宗教とお金の関係は、ずっと気になるテーマです。「聖」の代表である宗教と「俗」の代表であるお金が、結構、仲良しであることはわかっていますが、どのように仲良しなのか、宗教学者の島田裕巳氏が、この本の中で解説してくれます。
宗教団体の
お金の集め方が、それぞれ個性があって興味深く思いました。この本の中で、参考になった箇所が25ほどあります。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
ちなみに、島田裕巳氏の本を紹介するのは、「
3種類の日本教」「
10の悩みと向き合う」に次ぎ3冊目です
・教団の
宗教的な建築物を建てる目標は、信者の献金意欲を強く刺激する。完成した暁には、信者たちの努力が目に見える形で示され、全国から集まった信者は感動する。しかも、巨大な建築物は、教団の力を外に向かってアピールするための格好のシンボルとなる
・
献金の期限が設定されることで、金集めは、教団や信者にとっての戦いになる。それが戦いである以上、目標額を突破して、勝利しなければならない
・
終末的な予言は、新しい信者を集めるためだけなく、
金集めの手段としても用いられる。遠からず価値を失う金を教団にすべて出すように促す。新宗教が採用する金集めの手段の中でも、建築物を建てること以上に効果的
・金が浄化されたとき、献金した人間は、そこにすがすがしさを感じる。金だけではなく、自分までが清められたように感じる。そのため、
金を手放すことで、欲望から自由になったような解放感を得ることができる
・会員が競い合って布教を行い、教団が急速に拡大していけば、会員たちは、それをもって、自分たちの信仰の正しさが証明されたと考える
・急速に拡大していた時代の創価学会では、活動の基本的な場である「座談会」において、折伏した数を発表させることが行われていた。新たに会員を獲得できなくても、聖教新聞の部数を拡大しさえすれば、それで評価された
・
ネズミ講では、それをはじめた人間や最初に入った人間は必ず儲かる。それで甘い汁を吸った人間は、それが忘れられず、同じことを期待して、再びネズミ講に引き寄せられる
・新宗教の教団内部には、経済的な格差が生まれる。教祖や幹部たちは、豊かな生活を送ることができるが、一般の信者はそうはいかない。一般の信者は、
自分が出した金が、トップや幹部を富ませるために使われれば、納得しない。それによって、不満が蓄積される
・創価学会の会合は8時に終わる。そうした会合には、労働時間が長いサラリーマンは参加できない。自営業者の方が都合いい。バブルの時代、大きく儲けた創価学会の会員は多額の財務をした。財務の額の多さは、自分たちの
成功の証であった
・何かに金を使おうとして資金を調達するのではなく、
金が余っているために、それを活用しようとすると、無駄なことにお金を使ってしまう。あるいは、その金を個人的に悪用しようとする人間も生まれ、組織は乱れる
・人間は金の魅力には勝てない。金はさらなる欲望を喚起し、人間を堕落させ、組織を混乱させていく力を持っている。そうした
金の力を制御することは、相当に難しい
・信者が仲間を引き留めるのは、たんにメンバーが減ることを恐れるためではない。仲間が信仰を捨て、去っていくことは、自らの信仰が否定されたに等しいから
・信仰者として自覚の薄い二世ばかりが会員になれば、その教団は停滞する。そこで、それぞれの教団では、二世以下の信者の信仰を覚醒するための特別の機会を設けている。天理教には、3ヵ月の研修である「修養料」がある
・教団の祭典で、
一糸乱れぬ人文字とマスゲームを披露するのが重要なのは、そのための訓練であり、日ごろ厳しい訓練を重ねることで、仲間との
連帯意識を育み、それが信仰者としての自覚に結びつく
・
おひとりさま宗教の典型である真如苑が、歓喜と呼ばれてきた献金を廃止したことは象徴的。おひとりさま宗教では、個人の救済が最優先され、教団の規模を拡大していくことで、救済の可能性を広げていくということは意味をなさない
・創価学会の「ブック・クラブ型」モデルや真如苑の「家元制度型」モデルは、時代の要求に合致している。そうしたモデルが機能していれば、信者たちは、それほど多額の金を出す必要はなく、会員数が多い教団は安定的に維持されていく
・宗教は、ある事柄の絶対的な価値を説明する
物語を作り上げることで、信者の心をくすぐり、お札やお守りを買わせたり、献金をさせたりする。宗教家の説教や説法は、セールストークであり、信者の
心を操る点で、マインド・コントロールになっている
・新宗教の教祖は、一般の信者に対しては優しく接しても、幹部や直弟子に対しては厳しく当たる。宗教教団は、宗教活動を実践する組織であると同時に、信者を精神的に鍛え上げる
修行場の役割も負っている。つまり、人材育成の仕組みが、教団の中に備わっている
・新宗教の研修では、参加者が抵抗感を持つような壁をわざと用意し、その
壁を乗り越えさせることで達成感を与える。企業の研修でも、そうしたやり方が用いられている
・新宗教の「
家元制度型」ビジネスモデルは、人件費削減に最も貢献する。信仰を伝えられた信者が、今度は布教する側に回り、新たな信者を増やしていく
・ヤマギシ会は、
無所有一体(私有財産も給与もない)のシステムを活用することで、経済的に最も効率的な組織を生み出した。衣食住が保障されているとはいえ、給与も休みもなしに、勤勉に働く人間が出てくる点は、労働の意味を考える上で、極めて興味深い
・創価学会は、金余りという事態が生まれても、それによって教祖や一部の幹部が
私腹を肥やすことができない仕組みが備わり、実際に機能している。創価学会は、ほかの新宗教に多い、分裂や分派をこれまで経験していない
・昔から、宗教というものは、金余りが生じたときに、壮麗な宗教建築物、宗教美術などの莫大な金を消費する装置として機能し、
金余りを解消する役割を果たしてきた。近代は、戦争が金余りを解消する手立てとして機能することになった
・現代の新宗教は、集まった金を美術の方面に費やすことで、多額の献金を生かす道を切り開いている。創価学会は東京富士美術館を開設し、世界の名画を集めている。世界救世教はMOA美術館に、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を初め、3点の国宝を収蔵している
・宗教組織を維持するには、信徒が金儲けを行い、その金を教団に入れることが不可欠。カトリックや仏教の出家者は経済活動を一切行わない。
出家者の生活を支えるには、俗人が経済活動をする必要がある。そのため、経済活動自体が否定されることはあり得ない
この本を読むと、宗教とは、何と不思議なものかとますます考えさせられます。宗教は、人間の
不安がつくり出したものであり、お金は、その
不安を解消するものです。そういう意味で、もともと相性がいいのかもしれません。
宗教とお金は、どちらも、人間がつくり出した幻想であるだけに、ここで簡単に説明できるものでもありません。
とにかく、宗教とお金の関係を、事例を踏まえて、解説してくれた著者の熱意に、ただただ感謝するだけです。