とは学

「・・・とは」の哲学

『ひろさちやの笑って死ぬヒント』

ひろさちやの笑って死ぬヒント (青春新書INTELLIGENCE)ひろさちやの笑って死ぬヒント (青春新書INTELLIGENCE)
(2010/06/02)
ひろ さちや

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ひろさちやさんの本は、このブログで、何冊も紹介してきました。今回の本のテーマは、「笑って死ぬ」ことです。

死を肯定的に考えて、どういう死を迎えるのがいいか、著者が宗教的に解説してくれます。日本人の宗教観の矛盾を明らかにし、その解決法を示してくれているので、読むと気持ちが楽になります。

なるほどと思えたポイントが数多くありました。それらを「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



生きながらえているからこそ苦しみを感じるのであって、死ぬときは決して苦しくない

・釈迦は死後の世界の有無について一切発言していない。死後の世界について考えるなというのが釈迦の考え。これを仏教の言葉で、「無記答」「捨置記」という。釈迦が死後の世界を語らないのは、あるかないか、私たち人間がいくら考えても、分からないことだから

・自由を束縛されるのが刑罰ならば、会社はまさしく刑務所そのもの。身も心も会社に委ねているようでは、私たちは、刑務所の囚人のように生きて、囚人のように死んでいくほかない

・会社なんて牢獄の中の牢獄。でも、会社勤めをやめては食っていけなくなる。だから、牢獄に喜んで入る必要はない。渋々、いやいや入るべき

・日本人は負ける楽しみが分からないし、そんな生き方はできない。だから、健康を取り戻そうとして、必死になって、「老・病・死」に勝とうとしてしまい、悲惨で壮絶な最期を遂げてしまう

・日本人が宗教をなくしてしまった最大の責任は明治政府にある。なぜなら、明治政府は国家神道という疑似宗教をつくった結果、第二次大戦で、山のような戦死者を出し、矛盾を一気に吹き出したから。さすがに、鈍感な日本人も国家神道がインチキ宗教と気づいた

・宗教を持つ人は、安心して笑って死ぬことができる。ところが、宗教を持っていない日本人は、それができない。それで、「格好よく死にたい」などと言って、「武士道」という「美学」に逃げる

・武士というものは、本質的に暴力団と同じ。その暴力団の掟が「武士道」。家のため主君のためと、前途ある若者までも無理やり切腹させたりする。そんなものに価値はない。武士道こそが日本の教育を悪くした元凶

・遺書というのは、日記や自分史と同じく自己満足の産物に過ぎない。要するに美学。自分をよく見せたい、あるいはよく見せていると自己満足したいだけ

・刀を持っている武士という階級の人たちは、何か不祥事が起きたら、すぐ「切腹しろ」と言われた。切腹というと偉そうに聞こえるが、要するに単なる自殺

・今、自殺者の遺族は三百万人にものぼる。親が自殺したなど一言もしゃべれない。しかし、自殺でも仏さまは受け入れてくれる。自殺者の家族も「お父さんは、浄土に行った」と思えば、生前のことを語り合える。そうすることで、残された家族が幸せになる

・日本人は宗教がないから人間努力主義に陥ってしまい、しないでもいい苦労をする。あげくのはてに、美学に酔いしれて、くだらない遺書を書いて、「衰えるのは嫌だ」と意味もない自殺をしてしまう

・子供は仏さまからの預かり物。優等生を預かっている親もいれば、劣等生を預かっている親もいる。みんな優等生にしようというのはおかしい。子供が幸せになれるように願うのが親というもの

・会社や友人に対しては、仮面をかぶって生きてきたとしても、家族の中では決して虚勢を張ったり、嘘をついてはいけない。つらいことがあっても、すべてをさらけだして、のたうちまわって生きなくてはいけない。それができて、初めて、笑って死ぬことができる

・大切なのは、社会のため、企業のために生きようなどと、愚にもつかない美学を持たずに、人間として生きようとすること。たった、それだけのことで、笑って死ぬことができる



要するに、見栄を張って、良く生きようなどと思わないことが、良き死を迎えることができるということではないでしょうか。

生きているうちに、のたうちまわっていたほうが、死ぬ間際に、のたうちまわらずにすむということかもしれません。

死を考えることが、今の生を考えることにつながります。まず、ゴールを決めて生きていたいものです。
[ 2012/04/30 07:09 ] ひろさちや・本 | TB(0) | CM(1)

『聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人』リオ・ジャッリーニ

聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人聡明なのに、なぜか幸福になれない日本人
(2010/06/17)
リオ・ジャッリーニ

