とは学

「・・・とは」の哲学

『食べること生きること・世界の宗教が語る食のはなし』奥田和子

食べること生きること―世界の宗教が語る食のはなし食べること生きること―世界の宗教が語る食のはなし
(2003/03)
奥田 和子

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イスラム教は、なぜ豚肉を食べてはいけないのか?ヒンドゥー教では、なぜ牛肉を食べないのか?禁酒や断食の習慣なども含めて、人は宗教観によって、食べるという欲望に制限がかけられています。

この問題を調査分析したのが本書です。ためになることが、数多く記されています。その一部をまとめてみました。



・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の生まれた場所は、水の少ない植物が育ちにくい土地柄なので、食べ物に関して、厳しい契約が生まれた。仏教、儒教、道教の生まれた国は、食べ物が豊富だったので、厳しい契約は生まれなかった

・ユダヤ教の旧約聖書には、すべての収穫物は神のものだから、土地から取れる収穫量の中から、穀物であれ、果物であれ、必ず10分の1を取り分けねばならないとの記述

・ヒンドゥー教の供え物は、穀物、家畜、果実、花々、蜂蜜とギー(良質のバター)。供え物の種類によって、功徳の期間が違う

・儒教の供え物は、「真水」(水こそすべての味のもと。酒は混ざりけのないもの)、「焼き塩」(自然の味を尊ぶ)

・ユダヤ教で食べてはいけない動物、「反すうするだけか、ひづめが分かれているだけの動物。野うさぎ、らくだ、狸、いのししなど」「ひれ、うろこのない魚類」「死肉や生きた動物を獲物にする鳥類。猛禽類、こうもりなど」「昆虫」「死肉」「血」「肉食後のチーズ」

・イスラム教で豚を食べてはいけない理由は、「豚は反すうする家畜と野性の哺乳類の雑種であるから、食卓から追放されたという説。旧約聖書に二種の家畜を交配するなという記述」「豚肉は汚染されやすい、腐りやすい、ライ病になりやすい」

・ヒンドゥー教で牛を食べてはいけない理由は、「牛は人間に乳を与え、土地の耕作、刈り入れ、運搬、脱穀を助けてくれる。食べるなどもってのほか」

ユダヤ教・キリスト教> (肉に心を用いない)(貧者、敵にも惜しみなく食べ物を与えよ)(断食は過去の出来事を忘れないための苦行)(教会に、イエスの血と肉を意味する、パンとぶどう酒を拝領する)(食事の席で上席に座ってはいけない)

イスラム教> (食べ物は神からの贈り物、その恩恵を神に感謝する)(酒は人間を欲望の虜にするので、宗教の力で禁止)(貧者に食べ物を惜しみなく与える)(いっせい集団1カ月の断食で、人の痛みを実感として共有)

仏教> (肉食の戒め)(食べることに執着するな)(食べる量を知り、余分を求めるな)(美食の戒め)

ヒンドゥー教> (生き物を傷つけない)(牛を大切にする)(食べ物の分かち合い。王は困った人に食べ物を与える義務)(食事は東を向いてする)(両親や師より先に食べない)(神々を礼拝し、供え物をする)(寺院に供えたお下がりの食べ物を食べると福がある)

儒教> (酒は祭礼の時のみ飲み、時の定めなく飲まない。酔いしれない)(動物の特定の部位、内臓を忌み嫌う)(粗食で質素に。切りつめて祖先に食べ物を供える)(貪りの戒め)(食事中のマナーを守ることで、長幼・死者生者・上下関係のルールを示す)

道教> (生き物を害してはならない)(飲酒者にならない、ほどほどに飲む)(内欲を我慢する。節度を守る)(夜間の食事は非常食)(長寿のために食べ物の選択に注意する)

諸宗教の共通点
1.「飽食の戒め」2.「貪りの戒め」3.「節制・節度」4.「美食の戒め、粗食」5.「飲酒の抑制または禁止」6.「恵みに対する感謝」7.「食べてはいけない食べ物」8.「肉食の戒め」9.「祭儀または祖霊崇拝」10.「博愛・分け与え」

