とは学

「・・・とは」の哲学

『骨董鑑定眼』青山二郎

骨董鑑定眼 (ランティエ叢書 (24))骨董鑑定眼 (ランティエ叢書 (24))
(1998/11)
青山 二郎

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著者は、骨董界の重鎮だった人で、小林秀雄、北大路魯山人、白洲正子などと親交がありました。

骨董の鑑識眼に優れた著者の言葉には、芸術の本質を語る内容が数多く含まれています。それらの一部をまとめてみました。



・書道というものは茶道と同様に、非常に神経の細かい一つの芸であり、たしなみの技能。眼が肥えていて趣味が良く、書き写された昔の言葉にも意味がある。こういうものは、鑑賞家の芸術。だが、その技能を手に入れれば、後は人間の問題と見るのが書道に違いない

・画家の意識は、自然の中にある意識を誘発される。画家の技能は、自然の中に発見した意識を、自分のある意識に置き換えて表現しようとする

・金持ちの骨董弄りとは、何でも手当たり次第に買い集めて悦に入っているようなもの。人が来て誉めてくれれば、自分もそれを見直して喜んでいるし、人が貶せば自分でもそんなものかと思って、好きでなくなってしまう

・発見とは、発見の前に発見すること。偶然に見つかるのも発見だが、何もなければ発見できないものを発見するのが発見

・ある人は、「美術品というものは存在しない。あるものは美だけ」と言うが、この考え方が裏返しになって、「美というものは存在しない。在るものは美術品だけ」というふうに、頭の働きよりももっと実際的な眼の働きというものを、頭が信じるようになる

・正しい眼はすべて最適な条件で、健康な肉体にかかっているというよりほかに、証明の法がない

・骨董屋の眼は、物を見たというのではなくて、それは趣味という一観念を模倣する思考の働き。眼は常に正しいからとして、模倣を強要され、我々の眼玉は信じられないほどに、段々と思考に征服されている

・「感じが来る」ところから、改めて「見えて来る」までの間が、一番骨が折れる。見えるということは、陶器の生命とするものが、人の顔のように、銘々各々が異なる様に異なる事が分かるということ

見える眼が見ているものは、物でも美でもない。物そのものの姿。物の姿とは、眼に映じた物の、それなくしては見えない人だけに見える物の形、つまり、形ある物から、見える眼のみが取りとめた形

ぜいたくな心を清算する要はない。ぜいたくに磨きをかけなければいけないのだ

自分で自分が解らない、これだけが芸術家の源動力。そして、それを理解する鍵

・美とは魂の純度の探求。他の一切のものはこれに反する

・一度茶碗を愛したら、その茶碗は自分にとける。一度人を見たら、人が自分の中にとける。自分の血の中にそれらがとけるように、精神も受けただけのものは、自分の血肉の中にとける

・大衆は肉を食うが、大衆には胃袋がない。博物館に何十万人の人が行くが、彼らには思想がない。美を汚す理想がない、批評がない。だから罪はない

美は見、魂は聞き、不要は語る

・真贋というものは、賭け碁のようなもので、直観とは別のもう一つの感情と判断を必要とする

・多くの経験ある骨董屋が、失敗するのは、彼らが経験と直観に頼りすぎるから

・未熟な芸術家の純粋な駄作は、駄作でも何でもなく、自然に消える時が来れば消えるつぼみ

・見るとは、見ることに堪えること。堪えるとは、理解することではない

・今に黙って食えるだけの金が手に入ったら、文章や画を売らないで、遊んで暮らすこと、これが生活信条

・芸術は衣食の手段にするものではない



ちょっと抽象すぎる著者の言葉の数々は、まるで禅問答。美を語るのは、それだけ難しいものです。

感覚は論理ではなかなか説明できないが、その感覚を経験した人には、わかるのかもしれません。


[ 2014/07/25 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『メゲそうなこころを支える三十一文字』花車肇+DEN

メゲそうなこころを支える三十一文字―「世間」や「人生」がわかる庶民の処世の知恵『道歌』の事典メゲそうなこころを支える三十一文字―「世間」や「人生」がわかる庶民の処世の知恵『道歌』の事典
(1996/03)
花車 肇、DEN 他

