とは学

「・・・とは」の哲学

『新宗教ビジネス』島田裕巳

新宗教ビジネス (講談社BIZ)新宗教ビジネス (講談社BIZ)
(2008/10/02)
島田 裕巳

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宗教とお金の関係は、ずっと気になるテーマです。「聖」の代表である宗教と「俗」の代表であるお金が、結構、仲良しであることはわかっていますが、どのように仲良しなのか、宗教学者の島田裕巳氏が、この本の中で解説してくれます。

宗教団体のお金の集め方が、それぞれ個性があって興味深く思いました。この本の中で、参考になった箇所が25ほどあります。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。

ちなみに、島田裕巳氏の本を紹介するのは、「3種類の日本教」「10の悩みと向き合う」に次ぎ3冊目です




・教団の宗教的な建築物を建てる目標は、信者の献金意欲を強く刺激する。完成した暁には、信者たちの努力が目に見える形で示され、全国から集まった信者は感動する。しかも、巨大な建築物は、教団の力を外に向かってアピールするための格好のシンボルとなる

献金の期限が設定されることで、金集めは、教団や信者にとっての戦いになる。それが戦いである以上、目標額を突破して、勝利しなければならない

終末的な予言は、新しい信者を集めるためだけなく、金集めの手段としても用いられる。遠からず価値を失う金を教団にすべて出すように促す。新宗教が採用する金集めの手段の中でも、建築物を建てること以上に効果的

・金が浄化されたとき、献金した人間は、そこにすがすがしさを感じる。金だけではなく、自分までが清められたように感じる。そのため、金を手放すことで、欲望から自由になったような解放感を得ることができる

・会員が競い合って布教を行い、教団が急速に拡大していけば、会員たちは、それをもって、自分たちの信仰の正しさが証明されたと考える

・急速に拡大していた時代の創価学会では、活動の基本的な場である「座談会」において、折伏した数を発表させることが行われていた。新たに会員を獲得できなくても、聖教新聞の部数を拡大しさえすれば、それで評価された

ネズミ講では、それをはじめた人間や最初に入った人間は必ず儲かる。それで甘い汁を吸った人間は、それが忘れられず、同じことを期待して、再びネズミ講に引き寄せられる

・新宗教の教団内部には、経済的な格差が生まれる。教祖や幹部たちは、豊かな生活を送ることができるが、一般の信者はそうはいかない。一般の信者は、自分が出した金が、トップや幹部を富ませるために使われれば、納得しない。それによって、不満が蓄積される

・創価学会の会合は8時に終わる。そうした会合には、労働時間が長いサラリーマンは参加できない。自営業者の方が都合いい。バブルの時代、大きく儲けた創価学会の会員は多額の財務をした。財務の額の多さは、自分たちの成功の証であった

・何かに金を使おうとして資金を調達するのではなく、金が余っているために、それを活用しようとすると、無駄なことにお金を使ってしまう。あるいは、その金を個人的に悪用しようとする人間も生まれ、組織は乱れる

・人間は金の魅力には勝てない。金はさらなる欲望を喚起し、人間を堕落させ、組織を混乱させていく力を持っている。そうした金の力を制御することは、相当に難しい

・信者が仲間を引き留めるのは、たんにメンバーが減ることを恐れるためではない。仲間が信仰を捨て、去っていくことは、自らの信仰が否定されたに等しいから

・信仰者として自覚の薄い二世ばかりが会員になれば、その教団は停滞する。そこで、それぞれの教団では、二世以下の信者の信仰を覚醒するための特別の機会を設けている。天理教には、3ヵ月の研修である「修養料」がある

・教団の祭典で、一糸乱れぬ人文字とマスゲームを披露するのが重要なのは、そのための訓練であり、日ごろ厳しい訓練を重ねることで、仲間との連帯意識を育み、それが信仰者としての自覚に結びつく

おひとりさま宗教の典型である真如苑が、歓喜と呼ばれてきた献金を廃止したことは象徴的。おひとりさま宗教では、個人の救済が最優先され、教団の規模を拡大していくことで、救済の可能性を広げていくということは意味をなさない

