とは学

「・・・とは」の哲学

『身軽にいきましょうや―中年からのスピリチュアル・ライフ』町田宗鳳

身軽にいきましょうや―中年からのスピリチュアル・ライフ身軽にいきましょうや―中年からのスピリチュアル・ライフ
(2004/07)
町田 宗鳳

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元禅僧で、ハーバード大学出身の大学教授である著者の書を紹介するのは、「法然対明恵」「野性の哲学」「法然愚に還る喜び」に次ぎ4冊目です。

本書は、宗教学者の専門書ではなく、あくまで一般書として書かれたものです。その分、読みやすい内容になっています。著者の意見や感情などを知ることができます。それらの一部を要約して、気軽に紹介させていただきます。



・欲が多い人は、それだけ生命力が旺盛なわけだから、悩みが多いのは人間的勲章。しかし、中年になれば、欲を減らしていくべき、五十、六十になって、強欲なのは恥ずかしい

・自分という人間の器を大きくしていく楽しみに勝るものはない。毎日がそのための修行

・世間の動きから一歩退いて、ひたすら魂の浄化を心がけている人は、孤独に耐えることを求められる。どうでもいいことは、世間に合わせておけばいいが、肝心なところでは、妥協をしない、自分の魂を売らないという覚悟が大切

・現代日本人は、ますます孤独に弱くなっている。いつも群れて、目先のことにワイワイと興奮したがる

・神さまとは、「いのち」のこと。絶対に死に絶えることのない生命を「いのち」と言う

・人間は、試練を乗り越えていくたびに、器が大きくなる。何にも動じない自信が生まれてくる

・人間だけでなく、動物も植物も微生物も、山も川も森も、全部、太陽のおかげで生きている。朝の太陽を見ていると、自分の体の中に「いのち」のエネルギーがすっと入ってくるのを感じる。私たちは、この大きな「いのち」の力で生かされている

・大切なのは「私が始める」という決意、ひとりでやる覚悟。宇宙のリズムにあった穏やかないい気(陽気、やる気、元気など)を出し始めると、必ず周りが変わってくる

人生は壮大な実験。やってみたいと思ったことは、物おじせず、どんどんやればいい。自分さえ本気なら、支離滅裂でもいい

・今の日本が直面している大きな問題は「生命感覚の鈍り

・無意識のうちに子供は「お父さんもお母さんも本音で生きて」とメッセージを送っている。本音で生きていない人には、どこか皮相なものを感じる。子供は驚くべき感知力で、そのごまかしを見抜く。子供の側から見ると、親の年収や職業などは大したことではない

・自分のやりたいことを見つけるというのは、とどのつまり、本音で生きられるようになるということ

・苦手な相手を受け入れるには、自分を空白にし、しかも相手の幸せを念じる以外にない。こんなことは、自分中心の考え方を捨てない限り、できない相談

・ひがみっぽい人と高慢ちきな人、この両者に共通していることは、心の深いところに、大きな劣等感を巣くっていること

・殿様がいる城を中心に、直臣、侍、商人、職人、農民の各階層が遠心状に並んでおり、自分の身分が保障されたければ、その権威を中心とした社会構造に挑戦してはならないという「城下町メンタリティー」が、ここ数百年続いてきている

群れなければ引きこもる引きこもらなければ群れる。日本人は、プライベートな時間や空間の楽しみ方が下手

・山の「いのち」と人間の「いのち」が呼応し合って、自分の中に新しい生命力が生まれてくる。生命力バッテリーが弱っているときは、山から充電してもらうことができる。そういう山と身近に暮らしている日本人は幸せ

・水の音や鳥の声を聞きながら、川辺でぼんやりしていても、立派な瞑想。浜辺で聞く海の音も、夜空を見上げて、美しい星座に見入るのも最高の瞑想

・一般的に禅をやる人には、自意識過剰の人が多い。どうせ禅をやるなら、そういう意識が消えるまで、徹底してやるべき

・命がけで真剣に生きてきた者が、ごく自然に身につけている「軽み」は、見ていてもすがすがしいが、わざと「軽み」をてらった振る舞いは、軽薄にすぎない



日本人は、中高年になっても、欲のまま生きて、人と群れてばかりいる人が多いように思います。いわゆる大人になれない大人が増えています。それは恥ずかしいこと、情けないこと、という認識を社会が持つべきなのかもしれません。

