とは学

「・・・とは」の哲学

ムリムダムラ、離見の見(2)

多くの中小企業を見て回っての感想ですが、日本では、この「管理する人」の役職はあっても、「管理する人」になっていません。実際は、「作業する人」になっている場合が多いと思います。

大企業でも、俗に言うホワイトカラー職において、「管理する人」がムリムダムラをなくす管理をほとんど実行できていないように感じます。

会社組織の中で、「管理する人」は、次のようなことだけに専念したいものです。

1.経営数値を頭に入れる
2.現場・客・従業員・商品を観察する
3.この経営数値との因果関係を考える

4.カイゼンすべき課題を発見する
5.やるべき課題に重要度、緊急度の優先順位をつける

6.「作業する人」に課題を指示する
7.「作業する人」のスケジュールを決めて実行させる
8..「作業する人」が指示どおりに出来ない場合、やり方を教育する

ところが、大抵の場合は、「管理する人」が、現場に埋没してしまい、直接作業をしてしまっています。

これでは、
何のために、分業しているのか分かりません。
何のために、「管理する人」の役職に対する「高い給料」が払われているのか分かりません。

日本人には、「職人を尊ぶ」精神的背景はあるのですが、「リーダーを尊ぶ」精神的背景は希薄です。したがって、義務教育においても、マネジメントが余り教えられていません。

ほとんどの学生は、マネジメントについて知らないまま、社会人になってしまいます。ということは、「管理する人」になってもらうためには、会社が、マネジメントを教えなければいけなくなります。

しかし、それほど難しく考える必要もないように思います。ひたすら、この(1)から(8)を繰り返すことだけをやればいいと思います。それさえ出来れば、十分に「管理する人」になれます。これが、基本中の基本です。

以上のことを箇条書きに要約しますと、次のようになります。

1.ムリムダムラを省き、効率よく仕事をしなければならない
2.「今すぐ」ムリムダムラを省くには、「離見の見」が必要である
3.この「離見の見」ができない場合は、組織をつくり、「管理する人」と「作業する人」に分業するしかない
4.「管理する人」は、管理する手法の基本を身につける必要がある

日本人は、皆、一生懸命に働いているのに、先進国の中で、労働生産性が低いと言われるのは、「管理する人」が本当の管理できていないからだと思います。「管理する人」が管理を出来ない限り、ムリムダムラという言葉は、あと70年たっても、残っているのではないでしょうか。


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[ 2008/12/31 08:51 ] 出世の話 | TB(0) | CM(0)

ムリムダムラ、離見の見(1)

商人経/上野陽一/photo by 福家金蔵
半分趣味なのですが、私は、戦前の商売に関する本を収集しています。
「商売の本質とは何だろうか?」
「今、話していることは、本当に間違いのないのだろうか?」
それらを確認する方法として、いつしか古本屋巡りをするようになりました。

手に取った古本に書かれている言葉を見ては、
「自分の考えは間違っていないんだ」
と自信の拠り所にしてきました。

しかしながら、一目で見て、わかりやすい、いい古本には、なかなか巡りあいません。大抵の本は、「一代繁盛記」や「老舗の家訓」のようなものです。

「一代繁盛記」は、体験談としては面白いのですが、体系的にまとまっていません。
「老舗の家訓」は、本質的な面は素晴らしいのですが、具体的な商売ノウハウの記述に欠けています。

そんな中で、唯一のお気に入りの本が、「商人経」(著者:上野陽一、昭和12年實業之日本社発行)という本です。

後で、調べて分かったのですが、著者は、産業能率大学の創始者です。昔の経営コンサルタントのような存在です。その本の中に、「ムリムダムラ」という記述が度々出てきます。

この「ムリムダムラ」という言葉は、最近の言葉かと思っていたのですが、70年前に、既に使われていたので、驚きました。つまり、ムリムダムラをなくすということは、今も昔も変わらない課題のようです。

ムリムダムラをなくすことは、本当に難しいことです。感情や私見が入ったりすると、目が曇ってしまいます。客観的、合理的に判断して、行動しない限り、ムリムダムラは生じてしまいます。

この客観的、合理的に判断する手段として、一般的に、データベース化といった方法があります。この方法を使うと、とりあえず、ムリムダムラの削減に役立ちます。

しかし、データベース化は、後々において、客観的に合理的に判断する材料として、有効ですが、「今」「現在」において、判断する手段にはなりません。あくまで、「過去」を判断する材料なのです。

それでは、「現在」を客観的、合理的に判断する手法はないのでしょうか?

