界では、その場のテーマを全面否定する発言は受け入れられない。感情的な言い合いになっても、スルーされる。自分たちのセンスや価値観を尊重するがゆえの行為

・評価経済社会では、「決めつけ」と「勢い」が必要。極論が問題をわかりやすくすると同時に、専門化させる

・「評価経済社会」へのパラダイムシフトが終了するまで、私たちは様々な不協和音や不都合を体験する。それは、世代間、立場、職種、個人の心の中でも起こる。トラブルに遭遇したなら、「評価経済社会」と「貨幣経済社会」の対立ととらえ直して冷静に対処すること



皆が、最近、薄々感じていることを著者が代弁してくれているように思います。特に、若い人なら、当然のことと受けとめているのではないでしょうか。

貨幣経済社会がなくなっていくのではなく、貨幣経済社会の上に、どんどん評価経済社会が、乗っかってきているように、私は思っています。

この両者の優劣を、自分の頭で判断しながら、ベストの行動をしなければいけない世の中なのかもしれません。
[ 2012/04/11 07:07 ] お金の本 | TB(0) | CM(2)

『危機管理の教科書』遠藤滋

危機管理の教科書危機管理の教科書
(2011/07/21)
遠藤 滋

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本書は、著者が三井物産に勤務していた時代に、直面した危機に対して、どう対処したかの経験をまとめたものです。

その危機とは、阪神淡路大震災、米国の大豆輸出禁止による大豆パニック、天安門事件、商品相場暴騰暴落などの多岐にわたります。

その中から、相場のリスクにいかに対応したか、外国人との交渉をどう行ったかの二点に絞り、参考になった点を紹介させていただきます。



・「相場は分からないものと分かったとき、相場を初めて理解する」「相場をなめるな、臆病たるべし、大きなことはするな」

・相場の判断は、三分の一がデータと情報の分析、三分の一が市場の人気の読み、残りの三分の一は、自分の心の分析

・英語の相場の教訓に、“Reduce your position to a sleeping point.(よく睡眠がとれるまでポジションを減らせ)”というのがある

・相場は、日々新た。プライドとか知識、感情などすべてを捨て、じかに「相場に聞く」態度が大切。エリートは自分の理論、論理に固執したがるが、相場はかくあるべしという「べき論」は当てはまらない

・信念があれば、馬鹿になれるもの。馬鹿では、馬鹿になれない

・塩漬け(損が出ているポジションをそのまま持っておくこと)というのはよくない。ポジションをあまり長く持っていると意地になる

・相場は飽きがきて、忘れた頃に、つまり、くたびれてきたときに、変化する。人間の忍耐力に限界があることと関連がある。だから、サイクルを描く。そこで、相場に負けないためには、自分の忍耐力との戦いに勝つことである

・「知ったらおしまい」「野も山も皆一面に弱気なら、阿呆になって米を買うべし」「休むも相場」「慢は損を招き、謙は益を招く

・マネージメントとは、自分の方針なり目標を、理屈とか数字だけでなく、人格的に部下に移し、権限を委譲し、部下を通じて目標を成就すること

・官民とも人がくるくる変わる日本の組織では、人間関係の形成と持続性について、どうしたらよいかもっと真剣に考えるべき。誠を尽くせばいずれ分かる、という発想で主張しないでいると、取り残されてしまう

・対人関係で支配している原則は、中国人は「」(世話になった人に報いることが第一)。日本人は「」。しかし、日本人は「報」を功利主義ととり、中国人は「誠」を押しつけがましいととる

・中国人は、まず強気に、あるときは高飛車に出てくる。永い厳しい歴史体験から、失ってもともとというニヒリズムがあり、それが強さになっている

・中国人は、力(軍事力、報復力、経済力、技術力、ブランドあるいは利益)には一目置く。弱さにはつけ込んでくる。「水に落ちた犬は痛打しろ(痛打落水狗)」という諺がある

・中国人は、面子を失わせてはならないし、立ててあげる配慮とタイミングを考えておくこと

・核心を突く情報はやはり生の情報。真の情報は人の中にある。そして、人と人のやり取りの中で顔をのぞかしてくれる

・良い情報は向こうからやってこない。金で買えるものではない。良い情報は日頃の勉強を怠らず、問題意識を持っていないととれない。時には、人にもいろいろな情報とアイデアを提供し、それに人間関係も加わって初めて本当の情報がとれる

・魅力的で実力がないと人は寄ってこない。担当の分野だけでなく、広範囲に勉強をし、話題を豊富にし、好かれる人間になること。ビジネスの交渉には人間関係の樹立が必要。人間関係は一夜にしてできるものではない