・創価学会の「ブック・クラブ型」モデルや真如苑の「家元制度型」モデルは、時代の要求に合致している。そうしたモデルが機能していれば、信者たちは、それほど多額の金を出す必要はなく、会員数が多い教団は安定的に維持されていく

・宗教は、ある事柄の絶対的な価値を説明する物語を作り上げることで、信者の心をくすぐり、お札やお守りを買わせたり、献金をさせたりする。宗教家の説教や説法は、セールストークであり、信者の心を操る点で、マインド・コントロールになっている

・新宗教の教祖は、一般の信者に対しては優しく接しても、幹部や直弟子に対しては厳しく当たる。宗教教団は、宗教活動を実践する組織であると同時に、信者を精神的に鍛え上げる修行場の役割も負っている。つまり、人材育成の仕組みが、教団の中に備わっている

・新宗教の研修では、参加者が抵抗感を持つような壁をわざと用意し、その壁を乗り越えさせることで達成感を与える。企業の研修でも、そうしたやり方が用いられている

・新宗教の「家元制度型」ビジネスモデルは、人件費削減に最も貢献する。信仰を伝えられた信者が、今度は布教する側に回り、新たな信者を増やしていく

・ヤマギシ会は、無所有一体(私有財産も給与もない)のシステムを活用することで、経済的に最も効率的な組織を生み出した。衣食住が保障されているとはいえ、給与も休みもなしに、勤勉に働く人間が出てくる点は、労働の意味を考える上で、極めて興味深い

・創価学会は、金余りという事態が生まれても、それによって教祖や一部の幹部が私腹を肥やすことができない仕組みが備わり、実際に機能している。創価学会は、ほかの新宗教に多い、分裂や分派をこれまで経験していない

・昔から、宗教というものは、金余りが生じたときに、壮麗な宗教建築物、宗教美術などの莫大な金を消費する装置として機能し、金余りを解消する役割を果たしてきた。近代は、戦争が金余りを解消する手立てとして機能することになった

・現代の新宗教は、集まった金を美術の方面に費やすことで、多額の献金を生かす道を切り開いている。創価学会は東京富士美術館を開設し、世界の名画を集めている。世界救世教はMOA美術館に、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を初め、3点の国宝を収蔵している

・宗教組織を維持するには、信徒が金儲けを行い、その金を教団に入れることが不可欠。カトリックや仏教の出家者は経済活動を一切行わない。出家者の生活を支えるには、俗人が経済活動をする必要がある。そのため、経済活動自体が否定されることはあり得ない



この本を読むと、宗教とは、何と不思議なものかとますます考えさせられます。宗教は、人間の不安がつくり出したものであり、お金は、その不安を解消するものです。そういう意味で、もともと相性がいいのかもしれません。

宗教とお金は、どちらも、人間がつくり出した幻想であるだけに、ここで簡単に説明できるものでもありません。

とにかく、宗教とお金の関係を、事例を踏まえて、解説してくれた著者の熱意に、ただただ感謝するだけです。
[ 2010/11/30 08:42 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(2)

『名文句・殺し文句』伊福部隆彦

名文句・殺し文句名文句・殺し文句
(2006/03)
伊福部 隆彦

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この本は、1967年に出版された「世界名言集」を改題したものです。もとは、著者が新聞に連載していた「きょうの言葉」の再録です。

世界の古人が放った言葉を知ることができる、名言集の古典とも言うべき書です。

今回、この本を読んで、共感できた箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



名誉心は、高潔な人の最後の弱点だ(ミルトン)

本当に高潔になるためには、富や地位だけでなく、名誉心も捨て去らねば駄目である

・欲するものがすべて手に入りつつある時は警戒せよ。肥えゆく豚は幸運なのではない(ジョウル・チャンドラ・ハリス)

運勢の頂点にいる時は、同時に周囲から嫉視され、反感をもたれている時でもある。幸福に有頂天になってはいけない

・この世に生きる最高の術は、妥協することなしに適応することである(ジンメル)

