とは学

「・・・とは」の哲学

反グローバル的グローバル主義2~日本人の特徴~

上海近郊・朱家角の風景/photo by福家金蔵
ところで、この「変」な日本人の特徴とは、何でしょうか?私なりに感じていることは、

1.経済的に豊かになったのに、いまだに集団間で激しい競争をしている
2.ファミリー(派閥)を形成するのが好きで、そこから外れた人をいじめ、異質の才能を認めようとしない
3.自分と違う人を認めることで成立する民主主義が、先進国なのに根付かない

4.トップに、未来を考えたシステマティックな戦略がなく、行き当たりばったりの判断がいつも下されている
5.グループの中で、見栄の張り合いっこをして、いい格好をしたがる

6.宗教心はほとんどないが、「恥」の文化のおかげで、なんとか欲望を抑制できている
7.経済的な自立を目指そうとせず、組織に属したままの人が多い
8.マスコミ、官僚、政治家が公僕としての意識やエリートとしての使命感に欠けている

9.正しい金銭教育がなされておらず、カネを口にするのはまだまだ卑しく思われている
10.庶民レベルでも、モノには異常にこだわるし、品質面で非常にうるさい

といったところです。この「変」なおかげで、北アジアの小国が経済的に豊かになったとも言えます。狭い視野の「変」な日本民族は作り手と買い手が一体となって、こだわりの逸品を生み続けているように思います。

庶民レベルで、商品に対して、非常に細かいレベルまで要求するのは日本人だけではないでしょうか。パナソニック、キャノン、トヨタ、任天堂のような一流メーカーの商品だけではありません。

果物(おいしい桃、甘いスイカ、ジューシーなリンゴなど)や紙製品(カラフルな包装用紙、きれいな印刷物、すべすべの衛生紙など)といった日本では、むしろ遅れていると思われている産業の製品が、高級品として、今後、ますます中国のお金持ち層に受け容れられていくのではないでしょうか。

日本は、グローバル資本主義が最終的に到達する金融ビジネスに目もくれず、各国から馬鹿にされても、ひたすら「ものづくり」に専念することで、世界の中で存在感を示していくのが妥当のように思います。

中国人は、結構、欧米人と同じような考え方をしています。それは、アジア人というよりか、大陸人として、そうなったのかもしれません。中国は、グローバル主義が肌に合う国のように感じました。

日本人は、アジア人で島国人です。欧米人で大陸人の国々とは、大きくかけ離れていて当然です。

この「変」な日本人の特徴は、一朝一夕に変わるものではありません。賢くなって、欧米流(グローバル主義)に合わせていくことが、逆に日本を衰退させていくのではないでしょうか。


反グローバル的グローバル主義1~変な日本~に もどる

[ 2009/05/31 08:33 ] 何でも話 | TB(0) | CM(0)

反グローバル的グローバル主義1~変な日本~

上海雑技団劇場/photo by福家金蔵
数年前、上海に行きました。4日間だけでしたが、地下鉄、タクシー、公共バスを利用して、繁華街、観光地、スラム街、田舎町を歩き、デパート、市場、問屋街、レストラン、場末の食堂、劇場に入り、そこに住んでいる庶民の活気と息吹に触れながら、上海を自分なりに、体感してきました。

その時、今後、アジアの中心は上海になるなと感じました。経済発展しているというだけではなく、地球儀を見れば、上海は地政学的に見てもアジアの中心です。日本は、大陸から離れた辺境の地です。

上海は、超高層ビルの数も、世界第4位になっています。(ニューヨーク、香港、シカゴに次ぐ)上海は地震がないとはいえ、この15年間の建設ラッシュは、異常なスピードです。

約1900万人の人口ですが、中心部から、20~30㎞離れると、まだまだ田畑だらけでした。山一つ見えない、未開発の平野部です。日本と違って、平野部が延々と続きます。交通網などの社会資本の整備が進行すれば、更に、発展していくと思いました。

日本に帰ってきて、まず感じたのは、人の少なさと人の精気のなさでした。繁華街でも、人がまばらなように感じられました。こんな感覚になったのは初めてです。さらに、道行く人々の目がうつろのようにも感じられました。

このような、発展する上海、発展する中国と今後どういう付き合い方をしていくかが、日本の大きな課題になります。今、大多数の日本人は、中国人を正当に評価していないように感じます。それは、中国製の商品を見て、中国をそう思っているだけのことです。

逆に、大多数の中国人は、日本人を羨望と嫉妬の眼で見ています。それは、日本製の商品を見て、日本をそう思っているだけのことです。

商品だけでなく、大きな意味での、政治力、経済力、軍事力、外交力、教育レベル、人口、国土面積などを総合して見ると、20年後には、日本人は中国人からバカにされるように思います。

「北アジアの小国の変人」と思われる時代が確実にやってきます。これから先、中国人に少しでもバカにされないためには、日本はどうすべきなのでしょうか。

私の考えは、不思議に思われるかもしれませんが、「今の体制を変えないことにある」と思います。頑なに、精神面でのグローバル化を防いでいくことが大事なように思います。

グローバル主義を唱える人の言うことを、「つまらん!お前の言うことは、つまらん!」と、商品以外のもの(考え方、思想、システム、制度、体系など)が日本に入ってくるのを徹底的に拒否したらいいと思います。

