とは学

「・・・とは」の哲学

『胸中の山水』細川護煕

胸中の山水胸中の山水
(2011/10)
細川 護煕

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元首相の芸術家としての活動は、既にある一線を超えてきているように感じます。とくに、陶仏・陶塔などの作品は、芸術の歴史に名を残していくのではないでしょうか。

著書を紹介するのは、「ことばを旅する」「閑居の庭から」「跡無き工夫」に次ぎ、4冊目になります。本書には、著者の芸術論が数多く載せられています。そのシブい言葉の中から、一部要約して紹介させていただきます。



・「碧巌録」にある「衆流截断」の言葉は、世の風潮、時流を気にせず、常識の殻を破って勝手におやりなさいということ。そうありたいという自分の生き方、信念にも通じる

・子供の頃に木登りもしないで、月にも草花にも鳥や虫にも無関心で、美術館で美術品だけを見ていても、感性は絶対に育つものではない。評論家的な審美眼は育つかもしれないが、それはクリエイティブな感性を育むということとは全く違う

・小さいときの体験はすごく大事。「梁楷」(13世紀南宋の宮廷一の絵師)と出会ったのは十年余り前のことだが、出会えたのは、自分の中に、出会いの種子があったから

・日本人の美意識の一つの特徴は、「暗示的」ということ。物事の最盛期の華やかさを観賞するのではなく、その余韻を楽しむことで、こうした「暗示」による美を表現するやり方は、水墨画の「余白」によって、その背後にあるものを暗示する手法に通じる

・日本人の美意識の二つ目の特徴は、「いびつさ」や「不規則性」「不均斉」を好むということ。いびつなもの、ちょっとあばれたもの、どこかに傷があるものがよいという感性は、外国人にはまずない

・日本的美意識の三つ目の特色は「簡素」ということ。建築でも工芸でも水墨でも、中世以来の日本の芸術は、すべてけばけばしい色を嫌う「つやけし」の美を基本としてきた

・日本の代表的歌人であった藤原定家は「見渡せば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ」と歌ったが、日本人が昔から賞美してきたものは、黄金色に輝く屋敷よりも、むしろみすぼらしい漁師の小屋であって、それは単色の景色の簡素な美しさ

・日本人の美的感性の四つ目の特性は「はかなさ」ということ。「ほろび」は美に欠くべからざる要素だという日本人の感性は、古くから詩歌の基調であった

・陶淵明の「帰去来の辞」(さあ帰ろう、世人との交遊は謝絶しよう。世間と相容れないのに、再び仕官して何を求めようというのか)は、まさにそのまま、政界引退のときの心情

・孔子の「論語」が日々の生き方を目に見える形で教えてくれるのに対して、「老子」には、目に見える背後、目に見えないところを照らし出してくれるような趣がある

・「老子」の中の好きな章句の一つは、「善行は轍迹無し」(道にかなった優れた行動をする人は、ことさら痕跡を残したりしない)

・「老子」の中で、繰り返し強調されているのは、「私心を取り払って争いから身を遠ざけなさい」「名利にとらわれずに足るを知りなさい」「自己顕示欲を振り回して自分を誇ったりしないことが大事」だということ

・王維は、8世紀の最高の文化人でありながら、自然こそ人生の究極の場所であることを知っていた。自ら美しい自然に溶け込み、その一点景となった。だからこそ、「詩中に画あり、画中に詩あり」と評された王維の詩画には、人間と自然、王維自身の生命が流動している

・「長年のノウハウ」などというが、ノウハウというのは、ほんのちょっとしたことで、それを発見した人の話を聞けば、つまらない話と思うほどのもの

・池大雅の大軸「一成れば一切成る」の書にあるように、不器用でも、しつこいまで精進を重ねれば、何事もそこそこできる、というのが、見よう見まねでやきものを始めた実感

・集中して取り組むということには二つのことが含まれる。一つは「それをやっているときには他の雑念を払って、そのことだけに専心すること」、二つ目は「そのことを寝ても覚めてもひたすら考え続けること」。この二つを合わせて、集中という

・工夫ができるのも、「どうしたらもっといいものにできるだろうか」と、常に頭の中で集中しているから。「集中とは工夫の継続」である

・光悦のつくった茶盌に「物欲しげでない佇まい」を感じる。それは息子に、損得勘定で物事を考えない心根を植え付けた妙秀尼の生き方と心の表れ



本書には、元首相の作品と製作風景写真、そして、茶盌に関する美術館館長の解説も載っています。作品を通して、その人となりと求めているものが見えてきます。

ある境地に達した人の思いを知る、一つのいい機会になる書ではないでしょうか。


[ 2013/11/08 07:00 ] 細川護熙・本 | TB(0) | CM(0)

