とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索
カテゴリー  [ 幸せの本 ]

『幸せの経済学』橘木俊詔

「幸せ」の経済学 (岩波現代全書)「幸せ」の経済学 (岩波現代全書)
(2013/06/19)
橘木 俊詔

商品詳細を見る

人生の目的とは、幸せになること。哲学も宗教も、幸せを体系化しようとしたもの。その「幸せ」は青い鳥なのかもしれないが、経済学の立場で見た「幸せ」とは何かを示しているのが本書です。

日本の人々、世界の人々が、幸せをどう考えているか、経済学的資料をもとに、類推している点に興味を抱き、それらの一部をまとめてみました。



・20世紀後半以降のような「成長」を望むことはできない。「定常経済時代」という現実は、「幸せになるには、まず成長」の固定観念から脱却する絶好の機会

・「清貧の思想」は、日本人特有の独創的な幸福感。日々の生活は食べていけるだけでいい、最低限の生活を送ればいいというもの。凡人は、華美な消費に走ることは避けるにしても、もう少し水準の高い経済生活を追求してもいい

・一人当たりGDPは高くても、所得格差の大きい国ほど国民の生活満足度が低くなる

・幸福度の高い県は、県民所得が高い割に、自然環境がいい

・一番幸福度が高いのは、60代の女性で、反対に不幸度が高いのは、30代の男性

・既婚者は幸福。さらに子供がいない夫婦の幸福度が高い

・学歴の低い人も中学卒を除いて、不幸度はそう高くなく、学歴の高い人もそれほどには幸福度は高くない

学歴の高い人は、出世、賃金などの期待度が高いが、現実の世界では、それを達成できる人は少ない。ゆえに、学歴における幸福度にほとんど差がない

管理職専門職の人のほうが、現場で肉体作業をしているブルーカラーの人たちよりも、やっぱり幸福度は高い

・企業規模では、公務員の幸福度が一番高い。そして、大企業で働いている人は、中小企業で働いているよりも幸福度は高いが、企業規模が10人~30人といった小さい企業で働いている人も幸福度は高い。小さな企業だと自分のやりたいことができるからと思われる

・「何に希望を持っているか」の調査で、意外に低かったのが友人関係。友人はいざというとき期待できないと考えている

既婚者、高い所得教育年数女性であること、健康といった変数が幸福度を高めている

・デンマーク人は、「生活に困ったときには政府が支援してくれる」というセーフティネットの充実があるからこそ、高負担の税率を容認している。だからこそ、デンマーク国民は幸福度が世界一高い

・デンマークでは、高い教育や高度で複雑な仕事への報いはそれほど高くない。むしろ、人間としてすべての人がそこそこ食べていける賃金を支払うことが公平な処遇であると、信じている

・「日本人は幸福な生活を送る上で、何が必要か」調査では、高い順に「インターネット」「基礎体力・運動能力」「親友」「持ち家」「コミュニケーション能力」「テレビ」「基本的な学力」「テレビ」「子ども」「冷房・暖房」「車」「携帯電話」「面白い仕事」「結婚」

「日本人は幸福な生活を送る上で、何が必要か」調査では、低い順に「別荘」「ギャンブル」「高い身長」「先生」「高い学歴」「数学力」「すぐれた容姿」「土地」「家事育児と両立可能な仕事」「すぐれた頭脳」「お酒」「社会に貢献できる仕事」「語学力」「恋愛」「高い収入」

・人間として野心の強い人、あるいは嫉妬心の強い人は、現状において幸福度を低く表明している

・国民に安心感を与えて、幸せな人生を送れるようにするのは政府の役目。国民の労働生産性を高めるには、教育と技能の蓄積しかない。そのためには、国民は税・社会保険料の負担をこれまで以上に覚悟する必要がある



日本の幸福観と世界の幸福観には、大差はありません。日本人も、結構、冷静に考えています。

幸せになる、というのは永遠のテーマ。何をもって、幸せとするかは、個々人によって違うもの。求める幸せが、みんなと同じにならないように、自分にとっての幸せかをよく考えてみようという書でした。


[ 2014/07/21 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『さよなら私』みうらじゅん

さよなら私 (角川文庫)さよなら私 (角川文庫)
(2012/09/25)
みうら じゅん

商品詳細を見る

みうらじゅんさんは、「ゆるキャラ」「マイブーム」などの産みの親です。時代感覚を持ち合わせているだけでなく、「見仏記」などの著書もあり、仏像にも詳しい方です。本ブログでも「運慶:リアルを超えた天才仏師」で、著者のコメントを掲載しました。

本書は、非常に、頭がよくて、照れ屋で面白い著者が書いた真面目な本です。仏教に造詣が深いことがよくわかります。その、ためになる数々をまとめてみました。



・選択肢とは、いくつもあるように見えて、実は二つしかない。いいか悪いか、好きか嫌いか、行くか行かないか。とくに人生において、行くか行かないかの選択は、今後に大きく影響する

・生き物の宿命は別離であり、死別であること。この最大の不安から逃れることができない限り、安定などあるはずがない

・時代というのは、目に見えるものではなく、新しい考え方が古い考え方を押しつぶしていく変遷のこと

・未来は誰にもわからない。わかったところでどうすることもできない。それでも知りたくなるのは、今ある不安から抜け出し、少しでも安心したいからに違いない

のんきは、真面目や不真面目という既成概念と違い、一種の才能。「なるようにしかならない」と人生をあきらめている。努力をしないわけではないと、あくまで自分のことも他人事と考えている

・「自分に自信が持てなくて」という人に限って、他人の話に耳を貸そうとはしない。それは、自信が持てないという自分を過信しているから。人はついつい自分を信じすぎる。他人を疑うという気持ちも、自分を信じている証拠

・他人がやたら楽しそうに見え、うらやましいと思うときは、淋しくならない努力を怠っていると反省すべき

・身の回りの誰かを主人公に抜擢し、自分を脇役と考える生活方式に切り替えてみること。また一味違ったストーリーが展開するはず。「損している」と感じるようでは、まだ脇役になりきれていない

・人生には、目標とか、目的とか、夢とかあるが、それはうまく暇をつぶすための方法

・やさしさは結局、甘さであって、そんな自分を肯定して生きること

・結局、人は誰かにホメられたくて生きているもの。ホメられないとき、人は淋しい

・人は、カッコいいことと、カッコ悪いことに左右される生き物。たかが数十年の人生。カッコ悪くてもいい。そんなこと気にせずに、好きに生きてみるべき

・自分など結局はどこにもいるはずがなく、脳が生み出した幻想にすぎない

・楽しく生きるためには、できる限り「他人と比較しないこと」と、「他人に期待しないこと」が重要

・「私は私の生き方しかできない」とわかるまでには時間がかかるもの。つい、他人の生き方を羨ましく思い、マネをしてみるが、うまくいくはずはない。それは、他人のいいところばかりマネしようとするから

・人間は、悩みを抱え、それを克服するためにがんばる、そういった生き物。克服すると、さらにその先には、悩みが待ち構えている。不安と安定を繰り返しながら、人間は飽きることなく暇つぶしして一生を終える

・好きな人とは結局、自分にとても都合のいい人のことで、相手もそう感じているときを、相思相愛の状態と呼ぶ

・人は人生という波に乗っているサーファー。せっかくいい波が来ても、うまく乗れないこともある。今度、その波が来たときに、どうやって乗ってやろうかが、経験であり、努力

・若いうちに成功したと思うと、歳を取ってからも、その成功にしがみつこうとする。若いうちは成功など考えないで、ただ、したいことをすればいい



「欲もなくし、自分という存在もなくしてしまえ」というのが本書のテーマです。まるで、高僧の教えのようなことが書かれています。みうらじゅんさん自身が、欲深い別人格を演じながら、欲をなくして生きているように感じました。

俗なる人が聖を演じることは多々ありますが、聖なる人が俗を演じることは少ないように思います。そういう人が書いた珍しい書なのかもしれません。


[ 2014/02/12 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『婚活したらすごかった』石神賢介

婚活したらすごかった (新潮新書)婚活したらすごかった (新潮新書)
(2011/08)
石神 賢介

商品詳細を見る

著者は、40代でバツイチ独身のライターです。その著者が自ら、ネット婚活お見合いパーティー結婚相談所に入会、参加して、婚活経験したことが本書の核となっています。

反省や成功事例も踏まえているので、婚活マニュアルとして活用できます。現代の婚活事情を覗く楽しさもあります。そんな面白い書の一文を少しまとめて列挙してみました。



・女性は収入を重視している。男はとにかく年収が高ければ人気がある。画面をチェックしていると、年収1000万円を超えると、申込件数が一気に増える

・女性会員が、年収の次に重視するのが容姿。容姿は、整った顔立ちの「イケメン」に人気が集中するわけではない。それよりも「清潔」であることが重要

都心部に住んでいる男性には申し込みが多い。言い換えると、都会在住でないと不利。多少収入が多く、容姿に恵まれていても、住まいが東京や大阪や、その近郊でないと、女性は食いつかない

・男は若い女性が好き。若くてきれいな女性が入会し、プロフィールがアップされると、その日のうちに申し込みが何十件も集中する

・「癒し系」のほかに、「甘えん坊」「古風」といったキーワードに、どうやら男は弱い

・「恵まれた容姿」「仕事のスキルの高さ」「学歴の高さ」「海外経験の豊富さ」などをプロフィールに書く女性は多いが、こういったタイプに申し込む男は、よほど自信があるか、よほど自己評価の甘い鈍感男。ネット婚活は自慢大会ではない

・若くてきれいな女性や、高収入で見た目もいい男は、ネット外の社会で十分に需要があるので、ネット婚活などしない。だから、プロフィールを閲覧していて、スペックの充実している人を見つけたら、何か問題を抱えていると考えたほうが自然

・写真掲載には、「スナップ」と「スタジオでプロが撮影」の二つある。異性からの申し込み件数で判断すると、「スナップ」のほうが受けがいい。しかし、容姿に自信がない場合は、「スタジオ撮影」で、多少の加工修正を施すことも必要

・「コストをかけてでもパートナーを見つけたい」という真剣度の高い男女が参加するから、会費が高めだと安心感がある。一方、会費が安いパーティーは、安いなりの男女が集まる

・参加者の年齢が高いほど、カップルになる数も多い。真剣度が高いから。また、「公務員&教師限定」といった安定した職業を条件にしたパーティーもいい数字になる

・婚活パーティーは「女高男低」。こちらが不思議に感じるほど魅力的な女性が多い。人気のある男性会員は概して退会が早い。気に入った女性がいると迷わずに結婚を決めるが、女性会員は、相性のよさを感じる男性と出会っても、なかなか決めず、悩んでしまう

・婚活パーティーに参加している男性は「極端な欲望むき出し系」と「極端な奥手」に二極分化される

・婚活パーティーでうまくいくようになると、日常での男女関係のスキルも上がる。仕事上の集まりで出会った女性を以前よりも抵抗なく誘えるようになる

・日本人は、頻繁に女性を口説いたり、ふられたりはしない。ふられるのが怖いから、口説くという行為には勇気がいる。しかし、婚活パーティーで口説いたり、ふられたりの経験を重ねると、少しずつ恋愛体質になっていく

成婚料をとらない会社は、基本的に、入会してお金を払って以降は何もしてくれない。すでに会員になった客の相手をするのは時間の無駄と考えているスタッフがほとんど。成婚料がある会社の多くは、成婚料も歩合に計算されるので、登録後もフォローしてくれる

・大手は成婚料をとらない会社が主流で、大手のほうが登録している男女の数は多く、出会いのチャンスも多い。成婚料をとらない大手の会社に登録するならば、自分から積極的に動くこと、可能であれば、オフィスに足を運び、窓口にスタッフに相談すること

・アメリカでは、日本人女性は三十代でも未成年に思われるほど、容姿にいい評価をもらえる。日本では気が強い女で通っていても、自己主張の国アメリカでは、穏やかで優しいと評価される。このアドバンテージを知り、マッチメイカーに依頼する日本人女性は多い



現代の婚活事情に詳しい人が周りにいないので、本書を楽しく読めました。古臭い考え方で、婚活戦線を乗り切っていこうとするのは、間違いかもしれません。

精神的にも、金銭的にも一生を左右する「婚活」に、もっともっと、社会が関心を持ってもいいのではないでしょうか。


[ 2013/12/30 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『アランの幸福論』アラン

アランの幸福論アランの幸福論
(2007/12/15)
アラン

商品詳細を見る

アランの幸福論は、以前、岩波文庫の「アラン幸福論」をとりあげたことがあります。本書は、その「幸福論」の名言を200ほど抜粋したものです。

視点が変わると、「幸福論」の捉え方も違ってきます。別の見方での「幸福論」も、新鮮に感じるところが多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・悲しみは病気の一種にすぎないから、理屈や説明をあれこれ考えずに、病気と思ってがまんしよう。そうすれば、苦々しい言葉を際限なく言うこともなくなる

