とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『プア充―高収入は、要らない―』島田裕巳

プア充 ―高収入は、要らない―プア充 ―高収入は、要らない―
(2013/08/23)
島田 裕巳

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最近、話題になっている本です。GDPが高い国の進むべき道は、「これだ!」と思ってしまうタイトルです。

著者の本はもう何冊も紹介しています。「島田裕巳・本」というカテゴリーもつくっているぐらいです。本書の内容は簡潔で一貫したものです。その中から、「お気に入り」の一文を幾つかまとめてみると、以下のようになります。



・考えれば考えるほど、年収300万円くらいのプア充こそ、これからの日本人生き方にとても合うライフスタイル。幸福な生活に、「高収入」も「刺激」も「贅沢」も「無理」も「成長」も、必要ない。必要なのは、プア充になって、ムダなく合理的に生きること

・稼いでも、稼いでも、永遠に満足することはない。いや、むしろ稼げば稼ぐほど、お金に対する執着欲望不安は増すもの

・もっとお金が欲しい、もっともっと稼がなくてはならない、そんなふうに思うときの気持ちって、決して幸せな気持ちではない

・娯楽は、費やした金額に比例して、楽しさが増すわけではない。無料でも楽しいことはいくらでもある

・プア充を目指すなら、ベンチャーではなく、ある程度安定した会社がいい。有名でなくていい。有名な大手企業は安定はしているが、仕事は忙しい。プア充生活におすすめなのは、「古くてださい会社

・「仕事は、1日の3分の1の時間を費やすから、そこにやりがいを見出さないと人生はつまらなくなる」なんていうのは思い込み。仕事は、あくまで生活のための手段と割り切る

・生きていく上で「使い捨てられない」ことが大切。そのためには、自分の時間をいかに確保し、健全な生活をしていくかを自分の頭で考えなければならない。それがプア充の基本

・禁欲は、人間の喜びにとって大きな役割を果たす。禁欲をして、それが解けることが楽しい。禁欲によって、「待つ」ことの意味を、多くの宗教は諭している

・お金があると、「待つ」楽しみが奪われる。ある程度の制限があるほうが、人生は楽しい

・プア充を目指す人こそ、都会に住んだほうがいい。地方に住んだら必ず車が必要になる。車は金食い虫。賃料は地方のほうが安いが、一人暮らし用の物件があまりない

・プア充の暮らしをするためには、「外食をしない」「規則正しい生活をする」「ストレスをためない」こと

・迷惑なんて、かけてなんぼ。迷惑をかけ合うことで、人間関係ができていく

・ネガティブな未来を想像することが、負担になっている。高額な保険に加入してしまう心理も、目的のない貯金に勤しむ心理もそう

・物質的な欲望にとらわれず、自然に従って生きる。「死ぬまで生きる」と考えること

・「人に迷惑をかけるな」というのは、豊かになって人が孤立し始めた現代における妄想。困ったときには、周りに迷惑をかけて当然。迷惑をかけられるほうも嫌だなんて思っていない。いい人間関係を築きたいなら、まずは相手に迷惑をかけること

年収300万円くらいの仕事はたくさんあるので、転職しやすく、それが心に余裕を生む

・国や企業の「成長使命」に、個人がふりまわされる必要はない。「成長しなければいけない」「稼がないといけない」という思想は、現代社会が作りだしている幻想

・お金とは、あくまで、楽しいと感じられる人生を送るために最低限必要なツールであって、それ以上でもそれ以下でもない

・経験やスキルがないのに、高収入を得ようとすると、結局、時間や健康が犠牲になる

・世の中の幻想や誘惑に振り回されずに、賢く生きることがプア充の基本。無駄なことはせず、嘘や誘惑に騙されない。安定した生活を送るという強い意志を持つことが必要



この本は、ミャンマーやバングラディシュでは売れないと思います。この本が売れる素地が今の日本にあることはうれしいのですが、「プア充」が多数派となるには、もう少し時間がかかりそうに思います。

親、先輩の考え方、マスメディアの洗脳、街の誘惑を、個人が断ち切ることは、なかなか難しいことかもしれません。


[ 2013/12/09 07:00 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(0)

