とは学

「・・・とは」の哲学

『日本人を動かす原理・日本的革命の哲学』山本七平

日本人を動かす原理 日本的革命の哲学 (PHP文庫)日本人を動かす原理 日本的革命の哲学 (PHP文庫)
(2013/08/09)
山本 七平

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本書は、明恵上人が、北条泰時の制定した「貞永式目」に与えた影響を探る書です。「貞永式目」はその後、江戸時代末期まで、日本人の行動原理の規範となっていきました。

明恵上人に関する書は、「法然対明恵」「明恵夢を生きる」に次ぎ3冊目ですが、本書は、新たな明恵上人を知る契機になりました。その一部をまとめてみました。



・尊皇思想から戦前の皇国史観の長い時代を考えれば、承久の乱で、朝廷に勝利し、立法権を奪った北条泰時を極悪人と評価しても不思議ではない。だが、泰時だけは別で、彼がベタホメされるのは、日本人の心底にある「理想像」を彼が具現化していたからである

・「関ヶ原」は「天下分け目の戦い」と言われるが、歴史的な分かれ道という意味では、「承久の乱」こそ天下の分け目。関ヶ原はいずれが勝っても武家政権の体制に変化はないが、承久の乱は律令以来の天皇制に終止符を打ち、武家が政権担当することを決定づけたから

・恩賞は栄誉と実益の両方あるから難しい。この問題は後々まで泰時を悩まし、承久の乱後十年後まで続く。関東御成敗式目(貞永式目)も、この問題が色濃く影を落としている

・泰時が心の底から尊敬したのは明恵上人、同時に、泰時に決定的な感動を与えたのも明恵上人。これは二人が交わした歌にも表れている。天皇も上皇も泰時には絶対でなかった

・泰時に必要なのは、天皇でもない幕府でもない、現実の体制の外にある「利害に関係ない何か」。それを絶対化し、秩序を立てること。この「何か」は、日本の伝統を基本としながら現実の体制に無関係なもの。彼が明恵上人から得たのは、その「何か」であった

・明恵上人は、「心をつくし、精神をつくし、力をつくし」釈尊と仏母を愛した人。「硬質の仏教者」として「学究」の人。「専修念仏」への批判者。森羅万象を兄弟のように見る人

・明恵上人にとっては釈尊が絶対であって、天皇家が絶対なのではない。となれば、幕府も絶対でないのも当然。したがって、泰時の前に引きすえられたときの態度も全く同じ

・戦争の勝者は、政権の持続的保持を約束されていない。保持には別の原理原則が必要。それを知らなければ、泰時にも敗滅と断罪が待っている。彼がそれを明恵上人に質問をしても不思議ではない

・「自然的秩序」を無視した継受法は、神権的権威でこれを施行しても「名存実亡」となり、同時にその間隙を縫って利権が発生し、如何ともしがたい様相を呈する。明恵・泰時的政治思想の背後には、まず「自然的秩序」の根源に立ち、それを知ることという発想がある

・「今ある秩序」を「あるがままに認める」なら、やがて自らが作り出す「式目」の基になる体制も、あるがままであって一向に差し支えない。徳川期になって朱子の正統論が浸透するまでは、明恵・泰時政治思想の基本「日本の自然的秩序」なら、それでよかった

・明恵上人が座右の銘のように口にした言葉「あるべきようは」は、僧に対して、それぞれの素質に応じて行をして解脱を求めるように、その行を「あるべきように」行えといった意味であったが、後に、一般人すべてに共通する規範として受け取られるようになった

・内的規範がそのまま外的規範のようになるのが「あるべきようは」。「心の実法に実ある」振舞いが、自然的な秩序となって、戎法に一致すること。それも固定的ではなく「時に臨みて、あるべきように」あればよい。泰時にとっては「法」もこういったもの

・「自然的秩序絶対」は明恵上人が残した最大の遺産。そして、その教えを、実に生真面目に実行した最初の俗人が泰時。もしこのとき、泰時が、明恵上人でなく、別の誰かに心服していれば、中国を模範とした李朝下の韓国のような体制になっていたかもしれない

・泰時は常に質素で飾らず、館の造作も気にかけなかった。家の塀が破れて中が見えるほどだから修理をすすめられても、人夫にそのような作業をさせるのは煩わしいと断った

・時代とともに「式目」は浸透し、日本人の「秩序意識」の基となった。足利時代の武家法であった「建武式目」は「貞永式目」の追加法にすぎなかった。徳川時代は、「式目」が「法律書」でなく教科書、教養書になり、日本人の意識の中にさらに深く浸透していった