相場に関すること、交渉に関すること、情報に関することが、実体験をもとに語られているので参考になります。

本書は、体系的には、まとめられてはいませんが、語られる一言一句の中に、納得できることがかなりあったので、勉強になりました。
[ 2012/04/10 07:24 ] 投資の本 | TB(0) | CM(1)

『人間の器量』福田和也

人間の器量 (新潮新書)人間の器量 (新潮新書)
(2009/11)
福田 和也

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トップに立つ人間には、安定期を除けば、器の大きさが求められます。この何十年間、安定期を享受してきた日本では、人に、器の大きさより、清廉さ、誠実さを求めていたように思います。

それでは、器の大きな人間とは、どういう人間なのか。器を大きくするには、どうすればいいのか。器が大きかった人物とは、先人たちを例に出せば、どういった人たちなのか。

これらのことが、本書にたっぷり掲載されています。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・昨日までの人気者が、あっという間に、踏みにじられる。先ほどまで、持ち上げていた人を、一刀両断して何の疑問も感じない。その変わり身を恥じることもない。すべて、人を評価する物差しが乏しいがゆえの現象

・女性問題では失敗したが、経営者としては大したもの。金には汚いが、面倒見はよい。人というのは、複雑で多面的な存在で、そう簡単に切り捨てられるものではないという当たり前のことが、今の世間から完全に抜け落ちている

・昔の人が、剣術の修行をしたり、坐禅をしたりしたのも、己を知るため。厳しい体験を経ることで、己の弱さと強さを認識していく

・人がいれば、お金がなくてもなんとかなる。国や企業は、お金があっても、人がいなければ、立ちいかなくなる

・優れた人はいる。専門知に秀でた人もたくさんいる。商才に秀でた人も、数えきれないほどいる。人あたりのいい、感じのいい人もいる。けれど、残念なことに、人物と呼べるほどの人はいない

・戦後の経済的繁栄の中で、貧困と病気が姿を消したことも、日本人のスケールが小さくなったことと関係している。生きること自体が過酷ということは、自分で自分の運命を処決しなければならないこと。自ずと覚悟が違ってくる

ノブレス・オブリージュ、高貴な義務ということは、いざという時に、真っ先に前線に立って行って死ぬということ

・知識と技量は、身につくけれど、教養と人格はどうでもいい、というのが、戦後の高等教育。これでは人物は出てこない

・慰安と平等と健康を求めて、抜きんでることや英雄的行為、犠牲を好まない。怖いのは病気と経済的破綻だけ。強い信仰もなく哲学も必要がない。めでたいといえば、めでたいが、これで社会が持つのか、大いに不安

・立場や思想を変えること、変節するというのは、格好のいいものではない。横井小楠は、節義を守ろうという見栄はまったくない。すぐに変えてしまう。豹変してしまう。これは、器が大きくないとできない

・情報分析というのは、その場その場で変わるものであり、長期にわたって用いられる戦略や戦術もない。変幻する情勢に追随し、昨日に拘泥することをしない。事態の変化に臆することなくついていこうとする横井小楠に、勝海舟は痺れる

・運がいいというのは、指導者の重要な資質。ツキのない人が上に立つと、下はたまったものではない。伊藤博文が初代の総理大臣なってからの閲歴がすごい。名誉が好きで、その名誉をおおっぴらに楽しむ。俗物ぶりもここまで来ると、器の大きさを感じさせる

・器量を培う道、あるいは素地として、次の五つが挙げられる。「1.修行をする」「2.山っ気をもつ」「3.ゆっくり進む」「4.何ももたない」「5.身を捧げる」

・松下幸之助は、金がない、学がない、健康もない。絶望的なマイナスの重なりを、全部プラスにした。何もなくても人は生きていける、成功できるということを示した

器量人十傑明治>1.西郷隆盛、2.伊藤博文、3.勝海舟、4.大久保利通、5.横井小楠、6.渋沢栄一、7.山県有朋、8.桂太郎、9.大隈重信、10.徳富蘇峰

・器量人十傑<大正・昭和戦前>1.原敬、2.高橋是清、3.菊池寛、4.松下幸之助、5.今村均、6.松永安左衛門、7.鈴木貫太郎、8.賀屋興宣、9.石原莞爾、10.小林一三

・器量人十傑<戦後>1.岸信介、2.田中角栄、3.小林秀雄、4.小泉信三、5.山本周五郎、6.田島道治、7.本田宗一郎、8.吉田茂、9.宮本常一、10.石橋湛山


ようやくですが、清廉潔白な調整型のリーダーより、清濁併せ持つ器の大きいリーダーを求める声が増してきたように思います。何も決められないリーダーより、少々悪くても、次々に決めていくリーダーが求められています。