『7大企業を動かす宗教哲学・名経営者、戦略の源』島田裕巳

7大企業を動かす宗教哲学    名経営者、戦略の源 (角川oneテーマ21)7大企業を動かす宗教哲学 名経営者、戦略の源 (角川oneテーマ21)
(2013/01/10)
島田 裕巳

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宗教学者である著者の本を紹介するのは、「3種類の日本教」「10の悩みと向き合う」「新宗教ビジネス」に次ぎ、4冊目となります。今回は、宗教と企業がテーマです。

日本企業のマネジメントにおいて、宗教哲学は必要な存在となっています。本書の代表的企業7社の事例から、日本社会に大きな影響を与えたと思われる「パナソニック」「ダイエー」「トヨタ自動車」について記されたものを紹介させていただきます。


・天理教で感銘を受けた松下幸之助は、全店員を集め、演説を行った。幸之助は、宗教と同様に、企業には人を救う力があることを力説した。そして、企業の目的を、人間を貧窮から救い出すことに定め、企業としての松下を位置づけた

・幸之助の演説の聴衆たちは興奮して、皆が壇上に登ろうとして、収拾がつかなくなった。幸之助は熱弁を振るうことによって、その場に宗教的熱狂を生み出した。それを「かつて味わったこともなし、また目撃したこともない熱狂ぶり」であったと述べている

・幸之助の経営哲学の核となったものは、天理教の姿に接することで生まれ、演説を通して共有されたが、天理教の教義が影響したわけではない。経営のあり方を、宗教と変わらない聖なる事業としてとらえることで、独自の職業倫理を確立していった

・プロテスタントは、勤労の中に救済が約束されている証を見出した。幸之助もまた、企業経営を聖化することによって、労働の意義を明らかにし、社員の間に勤労意識を生む論理を築き上げていった

・松下電器では、事業部制や分社化と本部制が繰り返され、組織は複雑な形をとっているが、現在の祭神は、「白龍」本社、電化、旧九州松下電器、「黄龍」旧松下電子、旧松下産業機器、「青龍」旧松下電池、「赤龍」自転車、「黒龍」旧松下電工

・事業部制の採用された1933年には、「遵奉すべき五精神」が定められた。それは「産業報国の精神」「公明正大の精神」「和親一致の精神」「力闘向上の精神」「礼節を尽すの精神」。37年には、これに「順応同化の精神」「感謝報恩の精神」が加わり、七精神となった

・幸之助は、「根源の社」という独自の神を祀るまでに至った。グループ企業それぞれに龍神を配し、密教の考え方を取り入れている。まさに、自らの企業経営を聖なる事業として営んでいたことになる

・ダイエー中内の経営哲学の形成には、宗教や信仰はまったくかかわりがない。彼に影響を与えたのは、毛沢東思想であり、唯物論であった

・中内は自己弁護のために毛沢東思想を利用した。だが、毛沢東自身にもそうした部分があって、矛盾した論理の価値を認めていた。その点でも、中内は毛沢東の「矛盾論」から影響を受けていたと言える

・豊田佐吉を精神的に支え、独自の経営哲学を作り上げることに貢献したのが「日蓮主義」と「報徳思想」。「日蓮主義」からはナショナリズムを、「報徳思想」からは禁欲的な姿勢や労働観を教えられた

・二宮尊徳の報徳社が実践したのは、「勤勉貯蓄」(貸付資金に利用)、「営農資金の無利子貸付」(村民投票による貸付先選定)、「農業技術向上のための農談会」(農家が集まって農作物改良や販売等の意見交換会)

・豊田利三郎が示した「豊田綱領」は、「上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし」「研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし」「華美を戒め質実剛健たるべし」「温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし」「神仏を尊崇し報恩感謝の生活を為すべし」

・豊田喜一郎がトヨタ自動車の組織を作る中で、仕事の仕方を「購買心得14カ条」「外注品倉庫掛心得帳」「材料掛心得帳」「外注工場金融・投資規定」「督促掛心得帳」「売店掛心得帳」「下請掛注文法内規」等の文書で規定し、無駄を省き、業務の標準化を図っていった

・トヨタの取締役会のあり方は、村の寄り合いを彷彿とさせる。共同体としての性格が強く、一つの土地に根差したトヨタは、全員一致を原則とする村の伝統を引き継いでいる

・「金ほど、敵として恐ろしいものはなく、味方として頼もしいものはない。人の金借りた金はえてして敵にまわりやすく、頼むべき味方は、自分の金、自分の稼ぎ出した金でなければならぬ」(トヨタ第三代社長石田退三)

