とは学

「・・・とは」の哲学

『粋に暮らす言葉』杉浦日向子

粋に暮らす言葉粋に暮らす言葉
(2011/05/14)
杉浦 日向子

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杉浦日向子さんが出演されていた「お江戸でござる」を時々見ていました。江戸文化に大変造詣が深く、その博学ぶりに驚嘆しておりました。

しかし、当時は、私自身、まだ若く、そのうんちくを味わうことができませんでした。本書には、杉浦さんの話された貴重な言葉がコンパクトにまとめられています。

再度、杉浦さんの江戸知識を味わってみて、感銘を受けた箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・実用外の贅沢、すなわち「無用の贅」こそが、粋の本質

・江戸っ子の基本は、持たない出世しない悩まないの三無い

・大人になるということは、あきらめるのを知ること。あきらめないうちは子供。あきらめることを知ることによって、楽しみが増える

・フォーマルでなく、カジュアルに凝る。奢れる美よりも、卑近な美を慈しむ。これが江戸の心意気

・江戸では、マイナス要因だと思われていたことをカッコよく見せてしまうのが粋な人。あの人の禿げはカッコいいと言わせれば、すごく粋。マイナスであればあるほどいい

・粋は、受け手によっていろいろ変わることが重要。誰が見ても同じ感想しか出ないものは粋ではない

・上等な笑いとは、スコーンと突き抜けた、茶の笑い。お茶目茶化す茶々を入れるなどの「茶」。緊張をふっと抜く笑いが人付き合いを円満にした

・吸ったら吐く、お金が入ったら放蕩するというように、取り入れることよりも、取り入れたものの出し方に真価が問われる。吐くとか出すとかいうことが美学の要としてとらえられていた

・江戸では、頑張るは我を張る、無理を通すという否定的な意味合いで、粋ではなかった。持って生まれた資質を見極め、浮き沈みしながらも、日々を積み重ねていくことが人生と思っていた

・江戸人は、人生を語らず、自我を求めず、出世を望まず、暮らして、とりあえず死ぬまで生きるという心意気があった

ニコニコ貧乏している。まるで、趣味で貧乏をしている

・江戸っ子は宵越しの銭を持たないと言うが、正確に言うと、持てない。飽きっぽい性格で、仕事が嫌いな人ばかり

・江戸時代は、自分と他者の境界線がものすごく曖昧で、融通し合っていた。その辺から、パワーなり、エネルギーなりが生まれていた

・250年続いた泰平の世は、言うならば、低生産低消費低成長の長期安定社会



日本も徐々に、貧乏を楽しむような時代に入ってきたように思います。こういう時代は、お金をかけずに楽しむ術を知っていれば、結構、人生を有意義に過ごせます。

そのヒントは、「価値観の有り様」にあるように思います。その価値観の有り様は、江戸時代の町民の暮らしの中に見出せます。一億総貧乏時代の手本は、江戸の世にあるのかもしれません。


この記事で、本年、最後の書評となります。
この一年、いろいろとお世話になりました。
新年は、新コーナーもつくり、3日から始動します。
今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。


[ 2011/12/30 07:32 ] 江戸の本 | TB(0) | CM(2)

『その「数式」が信長を殺した』柳谷晃

その「数式」が信長を殺した (ベスト新書)その「数式」が信長を殺した (ベスト新書)
(2010/09/09)
柳谷 晃

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著者は高校の数学の先生です。この本は、数学や物理で、日本の歴史を検証して、史実を再度見直そうとするものです。今までにない視点を駆使されているので、歴史を面白く学ぶことができます。

織田信長だけでなく、奈良時代から江戸時代までの歴史的出来事や人物を題材に、数多くの史実を検証されています。それらの中から、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・武士が戦をするときには、「もらった領地(農民も含む)>戦費(戦死者も含む)」でなければならない。分け前の良い方に付くのが、兵の習い。源頼朝は、東国武士たちの利益を守る打算が働くようにした