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著者のリオ・ジャッリーニ氏は、イタリア人で、1995年から日本に在住されています。

日本企業へのコンサルティング業をされているだけに、日本とイタリアの違いを本質的な眼で、よく観察されています。

イタリア人から見た、日本の不思議なところを、本書に数多く掲載されています。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・イタリアでは、時代がどう流れようと、「何世紀も守ってきたものを捨てるのは嫌だ」と考える。それが子孫のためでもある

・日本人は、人生や社会における「個人の幸せの大切さ」を軽視しすぎ。イタリアでは、個人の幸せの追求がときには過剰になる

・日本の仕事場では、バカバカしく不条理な上司の命令をただ受動的に実行する。「上司に服従することが何より大事」は、日本の将来にとって危険

・イタリア人は、子供に「何でも食べなさい」と教えるが、イタリアの子供は、好きなものだけを選んで食べ、嫌いなものをはじく。そこで、「食べることは楽しいこと。義務ではない」と、また教える

・子供のときから、小さな選択に慣れることは大切。そうしながら、子供は「幸福とは何、不幸とは何」を見極めることを学ぶ

・日本のシステムは、本来は人のためになるはずのものが、今日では「大事なのは人ではなくシステム」になってしまっている

・情熱は行動を促し、心意気は人生を前に進める。それを変質させ、制御し、破壊すると、副作用が生まれる。情熱や心意気を失くした人は、やる気のない状態に陥る。人々は受身になり、自己主張する力を失う。受身な人間が構成する社会は、前向きになれない

・変化はシステムにとっては害悪。そこで、システムは、変化から自らを守るために、安全策を練り上げた。それは「社会の中の、横への広がりを妨げる」こと。「人との関わりが、常に縦方向」という状態は、不満や不幸とフラストレーションの源泉となる

・横暴は一方通行ではない。横暴を働く者と、それに苦しむ者がいる。そのどちらも間違っている

・日本の定食は、セットの中身を一部変えてほしいと、店に頼むことができない。セットごと受け取るか、セットごとやめるかのどちらか。上司の権力行使が濫用であっても、選択肢は「全面的に受け入れるか、会社をやめるか」の二つに一つしかない

・日本では、「自分は客である。よって神のように偉い」と思っている人間が、幼稚、執拗、頑固、強情でいることが許される。「客は神」というポリシーは、本来の「顧客満足」から外れた、非生産的なものになりがち

・日本にいる外国人は、初めて会った日本人に「どちらから」「なぜ日本に」「日本に来てどのくらい」「日本では何を」と、いつも必ず同じ質問をされる。これは、日本人の精神構造が均質化されていることの表われ

・イタリアのモテる女性は、親しい男の友人や知人が多くいるので、焦りがなく、じっくり恋人を選ぶ。だから、イタリア男性は、女性に拒否され、気持ちがずたずたになっても、平然といられる

・日本では、熱意を持っても、重たいシステムによって罰せられるので、人々は適応することを学ぶ。気概を持つ者はシステムに潰され、気概のない者はむしろ誉められ、平穏に暮らす。情熱を持つ者は失望を味わい、情熱のない者は苦しむことなく生きていく

・多くの日本人は、生き残るために、「演技する」しかない。機会を失わないため、親しい人たちの輪から外れないため、絶望感に打ちのめされないため、自分を納得させるため

・システムはシステムに依存した人間をつくる。システムに依存した人間は、システムに面倒を見てもらわなければならない。そして、システムを危うくしそうな人やモノを、恐ろしいと遠ざける。要するに、典型的な「自分のしっぽをかむ犬

・時代錯誤の共産主義が日本に根付き、説かれ、実行されている。「外れる者を容赦なく叩き、突出する者は叩かれる」。そして、「叩くことを義務と見なしている」。共産主義を笑う人も、誰もが共産主義的な精神を持っている


日本在住が長く、物事を本質的に見る、頭のいい外国人の本は意外と少ないものです。

本書は、イタリアのエリートが、日本に住んで、仕事をして、おかしいと思ったことが、書き綴られています。

著者のリオ・ジャッリーニ氏が感じたおかしさは、感情的なものではなく、客観的におかしいと思ったものばかりです。本書を読めば、日本人として、反省する点が多々あるのではないでしょうか。


[ 2012/04/28 07:02 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『森の生活』D・ヘンリー・ソロー

