とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『老いてこそ上機嫌』田辺聖子

老いてこそ上機嫌老いてこそ上機嫌
(2010/01)
田辺 聖子

商品詳細を見る

著者の本を紹介するのは、「上機嫌の言葉366日」「女のおっさん箴言集」「上機嫌の才能」に次ぎ、4冊目です。上機嫌は、自分自身だけでなく、周りの人たちも明るくします。

アランも「幸福論」の中で、「私は義務の第一位に上機嫌をもってくる」と言っています。上機嫌な著者が、上機嫌の効用を説いたのが本書です。興味の湧く箇所が幾つもありました。それらの一部を要約して紹介させていただきます。



・人は子を持たぬとき、老いを恐れる。というのは、人は、子の若さで、老いを忘れ、自分も若返るように思うから。しかし、子は老いのスベリドメにならない。本人は、やはり老けていく。子供で老いを忘れようとするより、充実して、老いを豊かにすること

・人間、年をとると「人を傷つけること」の何たるかがわかってくる

・「熟年は和して同ぜず、若輩は同じて和せず」。老婦人は貴婦人でもあらねばならぬ。群れること無用、一人をたのしみ、かつ、それでいて、みんなで仲よく、というのがよい

・女の本当の賢さは、美しく年をとる法について、自分なりの識見を持ち、プランを立てておくこと

客を迎えるというのは、自分が主になり柱になること。ぐうたらや未熟者では務まらない。気概のない人間は、自分が人を招くより、人に招かれ、客となって大切に扱われたがる

・ことに幸福や楽しいこと、嬉しいことは変質しやすい。変質しないうちに辞去する、というのが理想的

楽しいホンネを語り合えるというのは人生の大きな快楽で、自分の人生が充実して、実力あればこそ、できる

・グチを吐く人はまだ甘い環境にいる。本当に大変な場で生きている人は、グチも出ない

・定期券を改札口で出してみせるように、出すべき処だけ、自我を出せばいいのであって、いつもいつも出して見せびらかすものではない

・人間関係というのは、後で顔を合わして間が悪くならないようにするのが、最高の付き合い方

・人と人との会話というものは、相手が返事のしやすいようにしゃべるべき

・人は、点と点とのつきあいでよい。全貌くまなく捉える線のつきあいでなくともよい

・元気は伝染する。元気の光源になれるような人は、どんなに年をとっていても、少女であり、少年である

・昔のことを言ってもいいが、昔のことを責めてはいけない

・生きるということは、つまり、作り笑いをする、ということにほかならない

・苦しいことを苦しいと言ってはいけない。苦しいことを面白いと言い、面白いことはつまならないと表現する。これが本当の大人

・女はほめられ上手にならなければいけない。ほめられて得意になるのは仕方ないとして、ほめ言葉を分析できるだけの女のチエは持たなければいけない

・イライラしていたら、化粧の効き目がなくなる

・若いときのような持久力、瞬発力が失われた、美貌があせた、と嘆く人もあるが、失われたものを取り返そうと思うと、しんどい。それよりも、日々少なくなるカードを切り直し切り直し、手持ちのカードだけで何とかやりくりするほうがよい

・自分のしゃべるのを人が黙って聞いてくれている、その怖さ、面目なさ、申しわけなさ、ありがたさ、嬉しさ、もったいなさ、を気付かないでいるのは、老いたるシルシ

・ある時期、モロモロの思い出をさっぱり忘れ果て、命の洗濯をすることも必要。そうして、楽しいことや嬉しいこと、自分がおぼえていて、トクになることだけ、おぼえておく

・苦労は忘れてしまえば、元々ないのと一緒



本書の最後に、著者は「過ぎしこと、まあよし」と書かれています。それを解釈すると、何かを求めて、それが叶わなかったとしてもいい。何も求めず、ただ生きていたとしてもいい。とにかく、くよくよしないこと、ということになります。

「とにかく、くよくよしないこと」、それが上機嫌の作法なのかもしれません。


[ 2013/10/06 07:00 ] 田辺聖子・本 | TB(0) | CM(2)