諸宗教の共通でない固有の点
1.「死後の世界の有無とそこでの食べ物」 イスラム教(現世の強い締め付けの反動として、天国での飲食は豪勢) ヒンドゥー教(天国でおいしい食べ物を食べることができる)
2.「断食」 イスラム教(徹底して行う。食事を修業の一部に組み込んで精神の強化、罪のあがないを図る手段にする)
3.「喜捨、献げ物、献金など」 ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 仏教
4.「食事作法」 儒教(人間関係の円滑化のために厳重)
5.「不老長寿」 道教(医学と結びついて神仙説に及ぶほど重んじる)
6.「我慢に応じてのポイント制」 道教(食べないで我慢した場合功としてポイント)
7.「生類殺生の戒め」 仏教 ヒンドゥー教(生き物を殺したり傷つけたりしない)



私は、何でも食べるべきという考え方です。外来駆除動物のブラックバスやミドリガメまで、食べる方法を考え、昆虫のおいしいレシピを考えれば、将来の食糧不足にも対応できると思っています。

しかし、世界では、まだまだ食べてはいけないものの制約があります。それは宗教による戒めが理由です。鯨なんかも宗教観による違いの代表的な例です。食べ物をもっと科学的に考えることが、人類の平和につながるのではないでしょうか。


[ 2014/07/04 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『さみしさサヨナラ会議』小池龍之介、宮崎哲弥

さみしさサヨナラ会議さみしさサヨナラ会議
(2011/06/30)
小池 龍之介、宮崎 哲弥 他

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本書は、評論家の宮崎哲弥氏と住職の小池龍之介氏の対談本です。その中の宮崎哲弥氏の考え方が秀逸だったので、その部分だけをとり上げてみました。

本書には、「孤独」についての興味深い考え方が数多くあります。それらをまとめると、以下のようになります。



・人の心は他者の言葉に大きく左右される。詐欺や洗脳のように心に偽りの現実感を植え付ける場合ですら、ほとんどが言葉を手段としている。「たかが言葉に踊らされるなんて」と軽視しがちだが、実は感覚よりも言葉の方が強く心に影響を与える

・憎悪に心を燃やし、嫉妬に身を焦がしている間、孤独感は消える。本当は、その最中に「次の孤独」の原因がどんどん溜まっているのだが、それに気づかないのが罠。こうして憎しみや妬みの心が性癖になる

・セックスは部分的に自我を壊し合うゲーム。ところが、人間は実に手に負えない生き物で、自我の壊れた部分から、もっと自我を肥大させよう、最終的には相手も自分の自我で圧倒、支配しようと指向するようになる

恋心の成分を分析すると、自己愛はもちろん、支配欲とか独占欲とかも含まれている。それに、もっとネガティブな嫌われたくない気持ちも大きい

・通常、欲望は「満たされた状態」を求めるものだと思われるが、実はそれはウソ。満たされた瞬間に欲望は消滅してしまう。人は「すでに持っているものを欲しがることはできない」

・仏教は、欲望を断たないと本当の意味で幸福にはなれないと説くわけだが、多くの人々にとって「本当の意味の幸福」というのは、刺激のないつまらない状況に思える

・風俗産業には、昔から孤独慰撫ビジネスの側面がある。見方によっては、宗教もその種のサービスを提供するビジネスの側面がある

・大人になると、恋愛の「先が見えるようになる」。ある程度、経験値が高くなると、自分の気持ちの転がり方が予測できる。そうなると、味覚と同じで、快楽が次第に減っていく

・男性の根源的欲望は、生の始原の状態、具体的に言えば、母親の胎内に回帰する。これこそが、男の究極のさみしさの解消策。しかし、それは望み得ないので、疑似母胎を探す

・社会の変化は、男女の平等化が進んだというよりも、男女の同質化が急進したととらえるべき。男性がしんどい役割を堅持しなければならない理由がなくなったということ

快楽の量の増大と幸せの増大を同じものとみなす社会は、全体がソフトな覚醒剤中毒にはまっていると言える

・仮に巨万の富や権力によって、大方の欠如が埋められたとしても、新たな欠如を求める欲望の性質は強く残っているため、「欠如の欠如」が意識され、「『欲しいものと思えるもの』が欲しい」という倒錯した渇望が空転することになる