自己を少しも損なわず、しかも周囲を損なわず、周囲に適応していくためには、何より賢いことが必要である

・ある目的のために始まった友情は、その目的に達する時までは続かない(カールス)

ある目的に始まった友情は、お互いに利用することしか考えていないから、長続きしない

悪は弱さである(ミルトン)

人が悪事をするのは、悪事が好きなためではない。その人の性格が弱いからである

・自分の故郷を一度も出たことのない人間は、偏見のかたまりである(ゴルドニー)

この故郷という言葉を地域と考えるより、知識、経験、学問等で考える必要がある

・我々の本当の敵は沈黙している(バレリー)

あらわれて来る敵は恐ろしい敵ではない。黙っている敵こそ恐ろしい

・賢者はその頭に金銭を有するも、その心に金銭を有せず(スウィフト)

金銭的計数の観念は頭で忘れないだけでいい。その観念が心を支配し出すと、正しい行いができなくなる

・場所ちがいの善行は、悪行である(エンニウス)

・正理の一方のみに訴える人は残忍である(バイロン)

人には人情がなければ、真の和楽はあり得ない。正理ばかりを一方的に言う人は残忍な人である

・才能は孤独のうちに成り、人格は世の荒波によって、でき上る(ゲーテ)

・賢い人は学ぶことを愛する。ところが、愚人は教えることを愛する(チェーホフ)

・金銭、口をひらけば、真理黙す(ラスキン)

すべての意見において、利害が問題を決する時、道理は引っ込んでしまう

自分に命令しないものは、いつになっても、しもべにとどまる(ゲーテ)

自分に命令するとは、自主的に自分を生きること。真に独立自尊の精神をもって生きること。それができないものは結局、他人に使われて生きるしかない

・人は裏座敷にいて、はじめて豊かな気持ちになれる(モンテーニュ)

表座敷ばかりにいたら、心気が疲れてどうにもならなくなる。時には裏座敷が必要だ。裏座敷とは、風月をたのしみ、余技に遊ぶ心である

・黄金は、道徳が光輝を失いたる時に輝く(ヤング)

道徳が光を放っている時には、金銭が力を持たない。ところが、道徳が衰えると、とたんに金銭が力を持って、光を放ってくる

・金銭のことを軽率に処するなかれ。金銭は品行なり(バルワー・リットン)

人の品行は、金銭の使い方によって決まる。立派に有用に金銭を使う人は立派な人格者である。その金銭をふしだらに使う人に人格者のあったためしはない



世界の古の偉人たちが言いたかった真理は、解釈の仕方はそれぞれにあると思いますが、心の中に伝わってきます。

現代の日本人の言葉だけでなく、昔の西洋人の言葉も知ると、普遍的なものを感じることができるのではないでしょうか。
[ 2010/11/29 07:53 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『日常に生かす「茶の湯」の知恵』福良弘一郎

日常に生かす「茶の湯」の知恵 (PHPエル新書)日常に生かす「茶の湯」の知恵 (PHPエル新書)
(2003/03)
福良 弘一郎

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以前から「茶の湯」のことを不思議に思っていました。

「なぜ、芸術になったのか?」
「なぜ、戦国大名が熱中したのか?」
「千利休とは、どんな人物だったのか?」
家元制度をどのようにつくりあげたのか?」

世界に類を見ない「茶道」という芸術が誕生した、1500年代の「日本人の精神性」にも興味があります。

この本の中に、そのおおよその答えがありました。禅の影響を受けた「茶の湯」だけあって、禅問答のような、言葉の表現もありますが、面白い人には面白いと思います。

その面白い箇所が20ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・利休は「富める人、持てる階級の人が金に任せてする茶の湯より、無一物の貧しさの中から創造されて出てくる妙味が楽しい」と言っている