『上機嫌の才能』田辺聖子

上機嫌の才能上機嫌の才能
(2011/09)
田辺 聖子

商品詳細を見る

田辺聖子さんの本を紹介するのは、「上機嫌な言葉366日」「女のおっさん箴言集」に次いで、3冊目です。

田辺聖子さんは、永遠の乙女ですから、幅広い女性に支持されています。老若問わず、女性の気持ちを知るのに最適です。本書にも、男性が教えられる箇所が数多くありました。その一部を紹介させていただきます。



・生きて、愛して、人生を楽しむこと、それが根本にあって、それを守るため、政治も法律もある。お金も若さも美しさも、音楽も本もそのため。今はもうみんな、ひっくり返ってしまった。本末転倒になっている

・「まあ、こんなトコやな」は、大阪人の愛好する「しめくくり」あるいは終結宣言で、キリのないことを切り上げるときに便利な言葉である。そこに、あきらめとか後悔とか腹立ちはなく、あっけらかんと風通しのいい客観的認識だけがある

・叱られる、怒られる、咎められる、責められることによって、人は、自分と違う価値観、人生観に出会い、ビックリする。そのことで荒波に揉まれて、想像力が養われ、よりやさしくなる

・大阪では、職業上ではなく、性格上で、ツトメ人とショウバイ人を区別する。ツトメ人とは、融通がきかず四角四面で、理屈の多い几帳面な人。ショウバイ人とは、円転滑脱で、話がわかり、茶目っ気があり、そのくせ、老巧な駆け引きを得意とするような人

・客観視できるかどうかが、オトナ度の差といっていい。客観視能力の未成熟な人は、悲観的戦況にヒステリー状態になり、キリキリ舞いして自滅する

・お化粧は自分自身との対話。顔色から今日の健康状態がわかる。もし、昨日、不快なことがあっても、一夜眠れば、人間は復原力が強いから、イキイキと再生する

・誰しも、気持ちの通じ合いそうな予感のする人に会うことがある。そのとき、条件を優先させるか、予感を優先させるかは、その人の結婚観による

魅力というのは、神の与えてくれた天与のものと、自分の精神力、半々の混合

・起こってしまったことは元に戻せない。人の気持ちを変えることはできない。だから、「そんなこともあるわな」と切ってしまったほうがいい。人生はそういうことの連続だし、それで済むようにするのが大人

・世の中は、「私、こうしたいの!こうさせて!絶対、こうでなきゃいや!」と叫んだほうが得。「どっちでも構わない、本当はそうじゃなかったけど、まあ、いいです」なんて言っていたら永久にダメ、世間はこっちの気を察してくれるなんてことは全くない

・自らを助けんとして必死に戦い抜いても、浮かび上がることは容易ではない。「自ら助くる」にも限界がある。人生の終わりに及んで、「天は自ら助くるものを叩く」と会得した

・別離のショックも悲しみも、忘れはしないけど、薄れていく。時間は神様からの最高のお恵み

・「いささかは 苦労してますと 言いたいが 苦労が聞いたら 怒りよるやろ」。人生の苦労の底は深く、果てしない。私みたいな苦労ぐらい、誰でもしている

過ぎしことみな佳し。そう思わなきゃ、つらい世の中、生きていけない

話が弾むというのは、やはり、いちばんの夫婦の要諦

・人生の幸福というのは、人に憎まれず、敵を作らず、人に嫉まれるほどの幸運をむさぼらないこと。幸福はこっそり味わうもの

・人生の達人というのは、自分からゴメンと謝れる人だと思う

・この世の人生にも案外、空くじはないかもしれない。全くいいことがなかった、なんて人はないだろう

達観というのは、心中、「まあ、こんなトコやな」とつぶやくこと

・上機嫌は、自分のものとしても大事だけど、人のものでも嬉しいし、大事にしてあげたい



本書を読んでいると、「上機嫌と達観によって、人生を楽しむ」ことが幸福の本質であることがわかります。

人生を楽しまなければ損です。そのもとは、上機嫌の才能ではなく、上機嫌の努力なのかもしれません。


[ 2013/01/10 07:01 ] 田辺聖子・本 | TB(0) | CM(0)