森の生活 (講談社学術文庫)森の生活 (講談社学術文庫)
(1991/03/05)
D・ヘンリー・ソロー

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ソローの本を紹介するのは、「ソロー語録」に次ぎ2冊目です。19世紀半ばのアメリカの詩人であったソローは、都会を離れ、自然あふれる湖畔に居を構えます。

そこで、日々変化する自然を通して、人間と社会を見つめ、その思想を形づくっていきました。日本で言えば、鴨長明、吉田兼好のような存在なのかもしれません。

その鋭い観察眼に、いろいろと気づかされるところがありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・大部分の人間は、やがて肥料として土になるのに、虫に喰われ、錆で腐食してしまい、そのうち盗人が奪ってしまうような財産をせっせと貯えている。早く気づかないといけない。臨終を迎える時に気づくのでは遅い

・たいていの人間は、単なる無知と誤解のために、しないでもよい苦労や取るに足らない生活の仕事に追いまくられて、その素晴らしい人生の果実を手にすることができない

・われわれが質素で、賢い生き方さえすれば、この地上で、自分一人養っていくのは、さして辛いことではなく、楽しいこと

・書物は、読者を啓発し、励ましてくれる。書物を拒まぬことが、読者の良識というもの

・商業は、沈着、機敏、大胆さを必要とし、しかも退屈さを感じさせない。情に訴えるような商いをしなければ、成果を収められる

・われわれは、自分の部屋に籠っている時よりも、外出して人ごみの中にいる時のほうが、もっと孤独である。考えごとをしたり、仕事をしている人間はいつも孤独なのだ。どこにいようが、そっとしておいてあげようではないか

・生きていれば、常に死の危険にさらされているというもの。坐っていても、走っていても、そのリスクは同じ

・もし、すべての人間が、私がしているのと同じくらい簡素な生活を実践すれば、泥棒や強盗など発生しない。こうしたことは、必要以上に富める者がいる一方で、その逆に持たざる貧者が存在する社会に発生する

・がむしゃらに働かなければ、がむしゃらに食べる必要がない。そうすれば、食費などわずかな金で済む。要するに、働いても働かなくても同じということ。懸命に働けば、いつも不満な気分になり、自分の生命を擦り減らすことになるから結局は損したことになる

・私自身の中にも、より高尚な生活、いわゆる精神的生活を志向する本能が一方にあり、他方には、原始的で、野蛮な生活を志向する本能が今でも潜んでいる。私は、その両方を大切にしている

・私の実践的森の生活は<無何有之郷>(nowhere)というべく、まさしく、私の意見は、この森の生活にある

・われわれは心の中に獣的本能があることを知っている。それは、われわれのさらに高尚な人間性が眠るのに比例して目覚めてくるもの。全く駆逐することは不可能

・純潔と不潔さは交互に人を鼓舞したり、落胆させたりする。日を追うごとに、心の中で獣性が消滅し、聖なるものが確立されつつあることを確信できる人は幸い

・森に来て生活することの一つの魅力は、春を迎えることを目のあたりに見る機会があること

・自分の眼を正しく内に向けよ、そうすれば分かるだろう。自分の心の無数の領域が未発見のままであることが。その場所に旅せよ、そして自分の心の宇宙誌の専門家となれ

・自分の生活を質素なものにしていけば、これに比例して宇宙の法則も見えてくる。孤独は孤独でなくなり、貧困は貧困でなくなり、弱点は弱点でなくなる

・生活のレベルが少し下がっても、心の豊かさが、もう一段だけ向上すれば、失うものは何もない。余分な富を持つと、余分な物しか購入しない。魂が必要としているものを購入するのに、金銭などは必要ない



物質文明が萌芽し始めた時代に、ソローはその欺瞞性を見抜き、ボストン郊外の湖畔に居を移しました。そして、そこで、思索に耽りました。

それから、150年経っても、われわれは「必要でないものを必要と思い込まされて買う。買うために懸命に働く。そうすると、考える時間がなくなり、必要でないものを必要でないと考えられなくなる」ことを繰り返しています。

当時より、このサイクルの輪は大きくなり、スピードも高まっているように思います。

本書は、このサイクルから抜け出したところに幸せがあることを教えてくれる古典的書かもしれません。
[ 2012/04/27 07:06 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『人生を考えるヒント-ニーチェの言葉から』木原武一

人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から (新潮選書)人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から (新潮選書)
(2003/03)
木原 武一

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木原武一氏の著書は、「ゲーテに学ぶ幸福術」「快楽の哲学」「あの偉人たちを育てた子供時代の習慣」に次ぎ、4冊目です。