それは、室町時代の世阿弥が書いている
離見の見
<舞台に上がって演技をしている自分の他に観客席から、その演技を見ている、もう一人の自分をつくらないと演技力は向上しないということを説いた言葉>
がヒントだと思います。

「もう一人の自分をつくる」ことができれば、ムリムダムラのほとんどは解消できます。ところが、もう一人の自分をつくるという「一人二役」は、現場で作業していると、そうしようと強く願っていてもなかなかできるものではありません。

したがって、そのためには、「作業する人」と、「もう一人の自分役」である「管理する人」を分ける組織をつくっていくしかありません。


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[ 2008/12/30 09:17 ] 出世の話 | TB(0) | CM(0)

すっきり暮らす「素敵な暮らし」(2)

今から20年前に、アメリカの流通業を視察した時、不思議なことに気付きました。高級住宅地に近いスーパーの来店客は、「スリムな人が多い」のです。逆に、スラム街に近いスーパーの来店客は、「肥えている人が多い」のです。

その当時から、アメリカの食品は、驚くほど安かったのです。例えば、オレンジジュースが1リットル約30円、コーラが500CCで約30円、おいしそうな牛肉が100gで100円しなかったと思います。

こんなに、物価が安いと、裕福でない人でも肥えてしまうと思ったものでした。

およそ10年前、ベトナムの企業視察に行った時、会社を訪問して、出会った経営者たちはほとんど肥えていました。その逆に、従業員は、ほとんどガリガリでした。

2年前、再度ハノイを訪れた時、現地の人に、「おいしい店を教えてくれませんか?」と尋ねたら、「ベトナムでは、店主が肥えていたら、おいしいよ」との答えが返ってきました。
「繁盛して、儲かっている店ほど裕福だからよく肥える」とのこと。ベトナムは、10年前と状況は変わっていませんでした。

本来は、このベトナムの例のように、「お金持ち」=「肥えている」という図式が当てはまるのが普通だと思います。ところが、先進国では、GDPアップ→平均所得アップ→通貨高→デフレとなり、何でも安く手に入るようになると、この図式が崩れていきます。

さらに、競争社会アメリカのようになると(今の日本も同じ道を辿っていますが・・・)、「お金持ち」=「スリム」という図式に変化していくのだと思います。

欧米では、「肥えている人は、管理職になりにくい」と言われます。欲望をコントロールし、自己管理ができない人は、出世競争に勝ち抜けないというのが、この意味するところだと思います。

今、話しているのは、「肥えているか?スリムか?」というカラダについてのことですが、これを、家のモノの数に置き換えたらどうなるでしょうか?

食品だけでなく、様々な商品が安くなってしまいました。100円均一ショップに行くと、思わず、要らないものまで買ってしまいます。

これは、つまみ食いをして、食べ物を必要以上に、摂取していることと同じことにならないでしょうか?つまり、自宅がモノだらけになれば、カラダと同様、「家が肥えてしまった」状態と言えなくはないでしょうか?

これからは、家がモノだらけになっている人は、「自己管理ができない人」とレッテルを貼られても仕方ないのかもしれません。そして、「お金持ち」=「モノが少ない」という図式になっていくのかもしれません。

いずれにせよ、「すっきり暮らす」ということは、勇気と自己管理能力がないと実現できない、結構大変なことなのではないでしょうか?