本書は、中高年が、気軽に、シンプルに、力を抜いて生きていくことをすすめるものです。日ごろ、ストレスを抱えて日常生活を送っている方には、おすすめの書です。


[ 2013/09/13 07:00 ] 町田宗鳳・本 | TB(0) | CM(0)

『法然・愚に還る喜び―死を超えて生きる』町田宗鳳

法然・愚に還る喜び―死を超えて生きる (NHKブックス No.1168)法然・愚に還る喜び―死を超えて生きる (NHKブックス No.1168)
(2010/11/25)
町田 宗鳳

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町田宗鳳氏の著書を紹介するのは、「法然対明恵」「野性哲学」に次ぎ、3冊目です。「法然対明恵」は、明恵上人のことを知るために読みました。そこで、法然上人にも興味を覚え、本書を読みたくなりました。

法然上人は、鎌倉仏教の創始者とも言うべき存在です。もし、法然上人がいなければ、今の日本の仏教は、全く違った道を辿っていたかもしれません。興味深い箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・現実社会は不公平そのものだが、「いのち」の存在を見つめるなら、過去も現在も未来も、人間は見事に公平な世界を生きている。法然のキーワードである「往生」を「幸福」に置き換えてみると、現代人の心にもグッと近づいてくる

・念仏や真言の直接的な目的は、それを称える者の意識の浄化であり、カルマ(業)の消滅。法然は、念仏に贖罪の働きがあることを実感し、不断の念仏を強く薦めたのは、人々の心の奥に潜む「否定的記憶」を消すのに、不可欠であることを知っていたから

・私たち自身の無意識が目の前の現象を呼び寄せている。無意識から出てくる心的エネルギーがプラスかマイナスかで、生きる世界が変わってくる

・13世紀に入って、「思想の革命家」法然が、戦いの狼煙をあげると、その後、親鸞、道元、日蓮、一遍など、個性的な思想家たちが輩出し、新たな仏教の流れを生みだした

・高いエネルギーをもつ宗教は、優れた芸術を生みだす。現代宗教が、元気を失っている証拠の一つとして、現代の芸術家が宗教と無縁のところで活躍している事実がある

・怨霊や地獄などの思想が広がるにつれ、民衆の神仏への帰依心が深まると同時に、僧侶への依存心も強まっていった。個体の生物学的な死に、思想的な意味づけをして、民衆の宗教への依存心を高めるのに熱心だったのは、洋の東西を問わず、僧侶たち

・法然がどれだけ深い宗教体験を味わったとしても、もし比叡山を下りなかったら、彼は「思想の革命家」とはなりえなかった。都大路に降り立った瞬間、法然はもはや求道者ではなく、救済者として生まれ変わった

・法然の口称念仏にも自己催眠術的な要素があり、それによってさまざまなビジョンを眼にする。定善観にせよ、前世療法にせよ、そこで浮かび上がってくるイメージの世界が、それを体験する者の人生の意味を根本から覆すほどの力をもっているということ

ナムアミダブツを称える者の自覚ひとつで、世界の中心に屹立する宇宙樹となって、穢土と浄土を一気に結びつけたわけだから、真の念仏は他力のようであって、他力ではない。自力と他力の区別がつかないところに、法然のナミアミダブツがある

・法然の真価は、人間の救いは「物知りの知識」にあるのではなく、「計らいのない愚者の知恵」にこそあることを突き止めた。「愚に還る喜び」という考え方は、小賢しいエゴを捨て、バカにならないと往生できない。つまり、幸福になりえないというもの