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昔の庶民が、五七五七七の三十一(みそひと)文字に表した「道歌」は、世間や人生がわかる処世の宝庫です。

この道歌を600以上集めたのが本書です。思わずうなってしまう歌が多く、「昔の人は偉かった」と感じさせられます。その一部をまとめてみました。



・「塵を呑み 芥を入るる 大海の 広さが己が 心ともがな」
塵や芥のすべてを受け入れる、あの広い海のように、人の心もあればよいのに

・「おのが目の 力で見ると 思うなよ 月の光りで 月を見るなり」
月が見えるのは、自分の目がよいからではない。月が照っていてくれるからである

・「わがばかを ばかと心の つかざれば 人のばかおば そしる世の中」
自分の愚かさを知って、その愚かさに謙虚になれない人は、他人の愚かさを攻撃したがる

・「器用さと 稽古と好きの 三つのうち 好きこそものの 上手なれ」
上手になるための三つの条件「器用さ」「稽古」「好き」の中で、好きであることが一番

・「堪忍の 袋を常に 首にかけ 破れたら縫え 破れたら縫え」
堪忍袋をいつも首にかけていよう。堪忍袋は破れやすいので、破れたままにしないこと

・「可愛くば 二つ叱って 三つ褒めて 五つ教えて 善き人にせよ」
ただ叱って教えるだけでは効果がない。二つ叱ると三つ褒め、それから五つ教えること

・「我という 垢の衣を 脱ぎぬれば 天晴れ清き 神の御姿
過去を思い切って捨て去ってしまえば、誰だって、清らかな、神にも似た姿になる

・「十人は 十色なりける 世の人の 誠は心 一つなりけり」
十人十色という諺があるが、人の心の誠は、ただ一つのものしかない

・「長者山 上りて奢る 道へ出ば もはや下れぬ 坂と知るべし」
徳の高い金持ちでも、道を間違えて「おごりの道」に出てしまうと、再び元へは戻れない

・「貧しくて 心のままに ならぬのを 憂とせぬのが 智者の清貧
俗な世間にへつらわず、そのために貧乏をしても、節操を高く生き、少しの後悔もせず、悔しい思いもしないというのが、本当に知恵のある人の生き方

・「大石に つまづくことは なしとても 小石につまづく ことな忘れそ」
大きな石は用心して、つまづくことはないが、小さな石は見過ごし、つまづいてしまう

・「用心の 良いも悪いも その家の 主ひとりの 了見にあり」
一家の主が用心深いかどうかによって、その家の繁栄するかどうかが決まる

・「美しき 花に良き実は なきものぞ 花を思わず 実の人となれ
うわべや外観だけをきれいに飾る人でなく、人間として実のある人となるべき

・「我を捨てて 人に物問い 習うこそ 智慧をもとむる 秘法なりけり」
賢くなるための秘法は簡単。自負心や我欲を捨てて、知っている人に尋ね、習うだけ

・「算盤は 嘘をおかさず 無理させず かれにまかせば 家内安全」
そろばんで、日々の暮らしを立てておれば、もうそれだけで家内安全

・「身は軽く こころ素直に 持つ者は あぶなそうでも あぶなげはなし
行動が早くて、素朴で、穏やかであれば、一見危なそうでも、危なげない日々が送れる

・「学問は 人たる道を 知るためぞ 鼻にかくるな はなが折れるぞ」
学問するのは、人の道について知ること。道から外れた学問自慢をするな

・「手を打てば 下女は茶を汲む 鳥は立つ 魚寄り来る 猿沢の池」
猿沢の池の端で、人が手を打てば、茶店の女が客が来たと茶を汲み、鳥は驚き、魚はやってくる。同じ手を打つ行為なのに、三種の反応があるということ