反グローバル化が、本当の意味での日本のグローバル化を進めていくのではないでしょうか。

世界をいろいろ回れば、日本が変な国、日本人が変な民族であることがわかります。でもこの「変」が逆に長所になっています。「変」を変えてはいけないと思います。「変」だからこそ、日本という国の存在意義があります。

中国が発展すればするほど、ますます、日本の変が大事になるように思いました。中国、アメリカと同じ土俵で相撲を取っては負けるに決まっています。


反グローバル的グローバル主義2~日本人の特徴~へ つづく

[ 2009/05/29 08:25 ] 何でも話 | TB(0) | CM(1)

若く見える人2~なんでだろう?研究心~

ミュシャ/サロン・デ・サン/POST CARD
大人になるにつれ、

「そんなこと考えても仕方ない」
「役に立たないこと、勉強して何になるの?」
「そんなの知って何の意味があるの?」

といったことを言い始めます。

そして、「真理の探究」にあまり価値を見出さず、

「楽しかった」「気持ちよかった」「おもしろかった」
「おいしかった」「くつろげた」「興奮した」

などの「快楽の追求」にお金を使おうとします。しかし、快楽にお金を使っても、一瞬で終わることがほとんどです。

以前、足マッサージに行ったのですが、気持ちよかったのは、マッサージをしてもらった後、3時間ぐらいだけでした。

3時間経つと、軽やかだった足も次第に重たくなり、いつもと変わらないようになってしまいました。

このマッサージも立ち仕事をして、足が棒になりがちな方たちを除けば、「快楽の追求」ではないかと感じました。

快楽の追求のほとんどは「現実からの逃避」です。酒、たばこ、パチンコ、カラオケ、風呂、グルメなども同様で、それらにお金を使っても、一時的な快感で終わってしまいます。

しかし、現実から逃げてしまいたい人が多いのか、巷では、この快楽主義者へのビジネスが大繁盛です。

人間の欲望に忠実に応えて、商品やサービスを提供すると、ビジネスとして成功します。しかし、消費者として、この欲望の提供者の言いなりになってしまうと、人間としての機能が退化し、向上心も失せて、老化のスピードが進んでしまうように思います。

前回、若く見える人は、子供の気持ちを失っていない人と書きました。

それならば、美容法、化粧法、体の運動法などで、カラダをシェイプアップするより、好奇心研究心を持ち続けて、脳をシェイプアップすることの方が重要なように思います。

人の話を聞いたり、本を読んだり、街を歩いたり、ネットで新しい情報に触れたりして、実用性のないムダな知識であっても、どんどん吸収していけば、脳のシェイプアップが可能です。

何これ!」の好奇心と「なんでだろう?」の研究心がなくなってきて、解明、解決、究明、探究、発見するのが億劫になったとき、老化が始まっているのかもしれません。

若さを保つには、脳のお手入れを怠らないようにしたいものです。


若く見える人1~何これ!好奇心~に もどる

[ 2009/05/28 07:22 ] お金の話 | TB(0) | CM(0)

若く見える人1~何これ!好奇心~

アンリ・ルソー/イヴリー河岸/ブリヂストン美術館/POST CARD
子供が小さかった頃、よく動物園に行っていました。子供たちは、好奇心旺盛で、好きな動物の前では、立ち止まり、離れようとしません。

そして、「フラミンゴの体は何で赤いの?」「ゾウの体重は何㎏あるの?」「パンダは何で白と黒なの?」「白クマは、体が大きいのに、何で泳げるの?」など、いろいろ訊いてきます。

一方、入園者の中では、いつものことながら、人気動物の前で、「カワイイ」「スゲ~」「デッカ」「キャ~」とか言って、写真を撮っている人たちも多く見受けられました。日本の観光地でよく見る光景です。

その当時、ほとんどの動物を見て回った後は、動物園内にある動物資料館に、よく立ち寄っていました。

動物資料館では、「動物が何を食べているのか?」「冬の森の中の動物はどうしているのか?」「速く走る動物は?」などを、面白く、分かりやすく、工夫を凝らして展示しています。

また、動物の骨格展示、猿と人間の進化に関する展示など、頑張っているのですが、この資料館は、いつも人が入っていませんでした。

そこにいるのは、真面目そうな家族連れの姿だけです。先ほどの「カワイイ~」「スゲ~」「デッカ」「キャ~」を連発するような人たちが全くいないのです。

動物園の中なのに、ここだけが別世界という感じでした。この空気の違いは何なのでしょうか?