・中村うさぎ氏が「さすらいの女王」で、「『新世紀エヴァンゲリオン』は、全人類が一体化して一つの自我を共有するか、一人一人が孤独な個であり続けるか、という究極の物語であった」とまとめているのは、とても当を得た整理

・「人は死ぬ限り幸福にはなれない」とは、哲学者の中島義道氏の名言だが、「人は不死になっても幸福にはなれない」。死んで無に帰すのも怖いが、永遠に存在するのは、それと等しく恐ろしい

・まともに恋愛してきた大人なら、人が平等だなんて嘘っぱちだと知り尽くしている。愛する一人を選別することの残酷さ、また愛する人から選ばれないことの残酷さ。恋愛は、そういう公平とか正しさとかの学校教育的な建前がまったく通用しないサバイバルだから

・仏教の主要テーマの一つが「世界はままならぬものである」ということ。全知全能の神なんて、もちろん存在しないし、科学やテクノロジーが進んでいっても、人が強い自我を持ち続けたとしても、世界を意のままに変えることなんてできない

・「ままならない世界」を淡々と見つめ、その性質を知り尽くし、自分を自分に縛りつけている強固な錯覚を打ち破ることで、苦しみから解き放たれる。これが、釈迦のオリジナルな教え



煩悩、苦しみ、不条理感、孤独感を完全に解き放つことは不可能ですが、本書を読むと、それらと上手くつきあっていけるように思えてきます。

この世とは、自分の思うようにいかない「ままならない世界」と理解した上で、限りある命を楽しむことなのかもしれませんね。


[ 2013/12/13 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『お寺の経済学』中島隆信

お寺の経済学 (ちくま文庫)お寺の経済学 (ちくま文庫)
(2010/02/09)
中島 隆信

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本書は、日本の仏教の歴史、制度、しくみなどを踏まえた上で、経済を論じている書です。お寺の社会学というタイトルをつけてもいいくらいです。

仏教の経済を通じて、仏教の全体が学べます。勉強になった箇所が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



集団の結束力を高めるには、三つの方法がある。「1.知識の共有」「2.時間の共有」「3.行動の共有」。仏教教団がこうした手段を用いてきた結果が、「釈迦の教え」(経)、信者としての修行の基本方針(戎)、僧侶の守るべき規律(律)の確認

・一部の人間しか救済されない宗教では、いかに教えが尊いものでも、一般に広がっていかない。大乗仏教は「救済」という発想を従来の仏教に持ち込むことによって、一般人に受け入れられる素地を作り、その後の発展の道を切り開いた

・平安時代までの日本の仏教は、皇族や貴族といった国の支配層に支えられ、僧侶は公務員として安定した地位を確保した

・国家権力という強力なスポンサーを得た宗教は栄える。しかし、国家の庇護に安住すれば緊張感が薄れ、宗教は堕落する。政府の保護政策を長年にわたって受けてきた産業が国際競争力を失って衰えることと同じ

・信仰という市場の場合、新規参入者が顧客拡大を図るためには、他宗に対して批判的にならざるを得ない。日蓮が鎌倉政府によって流罪に処せられたのは、信仰市場の新規参入者として、世の中を騒がせたから

・自転車に喩えて言うなら、「経済学」は後輪。ペダルをこぐと後輪が回転し、自転車は前に進む。経済学は社会を前進させる原動力だが、後輪だけでは不安定。前輪の「仏教」が必要。行き先をコントロールし、社会が間違った方向に進まないように正してくれる

・日本の寺にあって、タイの寺にないものは、お墓。日本の寺院にお墓があるのは、日本のお寺に「檀家」という他の仏教国に例を見ない特殊な存在があるから

・江戸幕府が信者を与えてくれた「檀家制度」は財産やスポンサーを持たない小規模寺院にとって願ってもなかった。「宗門人別改帳」に各戸の宗旨と菩提寺名を記載し、寺院が保証したことは、寺院が政府機関の末端として、行政権限を与えられたことを意味する

・江戸時代は職業選択の自由がなく、人の移動も制限されていた。幕府は檀家による菩提寺への定期的な参拝や布施を義務化したため、寺院は顧客と安定した財政基盤を得ることができた。お寺は行政機関の仕事を肩代わりする見返りとして、収入の安定を得た