・ふさぎ込んでいる人に言いたいことはただ一つ。「遠くに目をやろう

・社会活動や雑談、行事、パーティは幸福を演じるチャンスであり、こうした喜劇のおかげで、悲劇から確実に救われる。その働きは、ばかにできない

・怒りと悲観こそ、まず克服すべき敵。信じ、期待し、ほほえみ、その上で、努力しなければならない。もし楽観主義を最後まで貫き通すことを規範としなければ、悲観主義がたちまち現実のものとなってしまうから

・過去と未来が存在するのは、人がそれについて考えるときだけ。つまり、印象であり、実体がない。それなのに私たちは、過去に対する後悔と未来に対する不安をわざわざつくりだしている

幸先のいいスタートを切る意欲的な人たちはみんな、各自の目的地に到達している

・意志の強い人の特徴は、何にでも自分の痕跡を残していくこと

・人は賭けごとが好きである。そこには意志決定の力が必要だからである。デカルトは「優柔不断はあらゆる不道徳の中でも最悪のもの」と言った。人間の特質をこれほど的確にとらえた言葉はない

・自分の感情よりも、ほかの人の感情をじかに操るほうが簡単。会話でもダンスでも、相手は自分を映し出す鏡だから

・仕事は、あらゆるものの中で最高のものであり、最悪のものである。自分から進んで自由に働くのであれば最高、逆に、そこに自主性がなければ最悪

・運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、新しい世界が生まれる

・景色の本当の価値は、その細部にある。見るということは、その細部を念入りに調べ、その前でしばらく立ち止まり、それからもう一度、全体をじっくり見ること

・幸せだから笑うのではない。笑っているから幸せなのだ。食べて楽しむのと同じように、笑って楽しむのである

・うれしそうな表情は、誰にとっても気持ちいい。自分がよく知らない人の場合はとくにそうである。その意味を考えたりせずに、額面通りに受け取ればいいからである

・「幸せに生きるコツ」の一つは、「楽しませる」こと。それは、ほとんどいつでもできること

・あなたが将来、幸せになっていると考えられるのであれば、それは今、あなたがすでに幸せを持っているということ

不機嫌をちょっと放ったらかしにしておくと、それはすぐに悲しみや怒りに変化する。これこそがまさに悲観主義である

・自分を愛してくれる人たちのためにできる一番いいことは、自分自身が幸せになること

・「幸せに生きるコツ」の一番の決まりごとは、自分の不幸を、今のことであれ、過去のことであれ、ほかの人に一切話さないことである。不平をこぼすことは、他の人を悲しませるだけ。つまり、いやな気持ちにさせてしまう。悲しみは毒のようなものだから

・悲観主義は感情からくるもの、楽観主義は意志からくるもの。気分のおもむくままに生きている人はみんな悲しい。そういう人はやがて、怒り、激怒するから

・楽観主義は誓いを必要とする。私たちは幸せになると誓わねばならない。そして、「悲しくなるような考えは、すべて間違った考え」と思うこと。なぜなら、人は何もしないでいると、すぐに不幸せを当然のようにつくりだしてしまうから


幸せになるには、そう念じなければならない、そう誓わなければならない、それにふさわしく行動しなければならない、というのがアランの考え方です。

幸せに振る舞えば、幸せになっていくという事実は、見落とされがちです。しかし、上機嫌な人、つまり、周りを明るくする太陽のような人に、不幸な人はいません。アランの考え方は、本質をついたものではないでしょうか。


[ 2013/10/31 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『幸福途上国ニッポン・新しい国に生まれかわるための提言』目崎雅昭

幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言
(2011/06/24)
目崎 雅昭

商品詳細を見る

本のタイトル的には、あまり期待していなかったのですが、内容は大変面白いものでした。著者は、外資系の証券会社でトップトレーダーを務めた後、世界100カ国を10年以上かけて放浪、インド南部で1年に渡る瞑想生活など、ユニークな経験をされてきた方です。

幸福とは何かを求めて、世界を知的放浪された著者が感じた、信じた幸福とは何かが、本書に掲載されています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・気温・日照と幸福度に相関関係はない。どんなに厳しい気候条件でも、人類は適応して生きてきた。定住の時点で、気候よりも、そこがどんな社会かが、人の幸せにとって重要

自殺率の高い国は、ほとんどが旧共産国とアジア。共通点は、「権威主義」もしくは「集団主義」。どちらも「個人の自由」が軽視される。自殺率が高い国に幸福な国はない

・出生率が高い国は、必ずしも幸福でない。しかし、幸福度が高い国で、出生率が低い国はない。そして、出生率が低い国で、幸福度の高い国もない

・個人の自由度が低いと、幸福度も低くなる。自由を束縛するような宗教は、幸福度を低くする

・地域主権によって、個性化につながり、愛着が生まれ、市民意識も高まる。住民の満足できる地域には、地方分権が有効

・「個人の幸福のために最適な社会をつくる」考えが個人主義。一人一人が抑圧され続ける限り、幸福度は上昇しない。個人の幸福よりも社会の秩序が優先されるので、当然の結果

・幸福度の調査で、常に上位を占める国は、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランドの北欧、そして、スイス、オーストリア、オランダなどの西欧。1人当たりGDPだけでなく、平均寿命、教育指数でも上位。腐敗も犯罪も非常に少ない

・集団主義である限りは、寛容な社会になりえない。協調性を強いることは「異質な個人を寛容しない」と同じ。反対意見や批判精神も悪いとする風潮になる

・「楽しい時間を過ごすことが重要」と考える人が多い国と、「選択の自由がある」と感じている人が多い国には、明らかな相関関係がある。つまり、日本人は楽しい時間を過ごしてはいけないと思い、自らの意志をあまり反映できない人生を過ごしている

・ヨーロッパ諸国では、友人や同僚との会話の中で、新聞やテレビのニュースが頻繁に話題に上がる。しかし、日本では、友人や同僚と時事問題を話さない。一方、日本人は75%が「新聞や雑誌」、70%が「テレビ」を信頼する。他の先進諸国に比べ、圧倒的に高い

・メディアの信用度が高い国はアジアやイスラム諸国。集団主義傾向が強い人々にとって、メディアという権力を信頼し、その報道を従順に受け入れるのは、集団主義の発想と同じ

・個性が重要と考えるのに、好き嫌いを否定し、異質なものを認めない態度は矛盾している。本当に個性が重要ならば、好き嫌いが当たり前という姿勢が必要

・自分の意志で選択し、その選択に責任を持つという精神があれば、どのような人生を送っても幸福度は高い。結果が問題なのではない。どうやって生きるかが重要

好奇心のない人生に、幸福感が訪れることは難しい。適度なドーパミンを促す行動が、幸福には必要不可欠

好き嫌いを明確にすることは、自己を知る出発点。日々の生活の細かいことに好き嫌いやこだわりがなければ、没頭できるものに出会うチャンスは少ない。ましてや、人生という大きなテーマで、やりたいことなど見つからない

・人生の半分は自分次第。そこでできることは、幸せな人生を送るための最適な環境をつくる努力をすること。幸福な人生の半分は、環境で決定される

・対話や議論を通じて、自分の考えを説明するための知識は、自分の血となり肉となる

・気を遣うことは悪いことではないが、様々な価値観が存在する現代社会では、声をかけてお互いの意志を確認するほうが、双方満足できる。気を遣う社会では、鈍感な相手は「気の利かない人」とレッテルを貼られる。そんなコミュニケーションは心身ともに疲れる

・極端な思想に傾倒する人は、どこか途中で、疑問を持つことや質問することを止め、思考を停止することで何かを絶対と決めつける。対話を拒否し、議論ができない社会は、利己主義者の格好の餌食になるか、逆に、閉鎖的な社会の急先鋒となる



本書の最後に、日本が幸福な社会になるために、「1.地方分権」「2.個人に寛容な社会」「3.女性の自立意識」「4.対話中心の社会」「5.社会とのつながり体験」が必要と著者は提言されています。

日本の幸福度は経済的豊かさを達成した後、低迷しています。これから、幸福度をさらに上げていくためには、著者の言うような社会改革が必須になるのではないでしょうか。


[ 2013/10/17 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『「善人」のやめ方』ひろさちや

「善人」のやめ方 (oneテーマ21)「善人」のやめ方 (oneテーマ21)
(2012/07/10)
ひろ さちや

商品詳細を見る

宗教評論家である著者の本を紹介するのは、これで11冊目になります。このブログで一番とりあげている作者です。

最近は、一貫して、世間にとらわれるな、世間を信じるな、世間にだまされるな、と善良な日本人に対して提言をされています。本書も同様です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・私たちが寄ってたかって「世間」という怪物をつくって、その怪物に人々を騙すという仕事をさせている。そんな騙しに引っかからないためには、「世間」を馬鹿にすべき

・模範社員の「模範」というのが危険。これは会社の物差しで測っての「模範」であって、別の物差しで測れば「人間の屑」かもしれない

・われわれは、働かねばならないから働いている。働かないと生活費が稼げないから、仕方なしに働いている。体制側は、そんな態度で働かれると、職場がぎすぎすするので、働くことは喜びだ、働くことは生き甲斐だ、と必死になって宣伝する

・働くことは喜びだ。世の中の役に立つ人間になれ。真面目に努力すれば、きっと成功する。たいていの人は、そんな世間の常識に従って生きている。それは世間にたぶらかされている

・生活には「成功と失敗」がある。しかし、人生には「成功と失敗」はない。生活の苦労は苦労として、自分の人生を好き放題に生きればいい

・世間を馬鹿にすることは、裏を返せば、主体性を確立すること。自分を大事にすれば、自然と世間を馬鹿にするようになる

・「優等生」というのは、自分をどろどろに溶かして、世間が誉めそやす「優等生」という鋳型に流し込んで、世間が「期待する人間」になった人

・「期待される人間」をつくったら、必ず「期待されない人間」が出てくる

・自由とは、自分に由ること。自由に生きるということは、自分を大事にすること。世間を大事にしている限りは「世間由」で、世間に由っている

・仏教は、「仏の教え」であると同時に、「仏になるための教え

・実力ある者が楽しく勉強すれば、一流大学に合格できる。実力ある者が楽しく仕事をしていれば社長になれる。実力ない人間が高望みして、死に物狂いに努力してもろくなことはない。高望みの目標を設定しないこと、それが楽しい人生を送る秘訣

・あくせく、いらいら、がつがつと働かなければ生きていけなくなり、会社をリストラされてしまうのであれば、それは会社が悪い。社員を奴隷のように思っている

あらゆる欲望が煩悩であって、悪いもの。利益を得たい、得をしたい、儲けたいという欲望は悪。そして、進歩したい、人格を向上させたい、幸福になりたいといった欲望も悪。
でも、人間は欲望をゼロにできない。だから、仏教は、欲望を少なくせよ、と教える

・みんな善人になろうとする。それで人生が楽しくなるのであれば、それでもいい。でも、善人になろうとすれば、人生がしんどくなる

・人間はみんな不完全な存在なんだから、善人というのは、つまり偽善者。善人をやめるということは、偽善者をやめるということ

個性を伸ばすのであれば、音痴がより音痴になるべき。怠け者がより怠け者になるべき。それが個性を伸ばすこと。怠け者がちょっとぐらい勤勉になっても、ありきたりの人間になるだけ。個性がなくなってしまう

・怠け者の価値が劣ると判断するのは産業界。産業界からすれば、勤勉な人間のほうが利用価値が高い、怠け者の利用価値は劣る。しかし、それは世間が勝手に判断する「人間の利用価値」に過ぎない。そんなものに束縛される必要などない

・社会的にステイタス(地位)の高い者は、それだけ義務が大きい。それが「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」。日本のエリートは、その義務を果たそうとしない。そんなのは軽蔑すべき人種

・自分より世間を大事にするなんて、愚か者の生き方。いくら世間を大事にしたところで、世間のほうは、あなたが使い物にならなくなれば、すぐにあなたを見捨ててしまう



本書は、「自分の人生だから、自分の好きなように生きればいい」と締めくくられています。

世間という怪物、常識という怪物に圧倒されて、自分を、小人として過ごしていかざるを得ないのが、日本社会の現状です。自分をもっと大きく育てていくためには、好きなように生きること、ただそれだけのことなのかもしれません。


[ 2013/10/11 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(2)

『生き心地の良い町・この自殺率の低さには理由(わけ)がある』岡檀

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある
(2013/07/23)
岡 檀

商品詳細を見る

本書は、自殺率が日本で一番低い町(徳島県海部町)を丹念に取材した書です。数字上では表れない部分も、取材によって浮き彫りにされています。

自殺率が低いということは、「幸福円満」ではなくても、「不幸せではない」ということだけは間違いなさそうです。「不幸せではない」ヒントが満載の書です。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・自殺率の低い自治体ベスト10のうち、海部町以外はすべてが「島」。島の特殊な地勢を除けば、海部町だけが残る。しかも、海部町の両隣の町の自殺率が全国平均並み。地形や気候、産業構造、住民の年齢分布など類似点をもつ三町に、自殺率の差があるのは不思議