・法然の思想的斬新性は、怨霊・地獄・末法という三つの暗黒色で塗り込められていた死のイメージが、金色に輝く阿弥陀仏の姿に一気に塗り替えたこと

・仏道を行ずる上で、最大の障害は自我意識。本質を見抜いていた法然は、深い懺悔の中で真剣に称えられる念仏こそ、いかなる修行よりも尊いと判断した

・「極重悪人」という自覚がある人は、懺悔ができている人。宗教というのは、痛々しいほど反省が深まらないと始まらない

・法然の専修念仏は、日本宗教上初めて、伝統的仏教教団と朝廷の双方から組織的弾圧があった。それが、いかに革新的思想であり、社会的影響力が大きかったかを物語っている

・庶民という言葉には、「権力者に抑圧された弱者」というニュアンスがある。実際は、小心な欲望集団のことでもあり、法のスキを狙って、非倫理的行為に走る者が少なくない

・法然は、恐るべき権力をもつ尼将軍(北条政子)にも、権力の乱用という過ちを犯さないように遠慮なく忠告している。相手が遊女だろうが、最高権力者だろうが、どのような社会的階層の人とも誠実に接したことが、法然の魅力

・唐の臨済禅師が「仏に逢っては仏を殺し、祖に逢っては祖を殺せ」と言ったように、法然をもっとも誠実に、かつ真摯に学ぶということは、「法然を殺す」こと。そのときこそ、「法然を超えた」ことになる。特定宗教の絶対化ほど、人類の進化を妨げるものはない



「南無阿弥陀仏」の念仏が、カルマ(業)を消滅し、心の奥に潜む「否定的記憶」を消し、心的エネルギーをプラスにする力を宿すということ。たった七文字のナムアミダブツが、本当に奥深いものであることを本書によって、初めて知りました。

ナムアミダブツは元祖「元気になれる魔法の呪文」です。この法然の思想(南無阿弥陀仏)が、インド仏教、中国仏教からの訣別を意味し、日本仏教の誕生をもたらしたということも、大変意義があると感じました。
[ 2012/06/14 07:02 ] 町田宗鳳・本 | TB(-) | CM(0)

『「野性」の哲学―生きぬく力を取り戻す』町田宗鳳

「野性」の哲学―生きぬく力を取り戻す (ちくま新書)「野性」の哲学―生きぬく力を取り戻す (ちくま新書)
(2001/07)
町田 宗鳳

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町田宗鳳氏の著書を紹介するのは、「法然対明恵」に次ぎ、2冊目です。

「異色の経歴」(14歳で出家して大徳寺で修行、その後、渡米してハーバード大学を卒業、現在は広島大学教授)だけでなく、肉体主義(肉体を通じてこそ肉体を超える思想を獲得できる)を唱え、自ら体を鍛えている「異色の思想家」です。

本書は、信長の決断力、龍馬の行動力、円空の造形力、宮沢賢治の想像力、松下幸之助の直観力を題材にして、野性の回復を訴える内容になっています。盛りだくさんの興味深い内容を、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・環境と思想を結びつけるのが肉体。環境の変化を感じ取るのは、脳の一部ではなく、つま先からアタマのてっぺんまでの全細胞。体全体の細胞が総動員で、環境の変化を読み取り、情報を脳に送り込み、しかるべき判断を下す。そこに従来と異なる発想が生まれる

・禅の修行である「不立文字、直指人心」を趣旨とする禅宗では、教義についてあれこれ理屈をこねるのをよしとせず、修行者は坐禅を通じて全身で真理をつかみ取ることを求められる。

・禅のカナメは、坐禅だけにあるのではない。「行住坐臥」の言葉に示されているように、日常儀礼や食事作法における一挙手一投足に心を注ぎ、自らの身体が仏教の教えそのものを体現していることを理想とする

・精神主義は励ます側の権威の匂いがするが、肉体主義は肉体に内在する生命力に敬意を払うこと。運命の厳しい試練を生き抜くのは、外からの押し付けられた精神力ではなく、内から湧き出てくる生命力