それだけに、これを目標とすることは悪くはないと感じるのですが・・・


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[ 2008/12/29 11:40 ] お金の話 | TB(0) | CM(0)

すっきり暮らす「素敵な暮らし」(1)

藤田嗣治/ドルドーニュの家/ブリヂストン美術館/POST CARD
私の大学時代の友人で、大学の卒業アルバムを捨てた者がいます。別に、OBであることがイヤで捨てたわけではありません。

その捨てた理由は、
1.重くてかさばる
2.この10年間、1回も開けたことがなかった
3. 卒業アルバムくらいに執着しているような、ちっぽけな人間になりたくなかった
ことのようですが、思わず「お見事!座布団3枚!」と叫んでしまいました。

すると、彼に、「座布団もすぐに捨てたい!」と言い返されてしまいました。人間、一番捨てにくいのは、写真です。他のモノは、思い出の品であっても、代用の新しいモノに買い換えることができますが、自分の昔の写真は、一度捨てると、もう元に戻ってきません。これを捨てることができたのですから、「あっぱれ!」と言うしかありません。

整理整頓・清掃清潔の章でも、書いたのですが、「掃く」「拭く」「磨く」で、キレイにピカピカにしようとすると、要らないものをまず「整理」し、捨てないといけません。この「捨てる」行為がなかなかできないのです。とりあえず保管する場所があると、「まあいいか」と妥協し、先送りにしてしまいます。

「捨てる」ことがどうしてもできない人は明確に期間(1年、3年、10年)を決めて、見なかった、使わなかったものを感情の入らない、第三者に捨ててもらうしかありません。

今から13年前、阪神淡路大震災の被害に遭い、自宅は半壊になりました。所有するモノがいっぱい壊れ、(お気に入りで、よく使うモノほど壊れ、お気に入りでない、使わないモノほど、箱に保管しているので、壊れず残るのですが・・・)相当モノを捨てました。

自宅を2週間以上かけて、家族全員で大掃除し、いたんだ箇所を応急処置でリフォームして、一応キレイになった時、なぜか、すがすがしい気分になりました。「明日から、よしやるぞ!」という気持ちになったのを覚えています。

あれから13年もたつと、再び、家にモノがあふれ返ってきています。あの時の「すっきりとした空間」が懐かしく思えてきます。

もし、「今、何が一番欲しいですか?」と質問されたら、私は、「すっきりとした空間」と答えると思います。この「すっきりした家」で「すっきり暮らす」ことが夢です。これが、一番贅沢ではないかと思うようになってきました。

本当は、新しい家を建てて、今あるモノを、引越しを契機に、きれいさっぱり捨ててしまいたいのですが、諸般の事情で、それができません。したがって、理想の「素敵な暮らし」を目指すには、最低限必要なモノ以外は、捨てるしかありません。

また、この「素敵な暮らし」をずっと維持しようとしたら、新たに、モノを買ってはいけないことになります。これも大変なことです。ということは、次の二点に集約されると思います。

1.モノを捨てる
2.モノを買わない

つまり、家の中にあるモノの点数を少なくしないと、「素敵な暮らし」は実現できません。モノを買わないというのも、勇気のいることです。今、会社に

7年前に買った携帯電話を持ち、
10年前に買った靴を履き、
15年前に買った自動車に乗って、
20年前に買ったカバンを持ち、
25年前に買った腕時計をして、

通勤している人がいるとしたら立派です。どうしても、世間体が気になり、モノを買ってしまいます。しかも、デフレ時代を経て、モノが安くなってしまいました。モノを買う誘惑に負けないためには、強靭な意志力が必要です。


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[ 2008/12/28 11:28 ] お金の話 | TB(0) | CM(0)

偽物の見分け方、本物の見分け方(3)

偽物の見分け方<その2>は、

初めに、本物をじっくり見て、それに触れることだと思います。そうすると、価値基準の目が養われ、偽物を偽物と見破ることができます。

次に、もっと大きな視点で、本物と偽物について、考えてみたいと思います。

ある意味において、「本物」であっても、それが不当な価格なら、「偽物」と言えないでしょうか?そういう考えをすれば、先ほどのロレックスは、1000円なら「偽物」ですが、100円なら「本物?」なのかもしれません。