先月、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を、このブログで紹介しました。しかし、分かったようで分からないのがニーチェです。私の頭では、まだまだ理解不能です。

今回は、木原武一氏が選んだニーチェの言葉を、読み解き、ニーチェを理解することに努めました。「本の一部」ですが、理解できた箇所を紹介させていただきます。



・ある人間の高さを見ようとしない者は、それだけしげしげと鋭く、その人間の低さや上っ面に目を向ける。そして、そうすることで、自分をさらけ出す (善悪の彼岸)

・女性がどんなふうに、どんなときに笑うか、それは彼女の育ちと教養を示す目印。笑う声の本性の中に、彼女の本性が現れる (人間的な、あまりに人間的な)

・儀式、官職や位階による服装、厳粛な面持ち、荘重な目つき、ゆっくりとした歩き方、もってまわった話し方など、およそ威厳と呼ばれるすべてのものは、実は恐怖心を抱いている者たちの偽装 (曙光)

・人間が復讐心から解放されること、これこそ、最高の希望への架け橋、長い嵐の虹 (ツァラトゥストラかく語りき)

・人を怒らせ、悪い考えを思い浮かべさせる確実な方法は、長く待たせること。このことは人を不道徳にする (人間的な、あまりにも人間的な)

趣味の変化は、意見の変化よりも重大。意見の変化は、趣味の変化の兆候にすぎない (華やぐ知恵)

・思想というものは、われわれの感覚の影である (華やぐ知恵)

・数時間の登山は、一人の悪者と一人の聖者を似通った人間に仕立て上げる。疲労は、平等と友愛へのいちばんの近道 (人間的な、あまりにも人間的な)

・一人では正しいかどうかわからない。真理は二人から始まる。一人では自己を証明できない。しかし、二人になると、もう反駁できない (華やぐ知恵)

・病人への忠告を与える者は、それが受け容れられようが、聞き捨てられようが、相手に対して一種の優越感を覚えるもの。だから、敏感で誇り高い病人は、忠告者を自分の病気以上に憎む (人間的な、あまりにも人間的な)

・骨や肉、内蔵、血管などを包む一枚の皮膚が人間の姿を見るに耐えるものにしているように、魂の動きや情熱は虚栄心によって包まれている。虚栄心は魂の皮膚である (人間的な、あまりにも人間的な)

・もっとも人間的なこと、それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないこと (華やぐ知恵)

・二人の人間を最も深く引き離すもの、それは、潔癖さについての感覚と程度の差 (善悪の彼岸)

・君たち、激務を愛し、速いもの、新奇なもの、珍妙なものを好むすべての者たち。君たちは、自分自身をどうしていいかわからない。君たちの勤勉は逃避であり、自分を忘れようとする意志にすぎない (ツァラトゥストラかく語りき)

・常にいつも、汝自身であれ。汝自身の教師、彫刻家であれ! (遺された断想)

善とは何か。力の感情を、力への意志を、人間のうちにある力そのものを高めるすべてのもの。悪とは何か。弱さに由来するすべてのもの。幸福とは何か。力が大きくなり、抵抗を克服する感情 (アンチクリスト)

・われわれは少ないエネルギーで生活することも知らなければならない。苦痛がその安全信号である。それは、エネルギーを減らすべき時が来たことを知らせる (華やぐ知恵)

・独創性とは何か。万人の目の前にありながら、まだ名前を持たず、まだ呼ばれたことのないものを、見ること。人の常として、名前があってはじめてものが見えるようになる。独創的人間とは、命名者である (華やぐ知恵)

・偉大さとは、方向を与えること。どんな河も自分自身によって大きく豊かなのではなく、多くの支流を受け容れて進むことでそうなる。あらゆる偉大なる精神についても同じ。肝腎なのは、後に多くの支流が辿る方向を示すこと (人間的な、あまりにも人間的な)



今回は、ニーチェの言葉だけをピックアップしました。それぞれのとり上げた言葉に対して、著者の解釈、解説、考え方があります。

もっとニーチェを知りたい方は、是非、著者の文章も併せて読むと、一層理解を深められるのではないでしょうか。
[ 2012/04/26 07:06 ] ニーチェ・本 | TB(0) | CM(0)

『木のいのち木のこころ〈天〉』西岡常一

木のいのち木のこころ〈天〉木のいのち木のこころ〈天〉
(1993/12)
西岡 常一

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本書は、法隆寺や薬師寺などの宮大工で、棟梁を務められていた西岡常一さんの口述書です。