・庭一面に咲く花は「量」として、豊富さの世界での「複数の美」。床の間の一輪の花は「質」を問う一点の美であり、質素さの世界で「単数の美」。

・茶の湯の道具を配置する際、道具相互で相性のよくない物を「差し合い」と言って嫌う。逆に「似合い」「引き立て合い」というのは、相性のよさを示し、調和と均衡を感じさせる組合せとして活用される

・「目に立たない」とは、全体の調和を考えた配置や存在ということ。背景色として一番よいのは鼠色と言われるが、これは置いてあるものが目立つようにする、引き立て役としての意味を持つ

・変化というのは、その「ひとつ」をいかにたくさんの物に見せ、魅了できるかということ。単調なる「ひとつ」ではなく、千変万化する「ひとつ」を演出する面白さと愉しさを、どれだけ多くの人に与えられるかが、その人の器量

・「有り合わせ」を組み立てる時、「己を制することにより他を生かし、己自身も大きく見せ、自ら他を生かすことによって、自ら生かされる」が原則。「有り合わせ」「間に合わせ」は、機転を利かす、時宜に応じた、機略に富んだという臨機応変の働きが要求される

・実用面を重視した生活の中の美しさを趣味に取り入れる「美用一致」というのは道具だけではない。日常生活で行っている掃除や洗濯、人との接遇や対応などすべてに「美と用」の気働きが要求される

・美しさとともに機能的な調和と、均衡の取れた働きがなくてはならない。目立つ部分をさり気なく目立たないように工夫し、生かす心を育むのは、茶の湯の働きの一つ

・茶の湯では「もてなしより、とりなし」と言う。もてなしというのは、料理を振る舞うこと。とりなしとは、その場の「働き」を意味する。料理の質そのものより、工夫と心配りの「誠の心」が大事

・教育においても、「教育する」というのと「教育になる」というのでは重みが違う。前者は意図的、作為的。後者は得られた実感。茶の湯で道具を清める動作は「する」という行為を「なる」という情景に見せる境地を示すことで、無の境地を示すもの

・茶の湯では特に「時」を大事にする。茶の湯そのものが、時を中心とした動的活動であり、どこかの一点が狂うと、全体の構造まで変更したり修正したりする必要がでてくる

・茶碗を清め、茶入れを清め、茶杓を清める所作は、無理のない所作そのものが、自らの俗なる精神から聖なる精神への脱皮を促す。自ら茶を点ずる行為を精神的に高め、その場の集中力を一点に凝縮する効果

心の修業には、第一の「我を自覚せず、周りの物が眼に入らない無心」の段階、第二の「眼の働きが機能し、周りの物が見える」段階、第三の「観察」の段階、第四の「人に聞いたり、確認する」段階、第五の「見るの深化」の段階がある

・茶の湯の言葉に「亭主もの言わず、道具をして語らしむ」「客もまたもの言わず、道具において聞く」というのがある。道具は無言のうちに亭主と客をつなぎ、その席の会話を楽しませ、同席する人の器量を照らし出す

・茶の点前に「よいお服加減で」とか「結構なお点前で」という言葉が出てくる。しかし、大事な点は、本当にそのよさを認めているかどうか。努めて人の美しさに気づく配慮と素直にこれを誉める勇気を持つこと

・亭主の苦心や振る舞いの苦労を見落とし、見損なうような誉め方をしたり、頓珍漢な誉め言葉や物知り顔の誉め方は、その場にいる方々に失礼になるばかりでなく、自己の品性のなさを露呈することにもなりかねない

・生け花の美しさは何が生けてあるかではなく、いかに生けられているか。花の美しさや種類だけで花を見るのではなく、生ける人の心の働きを感じられるかどうか

・茶の湯は、人を中心に花、香、味、水など、四季の風情に包まれるが、「有為転変、飛花落葉を観ず」と言われる。つまり、時の動き、時の流れには、誰も抗することができない自然の摂理があるということ

・無心の姿を無理して作ろうとすると「・・・がる」「・・・ぶる」「・・・めく」になり、無理が表面に出る。自然に振る舞うとは、実は一定のルールの上に成立するものであり、わがまま勝手な自己流の振る舞いとは明らかに意味が違う