・幕府が恐れたのは、現状に不満を持った人々が、信仰を求心力として結束し、政治に対抗すること。大衆を結束させないために有効で効率的な方法は、日本人から信仰心を取り去ってしまうこと。檀家制度はまさにその役割を果たした

・檀家制度によって、住民は檀家として、近隣のお寺に縛りつけられた。こうした状況が約260年続いた。日本人に宗教心がないと言われる原因がここにある。お寺を弾圧するのではなく、飴を与えて骨抜きにした。保護政策がいかに産業を駄目にするかの典型例

・檀家制度によって信者が確保されたので、仏教の教義を伝えることよりも、檀家からの布施収入を増やすことが重要となった。日本に古くからある先祖崇拝の儒教思想を利用し、ご先祖様の追善供養と称して、数度にわたる法事を執り行い、布施収入を増やしていった

・決められた仕事をこなす公務員組織では、命令系統明確化のための序列が必要。それが僧侶の官位。僧が官位を得たのは624年。今も残る僧正や僧都の名称はこれに由来。官位の決め方の基準も必要になり、政府は僧侶の年功制を導入した。これが年功制の始まり

・かつて僧侶は、宗教家であると同時に、公務員であり、学者であり、慈善事業家であり、芸術家であり、軍師であり、そして教師であった。近代化とともに、職業が専門化され、僧侶の仕事は、次々と専門職にとって代わられた

・宗教家という専門職は強度に差別化されている。そのため、本来は政府の支配下にあるはずの官僚組織(奈良仏教教団)が力をつけて、政府を脅かした。そこで、桓武天皇は首都を京都に移転し、新しい仏教勢力をつくろうと考えた。このプランに協力したのが最澄

・本来、僧侶の仕事は対価を要求しないもの。困っている人がいれば救いの手を差し伸べて、お礼は後から受け取る。その金額はいくらでも構わない。さらに言えば、布施をさせてあげるのが僧侶の仕事なのであり、お礼を言ってはならないもの



江戸時代が終わり、約150年経っていますが、我々日本人は、今も江戸初期につくられた仏教の制度に精神的に支配され続けています。そこに疑問を感じず、思考停止の状態になっているのかもしれません。

本書は、仏教とのつき合い方に目を覚まさせてくれます。仏教を再考するのによいテキストになるのではないでしょうか。


[ 2013/12/02 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『庶民に愛された地獄信仰の謎・小野小町は奪衣婆になったのか』中野純

庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか (講談社プラスアルファ新書)庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか (講談社プラスアルファ新書)
(2010/10/21)
中野 純

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地獄といった架空の場所、閻魔さんといった架空の人物をつくり出すことで、世の中が丸く収まるということを、昔の人は発見しました。本当にあると力説するのが、少し照れるのか、閻魔さんは、どことなくナマハゲのようにユーモラスに描かれています。

著者は、地獄信仰のユニークさに魅せられて、日本各地の地獄史跡を回ってこられた方です。その研究成果が本書になります。日本人の心の中に潜むものとは何かが、よくわかる本です。その興味深い点を要約して、紹介させていただきます。



・ものすごく恐いけれど、どこかのんきで、不思議に極楽な日本の地獄。名もなき過去の人たちが生み出してきた、この闇のワンダーランドにもう一度親しみ直せば、この世を生きることがもっと面白くなる

・「奪衣婆」には誰も興味を示さないが、閻魔大王の傍らにいる紅一点。奪衣婆は、盗みを働いた亡者の両手の指を折るとも言われる恐いおばあさん。亡者の死に装束を剥ぎ、亡者が何も着ていない場合、衣の代わりに身の皮を剥ぎ取る

・仏教(とくに浄土教)はあの世を積極的に扱う宗教として、日本に受け入れられた。仏教伝来以前の日本人も、あの世に対する思いは強く、黄泉の国などあったが、システムやディテールのしっかりしたあの世がなかった。仏教が、日本の死後の世界を確立させた

