松下幸之助は、死んで20年以上経ちましたが、今や、海外からも思想家として注目される存在です。
本をほとんど読まなかった松下幸之助が、なぜ、思想家と呼ばれるまでになったのでしょうか?考えてみたら、不思議です。
著者は、その謎を解明しようとした結果、その答えを戦前のラジオ放送に見出しました。
戦前のラジオ放送は、今と違って、裕福な知識人のための
教養あふれる番組が多かったようです。松下幸之助は、それらの番組を熱心に聴いているうちに、自然と思想を形成していったというのが著者の見解です。
読むこと、見ること以上に、聴く(聞く)ことの大切さを教えてくれる箇所が20ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
・尋常小学校中退で、あまり
本を読まない人の言葉が、死後20年たっても広く支持される理由は、思想史研究の専門家には理解しがたいこと
・人が語っていることの多くは、それまで読んだり聞いたりした言葉を応用したもの。多くの
優れた言葉を語れる人は、それまでに多くの優れた言葉を聞いたり読んだりした人
・日本には経済思想がなかったと誤解されているが、近江商人の家訓や
石門心学、二宮尊徳の
報徳思想など、伝統的に、経済思想と呼び得るものは存在した
・松下幸之助には、1.「長年にわたって師事した碩学はいなかった」、2.「大量の書を読んだ形跡はない」、3.「本人が一定の体系的な思想を持っていた」
・松下幸之助は、「神を信ずる者だけを神は助ける」といった考え方は方便で、
神仏への依頼心を持つ考え方を妥当でないとしていた
・税金を論ずる際、財政確保の数字上の議論になりがちだが、松下幸之助にとっては、
高すぎる税金は道義の衰退をもたらすものだった。道義の退廃は、社会や国家の混乱をもたらすと考えていた
・松下幸之助は「本は、
動的な原理を静的に説明している。それでは、原理は真にわからない。世相、事物は動いている」と述べている
・松下幸之助は、宗教という「根源的なもの」が確立すると、お互いに
愉快な生活ができると考えた
・
高嶋米峰を筆頭とする新仏教徒同志会のメンバーは、教養放送全盛の時代の初期のラジオ放送に頻繁に出演していた。松下幸之助は、最初期からラジオに接しており、高嶋の影響を受けたと考えられる
・大正15年3月末における東京の
ラジオ受信機普及率は15%、大阪で7%、愛知で5%。全国ではわずか2%だった。松下幸之助が既に聞いていたラジオは、大多数の庶民にとって、縁の薄いものであった
・「
物心一如」「総合芸術」「人間としての成功」など、高嶋米峰が盛んに使っていた言葉は、松下幸之助も述べている。松下の言葉は分かりやすく、大衆向けであって、文語的でないといった、ラジオから影響を受けた特徴がある
・メディア論の
マーシャル・マルクハーンは、メディアの中でも、特にラジオは人々を引きつける力が強く、人々への影響力が高いが故に、その影響力が当人たちに意識されにくいと論じている
・松下幸之助がいつも強調する人生哲学や実践は、釈尊研究の大家、
友松円諦の持論と完全に一致する。友松氏は、昭和9年にラジオで「法句経講義」を放送して爆発的人気を呼び、全日本真理運動を興した仏教学者。初期のPHP誌にも寄稿している
・
真理運動の特徴は、「超宗派の活動」と「経済的活動と宗教的反省を結びつける傾向」。友松氏の説く思想は、農民や漁民向けというよりは、都市で生活するサラリーマンや経営者向きであった
・
PHP運動、
新仏教運動、真理運動、三者に共通の特徴は、A「物心一如」B「労働による修練修行・道場としての職場」C「聖徳太子の奉賛」D「仏教的知性による学校教育批判」E「音声的知性」F「諸行無常ゆえの生成発展」
・真理運動の副代表であった
高神覚昇は哲学者の西田幾多郎に師事した。松下幸之助が重視した「素直な心」は、高神の言う「すなおな心」「悟り」「成仏」「解脱」「涅槃」とほぼ同じ
・松下幸之助の「
素直な心」は手段や方法。衆知を集めたその先にある最終的な目標は、「物心ともに豊かな調和ある繁栄、平和、幸福を逐次実現させていくこと
・松下幸之助は、衆知は自動的に集まるものではなく、人間が集めようとするもの。つまり「
新しくて良いもの」は、衆知を集めようとする人間の意志と、その意志に基づく行動が不可欠と考えた
・松下幸之助は「
知情意は、人間が人間としての働きを高めていく上において非常に大事な枢軸。すなわち、知情意の調和をはかり、かつ高めていくことが、人間性を向上さていくことになる」と述べている。「知情意」の三つを重視した
・戦前のラジオにおける
教養放送について、メディア史の研究では、教養をアカデミックな知性だけに限り解釈するが、宗教と積極的に結びつけて解釈する必要がある
・
声の思想にも配慮しなければ、言葉で表現された思想の全貌を見ることができない。その意味で、従来の思想研究は、何をもって思想とするのか、今一度考え直す必要がある
松下幸之助が興したPHP運動は、PHP研究所(この本の出版元)が健在で、今も大きな影響力を有しています。さらに、彼が興した松下政経塾は、今や首相を輩出するまでになっています。
経済・宗教・哲学を融合させて、新たな経済思想をつくり上げた松下幸之助の原点がラジオにあったという指摘は非常に興味深く感じられました。
先月、久しぶりに、NHKラジオ放送の文化講演を聴いたのですが、結構、記憶や印象が頭の中に残り、知的刺激を受けました。
世は、ネット社会になり、読むメディア(テキスト画面)、見るメディア(映像画面)全盛の時代ですが、ラジオのような聴くメディアの利点もあるように思いました。
ラジオは、やはり、「影響力が高いが故に、その
影響力が意識されにくいメディア」なのかもしれません。