・「掃けば散り 払えばまたも ちりつもる 人の心も 庭の落ち葉も」
人間の心の中には、掃いても、払っても、つまらない考えが、積もっていく



以前、「道歌教訓和歌辞典」「三十一文字に学ぶビジネスと人生の極意」という書を、本ブログでとり上げました。

これらも併せて読んでもらえたら、「道歌」という面白い世界が、より一層広がってくるのではないでしょうか。


[ 2014/05/28 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『萩原朔太郎詩集』

萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)
(1950/12/12)
萩原 朔太郎

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萩原朔太郎は日本近代詩の創始者と言うべき人です。高村光太郎と共に、大正から昭和前期を代表する詩人です。宮沢賢治にも大きな影響を与えました。

その代表的な詩や箴言を集めたのが本書です。その中から、心に突き刺ささる言葉が印象的な詩の一節を抜粋して、紹介させていただきます。



・「」 林あり、沼あり、蒼天あり。ひとの手にはおもみを感じ、しづかに純金の亀ねむる。この光る、寂しき自然のいたみにたへ、ひとの心霊にまさぐりしづむ。亀は蒼天のふかみにしづむ

・「殺人事件」 ・・・・・みよ、遠いさびしい大理石の道を、曲者はいつさんにすべつてゆく

・「さびしい人格」 さびしい人格が私の友を呼ぶ。わが見知らぬ友よ、早くきたれ、ここの古い椅子に腰かけて、二人でしづかに話してゐよう、なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう・・・・・

・「さびしい人格」 ・・・・・自然はどこでも私を苦しくする。そして人情は私を陰鬱にする。むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、とある寂しい木蔭に椅子を見つけるのが好きだ。ぼんやりとした心で空を見てゐるのが好きだ・・・・・

・「見しらぬ犬」 ・・・・・ああ、どこまでも、どこまでも、この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる。きたならしい地べたを這ひまはつて、わたしの背後で後足をひきずつてゐる病気の犬だ。とほく、ながく、かなしげにおびえながら・・・・・

・「青樹の梢をあふぎて」 ・・・・・愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、それはなつかしい、おほきな海のやうな感情である・・・・・

・「群集の中を求めて歩く」 私はいつも都会をもとめる。都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる。群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ、どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ・・・・・

・「遺伝」 ・・・・・お聴き!しづかにして、道路の向うで吠えてゐる。あれは犬の遠吠だよ、のをあある、とをあるる、やわあ、「犬は病んでゐるの?お母あさん。」「いいえ子供、犬は飢ゑてゐるのです。」・・・・・

・「」 ・・・・・ああ、なににあこがれもとめて、あなたはいづこへ行かうとするか。いづこへ、いづこへ、行かうとするか。あなたの感傷は夢魔に饐えて、白菊の花のくさつたやうに、ほのかに神秘なにほひをたたふ。

・「絶望の逃走」 ・・・・・おれらは逃走する。どうせやけくその監獄やぶりだ。規則はおれらを捕縛するだらう。おれらは正直な無頼漢で、神様だつて信じはしない。何だつて信ずるものか。良心だつてその通り、おれらは絶望の逃走人だ。・・・・・

・「こころ」 ・・・・・こころは二人の旅びと、されど道づれのたえて物言ふことなければ、わがこころいつもかくさびしきなり。

・「静物」 静物のこころは怒り、そのうはべは哀しむ。この器物の白き瞳にうつる、窓ぎはのみどりはつめたし。

・「公園の椅子」 人気なき公園の椅子にもたれて、われの思ふことはけふも烈しきなり。・・・・・われを嘲りわらふ声は野山にみち、苦しみの叫びは心臓を破裂せり・・・・・

・「公園の椅子」 ・・・・・われは指にするどく研げるナイフをもち、葉桜のころ、さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり

・「虚無の歌」 ・・・・・かつて私は、精神のことを考えてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる葦のをののき。無限への思慕。エロスへの切なき祈祷。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶だつた。・・・・・

・「虚無の歌」 ・・・・・かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。・・・・・

・「物みなは歳日と共に亡び行く」 ・・・・・兵士の行軍の後に捨てられ、破れたる軍靴のごとくに、汝は路傍に渇けるかな。天日の下に口をあけ、汝の過去を哄笑せよ。汝の歴史を捨て去れかし。