・日本仏教は、お寺の中に極楽浄土や地獄を積極的につくっていった。墓地もお寺の境内にどんどん吸い込まれ、お寺そのものがあの世になった

・閻魔さまは道服(道教の修行者が着る服)を着て座っていて、服の色は赤が多い。王冠をかぶり、髭を蓄えた真っ赤な顔ですごく怒っている。右手には必ずしゃくを持っている。左手にはルールがないので、閻魔さまの個性は左手に出やすい

六道とは、輪廻する六つの世界で、最悪の「地獄道」から「飢餓道」「畜生道」「阿修羅道」「人間道」「天道」の順にランクアップする。だが、庶民の感覚では、地獄道と飢餓道がいっしょくたにされ、それに対して極楽浄土があるという感じであった

・六道の分類は、日本人にはちょっとウザかった。庶民的には、六道はあの世、六道銭(六文銭)はあの世に行くときに使うお金、六道の辻はあの世の入口的なところ。だから、六地蔵は墓地の近くの入口にたくさんある

・美しいものでもいつかは醜くなり、栄華を極めてもいつかは零落する。そういう無常観は、平安時代以降、仏教によって、日本人の心の奥底に染み込んでいった。「卒塔婆小町」の謡曲や「小町老衰像」は老後の美女落魄、容姿の無常観を日本人に強く植え付けた

・火葬場で遺体が焼かれたあと、遺族が二人ずつ組んで、遺骨を二膳の箸で拾って骨壺に入れるのを、箸渡しと呼ぶ。箸と橋を掛けて、三途の川を橋で渡してあげるという意味

・時代が下がり、渡し賃(六文銭)を払って、舟で三途の川を渡り、払わないと、奪衣婆に衣を奪われるというシステムが普及した。奪衣婆は三途の川の渡し賃の徴収係になった

・三途の川だけでなく、地獄の思想も世界のほとんどの人に普及している。ゾロアスター教を初め、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も、死者は審判によって、地獄と極楽(天国)に振り分けられると考えた。舟形の棺に遺体を納める風習も世界のあちこちにあった

・日本のあちこちにある火山の地獄は、「地獄に似ているところ」ではなく、「地獄そのもの」「地獄と通じているところ」。平安時代、罪を犯して死んだ日本人は、本当に立山地獄に堕ちて苦しむと考えられた。立山、恐山の地獄、湯沢の川原毛地獄が日本三大地獄

・「日本列島の多くの登拝者を集める霊山には、その山中に、浄土ヶ原とか浄土ヶ浜などの名にならんで、地獄谷や賽の河原の名を持つ地点が必ず設けられている」(山折哲雄)

・日本のあの世は、世界でも珍しく、身近にパラレルに存在していた。閻魔さんも恐いだけでなく、愛嬌のある身近な存在で、地獄も恐いけど親しみのある身近な存在だった

・日本の地獄といえば、なんといっても釜茹で。地獄は熱いの一言に尽きる。仏教の地獄には熱地獄と寒地獄があるが、熱地獄のほうが格段にリアルで詳細に描かれてきた

・平安時代に源信が書いた「往生要集」は極楽往生マニュアルだったが、この本には多くの地獄絵が描かれていたため、地獄のガイドブックの先駆けバイブルとなっていった

・平安時代中期以降に普及した仏教の地獄は、「こんなに恐ろしい地獄に堕ちたくなかったら、仏教を信じなさい」という布教の手口となったが、それが時代が下がるにつれて、恐いことは恐いが、どこかのん気になっていく



昔、子供が小さかったとき、お寺で地獄絵本を買って、寝る前に、読み聞かせたことがありました。どんな絵本よりも「効果?」があったように思いました。

著者は、「あの世とは、地獄極楽とは、人間の妄想の集大成。この妄想遺産を大切に受け継いでいくためには、さらなる妄想を加えることが重要」と述べられています。現代人の地獄観をもっと刺激するような「新地獄」を創作すべき世の中なのかもしれません。


[ 2013/11/17 07:01 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『鈴木大拙随聞記』志村武

鈴木大拙随聞記 (1967年)鈴木大拙随聞記 (1967年)
(1967)
志村 武

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この本は、87歳になる父親の書棚にあったもので、昭和42年に出版された書です。