・海部町では赤い羽根募金が集まらない。募金を拒む人は「あん人はあん人。いくらでも好きに募金すりゃええが。わしは嫌いや」と言う。老人クラブも、役所の担当者が声をかけても、募金同様に集まらない。海部町町民は、「統制」や「均質」を避けようとする

・海部町で、現在も機能している「朋輩組」(江戸時代発祥の相互扶助組織)はユニーク。歴史ある組織でありながら、会則と呼べるものがないし、入退会の定めもない。よそ者、新参者でも希望すれば、いつでも入会(退会も)できるし、女性の加入も拒まない

・海部町では「歳が上がれば自動的に偉くなるとは限らない」。朋輩組でも、年長者が年少者に服従を強いることがない。年少者の意見でも、妥当と判断されれば即採用される。町の人事にも人物本位主義が反映される。現在の教育長は、教育経験のない41歳の男性

・海部町では主体的に政治に参画する人が多い。自分たちが暮らす世界を自分たちの手で良くしようという姿勢がある。行政に対する注文も多く、いわゆる「お上頼み」がない。こうした住民意識を反映してか、首長選挙が盛んで、海部町には長期政権の歴史がない

・海部町には「病、市に出せ」の格言がある。これには、やせ我慢すること、虚勢を張ることへの戒めが込められている。また、親や教師から「でけんことはでけんと、早う言いなさい。はたに迷惑かかるから」と、言われることが多い

・海部町は、江戸時代、材木の集積地だった。大坂夏の陣後の復興需要で、短期間に、一攫千金を狙っての労働者や職人、商人が町に流れ込み、やがて居を定めた。この成り立ちが、周辺の農村型コミュニティと大きく異なる

・海部町は、多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティ。町では、今も「ゆるやかな絆」が維持されている

・海部町のコミュニティにおけるトラブル処理の方針は、評価を固定させないこと。「朋輩組」でも、「一度目はこらえたれ(許してやれ)」という言葉がよく聞かれた

・かつては地縁血縁の薄い共同体であった海部町が、自分たちの生活を脅かす危険をいかに回避するか、被害を最小限にとどめるか、住民が知恵を出し合って、試行錯誤して、行き着いた策が「弱音を吐かせる」というリスク管理術

・海部町の人々は、人間の「性(さが)」や「業(ごう)」をよく知る。性や業を無視して、金科玉条を掲げても、人々は容易に従わないし、それどころか強い反発を招きかねない。

・「傾斜度が自殺率に与える影響」調査によれば、傾斜が15度~25度と強くなれば、自殺影響度が急速に高まる。厳しい自然環境が住民の生活活動に支障をきたし、孤立が強められ、忍耐力が植え付けられる。そのことが誘因となり、うつ状態が生じる可能性がある

・海部町には、住民が気軽に立ち寄れる場所、時間を気にせず腰掛けていられる場所、行けば必ず隣人と会える場所、新鮮な情報を持ち込み広められる場所が数多く存在する。これら「サロン機能」が傾斜の弱い平坦な土地に、コンパクトかつ集中的に配置されている

・「幸福度に関する調査」では、海部町は、幸せな人が少なく、幸せでも不幸せでもない人が多い。「不幸でない」ことに、より重要な意味がある。海部町のコミュニティは「大変幸福というわけにはいかないが、決して不幸ではない」を心がけている

・「生きづらさ」の元となる要素を取り除き、生き心地のよいコミュニティを次世代に引き継いできたのは、先達の「損得勘定」。人間の業である損得勘定を基にしていたからこそ、長年にわたり、破綻することなく継承されてきたと

・海部町では、「野暮な奴だ」と言われることが最大の不名誉。個人の自由を侵し、なんらかの圧力を行使して従属させようとする行為をくい止めるためには、そうした行為に「野暮ラベル」を貼ること。野暮ラベルは、魔物を封印する御札



「幸福とは何か」。それは「不幸でないこと」。「不幸でない」ためには、どうすればいいか。そのヒントが、この海部町の事例が示しています。

しかも、江戸時代より続いてきた事例です。この事例を参考にすることが、息苦しい世の中から解放される一助になるのではないでしょうか。


[ 2013/09/19 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『持たない贅沢』山崎武也

持たない贅沢持たない贅沢
(2009/07)
山崎 武也

商品詳細を見る

人間の欲望には限りがありません。食べ物なら、胃袋いっぱいが限度です。大きな物なら、部屋いっぱいが限度です。しかし、小さい物、物でないものには限りがありません。

それらを追い求めていく「欲張りレース」に参加しないことが、この「持たない贅沢」です。本書には、欲張りレースに参加しない方法が数多く記されています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・酒と同じように、欲は百薬の長にもなれば、百毒の長にもなる。やはり、「欲は活用するとも活用されるな」で、自分の欲を上手にコントロールしていかなくてはならない

・物でも金でも、また名誉でも、持っていることは、それらに気を使っている分だけ、自分が束縛されていることであり、日々の生活が複雑になっていることにほかならない

・世の流れに媚びたり影響されることなく、淡々とした姿勢に徹して、自分の感性を信じ、美しいものを見出そうと努力を続けていけば、自然に自分自身の心身にも美が備わってくる。そうすれば、美しいものに囲まれた幸せの世界が実現される

・物事が複雑になるのは、一つのことに心を込めていない証拠

・持たざる者は、守るべきもの、縛られるものが少ないので、強引に自分の主張をすることができる。自分の狭い世界の中であるとはいえ、それだけ自由が享受できる

・モノに執着し、モノを所有して喜ぶのは、幼児性から脱却していない証拠。モノから自分のココロを解放することができて初めて、真の大人になったということができる

・欲にも余裕を残しておいて「欲八分目」を心掛けること。現在の大欲を捨てて、将来の大欲を満たす可能性を残しておくのが、賢明な人のすること

・そもそも投資とは、将来において利を得るために、現在を犠牲にすることである。ただ問題は、その実現性が明確でない点

手抜きというのは、必要な手続きを省くことだが、実際に省かれているのは、人の心。便利というのは手抜き。そこに残っているのは、表向きの都合のよさであって、真心のかけらもないことが多い

・表だけをきれいにして裏をそのままにしておいたのでは、胸を張ることはできない。心の奥底に引け目を感じて、裏の汚いところを見られたらどうしようかと考えてしまう

・流行しているものには、人の心を浮き立たせるものがあり、モチベーションを高める。だから、内部から仲間として加わり、「感化」を及ぼしていくのが上手な方法

へつらうときには、相手から何かを期待する気持ちがある。相手の喜ぶ顔が見たいというだけであればいいが、それ以上に、もっと具体的な「反対給付」を期待する気持ちが潜んでいたら、それは堕落した行為というほかない

・茶道が狙っているのは「整然美」。ぴたりと美事に決まる美しさで、その中にいる人たちの心は、きちんと整った秩序の中にある宇宙を感じている。それは居心地のよい世界

空白にも価値があると考えて大切にすること。空白こそが、アクセントになる

・「づくし」には、ゴタゴタ入り混じっている感じがつきまとう。一方、「違い」には、独自性という大きな価値が感じられるので、質に重点を置いた「高級感」がある

・強引は力と力の戦いになるが、謙虚には知らず知らずのうちに引き寄せられていく。謙虚は力を出していないので、内に力を秘めている。それが美しく輝いてくる

・世の人々の公正や公平という秩序を守る重要性を忘れてはならない。自分一人がよくなっても、自分の周囲に乱れが生じたら、その結果は自分にもマイナスとなって及んでくる

・偽物には、人をごまかそうとするマイナスの意図が感じられる。何かおかしいという違和感があるので、居心地がよくない

・自分の分を守って生きていく以上のことを望むのは、現在の幸せを壊すことにもなりかねない。平凡が幸せの核である

・有名には不自由が伴う。無名は自由をフルに楽しむことができるが、まったくの無名では寂しい。「知る人ぞ知る」で、社会の一分野の中で、ある程度の成果を上げている「隠れ有名人」くらいがちょうどいい



若いうちは、「持つ贅沢」を味わった人でないと、「持たない贅沢」の心境に到達しないのかもしれません。年老いてくると、誰でも、「持たない贅沢」の心境に到達してくるように思います。

その心境に到達したとき、それにふさわしい振る舞いが必要になります。本書には、その模範となる振る舞いが書かれており、参考になりました。


[ 2013/08/20 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『幸福論 (第1部) 』ヒルティ

幸福論 (第1部) (岩波文庫)幸福論 (第1部) (岩波文庫)
(1961/01)
ヒルティ

商品詳細を見る

スイスの法学者であるヒルティが「幸福論」を著したのは、1891年です。「幸福論」の元祖です。「アランの幸福論」「ラッセルの幸福論」は、すでに本ブログで紹介済ですので、これで世界三大幸福論が揃ったことになります。

本書は、幸福であることの尺度を示した人生論の古典です。読み応えのある本です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・文化は富の土台の上にのみ栄え、富は資本の蓄積によってのみ増大し、資本は正当な報酬を受けない者の労働の蓄積からのみ生ずる。ゆえに、文化は不正から生ずる

・できるだけ多くの人格者を養成すること、これが本来、教職にある者の本分

・われわれに害を加える者だけが、真にわれわれの敵である。普通の意味の敵は、たいてい、きわめて有益なものであり、時には、なくてはならないものでさえある

・君自身のものでない美点を誇ってはならない。外面的な、偶然の所有について誇るのは、教養の乏しい人たちの特徴である

・君の心が、万一にも君を離れて外部に向かい、世間の気を迎えようとする気持ちが生じたとき、君は正しい心の状態を失ったのである

・誰かが君に「誰それはお前の悪口を言っていた」と告げたなら、その言われたことに弁解をせず、むしろこう答えるのがよい。「彼は私の持っているその他の欠点を知らなかったのだ。そうでなかったら、ただその一つだけを挙げはしなかっただろう」

・理想主義はなるほど尊敬すべき考え方であって、特に青年の教育には有益であるが、世に出た後の実生活にはあまり役立たない。実際には、ものごとはすべて「互いに激しくぶつかり合う」もので、理屈とはまた別

・人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である

・称賛は人の内部に潜む傲慢を引き出し、富は我欲を生む。この二つは、成功することがないなら、最後まで隠れたまま現れてこない

・最も幸福な人とは、個人的な利己心でなく、ある偉大な思想に自分をぶち込む人。次に幸福な人は、穏健な人。後者は、自分の力の及ぶ限りの成功をおさめるが、前者は、幸福であるためには成功を必要としない

・幸福は、ある大きな思想に生きて、それのためにたゆまず着実な仕事をし続ける生活のうつに見出されるもの。これは自然、すべての無益な社交を排斥することになる

・教育の目的とするところは、善への性向を持つ人間を育てあげることである

・悪は、厳しく叱ったり、非難したりする必要はない。それが明るみに持ち出されるだけで充分。その人は、たとえ表面上は反抗しようとも、必ず自分で良心のさばきを受ける

・自己教育はすべて、ある重大な人生目的をひたすら追求し、これに反する一切のものから遠ざかろうとする意志、断乎たる決心とともに、始まるものである

・君の学んだもの、君に託されたものをどこまでも守ること

・幸福こそは、人間の生活目標。人はどんなことをしても幸福になりたいと思う

・人は富の偶像から自由にならない限り、精神的自由など、まるで問題にならない

徳は幸福ではない。徳というものは、人間の自然のままの心に住むものではない

・最も不幸な者は、単にある宗教的宗派に所属することによって幸福を得ようとして、結局だまされたと感じて、ひどく失望する人たちである

・喜びは、自分から追求してはならない。それは、生活さえ正しければ、自然に生まれてくるもの。最も単純な、金のかからない、必要に基づいて得られる喜びが、最上の喜び

・真の幸福感にとっては、外部の事情などは全くどうでもよいものである

・幸福とは、もはや外的運命に支配されることなく、完全にこれを克服した、不断の平和のことである



真の幸福とは何かを考えずに、見せかけの幸福を追いかけても仕方がありません。本書には、その真の幸福が描かれています。

尚、ヒルティの幸福論は第三部まで続きます。第二部、第三部は、また追って紹介させていただきます。


[ 2013/08/08 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『快感回路-なぜ気持ちいいのか・なぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン

快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか
(2012/01/20)
デイヴィッド・J・リンデン

商品詳細を見る

本のサブタイトルが、「なぜ気持ちいいのか、なぜやめられないのか」とあります。快感は、欲望にによって起こされるのであり、それをやめようとすれば、自己抑止力が必要となります。

本書は、どういう時や場合に、快感のスイッチが押されるのかを解明しようとするものです。興味深いところが多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・私たち人間は、快感を追い求めることに、とてつもない時間と労力を注ぎ込んでいる。私たちが、何かをしようとするとき、その動機づけの鍵となるのが快感