『女のおっさん箴言集』田辺聖子

女のおっさん箴言集(しんげんしゅう) (PHP文庫)女のおっさん箴言集(しんげんしゅう) (PHP文庫)
(2007/03/02)
田辺 聖子

商品詳細を見る

田辺聖子さんの本を紹介するのは、「上機嫌な言葉366日」に続き、2冊目です。

乙女の感性を持ち続ける著者だけに、中高年男性の私には、参考になるところがたくさんあります。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・男社会の評判と、女社会の肌ざわりと二つ重ねないと、人間の裏表は分からない

・幸福だから愛想よくなるとは限らない。幸福な人は自慢屋であり、教訓家になることが多い。偶然の結果、健康や成功に恵まれたにすぎないのに、自分の能力と過信する

・くつろいでいる人間を見て喜ぶのは、こっちがくつろいでなくて緊張している証拠

・正しいことは、本人もまわりもみじめにする。非の打ちどころがないという生き様は下の下である。人に非難の余地を残しておかねば

男のかわいげを見つけ出し、それを楽しむためには、まず女が自分自身を確立していなければならない

・独りで楽しんでいるだけの幸福なんて、ホンモノじゃないと思う女が多い。周囲を誇示し挑発し、羨望や嫉妬の波紋をたしかめ、優越感を味わってやっと「幸福」は完結する

・人によっては、女に生まれて損だという。果てしない煩雑な家事、乏しい家計のやりくりの辛さ、育児の心労を訴える。しかし、そういう人は、男に生まれても、また、男の辛苦を訴える。そして、女は楽なものだ、と女を非難し、貶めるようにできている

・美しいもの、善きもの、甘やかなものを信じ、その夢を抱き続けるのが女性のロマンであり、女性の文化というもの

・女が大笑いする、ということは社会の開明度を示す。女が泣く(世間や男に虐げられて)というのは、社会の未開蒙昧度を示す。女はもっと笑い、人を笑わせなければいけない

・傲慢な自信家。思い上がり。エゴイスト。頑固一途。鼻持ちならぬエリート意識。人を見下すクセのある男。こういう男を夫に持っている妻たちを見るたび、われわれ女は、「よくまあ、あんなかわいげのない男と暮らしているものだ」の感を深くする

・人間には、仕事の成功した幸福感も必要だろうが、より以上に、自分をいとしんでくれる人間がこの世にいること、その愛情の照り映えで、こちらの肌も熱をもって暖かくなるという、そんな人間関係がなければ、本当の幸福と言えない

・日本の男は、伝統的に、一個の女に向き合う術を知らない。子供の頃から、そういう訓練を施されていないし、女の意志や情感といった女の本質に触れて、それをよろこぶという、オトナ感覚が育っていない

・塗りかえたいけど、ここだけは塗りかえたくないと言っていると、そこから雨が漏れる。信条も塗りかえ、人も変わっていくほうがいい。人は変わる、それが世の中の常

・人が生きるとき、品がありつづけるには、かげで品のないこともしなくてはいけない

・自負とは、自分に自信があり、自力がある場合の言葉。たいがいの人間はそんなに高尚なものではない。すべてこの世の人は自慢が生き甲斐なのではないか

・人間が一番力を出せるのは、三十代後半から四十代いっぱいと思うが、しかしその反面、力を出しきって、ぷつんと切れるのも、その年代

・オジサンは説教魔、オバサンは使命魔。この日本は、バケモノだらけになって、説教される人、使命感を押しつけられる犠牲者を探し求め、とって食おうとしている

世間を知るということは、人間の言葉の裏を引っ繰り返して見るということ

・本を読んで知っているということは恥ずかしいことであって、人にそれを教えるのはもっと恥ずかしい。血肉になっていない知識は、知らないのと一緒

・汚職や収賄というのは、あれは器量のない人間がもらうから汚職・収賄になる。しかし、ワイロは得てして、器量のない人間に集中して届けられる

・目立つなよ、縛られる。先頭切るなよ、縛られる。人に説教するなよ、縛られる。人を責める、強要する、やめなさい。かえって自分が縛られる。正義もいかん、縛られる


著者の言葉には、男性への戒め、肩書きのある人間への戒め、中高年への戒めが多く含まれています。

同性の親や先輩からの戒めより、たまには、異性の他人からの戒めを受けるほうが、素直に耳を傾けられるのではないかと思います。異性の「人生の経験者」の視点が、大事なのではないでしょうか。
[ 2012/04/20 07:06 ] 田辺聖子・本 | TB(0) | CM(0)