・細々とした気配りを完全にしようとすると、客を招くと言うこと自体が億劫になる。「そこで、客も主人もお互いにあまり気遣いしなくていいように、工夫してつくり出されたのが、型であり方式といった約束事

・「会の始終は、二ときを過ぐべからず」と言われる。昔の二ときは、現在の四時間だが、時間のサイクルが短い現代風なら、二時間がよいころ。茶の湯の芸術的な面白さは、物だけだなく、茶事という時間の過ごし方の中にもある



礼儀、もてなし、気遣いなどは、ついつい形から入ってしまいがちです。その形を忘れてしまったら、しどろもどろになってしまいます。

ところが、礼儀、もてなし、気遣いの根本的精神を理解していたら、所作を間違っても、すぐに取り繕うことができます。

この本は、茶の湯の本ですが、日本人の礼儀、もてなし、気遣いの考え方を教えてくれます。心のこもった接待、マナーが要求される仕事につかれている方に、読んでほしい1冊です。
[ 2010/11/26 08:02 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『夢中の法則?集中力がアップするしくみ?』佐々木正悟

夢中の法則 ?集中力がアップするしくみ? (マイコミ新書)夢中の法則 ?集中力がアップするしくみ? (マイコミ新書)
(2007/11/22)
佐々木 正悟

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タイトルは夢中の法則ですが、夢中と同じくらい、退屈について書かれています。退屈とは何か?という話が結構面白く感じました。退屈と夢中は、セットで捉えるべきものなのかもしれません。

心理学的なアプローチで、退屈と夢中を解明していく内容は、とても興味深いものです。この本の中で、面白かった箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・何となくだが予想がつく人生は「ネタバレ」。これが退屈という心理状況そのもの。退屈とは、生活空間が「ネタバレ」になっているという意味

・夢中になれるというのは、すぐに記憶できる経験のこと。これぞネオフィリア(新しもの好き)たる人間の核心部分

・「次見」とは、現在の直後に起きていることについての無意識の「予測」。普段のほとんどの時間「次見」している。いつも「予測」しているわけではない。「予測」は意識的にするもので、それほど当るものではない

・何かに「夢中になる」ための確実な方法は、次見できつつ予測が裏切られること

・次見が不可能なほど真新しいことは、とても「夢中になれる」ようなものではない

・「もう飽きた」と「大変すぎ」の間の谷はとても狭い。その狭い谷こそ「夢中になれる」ことが眠っている

・動物が「飽きる」からといって自殺しないのに、ヒトは「退屈して」自殺する。ヒトは「過去、現在、そして未来に遭遇するかもしれないすべて」に「飽きる」。端的に言えば、「世界全体」に愛想を尽かす

・「楽しい」とはどういうことで、最も楽しくてもどのくらいといった限界を、楽しむ前から意識できる。「楽しみ」を類型化し、それに飽和してしまう。これこそが「大人ならではの退屈」にほかならない

・同じ刺激を受ける体験を繰り返すから、いつしか刺激が弱くなる。だが、間を少しでも空ければ、必ずまた強い刺激を受けることができる

・人間が何かを楽しもうと思ったら、決まって使われるのが、スパイスを織り交ぜるという方法

・「クライマックス」はいつまでもお預けの状態を続けていけば、それを読みたい、見たい、知りたいといった欲求を半永久的に続く。「答え」が見つかるまでは死ねない

・「衝撃の」「全米初の」といった言葉は、宣伝用の言葉だが、それでも視聴者は何度となく騙されてしまう。騙されるということは、それだけ期待が高まってしまうということ

・退屈を払拭するために、最も必要なものは、よく知っていることに関する「ニュース」である。実際、この退屈回避戦略は、誰もがすでに実践している



退屈を避ける方法が見つかりそうで見つからないことが、退屈を避ける一番いい方法なのかもしれません。

この本を読むと、人間が刺激を受け、楽しみを見つけることは、意外に簡単なように感じました。楽しい人生を送るヒントが載っている1冊です。
[ 2010/11/25 07:12 ] 人生の本 | TB(0) | CM(0)

