ひろさちや氏の本を紹介するのは、「
幸福術」「
悩まない・超往生論」「
まんだら人生論上巻」「
まんだら人生論下巻」に次ぎ、5冊目です。
著者の本は、宗教や哲学のような難しい問題をわかりやすくまとめられていて、読めてしまう書ばかりです。
しかも、著者の本を読むと、ハハハ~ンと、気づかされることが度々起こります。この本の中にもハハハ~ンが多くありました。
この気づかされた箇所を今から紹介したいと思います。
・病人がいないと医者や薬剤師は生活できない。犯罪者がいるお陰で、警察官が生計を立てられる。医者や警察官が世の中に役に立っているように、役立ち方は違うが、病人も犯罪人も役に立っていることは否定できない
・どんな人間であれ、すべての人に
レーゾンデートル(存在意義)があるというのが仏教の教え。この世の中には、なくていいものなど一つも存在しない
・仏教は本質的に「出世間の教え」。世間を出て、
世間の物差しを否定し、笑い飛ばす。世間の物差しを笑い飛ばすことができて、はじめて仏教が仏教たり得る
・聖徳太子の言葉に、「
世間虚仮、唯仏是真」がある。「世間は嘘であり偽り。ただ仏教だけが真実」という意味だが、世間の側から見れば、まことに煩わしい発言になる。そのため、聖徳太子は江戸時代の儒学者からこてんぱんに非難攻撃された
・第二次大戦のころ「贅沢は敵だ」と言っていたのに、戦後は「贅沢は素敵だ」になる。世間が言うことはコロコロ変わる。筋も通っていないし、一貫性もない
・世間に執着していると、世間にふりまわされて、世間の奴隷になる。奴隷を恥じるのであれば、世間を馬鹿にしなくてはいけない。日本のサラリーマンは
会社の奴隷。奴隷をやめるには、会社を馬鹿にしなくてはいけない
・日本のサラリーマンは、上司から嫌われると悄気返る。これは奴隷根性。ヨーロッパの労働者は、部下を依怙贔屓する上司には、全員で文句を言う。日本人の意識は、江戸時代の殿様に仕える
家来の意識 ・ときにわれわれは自分の奴隷根性に気づくことがある。権力に卑屈になって、ペコペコしている自分に腹が立つ。そして自己嫌悪に陥る。すると世間はすかさず、その人間に「変身」の罰を与え、「引きこもり」に変えてしまう
・世間(日本のサラリーマン社会)をあからさまに馬鹿にすると、嫌われ者になるので、態度には出さずに、心の中で密かに馬鹿にする。しっかりと、力強く、軽蔑するというやり方をすすめる
・テレビタレントなんて、奇抜さを売りにしているのだから、金のかかる流行の服を着ればいい。われわれは有名人ではない。流行(世間)を
心の中で軽蔑しながら、いちおうは流行(世間)に従うくらいがいい
・「世間はわれと争うけれども、われは決して世間と争わない」というのが釈迦の世間に対する態度。つまり、釈迦は、世間を馬鹿にするが、あからさまに馬鹿にせず、心の中で馬鹿にする。無理に喧嘩を吹っかけない
・日本は経済大国とされているのに豊かさの実感がない。大企業は大きなビルを建てるが、個々のサラリーマンの生活は苦しい。国民は貧しいが国家は太っている。サラリーマンは貧しいが会社は豪華。これが現代日本の姿
・日本では、国家権力は豊かになっても民衆は貧しかった。民衆は富を吸い上げられるので、お坊さんに布施できない。そこで、国家権力がお坊さんを養うほかなく、寺院が官立になる。国家公務員としての僧侶の仕事は、
鎮護国家のためにお経を読むことになった
・日本のお坊さんが権力に
媚びへつらうのは、ある意味当然。権力・体制の側に立って、民衆に「国家に従順な人間になれ」「国家に役立つ人間になれ」と説くのが、後世にいたるまで、お坊さんの仕事になってしまった
・日本人は道徳というものがよくわかっていない。道徳の
胡散臭さもわかっていない。道徳は、一時代、一地域しか通じないもの。日本の道徳は、よその国では通じない。戦前の道徳は現代に通じない
・父親が盗みをしたのを知った子供は、父親を告発するか?それとも黙っているか?「隠すのが道徳的に正しい。隠すことのうちに正直さがある」と孔子が答えたと、論語にはっきり書かれている。道徳がいかにいかがわしいかがこれでわかる
・過去の道徳は現在の不道徳、現在の道徳が未来の不道徳になる可能性がある。現代の日本では、競争に勝つことが善だが、将来、競争に勝つためにがんばる人間をエゴイストと非難する時代が来るかもしれない
・道徳というものは、強い者はそれに拘束されない。そして、弱い者だけが道徳に縛られる。道徳は強者が
弱い者いじめするための道具。われわれは、道徳なんて馬鹿にしたほうがいい
・道徳は他の時代、他の地域とは相互に矛盾することが多い。そこで、いかなる時代、いかなる国においても通じる道徳が求められる。それが倫理。倫理学は、普遍的な倫理(
高次元の道徳)を構築しようとする学問
・愛国心とは何か?それは、税金を払うこと。われわれは国家がなければ生きられない。その国家は、みんなの税金で維持されている。納税の義務を果たさず、脱税している人間は愛国心のない人であり、売国奴
・釈迦の教えは、世間にふりまわされるな(世間を馬鹿にせよ)ということ。つまり、「自由人であれ」のメッセージ
・私欲が衝突したとき、どちらの私欲を制限するか、それを調整するのが政治の仕事。ところが、「
滅私奉公」では、私欲そのものが悪いとされ、自己主張することが悪と断罪される。私(国民)の利害は無視され、公(お上)の利害だけが肯定される
