とは学

「・・・とは」の哲学

『人はなぜ勉強するのか千秋の人・吉田松陰』岩橋文吉

人はなぜ勉強するのか―千秋の人 吉田松陰人はなぜ勉強するのか―千秋の人 吉田松陰
(2005/05)
岩橋 文吉

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吉田松陰の本を採り上げるのは、「吉田松陰名語録」「吉田松陰誇りを持って生きる」に次ぎ、3冊目です。

昨年、萩の松下村塾周辺を散策しましたが、吉田松陰の家のご近所さんから、歴史に名を残す人たちが輩出しています。

優秀な人を集めて、英才教育したのではなく、一般人を大化けさせたとしか考えられませんでした。

その秘訣は何か?その答えの多くが、この本に掲載されています。吉田松陰の実話、逸話でためになった箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・「世の中に読書する人が多いのに、真の学者がいないのは、学問をする最初に、その志がすでに間違っているからである」

・「井戸を掘るのは水を得るため、学問をするのは人の生きる道を知るためである。水を得ることができなければ、どんなに深く掘っても井戸とは言えないように、人の生きる正しい道を知ることがなければ、どんなに勉強に励んでも、学問をしたとは言えない」

・松陰の考えている学問、勉学というのは、全体としての人生の学であり、人生を真に人として人らしく、正しく生きる道を明らかにすることを目指している

・松陰は、天性(天から授かった本性)が身分の差なく、万人に等しく授けられていることを信じ、これを「真骨頂」と呼んでいる

・松下村塾は、書物による勉学だけでなく、さまざまな作業もする「労作共同体」であった。その共同体の中では、士農工商を一緒にして、青年と青年がぶつかり合い、互いに自分の持ち味(真骨頂)を磨き合う、自然の交わりができていた

・「学の効果は、気持ちや意志がまず通じ合い、次に道理や道徳を理解するところにある。こまごまとした礼法や規則の及ばないところである」

・「仁義道徳の環境の中に身体丸ごと漬けさせて、知らず知らず、善に移り、悪に遠ざかって、古い悪習が自然とよくなるのを待つことである」

・松陰は、志士たちの粗暴な振る舞いを厳しく戒めた。常日頃は、穏やかに優しく礼儀正しく自制して、内面に豊かな精神的貯えのある人こそ、いざというときに、大気迫を発揮できる

・「初めの一念が、名声や利益のために始めた学問は、進めば進むほど、その弊害が表れ、広い知識や言葉で飾っても、ついにその害を包み隠すことができない。節操を欠き、権勢や利益に屈服し、その醜いありさまは、とても言い表しえないほどである」

・「志を立てて、自分の信ずるところを行えば、志を遂げても驚かないし、うまくいかなくても落ちこまないもの」

・「世の中のそしり誉まれというものは、たいてい事実と違うものである。それなのに、そしりを恐れ、誉まれを求める心があれば、心を用うるところ、皆外面のこととなって、真実味が薄くなる」

・「そもそも、空しい理屈をもてあそび、実践をいい加減にするのは、学者一般の欠点である」

・「日本の国柄を明らかにし、時代の趨勢を見極め、武士の精神を養い、人々の生活を安らかにした歴史上の秀れた君主や宰相の事蹟や世界の国々の治世のしくみを調べ、一万巻の本を読破すれば、つまらぬ学者や小役人にならなくてもすむ」

・松陰は三つの実践項目を立てている。「一、志を立てて以て万事の源となす(立志)」「二、交を択びて以て仁義の行いを輔く(択交)」「三、書を読みて以て聖賢の訓を稽う(読書)」。現代においても、学問、勉学にいそしむ者が片時も忘れてはならない心得



吉田松陰のことを一文字で説明するなら「純」だと思います。この純粋さが、幕末の志士たちの心を動かしていったのではないでしょうか。

教えるとは何かを、吉田松陰が示してくれています。教える立場にいる方は、吉田松陰をもっと知らなければいけないように思います。

[ 2011/06/09 06:05 ] 吉田松陰・本 | TB(0) | CM(0)

『吉田松陰・誇りを持って生きる!』森友幸照

吉田松陰 誇りを持って生きる!―信念と志をまっとうした男の行動力吉田松陰 誇りを持って生きる!―信念と志をまっとうした男の行動力
(1997/10)
森友 幸照

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幕末の長州藩の中で、好きな人物は、吉田松陰、大村益次郎、高杉晋作の3人です。この人たちに共通するのは、常識にとらわれない天才型ということです。

明治維新後、秀才型のリーダーが実権を握りますが、明治維新の礎をつくったのは、これらの天才型の人たちだったと思います。

その中でも、特に異彩を放つのが、吉田松陰です。黙っていたら、処刑されずにすんだのに、幕府に非を悟らせるために、自ら信ずるところを述べ、自らの意思で処刑されてしまいました。