・鎌倉時代から室町時代にかけて、武士は一所懸命、自分の土地を治め、農業振興に尽力した。だから、室町幕府が不安定でも、地方は安定を保つことができた。いわば「不安定平衡

・細川軍の東軍と山名軍の西軍に分かれて戦った「応仁の乱」は、両軍とも、お金でどちらにも転ぶ足軽軍団を雇って、彼らに戦いをさせた。足軽はもともと略奪が商売。戦いのついでに京都の町に火をつけ、打ち壊して泥棒をした。こうして京都の町は灰燼に帰した

・最初の土倉は、倉に財物を預かる商売。南北朝期末期から、預かる物を質種にして、お金を貸す商売に変わる。室町時代中期には、土倉からお金を借りて、別の土倉に出資する形で儲ける者が現れる。働かずにお金を働かす「現代の虚業」の始まり

・織田信長が楽市楽座の政策を実行するたび、利害関係の相反する勢力が現れる。これまで「座」を運営していたのは寺社勢力。京都の半分は、比叡山(延暦寺)が流通を独占。当然、比叡山と信長の利害が対立した

・平安中期、皇族の子孫たちがネズミ算的に増え、朝廷で官職を得られず、皇籍を離れ、地方に領地をもらう。彼らは、領地を守るために武装した。こうして、地方領主、武家(武士)が誕生する。平氏や源氏はその子孫

・源義経は卑怯な手を使った。船を操る水手は武士ではなく漁師なのに、容赦なく射殺した。そのため、平家の船が動かなくなり、勝負がついた。義経の一連の戦いには、手段を選ばぬところが目立つ

・空海の立ち寄ったところは、水銀がよく取れる。高野山にある神社には、水銀の技術屋集団・丹生族の神様「丹生都比売」を祀っている。全国を旅した僧(仏典だけでなく、先端科学技術も勉強)は、鉱物資源の探索もした。発見できれば、寺も潤った

・平泉中尊寺の仏像を安置する須弥壇の象牙はアフリカ象であり、柱の装飾の貝殻は琉球のもの。つまり、津軽半島の十三湊で、世界と日本海ラインの貿易をして、利益を出していたことを意味する

・関ヶ原の戦いでは、一万石当たり三百の兵隊を養っている。一人の兵隊を持つのに、三十三石かかる計算。上杉謙信の時代より、三倍ほど一人の兵隊に費用がかかっている。つまり、兵農分離と武器の近代化で、軍備の予算が増大した

・剣を使う戦いは相手を殺すので、農地を増やして人口を拡大する目的には向いていない。武器のうち、最初に中心的な役割を果たしたのは、飛び道具の弓矢

・戦国時代に入ると、一騎打ちから、モンゴル軍が行っていた集団戦に変わっていく。しかし、集団戦ができるようになったのは、鎌倉時代の農業技術の発展により、室町時代に人口が約2倍になったから

・武器の発想は、いつでも先に相手に届くこと。弓矢は遠くに飛ぶ。歩兵相手なら、刀より槍が役に立つ。離れたところから敵を撃つには鉄砲。もっと遠くから撃つには大砲

・山城は、楠木正成の造った千早城や赤坂城がモデルになった。大軍相手のゲリラ戦には山城が有効。しかし、山城が有効であるためには、武器庫や水・食糧などが確保されていることが条件

・戦国時代後半になると平城が多くなる。生き残った大名たちは、兵農分離や商人の力を利用して経済的発展を目指した。戦国大名は戦上手であるだけでなく、経済的センスがないと務まらなかった

・上杉謙信と共に戦って戦功を上げても、褒賞がほとんど出ない。そのため、時が経つと、謙信についていた武将は謙信から離れてく。しかし、離れると武田信玄に攻められ、また謙信を頼る。謙信は彼らを見捨てなかった

・戦国末期になると、「城攻めの方法」と「軍隊の機動力」が勝敗を分けるようになる。羽柴秀吉はその二つの能力を兼ね備えていた。三木城の「干殺し」、鳥取城の「渇え殺し」、高松城の「水攻め」、本能寺の変後の「中国大返し」などが、その例