・トヨタの社員になることは、「トヨタ教」の信者になること。トヨタ生産方式を支える価値観やイデオロギーに疑問を持つのではなく、実践を重ねる中で、トヨタ特有の宗教哲学を体得していく必要がある。トヨタ教は、土地に根差した、極めて村的な宗教



本書には、上記3社以外にも、「サントリー」「阪急」「セゾングループ」「ユニクロ」の経営における宗教哲学が記されています。

日本では、大きくなっていく会社には、宗教哲学が必要なのかもしれません。賛否はあると思いますが、それが現実なのではないでしょうか。


[ 2013/06/17 07:00 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(0)

『新宗教ビジネス』島田裕巳

新宗教ビジネス (講談社BIZ)新宗教ビジネス (講談社BIZ)
(2008/10/02)
島田 裕巳

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宗教とお金の関係は、ずっと気になるテーマです。「聖」の代表である宗教と「俗」の代表であるお金が、結構、仲良しであることはわかっていますが、どのように仲良しなのか、宗教学者の島田裕巳氏が、この本の中で解説してくれます。

宗教団体のお金の集め方が、それぞれ個性があって興味深く思いました。この本の中で、参考になった箇所が25ほどあります。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。

ちなみに、島田裕巳氏の本を紹介するのは、「3種類の日本教」「10の悩みと向き合う」に次ぎ3冊目です




・教団の宗教的な建築物を建てる目標は、信者の献金意欲を強く刺激する。完成した暁には、信者たちの努力が目に見える形で示され、全国から集まった信者は感動する。しかも、巨大な建築物は、教団の力を外に向かってアピールするための格好のシンボルとなる

献金の期限が設定されることで、金集めは、教団や信者にとっての戦いになる。それが戦いである以上、目標額を突破して、勝利しなければならない

終末的な予言は、新しい信者を集めるためだけなく、金集めの手段としても用いられる。遠からず価値を失う金を教団にすべて出すように促す。新宗教が採用する金集めの手段の中でも、建築物を建てること以上に効果的

・金が浄化されたとき、献金した人間は、そこにすがすがしさを感じる。金だけではなく、自分までが清められたように感じる。そのため、金を手放すことで、欲望から自由になったような解放感を得ることができる

・会員が競い合って布教を行い、教団が急速に拡大していけば、会員たちは、それをもって、自分たちの信仰の正しさが証明されたと考える

・急速に拡大していた時代の創価学会では、活動の基本的な場である「座談会」において、折伏した数を発表させることが行われていた。新たに会員を獲得できなくても、聖教新聞の部数を拡大しさえすれば、それで評価された

ネズミ講では、それをはじめた人間や最初に入った人間は必ず儲かる。それで甘い汁を吸った人間は、それが忘れられず、同じことを期待して、再びネズミ講に引き寄せられる

・新宗教の教団内部には、経済的な格差が生まれる。教祖や幹部たちは、豊かな生活を送ることができるが、一般の信者はそうはいかない。一般の信者は、自分が出した金が、トップや幹部を富ませるために使われれば、納得しない。それによって、不満が蓄積される

・創価学会の会合は8時に終わる。そうした会合には、労働時間が長いサラリーマンは参加できない。自営業者の方が都合いい。バブルの時代、大きく儲けた創価学会の会員は多額の財務をした。財務の額の多さは、自分たちの成功の証であった

・何かに金を使おうとして資金を調達するのではなく、金が余っているために、それを活用しようとすると、無駄なことにお金を使ってしまう。あるいは、その金を個人的に悪用しようとする人間も生まれ、組織は乱れる

・人間は金の魅力には勝てない。金はさらなる欲望を喚起し、人間を堕落させ、組織を混乱させていく力を持っている。そうした金の力を制御することは、相当に難しい

・信者が仲間を引き留めるのは、たんにメンバーが減ることを恐れるためではない。仲間が信仰を捨て、去っていくことは、自らの信仰が否定されたに等しいから

・信仰者として自覚の薄い二世ばかりが会員になれば、その教団は停滞する。そこで、それぞれの教団では、二世以下の信者の信仰を覚醒するための特別の機会を設けている。天理教には、3ヵ月の研修である「修養料」がある