『跡無き工夫・ 削ぎ落とした生き方』細川護熙

跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21)跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21)
(2009/11/10)
細川 護煕

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細川元首相の本を紹介するのは、「ことばを旅する」(歴史散策随筆の本)、「閑居の庭から」(庭園・美術鑑賞随筆の本)に次ぎ、3冊目です。

本書は、細川元首相の人生、生き方、哲学、思想が記された書です。「跡無き工夫」というタイトルは、誠に渋いものです。惹かれますし、共感できます。

跡を残さない人生の考え方が、本書に数多く載せられています。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・良寛の歌「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(世間と縁を切ったわけではない、訪れる人があれば気持ちよく迎え、求められれば出かけていく。でも、ひとりで読書をしたり、歌を詠んでいるほうが楽しい)のような自然体の姿勢が好き

・「跡無き工夫」というのは、自分の功を誇らないこと。あれも自分がやった、これも自分の功績だと、得意気に自分の足跡をひけらかさないということ。昔から、人生の達人と言われているような人たちは、できるだけ自分の足跡を消すことに意を用いた

・ヨーロッパなどでは、自分なりに納得のいく仕事をしたら、さっさと引退して、あとは田舎で静かに暮らす生き方(カントリー・ジェントルマンの生き方)が理想の生き方。いつまでも地位や名誉に執着するのは、スマートではないと考えられている

・「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、魂を解放し、休養させてくれる」(ヘルマン・ヘッセ)

・ヨーロッパの人々が田園生活の中で目指した「ノーブルスピリッツ、シンプルライフ」というのは、金儲けや物質的充足、個人的な野心や欲望の充足を追い求める虚飾に満ちた生活へのアンチテーゼ。日本でも、草庵思想という形で脈々と息づいている

・現世における生存形態として、最も簡素な、極限まで単純化した生き方が草庵の暮らし

・本来の教育の持つ機能とは、知識や技能の伝授に意味があるのではなく、濃密な師弟関係の中で、真の意味での上質な感化が行われること

・江戸時代の教育は、西洋の学校教育と違って、学校が単なる知的習練の場ではなかった。教育を受けるのは、就職や金儲けのためではなく、真の人間性を獲得するためであった

・それをやっているときは他の雑念を払いのけて、そのことだけに専心することと、そのことを寝ても覚めてもひたすら考え続けること。この両方を合わせて集中という

・「真の読書とは、いちばん向うにある最終目的を目指した読書。最終目的とは、言うまでもなく、自分の完成」(森本哲郎)

・「良書を読むための条件は、悪書を読まぬこと。人生は短く、時間と力に限りがあるから。その秘訣は、多数の読者がその都度むさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないこと」(ショウペンハウエル)

・私の読書スタイルは、「多読をしない」「評価の定まったいいものだけを読む」「繰り返し読む」の三点が基本原則

・跡を残そうとすると、そこについ思い上がりも生じるし、本来の自分の姿をありのままにさらけだすのではなく、自己弁護というか、多少いいように取り繕って、恰好いいところを表に出したいというような気持ちも出てくる。そのような跡など残さないほうがいい

・偉いお坊さんの中には、自ら筆を執り、書き物を残している人もいるが、それは自分の生きた跡を残したいためではなく、書きおくことが世のためになると判断したから

・老子は「知る者は言わず言う者は知らず」(本当の知者は軽々とものを言わない。言いたがる者は本当のことがわかっていない)、「善行は轍迹無し」(すぐれた行動をする人は、ことさら痕跡を残さない)と言っている

・私の遺言は、「延命治療はしないこと」「葬式無用」「告知不要」「埋葬は南禅寺の細川家の墓に」「叙位叙勲の類は固くお断り」。これも跡無き工夫の一つだと思い、家族に向けて書き残した

・陶淵明が自分の死を想像して詠った「挽歌に擬す」の詩、「得失不復知、千秋萬歳後、誰知榮與辱」(死んでしまったら利害損失もわからなければ、是非の判断もつかない。千年万年ののちに、この世で受けた栄誉や恥辱など誰が知ることか)の心情と全く同じ思い



私自身、このブログを書き始めた当初は、人生の跡を残したい気持ちがありましたが、最近では、跡など、消しゴムできれいに消してしまい、消しカスまでも、ゴミ箱に棄ててもいいと考えられるようになってきました。

本書を読むと、「人生なんてそんなもの」と感じられるようになるのかもしれません。



[ 2013/01/25 07:01 ] 細川護熙・本 | TB(0) | CM(0)