重要な儀式には、祈りや音楽や舞踏や瞑想が伴い、多くは超越的な快感を生み出す。そのような快感は、人間の文化活動の奥底に深く根付いている

・法律や宗教や教育制度はどれも、快感のコントロールと深く関わる。セックス、ドラッグ、食べ物、アルコール、そしてギャンブルに至るまで、私たち人類は、細々とした規則や慣習を作り上げてきた。刑務所は、快楽を禁ずる法を侵した者たちであふれている

・快感研究は、ドラッグや食べ物やセックスやギャンブルへの依存症に関わる道徳的あるいは法的な側面や、快楽市場を操る産業を根本的に考え直すきっかけとなる

・ケシから作られるアヘンの起源は、紀元前3000年のメソポタミアまで遡る。古代エジプト人はアヘンを医療用、儀式用として広く用い、そのまま食べ、ワインに溶かして飲み、直腸に挿入した。ギリシャ人もすぐにこれにならった

・向精神薬に夢中になるのは人間に限らない。野性動物も精神活性効果を持つ植物や菌類を喜んで口にする。鳥やゾウや猿は、自然発酵してアルコール混じりになった果実を食べ、イノシシ、ゾウ、ヤマアラシ、ゴリラは夾竹桃の仲間で陶酔感をもたらす木を食べる

・体重が落ちると脂肪が減り、レプチン・レベルが落ちる。すると、生化学反応が起き、食欲を強める信号が発信される。失われる体重が大きければ大きいほど食欲は強くなり、エネルギー消費は抑えられる。ダイエット産業はそのことを知られまいとしている

・人は皿に載っているものを最後まで食べようとする(飲み物ならボトルを飲み干す)。人の食欲コントロールを打ち負かして過食させ、食品をたくさん売るには、サイズを大きくするのが効果的な方法

・マスターベーションは、馬、猿、イルカ、犬、ヤギ、ゾウなど多くの哺乳類で頻繁に観察される。メスもオスもこの快楽に身を委ねている。最も創造性を発揮しているのは、オスのバンドウイルカ。彼らはくねくねと動き回るウナギをペニスにまとわりつかせる

・異種間セックスは、捕獲されて自由を奪われた動物ではよく見られる行動。オスのヘラジカがメスのウマと交尾することはよく知られている。ハイイログマとホッキョクグマの間にも性的接触があることが確認されている

恋愛とともに表れる強い幸福感を伴う快感は、ドーパミン作動性の快感回路に対応している。この活性化のパターンは、コカインやヘロインの反応に似ている

・オーガズムは脳で起こるのであって、股間で起こるものではない。オーガズムは単純な現象である。血圧と心拍が上昇し、不随意の筋収縮が起こり、強烈な快感が生じる

・病的なギャンブラーにありがちな、リスクを負い、全力を尽くし、物事にこだわる性格というのは、ときに職場でも非常に力を発揮する。ギャンブル依存症の多くは、ビジネスの世界でも、とくに大きな成功を収める精力的で革新的な人物でもある

・集中的なエクササイズの後に、普通のリラクゼーションや安らぎといったものよりもはるかに深い至福感が短時間訪れることがある。これがランナーズハイ

・スピリチュアルな実践という意味では、瞑想と祈りは同一線上にある。どちらにもある種の弛緩的、解離的な面がある

・与えること自体が快感だとしたら、「純粋な愛他主義」は存在しない。高潔さから快感を得ているのだとしたら、それはそれほど高潔なこととは言えない

・もし、あらゆる快感が依存症のリスクなしに味わえるようになれば、節制を美徳と見なさないようになる。もし、快感がどこにでもあるものになったなら、人間の目的は存在しなくなり、何も欲さなくなる



快感が人間を支配し、人間社会を構成しているのかもしれません。快感抜きに、人間を語ることはできないように思います。

それなのに、快感の研究は、まだまだ進んでいません。快感を作り、快感を自在にコントロールする技術が生まれたら、それは人類にとって画期的なものになるに違いありません。快感を研究することは、立派な科学なのではないでしょうか。


[ 2013/07/11 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『不道徳教育講座』三島由紀夫

不道徳教育講座 (角川文庫)不道徳教育講座 (角川文庫)
(1967/11/17)
三島 由紀夫

商品詳細を見る

本書は、三島由紀夫が自殺する3年前の昭和42年に刊行された書です。純粋思想を説いて自決した三島由紀夫が、その少し前に、このような文章を書いていたとは驚きです。

本書には、三島由紀夫の少しすねた「不道徳のすすめ」が記されています。それらの一部を、要約して、紹介させていただきます。



・大人の世界のみじめさ、哀れさ、生活の苦しさ、辛さ、そういうものを教師たちは、どこかに漂わせている。「貧乏くせえ」と内心バカにすればいい。人生と生活を軽蔑しきることができるのは、少年の特権

・十代ほど、誠実の顔をしたがるくせに、自分に対してウソをついている時代はない。自信がないくせに強がるのも一種のウソ、好きなクセにキライなふりをするのも一種のウソ

・善のルールを建て直す前に、悪のルールを建て直したほうがいい。今の社会の危険は、悪のルールが乱れているところから来ている。昔のヤクザは素人にからまなかった。昔のドロボーは、はした金で人殺しなんかしなかった

・女はあやふやなものに敏感。あやふやなものを嗅ぎつけると、すぐバカにしてかかる。経済的主権のあやふやな若い男性から、性的満足を得ても、彼の性的主権を認めない

・お節介は人生の衛生術の一つ。お節介焼きは、「人をいやがらせて、自ら楽しむ」ことができ、しかも万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使することができる

・現代の英雄は、ほとんどスキャンダルの英雄。スキャンダルは犯罪でなく、それを立てられる人は、犯人ではなく、ただの容疑者。容疑者は「らしく見え」なくてはならない

・「実るほど頭を垂るる稲穂かな」は偽善的格言。これは「実るゆえ頭の垂るる稲穂かな」に直したほうがいい。高い地位に満足した人は、安心して謙遜を装うことができる

・流行は薄っぺらだからこそ普及し、薄っぺらだからこそすぐ消える。しかし、後に、思い出の中に美しく残るのは、むしろ浅薄な事物

・女性は、自分の肉体だけを愛されることを侮辱と感ずる。なぜなら、男の性欲は、否が応でも、女性の肉体を、対象化し、「物」化し、はく奪するようにできているから

・猫を好きなのは、猫が実に淡々たるエゴイストで、忘恩の徒であるから。しかも、猫は忘恩の徒にとどまり、悪質な人間のように、恩を仇で返すことなどない。人に恩を施すときは、小川に花を流すように施すべきで、施されたほうも、淡々と忘れるべき

幸福や恩は、現状からの向上に関係していて、生命の方向と同じだから忘れやすく、不幸や怨みは、現状の改悪の思い出であって、生命の流れに逆行するから、忘れられない

・人を悪徳に誘惑しようと思う者は、たいてい、その人の善いほうの性質を100%利用とする。善い性質をなるたけ少なくすることが、誘惑に陥らぬ秘訣

・一つのことに、ほめられ飽きた人間は、別のことで、人にほめられたくて、うずうずしている。その多くはくだらないことでも、それを認められたことが心に触れる

・ウソも遠くからは美しく見え、ウソが本当らしく見えるほど、美しく見えるというのが、ウソの法則。だから、本当らしく見えて、美しいものがあったら、ウソ

・幸福でありすぎるか、不幸でありすぎるときに、ともすると告白病にとらわれる。そのときこそ、辛抱が肝腎。身上相談というやつは、誰しも笑って読むのだから

・都会人の弱気、当りの柔らかさというものは、子供のときからの社会的訓練のあらわれで、エゴイズムによる自己防衛の本能のあらわれ、あるいは、そこはかとない恐怖心のあらわれ。人間恐怖が、あらゆる人間嫌いの底には潜んでいる

・人を尊敬せず、信用せず、善意を信じないとなれば、友好的に行くにかぎる

・文明人の最大の楽しみは、自分の内の原始本能を享楽すること。日本人は、江戸末期まで、血糊をふんだんに使った芝居や、不具の見世物など、原始本能を楽しんでいた

・人生では、困ったことに、勝利者が必ず幻滅を味わうようにできている。なぜなら、人間は所有するものには価値を置かず、持たないものばかり欲しがるから



不道徳のすすめによって、人間の本質なるものをあぶり出す、三島由紀夫の論の展開は、流石です。

不純物も含まれている人間の「純正」を追い求めて死んでいった三島由紀夫が認識する、不純物なるものが、本書には数多く載っているような気がしました。


[ 2013/07/05 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『小さな暮らしのすすめ』月刊「望星」編集部

小さな暮らしのすすめ小さな暮らしのすすめ
(2012/03)
月刊『望星』編集部

商品詳細を見る

あまり広くは知られていませんが、月刊望星は、東海大学の創立者である松前重義が、敗戦直後の混乱した世の中に、「星に望みをつないで明日を生きよう」と訴えかけて、創った雑誌です。

その月刊誌に載せられた記事を編集したのが本書です。堅実な、小さな暮らしを営むことで得られる「幸せ」とは何かが、本書のテーマです。共感できたところが、数多くありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・面倒くさいことはしない、自分が嫌いなことはしないと、嫌なことを身の回りから消していった結果、人間同士のつながりが希薄になってしまった(小泉和子)

・日本文化は貧乏を洗練させてきた文化。茶の湯はその代表。茶室は粗末な農家のようだが、よく見れば非常に洗練されていて美しい。俳句もそう。日常のささやかなものの中から面白さを発見するという文化を育んできた(小泉和子)

・「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して、成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」(サリンジャー)

・林住期の「林に住む」というのは、「林で一人で瞑想にふける」ことを意味する。インド人が林住期を設定したのは、「聖」と「俗」の間を行ったり来たりしているところに、人間本来の自由を見出そうとしたから。これは、人間の普遍的な願望かもしれない(山折哲雄)

モノを持たないためには知恵がいる。工夫がいる。我慢がいる。今の世の中は、人を引きまわして、できるだけモノを持たせるようにできている。これだけモノがあふれ返った時代には、モノを持たないことこそ、最高の贅沢というもの(池内紀)

・とにかく効率的で便利で儲かるものをよしとする男的価値観と、心地よく美しいものをよしとする女的価値観がある。男的価値観は、経済社会の中では、持たざるをえない価値観(下重暁子)

・良寛は、何も持たず、世俗の栄達を望まず、そのかわり、この上ない自由を手にした人。自由を手に入れるためには、世間と戦い、自分との欲望とも戦わなくてはいけない。物に惑わされているうちは、自由な心になれないし、欲望の奴隷から抜け出せない(下重暁子)

・小さい変化は最終的に全体に対する影響力を持っていて、それによって全体が変わることがある。全体が変わり、一つの形が出来上がると、今度は個に強要するようになる。自然の仕組みはそういう相関関係がある(遠藤ケイ)

・自分に忠実に、個としてどう生きるのかということが大切。人に影響されたくないし、人に影響を与えたくもない。ただ自分が興味を持ってやりたいことをそれなりにやってきただけ(遠藤ケイ)

・田舎の豊かさとは、「食べ物」と「時間」、つまるところ最大の豊かさは「自然」(樺島弘文)

・過剰な消費に走らないためには、欲求を満たす別のものがあればいい。それが土に立つ文化、そこにある精神性、そんなものに馴染むことで内面が満たされることが、一番いい(金子兜太)

・消費に便乗する生活でなくて、自分が生産する生活表現する生活、それは小さな世界でいいから、積極的に自分を満たせる世界を持つといい(金子兜太)

・世の中との距離感、物との付き合い方で、腹を固めることが大事。腹を固めれば、新しい物や情報が氾濫しようが、しょせん自分は自分でしかないという立場に身を置けるから、そうブレたりはしない(金子兜太)

・「小さな生活」の土台は「勤倹貯蓄」だった。昔の人の価値観では、消費ははしたないことだった。少なくとも、人生の目標とするものではなかった。ところが、「消費の楽しみ」は戦後になって、庶民の誰もが獲得すべき「人権」の一部になった(犬田充)

・相互監視の強い日本では、自由に振る舞えない。絶えず他人に気を配り、気兼ねしながら不自由に耐えて生きていかねばならない。この社会では、放っておかれる自由がない。他人にオセッカイやチョッカイを出すのを躊躇しない人が人情家とされる(犬田充)

・日本社会で、自由な生き方をするためには、「世間」からいったん離脱しなければならない。例えば、「ヤクザもの」「世捨て人」「出家」「浪人」と呼ばれることに甘んじて生きるのも選択の一つ。「反骨の人」として、世間から距離を置くこともできる(犬田充)



欲にまみれて、世間を気にして、「大きな暮らし」をするほうが、よっぽど楽なように思います。

「小さな暮らし」をするには、自分をしっかりと築くことから始めなければいけません。ということは、忍耐とと時間がかかります。しかし、それに挑戦することが有意義であると、そっと教えてくれるのが本書ではないでしょうか。