含蓄のある言葉が数多く出てきます。仕事をする心構えとして、これほど有益な書はありません。職人への遺言のように感じました。感銘し、勉強になった言葉を、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・儲けのことを考えていたのでは宮大工は務まらない。自分の家もよそさんに造ってもらった。そのために、田畑を持っていた。仕事がないときは田畑をやって、食いぶちをつくれということだった

・癖というのは何も悪くない、使い方。癖のあるものを使うのは厄介だが、うまく使ったら、そのほうがいいこともある。人間と同じ。癖の強いやつほど命も強い感じ。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短い

・室町あたりからだめになる。まず、木の性質を生かしていない。腐りやすく、すぐに修理しないといけない。ひどいのは江戸。慶長の修理は、大名に言いつけられて、予算内で上げようと、いやいややったのがよくわかる。神仏を崇めるとか、何も考えていない

・とにかく古い材は宝。古い材には限りがある。木の使いやすい乾燥時間は五十年ほどかかる。それを今は伐り出して製材してすぐ使っている。古材を捨てるのはもったいない話

・人間が種を播いて育て、山へ移植した木はよくない。せいぜい五百年ぐらい。自然の中で競争せず、温室のように育ったのがよくない。とにかく、競争を生き抜かないことには、千年、二千年という木には育たない

・大工がどんなにうまいこと言おうと、よい人だろうと、仕事ができないとしょうがない。その仕事を成り立たせるのが道具。道具なしに仕事の良し悪しはない。だから、職人は道具を大事にする

・近ごろの道具は質が落ちている。鉄は硬ければいいものではない。「あま切れ」といって、柔らかくてよく切れるものがいい。硬い刃物は、硬い物に会うと、ぱりんと折れる

・飛鳥や白鳳は美しい。大陸からの文化を吸収して、日本の風土に合わせるという偉大な知恵が盛り込まれている。鎌倉の様式には日本的な感性がある。鎌倉で日本の独自の様式が完成し、室町に至ると、装飾に走り、嫌味が出てくる。華美に走りすぎて堕落してくる

・室町になると、さまざまな大工道具が出てくる。台鉋も出てくるし、板も鋸で挽くようになる。便利なものが出てくると、人間はそれを頼りにし、本来のものを忘れる。そうなると、頭で造るようになる。計算ができるようになって、仕事の能率が主になっていく

・江戸になったらもっとひどい。日光東照宮は、華美で、派手で、これでもかと飾り立てる。建物の本来持つ力強さを全く無視している。あれは建物というより彫刻

・職人がいて建物を建て、それを学者が研究している。学者が先にいたのではない。職人が先にいた。学者は、体験や経験を信じない。本に書かれていることや論文のほうを信じる。学者と長く付き合ったが、感心しない世界だと思った

・老子は、教育は人間をだめにすると言っている。生まれたままがいいということ

・教育は「教え」「育てる」と書くが、徒弟制度は「育てる」だけ。考えるのは自分。考えてやってみる

・おじいさんは私に一回も褒めなかったけれど、母親に「よくやっている」と言った。それを母親の手伝いをしている時に、何気なく母親が伝えてくれた。これは利いた

・人間は、褒められると、今度は褒められたくて仕事をするようになる。人の目を気にして造るようになる。ところが、こうして造られた建物にろくなものがない。職人は、思い上がったら終わり。だから、弟子を育てる時に褒めない

・棟梁の心構えに「百論をひとつに止めるの器量なき者は謹み惧れて匠長の座を去れ」という口伝がある。たくさんの職人をひとつにまとめられなかったら、自分に棟梁の資格がないから自分から辞めろということ

・西洋式の「最小の労働をもって、最大の効果を生む」は大きな間違い。我々日本の農民は、自分一人の働きで、何人の人に米を食わせられるかが基本

・「見習う」とはよく言ったもの。たしかに、仕事は見て覚えていく。うまい人には動きに無駄がない。動きがきれい。余計なことなしにすっと仕事をこなしていく。段取りがいい



職人の頂点に立つ宮大工の棟梁の言葉が、日本古来から脈々と続く職人の魂に響く言葉が、本書に随所に登場します。

特に、人の育て方に関して、日本的育成法が明言されており、我々に自信を与えてくれます。今なお、何百年と残っているものを造っている職人の声にもう一度耳を傾けてみるべきと思わせてくれる書でした。
[ 2012/04/25 07:03 ] 育成の本 | TB(0) | CM(0)