『閑居の庭から-続・不東庵日常』細川護熙

閑居の庭から-続・不東庵日常閑居の庭から-続・不東庵日常
(2009/11/30)
細川 護煕

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旅とは、数日間の「出家」、庭とは、数時間の「出家」だと思っています。日本人は、庭に精神性と芸術性を融合させて、世界に類のない文化を創出しました。庭は世界に誇れる日本の文化です。

本書は、文化に造詣の深い細川護熙元首相が庭を巡る書です。氏の書を紹介するのは、「ことばを旅する」に次ぎ、2冊目です。

幼少の頃から、ホンモノを間近に見て育ってこられたので、傑出した鑑識眼を持っておられます。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・日本における隠遁生活の憧れは、万葉の昔からあったもの。人々の権力やカネなど浮世的なものへの嫌悪感と花鳥風月への自然愛とが、仏教的あるいは老荘思想と結びついて、今日まで根強く生き続けてきた

・景観の論は夢窓国師の「山水には得失なし。得失は人の心にあり」の言葉に尽きる

・修学院離宮は、その眺望できる四囲の山々よりも心が惹かれるのは、日本人の心の原風景である田圃までが、見事に借景として取り込まれていること。自然の雄大な景観もさることながら、生活の形がそのまま目の前にあることほど、心を和ませてくれるものはない

・縮景の最たるものが盆石。尺寸の中に砂を敷き、石を立て、そこに一つの世界を表現しようとする。それは、自らが住む宇宙を理想化して、手許に手繰り寄せようとする営み

・「人の居所の四方に木をうゑて四神具足の地となすべき事」。現存する日本最古の庭作りの書とされる「作庭記」の「樹事」の初めの文。四神具足とは、地勢として、東に流水、西に大道、南(前面)に池、北に丘があること

・日本の庭園が流行したのは、中国にならって方形碁盤目状の都市がつくられ、高い築地をめぐらした区画に日本人が住むようになってから。一つの代償景観である

・風水に適う土地というのは、生活の快適、都市の快適に適した土地。人の美感が快感体験の集積あるいは公約数という一面を持つならば、風水思想に即した庭は、人の美感に沿う理にかなったもの

・「作庭記」の最初の「石をたてん事」の「その石のこはんにしたがひ立てる」に興味を引かれる。「こはん」は「乞」で、現代風に言えば「要請」。石がこうしてほしい、というところを見出して、それにしたがいなさいと教えている

・「竹に限らないが、およそ植物は休みたいとき伸びたいときを察してあげなければならない」(桂離宮の庭の管理者・川瀬昇作さん)。子育て、人間教育と基本は同じこと

・幸田露伴は「へたが箒を使つて、でこぼこにした庭は見るに堪へない」「箒は筆と心得て、穂先が利くやうに」と庭掃除を教えた。桂離宮では、七十歳を過ぎた熟練の方々が今も掃除のお手伝いをされている。掃除はおろそかにできないもの

・自らの墓碑銘として考えたのが「長居無用」。それは、やることはやったし、この世に長居は無用の意味。墓は簡素なものがいい。世俗の栄辱は来世にもっていくものではない

・縁側の板を踏みしめて、配された石を眺めつつ巡る回遊式庭園(大徳寺大仙院)の簡潔で深い味わいは、大庭園に勝ること万々

・与謝蕪村は、画業も俳諧も生計の道ではあったが、「離俗」「去俗」こそが生命であった。それは池大雅の巧まざる「脱俗」とは少し違うが、蕪村の生き方を律するもの

・利休が考えた露地という庭は、書院の庭のように戸を開けば美しい庭園が見渡せるというものではなく、見ることを目的としないもの。茶室において精神集中するための一身清浄、無一物の世界でなくてはならなかった

熊谷守一の絵は、余計なものが一切削ぎ落とされて、簡潔な線と色で対象を捉える。一見簡単なようでいて、誰も真似のできない独特の境地。それは、世間との没交渉の長い時間の果てにできてくるもの

小泉八雲は、日本の庭を「絵よりも、詩のほうにいっそう近い」と言った

・建築では、直線と直線から生じる釣合が自然であり、すぐれた様式。庭園では、これこそ最も不自然な形。庭園自体の構成は、その生命の表現形式を自然のうちに見出す。日本の庭園では、眼は疲れることを知らない



本書には、天龍寺、西芳寺、修学院離宮、龍安寺、桂離宮、大徳寺、智積院、毛越寺などの美しい庭の写真も添えられており、読み応えと見応えを同時に与えてくれます。

また、著者の庭への想いに触れると、庭とは何か、日本人は庭に何を求めてきたのか、日本人にとっての庭の必要性などが、明らかになるのではないでしょうか。


[ 2012/07/07 07:35 ] 細川護熙・本 | TB(0) | CM(0)