[ 2013/06/23 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『永遠のことば』三浦綾子

永遠のことば永遠のことば
(2001/10)
三浦 綾子

商品詳細を見る

著者の本を紹介するのは、「言葉の花束」に次ぎ、2冊目です。本書は、生前の講演や対談の中から選び出されたものです。

本書には、キリスト教徒であった著者の慈悲深い言葉と希望の言葉が多いと思いきや、結構、人間を冷徹に見た言葉が多いように感じました。これらの中から、一部を要約して、紹介させていただきます。



・「あなたのためを思って」と言うが、ためになっていないことが多い。善意の行動は、相手のためによかれと思ってなされるから、断定的で押しつけになる。こちらがいいと思うことが、相手もいいと思うかわからない。だから、善意というものを怪しむようになった

・「ありがとうございました。このご恩は忘れません」と言うが、恩を返したと思ったときに、受けた恩をすっかり忘れてしまい、忘恩の徒になってしまう

・人間の関係というのは、どのような関係でも、とにかく危機をはらんでいる同士の関係。人間というのは、心は変わりやすいし、不真実にできているし、裏切りとかいうのは普通の状態

・「しかたがない」という言葉をよく使うが、自分の子供が危篤になり、医者に「しかたがない。なすすべがない」と言われたら、「ああ、そうですか」と言わない。「しかたがない」には愛がない。しかたがないと知りながら、しかたがあると必死になるのが、本当の愛

・生まれた赤ちゃんは「おぎゃあおぎゃあ」としか泣かない。おっぱい飲みたいのか、眠たいのか、その子の顔を見ながら、声を聞きながら思いやる。つまり、思いやることがちっともなかった若い娘が、いきなり思いやらなきゃならない母親になるということ

・赤ちゃんというのは、自分からは要求一本で、今日はお母さんのためにおとなしくしようなんてことはない。そんな相手と暮らさなければいけないのが子育て

・十のうち九まで満ち足りて、一つしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口に出し、文句を言い続けるもの

・子供が喧嘩をしても仲直りが早いのは、主義主張を持たないから。絶対許せない、一生許せない、みたいな気持ちを子供は持たない。大人は「あの言葉は絶対に一生忘れない」と心に刻みつけてしまうから、許せなくなる。忘れることも、許しの一つ

・恩を感じるときはいろいろあるが、「恩を受けた」としみじみ思うときの自分の心の状態が好き

・どんなに立派なことをやっていても、それが心のこもらない雑な心でやったことなら雑事。雑にやれば雑事になる。一日雑事で終わり、次の一日も雑事で終わり、雑事で終わったという一生になりかねない。恐ろしいものを、一人のときというものは持っている

・泥棒に入られたために自殺した人というのは聞いたことがないが、悪口を言われたために自殺した人というのはいる。人の心を傷つけるという意味では、悪口を言うことは泥棒と比較にならないほどの罪

・自分の立つ場所、立つ地盤を自分で選ぶことが、自立の始めであり、終わりである

・自分で立っているだけで精一杯、というのは自立ではない。他の人も生かすことができて初めて、その人は立っている

・私たちは、心のどこかに、もうちょっとお金があればなあ、お金があれば幸福になるんだけどなあ、というような気分的なものを持っている。しかし、その気分的な面で考える幸福は、幸福そうかもしれないが幸福ではない

・人間は絶望的な状態であっても、一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていく。治すのは、医療の諸技術や薬も大事だが、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かを忘れさせるということが、すごく大事

・役に立つか立たないかで人間を見てはいけない。役に立っていると思っている人間でも、この世の中にどれほどの害毒を流していることか

・いろんな祈りもあっていいけれど、一番大事な祈りというのは、「私のすることを教えてください」という祈りだと思う

・一人一人が本気で生きたとき、本気で神様も答えてくださる



本書を読むと、著者の優しい言葉は、人間の限界を知った上で、発せられた言葉のように思います。

人間の悲しい性を乗り越えるために何が必要かを、絶えず模索して、それを書き留めた人が著者だったのではないでしょうか。


[ 2013/06/20 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『いつか見たしあわせ:市井の幸福論』勢古浩爾

いつか見たしあわせ: 市井の幸福論いつか見たしあわせ: 市井の幸福論
(2012/10/11)
勢古 浩爾

商品詳細を見る

著者の本を紹介するのは、「定年後のリアル」に次ぎ2冊目です。今回紹介する本も、著者の「しあわせ」に対する、辛口の意見が満載です。しかし、辛口といっても、辛辣な批評という意味ではなく、直言という意味です。

この本は、著名人の「しあわせ」に対する見解を取り上げて、著者が、それに意見していくのが面白く、一気に読み上げました。今回は、著名人の見解だけを要約して、紹介させていただきます。



・「しあわせになる秘訣の一つは、自分の気分に無関心になること」(アラン)

・「幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。したがって、自分の幸福を欲しなければならない。自分の幸福をつくり出さねばならない」(アラン)

・「幸福になることはまた、他人に対する義務でもある。これはあまり人の気づいていないこと。人から愛されるのは幸福な人間だけ」(アラン)

・「幸福な生活とは、生きていないよりは断然ましだと言えるような生活」(ショーペンハウアー)

・「各自の生きる世界は、何よりもまず、各自の見方に左右され、頭脳の差異によって違ってくる。頭脳次第で、世界は貧弱で味気ないものにもなれば、豊かでおもしろく味わい深いものにもなる」(ショーペンハウアー)

・「人生の幸福にとって、われわれのあり方、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件である」(ショーペンハウアー)

・「朗らかさは、幸福の正真正銘の実体、幸福の正貨」(ショーペンハウアー)

・「孤独を愛さない者は、自由をも愛さない者。というのは、人は独りでいる間だけが自由であるから」(ショーペンハウアー)

・「孤独は幸福と平静な気持ちの源泉。孤独に耐える修行は、若い頃の主要な研究題目の一つ」(ショーペンハウアー)

・「我を忘れて、自分の仕事に完全に没頭できる働き人が、最も幸福」(ヒルティ)

・「自分の仕事に満足するということは、馬鹿でなければできないこと」(ヒルティ)

・「幸福の第一の、絶対欠くことのできない条件は、倫理的世界秩序に対する堅い信仰」(ヒルティ)

・「私たちはひょっとすると今、幸福にひど餓えているのではないか」(五木寛之)

・「これがなければ幸福になれないという思い込みを捨てること。『今、ここ』にとらわれず、場を広げ、人生というロングスパンで自分の置かれている状況を見ようとすること」(加賀乙彦)

・「無私無欲なにが生きがいなんだろう」(毎日新聞・万能川柳)

・「あなたは『一人であること』に苦しんでいるのではない。あなたは『一人はみじめだ』という思い込みに苦しんでいる。『一人はみじめじゃない』と思うことができれば、一人の時間は、びっくりするぐらい豊かな時間になる」(鴻上尚史)

・「まるごとの幸福、何から何まで幸福といった状態は幻想。そんなものはない。幸福は常に断片として立ち現れる」(春日武彦)

・「自分の嫌いなものをあれこれ考えるのはとても愉しい。美的感覚とは嫌悪の集積である」(伊丹十三)

・「追憶はすべてのものを圧縮し、圧縮によって原物よりもはるかに美しい像を生じる」(ショーペンハウアー)

・「自分の利益が最も大きくなるように行動すべきだが、誰もが無秩序にそれを追求すると、大半の人間が不利益を被る。だから、人がとるべき行動は『大きく貪欲』であるのではなく、『賢い貪欲』(禁欲を二割加味した『八割の貪欲』)であることが正しい」(鹿島茂)

・「人間が不幸なのは自分が幸福であることを知らないから。それだけ、これが一切。それを知る者は、ただちに幸福になる」(ドストエフスキー)



本書を総括して読むと、古今東西の賢人たちが考える「しあわせ」は、結局のところ、個々の頭の中にあるということがわかります。

自分の頭で、「しあわせ」を感じる故に「しあわせ」であるということ。つまり、「しあわせ」とは、幻影です。しかし、人間は、また、この幻影がないと生きていけない厄介な生物なのかもしれません。


[ 2013/06/06 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『シフト-人生設計の可能な国に向けて-』三木建

シフト-人生設計の可能な国に向けて-(発行:Gray PRESS)シフト-人生設計の可能な国に向けて-(発行:Gray PRESS)
(2012/08/22)
三木 建

商品詳細を見る

三木建さんは、哲学家、思想家、経営学者、経営コンサルタントのような方です。著書を紹介するのは、「自生の哲学」に次ぎ、2冊目です。

本書は、哲学や考え方を、どう構想して、設計していくかがテーマです。参考になる点が多々あります。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・社会や会社には突然死寿命もない。未来が見えるということは、その分だけ対応するための時間があるということ。技術も経験もコンセンサスも、その分だけ積み上がっていく。そう考えると、できるだけ遠くの未来を見る方が有利

・「古い体制の有用な部分が保存され、新しく付加された部分が、既存の部分へ適合される時にこそ、強靭な精神力、忍耐強い注意力、比較し結合する多面的な能力、そして便法をも豊かに考え出す知性の秘策が求められる」(フランスの政治家、エドマンド・バーク)

・なぜ盲目的墨守と急進的改革の中道を歩まねばならないのか?それは、我々の社会も我々自身も、過去と未来の連続体の中に存在しているから

・人間の発揮する力とは、結局はその人の持つ思想と、その人の性格との掛け合わせ。数式的に示すならば、「P×P=P(philosophy×personality=POWER)」

・良質な人生観、倫理観、信条を持つ人が、良質な人間性、品性を備えているとすれば、間違いなく、その人の行動は良質なものになる

・頭の良い人が、その能力を他人や社会のために用いることなく、自己確立、自己利益のためにのみ用いるとしたら、社会は彼らのエサ箱にすぎない

・「知識は、方法や手段に対しては、目が見えるが、目的や価値に対しては盲目」(アインシュタイン)

・優れた専門知を分かりやすく伝える能力こそ知性であり、そういう態度をとることこそ品性

・政治家や官僚の側は、我々が生活感覚から提起した「困るもの」「恐ろしいもの」を取り除く義務がある。企業がそれに対応すれば、ビジネスとなる。しかし、企業が「困る」「恐ろしい」「嫌な」ものを我々に押しつけているとすれば、一刻も早く社会から退場すべき

・今、求められているのは、高度な専門性を総合するための方法、あるいは「総合する専門性」を生み出すための方法。つまり、細分化・専門化した知識を元の目的に戻す試み

・いつの間にか、人間が主役ではなく、経済ないしは産業が主役であり、我々はそれを支えるために存在する単なる道具の一つにすぎないという本末転倒が常態となっている

・規模の論理の目指す先は、独占、つまりは「一つになること」。この競争の被害者は、従業員のみならず、社会全体に及ぶ

・天災は、「人類が地球に寄生している」ことを思い出させる、巨大なアラーム

・懲りない人間とは、「過信」する者、「限界」を知らない者、「強欲」に走る者の三つ

・ビジネスの行為で、悩まされたり、痛めつけられたり、不快にさせらされたり、危険にさらされたりすることが多い。こういった商品・サービスは、開発すべきではない、製造すべきではない、販売すべきではない、提供すべきではない

・解脱の道に立ちはだかるのは、富ではなく、富への執着であり、愉快な事柄を愉しむことではなく、それを渇望すること

・ニュージーランドは、雇用が国内に点在し、その上美しい。納得の上に豊かなライフスタイルが成立している。日本とは異なり、経済的、文化的格差の少ない範囲で住む所を選択できる

・一極集中と廃れる地方の組み合わせではなく、雇用を伴う個性豊かな地域が自立的に存在し、自助、互助、私援(ボランティア)、公援(公共サービス)のバランスがとれた社会が魅力ある成熟国家の姿

・目指すべき方向性は、「人生設計の可能な国」と、「人間域」×「多層的自立社会」が主たるスキーム

・「心は正しい目標を欠くと、偽りの目標にはけ口を向ける」(モンテニュー)



本書に、「正気を失ったメガトレンドに翻弄されるまま迎えるのではなく、正体を知った今、そのメガトレンドに別れを告げなくてはならない」という著者の見解があります。

今の日本のメガトレンドを直視し、そして公正に判断し、その渦に巻き込まれて人生を棒に振ることだけは避けなければいけないのかもしれません。
[ 2013/05/29 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『「年収6割でも週休4日」という生き方』ビル・トッテン

「年収6割でも週休4日」という生き方「年収6割でも週休4日」という生き方
(2009/10/28)
ビル トッテン

商品詳細を見る

ビル・トッテンさんは、アメリカ出身ですが、コンピュータソフト販売会社を日本で創業し、現在、年商200億円、従業員800人までにされている方です。

本社は東京にありますが、土日月の3日間は京都で暮らし、農業を本格的にされています。日本の古き企業経営に学ぶのと同時に、従業員の幸せも真剣に考える経営は、学ぶべき点が多いように思います。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・日本人が日本人らしい哲学と倫理観を身につけていた時代の経営者に学べば、「欲を少なくして足るを知る“少欲知足”の経営」「自然環境と共生し、みんなが協力して何かを生み出す“協産主義”的経営」といった結論に自然と至る