・文明の恩恵を受けるということは、自分の力で生きる意欲を放棄し、知らず知らずのうちに飼育される存在になることでもある

・「感ずる理性」を持ちあわせない人格者が、いくら立派な道徳論を振り回してみたところで、いったん生命の連帯感が途切れてしまえば、人権の無視やら他の生命に対する暴力が発生してくるのは必然的

野性的思考を獲得するためには、一方では万巻の書を読破する気概をもちあわせ、また一方では、多少の危険を冒してでも現場に出ていく大胆さがいる

・奈良時代から築かれた仏教寺院の強固な権力基盤を破壊するには、日本の歴史は、信長という狂人を登場させざるを得なかった。そうでなければ、宗教を中心とした妄想共同体が、古い封建秩序の中で温存され、日本人がいつまでも暗闇をさ迷い続けた可能性は高い

・詩人は凡人とは違って、生活臭にまみれてしまってはダメ。いつも現実よりも遠く見つめながら、現象の中に隠されている本質を本能的に直感したり、これから起こるべきことを予言する能力を持っていてこそ詩人である

・野性的人間の特徴は「型破り」であることだが、「型」を身に付けることなく、「型破り」は成立しない。単に奇抜をてらった前衛的手法というのは、一時期評判になっても、時間とともに飽きられてしまうのが常

・円空仏がもつ骨太の縄文的明るさの最大の秘密は、この生死を賭した厳しい山岳修行にある。人間の脆い生命が大自然の脅威の前にさらけ出されたとき、野性的生命感覚が修行者の肉体に一気に逆流してくることがある

・真の造形力とは、新しい価値観を作りだす行為のこと。経済的価値だけを中心にした生活から脱却して、自分の魂が本当に満足できる生き方を見つけなくては実現できない

・自分の開発している技術に何らかの芸術性を感じられないのなら、そこにオリジナリティーが欠落していないか、エンジニアは疑ってみるべき

・「手の哲学」が「アタマの哲学」よりも劣っている形跡はどこにもない。日本人はモノに託して、自分の思想を見事に語り尽くしてきた

・理性知のみを偏重するうちに、心と体をすっかり分離させてしまった現代文明の犠牲者となるのは、感受性の鋭い若者たち

・日本が大きな脱皮をとげるためには、新鮮な感覚と大胆な発想を兼ね備えた野性的女性が、もっと第一線に登場してこなくてはならない。男性の甘えを無意味に許容したり、媚びを売るようでは、男性の権威を奪い取れない



著者は、最後に、異端者へのチャンス、血を混ぜることの大切さを力説しています。

今の日本の凋落ぶりは、身内だけの集団で固まり、保守的、閉鎖的行動をとってきたことが原因のように思います。つまり、野性を喪失、排除してきた結果ではないでしょうか。

嗅覚、皮膚感覚を通しての発想が、今こそ求められているように感じます。
[ 2012/03/26 07:00 ] 町田宗鳳・本 | TB(0) | CM(0)

『法然対明恵』町田宗鳳

法然対明恵 (講談社選書メチエ)法然対明恵 (講談社選書メチエ)
(1998/10/09)
町田 宗鳳

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今年、四月上旬のまだ肌寒い時期に、法然が修行した比叡山延暦寺を訪ねました。五月上旬、哲学の道から少し奥に入った、新緑薫る法然院に、偶然足を運びました。

また、八月下旬には、明恵が中興の祖となった高雄の高山寺に、上り坂に汗をかきかき、行きました。

京都の旅で、たまたま、法然と明恵ゆかりの地を訪問したわけです。当然ですが、鎌倉新仏教に大きな影響を与える法然と、その対極をなす明恵という存在に興味を覚えました。

この本の著者、町田宗鳳氏は、14歳で出家。20年間、京都の大徳寺で修行し、34歳のとき寺を離れ、渡米。ハーバード大学神学部で修士課程終了後、ペンシルバニア大学東洋学部助教授を経て、現在、広島大学教授という輝かしくも不思議な経歴の持ち主です。