著者の数字、数式、法則使った歴史観はユニークです。時の権力者は、自分たちが有利になるように文章を改ざんすることができますが、数字はその矛盾をあぶり出します。

歴史書を再度、「数字」「お金」「力学」で読み直すと、新しい歴史的事実が発見できることを著者は教えてくれます。面白く、役に立つ書です。
[ 2011/12/29 08:51 ] 戦いの本 | TB(0) | CM(0)

『人間が幸福であること―人生についての281の断章』辻邦生

人間が幸福であること―人生についての281の断章人間が幸福であること―人生についての281の断章
(1995/02)
辻 邦生

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辻邦生氏が、亡くなられてから、十年以上経ちます。小説家としてだけでなく、映画評論や演劇評論など、幅広く活躍されていました。

この本にも、小説以外の、エッセイや評論の断片が収められています。幸福の本質をついた言葉には、合点がいくことが多々あります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・特別なことをしたり、贅沢したりするのは、生を楽しむことではない。生を楽しむというのは静かに生きること。呼吸するのがわかること。朝が来て、雀が鳴きだすのを喜ぶこと

・深く深く感じること。それが真に生きることの意味である

・花が咲くのは、見られるためではなく、実りのためだ

・自分の内部の要求にしたがって、果実のように成熟したいと思うなら、人々の眼から隠れて、自分ひとりで生きる時間を持たなければならない。他者の要求を拒み、人々から隠れるのも、決して共同に住むという人間の本性に反したことではない

・自分を信じる人は、ありのままで平気でいる。他人がどう見ようと気にかけない。しかし、自分を信じる力を失った人間は、自分を飾り、自分を偽り、自分を演技させる。そのときは、もう運命は彼を見放している。運とは、ただ自分を信じる人のところに留まる

・物から眼をそらさぬ視線こそが、物を知ろうとする視線だ

・この世の浮き沈みに対して興味がなくなると、不思議と生きていることに執着がなくなる。まあ、生きていてもいいし、別に生きていなくてもいいという気持ちになる

・人間は何も求めなくても、すでに、一切が与えられている。人間に必要なのは、その与えられたものを心ゆくまで味わうこと

・今を掛けがえなく生きるとは、今がもたらす楽しさを十全に味わうこと。逆に言うと、楽しさを感じることが、今を本当に生きるということ

・曇り空の切れ目に青空を仰ぐように、日常生活の裂け目にこぼれ出る幸福感、充実感を味わうことがある

・完全なる幸福とは、時がなくなること。永遠が実現されたと言ってもいい

・幸福とは、与えられるものではなくて、作るもの、与え続けるもの。自分がどんな不幸な状態にあって耐えられないほどでも、そばに居る人たちをもっと幸せにしたいと思った瞬間から、その人の幸福が始まる

・少し注意してみれば、金をオールマイティと思っている人の顔に浮かぶ焦燥感、冷淡さ、勘定高さ、優越意識などが、いかに幸福と無縁であるか、すぐ理解できる

・泣きごとが最大の悪となる。泣きごとと愚痴が最も生命力を低下させる

・生きていく上で大事なのは、エネルギーに満ちた存在肯定感。言うならば、陽気な野心、全身に溢れる善意、絶えざる勇気、考える前に動いている楽天主義

・自分には「好運」しかないと信じ込む力。楽天的なので貧乏神も旗を巻いて逃げだすといった感度。そういう生き方に共感する

・安楽が意味を持つのは、それが人間の戦う力を養うときだけ。安楽は戦いの変型としての意味を持つ

・怒りは、人間から他のあらゆる情念を奪い取ってしまう。悲しみも怒りの前に消えてしまう。まして、笑いなどは寄りつく余地がない

・現代は、あまりにも他人の評価が暴威を振るっていて、自らが静かに納得できればそれで十分ということが、いよいよ少なくなっている。自分で納得いく生活に心から自足して静かに暮らす人に懐かしさを覚える