甘酸っぱくて苦い詩ですが、情景も目に浮かび、声に出して読んでみたくなる不思議な詩です。

せつなさ、心苦しさ、哀しさなど、自己と他の差を埋めることができないという諦め、孤独と孤立を彷徨い続ける著者の気持ちに共感できました。


[ 2014/05/02 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『骨董の言葉・一〇七七の用語と五二の成句』伊藤順一

骨董の言葉―一〇七七の用語と五二の成句骨董の言葉―一〇七七の用語と五二の成句
(2013/12)
伊藤 順一

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骨董や古美術の業界用語には、「隠語」が多いとされています。価値も値段も判断しづらく、騙し騙されが日常化されている世界です。

こういう世界で、われわれ日本人は、伝統的に、どんな言葉を使ってきたのか、興味の湧くところです。それらを少しだけですが、まとめてみました。



・「初(うぶ)」 今まで市場や店頭に出たことがなく、他人の眼に触れていない骨董・古美術品。また、新しい出土品や将来品なども、初、初いという

・「下手物(げてもの)」 大量に生産される民衆用の日用雑器の類を下手物と称する。中には質の高い工芸美を有するものがあり、柳宗悦はこれを「用の美」と言った

・「残欠(ざんけつ)」 欠け残ったもの。仏教美術において、仏像本体はないのに、その手だけ、蓮弁の一ひらなど残ったものを残欠と言う。日本人はその残欠から仏全体の優美な姿を思い、残欠の美として観賞する

・「時代付け」 新物を時代のある真物に見せるために施す手法のこと。古い時代の箱を合わせたり、漆や金属の表面に手を入れ、自然の手擦れのように見せたり、薬品で錆を作ったり、書画を茶湯に浸し、古い紙に見せたりすること

・「3D(スリーデー)」 いったんコレクターの手に納まった美術品が再び市場に出てくるのは十数年以上経過するものだが、例外は、持ち主が死亡(Death)、離婚(Divorce)、借金の形(Debt)の三つのケースで、これをオークション用語で3Dという

・「せどり」 同業者の中間に立って、注文品や探求品を聞き出し、これを捜して売買の取次をして口銭を稼ぐこと、また、それを業とする人。また、地方や新規開店の古書店から探求書などを抜き取り、他店に持ち込んでサヤを稼ぐこと、また、それを業とする人

・「飛し(とばし)」 紙本の書画を二枚に剥がし、二枚の真筆を作ること。下側の一枚は色も薄く、落款も不鮮明であるが、これを元箱に入れて売る悪徳商法の一つ。近年は、経済的損失を他に転嫁して隠蔽する手法を「とばし」と称している

・「ボツ」 陶磁器の焼成後に表面に生じた染みのこと

・「飽きやすの惚れやす」 手に入れた物をすぐに飽きてしまう人に限って、物にすぐ惚れてしまう、いつまで経っても、この繰り返しをやっている人を揶揄していう言葉

・「金惜しみ」 真正な物でも、その値段は高額すぎて不合理だと考え、とにかく安く掘り出しだけを狙い、結果として贋物を手にしてしまうこと(人)をいう

・「奇貨居くべし(きかおくべし)」 珍しい品物は機会を逃さず買っておけば後に利益になる。好機を逸してはならないというたとえ

・「玉を懐いて罪あり」 身分不相応なものを持つと、とかく災いを招きやすいもの

・「素人十倍玄人百倍」 素人は相場の十分の一くらいの値段で、玄人なら百分の一くらいの値段でよい物を手に入れたとき、それぐらいを掘り出しという。骨董業界の掘り出しの目安

・「話(ストーリー)で物を買うな」 コレクターの琴線に触れるような物語(出所や来歴、逸話など)が付いている物には往々にして贋物や安物がある。骨董買いはストーリーで買うのではなく、物そのものの価値で買うものだという骨董買いの基本をいった言葉