著者は、法然と明恵という二人の宗教者を通じて、日本仏教の原点を見詰められています。興味深く読めたところが数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・法然は、富める者にも貧しき者にも、行いの正しき者にも身を持ち崩した者にも、例外なく訪れる「死の平等性」に着目し、そこに究極的な救いを見出そうとした

・明恵は、この世こそが、修行と学問に励むことによって、釈迦が成就した「悟りの境地」を体験し得る可能性に満ちた世界であると考えていた

・法然の専修念仏は、仏教伝来以前から日本人の心情に連綿と伝わる常世信仰に直結している。人は命絶えるとともに、その魂がいつかまたこの世への帰還を果たすという素朴な再生論に念仏信仰を合体したもの

・インドを理想空間と仰いで、原始仏教への復活を志した明恵の考えは、この世でも、あの世でも、釈迦の説いた仏法に直接めぐり逢うことこそが、至上目的。そのためには、身を慎みながら、不屈の精神で仏道修行に邁進することが必須であった

・法然が唱道した専修念仏は、思想的に過激で、旧仏教を全否定する要素を含んでいた。それは、若き法然がやっと入門できた名刹延暦寺の腐敗した姿への嫌悪感が、下地にあった

・法然と明恵は、ともに嘱望される有能な青年僧であったにもかかわらず、高い僧階を求めてしのぎを削る組織(延暦寺と神護寺)から外れ、マージナルな(周辺の)立場に身を置く選択をしたことが、彼らの思想形成に決定的な影響を及ぼすことになった

・法然と明恵の共通の運命は、両者とも師匠に恵まれなかったこと。師を持たないという深刻な事態が、否応なく彼らを独創的な思索に追いやった

・法然は、人間は善人であろうとしても、思わず悪事を働いてしまうものと考えた。そこから、善いもの、貴いものは自分の外にあるという考えが生じ、他力本願信仰へと帰結していく

・法然の「死の座標軸」が人間性への絶望を始点とするならば、明恵の「生の座標軸」は人間性への希望に始まる。明恵には、向上心がある限り、道は必ず成就するという確信があった

・果てしなく繰り返される隠遁、厳しい持戒生活という明恵の行為は、組織より個人を先行させ、強い意志力で、積極的に宗教者の「あるべきよう」を求めるもの

・仏教が日本化していく過程の一現象として生まれてきた法然の専修念仏に対して、本能的とも言えるほどの激しい反発心を抱いたのが明恵

他力の法然自力の明恵は、信仰や修行によって、初めて精神的覚醒に至ることができるという立場を守り抜いた点では同じ

・法然の周囲に集まってきたのは、大半が「一文不知(文字も読むことができない)の愚鈍の身」の人々。旧仏教の体系を根底から否定し、朝廷の権威も眼中におかない過激な教義によって、法然と専修念仏集団は、常に迫害の脅威にさらされた

・明恵は後鳥羽上皇や有力公家、北条政子・泰時などの武家から強い支持を受けた。明恵の講説は専門的で、読み書きのほとんどできない当時の庶民には、近づきがたかった。明恵の関心はどこまでも自己向上にあったので、反社会的な運動につながる要素がなかった

・明恵の「あるべきようは」という考えは、深い交友関係にあった北条泰時が制定した貞永式目にも影響を及ぼしたことが知られている

・「人は阿留辺機夜宇和(あるべきようは)と云う七文字を持つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり」 (栂尾明恵上人遺訓

・明恵の厳しいほどの倫理的原理主義には、僧侶たちの退廃の風潮に、正面から挑戦する意味も含まれていた。明恵は自らの身を律しながら、日本仏教から消滅しつつあったインド的原理を懸命に防衛していた

・明恵には動物にまつわるエピソードが多い。高山寺の仔犬の彫刻、鹿の像も彼が愛玩したもの。国宝「明恵上人樹上坐禅像」でも、坐禅をする明恵のまわりに、リスや小鳥が描かれている。菩提心の実践家明恵の体からは、生けるものへの「愛心」が発散していた