・日本人最初の固有法・成文法「貞永式目」は、所有権・相続権から贈与・担保・売買・徴税・賭博から治安等に至るまで、生活を規定する「世俗法」。しかし、基本は「武家法」で、「軍法」的要素がある。この軍法的秩序が社会秩序の基本となった点が日本の特徴

・泰時の考えは、皆が「自然的秩序」通りに生活すれば「法」など要らぬというもの。明恵上人の言う「実法に実なること」がそのまま戎法になり、人為のない「自然的秩序」の世界になるはずだから、「裁判より話し合いによる互譲の解決」を求めたのは当然だった



山本七平さんの著書を紹介するのはこれで4冊目ですが、毎回、その幅広く奥深い教養に感嘆します。

本書は、私たちが何気なくとっている行動が、実は鎌倉時代につくられたもの、明恵上人の影響を受けたもの、ということを知る興味深い書です。


[ 2014/04/25 07:00 ] 山本七平・本 | TB(0) | CM(0)

『日本人の人生観』山本七平

日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
(1978/07/07)
山本 七平

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著者は、日本の病、日本人の精神、日本人とは何かについて、考え抜いた評論家です。「空気の研究」「あたりまえの研究」などの著書が有名です。

本書は、1978年の出版後、ずっと版を重ねてきた書です。著者の日本人観がよく示されている本です。その一部を要約して、紹介させていただきます。



・人間の思考の範囲は、非常に限定されたもの。「自由に考える」といっても、これは一人間の記憶の量の範囲内でのこと。こう考えると、記憶の量がその人の発想を決めてしまうわけだから、「憶える」という作業は、実に大切な作業になる

・質の良い記憶の量を増やせば増やすほど、その人間の発想の総量は増えていく

・天才とは、普通の人が絶対に結びつかないと考えている二つ以上の概念を結びつけて、新しい世界を開く人

・意味もわからず暗記させられた文章が、徐々にわかってくるという状態は、解説付きで何かを読んで「ワカッタ」と思って、それで忘れてしまうのと全く別の状態。まず暗記して、その内容が後に一つ一つわかっていく状態こそ、「その人のものとなった」状態

・自分の知っている言葉で記憶の限定を受け、それが思考の限定となり、同時に判断の限定となる。この限定を飛び越えて何かができる人間は実際にはいない

・この変転しやすい社会に生きていく上で最も必要なことは、変転の背後にある伝統の基礎をつかむこと

・多くの人が、生涯計画という形の発想をしているが、これは社会が動かないことが絶対的な前提になっている

・みんな体制の絶対を信じたがっている。これは紙幣や貯金への信仰にも表れる。これらこそ、われわれが持っている非常に強固なる信仰であり、宗教的信仰のようなもの

・「社会とか、この世界というのは動かない。その中をわれわれは通過していく」となると、未来も絶対的に動かないのだという宗教的信仰が出てくる

・われわれは「作為(する)」より「化為(なる)」をよいと考えている。意識的・作為的に何かを「する」のは否定される。自然なことがよろしいわけで、計らいはよろしくない

・「ごく自然に生きる」とは、自分ではどうにもならない自然の変化、いわば自然的な環境の変化に適応して生きることだが、自然現象でない変化(外圧など)に対しても、われわれは同じように対応する

・福沢諭吉は、何かに取りつかれたような、過激な声高な攘夷論者の主張を聞き、その殺気だった顔を見ながら、「この人は本心では、自分の言葉を信じていない。信じていないから、こういう態度になるのだ」と、冷静に観察している

・戦争直後「騙された」は流行語だった。「騙された」ならば、全日本人を「騙す」という大陰謀に成功した人間がいたはず。だから、別に騙されたわけではなく、「騙された」本人が自分を騙していたわけで、騙されたかっただけのこと

・幸福な状態の期間は、不思議なほど短いわけで、「今の時代は必ず終わる、終わった時に、自分はどうすべきか」の意識を、心のどこかに絶えず持っていたほうがよい。そして、終わりを意識しつつ現在の自分を規制していく発想で、自己の方針を定めていくのがよい

・人間の生み出した思想は、すべて人間の所産であり、よって、いずれの思想も絶対的権威として人に臨むことは許されない。啓蒙主義や民主主義の権威化など、それ自体がこっけいな言葉

・「日本人は原則(プリンシプル)のない民族だ」の無責任な批評がしばしば載る。この世界に原則のない民族など存在しないが、こう言われても反論できないのは、われわれが自らの原則を把握していないからに外ならない

・各人がその属するすぐ上の組織を「天=絶対化」すれば、日本全体の総合的な合理的運営は不可能となる。政府は諸集団にはさまれて、何一つ決断を下し得ず、マスコミは諸集団への気兼ねから「正論」を吐けず、何人も「さまよえる」心理状態となってしまう