・利益減を理由に社員の給与削減を強いるのはフェアではない。給与とは、労働の対価として社員が得る正当な報酬。それを削るのなら、労働時間も削るのが公平というもの

・給料を4割カットする代わりに、労働時間も4割カットする。週5日勤務を週3日勤務に短縮する。つまり、年収6割、週休4日。これが六割経済時代の労働モデル

・産業機械やコンピュータは本来、人の労働をサポートし、生産性を高めるために開発したもの。現代の高い生産性を考えれば、我々は半日労働でもよかったはず。ところが、現実には、より生産を増やし、儲けを増やす道具として使われている

・もともと物質主義傾向を持つ人間だからこそ、なおさら社会のリーダーは「収入増よりも時短」という価値観を取り入れるべきだった。それが社会の規範なら、「富める者も貧しい者も、必死に働き、必死に消費する」消費中毒の物質主義社会にはならなかったはず

支出を減らしても快適に暮らすことができると気づくこと、そして消費中毒から解放されること、それが真の豊かさに近づく第一歩

・経済規模が縮小する中で、企業が成長にこだわれば、低賃金で社員を酷使し、広告宣伝で消費者を欺き、エネルギーの大量消費で自然環境を破壊するしか道はない

・「顧客にふさわしい製品を見つけ、それを正直に売り、徹底的にサポートして、その製品を使いこなしてもらう」のがビジネス。我が社が広告宣伝費を使わないのは既存の顧客を頻繁に訪問しているから。広告宣伝費分を、社員の給料や働きやすい環境に回している

・システムが複雑になればなるほど、顧客は支援を必要とする。それに対して、社員が適切に正直に応え続けていれば、顧客はまた別の商品を買ってくれる。このリピートビジネスこそ、儲かるビジネスの秘訣

・優秀な社員でも、辞めたいと言ってきたら引き留めない。会社の都合で、人の自由を奪うべきではない。「いつでも帰ってきていいから」と送り出す。その後「その気があるなら戻ってこないか」と声も掛ける。それで帰ってきた再入社組は本当によく働いてくれる

・ノルマはないが、「利益は1円でも1億円でも構わないが、損失は1円でも出さない」のが我が社のやり方。「必要な金額を申告し、それをカバーする収益を上げなさい」というのが唯一の指示。トップダウンでノルマを課すと、社員が不正直な営業をするようになる

・社員の自主性を重んじるのは、私自身が管理されることが嫌いだから。自分が嫌いなことを他人に押しつけても、うまくいくはずがない

・自然は畏怖すべき対象であり、人智を超えたもの。生きとし生けるものすべてに神が宿るというのが日本人の自然観。キリスト教のように、自然や動植物は人間のために神が創ったもの。動植物を獲り、自然を開発するのは人間の自由という感覚はなかったはず

・アメリカの経営者の多くが財務畑法律家出身なのと違い、日本の尊敬すべき経営者たちは、技術者やエンジニア出身だった。彼らは、財務や法務ではなく、研究開発や製造、社員の教育や動機づけを大切にした。短期的な儲けより、長期的な発展に関心があった

・経営者にとって本当に必要なのは、ビジネススクールの教科書に載っているような戦略論でも戦術論ではない。リーダーとしての哲学、人間としての道徳、倫理観である

・「スキルの高い勤勉な情報活用の専門家になること」「消費中毒を治すこと」「お金を払ってやってもらっていたことを自分でできるように学ぶこと」。この三つができれば、今よりずっと少ない収入で暮らすことができ、今と同じように健康で幸福に暮らすことができる

・現在の日本が直面する不況は、リーダーたちの「不誠実さ」と「不見識」によってもたらされた結果である



ビル・トッテンさんの経営する「アシスト」社は、旧き良き日本的経営と個人の幸せを合体したような経営をされています。日本の大手企業が目指す方向と真逆にあるように思います。

社会の幸せと従業員の幸せ、その両方を欠いた経営は、そう長く続かないのではないでしょうか。そういう意味で、本書が提唱している企業モデルは、最先端なのかもしれません。


[ 2013/05/06 07:00 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(1)

『フロー体験・喜びの現象学』M・チクセントミハイ

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)
(1996/08)
M. チクセントミハイ

商品詳細を見る

チクセントミハイの著書は、「フロー体験とグッドビジネス」に次ぎ、2冊目です。フローとは、没頭、三昧、恍惚のときのような、時間があっという間に過ぎる状態のことです。

このフローを体験できる境遇にいることほど幸せなことはありません。本書は、このフロー体験をあらゆる角度から解説しています。その一部を要約して紹介させていただきます。



・自分が自分の行為を統制し、自分自身の運命を支配しているという感じを経験するとき、我々の気分は高揚し、長いこと待ち望んでいた深い楽しさの感覚が生じ、記憶に残る。「最適経験」とは、このようなものを意味する

命に関わる身体的危機をくぐり抜けてきた人々は、苦役のただなかに、森の鳥の歌を聞き、困難な作業を成し遂げたとか、堅いパンの一片を分かち合うなどのできごとのなかに、豊かな至福の感情が現れたことを回想することが多い

・人はそれぞれ、死ぬまでに達成したいものについてのイメージを持っている。この目標にどれだけ近づくかが、生活の質を測る尺度になる

・社会システムは規範を受け入れさせる誘因に快楽を用いる。生涯にわたる労働や法律の順守への報酬として、約束された「良い生活」が、願望の上に築かれる

・挑戦を見つける簡単な方法は、競争状況の中に身をおくということ。ここに人やチームが戦うすべてのゲームやスポーツの大きな魅力がある。競争は、多くの面で複雑さを発達させる身近な方法である。我々の神経を緊張させ、能力を研ぎ澄ます

・楽しさは、退屈と不安の境界、その人の挑戦水準能力水準とうまく釣り合っている時に現れる

・フローの継続中は、生活の中での不快なことのすべてを忘れることができる。フローのこの特徴は、楽しい活動を行っていることへの注意を集中させ、無関係な情報が意識の中に入る余地を残さない

・数時間が数分間に感じられ、一秒に満たないことが数分間に感じられるなど、時間が普通とは異なる速さで進む。フロー体験している時間の感覚は、時計によって測られる時間の経過とほとんど関係がない

・世界のゲームは、1.「スポーツや競技のように競争を特徴とするゲーム」2.「さいころ、ビンゴなどの運だめしゲーム」3.「スカイダイビングなどの通常の感覚を錯乱させるもの」4.「ダンスや演劇など、代理の現実が創り出される活動」の4種に分類される

・読書はフロー活動。知的な課題を解くことは、古くからある楽しい活動の一つであり、哲学や近代科学の前触れ

観念の遊びは気分を極度に高揚させる。新しい科学的概念は、学者が新しい方法を創造する楽しさからエネルギーの供給を受けて生み出されるもの

・未来は、教育を受けた者だけでなく、自分の余暇を賢明に用いるよう教育された者に開かれる

・「自分自身を変革せよ。そうすれば世の中に悪者はいなくなる」(カーライル)。まず、個々人の意識が変るまで、社会変化は起こり得ない

・フローはもとより、快楽すら生活の質に直接的な利益をもたらす。人が心理的エネルギーを統制することを身につけない限り、健康や金銭、その他の物質的利益は、これらの利点を役立てる機会はなく、生活を改善しない

・通常、目標それ自体は重要ではない。重要なのは、目標が人の注意を集中させ、達成可能な楽しい活動に集中させること

・目的は努力に帰着せねばならず、意図は行為に転換せねばならない。やり始めたことを実際に達成したかどうかはさして重要でない。努力が分散されたり、浪費されたりすることなく、目標を達成されるために費やされたかどうかが問題である

・自己知は、人が錯綜した選択肢を整理する過程である。内的な葛藤は注意が競合し合う結果生じる。あまりにも多くの願望、両立しない要求が、それぞれの目標に向けて心理的エネルギーを整理しようと競い合う



フロー体験を得ようとすると、要らないものを捨て、省き、一つのことに集中しなければなりません。

それは、木の枝を剪定し、すっきり、まっすぐ幹を伸ばしてあげるようなものです。あれもこれも、なんでもかんでも、という気の散る人は、恍惚、三昧、没頭といった至高の幸福感は味わえないのかもしれません。


[ 2013/04/18 07:01 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『目に見えないけれど大切なもの』渡辺和子

目に見えないけれど大切なもの―あなたの心に安らぎと強さを (PHP文庫)目に見えないけれど大切なもの―あなたの心に安らぎと強さを (PHP文庫)
(2003/11)
渡辺 和子

商品詳細を見る

著者の渡辺和子シスターは、ノートルダム清心学園理事長で、「置かれた場所で咲きなさい」が、大ベストセラーになっている方です。本書は10年前の著書です。

著者が、キリスト教の洗礼を受けたのは、「二・二六事件で、青年将校に、陸軍中将の父が射殺される瞬間を幼児期に目撃した」忌わしい過去からです。それらの体験を乗り越えてきた言葉には、重みがあります。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・恩師は、教職を始める私に、「忘れられて喜べる教師になれ」と言われた。それは、(困った時に思い出され、用が済めばすぐ忘れられる)雑巾のようになれということだった

・「ありのままの自分」と「ありもしない自分」との間のギャップが大きければ大きいほど、隠すものが多くて疲れは激しい。それはちょうど、よそゆきの着物を一日中着ていて、家に戻って脱いだ時に感じる疲れである

・強い者が弱い者に、持てる者が持たざる者に、上から下へ施すのが、思いやりではない。それは、不完全な者同士が、支え合う人間本来の姿。私たちは、この大切なことを忘れてしまっている

・愛の反対は憎しみではない。愛の真反対は、愛の欠如、つまり無関心。今や「自動化」の文明所産は、自分だけで生きていける世界を作り、他人への無関心を育てつつある

・人は誰も、自分が持っていないものを、他人に与えることはできない。教師は子供たちの先を常に歩むこと。教科においても、人格においても、自分の教育に責任を感じ、情熱を持ち、自らも生活習慣を身につける闘いを辞さない教師でなければ、教育は成立しない

・他人に迷惑をかけ、我意を通す「わがまま」も困ったものだが、他人の存在を無視して、自分のしたいことをする「わがまま」にも無気味さを覚える

・子供たちの主体性を重んじる教育ということがよく言われるが、現実には「したい性」放題になっている。子供たちが真の自由になるためには、したいことを我慢し、自分に「待った」をかけて、しなければならないことを先にする「自分」を育てていくことが大切

・愛にも成長がないといけない。それは、一体化を願い、相手の世界を知り尽くしたいという愛から、徐々に脱皮していくこと。相手に独自の世界を許し、別人格同士の間に生じる心理的、物理的距離を認め、それに耐え、その距離を信頼で埋めていく愛と言っていい

・自分の心にゆとりができて、初めて、他人を自分の欲望や欲求を満たす道具、手段と見る心から解放される。他人を、一人格として見る心のゆとりを持つ時、初めて、他人の尊厳に対して、目が開かれる

・人間関係を和やかにするのに、「の」の字の哲学というのがある。ただ「悲しいの?」「苦しいの?」と受けとめること。慰めなくてもいい、ただ、傍にいてあげればいい

・許すということは容易ではない。しかし、許すことによって、相手の支配から自由になり、自立をかち得る。自分の時間を、他人の支配にまかせていては、もったいない

・病気の時には病気になりきること。つまり、そのものと一体となって、そのものの存在から解放され、自由になる

・相手の問題をすべて理解したと思った瞬間から、それは、相手を「自分の枠の中」にはめ込むことになり、そこに、相手への尊敬が失われることになる。相手の感じていること、思っていることを理解し尽くすことは不可能という認識が必要

・利己主義、自分主義に走りがちな自分を戒め、自他の権利と義務を弁えた成熟した個人主義者に成長したいと願うこと

・相手の意見を検討するには、まず自分なりの意見、判断を持っていなくてはならない。さらに、自分の考えのみが正しいとは限らないという謙虚さと、他人には他人の考えがある、という相手の人格への尊敬も必要

・すべての人に共通な「生きる勇気を与えるもの」とは、その人の存在には意味があるという確信。自分が自分の人生に意味が見出せる時、そこには生きる勇気が生まれる

・「自由であること、立ち上がって一切をあとにして去れること。しかも、ただ一目も振り返らずに。“よし”と言えること」「人生に“よし”と言うことは、同時に自分自身にも“よし”と言うことでもある」(ダグ・ハマーショルド)

・「苦しいから、もうちょっとがんばってみよう。苦しいから、もうちょっと生きてみよう」と自分に呟いて、生き続けてみること


本書には、安らかに生きること、自由に生きることだけでなく、強く生きること、前向きに生きること、立派に生きることの大切さが書かれているように思います。

著者は、芯の強さを求めているように感じられました。みんなが、芯の強い人間になれないと、この世が、安らかになり、自由になることはないということかもしれません。


[ 2013/03/21 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『世界の壁-この本を読めばだれでも議論したくなる』沓石卓太