・想像力というのは、誰にも平等に与えられている有難い能力で、これさえあれば、多少不如意でも、結構人生を豊かに楽しむことができる



辻邦生氏は小説家でしたが、ある意味、哲学者であり、詩人だったのかもしれません。生きるとは?幸せとは?といった命題が随所に出てきて、それを感性のある言葉で、答えられています。

逆に言えば、哲学者であり、詩人だったからこそ、小説も書き、評論も書けたのかもしれません。

前向きに、そして立派に生きるためには、本書を何度も読み返していくことが必要なように感じました。


[ 2011/12/28 07:28 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『梅棹忠夫のことば』

梅棹忠夫のことば梅棹忠夫のことば
(2011/03/16)
梅棹 忠夫

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国立民族学博物館には、5回以上足を運びました。その空間に立つと、常に何らかの知的刺激を受けることができます。

その国立民族学博物館のプロデューサー兼初代館長であり、「知的生産の技術」などのベストセラーを世に出した「知の巨人」が、この本の著者である梅棹忠夫氏です。

「知の巨人」と書くと、何だか、重々しく感じますが、梅棹忠夫氏は「発想の巨人」と言い換えたほうが適切なのかもしれません。

本書には、昨年亡くなられた梅棹忠夫氏の発想が満載です。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・カードは忘れるためにつけるもの。カードに書いてしまったら、忘れてもよい。つまり、次に、このカードを見るときには、その内容について、きれいさっぱり忘れているつもりで書く

・思想というものは、少しずつ、少しずつ、肥え太っていく。対談とか座談会というのは、そのような、成長のための稽古場みたいなもの

・対話は、無意識のものを意識にのぼらせるためのスターターになる

・異質性を認めた上で、いくらでも上手くいく道を見つけることができる。「お互いにアジア人だ」という言葉は、それは一種の外交的フィクションである

・供養というのはいい考え方。上手な捨て方を見つけたときに思いきれるもの。思いきるために、何らかの儀式化を考えることはよいこと

・家庭を発信局とする情報創造が行われ、そのための装置が次々と作られてくる。すでに、その先駆現象として、カメラがある。写真を撮ることは、情報の創造

・神殿は、情報交換のための装置だった。神様からのメッセージが来ると、そこにいる司祭たちが、それを受け取って、民衆に伝える。そして、民衆の願い事を神様に取り次ぐというように、情報交換の場として機能していた

・一つ一つの建物が、機能的な目的を持ったものだけでなくて、それ自体が一つの情報になる

・情報というのはコンニャクのようなもの。情報活動はコンニャクを食べる行為に似ている。コンニャクは食べても栄養にならないけれど、それなりの味覚を感じ、満腹感も得られる。世の中には、何にもならない情報は無数にあるが、それでいい

お布施の額を決定する要因には、「坊さんの格」(偉い坊さんには多く出すのが普通)と「檀家の格」(金持ちは、ケチな額を出したのでは格好がつかない)がある。お布施の額は、その二つの社会的位置によって決まる。坊さんが提供する情報や労働とは無関係

・比較論を拒絶する発想、思想というものが、京都の考え方。比較を絶していることが「都である」という意識。それは、一種の中華思想。京都中華思想は歴然とある

・京都人は、断言を避ける。1200年に及ぶ都市生活の中で、否定的な断言を避けながら、話をすすめる交渉事の会話が発達した

・人類史の長い流れの中で、一番初めに出てくる営みは「腹の足し」(農業をやり、家畜を飼う)。二番目に出てくるのが「体の足し」(体が楽になること。つまり工業化ということ)。三番目に出てくるのが「心の足し」(文化の概念で捉えているもの)

・教育は人間に対するチャージ(充電)。逆に、文化はディスチャージ(放電)。教育に力を入れたからといって、必ずしも文化が栄えるわけではない。むしろ方向としては逆

・頭で考えただけのソフトウエアは、たちまちにして消えてしまう。目に見えるハードウエアとしての装置と、それを運営する組織をつくっておかなければならない

・都市の人間は、今や「居住民」から「利用民」へと変化しつつある。利用民とは、都市に居住しないで、そこを利用している人たち。利用民の立場で言えば、都市は、施設集合体であり、便益集合体。都市行政の問題はそれらをいかにうまく運営するかという問題