・人間は、自然の秩序内にいるのであるから、それに従っていけばいいと考えた場合、人間の自由意思は否定される。そこから出てくるのは、「順応する如く志向する自由」であり、「一尊への徹底的順応」という形になっていかざるを得なくなる



われわれは、大きな宇宙秩序の中に生きている、長い歴史的時間の中の一部に生きている、と考えると、「自由意志」といったものが萎えてきます。

萎えてくるだけではなく、誰かに、自分の人生を委ねてもいいと考えるようになります。著者は、日本人に、その危険性があると述べています。人間としての「自由意志」と自然の「秩序」とのバランスを見極めることが重要なのかもしれません。


[ 2013/06/27 07:00 ] 山本七平・本 | TB(0) | CM(0)

『徳川家康』山本七平

徳川家康徳川家康
(1992/11)
山本 七平

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徳川家康は、武将としてではなく、政治家として気になっていた存在です。良くも悪くも、現在の日本の礎を創った人です。われわれは、今でも徳川家康の影響を受けています。

この天才がどうつくられたのかを、独自の歴史観を持つ山本七平さんが長年にわたり研究したのが本書です。500ページを超える大作です。山本史観による徳川家康は、非常に勉強になりました。これらの一部を、要約して紹介させていただきます。



・秀吉も家康も師としたのは毛利元就。元就は地味な超人であった。戦闘においては桶狭間以上、調略においては小田原城攻囲以上、生涯的な持続力においては家康以上だった

・「策士」「腹黒い」「大狸」のあだ名がふさわしいのは元就であって家康ではない。その驚くべき根気と持久力、野戦の巧みさでも、元就が上。その中でも、謀略の巧みさと緻密さ、必要とあらば降伏させて殺してしまう冷酷さも、家康は到底彼の比ではなく、むしろ凡庸

・家康には、秀吉を謀殺できるチャンスが何度かあったが、決してそれを行わず、そういう「小手先の技で天下はとれるものではない」と言っている。この点において、家康は「律儀」な態度を取り続けた。それは元就の「遺戒」から学んだと言える

・武力だけで服従させることの難しい人々に、権威を持つ正統性を持ち出しても、これとて武力の裏付けなき限り無効であることは戦国の常識であった

・家康は武力の信奉者。総合的な武力おいて、自分が劣ると思えば、潔く相手に服従した

・家康にとっての学問とは、政治学兵学政治史大政治家列伝といった実学であって、当時の学問とされた公卿風の和歌や禅僧的な詩文などには全く興味を示さなかった。

・家康は京文化的な美を会得しうる境遇にあっても無関心、秀吉はそのような境遇に育たなかったのに、京文化的な美や茶の湯に関心を持ち、共感し、自らも楽しむ一面があった

・関ヶ原後の家康は「土木マニア」にも見えるが、築城より都市建設に重点を置いている

・家康は、足利末期から織豊時代にかけて、諸侯や庶民は「戦国はもうたくさん、平和な法治的体制の下で、自分たちの生存の権利を保障してほしい」といった「安堵」を望んでいることを知っており、それを政策の上で実現する手段を知っていた

・伝統的権威が天皇家にあることを家康はよく知っていた。それと同時に、武力とは関係なき別の力であった宗教勢力と天皇家の関係が深いことも知っていた

・人間誰でも完全ではないが、家康に欠けていたものは、ユーモアのセンスと母性的な温かみと茶目っ気サービス精神。秀吉は接客業もできたが、家康には絶対にできない

・家康の特技は、野戦の指揮能力外交的手腕、そして財務の巧みさの三点。日本人は外交音痴と言われるが、家康に関する限り、それは言えない

・徳川時代と言えば、鎖国を連想するが、家康はどう見ても鎖国主義者でなく、むしろ積極的な開国主義者。その外交能力と自信は、戦国以来の対内的外交によって培われたもの

・家康の残した教訓は、外交とは常に名より実を取る正攻法しかないということ。これがわからない者は、常に家康との対応を誤った

・家康は貨幣を握れば天下を握れると知っていたので、幕府の下で統一的な通貨を造った

・家康がけちと言われたのは、他者が思うほど金銀を持っていなかったから。自分以上に金銀を貯えている豊臣家は、財力を戦力と見る家康にとって、極めて危険な存在に見えた

・中立には、武力・情報力・財力のほかに偉大な資質が必要。家康の後継者には、この能力がなかった

・家康は神経質なぐらい健康に気をつかった。それだけに不摂生は嫌いで、そのために病気になることなど、許しがたいことであった

・家康は、常に、感情を強い意志の力で制御した。したがって、「情に溺れる」ところがない。彼が信頼を得たのはこの点だが、同時に彼に人気がなかったのもこの点

・家康が一番「用心」すべき対象と考えていたのは、民衆であった

・「権力欲なき者を統治者にする」のは夢にすぎない。家康は権力欲の権化であったが、それを保持し、かつ維持するには、善政が不可欠であることを知っていた



家康の性格や特徴を客観的に冷静に判断し、歴史的に評価したのが本書です。現在、日本の外交下手がいろいろな現象として表れてきていますが、家康の外交上手には学ぶべき点がいっぱいあると思います。