松下村塾では、短期間に人を育て、その死後も塾生たちに大きな影響を与えました。

吉田松陰は、松下村塾で何を教え、どういう態度で塾生に接したのか、どういう性格の人だったのか、知りたいことは山のようにあります。

この本を読み、参考になった箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・武士だけが農工商のような業がないのに、その上にいるのはなぜか。国を治めるという役割があるからである

・行動に現わさない知識は真の知識ではないし、知識をないがしろにした行動は真の行動とは言えない。知識と実践は二つにして一つであり、先後助け合って、真の知識、行動となるのである

・聖人や賢人の言行だからといって、おもねらないことである。無批判に鵜呑みにし、少しでもおもねる気があると、かえって害になる

・歴史書を読んで、古人の実践活動を見れば、自分の志を励ますことができる

・心はもともと生きている。生きているから、なにか物事に接すると触発される。触発されると、心は感じ、考え始める。そのようにして啓発されるのが、旅の有益な点である

・計画どおりにいかなければいかないほど、志はますます堅くなる。天が我に試練を与えているのである。なんの悩むことがあろうか

・とらわれの身となり、牢内で過ごしているが、書物を読み、道理を考えていると、落ち着いて自分を見つめることができて、牢屋暮らしを苦しいと思う暇もない

・井戸は湧き出る水が多いか少ないかが大事であって、掘ることが浅いか深いかが問題ではない。同様に、学問にあっては、道が得られるかどうかが重要であって、努めたことが厚いか薄いかは、問題にならない

・一緒に勉強しようではないか。お互い、それぞれ得意とするもので、師匠になろうではないか

・人と生まれて、人の道を知らないでは、恥ずかしい限りである。この恥じるという気持ちがあるなら、書を読み、道を学ぶ以外にない。そして道理を知れば、心は充実してくる。功利は抜きにして学ぼう

・人には人の心があり、自分には自分の心がある。おのおのがその心を大事にして交際するのが、心友というものである。もし、自分の心を曲げて相手の心に合わせるなら、心友とは言えない

・志のある者が、同じ時代を生き、同じような道を求めているのは喜ばしい。しかし、自分の心を曲げて相手に合わせてはいけない。また、相手の心を無理に自分に合わせようとしてもいけない。お互いに力の限り論じ合おう

・心の底から、そうしようとして言うのではなく、ただ非憤慷慨して正義感ぶるのは、世俗的な功名心にすぎない。この種の意見を吐く人をもっとも憎む

・事を論ずる時は、自分が置かれている立場、自分自身のことから、意見や見解を始めるべきだ。それが着実というものだ

・死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし

天下の大変革は、些事にこだわり、小手先でやっても成就しない。ただただ公明正大を旨とし、白昼の大道を堂々と行くように行動すべきだ。それで天命に叶えば成就するし、叶わなければ敗れるまでだ

・私には守り札がある。孟子が「至誠を貫いて感じない者はいない」と言っている。この至誠をもって、事にあたるのみ



吉田松陰は本当に純粋な人だったことがわかります。その純粋さが、人を動かしたのに違いありません。

私心がないからこそ、伝えたいことが短期間に、多くの塾生に伝わったように思います。

その純粋さは、「生まれついた性質なのか」「親の教育によるものか」「学問で身につけたものか」。その辺のところは、よくわからなかったので、もう少し、吉田松陰について調べようと考えています。
[ 2010/09/09 07:13 ] 吉田松陰・本 | TB(0) | CM(0)

『吉田松陰名語録-人間を磨く百三十の名言』川口雅昭

吉田松陰名語録―人間を磨く百三十の名言吉田松陰名語録―人間を磨く百三十の名言
(2005/12)
川口 雅昭

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吉田松陰は、松下村塾で、維新の人材を多く育てました。では、具体的に何を教えたのか?何を信念としたのか?どのような教え方をしたのか?結構、知らないことばかりです。

この本を読むと、何を教えたのか、何を信念としたのかを知ることができます。そして、教育には、何が大事かということも知ることができます。

吉田松陰の思想、哲学の入門書として、この本は役に立ちます。特に、教育の面で、参考になった箇所が20ほどありました。「本の一部」ですが、著者の現代語訳で紹介したいと思います。


・「志を立てざるべからず」
人としての生き方が正しく優れているか、勉強がうまくいくかは、心に目指すところがきちんと定まっているか、つまり志があるか否かによる

・「志を以て」
重要な仕事をする者は、才能や知識を頼りとするようではだめである。必ず、何のためにその仕事をしているのかを考えて、気持ちを奮い立たせ、励むことで達成できる

