著者の
松尾匡氏は、本書の元となった論文で、ジャーナリストの賞を与えられました。現在は立命館大学の教授です。
商人道の大切さを、以前このブログで書いた、山岸俊男氏の「
日本の安心はなぜ消えたのか」以上に説いています。
日本は、独裁国家でもないのに、集団に忠誠を誓い、
仲間意識を強要する組織がいまだに多くはびこっています。この不況下で、それがまた強くなってきているようにも思います。
自由を削がれるようで、嫌な感じです。
こういう武士道的な精神の対極にあるのが商人道です。この本は、商人道の素晴らしさを論理的に解明されています。商売人の子として生まれ、そういう教育を自然と受けた私には、大変感銘できる書です。
本書を読んで、よかった!と思ったところをできるだけ紹介したいと思います
・「昔の日本の武士はこんなに公に尽くしていた。武士道に返れ」と言われれば、思わずそうだと喝采したくなるが、実は武士道は目下の問題の解決にならない。なぜなら、武士道は
身内集団原理の道徳にほかならないからである
・経済社会システムが
開放個人主義原理に基づくものに変わっている現実に合わせて、人間の価値観や道徳観もそれに合わせて変わらなければならない。その最も体系化されたものこそ商人道である
・現在は、全地球的に、身内集団原理から開放個人主義原理へと力点が大きく移動した時代である。ソ連・東欧の共産党支配体制の崩壊、米英の民営化・規制緩和、EUの統合、中国の市場経済化もこれにそって動いた。その背景にはIT革命と称されるテクノロジー上の大転換がある
・武士道は江戸時代にはごく一部の支配者層の道徳にすぎなかった。一般庶民はそれとは異質の道徳観で生きていた。それは、開放個人主義原理の社会関係を律するためにぴったりの道徳体系だった商人道である
・
ジェイン・ジェイコブスは、古今東西の道徳話や教訓話の中にある徳目が、時代や民族にかかわらず、「
市場の倫理」と「
統治の倫理」の二系統にきれいに分かれることを見出した
・「市場の倫理」は見も知らぬ他人を広く相手にする人間関係を規律する「
商人道」である。中心に置かれた価値は「
他人への誠実」
・「統治の倫理」は軍人などの統治者に必要で、境界のある集団内部での人間関係を規律する「
武士道」である。中心に置かれた価値は「
身内への忠実」
・開放個人主義原理に基づく市場社会では、「取引」に悪いイメージをもっていたらやっていけない。それに相応した倫理感の発想は、「取引すればお互いトクをする」である
・身内集団原理の倫理感では、「利他」と「利己」を振り分ける発想をする。身内に対しては、一切見返りは求めずに、とことん奉仕するのが正義とされる
・開放個人主義原理と身内集団原理の二大原理は、
悪意ある相手と関係して食い物にされてしまうリスクを「排除」するか「管理」するかの違いで現れた
・日本は信頼社会と思われているが、あくまで身内集団の内部であり、集団の外の他人まで人間を信頼しているわけではない
・
グラノベッターの「
弱い紐帯の強さ」では、家族や親友のような「強い」つながりは、力を行使するには役立つが、情報伝達には優れていない。ちょっとした知り合いのような「弱い」つながりは、異なった社会集団間の「
橋渡し」をするので、情報伝達や社会的な組織化を促すとされる
・
ルース・ベネディクトは「
菊と刀」の中で、「義理」という言葉には、「しぶしぶやるもの」「つらいもの」というニュアンスがつきまとうと指摘している
・日本人にとっては、
仲間の目が神である。仲間の目にどう映るかが、ときには命より大事なことである
・日本企業には、「正社員=
身内」「非正社員=
よそ者」という図式があるので、身内の目ばかり気にして外部を配慮しない身内集団倫理が適用されると、平気で非正社員にすべての犠牲がしわ寄せされることになる
・
石田梅岩の著書「
都鄙問答」では、当時の儒学者には常識だった
商人への偏見(商人はどん欲で、常日頃人をだまして利益を得るのを仕事にしている)を取り上げて、取引はみんなのトク、商行為は善行と論破している
・石田梅岩は、「商人は正直に思われ、
警戒心をもたれないときに成功する」と言って、いたるところで「正直」を説いている
・石田梅岩の「
斉家論」では、正直が行われれば世間が一同に和合する。つまり、
えこひいきはいけないと言っている。「都鄙問答」では、武士がお礼のお金を受け取って事を取り計らうことは、必ずえこひいきの処置を取ることになるからいけないと言っている
・「人は貴賎に限らずことごとく天の霊なり。貧窮の人といえども、一人飢えるときは、直に天の霊を絶つに同じ」という「人権宣言」のような梅岩の救貧主張は、すべての個人を尊重する
人間観。同胞だから助けるというような身内集団原理の
