旅とは、数日間の「出家」、庭とは、数時間の「出家」だと思っています。日本人は、庭に精神性と芸術性を融合させて、
世界に類のない文化を創出しました。庭は世界に誇れる日本の文化です。
本書は、文化に造詣の深い細川護熙元首相が庭を巡る書です。氏の書を紹介するのは、「
ことばを旅する」に次ぎ、2冊目です。
幼少の頃から、ホンモノを間近に見て育ってこられたので、傑出した
鑑識眼を持っておられます。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。
・日本における
隠遁生活の憧れは、万葉の昔からあったもの。人々の権力やカネなど浮世的なものへの嫌悪感と花鳥風月への自然愛とが、仏教的あるいは老荘思想と結びついて、今日まで根強く生き続けてきた
・景観の論は
夢窓国師の「山水には得失なし。得失は人の心にあり」の言葉に尽きる
・修学院離宮は、その眺望できる四囲の山々よりも心が惹かれるのは、日本人の
心の原風景である田圃までが、見事に借景として取り込まれていること。自然の雄大な景観もさることながら、生活の形がそのまま目の前にあることほど、心を和ませてくれるものはない
・縮景の最たるものが
盆石。尺寸の中に砂を敷き、石を立て、そこに一つの世界を表現しようとする。それは、自らが住む宇宙を理想化して、手許に手繰り寄せようとする営み
・「人の居所の四方に木をうゑて四神具足の地となすべき事」。現存する日本最古の庭作りの書とされる「作庭記」の「樹事」の初めの文。
四神具足とは、地勢として、東に流水、西に大道、南(前面)に池、北に丘があること
・日本の庭園が流行したのは、中国にならって方形碁盤目状の都市がつくられ、高い築地をめぐらした区画に日本人が住むようになってから。一つの
代償景観である
・風水に適う土地というのは、生活の快適、都市の快適に適した土地。人の美感が快感体験の集積あるいは公約数という一面を持つならば、
風水思想に即した庭は、人の美感に沿う理にかなったもの
・「
作庭記」の最初の「石をたてん事」の「その石のこはんにしたがひ立てる」に興味を引かれる。「こはん」は「乞」で、現代風に言えば「要請」。石がこうしてほしい、というところを見出して、それにしたがいなさいと教えている
・「竹に限らないが、およそ植物は
休みたいとき、
伸びたいときを察してあげなければならない」(桂離宮の庭の管理者・川瀬昇作さん)。子育て、人間教育と基本は同じこと
・幸田露伴は「へたが箒を使つて、でこぼこにした庭は見るに堪へない」「箒は筆と心得て、穂先が利くやうに」と
庭掃除を教えた。桂離宮では、七十歳を過ぎた熟練の方々が今も掃除のお手伝いをされている。掃除はおろそかにできないもの
・自らの
墓碑銘として考えたのが「長居無用」。それは、やることはやったし、この世に長居は無用の意味。墓は簡素なものがいい。世俗の栄辱は来世にもっていくものではない
・縁側の板を踏みしめて、配された石を眺めつつ巡る
回遊式庭園(大徳寺大仙院)の簡潔で深い味わいは、大庭園に勝ること万々
・与謝蕪村は、画業も俳諧も生計の道ではあったが、「
離俗」「
去俗」こそが生命であった。それは池大雅の巧まざる「脱俗」とは少し違うが、蕪村の
生き方を律するもの
・利休が考えた
露地という庭は、書院の庭のように戸を開けば美しい庭園が見渡せるというものではなく、
見ることを目的としないもの。茶室において精神集中するための一身清浄、無一物の世界でなくてはならなかった
・
熊谷守一の絵は、余計なものが一切削ぎ落とされて、簡潔な線と色で対象を捉える。一見簡単なようでいて、誰も真似のできない独特の境地。それは、世間との没交渉の長い時間の果てにできてくるもの
・
小泉八雲は、日本の庭を「絵よりも、詩のほうにいっそう近い」と言った
・建築では、直線と直線から生じる釣合が自然であり、すぐれた様式。庭園では、これこそ最も不自然な形。庭園自体の構成は、その生命の表現形式を
自然のうちに見出す。日本の庭園では、眼は疲れることを知らない
本書には、天龍寺、西芳寺、修学院離宮、龍安寺、桂離宮、大徳寺、智積院、毛越寺などの美しい庭の写真も添えられており、読み応えと見応えを同時に与えてくれます。
また、著者の庭への想いに触れると、庭とは何か、日本人は庭に何を求めてきたのか、日本人にとっての庭の必要性などが、明らかになるのではないでしょうか。