・「人を信ずるに失するとも」
知を好む人は疑いすぎて失敗する。仁を好む人は信じすぎて失敗する。しかし、人を信じる者は人を疑う者に優っている

・「師恩友益多きに居り」
人としての徳を身につけ、才能を開かせるには、恩師のご恩や良友からの益が多い。立派な人は、心ない人とは交際しない

・「学問の大禁忌」
学問を進める上で絶対にしてはならないことは、やったりやらなかったりということである

・「備はらんことを一人に求むるなかれ」
あらゆる能力が備わっていることを、一人に求めてはいけない。ちょっとした失敗を理由に人を見捨てていては、素晴らしい才能をもった人は決して得ることはできない

・「大将は心定まらずして叶はず」
大将たる者は、決断しなければならない。もし大将の心がふらふらしている時には、その下の将軍らに、いくら知恵や勇気があっても、それを実際に施すことはできない

・「心に類す」
立派な人は、人情に厚いために、愛のために、無欲のためにあやまちを犯す。つまらない人は、人情に薄いために、残忍なために、貪欲なためにあやまちを犯す。過失を見れば、その人が分かる

・「己を正すの学」
自分を正しくして、その後で人を教えるのであれば、従わない人はいない。自分を正しくする学問に励まなければいけない

・「剛毅木訥」
学問と武芸を盛んにするため、最も大切なことは、意志がしっかりとしていて、飾り気がないという精神的な雰囲気を作り上げること

・「受けんのみ」
去る者は追わない。しかし、その人の過去の美しく立派な生き方を忘れてはいけない。来る者は拒まない。しかし、その人の過去の悪しき生き方を覚えていてはいけない。人として正しい道に向かおうという心をもって訪ねてきたら、受け入れるのみ

・「苟免を止む」
武士教育において大切なことは、武術についての技芸を盛んにし、贅沢を禁止し、目先の安楽をむさぼらないよう戒め、一時逃れをやめさせることである

・「點醒」
人に暗示を与えて、悟らせる

・「天下才なきに非ず」
世間に才能のある人がいないのではない。それを用いる人がいないだけである

・「誠の字の外」
一に言う、実際に役立つことを行うこと、二に言う、それだけを専一に行うこと。三に言う、ずっと行うこと

・「過を改むるを」
立派な心ある人は過ちがないということを重んじるのではない。過ちを改めることを重んじるのである

・「心なり」
俗人が見るのは形である。心ある立派な人が見るのは心である

・「深き者は」
ある事を論ずる際、心ない人は勝ち負け、つまり結果を重視して見る。心ある人は真心邪な心かを見る

・「己を以て人を責むることなく」
自分の尺度のみで他人を批判しない。一つの失敗だけで、その人のすべてをだめとして見捨てない。その人の長所を取り上げ、短所は見ないようにする。このような気持ちで生きれば、どこへ行こうが、人が集まってくる

・「己を修め実を尽す」
世間が褒め貶すことは、大抵実態とは違うもの。それなのに、貶されることを恐れ、褒められたいとの気持ちがあれば、表面的なことばかりに心を遣うようになり、真心を尽くして生きようとの気持ちは薄くなっていく

・「己が任と為す」
天下後世を維持発展させることを自分の任務に自覚すること。人としての正しいあり方を、我が身から家に広げ、国家から天下へと広げる。また、子、孫へ伝え、更には雲仍、八代目の孫にまで伝える。広がらない場所はなく、伝わらない世代はない

・「偏聴は」
偏った意見を聞けば、邪な人やそうい状態が生まれる

・「身を戦場に置くの思いをなし」
人の心というものは、上の命令に従わず、上の好みに従うもの。今その地位にある人は、この点を本当に理解し、安易、軽佻で怠惰に走ろうとする欲望をたち、身を戦場に置く気持ちで自ら実践し、人を引率するならば、命令など下さなくても、人は従う

・「学の道たる」
思うに、学問というのは、自分の才能を見せびらかして、人を従わせるためではない。人を教育して、一緒に、善き人になろうとすることである

・「近き所を」
人にはそれぞれ生まれつきの性質がある。だから、昔の心ある人に学び、自分に近いよい性質を自分のものとするべきである



この本を読むと、吉田松陰がなぜ、現代に至るまで慕われ続けている理由がよくわかります。

教育者としての信念に関する記述は、現代の教育学で論じられていること以上のことが書かれています。

学校、会社、地域にかかわらず、人を教える立場にいる方は、目を通しておく1冊だと思います。
[ 2010/06/15 08:22 ] 吉田松陰・本 | TB(0) | CM(1)