・教団の祭典で、一糸乱れぬ人文字とマスゲームを披露するのが重要なのは、そのための訓練であり、日ごろ厳しい訓練を重ねることで、仲間との連帯意識を育み、それが信仰者としての自覚に結びつく

おひとりさま宗教の典型である真如苑が、歓喜と呼ばれてきた献金を廃止したことは象徴的。おひとりさま宗教では、個人の救済が最優先され、教団の規模を拡大していくことで、救済の可能性を広げていくということは意味をなさない

・創価学会の「ブック・クラブ型」モデルや真如苑の「家元制度型」モデルは、時代の要求に合致している。そうしたモデルが機能していれば、信者たちは、それほど多額の金を出す必要はなく、会員数が多い教団は安定的に維持されていく

・宗教は、ある事柄の絶対的な価値を説明する物語を作り上げることで、信者の心をくすぐり、お札やお守りを買わせたり、献金をさせたりする。宗教家の説教や説法は、セールストークであり、信者の心を操る点で、マインド・コントロールになっている

・新宗教の教祖は、一般の信者に対しては優しく接しても、幹部や直弟子に対しては厳しく当たる。宗教教団は、宗教活動を実践する組織であると同時に、信者を精神的に鍛え上げる修行場の役割も負っている。つまり、人材育成の仕組みが、教団の中に備わっている

・新宗教の研修では、参加者が抵抗感を持つような壁をわざと用意し、その壁を乗り越えさせることで達成感を与える。企業の研修でも、そうしたやり方が用いられている

・新宗教の「家元制度型」ビジネスモデルは、人件費削減に最も貢献する。信仰を伝えられた信者が、今度は布教する側に回り、新たな信者を増やしていく

・ヤマギシ会は、無所有一体(私有財産も給与もない)のシステムを活用することで、経済的に最も効率的な組織を生み出した。衣食住が保障されているとはいえ、給与も休みもなしに、勤勉に働く人間が出てくる点は、労働の意味を考える上で、極めて興味深い

・創価学会は、金余りという事態が生まれても、それによって教祖や一部の幹部が私腹を肥やすことができない仕組みが備わり、実際に機能している。創価学会は、ほかの新宗教に多い、分裂や分派をこれまで経験していない

・昔から、宗教というものは、金余りが生じたときに、壮麗な宗教建築物、宗教美術などの莫大な金を消費する装置として機能し、金余りを解消する役割を果たしてきた。近代は、戦争が金余りを解消する手立てとして機能することになった

・現代の新宗教は、集まった金を美術の方面に費やすことで、多額の献金を生かす道を切り開いている。創価学会は東京富士美術館を開設し、世界の名画を集めている。世界救世教はMOA美術館に、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を初め、3点の国宝を収蔵している

・宗教組織を維持するには、信徒が金儲けを行い、その金を教団に入れることが不可欠。カトリックや仏教の出家者は経済活動を一切行わない。出家者の生活を支えるには、俗人が経済活動をする必要がある。そのため、経済活動自体が否定されることはあり得ない



この本を読むと、宗教とは、何と不思議なものかとますます考えさせられます。宗教は、人間の不安がつくり出したものであり、お金は、その不安を解消するものです。そういう意味で、もともと相性がいいのかもしれません。

宗教とお金は、どちらも、人間がつくり出した幻想であるだけに、ここで簡単に説明できるものでもありません。

とにかく、宗教とお金の関係を、事例を踏まえて、解説してくれた著者の熱意に、ただただ感謝するだけです。
[ 2010/11/30 08:42 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(2)

『10の悩みと向き合う・無宗教は人生に答えを出せるのか』島田裕巳

10の悩みと向き合う 無宗教は人生に答えを出せるのか10の悩みと向き合う 無宗教は人生に答えを出せるのか
(2009/02/20)
島田 裕巳

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島田裕己氏の本は、「3種類の日本教」に次ぎ2冊目です。宗教学者であり、社会学者といった存在です。現在は、東京大学の先端科学技術研究センターの研究員をされています。

宗教や社会を見つめる、ユニークな視点は、何冊読んでも、大変参考になります。

この本も、無宗教なのに祈り、そして悩みが尽きない、現代の日本人の精神構造がよくわかり、勉強になりました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・今もっとも勢いのある新宗教は、精神的なカウンセリングを施すものに変化してきている。信者が結束して、社会の中でのしあがっていこうとする激しさは見られない