『ことばを旅する』細川護熙

ことばを旅する (文春文庫)ことばを旅する (文春文庫)
(2011/01)
細川 護熙

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元首相の細川護熙さんの著書です。最近は、陶芸家として活躍されており、芸術家、文化人としての顔を持たれています。

室町時代から続く細川家の当主で、永青文庫(細川家伝来の美術品、歴史資料の保存と公開)に囲まれて、育ってこられただけあって、文化教養のレベルは半端じゃありません。

そして、偶然ですが、細川元首相が、この本で旅した場所(48箇所)のうち、私も、その半分ほど足を運んだことがあり、興味を持って読み進んでいくことができました。

日本の礎を築いた人物の言葉を選択された細川元首相のセンスのよさ、教養の高さに舌を巻かざるを得ませんでした。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・「古意に擬するを以て善と為す」(弘法大師・高野山)
詩を作るときも書を書くときも、先人に学ぶことは大切だが、ことばや形をなぞるのではなく、「意」(こころ)を汲み取ることが根本

・「傍輩をはばからず、権門を恐れず」(北条泰時・鶴岡八幡宮)
「御成敗式目(貞永式目)」を制定した泰時は為政者として、法を推し進めながら、その裁きは、情に流されたように見える。法とは別次元に立つ泰時の政治家としての面目がある

・「ただ現世に先づ、あるべきやうにてあらん」(明恵上人・高山寺)
「あるべきようわ」は、ただ漫然とあるがままに生きることではない。明恵にとって、その言葉は身を切るような精進の果てに見えてくる自己に忠実に生きることだった

・「貧なるが道に親しきなり」(道元禅師・永平寺)
道元は「只管打坐」(ひたすら坐禅せよ)と説く。そして、仏道の人は貧を恐れてはならず、むしろ貧を積極的に受け入れるべきと言う。また「学道の人は最も貧なるべし」と説く

・「数寄者といふは隠遁の心第一」(武野紹鴎・南宗寺)
「侘び」の根底には驕者を排する思想がある。紹鴎はまた「茶湯者は無能なるが一能なり」と弟子に諭した。あれこれ手を染めて多能であるよりも、茶の湯に専念しろという教え

・「謙の一字なり」(中江藤樹・琵琶湖畔)
藤樹はその著「翁問答」の中で、「おごり自慢する魔心の根」を絶ち、「かりそめにも人をあなどりかろしめず」とする謙譲、謙遜の心こそ本当の教育の根幹としている

・「俗気を脱するを以て最となす」(与謝蕪村・淀川縁)
また別に、俳諧は俗語を用いて俗を離れるのを尚ぶとも言っている。俗とともにありつつ脱俗、離俗をなすべきというところに蕪村その人の生き方をみることができる

・「一成らば一切成る」(池大雅・萬福寺)
大雅にとって、学問も画も書も一つで、それは人としての生き方、人間性に帰一するものに他ならない

・「驕らざれば危ふからず」(上杉鷹山・米沢市)
年老いてなお厳しい節倹の生活を続ける鷹山に、日用品の増額が提案されたが、「今や老年の自分を叱ってくれる人もいず、心が弛んでしまうのではないかと恐れている」と答えた

・「心を養うは寡欲より善きは莫し」(吉田松陰・萩城城下町)
松陰は、孟子を愛玩した。別に、「一誠兆人を感ぜしむ」とも言っている。「誠」と「寡欲」は、松陰の精神の骨格をなす。寡欲と至誠によって天性を磨き上げた美しさ、それが松陰

・「無畏」(山岡鉄舟・浅草寺)
畏れる気持ちは「私心」から生まれる。「私」がなければ「畏」もない。鉄舟は剣禅一致の境に「無」を見たのに違いない

・「教育の第一は品性を建つるにあり」(新渡戸稲造・北海道大学)
稲造は「武士道」で「教育の主目的は・・・品性の確立」と書いた。中江藤樹は「徳」を修めることを重視した。品性といい徳といい、今の日本の教育に最も欠けているもの

・「為すべきを為し、為すべからざるを為さず」(幸田露伴・余市)
思うべきところを思い、為さねばならぬこと、思わねばならぬことがあったら、ただちに「全気全念で事を為す」ようにしなければならない、と露伴は言う



人と言葉と土地。その土地に行ってみて、その人とその言葉の意味を新たに感じ取ることができます。

この本は、細川元首相が、実際に、その言葉が発せられた言われのある土地を踏みしめ、味わい、それを五感を通して文章にしたものです。

晩年ならではの円熟したエッセイの中には、珠玉の言葉が散りばめられているように思います。価値のある一冊ではないでしょうか。

[ 2012/02/23 07:07 ] 細川護熙・本 | TB(0) | CM(0)