・「遠くのものには手を出すな」 よくわからないものは買わないほうがよい。株式投資などでも使われる言葉

・「二度目の見直し三度目の正直」 一度見ただけでは不確実、二度目見たときに見直すことがあり、三度目見てはじめて正確に観察(判断)できるもの

・「一目にて見るは二目にて見るに如かず」 個人の見解よりも多数の人の見解のほうが正しい

・「貧乏光り」 木地や金属製の骨董・古美術品を磨きすぎて、本来の見所であるせっかくの古色を落としてしまった光沢をいう

・「物は常に好む所に聚(あつ)まる」 物は必ずその物を好む人の所へ集まってくる



骨董・古美術品業界の「隠語」だったものが、われわれが日常使っている「日本語」に昇格した言葉も数多くあります。

こういう言葉を覗き見ると、人間はウソをつき、人を騙し、姑息に儲けようとする生き物だということがわかります。お金があろうと、なかろうと、それらは変わらないのかもしれません。


[ 2014/03/28 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』河井寛次郎・柳宗悦

蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ (講談社文芸文庫 (かK2))蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ (講談社文芸文庫 (かK2))
(2006/01/11)
河井 寛次郎、柳 宗悦 他

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河井寛次郎さんの本を紹介するのは、「火の誓い」に次いで2冊目です。本書は、「仕事と思想」(随筆)、「暮しと言葉」(戦後間もないころの詩)「陶芸始末」(昭和初期の陶芸製作解説)の三篇の構成になっています。

そのうち、「仕事と思想」「暮しと言葉」の中で、陶芸家、職人としての姿勢に感動させられた言葉をまとめてみました。



・土は今始めて形を得、火に会って固まる。美への志願は無用である。正しい素材従順な工程好い組織を撰ぼう

・知性だけでうんだ作品は、わりきれたもので、それではいけない。われわれの中にある、われわれのまだ知らない自分が出なくては駄目

・一生、美を追った生活に、思想上の一転機があった。世界は二つある、と考えたこと。美を追っかける世界と、美が追っかける世界と。美術の世界と、工業の世界と

・物の形は、すべて、出発点が到達点になっている。△の形、○の形をごらん

・「たいてる人が燃えてる火」。火はたいている人の魂が燃えているので、単なる物理現象ではない。精神の現象だ

・新しい材料が出てくると、それに応じて新しい技術が生まれ、前の材料と技術は美術に棚上げされて、民族はそれぞれの美を守って行くことになる

・豪華というのは、費やされた労働力が非常に殺されている

・白隠や仙厓は「私字」をやった。しかし、「私字」の中にも戯れが入った「戯字」があって、これもなかなか面白い字。同じ書の中にも「」の字と「」の字と「」の字があって、どれがいいと一つに決めるのは無用なこと。それぞれ、みなあってしかるべき

・江戸中期の学者、富永仲基の三原則とは、一、「加上」(歴史は後から膨れ上がる)。二、「異部茗字必ずしも和会しかたし」(ものは一元で決めたら間違い、多元でいい)。三、「言葉に人あり、言葉に時あり」(人によって、時代によって、言葉の内容が違ってくる)

・虫と葉っぱは、喰う喰われるという現実が、養い養われるという現実とくっついている。虫と葉っぱは「不安のままで平安」、これでいいのだ、これで結構調和しているのだ

・もし不幸が多すぎたなら人はとうに絶えたはず。不幸はちょっぴり幸福を作るための発酵素であることだけの必需品

・この世は自分を見に来るところ。何と言う素晴らしいところ。この世は喜びをさがしに来たところ。そのほかのどこでもないところ

・河原へ石さがしに行く人、自分を拾いに行く人。何という自分の発見。こんな誰が作ったかわからないものの中に自分がいたのだとは何という発見

・人は皆自分を燃やして焚いてその火でもの見る

・人、世の中に播かれた一つの生命。どう発芽するか

・こんなところに自分がいたのかと、もの見つめる

・ないものを得ようとするのではない。あるものをとり出す

・美は捨てた時が得た時。求めなければ与えられる

・喜びの足りない時が失敗

・時勢とともに歩いてはいけない。時勢とともに歩かねばならない

・美を追うのではない。美から追われているのだ。美をつかむのではない。美からつかまったのだ

・窓あけて、いのちの窓あけて、もの見る

・恵まれていない者はない。拒んでだけいる人。同じものを与えられながら別々に受け取る人間。美はいつも人をさがしている。幸福は人をさがしている



河井寛次郎さんは、陶芸家(美を追っかける世界)としての名声を捨て、職人仕事(美が追っかける世界)に身を投じ、民芸運動を立ち上げた人です。

生活の中に美を求めた純粋で素朴な活動が、文章によく表れています。本書を読むと、重ね着した服を一枚一枚はぎ取られていくような気分になります。


[ 2014/03/07 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(0)