世界の壁―この本を読めばだれでも議論したくなる世界の壁―この本を読めばだれでも議論したくなる
(2008/10)
沓石 卓太

商品詳細を見る

とても易しい哲学書です。とても不思議な哲学書です。どの言葉も短いですが、内容は非常に濃く感じられます。

サブタイトルに「この本を読めばだれでも議論したくなる」とありますが、その通りです。この簡潔な哲学書の中から、感銘した文章を選び、要約して紹介させていただきます。



・社会とは、「約束事は守られるという実績」の積み重ねの上に成り立つ概念

・戦いの形に限らず、勝つための一番大事な用件は、多数の人に支持されること

・民主的な手続きを経て成立した政権ならば、国民はもとより、周囲の国にとっても、安全な政権

・民主主義の制度は正しい。しかし、賢い大衆でなければならない

・人々の行動に干渉できる力を「権力」とすると、考え方に影響力を持つのが「権威」

・宗教は信じることが出発点。誰かが信じたことを他の誰かも信じるという連鎖で始まる

・宗教や既存の哲学に、世界の政治のあり方に答えを求めても、建設的な答えを得ることはできない。むしろ、宗教や既存の哲学は、議論の成立を阻む壁となる

・人間には、人間を取り巻く現象のすべてを理解する能力は備わっていない。また、その必要もない。知識を追究するにしても、究極に至ることを使命と考える必要がない

・私たちは、いろいろな人と接触する。そういうことが可能であるのも常識のおかげ。人はみな、常識という緩衝材を上手に使って暮らしている

・マスコミは、社会の欠陥を記事にするだけ。マスコミは大衆に受けなければならないが、マスコミの姿勢は大衆に影響を与える。豊かな社会の「合意の必要性」を理解してほしい

・大衆の価値観で動くのが民主主義。二本立ての価値観が日本の特徴。二本立ての元は、神道と仏教。どんなところにも、神社とお寺がある

・論理の目的は人を納得させること。論理は納得できるものでなければならない

・仏教は宗教であるが、同時に哲学としての内容も持つ。そこが日本人を熱中させた。仏教に哲学的な印象があるのは、永遠永久こそ最高の価値であるという考え方に由来する

・生きることの本質は、感じることにある。考える能力だけが、人間性ではない

・日本では、議論を避けて、ことを決めるのが半ば習慣になっている。正面切って議論するとうまくいかない。議論を避けて、ことを決する技術がなければ、人をまとめられない

・誰にとっても、世界の中心は自分。世界は、そういう存在である

・善悪は約束をすることで生じる。社会は、約束は守られるという前提で成り立っている。約束を破ることが、反社会的行動になるのは当然

・日本では、タテマエは仏教的価値観、ホンネは自分、になる。そして、この両者の折り合いがつかない。ホンネが通る雰囲気の中で、タテマエでいくと、「嘘つき」と非難され、タテマエが必要な中で、ホンネを出すと、「自分勝手な奴」と非難される

・欲望を否定しても、きれいな社会はできない。欲望を肯定してこそ、議論が可能となる

・民主主義は、無責任体制になりやすい。誰を恨むことができないのが民主主義

・民主主義を成功させるためには、政治の意味と、リーダーを選ぶことの難しさを十分認識しなければならない

・批判するだけがマスコミの仕事ではない。民主主義の政治は強い政治ではない。力で奪い取った権力とは違う。みんなで盛り上げみんなで守らなければならないのが権力

・日本では、議論することは、欲望を論じることに通じるので、はしたない行為と見られる。多数の人が、欲望は悪であるという考え方を持っていれば、議論は成立しない

・新しい構想が実現するまでは理想。計画通りにいかなくても、結果は新しい現実となる。それが、次の新しい理想を描く出発点となる



この本には、当たり前のことが書かれているように思います。しかし、この当たり前が、当たり前でなくなっているところが、日本社会の病理であるのかもしれません。

この病理を根絶していこうという意志が弱まったとき、社会が悪い方向に進むように感じます。意志を強めていくための一助として、本書の価値があるように思います。


[ 2013/02/22 07:01 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『幸せはいつもちょっと先にある・期待と妄想の心理学』ダニエル・ギルバート

幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学
(2007/02)
ダニエル ギルバート

商品詳細を見る

著者のダニエル・ギルバート氏は、ハーバード大学社会心理学部の教授です。未来の感情を予測する心理について研究されています。

未来を悲観する人間もいれば、楽観する人間もいます。悲観も楽観もせず、正しい予想をする方法がないのかが、本書の主旨です。参考になった箇所が幾つかありました。それらの一部を紹介させていただきます。



未来について考えるのが、あまりに心地よいため、われわれは現実にそこへ行き着くより、それについて、ただ考えるほうを好む

・わざわざ好ましくない出来事を想定する理由は、「受ける衝撃を最小限に抑えられるから」と「恐れ、心配、不安が、慎重で予防的な行動をとらせるのに効果的だから」

・目の錯覚、記憶の錯覚、未来の錯覚の三種類の錯覚は、すべて同じ人間心理の基本原理

・徳のある人生を送ることが幸せをもたらすとしても、それは原因であって、幸せそのものではない

・幸せは主観的な経験であり、自分自身にも他人にも説明するのが難しいため、他人の主張する幸せを評価するのはおそろしく困難な仕事

・脳が過去を思い出したり、未来を想像したりするとき、たっぷりの「穴埋め」のトリックを利用する。記憶行為には、保存されなかった細部の「穴埋め」が必要

・過去を思い出そうとするとき、頻繁に「今日」を使い、今の考えや行動や発言を、かつての考えや行動や発言として思い返している

・現実の今をつらいと感じることで精一杯のときに、想像の未来を楽しいと感じることはできない

・すばらしい出来事は、最初に起こったときが特別すばらしく、繰り返し起こるにつれ、すばらしさが薄れてしまう。この「慣れ」を打破するのは、変化と時間。そのためには、「経験の数を増やす」ことと「次に経験するまでの時間間隔を増やす」こと

・われわれは、未来の感情を予測するとき、自然と現在の感情を出発点にするため、未来の感情が、実際以上に今の感情に似ていると思い込む

・現在主義が起こるのは、未来の自分が世界を見る見方が、今の自分の見方とは違うことに気づかないから

・人は、何かいったん自分のものになると、それを肯定的に見る方法を見つける

・自分より成績が悪い人の情報ばかりを求める傾向は、賭けたものが高価な場合、特に顕著になる。さらに、自分より成績の悪い人を見つけられないと、成績の悪い人を作り出すようになる

・説明できない出来事は、第一に「まれで珍しい出来事に感じる」。第二に「その出来事について考え続ける」

・われわれは、経験の「快楽」を、その終わり方で判断することが多い。経験の「喜びの総量」を明らかに考慮していない

・われわれが何かを思い出そうとすると、記憶は何でも好きな情報を使って、新たにイメージを組み立て直し、それを心のイメージとする

・富が人間の幸せを強めるのは、赤貧から抜け出して、中産階級になる場合だけで、それ以上は、ほとんど幸せを強めない

・富と名声の喜びは、壮大で美しく高貴なものと想像される。富を得るためなら、どんな勤労や心労も喜んで引き受ける価値があるという欺瞞こそ、産業を刺激して絶え間なく動かし続けるもの

・富の生産は必ずしも個人を幸せにするとは限らないが、経済の必要を満たしていて、その経済は安定した社会の必要を満たし、その安定した社会は幸せと富についての欺瞞的な思想を広めるネットワークとして働く



人間の一生は、錯覚の一生かもしれません。不安、心配、恐れを緩和するために、錯覚するのはいいことですが、将来予測を錯覚によって、見誤るのは、よくないことです。

しかし、この錯覚がないことには、何事も、前には進みません。未来に必要以上の期待を抱くからこそ、前向きに生きられるのだと思います。

著者が言いたかったのは、「希望と期待はよいことだが、それらを持ちすぎるのは、よくない」ということなのかもしれません。


[ 2013/02/21 07:01 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『あのころの未来・星新一の預言』最相葉月

あのころの未来―星新一の預言 (新潮文庫)あのころの未来―星新一の預言 (新潮文庫)
(2005/08/28)
最相 葉月

商品詳細を見る

星新一に関する書を紹介するのは、「星新一の名言160選・スターワーズ」に続き、2冊目です。中学生の時(約40年前)、星新一のSF短編を数多く読んだこともあり、やはり気になってしまいます。

本書は、星新一が描いた未来が、現在、現実化しているのかを探っていくものです。預言者たるところを感じさせる箇所が幾つもありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・「やがて、人々は<人のあこがれる理想的な究極>を手に入れ、自分の遺伝子を復元したいなどという欲望を一切もたなくなる。人々が手にしたもの、それは『天国』。空間も時間も超越し、宇宙に意識を解き放つことだった」(神殿)

・「気の毒にな。ずっと生きつづけていなければならないとはな」(神殿)

・「『生きる意欲があります。わたしたちも、やりがいがありますね』男のからだの残された細胞をもとに臓器や筋肉や皮膚が再生中だった」(これからの出来事)

・「『自分たちのことを、人間とよんでいるわ。あたしたちの、ドレイの役をする生物よ。まじめによく働いてくれるわ』そして、いかに人間が自分たちのために一生懸命働いてくれるか、猫は語り始めるのだった」(ネコ)

・星新一の作品には、過剰な欲望を抱いた主人公に戒めを与えるという物語が多く、なかでも不老不死を願った者には、特段厳しい仕置きが用意されている

・星新一が描く物語の中では、未来を知った登場人物には必ずよくないことがふりかかる。未来を知った人はみな、それで得しようとばかり考えているから

・紙の本は絶対になくならないと信じている人が多い。だが、星新一は「ホンを求めて」の小説の中で、「ホンを失い、われわれは滅ぶ。意外に近い、あっという間の未来かもしれない」と警告している

・星新一は短編集「ありふれた手法」のあとがきで、「風俗描写を避けているうちに、だんだん民話に近づいてきた」とも、書いている。現実が民話を追い越すとよからぬことが起こる。それが民話の変らぬ教え

・超長寿時代の会社員の憂鬱を描いたのが「長い人生」。55歳で係長のエヌ氏は酒場で嘆く。「わが社では課長になるのは90歳。部長に昇進できるのが120歳。重役の平均年齢が160歳で、社長は200歳」。エヌ氏は、上司を失脚させて課長の座を射止めようとする

・人生が長くなったら、のんびり生きられるのかと思いきや、そうではない。終身雇用、年功序列は存続し、長くは勤められるが、上がつっかえて窮屈になり、出世争いは依然として続く。動かない人生、生きながらすでに死んでいる人生を、星新一は描く

・星新一は、高層マンションをたびたび物語の舞台にしている。その住人たちは普通でない生活を送っている。高層は欲望の象徴。不可解な物語がよく似合う

・星新一の「見物の人」で描いたのは、光ファイバーが張り巡らされた時代の相互監視社会。有線放送に映し出されるのは、刑務所の中、デパートの各階売場、寺の葬式など

・星新一の「健康の販売員」では、最近夫の様子がおかしいと思った女が「テレパシー剤」を購入する。販売員は、すぐさま夫の勤め先に電話をかけ、「テレパシー防止薬」を売る。ちなみに、個人情報保護法では、こうした医療情報を守ることはできない

・星新一の「かたきうち」という物語は、ひき逃げ事故で死んだ父親のかたきを討つために、息子が犯人を追い求め、二年後にようやく捕まえた犯人から臓器を取り出し、それを冷凍保存していた父親に移植して蘇らせるという「感動的な美談」

・星新一の「ナンバークラブ」の会員資格は35歳以上、記録情報は生年月日、学歴、家族構成、旅行、趣味、仕事。セキュリティ万全。コミュニケーションに苦労する人には、天の助けのシステム。だが、いったん入会したら、会員以外の人と話をするのが億劫になる

・星新一の「現象」で、地球上のあらゆる動物や植物が愛くるしく見えてしまう人間を描いている。牛もトマトも愛おしくて殺せない、食べられない。だが、それは人間という種が終わることを意味する

・星新一はスパイ物を多数発表している。人と人がいれば、そこに情報が生まれ、国と国が存在する限り、スパイの任務がなくならない。市民レベルの情報網が世界に張り巡らされている現在は、誰もがスパイになれる時代



星新一の未来は、再生技術、不老不死の長寿社会、情報監視、情報保護、会員システム、電子書籍のネット社会、ペット溺愛、動物保護の動物愛護社会、何でも自動化するロボット社会などを描いています。

40年前にも、その「兆し」はあったのかもしれません。星新一は、その「兆し」から、「なれの果て」を予測した人だったのではないでしょうか。


[ 2013/02/09 07:02 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『幸福論』アラン

幸福論 (岩波文庫)幸福論 (岩波文庫)
(1998/01/16)
アラン

商品詳細を見る

アランは、前に「アランの言葉」(幸福論、人間論、教育論から選んだ言葉)を紹介させていただきました。アランの行動を重視する考え方、カラダあっての心という考え方に共感しました。