鈴木大拙(宗教家・東洋思想家、昭和41年95歳で没)の書は難解で、このブログにとり上げるのをためらっていました。本書は、著者が鈴木大拙の側に寄り添い、その言葉を聞き出したものなので、比較的容易です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・世間的に評判が立つのは、その時その時の時代的条件の組み合わせ次第であって、その人の人間としての価値にはよらない。田舎のお寺の墓場に名も知れず眠る人々も決して「凡人」ではない。周囲の事情の組み合わせ次第で、社会の表面に祭り上げられなかっただけ

・望みが大きくても、その中から純粋なものが出てこなければ、それはアンビシャスではない。人を傷めない人のためになる、といった社会性のあるアンビシャスであること

・向こうの力がどのくらいあるのかを見ないで、むちゃくちゃをやるというのは、人間として極めて低い考え。もう少し自分を尊敬すべき。自分を動物のように見てはいけない

・心なきところに見える働きが、大拙先生が日ごろ最も重んじた「おのずから」ということ。その無功用行(報いを考えの中にまったく入れない行為)が、大拙を大拙たらしめた

・中国も、百年経てば、きっと元の姿に戻っていく。われわれは、過去から現在までに得たものを捨ててはならない。得たものを利用して、昔の系統を続けていくのがよい

・仏教には「あなたはあなたのよろしいように」(良寛和尚)といったようなところがある

・「道はおのずから道なるなり」の「おのずから」が大切。「さとり」とは、「おのずから」に徹すること

・「さとり」とは、「かぎりなく素直な心になること」であるとともに、「その素直な心を決して意識しないで行動できること」である

・誠というものには限りがない。真剣になって誠を尽くそうとすればするだけ、尽しきれない面がマイナスになって跳ね返ってくる。そのマイナスに立ち向かう気力が必要

・自分を知ることぐらい大切なことはない。自分を知る人々は、自分の益となるものがわかり、自分にできることを見分けられる。そして、自分の知ることを実行し、必要なものを手に入れて豊かに暮らし、知らないことは避けて、功なり名をとげて、尊敬を受ける

・聖徳太子の中には、日本的なるもののすべてがある。太子のころの日本を研究し、太子の思想を学ぶことによって、日本的なるものの精髄をつかむことができる

・日本が、日本がと、言っても、日本というものは、世界あっての日本で、日本は世界に包まれているが、日本もまた世界を包んでいる。日本は世界のうちの一つである

・日常的な意識が、宗教的な意識に切り替わると、指一本の中にすべてのものがあるということに、はっきり気がつく

・生まれながらの素質がどれほど優れていても、人間は生育の環境とは無縁ではない。「宮殿の中では、人は小屋の中と違った考え方をする」(フォイエルバッハ)、「人間はすべて平等な素質を持っているが、ただ境遇が差別を設けている」(リヒテンベルク)

・他力を頼んで、他人に依存して、自分からは何もしない、ではいけない。絶対の他力は絶対の自力と同じこと。つまり、自分は苦しんでいても人を助けたいという能動性が、おのずから出てこなければならない

・幸福は苦しみを超越したところにあり、幸福は因果応報を出たところにある。それを出るということは、因果を離れて因果を見るのではなく、因果の中に入っていながら、それが楽しみのものになるということ

・他のために自分の労を惜しまずに、手足を動かしていると、自分のことが自然に気にかからなくなり、自分のことのみを考える癖が少なくなり、「誠」が養われてくる

・詩があると、ゆとりが出てくる。限りあるものが限りないものに変わる。無限の世界が出てくる。詩は創造力。これを持たないといけない

・「願わくば一切の人に極楽へ行ってもらいたいが、私だけはいつまでも苦海にいたいもの」(趙州禅師)。この大悲心こそ、今日の人間を救い、今後の世界を救うものだと、大拙先生は確信していた


鈴木大拙は、明治時代に、欧米で仏教に関する講演や講義をされてきた方です。仏教、東洋思想を世界中の人に伝えることに奔走してきた人でもあります。禅を世界に広めたことでも有名です。

本書は、西田幾多郎と並ぶ、知の巨人である鈴木大拙の素顔が、間近に見えてくる貴重な書ではないでしょうか。


[ 2013/11/10 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)

