アルボムッレ・スマナサーラ氏の本を紹介するのは、「
やさしいって、どういうこと?」に次ぎ、これで6冊目になります。
著者は、ブッダの教えを忠実に守る、初期仏教の長老です。本来の仏教を学ぶのに、非常にためになります。
私のような人が多いのか、最近、スマナサーラ氏の出版する本が、書店の売れ筋ランキングの上位に登場するようになってきました。
この本は、スマナサーラ氏の著作の中でも、かなり難解な部類に入ると思います。お盆を迎える季節にあたり、ブッダが説く仏教では、死後をどう考えているのかを知りたくて、時間をかけて読みました。
参考になった箇所が30ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
・
死後の世界は、あるとも言えないし、ないとも言えない。明確に言うと、亡くなったら、そのあと、命が続くのか、続かないのか、わからないということ
・死後があろうがなかろうが、「どのように生きているか?自分の人生にどのくらいの
点数をつけられるか?」ということ。このポイントさえ気をつけていれば、死後の世界があっても、なくても心配無用
・仏教では、よく仕事をするとか、家族の面倒をみているか云々とは、違う観点で評価をする。生き方について、どういう態度を持っているか、つまり、「
心の持ち方」を問題にする
・どんな宗教も死後の世界を認めている。ただ、「
死にたくない」という人間の希望を、「死んでも生まれ変わる」という願望で置き換えただけのこと
・仏教は輪廻転生を信じる人だけが対象ということでもない。自分の人生を体験すると、「すべては苦である」とわかる。それが理解できれば、最終的に
涅槃を得られるから、輪廻を証明することに、それほど力を入れていない
・瞑想によって、集中力を育てることで、自分の
過去世を見る能力がつく。しかし、その過去世は逃げ出したくなるほど恐怖に満ちていることがわかる。本当のところ、過去世とは、絶対に見たくないほど怖いもの
・私たちは、さまざまな失敗をして、ひどい目にあって、無始なる過去から輪廻してきた。どこから輪廻してきたのか調べてもキリがない。釈迦も「
輪廻に始め無し」と言っている
・私たちの感情は
生滅変化している。つまり、一つの心が消えなければ、新しい心は生れてこない。妄想するときも、さまざまなことを同時に妄想することはできない
・高熱を出したり、意識不明になって、
前後不覚になったら、支離滅裂なことをしゃべってしまったり、いろんな幻覚が見えたりする。そんなとき、自己コントロールできずに、くだらないことやおかしなことを考えているならば、来世が心配
・「常によいことを考える」「慈悲の心を持つ」こと。怒りや嫉妬の感情は毒であるので、明るくポジティブな考え方、生命を愛する考え方、
善行為を喜ぶ考え方を習慣づけること。そうなれば、死後は怖くなく、次の生まれは心配ない
・
臨死体験なんてものは大したことはない。体が弱くなると、心は勝手に妄想する。いままで妄想してきた癖によって、妄想するだけ。その人が実在感を抱いている世界が、その通りの現象として現れる
・初期仏教の世界では、人が死にかけている時に、坊さんが訪ねるのはごく普通。死ぬのだから、
最後の心の状態を清らかな立派な状態にしてあげようとする。最後にできる親孝行とは、親が亡くなってから、天界やよい境遇に生まれ変われるように計ってあげること
・「立派な身体」をつくろうとしても、来世のために役に立たない。「
立派な心」をつくることが一番大事。年をとれば醜くなってしまうので、いつでも明るく、素晴らしい、上品な、品格のある心を持たなければならない
・「生きていてよかった」ではなく、「生きていたことによって、さまざまな素晴らしい善行為ができました」「立派な人間として生きることができました」と、そういう満足感で亡くなったら、善いところに行く
・知識に優れていても、あり余る財産を持っていても、心が汚れているならば、その人の人生は何の価値もない。
清らかな心を作ることこそ、生命にとって唯一の財産になる
・人が行っているすべての行為は、ただ
生きるためか、生きることを
楽しむためか、に限られる。死ぬ時、これらは何の意味もない。生きるため、楽しむためという目的を超えて、人は清らかな心を作るため、人格を向上させるために善行為を行うべき
・人間は
堕落の道を自然に歩むようにできている。成長する道は努力によってのみ成り立つ。精進することによってのみ、幸福は成り立つ
・成仏とは、成仏していない霊を納得させて、次の生をはっきりさせてあげるだけのこと。そこから、善いところに生まれ変わるためには、本人が徳を積んでおかなければいけない
・人間として一番素晴らしい喜びは、自分の子供たちが、世の中で立派に生きていること。回向とは、これと似た働き。遺族が故人の供養のために、善行為をして、功徳を積み、清らかな心を持つと、
故人は喜ぶ。すると、故人に清らかな心の波動が生まれる
・自分自身が精神的に徳を積んで、清らかな波動をつくって、その波動の影響をほかの生命に与えてあげるのが、本当の
供養のシステム ・もし、自分が先に死んでしまっても、
布施を受けた人が生きている限り、徳を積んでいることになる。そういう業(カルマ)の法則がある
・善行為の功徳を先祖に回向して供養してあげると、その生命は大変幸福になるから、向こうからすれば
ありがたくてしょうがない。だから、善い波動で私たちをきちんと守ってくれる。災難からも守ってくれる
・怖れを抱き、心配することで、
暗い波動がさっさととりつく。それで不幸になってしまう。心の波動は効く
・輪廻転生するのだから、不道徳な生き方ほど危険なことはないと、気づくことができれば、善い人間になることが優先される。自分の境遇に不平不満を言っている暇があれば、明るい気持ちで努力すればいいこと
・どうして私はこんなに不幸なのかと、みじめに思い悩む必要もない。今の自分なんか、
どうせ変わるもの。どん底からでも、どこまでも人格向上が可能になる
・仏教用語の
十悪とは、「1.生命を殺す」「2.盗む」「3.邪な行為をする」「4.嘘をつく」「5.怒鳴って侮辱する」「6.陰口、中傷を言う」「7.ムダ話をする」「8.異常な欲を持つ」「9異常に怒る」「10.邪見する」こと。これらの反対が
十善 ・人間はどうしても罪を犯す。努めるべきは、罪を繰り返さないこと。懺悔すること、犯した罪よりたくさん善行為することによって、
犯した罪が弱くなる ・人生の後半であっても生き方を改めれば、次の生まれがうまくいくと、仏教は強調する
・餓鬼の影響、幽霊の影響、先祖の影響で、不幸になるという話は、日本でよく聞く。それは、つまり、影響を受けるほど、自分が精神的に弱い、
情けないということ
・三宝(仏法僧)に帰依しますと心から念じれば、ものすごく明るい心になる。勝負事で、負けっぱなしのときに
三帰依すると、いきなり勝ってしまう。効果のあるお守りにもなる
・病人の意識がはっきりしなくても、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と耳元で唱えれば、
慈悲の明るい波動によって、暗い想念が打ち消される
死後の世界は、あるか、ないか、わかりませんが、あると考えたほうが、世の中も、自分も上手くいくように思います。
しかも、先祖への
最高の供養は、自分が現世で善い行為を行うことと考えれば、世の中がどんどん平和になっていくのではないでしょうか。輪廻転生はあるものとして、考えないといけないのかもしれません。