・悩みから救われたいけれども、宗教の世界に深く入り込んで、現在とはまったく違う世界には行きたくない、人生を根本から変えたくない、周囲の人間関係に影響を与えてほしくないというのが本音

・人は、何かが欠けていれば、それを求めて頑張ろうとする。煩悩は原動力になる

・祈りの対象となる神や仏より、祈るという行為自体が重要と言える。さらには、祈りを捧げなくても、心を無にし、気持ちを切り替えることの方が、はるかに大切なことになっている

・庭をボーッと眺めるということは、一番単純で、純粋な祈り。世俗の生活のことは何も考えず、ただ庭を眺めている感覚は、ほかではなかなか味わえないもの。こうした感覚が祈りの奥にあり、信じることの根底にある

・自分を解き放っていこうとしても、それを受け入れ、受け止めてくれる何かを信じられなければ、怖くてそれはできない。解き放つこと信じることは密接な関係を持っている

・金儲けを戒める宗教はないが、利息は、ユダヤ教でも、キリスト教でも、イスラム教でも戒められている。お金を貸して生活するようになれば、物を作る人がいなくなり、社会が成り立たない。そこで、金貸しの価値を認めず、利息を禁じる考え方が打ち出された

・お金がないと結婚もできない。子供も産めなければ、家庭も作れない。そんな時代が訪れている。実際、個人の収入が増えれば、未婚率も減少している

・消費することが気持ちいいという感覚は相当薄れている。お金が必要でない社会になったわけではないにしても、金儲けに意義を見出すことが難しくなっている

・私たちは、お金を第一に考える必要がなくなっている。金儲けという、わかりやすい目標が立てにくくなったことで、人生全体の目標がはっきりしなくなり、それでさまざまな悩みが生まれてきている

・人間は、物語を必要としている。自分がいったいどんな人生を歩んできたのか、それを一つの物語として語りたいという欲求をもっている

・たんなる思いつきでも、途方もないものでもいいが、夢を言葉にしたり、どこかに書いたりすることで、実現に向かって動き出していく。かなわない夢に思えても、それが言葉として表現されると、途端に現実味を帯びてくる

・どうせ夢を語るなら、なるべく多くの人に向かって語るべき。夢の内容も、希有壮大なほうが、かえって実現に結びついていきやすい

・妄想を抱かなかったら、面倒なことは、ただただ厄介なことに終わってしまい、本気でそれに立ち向かおうという気にはなれないもの

・目の前に立ちふさがっている壁を乗り越えることが、イニシエーション(通過儀礼)の本質。師は弟子に対して、壁を乗り越えなければいけない状況に追い込んでいく存在

・教養をもつことで、物の理解が深まり、より深いレベルで楽しむことができるようになる。世界がつまらなく感じ、生きていくことに手応えを感じないのは、教養が欠けているから。物の見方がわからなければ、興味深い事項でも、なぜ興味深いのか理解できない

・早い段階で結婚相手が見つかれば、結婚する時期も早まり、子供も早く生まれる可能性が高くなる。そして、早めに子育てを終え、それから自由な時間を送る。結婚積極派は、そうした将来を考えている

・恋愛をしなければわからないことがある。恋愛は、すべてを賭け、自分をさらけ出さなければならないから、そこではじめて見えてくるものがある。それを知らないまま一生を終えるとしたら、とても残念なこと

・人間関係においては、甘える側甘えられる側が明確に分かれる。第一子は甘えられる側で、末っ子は甘える側に回る。それは兄弟姉妹だけのことではなく、ほかの人間関係でも起こってくる

・いかに素晴らしいエンディングを迎えるか。そのイメージがわいてくるなら、死を恐れる必要はなくなる。物語を描ききった後の死は、輝かしいゴールになっているはず

・負けを認めることで、今度は勝とうという気持ちが生まれてくる。そのとき、次に勝つことが生きる意味になり、人生の目的になってくる。この考え方を「負け教」と呼ぶのなら、負け教の唯一の教えは、負けを素直に認めることである

