お二人の著者は、海外生活を経験して、外国から日本を見る目を持った女性の有識者です。執筆活動をされており、著書も多数あります。
この著書の中で、二人は、日本人を叱咤激励しています。その思いに同感できる部分が30ありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
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曽野綾子言>
・日本人は、人生を感じてはいるけれど、それを整理して語れない
・「健全な肉体には、始末に悪い単純な精神が宿る」。病気がその人の内面を豊かにすることもある。不幸を自分の
人生の糧にしないから大人になれない
・戦争は悪だと思うのはいいが、悪は存在しているから学ばなくてはいけない。貧困も病気も学ばなくてはいけない
・古代ギリシャ語で、勇気は「
アレーテー」と言い、同時に、「力」「男らしさ」「徳」「奉仕」「貢献」「卓越」のすべてを意味した。つまり、勇気がないところに、力も、男らしさも、徳も、奉仕も、貢献も、卓越したものもない
・人が言うから簡単に自分の考えを変え、その通りにするのは、奴隷の思想。自分が納得しなければその通りにしないのが人権。周りが何と言おうと、私はこう生きます、と譲れない部分を持つのが、その人らしさ
・日本人には、
疑いの精神がなく、疑うことが悪いことになっている。これは、幼児性の特徴で、社会と人間に対して不信を持つ勇気がないということ
・援助活動で、「人にお金を出す時は疑いなさい」「
人を見たら泥棒と思いなさい」と、耳にタコができるくらい言ってきた。しかし、泥棒でも、病気の人や食べ物がなくて困っている人がいたら手助けする。両方するのが人間
・お金も物も、あげればそれで終わりではない。援助には必ず、後の調査が必要。援助金が数年に渡って、どう使われているか立入検査できないところには、たとえ国連であろうと、お金を出す必要はない
・「忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意も溶解できる」「報酬や援助を与えれば、敵対関係も好転させうる」などと絶対に思わないこと
・人間は、うそをうそと認識しつつ、そのうその必要性、人間性、危険性を自覚しながら、それでもうそをつけるくらいの
多重性が必要。しかし、日本の教育では、裏表があるのはいけないことになっている
・心と言葉、心と行為がまったく同じ単純人間など、美しくもなければ偉大でもない。あるがまま、したい放題というのは子供のすること。意識して
裏表を使い分けるのが大人。人間を単一に見ないことが成熟
・日本には、自分の意見は絶対に正しいと思っている人が驚くほどいる。世の中に、自分と考えの違う人間がいることを認めようとしない
・誰もが
自己中心的な生き方をしている。どちらかに偏っていて、誰から見ても正しいことはできない。だから、人間はそれぞれの好みで、自分が正しいと思うことをやっていくほかない
・相手が家族や親友であっても、正しく理解されていると期待すべきではない。人を正しく理解できないなら、安易に人を裁くのは避けなければならない
・
教団の指導者が、神や仏の生まれ変わりだと言わず、質素な生活をし、信仰の名のもとに金銭を要求せず、教団の組織を政治や他の権力に利用しようとしない限り、宗教を用心する必要はない
・
危険のない社会は世界中どこにもない。ユートピアというのは、近代ラテン語で「ウ・トポス」、英語で言えば「ノー・プレイス」で、どこにもないという意味。つまり、理想郷はどこにもないということ
・今あるものを喜ぶ「足し算の幸福」は、出発点が低いので、わずかなものでもありがたく思える。しかし、今の日本は「
引き算の幸福」。豊かさであれ、安全であれ、手に入らなければ、マイナスに感じる
・逆らいもせず、怒りもせず、どんな要求でも呑むのを「求愛」と呼ぶ。ご機嫌ばかりとっていると、相手はますます、いい気になり、要求が大きくなり、不機嫌になっていく。求愛は、実は愛から離れる行為
・チップは人間関係の非常に素朴な作り方。サービスが悪いと感じたら、別にあげなくてもいい。楽しくしてくれたらはずむ。
チップは評価であり、感謝であり、賄賂であり、正当な報酬。チップが慈悲の心を育てる
・東欧動乱のとき、孤立した町に物資を投下するイタリアのボランティア自家用機が撃墜された。「危険があってもまだやりますか」の記者の質問に、生き残った一人は、「当然でしょう。そこに
必要がある限り続けます」と答えた。これが究極のボランティア
・寝たきりになっても、喜びは与えられる。介護してくれる人に感謝の気持ちを伝えれば、相手はすごく喜ぶ。人の役に立たなくなった老人の最後にできる人間らしさ、ひとつの成熟の形
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クライン孝子言>
・日本人は真のやさしさが欠けている。日常から、何気なく弱い者に手を差し伸べて、助けてあげようという気遣いがない
・ドイツでは、外から金を運んで
一家を養う人が、いちばん偉くて強い。妻が働き始め、金銭的にゆとりが出て、生活が楽になった途端、夫が積極的に家事を手伝うようになる
・食事の場が親と子供の接点になっている。そこで、学校のこと、教師や学友のこと、社会のこと、政治経済や文化のことなど、討論し合う。その中で、親は子供に生き方や
生き抜くコツを教えていく
・社会の荒波に揉まれてもビクともしない子供に育てるために、
ウソをつく方便を教えることもある
・子供に旅をさせるのは、外の世界で何が起こっているのか、自分の目で見、確かめさせることが目的。日本人は、子供にリスクを負わせず、冒険もさせず、安全地帯に身をおく旅ばかりさせる
・
物を大切にする教育は、学校でも行われる。教科書は学校から無償で借りることになっている。使い終わったら、学校へお返しする。そうやって、1冊の教科書を5~8年くらい使い回す
・今でもドイツ人の多くは、家一軒、自分の手で建ててしまう。それが、彼らの余暇の楽しみ。気に入ったデザインで家を建てたり、家具を作ったりしては自慢している
・ドイツでは、小学校はおろか幼稚園でも落第がある。幼少のころからそういう経験をすると、子供も世の中平等でないと知る。やるべきことをやらずに好き勝手していたら、必ずそのツケが回ってくることもわかる。
差別が人を鍛える・ドイツでは、ペーパーテストがよくても、自分の意見をはっきりと人前で言えなければマイナスにされる。これは、人格形成のために「対話・討論・話術」を重視しているからで、小学校低学年の「
お話の仕方」の授業から教育が始まる
このお二人は、私たちの身近にいる日本人の発想とはかなり違います。この違いを肯定するか、否定するかで、その人の人生は違ってくるのかもしれません。
もし、
魅力的な人になるには、モノだけでなく、外国人の考え方、思想も、自分の中に輸入していくべきだと思います。
多少違った意見でも、同じ日本人が書いたものだけに、抵抗なく読める1冊ではないでしょうか。