秀吉の朝鮮征伐以後、最悪だった朝鮮との関係を早期に回復させたその手腕はもっと評価されていいのではないでしょうか。


[ 2013/03/08 07:02 ] 山本七平・本 | TB(0) | CM(0)

『日本人とユダヤ人』イザヤ・ベンダサン

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
(1971/09)
イザヤ・ベンダサン、Isaiah Ben-Dasan 他

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この本は、1970年発行で、300万部のベストセラーとなった書です。著者のイザヤ・ベンダサンは、日本人の山本七平さんのペンネームと言われています。

内容は、ユダヤ人の社会、歴史、風習、行動などが詳細に記されており、日本人と比較することによって、日本人を浮き彫りにする興味深いものです。

少し古い本ですが、納得できる箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・日本には城壁都市というものがなかった。城壁のない都市など、殻のないカキと同様、考えられないものだが、日本では、むき身のカキが平然と生きていた。城壁をつくるのがどれだけ大変かは、エルサレムの城壁を補修したネヘミヤの記述を読めばわかる

・ユーラシア大陸の都市には、もう一つの殻が必要であった。水を守る殻である。エルサレムやメキドの地下水道は余りにも有名である。これを造り、水を確保するのは、城壁を作るのと同じくらい大変なことであった

・フランスの農民がナポレオン金貨を床下に埋めるのも一つの損害保険、ユダヤ人がダイヤの指輪をはめるのも一つの生命保険である。ユダヤ人なら子供のときから、徹底した保険教育を受ける

・ユダヤ人の議論好きは有名だが、議論とは、何十という珍案愚案を消すためにやるのであって、絶対に「思いつめた」自案を「死すとも固守」するためでないことは、各人自明のこと

・天才乃至は天才的人間の特徴は、自分のやったことを少しも高く評価しない点にある。そして、他人の目から見れば、実に下らぬ児戯に類することを、かえって長々と自慢するものである

・日本では、全員一致の議決は、最も強く、最も正しく、最も拘束力があると考えられている。ユダヤ人は、その逆で、その決定が正しいなら反対者がいるはずで、全員一致は偏見か興奮の結果か、外部からの圧力以外にありえないから、その決定は無効だと考える

日本教の中心にあるのは、神概念ではなく、「人間」という概念である。人の世を作ったものは、神でもなければ鬼でもない。向こう三軒両隣りの唯の人である

・日本人は、いついかなる時代にも憲法を改正したことがない。大宝律令の時代、時勢がかわって、律令で規制できなくなっても、これを改正せず「令外の官」を設ける。検非違使も「令外の官」だが、面白いことに、自衛隊も「令外の官」である

・日本教の基本的理念は「人間」である。だがこれが、法外の法で規定され、言外の言で語られているため、言葉で知ることは非常に難しい

・ユダヤ人は自国通貨を持つことがなかったから、貨幣を全くドライに扱える。したがって、貨幣が不要と思えば、全く貨幣なしでもやっていける

・ユダヤ人が金に汚いといわれる理由は、十分の一税のためである。十分の一税では、たとえ一片のパンでも、自分の収入となったものはすべて、その十分の一を教団に納めなければならない。いわば「神の源泉徴収」のようなもの

・ユダヤ人は、収入より質素でないと生活していけない。そのため、すべての人が正確に自分の収入を把握して、分不相応な乱費などできない。否応なく緻密な計画経済になるから、金に汚いと言われる

生まれながらにして偉大なる人間は、ユダヤ人の歴史に存在しなかった。ユダヤ教徒がキリスト教徒に徹底的に反発したのは、キリストの出生が常人と違う点にあるというキリスト教徒の主張である

・牧畜民にとって、生殖のみが利殖。家畜に子を生ますことは立派な製造業であり、生活の手段であり、ビジネスである。生殖が利殖である民族では、性も生殖もその生まれたものは情緒の対象であってはならない



この本は、日本人論の原点となる書です。本書が出版されてから、四十年以上経ちましたが、根本的に、日本人は何も変わっていないように思います。

日本人とは何かを知る上で、ユダヤ人と対比させた亡き著者の眼は、今も一つも衰えていないということになるのではないでしょうか。
[ 2012/01/12 07:00 ] 山本七平・本 | TB(0) | CM(0)