・悩みが生じたら、それを乗り越えるべき壁と考えることで、悩みは課題になり、その瞬間に悩みではなくなっている



この本には、悩みの本質が簡潔に書かれています。

難しく書けば、「悩んでいることを悩まなくてすむかを悩むことで、悩みが解決する」ということです。

簡単に書けば、「悩みを課題とすることで悩みはなくなる」ということになります。

老若男女、古今東西、悩みは尽きませんが、悩みに闘いを挑むことで、悩みは解決するのではないでしょうか。悩みと向き合う姿勢が大事だとわからせてくれる1冊です。
[ 2010/07/23 08:47 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(0)

『3種類の日本教-日本人が気づいていない自分の属性』島田裕巳

3種類の日本教―日本人が気づいていない自分の属性 (講談社プラスアルファ新書)3種類の日本教―日本人が気づいていない自分の属性 (講談社プラスアルファ新書)
(2008/04)
島田 裕巳

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私は、「自営業・自由業系」の家に生まれました。妻は「公務員・教員系」の家に生まれました。しかし、妻の両親の家は、もともと「自営業・自由業系」でした。

なんとなく、話が混乱してきましたが、宗教学者である島田裕巳氏は、この著書の中で、日本人は大きく分けて、職業や生活スタイルから

サラリーマン系
自営業・自由業系
公務員・教員系

の3つの集団がいると述べられています。

ところで、私が、サラリーマン時代、どうしても馴染めなかったのは、

「客の言うことを聞け」と親から教えられたのに、会社では上司の言うことが優先されていたこと
「会社の金でも無駄遣いするな。1円でも安く」と親から教えられたのに、会社では経費に無頓着な社員が多かったこと

等々、やはり、育ってきた環境によるものかなと少し違和感を覚えました。この違和感こそ、すごく重要なことであると著者はこの本で述べられています。

以前、企業が求める人材像と管理職の役割(2)の記事の中で、日本ガンバル教について書いたことととも似たところがあり、すごく共感できました。この共感できた箇所を列挙すると、ざっと以下のようになります。



・日本の3つの集団の人口割合は「サラリーマン系」7割「自営業・自由業系」2割「公務員・教員系」1割である

金銭感覚の違い家風の違いなどは、この集団の違いによるものが大きい。したがって、同じ集団同士が結婚するとうまくいく

・日本の企業数は430万社、アメリカの企業数は580万社。人口はアメリカの半分以下なので、人口比では、アメリカの2倍近くの企業数になる。しかも、アメリカと比較して、大企業の割合が多いのも特徴。日本は世界一の企業社会である

・サラリーマン系では、個人は集団と融合し、一体化することが求められるのに対し、自営業・自由業系では、組織に頼ることができない以上、むしろ融合、一体化せずに社会と闘っていかなければならない

・日本の公務員の働き方は、アメリカのサラリーマンの働き方に近く、利益を上げる必要がない。日本のサラリーマンの働き方は特異である

・夢ということで職業を選ぶべきではない。3つの属性のどの属性に属し、どういった職業感覚を身につけるかから出発すべき。サラリーマン系や公務員・教員系は商売がどういうものか根本が理解できないため、商売には向かないことが多い。

・日本の企業は宗教団体に近づいてきており、個人の心に介入しなければ、組織の維持運営が成り立たなくなってきている。将来を考えると問題が多い

・独立した個人としての能力よりも集団への適応力、順応性の高さが求められるサラリーマン系が増加すれば、悪影響を及ぼす可能性。世界に立ち向かうには、個人として自立し、的確な判断力が必要であり、それに逆行している

・大学もサラリーマン系養成に傾斜してきた。本人の適性より、一流企業への就職を重視



この本を読めば、日本の企業社会が、世界でも類を見ない方向に進んでいることがよくわかります。

今まで、社会全体が、「サラリーマン系」の人々を中心として、動き、動かされてきたのではないでしょうか。日本の最近の低迷の要因は、そこにあるのかもしれません。

いろんな属性の人が存在し、その存在を認め合って、社会が動いていくと生き生きとした社会が生まれてくるように思います。

この本は、わかっていそうで、わかっていないかったことを、わかりやすい言葉で解明してくれた貴重な本です。

自分の属性を知り、それぞれの属性に対する最適な生き方を知りたい方には、是非読んでほしい1冊です。


[ 2009/11/04 08:16 ] 島田裕巳・本 | TB(0) | CM(0)