・第二次大戦中「贅沢は敵」ということで、国民の贅沢は悪とされ、窮乏生活を強いられた。だが、政府高官、職業軍人の将校クラス、軍需産業や政府や軍と関係のある商社の連中は、贅沢な生活をしていた。彼らは「公」と認定されていたから
・「滅私奉公」なんて、人間を馬鹿にした思想。われわれを国家の奴隷、大企業の奴隷にし、
人間をやめさせる思想
・われわれはそれほど欲深いわけではない。広い家に住みたいと思うが、同時に、広い家だと掃除が大変だと、欲望にブレーキをかける心も働く
・「
自然の欲望」は、食欲や性欲といった誰もが持つ欲望。そんなに質は悪くない。他人を蹴落とし出世したいという「奴隷の欲望」は、会社の奴隷となった日本のサラリーマン特有の欲望。弱肉強食は異種動物との関係。同種で闘争が起きないよう自然には配慮がある
・イギリス型の資本主義は「労働者の欲望」を充たそうとするもの。人間(労働者)を大事にする福祉型の資本主義。人間を軽視し、
物欲の塊にしてしまうのがアメリカ型の資本主義。人間を
経済動物の畜生に変えてしまうのが日本型の資本主義で、一番性質が悪い
・人間は働きたくないもの。それが人間らしい欲望。それがまともな欲望だということがわからないから、われわれはエコノミック・アニマルになってしまった
・「もしも人間の価値がその仕事で決まるものならば、馬はどんな人間よりも価値があるはずだ。馬はよく働くし、第一、文句を言わない」とロシアの作家のゴーリキーは言った
・日本人の労働観が労働神事説に基づいているため、
労働懲罰説が全くわからない。労働神事説は「延喜式」に収録された「祝詞」に見られ、労働は神に仕えることであり、神聖なる宗教行為となる
・現在の日本の労働環境が最悪なのは、組織は労働懲罰説にもとづくピラミッド型組織になっているのに、思想は、経営者のお説教で、
労働神事説の労働観を持たされていること。労働神事説では、能率は問題にされない。だらだら働くから24時間神に仕えられる
・アメリカ型の資本主義は、需要の拡大(未開拓の土地、人口の増加)と供給の増大(製品の単純化、部品の規格化、分業システムの確立による大量生産方式)の相乗作用によって発達した
・アメリカの労働者は、消費者に変えられ、「消費者の欲望」を持つことになった。「消費者の欲望」は「
王様の欲望」の変形版。王様が持つ欲望は、他人が持っていないものが欲しいというもの
・ジュエリーの購買意欲は、その人がすでに所有しているジュエリーの個数に正比例して高まる。また、過去一年に購入した人は、一個も購入しなかった人より購買意欲が高くなる。ジュエリーは「持てば持つほど、
買えば買うほど、ますます欲しくなる商品」
・現代人は、昔の貴族や権力者たちが想像もできないような贅沢な生活をしているが、いっこうに満足感がない。それは、われわれが「消費者の欲望」(餓鬼の欲望)に踊らされているから
・たばこを1本吸えば、次のたばこが欲しくなり、欲望の奴隷になってしまう。アメリカ型の資本主義がつくりだした消費者の欲望が、まさにこの奴隷の欲望である
・日本の資本主義は、基本的にアメリカ型の資本主義と同質だが、少し違うところがある。それは、
企業中心主義になっている点。そこでのさばっているのは、資本家でもなく、労働者でもない。「企業」といった怪物が大きな顔をしている
・日本の労働者は、ある企業に「買われる」と、そこから動くことができない。自分を他の企業に「売ろう」としても。自由で公開された労働市場がないから「売る」ことができない。その結果、最初に就職した企業で「
飼い殺し」にされてしまう
・会社と従業員の関係は、まるで江戸時代の藩とその家来の関係。
馬鹿殿様が何をやっても、家臣は「ご無理、ごもっとも」と、それに従うほかない。それを諌めたりすれば、打ち首になる。それと同じく、企業の悪事に従業員は加担するか黙認しなければならない
・現代社会は、あれこれ数字をつくって、世間の奴隷にする。病院に行けば、数字ばかり見せられる。医者は患者を見ないで、コンピューターの数字ばかり見ている。そして、わたしたちは「病人」にされてしまう
・仏教はすべての人を好きになれとは命じていない。嫌いでもいい。われわれは嫌いな人を好きになることはできない。けれども、たとえ嫌いな人であっても、その存在をそのまま
全肯定すべきである
・もし地球上の全員が大金持ちになれば、誰も働かなくなる。その結果、全員が自分で耕し、自分で機を織らなければならなくなる。みんなが金持ちになれば、みんなが困る。ということは、貧乏な人の存在が必要ということになる
・仏教の「空」とは、「ものには物差しがついていない。物差しはそれぞれの人が持っている」という意味。この「空」なる人生を、あくせく忙しく生きたい人はそう生きればいいし、
のんびり生きたい人はのんびり生きればいい。そう思うと人生を楽に生きられる
・あなたの周囲で大勢の人が走っている。つられて駈け出してはいけない。走っている人たちは競走馬。彼らは、いったんゴールに入るだろうが、また新たなゴールを目指して走らねばならない。そして走れなくなったらお払い箱。私たちは競走馬ではない
日本の社会がどう動いているのか?どう動かされているのか?この本を読めばよく分かります。
動かされるのが嫌になった人は、社会をいったん出て、社会の物差しを否定することで、救われると思います。
この本はまた、社会の物差しがいかにいい加減なものかを教えてもくれます。その物差しの上で踊るか、休むか、その物差しから出ていくかは自由です。
一つの物差しの上で踊り続けていくことに疑問を感じている人にとっての、人生の指南書となるのではないでしょうか。