ということは、今は「非常時」という認識が、国民の間に醸成されているということになります。そろそろ、人間の器量でリーダーを選ぶ時代に入ったのではないでしょうか。
[ 2012/04/09 07:08 ] 出世の本 | TB(0) | CM(1)

『江戸川柳便覧』佐藤要人

三省堂 江戸川柳便覧三省堂 江戸川柳便覧
(1998/09)
佐藤 要人

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江戸の庶民の日常や人情の機微を知るのに、一番役立つのが川柳だと思います。江戸の庶民が何を考え、何を思っていたのか。今と変わらない心情とは何か。

それらを確かめるために、本書を手に取りました。この本には、江戸の代表的な川柳が700収められています。その中から、江戸庶民のお金に関わる心情を中心に、紹介させていただきます。


・「水茶屋へ来ては輪を吹(ふき)日をくらし」
水茶屋では茶汲み女に奮発しないともてないのに、茶を飲み、煙草をふかして、一日中、ねばっている

・「盗人にあへばとなりでけなるがり」
隣りの家が、盗人に入られて金品をとられた。うちも盗人に狙われるような身分になりたいものだと、羨ましがっている

・「新見世(しんみせ)といへばわづかな欲を買(かい)」
新規開店の店が、記念の景品をくれるというので、欲にかられて買いに行くという、今も昔も変わらぬ人情

・「役人のほねつぽいのは猪牙(ちょき)に乗せ」
清廉潔白な役人で、こちらの思うように動いてくれないのは、猪牙舟に乗せて、吉原に連れ出し、女性関係を持たせる

・「かるたの絵我敷島の道ならで」
貧しい京都の公卿たちは、家計の足しに、かるたの絵描きに専念した。敷島の道(歌道)に精進すべきなのに、かるたの絵描きに熱中しなければいけない生活に同情を寄せている

・「枕めし嫁がしやくしの取はじめ」
姑が亡くなり、その枕に供える枕飯を盛りつけるのが、その家の家計の実権を握る初め

・「みつものを下女は直斗(ねばかり)聞て見る」
お金のない下女は、古着を、買おうという段になると、しきりに値段ばかり聞いてくる

・「ごみごみの中の白かべしち屋なり」
ごみごみした貧しげな家並みの中に、白壁の土蔵が際立って見える。これは、質屋で、この町の貧しい人たちを相手に商売して、家産を増やしている

・「またぐらをぱつかり明けて是が勝」
丁半賭博に、女が混じり、立膝をつかれると、男の勘が狂ってしまい、場銭をさらわれる

・「相しやうは聞たし年はかくしたし」
相性を見るには、年頃の娘でも、自分の生まれた年月を正直に言わなければならない

・「ごふく屋で色の黒いはしよつて出る」
大きな呉服店に並んでいる手代たちは、店の中に居て、日射しに当たらないから、みな色白。色の黒いのは、呉服を背負って、得意先を回る外回りの手代

・「あご斗(ばかり)のきに残ると人はちり」
アンコウを吊るして、包丁一本でおろしていく。面白いので、通行人は寄りかたまるが、全部おろし終えて顎ばかりになると、人々は散って行く

・「はずかしさいしやへ鰹の値が知れる」
鰹にあたって医者を呼ぶはめに。医者に、状況を聞き出され、値段の安い古いものを買って食べたことを白状しなければならない

・「見ましたは細おもてだともめる也」
見合いの替え玉はよくある手で、不徳な仲人の常習手段であった

・「蚊や釣った夜はめづらしく子があそび」
初めて蚊帳を吊った夜、新鮮な感じで、いい気分になるが、子供が寝つこうとしない

・「おのれまあいつこかしたと土用干」
土用干し(箪笥の中の衣服を全部出して風を通す)で、母親が息子の衣料が少なくなっていることに気づき、いつの間に質入れしたと詰問している。息子は今遊び盛りの年頃

・「大わらい富場でしやくしおつことし」
杓子持参(富がつくという俗言)で富札(宝くじ)を買いに行ったら、懐の杓子を落としてしまい、「欲の深い野郎」だと、その場の人たちから大笑いされた

・「なきなきもよい方をとるかたみわけ」
泣きながらも、形見分けをもらう段になると、少しでも値打ちのありそうなものを選ぶ



われわれの祖先も、人間の欲やお金への執着心に取り憑かれていたことを思うと、滑稽でもあり、当然のこととも思われます。

川柳は、江戸時代の庶民の悲しき性を知ることができます。つまり、本書を読むと、愚かな自分を慰める材料になるのではないでしょうか。
[ 2012/04/07 07:01 ] 江戸の本 | TB(0) | CM(0)