西郷隆盛が座右の銘としていた「言志四録」の現代語訳です。
30代前半に、講談社学術文庫で発行されている言志四録4冊を買ったのですが、読みづらく、途中で挫折しました。
この本は1133条ある言志四録の中から303条を厳選し、わかりやすい現代語訳で編集されています。訳者の勝手な解釈もなく、原文を忠実に訳しているのがいいです。
佐藤一斎の名言は200年近く前に書かれたものですが、今読んでも新鮮で、非常にためになります。
西郷隆盛は、1133条の中から、101条を抄出していた(
南州手抄言志録)そうですが、自分なりに、この本の中から、大事だと思えた30条を選んでみました。それらを「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
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発憤するという意味の憤の一字は、人が学問に進んでいくための最も必要な道具ともいえる(言志録5)
・しっかりと志(目的)を確立して、どこまでも追求する時は、たとえ薪や水を運んだりする日常平凡な事でも、学ぶべきものが存在する(言志録32)
・人が出遇う所の、「憂い悩み」「変わった出来事」「
恥を受けること」「
誹られること」「心に逆らって思い通りにならないこと」、これらは皆、天が自分の才能を老熟大成させようとするもの(言志録59)
・人と話をする場合には、相手をしてその長所を話させるべき。そうすれば、自分にとって益するところがある(言志録62)
・目の着け所をなるだけ高い所に置くならば、よく道理が確認されて、迷うようなことはない(言志録88)
・言葉に「怒気のある激しい」「強制する」「鼻にかけ威張る」「自分の便利をはかろうとする」ところがあると、聴く人は服従しない(言志録193)
・気概(いきごみ)は鋭くありたい。行いは正しくありたい。品位や人望は高くありたい。見識や度量は広く大きくありたい。学問や技芸を究めることは深くありたい。物に対する意見、見方は真実でありたい(言志後録55)
・自分の言葉は自分の耳で聴くのがよい。自分の立ち居振る舞いは自分の目で視るのがよい。自分で自分を視たり、聴いたりして、心に恥じる所がなければ、人もまた必ず自分に対して心服する(言志晩録169)
・苦難というものは、人の心をひきしめて堅固にする。共に
艱難辛苦を経てきた者は、交わりを結ぶことも緊密で、いつまでも互いに忘れることができない(言志晩録205)
・若い者が老人ぶるのはよくない。老人が若者ぶるのは最もよくない(言志晩録259)
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過失を免れる方法は、へりくだること(謙)とゆずること(譲)にある。
幸福を求める方法は、人に恵むことと施しをすることにある(言志耋録152)
・人の欠点、短所を改めさせようとするには、忠告しようとする誠意が、言葉に満ちあふれるようでなければだめ。怒り憎むような気持ちが少しでもあれば、
忠言(
諫言)は決して相手の心には入らない(言志録70)
・人を教導する者にとって肝要なことは、その志の向かう所(目的意識)の有る無しを咎めるべきであって、何かとやかましく言っても無駄なことである(言志録184)
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読書の方法としては、次のような
孟子の言葉を手本とすべき。
「自分の心を以て、作者の精神のある所を迎えとる」
「読んだ書物を一部は信用するが、全部は信用しない」
「作者の人となりを知り、その当時の社会的状況を論じて明らかにする」(言志録239)
・非常に困難な事に出会ったならば、心をあせらせて解決してしまう必要はない。しばらくそのままにしておかなければならない(言志後録45)
・財貨をうまく運用する要道は、人を偽らないことにある。人を偽らないということは、結局、自分自身を偽らないことである(言志後録222)
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教え諭すには3つの段階がある
第1に心教(心をもって
感化する)
第2に躬教(師が実践する行いを
真似させる)
第3に言教(言葉によって諭す)(言志耋録11)
・人は自分と性格や趣味の同じ人を喜び好み、自分と異なった人を喜ばない。自分は反対に自分と異なる人を好んで、自分と同じ人を好まない。互いに助け合うものは、必ず
相反するもの(言志耋録186)
・一芸に秀でた名人は、みな共にその道を語り合うことができる(言志録61)
・やむにやまれないことになり、はじめて蕾を打ち破って外に開くのが花である(言志録92)
・人生には貴賎もあり貧富もある。その各々に苦楽がある。必ずしも富貴であれば楽しく、貧賎であれば苦しいというものではない。どんな事でも苦しくないことはなく、どんな事でも楽しくないことはない(言志後録69)
・学徳のある立派な人は、自分の行為に対して満足してはいないが、これに対して、小人物は自分をいつわって自分の行為に満足している(言志後録96)
・家の門構えを立派に飾り整えるな。家財道具を自慢気に陳べるな。看板をでかでかと掲げるな。他人の物を借りて誇りに思うな(言志後録118)
・人は才能があっても度量がなければ、人を寛大に受け入れることはできない。反対に、度量があっても才能がなければ、物事を成就することはできない。両者を兼ね備えることができなければ、才能より度量のある人物になりたい(言志晩録125)
・いつも物に余分ができた場合、それを富という。この富を欲求する心は貧。いつも物が不足しているのを貧という。この貧に安んじている心は富(言志耋録143)
・教養ある立派な男子は、他に頼ることなく、独り立ちして、自信をもって行動することが肝要。自己の栄達をはかるために、権威に
おもねる、
へつらうような心を起こしてはいけない(言志録121)
・聖人は生死の相対概念を超越しているから、死に対して何の不安もなく泰然としている。賢人は死を天の定命として
生者必滅の理を悟ってあまんずる。一般人は常に死に対して畏怖の念を抱いている(言志録132)
・まず最初に、自分が感動することによって、はじめて
人を感動させることができる(言志耋録119)
・まず教え導いてから感化する(自分で
やる気を起こさせる)ことはなかなか難しいが、感化してから教え導くことは容易である(言志耋録277)
・今時の人は、「毎日毎日忙しい」と口癖のように言っている。その日常行動を見ていると、実際に必要な事は、わずか十の内一、二で、不必要な事を十の内の八、九もしている。また、不必要な事を実際に必要な事と思っている(言志録31)
激動期になる幕末前に、佐藤一斎が言志四録を著し、多方面に影響を与えました。
この本は、「激動期の書」と思いきや、そうではなく、人の心を「激動させる書」なのだと思いました。
200年前も今も、思想的なものは、ほとんど変わっていません。この本には、人を
奮い立たせる何かがあります。
何かなそうと考えている方は、この「言志四録」を一度は目を通しておくべきかもしれません。