梅棹忠夫氏の本を読むと、発想の転換の大事さを思い知らされます。新しい発想やアイデアは、頭の中をいったん空にして、新たに構築していかなければ生まれません。

忙しさにかまけて、過去を引きずって生きている人は、あえて、頭と心を無にする時間を作らないといけないのかもしれません。

発想やアイデアの原点として、梅棹忠夫氏の書は、現代の我々に必要なのではないでしょうか。


[ 2011/12/27 06:29 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『ホトケの経済学』井上暉堂

ホトケの経済学ホトケの経済学
(2006/08)
井上 暉堂

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井上暉堂さんは、元暴走族で、慶応大学卒で、元ジャーナリストの坊さんです。著書を紹介するのは、「お寺のしくみ」に次ぎ、2冊目です。

現在は、坊さんとして活躍しながら、仏教界をわかりやすく解説する本の出版や、雑誌への執筆をされています。

この本にも、ユニークな視点が多く、勉強になるところが多々ありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・「道は貧道より尊きはなし(たとえ、赤貧洗うがごとくの生活の中でも、心はその在り方一つで豊かにいられる)」 (白隠禅師)

・私たち人間は「二元論的思考」をする生き物。モノと心、善と悪、白と黒、金持ちと貧乏、好きと嫌い、失敗と成功、勝ち組と負け組というように対立概念で物事を捉える。この二元論的思考が根底にあるため、凝り固まった考え方や自分の価値観に振り回される

・経済生活の中においては、あれは得かこれは損か、あれはいいかこれは悪いか、何々してはいけないと個々の杓子定規で判断し、「無視と執着の世界」を行ったり来たりしている

・「あの人がこう言った」「あいつは許せない」「あいつの方が優れている」と、常に周りに左右されてしまうのは、目に見えない「檻」(=精神の遮断機)に心を支配されている状態

・禅の世界では、二元対立のものを嫌い、排していく。そして、限りない自由と絶対の主体性を目指す

・お金持ちの8割は、実は心が貧しい人。彼らは自分は勝ち組だと胸を張り、負け組は市場から退出せよと叫ぶ。その声を聞くと胸が痛む。しかも、その偽の勝ち組は、稼ぎ上手でも使い下手。その理由は、稼ぐことが、人生最大の目的になっているから

・顔は人の内面を映し出す鏡。高価なブランド品で身を固めた婦人が、尖った表情のこともあれば、質素な服装でも、穏やかな表情で幸福そうな人もいる。忙しいサラリーマンの表情は、気難しい顔、おすましな顔ばかりが目に付き、豊かな顔となかなか出会えない

・いつも心の中で、「俺はじき死ぬ、俺はじき死ぬ」と念仏のように唱えて暮らせば、くだらないことにかまけていられなくなる。明日死んでしまうのだと思えば、今悩んでいる時間などない

・坐禅とは「死ぬ練習」。言葉を換えれば、これまでの社会生活の中で積み重ねてきた心の障壁=メンタルブロック(既成概念による制約)を一度破壊し、心をリセットする練習でもある

・「随所作主、立処皆真」という禅語がある。どんな時代でも、どんなことを行っても、その瞬間瞬間、無我夢中で事に当たれという意味。仕事で例えれば、価値のある仕事、価値のない仕事などと差別せず、ともかく命懸けでやれば、必ず道が開けると解せる

・唐時代の雲門文偃禅師の言う「日日是好日」とは、こだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、今日のその日一日、一瞬一瞬をただありのまま生き抜く、清々しい境地のことを指す

・禅語の「断命根」とは、「とことん覚悟を決める」「断固としてやる」の意味。覚悟を決め、ああじゃないか、こうじゃないかと考える意識の根を断ち切り、自分の求める道を躊躇せず、真っすぐ突き進むことができたとき、その人は「主人公」になりきっている