救貧観とは違う
・梅岩死後、その思想を引き継ぐ「
心学」教団は急速に膨れ上がり、江戸にも普及しはじめる。しかし、武士階級にも普及した心学は商人のための教義の側面が薄れ、封建体制の
御用学問の側面が強くなり、この繁栄が凋落の原因になってしまった
・「
持下り商い」と呼ばれる、上方と帰途地方の行商からスタートした近江商人は、蝦夷地から清国までの物産を商う「
諸国産物廻し」と呼ばれる大事業に発展した
・近江商人は、江戸時代、先進的な経営手法を独自に開発。1746年には、すでに使われていた「複式簿記」。盛んに行われていた共同出資方式の会社事業「
乗合商い」。近江で雇用した丁稚を各地に配置し、数年おきに里帰りさせ、勤務評定に応じ出世させて全国に送り出す「
在所登り制度」など
・「わがままな当主は解任」といった石田梅岩の商家用モデル家訓もルールとして規定され、近江商人の商家は、
強制隠居制度が家訓の中に明文化されているケースが多い
・近江商人には、浄土真宗の敬虔な信者が際立って多い。近江商人特有の性格を形成するにあたって、浄土真宗の教義が影響を与えたことは間違いない
・浄土真宗の「
絶対他力」の思想は、極度な個人主義。僧侶に読経してもらっても救われない。個人が直接弥陀の本願にすがる他ない。誰も頼りにできない心理的孤立である。この個人主義から、自分の運命は自分で開拓する「
独立不羈」の精神が生まれた
・藩ごとの自給自足が望ましい時代において、蓄えた金を藩外に持ち出す近江商人は「
近江泥棒、
伊勢乞食」という有名な悪口の中で、周囲に信用を築き、広げていかなければならなかった
・伊藤忠の元祖、
伊藤忠兵衛の言葉「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの。
利真於勤(利は勤むるに於いて真なり)」は、近江商人の思想を総括する
・近江商人は、身内集団としての甘えも温情も義理も期待できなかった。身持ちを正しくし、親切を重ねなければならないので、地元に安易に同化せず、強烈な他国者意識を持ち続けることを心がけたと言う
・ふとんの西川の西川家の家訓には、「
好富施其徳」という言葉がある。富を得たらそれに見合った社会貢献をせよという意味
・
江戸商人道には、自立した誠実心(集団の監視が届かないところでも、他者に対して協力的に振る舞う)分け隔てない公正(悪い奴がいても、個人の属性とみなし、所属集団のせいにしない)ウィン・ウィンの信頼(他者に対して協力すれば自分にとってもトク)の精神が読み取れる
・住友家の祖、
住友政友は「謀計は眼前の利潤たりといえども、必ず神明の罰に当る。正直は一旦の依怙に非ずといえども終には日月の憐を蒙る」つまり、約束より多く受け取ったらその分は正直に返せと言っている
・身内集団の固まりのように思われる武士にしても、上位者への絶対忠誠を掲げる「武士道」にまで純化したのは、本物の戦争がなくなった江戸時代に入ってから
・江戸時代初期の
鈴木正三著「
万民徳用」には、石田梅岩や近江真宗同様、特別の修行や加持祈祷ではなく、働くことそれ自体を仏教修行とみなす叙述が随所に見られる
・
薩長土肥の下級武士の身内集団原理の道徳観を、明治政府は義務教育で「
修身」として全国民に押しつけていった。武士階級という人口の7%の身分の道徳を、商工業者を含むすべての職業の子供たちに植えつけていった
・資本主義経済という逸脱を許さず、大義名分たる国家身内共同体の原理を貫き通そうという志向、これが軍国主義をもたらした力学だった
・敗戦になったとたん、本土決戦用にと国民から寄付させた貴金属などの物資は、7割が地位の高い
軍人に略奪されて消え、残りの3割(当時の価値で1000億円)も占領軍の指示で財閥系企業代表5人に処分を委託したところ、これも跡形もなく消えうせた。
武士道を押し付けた者ほど、私利私欲に走り、陰湿悪質化した
・経済の市場化を是認するのなら、倫理観は開放個人主義的なものに転換しなければならない。身内集団倫理を変えることができないなら、市場化改革もやめ、従来の身内集団的システムを復活させるべき
・戦後の日本人は、世界中で頭を下げて、世界のお役に立つことで、焼け野原から今日の豊かさを築いた。世界中でヒト様の暮らしを少しでもよくすることだけを考え、そうすれば必ず報われると信じて頑張ってきて成功した。これこそ「商人」である。「
商人国家」で何が悪い。誇らしいことである。
どうでしたか?商人国家の素晴らしさがわかってもらえたでしょうか?
世界を相手に商売されている方なら、「商人道」と「武士道」の本質的な違いがわかるのではないでしょうか。
少し難解かもしれませんが、商人として生き、
商人の誇りを持つためには、是非読んでほしい1冊です。