子供は、誰でも好奇心旺盛で、「何これ?」「何で?」「どうして?」「なぜ?」などの質問を繰り返します。要するに、「真理の探究」の勉強が大好きです。

一方、子供は、遊ぶのも大好きです。乗り物に乗り、遊具やゲームで、時間を忘れて遊び、一日中、はしゃいでいます。つまり、「快楽の追求」も大好きです。

ところが、一般的に、人は年をとるとともに、「真理の探究」の気持ちが失せていき、「快楽の追求」に気持ちが傾きかけてきます。

この「快楽の追求」に気持ちが傾きかけた大人が、「真理の探究」の場である資料館に足を運ぶのが億劫になっていたのではないでしょうか。

ところで、大人になっても、子供のように、「何これ?」「何で?」「どうして?」「なぜ?」と訊いてくる人がいます。この人たちは、子供の時の好奇心を失っていません。子供のような眼をしています。

今まで会った人の中で、実際の年より、若く見える人は、ほとんどが、この好奇心旺盛な人だったように思います。

考えてみたら、子供の気持ちを失っていない人が、若く見えるのは、当然なのかもしれません。


若く見える人2~なんでだろう?研究心~へ つづく

[ 2009/05/27 08:20 ] お金の話 | TB(0) | CM(0)

時間の流れ3~商品サイクル~

上海外灘夜景/photo by福家金蔵
この「チョロ・ドカーン・サー」を商品サイクルとして見ると、

チョロ」は、少しだけ仕入れて売る段階です。

売れるか売れないかまだ判断しかねても、すぐに、「チョロ」っと、商品を仕入れます。仕入れた商品を誰よりも早く、店頭に並べ、その売れ行き状況を観察します。

ドカーン」は、大量に仕入れて売る段階です。

その商品が売れ始めるやいなや、勇気を出して、「ドカーン」と注文して、商品を押さえ、他店に流れるのを防ぎ、独占販売状態にしてしまいます。そして、取った商品が速く売れるよう努力します。

サー」は、仕入れるのをやめ、売り切る段階です。

しばらくして、その商品が、他店でも扱い始めたら、追加仕入を一切やめて、在庫をきれいになくし、「サー」とやめてしまいます。誰もがその商品を扱い始めた時、大体、流行は去っていきます。

このような行動がとれたら、高値で売って、不良在庫も抱えず、しっかり儲けることができます。こういった「商品サイクル」の感覚を磨くことが商売において、とっても大事です。

「今、どの時期なのか?」
「その時期に、どういう行動をとることがベストなのか?」
という視点で、すべての事象を時間の流れで考える癖づけをすることが基本ではないでしょうか。

最近、商売を上手にする上で、一番大事なのは、5W1Hの中では、WHEN(いつ)ではないかと考えています。

他の
・WHERE(どこで)
・WHO(誰が)
・WHAT(何を)
・WHY(どんな目的で)
・HOW(どのように)
は、情報化社会では、簡単に調べて、手に入れることが可能です。

しかし、それらを実行に移すタイミングや上手にやめるタイミングは、自問自答して、自分でその時を決めないといけません。

WHENは意外と難しいのです。時系列に状況を判断して、最適のタイミングで決断実行できる人は、そうざらにいません。

でも、これができない人は、リーダーとして失格です。先送りが好きな人が、リーダーをやっているようでは、その組織は、発展していかないものです。

このような困ったリーダーがいれば、大きな組織であっても、「盛者必衰」が早く訪れてしまうのではないでしょうか。


時間の流れ1~盛者必衰の理~に もどる

[ 2009/05/26 07:46 ] 出世の話 | TB(0) | CM(0)

時間の流れ2~青春・朱夏・白秋・玄冬~

佐伯祐三/モランの寺/東京国立近代美術館/POST CARD
このタイムサイクルの考え方で、商売を大きく捉えると、どうなるのでしょうか?

需要と供給の関係は、一般的に、

青春期は、 需要↑ 供給→
朱夏期は、 需要↑ 供給↑
白秋期は、 需要→ 供給↑
玄冬期は、 需要→ 供給→

というようになります。

これに対して、生産(つくる側)と販売(売る側)の体制は、どう変えていけばいいのでしょうか?

売る側は、

・青春期には、「商品の確保、大量仕入」
・朱夏期には、「品揃え追求、多種仕入」
・白秋期には、「売れ筋追求、安価仕入」
・玄冬期には、「死に筋カット、多頻度仕入」

という行動をとるのがいいかもしれません。したがって、つくる側は、売る側の行動に合わす必要に迫られます。

このように、それぞれの時期に、最適な行動をとったところが、生き残り、最終的に勝者となるのだと思います。

しかし、理屈では分かっていても、人間の頭は、そう簡単にスイッチを切り替えられません。決断するタイミングは本当に難しいものです。

今、例に出しましたのは、大きな時間の流れ時流)です。したがって、大きな決断をすることはあっても、決断の回数は少ないのです。

では、小さな決断を、毎日のようにしなければならない、もっと身近な、小さな時間の流れ流行)に対して、どう対処すべきなのでしょうか。

このような場合、何か、判断する基準を自分に持っていないと、悩んでばかりいることになります。この流行のタイムサイクルに対処する方法の一つに、「チョロ・ドカーン・サー」という基準が考えられます。


時間の流れ3~商品サイクル~へ つづく

[ 2009/05/25 07:17 ] 出世の話 | TB(0) | CM(0)