『広告の天才たちが気づいている51の法則』ロイ・H.ウィリアムズ

広告の天才たちが気づいている51の法則広告の天才たちが気づいている51の法則
(2003/12)
ロイ・H. ウィリアムズ

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著者のロイ・H・ウイリアムズ氏は、アメリカの田舎で中小企業向けの広告制作会社を経営されています。

広告制作会社と言えば、都会の大企業が相手で、華やかな世界を想像してしまいますが、著者は、古典的な広告手法で人気を得ている人のようです。

7年前の本ですが、広告のベーシックな部分が、記されているように感じました。

この本の中で、参考になった箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・広告には2種類しかない。聴覚に訴える(音の)広告、そして、視覚に訴える(画像の)広告。聴覚に訴える広告の方が視覚に訴える広告よりも、比較にならないほどの強力な印象を与える

・聴覚に訴える広告で、奇跡的な成果を上げるためには、その広告を繰り返し流す以外にない。もし、世の中の人たちが、あなたの広告に苦情を言ってこないのなら、あなたのしていることは、どこか間違っている

・重要な言葉、それは「あなた」。「あなた」は受け手の想像をかきたてる。訴えたいポイントに活き活きとした動きを与える。「あなた」を巧みに使いこなせば、受け手をその広告に参加している気分にさせられる。CMのすべてはあなたから始まる

・大衆は明らかに広告とわかるものに、振り向くようなことはない。それは「ただの広告」でしかない。最もよくできた「非広告」は、広告らしくないスタイルで製品の効用を明確に伝える。最低の広告は、魅力的なスタイルなのに、一言もメッセージを語っていない

・広告主は「耳に心地よい」「洗練された」「専門的で」「気の利いた」広告をつくりたいと思っている。不幸なことに、大衆はそのような広告を信じていない。広告らしくない広告が書けたときが、それがよくできた広告

最低の広告をつくるには、「適切な対象を相手にする」「他社で耳にした文句やコピーを取り入れる」「何回も続けた広告は内容を変更する」「製品の効用よりも広告の素晴らしいセンスを披露する」だけでいい

・他人が見落とした対象に着目することで、成功に結びつくことがよく起こる。その兆候は目の前に現れている

・メッセージを誰に対して発信するか、ではない。大切なのは、そのメッセージの内容

・顧客の質問はただひとつ、「それによって私にどんないいことがあるのか」。顧客は顧客自身がわかる言葉を耳にしたときだけ、その話に耳を傾ける

・われわれが納得しやすいのは、他人が教えてくれた理屈よりも、自分自身で見つけ出した理屈

・目から入った情報は、脳の画像を記憶する領域に入り、1秒以内に消滅する。耳から入った情報は、音の記憶領域に入り、それが消滅するまでに、ほぼ5秒かかる

・最高の製品か、最高の広告を打っている製品か、どちらがよく売れるか。戦いは強い者が勝つのではない。最高の広告を打つ者は、競争相手をすべて蹴散らす

愛の反対語は、憎悪ではない。無関心である



格好よさなど何もないですが、面白い内容の本です。

とくに、「耳から入る情報」「繰り返す情報」「いいことを期待させる情報」「見落としていることを気づかせる情報」など、シンプルな情報の伝え方が、勉強になります。ある意味、広告とは、こんなものかもしれません。

今は、広告の作り手の自己満足が横行しているように思います。そんな広告に違和感を覚えている人であれば、うなずくことが多いのではないでしょうか。
[ 2010/11/24 07:32 ] 仕事の本 | TB(0) | CM(0)

『寄生虫博士の「不老」の免疫学-125歳まで元気に生きる!』藤田紘一郎

寄生虫博士の「不老」の免疫学ー125歳まで元気で生きる!寄生虫博士の「不老」の免疫学ー125歳まで元気で生きる!
(2008/07/29)
藤田 紘一郎

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著者は、寄生虫博士として、有名な方です。この本も、当ブログの読者であるCさんに推薦をいただきました。