『上機嫌な言葉366日』田辺聖子

上機嫌な言葉366日上機嫌な言葉366日
(2009/04)
田辺 聖子

商品詳細を見る

何十年に渡って、女性から圧倒的な支持を得ている田辺聖子さんの名言集です。

「永遠の乙女」とも言うべき田辺聖子さんの視点は、男性的、理性的な感覚とは違ったものがありますが、生きていく術については、大差がないように思います。

気に入った言葉が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・人間が人間を慰めるなど不遜の極み。黙って、そっとしておいたらいい。人の気持ちに踏み込まない方がいいと思う

下品な人が下品な服装と行動をとるのは、これは正しい選択であって、下品ではない。しかし、下品な人が、身にそぐわない上品なものをつけているのは下品

・友人は学校で一番できやすい。同じ水準の、同じ年頃の人間が固まっているのだから、友人ができなければウソ。しかし、できやすい所でできた友人は、また離れやすいのも事実

好色な人は男も女も、人生、楽しそうに生きている

・「いそいそとする」ことが生きる楽しみ。なるべく、人生、「いそいそとする」ことが多いといい

・世の中に出たら、ヨイショするのも仕事のうち。何たって、ヨイショしてあげると、その人も自信がつくし、まわりも華やかになって、人生、景気がいい

・生まれながらの金持ちというのは、どこか引け目から猫背風だが、成り上がりは、冷酷に反り上がっている

・「それもある」という気持ちが底にあれば、交渉はスムーズに、見解の相違も歩み寄れる余地がある。すべての軋轢は、この一語を振り返る余裕のないところから生まれる

・贅沢は充たされたとき、単なる物欲となってしまう

・人生の意義は、いろいろあるけれど、自分が何回、笑顔になったか、人の笑顔をどれほど見たかで、充実度がはかられる

・どんな財宝やどんな卓見や芸術よりも、人間の上機嫌を上においている。人間が上機嫌でいられるときというのは、この世では少ない

・アランは「幸福とは、自分の価値を知ってくれる人のそばにいることである」と言った。自分の何者であるかを知ってくれる人、その人を、自分も愛すること、それに勝る幸福はない

・人を取り巻く状況はいつも変化し続けるが、ことに幸福や楽しいこと、嬉しいことは変質しやすい。変質しないうちに、辞去するというのが理想的

・「美しくて不幸なのと、醜くて幸福なのと、どっちを選ぶか」と言われたら、たいていの女は、不幸でも美しいほうを選ぶ

・教養というものは、まわりくどいもの。いつ役に立つかわからない。そういうものの積み重ねで、気の遠くなるほどの長い時間と人生の滴りが、人間の裡なる壺に落ち、貯められていく。それを教養と言う

・ほめられると、人間はどんどん美しくなって見違えるようになるし、人をほめる癖がつくと、人の美点もよく目につく

生きて、愛して、人生を楽しむこと、それがまず根本にあって、それを守るため政治も経済も法律もある。お金も若さも美しさも、音楽も本も、そのため。今は、みんなひっくり返ってしまった

断定する人、説教する人、じーっと、よく見てみると、本当に幸せじゃない。本当に幸福な人は、他人のことにかまうひまなんかない

・宴が果てる、楽しいことが終わる。そのとき、席を立つ。その立ち方に、人間のすべてが出る



田辺聖子さんの「乙女の感性」は、理屈をこね回す「大人の男の理性」に比べて、より現実的だと思いました。

「楽しく生きられたら、それでいい」ということを根底に据えておかないと、生き方が袋小路に入って、引き返せなくなるのかもしれません。

論理的、合理的な思考を持つ男性こそ、この本を読んでみる価値があるのではないでしょうか。
[ 2011/12/05 07:14 ] 田辺聖子・本 | TB(0) | CM(0)