『この世で大切なものってなんですか』酒井雄哉

この世で大切なものってなんですか (朝日新書)この世で大切なものってなんですか (朝日新書)
(2011/07/13)
酒井雄哉、池上 彰 他

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先月亡くなられた酒井雄哉大阿闍梨の著書を紹介するのは、「一日一生」に次ぎ2冊目です。本書は、池上彰氏の質問に酒井雄哉大阿闍梨が答える形の対談書です。

今回は、酒井雄哉大阿闍梨が真摯に「生きる」「幸せ」「豊かさ」「争い」「絆」「死」「仏」について答えられている部分を幾つか選び、要約して紹介させていただきます。



・仕事で成功して、調子がいいと思って、有頂天になり、天下を取った気持ちでいると、人間は完璧にできていないから、どこかで隙ができる。その油断で、一瞬のうちに足元をすくわれる

・いろんなことがいい時というのは、見えているようで実は見えていない。調子がよくて周りから注目されたら、自分の言葉に酔って心が緩んでくる。そういうときは誰も注意しないで、おだてるから、ますます酔って、欲の皮が突っ張ってきて、収拾がつかなくなる

・体験したことは、自分の体に染み込んでいるから忘れない

・行に入ったら、「始めも終わりもない」無始無終

・人間は底知れない力を持っていて、もうだめだという時、自分を超える自分が出てくる。姿かたちは見えないが、心の中に

・始めてしまえば、つらいとか苦しいとか考えていられない。ただ決められたことを、無我夢中でお勤めさせてもらっているから

・人間の欲というのは、身体のほうが欲心してくる。次のうがい水が、二十四時間たたないと来ないとなると、今まで完璧に仏様の行をやっていたところに、悪魔がささやく。水を欲す自分と仏様と対決していかないといけない

・人間には、葛藤があるわけで、背中には常に悪がくっついてささやく。よいことをやっているつもりでいても、油断していると、悪いほうの奴がちょっかいを出してくる

・人間の心の中には、常に「善」という慈悲の心と、人を妬んだり蔑んだりの「悪」の心が同居していて、善と悪とが葛藤しながら、向上心と平常心を保っていく

・今自分が置かれている環境が「幸せ」と思ったら幸せだし、幸せはここではない、他にあると思っている人は、単純に幸せだと思っている人からみたら不幸

・人よりも幸せになろうとすると、幸せが競争、争いごとになる。自分だけが幸せになればいいと考えているから、人との摩擦が起きてしまう

・日本人の根っこには、仏教的な慈しみの気持ちがある。だから、思想信条を離れても、わりあい穏やかにまとまれる

・泥棒してやろうと思って生まれてくる子はいない。誰だって、「おぎゃー」と自然のままに出てくる。それがだんだん、周りの人たちの育て方、絆によって、引っ張られる。いい絆であれば、いいほうへ行くが、悪い絆であれば、悪いほうに行ってしまう

・あれもこれもと、欲張っていると、いざとなったとき、未練を残すことになる

・この宇宙の中で、現世も来世も、自分は宇宙の一点にすぎない。仏様とのご縁があって地球に生まれ、そして、点と点同士が共存しながら、時間という限られた空間で過ごしている

・愚痴をこぼしたり、妬んだりするのは、自分自身に自信がないから。自信があったら、あの人のここはすごいなあと素直に褒め喜べる。見た目だけで簡単に判断を下してしまうから、うらやましく映ったりする

無常の風はずーっと吹いている。自分自身が強くなって、はねのけるだけの力を蓄えていくしかない

・むりせず、急がず、はみださず、りきまず、ひがまず、いばらない

・知的な障害を持った子たちは、世の中に福を与えている。「あなたは福の神なんだ」と教えてあげればいい。手助けされたりすると、自分が厄介者だと思ったりする。仏様から授かった使命だから、誇りを持って生きていけばいい。

・人生はろうそくと同じ。ろうそくに火を点して、最後まで燃え尽きるのがいい。蝋を残したら、もったいない



織田信長の比叡山焼き討ち以来、たった三人しかいない千日回峰行二度満行した大阿闍梨の哲学は、やさしい言葉で語りながらも、核心をついています。

達観や悟りといったことを通り越した、天の声とも言うべき言葉なのではないでしょうか。


[ 2013/11/01 07:00 ] 神仏の本 | TB(0) | CM(0)