・ある人が発した一言で笑いが起こり、一瞬にして緊張が解けることがある。この一言を禅問答では「一転語」と言う。つまり、その場を収斂する力を持つ言葉のことで、そのたった一言で皆が救われる

・「無私」こそが「馬鹿になること」。日本人はもともと「利口馬鹿」だった。ところが、戦後、無私の心を捨て去った。今は、皆がこぞって利口になりたがり、馬鹿になることを躊躇したり、軽視したりして、馬鹿の偉大さに気づこうとしない

利口な人は、「理屈、道理に合わないこと」「嫌なこと」「恥ずかしいこと」「わからないこと」「未体験のこと」「失敗しそうなこと」「泥臭いこと」「非常識なこと」「誰もしないこと」「損なこと」はしない。「しない」ばかりでは、何も起こらない

・馬鹿になれない人間の特徴は「人が悪くて自分は正しい」というもの。自分だけが正しいと思う故に、人から批判されると、開き直ったり、感情的になったり、逃避したりする


著者は、白黒つけず、何事にもこだわらず、心の壁を取り払い、覚悟を決めて、利口馬鹿になって、生き抜くことの大切さを論じられています。

禅語もわかりやすく解釈されており、読みやすく、心が落ち着く書です。

「ホトケの経済学」というよりか「ホトケの幸福学」といった内容なので、誰もが躊躇せずに、読めるのではないでしょうか。

[ 2011/12/26 07:31 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

2011年度書評本・売上ベスト30

本年度(12月22日まで)、皆様のおかげで、お金学で紹介させていただいた本が、アマゾンで約1000冊売れました。本当に感謝です。その本の売上ベスト30を出してみたところ、大変面白い特徴がありました。

毒と色気、お金と自由、それに古典といった内容の書が並びます。世の中のベストセラーとは、全く違う不思議な30冊です。是非ご覧ください。

そして、この場を借りて、著者の皆さま、出版関係の皆さま、読者の皆さまに厚く御礼申し上げます。

<第1位>
客家大富豪18の金言(甘粕正著)
<第2位>
客家の鉄則(高木桂蔵著)
<第3位>
なぜデンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか
<第4位>
中古マンション投資の極意(芦沢晃著)
<第5位>
毒舌身の上相談(今東光著)

<第6位>
メールカウンセリング(武藤清栄・渋谷英雄著)
<第7位>
ヒトラーの大衆扇動術(許成準著)
<第8位>
日本の道徳力~二宮尊徳90の名言~(石川佐智子著)
<第9位>
働かないって、ワクワクしない?
<第10位>
売れっ娘ホステスの会話術笑わせ上手編(難波義行著)

<第11位>
香港に住む大富豪41の教え(大塚純著)
<第12位>
ナマケモノでも幸せなお金持ちになれる本
<第13位>
エドガー・ケイシー名言集・知恵の宝庫
<第14位>
商家の家訓~商いの知恵と掟(山本眞功著)
<第15位>
売れっ娘ホステスが一流ママになる方法(難波義行著)

<第16位>
ソロー語録(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著)
<第17位>
億万長者より手取り1000万円が一番幸せ(吉川英一著)
<第18位>
ユダヤ5000年の教え(ラビ・マービン・トケイヤー著)
<第19位>
お客様の声で売れました(秋武政道著)
<第20位>
困った上司とつき合うヤクザ式心理術(向谷匡史著)

<第21位>
阿佐田哲也勝負語録(さいふうめい著)
<第22位>
ヨークベニマルの経営(五十嵐正昭著)
<第23位>
マネーの鉄則(岡崎良介著)
<第24位>
1カ月100万円稼げる59の仕事(日向咲嗣著)
<第25位>
プレイボーイの人生相談1996~2006

<第26位>
人の力金の力(無能唱元著)
<第27位>
新宗教ビジネス(島田裕己著)
<第28位>
セックスレス亡国論(鹿島茂著)
<第29位>
超マクロ展望世界経済の真実(水野和夫・萱野稔人著)
<第30位>
言志四録・心の名言集(佐藤一斎著・細川景一編)


[ 2011/12/23 08:00 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)