『群れない生き方・「常識人間」を捨てる44の法則』絹谷幸二

群れない生き方群れない生き方
(2011/11/24)
絹谷 幸二

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著者は、数々の芸術賞を受賞している洋画家です。東京芸大の教授も務められていました。

「孤独に生きる」のは、社会と隔絶しないといけませんが、「群れないで生きる」のなら、社会と共存できそうに思います。群れないノウハウが満載の本書を、以下のようにまとめてみました。



・「群れる」という行為は、とてもラクだし、その誘惑も常にある。だが、一度その波にのまれてしまうと、自分を取り巻く環境に甘えて、自分をごまかす生き方をすることになる

・日本の近ごろの沈滞は、「学校や会社に尽くす」という美名のもとに、それぞれの仕事の中でサボタージュを決め込み、それに気づいていながら、お互いにかばい合って、真実に迫ろうとしない勇気のなさにある

・流行を追いかけ、個性的になろうとした結果、個性を失ってしまっている

・社会は、「中位の数字のとれそうなところ」で大きなスモッグが発生している。そして、その先に出るに出られない閉塞感が、すべてを同様の顔にしている

・異端や下手くそを認めず、かといって高級品と下級品の違いがわかるわけではない。口あたりのよい甘さにべっとりとからまれて、中級品が社会を動かしていく先は、推して知るべきジリ貧の結果となって現れる

・努力せずともよかったころの居心地のよさに浸り切っていると、予期しないものが現れ、足をすくわれる

・コンプレックスはあるうちが花。コンプレックスは使いようで、毒にも薬にもなる代物

・甘すぎる誘いも、渋い話も、まずは舌で転がして、鵜呑みにはせず口に含む。これでよしとなれば、まず咀嚼する。そして、もしその中の劇薬や痺れ、小石や骨などが入っていれば、腹には入れず、そっと吐き出せばよい

・絵を描いている人にとっては、日々が「孤独と個性捻出の戦い」である

・「死んだらおしまい」。人は「潔く生きることを心がけ、あの世は死んでからはない」と知るべき

・人間は個体ごとに生き死にはするが、その心というか細胞は幾重にも重なり、古代から連綿と続いている

・バランスが偏っていると、時代が変わったり、相手が異なったり、場所を移動したり、人員が変化したときに通用しなくなる

・絵描きは「積み上げと描き込み」の対極に、常に「破壊と削りとり」の用意をあらかじめ秘めておかなければならない

・口あたりのよい、中途半端な人が社会や会社を牛耳っていては、その人物の狭い器量の幅でしか世界が見えない

・片方の手に夢と平和を、もう一方の手には現実と戦いを。双眼で同時に見る目を養っておかなければならない

・絵かきというものは、名刺などをやたら振りかざしてはならず、売るのは顔

・あらゆる楽しげなモノやカネ、または名誉などという落とし穴を自ら避けて通る勇気が必要

・子供に尊敬される「遊び人」とは、知恵があり、生きるためのエサを日々の不安なく運んでくれる運動能力採集能力のある大人

・死んでしまえば、仏の言う極楽浄土、キリストの天国は、信じない人にはない。今日広大な宇宙の中で水があり、花が咲くのはこの地球だけ。この地球こそが極楽浄土であり、そこに生を受けたことこそが億万分の一の幸せということ



安全な道を選んだつもりが、苦難の道になるということもしばしばです。

著者は、苦難に立ち向かう気力と根性があれば、道は何であれ、成功への道となるということを述べられています。立ち向かう生き方こそ「群れない生き方」なのかもしれません。


[ 2014/02/14 07:00 ] 芸術の本 | TB(0) | CM(2)