『チャーリー中山の投資哲学と堀内昭利の相場戦陣訓』

チャーリー中山の投資哲学と堀内昭利の相場戦陣訓チャーリー中山の投資哲学と堀内昭利の相場戦陣訓
(2010/06/18)
チャーリー 中山、堀内 昭利 他

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チャーリー中山こと中山茂氏は、超敏腕の為替ディーラーで、業界では知る人ぞ知る存在だそうです。今はシンガポール在住で、マスコミに登場することはありません。本人も、マスコミに出る投資家は偽物と言い切っておられます。

今回は、前半部分の、チャーリー中山氏の歯に衣着せぬ発言にだけスポットをあて、感銘したところを紹介させていただきます。


・リーマンショック後、他がボロボロのとき、ジョージ・ソロスのファンドはプラス8%のリターンだった。ソロスは、ユダヤ人中枢部と結託していると考えてほぼ間違いない

・勝負師たちの記事や本を読んだりはしない。それらを読んで、自分が影響されるのが嫌だから。不安の中で、その不安にやっと打ち勝って、初めて勝負に勝てる

・みんなが乗った船は、結局前に進み続けることができない

・金利の高い通貨を買って、勝ち続けた人間はいない。あめ玉をもらって、相場自体もその方向に行って、そこで利食えたトレーダーはいないということ

・ジョージ・ソロスが、いい仕事をしていたとき、誰もその名を知らなかった。今はチャラチャラ出てきて、慈善家みたいなことを言う。もう引退すべきとき。彼は終わった

・野球選手は、野球をやっていればいい。勝負師は勝負したらいい、講釈しなくていい

・情報過多は百害あって一利なし。情報を集める人は、それに頼ろうとする。何かに頼る気持ちがあったら、結局、勝負は負ける

・物事を客観的に見ることができない者は絶対に勝てない。それだけははっきりしている

・「父親を尊敬しています」という人間で、トレーダーとしてやっていけた者はいない

人間の煩悩、気持ちの弱いところが、相場で勝つことのあらゆる邪魔をしている

・個人投資家が、貯蓄から投資を考えなければいけない状況は、インフレのときに限られる。今のように、インフレを恐れる必要のない時代だったら、投資する必要がない

・勝負というのは、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬あれ」。保身欲があったら絶対勝てない

相場表を自分でつけるというのは大事。失敗が頭にインプットされると、後でノートを開けば、記憶が鮮明に蘇る。他人が書いて作成されたようなものはダメ

10%のリターンが上がらないトレーダーを認めない。そのくらいのリターンが上がらないと、5年、10年の単位で、マイナスになるから

・2年、3年は三級品のトレーダーでも勝てる。本物として認めるトレーダーの条件は、最低10年、15年のタイムスパンで勝てること

・ヘッジファンドの85%は偽物。株式市場は、全体のパイが大きくなれば、バカでも儲かるから。買って握っておく、それだけなら猿でもできる

・金融市場は、極めて単純なもの。金融工学とかいって、どんどん複雑にすることで、客をだまくらかすのが日常化していった

・いつも自分の国の経済を過小評価して、「超悲観的」になる国民、それが日本人

・ユダヤ人に対抗できる民族は世界でも日本人しかいない。ユダヤ人の頭は別格であるが、日本人はユダヤ人が絶対に持っていない組織力という、とんでもないものを持っている

・日本では、上のレベルの人間が優秀だったためしが、開国以来一度もない。ただ、世界の国で、これほど強い「兵隊」を持った国は歴史上ない。日本の強さは、兵隊の強さ

・暴落は、瞬時には起こらない。大きく減価する。それは1ドル360円が80円になっていったように、時間をかけていく

・一番の情報は、目撃者から入ってくる。その人が実際、目の前で見ているもの

・資源を持っていてもダメ。あぶく銭が国を強くした例は、人類の歴史上一つもない。これからは、製造業のない国はダメ

・相場に100点はないが、ある程度満足する形で、カネが儲かったときは、儲かった話などをする気になれないもの。そんなときは、一人で「ざまあみろ」とニヤニヤしながら、静かに酒を飲む。人間とはそういうもの


勝負師の言葉です。それも、負けたら死ぬ「真剣勝負」に勝ってきた勝負師のように思いました。

この本を読むと、投資は甘くないと思い知らされるはずです。投資する人が「免疫」をつけるのに、格好の書ではないでしょうか。
[ 2012/04/24 07:05 ] 投資の本 | TB(0) | CM(0)