今回は、アランをより深く知ろうと、幸福論だけに絞って読みました。本書にも、アランの強い意志を感じる言葉が数多くありました。それらの中から一部を抜粋して、紹介させていただきます。



・怒りは正真正銘の病気である。咳とまったく同じもの。咳は体調によって出る

・不機嫌という奴は、自分に自分の不機嫌を伝える。だから、ずっと不機嫌が続いていく。われわれは、それを克服する知恵がないので、ほほえむ義務を自らに課す

・あくびをすると、拘束するものであれ、解放するものであれ、一切の思考が逃げ出してしまう。生きることの気安さは、一切の思考を消し去る

・処世術とは、自分とけんかをしないことである。自分が下した決心や今自分のやっている仕事において、けんかをするのではなく、立派にやってのけること

・野心家は誰でも、目的を達成している。予想よりも早く達成している。彼らは、有益なことはすぐに行動に移し、ためになると判断した人たちとは定期的に必ず会って、心地いいだけの無駄なことは疎んじていた

・使いたいと思っている者には、お金はたまらない。なぜなら、彼の望んでいるのは、お金を使うことであって、儲けることではないから

・誰でもみんな、商売のため、職業のためだったら、大いに努力する。ところが、自分の家に帰って、幸せであるためには何も努力しない

・男特有の機能は、猟をしたり、建てたり、工夫したり、試みたりすること。これらの道を離れると、男は退屈し、ちょっとしたことにも不機嫌になる

・野心家はいつも何かを求めている。そこには世にも稀な幸福があると思っている。何か失敗があって、不幸に陥っている時でさえ、その不幸のゆえに幸せである。なぜなら、彼はその解決策を考えるから。不幸の真の解決策とは、それを考えることに存する

・人は、棚からぼた餅のような幸福はあまり好まない。自分でつくった幸福が欲しいのだ

・仕事というのはすべて、自分が支配するかぎりは面白いが、支配されるようになると面白くない。自分ひとりで自由にやる狩猟が楽しいのは、自分で計画を決め、それに従うこともでき、変えることもできるし、誰に報告する必要も、言い訳する必要もないから

・本当の楽しみとは、まず第一に労苦である。苦しみの方がいつも上回る。それなのに、エゴイストは、快楽が得られると思わないかぎり、指一本動かそうとしない。心配がつねに期待を圧倒するので、エゴイストは、しまいには、病気や老いや死を考えてしまう

・自由に働くのは楽しいが、奴隷のように働くのはつらい。自由な労働というのは、労働者自身が、自分の持っている知識と経験に基づいて、調整する仕事のこと

・教育者の中には、子供を一生、怠け者にしてしまう者がいる。その理由は、いつもいつも勉強させたがるからだ。そうすると、子供の方はだらだらと勉強する習慣を身につけてしまう。すなわち、下手な勉強をおぼえてしまう

・決まり文句は事実よりも説得力がある。「○○がなくなりましたね。どうなっているのやら」のような悲しみの言葉は、いつも過度に崇められている。喜びの言葉は権威的ではない。悲しみも喜びも公平であるためには、悲しみに抵抗しなければならない

・マルクス・アウレリウスは、毎朝こう言っていた。「今日も、見栄っ張りや、嘘つきや、不正の輩や、うるさいおしゃべりに会うだろうな。彼らがそんな風なのも無智のせいだ」

自分で規則をつくり、それに従っているから幸福なのである。そういう義務は、遠くから見る限り、面白くないし、不愉快である

・幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である

・不幸になるのは、また、不満を抱くのはやさしい。人が楽しませてくれるのを待つ王子のように、ただじっと座っていればいい。幸福を商品のように待ち構え、値踏みするような見方では、すべてのものが倦怠の色で染まり、どんな捧げ物でも軽蔑するようになる



アランは、快楽よりも、労苦の先にある幸福を求めよと語っています。そして、待ちの姿勢よりも、攻めの姿勢にあるとき、幸福を感じることができると語っています。

つまり、積極的思考、積極的行動によって、幸福をつかもうとしている時こそが、「幸せ」ということなのかもしれません。


[ 2012/12/28 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『ランボーの言葉・地獄を見た男からのメッセージ』野内良三

ランボーの言葉  地獄を見た男からのメッセージランボーの言葉  地獄を見た男からのメッセージ
(2012/03/23)
野内 良三

商品詳細を見る

アルチュール・ランボーは、19世紀半ば、フランスで生まれた早熟の天才詩人です。家出、放浪を繰り返し、30代半ばで亡くなります。

彼がつくる詩は、若さ、甘さ、弱さの匂いがプンプンする青二才の詩です。つまり、ピュアな心を持った詩人です。

世にすれるのを拒み続けた結果、世で云う不幸な末期を迎えました。ランボーは、世を生きるための反面教師です。是非はともかく、彼の詩を、いくつか紹介させていただきます。



・ぼくが望んだのは、日光浴、果てしない散策、休息、旅行、冒険、要するに放浪生活でした

・ぼくは死にそうです。陳腐さとか、悪意とか、単調のせいで腐りかけています。どうしろっていうんですか。ぼくがバカみたいに崇めているのは、自由なる自由です

・いま働くなんて絶対に嫌、嫌です。ぼくは目下ストライキ中です。今、ぼくはけんめいに放蕩に励んでいいます

・詩人は自分自身を探求し、すべての毒を飲み尽くして、その精髄だけを自分のものにします。それは、この上ない信念、超人的な力を必要とする言語に絶する責苦です。そこで偉大な病者、罪人、呪われ人となり、そして至高の「賢者」となるんです!

・私とは、見知らぬ誰かのことです

・ぼくは、正義に対して武装した

・不幸がぼくの神様だ

・職業はどいつもこいつも虫酸が走る。親方だろうと、職人だろうと、百姓だってむかつくね

・一番いいのは、へべれけになって砂浜で眠りこけること

・まだほんのガキの頃、牢獄に何度でも舞い戻ってくる手に負えない徒刑囚にあこがれた

救済と自由、ぼくはどっちも欲しい。それを追い求めるにはどうしたらいいのか

できあいの幸福なんて、家庭的なものであろうとなかろうと、嫌なこった。ぼくには無理だね

・女たちはもはや、安定した地位を手に入れることしか考えていない。そんな地位にありつけば、真心とか美しさとかはそっちのけ。あとに残るのは冷ややかな軽蔑だけってわけさ

・人は自分の天使を見るのです。断じて他人の天使なんかではありません

・人間は誰もが幸福という宿命を背負っていることがわかった。行動するとは、生きることではなくて、力を浪費する一つの方法。神経の高ぶりなんだ

・今やぼくは、芸術とは一つの愚行だと言うことができる

・見た、十分に。持った、十分に。知った、十分に。新しい愛情と新しい物音のなかへ出発するんだ!

・ああ!ぼくは、人生にまるで未練がありません。生きているとしても、疲れて生きることに慣れっこになってしまったからなんです

・もっとも今では、どんな苦しみにも慣れっこです。ですから、私が泣き言をこぼすのは、歌を口ずさむようなものなのです

・「定めなり!」これが人生です。人生は愉快なものではありません

・いつも同じ場所で暮らすとなると、ひどく不幸なことに思えるのです

・ぼくは骸骨になってしまいました。ぞっとするような姿です。それにしても、あれほど苦しんだにしては、なんとも悲しい報酬ではありませんか!



情けない、だらしない、いじけた姿もまた、人間の本性ではないでしょうか。その本性のまま、行動できる人はいません。だらしなさを貫いたランボーは、立派な人物だったのかもしれません。

成功する人生と失敗する人生、こうすれば失敗するよ、と身をもって示したランボーの人生に、学べるところがいっぱいあるように思います。でも、身近にいたら困る人ではありますが。


[ 2012/12/26 07:01 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)

『二畳で豊かに住む』西和男

二畳で豊かに住む (集英社新書)二畳で豊かに住む (集英社新書)
(2011/03/17)
西 和夫

商品詳細を見る

私の書斎は二畳です。その中に、机(パソコン、文具、備品)、書棚(本1000冊近く)、簡易ベッド、衣服一式、段ボール箱(捨てられない品)を詰め込んでいます。

衣服は、壁にフックを数本打ちつけ、強靭なロープを張り、そこに掛けています。簡易ベッドは、角を少し削って、無理やり入れ込みました。壁面や空間を有効に使っているので窮屈ですが、今では、そこが落ち着ける場所になっています。

まさに、「二畳で豊かに住む」だったので、この本を思わず読んでしまいました。

昔から日本人(庶民)は、長屋などの狭い部屋で工夫しながら暮らしてきました。そこで、どんな暮らしが可能なのか、著名人の実例などを含め、詳しく解説しているのが本書です。それらの一部を紹介させていただきます。



・内田百閒の家の玄関脇には、「世の中に人の来るこそうるさけれ、とは云うもののお前ではなし。世の中に人の来るこそうれしけれ、とは云うもののお前ではなし」と書いて貼っていた

・鉄道好き、猫好き、美食家であった内田百閒は、二畳の空間に夫婦二人で住んだ。住宅とはとても呼べない小屋だが、夫婦二人で三年近く住んだのだから、機能としては間違いなく住宅。住む機能としては、ぎりぎりの、一種の極限住宅

・「百閒邸は、三畳間一つの掘立小屋だが、奥の一畳分を押し入れ代わりにしている。棚を吊って、食糧、食器類を載せ、その下に衣類布団が入れてある。残り二畳には、机、コンロ、籠、書籍その他日用必需品が整然と並べてある」(中村武志・掘立小屋の百聞先生)

・百閒は、芸術院会員に推挙されるが、これを断る。芸術院に入るのが「イヤ」という。「ナゼイヤカ、気が進マナイカラ、ナゼ気が進マナイカ、イヤダカラ」。百閒生涯一番の名文句

・黒澤明が百閒をモデルに、映画「まあだだよ」を作った。「世界のクロサワ」が映画にしたいと思うほど、百閒は興味深い人物だった。ユーモアと辛辣さとで乗り切った「乞食暮らし」は、「イヤダカライヤダ」という強靭な反骨精神で支えられていた

・高村光太郎は、人里離れた小さな小屋の、その中の小さな空間、濃密な空間に住もうと考えた。自分だけの静かで充実した空間が必要だった。鴨長明の方丈の庵、西行の山中の庵に近い境地。長明は方丈記を書き、西行は歌を詠んだ。そして、光太郎は詩を作った

・正岡子規は「病床六尺、これが我世界」と語り始める。その病床で作った「病床口吟」の句が「繭玉や仰向けにねて一人見る」「病床やおもちゃ併べて冬籠」

・病床六尺、ふとん一枚が子規の世界であった。精神は強健、身体は風前の灯。そこから俳句や和歌の革新が発信され、子規の考えが広く伝播していった

・世界的な建築家として知られるル・コルビュジエの作品に「小さな家」と名付けた住宅がある。広さは60㎡(18坪)ほど。これを「最小の面積」としている

・茶室は、茶を点て、喫する(飲む)行為の空間で、点てる人(主人)と飲む人(客)の最低二人を入れる空間が必要。その結果、小さい茶室として、一畳半の茶室(建築としては実質二畳)に到達する。これがリミットと考えられている

・九尺二間と言われる江戸時代の裏長屋は、六畳の広さで、踏込みの半間は土間だから、畳は4畳半しかなく、ここに家族が生活した。土間に、かまど、水がめ、桶が置かれ、押入れがないので、寝具が積み重ねられ、その横で縮こまって暮らしていた

・敗戦直後の昭和20年、政府は6.25坪の応急緊急住宅を30万戸建てる計画を発表した。広さは6畳と3畳、1畳分の押し入れ、1畳分の台所、半畳分の便所など、粗末なねぐらだった

・建築家、安東勝男は昭和21年、「小住宅」と題する小冊子で、夫婦と子供一人の三人家族で、七坪が最低限と結論づけ、土間を活かし、間仕切りを少なくする七坪の小住宅を提案した

・建築家、池辺清は昭和25年に、「立体最小限住居」(14.5坪ほどの木造片流れ屋根の2階建て)を提案。「大きい家はバカでも住める、小さい家に住むのには知恵がいる」「どうやって小さい中でうまく住めるかというのは、我々自身の問題」と言った

・「狭いながらも豊かな空間」とは、自分の意志で積極的に住み、友人、支持者などと深いつながりをもち、狭いが充実した意義深い空間



「大きいことはいいことだ」に対して「スモール・イズ・ビューティフル」という概念があります。前者に主に必要なのはカネ、後者に主に必要なのは知恵とセンスです。

大きくて美しい空間を求めようとしたら、その空間のために、生活が犠牲となってしまいます。本書は、「狭いながらも豊かな空間」を模索することが、現代の日本に必要であると説く書だと思います。


[ 2012/12/20 07:03 ] 幸せの本 | TB(0) | CM(0)