50代になってくると、一般的な関心が、「お金」「仕事」「家庭」から「健康」に移ってきます。人間は、この「健康」に最終的にお金を使ってしまいます。

今まで、健康だったせいか、「健康」には、さほど大きな関心はありませんでした。でも、今後のことを考えると、「健康」でいられることが、「お金」もかからないし、「幸せ」につながることがわかります。

最近、「お金がかからない健康法」に興味が湧いてきました。この本は、それにピッタリのことが満載されています。

興味深く読めた箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・若さを守るコツは、「腸内細菌を増やす」「日本食を基本にする」「笑って暮らす」「自然に親しむ」「ほどほどの運動」

・きれいすぎる環境がアレルギー病を誘導している。「キレイ社会の落とし穴」に落ちた現代人がアトピーやぜんそく、花粉症といったアレルギー病に苦しんでいる

・ストレスはあらゆる臓器に影響を与えるが、腸は最も強く影響を受ける。「脳腸相関」といって、脳にストレスを受けたらダイレクトに腸が反応する

・腸は免疫力を高める場所として最も重要な器官。免疫力の70%が腸管の働きで決められている

・免疫力の残り30%が、内分泌系や神経系の刺激、すなわち「心の力」。自然と触れ合って、明るく楽しく生活することが必要ということ

・腸は食べ物の消化吸収だけでなく、第一級の免疫器官。腸の健康が全身の健康、ひいては、体の若さを支えているといっても過言ではない

・オリゴ糖は熱や酸に強く、胃酸や消化酵素に分解されず、腸まで到達しやすい特性を持っている。オリゴ糖が餌になり、ビフィズス菌が増え、逆に悪玉菌が減る

・日本食は、脂質が少ない上に、代謝を盛んにし、コレステロールが蓄積しにくいように働き、肥満も防げる。また、日本の伝統食品からよく見つかるのが、植物性乳酸菌などの発酵菌。漬物、味噌、醤油など。世界の長寿地域は乳酸菌を食するところが多い

・食品添加物や加工食品に多く含まれているリン老化促進につながり、寿命を縮める

・大豆イソフラボンは腸内細菌の働きによって、腸内で「エクオール」という物質に変化する。このエクオールが強いがん予防効果を発揮する

・毎日3㎞歩く人は、それ以下の人と比べると、10年後の発がん率が2分の1以下になっている(米国の10万人以上を対象とした大規模調査の結果)

大声で笑うと、横隔膜の上下運動と腹圧の増減によって、小腸や大腸の蠕動運動が活発になる。その結果、間脳がPOMCというたんぱくを作り、無数の神経ペプチドに分解される。このペプチドが、がん細胞を攻撃するNK細胞の働きを活発化する

・がんを発症している人の多くが、過去6カ月から18カ月にわたって、強いストレスを感じる状況下にあったことが確認された。がんの進行を阻止するために最も大切なことは、ストレスの影響を早く取り除くこと

・メタボの判定基準である「ウエスト85cm」は、実は、40から69歳の日本人男性の平均。むしろベストサイズ。健康な人をおどかし、ストレスをかけている

・「カルシウムを多く含む、アルカリ性の、酸化還元電位の低い水」は長寿の水。カルシウムやマグネシウム含有量の多い「硬水」を飲んでいる地域の人々が長寿者が多いことは、世界各地で証明されている



老化のメカニズムは、ここ十数年の間に急速に発展しているそうです。老化のメカニズムは、「細胞数減数」「長寿動物」「酸化障害」からの3つの視点から研究されており、これらの研究による結論は、「人間は125歳まで生きられる」。

125歳まで生きたいかどうかは別にして、125歳まで生きる身体をつくるということは重要なように感じます。

家も車も、手入れをしながら、ずっと長く大事に使いたいように、人間の身体も、大事に使いたいものです。この本には、その手入れ法がいっぱい詰まっているように思います。
[ 2010/11/22 07:34 ] 健康の本 | TB(0) | CM(0)