池田満寿夫さんが亡くなられてから13年経ちます。版画家として有名で、今も高値で取引されています。
また、小説でも、芥川賞を受賞しましたし、テレビにも多く出演されていました。多彩な顔と才能を持ち合わせた人でした。
このマルチな活躍をされた著者が、「
美の値段」について言及したのが、この本です。20年前に書かれた本ですが、全然古く感じません。
考えてみれば、商品の中で、美術品と骨董品が一番不思議な存在です。1品もの、オークション、値札なし、
言い値、値上がり、投資対象、
贋物など、他の工業的商品とは違う要素が多いのです。
それだけに、買う側の眼力があれば得するし、なければ大損する、冷酷な世界です。しかも、お金がなければ、美術品、骨董品の世界には参加できません。つまり、真の大人の世界がそこにあります。
この不思議な「美の値段」を、整理し、解明しようとする内容になっているのが、この本です。
値とは何か?を知る上で、ためになった箇所が25ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
・ピカソは作品の市場での値段をコントロールした唯一の画家。美術市場で一番作品点数が多く10万点あるが、死後、倉庫から発表されたのと同数の膨大な作品が出てきた。彼は市場に多く出せば、値段が下がるという
市場の原理をわきまえていた
・市場の
飢餓状態をつくり、需要が高騰したときに、「しょうがない」と言いながら出す。それも100点あっても3点ぐらいしか出さないから、当然高値がつく。ピカソはそういうことでも天才だった
・無名時代の画家にとって、画商が絵を買ってくれるということがどんなに嬉しいことか。それは、お金よりも何よりも希望が与えられるということ
・絵が商品として画家から画商の手に渡る時には、買い取りか委託か、どちらかの方法をとる。委託とは、3ヶ月間くらい置いてもらい、売れた時に代金を精算するやり方で、その時画商がとる手数料は常識として30%ぐらいのもの
・売り値とは無関係に
画料として適当な金額で契約することもある。この場合、画商は画家の名声が高まるまで持っていれば、数十倍、時には百倍ぐらいで売れることもある。値段は、画家や画商の人間性から財力まで絡んだ力関係で決まる
・日本で、絵を描き、展覧会や個展で発表している人は10万人。美術年鑑に名前が載っている画家は3万人。値段がつき、画商が取り扱う画家は300人。愛好家の間で流通している画家は50人。10万人のうち、絵を描く本業だけで食べていけるのは100人
・文学においても状況は同じ。本当に小説だけで食べていける人は100人。まず純文学だけで食べていけないので、雑文を書いたり、講演を引き受けたり、サラリーマンなどしながらしのいでいる。まったく狭き門だ
・メディアで多くの人に知ってもらっても、美術の世界はきわめて限られた人々しか相手にできない。しかし、一定のコレクターさえ持っていれば、充分にやっていける世界でもある
・批評家がいくら褒めても誰も買わない絵もある。展覧会で観客がいくら来ても多くは視るだけの人。美術の世界では、
見る人、
買う人、
批評する人はみな違う。だから、一人の画家に対する評価も、それぞれの立場によって異なってくる
・現在ある美術市場は、印象派の登場とともに生まれ、発展してきた。印象派の代表であるモネは油絵を6000点描いており、もの凄い
速描き。総じて
印象派の画家は作品が多い。その結果、市民にも買えるほどに絵の値段が安くなった
・16世紀のアムステルダムには画家が300人(当時のパン屋の職人は70人)にも上った。絵が貿易商品になっていた。レンブラントは、客の要望する絵を描かず、自分の
描きたい絵を描き始めたため、注文もなくなり、破産し、極貧のうちに死んだ
・浮世絵以降(明治時代)の日本美術は工芸品を除いては世界に流通していない。それは日本の画商が日本の美術品を世界に売る努力をしてこなかったことに大きな原因がある
・日本画の美術市場は、政治絡みで一時的に大量に絵が動く機会が多い。後援会の人が献金しないで絵を贈る。贈られた代議士は画商に卸してお金に換える。画商はさらに転売するメリットがある。後援会と画商と政治家の間には初めから了解がとられている
・政治家の資産公開に絵画骨董を入れたら、それは莫大な財産になるに違いない
・ビルが建つと、建築会社がオーナーに日本画を寄贈する習慣もある。この時贈るのが、芸術院会員という肩書のついた絵
・アメリカには公共建築物の建設費の1%は美術品の購入に充てるという法律がある。国家規模で
現代アメリカ美術を支援したおかげで世界美術のなかで主導権を握ることができた
・版画は限定された部数によって価値が変わる。当然部数が少ない方が値は高くつく。何部に限定するかは作者の自由だが、その数が守られているか、版の
キャンセレーション(抹消)が行われているか、しっかり管理されているかが重要になる
・絵の値段の高いことの一番大きな原因は、未来永劫にわたって、その絵が一点あるいは限られた数の
稀少価値にある
・どんなコレクションでも必ず偽物が混入している。美術品で偽物を買わされてしまうことは避けて通れない宿命。だまされて、コレクターは目利きになり、成長していく
・生存中の値段は、往々にして絵の価値だけでなく、時代の流行、個人の話題性、日本ならば芸術院会員とか文化功労者とかの肩書や権威などの要因で高い値段がつく。その一つ一つが剥がれ落ちて、その作品の
本来の価値に落ち着くには、画家の死後30年かかる
・絵の値段に関して日本の美術市場には、この画家は「
号いくら」という評価の仕方がある。絵の良し悪しとは無関係に大小で価値を決めてしまうのは不合理。「号いくら」は買い手を騙す方法
・芸術院会員でも、なかにはお金で資格を買ったような画家もいる。芸術院会員をそう下位にもってくるわけにもいかないので、市場では号50万円が、年鑑には号150万円として、上位ランクされる
・ピカソ、マチスはスタイルを作っては壊し、新しいスタイルに挑戦しているので、いつまでも古くならない凄さがある。日本の大家といわれる人は大体、
自分のスタイルが市場に定着すると、変えようとする人はまずいない
・ゴッホのように
夭折した画家に駄作が少ないのは、絶頂期に死んだからである。スタイルを築くのも難しいが、築いた自分のスタイルを壊すのはもっと難しい。買う側としては、その作品が持つ美の価値を見抜く
鑑賞眼が必要になってくる
・市場に出なければ美術品とは言えない。そのためには「面白い!買ってみよう」という認める者がいなければならない。才能を認める才能が必要。
天才を認め得るのは天才だけということになる
・生存中の
価格の騰貴は、画家の制作に悪影響を及ぼす。ある種の虚脱感を与え、価格の安全性を確保したい欲求が画家を保守的にする
・絵の価値は、個人の絵に対する情熱や
所有欲に依存している。だから莫大な富を惜しげもなく一枚の絵に投ずることができる。「個人が寄付し、その人に名誉を与え、美術館は絵を手に入れ、それを皆が見ることができる」。アメリカ人はうまい方法を考え出した
日本の「美の値段」は、芸術的価値だけでなく、風習や因習など、文化や生活に密着したものに左右されています。
流行、知名度、権威、肩書に惑わされない、本当の
鑑識眼が持てないのなら、美術品には手を出さないのが賢明かもしれません。
高値つかみだけは避けたいものです。
しかし、本当の鑑識眼があれば、将来有望な芸術家を応援する(
文化的貢献をする)ことにもなります。しかも、値上がりする(
投資対象になる)という一石二鳥の面があります。
この本は、「お金があり、見る目もある」。こういう人間になりたいと思わせてくれる1冊です。