・真面目に身を修める人には、今も仏法が宿っている。だからこそ、自らの「あるべきよう」を問いただし、日常の生活を律していくことこそ大切。これこそ持戒の人、明恵の本音

・洋の東西を問わず、社会不安がつのると、宗教家たちは俄然活発になり、個人の死にさまざまな宗教的意味づけ>をして、死の虚像を作り、自分たちに有利な状況を生み出そうとする。慈悲の行為を装ってなされる説教は、聞かされる側が容易に拒否できない

末法思想を、社会状況の悪化とともに、一つの時代思潮に仕立て上げていったのは、間違いなく仏教教団側。悲観的な終末論を抱かせることによって、寺社との関係を断ちがたいものにした

・法然の著述には「生死を離れる」という表現が非常に多く使用されている。法然は、臨終とともに往生が成立すると考えたので、死ぬことは肉体の生死を離れて、超越的世界に入っていくことであった

・怨霊、地獄、末法の三本柱で構成された暗く冷たい死のイメージを、仏の慈悲という、万人が納得できる温もりと優しさを持ったものへ回復ならしめたのは、法然の徹底した口称念仏であった

・死の克服という個人的命題から出発した法然の専修念仏が、やがて、後世の門徒たちによる一向一揆に発展した。これは、神の恩寵を自覚することで始まったルターの福音主義が、不当課税をする封建領主に対し、大規模な暴動を引き起こしたことと似ている

・法然の専修念仏は単純平等主義ではなく、排除された者を優先的に救っていくという、救済の序列を逆転した上での複雑平等主義であったため、それまでの念仏信仰にない、大きな社会的インパクトをもっていた

・法然と明恵の宗教的世界観である「生と死」の座標軸は、同時に「信仰と道徳」の座標軸。「真摯な信仰さえあれば、人間の営みにおけるたいていの誤謬は許される」とした法然。「一定の倫理的水準を保つことなく、人が人たり得ることはない」とした明恵

・法然は念仏三昧による幻視体験。明恵は坐禅の延長線上にある夢。形こそ違うが、そこで経験されたものは、深層意識での心理現象

・明恵は法然以上に神秘的能力を持っていた。しかし、明恵は、瞑想が深まり、オカルト的な現象を体験しても、それに心を奪われてはいけないとし、釈迦が超自然的現象に否定的な態度をとったのと同じ態度をとった

・明恵が、生に基盤を置いて、生を向上させるという立場から、尊重すべき道徳律を提示したのとは正反対に、法然は死の世界から生の営みをながめて、外部から与えられた道徳律を無効とした。表面上は、両者の倫理観に大きな隔たりが存在する

・法然を初め、新仏教の指導者たちは、比叡山延暦寺で学問と修行を積んだ上で、京の街に下り、独自の教義を説き始める。山中深く研鑽を積む僧と、巷で老若男女に囲まれて現実的な悩みを前に布教活動する僧では、両者の世界観に雲泥の差が生じたのは当然

・仏教が受動態の宗教というのは、徳川300年の寺請制度に馴らされた日本人の思い込み。幕府という世俗的権威への従順のために、仏教思想が歪曲されて利用された。受動態の仏教は、先祖供養と葬式にしか関わらなくなり、その状態が今日まで続いている



法然と明恵の対極構造は、いつの時代にも見受けられる構造です。

大衆相手かエリート相手か、量を求めるか質を求めるか、組織的に行動するか単独で行動するか、運命のせいにするか自分のせいにするか、等々。

要するに、どちらも正しく、どちらも間違っていないように思います。自分はどちらが好きか、どちらに向いているかというだけなのかもしれません。

そういう意味で、日本の仏教も、仏教伝来から時を経て、なるべくようにしてなったというのが正しい見方ではないでしょうか。

日本仏教の原点を知っていると、何重にも糊塗されてきた今日の日本仏教の皮をはぐのに便利です。それができた人だけが、本当の意味で、仏教と向き合うことができるのではないかと思います。
[ 2011/12/01 07:02 ] 町田宗鳳・本 | TB(0) | CM(0)