世の中には、価格相応という観点でいけば、「本物」であっても「偽物?」が蔓延しています。

本物のブランド品とは、丈夫な「素材」、過酷な環境に耐える「製法」に飽きのこない「デザイン」が伴ったものです。このようなものなら、ブランド品としてOKなのですが、ブランドという「記号」を意図的に操り、商品価値がわからない客を少し騙そうと企んでいる場合もあります。

騙される方が、「その時点」で、満足して買っているので、口を挟みにくいのですが、「その後」の満足が提供できないものは、やはり「本物」と言えないと思うのです。

「その後」の満足を提供できて、価格相応の商品は、大抵の場合、ロングセラーになっています。このロングセラー商品を選ぶことが味噌だと思います。

偽物の見分け方<その3>は、

ずっと売れ続けているロングセラーを選ぶことだと思います。飽きのこない、ベーシックな定番アイテムは、世の中に多く出回ってもいますが、それだけ愛され続けている証拠です。

このロングセラーを買うことが、お買い得であり、偽物を見分ける上でも、無難です。その気になって、ネットで検索すれば、基本の売れ筋商品(ロングセラー)なら、偽物を判断できるページを探し出すこともできます。

このように、皆がよく見て、知っているロングセラー商品なら、買う方も騙されにくいし、売る方も騙しにくいのではないでしょうか?

以上、偽物の見分け方について述べましたが、これを裏返すと、本物の見分け方にもなります。本物とは、

それ以外の部分も本物である」
「偽物にない気品がある
ベーシックで、ずっと愛され続けている」

ということではないでしょうか?

物を者にして(商品を人物に置き変えて)も同じことが言えるのでしょうか?


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[ 2008/12/27 10:04 ] お金の話 | TB(0) | CM(0)

偽物の見分け方、本物の見分け方(2)

以前、古伊万里収集家のお家を訪ねたことがあります。興味が少しあることを話したら、実際に、本物に触れさせていただけることになりました。

その方の収集品は、大手出版社が「古伊万里の写真集」を出す時に、撮影依頼が来たほどのものです。実際に、その写真集には、その方の所蔵品の写真と、名前(○○△△氏所蔵品)が記載されています。

その写真集に出ている実物を最初に持たせてくれました(素手ではなく、白い手袋をはめたのですが)。少し緊張し、手が震えましたが、その感触を楽しめました。

古伊万里についての詳しい知識などありませんが、何とも言えない「まろみ」と、楚々とした「気品」を持ち合せた作品であることはわかりました。

その時、
これ、いくらだと思いますか?
ときかれました。

突然のことで、戸惑ってしまいましたが、茶碗のような大きさなので、よくて500万円かと値踏みし、その方を喜ばしてあげようという心遣いも含め、
700万円くらいですか?
と答えました。

すると、
これは、1300万円なんですよ
と言われてしまいました。

その場は、
見る目がないので、失礼しました
と取り繕うしかありませんでした。

さらに、次の所蔵品を持たせてくれました。その感触を確かめている時、また、
これ、いくらだと思いますか?
と尋ねられました。

前の作品が1300万円だとすると、これは、それほどではないなと思い、サイズが小さいことも考えて、
200万円くらいですか?
と答えました。

すると、
これは、150万円なんです
と言われました。

またさらに、次の所蔵品も持たせてくれました。同様に、
これ、いくらだと思いますか?
ときかれました。

前の2作品の値段が頭の中に入っていましたので、
70万円ですか?
と、すんなり答えますと、

これは、80万円です。当たってきましたねえ
と言われました。

古伊万里のことなど、全く知らなかったのに、初めに「いい作品」に触れると、
「いい」か「普通か」の検討がつき、ある程度値踏みすることができるようになったのです。


偽物の見分け方、本物の見分け方(3)へ つづく

[ 2008/12/26 18:23 ] お金の話 | TB(0) | CM(0)